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2018-03-06

自称 歴史に詳しいおじさんへ

週末、居酒屋歴史に詳しいと自称する中年男性に会った。 色々話すもんだから大学一般教養で読まされた下記の論文リストの中でどれが好きかと聞いたらどれも読んだ事がないという。 これ読まずに戦争云々、文化云々 成長云々とか万死に値する。基礎的な教養を身につけないで社会に出た大人が多すぎないか

中央公論』64年10月号

戦後日本を創った代表論文特集より

1. 堕落論 坂口安吾

2. 超国家主義論理心理 丸山眞男

3. 日本社会家族構成 川島武宜

4. 第二芸術 桑原武夫

5. 原子宣言 渡辺慧

6. 中国近代日本近代 竹内好

7. 近代日本人の発想の諸形式 伊藤整

8. 真実は訴へる 広津和郎

9. 平和論の進め方についての疑問 福田恒存

10. 前世代の詩人たち 吉本隆明

11. 文明の生態史観序説 梅棹忠夫

12. 自由主義者試金石 鶴見俊輔

13. 資本主義は変わったか 都留重人

14. 共産主義のすすめ 大宅壮一

15. 革新勢力の構想力 佐藤

16. 「独占資本」と所得再分配政策 小宮隆太郎

17. 現実主義者平和論 高坂正堯

18. 核時代日中関係 坂本義和

2014-12-03

日経が『私の履歴書』の人選手抜きしたので購読やめる。萩本欽一なんてペラいの出すなよ(憤懣)

2014年ね。

1月小澤征爾指揮者

市川猿翁(二代目)(歌舞伎俳優

岡村正東芝相談役

豊田章一郎トヨタ自動車名誉会長

トム・ワトソンプロゴルファー

福地茂雄(アサヒグループホールディングス相談役

タン・タタ(タタ・グループ名誉会長

森本公誠(東大寺長老

ジャンクロード・トリシェ(前欧州中央銀行総裁

植田紳爾宝塚歌劇団名誉理事

坂根正弘コマツ相談役

12月 萩本欽一コメディアン) ← なんなのココ??年末年始適当お茶を濁したいの?

12月がクソになるのだろうか?ならば調べてみる。

2001年-2014年

藤田喬平(ガラス造形家)

根本二郎(日本郵船会長

山本富士子女優

今村昌平映画監督

河野洋平衆議院議長

片山九郎右衛門(能楽師

渡辺恒雄読売新聞主筆

森光子女優

小宮隆太郎経済学者

津本陽作家

ウィリアム・J・ペリー(元米国防長官)

九代目・松本幸四郎歌舞伎俳優

森喜朗元首相)

フィリップコトラーマーケティング学者

2014 萩本欽一コメディアン) ← やっぱりダントツでクソやん

何十年か経過して文化欄の『私の履歴書』欄が芸人ばかりで埋まったらくさいので、解約してきます

だって、何十年後かに、私の履歴書-極楽とんぼ-とか読みたくないでしょ?

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2009-01-03

[][]日本経済新聞2008.12.30 小宮隆太郎 「多数派」と言われるという事は、もうあまり斬新な意見を述べる舞台には登場しないと言う事で、現役ではなくなったわけであろう。

私の履歴書 小宮隆太郎

私はマクロ経済問題、貿易、国際金融産業政策、独禁政策、公共部門のスト権の問題等々、応用経済学の様々な分野に関心を持ってきた。器用貧乏揶揄された事もある。

金融政策も私が長年にわたって関心を持ち続けた問題のひとつである。私は日銀エコノミストたちと真っ向から対立して論争した事が何回かあった。

1回目は1960年代前半の吉野俊彦氏との論争である。当時の私はマクロ経済と国際金融関係は万事ケインズ的に考えていた。他方、吉野氏は金本位制主義だった。J・M・ケインズにとって、金本位制は「大嫌いなもの(bête norie)」だったが、吉野氏にとりケインズケインズ経済学は”bête norie”だった。生意気若造であった私を相手に議論に応じてくれた吉野氏に、私は深く感謝している。しかし、基本的な経済哲学が違っていた。

2回目は「73-74年の大インフレーション日銀が起こした」と言う趣旨の76年の論文金融政策を厳しく批判した。当時の日銀幹部が田中角栄首相の「日本列島改造論」に遠慮して金融引き締めが遅れ、マネーサプライが膨張して石油危機以前に大インフレが始まったと私は論じた。

3回目は77年以降の私に対する外山茂理事(当時)の厳しい批判と、私の反論である。「日銀派」を代表する外山氏は欧米の標準的な金融理論以前の古い考え方で、手品のように恒等式から様々な結論を導くが、私にはその論理がわからなかった。

80年代後半から90年代初めにかけての「バブル」現象についても、日米経済摩擦の下で日本の黒字をさらに増やす恐れのある金融引き締めを日銀がためらった事が一因であると私は考えた。

しかし政治行政からの独立性を大幅に強化した新日銀法が98年に施行された後の日銀金融政策は、「100点満点に近い」と私は述べた。

これに対し、今度はかなりの人数の経済学者が反発した。要するに「もっと早くゼロ金利にしろ」とか「為替介入の効果を『不胎化政策』で減殺するな」という主張だ。私が大学院で指導し共著もある岩田規久男さんや、かつての東大の同僚の浜田宏一さんが一番厳しかった。ゼミOB山本幸三衆議院議員日銀叩きで名を馳せてきた。

