はてなキーワード: 確執とは
https://project-amaryllis.com/notice/1/
この文章を読む限り、キャラクターデザイン担当と運営の確執でキャラデザの使用ができなくなったというのは矛盾を生じる気がする
もしキャラデザ担当の問題であるならば、なぜVTuber本人達の意思等の記述があるのかがわからない
もし仮説が正しいとするならば、運営の発表は虚偽であり運営における確執の問題を中の人の問題にしたということになる
どちらにせよ、BitStarの説明不足であることにはかわりない
というかしっかり説明を受けていないLive2Dキャラクタースタッフであるぶぅじろう氏のTwitterのツイート全削除は運営方針としてやりすぎだと思う
一度作った文章があるのだけど、もう一度作り直してみた。
2018年6月12日 シンガポール・セントーサ島のカペラホテルにて
金正恩「トランプ大統領、よくシンガポールにお越しくださいました。今回の会談が、米朝の両者にとって大変良い会談になることを期待しております(ニヤニヤ)」
トランプ「そうだな。今回の会談は両国民や周辺国の将来に関わる会談になるのだから、よろしく」
金正恩「今まで両国間には確執や衝突も色々ありましたが、こうして会談実現にこぎつけたことをうれしく思います」
トランプ「最初に言っておくが、俺をブッシュやオバマと一緒にしない方がいいと思うぞ。そうやってこちらにすり寄るような態度を見せたとしても、会談後に約束を反故にするのはお前らの伝統芸能なんだろう?」
金正恩「・・・では、トランプ大統領。私は朝鮮半島全土からの核放棄を目指しておりますので、核ミサイルを含む在韓米軍は韓国から撤退していただくということで・・・」
トランプ「おい、何か勘違いをしているのではないか? 今お前の国が受けている経済制裁は、国連加盟国のほぼ全てが承認した国連決議に基づいているものだ。北朝鮮の非核化と、在韓米軍撤退の条件が釣り合うわけないだろう。お前の国の非核化と引き換えに、在韓米軍の撤退を要求するというのであれば、北朝鮮が国連を脱退するというのが筋論ではないのか?」
トランプ「ふん、私は別に北朝鮮が国連を脱退しても何の不都合もないのだ。逆に今以上の経済制裁や軍事オプションの選択をしやすくなるだけの話なのだからな!」
金正恩「(ビクッ!)」
トランプ「我が国としては、お前らには完全で検証可能かつ不可逆的な核放棄を要求する。そのことが証明されるためには、今後無期限にIAEAやCIAの査察を受け入れてもらおう。隠し持っていても無駄だぞ!?我々の情報機関は、あらゆる手段を使ってお前の国を常に監視しているのだ。この条件が受け入れられない場合は、どうなるかわかっているだろうな?」
金正恩「(ビクッ!)」
トランプ「話は変わるが、去年2月や今年4月に我がアメリカ軍は化学兵器を使用したシリア政府軍に対して、人道的見地から軍事攻撃を実施した。お前の国も、残忍な独裁者によって国民が圧迫されているらしいね。核の放棄以前の話として、国民を苦しめる独裁者を排除するためには、アメリカは軍事攻撃も辞さない構えである!」
金正恩「ト、トランプ大統領。我が国は国民を圧迫しているなどと言うのは誤解でして・・・」
トランプ「とぼけるな! 我々や韓国の情報機関、それに脱北者の証言から、お前が恐怖政治を敷いていることは全部わかっているんだ! 分かっているのか、このチビデブ! 国民が飢えて苦しんでいるというのに、お前だけが豚のように肥え太っているというのはいい身分だな!」
金正恩「(ビクッ!)」
トランプ「では、2カ月後に北朝鮮北部の核実験場やミサイル関連施設に我々の査察を受け入れてもらおう」
トランプ「もしこの約束を守らなかった場合はどうなるか。お前はイラクのフセインや、リビアのカダフィの二の舞になるだろう」
