「アカデミズム」を含む日記 RSS

はてなキーワード: アカデミズムとは

2021-01-31

anond:20210131093258

レールに乗っかったつもりで漫然とドクターまで進み、オーバードクターになってしまったとしたら戦略ミスだろう

左派支配的な日本大学左派従順ボスの下で徒弟をやってたなら、金儲けなんか考えちゃだめで、准教授教授と昇進していく以外のキャリアパス提示してくれない

ポストがないやつは負けたか指導地位につけなかった、あとは平等労働者として汗水たらして働くのがあるべき姿と思われているのかもしれない

社会ではなくて自分が報われるために、金儲けにつながるテーマを見つけて就職ができるかは自分次第ということになる

目端のきくやつはとっくに留学してるだろう

アメリカでphdの待遇がいいのは産学協働、産軍協働お金が回ってくるってことなのに、左派アカデミズム学術会議とかね)はそれを拒否するんだからお金が回ってくるわけがない

そこに目をつむって、仮想敵国家からオファーがきたなどと喜んでいるのはいかがなもの

2021-01-25

査読立ち位置

物理学Ph.D. を取ってドロップアウトして、しかしそれでもなおも文筆を続けている者として。

正直、現代においては査読立ち位置あんまり良く分かっていない。勘違いして欲しくないけれど、要らないとか価値が落ちたとか言いたいのではない。

査読アカデミズム価値担保されるとか絶対に嘘ですし。そもそも良い論文は良いし、その良さは適切な教育を受けた者なら分かる。グレゴリーベレルマンのかの論文アカデミズム価値がないとでも言うのだろうか。そうでなくとももはや arXiv 的なものに注目が移っている趨勢において、学術価値担保として査読必須であるというのは欺瞞を孕んでいると感じる。査読って性善説ですしね。

査読がなんで必要か?って言うと、研究費を貰うためとかポストを得るためとかそういうあれなんですよね。指標必要から指標を作っているってだけ。

そして分野を限らずに査読や賞の価値ってここ10年で本当に変化したと思う。少し前までにはマスコミュニケーションが大きな部分を占めていてその紙面はいつも限られていたから、査読や賞というもの必要だった。それを通過してはじめて紙面にスペースを割くことができた。でも今は学術論文なら arXiv があるし、小説や詩なら note やなろうに投稿すればいいし twitter でもいいし、もっと言えばどんなものでも Amazon Reading で自力出版すれば良い。費用負担がないか自費出版ですらないのだ。

2021-01-14

リカレント教育機能してないというより大きな問題があるなかで

ソフトウェアエンジニアリングについての教育について様々を議論してもあまり意味がないのではないか、とかそれで藁を掴むように謎のスクールに入った人を「採用邪魔」とか言っちゃうような人の品性のなさとか、実務教育を通じたアカデミズムということを追求するとそもそも現用の教員雇用問題になるとか、そういうことについて長文を書きたいんだけど元気がないので誰か書いてほしい。

2021-01-03

読書猿の独学大

ちょっとしたこと言うたびに難解な本を引用したりして、俺これも読んでるんですよ?って自慢がしたいだけにしか見えない。

アカデミズムから離れた独学の行き着くところって、やればやるほど承認欲求が満たされないつらい世界なんじゃないか

その中のごく一部だけがこういう承認欲求丸出しの本が出せるのではないか。著者はそれで救われたかもしれないが。

anond:20210102170247

人工知能学会あたりから本件まで、一貫してフェミニズム文化大革命的な手法を取るのが興味深い。

自分らが設けた規範に、抵触『しそう』な表現を片っ端から狩っていくという方法ね。

そこにあるのは、非科学ポピュリズム

本来であればアカデミズムこそが、これを止めないといけないのにね。

2021-01-01

anond:20201231163205

学術会議を筆頭として日本アカデミズムほぼ全体が20世紀型の左翼権力に毒されちゃってるから

周りの大勢無自覚に順応しちゃう営利企業には適応できなくなっちゃうかもしれない

研究職ったって、大学の延長線で自分のやらされてきた(それしかできない)反戦反原発に役立つ研究資本家の金でやってやるんだみたいなことができるわけがない

自分立ち位置がしっかり見えている人はD1くらいかパートタイム企業仕事受けたりしてる

自分研究テーマ企業に求められているかどうかのアンテナがあれば、適当タイミング研究テーマビジネス向けにシフトさせることも必要

とはいえ研究営利企業のためにやるのではない社会進歩させるためにやるんだ、って意識の高い系の人たちは清く正しく生きていってください

2020-12-30

エビデンスとは

b:id:HanPanna馬鹿なのかな?

