はてなキーワード: 調教とは
みなさんが、2ちゃんねるを今でも見るのはなぜでしょうか。
みなさんが、ニコニコ動画から一歩引いたのは何時ごろでしょうか。
ソーシャルサービスの先駆けであり、最も世界で何度も終わったと言われたサイトですが終わりません。
以前より終わった感がありますがmixiより終わっていません。
2ちゃんねるを観測していたとき、ネットコミュニティとしての文化の終焉に何度も出会えました。
2ちゃんねるは、時代によって中心となる板が代わり、中心が動くことを繰り返すことで不死性を持った謎のサイトです。
一番最初は、開始1年目ぐらいでしょうか。その時代の中心は、ロビーといわれる場所でした。
ロビーとは、日常の違和感を一般的な問題化することで、無駄にしゃべりあうための場所です。
基本は今のニュース速報の様なものを考えて貰えば良いですが、取り扱う視点の広さは比べ物になりませんでした。
この時代を知っている人は、有名固定(笑)とか、その辺が懐かしい人もいるかもしれません。
さて、そんなロビーもだいたい一年ぐらいでダメになりました。原因は、マンネリ。
抱え込むネタの広さがマンネリとくだらなさを加速させました。今の嫌儲みたいな感じです。
嫌儲以上にひどい部分は、慣れ合いです。
元々は斬新な視点を提供できる人達でしたが、割に合わない思考を放棄するようになり
顔出しても知ってる固定同士でどうでも良い挨拶と雑談を繰り返すようになりました。
そんな感じでロビーは特筆するような最終回もなく、気が付いたら端にいる板になるようになりました。
その時代の結論は、慣れ合い禁止でした。
内輪ネタによる安易なコミュニケーションは、興味の無い他人にとっては「見てほしい」ネタでしかなく、「見たい」ネタではないわけです。
これを経験してる人やこの血を受け継ぐ人達は、内輪ネタや身内性に吐き気を催すように調教されています。
ちょうど良いので話は変わってmixiです。
「見てほしい」ネタと「見たい」ネタのバランスに対して、革命的な答えを提供したのがSNSです。
mixiのようなソーシャルネットワークサービスは、「見てほしい」ネタでしかない内輪ネタを
興味のある人に限定公開することで、「見たい」ネタに昇華させたのです。
好きな人のおならの臭いなら嗅ぎたい。それがSNSの本質であり、勝因でした。
でも、強引に近づけてしまった距離感が、結果的に息苦しくなり、若者のSNS離れを呼びました。。
mixiなので、四行ぐらいでどうでもいいです。
2ちゃんねるの歴史に戻ろうかと思ったのですが、飽きました。mixiのせいです。
ネタのマンネリ化を防ぐために、外部の時事性に依存したニュース速報。
VIP。作り出すことに徹した姿勢や、「見たい」を拡散したまとめサイト、慣れ合いの回帰。
ひろゆきが「まとめサイト」に対して好意的なのは「見たい」を拡散する効果なんですね。
2ちゃんねるの不死性は、少なからずひろゆきの空気の読み方も影響してたと思います。以前は。
で、最近話題のはてなブログのマーケティングは「見てほしい」を拡散してるんですね。
「見てほしい」を「見たい」に「見せかける」ツールとして利用されたのが、はてなブックマーク。
そこには「見たい」人達が集まる。なのに「見てほしい」人達を流れにのせる。
そんな風に利用されれば、反感を買うのはあたりまです。どちらの彼らのせいでもありません。
「見たい」の正体は、コンテンツです。Web2.0とかそんな時代でもそこが大事でした。
そして、コンテンツがマンネリ化した場合、その打開策として利用されるのが
「見てほししい」の無理やりなコンテンツ化です。
なぜかって?新しいコンテンツを作るより、人の欲望を見える化する方が簡単なんです。
ユーザー同士の関連テーブルを作れば終わりです。
それを体現したのが、ニコニコ動画です。ここまで読んだ人には書かなくても伝わる気がします。
で、なぜここまでモチベーションがあがらないかというと、このネタ10年前にみたとか地獄のミサワレベルだからです。
本来その先に時に生まれた異端児のストリーム論があるのです。Twitterですね。
そのネタもかなり古いですが。ストリームコミュニティの衰退を定義化されてるのはまだ見たことない気がします。
まだ、衰退してないからか?
なんでこんな古いをネタを書いたかというと、はてなブログから、すんごい古臭い匂いがするんですね。
「見てほしい」「見てほしい」文化。下手すると、テキストサイト時代のレベル。
なんつうか、うちらの世界によるtwitterの隔離閉鎖理論が、コミュニティ論そのものを衰退させて
古臭い「見てほしい」論に回帰したように感じるのは、僕の観測範囲の狭さでしょう。
時代遅れのブログでどうするか、無理やり考え出した古臭さこそ、nextネットコミュニティのはてなブログ。
なんかすんごい古い感じの、時代遅れな感じで、ループモノは飽きた。
昔なら衰退のトリガになる「見てほしい」のコンテンツ化が、この時代にどうなるか、というのはなんか少しだけ見守りたいけど。
どっちかという、こんなマンネリ論より、新しいコミュニティ論が見たいです。
下を読んでて思いました。
なんか毒親みたいな調教だな。
それは多分共依存の精神状態ででうんこ食べます、って言ってるだけで全く自発的な発言ではないと思うぞ。
彼女は脳内で快感のドーパミンを発しながらうんこを食しているのか?
