はてなキーワード: 責任能力とは
元次官という社会的に高い地位を得てそして官僚という立場について世間一般の人よりも広く世間の情勢や政府の政策について知る機会を得ていたのに、警察にも家族会にも民生委員にも精神科医にも自治体にも自治体が運営する施設にもNPOにも相談することがなかったのは不自然極まりない。
他に容易な手段がいくつもある中、敢て殺害という手段を選択したのは、息子の恥を自分の恥と考えて座敷牢への幽閉にも比するべき心理的・社会的な処分に固執した(逮捕当時の供述?)結果、ついに我慢の限界に達して憎しみから衝動的に至ったのであって、極めて無責任かつ身勝手な犯行と言わざるを得ない。
日本の法律は私刑による紛争解決を奨励はおろか一切認めてはおらず、責任能力さえ疑わしかった一人の命が無残かつ安易に奪われた罪は、被告人の社会的責任及び行為能力と比例して重いと言うほかなく、また同様に困難な立場に置かれた若者の中立な第三者としての行政に対する信頼を動揺させ、結果として同様の悩みを抱える親たちが責任から解放される機会の芽さえ摘み取ろうとした責任は重大で、情状酌量の余地はない。
ぜんぜんわからん。
ブロガーHagexさん刺殺事件、『低能先生』と呼ばれた男に懲役18年の有罪判決「理不尽で身勝手」(篠原修司) - 個人 - Yahoo!ニュース
Kracpot こいつは異常だが、ブクマが集団リンチの装置になってるのはその通りで、その自覚ないブクマカ多すぎだろ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4677519995708216418/comment/Kracpot
【これからのフェミニズムを考える白熱討論会 – 石川優実×青識亜論(せいしきあろん)】に登壇した石川さんに伝えたい事 | ろくでなし子 ・ Rokudenashiko
Kracpot 何度も書くけど石川優実は、元売れないタレントでmetooのツイートでバズったからフェミタレントに転向した人。持ち上げるだけ損することになるぞ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4677439854775232514/comment/Kracpot
「殺人はもうしない。出所後はべつの方法を考える」Hagexさん刺殺事件の被告人、再犯の意思隠さず(篠原修司) - 個人 - Yahoo!ニュース
Kracpot ブクマカって自分たちが集団リンチから足を洗うって発想はないの?(笑)命をかけてでもイケハヤやらはあちゅうを叩かないと気がすまないんだとしたらどうかしてるよ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4677371154034747970/comment/Kracpot
「ネットの集団リンチに抵抗」 被告側、責任能力争う姿勢 福岡・IT講師「Hagex」さん殺害初公判 - 毎日新聞
Kracpot 全く間違った認識がスター集めててブクマカの知性を疑う。ブクマカによるイケハヤやはあちゅう叩きをネットの集団リンチとして、それに抵抗してたってことだろ。ブコメが集団リンチかどうかってならその通りだろうな
https://b.hatena.ne.jp/entry/4677095931781035266/comment/Kracpot
はあちゅう、血液クレンジング拡散を謝罪「ステマではない」「何も信じられない」
Kracpot これを宣伝じゃないと本気で思い込めるって凄いな。宣伝でしたってなると仕事として終わるから言えないだけなんだろうけど。とにかくこんだけやらかしてきたんだから、自称インフルエンサー(笑)なんてやめちまえ
https://b.hatena.ne.jp/entry/4677046311437606882/comment/Kracpot
建造物侵入、殺人、銃砲刀剣類所持等取締法違反(事件番号 平成30年(わ)1145号)第4回公判
9時20分
本日の傍聴定員25名、超過すれば抽選、以下であれば定時までに整理券配布に並んだ者がそのまま傍聴できるのだが、整理券配布締切直前に1名超過となる。しかし1名辞退者が出たため抽選なし。
9時50分
905法廷。傍聴席に座席指定はなく、最前列に記者席、向かって右手側に関係者席、その他を自由選択できる。
両脇に被告人入廷。紺色スーツ、ネイビーのネクタイ、黒っぽいセルフレームの眼鏡、ただし足元はサンダル。逮捕直後に報道された姿より体重が落ち、坊主頭がそのまま伸びたような短髪。姿勢が良く、痩せているというより締まっているため、休日にジムでトレーニングしているエンジニア、と言われても違和感がない。
