はてなキーワード: アンチテーゼとは
ソースが本人のツイート一つだしゴシップサイトしか記事にしてないし真面目に捉えてるほうがおかしいんだよ
立候補者の登録を締め切ってる州もあるんだから、どう考えてもありえない
それはそうとして、カニエウェストのトランプ支持はイメージアップのために右ならえでリベラルアピールばっかしてる近年のアメリカンセレブへのアンチテーゼだったんだろうな
オバマやヒラリーがいくら正論を説いたところで実際の世界はいっこうによくならなかったという絶望と、
そんな失敗を反省せず俄然同じようなアプローチをとり続けるリベラリストへのフラストレーションが、
民主党員への当てつけとしてのトランプ支持といういささか幼稚くさい行動にカニエを走らせたのかもしれない
またセンシティブな発言をしたときに「これだから黒人は」という風にトーンポリッシングによって論点をずらされることを危惧して
表面上は共和党保守層にフレンドリーに接したほうがいいという考えもあったようで、それはまだ理解できなくもない言い分かなとは思う
カニエって誤解されがちだけど共和党支持者ではなくてアンチ民主党ってだけなんだよな
「いつまでこんな古臭い二大政党にしがみついてんだよ疑問に思わないのかよアメリカっていう国家が黒人にやさしくしてくれたことあっか?」としか考えてないリバタリアン
個人的にカニエはそういう「政治じゃ何も変わらない、変えてくれない」ってスタンスでいてほしい。そういう発言をする人もいてほしい。
なんでループするんだよこう書けばわかるか?
増田:選挙とは多数決。民主主義についてではなく選挙の手段ついてだけ言及している
ワイ:選挙とは民主主義の根元を成すものであり切り離すことはできない(選挙に立候補するのも投票するのも意思表明)また民主主義とは多数決ではない
ちな増田は政治が大好きみたいだからこのドキュメンタリー映画をオススメするぞ
『立候補』だ
泡沫候補の知られざる衝撃の実態に迫るエンタテインメント・ドキュメンタリー!
負けると分かっていても闘いを挑む― 誰しもが負けると思っていた闘いの為に鍛え続けるロッキー・バルボアのように、本作の登場人物たちは 勝つ見込みのない闘いにも、己と世界のために闘い続けます。選挙とは立候補のもとに成り立つシステムです。それが政党や団体によって支援された受かる見込みのある候補者たちだけのものになりつつあるのが今日の日本ですが、本来選挙とは誰もが声を挙げられるように出来ています。映画『立候補』に登場する泡沫候補たちは、選挙に勝つため、政治家になるために闘うだけではなく、自らの信念を貫く様を人々に 見せようと孤軍奮闘しています。その姿がおかしくもあり感動的でもあるのはなぜでしょうか。それは、行動を起こす人々に対して“ツッコミ”をいれたり、嘲笑したりしがちな現代に生きる私たちへのアンチテーゼに見えるからなのかもしれません。何をしたいかよりも、どう見られるかが勝ってしまう、今の私たちの姿に気付かされるのです。奇異な行動を取る泡沫候補たちを劇場に観に来て、笑いながら、最後にはなぜか感動してしまう力を本作品はもっています。監督は新鋭・藤岡利充。製作を手掛けた木野内哲也との二人三脚で困難な撮影を経て、本作を完成させました。二人はこれまでもコンビで制作を続けており 本作にもその独特なコンビネーションが活かされています。
[8bit news]
『立候補』だ
泡沫候補の知られざる衝撃の実態に迫るエンタテインメント・ドキュメンタリー!
