はてなキーワード: 現実主義者とは
これは簡単なことじゃない。
タイムマシンは実現しないと言われているが、多分えらい人が遠い未来に発明してくれるはずだ。
でも不老長寿くらいなら俺の寿命にギリギリ間に合うんじゃないだろうか。
そうして生きながらえて、タイムマシンが発明されて、やっと過去にさかのぼれる。
そして妙な噂が立つだろう。
その挙句、
「おお、神様が顕現なされた。この方の言うことは全て正しいはずじゃ。」
などとなってしまうかもしれない。
そうなると俺がしたい説得にならず目的を達成できない。
もちろん神仏恐れぬ命知らずの現実主義者がいたらそいつは食い下がるかもしれないが、
逆に意気地になって何を言っても聞こうとしないかもしれない。
古代の価値観ではその向きこそ違えど、どうしたって人知の及ばぬ存在を畏れているのだ。
言葉も覚えないといけない。
体型も現代に比べて痩せて筋肉質で日焼けもしているべきだろう。
身長は180cmだが、これはおそらく巨大過ぎる。
そうやって人体を改造したとしても、本命の説得対象となる人物に行き着く前に練習が必要だ。
俺を殺して生き血を吸いに来る邪教の狂信者。
苦楽を共にした村の連中。
互いに慈しみあった麗しき娘。
気がつくとそんな毎日がたまらなく生活が好きになっている自分がいた。
いつの日か、俺はヤムド山の樹海深くに隠したタイムマシンを呼び出した。
誰も乗っていないタイムマシンのコックピットにそっと手紙だけを置き、元いた時代へと飛ばした。
ある霧深い朝のことだった。
平安時代にお坊さんをやっていた記憶があるという話についてTwitterでの質問と回答
http://magurojuice.blog.shinobi.jp/Entry/19/
上記のやり取りや内容は特に面白くなかったのだけど、ブコメやツイッターでも評価が真っ二つで面白い。
「BIG FISH」という映画・小説は読んだことあるだろうか。
簡単に言えば「おとぎ話の様な人生はおくれないかもしれないが、人生をおとぎ話の様に語ることはできるよ」ってだけの話で
これが評価が両極端。
主人公は子供の頃から巨人男や狼男や魔女等が出てくる父親の創作話にうんざりしていたのだけど、父親が死にそうになって身辺整理をし始めたら魔女や狼男は出てこないにしても、似た様な人間が周りにたくさんいて父親は案外嘘つきではなかったのかもしれないな、と主人公が思う話。
息子側に感情移入すれば実際大人になった自分や親戚たちに自分のどうでもいい出来事をおとぎ話の様に喋られたら、息子としては「もう勘弁してくれ」と思うだろうし
おとぎ話を話続けた父親側に感情移入すれば、本当は語れる程何もなかった自分の人生を語らなければならない時に少しだけアクセントを加えてちょっとだけ面白くなる様に話をしただけ。
息子と父親、どちらが悪でどちらが善ではない。
父親を「夢ばかり見ていて大人になれなかったクズ」呼ばわりして評価する人もいれば、息子が冷酷すぎて父親がかわいそうだと評価する人もいる。
今回の前世の記憶がどうとかってのを楽しめない・ニセ科学や新興宗教を心配する人はきっと息子側で現実主義者なだけで別に間違ってはいないと思う。
楽しめる人は父親側で、自分の特に波のなかった人生を少しだけでも面白く語れる人なのかもしれない。
内容は違うのに、評価が少し似ているなと思った。
冨野が世界名作劇場やりたくって、それでガンダムを使ってやったのがターンAガンダム
ロランはリアリスト…現実主義者でありながらも理想を決して捨てない強靭なメンタルも持ってる
理想だけでなくちゃんと行動するし諦めないで明るい未来を目指そうとするから好感が持てる
悩むこともあるけど自分の殻に閉じこもることはない
いつもソシエたちのこと、ムーンレイス、地球人の幸福を考えてる
どちらのサイドにも肩入れすることなく、あえて言えばディアナ教
戦いたくないから一番被害が出ないような決着を考えて行動してる
それも戦いの原因を無くすために戦うのであって、ただ巨大なゲンコツで殴るだけじゃない
実はロランというキャラクターが異常な内面性と行動性に満ちている
ナウシカから風の谷の蛮族要素を抜いて、英雄扱いされない程度にカリスマ性を引いて、博愛主義者の漂白剤をぶちまけたようなキャラ
そんなやつが、一般市民にまぎれて、混ざって、ポツンといるの
しかも周りの人間からは英雄扱いはされずに終始ターンAを動かせるロラン、助けてロラ~ン!くらいの認識
やってること振り返れば祭り上げられてもいいくらい人を救ってるのにガンダムに乗れる以外は市民Aのままなの
羊たちの群れの中に明らかにおかしい行動してるのに終わったらまた普通に羊の群れに戻っていく異常な羊が1頭
こんなことってある?
