はてなキーワード: 自死とは
夫のことは大好きだ。
そして離婚したいわけではない。
多分自分に対してイラついていて、それが夫にむかってるような気もする。
主原因が本当に原因なのかもよくわからなくなってきた。
夫が「家族のことは大好きだよ」と口では言うが、一人になりたがること
→そんなに一人でいたいのなら、私子供連れて死のうかな というのが最近私が思ってること。
たまにはいいよな。
でもたまにじゃないんだよ。
そして夫の仕事は夜勤ありのシフト制で土日が必ず休みとは限らない
(土日のどちらかが休みのときもあれば両方休みのときもあれば両方仕事のときもある)
そのかわり残業はない。
その休みの時間を、夫は「勉強」にあてている。土日もね、休みがアレば勉強にあてている。
勉強は家じゃなくてどこかに行ってやってる。(家だと集中できない、というのが主な原因らしい)
転職のためらしい。
そうだよね、夜勤有りの職場から転職するために勉強している。がんばってるし応援してあげたらいいよねー
・結婚前から、転職のために何かしら勉強していた。(何かは不明。聞いても教えてくれなかった)
・自己流じゃなくて学校に通っていたようだ(浮気を疑い問い詰めたところ教えてくれた)。
・ちなみに結婚前に学んでいたことは「簿記」だったことが後に判明するが、2級すらとらずに終わった。
・結婚式や新生活の準備等々は「勉強してるから」と放っておかれた。(夫は放っておいた認識なし。よくやったと自分では思ってるはず)
・だが、図書館が休みの日も「図書館に行っていた」と言い張る事案も発生(一例です)
・それでも「勉強してくる」と何処かに出かける事が多かった(何のために何を勉強しているのか具体的に教えてくれず)
・育児ノイローゼについては真面目に取り合ってもらえず。「育児が辛いとか何いってんの??」状態だった。
・「子供と二人きりの時間が長いと危ない。早く帰ってきて」とお願いするも、まっすぐ家に帰ってくることは少なかった
(勉強のためにどこかによっているらしかった。どこかは不明。何してるかも不明)
・次女生まれる
・「勉強してくる」と何処かに出かける事が多かった(何のために何を勉強しているのか具体的に教えてくれず)
・1ヶ月ほど別居。
・夫には別居の認識なし。引っ越し(別居とは別件)等色々大変だったから嫁が実家に世話になっていた認識。
(引っ越しにより保育園退園せねばならず、子供の預け先がなく、そんななか引っ越し準備などを抱えて実家の世話になる。そのまま1ヶ月ほど実家に居座る)
・英語を勉強していることは教えてくれた。転職のためだということも教えてくれた。でもなんで英語なの???
・毎月TOEICを受けていたが結果は教えてくれず
・すべてが勉強優先へ。
・家族と一緒に一日過ごすと体調が悪くなる体質のようだ
(家族と丸一日一緒にいると、その後必ずどこかしら不調になり、家族との関わりを絶つ行動にでる)
・口では「子供は欲しかった」「家族っていいよね」と言っている。
・勉強にけっこうな時間とお金をかけているが、その成果が全く見えない
→本当に勉強しているの?(身についているの?)
→仕事はシステム系らしいのだが(夫の勤め先は知っているが、システム屋だというだけで具体的にどんな仕事してるのかは知らない)、その先端は英語らしい。だから英語ができたほうがいいんだって。自分もすこしSEOかじってて、SEOの話題はまずアメリカ(英語)でその話が日本語に訳されてくる図式が思い浮かんだので、そういうことなのかーと思っていた。
で。実際その英語の技術書(というか先端技術)を読んでいる(触れている)のか?と聞いたところ「まだ英語の勉強中だから」という理由で触れていないらしい。
・勉強と言っているが、本当は一人になりたいだけなんじゃないの?
