はてなキーワード: しまとは
という問に対して、「舞台装置を救う舞台装置があり、それには終わりはありません」という回答を出したのが宝石の国で、「舞台装置はクソ強いのでセルフケアします」という回答を出したのが路傍のフジイだとおもうんだけど、両者の対比を語ってる人が全然いなくて寂しい
うわっ、はての嬢? なにしてらっしゃるんですか? こんな下品な増田をブックマークしては
いけませんよ。それもコメントに「トルコ風呂」という文言を使うなんて、お嬢の
びいしきに反しておりますよ。お嬢のプロフィール欄にも16歳の高校生と書
いてあるし公序良俗に反する利用を禁じているのに、当の本人がこのありさまでははてな
むらの風紀が乱れてしまいますぞ。
お米品薄解消してきているのかしら?
こないだマーケットでは米袋売ってたわよ。
街の道端でも露店でお米量り売りしているのをみて
えーそこまでみんな必死なのね!って思ってよく見たら
私も手に取ってこの黒いのお米?って尋ねたらコーヒー豆だよって教えてくれて
あ!私はそれまで本当にお米だとそれを信じていたので手に取るまでなにも疑問に思わなかったわ。
平成の米騒動とはこのことね
まあお米じゃ無かったので買わなかったけれど、
世間は勝ってよね。
みんながお米を食べなかったら若者の米離れ!っていうし
若手力士の怪我して試合の土俵に出れないのは力士の肉離れ!って怪我が理由らしいので
そして米が足りなかったら足りなかったで
チェーン店とかの外食のお米はそんなに鬼気迫る感じではなく普通に大盛りも頼めちゃうし、
一般に向けてのお米がどうなってるのか?
今こそ墾田永年私財法とか自主流通米とか制度見直した方が良いのかもしれない私は分からないけれど、
江戸時代のお米作りの名人の大塩平八郎さんが今の状況を知ったら笑われちゃうわよね!
まさに我田引水!
知っているお米に関する言葉をならべるだけで凄い賢そうな人だと思うでしょ?
だから一概にお米の世界の品種を言えば賢そうに見えるとは限らないところがまた難しいのよね。
インドカレー屋さんに言ったら一度は手食をやってみたいけど、
慣れないとなんか上手く指先でご飯を掴んで食べることができないので、
下手にやると張り切ってる人だと思われるから
すぐに手を洗うところで洗いたいと思っちゃうわ。
店内からすぐ見えるところになんか、
わりと大きな手洗い場があるインドカレー屋さんは手食を張り切っていいお店かもしれないってどこかで聞いたけれど
私はなかなか手食でそれら食べるのがちょっと恥ずかしい張り切ってる人と見られるわよね。
お米が本格的にマーケットで買うに困らなくなったら
ご飯にピッタリな早く美味しい焼き秋刀魚にありつけますように!
うふふ。
急にこぞって納豆が食べたくなるブームって突如訪れるので今その納豆グラフのピークかもしれない時期かもね。
美味しくいただきました。
それの2種類の柑橘系果汁デトックスウォーターってところかしら。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
どさくさに紛れて他人の身体を触って逃走する“ワンタッチ痴漢”による被害について議論したことを紹介した。
「電車のドアが開いた瞬間に、降りる人に通りすがりで胸を触られたことがあった」と明かした。
当時を回顧し「あまりにも一瞬の出来事だし、大勢の人が勢いよく降りていく中で、
『間違えて、手が当たっちゃったのかな?』と考えているうちに、あっという間にその人を見失ってしまった」と複雑な胸中を吐露した。
自閉症児は出生前診断では、わからないみたいね。それはそれとして、自閉症に限らず障害あると妊娠時に診断できて堕胎できる方がいいとは思うけど。
障害のある子ども産みたくないというのは、共通する願望でしょ。
それと、特定の個人や団体を誹謗中傷してるわけではない内容だけど倫理的、道徳的に言うことがリアルでは言う機会ないことを増田に書いたということだから、使い方としてはあってるだろ。
