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はてなキーワード: 自死とは

2016-10-03

気持ちの整理がつかないので書き殴らせてくれ

夫のことは大好きだ。

そして離婚したいわけではない。

でもすごくモヤモヤするしイライラするんだ。

多分自分に対してイラついていて、それが夫にむかってるような気もする。

主原因が本当に原因なのかもよくわからなくなってきた。

【何に対してモヤモヤするのか】

夫が「家族のことは大好きだよ」と口では言うが、一人になりたがること


→そんなに一人でいたいのなら、私子供連れて死のうかな というのが最近私が思ってること。

【たまには一人の時間ぐらいくれてやれよ】

たまにはいいよな。

でもたまにじゃないんだよ。

うちは共働き子ども(4歳2歳)は保育園だ。

そして夫の仕事夜勤ありのシフト制で土日が必ず休みとは限らない

(土日のどちらかが休みときもあれば両方休みときもあれば両方仕事ときもある)

そのかわり残業はない。

その休み時間を、夫は「勉強」にあてている。土日もね、休みがアレば勉強にあてている。

勉強は家じゃなくてどこかに行ってやってる。(家だと集中できない、というのが主な原因らしい)

【なんの勉強しているの】

英語勉強

【なんのため?】

転職のためらしい。

勉強してるなんて、いい旦那さんなんじゃないの?】

そうだよね、夜勤有りの職場から転職するために勉強している。がんばってるし応援してあげたらいいよねー

【夫の「勉強している」がイマイチ胡散臭い理由

<6年前〜>

結婚から転職のために何かしら勉強していた。(何かは不明。聞いても教えてくれなかった)

自己流じゃなくて学校に通っていたようだ(浮気を疑い問い詰めたところ教えてくれた)。

・ちなみに結婚前に学んでいたことは「簿記」だったことが後に判明するが、2級すらとらずに終わった。

結婚式新生活の準備等々は「勉強してるから」と放っておかれた。(夫は放っておいた認識なし。よくやったと自分では思ってるはず)

勉強のために「勉強カフェ」や「図書館」に足繁く通っていた

・だが、図書館休みの日も「図書館に行っていた」と言い張る事案も発生(一例です)

<4年前〜>

・長女生まれる。育児ノイローゼになる(私が)。

・それでも「勉強してくる」と何処かに出かける事が多かった(何のために何を勉強しているのか具体的に教えてくれず)

育児ノイローゼについては真面目に取り合ってもらえず。「育児が辛いとか何いってんの??」状態だった。

・「子供と二人きりの時間が長いと危ない。早く帰ってきて」とお願いするも、まっすぐ家に帰ってくることは少なかった

勉強のためにどこかによっているらしかった。どこかは不明。何してるかも不明

・夫は自分はイクメンだと思っているようだ。

<2年前>

・次女生まれ

・「勉強してくる」と何処かに出かける事が多かった(何のために何を勉強しているのか具体的に教えてくれず)

・1ヶ月ほど別居。

・夫には別居の認識なし。引っ越し(別居とは別件)等色々大変だったから嫁が実家に世話になっていた認識

引っ越しにより保育園退園せねばならず、子供の預け先がなく、そんななか引っ越し準備などを抱えて実家の世話になる。そのまま1ヶ月ほど実家に居座る)

・別居期間中自発的子供に会いに来てくれることはなかった

<去年>

英語勉強していることは教えてくれた。転職のためだということも教えてくれた。でもなんで英語なの???

英語勉強のため、結構本格的な塾に通い始める

・毎月TOEICを受けていたが結果は教えてくれず

<今年>

英語勉強のため、かなり本価格的な塾に通い始める

・すべてが勉強優先へ。

休み時間はすべて「勉強のため」に使われる

子供と過ごす時間は”仕方なく”作ってくれるレベル

<その他>

家族と一緒に一日過ごすと体調が悪くなる体質のようだ

家族と丸一日一緒にいると、その後必ずどこかしら不調になり、家族との関わりを絶つ行動にでる)

・口では「子供は欲しかった」「家族っていいよね」と言っている。

勉強は「家族幸せに暮らすため」頑張っている(らしい)

現在家族の思い出は、そのほとんどが夫不在で作られている

<疑問に思っていること>

勉強にけっこうな時間お金をかけているが、その成果が全く見えない

→本当に勉強しているの?(身についているの?)

(なお、塾のお金家計からでている)

英語勉強して何になるの?

仕事システム系らしいのだが(夫の勤め先は知っているが、システム屋だというだけで具体的にどんな仕事してるのかは知らない)、その先端は英語らしい。だから英語ができたほうがいいんだって自分もすこしSEOかじってて、SEO話題はまずアメリカ英語)でその話が日本語に訳されてくる図式が思い浮かんだので、そういうことなのかーと思っていた。

で。実際その英語技術書(というか先端技術)を読んでいる(触れている)のか?と聞いたところ「まだ英語勉強中だから」という理由で触れていないらしい。

<疑問から浮かんだ疑惑

勉強と言っているが、本当は一人になりたいだけなんじゃないの?