共働き夫婦女性家事時間男性の5倍とか、世界的にみて異常なジェンダーギャップ指数に触れないのは不誠実じゃないんで?

https://b.hatena.ne.jp/entry/4696315618434894754/comment/HanPanna

b:id:yujimi-daifuku-2222 氏が求めてるのは「性役割規範香取慎吾のお母さん食堂により強化されるというロジック」だろうが。

どうしてこうも頭が悪いのだろう。

さすがに目に余ったが、フェミ関係アカデミズムでさえも、「○○を助長する(恐れがある)」と何のエビデンスもなしに言う事が許されているしな。

2020-12-27

青、赤、白、桃、黒

anond:20201227004833

あくまでも個人的な印象

青←表現の自由戦士のアンフェ。論破厨。表現に関しては超リベラル、というかリバタリアン女性の権利となると保守回帰的な意見賛同する。自称リベラルよりもリベラルな真のリベラル立場から叩くのが得意。「大学時代に同じサークルの女を洗脳して過激派ウヨにした」みたいな自慢をコテハン時代にしていたらしい。

もへ←右翼のアンフェ。青のようにリベラルを気取らず、自称リベラルを叩く。共産趣味とか言ってる中高生アニオタに人気。

白←アンチリベラルアンフェ。『アカデミックフェミで稼ぐ女性学者のように、ツイッターフェミニズムを叩くことで稼いでいるフェミニズムの寄生者。(鍵垢より原文ママ)』というツイートを見て感心した。はてなー同様田舎育ちのインテリなので、ボンボンインテリの知らない真実を知っている。アカデミズム叩きが激しいのできっとアカデミズムより優れた意見を持っているはずだが、残念ながらその主義主張情報商材を買わなければ読むことはできない。「コーラン論理強度が高い」と言っていたが、コーラン論理強度とは何か是非無料で教えてほしいと増田は思う。著書内に剽窃データを載せたそうな。

す←過激派ツイフェミの男版。五天王最弱。統計により真実に辿り着き、レッドピルで目覚めた人。これが令和のマスキュリズムだ❗️

黒←右翼。アンフェのイメージはあまりない。古き良きパヨク叩き。左翼の間では、ランサーズ案件と言われているが根拠は知らない。フォロワー層が若いイメージ

あくまでも個人的な印象。

2020-12-22

anond:20201222135348

日本アカデミズム自体が力を持ってないのは周知の事実だし、今んとこマウント道具としての存在価値しかないよね〜

海外の有名大学行くやろ普通に

anond:20201222134800

それなー

まともならアカデミズムに身を捧げて研究しとる

2020-12-06

anond:20201206091100

理工系志望者の中学生にとって、高専を捨ててまで通う価値のある普通科高校って実際は少ないと思う

まあ本当の意味での名門校だね

アカデミズムリベラルアーツ精神もない、もっぱら生徒を大学入試に受からせることしか関心のない「自称進学校」には、高専を捨ててまで通う価値は全くない

2020-11-03

anond:20201103083818

からさ、不快に感じた人も多かった、マーケティング的には失敗と言えるだろう、で終わる話だよね?

なぜ企業側が「性的消費」なんていう謎概念の責を負う必要があるんだろう。

不快感の表明はなされるべきだし、企業ほか表現側はそれらの不快感に配慮した方がよい場合もあるだろう。

だけど、それは企業表現側の自由選択として成されるべきもの

性的消費」だの「性的搾取」だの、その表現「悪」や「差別」が含まれるかのような偽装はやめるべき。

搾取される主体が成り立っていないということが、アカデミズムの側まで含めて、分かっていない。

2020-10-07

anond:20201007133352

従前の増田のお前が読んでる内容を相手が読んでいるという思い込みがあって論理を建ててるだろ、アカデミズム洗礼を受けてたら、自分が知ってる情報相手も知ってるに違いないなんて馬鹿なこと考えないよな?