元々本命じゃなかったこともありモチベーションが保てず嫌になって一ヶ月で離職。
今なら絶対応募すらしない。
1社目離職後二ヶ月ほどで入社。
エアコンついてるけど食品関係のため毛髪混入帽子の作業着が暑い。
夜勤が嫌になり離職。
二週間ほどでやめた。
班長がパワハラマンで2週目にはいった時点で同じ班配属の同期は半分減ってた。
今考えてもここのパワハラは異常。
正直メンタルは一番きつかった。
4社目 零細図面屋
ただ、派遣屋なので遠方転勤の話が出て、給料が安いのに転勤までする気はなかったので離職。
やめる際はまあまあ嫌がらせも受けた。
もうちょっと給料が会って有給なんかもきちんと使えればよかったのにという感想。不満多いけど最後の嫌がらせがなければ、もう少しいい気分で辞めれたのに。
Btocなのでクレーマーに当たるとキツいが上手いことやってるつもりなのでとりあえず何とかなってる。
過去一給料はいいので相対評価で一番いい。有給も好きに取れる。
いい仕事が見つかればやめるけどとりあえず続けるつもり
増田を書き終えて「この内容を登録する」ボタンを押して記事を投稿する際、おそらく更新中にせっかちな俺がボタンを2度押しするのが理由だと思うが、同じ記事で2度投稿してしまうことがある。類似の事象は、投稿済みの記事に誤字を見つけて修正する際にも起きたりする。
これは、操作する側が意図しない挙動で、シンプルに言えばバグだから、はてな側に対応して欲しいと思うのだが、こういう「二重投稿」状態の登録に対して、「二重投稿必死だな」みたいなトラバを飛ばしてくる輩が最近多い気がする。
つい昨日も、俺が渾身の増田を書き終え、満足感と共に投稿ボタンを押した際に、やはり不幸にも二重投稿となってしまったのだが、その際も奴(ら?)に見つかってしまい、二重投稿を揶揄されることになってしまった。この際は、俺も二重投稿の事象や、この手の監視人のことを煩く感じ始めていたので、投稿後にすぐ、おそらく1分程度で重複して登録された側の記事を削除したのだが、奴は、その一瞬の隙で俺の二重投稿を探し出しだと思われる。一体どうゆう仕組みやらでこれをやっているのだろうか。
その宗教の中でも格の高い役職に属していた母方の祖母は、俺の母にも幼少期から教えを説いたが、曰くその頃は特に信仰が厚い訳では無かったらしい。
寧ろ貧乏な家なのに樒や仏壇なんて買うのは、と口には出さないまでも思っていた時期が大半で、高校を卒業後はすぐ働き、各所に旅行に行くのが趣味だったそう。
そんな中、同じ会社に属していた父と結婚をし、一人目を授かったが、妊娠が半年を迎えようとしていた頃に胎動が消失してしまい、この世に生を受ける事は無かった。
二、三年後に時を経て二人目を授かり、無事出産に成功した、それが俺。
俺は産まれながらにして酷い皮膚炎だった。
当時専業主婦だった母は色んな病院に通っていたが治る事は無く、万策尽きたかと思った所に、ふと実家の宗教を思い出した。
小さな仏壇を購入し、毎日100回、みたいなノルマを設定して祈っていたそう。
すると俺の皮膚炎は、奇跡の様に治って行った。
俺が物心付く頃には、周囲の人間は子供も大人も母と信仰を同じくする人達ばかりだった。
誤解されがちなのだが、こういう集まりは普段からずっと信仰の話をしている訳ではない。
寧ろ世間話がメインで、そういう話が出てくるのはお悩み相談みたいな雰囲気になった時のオチとして「祈りつつ頑張りましょう」の一言程度。
感受性が嫌に高い子供だったから、蝉の死体を見て自分も死ぬの怖いな、と泣きながら集まった日の集まり、ふと気になって「死んだらどうなるの?」と、老婆に聞いた。
曰く、「死んだら死後の世界で成仏して、また魂がもっと幸せになって、現世に戻ってくるんだよ」と答えてもらった。
その時はなんだか、死んでも良いんだ、という気持ちになった。
小学校に進学した後、10人で町内鬼ごっこをしようという話になった。
俺が鬼になり、運動神経は良かったので、5分もしない内に捕まえたのだが、捕まえた相手が鬼ちゃうし!と言って俺の顔面を殴って、逃げ去って行った。