負けると分かっていても闘いを挑む― 誰しもが負けると思っていた闘いの為に鍛え続けるロッキー・バルボアのように、本作の登場人物たちは 勝つ見込みのない闘いにも、己と世界のために闘い続けます。選挙とは立候補のもとに成り立つシステムです。それが政党や団体によって支援された受かる見込みのある候補者たちだけのものになりつつあるのが今日の日本ですが、本来選挙とは誰もが声を挙げられるように出来ています。映画『立候補』に登場する泡沫候補たちは、選挙に勝つため、政治家になるために闘うだけではなく、自らの信念を貫く様を人々に 見せようと孤軍奮闘しています。その姿がおかしくもあり感動的でもあるのはなぜでしょうか。それは、行動を起こす人々に対して“ツッコミ”をいれたり、嘲笑したりしがちな現代に生きる私たちへのアンチテーゼに見えるからなのかもしれません。何をしたいかよりも、どう見られるかが勝ってしまう、今の私たちの姿に気付かされるのです。奇異な行動を取る泡沫候補たちを劇場に観に来て、笑いながら、最後にはなぜか感動してしまう力を本作品はもっています。監督は新鋭・藤岡利充。製作を手掛けた木野内哲也との二人三脚で困難な撮影を経て、本作を完成させました。二人はこれまでもコンビで制作を続けており 本作にもその独特なコンビネーションが活かされています。
[8bit news]
自分は、「一般的に、暗記数学に賛成している人」とされている、
の中の一人だが、そのはしくれとして、「暗記数学が正しい」という妄言を徹底的に批判する。
その塾では基本的に生徒に自習させ、分からないことがあったら講師(自分)に質問する、というスタイルを取っていた。
基本的に自習だが、毎日チェックテスト(基礎的な数学の問題が数題出題される)のみ、全員に共通したノルマだった。
講師の初日、全員にチェックテストをやらせていたが、一人(A君とする)だけなぜかやらなかった。
話を聞いてみると、「基礎の練習など無意味。自分はもっと応用問題の解答を暗記する」という強い信念を持っていて、基礎はやらない、とのこと。
「生意気言うな。基礎もできない人間に応用問題なんてできるわけないだろ」と何度も注意したが、
なんでも和田秀樹の本を読んで感動したらしく、忠告は拒否され、毎日せっせと解答の丸暗記をしていた。
結局浪人期間の一年間で一番A君と仲良くなった(自分の説明が分かり易いので気に入ったらしい)が、
彼の解答の丸暗記法では、全く同じ問題だと解けるのだが少しでも違う問題だと全く太刀打ちできなかった。
彼が熱っぽく如何に和田秀樹の理論が素晴らしいかを語るを聞き、
「問題が解けるようになってから言えよ。とはいえ、いたいけな受験生をここまで変な考えにさせるなんて和田秀樹ってやつはトンデモねー極悪人だな。」
としか思えなかった。
結局彼は成績が上がらず、目標としていた難関大学(ぶっちゃけ慶応)よりも相当偏差値の低い大学に行った。
最後に彼は「やっぱり基礎は大事なんですね」と反省していたが、彼の貴重な一年を棒に振った暗記数学はもう極悪だとしか思えなかった。
以上が、私が和田秀樹の提唱する暗記数学が絶対に間違っていると判断するに到った根拠である。
とは言え、暗記数学氏の
との主張は至極最もだし、暗記数学氏の提唱している勉強法は「暗記数学」というタイトルを除けば極めて全うだろう。
また、私もA君からの又聞きによってしか和田秀樹の理論を知らないので、
「A君のやっていた『解答を丸暗記する』法は本当の暗記数学ではない。本当の暗記数学は理解して暗記するものだ」
との反論はあるかもしれない。
詳しくは知らないが、自分の読んだことのある和田秀樹のエピソードは、
和田秀樹が大学時代に灘の高校生(B君とする)の家庭教師をしていた。B君は灘というプライドがあったため、和田秀樹が何度も
「解答を覚えろ」と忠告したのにも関わらず、いきなり難問を自力で解くという勉強法を繰り返し、成績が上がらず、大学受験で撃沈した
というものである。これは暗記数学氏の言う「何かをこじらせて勉強法に無駄な拘りを持っている人たち」に対応するものだろう。
確かに「数学は暗記だ」という言葉は、B君みたいな灘に入ったからと言って勘違いしてしまった一般人(灘にいる本当の天才はそんな勉強法でも大学受験レベルの数学くらい解くだろう)には有効な言葉かもしれない。
A君みたいに解法を暗記するだけ暗記して全く応用の聞かない馬鹿を産み出したのは確実に和田秀樹のせいである。
そして、日本の「数学が出来ない高校生」のうち、A君タイプ(解法の暗記はするけど理解が追い付いていなく、暗記した問題から少し変えると答えられない)が99%で、
B君タイプ(自分は天才だと勘違いした凡人)は1%にも満たないだろう。
