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はてなキーワード: アカデミズムとは

2020-06-16

anond:20200616074337

運動なら運動別にいいんだが、学問でないのならなぜアカデミズムに居座っているのかという話にもなる

2020-05-18

似非リベラリズム似非アカデミズム跋扈

大学教育現場では、

等の声を頻繁に聴く。一方、テレビに出て発言している「学者先生」は

等と調子の良いことを言う。そう言うのって、なんかインテリっぽくて、かっこいいからね。

2020-05-01

岡村の話

はじめにすごく飛躍した話になることを言っておきます


個人的なことは政治的なこと」といったのはフェミニズムからだが、このテーマはいまやフェミニズムの域に収まっていないと思っている。


結婚しろセクハラ」これはアウトな感覚は私にもあるのだが、それが職場政治的言説(議会や討論など)、アカデミズムの場で言われたら文句なしにアウトだと賛同する。

しかし、職場ではないコミュニケーションの場で同僚に言われたら?あるいは友人に言われたら?

仮に不快に思った私がSNSにそれをアップしたら?その言説が共感して多数にシェアされたら?

あるいはSNSで誰かから言われたら?その反論が広くシェアされたら?

もし、多数の人間社会的関係性に影響をあたえる言説が政治的言説だとすれば、この世の中の仕組みそのものがすでにいやおうなしに「個人的なことは政治的なこと」なしくみになっているんだと、思う。

(多分、もともとそんな境界などなかった。遠かっただけ。SNS政治的言説と個人的言説の距離を近づけただけだ。)


ここにポリティカル・コレクトネスとして、ありとあらゆるコミュニケーションの場を政治的正しさで塗り替えようとする言説がある。

行政統治よりも先に、個人間のコミュニケーションSNSのような一対多のコミュニケーション芸術表現私小説表現などありとあらゆるところに浸透している。

それを支持している人たちの一部は、個人的な苦悩やトラウマをなにか政治的言説に仮託しているように感じる。


これの行きつくさきはなにか。



私小説政治的文脈抜きで語ることはできず、私の日記ですら政治的である可能性がある。


奨学金返済で苦しんだ私は政治によって苦しんだのか。

40手前にもなって結婚できない私は政治的不策の積み上げによって生み出されたのか。

他人コミュニケーションがとれず、友人がほとんどいないのは私の人格障害政治的に見逃されたからなのか。

毒親に生まれたのに救済がなかったのは政治のせいなのか。

私の苦しみは政治的ものなのか。

私の人生政治的配慮からまれたのか。


違う、と思いたい。


私の苦しみは私のものだと、多分5%くらいは政治かもしれないが、残りは単なる不条理だと。

もしくは不条理是正するのが政治仕事か?


違う、と思いたい。


俺は岡村の歪んだ人生観にどうしても共感してしまう。

歪んでてもいいんだと、思わせてくれる、もしくは許しかもしれない。

あいつが断罪されている姿は俺が断罪されているようだ。

人とのコミュニケーションを拒んできたお前が共感できる言説はもうどこにも残されるべきではない、とされ、

深夜のラジオから駆逐され、

せいぜい5chか増田に行き、

それすらもやがて叩かれるようになり、

俺の人生だけ残して世の中から消えるんだろう。


死にたい

2020-04-24

anond:20200424164959

社会学者って多くはアカデミズム寄生した活動家なんだよね。

活動家教官勢力を増やそうとしてお仲間をアカポスにつける。

その分、ホンモノの学者の席は少なくなる。

2020-02-22

議論に向いているWebサービス anond:20200222230248

マジレス目的意識(SNSメディアで大暴れしている議論が成立しそうにないアカデミア業界の人が視界に入りませんかそうですか)

