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2016-09-01

若者の「読書体験」とネトウヨ

 最近の若者ネトウヨ化しているのは、読書体験によるものではないかと思う。

こう書くと、「読書体験が足りないか右傾化した」論者に思われるかもしれない。

しかし、私が主張するのはだいぶ違う内容だ。むしろ逆の内容だ。読書体験は、本来の形でないにしろ多くなっていると思う。


 最近の若者は、「読書体験」の多さによって、ネトウヨ化しているのではないか


 若者人生経験が少ない。筆者もまだ10代だから、はっきり言って人生経験と呼べるものなど殆ど無い。

その若者が、足りない人生経験を補うのに必要なのが、読書体験である


本来的には、人生経験の足りていない若者は、理想主義に走りやすいのではなかろうか。

中村光夫氏の『老いの微笑』では、恋愛永遠性や、社会正義の実現の夢などが、青年の持つ錯覚の例としてあげられている。

私が思うに、かつての若者の中にあった新左翼は、社会正義の実現の夢をいだき、いわゆる学生運動などへ傾倒していった、「理想主義」者であった。


 しかし、今は異なる。読書体験はいわば、文章を読むことで、他者人生を擬似的に経験することだ。

この体験を増やしたのが、ネットであろう。インターネット特にツイッターなどで語られる「他者人生」を

今の若者はかつてよりも大量に読み、結果として現実を知り、「現実主義者」と化したのではなかろうか。


 つまり現代若者は、インターネットによって他者人生を知る変則的な「読書体験」を多く積み、結果として「社会正義の実現」などといった

理想主義不可能性を知り、現実主義者となった。そして、それが「ネトウヨ」と呼ばれるようになったのではないか

インターネットには、地獄とも言える生々しい現実が多数描かれている。togetterまとめなどが代表例だ。

昔の若者は、このような現実を知らぬまま、理想主義に向かっていったが、いまだとネットによって辛い現実を知る、ということだ。

キェルケゴールが言うところの「絶望を経て、次の段階に達している」というようなことことかもしれない。

変則的読書体験」で理想を砕かれた絶望の上の、現実主義者ということだ。

昔は情報がなく、世の中を若者がわかっていなかったというのは、「出口小論文講義の実況中継②」で、出口先生も語っておられた。

その中で先生がおっしゃっていたように、だからこそ昔の若者は夢をより持てたのだから、必ずしもこの読書体験の増大は良いことばかりではない。

 

 そもそもネトウヨと呼ばれる者達の思想は、政治的右派と言うよりは「現実主義である

もちろん、現実主義が100%良いものではなく、理想を考えることも時には必要であろう。

以上の理由からして若者現実主義者となってしまい、それがネトウヨ思想親和性を持った結果の、若年層における

右傾化」なるものの発生、そして続く自民党の若年層からの人気なのではないか

より踏み込んで言えば、情報社会こそ、「ネトウヨ化」の根源なのかもしれない。

追記です。

キェルケゴール云々は、要するに「絶望」→何らかの変化をいう段階の比喩として使ってるだけで、本来キリスト教関係だってのは理解してます

ちょっとこれ以外にうまくあげられるような例が見つからなかったので、変になってしまってすみません。一応比喩を明示しておきます

 

 
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