そのような状況で、B君タイプを減らすことを目的として、A君タイプを量産することになる
仮にA君の暗記数学の理解が不十分だったとしても、暗記数学という言葉は有害無益である。
暗記数学氏の主張が
という主張なら、それは100%正しい。オイラーやガウスでもない一般人が平方完成も知らずに
二次方程式が解けるはずがない(というかオイラーやガウスも平方完成は暗記しただろう)。
しかし、オイラーやガウスが行ったことを「暗記数学」とは言わない。
暗記数学氏の想定している「アンチ暗記数学派」の主張は「数学の体系をゼロから始めて全て車輪の再発明をしよう」
という荒唐無稽な主張であるため、このような主張のアンチテーゼである「暗記数学」
和田秀樹らによるいわゆる「暗記数学」の要点をまとめると、以下のようになるだろう。
これは従来、数学の入試問題を解くのに必要なのが曖昧模糊とした「ひらめき」や「才能」だと思われていたことへのアンチテーゼである。「暗記」という語はその対比であり、特別な才能がなくとも、基礎事項を確実に習得することで、入試を通過できる程度の数学力は身に付くことを主張している。
そもそも、大学入試は大学で研究をする上で重要な知識や考え方の理解度を問うているわけであって、徒な難問を出して受験生を試しているわけではない。したがって、そのような重要事項(つまり、教科書の基礎事項や、数学を活用する上で頻繁に出てくるような考え方)を身に付けるのが正攻法である。
そのための教材としては、エレガントな別解や難問に拘ったものよりも、基礎事項や入試頻出の問題を網羅したスタンダードなものが良いとされる。
これはいわゆる解法暗記である。なぜ、具体的な実例を学ぶのかと言えば。数学に限らず、具体的な経験と関連付けられていない知識は理解できないためである。
実際、教科書を読んだばかりの人の多くは、自身の知識と入試問題との間にギャップを感じる。たとえば、ベクトルの内積の定義や線形性等の性質を知っただけでは、それを幾何学の問題に応用するのは難しいだろう。教科書を読んだばかりの段階というのは、将棋で喩えれば駒の動かし方を覚えただけのようなもので、実戦で勝つのは難しい。実戦で勝つには、定跡や手筋のような、ルールだけからは直ちに明らかではない、駒の活用法を身に着ける必要がある。
将棋の定跡を初心者が独自に発見するのが難しいのと同様に、数学の自明でない実例を見出すことも難しい。そのほとんどは歴代の数学者が生涯をかけて究明してきたものなのだから、当然である。しかし、現代の高校生には既に教科書や入試問題がある。特に入試問題は、数学の専門家が選りすぐった、良質な実例の宝庫である。受験生はこれを通じて数学概念の活用のされ方や、論理の展開等を深く理解するべきである。
そしてこれは、大学以降で数学や工学を学ぶ際も同様である。特に、大学以降の数学では、抽象的な概念が中心になるため、ほとんどの大学教員は、具体的な実例を通じて理解しているかを非常に重んじる。たとえば、セミナーや大学院入試等では、以下のような質問が頻繁になされる。
教科書の記述や、解いた問題は完全に理解すべきである。つまり、
といったことを徹底的に自問するべきである。自分の理解が絶対に正しいと確信し、それに関して何を聞かれても答えられる状態にならなければいけない。「微分で極値が求まる理屈は分からない(或いは、分からないという自覚さえない)が、極値問題だからとりあえず微分してみる」というような勉強は良くない。
そして、理解できたと思ったら、教科書の一節や問題の解答を何も見ずに再現してみる。これはもちろん、一字一句を暗記するということではなく、上に書いたような知識が有機的な繋がりを持って理解できているのかを確認することである。ある事実が、どのような性質を前提としていて、どのように示されるのかという数学のストーリーを理解していれば、何も見ずともスラスラ書けるはずだ。
また、問題を解く際は、いきなり答えを見るのではなく、一通り自分で解答を試みてから解答を見ることが好ましい。実際に手を動かすことにより、分かっている部分とそうでない部分が明確になるからである。
以上のことは、何も受験数学に限った話ではない。他の科目でも、社会に出て自分で調べたり考えたりしたことを他人に発表するときでも同様である。
要するに、数学の専門知識と社会的常識のある人は暗記数学に賛成しているようだ。
逆に、反対している人。
反対しているのは、金儲けが目的で目立つことを言っているか、何かをこじらせて勉強法に無駄な拘りを持っている人たちのようだ。
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思うに、アンチ暗記数学派というのは、精神の根底に以下のような考えを持っているのではないのだろうか?