2019-01-30

anond:20190130102425


英語圏も似たよな印象、どうでもいいゴシップ煽り記事

というかはてなーが大好きな北欧でもそういうネタ及び、

日本自称中道(あるいは自称保守)/日本自称リベラルが集まるインターネッツですか?っていう

レベル地獄レスバしてるサイト見かけるやで

そこでは「また差別を煽るようなクソ記事書きやがって」みたいなカキコミがあったり

特定組織集団のみ意識が高く有能とか妄想しかないので当然やね

ただ、ひとつ違うのは「真面目なインターネットコミュニティ」もぼちぼち見つかること

日本発の真面目なインターネットコミュニティって正直思い浮かばない

アカデミックな場がない

アカデミズムっていうのはその全く逆で、ある程度の資格を備えた人間けが参加することで、会話の質を担保する。

原理的にうまくいかない。


いや、実際には有意義な話をしている場所普通に日本語でもあるのだけど、そういう議論が成立してるってことは、誰もが自由に参加している訳でもなんでもないってことなので、つまり元増田ちょっと検索したぐらいでは辿り着けない。

誰もが自由に参加している訳でもなんでもない

(海外の真面目なサイトは)誰でも自由に参加してるんだが?

俺以外が悪いって地獄インターネッツモデル住民だよね

実際には有意義な話をしている場所普通に日本語でもあるのだけど

OSSとかあるけど日本発じゃないよね

(でも誰でも参加出来て真面目)

2020-01-20

anond:20200120142542

フェミニズムがショボいのは別に今に始まったわけじゃなくて...

一般に知られてるのは田嶋陽子くらいよね。おっさんがたのフェミ女のイメージそのまんまの「キーキーうるせえドブス」を具現化した電波パンダとしてだけど。

旧来のメディア空間でも「バカなことを言って呆れられる」というパターンしかやってこなかった。ネット空間でもその焼き直しを繰り返してるだけ。

あとはまあ誰も知らんアカデミズムの片隅で、安定した給料にあぐらかいてずっとゴネゴネやってるだけよね。

フェミの主張の重要な部分は社会の中でフェミニスト以外の色んな実務者の手で少しずつ前進している。

フェミニストで偉いのは一番最初の言い出しっぺだけ。あとは何も達成したことのない穀潰し

2020-01-18

性的モノ化」の議論のまずさ

フェミニズム視点では「胸の大きい女性転職情報のPRに起用する」のはまずいようだ。

 

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/yomogidango0909/status/1218363032004329478

 

上記のような意見を「本当のフェミニズムじゃない」と感じるとしたら、それは間違いである。

それどころか、現在日本フェミニズムの主流やアカデミズムの主張から必然的に導かれる結論である

このような意見はいわゆる「性的モノ化」(あるいは性的客体化、対象化)の議論立脚している。

 

フェミニズムを専門とする社会学者小宮友根と、宇崎ちゃん問題の時にイラスト付きで不適切さを分かりやす解説していたふくろさんによる以下の記事を読んでみよう。

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/68864

性的女性表象の持つ差別性は、フェミニズムの中では「性的客体化(sexual objectification:対象化やモノ化と訳されることも)」の悪さという観点から議論されてきました。

(中略)

たとえばポルノグラフィ批判で有名なキャサリン・マッキノンアンドレア・ドウォーキンが繰り返し主張していたのは、ポルノは「わいせつ(性欲を刺激するもの)」だから悪いのではない、ということでした。マッキノンたちのポルノグラフィ定義には、女性が「人間性を奪われ」「辱めや苦痛快楽とし」「性暴力によって快感をおぼえ」「特定身体部部位に還元される」ような「性的な客体として提示されている」という項目が含まれています。要するに、女性を「性的な客体」として提示することが悪いと考えられているのです。

最初ツイートでの「女性性的記号を利用してPRする」ことへの批判は、上記のように、女性性的記号還元するような悪さへの指摘として正当化できる。

なお、上記引用にもある通り「エロいから悪い」「胸が大きいから悪い」のではない、あくまでそれが表現の中で強調されるなどして、記号として利用されることがまずいのだ。

このように(ブコメでは散々な言われようだが)ツイート批判は、実はフェミニズムとして至って正気批判である

ところが、そこにまずさがある。

 