・夫のことは大好きなんだ。
・大好きな人が幸せな状態を考えたら「一人にしてあげること」だったんだ。
嘘。
あてつけだよ。
「そんなに一人でいたいのなら、どうぞ」
離婚だとだめだ。一人になりたい人を合法的に一人にさせてあげるなんてご褒美でしかないじゃないか。
子供だけ残されたら、実家にも、子供の人生にも迷惑がかかるな。
だったら連れて行ってしまおうかな。
・とりあえず育児ノイローゼで初めて味わった「鬱」という状態に、今再び陥っている気がする。
だったら育児ノイローゼのとき同様「この気分をやり過ごす」のが一番な気がしている
勉強でなく仕事だったら?激務でほとんど家に帰らない旦那でも死にたくなるのかな私。
だったらもう、とっとと死んでやったほうがいいんじゃないか?
http://anond.hatelabo.jp/20160930010427
私の父は厳格な人だった
ゲームやテレビは子供の教育に悪いと信じ込んでいて兄である私と弟はただの一度もゲームを買って貰ったことはなかったしテレビも1日の視聴時間が決められていた
お小遣いは定額制ではなく使用用途を伝えその都度貰っていたが、基本的に本や文房具以外のものが認められることはなかった
高校に入学した頃には私以外の全員がケータイを持っていたが、私にそれが与えられることは遂に最後までなかった
しかしそんな厳しい父を尻目に小学校高学年までの私はとにかくよく遊んでいた
2つの習い事に加え塾にも通っていたが、休日はもちろん塾が終わった後の短い時間でさえ無駄にすることはない徹底ぶりだった
それが出来たのは、ひとえに母のおかげだった
母は父に内緒でよく私に少額ではあったがお小遣いくれ、時には習い事を休ませたりしてくれた
ゲームも漫画もうちにはなく、テレビも自由には見れなかったが、私はその分友人の家に入り浸って幼いころの自由な時間を満喫していた
私は一切それを守らずそれまで通り遊び倒した
父はなぜ言いつけを守れないんだと怒り、私は玄関に立たされた
ふてくされて突っ立っている私をもういいよと中に入れてくれるのは母の役目だった
流石の私も少し堪えたが、頻度は減らしたものの眠ったり仕事をしている父の目を盗んでは遊びに行くのを辞めなかった
父はまた言いつけを守れと怒り、私は玄関に立たされた
母は何も言わずに私を見ていた
私は休日に遊べなくなった分、平日夕方めいいっぱいまで遊び家族の食卓に遅れた
父は私の夕飯はないと言い、母も反省しなさいと言った
私は遊ぶのを辞めなかった、決して非行に走ったり学校や塾を休んだりする事はなかったが、遊ぶことは辞めなかった
ある日、母は私に言った、父さんの言うことを聞きなさい、と
それからしばらく経った頃、父は急におかしなことを言うようになった、更に少し経った頃、父は急性アルコール中毒で病院に運ばれた
私は怖くなり、父の言いつけを守るようになった、遊ぶことをやめ家で読書をする時間が増えた
それから少しして父は夜中、急に外に出ていくようになった
私はそれを阻止するため玄関に布団を敷いて寝た
父はよく分からない薬を大量に買ってくるようになった
私は父が寝ている間にそれを没収しては机の引き出しに隠すのが日課になった
父は朝早く起きると財布の中身を確認しては金が足りないと言うようになった
私は誰も盗っていない事を証明するため日に1度写真を撮り、父よりも早く起きるようにした
私が父の言いつけを守った時間が増え、習い事の段が上がり、学校の成績が上がる度、父は昔の父へ戻っていき、我が家は平穏を取り戻していった
私以外の家族3人に笑顔が戻るに連れ、私の中には私だけが犠牲になっているという思いが募っていった
私は自分の憎しみをコントロールすることが出来なかった、心の底から父と母を憎んだし、休日、自由に遊ぶ弟を卑怯だと心の中で罵った
愚かな私は他人の気持ちを考える事が出来なかった、自分の気持ちを正当化するために家族を悪者に仕立て上げた
父と母は十分に私を愛してくれていたのにそれを理解できなかった
私には望むだけの本が与えられたし、望んでも通うことが出来ない人間もいる塾や習い事へ行かせてもらったのに、ただ一面だけを取り上げ、事実を見ることが出来なかった