から馬鹿論理じゃん、わかるかな?

 

ほんで、君は俺の文章のどこをみて

「平均取れば全体分かると思っている」って読み取ったわけ?

逃げ回ってかっこ悪いからここでビシッと、論理的にどこの文章を読み取ったのか引用したほうが良いぞ

2020-09-14

社会学者が犬笛を吹いていたら、「社会学者が居るぞー」と襲われるようになったって、そら自業自得よ。

正直、自業自得じゃないかなと思うのだが、

社会学ってそもそも自由議論を阻害するなと言いながら学問的な裏付けもない理論をぶん回して社会運動に流用しまくったんだよね。

まり社会運動看板だけ貸して、その学問棍棒にしてやりたい放題やってきたのね。

現在ではBLM運動暴徒化擁護なんかに使われてる。

黒人白人リンチしてるのを、「トーンポリシングだ」「そこまでに至る抑圧がー」とか、どこからどう観ても「そんなの正しいわけねえだろ」って誰もが分かる問題を、無理やり擁護してる。

実際に学問的な裏付けはない。

学者看板勝手正統性暴力政治運動に与える名義貸しをずっとやり続けてきた。

でも学問的な裏付けはない。

きちんと研究してるかといえば、やってることはせいぜい、オタク表現に思いつきで放火するソーシャル放火魔でしょ?

社会運動アカデミズム看板を名義貸しをしておいて、そんで、逆に炎上したら「自由議論を阻害された」と、放火しておいて被害者ぶる。

政治運動社会圧力をかけるなとは言わないよ。

でもさあ、そのやり口が「社会学者という学者看板で語る」のなら、最低限、その学者としての生命をかけて貰う必要がある。

学者として語ったのなら、それが学者としての倫理にそぐわない思いつきをホイホイ勝手捏造してばらまいただけなら、当然学問として最低の評価を受けるのだ。

スタップ細胞のように、「お前は捏造理論を唱えた。学者として発信したのに、全く研究した痕跡も無ければ、そもそも根拠がない」と言われねばならない。

しかし、社会学者にはそもそも検証される土壌がない。言えば言いっぱなしで逃げ放題だ。

しか根拠を問われたら「あくま個人の感想です」と、さんざん学者でござい、って顔して放火してたのに、個人の顔になりやがる。社会運動煽動に利用しておいて、その逃げ口上は一体何だ?

自分たち社会圧力をかけるように煽動していた」のに「自由議論をしていただけだ」とは、ヤクザ居直りである「俺は穏便に話していたのに、相手勝手にころんだだけ」みたいな態度である

そりゃ、「ヤクザ」と同じ扱いを受けても仕方がないだろう。

社会学者が襲われるようになったのは、学問看板放火しまくったからであり、まっとうな社会学者が「もし」いるとしたら迷惑なことだとは思うが、今のところそういう学者放火のものをしないので、誤爆を観たことがないのである

2020-09-11

百尺竿頭一歩を進む

謙虚なのか、驕っているのかよくわからない言葉

百尺竿頭といった時点で、俺はこの世界を極めたぜ!といってるわけで。

行政アカデミズム関係というのは民主主義勉強の素材になるね。

バカが多すぎると民主主義ダメになる。

から知性と行政接触するメカニズムがなければうまく機能しない。

アメリカ連邦最高裁判事指名をめぐって大荒れだ。

アメリカ伝統的に、法曹の知性とりわけ連邦最高裁への絶大な信頼を財産

国民民主主義を学び、政治を持続的にしてきた国なだけに

今後の影響が心配だ。

2020-09-04

anond:20200904134729

えぇ・・・

数十年の表現の自由議論もそうだし、遡ればアカデミズム印象派対立だったり、今更否定できるものじゃないが・・・

そこから説明必要なんか・・・

からこそ山田太郎議員自民党当選したこと画期的だったのに、その文脈がわからない人間もいるのか・・・

しいて言うなら右左の軸が政治的にとるか経済的にとるかで変わることはあるが、この場合政治的問題で問われてるんだから左になる。

2020-08-31

anond:20200831194512

それこそアカデミズムに巣食って飯食ってる分の権力勾配というやつでは?