トランプ「もちろん我々の要求を蹴って、今すぐこの会場を出ていく権利もあるぞ。我々の要求を受け入れて核の完全廃棄を実現するか、要求を蹴って経済制裁を受け続けて国もろとも滅亡するか・・・。そうだ、3つ目の選択肢もあったな。座して死にたくなければ、戦って死ぬこともよかろう。まあ、重油やガソリンが極端に不足しているお前らの軍隊がまともに戦えるとも思えんがな!」
トランプ「そうだ、忘れていた。中国軍やロシア軍の支援はアテにしないほうがいいぞ? あちらとは、我々国連軍は鴨緑江南岸で進軍停止する旨を伝えていて、中国側とも了承済みだからな! 我がアメリカ軍は10年以上戦争をしていないものだから、軍内はミサイルや爆弾の在庫品の山で困っているところなのだ。今回の会談は両国にとって、非常に有意義なものであった。この後の共同宣言では、北は核の完全放棄を表明したと発表しよう。あっはっは!」
政治的,それもかなり下品な言葉だけど,「なんでも安倍総理の責任にする人」を一部のネット民が「アベノセイダース」と呼んだり,逆に「野党の答弁を盲目的に批難する人」を「ヤトウガー」と呼んだりするのを見かけるよね。彼らはどちらも対象を卑下・揶揄する目的で前述の言葉を使っている。今はこの言葉の真偽可否ではなく,〝片仮名にすると馬鹿にした印象になる〟という現象そのものを知りたい。国語や文法の教科書・Wikipediaを見ても,片仮名の役割に“相手を侮蔑する”なんていうのは載っていない。とするとあくまで予測だが極めて新しい言い方なのではないか。
そもそもなぜ片仮名の文章が人を小馬鹿にした印象を与えるのだろう(っていうか与えてるよね。僕はそう感じるんだけども,僕の感性がおかしいだけだったり……)。当て推量だし,なにより言語学には暗いので大いに錯誤しているかもしれないが,僕の持論はこうだ:
(1) 片仮名は,平仮名と列んで,漢字が読めない幼児や知的障碍者や非日本語圏の人間に向けて漢字かな混じり文を平易にする目的で用いられることがある。そこから平仮名や片仮名に対し〝子供じみている〟とか(これも非常に汚ない言葉だが)〝知恵遅れ〟といった印象が付随するようになった。例えば「いってることがよくりかいできない」なんていうブコメからは,「言ってることがよく理解できない」というブコメより揶揄の成分を強く感受する。
(2) もともと女性が使い始めた言葉だということを知ってか知らでか,平仮名には世間一般に〝柔らかい〟〝自然的〟といった好感が持たれている。その一方片仮名は〝冷たい〟〝人工的〟など,(どちらかというと)否定的な文脈で用いられることが多い。例えば擬声語でも「頭をぽかぽか叩く」のと「頭をポカポカ叩く」のでは全射が素手で行為に及んでいるのに対して後者が何か道具(といっても軽そうな品ではあるが)を使っている印象を受ける。
(1), (2) の両論を併せると,片仮名で記述された表現からは〝思考なく機械的に繰り返される幼稚で,取るに足りない文〟という印象を受けるのではないか。
上述の理屈が正しいとして,新たに疑問が生まれるのだが,それは「なぜ最近までその表現が無かったのか」と言うことだ。(1)も(2)もずっと昔から片仮名に備わってきた性質であるのに,それらが複合しただけの表現が生成されなかったのはかなり不思議だ。もっとも辞書には掲載されていないだけで昔からあるのかもしれないが。
(追記)
b:id:triggerhappysundaymorning様,出典ありますでしょうか。当方では見付かりませんでした。(高慢ちきな言い草になりすいません。あとID名が長すぎてリンクが効きません)
(追記2)
「アベ」や「フクシマ」はそれらが孕む確執が多すぎて荒れる原因になる(少なくとも僕は「フクシマ」に関して〝侮蔑〟の印象は受けない)と判断し例に挙げませんでした。が,もうすでに荒れ気味なので具体例に追加します。