フェミニズムがこのような批判正気にし得るということは、フェミニズムは、時と場合によっては(件のPRのような)本人の意思に基づいた女性の行動や社会活動をも批判し得る、ということだ。

ここで一足飛びにフェミニズム批判に走ってはいけない、まずはそのような主張がどのようにして正当化されるのかを考えるべきだろう。

 

例えば仮に、件のPRの立案からカメラマンからモデルに至るまで、すべて女性がやっていたとしても、フェミニズムはそれを批判する必要がある。

女性ミソジニーを持ちうるし、性的記号不正利用も行える、レズビアン場合を考えれば女性性的欲望し消費するケースもあることも分かるだろう。もちろん男性との共犯関係もあり得る。

行為者が女性であることで(男女の非対称性から)悪さを軽減することはできるかもしれないが、免除することはできない。

ここで問題になるのは主に以下の2つ。

1.女性イラストレーターや女性漫画家のような表現者が女性をモノ化して表象する場合の扱い

2.キャンペーンガールグラビアアイドル、AV女優風俗嬢等が、自身身体を「性的な客体」に還元する場合の扱い

件のPRは2に該当する訳だが、その悪さはともに「性的モノ化」によって説明できる。

まり表現であれ自分身体であれ、女性性的にモノ化、客体化することが悪いのだ。(※1)

 

ここで「1はともかく2は自分身体自分意志でやってるんだからいいじゃないか」「被害者はいないじゃないか」と反論するならそれは間違いである。

直接的な被害者がいなければいいのであれば1も、宇崎ちゃんやその他のあらゆる表象問題化できなくなってしまう。

問題は、モデルのいないイラストであれ、合意済みの女性自身身体であれ、「女性一般に対するイメージを歪めたり利用したり、モノ化できてしまう、その悪さなである

 

こう言い換えてもいいだろう、「女性」のイメージ女性全体の言わば共有財産なのであり、イラスト女性自身身体もそれを傷付け得る。

例え女性個人合意していたとしても、それ以外の合意していない女性へもダメージが波及するために、女性身体性的にモノ化することは許されないのだ。

従って、個々の女性身体女性表象もまた、女性全体の共有財産だと言えるし、共有財産である限り、個々の女性が(集団の意に背いて)それを好き勝手にすることは許されない・批判される必要があるのだ。 

このようにしてフェミニズムは、女性に対するある程度の自由抑制批判、そしてそれによる全体主義正当化できる、できてしまう。

 

このようなフェミニズムの在り方に対して、フェミニズム自身による更新は難しい。

何故なら上記のような論理は「性的モノ化」のような基礎的な概念から論理的に導出できる以上、その更新フェミニズム全体を大きく変えざるを得ないし、

その過程で、これまでのフェミニズム批判しえていた(主に男性たちの)行為や現状を批判不能にせざるを得ないようなケースも出てくるだろう、そうしたことは、多くの女性フェミニストにとって受け入れがたい。

あるいはアカデミズム側のみのマイナー議論としてはそのような更新も期待できるかもしれないが、運動としてのフェミニズムにそれを輸入することは恐らく出来ないだろう。

例えば件のツイートに対しても、フェミニズムによる(その女性身体を共有財産化する全体主義的な傾向に対しての)批判は期待できない、という事からもそれは分かる。

こうした問題を、フェミニズムはこれからも抱えていかざるを得ない。

そしてそこから目を逸らし続けないわけにはいかない、例えそれが欺瞞でも、解決する能力がない以上は。

 