<そこから離婚でも別居でもなく「死ぬ。」になる理由

・夫のことは大好きなんだ。

・大好きな人幸せ状態を考えたら「一人にしてあげること」だったんだ。























嘘。

あてつけだよ。

「そんなに一人でいたいのなら、どうぞ」

離婚だとだめだ。一人になりたい人を合法的に一人にさせてあげるなんてご褒美でしかないじゃないか




























でも母親自死されたら、子供未来は明るくないだろうな。

子供だけ残されたら、実家にも、子供人生にも迷惑がかかるな。

だったら連れて行ってしまおうかな。

【ここまで書いてみてとりあえず少し整理ついたこと】

・とりあえず育児ノイローゼで初めて味わった「鬱」という状態に、今再び陥っている気がする。


だったら育児ノイローゼとき同様「この気分をやり過ごす」のが一番な気がしている

鬱ってほんと他人からみたら些細な事で死にたくなるんだよ。

勉強でなく仕事だったら?激務でほとんど家に帰らない旦那でも死にたくなるのかな私。

だったらもう、とっとと死んでやったほうがいいんじゃないか?

今ならまだ若いから再婚相手だって見つかるだろうし。

子どもたちも小さいから私の事忘れてくれるし。

2016-10-02

自死って言葉をやめろよ

成人病」を「生活習慣病」に変えた事が、長谷川豊のような自己責任論を招いたという説があったが

それなら現在進行形で進んでいる「自殺から自死」への言い換えもやめるべきだ

自殺」を「自死」と呼ぶことは事態悲惨さをごまかし

まるで安楽死尊厳死のような印象を与えてしま

一見遺族を思いやるようでいて実は国策による「自殺は大した事はない」キャンペーンの一環だと思う

から自死」という言葉は使うべきではないと思う

自殺自殺

http://anond.hatelabo.jp/20160930165132

自死」って死んだ者を慮る言葉なの?逆だと思ってた

あいつが勝手に死んだんだ、社会は悪くない、と言って

死んだ者の苦痛を軽視する言葉だと思ってた

2016-09-30

あなた宇多田ヒカルありがとう

http://anond.hatelabo.jp/20160930010427

私の父は厳格な人だった

ゲームテレビ子供教育に悪いと信じ込んでいて兄である私と弟はただの一度もゲームを買って貰ったことはなかったしテレビも1日の視聴時間が決められていた

お小遣いは定額制ではなく使用用途を伝えその都度貰っていたが、基本的に本や文房具以外のものが認められることはなかった

高校入学した頃には私以外の全員がケータイを持っていたが、私にそれが与えられることは遂に最後までなかった

しかしそんな厳しい父を尻目に小学校高学年までの私はとにかくよく遊んでいた

2つの習い事に加え塾にも通っていたが、休日はもちろん塾が終わった後の短い時間でさえ無駄にすることはない徹底ぶりだった

それが出来たのは、ひとえに母のおかげだった

母は父に内緒でよく私に少額ではあったがお小遣いくれ、時には習い事を休ませたりしてくれた

ゲーム漫画もうちにはなく、テレビ自由には見れなかったが、私はその分友人の家に入り浸って幼いころの自由時間を満喫していた

今考えれば迷惑子供だっただろうと思う

そして中学入学した頃、色々なことが変わった

私は休日に外出するのを禁止された

私は一切それを守らずそれまで通り遊び倒した

父はなぜ言いつけを守れないんだと怒り、私は玄関に立たされた

ふてくされて突っ立っている私をもういいよと中に入れてくれるのは母の役目だった

流石の私も少し堪えたが、頻度は減らしたものの眠ったり仕事をしている父の目を盗んでは遊びに行くのを辞めなかった

父はまた言いつけを守れと怒り、私は玄関に立たされた

母は何も言わずに私を見ていた

父は家族食卓という時間を設けた

私は休日に遊べなくなった分、平日夕方めいいっぱいまで遊び家族食卓に遅れた

父は私の夕飯はないと言い、母も反省しなさいと言った

私は遊ぶのを辞めなかった、決して非行に走ったり学校や塾を休んだりする事はなかったが、遊ぶことは辞めなかった

ある日、母は私に言った、父さんの言うことを聞きなさい、と

それからしばらく経った頃、父は急におかしなことを言うようになった、更に少し経った頃、父は急性アルコール中毒病院に運ばれた

私は怖くなり、父の言いつけを守るようになった、遊ぶことをやめ家で読書をする時間が増えた

それから少しして父は夜中、急に外に出ていくようになった

私はそれを阻止するため玄関に布団を敷いて寝た

父はよく分からない薬を大量に買ってくるようになった

私は父が寝ている間にそれを没収しては机の引き出しに隠すのが日課になった

父は朝早く起きると財布の中身を確認しては金が足りないと言うようになった

私は誰も盗っていない事を証明するため日に1度写真を撮り、父よりも早く起きるようにした

私が父の言いつけを守った時間が増え、習い事の段が上がり、学校の成績が上がる度、父は昔の父へ戻っていき、我が家平穏を取り戻していった

私以外の家族3人に笑顔が戻るに連れ、私の中には私だけが犠牲になっているという思いが募っていった

私は自分の憎しみをコントロールすることが出来なかった、心の底から父と母を憎んだし、休日自由に遊ぶ弟を卑怯だと心の中で罵った

愚かな私は他人気持ちを考える事が出来なかった、自分気持ち正当化するために家族悪者に仕立て上げた

父と母は十分に私を愛してくれていたのにそれを理解できなかった

私には望むだけの本が与えられたし、望んでも通うことが出来ない人間もいる塾や習い事へ行かせてもらったのに、ただ一面だけを取り上げ、事実を見ることが出来なかった

父の症状が殆ど寛解したある日、私は友人と1泊2日の旅行に行きたいと言った、お金のない私のために友人が当ててくれた懸賞だった

父の症状はみるみるうちに悪化していった

私はそれを無視した、頼むから行かないでくれと泣いて頼む母を無視した、兄ちゃん行かないと父さんに約束してと言う弟を無視した

私は母と弟に言った、父の症状が悪化しても毎日寒い玄関で寝て夜中の2時に一度起きてまた朝5時に起きるのは私なのだから、お前らは毎日ぐっすり眠っているのだから良いだろうと