自身の事を全肯定してくれるコミュニティに身を置いていた俺が味わった、初めての理不尽のあの感覚は、今でも忘れられない。
幼いながら、今すぐ消えたいと思った。
不思議と涙も出ずに家に帰り、ぐちゃぐちゃの気持ちのまま台所下にある包丁を取り出して、怖がりながら自分の腹に刺した。
刺し所も強さも死ぬには足りる訳もなく、垂れる血をしばらく眺めていた。なんだかすごい事をしてしまったな、という気持ちになった。
何故包丁を取ったのかという経緯を話せと言われて、鬼ごっこで鬼を変わってくれなかったから、と答えた。
生まれて初めて、物凄い剣幕で怒られ、頬を殴られたのを覚えている。
誰も自分の事を分かってくれないんだという絶望感でいっぱいで、何も言い返せなかった。
ここで違うと言えなかった事が、俺の人生の分水嶺だった様に思う。
今となっては知る由もないが、あの時母親の目には、俺は殺人鬼予備軍にでも映っていたのだろうか。
中学生になる頃には、父親のパソコンでネットを見るのが趣味になっていた。
当時のインターネットの、分からない言葉で喋る、色んな価値観の人の話を見るのが好奇心旺盛な俺にはぴったりだった。
そんな折に自分の宗教を調べると、カルトという言葉が目に付くようになった。
その頃はその宗教内の地域代表みたいな扱いを受け、遠征なんかもしていたが、宗教の家系だといじめられていたのも相まって、そんな扱いや環境に疑心が芽生え始めるのに、そう時間は掛からなかった。
高校生の頃には、反抗期も相まって集まりには行かなくなっていった。
その頃には自分には妹が居て、妹が俺の代わりに宗教面の家の顔になっていた。
部屋に入って来る母親から「産まれなきゃ良かった」と呟く声がよく聞こえてきた。
じゃあ俺じゃなくて、俺の兄貴が産まれてれば良かったのか?と、内省的な俺の中でずっとリフレインしていた。
どんどん不眠気味になり、朝無理矢理身体を起こして図書館かゲーセンに行って寝る生活をしていた。高校にはあまり行かなかった。
学校に行ってない事がバレて、話し合いをするという事になった。
全てが面倒臭くなって、死のうと思った。
海が好きだったので、海で死のうと思い歩いて行ったが、途中で海を見に来たのであろう人に止められ、ズブ濡れのまま家に帰った。
色んなものがフラッシュバックして辛くなって、人生で初めての野宿を決意し、浜辺にあるベンチで寝た。
これがホームレスか、とか、クソ寒いし起きたら死んでてくれねえかなとか思っていたのをよく覚えている。
途中で色んな人と同居したりはしていたが、本当の意味での一人暮らしは初めてだ。
最初はこんな俺でも、一人で暮らせるのだ、やっとあの呪縛から解き放たれたのだと感じた。
けれど実際は日に日に昔抱いていた希死念慮が強まっていく。
言った所で何が変わる訳では無いし、これから先もやっていくなら付き合っていかなきゃいけない感情なのだけれど、俺はその割り切りや、言語化や、付き合い方みたいな物を、少し特殊な生い立ちや環境を言い訳に見ない様にして来たのだと思う。
漫然とした生き辛さみたいなものは、こんな文章を書いた程度でどうにかなるものじゃないと思ってはいるが、いつかなんとかなるといいなあ。
最近は少し気が落ちていた事もあって、内省的な性格が災いして凄く辛くなっていた…ので、今一度振り返る意味を込めてこんな文章を書いてしまった。
それをふと他人に見てほしくなって、色んな反応を貰えて嬉しい、改めてありがとう。
せっかくなので、貰った言及に少し返答をしてみたいと思う。
>家庭環境の割りにはまともそうに見える
昔から凄く(今も)自分がどこかマイナスであるという自覚が凄くて、普通とか、まともとか、そういう人になりたい気持ちが強いので、その言葉が凄く嬉しい。
今もその訓練中だし、それが少し報われた気もする。ありがとう。
>宗教が嫌なら宗教にハマってなさそうなお父さんに助けを求めれば良さそうだけど、お父さんじゃ埋められない何かがあるんだろうか。 お父さんがお父さんとして機能していないから、...
