何か震災や被災があるたびに「かわいそう」とか「心配」とか「助かってください」とか
ツイッタやらSNSやら掲示板でやらヤフゴミやらここやらどうでもいいわ、
兎に角いろんなところで心配してそれにいいねとか拡散してるやつらのことな。
そして震災後の対応にシビアな意見を見つけたらイナゴのように肉も骨も食い散らかして攻撃していくやつらのことな。
こいつらの行動原理は主に2つ。
「心配する心優しい私を認めて欲しい」
1つ目は、糞みたいな自分の日常から脱却したい忘れたいという願望。
1999年ノストラダムスの予言に熱狂して信じてしまうようなタイプ。
地震や津波などの天災によって引き起こされる非日常感をエンジョイしてる。
台風きたり地震きたら興奮してドキドキしてアドレナリン出るやつ。
日常から解放される快感を味わいたいために特に関係の無い地域のやつでも
拡散に必死になったり参加してる気分を味わいたいのはなるべく長く被災状態(非日常感)を味わい尽くしたいから。
2つ目は、人から優しいと思われたい・優しい行為をしている自分は認められてもいいはずだという承認欲求。
そして自分と同じことをしている人間を見かけて褒めること、いいねすることで自分の行為も同時に肯定して
承認欲求を満たそうという考え。
これの素晴らしいところは評価数の多ければ多いほど心配コメントを評価する自分も承認されるので
発信すら不要で支持するだけシェアするだけで満たすことが可能ということ。
表だって心配せずともいいね押すだけやシェアするだけの水面下の心配宗もいる。
なので心配宗を批判するとこの水面下の人間からもカウンターパンチをもらうことになり意外なところから攻撃を食らいやすい。
現実主義者から程遠い意見が生まれるのもなるべくメルヘンチックな脳をしているほうが心配宗に適しているからだ。
やってることは「グリーンマイル見てごっつ泣いたわシェアしょ」レベル。
伝家の宝刀は、
・人でなし
・良心の欠片もないのか
・偽善も善
などなど。
心配する自分VS心配しない人でなしという構図を簡単に作り出しやすいため、
群衆を味方につけやすく、自分の中身の無い行動にも正当性を作り出しやすい。
簡単に言うと、