はてなキーワード: 求めないとは
電車で騒ぐ子供というTwitterの話で思い出したので書く。
(内容的には全く関係ない。)
割と旅行好きなんだが俺が乗った電車で一番ファンキーだったのはコロンビアのメデジンに行った時に乗った電車。
厳密に言うとメトロなんだが。
・物売り…これはどこの国でも割といるが、メデジンの物売りは食い物からイヤホン、スマホケース、なにかのピンバッジまでとにかく色んな種類の物売りが乗ってくる。
・カラオケ屋…カラオケ屋は、でかいカラオケセットみたいなのを抱えてやってきて大音量で歌う。ラジカセを担いできて大音量で音楽を流すだけのやつもいる。歌ったあとはチップを求める。
演説屋…演説屋は主にバスで見かけるが、いわゆるバスガイドポジションに陣取って政治演説を行う。運がいい?と一人終わったら次のやつという具合で入れ代わり立ち代わり演説する。チップを求めるやつと求めないやつがいる。演説のために乗ってるのか移動のついでに演説するのかは謎。
腹筋屋…なぜか車内で腹筋をしまくる。終わったらチップを求める。亜種として腹パンチ屋(自分の腹を殴る)などがいる。もちろん上半身裸。
門番…いわゆるドア横の門番ポジに陣取ってドアが開くたびに扉から乗り出して車掌のように左右を見回して安全確認をする。完全に乗り降りの邪魔。10代〜20代くらいでヤンチャしてそうな若者が多い。一車両に2人くらい必ず発生する。
ちなみにメデジンといえばパブロ・ エスコバルのメデジンカルテルがあったことで有名だが、様々な施策によって現在の治安はそれなりに安定している。(といっても何年か前に日本人が殺されたりしてるが。)
モノレールでスラム街にアクセスできたり、美人大国コロンビアの中でも特に美人が多いと有名であったり、見所満載なので、旅好きの方にはオススメである。
DRAGON QUEST YOUR STORY(Rが反転)
敵はプログラム
それ自体はシュガー・ラッシュのように「そういう作品」として宣伝されてるならいい
でも、最後の最後でそれを示し、騙し討をすれば世間はこういう反応を返す
当たり前だ
もちろん、そういうショックをメインにする作品もある
種明かしで世界の認識が反転し、ガツンと殴られるタイプの作品も悪くない
許されるとして、ドラクエ3のようなもので、「この世界は仮想世界(ゲーム)だ」なんて突き付けじゃない
ファンタジー作品を見に行くんじゃなくて、「どこかの高校生のゲームプレイ」を見に行くんだと思ったほうがいい
そうすれば、デビルマン以下なんて感じないはず
なんで男は毒親叩きしないんだろうか
やべえ親が男の子を生む確率も女の子を生む確率もだいたい1:1
③女の方が虐待を忘れない
④女の方が虐待を表明する
どれなんだろう。きっと複合的な要因なんだろうが、やっぱり決め手は④な気がする。嫌な思い出に関して共感を求めることで解放を願うかどうか。
私はゲーム立ち上げ期からの刀剣乱舞ファン(あえてオタクとは言わない)だ
テニスの王子様から来てるので、割と公式がはちゃめちゃでも受け入れる心があるつもりりなんだけど、刀ステだけはどうしても肌に合わない
私は全てのメディアミックス追えてないとオタクと自称できないと思っているので、あえてファン、に呼称を留めている(勿論自分に対してだけのルールなので他人には求めない)
さて、前述通り私は刀ステだけはどうしても合わない
でも刀ステが好きな人を批判したい訳ではないし、単なるちっぽけな気持ちを吐き出させてほしい
そもそも、なんで刀ステが肌に合わないか、大きな理由は推しの描写が私の解釈と違って、所謂二次創作でよく見るステレオタイプなパターンにはめられたからだし、その後の描写もなくヌルッと終わってしまったからだ
勿論あんなに刀剣男士がいる中で、選抜していただけるだけで有り難いことなのだし、そう自分に言い聞かせてたけど、その後の作品を見ていると、私には刀ステはお気に入りを好きに動かしたいだけで、お気に入りが凄いことを比較するために私の推しは駒にされたんだと感じてしまったからだ
さらに今回刀剣男士の名前誤植に際して、刀ミュと刀ステで全く違う対応がなされ、即座に修正し交換対応も行った刀ミュ側に対し、刀ステ側は修正せず、バレなきゃいいだろう精神で誤植の販売を続けるらしい
単なるキャラ名(それでも良くないけど)ならまだしも、刀剣男士達の名前は実在する刀剣の名前であり、誤植を修正しないと言うことが刀剣乱舞原作のニトロプラスだけでなく、その刀に携わってきた何万、何億人の人々に不誠実だということに何故気づかないのか
それってつまりその程度でしか運営が物事を考えてないんだなと否応なく感じてしまうし、そんな考え方の団体を指示したいとは思わない