父親は宗教に無関心だったし、キレると手が付けられない人だったし、人として尊敬はしているけど、俺が人間としてそこまで得意ではないタイプの人なので、避けて来たのがある。
加えて父親も幼少期に凄く苦労していた事もあって、子に対してもパートナーに対しても、自分の金でなんでもやっていいよ的な放任主義だった為、助けを求めるという事へのアンサーは、「考えた事もなかった。」
>・宗教3世であることは要素として関係ないこと。ただの親と子の関係の話(=幼少期のストレスとかの話)
これに関しては、もう時効だから言うが幼少期にあった、町内にある自分達とは異教の人達の家を無理矢理引っ越させるよう仕向けるとか、選挙カーをチェイスしてずっと横で爆音の曲を流して音を相殺するとか、イベントの為に男の俺が一ヶ月間ヒールで生活した話とか、色々あって、幼少期の可処分時間がほぼそういうイベント尽くしだったというのもあるんだが、今回は省略させて貰った。
>・冒頭のほとんどを占めるエピソードは伝聞であり、親の態度を考えるに、かなり美化または歪曲している可能性が高いこと(みるみるなおったくだりなど)。
実際俺もその可能性は考えたが、周囲の誰に聞いても(父親に聞いても)その通りだったので、多少の脚色はあるかもしれないが、概ね事実に即していると思う。
タイミングが良かっただけで神の恵みとありがたがれるのだから、良いなあと思う。
>・要するに育った環境ではなく、親の性格の話をしているように思われること
これは本当にそうだな、と感じた。
ずっと親の事を直視するのが怖かったから、宗教というフィルター越しで見ざるを得なかったのだと思う。
多分、それを自覚した今も、俺はフィルター越しにしか見れないと思う。
ありがとう、向き合えてるかは分からないけど、今日も仕事から帰って来て、自分でボロネーゼを作って、いつもより粉チーズを多めに振って、それを食べながらこの返信をしてるよ。
それだけの事が、今はただ嬉しい。
>あー、またひとのせいにしてるー
これは本当にその通りだ、我ながら本当に幼稚だなと思っている。
幼い自分にとって一番の味方だった人が産まれながら他者受容100%のコミュニティに入れてきて、現実がそうじゃないと知って全部ちゃぶ台をひっくり返されたあの瞬間にとても耐えられなかったから、全部宗教のせいにした。
これから先も、今の漠然とした俺の生き辛さ含めて、一生宗教のせいにし続けると思う、親のせいにするよりはよっぽど救われていると思うから。
自分のこういう宿痾みたいなものを、押し付けるよすがとして宗教を選択している時点で、俺も信奉者と大して変わらないのかもな
これはとても疑問に思う。調べてもこのことについて言及する資料はほとんど見当たらない。あっても需給バランスの問題で片づけられてしまう。そういう表層的な次元の話をしたいのではなく、深層にある社会構造に切り込んでいかないと無意味だ。日本の女性が受け身であるとはよく言われるが、これにはいくつかの理由があると思う。
①社交文化の未発達
まず①だが、日本には見知らぬ他人と交流するいわゆる社交文化が発達していないと言われている。海外では社交パーティなどは日常的に行われているが、日本ではまだまだそういった場は少ない。これが日本人女性(男性もだが)が恋愛に積極的になれない理由の一つになっているのではないだろうか。