お前は彼女にうんこ食べてくれて嬉しい、って一言でも言ったことがあるのか?
違うだろ。
その程度の調教で嬉しがってるのならば恥かしいと思った方がいい。
やっとここまでこれた。
五年前から地道に彼女を調教してきたのだけれど、ようやくここまでこれた。
あの日「うんこ食べろ」と言ったとき、彼女の普段のセックス中には絶対見せない「あきれ顔」をみて、
俺は「よし、こいつに日常的にうんこを食わせる習慣を作ってから結婚しよう」と誓ったのだ。
そう、この話は、俺がようやく(彼女はもう三十路だ)、大学生の頃から付き合ってきた彼女にプロポーズできるという話なのだ。
俺が、なぜ彼女にうんこを食わせるようになったのか、それは大学の頃にインターネットで見つけた調教サークルがキッカケだった。
その調教サークルは大阪で活動していて、インターネットに写真をアップロードしたりしている、ちなみに今でも活動中。
実は最初は調教してもらうつもりで、サークルのチャットに参加したのだが、そこの面々が思いの外軟弱、というか女に対して姿勢が低かった。
(もちろん、今思うと、サド/マゾの関係とチャットのそれは別物であり、彼らは大人としてちゃんとしていた、という話で、俺が子供だった)
昔からイジメる側に回る事が多かった俺は、大学でもその鼻を叩きおられておらず、
「こんなエグいことやってるオッサンもこんなもんか」と完全に舐めきっていた。
そして当然、そんなオッサンの意味わからない命令を聞く女たちのことは、俺の思い通りになって当然だ。
そう感じていた。
俺はその調教サークルのチャットで、ガキながらもぐいぐい参加して、周りを引っ張っていた。(というか、振り回した)
そこではメール調教なんかもやってたんだが、リアリティに欠けるというか、文字を読んでもしょうがねえ、と思っていた。
だから、早くオフ会に参加したかった、けどそんな今思うと空気の読めてないガキを大人の集まりに誘ってくれるわけもなく、
チャットで女やオッサンたちに上から目線で指摘してばかりいた。
「そんなの生温い、俺なら小学校辺りで脱がせる」だの「24時間箱に詰めるだけが何が面白いんだ」だの「時計を飲み込ませる? 意味わからん、どうせ飲ませるなら薬とかにしようぜ」だのだ。
今思うと恥ずかしい。
そうこうしているうちに、気づくと俺は社会人になっていた。
高校の頃から女と半年以上続く事のなかった俺だが、今の彼女とは合コンで知り合って、なんとなくセックスをして
なんとなく付き合うことになり、なんとなく切れることなく続いていた。
それは、ちょうど就活で忙しく、文系特有の過去の引き出しの文章を右左するだけの卒業論文があったりと、まあそれなりに俺らしく他毎に集中していたからかもしれない。
調教サークルの面々とのチャットはすっかり日常的になっており、
その頃には俺の上から目線もなくなってきて、さらに言うとチャットがCGIのそれから、外部に漏れることのないIRCチャットに移行したことで、
逆にそういう「調教」というものに興味を抱かなくなっていった。
そんなある日、調教サークルの面々に、ヤフーブログでやっているある日記を紹介してもらった。
調教ブログ等とは違い、ご主人様は登場せず、その女子高生一人だけの淡々とした日記。
その中でその女子高生は、必死になったうんこを食べようとするのだ。
そんなブログだった。
今思い直しても、本当にそんなブログがあったのだろうか? とわけがわからなくなるのだが、本当にあった。
(釣りかどうかは、よくわからないし、どうでもいい。中身はおっさんだろ? とか当時は言われていたと思う)
ほんの数週間の間更新して、あっというまにヤフーに消されていた。(当たり前だと思う)
だったが、俺はその「自発的」に「うんこ」を「食べる」という行為に、完全に心を奪われていた。
けれど、その女子高生のように「自発的」に「うんこ」を「食べる」というのは、もう完全に俺の思考の外にいた。
なんで命令もされてないし、無理矢理つっこまされたわけでもないのに、うんこを食べるんだ?