※1 なお1に該当する女性エロ漫画家フェミニズム肯定しえないことについては以下を参照

https://anond.hatelabo.jp/20200116204747

2020-01-01

100分de名著シリーズバックナンバー約100冊を読破したら人生変わった

補足書きました

思った以上の反応を頂いて驚いてます

コメントへの返信など、追記しようかと思ったのですが、長くなったので別記事しました。

興味あったら見てください。

https://anond.hatelabo.jp/20200102201209

はしがき

釣りっぽく書いたけどほんと。

結構色んな意味読書知識というものに関する意識が変わったので、なんかアウトプットしたくなった

なお、名著そのものを知ったことに関する感銘とかは今更私が言うまでもないので省きます

書きたいのは100分de名著シリーズ対象にした読書を集中して実施したことに関するメタ効果に関して。

ちなみに、読破したと言っても読破したのはあくま解説本。

スペシャル版とか、ブックス版はもう少し厚いけど。どれも約120ページで、読書慣れしてる人なら2-3時間で読める量だと思う。

いやそれじゃ読んだことにならないだろ原典あたれよ、って思うよね。私もそう思っていた。

から最初20冊くらいは解説本を読んで、原典にあたって、と繰り返していたけど、以下の2つのことに気づいて一気に解説本を読む方向に転換した。

原典を読むのは、それが終わってからでも遅くないと感じた。

本の解説で繰り返し取り上げられる要素(人名思想歴史上の出来事など)があることがわかった

勉強とか、何でもそうだと思うんだけど、繰り返し出てくるものって記憶に定着しやすくなる。

さらに、その要素が「影響を与えられた」もの解説として出てきたり「影響を与えた」もの解説として出てきたりする。

何でもそうだと思うんだけど、流れというか構造の中にある知識って単発の知識より遥かに定着しやすくなる。

なので、バックナンバーの中で関連のありそうな同時代、同地域、同分野の本をグループ化して間開けずに読んでいくのが効果的に思えた。

原典が全16巻とか(おまけに明治時代の訳だったり)あるものがあった

まぁ要するに、それを読むだけで半年とかかかりそうなものがチラホラあったということ。

そこに突っかかっているうちに飽きて来ることを懸念した。

実に20年ぶりくらいに読書エンジンがかかっていることを実感していたので、これに水を指したくなかった。

約1年かけてバックナンバー読破して効用として感じていることは、、、


文系学問価値理解できるようになった

ちなみに私は理系出身

よく「文系は作者の気持ちでも考えてろ」と言われるけど、「本気で作者の気持ちを考える」ってのは実に尊い活動だと考えられるようになったこと。

今みたいにリアルタイム意見のやり取りが出来るわけでもないのに、驚くほど人間の考えや意識ってのは「繋がって」いることがわかった。

ある偉い人がいいことを言うに至った過程を忘れてしまうのは人類の損失だなと。というか、理系と一緒なんだよね。

アインシュタイン相対性理論だって洞窟暮らしていたアインシュタインがある日突然思いついたわけじゃない。

それに、曖昧さを嫌い、論理にはもととなる論理が明確に存在する理系学問「ですら」そうなんだけれど、

現時点の主流見解は現時点の正解ですらなくて、考え直しが迫られるのはよくある。

そういうとき、どこから間違っていたかどこから考え直すためにも歴史的な思考の経緯は絶対に失わせてはいけない。

文系学問の究極の目的は、新しい思考を生み出すことと思っているけど、新しいものを生み出すために今までの流れを知ることも必要だ。

果実を生み出すのがポンと生まれてきた天才的な作家哲学者だけれど、

天才誕生を待つ間その過程を丁寧に残すのがむしろ普通文学者役割で、

アカデミズムとしての文系学問の真髄はそちらにあるのかもしれないと思った。

これ、理系ブレイクスルーを起こす天才待ちと同じ構図だよね。

天才、と呼ばれる人間自身の業績についてちょっと違う視点物事を捉えただけ、とかちょっと違う組み合わせを思いついただけ、と語るのはよくあることだ。)

大学教育意味について捉え直せた

バックナンバーの消化も終わりに近づいたことろ、私は思った

「かなりいい勉強になった」

大学生の頃にこういうことをやっておくべきだった」

「というか大学でこういう講義あってもいいのに」

「あ、でもこんな事やってたらそれだけで四年間終わっちゃうか?」と。

そこで計算した。

100分deというくらいなので上記解説本一冊は、約100分の映像となる(補足説明踏めると1-2割、解説本のほうが情報量多い気がするけど)。

以下、とても雑な計算だけれど。

大学はだいたい15時間講義で1単位とされる。

まり900分だ。上記解説本でいうと、9冊。

100冊なら、約11単位計算してみて驚いたが、たったそれだけ。

一般的大学生は1年に20-30単位取得するだろうし、卒業には120単位程度必要だ。

定義サボり気味の大学生の半期分程度の勉強しかしていないことになる。

嘘でしょ?

