はてなキーワード: 支社長とは
会社に入って幾年が経った。
男社会のこの会社で、私はこの支社で初めての女性総合職だった。
ちなみにまだ私以外の配属実績はない。早く仲間がほしい。
ゆるふわに生きてきた自分にとって会社組織はとてもしんどかった。
飲み会に朝まで付き合うこと、下ネタやキャバクラにもちゃんと付き合うこと、セクハラされても笑顔で返すこと。総合職なんだからこれくらい当たり前なんだと言われて。最初はそういう求められる姿を実現するのも嫌ではなかった。
でもいつからか心が追い付かなくなった。
学生の頃、男友達と下ネタで盛り上がるなんていつものことだったのに、上司や同僚とそれをするのに嫌悪感を抱くようになった。
朝まで飲みに行くのも体力的にきつい。それでも次の朝にはしっかり化粧をして会社に行く。
そして、セクハラを笑って受け止めていたら、こいつには何をしても何を言ってもいいと思われて、
心の中ではたくさん傷ついているのになんと反論していいのかわからなくなった。
ここで嫌だと言ったら、嫌われるのでは?場が冷めてしまうのでは?仕事がやりにくくなるのでは?と不安な気持ちでいっぱいになり、結局笑っているしかなかった。
新規開拓がうまくいけば、支社長は「やはり女性は女性ってだけで歓迎されるからな!よかったな!」なんて言う。確かにそうなのかもしれないけど、それは私の実力ではなく女性というだけで結果をもたらしたと言っているの?と悲しくなる。
一度仕事の辛さと業務外での辛さが相まって、直属の上司に泣きながら相談したところ、あろうことか上司が若手を集めて「若手の飲み会でセクハラがあると聞いた。今のご時世うるさいから気を付けるように」なんてことを言ったらしい。
勿論告げ口をしたのが私だとばれた。しらばっくれたけど、通用しなくて男性連中から陰口を叩かれた。
信頼している上司だったから、まさか「今のご時世うるさいから」なんて言い方をされると思っていなくて、それもすごく悲しかったし凹んだ。
私はただ聞いてほしかっただけなのに。
でも、それはきっと社会人としては私のほうが間違っているのでしょう。
そんなときに限って、男は私を抱くようになった。
「君は頑張っている」「君は俺のお気に入りだから、次転勤するときには行きたいところに行かせてあげる」「君が心配だ、早く幸せになってほしい」などと、甘い言葉を言いながら。
幸せにする責任は絶対にとらないくせにと思いながらも断る気力もなく、なされるがまま抱かれた。
抱かれた後襲ってくる虚無感はとてつもない。
周りの友人が続々と結婚する中、こんなことをしているから選ばれない人間なのだと強い劣等感が襲う。
でも、お客さんも「女性は早く家庭に入って子育てをするのが幸せ」となんの悪気もなく言う。
「まずは伴侶を見つけるところから!」なんて笑っているけど、「またか…」という気持ち。
皆こんな気持ちを押し殺して働いているの?
私は、名誉男性にはなりたくない。
もう10年以上前の話だ。某上場企業でエンジニアとして働いていた。
その自分が所属する開発部門に担当部長という役職のおっさんがいた。
そいつが絵に書いたようなクズで、下の人間には偉そうにし、上にはヘコヘコごまをするような奴。
毎日下の人間をいじめていたのだが、自分は特にいじめられていた。
当然みんなから嫌われていた。でも超ごますり豚野郎なんで、そいつよりさらに上の役職の人はそいつを気に入っていた。
40にもなろうというおっさんが毎週月曜日は少年ジャンプを片手に出社してくるようなクッソキモいゴミ人間のくせに、自分がデザインの本を読んでいたときがあって、なんでエンジニアのおまえがそんな本読んでるんだ?おまえは何になりたいんだよ?とバカにされた。
自己啓発系の本を読んでいれば、そんな本読んでるからおまえは駄目だんだよと馬鹿にしてくる始末。
こいつのパワハラは日に日にエスカレートし、自分はひどいうつ病を発症し休職し、復帰後も体調が優れず退職することになった。
そして人事からはそのパワハラはもみ消され自分が勝手に体調崩して自己都合で休職したことにされた。この会社、潰れろ。
今日その会社の話題がふと出たので、調べてみたら人事異動についての告知があり、そいつは支社長ポジションまでいつの間にか出世しており、さらに今回の異動で統括部門副部長にまでなっていた。
自分が当時慕っていた優秀な人達の名前は全然見当たらない。他にも人の手柄を自分のものにすることが得意なやつも、立派な肩書をもらっていた。
ちなみにヘコヘコ媚を売られていたそいつの上司だった人はかなり前から副社長になっていた。
なんで日本企業ってそういった政治力にすら劣るごますりパワハラ豚野郎が出世するんだ?