バイブだの、露出だの、縄だのじゃない、本物の意味での調教だ。
彼女の価値観を変える、彼女がうんこを食べたいと心の底から思うように改造する。
その一心で、まずは調教サークルのメンバーや、他の調教ブログを読みふけり、色々と研究をした。
結果わかったのは、生まれながらに頭のネジが外れたキチガイみたいな奴が少なからずいて、ブログを更新していた女子高生もおそらくそれだと言う事だ。
つまり俺は、彼女の頭を支えているネジを外してやらないといけなかった。
最初のその結婚を決意させた呆れ顔の日は、無理矢理口を開かせ、口の中に押し込み飲み込ませた。
「ライターであぶられたくなかったら食え」や「針を通されたくなかったら食え」といった、痛みよりはうんこを食べる方がましだと、彼女の頭に思い込ませたかった。
だが、半年たって気づいた。
こうじゃないだろ? と。
この先に待っているのは、ただ暴力におびえて俺の言う事を何でも聞く女だ。
そんなものはこれっぽっちもいらない。
それもあの呆れ顔のままで。
これは彼女にとって幸せなこと(些細なことでいい)があったときは、うんこを食べさせるという方法だった。
本当に些細なことでよかった、彼女は花とゆめという漫画雑誌を買っていたので、毎月5日と20日に雑誌を買って帰ってきたら、うんこを食べさせた。
(この頃はまだ無理矢理だ)
他にも、外食で彼女の好物である鶏皮を食べたときや、彼女の好きなお笑い芸人が爆笑オンエアーバトルを勝ち抜いてオンエアーされた日、
そんな彼女の中の些細な幸せを徹底して、うんこを食べることと結びつけてやった。
やたらとテンションが高い日が続いたと思えば、うっとうしく泣いてばかりいる日が続いたりしていた。
だが、少しでもそうに傾いたら、うんこを食わせた。
そうしていたら、うんこを出さなければ、食べなくてすむと勘違いしたらしく、
身体が便秘症になっていった。
浣腸してやってもよかったのだが、その態度がムカついたので、俺のうんこを食べさせてやったり、
一晩中公衆便所を一緒に回り、うんこの落とし物を見つけて食べさせてやった。
普段の生活の中で、俺に対して厳しくなったのだ。
そう、俺のスイッチが入るタイミングが分かってきたのだろう、そして
「うんこを食べる」ときと「うんこ食べない」ときで、スイッチを意識的に切り替えるようになったのだろう。
俺はそんな彼女の浅ましい態度にムカついた。
とにかく、俺は彼女が「自発的」に「うんこ」を「食べる」人間にしたかったのだ、
うんこ食べるモードに切り替えるのではなく、自発的に自分の力で食べて欲しかった。
幸せうんこサンドイッチ作戦のとき以外、彼女には一切話しかけなかった。
結果としては、これが正解だった。
ある日彼女の方から「今日はお昼の日替わりランチが天津飯だったので、うんこを食べます」と宣言したのだ。
それが、一年前の夏だった。
それ以来、彼女は最低でも月に一回は、自分からそう宣言するようになった。
俺は彼女の中に、うんこを食べることが根付いたことが嬉しかった。
ようやく、結婚できる。
長かった、苦しかった。
でも、すべてが報われたような、晴れ晴れとした気持ちだ。
ここ1週間ぐらいでいくつか目に付いたアイテム課金へのヒステリー反応に対する自称ゲーム開発者の意見について
個人的にちょっと思うところがあったので、自称一般ゲーム購買者として書いてみようと思う。
個人的にはそもそもアイテム課金は「俺は一切払わないけど他人が払おうが関係ない」という立場なので
こういわれても「俺は払わないけど頑張ってください」としか言いようがない。
パッケージゲームにしろF2Pにしろ、俺がアイテム課金に貢ぐことは未来永劫有り得ないし
俺以外のユーザーが払おうがどうしようが知ったことではない。
少子化で市場自体の先細りが確定し、しかももう現実に市場が萎んでる現実を目の当たりにすると
食っていくためには仕方ないのかな、とは思う。
ただ、諸手を挙げて賛成できないのはこのためだ。少子化なんてずっと前からわかってたことだったはずだ。
市場が萎むことだって、現場のスタッフはともかくとして、プロジェクトのプロデューサーやディレクターレベルの人達は
その対策を考えてしかるべきだったと思う。
じゃあ、その対策ってなにか具体的に表に出て来たかな?
既存のゲーム顧客層以外に、新規顧客を取り込むべく打たれた施策って何かあった?
俺にはその辺が全く見えないので何とも言えない感じになるんだよなぁ。
かつてWii市場に従来と違うタイプの新規顧客が大量に到来したことがあった。
目先の事しか見えないゲーマー様は「あんなのゲーム機じゃない」とか散々罵ってたけど
せっかく今までとは違う客層が「ゲーム機市場」というこちら側のフィールドに飛び込んできてくれたのに
ゲーム会社のやったことは、客引きの任天堂の猿真似か、乳児に固形食を喰わせるかのような
あそこできちんと新規顧客を徐々にゲーマーに調教する算段を立てていれば、将来的に他のプラットフォームへ
引きずり込むことだって出来たはずだった。
でもゲーム会社は自分たちの「新規顧客へのアプローチが出来ない」という現実から目を逸らして
その客をみすみす取り逃がした。
国内据え置きゲーム機市場の衰退の根本的な原因は「新規顧客を取り込めないプレイヤーしか残ってない」という事です。
今まで通りの方法で今まで通りゲーム好きになってくれる顧客は少子化の影響で減っているにも関わらず
据え置きゲーム機市場に新規顧客を取り込むことはついに今までかなうことはありませんでした。
Wiiに居たカモの雛は四散してしまったし、PS3ですら今年はハーフミリオンもろくにまだ出てないという惨状です。
GTA5だけはギリいけそうかな?
で、今ゲーム会社がやっているのはスマフォ市場の出稼ぎで得た金をゲーム機市場に注ぐだけ。
それでも新規顧客獲得目指してんならまだマシだけど、やってるのは既存顧客に媚びるだけ。
まぁ、その媚び方も微妙なもんで反発喰らいまくりなわけだけれども。
それなのに「こうしないと食っていけないんだ」とか言われても、同情は出来るけど諸手を挙げて賛成はできないよなぁ。
新規顧客獲得も、既存顧客へのアピールも、両方市場維持には必要ですよね?