父の症状が殆ど寛解したある日、私は友人と1泊2日の旅行に行きたいと言った、お金のない私のために友人が当ててくれた懸賞だった
父の症状はみるみるうちに悪化していった
私はそれを無視した、頼むから行かないでくれと泣いて頼む母を無視した、兄ちゃん行かないと父さんに約束してと言う弟を無視した
私は母と弟に言った、父の症状が悪化しても毎日寒い玄関で寝て夜中の2時に一度起きてまた朝5時に起きるのは私なのだから、お前らは毎日ぐっすり眠っているのだから良いだろうと
それは事実とは違った、まずそれらは毎日のことではなかったし、母がそれを出来ないのは父の分まで忙しく働いているからだった、弟にも弟の事情があった
なのに私は全てを無視して、他人の気持ちを考えず、家族を口汚く罵って、ただ自分が楽しみたいという理由のためだけに旅行へ行った
その日父は死んだ
私が高校2年生の春だった
父は書き置きを残した
私への言葉だった、お前にはもう何も期待しない、自分の好きな場所で自分のしたいことだけして暮らせと、そう書いてあった
父は休養しながらも仕事を続けていたので式は母の想いに反して大きなものになった
私は笑顔で父の生前の思い出を語った、嘘の思い出を、思ってもいないことを、父をなくした不幸な長男面して喋った
私には明確に父を殺したという意識がある
ふとした時、誰かと話している時、急に思う、なぜ親を殺した人間がこんな笑顔で、こんなニコニコと話しているんだろうと
同時に思う、自分はそんな可哀想な自分に酔っているのだと、罪の意識など微塵もないのだと、自分が悪いなどとは考えていないのだろうと
しかし、また同時にそんな考えに至る自分に驚く、なぜ一丁前に自死遺族面しているんだと、もしかしたら誰かに受け入れて貰えると思っているのかと
そしてそんな時どうしようもなく自分を殺したくなる、罪があるのなら死ねば良いし、親を殺してなんとも思わないような人間は死ねば良い、どちらにしても自分が死ねば良いとそう思う
自分が死ななかったのは、その無神経さもあるだろうが
ひとえに母と弟のお陰だと思う
私は父が居なくなった後すぐに家を出た、父の最後の言葉からどうしても父の家を自分が居て良い場所だとは思えなかったから
高校に行きながらバイトをして、大学へ入学後もバイトを続け、最初に母から借りた引っ越し代や入学時に借りた入学金は全て返済した
お金の返済は、どうしても振込は嫌だと母が言うので現金で実家まで持っていった
それ以外にも何かと母は私に実家へ来るよう約束を取り付けた、大学入学後買ったケータイには毎日朝昼晩メールが来た
母は私が死なないように心配していたのだと思う
私は外ではそう出来るように、母に対しても明るく振る舞えば良かったのだが、母と弟に対してはどうしても昔のような態度で接することが出来なかった
父がいなくなった後、私が母と話すときの態度を傍から見ていれば、私が次の日死んでしまっても不思議ではないと思うだろうがから、母には悪いことをしていると思う
でもどうしても、母と弟の顔を正面から見ることは出来なかった
時が経つにつれ私は父への想いよりも生きている母と弟への思いが強くなっているように感じる
おそらくどちらかが、私に父を殺した責任を取れと言えば私はその場で命を断つと思う
そして、こんな事を考えながらも実際の所、私は二人の気持ちを確認するのが途方もなく怖い、そう怖いから二人から距離を取ったのかもしれない
今週、そんな私も20幾度目かの誕生日を迎え、母が祝ってくれると言うので、昨日は実家にいた
用意してくれたケーキを食べ母と少し会話した後3人でテレビを見ていると、母がコンビニに行くと言うので、私も帰ろうとした所、引き止められた
弟と二人きりになるのは久しぶりだったし、会話するのはもっと久しぶりだった
弟は誕生日おめでとうと言い、私は驚きながらありがとうと返した
続けて、その…兄ちゃんに俺……と言い出した所で弟は泣き出した
どうやら、ずっとごめんって、と言おうとしているようだった、でもそんな簡単な言葉も聞き取るのが難しいくらいに弟は泣いていた
泣きながら、ごめんごめんと言っていた