ちょっと最近思うところがあり、ふとこの想いを書き留めておきたいと思ったため初投稿。
自分がいるところは本社ではなく、ほぼ入社した時期と同じころに発足したばかりの支社。
入社したばかりのころは支社の社員も少なくて帰社会も強制参加ではなく、わりかし自由度が高くてお金を稼ぐ点だけで考えれば不満はなかった。
客先常駐型の会社の問題点はさておき純粋に仕事を仲介してくれるだけのウィンウィンな感じだった。
しかしここ最近急激に人数が増え、今では気付いたら帰社会も業務になり参加は強制である。
もちろん業務になったからといって会社が派遣先の企業に話を通すわけでもなく、
帰社会への出席にあたっての調整は現場にいる人の責任で行わなくてはいけない。
従業員のほとんどは転職組だ。支社の方針として応募があるだけでうれしいらしく、業界の業務に未経験でもほぼ採用される。
その甲斐あってか現在進行形で従業員数はうなぎ上りに増えている。
つい最近、営業の人が新しく入った。その人はIT業界は未経験で営業の経験もゼロらしいけど採用された。
客先常駐型の会社の為、自社に常に居るのは支社長と事務、営業、あと新卒と自社待機または持ち帰りの人たちのみで4~5人程度である。
自分は常に自社に居るわけではないけど事情があって午前中は自社に出社することがたびたびある。
営業の人はやっぱり入社して色々面食らったらしく、従業員数も増えていく中で組織改革が必要だと考えたらしい。
そこで「自分に何かできることを」と考え思いついたのが朝会の導入だそうだ。
また、営業の人以外、いわゆる他社から引き抜かれてきた人たちも様々な考えがあるらしく、気づけばさまざまな決まりやら活動が出来はじめた。
個人的に興味深いのは皆、以前いた会社にそれなりに不満があって転職するなり引き抜かれたりしているけれど、
「何かを変えよう」とか「組織改革をしよう」と実行に移したとき、以前いた会社のやり方やルールをほぼそのまま踏襲してしまうところだと思う。
たぶん、今自分が働いている支社も行き着くところは、決まりがどんどん増えるし、自社に居れる時間が殆どない以上プライベートの時間を使うような組織運営になるのだろうなと思っている。
ちなみにその朝会も、支社としての強みを引き出せるようなものでもなく連絡事項もままならないスピーチ会になっている。
さらに進行は言い出した営業の人がやらずに新卒に押し付けているのが現状になっている。
もちろん朝会みたいなものがまったく必要ないとまでは言わない。同じ会社で働く人の顔と名前を覚えるとか、その人の考えをスピーチで知るとか、そういったことを促進する効果はあると思う。
けれど、客先常駐型の会社故従業員の大半が自社で勤務することはありえないため、「なぜ行うのか」という部分に関して明確な理由がある訳ではないと思う。
突き詰めれば「以前勤務していた会社がやっていたから」以上の理由は恐らくないし、先に述べた効果のことなど考えてすらいないと思う。
アスペルガーという言葉は、2015年頃から広く本のタイトルなどに取り上げられるようになったのではないだろうか。ちょうどその頃に、幼い時分から苛まれていた無力感、焦燥感、虚無感の根元にある直視し難い性質が何なのか判然としたことに感動したのを覚えている。家族を巻き込んで不幸をもたらす憑き物を現代医学が心の病だと看破したかのような爽快さがそこにはあった。私はこの障害のことをもっと知り、前向きに治療をしていこうという気持ちを持ち、それは今でも続いている。
しかし、障害を知覚したところで苦痛が晴れるでなし、それ以降もこの長きに渡る連れ合いは私を苛み続けた。正体見たりと凄んだところで、死角から刺されるのが堂々と名を名乗り正面から切り伏せられるのに変わったに過ぎなかった。
その日は取引銀行の支社長が社長宛に挨拶に来るということで連絡を受けていた日だった。いつもなら、というか"正常なら"同席の程を上司である財務担当の役員に伺うところなのだろうが、今回はそれが出来なかった。