驚いたついでにもっと攻めた想定をしてみる。

こんなことを意識している大学生はほとんどいないと思うけど、15時間講義には、30時間の事前学習と30時間の事後学習が想定されているらしい。

http://www.ohshiro.tuis.ac.jp/~ohshiro/univlaw.html

1冊辺り6時間程度の読書時間が追加で想定できるわけで、

原典には上記したとおり全16巻あるものもあれば、100ページもないものもあるから、慣らすとだいたいそれで読めてしまうとする。

するとつまり大学とは本来

「最も頭の冴えた4年間に」「専門家が選んだ良質なテキストを」「専門家解説付きで、必要なら質問し放題の環境で」「1200-1300冊読んで理解する」

場所だ、ということだ。

ああ、確かにそれをこなせば立派な「学士様」になれたろうと思う。

私は修士を持っているが、この10分の1も学士になれた気はしない。俺はなぜあん無駄時間を、、、

可能なら、放送大学なりでもう一度大学生をやってみたいと思う。

叶うなら今度こそ、学士になりたいものだ。

読書習慣と、読書をする体力を取り戻せた

なんというか、これから実施していきたい諸種のおもーい本を含む読書に挑む筋トレというかジョギングと言うか、基礎体力を作ってくれた感ある。

活字を追う体力、意味を捉え続ける体力みたいなのがないと、ほんとうの意味読書趣味にすることは出来ないと思った。

ていうか、楽しむ余裕がない。

スポーツと一緒で、やる気と勢いだけでやっても続かないと言うか。

この1年やってきたことは運動部の1年生が実施するような、練習をするための練習。これがまず必要だったとろこで、その役割果たしてくれたと思う。

練習のための練習として、この「解説読破」が有用だったと思う理由は以下の2つ

2-3時間で1冊終わること

週末、朝と夕方に一時間読む気でいればその日のうちに「また1冊読めた」と思って寝れる。

平日でも、風呂に入ってる30分で読めば25%終わり、はっきりと進んだ位置しおりを挟んで寝ることが出来る。

進捗が目に見え、さらにすぐ終わりが見えるというのは精神的に楽だ。

無駄足にならないこと

価値保証されている書物を、その書物についての深い理解があることが保証されている著者が解説する本であるということは、

読んでいた時間無駄になることはない(たとえ激烈につまらなくても3時間で終わるし、つまらなければ原典を読む必要はないという判断ができるということだ。)