ごめん兄ちゃんずっとごめん、と泣きながら言っていた
兄ちゃんが家を出て行く時ホントは止めたかった、でも止められなかった、兄ちゃんが俺の変わりに父さんを助けてくれてた、でもありがとうも言えなかった
ホントはもっと俺が頑張るべきだったのに、兄ちゃんが変わりに頑張ってくれた、ごめん、ずっとごめんって言いたかった、ずっとありがとうって言いたかった
でも言ったら兄ちゃんが死んじゃうような気がして言えなかった、ずっと言いたかった、兄ちゃんごめん、あの時、ホントは言いたかった、兄ちゃんありがとう
弟が目を手で伏せ泣きながら喋っている間、私は弟以上に泣きじゃくっていた、本当に信じられないくらい泣いていた
本当は弟より先に私が言うべきだった、弟にごめんと、また弟の気持ちを無視していた、自分のことだけを考えていた
私はなんとなく何をあげたらいいのか分からないので昔兄弟が好きだったアーティストのアルバムをくれたのだくらいに思っていた
http://anond.hatelabo.jp/20160930010427
このエントリーを読んで初めて「花束を君に」という歌のことを知った
もしかしたら弟はこのプレゼントを話題のきっかけにしようとしてたのかも知れないし、単純に私のためにこれを選んでくれたのかも知れないが
とにかく、知ることが出来てよかった
衝動的に書いたので読み辛いだろうけど
笑われるでしょうが、朝起きてお昼を過ぎるまで、このページを開こうと思う度、激しい震えと動悸に襲われ開く事が出来ませんでした
父の事を誰かに話すのは、どんな形であれ初めてだったので、何と言われるのか本当に心底怖かったからです
意を決してこのページを開き、はてなブックマークのコメントを読んで、また10分程泣いてしまいました
おそらく他の方には何気ないコメントだと思いますが、私にとってはそのやさしい言葉の一つ一つがどうしようもなく嬉しいものでした
結局の所、私はあなたは悪くないと、あなたは生きていても良いんだよと、そう誰かに言ってもらいたかっただけなのかも知れません
もちろん当人にとってはそんなつもりは一切ないのかもしれませし、自分の気持ちを本当にこんな簡単な言葉で表す事ができるかは分からないのですが
今はただ、弟と宇多田ヒカルさんとコメントをくれた方、皆さんから勝手にそんなメッセージを貰ったつもりになってとてもうれしい気持ちでいます
そして優しいコメントをくれた皆さんへも
「自死」とか言って先に死んだ者を慮ろうとするから遺族が無意味に重く受け止めすぎるのかもしれないな。
自分で勝手に死んだやつは落伍者だ卑怯者だと蔑むくらいでちょうどいいのかもしれない。
三原順の「Sons」という漫画の中で、自殺した従兄弟(だったかな?)のその意図を探ろうとして主人公が精神を病むというのが後半の展開になるが、「愛って… すごく不気味だね どこにでもゴロゴロしてて… それだけで何でも出来てしまえるなんて とても…気持ち悪くない?」というセリフがあった。
http://anond.hatelabo.jp/20160806123148
>カムアウトって誰のためにするの?
>自分が楽になりたいだけだよね?
>自分が楽になれば、それを聞かされた人が思い悩んでもいいの?
>そんな自分勝手な理屈がいつの間にか「正しい行為」として推奨され、
カムアウトは自分のためにする行為だと思う。それは間違いない。
ただ、誰彼構わずカムアウトしているわけではなくて、信頼関係ができてきた相手にのみする人が多いのが多数派だと思う。
これは同性愛に関わらず、一般的にマイノリティである秘密を打ち明ける場合にも同じ。
言うことで相手に負担をかけてしまうかもしれないけど、親密だからこそ言えるというね。
それと、カムアウトすることが正しい行動として推奨されているわけではないよ。
彼らがパレードをするのはそれを推奨するのではなく、マイノリティが身近であることを主張するためであり、
>あなたが男性だった場合、それは「あなたのチンポをしゃぶりたいんだ。
>できればあなたのケツにも入れたいんだ。
>(もしくはあなたのチンポをケツに入れて欲しいんだ)」を意味するのですよ?