2020-08-27

anond:20200827175522

それはお前の「優生思想」であって「優生学」ではない、統計的数字安易に「優生学科学事実」ってしちゃうところからしアカデミズム洗礼を受けてないのは明らかだなw

頭いいフリしたくなるのはわかるけど、難しいことじゃなくてツイフェミとかVtuberとか語ってたほうが良いと思うよ。

2020-08-11

anond:20200811031426

アホウヨは黙ってていいよ

アカデミズムのアの字にも触れてないんでしょ

2020-08-10

anond:20200810122723

アカデミズムに籍を置くフェミニストが、

ある表現差別的である認定するという事実上規制論を唱える際に、

例えば海外の「性的客体化」の議論引用したりするものの、結局のところイートンのそれには当てはまらなかったりする、

そういう所が批判されてんだよ。

2020-07-12

anond:20200712085523

少なくとも身内に大学教授がいるので

ただし、専門外に言及したり、学術ガン無視発言したり、ネトウヨレベル発言をしたりして、

SNSメディアで暴れまわってしてないけどな、めっちゃサラリーマンっぽいよ?


山梨大学は、

世界中オープンデータリアルタイムに入手できる今、取り繕ったり、欺いたりするのには自ずと限界がある。

自己正当化固執せずに、アカデミズム精神データに基づいた建設的な議論を促進することこそ、

輝かしい日本を取り戻すために、一層求められている。

専門家を称する人々に盲従するのはアカデミズムの欠如と衰退にほかならない。

って言っているけど全文同意だなぁ


増田の信じる明日がくるといいね。ワイも祈っておくよ

2020-07-05

anond:20200705103656

そのお気持ち大事だぞ、是非とも 中曽根康弘世界平和研究所早稲田大学 に抗議してどうぞ

専門家を称する人々に盲従するのはアカデミズムの欠如と衰退にほかならない』と山梨大学も言ってる

日本検査体制は悪くないと言えるのでは?

という増田お気持ちと合わせて伝えるべきだ

2020-07-04

anond:20200704153859

現実逃避はよそう。検査数も論文数も臨床試験もすべて数字で出ているので数字をみるべきなのは増田だぞ

死者数1点のみにこだわるとしても、死亡率で言えばロクに検査ができていない状態フィリピンに次いで高いし、

無策のまま増えないことを保証するものでもない

まさかとは思うけど欧米並みに増えない限り、医療関係者もそれ以外の人間も、死んでいいって話じゃないよね?

山梨大学が言ってることは、全文同意だが、抗議したければするべきだ

リンク貼ったのに読む様子ないかベタ貼りするな?

OECD諸国の中でも最低レベルPCR実施件数 4)なのだから、尾身氏も認めているように日本感染者数の実態は知りようがなく、現在の報告水準よりも相当程度高いと見積もられる 2、5)。PCR検査を最低水準にとどめることで、数字に現れる感染者数を低く抑え込むことが、「ほぼ奇跡なのだとしたら、かつて国際的問題とされた日本研究不正と土壌はそっくり同じではないか感染者数の実態は分からないが、立場の違いを超えたコンセンサスであり、論理的に突き詰めれば、我々が第4報で述べた通り 2)、また尾身氏も認める通り 5)、相当数の陽性患者が見過ごされているのが日本の現状である


 では死亡者数の方はどうか。論理的帰結は、感染者数の実態が分からない以上、死亡者数も低いPCR検査件数の中で診断できた症例に限られるため、報告されている死亡者数が実数よりも低値とみられることである。これを裏付け根拠の一つとして、第4報では、国立感染症研究所公表しているインフルエンザ関連死亡迅速把握システムによるインフルエンザ肺炎死亡報告の超過死亡に触れた 2)。