一部の人は、大学入試では「ひらめき」「発想力」「頭の柔らかさ」「地頭の良さ」などを試すために敢えて典型的ではない問題を出しているとか、「天才」を発掘するために常人には解けないような難問を出題していると思っているのかも知れない。しかし、先にも述べたように、大学入試は、大学に入って研究するための基礎学力を測っており、入試問題は、そこで問われている知識や考え方が重要だから出題されるわけである。したがって、そういう重要な知識や考え方を十分に身に着けていれば受かる。ただそれだけの話である。そして、良識ある教育者は、数学で重要なところが分かっているから、それに基づいて教材や予想問題を作っている。そうでない人はもしかしたら、大学が普通の受験生には解けないように徒に問題を複雑にしていると思い込み、ひねくれた問題を教えているのかも知れない。
また、「数学自体は重要ではなく、数学を通じて思考力を鍛えることが重要」とか「受験勉強は社会に出て嫌な仕事を我慢するための訓練」等と思っている人もいるかも知れない。特に前者は、自称数学好きにもいるようだ。しかし、深く考えるまでもなく、大学受験に数学が課せられるのは、大学で研究するために(少なくとも、教員が望む水準で)絶対に必要だからである。そして何度も言うように、入試で問われるのは、研究のために必要な知識や考え方であり、「頭の柔らかさ」などではない。また、数学をそれほど使わない学部にも、受験に数学が課せられるのは、多くの大学には転部等の制度があり、文学部から経済学部とか、農学部から工学部に転部するような事例は珍しくないからである。
上記2つに共通するのは、「理解」よりも「ひらめき」等のオカルティックなものを重視することである。これは、上に述べた胡散臭い教育業者や、受験生に絡んでる学歴コンプが暗記数学に反対する理由と符合する。金儲けがしたい受験業者にとって、「基礎を確実に理解することが重要」と言うよりも「入試本番に典型問題は出ないから、ひらめきが大事(。そして、ウチの教材を使えば、それが鍛えられる)」などと言った方が、客は集まりやすいだろう。また、SNS等で受験生や教員などに絡んでる奴にしても、数学の本質が理解できず霊感的なものに価値を見出しておかしな勉強理論にかぶれてしまったと考えれば納得がいく。
各種多様な集団に属しているが、その集団が何を主張しているのかについて自分事のように感じているのは少ないだろう
集団の主張が何か影響(良い影響でも悪影響でも)がで初めて初めて自分の集団が何を主張しているか吟味するようになる
集団に対する規律が緩く、各々を罰する何かはあるにしても集団を罰する規定がない場合も個人が集団の主張を気にする必要性は乏しく感じる
個人的な主張の集合を集団とするにも関わらず集団を罰する規定がないのはその集団を維持するものに必要なものが個々人の意見のみだからである
最低限必要なものといえば個々人の主張のみであって個々人がたくさんいれば集団の主張は維持できるし
集団の主張が悪いものは個々人の意見からいって悪いものであるから個々人の意見の削除で事がたりるのである
問題は集団の主張が批判されたとき個々人はどのようにすればよいかということである
集団の主張を維持しているのは個々人の意見ではあるが、一人の個人が意見を撤回したとしてもまだ大量の意見が残っているのである
集団の規律がない場合、全員に意見を撤回するように呼び掛けるのは難しい
集団は自然発生したようなもので、撤回しなければ罰するなどできはしない
つまりこの集団の規律がないものに対する批判というのはほとんど解決不可能な批判なのだ