でももう、国内据え置きゲーム機市場はその両輪を回すだけの体力がありません。
据え置きゲーム機にアイテム課金やF2Pをそのまま持ち込んだって、市場内での客の奪い合いはできても
だって、競合相手は生活必需品なんだもの。PCにしたってスマフォにしたってさ。
というわけで、詰んでるよね。
http://anond.hatelabo.jp/20130814112912
ある誰かと当たり障りのない会話とするときに使う
どうでもいいことなはずなのに、
たまにそこにとても価値を見いだしている人がいるから面倒くさい。
記事に出てくるボサ眼鏡くん(仮)は、ボサ眼鏡くんが気持ち悪いからであって、
AVをよく見ている人が気持ち悪いのと少し違う気がする。
文脈を追うと、
ボサ眼鏡くんの
・性格が気持ち悪い。
・特に、「暇さえあればクラスの女の子をSかMかで分別しているような」ところが気持ち悪い
・それを「口にも出しちゃう」ところが気持ち悪い。
・SかMかを断定してしまうところが気持ち悪い。
・「世の中の女は、大体おれみたいなSが少し調教すれば全員Mになる」という断定を受けて「ああ、こいつはダメな人だな」と感じた。
・以上を受けて、「ああ、こいつはダメな人だな」と思い、重ねて「未だに上記の男だけは地上から消え去ってくれないかなと思」った。
閑話休題。
AV脳。
AVで起こっていることと、
AVの外で起こっていることを混同している脳のこと?
こんな人が現実と折り合いをつけて生きていけることが信じられない。
日常生活を送っていて、障害が多すぎると思う。
ましてや、元増田さんと同じ歳くらいになれば、
19歳女です。
AVは自分もたまに観るし、それを観る男の人を気持ち悪いとも思いません。
自慰行為をみじめだとも気持ち悪いとも思いません(実際に見たことないからそう思うだけかもしれませんが。)
父親は嫌いですが、中年オヤジ化しているからでもないし、そこに性的理由が絡んでるわけでもありません。
将来結婚するかわかりませんが、結婚相手がAVを持っていたら、多分私も観ると思います。知的好奇心から。
ただ、それとは別で、どうしても気持ち悪い男っていうのはいる。
私が高校生だったころ、髪ぼさぼさな黒縁めがねで身長が低い男の子が同じクラスにいた。
別にそれくらいだったらどこにでもいるんだけど、どうしてもその人の性格だけが気持ちが悪かった。
AVを見てると公言していたわけではないけど(しててもどうとも思わないけど)、暇さえあればクラスの女の子をSかMかで分別しているような人だった。
一度話したとき、「○○(私の名前)はMだよね。なんかそんな感じがする」
「へえ、人間はすべてSかMかで分けれるんだ?」
と聞いたら、
「まあね」
と言った上に、
「世の中の女は、大体おれみたいなSが少し調教すれば全員Mになる」
とも言ったので、ああ、こいつはダメな人だな、と思ってそれからはなるべく話さないようにした。
AVの観すぎか、それかエロい同人誌とか漫画の読みすぎか、多分どっちかだと思う。
私はAVも好きだしAV女優さんも好きだけどフェミニストでもあるので、どうしてもそういう女の人を馬鹿にするような、下に見るような発言をする人はダメで、未だに上記の男だけは地上から消え去ってくれないかなと思う。
そいつはその後、学校で「昨日は何回やった」とか報告してくるような女の子と付き合ってたみたいだった。でもそれでも「世の中の女は、大体おれみたいなSが少し調教すれば全員Mになる」思考は消え去っていなかったようなので、その女の子は勘違いを正してあげれなかったんだな…と思った。
AVも自慰も気持ち悪くないけどAV脳だけはまじで気持ち悪いんでなんとかしてほしいんだけど、現実の女の子とやっても治らない場合があるってことはどうしたらいいんだろうね。
http://news.nicovideo.jp/watch/nw723596?ver=video_q
これ読んだのでメモ、馬鹿が身内受けするためにおかしなことをするのを止めるには教育が大事というお話。
いやいや、馬鹿を教育でどうにか出来るなら人類とっくの昔になんとかしてますよ。
どうにも出来ないから馬鹿なのであってそれはもう人類の総資本を注ぎ込んでもどうにも出来ないんですよ。
例えば、蟻を青く塗るのは一匹二匹なら簡単そうに見えても地球上の蟻全てを青く塗りつぶすなんて不可能だ
バカ数人をていよく調教出来たからって粋がって馬鹿を駆逐出来ると思うほうが馬鹿なのだ。
それでも馬鹿を雇わなければならいとしたらどうするか、そっちを考えるほうが簡単ではないのか?
とりあえず、教育の徹底と厳罰化っていうのはまさに北風と太陽で言えば北風のやり方に見える。
だってそうだろう?罰則を強化すればその分だけ馬鹿げた行為に対する風当たりは強くなる。
それは確かに抑止効果は在るだろうが、それによってゼロになるものではない、馬鹿はそういうたぐいの計算ができないから馬鹿なのだ。
むしろそれによって企業が受けるダメージが倍化したり、バイトを雇うリスクが跳ね上がる。
それならむしろ馬鹿を許容できる社会を目指してほうがいいのではないか?