刀剣乱舞って、今や単なるゲームというジャンルから外れ、当初は考えつかなかった途方もない拡大を見せている特異な作品になったし、実績もある
だからこそ、一つ一つを丁寧にしてほしいと思うのは私の我が侭なんだろうか
経済成長と「生産性で人間をはからせない世の中」は両立するのか?という問いがあった、
私は経済学で博士課程に在籍している。経済成長論は専門ではないが、ここにある
という表現があまりにも経済学者一般の成長に対する考え方とかけ離れているように思ったので、経済学者が考えている成長について述べていこうと思う。
経済学において成長の源泉は大きくいえば二つある。一つは資本蓄積、二つ目は技術進歩だ。資本蓄積とは、端的に言えば人が生産したものを貯蓄し、資本を蓄積することで、1人当たりの生産量(労働生産性)をあげ、豊かになっていくというモデルである。ロビンソンクルーソーで例えれば、木を切ってすぐに使わないで貯めていき、それで木を切るための道具を作ったり、船を作ったりすれば、時間あたり(人あたり)の(木、魚などの)生産量が上がる、というような経路を考えればいいだろう。
もう一つの源泉が技術進歩である。ロビンソンクルーソーがいくら木などの資源を蓄積したところで、そのうち彼には使いきれないほどの資本がでてくるだろう。彼が持続的に豊かになり続けるためには、彼の持っている技術のレベルを超えて、電気や自動車などの新しい技術を発明していく必要がある。持続的な成長のためには資本蓄積だけでは不十分で、技術進歩によって生産性を向上させていくことが必要である、というのが経済学者のコンセンサスであると思う。経済学部でソローモデルなどを習った人にはこのメッセージは聞きなれたものであるかもしれない。
このロビンソンクルーソーの例えだと、資本蓄積と技術進歩ってどう違うの?という考えが出てくると思う。どちらも本質的には今期の消費や余暇を犠牲にして、将来の生産に役立てる行為のように見えるからだ。これは上にあるような絶えざる我慢、努力によって「生産と消費を増やすことを常に人々に強いる社会」のように思えてくる。
資本蓄積と技術進歩の大きな違いは、技術(知識)が公共財であるということだ。つまりロビンソンクルーソーが自動車を発明しなくても、誰かが自動車の作り方をみつけ、それを彼に伝えることができれば(理論的には)彼は自動車を作ることができる。このように、他者に渡してもその価値が損なわれないものを経済学では非競合財という。考えてみれば、社会における進歩に私たち個人の努力は殆ど関係がない。一人の人間がいくら怠けても鉄道、電気の利用、インターネットなどは発明されていただろう。そして私たちは努力をしなくてもそれらの恩恵を享受することができる。ある人が20年前と今で(同じ金額で)買えるものは大きく異なるだろうが、それはその人が絶えざる努力をしたからではなく、技術が進歩してそれが社会に普及していったからだろう。
このように、個人の絶えざる努力を通じて「生産と消費を増やすことを常に人々に強いる社会」という考え方はあまり経済学者の中では一般的ではない。成長論の一般的なモデルでは、社会は生産セクターと研究開発セクターに分かれている。研究開発セクターが発明・開発を行い、その成果が生産セクターに波及することによって経済成長が起こる。研究開発部門は特許などを通じて利益を得て、研究者に給料を払い、持続的に技術進歩、成長ができるような経済が実現するようにモデルが組まれている。
この経済成長のある世の中で、人間は生産性ではかられているだろうか?この「生産性で人間がはかられているか」という表現は極めてあいまいだと思うが、試しに「生産性によって人の待遇(富、名声)などが決まる社会」を考えてみよう。ちょっと考えればこれは度合いの問題こそあれ、経済成長をしている現代では当てはまらないことのように思える。例えば生産性が皆無である乳児の死亡率は下がり続けている。ALS患者の皆様が介助を受け、政治家として活動ができるようになったのはこの経済成長がある現代ではないだろうか。
また経済成長を追い求めないことが「生産性で人間をはからせない世の中」に近づくのだろうか?ちょっと考えればそんなことはないと分かると思う。例えば経済成長がほとんどない中世などで人々は生産性で測られていなかっただろうか?乳児死亡率は高かっただろうし、十分に働けない人間は野垂れ死んでいただろう(これはちょっと誇張かもしれないが、少なくとも現代の日本よりはそうであろう)。これが果たして「生産性で人間をはからせない世の中」だろうか?