そして目立たなかったが手錠と腰縄、それらを外した後、裁判官と裁判員入場。右手側に検察、左手側に弁護人と被告という配置。
10時
「低能先生と言われるネット上のモンスター」「死んで償ってほしい」
被害者妹の証言。証言席は衝立で囲まれ、被告人からは見えない状態。
終始涙声、「誠意などまるでない」
検察官。
鑑定人に自閉スペクトラムと鑑定されているが、自閉スペクトラムは攻撃性を特徴とせず
被害者参加人。
我が国初の事件であり、ネット上の表現活動に影響を与えることになる
極刑を。
弁護人。
自閉スペクトラムが影響している
汲むべき情状で量刑判断してほしい。私利私欲や快楽目的ではない。再犯可能性なし。真摯に反省している。今後家族の支援監督あり。
被告人。
すべての方々にお詫びしたい、すいませんでした
人生を前に進めてほしい
父に連帯責任は問わないで
以上。筆記メモ難しい。
軽くしてあげることもできない。
生理現象なのでしょうがないし、受け入れるしかないかと思ってる。
でも、PMSがおさまったあとででもいいから「ごめんね」の一言はほしい。
原因がなんであれ、八つ当たりされたりして嫌な思いをすることにかわりはない。
女性が悪いという意味ではなく、PMSをどうにかしろということではなく、八つ当たりとか相手に対してとった行動に対して「ごめんね」という言葉はほしい。
それだけで気持ちは持ち直せる。
「男にはわからない」とか「PMSだからしょうがないだろ」とか、八つ当たりを当然の権利のように主張されるとだんだん受け止める気がなくなっていく。
少しずれるけど、責任能力が無いから無罪と言われても被害者はそれで納得できるだろうか。
そういうことであれば、そんな人にはもう近付かないのが最善ということになってしまう。
つまり、PMSがひどいなら別れたら?っていう話になってくる。
一緒にいようと思った相手がそうなっていくのは悲しい。
「ごめん」の一言は相手を尊重しているという意思表示にもなると思う。
「ごめんね」って言ってきたらギュってしてあげたくなると思う。
おっすおらクソフェミ。しかも昭和生まれ40代ババアだから増田がどうしてこういう思考回路になったのかすごくよくわかる。
ヤングの皆は、亭主に浮気されると「妻として夫を満足させなかったお前が悪い」って妻の方が袋叩きにされる世界とか知らんよな。初めて彼氏と付き合うのでセックスが怖いと考えてる女の子に「早くやらせてあげないと彼氏が可哀想。浮気されても知らないよ」と女が普通に口出ししてくる世界とかね。ああいうの知ってると、増田の発言が正しくないのはわかるが気持ちもわかるぞ。
まあそんな前置きはさておき、折角ブコメが伸びてるんだから、お前らの考える「正しい性教育」ってどんなものかを教えてくれよ。元増田じゃあみんなが「この増田には教育が必要だ」ってブコメに沢山スター打ってるみたいだけど、「ではそれはどんなものか?」と皆で具体的に考える機会も経験もあまりに足りていないじゃないか。いざ機会となっても茶化したりセクハラに走るクソも多く、そういう連中は元増田のような性嫌悪ミサンドリストをますます増やす結果となりなおさら始末に置けない。ぜひに正しい性教育を持って殴り殺すべきであろう。
言い出しっぺだからもちろんこのクソフェミ増田がブレインストーミングの端緒として「今の日本の性教育に足りないなと思ってること」を自分なりにすごく真面目に考えて書いたぜ。ジェンダーに一家言ある暇な人が読んでくれたらうれしいぜ。そして皆も、ブコメでもトラバでもいいから「正しい性教育とはどんなものか」を考えて書いてみてくれよ。
性的な関係は他人の肉体に非常に深く関わる行為である。特にセックスは性病や妊娠といった大きなリスクを伴う。よって合意が必須である。
まず性教育を知らない子供に真っ先に教えるべきは「自分の体も他人の身体も等しく大切なものである。よって他人の身体に触れるには許可や合意が必要で、常に「拒否した側」「合意していない側」の意思が優先されるべきである」ということである。
これは、性犯罪者に狙われやすい子供を男女問わず守るために必要な教育といえる。
「それ自体は」と書いたのは、相手との関係性によっては拒否された側の心が傷つくケースを留意する必要があるからである。ここは年齢に応じた補足が必要であろう。
補足が早すぎれば「相手に嫌われたくないから」という理由で内心望まないセックスに合意したふりをして応じる人が出るだろうし、遅すぎれば一方的なセックスレスでパートナーを傷つける人が出るだろう。増田でもそのさじ加減については正直測りかねているところである。ここらへんは性教育の土台である、自己肯定感のところまで踏み込んで考える必要があると感じる。