それは事実とは違った、まずそれらは毎日のことではなかったし、母がそれを出来ないのは父の分まで忙しく働いているからだった、弟にも弟の事情があった

なのに私は全てを無視して、他人気持ちを考えず、家族を口汚く罵って、ただ自分が楽しみたいという理由のためだけに旅行へ行った

その日父は死んだ

私が高校2年生の春だった

父は書き置きを残した

私への言葉だった、お前にはもう何も期待しない、自分の好きな場所自分のしたいことだけして暮らせと、そう書いてあった

知人だけでなく親族にも自死だという事は隠した

家族3人しか知らない

父は休養しながらも仕事を続けていたので式は母の想いに反して大きなものになった

私は笑顔で父の生前の思い出を語った、嘘の思い出を、思ってもいないことを、父をなくした不幸な長男面して喋った

私には明確に父を殺したという意識がある

ふとした時、誰かと話している時、急に思う、なぜ親を殺した人間がこんな笑顔で、こんなニコニコと話しているんだろうと

同時に思う、自分はそんな可哀想自分に酔っているのだと、罪の意識など微塵もないのだと、自分が悪いなどとは考えていないのだろうと

しかし、また同時にそんな考えに至る自分に驚く、なぜ一丁前に自死遺族面しているんだと、もしかしたら誰かに受け入れて貰えると思っているのかと

そしてそんな時どうしようもなく自分を殺したくなる、罪があるのなら死ねば良いし、親を殺してなんとも思わないような人間死ねば良い、どちらにしても自分死ねば良いとそう思う