普通ガンダム作品でここまでやったらヨイショ!ヨイショ!ドッコイセ!ドッコイセ!される
ロランのことが好き好きたまらないグエン様くらいが特別扱いしてたくらい
たぶん作中で一番異常
リベラルの敗因なんてはっきりしている。「弱者には理想を押し付けても構わない」って傲慢だよ。
リベラルを自認する人でも、ごく一部の夢見がちな人以外は普通に現実主義者でもあるから、
実のところ強者にモラルなんかあまり求めていない。求めても仕方がないとわかっているからだ。
だから、例えば歌舞伎役者の性事情が乱れに乱れまくっていても、ある程度ならしょうがない、
あそこは元々そういう世界だから、と心のどこかで受け入れてしまっている。
なのに彼らは、弱者に対しては割と平気で、寛容であること、誠実であることを押し付けようとする。
たぶん、全体の利益を考えれば、リベラルの言うこと聞いた方がいろいろうまく回るんだろう。
非モテの男は優しく倫理的で無害である方がいいに決まっている。
しかし、弱者がそれに甘んじなければいけない道理なんて、よく考えてみると、実は全くない。
金がなくても選挙権があれば、それを自分の好きなように行使する自由はあるし、
非モテにも酒飲ませてレイプとかは論外にせよ、小手先の技術で自分を大きく見せる自由はある。
なぜ自分ばかりが、あいつらの理想を押し付けられなきゃならないのか?
おそらく、EU離脱派にもトランプ支持者にも、そして恋愛工学の徒にも共通していると思うが、
批判する側がそうやって大上段から倫理を振りかざして否定してかかったって、耳を貸したりしない。
彼らはもう、そういうのに心底うんざりしているのだ。
最近の若者がネトウヨ化しているのは、読書体験によるものではないかと思う。
こう書くと、「読書体験が足りないから右傾化した」論者に思われるかもしれない。
しかし、私が主張するのはだいぶ違う内容だ。むしろ逆の内容だ。読書体験は、本来の形でないにしろ多くなっていると思う。
最近の若者は、「読書体験」の多さによって、ネトウヨ化しているのではないか。
若者は人生経験が少ない。筆者もまだ10代だから、はっきり言って人生経験と呼べるものなど殆ど無い。
その若者が、足りない人生経験を補うのに必要なのが、読書体験である。
本来的には、人生経験の足りていない若者は、理想主義に走りやすいのではなかろうか。
中村光夫氏の『老いの微笑』では、恋愛の永遠性や、社会正義の実現の夢などが、青年の持つ錯覚の例としてあげられている。
私が思うに、かつての若者の中にあった新左翼は、社会正義の実現の夢をいだき、いわゆる学生運動などへ傾倒していった、「理想主義」者であった。
しかし、今は異なる。読書体験とはいわば、文章を読むことで、他者の人生を擬似的に経験することだ。
この体験を増やしたのが、ネットであろう。インターネット、特にツイッターなどで語られる「他者の人生」を
今の若者はかつてよりも大量に読み、結果として現実を知り、「現実主義者」と化したのではなかろうか。
つまり、現代の若者は、インターネットによって他者の人生を知る変則的な「読書体験」を多く積み、結果として「社会正義の実現」などといった
理想主義の不可能性を知り、現実主義者となった。そして、それが「ネトウヨ」と呼ばれるようになったのではないか。
インターネットには、地獄とも言える生々しい現実が多数描かれている。togetterまとめなどが代表例だ。
昔の若者は、このような現実を知らぬまま、理想主義に向かっていったが、いまだとネットによって辛い現実を知る、ということだ。
キェルケゴールが言うところの「絶望を経て、次の段階に達している」というようなことことかもしれない。
変則的「読書体験」で理想を砕かれた絶望の上の、現実主義者ということだ。