(追記3)
かなり昔(一部ブコメによれば江戸時代から)そういう用法はあるみたいですね。ただ素人が読める文献がなかなかないのでは。片仮名の持つその他の意味(実体を把握しない憧れとか)について論じてる文章は見掛けるんだけどなァ……。
詩織「新たな愛を見つけるラブ発見型新感覚ラブリーラジオです」
愛海「風情! 風情じゃないですか! 春雨は濡れてまいるのが風情じゃないですか!」
詩織「知らないわよ…… なにそれ…… どうでもいいけど…… 一応説明すると…… 今日ここに来るときに駅でたまたまあったのね……」
愛海「それで駅を出た途端に、雨がポツポツ降ってきたからって、詩織さんがコンビニで傘を買おうとしたんですよ!」
詩織「……買うでしょ」
詩織「二人でも…… バカみたいよ…… あと同じ言葉繰り返しすぎ……」
愛海「そんなことないもん! 春雨じゃ濡れてまいろうだもん!」
詩織「しつこいわねえ…… 何度目よそのフレーズ…… ……あなた。時々…… 本当に時々…… 乙女よね」
詩織「日菜子ちゃんなら…… 意気揚々と付き合ってくれそうね……」
詩織「あら…… なにか確執がありそうね…… 一度くっついて別れた……?」
愛海「くっついてもないし! 別れてもないし! 確執もないよ!」
詩織「ふーん……」
愛海「詩織さんってあたしを女の子とくっつけようと画策してないです?」
詩織「……えー」
こぐまのケーキ屋さん描いてる人からすごく邪悪な気配を感じるんですよ— ピーコ (@peeko777) 2017年12月1日
めんどくさいオタク向け漫画がツイッターでウケてた人が何たらのケーキ屋さんでポップというか一般客に寄せてきた時にめんどくさいオタクたちが一斉に厭味ったらしいパロディや大喜利始めたときに一緒に乗っかってる某氏見て「この人こういうタイプだっけか」と思ったけど個人的な確執があったんすね— ピンフスキー (@pinfusky) 2018年2月21日
「マンガを書くのは大変だからマンガをやってる人は全員偉くて小説はもうすぐ滅びる」みたいなすごい浅いこと言われたので今でもメチャクチャ嫌いですね。— まくるめ (@MAMAAAAU) 2018年2月21日
そのあと「文章にも技術があって」みたいな説明したら「言い訳にしか聞こえない!」とか逆ギレしまくってたし、あの人は病気か薬かどっちかの案件の人だと思う— まくるめ (@MAMAAAAU) 2018年2月21日
wikipediaの星新一の項目を見てたら、死後出てきた大量のメモとインタビュー記事をもとに、星新一という人の人柄を追求した本が出版されていたらしい。
2007年(平成19年)、死後10年目にして、星が残していた大量のメモ類と130名余の関係者へのインタビューを基にした最相葉月の大部の評伝『星新一 一〇〇一話をつくった人』(新潮社)が刊行され、「ひょうひょうとした性格」と思われていた星の人間的な苦悩や「子供向け作家」と扱われていることへの不満、家族との確執、筒井など後輩作家への嫉妬などが赤裸々に描かれ、従来の「星新一」像を覆す内容で衝撃を与えた。また、この書では初期には直木賞落選が名誉と受け止められるほどハイブロウな存在として遇され、安部公房(純文学とSFの両分野で評価されていた)のライバル心をかきたてるほどであった星が、後に大衆に広く受け入れられるに従って文学的評価が伴わなくなってきた変遷も描き出されている。
triggerhappysundaymorning 火消し「だけ」の謝罪文なのにヘイポー文しか書けないのは表現者としても下手糞なんじゃねえのか?セクハラおじさんに取り入って仕事恵んで貰ってる売文屋がmetooにいっちょ噛み企んだのが間違い.