また「合意」の定義については、先日の地裁における性犯罪無罪連発においてはてなで大いに燃えたところで、自分でもその定義に断言をしかねる。とりあえず「責任能力を持たない人(子供、成人相当の意思表示ができない人等)」については有無を言わず「合意していない人」にカウントして問題ないと思われる。
前項で書いた通り、性欲を持つことも性的関係を持つことも本来別にクソではない。
その過程において人に合意なく被害を与えたらそれはクソである。両者は全く異なるものであるのに、かつて確かに性加害と性欲の発露を混同し、性加害の正当化に使われてきた歴史があったし、おそらく今もある。
太って成人病になるリスクを承知で沢山食うこと自体は悪ではないが、沢山食いたいからって万引きしたり人の食い物を横取りしたら悪であるのと同じだし、それを正当化するなどもってのほかである。
元増田はもちろんのことだが、ブコメでもトラバでもここを分離できてない人が多数見受けられる。
「生物学的には男性の、女性に対する性欲あるいは性行為自体が性加害/抑圧である」という意見はまだこの混同から抜け出せていないように感じる。「行為の際に女性を蹂躙するイメージで興奮する」のはあくまでも後述するセックスファンタジーであり、プレイの一環として合意を得ていないのにそれを発露することが加害だと自分は考える。
AVやエロ漫画アニメ等のファンタジーを現実の性的な言動に持ち込むべきでないし、逆にそれらのファンタジーを愛好する人が、現実でそのファンタジーを行動に移す異常者であると決めつけてもいけない。
現実に他人をひどい目に遭わせたり遭ったりするのが嫌でも、身の傷つかないファンタジーの世界では過激なプレイに興奮する人も少なくないだろう。だからってその人は別に変態ではない。ファンタジーを現実に持ち込むこと、すなわちその趣味のない人にまでファンタジーを見せて押し付け、不快にさせるのが性的加害者である。
逆に外へ出さぬようこっそりファンタジーを楽しんでいる人からそれを取り上げ、こいつ/この媒体は変態だから滅ぼせと喧伝するのは悪である。ここは主に女性が大いに自戒すべきである。
前述したように、性欲/性行為/セックスファンタジーを身の内で楽しむ行動自体はどれも悪ではない。ファンタジーを伴う自慰は、性欲を他者に被害を与えない形で解消する適切な手段といえる。何度も書くが悪なのはそれを介して他人に被害を与えることである。
ここを混同してしまうと、性欲や性的関係を持つこと、セックスファンタジーを楽しむことを罪と感じる抑圧された人が育ってしまう。抑圧が反動で性的な逸脱、認知の歪みに繋がることもままあるため、この切り分けは極めて重要といえる。
マスターベーションを行う側は「身内(自分自身、あるいは事前に了解を受けた合意の相手)に留めること」、見守る側は「『身内から出すな』という言及以外は避けること」を心がけるべきと自分は考える。
余談であるが「夫が自慰をするのを浮気扱いして許さない妻」がいると聞いたことがある。これは何らかの事情で夫の明確な了解を得られている訳でなければ性的DVである。
具体的に言うと「パートナーのいない相手や童貞/処女を馬鹿にするのはハラスメント。どれだけ沢山の人と恋愛したか、性的関係を持ったかと人間としての価値は『それ自体は』一切関係がない」ということ。
「男はヤッた数だけ偉い」みたいな恋愛工学的価値観を内面化すると、それだけ性行為に至るためのプロセスになりふり構わなくなり、他人へ性被害を与えやすくなる。また性経験のない人間へ本来無用なコンプレックスを与えることにもなる。撲滅すべきである。
「他人(主に女性)の心身を理解しない言動をとった男性」を「童貞」「だからモテない」と罵倒する言動ははてなでも時折見られ、厳に慎むべきである。
まだ他にも書き忘れたことがもしあったら追記していくかもしれないが、今思いつくのはこんな感じだ。
今回の増田は「男性の性欲」と「性加害」をできるだけ切り離すことを主眼として書いたので、その他の部分ではかなり見落としがあると自分でも考えているぜ。
このクソフェミに思い至らない視点からの真面目な言及を待っているぜ。
(追記)
トラバやブコメで意見を聞かせてくれた皆、知識の補足をしてくれた皆、ありがとう。
まともな性教育を受けてない40代クソフェミのワイが自分の狭い知識だけで考えた稚拙な増田に、博識な方や本職の方にまでトラバを頂いて汗顔の至りだが、頑張って書いた甲斐があった。本当にうれしい。
「性教育にはセックス以外にも学ぶべき大事な事が山程あるし、これまで知らない、あるいは見落としていた視点も沢山あった」と改めて気づきを得られるよい機会だったと思う。沢山勉強させて頂いています。
引き続きみんなの真面目なご意見待ってるぜ!