それに対し、そういう下衆な表現に置き換えるのは悪質であり偏見を助長するものでしかない。
女性に告白する場合、「あなたのマンコをなめ、できればマンコに挿入したいんだ」を意味するかといえば、
そういう短絡的な人間も少なくないだろうが、否定する人間も多いだろう。
>世間に理解が浸透していくんだろう」みたいなこと書いてる人がいた。
>捨て石のように考えてるんだと思ってゾッとした。
これを捨石と捉えるのは曲解に他ならない。
物事には様々な側面があって、そのブコメはある1部分にフォーカスしたにすぎない。
たった100文字のコメントでどこに焦点を当てるかは人によってことなるが、
そのブコメの意見はまちがっていると思う人間がどれだけいるだろうか。
確かにゲイ文化の中にカムアウトを推奨する人たちがいるのも事実。
彼らもまた短絡的に自分がうまくいったという経験則を、似ている人間と集団になることで強化し自己肯定感を得ているだけの人間も少なくないだろう。
彼らは精神的に追い詰められやすく、通常では耐えられることも自死の引き金に感じてしまう場合がある。
日本の家庭の6割が生活苦しいとの報道に、なぜ死なないのかという問いかけがなされていた。
ひとりなら自由にやれるだけのことをやり、さいごは自死もいい。
年老いた家族に、稼ぐために単身引っ越していいかと聞いたら、行かないでほしいという。当然だ。
ねこたちは私を頼ってくる。子育てに死にものぐるいのお母さんねこを、こどもたちまるごとひきうけた。
おかあさんはそのことがうれしくてうれしくて、わたしのことが大好きなんだ。
もと最高学府の研究者で受賞歴もあるが、そんなもの田舎の片隅では何の役にも立たない。
田舎で金になる資格といえば組立工の経験とか溶接とか汚水処理とか調理師のたぐいで、ようするに私には存在価値がないらしい。
しかしさいわい、芸術の才能とキャリア、それなりの手に職もある。
死ねば楽だろうとは思う。
私は生きる。
まけるもんか。
子供が生まれて一ヶ月になる。妻は外国人で、俺らは海外に住んでいる。
妻はシングルマザーで連れ子がいる。俺になついているので全く問題はない。
妻の母ちゃんが子育てを全面的に手伝ってくれている。手伝ってくれているというか子育てと家事の中心は妻の母ちゃんだ。
俺が住んでいる国は日本と違って社会保障が弱い。働けなくなった老人は基本的に子供に面倒を見てもらう。
面倒を見てもらう子供がいない老人は浮浪者になり、最終的に餓死するか精神的に追いつめられて自死する。
だからみんな子供を生むのに必死なんだけど、それは別の話題なのでここでは割愛する。
妻の母ちゃんももういい年だし、失業率の高いこの国ではいい年の女性の働き口なんてものは存在しない。
要するに無職だ。年金はあるけどそれだけで生活できるような金額ではない。
それで、母ちゃんの生活全般を面倒見る代わりに子供の面倒だとか家事全般を担ってもらっている。
日本だと社会保障がしっかりしているし定年後にも働き口がないということはないから、親が子供に養ってもらうことも、子供が親に家事を手伝ってもらうことも少ないと俺は思っているし、それは本当はあんまり良くないことなんじゃないかと思ってる。
社会に帰属していたとしても、それだけで生活できるような環境ではないが故に人は家族をつくり、家族で助けあって生きることになる。しかし、社会が個人をしっかりと保障するならば家族は助け合う必要がなくなる。
その状況において家族とは、単に面倒な相手の集団になってしまう。子供が宝なのは将来自分が稼げなくなったときの保険だからだ。
だからといって子供がいる老人には年金が支給されなくなるような未来は、老人が死ぬ気で反発するだろうからたぶん起きないだろう。
kabaちゃん性転換したようですね。おめでとう。
でも、テレビで性転換直前の整形報告の様子を見たけど、彼女は自分の女性性に固執するようになっていたので心配だ。
(それを強く表しているのは https://www.youtube.com/watch?v=5Msm9QXpsWY の4:10あたりからの彼女の様子だ)
某ガルチャンでは
「若い頃から性別移行している子と完成度を比べて整形を繰り返してしまうんだね、かわいそうに」
「理想が高すぎる」