 インフルエンザ流行はほぼ終息していたにもかかわらず、東京において、2020年の第8週、9週で閾値を超える超過死亡が生じていたことについては第4報で触れたが、その後、第13週まで超過死亡が継続していたことが明らかにされた 7)。また、本システム調査対象の21大都市のうち、報告のない5都市と、5週もしくは9週までの報告に留まっている6都市の合計11都市を除いた10大都市の報告では、東京のほかに仙台12週)、熊本(7、9-11週、13週)でも超過死亡が報告されている。新型コロナウイルスによる真の被害規模を示す指標として「超過死亡」が注目されており 8)、さいたま市京都大阪など第5週もしくは第9週以降の報告が滞っている感染流行地域の報告をまって真の被害規模を検討することが求められる。


 以上示した通り、現在の報告数だけ見て感染者数、死亡者数が低く抑えられていると結論づけるのは早計であり、「ほぼ奇跡」と称している状況自体幻想にすぎない可能性も高い。それでもなお、「ジャパニーズミラクル」などと持ち上げるのには、「仰ぎ見られるような感染症の専門家が陣頭指揮を執っている」とわざわざ言及することと無関係とは言えまい。WHOのテドロス事務局長中国寄りと批判されてきたが 9)、WHOも落ちたものである


(略)


WHOが表明すべきは、欧米比較するなら「パンパシフィックミラクル」「アジアミラクル」であり、死亡者数で日本を取り立てて持ち上げる根拠は乏しい。加えて図2を参照いただくと認識が変わるだろう。図2は、図1から中国を除き、台湾を加えたものである。他の西太平洋地区17カ国と比較し、フィリピン日本の死亡者数の急増が止まっていないことが分かる。日本は、4月11日頃の変曲点以降、右肩上がりで死亡者数が増加し続けている。5月16日時点の人口10万人当たりの死亡者数は、日本が0.57に対し、韓国が0.51、ニュージランドが0.43、オーストラリアが0.39、マレーシアが0.36、中国が0.35、台湾が0.03であり、この時点でも西太平洋地域の中ではフィリピンの0.76に次いで高い水準にある。


(略)


世界中オープンデータリアルタイムに入手できる今、取り繕ったり、欺いたりするのには自ずと限界がある。自己正当化固執せずに、アカデミズム精神データに基づいた建設的な議論を促進することこそ、輝かしい日本を取り戻すために、一層求められている。専門家を称する人々に盲従するのはアカデミズムの欠如と衰退にほかならない。


 科学教育研究所の小田垣孝九州大学名誉教授東京工業大学の小野京右名誉教授など、さまざまな専門家も声を上げ始めた 17、18)。世界の取り組みに真摯に耳を傾け、日本の英知を結集して政府支援していくことが、死亡者数の推移から第1波の収束も定かでない中、来る第2波、第3波への備えとして最も重要である

2020-06-29

納得してるふりをしながら「リベラル男性」をやり続ける

anond:20200623194658

↑を書いた後、予想以上の量のコメントを貰ってびっくりした。量も驚いたが、内容も、人によって結構違う内容や態度だったりで、何故か、その事に少し救われた(妙な話だが、敵対的な態度の人も居る事が、むしろしかった)

で、増田でたまに見るブコメ等への返事の追記をやるべきかどうか悩んでいる内に日が過ぎてしまった、ひとまずここに書いておこうと思う。

 

まず、「SNSをやめたほうがいい」「フェミニズムから一旦離れた方が良い」という意見が有ったが、離れるつもりは無い。

何故なのか?と言うのは自分でも良く分からない。単純に意地になって居るのかもしれない。

ただ、一つ思うのは、「終わったものボックス」に入れられるのは嫌だな、という事だ。

私が例えばSNSから離れたり、カウンセリングを受けたりしたら、私の懊悩は「じゃあ解決したね、よかったよかった」になってしまう、そうはなりたくない。(そもそもカウンセリングはそんなに万能ではないとも思う。どちらかと言うと、他人問題を「お終い」にしてしまう為の道具として、便利に使われている印象がある)