「自由には責任が伴う」というのは単なる「現象としての事実」では? 「かくあるべきか、否か」として扱われている限りどちらの言説にも肩入れできないかなぁ。
私は不自由だと思う。というのは、未成年というのは良くも悪くも責任を取れない存在だから。「責任を取る能力がない」のもそうだけど、それ以前に責任を取ることが立場として許されない。それを自由と受け取るのか、不自由として受け取るのか、評価の分かれるところだと思うけれども。
私が思うに、責任とは自由の根源であるのよな。自由の後に責任が産まれるのではなく、因果が逆。責任があるから自由が産まれる。
ただ世の中には「他人から押し付けられた責任」というのもあって、それは別に果たす必要のないものだと思うけど。それはそれで別の議論じゃないのかなぁ。その時、本題は「その責任とやらは誰の責任なのか?」であって、「彼に責任があるのか?ないのか?」にすり替えるのは議論の大枠からズレてる気がする。
「タトゥーを彫った責任」だの、「エログロを表現する責任」だのがそれ。理不尽な差別に晒された時、「差別を批判する」という責任の果たし方もある。「私にそんな責任はない」ではなく、「お前の責任を放棄するな」と返すべきじゃないのかな。
一方で、これは「自由は必ずしも人を幸せにしない」ことも意味してるのよな。子供がなぜ不自由なのかといえば、そりゃ大概の子供は(よほどの早熟でない限り)責任能力に劣るからだ。「責任を求められるくらいなら不自由である方がマシ」という人は、一定の割合で常に存在すると思う。
人は自分のキャパシティを超えた責任を放棄したがるし、それに伴う自由を謳歌する他人を「不公平だ」と引き摺り下ろしたくなる。キャパシティの大きさは人それぞれだし、「大きいか、小さいか」では測れない連続的な量をとると思う。
社会が自由であればあるほど世の中は弱肉強食に近づくし、弱者に優しい社会であればあるほど監視社会は間近に迫る。でも強者が弱肉強食を望んでいるかと言えば必ずしもそうではないし、弱者だって監視社会の息苦しさに耐えられるわけではない。みんな強者になりたいんだよね。
結局何が言いたいかと言うと、みんな、自分のキャパシティは大きくとれるようにしような。勉強して力をつけような。強く生きような。自分のために。他人のために。
「……君ら、本当にツクヒの見舞いで来たのかい?」
さっきまで穏やかだった二人も、さすがに表情を強張らせている。
まあ無理もない。
指摘自体は間違ってなくても、友達を心配している人間が投げかける言葉としては健全じゃあない。
「確かに客観的に見て不注意ではあったと思うし、こちらに落ち度がないといったら嘘になるけど、そういうことって誰にでも起こりうることだ」
「そう、それを踏まえて対策しない、この国の交通管理にも問題がある!」
とはいえ、この人たちも言ってることが少し変な感じだ。
一理なくはないけれど、何かズレているような気がする。
「生身の人間と車なら、車の方が危険なんだ! そのことを君たちも“自覚”すべきだ!」
タオナケの言葉で冷静さを失ったのか、分かりきったことをやたらと強調してくる。
車が危ないってことくらい分かった上で、みんな今回の件はバカげてると思っているんだけど。
思わずツッコミそうになるが、こんな状況でそんなこと言っても仕方がない。
俺はこの場を静めようと、それっぽいことを言うことにした。
「すいません、タオナケはどうも“PTSD”ってやつらしくて、心にもないことを言っちゃう日なんですよ」