整形もして、性転換もして、実質可能な対処はなくなってしまった。
対処がないということは、その面において希望を失うことに等しい。
よく、女性ホルモンで精神が不安定になり自殺する人という言説を目にするが、
経験上、ホルモン自体の効果よりも、対処策がないという絶望感こそが自死へといざなうと私は思う。
差別撤廃の動きのもと、建前と反対の悪意がひしめく中で、自己否定・周囲の拒絶・街にとけこめない自分・異質な自分・
コストをかけたのにもかかわらず報われない惨めさ・ルッキストによる蔑みなど。
単体では大したことないダメージでも、蓄積すると自分の存在を肯定できなくなる。
そういった闇に飲まれないように、いや、飲み込ませないように、
多くの人が悪意を浴びせることを抑えて欲しいと思う。
誰しも、そういう気分になるんだろうな。
人に自分の気持ちを話しても否定される感が強くて、何も言えなくなってしまっている。
「人と人とは助け合っている」って言われても、助けられるほどの価値が自分にはあると、思えない。
自分の感情については、傷ついていると言うことを抑圧されて余計に自分でも抑圧するクセが付いている。
心理的な面だけでなくて、スキル的に上手に甘えるというのか、人の同情を誘うような話し方も下手で、
『そういう言い方では、増田さんの気持ちは、相手に(私にも)伝わりませんよ』みたいなことを言われちゃう。
その数ヶ月後のカウンセリングにて『増田さんは、深く傷ついている』とも、言われたりした。
進歩は少しは、しているんだよな。
若い間は、力押しというのか『自分は出来る』とか、言い聞かせてなんとかしたが、
多くの失敗体験や家族の自死によって、それでは、自分を保つことが出来ない感覚だ。
心も身体も、自分のメーターのリミットを超えていたみたいな感覚だ。
メーター自体がないことにして、すり切れた状態で走りきってきた。
根性だけでは、乗り切れないから工夫をする、別の視点を取り入れる
ということに気がつきつつはあるが、何から始めたら良いのか。
20世紀初頭、英国の経済学者であるケインズ卿は、主著の中で「考え方ほど強力なものはない」と説いた。つまり、人の行動要因のうち、最も影響力が強いものは、外部的要因よりもその人の内部要因、すなわち考え方だというわけだ。
ひるがえって現代の英国では、中東出身者の2世、3世となる若者たちがイスラム国(という名のテロリスト集団)へと帰属すべく、混乱を極める中東へと世代を超えた里帰りをしている。こうした若者たちが常軌を逸したテロリスト集団に忠誠を誓う要因は何だろう。ある人は欧米社会における中東系への差別が原因であるとし、ある人は貧困が原因であるという。しかし、これはあまりにも皮相的な見方ではないだろうか。どの国にも貧困と差別は存在する。それにも関わらず、なぜ一部の人々、特に豊かな先進国の若者が海外の狂信集団への参加を企図するのだろうか。
ここでケインズ卿の金言を思い出してほしい。何よりも人を駆り立てるのは考え方だ。もちろん、乾燥した砂漠地帯へと向かう若者たちの中には自意識をこじらせ、過激思想に染まった狂信者もいることだろう。だが、その多くは渡航直前まで通常の市民生活を送っていた一般人である(と報道されている)。ということは、通常の市民生活に浸透するごく一般的な常識の中にこそ、彼らを破滅的な行動に追い込む何かが潜んでいるとは考えられないだろうか。
健全な若者たちを追い込んだもの、近代社会の「一般常識」とは、「人は役に立たなければ生きている価値がない」という考え方だ。このあまりに妥当に思える考え方にこそ狂気が秘められている。
中東に渡航した若者の多くは、同国の他の若者と同等の高等教育を受けており、言い換えれば社会的に役立つ(と見なされるべき)存在である。彼らは教育によって社会常識と能力を身につけ、社会への参加と貢献を望む(ごく健全な)精神性を身に付けていたはずだ。だが、彼らはその意欲と能力を十分に活かすことが出来ない環境下にある。
無論、こうした差別や貧困だけが問題ならば、例えば南米や東南アジアのスラム民のごとく、それを人生の既定路線として別の生き方に適応することも出来ただろう。だが、彼らは私たちと同じように近代的な市民としての精神性を埋め込められた「一般人」なのである。