だってそうだろう?テラ盛りしてバイトがあそぼうが冷蔵庫に入ろうが人が死ぬわけじゃない。
ウチの家の話なんですが、
・母(50代)無職
・私(30)無職
養父は、ギャンブルでお金を稼いで家計の足しにしていると主張していますが、実態は明らかにしないのでわからないです。
母親は、家事をしますが、ひきこもりで自宅警備員です。なので、買い物は養父が行きます。
家計は全て養父が握っていて、強制的に私の収入も全額没収されています。
元々、親が借金をして(名目上は生活のため)、それの返済を私も一緒にするのが当たり前、子どもが家を助けるのは当たり前と教育(調教?DV?)されて育ったので、それが普通だと思ってました。
はっきりいって、自分たちの興味のある物にお金を使い、そして収入を得ることを放棄しています。
食べることにだけ楽しみを見いだし、好きな時間に寝起きし好きな物を食べてます。
我慢もできないので、すぐに感情のママに怒り、他人を批判します。
明らかに自分たち二人では生きていけない状況なのに、親だからといって子どもに甘え、自立しない。先の事を考えない。
自ら生活保護を受け、子どもをとっとと自立させる方が、将来的に両者にとってメリットが大きいと思うのです。
世間的に何不自由のない家庭に育った人には、親不孝だとか親を捨てるとか言われますが、ハッキリ言って親としての義務を果たせていないと思います。
子どもが自立し、自らの人生の基盤を整えた上で、初めて親孝行ができるものだと思います。
なんか文章としてまとまってないけど、私が行動を起こすと、二人の生活はたちまち立ちゆかなくなることが目に見えてるので、情というか罪悪感を感じてしまって、はき出しただけです。
でも、ちょっとした配慮が欠けているために、とても使いにくい機械が まだまだたくさんある。
回数券を買うために5千円札を入れる。「回数券」のボタンと 「1600(円)」のボタンを押すと、かしゃかしゃと音がして、 “ただいま発券中です”などと言っている。
私は、おつりをしまうために左手に財布を持ったまま、 右手で出てくるはずの切符とおつりを待っている。
発券枚数のデジタル表示が1つずつ増えていき、11になったとき、 回数券と千円札3枚と100円玉4枚が いっぺんにでてくるのだ。
いったい、どうやって全部をいっぺんに取ったらいいんだ?
後ろに人が並んでいれば、早くその場をどいてあげたいと思うだろう。 もし、悪い人が狙っていれば、どれかをひったくられる可能性だってある。
でも、3つもいっぺんに出てこられたら、お札を財布の札入れに入れ、 100円玉を小銭入れにいれ、そして回数券を取る、と3つの動作を しなくてはならない。おまけに、左手に財布を持ったまま、 11枚の回数券を右手に持たねばならず、券売機の列を離れてからも 回数券を落とさないように財布をしまうのに一苦労なのだ!
すべての券売機がそうかというと、そうじゃない。 東横線の渋谷駅の回数券の券売機はずいぶん賢い。 発券しているあいだにおつりが先に出てくるのだから…。回数券が出てくる前に おつりを財布にしまい、財布をバッグにしまう。だから、 発券が終わった次の瞬間には、回数券を受け取って券売機の列から 離れられる。
これだって十分めんどうなんだけどね。
今家に自分以外誰もいないのをいいことに、居間のPCで懐かしのエロゲを二時間やってはやり捨てていたのだが、
『体育倉庫物語 ~幼性の夏休み~』のBGMが意外と良かったのを再発見したり。
調教シーンの最中にかかる曲が、川べりをゆっくり歩きながら日差しの下で輝く川面を眺めるような穏やかさを想起させるように、
幼女をなだめて気分を持っていくようなしっとりとした曲で、ああ、この曲良いなぁと思って音量を上げて
まだBGMがかかっていることをようやく思い出した。
PCの前に戻ると、幼女には未だに空気入れのホースがささりっぱなしになっているわけで、
ああ、ごめんなさい、今楽にしてあげるからねとEscキーでとりあえずゲームを終了した。
PCから離れていた間、モニターはスリープモードに入ることもなく煌煌と輝き、
アーンなシーンがブラウン管なら焼き付くほどの時間経ってたわけだけど
ゲームが稼働中であることを知らせるBGMが自然すぎて全く気づかなかった。
ヨスガのサントラを掛けながら、コマ送りで黒い斜が入ったシーンを一時停止したまま
席を立って部屋片付けていたら姉に見られたことを思い出した。
まったく同じだ。賢者タイムには入ってないのに、曲がいいとすっぽり抜けるよね。
オンラインでだけモテる。オフではあまり喋らないし友人もいない
一人、もう何年も、10年近く自分のことを好きだという人がいる。
自分が中二病的に不安定で世界に噛み付いてた頃から、おおむね落ち着いて社会人してる今現在までずっと。
仮にAさんとする。
Aさんは「自分の記憶から消えたくない」「他の大多数と同扱いされたくない」と思っているらしい、恐らく。
自分でも理由が分からなくて気持ち悪いんだが、自分には何故だか求心力はあるらしく、
友人にも「なんだかよくわからないがカリスマはある」と言われた。
というわけで、なんだかよくわからないが周りには自分を慕ってくれる人が結構いるので、
Aさんはその中の一部に成り果てたくない、と思っている。と思う。
恋人になるとかは、どうなんだろう。もう諦めてるのかな、期待してるんだろうか。