自分が死ななかったのは、その無神経さもあるだろうが

ひとえに母と弟のお陰だと思う

私は父が居なくなった後すぐに家を出た、父の最後の言葉からどうしても父の家を自分が居て良い場所だとは思えなかったか

高校に行きながらバイトをして、大学入学後もバイトを続け、最初に母から借りた引っ越し代や入学時に借りた入学金は全て返済した

お金の返済は、どうしても振込は嫌だと母が言うので現金実家まで持っていった

それ以外にも何かと母は私に実家へ来るよう約束を取り付けた、大学入学後買ったケータイには毎日朝昼晩メールが来た

母は私が死なないように心配していたのだと思う

私は外ではそう出来るように、母に対しても明るく振る舞えば良かったのだが、母と弟に対してはどうしても昔のような態度で接することが出来なかった

父がいなくなった後、私が母と話すときの態度を傍から見ていれば、私が次の日死んでしまっても不思議ではないと思うだろうがから、母には悪いことをしていると思う

でもどうしても、母と弟の顔を正面から見ることは出来なかった

時が経つにつれ私は父への想いよりも生きている母と弟への思いが強くなっているように感じる

おそらくどちらかが、私に父を殺した責任を取れと言えば私はその場で命を断つと思う

そして、こんな事を考えながらも実際の所、私は二人の気持ち確認するのが途方もなく怖い、そう怖いから二人から距離を取ったのかもしれない

今週、そんな私も20幾度目かの誕生日を迎え、母が祝ってくれると言うので、昨日は実家にいた

用意してくれたケーキを食べ母と少し会話した後3人でテレビを見ていると、母がコンビニに行くと言うので、私も帰ろうとした所、引き止められた

弟と二人きりになるのは久しぶりだったし、会話するのはもっと久しぶりだった

弟は誕生日おめでとうと言い、私は驚きながらありがとうと返した

続けて、その…兄ちゃんに俺……と言い出した所で弟は泣き出した

どうやら、ずっとごめんって、と言おうとしているようだった、でもそんな簡単言葉も聞き取るのが難しいくらいに弟は泣いていた

泣きながら、ごめんごめんと言っていた

ごめん兄ちゃんずっとごめん、と泣きながら言っていた

兄ちゃんが家を出て行く時ホントは止めたかった、でも止められなかった、兄ちゃんが俺の変わりに父さんを助けてくれてた、でもありがとうも言えなかった

ホントもっと俺が頑張るべきだったのに、兄ちゃんが変わりに頑張ってくれた、ごめん、ずっとごめんって言いたかった、ずっとありがとうって言いたかった

でも言ったら兄ちゃんが死んじゃうような気がして言えなかった、ずっと言いたかった、兄ちゃんごめん、あの時、ホントは言いたかった、兄ちゃんありがとう

弟が目を手で伏せ泣きながら喋っている間、私は弟以上に泣きじゃくっていた、本当に信じられないくらい泣いていた

本当は弟より先に私が言うべきだった、弟にごめんと、また弟の気持ち無視していた、自分のことだけを考えていた

弟は帰りに誕生日プレゼントをくれた

私はなんとなく何をあげたらいいのか分からないので昔兄弟が好きだったアーティストアルバムをくれたのだくらいに思っていた

http://anond.hatelabo.jp/20160930010427

このエントリーを読んで初めて「花束を君に」という歌のことを知った

しかしたら弟はこのプレゼント話題きっかけにしようとしてたのかも知れないし、単純に私のためにこれを選んでくれたのかも知れないが

とにかく、知ることが出来てよかった

衝動的に書いたので読み辛いだろうけど

ありがとう

追記

昨日発作的にこの文章を書いてから、少し後悔していました

笑われるでしょうが、朝起きてお昼を過ぎるまで、このページを開こうと思う度、激しい震えと動悸に襲われ開く事が出来ませんでした

父の事を誰かに話すのは、どんな形であれ初めてだったので、何と言われるのか本当に心底怖かったからです

意を決してこのページを開き、はてなブックマークコメントを読んで、また10分程泣いてしまいました

おそらく他の方には何気ないコメントだと思いますが、私にとってはそのやさしい言葉の一つ一つがどうしようもなく嬉しいものでした

結局の所、私はあなたは悪くないと、あなたは生きていても良いんだよと、そう誰かに言ってもらいたかっただけなのかも知れません

もちろん当人にとってはそんなつもりは一切ないのかもしれませし、自分気持ちを本当にこんな簡単言葉で表す事ができるかは分からないのですが

今はただ、弟と宇多田ヒカルさんとコメントをくれた方、皆さんから勝手にそんなメッセージを貰ったつもりになってとてもうれしい気持ちでいます

改めて元の記事を書いてくれた方と宇多田ヒカルさんへ

そして優しいコメントをくれた皆さんへも

ありがとうございます

http://anond.hatelabo.jp/20160930010427

自死」とか言って先に死んだ者を慮ろうとするから遺族が無意味に重く受け止めすぎるのかもしれないな。

自分勝手に死んだやつは落伍者卑怯者だと蔑むくらいでちょうどいいのかもしれない。

三原順の「Sons」という漫画の中で、自殺した従兄弟(だったかな?)のその意図を探ろうとして主人公精神を病むというのが後半の展開になるが、「愛って… すごく不気味だね どこにでもゴロゴロしてて… それだけで何でも出来てしまえるなんて とても…気持ち悪くない?」というセリフがあった。

愛ゆえに死に振り回される人々の悲劇を描いた作品だが、俺はむしろ上のセリフに続く部分で率直な愛情のあり方を感じたね。

とても面白い漫画なので読んでみてほしい。

2016-09-28

言葉狩りという言葉は好きじゃないけれど

自殺自死と呼ぶのはどうかと思う

自死だとまるで寿命老衰とかそういうニュアンスを与えちゃうじゃないか

まるで悲惨事実を最小化させて自殺問題視するのを防ぎたいかのよう

自殺文字通り自分を殺すから自殺な訳で、そこには能動的な行為があるんだから自死」では違和感がある

2016-08-29

他人自殺を「迷惑」という人

先日起きた表参道ヒルズでの飛び降りに関して、「迷惑だ」という意見を何人からか聞いた。

その場にいた人の心理的負担経済的な損失を考えると確かに迷惑な側面もあるが、

人の死をお手軽に「迷惑だ」などと断罪する人間とは仲良くできないなと思う。

しょっちゅう起きる人身事故のせいで感覚がマヒしているのか知らないが、

自死を選ぶ人間には相当な葛藤があったと思うし、

その苦しみを考えると簡単に「迷惑だ」などと言う気にはなれない。

いつか自分が踏み外して、その「迷惑」とやらをかける側になるかもしれないとか、

そういうことは考えないのかな。

2016-08-06

カムアウトは自分のため。でもそれは暴力ではない。

http://anond.hatelabo.jp/20160806123148

同意できる部分も多いけど、少々偏見がつよいので気になった。

カムアウトって誰のためにするの?

自分が楽になりたいだけだよね?

自分が楽になれば、それを聞かされた人が思い悩んでもいいの?

>そんな自分勝手理屈がいつの間にか「正しい行為」として推奨され、

 

カムアウトは自分のためにする行為だと思う。それは間違いない。

ただ、誰彼構わずカムアウトしているわけではなくて、信頼関係ができてきた相手にのみする人が多いのが多数派だと思う。

これは同性愛に関わらず、一般的マイノリティである秘密を打ち明ける場合にも同じ。

言うことで相手負担をかけてしまうかもしれないけど、親密だからこそ言えるというね。

この行為自体は悪いことではないと思う。

それと、カムアウトすることが正しい行動として推奨されているわけではないよ。

ゲイ世界にもカムアウトに関しては意見が分かれる。

彼らがパレードをするのはそれを推奨するのではなく、マイノリティが身近であることを主張するためであり、

今回の事件パレードは全く無関係

 

 

あなた男性だった場合、それは「あなたのチンポをしゃぶりたいんだ。

>できればあなたのケツにも入れたいんだ。

>(もしくはあなたのチンポをケツに入れて欲しいんだ)」を意味するのですよ?

 

この部分はゲイに対する偏見もいいところ。

あなた認識が単純にまちがっている。

ゲイでも性行為をしないカップルも少なくない。

それはノンケメンタリティ理解しているからだ。

それに対し、そういう下衆な表現に置き換えるのは悪質であり偏見助長するものしかない。

女性告白する場合、「あなたマンコをなめ、できればマンコに挿入したいんだ」を意味するかといえば、

そういう短絡的な人間も少なくないだろうが、否定する人間も多いだろう。

 

 

>今回の件で、とあるブコメが「こういうケースを積み重ねて

世間理解が浸透していくんだろう」みたいなこと書いてる人がいた。

>ひとが一人死んでるのに、理想的社会形成するための

>捨て石のように考えてるんだと思ってゾッとした。

 

これを捨石と捉えるのは曲解に他ならない。

物事には様々な側面があって、そのブコメはある1部分にフォーカスしたにすぎない。

たった100文字コメントでどこに焦点を当てるかは人によってことなるが、

そのブコメ意見はまちがっていると思う人間がどれだけいるだろうか。

  