資本主義であれ社会主義であれ、近代社会おいて市民は、「人の役に立たなければ生きている価値はない」と考えられている。言い換えれば、人の役に立つことが人生の意味・意義・目的である。それは経済活動の本質でもある。だが、英国をはじめとする欧米社会は、中東系の若者たちが近代市民としてごく一般的で健全な希望を満たすことを許さなかった。結果として「人の役に立ちたい」という健全な欲求は、全く不健全で狂気の塊とでもいうべき集団への参加・貢献へと姿を変えてしまう。なぜなら、イスラム国はそうした近代市民として望ましい欲求の全てを満たしてくれるからだ。
あなたの人生には意味がある。あなたは人の役に立つことができる。あなたは必要とされている。だからこそ、私たちに参加・貢献してほしい。
こうしたメッセージが実存的な欲求を満たせずに鬱々とした日々を過ごす若者に届き、その心の隙間に棲みついたとき、彼らを押しとどめる要因、すなわち彼らを暴走させない「考え方」を欧米社会は提供できていたのだろうか。事実、イスラム国はすぐれて近代的な精神性を持つ集団であり、表面的な暴虐性と狂信性を剥ぎ取れば、そこにあるのは英国と全く同様なもう一つの近代社会であり、宗教というフックによって近代市民を惹きつける別種の帰属集団たりえるわけだ。よって、若者たちの豊かな社会から貧しい狂信団への「宗旨替え」という一見奇妙な現象は、単純に欧米社会の失敗と敗北の証左なのである。
ところで、これは私たち日本人にも無縁の問題ではない。むしろ喫緊の問題でもある。中東系の若者には(擬制とはいえ)神への信仰が残されているようだが、私たちには一体何が残されているというのだろうか。この社会による無言の死刑宣告に抗うため、私たちにはどうふるまう余地があるだろうか。自身の社会的価値の欠如を自覚し、世間という名の集団圧力に圧迫され、閉塞し、窒息したとき、私たちは静かに(そう、「誰にも迷惑をかけない」ように!)命を棄てる道しか残されていないのだろうか。
かつての武士階級にとって自死は、名誉を守る行為だ(という共通理解があ)ったが、近代市民たる私たちにとっては疑いなく、何の疑いもなく、言葉通りの犬死でしかないだろう。それとも、これも一つの考え方に過ぎないのか?
長いので長文読むの嫌いな人はそっ閉じ推奨。
最近増田界隈で結婚というか子供の話がホッテントリ入りし始めて久しいので
結婚しているが子供のいない共働き夫婦である我が家の話をしようと思う。
子供がいないのは単に今までできなかったというだけのことだ。
できなかったけれど、お互い子供に関しては「いてもいい、いなくてもいい」というスタンスだったので
特別不妊の検査をしようとか不妊治療をしようという話にもならなかった。
本当にどちらでもよかったのだ。
「いてもいい、いなくてもいい」などと表現すると、
「結婚したなら子供は必ずつくるべきでしょうが派」の文章の主旨を読み取ることが苦手な人から
鬼の首を取ったように責められそうなので一応解説しておくが
「できたなら頑張って育児したよ、でもできないからといって頑張って作ろうとは思わなかったよ」
子供のいる知人友人と子供を交えて会ったりすると「子供やっぱりおもしれえな」と思うし
未知ながらもやはり子供がいたら楽しい嬉しいということが多いのだろうなとは思う、
なぜかリアルな子持ち友人知人からは子供を持つことは勧められないが
不妊で悩んでいる夫婦も多かろうから気を遣われているのかもしれない。
とはいえ、やはり勧められようが勧められまいがスタンスは変わらず
いてもいいしいなくてもいいと思っている。
子供のコスパの増田で「自分は子供を持たなかったのに老後は誰かの子供の世話になるんだろ?なら叩くよ」
このブコメをつけた人、それに賛同した人は、病気で子供を持てなかった人や
結果的に未婚で過ごすことになってしまって老人になってしまった人たちについてはどう思っているのだろう?
「その人たちは仕方ない」?「仕方なかった人たちなのだから許してやる」のだろうか?
万一、我々夫婦にこの先も子供が出来なかったら、この人たち(恐らく子持ちの人たち)に
許しを得られないなら、この先ずっと叩かれながら生きていかねばならないのだろうか?
子供を持たないというのはそんなに罪なことだろうか?