次に②だが、「ねるとん」は1987年に放送開始された集団お見合いをコンセプトとしたバラエティ番組だ。この番組では、アプローチを男性が女性に行うのが定番の流れになっており、「男性=アプローチする側 女性=アプローチを待つ側」 という構図を若い世代に普及させたという説がある。
最後に③だが、「男は外で仕事をし、女は家庭を守ること」が昭和のある時期までは社会通念となっていた。その結果、家庭に入ることが前提とされる女性の賃金は低く抑えられ、男女の賃金格差が生まれたとされる。もちろん今では性別役割分業はほとんど遠い過去のものと言っていいだろうが、こうした半ば形骸化したシステムが人々の意識の上ではまだ残っており(男は女を守るもの! 男は女に奢るもの!)、それに①と②が加わり、マッチングアプリにおける女性無料という優遇措置がとられているのではないだろうか。
結果的に最後の最後でミスして負けてしまったが、日本の女性棋士きっての打ち手である上野愛咲美は世界大会で何度も優勝し現在でもレート3位の朴廷桓(パク・ジョンファン)相手にほとんど勝利という大熱戦を見せファンを沸かせた
(しかも上野は並行して行われていた別の国際棋戦でも、日本の棋士では井山しか土をつけたことがない謝爾豪相手に大金星を挙げている
全て巨大なガラス張りの屋敷であった。広大な敷地に熱帯の植物を栽培する温室があり、見上げるような高さの天井がそれを覆っている。いわばこの屋敷全体がひとつの巨大な植物園の観を呈しているのだ。ガラス越しに見える別棟では大理石の浴室で息子が入浴している。彼の背後ではもの言わぬ妻が編み物に熱中しているらしい。そしてとにかく時間がなかった。息子は急いで駆け戻ってくると私に言う。「ねえ、はやく」「ああ」そう言って私は最後の仕事に取り掛かる。それは温室の水撒きである。懐に一冊の日記を隠し持ち、見たこともない鮮やかな花々の咲き乱れるガラス張りの温室に向かった。だが日記は思ったより大きく、どうしてもガウンからはみ出してしまう。うまく隠し通す方法はないだろうかと思案しつつ、私はなんとか取り繕いながら水撒きを始めた。だが日記の重さが気になってまるで集中できない。しばらくしてふと力を弛めた瞬間、浴槽の中に日記を取り落としてしまった。壁という壁がガラス張りなので、妻と息子は私の挙動がおかしいのにすぐに気付いたようだ。二人は立ち上がってこちらの方に歩いてくる。私はなるべく手慣れた様子で水撒きをするふりを装いながら、誤魔化す方法を必死に探していた。何とか悟られないように日記を拾いあげねば、これは決して見つかるわけにはいかないのだ。だが焦れば焦るほど事態は切迫する。そしてついに全てが徒労に終わる瞬間がやってきた。妻が浴室のドアを開いて入ってきたのだ。「どうしたの?」凍り付いた私の背に不審げに声をかける。そしてすぐに浴槽に浮いた日記に気付いて拾いあげた。「あら」といって顔を赤らめる妻。その背後では、感情のない息子の目が白々と光っていた。
ブコメが「作者が想定したよりめちゃくちゃ人気が出てしまったことによって物語のベクトルをちょっと変えることになるキャラクターになりてえ」をまさに体現しているの、面白くない?