何故なのか全く分からない。先方が名前を挙げてないのに同席させるのは失礼じゃないか。それとも担当なのだから同席しない方がおかしいのか。時間を取らせるくらいなら私が同席すれば良いのでは。頭で考えるだけの道は無数に枝分かれをし続ける。"一体何が正解なのか"。
そうこうしているうちに混乱から別の業務に手をつける、というサイクルを繰り返して日付が変わり、約束の30分前に私はその役員から呼び出された。
「なぜ俺は今日声を掛けられてないんだ」
「社長の予定を確認してからずっと黙って見てやっていたが、我慢ならん」
「そういう気の回らないところが頭に来るんだ」
こってりと絞られた後、心にいつもと違う感じが差したのをうっすらと覚えている。
私は今までこの気が回らないということを必死に隠してきた。中学生かそこいらまで、親からよく気がつかないとか人の気持ちを分かれとか言われて過ごした。その頃は親から怒られること自体が苦痛だったため、幸か不幸かそれを自分の性質と捉えることなく、説教を回避したい一心で人への接し方を注意しながら生活できるようになった。それでも学校生活で求められる他者との関わり合いなどたかが知れている。
やがて企業に勤め社会に出るようになると、その性質に大いに悩まされることとなった。上司の、同僚の、客の言うことがわからない。わからないまま、説教が始まる。しかし、正すべき箇所とその方法が見えないため、またそれに悩む。この繰り返しで自尊心をズタズタにしながら、三度目の就職で東京を転がり出て辿り着いた現在地点が今の片田舎にある中小企業だ。
私にとって、人の気持ちだの上司を立てるだのということが分かる機転は、尻尾のようなものである。生まれた時から有しておらず、今後手にすることも能わない。そういう能力が無いことを自覚して、別の器官で補いながらなんとかかんとか死なずに生きてきたのだ。
しかし今日、私は尻尾が無いことを隠すのを忘れ、尻尾が為すべき仕事を手や足で為さなかった。そして運悪くそんなタイミングで「尻尾のない奴は頭に来るんだ」という一言が飛んできたのだった。
こういうことで叱咤を受けることは歳を重ねて減ってきたとは言え、もちろん何度も経験している。普段なら自分なりに飲み込んで処理できる筈なのだが、全てはタイミングなのだと思う。
それはなぜか異常なほど深く私に突き刺さり、刺さった言葉は体内を刺激し、文字通り身を裂くような勢いで疎外感を噴出させていった。
「かわいそうだな」
自分を客観視する自分に気がつく。解離が始まった。早く戻らないと。早く自分に戻らなければならない。しかし、昼過ぎに始まった葛藤は定時の鐘が鳴るまで続き、何もせぬままそこからさらに三十分ほど放心して、私はとぼとぼと帰路に着いた。
当時ぼくが働いていた企業には上海支社があり、現地で登用した中国人支社長と、彼が雇用した10人程度の中国人IT技術者が、日本の本社の開発を手伝ってくれていた。
入社三年目の下っ端だったぼくは、新サービスをイチから彼らに任せるため上海に赴き、一週間ほど滞在して企画説明を行った。
鬱も晴れて会社に戻ると、それまでの間に上海支社でハイスピードな人員整理が行われ、ぼくの説明を理解できなかった3人のIT技術者が解雇されていた。
ぼくは中国支社長に連絡を取り「なぜ解雇したのですか。」と聞いた。
中国人支社長の返事は「あなたの説明を理解できなかった従業員は不要で、代わりはいくらでもいる。求人には20名以上が応募しており問題ない。」とのことだった。
ぼくの知らないうちに、ぼくのせいで、人が仕事を失った。そこに責任を感じたが、何もできなかった。
しかしながら、この失敗がきっかけで、会社でのポジションは徐々に悪くなっていった。
なんとなく3年ほどしがみついたが、結局その会社を去った。
転職はうまくいったが、ぼくのせいで解雇された3人の技術者のことはずっと忘れられないでいた。
さらに3年経ち、偶然、都内の携帯ショップで、解雇された技術者の1人と再会した。
普通に店員として働いているようだが、いや、まさか? と思い、本人確認書類を提示すると
そしてぼくは、当時の非礼を詫びた。
すると
「あの日にワタシは解雇されていないだったら、ワタシは日本に来るチャンス無いでした。アナタも解雇されたを知っている。あの会社だめだめね。ははは。」