「私、女だけど、“PTSD”じゃないわ! 仮にそうだとしても、そういうデリカシーのない発言はやめて!」
「はあ? お前にデリカシーとか言われたくねえよ!」
だけど慣れない言葉を使って慣れないフォローをするもんだから、余計に収拾がつかなくなった。
タオナケはこちらに怒り出し、俺も売り言葉に買い言葉の商戦に乗っかってしまう。
「ふ、二人とも落ち着いて……あと“PTSD”じゃなくて、“PMS”だと思う」
そんな俺たちをドッペルは何とか仲裁しようとする。
「あー、もう、なんでこんなにノイズばかりになるんだ……」
「なんだ、さっきから“PTSD”とか“PMSって。新しいプレイステーションが出るのか?」
「マジ? オレ一人で食っちまうからな?」
そしてシロクロは茶菓子に夢中。
「うちの子が現に怪我したんだ! 今後そうならないよう、何らかの対策を望むのは親として当然だろう!」
「いや、そもそもツクヒ本人はどう思ってるの? 自分の不注意が原因だって思ってないの?」
「……子供には責任能力がない! だから大人が気持ちを汲み取り、代わりに導いてあげなくては」
それでもツクヒの両親は主張を押し通し続けているし、カオス極まりない状況だ。
「あと、その『私、○○だけど~』って言うのやめろ! 自意識つよ子さんかよ!」
俺の近くにあったコーヒーカップが、ひとりでにパリンと割れた。
「え?……なんだ?」
さっきまでのが嘘のように、室内は静まり返る。
逆に俺たちはそれで我を取り戻した。
ミミセンがすぐさま退散を号令し、俺たちは阿吽の呼吸で頷く。
「おじゃましました~!」
「ほら、シロクロも帰ろう!」
「まだ菓子残ってるのに……」
ツクヒの両親たちは、その様子をただ呆然と眺めていた。
「な、なんなんだ、あの子達は……」
そういう意味ではパクリの有無はさして重要ではないとも言える。
パクリに関しては責任能力を確認する材料程度でしかないと思う。
仮にパクリが真実だとしても放火が免罪されるのでないのだから。
ついでにいえば
「パクリに関する主張が一般人に理解できる程度の考えであれば有罪」
「パクリに関する主張が妄想なら精神鑑定の結果責任能力なしで無罪」
と予想できうる点がややこしい。
「精神疾患」が確かだとして「統合失調」という情報は、どこから来たのか?
(明らかに「統合失調」ならばすでに報道されていてもおかしくはないと思うのだが)
例の5chの書き込みには「思考盗聴」というキーワードが出てくるらしい。
5chの書き込みを本人と仮定して追う場合、時系列も考慮するべきだろう。
現時点で5chの書き込みは2012年頃のものと2018年頃のものが発掘されているようだ。
(※なお2012年6月20日にコンビニ強盗で逮捕されて懲役3年6か月で釈放が2016年)
2012年の書き込みを見るに「あの子」「ここまでの女」「こいつ」と交流があった様子だ。これも幻覚なのか?
しかし2012年の書き込みは逮捕前のものだから「精神疾患」が「心神喪失とみなされる」ほどには進行していないであろう時期だ。
一方で2018年の5chの書き込みには「実体験」のような感じで「うつ病」「パニック障害」「依存症」に言及されている。
それらが真となれば合併症もありうるのでは?
2012年の時点では精神疾患はさほどではなかったが2018年の時点では合併症にまで進行していたのだろうか?
(精神疾患が複合パターンだとすると責任能力はどのように判断されるのだろうか?)