https://anond.hatelabo.jp/20240909201827
そんなに仕事の話をして欲しいならば俺が少しだけ語らねばなるまい。
会社の都合でインド支部に異動になり、直面したのはこいつらマジで約束を守らないな、ということである。
遅刻は当たり前、嘘も当たり前。それがインド人だ。なんでかというとこいつらは「短期利益のためなら何でもしていい」とガチのマジで思っているからだ。
職場や学校にいたどうしてそんな下らねえ嘘つくんだよってムカつくタイプを思い出せ。それがインド人のデフォルトだ。
なんでかっつーとインドではみんながゆるゆるで事実関係の確認なるものが物理的に行えないからだ。
だから「電車が遅れた」などと言って遅刻されても、本当に電車が遅れているのか確認する術がない。
確認相手のインド人もカスだからだ。真実が霧に消えてしまう国なので、自分の見たもの以外は信じられない。それがインドとかいう地獄だ。
まあ、その辺かなりの競争社会なのもあって失点=即死みたいな文化もあるから可哀想といえば可哀想なのだが、仕事をする上では適当クソ野郎どもの集団と付き合うメリットはマジでない。
弊社もそんなインドに支部を置いたものだから現地人が上手く使えず、日本の駐在員たちが次々と精神を病んでしまい、俺にお鉢が回ってきたというわけだ。
余り細かい事は特定が怖いので書かないが、社会的に大変価値のある仕事である。人の命を救うことに非常に関わりの低い商品を扱う会社である。
つまり、適当野郎どもがいなければ救われた命があったというストレスにみな耐えきれなくなって心を病んでいくのだ。だからこそ、俺はその現地法人チームに規律をもたらす必要があった。
そういうのなら、増田君が適任だろ、という上司の力強い言葉は確かである。俺は規律を産むことにかけては自信があった。
まず、着任時のスタンスとして「聞かずにやるな」と「その程度のことは聞くな」二つの性質を合わせもつことにした。
インド人は基本的にその場を凌ぐためならばありとあらゆる手段を使用してくる。
だから、とにかく、部下の人格を透明にしていくのだ。混乱をもたらし、人情をもって感情を否定していって完璧なソルジャーに仕立て上げる。それが俺の役目だ。
同時に、メンヘラ人格をしっかりと作り上げ、アピールするのも重要である。
インド人は実は人情的である。非常に。なので、人前で俺は泣いた。
「みんなで俺を出世させない気なんだ!俺が嫌いなのか!俺の子供たちはもう終わりだ!」
楽勝だ。子供なんていないし妻もいないが、インド人は家族の事となるとアホになる。根源的に、家族がいないという概念を理解できない。
子供にはマジで甘い。ものすごく甘い。厳しい人が時々見せる優しさにも弱い。プリミティブな情緒で生きるカスがインド人だ(それを計算に入れて小ズルく短期利益を得ようとしてくる知能があることも忘れてはいけない)。
学校で先生がすねて教室からいなくなる、みたいな手法がやたらと効くのがインド人というみじめなアニマルである。
ただしそれだけだと舐められるので、時にマッチョを見せつけることも重要だ。
相手の価値観を破壊し、思想を破壊するためには必要なことである。Aな人間はBなはずだ、という既存概念を壊していくことで今までの人生経験を否定して人生を否定して人格を否定して、透明で使える人間に仕立て上げなければならない。
いや、人間である必要はない。虫のように美しい機能的な存在へと作り変えるのだ。
そういう意味で人間を人間たらしめる、『宗教』という共同幻想は厄介だ。
俺は宗教が嫌いだ。
そもそも思想だの心の拠り所というものが必要ない。思考だけしてくれればいいのだ。
早く人格や個性を捨てて欲しいのだ。インドの土人共の基本感覚は文字通り地球のゴミことヒンドゥーなのだが、こいつを否定するのはあまりにもコストが高い。
まあ基本的には「君の不利益って全部キミの前世のせいだよね。カスみてえな前世だな」ということをひたすら言い続けるのが有効だ。
勿論直接的には言わない。そういう感覚をくすぐるのだ。あとはカーストでプライドも、同様に「くすぐる」。
インドの会社にはカスみたいな下働きのカスども(トイレ掃除だけするやつとか、社内配送だけするカス。こいつらも自分の下の階層の人間を見下しまくっているのでまさにカス中のカスだ)と比べてお前はどうなの?というのをやるのだ。
これはかなりバランスを考えなければいけない。遠回りにやるのだ。あの人の仕事は丁寧だね(それに比べてお前は)といったように。