 

確かにゲイ文化の中にカムアウトを推奨する人たちがいるのも事実

彼らもまた短絡的に自分がうまくいったという経験則を、似ている人間集団になることで強化し自己肯定感を得ているだけの人間も少なくないだろう。

ただ、当事者想像以上に考えている人間もいるのだ。

彼らは精神的に追い詰められやすく、通常では耐えられることも自死の引き金に感じてしま場合がある。

なので、当事者としての願いとしては、なるべく彼らに刃を向けないであげてほしい。

考えている人間は考えているのだから

http://anond.hatelabo.jp/20160806192806

ああ、この意見で整理がついたよ。

 この事件ゲイかどうかは関係ない、んだな。

分けて考えるべきなんだ。本人にとってバレたら死にたくなる程の秘密を持ち掛けられた人間と、重かった所為か話されてしま自死した人間がいた、ってだけの話か。

 その秘密に対する世間認知はまた別の問題。禿頭でも厚化粧でも同じ事は起こり得るし、それを世間がどう見るかを一緒に話しても混乱するだけだね。

引っ掛かりが取れるヒントになった。ありがとう

2016-07-16

何十年も躁ヒスソババアして迷惑かけた癖に、薬と痴呆勝手に穏やかになりやがって、何事もしてこなかった顔をしているなんて許せない

そんな奴に名前を忘れられたことで、ショックを隠せなかった弱い私が許せない

感情に利害を左右されたくない

無関係他人の死に無関心でいたい、利のある死を喜んで受け入れたい、成年後見人を選ばず自死をしたい

2016-07-14

日本の家庭の6割が生活苦しいとの報道に、なぜ死なないのかという問いかけがなされていた。

これにたいする個人的意見

ひとりなら自由にやれるだけのことをやり、さいごは自死もいい。

だが私には家族ねこがいる。

かれらを私個人判断で遺棄も処断もできない。

年老いた家族に、稼ぐために単身引っ越していいかと聞いたら、行かないでほしいという。当然だ。

ねこたちは私を頼ってくる。子育てに死にものぐるいのお母さんねこを、こどもたちまるごとひきうけた。

おかあさんはそのことがうれしくてうれしくて、わたしのことが大好きなんだ。

かれらを幸せにするために、わたしはがんばって働くと決めた。

もと最高学府研究者で受賞歴もあるが、そんなもの田舎の片隅では何の役にも立たない。

田舎で金になる資格といえば組立工の経験とか溶接とか汚水処理とか調理師のたぐいで、ようするに私には存在価値がないらしい。

しかしさいわい、芸術の才能とキャリア、それなりの手に職もある。

これだけを頼みに、身の回りの命を幸せにする。

死ねば楽だろうとは思う。

でも家族ねこのため、楽になるのは後回しだ。

私は生きる。

まけるもんか。

2016-07-13

明治大正昭和平成改元

天皇が死んでることもあって自死する意味もあったろうが

平成から次は別に天皇死ぬわけではないか

自死するにしても釈然としないところがないでもない

ただ区切れ方が他よりすっぱりしてるとこがあるから

どちらともいえない

2016-07-04

家族存在意義

子供が生まれて一ヶ月になる。妻は外国人で、俺らは海外に住んでいる。

妻はシングルマザーで連れ子がいる。俺になついているので全く問題はない。

妻の母ちゃんが子育て全面的に手伝ってくれている。手伝ってくれているというか子育て家事の中心は妻の母ちゃんだ。

俺が住んでいる国は日本と違って社会保障が弱い。働けなくなった老人は基本的子供に面倒を見てもらう。

面倒を見てもらう子供がいない老人は浮浪者になり、最終的に餓死するか精神的に追いつめられて自死する。

からみんな子供を生むのに必死なんだけど、それは別の話題なのでここでは割愛する。

妻の母ちゃんももういい年だし、失業率の高いこの国ではいい年の女性の働き口なんてもの存在しない。

要するに無職だ。年金はあるけどそれだけで生活できるような金額ではない。

それで、母ちゃんの生活全般を面倒見る代わりに子供の面倒だとか家事全般を担ってもらっている。

日本だと社会保障がしっかりしているし定年後にも働き口がないということはないから、親が子供に養ってもらうことも、子供が親に家事を手伝ってもらうことも少ないと俺は思っているし、それは本当はあんまり良くないことなんじゃないかと思ってる。

社会帰属していたとしても、それだけで生活できるような環境ではないが故に人は家族をつくり、家族で助けあって生きることになる。しかし、社会が個人をしっかりと保障するならば家族は助け合う必要がなくなる。

その状況において家族とは、単に面倒な相手集団になってしまう。子供が宝なのは将来自分が稼げなくなったとき保険からだ。

からといって子供がいる老人には年金支給されなくなるような未来は、老人が死ぬ気で反発するだろうからたぶん起きないだろう。

そう考えると日本はどんづまりな気がする。どうするべきなんだろうか。

2016-06-04

社会的死が生命の終わりに直結する首輪があればいいと思ったけど

コミュ障社会から自動的排除される仕組みにしては

大事になりすぎる首輪

誰かを害するコミュ障からといって自死するあれがない人を

こうやって穏当に退場させることが出来れば

世界はまたひとつよくなるはずだった

2016-04-20

kabaちゃんについて

kabaちゃん性転換したようですね。おめでとう。

でも、テレビで性転換直前の整形報告の様子を見たけど、彼女自分女性性に固執するようになっていたので心配だ。

(それを強く表しているのは https://www.youtube.com/watch?v=5Msm9QXpsWY の4:10あたりから彼女の様子だ)