私はあまりにも「日銀バッシング」がひどいと感じ、白川方明さん(当時日銀企画室審議役)と相談して八代尚弘さん(同日本経済研究センター理事長)にお願いして、討論の場を設定してもらった。論争は「金融政策論議の争点」という本になった。同書には小宮ゼミ仲間が日銀批判と反論の両方に何人も登場した。

日銀の政策委員会支店長会議写真で、小宮OBの白川総裁大学院で教え「現代国際金融論」の共著者でもある須田美矢子委員の二人のお姿並んでいるのを見ると、私は不思議な気持ちになる。

私はいつも始まりは「少数派」であり、今もその気持ちは変わらない。しかし、しばらく前にマル経の若い人に「小宮さんこそ多数派でしょう」と言われて驚いた。「多数派」と言われるという事は、もうあまり斬新な意見を述べる舞台には登場しないと言う事で、現役ではなくなったわけであろう。(日本学士院会員)

2008-12-24

朝日新聞GLOBE(12/22) 金融危機中央銀行 [その2]

http://anond.hatelabo.jp/20081223235800 の続き。

(G-3面左上)

上司・学界相手に、持論を譲らず

総裁、私は量的緩和を拡大すべきではないと思います。効果が見込めません」

2003年秋、日銀総裁室。金融政策担当理事の白川方明が、総裁福井俊彦にそう直言すると、居合わせた数人の幹部に緊張が走った。

量的緩和に一定の効果はある」。福井は首を縦にふらなかった。

量的緩和政策は、01年、福井の前任の総裁、速水優の時代に導入された。金利目標に政策を行うのではなく、民間銀行日銀当座預金に置いている「資金量」を目標にする政策に切り替えたのだ。

ゼロ金利に戻る中での窮余の策ではあった。ただ、資金量をじゃぶじゃぶにすれば、民間への融資に回ったり、株式などへの投資に回ったりして、経済活性化するのではないか。そんな期待も背負っていた。

当初の5兆円の目標を段階的に引き上げ、03年に福井総裁に就任したときには15〜20兆円に膨らんでいた。

白川も、量的緩和に全く効果がないと思っていたわけではない。市場に潤沢に資金が供給されることで、市場安心感は広がる。しばらく金利引き上げがないという判断から長期金利が下がる効果も見込んでいた。

ただ、01年以降の結果を分析したところ、量的緩和の拡大が直接、株価を上昇させたり、経済の需要を増したりする効果は乏しいと判断した。

福井と白川の違いについて、当時の日銀幹部はこう解説する。

福井総裁は『多少でも効果があるなら、あると言って続けたほうが経済にとって良い』という考え。白川理事は『効果がたいして期待できないのなら、効果があると言い張るのは、ごまかしに近い』と思う。2人の哲学の違いだった」

経済論壇では、もっと根源的で、いまなお決着がつかない二つの考え方の対立がある。

学習院経済学部長の岩田規久男は「日銀は、ゼロ金利量的緩和政策も解除すべきではなかった。デフレ(物価の持続的下落)基調は続いており、ゼロ金利に戻すべきだ」と話す。

岩田は、デフレ脱却を提唱する「リフレ派」の代表的な論者として知られ、日銀を激しく批判してきた。デフレ下では、借金をしている企業や個人の負担が重くなったり、人々が価格の下落を待つためにモノを買い控えたりして、経済そのものに大きな打撃を与える、とみる。

デフレ不況の原因か

リフレ派」の多くは、バブル崩壊後の不況の大きな原因がデフレにあるとみて、日銀が1〜3%程度の「インフレ目標」を掲げるよう唱えてきた。海外ではこうした目標採用している国も多く、FRBの議長になったバーナンキを含め、米国経済学界でも主流だった。小泉政権で閣僚を務めた竹中平蔵や、量的緩和政策をいち早く提唱した元日銀審議委員の中原伸之も、インフレ目標の導入を訴えてきた。

一方、白川ら日銀の多数派はインフレ目標に否定的で、金融政策は、景気全体や地価や株価などの動向も含めて判断すべきとの立場だ。デフレは、資産バブルの崩壊に伴う長期不況の結果であって、デフレが緩やかなペースにとどまる限りは経済に悪影響を与えないとの考えに立つ。

白川と岩田はともに、東大経済学部教授だった小宮隆太郎の門下生である。小宮が02年に編集した本で、2人の弟子はそれぞれ鋭く対立する立場から議論を展開した。

今回の危機でも、リフレ派と日銀派の視線はまじわらない。

「危機なのだから、一刻も早くゼロ金利の復活を」と主張する「リフレ派」に対し、「日銀派」はゼロ金利量的緩和に否定的だ。

日本の超低金利で、米国などに資金が流れ込んだ。世界バブルの2割ぐらいの責任がある」と日銀の元理事は言う。「リフレ派」の言い分を聞いていたら、バブルは加速し、崩壊のダメージはさらに大きかったとみる。むしろ、もっと早く金利を上げるべきだったという意見が、「日銀派」の中には根強い。■

 
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