という確信を持って取り組めるということだから、これも精神的に楽だった。

つらいだけのうさぎ跳びとかしたくないのよ。

今後読書を続ける動機づけになった

いろいろな本の中で語られていたことだが、

日々「モヤッと」してることはたいてい昔の人も同じこと感じていることがわかった。

下手の考え休むに似たりではないが、自分程度が疑問に思ったことはきっと昔の頭の良い人が一生かけて考え抜いているので

自分の中で結論出そうとするより同じ疑問を持っているであろう偉人の著書にあたったほうが

考えを前進させる上でコスパが遥かに良いことが芯から理解できた。

実はこれが一番の収穫だと思っている。

これから

というわけで、これから年末にかけていよいよ原典にあたっていこうと思う。

の前に

山川日本史世界史を買った。

解説読破の中で出てきたいろいろな付随知識、これがまとまりそうで纏まらなかった。

これをまとめてからの方が、今後の知識吸収速度が格段に上がりそうな気がすると思って、適切な本を暫く求めていたが結論まさか高校教科書だった。

今読むととんでもなく面白い本だ。まさに私の求めていたものだった。無論完璧じゃないが、知識統合がすすむすすむ。

なぜ俺はあん無駄時間を、、、と思うけど、おそらく解説読破と順番が逆じゃだめだったろう、OKOK。

さて、年末山川をやっつけたあと、原典の中で特に気になっていたものを30冊ほど買った。解説本で実施した筋トレ効果で読むスピードが上がっているが、

途中で気になった関連書籍とかその年気になった本とかをはさみつつ、100冊(巻数でいうと200近い)読み終わるのは3年後くらいの想定だ。

来年シリーズは続いていくので、積ん読もどんどん増えるだろう。

やりたいことが増えていくともっと若くからやっときゃよかったと思うことばかりだけど、

何もすることが無いよりはいいか、、、

とりあえず、今買った30冊とプラスαくらいは、今年の年末までに読み終わっておきたいところだ。たぶん出来る気がする

2019-12-11

ヘイトスピーチヘイトクライムは少数から多数には起きないという神話

これを言い出したのは、要するにしばき隊とかそのあたりの左翼が「日本人に対するヘイト在日がやってたのを擁護する必要性に駆られて」なんだよね。

日本人を取り囲んでリンチとか、そういう朝鮮学校ヤンキーみたいな事象ヘイトだと認めると何かと都合が悪かったんだよね。

から「多数から少数がヘイトで、少数から多数へはヘイトではない」という独自ルールを作っちゃった。

でも、世界スタンダードから見ると、「むしろヘイトスピーチやヘイトクライムは少数から多数への過激攻撃においてよく見られる」ので、混乱が生じてる。

過去虐殺なんかも、少数派が人種的優位性を主張して、多数派女性への婦女暴行レイプなんかを扇動やらかした例はごろごろある。

なんでこんなことになったかというと、彼ら社会運動家と、その思想保証する社会学者系のインテリは、とりあえず理論でっちあげて検証をしないことにあるんだよね。

明らかな間違いを犯した理論も、すべてアカデミズム肩書保証してしまう。

このあたりに社会学とか文系学問出身運動家の腐敗があるわけなんだけれども。

川崎ヘイトスピーチの話も「外国出身者以外にもヘイトスピーチはあるかないか」というばかばかしい理由でもめた。あるに決まってるのに、左派系が必死抵抗した。

アレは、「ヘイトスピーチはあらゆる属性対象になる」なんて基本を、「他の属性差別フリーにしておきたい」という意図でかなりもめた。

まあ要するに、都合のいい差別は残しておきたいって人達大勢いるんだよ。

2019-12-10

「男は獣に入れよ」の論理は今となっては「フェミニストは檻に入れよ」の論理として成立する

https://tikani-nemuru-m.hatenadiary.org/entry/20091208/1260206019

これめっちゃ面白いな。

「男は獣」「男の中に獣がいる」と言った場合

実はその「獣」を支配しているのは♀だということなのですにゃ。♀の自業自得なの。

♂が性的主体として何を行おうが免責され、♀がすべての責を負う。なぜなら「獣」の支配者は♀だから

これが、「男は獣」という言明の意味するところなのですにゃ。

id:Francesco3が断固として拒絶したのは、このような言明であり、このような言明が流通する社会ですにゃ。

から「獣は檻に入れよ」と言わなくてはならなかったのだにゃ。

「獣は檻に入れよ」とは、♀が「獣」の管理責任を問われることへの拒絶だ。