ガルチャンでは

「どんだけ整形しても女装した男性しか見えない」

若いから性別移行している子と完成度を比べて整形を繰り返してしまうんだね、かわいそうに」

理想が高すぎる」

などと女性から残酷コメントが並んでいた。

彼女はこういう現実を受け入れられるのだろうか。

整形もして、性転換もして、実質可能な対処はなくなってしまった。

対処がないということは、その面において希望を失うことに等しい。

よく、女性ホルモン精神不安定になり自殺する人という言説を目にするが、

経験上、ホルモン自体効果よりも、対処策がないという絶望感こそが自死へといざなうと私は思う。

差別撤廃の動きのもと、建前と反対の悪意がひしめく中で、自己否定・周囲の拒絶・街にとけこめない自分・異質な自分

コストをかけたのにもかかわらず報われない惨めさ・ルッキストによる蔑みなど。

単体では大したことなダメージでも、蓄積すると自分存在肯定できなくなる。

そういった闇に飲まれないように、いや、飲み込ませないように、

多くの人が悪意を浴びせることを抑えて欲しいと思う。

また、思ったことを正直に言うことを正義と信じる偏狭子供(年齢にかかわらず)にも同じことを望む。

リスクをとった彼女にはその分幸せになって欲しいと心から願う。

2016-04-19

もう疲れたよ、パトラッシュ

  

誰しも、そういう気分になるんだろうな。

人に自分気持ちを話しても否定される感が強くて、何も言えなくなってしまっている。

  

「人と人とは助け合っている」って言われても、助けられるほどの価値自分にはあると、思えない。

自分感情については、傷ついていると言うことを抑圧されて余計に自分でも抑圧するクセが付いている。

  

心理的な面だけでなくて、スキル的に上手に甘えるというのか、人の同情を誘うような話し方も下手で、

心療内科カウンセラーの人にも、たしなめられる。

『そういう言い方では、増田さんの気持ちは、相手に(私にも)伝わりませんよ』みたいなことを言われちゃう

その数ヶ月後のカウンセリングにて『増田さんは、深く傷ついている』とも、言われたりした。

進歩は少しは、しているんだよな。  

  

若い間は、力押しというのか『自分は出来る』とか、言い聞かせてなんとかしたが、

多くの失敗体験家族自死によって、それでは、自分を保つことが出来ない感覚だ。

心も身体も、自分メーターのリミットを超えていたみたいな感覚だ。

メータ自体がないことにして、すり切れた状態で走りきってきた。

  

根性だけでは、乗り切れないから工夫をする、別の視点を取り入れる

ということに気がつきつつはあるが、何から始めたら良いのか。

  

その状況を、増田に書いて、気分を落ち着けようとしている。

  

  

  

2016-03-07

障害をもって生まれたけど死ぬべきなんだろうか

http://anond.hatelabo.jp/20160229202916

を読んで

自分障害をもってうまれた。この方の子供ほどではないにせよ父母には苦労を掛けている

もう20を超えるというのに未だ自立できていない。というよりできない。

これをよんでいるとなかなかこみ上げるものがある

いつも両親は愛してくれていたが、裏ではどれほどのものを諦めたのだろう

旅行にいきたいといっていたな。ツーリングにいきたいといっていたな。

それも、わたしが、いたから諦めざるを得なかったんだろうか

それを、黙っていてくれたんだろうか

もう、20を超えるのに、親に対する孝行が自死しかないんだろうか

2016-02-21

自死することすら許さないってある意味究極の自由剥奪な気もする。

2016-01-29

何が先進国若者テロリストへ変えるのか

 20世紀初頭、英国経済学者であるケインズ卿は、主著の中で「考え方ほど強力なものはない」と説いた。つまり、人の行動要因のうち、最も影響力が強いものは、外部的要因よりもその人の内部要因、すなわち考え方だというわけだ。

 ひるがえって現代英国では、中東出身者の2世3世となる若者たちイスラム国(という名のテロリスト集団)へと帰属すべく、混乱を極める中東へと世代を超えた里帰りをしている。こうした若者たち常軌を逸したテロリスト集団に忠誠を誓う要因は何だろう。ある人は欧米社会における中東系への差別が原因であるとし、ある人は貧困が原因であるという。しかし、これはあまりにも皮相的な見方ではないだろうか。どの国にも貧困差別存在する。それにも関わらず、なぜ一部の人々、特に豊かな先進国若者海外の狂信集団への参加を企図するのだろうか。

 ここでケインズ卿の金言を思い出してほしい。何よりも人を駆り立てるのは考え方だ。もちろん、乾燥した砂漠地帯へと向かう若者たちの中には自意識をこじらせ、過激思想に染まった狂信者もいることだろう。だが、その多くは渡航直前まで通常の市民生活を送っていた一般人である(と報道されている)。ということは、通常の市民生活に浸透するごく一般的常識の中にこそ、彼らを破滅的な行動に追い込む何かが潜んでいるとは考えられないだろうか。

 健全若者たちを追い込んだもの近代社会の「一般常識」とは、「人は役に立たなければ生きている価値がない」という考え方だ。このあまり妥当に思える考え方にこそ狂気が秘められている。

 中東渡航した若者の多くは、同国の他の若者と同等の高等教育を受けており、言い換えれば社会的に役立つ(と見なされるべき)存在である。彼らは教育によって社会常識能力を身につけ、社会への参加と貢献を望む(ごく健全な)精神性を身に付けていたはずだ。だが、彼らはその意欲と能力を十分に活かすことが出来ない環境下にある。