taxpayers セクハラは伊藤の狂言だった。こういう感性の持ち主が岸氏の「かわいがり」を性的に不快と認識していたはずがない。個人的な確執を社会問題にすり替え復讐に利用しただけなのだ。小保方や村田マリと同種の詐欺師
redpants 岸氏のお気にい入りだったのがよくわかるオチで最高だな
sionsou ほらなやっぱりなって感じしかない。見事に本を売りたいから出しただけ。TVに出てたときからずっとこういうクズだよ
http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/ha_chu/status/944102267505872896
ツイッター・はてブだけでも、はあちゅうへの誹謗中傷は見られるし、
DMやメールでも散々送られてるだろう。
「ファーストクラス」という沢尻エリカ主演のドラマのDVDを観て「これほどではないけど女同士って大体こんなかんじでマウンティングしてるよなー」と思っていた。
だけど匿名ダイアリーにそういったことを書くと「あんたはそうなのかもしれないけど女はみんなそうって一緒にしないでほしい」とかコメントされる。
あーそっか、そんな風にマウンティングだの格付けだのしないで生きてる人もいるんだーと思う。
けど、本当にクリアな気持ちで人付き合いしている人が私の(女同士の確執とかについて書いてる)記事に興味なんか持つかなー?とも思う。
あのドラマがあんなに話題になったり流行ったりしたのにはやっぱりそれなりにああいう女が多いってことなんだと思うんだけどな。
「ファーストクラス」という沢尻エリカ主演のドラマのDVDを観て「これほどではないけど女同士って大体こんなかんじでマウンティングしてるよなー」と思っていた。
だけど匿名ダイアリーにそういったことを書くと「あんたはそうなのかもしれないけど女はみんなそうって一緒にしないでほしい」とかコメントされる。
あーそっか、そんな風にマウンティングだの格付けだのしないで生きてる人もいるんだーと思う。
けど、本当にクリアな気持ちで人付き合いしている人が私の(女同士の確執とかについて書いてる)記事に興味なんか持つかなー?とも思う。
あのドラマがあんなに話題になったり流行ったりしたのにはやっぱりそれなりにああいう女が多いってことなんだと思うんだけどな。
知り合いの息子さんが似たような状況になったことがある。(同級生からその子にイジメられたって訴えがあった)
その時はお互い話を聞いた上で、「知人の息子さんの方が一方的に悪者というわけではないけど相手側の批はない」という結論に先生と向こうの親御さん含め確認したうえで、
相手側の性格を考えると子供の間の確執は解消するのは難しそうだ知人はと考えて、次の冬休みを待って知人が別の地域の引っ越して、子供が転校することで自分から解決することにしたらしい。
知人が持ち家じゃなく賃貸だったのと、知人にもう一人の子供は私立高校で電車通学だから転居しやすかった、という事情あってだけど結果的に息子さんは、その経験があって転校先の中学で勉強・友達関係両面で頑張ったみたいで県内トップクラスの高校に行けて、知人の家庭としては良い結果になったみたい。
フリーランスという働き方はもう珍しく無い。
彼らは大変優秀なプレイヤーだが、顧客との摩擦を異常に恐れるところがあるように感じる。
守ってくれる組織がいないので、お客様の機嫌を損ねると、明日のおまんまに影響するかもしれないからだ。
WEB業界においてフリーランスの顧客は発注元である広告代理店や企業だ。
WEB屋をやっている以上、一般ユーザーに評価されるものを作らなければならないが、
知識の浅い代理店や企業の担当者が、間違った知識を元に、間違った指示をしてくることが多々ある。
その時、WEB屋としては、担当者に「こうこうこうした方が良い」と提言する必要がある。
が、確執を恐れて、これを丁寧にできないのだ(丁寧に、と言ったのは、全くしない訳では無いという意味。すぐ諦める)。