クタイオンの亡霊たちは、いつでも狩る側にいなければならない

クタイオンの亡霊たちは、常に性の卓越性を示さなければならない

クタイオンの亡霊たちは、「獣」を放し飼いにし、かつその管理責任を♀に押しつけなければならない

まり

クタイオンの亡霊たちは、陵辱する権利とその正当性をいっさい手放してはならない

この論理は今となってはフェミニストまなざし村)に適用されるべきであろう。

クタイオンの亡霊たちは、男を見限ってフェミニストを憑依先に選んだのかもしれない。


現代まなざし村理論小宮理論としてアカデミズムの皮をかぶろうとしているが、

結局彼らの言わんとするところは、

まなざし村は何を行おうが免責され、男が作り出した表象がすべての責を負う。主に男オタクポスターである

なぜなら小宮理論において女性は完全に無謬無能で無力な弱者からである

小宮理論においては主体的に情報を取捨選択できる女性というもの存在しない。 

小宮理論においては女性というのは防御力ゼロで男の作り出した表象から一切身を守る手段がない。

小宮理論においては女性というのは無能であり女性が作った表象というのは存在しないことになっている。



まなざし村が主張する意見によれば、女性感情オタクポスターによって支配されている。

たびたび発狂して人間とよべないレベルまで暴れる「獣」となったフェミニストさんたちが仰山おります

あれらの獣じみた狂気の振る舞いは全て男性表象が悪いんだよということにになる。





オタクたちは、女性名誉のためにもこうしたまなざし村の言明を拒絶すべきだ。

上の理屈が成り立つのであれば「フェミニストは檻に入れよ」と言わなくてはならない。

フェミニストは檻に入れよ」とは、オタクコンテンツが「獣」の管理責任を問われることへの拒絶だ。

2019-11-26

anond:20191126210524

だったらああやってアカポスもらって居座ることないじゃん

どうせ男性中心のアカデミズムも男社会最初から尊重なんかしてないくせに

いざとなったら前提ごとひっくり返して暴力革命に走るつもりなら、最初から過激派テロリストでも名乗る覚悟を持てばいいのにね

ポリコレゲバ棒を好き放題振り回しつつ、今あるものにしれっと寄生してるのは率直に言ってダサい

2019-10-18

anond:20191018201911

アカデミズムには期待していますが、仮にも人文科学社会科学自然科学を学んでいるのに、専門知をもてあそんで相手恫喝してその手前の教養や見識で醜態さらしているツイッターでの自称学者の多さに唖然としています

特に社会学者とその周辺学問

学者弁護士という権威を利用して相手脅迫する社会運動アカデミズム

ツイッター社会学者新聞記者脅迫まがいのことを言ってたけど、ツイッター学者社会運動の先頭に立って相対する相手嫌がらせするのを見るにつけ、私は学者の道を続けてたら今以上に精神やられてたのかなあと思う

2019-09-15

anond:20190915115231

文学部限定なら順当に早稲田神戸関西に住みたいならがんばって京大いくしかない。

それよか文学部に行って何を専攻したいのかが大事かと。

文学なのか歴史学なのか社会学なのか心理学なのか・・・

将来設計もっと大事

アカデミズム教員マスコミ公務員カウンセラー政治活動家か。

あと心理学やるんなら数学必須から覚悟しておくように。

2019-08-17

そもそも反日だと何が悪いの?

インターネットTwitter、お前のことだぞ)では特定人物団体国家を「反日認定することがあるように思う。ネトウヨ反日認定して、「反日ではない」と養護する左翼が現れるような光景がある。

でも、そもそも反日だと何が悪いんだ?

反日を「日本を嫌い、攻撃する人」と定義しよう。

俺は「日本さん」ではないしあなたも「日本さん」ではない。「反日」に自分否定されてるわけじゃないんだよ。どうにも共同体への愛着以上のものを感じてならないんだよね。共同体自分を同一視しすぎてるように見える。日本という想像の共同体自分を重ね合わせすぎてるの、あまりにも自分がなさすぎない?

韓国とかもよく反日と言われるけど、アカデミズム韓国研究者には「韓国日本に(あまり)関心がない」と指摘する人もいるし……。

私が個人主義大事にしたいからこう思うだけなのかもしれないけど、なぜそんなにムキになっているんだろう。もし(ネトウヨによる認定とかではなく)本当に反日的な存在が現れたとしても、私にはあまり関係がないよ。私の悪口言われたら怒るけど、日本は私ではないし。