 無論、こうした差別貧困けが問題ならば、例えば南米東南アジアスラム民のごとく、それを人生既定路線として別の生き方適応することも出来ただろう。だが、彼らは私たちと同じように近代的な市民としての精神性を埋め込められた「一般人」なのである

 資本主義であれ社会主義であれ、近代社会おいて市民は、「人の役に立たなければ生きている価値はない」と考えられている。言い換えれば、人の役に立つことが人生意味・意義・目的である。それは経済活動本質でもある。だが、英国をはじめとする欧米社会は、中東系の若者たち近代市民としてごく一般的健全希望を満たすことを許さなかった。結果として「人の役に立ちたい」という健全な欲求は、全く不健全狂気の塊とでもいうべき集団への参加・貢献へと姿を変えてしまう。なぜなら、イスラム国はそうした近代市民として望ましい欲求の全てを満たしてくれるからだ。

 あなた人生には意味がある。あなたは人の役に立つことができる。あなた必要とされている。だからこそ、私たちに参加・貢献してほしい。

 こうしたメッセージ実存的な欲求を満たせずに鬱々とした日々を過ごす若者に届き、その心の隙間に棲みついたとき、彼らを押しとどめる要因、すなわち彼らを暴走させない「考え方」を欧米社会提供できていたのだろうか。事実イスラム国はすぐれて近代的な精神性を持つ集団であり、表面的な暴虐性と狂信性を剥ぎ取れば、そこにあるのは英国と全く同様なもう一つの近代社会であり、宗教というフックによって近代市民を惹きつける別種の帰属集団たりえるわけだ。よって、若者たちの豊かな社会から貧しい狂信団への「宗旨替え」という一見奇妙な現象は、単純に欧米社会の失敗と敗北の証左なのである

 ところで、これは私たち日本人にも無縁の問題ではない。むしろ喫緊問題でもある。中東系の若者には(擬制はいえ)神への信仰が残されているようだが、私たちには一体何が残されているというのだろうか。この社会による無言の死刑宣告に抗うため、私たちにはどうふるまう余地があるだろうか。自身社会的価値の欠如を自覚し、世間という名の集団圧力に圧迫され、閉塞し、窒息したとき私たちは静かに(そう、「誰にも迷惑をかけない」ように!)命を棄てる道しか残されていないのだろうか。

 かつての武士階級にとって自死は、名誉を守る行為だ(という共通理解があ)ったが、近代市民たる私たちにとっては疑いなく、何の疑いもなく、言葉通りの犬死でしかないだろう。それとも、これも一つの考え方に過ぎないのか?

2015-09-16

結婚子供を作るための前段階なのか

長いので長文読むの嫌いな人はそっ閉じ推奨。

最近増田界隈で結婚というか子供の話がホッテントリ入りし始めて久しいので

結婚しているが子供のいない共働き夫婦である我が家の話をしようと思う。

子供がいないのは単に今までできなかったというだけのことだ。

できなかったけれど、お互い子供に関しては「いてもいい、いなくてもいい」というスタンスだったので

特別不妊検査をしようとか不妊治療をしようという話にもならなかった。

本当にどちらでもよかったのだ。

「いてもいい、いなくてもいい」などと表現すると、

結婚したなら子供は必ずつくるべきでしょうが派」の文章の主旨を読み取ることが苦手な人から

鬼の首を取ったように責められそうなので一応解説しておくが

「できたなら頑張って育児したよ、でもできないからといって頑張って作ろうとは思わなかったよ」

という意味なので、曲解されぬようお願いしたい。

子供のいる知人友人と子供を交えて会ったりすると「子供やっぱりおもしれえな」と思うし

はてブホッテントリ入りしたエントリにつくブコメを読んでも

未知ながらもやはり子供がいたら楽しい嬉しいということが多いのだろうなとは思う、

経済的にも肉体的にも大変だというのは大前提として。

なぜかリアルな子持ち友人知から子供を持つことは勧められないが

不妊で悩んでいる夫婦も多かろうから気を遣われているのかもしれない。

はいえ、やはり勧められようが勧められまいがスタンスは変わらず

いてもいいしいなくてもいいと思っている。

子供コスパ増田で「自分子供を持たなかったのに老後は誰かの子供の世話になるんだろ?なら叩くよ」

という主旨のブコメが沢山のスターを集めていて戦慄した。

このブコメをつけた人、それに賛同した人は、病気子供を持てなかった人や

結果的に未婚で過ごすことになってしまって老人になってしまった人たちについてはどう思っているのだろう?

「その人たちは仕方ない」?「仕方なかった人たちなのだから許してやる」のだろうか?

万一、我々夫婦にこの先も子供が出来なかったら、この人たち(恐らく子持ちの人たち)に

許しを得られないなら、この先ずっと叩かれながら生きていかねばならないのだろうか?

子供を持たないというのはそんなに罪なことだろうか?