昔は情報がなく、世の中を若者がわかっていなかったというのは、「出口小論文講義の実況中継②」で、出口先生も語っておられた。
その中で先生がおっしゃっていたように、だからこそ昔の若者は夢をより持てたのだから、必ずしもこの読書体験の増大は良いことばかりではない。
そもそもネトウヨと呼ばれる者達の思想は、政治的右派と言うよりは「現実主義」である。
もちろん、現実主義が100%良いものではなく、理想を考えることも時には必要であろう。
以上の理由からして若者が現実主義者となってしまい、それがネトウヨ思想と親和性を持った結果の、若年層における
「右傾化」なるものの発生、そして続く自民党の若年層からの人気なのではないか。
より踏み込んで言えば、情報社会こそ、「ネトウヨ化」の根源なのかもしれない。
追記です。
キェルケゴール云々は、要するに「絶望」→何らかの変化をいう段階の比喩として使ってるだけで、本来はキリスト教関係だってのは理解してます。
ちょっとこれ以外にうまくあげられるような例が見つからなかったので、変になってしまってすみません。一応比喩を明示しておきます。
何か震災や被災があるたびに「かわいそう」とか「心配」とか「助かってください」とか
ツイッタやらSNSやら掲示板でやらヤフゴミやらここやらどうでもいいわ、
兎に角いろんなところで心配してそれにいいねとか拡散してるやつらのことな。
そして震災後の対応にシビアな意見を見つけたらイナゴのように肉も骨も食い散らかして攻撃していくやつらのことな。
こいつらの行動原理は主に2つ。
「心配する心優しい私を認めて欲しい」
1つ目は、糞みたいな自分の日常から脱却したい忘れたいという願望。
1999年ノストラダムスの予言に熱狂して信じてしまうようなタイプ。
地震や津波などの天災によって引き起こされる非日常感をエンジョイしてる。
台風きたり地震きたら興奮してドキドキしてアドレナリン出るやつ。
日常から解放される快感を味わいたいために特に関係の無い地域のやつでも
拡散に必死になったり参加してる気分を味わいたいのはなるべく長く被災状態(非日常感)を味わい尽くしたいから。
2つ目は、人から優しいと思われたい・優しい行為をしている自分は認められてもいいはずだという承認欲求。
そして自分と同じことをしている人間を見かけて褒めること、いいねすることで自分の行為も同時に肯定して
承認欲求を満たそうという考え。
これの素晴らしいところは評価数の多ければ多いほど心配コメントを評価する自分も承認されるので
発信すら不要で支持するだけシェアするだけで満たすことが可能ということ。
表だって心配せずともいいね押すだけやシェアするだけの水面下の心配宗もいる。
なので心配宗を批判するとこの水面下の人間からもカウンターパンチをもらうことになり意外なところから攻撃を食らいやすい。
現実主義者から程遠い意見が生まれるのもなるべくメルヘンチックな脳をしているほうが心配宗に適しているからだ。
やってることは「グリーンマイル見てごっつ泣いたわシェアしょ」レベル。
伝家の宝刀は、
・人でなし
・良心の欠片もないのか
・偽善も善
などなど。
心配する自分VS心配しない人でなしという構図を簡単に作り出しやすいため、
群衆を味方につけやすく、自分の中身の無い行動にも正当性を作り出しやすい。
簡単に言うと、
例:大江健三郎・坂本龍一・山本太郎・社民党・共産党・革マルとか中核派などのテロ組織
古き良き時代の戦後民主主義というやつで、彼らは単なるアジテーターです。今回の法案では、まるっきり無関係な徴兵制とか戦争法案言っているのもこの人達です。こういうお花畑の人たちの煽動ははっきり言って逆効果。右の石原百田、左の大江坂本という感じです。SEALDsも一見するとここに見えますが、彼らは彼ら彼らで民主党といい勝負の寄せ集め集団なので、また違います。