結果、おかしな出来のものがそのまま一般ユーザーに届くことになる。
これが会社だったらうまくいくのかと言われると、全ての会社がそうでは無いだろうが、
会社は案件をいくつも並行して進めるものだし、一社おかしなクライアントが居なくなったところで、なんてことはない(少なくとも弊社は)。
良い仕事をしたいから、どんどん提言する(言い方はもちろん気をつけるが)。
フリーランス同士で仕事を受発注すると、友達同士がナアナアで仕事をしているようなことになる。
誤解を恐れずに言うと、
という訳で、フリーランスという働き方に魅力を感じない。
(1)(2)両方読んだ。
自分も似た領域で働く身であり、元増田氏の主張の殆どは正論だと思った。憶測も多く含まれてる主張だが違和感は感じ無かった。でもあまり「ゴミオタクども」等と煽らない方が良い様に思う。
そう言いたくなる気持ちはわかる。大きな仕組みの中で、手間ばかりかかる煩雑な作業に対して最善を尽くそうする人々の努力を、実態も理解せず雑な大企業批判ノリで踏みにじられるのは、かなり腹が立つ。わかる。
同様に、監督やヤオヨロズ等の振舞いに対して、社会人としての一線を問いたくなる感情も理解出来る。クリエーターは中心的かつ重要な役割りではあるが、その他の役割りに対する一定の配慮も必要である。という主張は正論だと思う。でも。それでも。けもフレの件に関して言えば、それらの怒りは少し置いて、考えてみるべき事がある様に思った。
自分はその界隈で働く人間であるが(けもフレ自体には関与していない)、同時に一人の視聴者として、けもフレという作品と作品が巻き起こす現象を大いに楽しみ、その行き着く先に大きな期待感を持っていた。確かに、幾つかの発信物にクレジットが無い事に気付いて「おや?」と思いもしたが、それ以上に、作り手と作品とファンがかつて無い速度で呼応しながら熱を帯びて行く様子を見てとてもドキドキした。既存のコンテンツプロデュースの枠組みからは決して生まれて来ない熱の発生を目撃で来た事にとても興奮した。大袈裟に言えば、そこに未来を感じていたのだ。
とても残念な事に、今回の件に関しては、不幸な炎上騒動に行き当たってしまったので全てはタラレバでしか無いのだけれども。もしも、本件の関係者達が悩みに悩んだ上で、かつての「正論」の枠外にある「新しいコンテンツプロデュースの仕組み」を編み出す事に成功出来ていたとしたら...ひょっとしたらその先には、今までに見た事も無い様な作品やビジネスが芽を吹いていたのではなかろうか...
とても残念な出来事が起こってしまい、起こってしまった事はくつがえせないとは知りつつも、その話しの経緯を端で見ていた者としては、苛立ちをぶつけ合って喧嘩をするよりも、どうやったら「その先に行く事が出来たのだろうか?」という事を考え、議論した方が良い様に思う。
苛立ちと喧嘩と確執の深め合いだけで終えてしまうには、あまりにも惜しい作品であり現象だったのでは無いかと考える。なのであまり煽らないで欲しいなと。
https://togetter.com/search?q=%E4%BD%90%E5%80%89%E8%89%B2&t=q (参考)
一部でも話題になった色紙1600枚事件(そんな風に世間で呼ばれてるかどうかは知らない)の当事者である佐倉色氏の描いたエッセイ漫画を読んだ。
というのもたまたまトゥギャッターでねとらぼの反論記事に関するまとめを見て本分に何が描かれていたのか興味が出たから。
問題の記事だけだと何があったのかさっぱりだし、周囲の反応も漫画の方を読まずにあっちが悪いこっちが悪いと勝手な推論を言ってる人が多くてこりゃあ漫画の方も読まないと何がなんだかわからないぞぅということで即購入。本の内容自体も面白そう(笑える方面じゃなくて好奇心を刺激される感じで)だったので。
で、読んだ感想としてはまあ色々ある。編集者さんヤバイなとか。
ただそのあたりは正直一般的な感想として出尽くしているので、今回は場外乱闘的な部分であるねとらぼとのあれそれに絞って言う。ねとらぼという会社としてはともかく問題の記事を作成した個人の方とはあまり関わりあいになりたくないなあという結論。