それに、基本的に私はリベラルフェミニズムも正しいと思っている。

いくつか疑問に思う部分が有ったとしても、やはり離れる訳にはいかない。

また、離れても無駄だとも思う。既に私はフェミニズム的な視点や捉え方や規範他者から学び、内面化している。

SNSから離れようが、既にそのコピーフェミニスト自分の中にいて、その声からは逃れることは出来ないし、すべきでも無い。

 

「人をカテゴリで捉えるな」というコメントも多かった。それから、「リベラル派じゃなくてリベラリズムに従えよ」という文章を書いてくれた増田もあった。

正しいとは思う。ただ、実際に遣るとなると、難しい、というか、無理な気がしている。

社会問題を扱う限り、会った事も無い人の被害や加害を考えなければならない(そうでなければ、それは「社会」に対する思考ではない)、会った事の無い人について考える時に、「女性」や「男性」や「フェミニスト」や「リベラル」のようなカテゴリは非常に有用だし、それ無しで考えるのは不可能じゃないかと思う。

また、現実の話もある。例えばある女性フェミニストの方の主張に疑問を感じたり、リベラリズムに反すると思った場合、それを男性の私が指摘したり疑問を言葉にするのは、正直言って、難しい。

この雰囲気をどう伝えれば良いのか分からない、兎に角、難しい。それによって私がセクシストであり、差別主義者だと言われてしまうのでは無いかという恐れが常に有る。

これは私に限った事ではなく、私の周囲の人も、女性に限らず、社会弱者当事者の方の言う事に疑問を呈す場合は、かなり慎重に行う。社会非対称性を考えれば当然の事だとも思う。例え多少おかしな部分があったとしても、それを強者である男性が、当事者の口を塞ぐというのは、有ってはならない、と思う。

それからリベラリズムについては、説明がし辛い。昔は自分所謂自由を貴ぶ」という意味でのリベラリストのつもりだったが、今は、(大雑把な表現だが)「弱者を守る」という意味でのリベラルである。今の日本リベラルと名乗る人の大半は後者だと思う。

ただ、彼の言う事は本質を突いている気がする。恐らく、自分は今後者のつもりだが、後者に成り切れておらず、前者の部分が残ってしまっているのだ。

前者の意味でのリベラルは、現在日本ではむしろ所謂ネトウヨ」や「ミソジニー男性」(と、後者リベラルが見做している人達)と相性が良い。

気付いた人は多分居ると思うが、前回の増田で私が書いたフェミニズムへの疑問(ゾーニングの公の範囲や、BL等の免罪等)は、上記の様な、リベラルフェミニズム敵対者が良く主張している事に非常に似ている。そのもののものもある。

恐らく、つまり、私はリベラルを自認しているが、私の中にはネトウヨ的な部分や、ミソジニーも有るのだと思う。

から私は、恐らく正確には、前者と後者、両方のリベラルであり、だから、その矛盾に引き裂かれているんだと思う。

 

ネトウヨ」や「ミソジニー男性」といった言葉選択には怒る人も居るかもしれない、ただ、これは便宜的な呼称だと思って欲しい。

少なくとも現在日本では、後者意味でのリベラルフェミニズム問題点を指摘できるのは、彼らだけだろう、といより、問題点を指摘すれば「ネトウヨ」「ミソジニー」と呼ばれる事に成る

から、私のフェミニズムへの疑問は、「ネトウヨ」「ミソジニー」という事に成らざるを得ない。

ここでまた、「またカテゴリで考えている」と言われるだろう、でも、現実にそうなのだ。そりゃ、リベラル自身リベラル問題点に言及できるようになればいい、それが理想だ、でも現実は違う、そんな事は出来ない、そんな事をすれば利敵行為すなわち「ネトウヨ」と言う事に成るからだ。

リベラルフェミニズムへの疑問や矛盾に悩む私に「SNSから離れた方が良い」と言葉を掛けてくれる人は一杯居た。けれども、「そのような矛盾をこれから解消しよう」と言ってくれる人は一人も居なかった。