もちろんもっと普遍的な意味をもっていると主張できるとは思うが、それはアンチテーゼを超えるものでなくてはならないし
オウフwww
おっとっとwww拙者「言いました!?」などとついプリキュア用語がwww
ドプフォwww
ついマニアックな考察が出てしまいましたwwwいや失敬失敬www
まあ『まどか☆マギカ』へのカウンター・アンチテーゼとしての『プリンセスプリキュア』は純粋によく書けてるなと賞賛できますがwww
私みたいに一歩引いた見方をするとですねwww
ポスト魔法少女のメタファーと戦隊物のコマーシャリズムを引き継いだフォーマットとしてのですねwww
『アラモード』の幼児吸着性はアンパンマンでも見られる概念形成の発達がですねwwww
フォカヌポウwww
拙者これではまるで"ひまり"みたいwww
拙者は"やよい"でもござらんのでwwwコポォ
言われた事しか出来ない子は、大抵、中途半端なお嬢さん育ち。お弁当なんて、社会人になってもママに作ってもらってくる人もいた。
責任持って仕事こなしていく子は、両親共働きか片親で、基本的に料理洗濯掃除も自分でこなし、学生時代から自分で弁当作っていたと聞く。
親も親で、子供の入社式に親が参列、気持ち悪い。そんな親子、絶対に面倒起こすから配属お断りしたい。
子供に労働させるなんて悪!みたいな風潮が一時期あって、宮崎駿の千と千尋の神隠しの映画が公開された当初、子供に労働させる酷い話!とコメントする人もいた。
これは手元に無いからうろ覚えだけれど、確か、映画のパンフレットの監督の言葉に、
子供に労働させるのが本当に悪だろうか?イギリスの炭鉱堀のような苦痛労働ばかりイメージ先行しているが、そこまでいくものでなければ、子供は自らの成長に繋がる事を学びとる、そういう子供の労働に対するアンチテーゼを、作品に入れ込んだ、と書いてあった。それが、国際的にも賞を貰い評価される映画になった。
今、職場で教える立場になって、つくづく思う。学生時代に何でもしてもらってばかりいる子はいつまでも子供のまま。親になっても、文句や主張ばかり言って仕事しない。そのくせ年齢上がってくるから、出来る若い子がみんなしわ寄せを被る。
死ぬほど単純ながら意外と難しい命題の一つ。「俺は嫌な思いしてないから」に対するアンチテーゼかなんか。
一応傷つけるってのは色々あって、身体的な傷害もそうであるし、精神的に傷つけることもそうだよね。いずれにせよ誰かしらが不快な思いをするのが前提なワケ。そんでも、なんで人を傷つけてはいけないのか…っていう明確な理由が意外と出てこないのね。
まず「憲法とか法律で決まってるから」って言う人がいるんだけども、それは間違いだと思うのよ。そもそも憲法とか法律とかって後付けの要素じゃない?っていう。例えば、人を傷つけるのが大好きな人が「人を傷つけても、いじめて自殺に追い込んでも罰しないからなwww」って法を定めたら「あ…んじゃ、それに従うわ。人傷つけてもえっか笑」ってな……っちゃいかんよね?っていう。
法ってのはあくまで人間が定めてる以上偏りが生じるし、後付けの要素だからそれだけを盲目的に信じるのはまずいと思うのね。
んじゃあ、なんで人を傷つけちゃいかんのよ…ってことになるけど、個人的には「人を傷つけることによって、不平等さが生じて、それによって相手にも攻撃する権利を与えてしまい、結果的に誰も得しない、トータルしてマイナスな状況が生まれてしまうから」って自分は思うんですよ。
[要素分け]
(1)人を傷つける
(2)不平等となる
(3)公平性を満たす→傷つけても良い
(4)結果的に誰も得しなくね?