例:野中広務・古賀誠・加藤紘一・民主党の左派・創価学会(≠公明党)
かつて保守本流と呼ばれていた人達です。自衛隊という固有の軍隊と、現状の日米同盟で防衛するという意味で、ある意味で一番現実主義者でしょう。ただ問題は、アメリカがもうそんなレベルの協力関係は望んでいないことですが。オーストラリア軍や韓国軍と同様に自衛隊にも米軍の下請けをさせたいというのが、今回の安保法案の目的なので。
本来保守と呼ばれている人達です。内閣による憲法解釈で下位法を変えるのは、立憲主義も法の支配も無視するという意味です。中共や北朝鮮と一緒(中共は憲法よりも上位に共産党の決定があるため、憲法が空文化している)。国連決議の上で多国籍軍やPKFに参加しようなんて人もいます(岡田克也、小沢一郎)。本来の自民党の多くもここなはずなんだけど、官邸や党の主要ポストを総裁の子分が握っているため、憲法解釈による運用変更なんてトンチキなことをやっています。清和会支配の完全なる弊害ですね。
例:維新の党
例えば「自衛隊が米軍の核弾頭を輸送するのか?」「先制攻撃に行く米軍の軍艦や戦闘機に給油するのか?」「そもそも集団的自衛権ってどこまで認められるの?」など、今の法案のままだとまずいので修正しましょうという人達。日本の周辺事態や防衛のみに限定しましょうとか、大量破壊兵器の輸送はやめましょうと言う勢力。だって、イラク戦争とかベトナム戦争みたいなのに自衛隊が参加するなんて悪夢でしょう。ネトウヨがよく韓国への攻撃で使うベトナム戦争での蛮行なんかもあるんだけど、自衛隊がそんなことしないという保証がどこにあるの?修正すると宰相が米上院で勝手にコミットした期限に間に合わなくなるので、今回はこれすら拒否しています。まるで無茶な納期と予算で受注を取ってくるアホな営業みたいです。
例:小林よしのり・鈴木邦男・一水会・長渕剛・(かつての共産党)
いわゆる民族派とか右翼と呼ばれている人達です。憲法九条自体は改憲して、自衛隊を正規軍にする一方で、日米同盟を破棄して自主防衛にすべきという人達です。この人達もこの人達で、ある意味アレですが「アメリカの戦争に巻き込まれたくない」ということで、今回は左側の人達と共闘しています。まあ、清和会のすすめる日米同盟に比べたらある意味平和主義かもしれません。現実的に日米同盟なしで国防が成り立つかどうかは別として。日米同盟が亡くなったら、対馬をめぐって日韓でフォークランド紛争みたいなことが起こるかもしれません(既に竹島がフォークランド化してますが)。
場の空気で反対している人達です。現在の宰相が空気作りが下手なため、今は世の中の空気は反対多数ですが(清和会御用メディアのFNNの世論調査ですら今国会での成立には否定的)、これが小泉純一郎みたいな人だったらば賛成に回るでしょう。ガッチャマンクラウズ インサイトに出てくる猿と呼ばれる人達です。松本人志とか小籔なんか逆張りで安保法案に賛成していますが、同レベルの猿です。たんなる逆張りなので、あるい意味議事堂周辺に集まるひとや、ネット上のレイシストに比べても悪質でしょう。こういう連中こそ政治に口出しすんのなんかやめてお笑いだけやってりゃいいんだ。
ちなみに書いたやつ(つまり俺)の個人的見解としては、「現状維持で護憲のまま行くか、どうせ改憲するならば改憲したうえでNATOに加盟したほうがまだいいんじゃね?」って思ってます。単なる日米同盟だけの集団的自衛権と、NATOへの加盟では全く意味が違ってくるからね(ベトナム戦争やイラク戦争には仏独は不参加)。オーストラリアや韓国みたいに、単なる米軍の下請けは勘弁願いたいです。地理的に大西洋じゃないやんという突っ込みもありそうですが、米韓豪日台比印のPTO結成とかは勘弁。NATOと違って完全に米国とその子分たち連合になるだけだから。