俺からすればAさんはもう何年も長い間友人で、大多数なんかでは決して無い。
気持ち悪いくらいチヤホヤされて、調子こいてる俺に、数少ない手厳しいツッコミ、間違いの指摘をしてくれる人間だ。
ここまで言ってくれるのはAさんしかいない。
そらまあ、イライラするときもあるけど、一度深呼吸してちゃんと見直すと、
その馬鹿をもう10年近く見捨てもせずに、成長を促そうとしてくれる。
いい人だと思う。
俺がAさんを恋愛的な意味で好きになることはきっと無いと思う。
友人としては好きだ。
散々、叩かれて叩かれて、自分の根本的な思想すら叩かれても、嫌いになれないくらいには。
「こうしてこんな部分までツッコミくれるのこの人くらいだな」
と前向きに捉えてしまうくらいには。
いつまで俺にこうやって指摘をくれるんだろうか、
一歩間違えば俺に嫌われかねないような立場で俺の尻を叩く行為をいつまでやってくれるんだろうか。
Aさんは俺に何を期待して、そんな泥を被るようなことまでするんだろう。
泥を被っていれば、俺がAさんにいつか振り向いてくれると思っているんだろうか。
それとも、このある種の「調教」で、俺の思想の根本に自分の爪あとが残ればそれで満足なんだろうか。
俺が結婚したりしたらAさんどうするんだろう。
もう何年も前に言ったことだから、今はもうそんな感情は変わってしまったと思う、けど、
未だに昔Aさんが言った言葉がこびりついている。冗談だとは思うけど。
「君に恋人が出来たら、君を殺しにいく」ってさ
でも、30の嫁と結婚したら、一番ピチピチの時期を他の男に取られてて
出がらしのような女との思い出しか残らない
これは悲しすぎる
うーん。元増田は20代が終わった女は「出がらし」と言ってるんで、単純に「体」の話だと思うよ。
いろいろな経験をして、初めて、「思いやり」や「おおらかさ」を身につけるのは、男も女も同じだし。
ちょっと前までは、収入に男女格差があって、20代の男と40代の男じゃ、持ってる金が倍くらい違ってたけど、最近は40代ならお金があるとは限らないし。自分で稼げる女だったら、やっばり若い男のほうがいいんじゃないかな。えばらないし。
「若いほうが教育しやすい」とか「若いほうが伸びる」とか、そういうのも男女差無さそうだし。
最初にお断りしておきますが、これは冗長な私の物語で、あまり面白くないと思います。
数年前、大学の友達から結婚式に招かれ偶然に、在学当事お付き合いしていた男性と再会しました。
私たちは大学の同期生で、お互い異性での恋人関係は初めてでした。二十歳から付き合い始め、二十代の行動範囲はそのほとんどを二人で過ごしました。長く同棲もしており三十代に差し掛かる折、私から別れを切り出し関係を終わらせました。式での再開はそれ以来です。
彼はとてもイケメンでした。収納を気にすることなく服を購入したりするところもありました。再会した彼はさらにイケてる雰囲気が感じられるようになっていました。付き合っている当事から女性にモテる感じでしたが、結婚しているといわれても私は全く驚かないでしょう。経済的に余裕があるからか、自分だけのセンスではなくコーディネートされているような雰囲気もありました。
私には、その時点で結婚を約束した恋人がいました。そこで思ったのです。再会した彼の趣味を知っているし、一番ながく背中を見ていたのは私なわけで、声くらいかけてくるんじゃないか、と。もしも彼が結婚していたとしても、その子は”私の知っている彼氏”と結婚しているのかもしれない。仕事を大成功させ、当時のような気苦労はないかもしれない。しかし私の別れた理由は金銭的な貧困ではなかったのです。「結婚していても昔の異性に交際を目的とした接触を図ろうとしてくる」ような「私の知っている」その人かもしれません。
サークルで少し付き合いのあった友人から、二次会のスタートが少し遅れるので近くのカフェで少し待っていてほしいと指示を受けました。すると偶然にもむかいにそのかつて付き合っていたそのイケメンの彼が席に着いたのです。
「ああ、こういうことか。スタートが遅れると告知した子は披露宴の席でカップルができるとかそういう話の類が好きな子だっけ。」などと過去の記憶と自身の境遇と、「声をかけてくるかもね」の予想が的中した事に哀愁を感じました。
彼は「いま、付き合っている人いるの?」と聞いてくる。まず久しぶりとか変わったねとかじゃないんだ。男女は動物みたいな感覚なんだ。動物として見た上で、久しぶりとか変わったねといった、目的への分岐がでてくるんだ。
「いるよ」と冷ややかに答えて見ると「今日、久しぶりに見たら綺麗になっていて驚いたよ。付き合ってた頃と別人みたいじゃん。こんな○○ちゃんだったら、俺もう1回付き合ってもいいなと思っちゃって。」
挨拶が先でしょうよと失笑してしまい、一言だけ穏便な言葉を出して見た。
「やめたほうがいいよ」
お酒と幸福な雰囲気で気分が高揚していたのだと思いますが、彼は「大丈夫、今の彼氏とわかれて僕と付き合う資格がいまのキミなら十分にあるよ」とかとんでもないことを言い出してきたので、わかっていることをわざわざ話す方法で説教してやろうと思いました。
顔がみるみる青ざめていく様子を見てあら以外、自覚あったんだと思いました。
「どういうこと」
反省ではなく、あげてくるであろう具体例に対して防護措置をとる様子です。知らなかった、解釈がちがうでしょ、など「どう」ゆうことなの、という回避策で質問をしてきました。