まず(1)についてだけど、これを初っ端から否定するのはナンセンスよね。(何故かって言われるとまあ、「人を傷つけてはいけない理由はなんですか?」って問いに「人を傷つけてはいけないから」って答えるのと同義なわけですねー…。)
んじゃ、次に(2)について考えるんだけど、まずここで人によって考えが変わってきちゃうかな。個人的には人ってある程度は平等でなくてはならないと思うんですよ。まあそれは後々語ろうと思います。
とりあえず、仮に(2)が成立するとしたら、まずは公平さを満たすなら傷つけてもいいことになる。「傷つけられたから同じ分だけ傷つけ返した」「さあこれで平等だ」………平等であることは間違いないと思います。でも平等とはいえ、両者の置かれてる状況は明らかに悪くなってると思うんですよ。「誰も傷ついてない状況」と「両者が何かしらの傷を負ってる状況」ならどっちがいいです?明らかに無駄がないのは前者ですよね?………ってワケで人を傷つけることはいけない理由の一つが考えられたと思うんですよ。
ここで蛇足なんだけども、(1)は「突発的に人を傷つけた」っていう、リアルならなかなか畜生なシチュが前提だったりします。もし仮に「(1)を起こす理由が自分が傷つけられたことによるもの」だったらどうなるでしょう。ちょっと考えてみるとわかると思うんですけども(わかってもらいたいー)、これが前提にあると結果的に無限に連鎖が続くことになっちゃうんですよね。だからまずはこの前提条件がないとダメだったんですね…。
閑話休題、(3)の別パターンについて考えていきましょうか。それは「被害者側が少なくとも傷つける以外の行動で平等さを求めた」というパターンです。例えるなら「加害者が傷つけたから、被害者が加害者からある程度の金額を賠償として貰い、全ての傷を平等にした」って理屈です。これも一見理屈にかなってるように思います。確かに、傷に関しては両者平等になったように思えます。加害者が被害者を傷つけることによって、加害者の欲求が満たされたのなら両者の置かれてる状況は変わらず、トータルしてもプラマイゼロのように思われます。けれども、それは手間とかそういうのを一切考えないからであって、もしそこに傷つけたり賠償金を貰ったり…の手間を加えれば結果的にはマイナスになってしまいますよね。だからこれも理由として成立すると思いました。
(「手間がなぜ駄目か」「手間はマイナス要素なのか」…ってのはまた別の話で。)
最後に、(3)のもーいっこのパターンとして、「被害者が加害者から傷つけられた以上の賠償金を受けて満たした」っていう方法もありますが、これは被害者側が得しちゃってるので成り立たないんすね。。。
…って考えると、結果的に「どっかしらで不利益が生じるなら傷つけなきゃよくね?」って結論に至るんですよ。私はこういう論理で普段動いてるんですけど、皆さんはどうですかね?
(一応バーっと!書いちゃったんで、もしかしたら自分の中で思ってる理論より足りなくなってるかもしれないっすね)
(んで、ちょっと考えたんですけどこれはこれで微妙に成り立ってないと思ったんですね(は???) 特に「平等」ってところが)
((1)~(4)の中で他のパターンもあったりするのかなあ~)
勘違いしている人がいるかも知れないけど、まずビットコンは仮想通貨ではなく暗号資産です。
「資産」って言うと「ビットコンに資産価値なんてないだおおお!」って怒るかもしれないけどちょっとまってください。
これは単に「通貨として機能しないけどそこそこ価値はあるよね」ってことで「資産」に区分されてるだけです。
ここでの価値があるってのは「0円より高い」くらいの意味です。0.1円のものでも1兆個あれば1000億円ぶんの資産になるだろ?