現代において経済成長を止めた社会が「生産性で人間をはからせない世の中」と両立するだろうか?仮想的に研究開発など、技術進歩につながる行為を一切止めた社会を考えてみよう。それで果たして生産性で人間ははかられなくなるだろうか?注意すべきなのは、個々人の生産性の差は静的なものであり、経済成長と無関係に存在するということだ。私が1時間に10人をレジでさばくことができ、Aさんが1時間に15人をレジでさばくことができるとしよう。果たして技術進歩が完全に止まったとして、私とAさんの地位は変わるだろうか?引用した議論では、現存している生産性の差と経済成長が関係しているように暗に仮定されているが、それは少なくとも私にとっては全く自明ではないと思う。
すいません、また後で書きます。
見返りを求めない友情を象徴する台詞としてコレ以上のものってあります?ありますね。「友情は見返りを求めない」が1位で、これは2位ですね。流石に。でも1位タイと言ってもよくないですか?エロゲの感想が最高の友情の話とか、なんでこうなるんですかね。このシーンも大好きなんですけど、このちょっと前の霧がブチ切れてる横でミキミキがそれをなだめてるシーンも大好き。1位タイ。自分の生き様を全力で叱ってくれる誰か+全力で認めてくれる誰かが同時にいるんですよ?理解できないけど凄い大切だから放っておいてくれない人と、理解できるから放って置いてくれる人が同時にですよ。最高すぎませんか?それを見て、「自分も早くコレになりたい」で心が溢れました。同時にね、たとえ偶然だとしても自分のなりたすぎる何かを描写してくれる作品がこの世界にあることに救われましたよ。自分、この世界に存在しうる存在だったんだって。自分の群青はせいぜい10あるかどうかでしょうけど、それでも凄い救われましたよ。
自分、ミステリーの信用できない語り手って嫌いなんですよ。あれやられると本まるごとが作者からの挑戦状になってしまって。小説としての側面が隅に追いやられる気がして。自分がミステリーを読む時は、別に公務員試験やSPIテストに出てくるような論理パズルがしたいわけじゃなくて、人が死ぬ小説が読みたいときなんです。だからミステリーの叙述トリックってのがどうも駄目で。でもね、ミステリー以外の題材の叙述トリックは大好きです。作者が送ってくる挑戦状なくて、あくまでエンタメとしてギミックを入れてくるなら。世界がグルっと一回転するあの感覚、世界を映すカメラの後ろにもまだ世界が広がってることに気付かされた途端の、作品世界の膨張、ビッグバン。映画だとファイトクラブなんて良いよね。作中にずっと描写されていたはずのものに二重の意味が生まれる瞬間に、作品全体が持っていた情報量が倍率ドンで増えていく。アハ体験。この手を貸してくれるシーンはその中でもエロゲ中最上位。これの良い所はさ、こっから大逆転が始まることなんだよね。そして、大逆転の布石は既に打たれている。自分がミステリーの叙述トリックが嫌いなのって「だから何?」って気分になる所なんだけど、このシーンは違って、勝率0%が1%に変わる瞬間のキラメキがある。ストーリー的にめっちゃ意味がある。そもそも単純にこっから大逆転みたいなの全部好きなんだよね。村正と正式に帯刀の儀を結ぶシーンも好きだし、素晴らしき日々でヒーロー登場の演出かまされる所とか。意味のあるエロゲの叙述トリックといえば、KANONなんてまさにそうなんだけど、あっちは逆転パワーが弱いからそこまで盛り上がらなかったなあ。主人公のやってることが酷いから仕方ないね。そういや始めたやったエロゲがKANONだったわ。