反省はないようです。「あのとき借りたCDのことなら」とか「たしかに食器は洗わなかったけど」とか、反省すべき点について自覚がありそれを現在は改善しているということには、なっていないようです。
「あなたは私に何をしたのか、覚えていないの?」
疑問に疑問で返してあげました。最後のチャンスです。もう苦笑も出てきません。
「俺、何した?」
疑問で三回も会話ができるとは大人になって、女性としてこんなに惨めな思いにさせられたことはありませんでした。いじわるをされて、じつはうれしいんだろといわれて、いやがる姿がかわいいとか、実際「キミとの関係で自分だけしかしらない事がほしかった」ということが「男の子の感情表現だったんだ」などと言い訳されているような気分でした。
「聞きたいの?忘れているならそのほうがいいんじゃないの?」
もう性差とか性格差でいいんじゃない?、わざわざ気分だけ悪くしてもしょうがないじゃない?と思いました。
わらってない異性の顔をみて、男性だったら何をすべきかくらい、別れてからの時間でなにか経験しているだろうと期待して最後にチャンスをあげました。
ここでもし「ごめん。昔の俺は悪かった」とでも言ってくれたら、「ありがとう、ごちそうさま」と伝票をおいて「もし私たちがそれぞれだれかと結婚しても、友達でいられるといいわね」と言い残せたかも知れません。
「聞きたい」
とか言ってきました。わたしは心の中で「さようなら」とつぶやいて、それを口から言葉で「長くなるよ」と言いかえて意地悪をいう事にしました。
あなたが私にしたのは、「あんたには性的な価値がない」と徹底的に叩き込むこと。自分みたいな度量のある寛容な男がいたから恋愛をできているけど、本当は市場価値なんかない、むしろマイナスだということ。
付き合っている間中、あなたにブスといわれデブといわれ、友達の彼女と比べられて、「俺にも男のプライドがあるから」っていう理由で友達がカップルで集まる場に連れて行くのを拒否されて、あなたの友達が私のいる前で「(こんなブスと付き合えるなんて)お前凄いわ」ってあなたに言っても、あなたはひとつも怒らず「まあいいとこもあるんだよ、家事出来るし」って言ってへらへらして、友達が帰ったらその日はずっと私に冷たく当たったよね。
二人で働いてたのに家事は全部私がやってたし、ご飯も、あなたは放っておくと牛丼とコンビニばかりで、そのくせそれだとすぐに具合を悪くするから、食費はほとんど私が出していた。あなたは服や本やレコードを大量に買ってくるけど収納は絶対に買わなかった。収納も私が買った。
とにかくくたくただった。仕事がないときは家事、家事が終わって茶の間に戻ると、あなたが自分の好きな音楽や映画をかけていて、全然楽しくなかった。くたくたに疲れてるときに、プログレだのレディオヘッドだのフランス映画だの。私がたまに好きな音楽をかけると黙ってボリュームを下げたでしょう。私はボリュームなんていじってなかった。あなたと同じ音量のままだった。
お金も時間もなくて、元気もなくて、いつもけなされて、綺麗になんかなれる筈がないと思う。
実際は徹底的でもなく、「女性は肉体的社会的にも弱く男に庇護されているんだ」とか自慢げに話していたとか、カップル同士での雰囲気はうちの愚妻がみたいなノリだったとか、二人でいるだけの時間が手持ち無沙汰になるので私はいつもなにか料理をしていたとか、自分の服が多いのは女の子なのだからしょうがないということでクローゼット占領していて、収納を買ってあげたのよみたいにすり替えたり、ラジカセいじってばかりだったけどなにが良いのかわからなかったので「私もそれ、つかってたんだけど」とかいってみました。時間を共有していた人間から過去をかいつまんで指摘され、それが不快だったのといわれると、自身の過去を否定され本人は少なからず自責の念または自己否定につながるということに、成功したようでした。
いまになれば男子のいじわる程度わかる私です。ですが鼻につくチャラさに対して、とび蹴りをする勢いがレディとしてはなかったのでここ数年の恋愛で養ったストレス解消法を試してみたのです。
何をフォローしても取り返しがつかない「時間」という自己への嫌悪感で混乱はしている様子ではあるものの、まだ息がある様子でした。
「うん、付き合ってたときは、俺が悪かったと思う。でも俺も変わったし…」
彼の死にかけの自己愛が伸ばした手を、ついでなので踏みつけました。
「あなたと付き合うことは、二度とないよ」
本当は「あたしも、変わったんだ」と言おうと思いましたがあんまりチャラいので、私は過去からかわっていない、あなたを否定しつづけるだけという生理的に嫌悪感を抱く返答になってしまいました。
「あのさ」
これ以上煽ったら、この人なぐってくる。殴らないにしてもここで奇声をあげられても困る、そろそろストレス解消タイムも終わりかなと思って締めにすることにしました。
「私、もうあなたの不機嫌は怖くないよ。あなたのこと好きじゃないから。」
「付き合ってた頃は不機嫌になられるのが嫌で、何でも言うことを聞いていたけど、もう違うから。」
笑顔で「好き」という単語の音をきかせればその後につづく「じゃない」があったとしても安心するのだろうとは思ってはいました。
若干身の危険を感じて「あなたが好きだったから、嫌われないように我慢した」という言い訳がちゃんと伝わったか二文にわけて、すこし緊張して同じことを二回言ってしまいました。