リボンをデスクにつけることも有効だった。俺は10個のリボンを部下に配布した。
「最低限の仕事をするたびにコイツをとる。これが全部とれたら一人前」というようにするのだ。
勿論、この制度は部下から提案があったことにする。インド人は基本的に人事評価からなにからなにまで共有する家族的な所がある。
それを壊す意味でも、疑心暗鬼を生み出しコミュニティとコミュニケーションの分断を狙っていかなければならない。
「あいつはお前を陥れようとしているぞ」というのをなぜか嫌うのだ。やつらは。常に即物的思考で他人に迷惑をかけまくっているのと矛盾しないのかと思うものだが、とにかくそういうものなのだ。
加えてプライドの高さを利用するためにもこのリボン制度は有効だった。
要は、リボンが取れてないやつはバカだ、という風潮を作るのである。そして、これはみんなの前では取ったり取らなかったりする。状況や報酬に矛盾が生じるようにする。
「あいつは俺に嘘をついているんじゃないか?」という不和を生み出すことで、横の結束を機能不全に陥らせる。
これにはまともなインド人の協力が必要不可欠だった。仮に「クリシュナ君」としよう。彼は優秀で、俺やお前達みたいな一般的な日本人の規律を多少なりとも理解できる男だった。
俺は彼と親しくすることにした。実際にクリシュナ君は仕事が大変できたので、「なんでこいつみたいにできないんだ」というポジションにつけるのにはうってつけだった。、
同時に、排斥される男も必要で、仮に「サイ君」としよう。彼は仕事はそこそこだったが、とにかく嘘をつく癖がひときわ酷かった。だから俺は彼を徹底的に弄った。
髪型を弄り、顔を弄り、趣味を弄り、学歴を否定し、業務を全て笑い物にした。そのうち、俺と一緒にみんながサイ君を笑うようになった。ゴミ共め。知能がねえからイジメなんかするんだ。
と俺は冷静だったが、とにかくそうやって家族集団の意識を、会社のチームに少しずつスライドさせる、そういう手ごたえを感じていた。
同時に成績も無事に上がり始めていた。当然だ。通常の3倍働いているのだから、業績もその分伸びる。だが、俺は個人的にはあと倍は行けるなと感じていた。
家族と飯食うとか、下らねえ趣味だとか、そういう余計な人生をやっている暇があったらもっと仕事が出来るからだ。
徹底的な監視システムも成功しつつあった。基本的にやった業務は全て写真で撮って送れ、俺は見たものしか信じない、というのを大原則にしたのだ。(これは多くの日系企業、現地企業に取り入れられた)
信じられるのは、ルール、規律、成功、そして俺だけでいい。蜂さんや蟻さんのような、何も考えず何も思わず集団のために無意味に命を捨てられる、美しい生命体になるのだ。
だが、混沌に秩序をもたらそうとする真実と愛の伝道師、ライトサイドの権化たる俺はこの後、ゴミカス共から、何故か思わぬ反撃を食らうこととなる。(続く)
増田あのにちゃんどうでしょ?でも友達って感じにはならないか。顔、なんなら声を隠せるなら世代差のハードルが多少下がるかもしれないけど、世代や生活スタイルの違いがやっぱりネックになってしまう気もする
きっと俺にとっては一生に一度の結婚式の出席になるんだろうな
友達も少ない
「俺、あんな料理初めて食べたよ。めっちゃ美味しかった。ああいうのもあるんだな」
そしたら割とみんな笑ってさ
「なんか珍味食べたみたいなリアクションじゃんw コース料理としてはスタンダードだっただろ。おいしかったけどw」
こんな感じのこと言ってたかな
そのとき悟ったんだよな
俺はもう取り返しのつかないくらいの差が"こいつら"とついているんだなって
別に大袈裟に褒めたつもりはなかったけど、30歳くらいならああいうコース料理を何度か食べてる経験ってあるもんなんだろうな
なんとなく個人店は入りにくいんだよな
でも、30歳までそれ一本ってのはやっぱ異常だよな
そもそも休みの日なんて淫夢動画みるかゲームするかまとめブログみるかしかしてないからな
もう追いつけねーわ そりゃそうだ
行ったことない癖に、温泉とか行ってなにが楽しいんだ?ってちょっと見下す気持ちすらもってるしな
海外なんて怖くて行く気にならないしな 言葉通じないってなんだそりゃ?
音楽も全然興味なくて聞いてないな ライブ行ってる人もなんとなくなんJとか見て一緒にバカにしてるよ
ここまで書いてきたけどまとまらなくなってきたな
単なる自傷行為に近い気がするわ
とりあえずもう俺はこういうつまんない人間として一生終えるんだろうなってことが唐突に理解できてしまったんだ
それだけ書いておきたかった
乙