厳密にはシーンじゃなくて歌詞なんだけど、それぞれのプレイヤーがこの歌詞の意味を理解した瞬間がまさにエロゲ史に残る名シーン。なんというか、エロゲがチューリングテストを越えた瞬間と言うかね(表現が根本的に間違っている可能性があるのは理解してます)。プレイヤーとキャラクターの疑似恋愛関係をここまで剥き出しにするのかっていうね。そもそも人間の意識なんてものは生存競争を生き残れた遺伝子がたまたま進化の過程で獲得していったセンサーシステムの幻影に過ぎない所があるしなー、とか、そういう小難しい事をプレイヤーに考えさせるようなゲームジャンルが確立された瞬間だと思うのよ。そういうことが出来るかも知れない不思議な可能性の塊に僕らは夢を満たし、それを遊ぶ自分たちを特別だと勘違いしてきたその始発駅の一つだと思うんだ。凄いよね。これが18年前にはもうあったんだよ。エロゲ凄いよね。可能性の塊だった。自分達が今でもエロゲの話で盛り上がるのに、最近のエロゲについて詳しくないのは、可能性の背中を追っていたからなんだろうね。時代がいつの間にかエロゲに追いついてみたらコイツとっくにバテてねと気づいちゃったというかね。でもさ、そういう突然の爆発力を見せてくれるようなコンテンツがオタクの歴史の中にあったのはいいよね。別にどのコミュニティから生まれてもいいけどね。やっぱさ、未来に可能性を感じたいじゃん?それが燃料をあっという間に使い切るようなロケット推進だとしてもさ
だから?『あずまきよひこはエロ漫画出身だからよつばと!はエロ漫画やぞ』って言いたいのかな?おかしいこと言ってるの自分で気づけた?
見えねーよ。見えてないものをあると言い張るのはやめろ
セカイ系=エロゲに結びつくのが理解できねーわ。動物化するポストモダン一冊でオタク業界のすべてを理解したつもりのニワカかテメーは。
ヒロインいたら全部エロゲなら大河ドラマもエロゲだな。早速NHKに抗議文でも送ってこいよ
ファンタジーがエロゲならFFはエロゲだな。スクエアエニックスのゲームは18禁だったのか知らんかったわ。
恋愛をテーマにした作品という大きなくくりのごく小さな断片がエロゲなんだから序列が逆なんだよ。
いやもう面倒くさいし適当に吐き出したいんだけど、ここ最近の日本人って何にも未来とか見てないよね。
あんまり書きたくない固い政治の話とかでも、大体の人はメディアの情報を鵜呑みにして誰かを叩く。
逆に、目の前にいる人間に洗脳されてマルチとかニセ科学とかに嵌ったりする。
まあ知識がないのは仕方ないし、高度に複雑化した現代社会において完璧な情報収集なんてのは無理ですよ。我々パンピーにはね。
なにせ、昔からゲーム脳なんて大嘘に騙されて偏見を向けてくるような人間ばかりだし。仕方ない。
でも、結局のところ誰かが正しい情報を発信しない事には、誰もかも間違うしかない。
こういう事を言っちゃあ自称“マス”メディアと同レベルに思えて嫌だけど、結局は人間の9割ってのはバカな訳ですよ。
厳密には、それぞれに個性が得意不得意があるから絶対バカってわけじゃないけど……
どっちにせよ、どんな専門家でも専門外では素人同然どころか、専門内ですら分からない事は沢山あって、それなのに誰もが自分こそ真の賢者だと信じて疑わない。
そんな社会で正しい情報を拾えるのは、本当に極少数なわけです。
だからこそ正しい情報を得た人は正しい情報を発信する義務がある訳だけど、それを色々な言い訳で隠してしまう。
その背景には結局、世の多数派は真の意味で「正しい事」なんて求めてないという辛い現実があるんじゃないですかね。
なんでかって言えば、それ以上を求めるのは「疲れるから」だ。