小林よしのりが昔言っていた。
現実主義なんて言葉を口に出す人間はその時点で現実が向上することをあきらめている敗北主義者であり、
現実主義をとなえながら世の中よくなるだとかこれが必要だなどと言ってたらそいつは間違いなく詐欺師である、と
私は昔右翼だったが今は逆に左翼寄りなため小林よしのりが嫌いだが、この言葉は間違いなく正しいと経験上思う。
まともな教育を受けてない人間は、何が良くて何が悪いかという判断すらつかないため
大人がこれが正しい、といった方向に簡単に誘導される、そんな恐ろしい世界で、
それを打ち砕くためには学がなくても通じる原始的な欲求に訴えかけるしか無い、というような話だった。
この教育をまともに受けておらず知識がないバカが増えると、バカは自分で判断する能力を持たないため
自分の頭で考えず周りの空気に流されてとんでもない方向に進んでしまう、という話は
ガッチャマンクラウズインサイトというアニメでも描かれている。
こういうアニメが出てきたということは、それだけネットにもバカなユーザの利用者数が増えてきて、
そのバカが国家による誘導に対してどれだけ無防備であるか、ということが可視化されるようになってきているということであろう。
実際そういうバカを食い物にしてのし上がろうとする国会議員やWebコンサルタントなどの姿が今日もはてなで目についた。
学のない人間はどれだけ裏切られても国家を信じて依存し右翼になるしか無いのが惨めである
ダマされるというよりも、右翼のいうことを信じるという選択肢しか持ち得ないからだ。
おかしいと思っても、それ以外に彼らに寄り添ってくれる考え方がないのだ。
学のない人間は、自分がいまいる世界の中で自分が上方に移動するというイメージが持てない。そのための知識がない。
だから自分にとってもっと良い世界があるということもわからなければ、
もっと良い方向に移動する方法もわからない。そもそもそういう希望を抱くことすら出来ない。
国そのものが上昇すればそのお零れで自分の生活が少し良くなるかも、という形でしか自分の生活が良くなるイメージを抱けない。
しかしアベノミクスは、全体の底上げという非効率的な手法は取らず、大企業優遇で株価を上げるという方策をとった。
別に私はこの方法が間違いだとは思わない。まず金融政策が最も即効性があり、かつ効率的である。
あてもない財源を計算にいれて実行できない財政政策ばかり唱えていた民主党よりはるかに意味がある仕事をした。私自身それなりに儲けさせてもらうことができた。
しかし学のない人間にはこういう話は理解できなかっただろうし対応も出来なかった。そして彼らには何のメリットもなかった。
ただただ金持ちがより金持ちになるようにしか見えなかったはずだ。国家を信じてももう意味が無い。
それでも、学の無い人間は国家のためにつくしていればいずれ国家が報いてくれると信じるしかない。そこにしか希望がないからだ。
そういう絶望の裏返しとしての狂信に踊らされれているのが現代の愛国者であり、右翼である。
上に書いたような事情で右翼をやっているやつらが現実主義なわけがない。ただの現実逃避である。
自分自身に対してはウジウジして希望も持てないくせに、愛国みたいなことを言って自分を慰めるようなやつのどこが現実主義者なのか。
タチが悪いことに学があって現実をよくわきまえているのに右翼を気取って、馬鹿を扇動して搾取することを目的とする最低最悪のクズも見てきた。
私はこういう右翼を山ほど見てきて嫌気が差したので右翼的な活動から身を引いた。
何が右翼は現実主義、だ。 左翼もたいがいお花畑だが右翼よりはマシだし、そんな右翼にならざるを得ない学のない人間を騙して儲けようとしている人間はただのクズだ。