もちろん通貨にしようって思って作られましたけど、現実には通貨としては機能しないことがわかっているので、2020年にもなろって時期にビットコインが通貨として機能しないから暴落するとか、将来通貨になるから高騰するとか言ってる人の意見はさすがに頭悪すぎです。
そんなビットコインですけど、定期的に値段が上がるように設計されています。
これはビットコインのブロックチェーンを維持するための仕組みとして組み込まれていて、かなりビットコインのコアを形成する仕組みです。
ビットコインは発行枚数料が2100万枚と上限が決まっていて(なんで発行上限があるかと言うと、インフレ経済へのアンチテーゼだからで、おもしろ思想があんだけど、適宜調べてください)一気に全部採掘されないように、約4年ごとに採掘量(報酬額)が減るように設計されています。
いわゆる「半減期」というやつで、「半減期」になるとビットコインの採掘量が1/2になります。
つまり「半減期」に差し掛かると採掘にかかる計算量が2倍になるので、その採掘コストがコインの販売価格にも反映されてコインの価値が2倍になるという理屈です。
ここまでは良いでしょうか。ビットコインは「定期的に採掘量が減る」
「でもコストが2倍になるからって2倍の値段で買うやつがいるとは限らないだろ?」
ということでネックはそこです。そのとおり、コストが上がっても2倍で買うやつがでなければ売れない。じゃあ過去はどうだったかと言うと、その都度その都度値上がりしてきた実績があります。
似たように採掘難易度が価格に反映されるものは現実にも存在していてオイルやゴールドなんかの価格も採掘量に左右されます。
金(ゴールド)が値段が高いのも希少価値があるからだ、ってのは直感的にわかると思います。同じ理屈でビットコインも希少価値が年々上がっていくので、価格が上がると考えられます。
もちろんこの半減期によるビットコインの価格上昇が今後も再現される保証は無いけれど、今ビットコインを買ってる人たちはこの理論を信じています。
なのでビットコインには採掘にかかる費用っていう目安があって、それを基軸に考えて損益分岐点があります。
なのでビットコインを買いたいな〜って思った人は、その損益分岐点を下回ったときに買えばいいだけです。
そういう時期はみんな恐怖にかられて暴落している最中だとおもうので相当な精神力が必要そうですけど、多分お買い得です。
ほかにもマイナーの数によっても採掘難易度は調整されるので、半減期なので絶対に難易度があがるか?というと、音を上げて他の採掘業者が脱落すると、残った採掘業者は楽に採掘出来るようになって、採掘を続けられたりするので、
半減期のせいで採掘業者自体がなくなるってこともまず無いと考えられています。
あと値段にかかわることといえば、クジラと言われる大量ホルダーが市場にビットコインを流して価格が下がるとか、色々心配されるけどそれって株とかゴールドでもおなじで、でもそういうホルダーって値下がりするのわかってて資産を大量に売ったりとか普通しないし、個人的にはやっぱり長期の視点で見たら値上がりしていく確率のほうが全然高いと思っていますけどね。
まあ言い分はめちゃくちゃだったけど、彼は彼でアンチテーゼとしてなかなかよかったと思うよ。
サブ垢を作って自分とは全く違う価値観の人間を演じて生きてみないと世界の正しい形は見えてこないのに
もしかして、自分の検索した情報がとっくに自分自身の価値観に合わせて処理されているのをご存じない?
言ってしまえば僕らは常に「不可避の忖度的な検閲」を行われて情報を手にしているんだよ。
正しい情報を手に入れるためには自分が何者であるかを偽るしかない。
自分が右翼的なら左翼を演じたアカウントを作るべきだし、アニメが好きならアニメなんて興味がなくドラマしか見ない人間を演じたサブ垢を持つべきだ。
「体にいい食べ物なんて存在しなくて、バランスのいい食生活だけがある」とは語り尽くされたアンチテーゼだけど、その発想を情報摂取に対しても応用してかなきゃ駄目だよ。
現状に疑問を持ち、それに対して対抗策を講じることを辞めたのなら、それはもう人間とは呼べないと思うね。