問題の記事を「整然とした反論だ」と言っている人を見かけたけど、別に整然とはしてない。主張そのものは理解しやすいけど。
漫画家(兼業作家)の佐倉氏は、当時の担当であるボーノ氏(仮名)との間にトラブルがあり、精神的にかなり疲弊していた。(このトラブルの顛末をまとめたのがタイトルにも入れてるエッセイ漫画)
そして編集とのトラブルで疲弊していた時期に起きた「本来の問題とは直接的に関係があるわけではないけれど、関連して起こったプチ騒動」がねとらぼの件になる。
佐倉氏は度重なるストレスから自身のツイッターやブログで「色々あって疲れたので(今回問題にする部分とは関係ないので詳細は省く)商業から暫く距離を置くつもりでいる」という話をした。それを見たねとらぼ側が『「桜色フレンズ」の佐倉色先生が商業マンガ家引退を表明 月刊少年エース担当者とのいざこざが原因』というタイトルで記事にした。
佐倉氏は該当の記事に関して不満があり、直接電話で意見することになった結果、最終的に該当記事については削除されるに至った、というのがまあごく完結で客観的な事実と言えると思う。
今回エッセイ漫画の中で騒動中の一幕としてこのねとらぼの記事や実際のやり取りに関する話題も触れられており、ねとらぼ側はそれに対して「事実と違う」と反論記事を上げた、という流れ。
参考にできるものがリンクできるところにないため解説。これは実際の漫画を読んで自分なりに解釈した内容になるので、気になる人は一次資料になる漫画を読んでもらった方が早いとは思う。
そもそもとして佐倉氏がねとらぼの記事に気が付いたのはボーノ氏からの電話によってであり、彼と話をしながらサイトの記事を読んでいた状況であることが描写されている。ここは割と重要。
まず、佐倉氏自身は自分のブログでの発言について当時の心労や混乱、なるべく穏便に事を済ませたいといった様々な思惑から『「批判」と「フォロー」 「辞める」と「辞めない」が入り混じった不思議な文章を書綴っていた』としていて、本人自身が分かりにくい点のある文章だったと認めている。
その上で、言いたかったことは『商業を撤退。少なくとも当分はこりごり。もし縁があったら商業復帰したいけど当分は休みたい』であるとしている。
だが、ねとらぼの記事ではタイトルのインパクトの強さや記事の要約の仕方から、この記事では本意が伝わらないだろう、ブログを読めば分かってもらえるだろうが記事を見た人がわざわざブログまで確認することは少ないだろうと判断。
(補足:この時点で佐倉氏には「記者の人は本当に自分のブログを読み込んだのだろうか」「ざっと呼んだだけでセンセーショナルな話題だからと大雑把な纏め方をされたのではないか」といった不信感があったのでは?と思われる。)
また、ナイーブな話題であるのにブログの記事だけを元にされていて、発言の裏にどんな意図があったのか、ブログの記事は事実なのか、といった詳細を確認しなかった、佐倉氏とは直接コンタクトを取ろうとしなかった点について『本人に事実確認もせず記事にする』と認識している。(補足:出だしの時点でねとらぼに対してよい印象を持っていなかったことがわかる)
こうして記事に対して不満を抱えていたところに、ボーノ氏がブログに掲載していた画像を使っていたことについてほのめかし、著作権に明るくない佐倉氏の画像を使ってよいものなのかという疑問に対して『普通にナシですよ』と発言。
(補足:著作権的に引用の範囲であれば無断で画像を使っても問題ない。問題の画像が引用の範囲だと認められるかどうかはそれこそ権利に詳しくないと難しい、素人では判断ができないのではないかと思う。が、逆にそんなものを「普通にナシ」と軽々しく言ってしまえるあたりボーノ氏も著作権に明るくないと思われる。)
(さらに補足:この適当な説明のせいで佐倉氏はねとらぼに対して「人の真意を汲み取らずおざなりな要約記事を掲載した上に普通にナシである画像転載までしたのか」とマイナスの印象を強めたと思われる)
そんな中で佐倉氏はボーノ氏にお願いされた「画像の取り下げ」(本人としても下げて欲しかったとは思う)を依頼するために直接ねとらぼへ電話。
(補足:佐倉氏がまず気にしていたのは大げさなタイトルと記事だけでは氏の真意を汲み取れないことだったので、目的である画像取り下げとは別に個人の思惑として記事そのものについてもどうにかして欲しいという思いはあったと推測できる)
会話の内容については
という流れだったとしている。
なお、折り返しの連絡を待っている間の描写の中には明らかに焦点のおかしい自身の絵や、善意の気づかいの言葉すら悪意に取ってしまうほど追い詰められていた、と自身が正常ではなかったことの説明も含まれている。
(補足:つまりこの時点で、電話の時も作者が冷静ではなかったことが読者に伺えるつくりになっている)
折り返しの連絡は編集長から(最初に電話をした人とは別人)であり、「許可は取っていない。今回の記事は削除する。しかし記事タイトルは残す」という内容。
それに対して佐倉氏は漫画内で『私の希望は無断転載された画像の削除と事実と違うタイトルの変更です』としている。
(補足:最初の電話の部分ではタイトル変更を希望したということは描写されていない。タイトルを誇張だと認識していることは描写されている。)
しかしこちらの主張は聞いてもらえず「(記事は消すが)画像は無断転載ではない」ということを何度も言われ、『半ば怒鳴りつけるような強い口調』だったと描写されている。
画像の利用については佐倉氏の認識としてはお礼漫画(2ページ)全部を丸々掲載されたという状況で、これが無断転載でなければ何なんだろうと疑問に思っている。
また、記事の削除理由として佐倉氏から要請があったためと説明すると再三確認され、最終的に一方的に電話を切られた、という流れだったとしている。
(補足:佐倉氏は名前を出すことを再三確認されることの理由がわからず、もしかして脅されているのではと受け取った)
そして記事は削除されました、という流れでねとらぼに関する描写はだいたいこのくらいだと思う。
これは全文参照できるので直接見るのが早い。
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1706/10/news018.html
あえて重要と感じた部分を要約すれば
といったあたり。
これらを確認した上での個人的な推測を述べる(もしかしたらこういうことなのではないかという話でこれが真実だと言うつもりはもちろんない)。
まず、前提として確たる証拠が出ておらずどちらも当時の記憶を頼りに話しているのだろう、という判断しかできない以上、どちらの発言も「主観的事実に基づいたものであり、一定の事実性はあるけれど真実を語っているわけではない」と考える。
まず、佐倉氏はねとらぼに電話をした。主目的としてはもちろん依頼された「画像の取り下げ」である。
しかし、氏はねとらぼ編集部に対してかなりマイナス印象を持っており、個人的には画像の取り下げよりもこちらの意図が伝わらないと思われる記事の内容の方が問題だった。
そしてまず記事の作者と話をした。話の内容として恐らく
(2)佐倉氏は次のように主張しました。「1:自分に断りなく記事が掲載されている」「2:画像は無断転載である」「3:文章もブログからの無断転載である」
ここは間違っていないと思う。漫画での主張(会話の内容としてと言うよりは本人の認識部分)とも一致しているからだ。
そもそも漫画の会話内容は実際の会話の要約だと思われる(あんな短い会話で話が済んだわけがないと思うので)だろうから、全体としてまとめたらそういう話にはなるだろう。
ではその主張を元にどのような会話が繰り広げられたのか。
繰り返すが本人も認める通り佐倉氏は著作権に詳しくなく、編集部として直接取材はしていないことも画像の利用に許可を取っていないことも認めている。であれば「裏取りもせずに勝手に画像を使ったと認めるんですね。であればこちらに断りなく使用した画像を消去して下さい」と依頼して何の不思議もない。それが主目的だし。