伝えたいことが伝わる気がしないとしか思えない経験と関係があって なので電話だと何も発声する気にならなくて(たぶん今更な話だとは思うのだけど) 何から書けばいいのかわからないけど、思いついた言葉からつらつらと書いていきたい 絶望的な気持ちはあるけど、誰にも安易に理解してほしくないし安易に同意されたくもない 自分にできることは他人にできないし、同じ人種だとは思いたくないし思われたくもない。そう思うしかなかった どうしても守りたかったものがあって、それの信憑性がどんどん薄れていく悪夢しか感じない。嘘じゃないのに。守ってきた潔癖さを維持できない。なんのために守ってきたのかがわかんない。 自分が人間として生きる目的は、人間として自分が感じるものを大切にすることだった。感じるものを否定してまで生きる意味がわからない。 価値観は人それぞれ。 価値観の違いだと認識する物事もあれば、価値観の違いだとは認識するわけにはいかない物事だってあるはず。 価値観の差異を包括するレベルでの価値観の差異はどうにかしてほしい。 生きた環境によって価値観が生まれてて、それはいいのだけど、なんで現実主義者は存在するものを否定するのかがわかんない。ぐるぐる 自分の価値観において、日々の選択肢があるのだけど、すべてを聞いてくれるのならすべて説明してやりたいけど。 価値観形成のお話とか本音の話とかしたいなっておもうけど、信頼できる相手がいない。 自分に自信ある点ではたぶん幸せなんだけど、世の中の価値観と全く次元が違うのでつらさしかない 価値観は人それぞれだけど、皮肉でそれを言いたくないよね。人には意図があって、会話である。人間を人間だと信じてて何が悪い(皮肉) 不愉快に感じていることの表明行為には意図があり、様々な議論の余地が別にあるけれど、不愉快に感じる事象に関しては存在する事象と価値観 勝手に人間であることを放棄しないでほしい。悲しい。 自分で自分(の認識空間)に満足しているから誰よりも幸せ。自分は自分を尊敬しているし、生まれ変わっても自分になりたいし、そう言えるように生きた。 人間は退化しかしない。昔は人間を人間だと信じていて、感じていたはずなのに、みんなそれを捨てていく。 自分自身が世界に存在できる価値観を人は持ち、価値観を守るために、人はみな日々の選択肢を選び、一生懸命に生きている。 価値観が極めて偏っている自分だけど、数年前のネット上の振る舞いや表現内容よりは現在の方が、より他人には近づいているものであると思う 伝えたいことを言葉にできない。小学生の時からいろんな考え事と努力があって、取り戻したい気持ちがあって、未だにこんな話しかできない現状があって またふつうの人は自分の人生に興味があって、現実的なことを考えると思うけど 自分にはそういうのを放棄せざるを得なかったことがあって、自分が自分ではないような自分の人生には興味がなくて、 たぶん何言ってるのかわかんないだろうと思うけど、この点でまず生きていける気がしないよねって思う話もあったりして。 他人が使った言葉がとことん嫌いであり、わざと違う言葉を作ってきたのが実際なのだけど。 小学生の時に将来の夢とか書かされたけども、純粋にそれの言葉の意味がよくわからなかった。 けど、今なら当時の夢という言葉の意味は少しわかって、それでなんだったのかというと、 自分の心からの完璧主義思想と美意識と価値観と信念と、自分の伝説を理解されたいだけの人生 それは小学生の時の思いで、具体的な自己表現にはいろんな自己表現があると思うのだけど。 人間を人間だと信じてるけど、誰にも理解されないのは生きてる意味を感じなくて。 生きてる意味を感じないのに生きろとか無責任に言わないでほしい。 例えばまず日本語がさっぱり分からないので、使えたらいいなとか思ったりするわけ。 でもそんなこととか言いにくかったりするし。