仮にそうだとすれば、うつ状態だけでなく、そう状態もあったのかもしれない。
「依存症」というのが危険ドラッグとかなら幻覚・錯乱(思考盗聴)が薬物由来もありうる。
少なくとも自己認識では「統合失調」ではないと認識していたようではある。
ただ「医師に統合失調と診断された」なら病識欠如だとしても「俺を糖質扱いしやがって」的発言が発掘されてもおかしくはない。
統合失調であるか否かは取り調べ(カウンセリング?)で明らかになることだろう。
ただ「みんな糖質しか知らないから、とりあえず糖質ということにしているだけでは?」とは思う。
個人的には両極端な愛憎の移り変わりという点は「境界性人格障害」の特徴らしく思えるが。
川崎の岩崎容疑者や、京アニを放火した青葉容疑者といった「無敵の人」をこれ以上出さないために、社会は何が出来るのか。
この一週間、青葉容疑者のような凶悪な犯罪者を二度と日本の社会から出さないような社会システムの構築について考えていた。
生活保護などの経済政策をどれだけ進めても、無敵の人は出現してしまうことは、青葉容疑者自身が証明してしまった。
こうなると無敵の人の出現を阻止することは事実上不可能であり、国民一人一人が自己防衛するしかないという結論になってくる。
ここで一つ思い出したことがある。
2001年6月の大阪池田小学校の宅間の事件が起きた時、マスコミが事件関係者にインタビューした時のことである。
約20年ほど前のことなので詳しくは思い出せないが、その時のインタビューされた遺族の言葉をよく覚えている。
「精神障害の犯人を野放しにしてきた警察や病院も許せない」と。
実際には宅間は精神障害ではなく、責任能力が認められて死刑判決を受けたけど。
しかし、2001年当時にしろ2019年現在にしろ、問題を起こしそうな「属性」を持つ人間は監視するか隔離するべきだ、という意見は社会から常に出てくる。
特に大阪池田小事件や京アニ放火事件など、非常事態が起こったときほどそのような本音が顔を見せやすくなる。
精神疾患を持っている多くの人々の大部分は、まじめな人達であることも、よくわかっている。
たったひとりのキチガイの出現によって、その属性を持っている全員を隔離することの理不尽さもわかる。
痴漢被害は男が悪いから男全員は反省しろ、などと叫んでいるバカの異常さと同類であることもわかる。
しかし、この20年間で何一つ変わらない(それどころか死者数では京アニ事件が最多)となると、本気で監視・隔離の是非について議論するべきではないか。
国内最高峰のアニメーターが殺されたからひどい事件なのでなく、単純に人の命を一方的に奪う行為は許されざる事件だ。
それが一人で二人であろうと、交通事故か放火か刺殺か関係なく、命を奪われると言うのは理不尽で許されないことだ。
しかしSNSで見ていると、前述の通り「実績と未来がある若者が多数殺された、許せない」と言う声が圧倒的だ。
それは「殺されても良い生命の種類と数」を無意識に想定していることと同じだ。
それについて指摘したら袋叩きにあい発言の削除にまで追い込まれた。
専業主婦だろうが、正規社員だろうが、非正規だろうが、毎日を積み重ねて生きている。
それを謂われなく奪われる事自体が許せないと言いたいのだが、それは逆に「実績と未来がある若者」が殺されることを肯定しているように取られるらしい。
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もう一つ違和感があると言えば、犯人に関する情報が出されていなかった時、在日、ないし半島の出身者であると断定する向きも多かった。
それだけ一連の騒動で反感が溜まっているのは分かるが、その後、被害の大きさが明らかになるにつれ、犯人を残酷な方法で殺せと言う声も大きくなってきた。また例え心神喪失で責任能力がなくても極刑に処すべきだと言う声もまたよく見かける。
事件の凄惨さを理由に法を超えた処罰を望むのは、まさに情緒を憲法の上に置く国民情緒法に支配されている韓国のやり方なのだが、韓国に反感を持ちながら、その韓国と同じ国民情緒法で犯人をさばけと言う声にも違和感を覚えた。
先進国として、法治国家として、その国民として、法に従って法に基づいて裁かれるべきだと思うのだが、やはりこの考え方も袋叩きにあった。
自分も韓国は反吐が出るほど嫌いだ。盧武鉉時代からの熱心なアンチだ。だからこそ正義と情緒で人をさばく韓国のやり方には絶対に同意できない。
粛々と法にのみ従って犯人は裁かれるべきだし、心神喪失として責任能力がないと判断されれば不起訴になるべきだ。そしてセーフティーネットによって守られるべきだろう。遡及法を作ってまで厳罰に処す等もってのほかだ。
法が間違っているというのであればそれこそ選挙を通じて、凶悪犯罪に対する刑罰を変えることを掲げる議員を国会に送ればいい。
ただそれもどうしても理解されないらしい。
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今回の事件を許されない殺人事件として扱い、しかし特別な事件として扱われるべきではない。
裁きは現行法に基づき公平に行われるべきだ。