2020-05-06

集団に対する批判

各種多様な集団に属しているが、その集団が何を主張しているのかについて自分事のように感じているのは少ないだろう

集団の主張が何か影響(良い影響でも悪影響でも)がで初めて初めて自分集団が何を主張しているか吟味するようになる

集団に対する規律が緩く、各々を罰する何かはあるにしても集団を罰する規定がない場合個人集団の主張を気にする必要性は乏しく感じる

個人的な主張の集合を集団とするにも関わらず集団を罰する規定がないのはその集団を維持するもの必要ものが個々人の意見のみだからである

最低限必要ものといえば個々人の主張のみであって個々人がたくさんいれば集団の主張は維持できるし

集団の主張が悪いものは個々人の意見からいって悪いものであるから個々人の意見の削除で事がたりるのである

問題集団の主張が批判されたとき個々人はどのようにすればよいかということである

集団の主張を維持しているのは個々人の意見ではあるが、一人の個人意見撤回したとしてもまだ大量の意見が残っているのである

集団規律がない場合、全員に意見撤回するように呼び掛けるのは難しい

集団自然発生したようなもので、撤回しなければ罰するなどできはしない

まりこの集団規律がないものに対する批判というのはほとんど解決不可能批判なのだ

もちろんもっと普遍的意味をもっていると主張できるとは思うが、それはアンチテーゼを超えるものでなくてはならないし

集団規律もないのにそこまで高次なやり取りを期待できるかというと無理なように思う

もう集団への批判というのは諦念しか残っていない、やはり日本には東洋宗教が似合っている

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