楽に生きるなら長い物に巻かれれば良い。
……でも長い物、一般的な人間というのは結局のとこ「間違ってる」ワケで。
さっきも書いたように人間の9割はバカでしかなく、賢い人間ですら専門外は素人同然。
つまり多くの人間が信じてる事ってのは間違いである可能性が高い。
一見すると間違ってないように思える事でも、厳密にはニュートン力学のように雑な論理でしかない。
まあ、かくいう自分も今ここで相対性理論を語れと言われても無理なんだけどさ。
だからこそ、より正しい人間に従うってのは生物の生存戦略としては間違いじゃない。
問題は、その「正しい人間」が居ないってだけの話で…………それこそが、致命的なんだけどね。
なんせ正しい人間が限りなく少ない以上、誰かに従ったところで「そいつが正しい保証は無い」ってか9割がた間違ってるわけなので。間違ってる人間に従えば、どんな人間でも間違うに決まってるじゃんね。
ゲーム脳的に言うなら……上役ガチャ爆死したパーティで生き続けても、人生ダンジョン(難度インフェルノ)はクリアできませんよっと。
じゃあ、欧米人みたく個人主義で生きていくか?って言われても。
さっきも言ったように人間の9割はバカなので、自分ガチャも上役ガチャも基本は同じ人間ガチャなので、まあ爆死が基本なわけで。
なにせ、多くの人間はアメリカ大統領とかいう明らかに就くのが困難な激ヤバ職業の人間ですら「自分の感覚で考える」ので。もっと、こう背景とか考えれないのかなと思うわけです。
とはいえ有能な人間を上役にしようと思っても、どんな専門家でも専門外は(以下略)の理論たる「ピーターの法則」によって、有能な人間は無能になるまで出世し続けるんだけど。
下流工程で有能だからといって、上流工程で有能とは限らない……というか、下流工程と上流工程は似ているようで別の職業なわけで。
言ってしまえば、そんなのは生徒会長を教師に据える様なものでしかない。
教育職員免許状が必須やら年齢などの社会的な大前提は無視するにしてもだ。
確かに人を纏める力は持ってるかもしれないし、大なり小なり成績は優秀かもしれないが、少なくとも教える才能が無いと教師は務まらない。
それ以外の管理や企画進行とかの部分は大なり小なり共通してるかもだが。まあ、どちらにせよ細かい問題は多々とあるはずだ。
それなのに、今の社会では成績や年季といった物に応じて役職が定められていく事が多い。
もっと任天堂みたく、現場には現場の上位職を与えるとかして才覚を活かすような社会システムを構築しないといかんのでは。
……まあ無理か。何せアニメ監督ガチャでUR引いたのに個人の一存から平気で捨てるような社会だしな。
どうせなら別のプロジェクトに移動してもらって手厚く保護するとかしとけば良かったのにねー……おっと愚痴が。閑話休題、閑話休題。
じゃあ、どうすれば良いのか?
答えは簡単で……自分の子孫、子々孫々にとって良い社会を作ってくれそうな人に、意思を投じれば良い。
いや、もっと言えば……自分が遥か未来に生まれ変わった時に、この人が生きていれば社会は安泰だと、こういう人が増えれば世界は平和になれると思えるような人にこそ投じるべきだと私は思う。
本来の話、真に民主主義だってんなら会社の同僚であろうとも近所のオジサンであろうともホームレスであろうと、誰であろうとも……皆が正しいと思える人間なら、誰でも議員になれるくらいで丁度いい。
本人の意思を無視するのは良くないが、そうでないなら……投票し当選さえすれば誰でも社会を変えれるような社会が良いのではないか?
そして、それは社会の縮図たる学校や会社でも同様ではないだろうか?