(いや、こう言う言い方は不当かもしれない。そもそもリベラル側の人は、そのような矛盾が有るとは思っていないのだろう。だからその解消を求める事自体がお門違いなのだ

 

これまで書いた事について、正直な所、後ろめたさというか、これでいいのだろうか、という迷いが有る。

リベラルフェミニズム矛盾問題点がある、なんて事を書いて、いいのか・・・からない、それ自体間違っている気もするし、「間違っている」と言われる気もする。

ただ、まぁいい、もうこうなったらいっそ、(滅茶苦茶長くなるだろうが)思った事全部書いてしまおう。

 

リベラルならラディカルフミニズムじゃなくリベラルフェミニズムの方に向くべきでは?」というコメントに対する返答も先程とほぼ同様、

リベラルフェミニズムは前者のリベラル(つまり自由を優先する方)と相性が良く、後者リベラル弱者を優先する方)はラディカルフミニズムと相性が良い(相性がと言うより、仲が良い、と言った方が正確かもしれない)

自分後者が主軸なので、ラディカルフミニズムと協調する事に成る、そうすると必然的表現自由等より、弱者を守る事を優先する事に成り、女性を消費するようなコンテンツ肯定できない→オタクである自分自身と不調をきたす、という事に成る

まぁ、日本ではラディカルフミニズムが支配的で、リベラルフェミニズムはあまり広まっていないという事情も有るとは思う。(アカデミズムリベラルフェミニストの有名な人って例えば誰が居るんだろうか)

 

訂正と謝罪をするべき事が有る。

増田で↓のように書いた。

学生時代の苦しみは、一体何だったんだろうか?あの時の加害者の中には女性もいる。彼女弱者で、自分強者である

キラキラした人、美しい女性、充実した人生を送ってそうな人がフェミニストとして、男性糾弾する。

俺は一体何なんだろうか?

これについて、「キラキラしてない、パッとしない女性もいると思い出してほしい」「美人の苦しみを矮小化している」という批判があった。宇野ゆうか氏の下記のページもそれに当たるだろう。

https://yuhka-uno.hatenablog.com/entry/2020/06/28/134939

 

これについては謝罪すべきだと思うのだが、うまく出来る自信が無い、何故かと言うと、↑の部分は指摘された様な意図で書いた訳ではないのだが、

「そういうつもりでは無かった」「誤解を与えてしまった」という謝罪は、正しい謝罪では無い、と言うのは常識になっている。では、他のどのような謝り方が正しいのか、考えてみたが、上手く答えが出なかった。

ただ、ひとまずは元の意図説明してみようと思う。

ただ、それも難しい。この部分は、正直に言うと、自分でも何が言いたいのか分からない、「俺は一体何なんだろうか?」という漠然とした疑問が主題からだ。

ただ、いくつか明言できることは有る。まず一つは、「キラキラしてない、パッとしない女性もいる」という事は、自分も勿論分かっている。この文は「女性フェミニストはみんな、キラキラした人、美しい女性、充実した人生を送ってそうな人である」という意味では無いし、そう意図しても居ない(ただ、そう読み取れる余地を残してしまった事はやはり自分の落ち度だと思う)

女性の中に、「キラキラした人、美しい女性、充実した人生を送ってそうな人」が居る、と言う事を念頭に置いて書いていた。(「女性はみんな~である」と「女性の中に~な人も居る」の違い)

また、「キラキラした人、美しい女性はみんな、充実した人生を送っている」という意味でも書いていない。キラキラした、美しい人にもそれぞれ固有の苦しみは有るし、そもそも女性差別制度的な差別を含むから社会的な美醜に関わらず多くの場合被害は受ける。外見からその人の人生推し量ることはできない(だから宇野ゆうか氏の書いた事は正しいと思う(正しいとか、何目線で言ってるんだという話だけど・・・・))

従って、「キラキラした、美しい、充実した人生を送る人が男性糾弾するのは間違っている」と言いたい訳でも無い。そういった人も女性差別には遭うのだから糾弾するのは正当な権利だ。