ネトウヨかに見られたら陰謀論とか書かれそうで怖いなぁ。まあいいや

一番言いたかったのは「自分自身を持ちましょう。個人主義はいいぞ」ということだし。

2019-07-17

anond:20190717124844

権威主義は悪いことで、反体制は良いこと」→「アカデミズム権威主義象徴」→学会から相手にされていないトンデモ学者や「市民の肌感覚」をもてはやす

いくら市民の肌感覚」つっても例えば俗流ネトウヨみたいなのは与しないわけでしょ

結局、単なる自分好き嫌い党派性理屈をつけようとしてるだけのように思えるけどね

anond:20190717123335

メインはそれで合ってると思う

あとは「権威主義は悪いことで、反体制は良いこと」→「アカデミズム権威主義象徴」→学会から相手にされていないトンデモ学者や「市民の肌感覚」をもてはやす というパターンがあって、リベラルが反科学にはまる経路はこれ

個々の偽科学ネタそれ自体には政治性はなくて誰でも信じうるかもしれないが、リベラル的な動機から信じてしまパターン存在する

2019-07-02

anond:20190702230317

お、自分と似た者発見

教養を身に着けたくてラテン語勉強してるけどやっぱりお金にならない語学モチベーション上がらないね

そもそもアカデミズム世界で生きてるわけでもないので「教養が無い」なんて悪口を言われた経験一度も無いので備えるだけ無駄かも。

2019-06-26

anond:20190626101523

学問的な正しさが運動に都合悪くなったら見なかったことにするんなら、それは本質的運動であって学問じゃない

なのになんでアカデミズムに居座ろうとするのかわからない

2019-06-19

anond:20190619134454

昭和結婚は、生活がきつくても好き同士だから恋愛ちゃんと行われていた感じ。

妄想です

つーか昭和って64年近くあったんだけどまとめて言えるわけないじゃん。

家族形態価値観も激動の時代なのに。

昭和前半の結婚お見合いが多かったです。恋愛結婚じゃないの。

というか恋愛結婚20世紀の終わりごろからの一時期に流行ったものしかない。

平成(令和)の結婚は、とにもかくにもまず最初に男の年収を調べてから恋愛は抜きで付き合う感じ。

そもそも結婚てのは殆ど時代でそっちでした。

経済的家族といいます

ただ平成令和の結婚が本当に恋愛抜きが多数派なのかはかなり怪しい。

ちゃんエビデンスを確かめからいってください。

もちろん昭和もそういうのは居たんだろうけど、どっちかっていうと娯楽も少ないか生活が厳しくても数少ない娯楽で恋愛をうまく続けて

そのまんま付き合ってゴールって感じがする。

「感じがする」じゃなくてエビデンスを求めよう。

君の主観社会を語れるわけないじゃん。

まして君が生きてもいない時代についてなど。

そんで現代になって一人でも生きていけるし娯楽なんかもたくさんあるからグルメっぽくなってしまって、

現代っていつからだよ

今になって熟年離婚やら増えてきたのかなと。

熟年離婚がいまになって増えてるっていうソース有るんですか?

まさか事務長分の脳内ストーリーだけで言ってないよね?

でも、平成(令和)は、まず男の年収価値を決められてしまうから女性恋愛は金って感じ。そのおまけで男がついてくる。

下手すれば、適当喧嘩するなりして慰謝料だけ稼ごうって女性もいるっていうのが現実

まあ、女性からすれば生活の安定ができない結婚リスクが高いから仕方ないのだろうけどね。

悪く言えば、寄生やすい人しか視界に入れたくないのかなって。

から、ほんっとに恋愛してゴールするペアは貴重かなと。

生活厳しそうな感じがしても、ふたりとも楽しそうだし幸せそうだし。

時代が変わると、だいぶ変わるんだなって。

君は頭が悪くて、アカデミズム素養がなくて、ソースに当たらず、脳内妄想事実との区別がつかない。

社会学の才能があるので社会学者になりなさい。

2019-06-13

やはりこれからは敵と味方の時代暴力時代だな

アカデミズムフェミでさえ男を敵として暴言吐くのだから言葉でどうこうするのは不可能

2019-06-11

anond:20190611174930

能力も何もないのにアカデミズムぶりたい輩の逃げ込み場としては最高よ

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