勿論、能力なり金銭的な部分での手厚い補助は必要だとは思うし、問題があれば即座に退任できないとダメだが……そうでないと、さっき言ったピーターの法則に引っかかって爆死するので。下手したらガチのファシズムとかの危険思想国家まっしぐらだし。
でも、そういう社会でないと最終的に、能力なり人気さえ有れば、どれだけ間違ってる人間でも構わない社会ができてしまう。
それが、今のブラック企業ブラック体質を作っていると思う。特定の能力しか無い人間は、その能力の無い人間を理解しない。
……結局、今の日本社会とは成功した社会主義でしかないし、失敗した個人主義でしかない。
そんな半端をダラダラ続けて何も思わない状態は、ただひたすら不健全でしかない。
だけど、こんな事を宣う自分こそが、そんな今のダラけた日本を作ってるんだなと思うし、そう考えると自分ガチャにもリセマラ機能が欲しいと言わざるを得ない。
せめてチュートリアル期間が1年、欲を言えば再インストール期間も短期に保証されてるなら、こんなこと書く前に今すぐリセットするんだけどね……
生身のパートナーにセックスを求めない男をお求めなら、高学歴のオタク男から探すことをお勧めする。
これは私自身や友人達の状況なのだけど、30代で妻とは完全にレス、だからと言って浮気や風俗にも興味無くひたすらオナニーしてる。
かく言う今も休日の深夜に自室で一人シコシコ楽しんでいる。
「趣味や仕事やオナニーが充実していれば生身の女とのセックスはいらない。童貞だった頃や結婚圧力の強い職場で独身だった頃に劣等感を抱いていたのは否定しないが、そこはクリアしたからもう女体はいらない」
という私や友人達のようなタイプは、少数派ではないような気がする。とりわけ、思春期に勉強や趣味に入れ込んで生身の女体への興味を押さえつけた上で30代を迎えて性欲が落ちた高学歴オタクでは。
アニメでもゲームでも鉄道でもいいからオタク男が多い趣味の集まりに出掛けて、結婚する前の私や友人達のような男を探してパートナーにすれば良いのではないだろうか。
あなたが「セックスができない」ことは、そういう男にとってはむしろ子供を欲しがったりレスに不満を訴えたりしない物分かりの良い女性として歓迎される強みになる。
異性に求めること(求めない)が私とほぼ一緒だけど優しさにおいて完全上位っぽくてすごい
pixivで二次創作を行い、ツイッターで作家さんたちと相互になったり実際にイベントでお会いすることが増えた。
残念なことに私はあまりブクマをもらえる作家ではないが、相互さんは基本的に投稿すればバズる。お互いがお互いの作品を褒めあっている。私の作品が、好きな作家さんのタイムラインでつぶやかれることはない。
イベントに出れば、好きです、と言ってもらえることもある。でも、好きな作家さんたちにとっての私は、その人の作品を好きなファンの一人でしかなく、作家ではないのだ。
いままでやったことの無いようなアフターや前夜祭などの企画も行なってきた。でも、もう疲れちゃった。人に尽くすことに心底飽きた。
私の作品を好きで無いひとのために、なぜ私が時間をかけ心を配らないといけないの??
リアルの友達なら、お互いに尊敬、友愛があってつながると理解できる。実際にそうだし。困ったときはできることなら助けるよ。私も助けられてここまで生きてきた。相互に存在する意味がある、ということ。
同人初心者の自分が、イベント参加や創作、交流などたくさんのことをがんばってみた。楽しかった。でも、交流はもういいや。片思いでいいや。困るのは相互トリオキニが使えないくらいでしょ?