ただ、分からない、この感じをどう表現すれば良いのか、この「何なんだろうか?」と言う、分からない感じ、分からないと言う事を、どういう言葉表現すれば伝わるのか。

ミクロに、カテゴリに頼らず個人個人幸福度を比べれば、私より幸福人生を送っている女性は居る、それは確かだと思う、けれど、それで女性差別糾弾をしなくていい事には当然ならないし、私は糾弾を続ける。ただ・・・ダメだ、分からない、どう言えば良いのか、つまり名前が無い、と言えば良いのだろうか、女性人生で被る苦しみの一部は女性差別に起因する、では、私の苦しみは?男性差別?それも違う、分からない、どう言えば良いのか、言葉にできない・・・・・

ただ、そんな私の言語化能力の拙さとは関係無く、訂正と謝罪はするべきだろう。

件の文章は「キラキラしていない、パッとしない女性は居ない」と言う意味や、「キラキラした人、美しい女性は苦しみを抱えていない」という意味では無く、書いた時の事を思い出す限り、「キラキラした、美しい女性」の中でも特に幸せな人を念頭に置いて書いた(だから美人であり、かつ苦しんでいる人はここでは対象に含めて居ないので、安心して欲しい(安心して欲しい、というのも変か・・・・・))、しかし、にも拘らず、そのような解釈余地を残してしまう拙い書き方でした。申し訳ございません。

 

これで上手く出来ているのか、分からない。もっと適切な謝り方が有るんだと思う。

 

色々書いたけど、(まだ、思っている事は全然書き切れて居ない気がするけど)改めて言っておく、疑問を感じることはあるけど、それでも、自分は「リベラル男性」を続ける。

リベラルフェミニズムに疑問を感じた事を表に出すことは出来ないし、だから、なるべく考えない様にする。納得してなくても、納得してるふりをする、でも、リベラルである事は続ける。

自由を何より優先するという意味では無く、弱者を守る事を優先するという意味で、リベラルである事を続ける。

それに開き直るつもりは無い、「弱者を守る事を優先する」という事は、他の何かと衝突した時、そちらの優先度を下げるという事に成る。それは時には不当な加害になる事も、暴力性を持つ事も、自由制限に繋がる事も、他者を抑圧する事も傷付ける事も、どれもあり得る。それに、そもそも自分の中の「弱者」の基準が正しい保証は無い。「弱者を守っている」つもりで、別の弱者を気付かずに足蹴にしている事も当然あり得る。

から、私は、正しいとはとても言えない。むしろ客観的に見れば悪である可能性も有る。

でも、兎も角、自分の見える範囲を見て、考えられる範囲を考えた結果、やっぱり自分リベラルである事を選ぶ。ただ、それが正しいと盲信する事だけは絶対にしない様にしたい。

 

長く書いた。流石にこれは読まれないと思うけど、まぁ、構わない、謝罪部分だけは然るべき人に届けばと思うが、それも望む事しか出来ない。

最後に、この文章を前回の増田と分けた理由は、単純に馬鹿な程長くなってしまったと言うのも有るけど、それだけじゃなく、「本当に元の増田が書いたかからない」ようにするのも良いのではないか、と思ったからだ。

この文章はもしかしたら、元の増田とは別人が、彼を装って書いただけかもしれない、そうだった場合、読んだ人の感想は変わるだろうか?

まぁ、そもそも、こんな長い文章読む人は居ないと思うけど、もし居たら、なるべくどちらとも決め付けずに読んで欲しい。本物か、偽物か、平等に考えてどちらか判断できる根拠あなたは持っていないはずだ、だから本物でも、偽物でも、どちらでもあり得るように読み、考えて欲しい。

 

最後に、前回の増田の様に沢山のコメントを貰えたのは初めてだったので、痛々しいと思いつつ、ブコメを見るだけじゃなく、ツイッターでも検索してしまった。

 そしたら(もしかしたら検索の仕方とか過去ログ有効期限のせいかもしれないけど)最初にこの増田の事をツイートしたのが、おねロリキメセク天皇で笑った。ちょっと、嬉しかった)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん