はてなキーワード: 現実主義者とは
順不同
http://b.hatena.ne.jp/entry/364925107/comment/agricola
物事を是々非々で判断してると胸を張る自称現実主義者の皆さんが大好きな自民党は「是々非々」なんてお呼びじゃないんだとさ(嘲笑
http://b.hatena.ne.jp/entry/374520963/comment/segawashin
「政策は是々非々で判断。消去法で安倍政権支持。悪法に反対しない野党が無能だからいけない(キリッ」の流れるような三連コンボで護身完成。愛国カルト連中の精神的勝利法は死ぬまで止まらない。
http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/rappresagliamth/status/985416324598808576
数学 M on Twitter: "昨日からだけで 「是々非々」とかほざいてる #安倍真理教 #馬鹿信者 を2名ほど目にした(・∀・)"
韓国の徴用工の個人賠償請求問題を論理的に考えた場合は、「個人請求権は消滅してないが、その請求先は韓国政府のみであり、日本を対象とした請求は日韓基本条約において最終的に終了している。これを反古にするとは、日韓基本条約の破棄に相当する行為と等価とみなされてしかるべきである」以外の解答は出てこないはず、ではあるんだけど、リベラル方面の論調は「かつて韓国人に負担を強いたことに対する被害者感情の清算が済んでいない証左だ。個人賠償権は消失してないのだから、日本はあえて韓国が納得するまで謝罪すべきである」というようなものが多い。
こうした、意味不明に思えるリベラルの論調を分かりやすく表現すると、被害者に対する共感や同情と怜悧に突き放す日本の対応への反感のみがあって、いかにも情緒的な考え方が大事にされていて、正しさは重要ではない事が分かる。保守、ネトウヨ界隈で、こうした「共感」と「正しさへの反発」は、受け入れられない。保守界隈は現実主義者を自称する人が多いだけに、法的根拠や客観的事実を筆頭にした、曖昧さを認めない冷たさがある。
様々なニュースについてるブコメの平均的な傾向として、共感のリベラル、論理の保守って傾向は強い。もちろん、例外はあるでしょうが。
保守がリベラルをものの道理が分からないバカと罵っても、感情が収まらないリベラルが理屈には共感するはずがない。韓国人可愛そうと、韓国人は間違っている、の間に議論は成立しない。感情的な女性と、理性的な男性との間で齟齬が起きたときの様なもので、理屈もくそもない駄々こねで譲歩を引き出してきた韓国とリベラルだけど、徴用工問題では客観的根拠が明確なだけに決して日本の譲歩は引き出せないだろう。
一個人としては他人に共感できる事は好ましい事だけど、共感を政治問題、社会問題にまで延長してしまう事はどうなんだろうね。社会は論理的であるほうが正常だ。
これは簡単なことじゃない。
タイムマシンは実現しないと言われているが、多分えらい人が遠い未来に発明してくれるはずだ。
でも不老長寿くらいなら俺の寿命にギリギリ間に合うんじゃないだろうか。
そうして生きながらえて、タイムマシンが発明されて、やっと過去にさかのぼれる。
そして妙な噂が立つだろう。
その挙句、
「おお、神様が顕現なされた。この方の言うことは全て正しいはずじゃ。」
などとなってしまうかもしれない。
そうなると俺がしたい説得にならず目的を達成できない。
もちろん神仏恐れぬ命知らずの現実主義者がいたらそいつは食い下がるかもしれないが、
逆に意気地になって何を言っても聞こうとしないかもしれない。
古代の価値観ではその向きこそ違えど、どうしたって人知の及ばぬ存在を畏れているのだ。
言葉も覚えないといけない。
体型も現代に比べて痩せて筋肉質で日焼けもしているべきだろう。
身長は180cmだが、これはおそらく巨大過ぎる。
そうやって人体を改造したとしても、本命の説得対象となる人物に行き着く前に練習が必要だ。
俺を殺して生き血を吸いに来る邪教の狂信者。
苦楽を共にした村の連中。
互いに慈しみあった麗しき娘。
気がつくとそんな毎日がたまらなく生活が好きになっている自分がいた。
いつの日か、俺はヤムド山の樹海深くに隠したタイムマシンを呼び出した。
誰も乗っていないタイムマシンのコックピットにそっと手紙だけを置き、元いた時代へと飛ばした。
ある霧深い朝のことだった。
平安時代にお坊さんをやっていた記憶があるという話についてTwitterでの質問と回答
http://magurojuice.blog.shinobi.jp/Entry/19/
上記のやり取りや内容は特に面白くなかったのだけど、ブコメやツイッターでも評価が真っ二つで面白い。
「BIG FISH」という映画・小説は読んだことあるだろうか。
簡単に言えば「おとぎ話の様な人生はおくれないかもしれないが、人生をおとぎ話の様に語ることはできるよ」ってだけの話で
これが評価が両極端。
主人公は子供の頃から巨人男や狼男や魔女等が出てくる父親の創作話にうんざりしていたのだけど、父親が死にそうになって身辺整理をし始めたら魔女や狼男は出てこないにしても、似た様な人間が周りにたくさんいて父親は案外嘘つきではなかったのかもしれないな、と主人公が思う話。
息子側に感情移入すれば実際大人になった自分や親戚たちに自分のどうでもいい出来事をおとぎ話の様に喋られたら、息子としては「もう勘弁してくれ」と思うだろうし
おとぎ話を話続けた父親側に感情移入すれば、本当は語れる程何もなかった自分の人生を語らなければならない時に少しだけアクセントを加えてちょっとだけ面白くなる様に話をしただけ。
息子と父親、どちらが悪でどちらが善ではない。
父親を「夢ばかり見ていて大人になれなかったクズ」呼ばわりして評価する人もいれば、息子が冷酷すぎて父親がかわいそうだと評価する人もいる。
今回の前世の記憶がどうとかってのを楽しめない・ニセ科学や新興宗教を心配する人はきっと息子側で現実主義者なだけで別に間違ってはいないと思う。
楽しめる人は父親側で、自分の特に波のなかった人生を少しだけでも面白く語れる人なのかもしれない。
内容は違うのに、評価が少し似ているなと思った。
冨野が世界名作劇場やりたくって、それでガンダムを使ってやったのがターンAガンダム
ロランはリアリスト…現実主義者でありながらも理想を決して捨てない強靭なメンタルも持ってる
理想だけでなくちゃんと行動するし諦めないで明るい未来を目指そうとするから好感が持てる
悩むこともあるけど自分の殻に閉じこもることはない
いつもソシエたちのこと、ムーンレイス、地球人の幸福を考えてる
どちらのサイドにも肩入れすることなく、あえて言えばディアナ教
戦いたくないから一番被害が出ないような決着を考えて行動してる
それも戦いの原因を無くすために戦うのであって、ただ巨大なゲンコツで殴るだけじゃない
実はロランというキャラクターが異常な内面性と行動性に満ちている
ナウシカから風の谷の蛮族要素を抜いて、英雄扱いされない程度にカリスマ性を引いて、博愛主義者の漂白剤をぶちまけたようなキャラ
そんなやつが、一般市民にまぎれて、混ざって、ポツンといるの
しかも周りの人間からは英雄扱いはされずに終始ターンAを動かせるロラン、助けてロラ~ン!くらいの認識
やってること振り返れば祭り上げられてもいいくらい人を救ってるのにガンダムに乗れる以外は市民Aのままなの
羊たちの群れの中に明らかにおかしい行動してるのに終わったらまた普通に羊の群れに戻っていく異常な羊が1頭
こんなことってある?
普通ガンダム作品でここまでやったらヨイショ!ヨイショ!ドッコイセ!ドッコイセ!される
ロランのことが好き好きたまらないグエン様くらいが特別扱いしてたくらい
たぶん作中で一番異常
リベラルの敗因なんてはっきりしている。「弱者には理想を押し付けても構わない」って傲慢だよ。
リベラルを自認する人でも、ごく一部の夢見がちな人以外は普通に現実主義者でもあるから、
実のところ強者にモラルなんかあまり求めていない。求めても仕方がないとわかっているからだ。
だから、例えば歌舞伎役者の性事情が乱れに乱れまくっていても、ある程度ならしょうがない、
あそこは元々そういう世界だから、と心のどこかで受け入れてしまっている。
なのに彼らは、弱者に対しては割と平気で、寛容であること、誠実であることを押し付けようとする。
たぶん、全体の利益を考えれば、リベラルの言うこと聞いた方がいろいろうまく回るんだろう。
非モテの男は優しく倫理的で無害である方がいいに決まっている。
しかし、弱者がそれに甘んじなければいけない道理なんて、よく考えてみると、実は全くない。
金がなくても選挙権があれば、それを自分の好きなように行使する自由はあるし、
非モテにも酒飲ませてレイプとかは論外にせよ、小手先の技術で自分を大きく見せる自由はある。
なぜ自分ばかりが、あいつらの理想を押し付けられなきゃならないのか?
おそらく、EU離脱派にもトランプ支持者にも、そして恋愛工学の徒にも共通していると思うが、
批判する側がそうやって大上段から倫理を振りかざして否定してかかったって、耳を貸したりしない。
彼らはもう、そういうのに心底うんざりしているのだ。
最近の若者がネトウヨ化しているのは、読書体験によるものではないかと思う。
こう書くと、「読書体験が足りないから右傾化した」論者に思われるかもしれない。
しかし、私が主張するのはだいぶ違う内容だ。むしろ逆の内容だ。読書体験は、本来の形でないにしろ多くなっていると思う。
最近の若者は、「読書体験」の多さによって、ネトウヨ化しているのではないか。
若者は人生経験が少ない。筆者もまだ10代だから、はっきり言って人生経験と呼べるものなど殆ど無い。
その若者が、足りない人生経験を補うのに必要なのが、読書体験である。
本来的には、人生経験の足りていない若者は、理想主義に走りやすいのではなかろうか。
中村光夫氏の『老いの微笑』では、恋愛の永遠性や、社会正義の実現の夢などが、青年の持つ錯覚の例としてあげられている。
私が思うに、かつての若者の中にあった新左翼は、社会正義の実現の夢をいだき、いわゆる学生運動などへ傾倒していった、「理想主義」者であった。
しかし、今は異なる。読書体験とはいわば、文章を読むことで、他者の人生を擬似的に経験することだ。
この体験を増やしたのが、ネットであろう。インターネット、特にツイッターなどで語られる「他者の人生」を
今の若者はかつてよりも大量に読み、結果として現実を知り、「現実主義者」と化したのではなかろうか。
つまり、現代の若者は、インターネットによって他者の人生を知る変則的な「読書体験」を多く積み、結果として「社会正義の実現」などといった
理想主義の不可能性を知り、現実主義者となった。そして、それが「ネトウヨ」と呼ばれるようになったのではないか。
インターネットには、地獄とも言える生々しい現実が多数描かれている。togetterまとめなどが代表例だ。
昔の若者は、このような現実を知らぬまま、理想主義に向かっていったが、いまだとネットによって辛い現実を知る、ということだ。
キェルケゴールが言うところの「絶望を経て、次の段階に達している」というようなことことかもしれない。
変則的「読書体験」で理想を砕かれた絶望の上の、現実主義者ということだ。
昔は情報がなく、世の中を若者がわかっていなかったというのは、「出口小論文講義の実況中継②」で、出口先生も語っておられた。
その中で先生がおっしゃっていたように、だからこそ昔の若者は夢をより持てたのだから、必ずしもこの読書体験の増大は良いことばかりではない。
そもそもネトウヨと呼ばれる者達の思想は、政治的右派と言うよりは「現実主義」である。
もちろん、現実主義が100%良いものではなく、理想を考えることも時には必要であろう。
以上の理由からして若者が現実主義者となってしまい、それがネトウヨ思想と親和性を持った結果の、若年層における
「右傾化」なるものの発生、そして続く自民党の若年層からの人気なのではないか。
より踏み込んで言えば、情報社会こそ、「ネトウヨ化」の根源なのかもしれない。
追記です。
キェルケゴール云々は、要するに「絶望」→何らかの変化をいう段階の比喩として使ってるだけで、本来はキリスト教関係だってのは理解してます。
ちょっとこれ以外にうまくあげられるような例が見つからなかったので、変になってしまってすみません。一応比喩を明示しておきます。