感想は伝えたいから伝えていくスタイルはいままで同様変えないけれど、ツイッターはもういいや。二次創作を自分のペースで楽しんで、原作に悶えて楽しんで、そこまでで完結する。好きな同人誌には感想を送ったりお手紙を渡したりして、終わりにする。それ以上の関係は求めない。
それで1週間くらいツイ禁してたら、まぁ人生がぞわぞわしなくて気持ちいい。
上手い人、ネタが面白い人には嫉妬もする。私は凡庸でつまらないと痛感させられる。
原因は私が未熟で、認めてもらえないことなんだよね……
仕事なら歯を食いしばりすぎて歯医者で気の毒そうに「歯、食いしばってません?寝るときとか、悔しいときとか」って聞かれても笑い飛ばして、翌日には仕事をがんばれるけど、なんで趣味の世界で苦しい思いをしなきゃいけないのか。
薄い人間関係に苦しんで、そんな中でうっかり相手の黒い部分を見てしまい精神的に落ち込んで体調を崩してしまった……自分の心が弱すぎてちょっとびっくりしたけど、実際の発言とツイッター上の人格が掛け離れすぎて腰を抜かしそうになった。
気持ち悪い人だな、と思った。
私は、この人と友達で嬉しいか?と自問したとき、そういう人は友達じゃなくて知り合いという枠組みに入れておくと気が楽になると知った。
これからも、創作が向上する努力は惜しまない。作品を楽しむために、わたしがやりたいことをする。
だから、やりたくないことはしない。
俺も好きだ
例えば生まれてこの方緑色のりんごしか見たことがない人は、りんごは緑だと認識する
でも所変わればそれは赤だと認識されている
これは両方のりんごを見なければ、その観測範囲の外を想像するのは非常に難しい
いや想像はできるんだが
「観測範囲」の厄介なのは、似たような認識の人が固まりがちなところだ
「私の周りでは皆そう言ってる」状態だと、その観測範囲から逃れるのは非常に難しくなる
ネットで異なる意見を検索してみたらどうだろうか? しかしこれが難しい
検索スキルが無いと声の大きい範囲の意見ばかり見えてくる、観測範囲がインターネットになるだけだ
「ネットde真実」とか、「マスコミが世論操作している」と言ったものもこのズレによって生じる
統計を調べてみたらどうか? これも中々難しい
データを適切に読み解くのは至難の業だ、どのような調査をしたかどうかもイマイチ書かれていることが少ないし、そもそもそういう統計がある方が稀だ
一つ対策があるとしたら、観測範囲の外の存在を常に意識することだと思う
無知の知に似ている
自分の主張の中に観測範囲によるバイアスが働いていないか注意し、場合によってはそれをピンポイントで調べる
もっと重要になるのは「こういう認識が存在するだろう」という仮説だ
仮説を立てて、実際そういう認識の人が居るか調べる
見つけたら、どのくらい居るかという量についてはそこまで追い求めない
量を調べるのは非常に難しい
ひょっとしたら、100人居たとして、99人は1人の意見に同調しているだけかもしれない
せいぜいわかるのは「1人いる」「2人いる」「それ以上居る」くらいだ
まあ、観測範囲問題的な発言をしちゃうのは、そういう注意が疎かになり油断した瞬間に起こるんだけどね(そしてブクマカに拡散される)
いやぁ、君がやっぱり思った通りの人間だったってことしか思えんね。
言葉で取り繕って、その言葉通りに受け取ってほしいという欲望はわかるよ。その言葉の裏の君の承認欲求なんざお見通し。
「周りの女が全部悪い!女が完全に男に従順になるようにせよ!僕は一切折れないでいいこと」に賛同してほしぃぃっぃぃぃぃぃぃ!!!みたいな承認欲求モンスターだったってこと。
それから、君に何かを言う他人は全部「「相手の人格や嗜好を歪めたい」という下衆な欲望」だってことを認めて賛同してほしいいいいいいいいい!!!ってのも。
君は承認欲求モンスター。承認欲求はうまくいってるときは自分を向上させるガソリンになるが、うまくいかないと無駄に苦しめる要因。
欲求のうち、うまくいってるのはそのまま進めりゃいいが、うまくいかない欲望は疲れをとって捨てないとならん。
そして、疲れてると、原始的な、従来の延長線の欲求が強くなる。ましてや、君と同類の糞女に蹂躙され、一方的にお前が折れろとやられりゃな。
だけどさ、君がまともな女に相手にされない、相手に折れろだけを振り回す人間性だ。かつ、自分も他人も見極めてないから、糞女に引っかかりやすいんだよ。