ダメだったけど好きだったという許容はあるし、いまは「変わった」好きとか嫌いとかいう情動で軽率な行動で出る前に「なにが変化したか」を冷静に判断できるよね、という意思は、伝わったようでした。
「今の彼氏は、いい男なの?」
「うん」
安堵でつい顔がほころんでしまいましたが、彼についてのろけを聞き出されはじめるとまた感情を激化させかねないので、詳細については避ける流れにしたいと思いました。
これで、私の彼氏の紹介はおわり。そして目的である「誘ってきたら説教する」もここで終わりにすることにしました。
「ごめんなさい、最初にあなたが「もう1回付き合わないか」って言った時、「私、結婚するから」って言えば済む話だったのに。何だか自分でもコントロールが利かなくて、長々と酷いことを言って。」
「付き合っても、いいかなーってwwww」というノリが真剣に交際について考える余地を必要とする態度でないことくらいは彼も私もわかっていることなのですがあえて、困惑した状態で判断もできないでしょうから話の流れについて「あなたからはじめたのよ」という責任を明確にする形でおさらいをして終わりにお詫びをいうことにしました。
「あなたを蹴って虐めてストレス解消したけど、悪気があったわけじゃないので、女の子なのでゆるして」という表情で、再会のナンパ騒動はおわりかどうかを確認するために、彼の顔をみました。
「
本当に、本当にごめんなさい。酷い後出しで、今更こんなことを言って。
私、あなたが好きだったの。でも、一緒にいるときは卑屈になるばかりで、勝手に疲れて自爆しちゃった。
次に付き合う人には、うんと優しくしてあげてね
」
などと言ってくれるのではないか、と思っているかもしれません。そう思わせるのも淑女のたしなみです。
イケメンでチャラいだけの低収入なあなたについていって必死に恋愛ごっこをしていた私も悪かったわけだし、と冷静であれば思います。
彼がお手洗いに立った際、お会計を済ませてカフェを出ました。もう言う事はありません。自分が幸せになっていく姿をみてほしいとか、ともに別ではあるけれども幸せになっていこうとか、ぜんぜん思いませんでした。連絡先とかもってのほかです。結局二次会には参加できない結果にした、カフェに来させた友人は、私の結婚式には呼ばないでおこうと思いました。
実際、私がきれいになれたのは彼よりもずっと精神的、肉体的にひどいことをしてくれるご主人様がいたからです。
縄でつるされて豚だとブスだと罵られ身体的にも苦痛を与えられるのですが、そんなお前が好きだと調教してくださるおかげで、身だしなみも振る舞いも一流の女性であろうと心積もりができるのです。
私はブスで何の価値もない事くらい私はわかっています。それを認めてくださりその意味もないものにドレスを着せて化粧をさせてお気に入りに仕立て上げる異常な趣味をお持ちのご主人様が、私にとっても必要なのです。
ブスをブスだと言う事に意味はありません。畑の農作物が土に埋まっているのは自然ですがそのままでは雑草とかわりません。ブスを晴れ舞台に上げてくださるような、植物の根を食卓にあげてくださるような旦那様のプレイがいつまでも新婚夫婦のように情熱的であればと思うのです。
大学在学中から付き合って友人の結婚式で再会した過去の彼は、結婚されても奥様の買い物に同行もしないでしょうし買ってこいと命令される喜びも与えていないのでしょう。私の充実した姿をみた後で奥様を美人ではない、私ほど「痛みという智」を知らない、奥様のお話をほぼすべて聞き流して、結婚生活は概ね幸せ、自分以外の生き物はBGMのようであるとか暮らしているでしょう。
家事をしたり、奥様の行動を毎日褒め、奥様の趣味と同調するようになったり、感情を共有するようになっているかもしれません。
私の楽しみである旦那様におしおきしていただくプレイをされる側と同かもしれませんが、「みたされるのはそれが私自身であるからこそ」私はここにいて良いんだという痛みで心を満足して、相手にも満足をさせているかということが異なります。あのカフェでのお話の後、どんな形でだれかの真似をすればいいのか、時間を戻せばやりなおせるのかなど彼なりに葛藤したかもしれませんが「褒めるのも詰るのも、自分が見た様子や結果」見た目や形式にばかりとらわれている人からは変化がないのだろうなと思います。
「おまえは本当にデブでブスで気持ちわるいが、俺のそばにずっといてくれ」と言ってくれればいいのですが、「ブスでデブで気持ち悪いから、俺しかいないんで価値がない」との、本質的な違いにはきっと気づかないままなのだと思います。
人の見た目や形や行動や評価が「人の価値」と見ている、生まれた無垢な命や気持ちには評価がつかなければ価値がない、どんなにつまらない奥様と結婚されるかわからないけれども「何の価値もないただの女」と結婚するという「何物にもかえがたい価値」を「つまらない女との結婚生活」として「結婚できた俺しあわせ」とか思われるのでしょう。二度と逢わないので私にはわかりません。
今、彼氏に対しては深い深い感謝しかありません。私にだけ、私の芯に痛みを与えてくれる今のご主人様のおかげですべてを忘れることができることを見つけられたから。
下らない話ももう終わりにします。読んでいて私に腹の立った人もいるかもしれません。不愉快な思いをさせて申し訳ございません。読んでくださったすべてのご主人様に感謝します。