確かに、種の保存という観点からいえば、子供を持たない・持てない生物は生きている価値がないともいえる。

しかし我々は人間だ。人間は、脳の発達・文明の発達に伴って「生きる」ということに繁殖以外の目的を見いだしてきた。

それは我々が文化的生活を営む「人間」だからだ。

そもそも子供を持つというのは、繁殖期をとうの昔に失った「人間」にとっては本能ではなく文化的活動だ。

人がその人の人生を生きるための考えとして、子供を持つも持たないも、いずれも認められて然るべき選択肢だと思う。

それを他人に責められる必要も、他人に叩かれる必要もない。

「俺いまニートだけど親死んだら俺も首くくるわ」

と言う人がたまにいる(ネットに)。

彼が本気かどうかはわからないが、日本ニート人口2014年調査で56万人らしいので

どうしても働くのがイヤであるだとか、身体的・精神的な事情で働けない場合

彼らの親御さんが亡くなり経済的な支えがなくなった場合

(そして彼らが生活保護を受ける権利を知らなかった場合

自死という選択をせずとも、そのまま亡くなってしまわざるを得ない人は少なくないように思う。

働けるのなら働けばいいのに、とは思うが、私には彼らを責める気はない。

親の金で楽して羨ましいなあ」とは思うし僻みもするが、責める権利はないと思っている。

自分の選択を他人から責められたくないのと同様に、他人を責めるのも嫌なのだ

自分は責められたくないが他人は責めるよ、というのは卑怯な気がするのだ。

多様性が認められているように感じられていたはてなでさえこの有様なのだから

それが世間にまで広がるのはまだまだまだまだ時間がかかりそうだ。

自分マジョリティな選択をしている可能性があるからというのもあるが

みんなが世間の顔色を伺わずに、好きに結婚したり結婚しなかったり

子供を持ったり子供を持たなかったりして

もっと多様な考え方を受け入れられる風土になればいいと思っている。

2015-09-12

http://anond.hatelabo.jp/20150912234056

毎日自殺したい」の?それは自死したい(死にたい)ってこと?

なんとなく,いまの環境から消えたい(逃亡したい)って感じがするけど(勝手な印象ですが)。

2015-08-22

担当医の診断書を見て通院したくなくなった

病名

うつ状態

パニック障害

「外出困難で無為に過ごすことが多い。

多彩な自律神経症状を伴い罪悪感が強い。予期不安希死念慮がみられる。

薬物療法としては抗不安薬(BDZ系)を受け入れるのみで全ての抗うつ薬についてはその後の身体変化を副作用として解釈し、服薬しなくなり、治療に抵抗を示す。

パニック症的な要素が強く認知行動療法を行っているものの、これが効くのかという不安が強く遅々として進まない。

今後は支持的・受容的に傾聴していきながら不安・抵抗を少しずつ和らげる予定」

きょう、診察後にロールシャッハテストを1時間受けてきた。

その後、受付でこの診断書裸のままで確認を求められた。

受付「お名前とご住所生年月日これでよろしいでしょうか?」

私「はい

受付「封はされますか?」

私「いえ、そのままでいいです」

受付「え・・・でも・・・?わかりました(笑顔封筒にお入れするだけにしときますね」

書かれた内容をじっくり見てみようと思ってそのまま密封されない診断書を手に取って、帰宅

予約制で人がまばらな精神科なので、この受付嬢にも心理検査中の1時間ほどこの内容を吟味されてたんだろうなと思うとせつなかった。

パニック障害うつで2年ほど通院しているが、このたび、会社診断書を提出することになって医師診断書を書いてもらった。

私の通う精神科では、マスクを鼻の下までかけて顔を隠す受付の女性2人がいつもいる。

診察中や受付する患者がいない時は大きな声でぺちゃくちゃしゃべって愚痴文句を言ってる若い人たちだ。

この人たちが、これを読んだのかと思うといい笑い話とネタなんだろうなって感じた。

帰宅してじっくり書面を読んだ。

そして、なんだか症状を抱えて通院してた自分精神面の状態がすこぶる悪くなった。

通院したくなくなった。

客観的に書かれると、すごくネガティブな内容ばかりだ。

そのとおりなんだけどね。

無為にすごす」とか「治療に抵抗を示す」とか「効果が遅々として進まない」とか

ああ、自分はポンコツ人間なんだなってあらためて会社だけでなく医師にも判定されてると落ち込んだ。

10年前に通ってた精神科で(3時間まって3分だけお会いして薬をもらうという大病院だったけど)多剤併用両方でたくさんの抗うつ剤

睡眠薬を処方され、服用し、(胃腸薬含めて1日34錠飲まなければならなかった)動くこともできず、生活破綻して寝たきりになった経験があった。

から、できるだけ薬の負荷のかからない治療・・・と泣きながら初診の時は言ったっけ。

例えて言うならこのURLの人と同じ状態(https://www.youtube.com/watch?v=tq2pzyhqXxw

パニックは8年前になんとか自力で飲むのをやめて寛解しつつ5年ほど良好だった。

通院もしなかったのに、職場がかわったストレスで10年後に再発したので今の医院に行ったんだけど。

今度こそは、なんとか良好な医師患者関係を築いて治療・・・と願って行ったけど、先生にとっては私はやはりこういう「やっかいな」患者なんだろうなって本音をこの診断書で感じて

あー薬だして長いこと飼いならすATMなんだなあってあらためて思ってしまった。

信頼してた先生本音が見えると通院治療断念したくなってきた。

これが、精神科通院患者の最終的な答えなんだろうな。

今、通院断念して、自力で治ったって思ってまた再発前の状態になって、いつかまた再発→今回と同じ経験気持ちと落ち込みで治療断念→自死

最終形態が見えた。

運良く長生きできたら認知症になってるころにまた精神科にお世話になるんかなあ。

安楽死法案が通って、自分で死を選ぶという楽な生き方死に方ないかなあとか夢ばっか見るわ

とりあえず通院したくなくなった。

自分の考えが結局これだから

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