ただ、ここで画像に絞って主張したかはかなり怪しい。繰り返すがボーノ氏の希望である画像の削除とは別に作者自身の希望として記事内容そのものに不満があったのだから。
というか二度目の電話の時にタイトルの修正が希望だと言っているので、一度目の電話の時に画像の削除と一緒にタイトル修正も主張したと考えた方が妥当。
で、無断利用したものを消して欲しい、という希望に対して、もし仮に「いやこれは著作権的にこれこれこういう理由で別に消さなくてもいいものなんですよー」とか「今回の記事は転載ではなくて引用の範囲なのでー」という話になったのであれば別だが、ねとらぼ側の主張を見るにそういった説明をしたという記述はない。あくまで「事実だから報道したまで」「転載はしていない」という主張である。
無断で利用したことを問題視しているのに、「そうですね無断です」と言えば「じゃあどうにかしろよ」と言われるのはある意味当然の流れでしかない。
ここで「無断ではあるが無断であることは問題にはならない」ということを説明できれば話は違ったかもしれない(佐倉氏が冷静ではなかったのでその説明に納得してもらえたかどうかは分からない)が、ねとらぼの主張ではそれを説明したようには見えない。こじれるのも残当である。(文面と漫画だけで判断するなら)
「無断で使ってるんだから消して下さい」(誤った著作権への認識と心労による疲弊による主張)→「事実を書いただけです。転載はしていません」(引用なので法的に問題はない)→「いや、さっき確認取ってないって言いましたよね?なんで消せないんですか?」(法的に問題ないことの詳しい説明がなされないため主張の意味が分からない)→「いやですから、転載をしたわけではないので……」(著作権には違反していない)
といったような堂々巡りがあったのではないだろうか。それならお互いに「話が通じない」という認識になるだろう。
あと、電話内容の(4)についてだが、「商業引退ではないのか」と聞いても作者は「いや距離を置くだけって書いてあるやん」としか思わなかったのではないだろうか。佐倉氏の言う真相とはもっとブログに書かれていない情報を引きだそうとする努力はないのか、編集者の行動が事実だったのかの確認はしないのか(漫画で「漫画家の一方的な主張を元に記事にするの?」という疑問を持っていた)という意味である可能性があるので、この部分は認識の違いのような気がする。
記事自体の削除云々については、佐倉氏自身は記事の内容そのものを問題視していた(事実とは異なる、誇張された表現だという認識)ので、その認識からくる発言は記事の削除を求めるものだと受け取れるものであった可能性は高いと思う。
疲弊してパニックを起こしている作者からの電凸である。口調も実際は漫画であるような冷静な口調と考えるよりは興奮してそれなりの語気だったと考える方が自然。なので編集部が「この人話が通じないな」とおざなりな対応になってしまったとしても仕方ないというか割と当然だし、間違った認識を元に問い合わせている作者に対してわざわざ間違いを訂正する必要もない。
よってねとらぼの対応は「間違ってはいない」し、仮に漫画の内容が正しくてもねとらぼ側に不利益な内容であれば当然反論する権利はある。
ただ、「漫画家と編集者の確執を取り扱った記事を裏取りせずに記事にした(電話取材は行ったが不在で話せなかったため漫画家のブログという片方の主張しか確認できない状況なのに記事を即公開した)」のに「当人が当時の精神状況は異常だったと再三繰り返しているエッセイ漫画での記述については事実関係が違うが裏取りはしたのかと反論する」のはなんともダブスタ構造だなぁと思った。(そして漫画家の発言を一次ソースとして掲載しました、編集者側の発言は取材できなかったけど事実の報道なので問題はないです、とするならそれこそ飛鳥新社の主張と何も違わないのでは?)