確かに、種の保存という観点からいえば、子供を持たない・持てない生物は生きている価値がないともいえる。
しかし我々は人間だ。人間は、脳の発達・文明の発達に伴って「生きる」ということに繁殖以外の目的を見いだしてきた。
そもそも子供を持つというのは、繁殖期をとうの昔に失った「人間」にとっては本能ではなく文化的な活動だ。
人がその人の人生を生きるための考えとして、子供を持つも持たないも、いずれも認められて然るべき選択肢だと思う。
「俺いまニートだけど親死んだら俺も首くくるわ」
と言う人がたまにいる(ネットに)。
彼が本気かどうかはわからないが、日本のニート人口は2014年の調査で56万人らしいので
どうしても働くのがイヤであるだとか、身体的・精神的な事情で働けない場合
自死という選択をせずとも、そのまま亡くなってしまわざるを得ない人は少なくないように思う。
働けるのなら働けばいいのに、とは思うが、私には彼らを責める気はない。
「親の金で楽して羨ましいなあ」とは思うし僻みもするが、責める権利はないと思っている。
自分の選択を他人から責められたくないのと同様に、他人を責めるのも嫌なのだ。
自分は責められたくないが他人は責めるよ、というのは卑怯な気がするのだ。
多様性が認められているように感じられていたはてなでさえこの有様なのだから
それが世間にまで広がるのはまだまだまだまだ時間がかかりそうだ。
自分がマジョリティな選択をしている可能性があるからというのもあるが
病名
「外出困難で無為に過ごすことが多い。
多彩な自律神経症状を伴い罪悪感が強い。予期不安・希死念慮がみられる。
薬物療法としては抗不安薬(BDZ系)を受け入れるのみで全ての抗うつ薬についてはその後の身体変化を副作用として解釈し、服薬しなくなり、治療に抵抗を示す。
パニック症的な要素が強く認知行動療法を行っているものの、これが効くのかという不安が強く遅々として進まない。
今後は支持的・受容的に傾聴していきながら不安・抵抗を少しずつ和らげる予定」
受付「お名前とご住所生年月日これでよろしいでしょうか?」
私「はい」
受付「封はされますか?」
私「いえ、そのままでいいです」
受付「え・・・でも・・・?わかりました(笑顔)封筒にお入れするだけにしときますね」
書かれた内容をじっくり見てみようと思ってそのまま密封されない診断書を手に取って、帰宅。
予約制で人がまばらな精神科なので、この受付嬢にも心理検査中の1時間ほどこの内容を吟味されてたんだろうなと思うとせつなかった。
パニック障害とうつで2年ほど通院しているが、このたび、会社に診断書を提出することになって医師に診断書を書いてもらった。
私の通う精神科では、マスクを鼻の下までかけて顔を隠す受付の女性2人がいつもいる。
診察中や受付する患者がいない時は大きな声でぺちゃくちゃしゃべって愚痴や文句を言ってる若い人たちだ。
この人たちが、これを読んだのかと思うといい笑い話とネタなんだろうなって感じた。
帰宅してじっくり書面を読んだ。
そして、なんだか症状を抱えて通院してた自分の精神面の状態がすこぶる悪くなった。
通院したくなくなった。
そのとおりなんだけどね。
「無為にすごす」とか「治療に抵抗を示す」とか「効果が遅々として進まない」とか
ああ、自分はポンコツ人間なんだなってあらためて会社だけでなく医師にも判定されてると落ち込んだ。
10年前に通ってた精神科で(3時間まって3分だけお会いして薬をもらうという大病院だったけど)多剤併用両方でたくさんの抗うつ剤と
睡眠薬を処方され、服用し、(胃腸薬含めて1日34錠飲まなければならなかった)動くこともできず、生活が破綻して寝たきりになった経験があった。
だから、できるだけ薬の負荷のかからない治療を・・・と泣きながら初診の時は言ったっけ。
例えて言うならこのURLの人と同じ状態(https://www.youtube.com/watch?v=tq2pzyhqXxw)
パニックは8年前になんとか自力で飲むのをやめて寛解しつつ5年ほど良好だった。
通院もしなかったのに、職場がかわったストレスで10年後に再発したので今の医院に行ったんだけど。
今度こそは、なんとか良好な医師患者関係を築いて治療を・・・と願って行ったけど、先生にとっては私はやはりこういう「やっかいな」患者なんだろうなって本音をこの診断書で感じて
あー薬だして長いこと飼いならすATMなんだなあってあらためて思ってしまった。
信頼してた先生の本音が見えると通院治療断念したくなってきた。
今、通院断念して、自力で治ったって思ってまた再発前の状態になって、いつかまた再発→今回と同じ経験と気持ちと落ち込みで治療断念→自死
最終形態が見えた。
運良く長生きできたら認知症になってるころにまた精神科にお世話になるんかなあ。
安楽死法案が通って、自分で死を選ぶという楽な生き方死に方ないかなあとか夢ばっか見るわ
とりあえず通院したくなくなった。