そう言いながら、慣れた手つきで機種変更を終えた。
「ワタシの代わりは中国にいくらでもいます。だから日本に来た。」
ぼくは未だ何も変わっていない。
今、人間不信と女性不信をなんとかしたいと思って婚活相談している。相手はビジネススクールで知り合った、コミュニケーションについて学んでいる女性だ。
スクール内の彼女の講義で、カウンセリングを受け付けている旨を聞いて相談した。
結果、裏切られた。いや「裏切られた」は自分勝手な言い草だが敢えて言う。裏切られたと。
俺は深刻な女性不信を抱えている。小1から小6までクラスの女子全員に避けられ、1年の時のBBA担任に些細なことで教室の後ろや廊下に何度も立たされて晒し者になった。3年の時は一時期クラスの女子と遊んだことはあったが、些細なことで詰られて泣きながらゲロ吐いてそれ以降女子と遊ばなくなった。当時のBBA担任には往復ビンタされたこともある。4年の時はいじめられたが、担任(また別のBBA)に相談しようにも、担任もいじめの対象だった。5年の時は転校生の女子に惚れて体育のマラソンでちょっかい出したら担任(男)にこっぴどく怒られた。調理実習の時は女子の間で「【俺】に食品を触らせるな」がクラスの暗黙のルールだった。2年と6年の時は目立った事件はなかったが、2年の時には確実に「女は信用できない」と思っていた。
中学に入っても状況は変わらなかった。小4でいじめられた影響で完全に人間不信になったので、喜びと悲しみの感情が死んでいた。中3で祖父が他界したとき「何で俺だけ涙が出ないんだろう。悲しまなきゃいけないのは分かるけど辛い」と思っていた。悲しむのが苦痛でしかなかった。
大学時代、ちょっとした意見の違いでサークル内で揉め、その時に法学部の先輩がわざわざ携帯のメアドを「◯◯◯.2ch.net@docomo.ne.jp」に変えて匿名を装って悪口中傷のメールを何度も送ってきた。俺はサークル内で孤立し、あるときサークル裁判で事態を収束するために俺がクビになった。
大学卒業後に入社した会社が4年後に倒産して、その後すぐに就活したがまったく決まらず、貯金が底をついた頃にクレカの督促の電話口でオペレーターの姉ちゃんにこっぴどく怒られた。今考えても姉ちゃんの言い分がまったくの正論だが、その言葉のキツさに耐えられずに就活も休んだ。
普通のバイトも決まらないので仕方なく警備員をやったら、新人いびりで支社長にいじめられ、こいつを殺したいと本気で思ったことがある。現場で凶器を物色しようと思ってたときに高熱で寝込み、その後しばらくして支社長が左遷されたので実行には移さなかった。
「人はいつか必ず自分を裏切る」と信じて疑わなかった。そんなときに数少ない友人や知人と色々話して、女性不信と人間不信を解決しようと決めた。
以上の内容を、女性不信の部分に絞ってざっくり相手の女性に話した。返答はこうだ。「そんな(ネガティブに捉えること)ないと言おうと思ったけど、私も最近信じてた人に裏切られたので共感しかできない」
俺はこう返した。「共感してくれてありがとう。そんなことないと言われたら信用できなくなるところだった」
その後、3週間ほど返答がなかったのでこう送った。「同じ悩みを持っているなら、協力して解決するのはどうだろう」
そしたらこう返ってきた。「今は愛のある優しい彼氏がいるのでちょっと違うかなと思います」
何で裏切られたばっかりなのに彼氏がいるんだよ。自分に彼氏ができたら用済みかよ。いやそうじゃない、裏切られたっていうのはいったい何だったんだよ。
後日「私はこのようにした」旨の返答が来た。前彼に捨てられた後に大変な努力をしたということで、きっとものすごい苦労をしたんだろうなというのは分かるんだが、違うそうじゃない。たった2、3ヶ月で解決したこと自体、似非男性不信だったことの証左じゃねえか。それで共感したつもりかよ。こんなの騙し討ちじゃねえか。
非常に自分勝手で自分本位でクズな考え方なのはわかってる。でも溜め込んでちゃ仕方ないし、かといって本人に言ったらそれこそ終わりなのでここに吐き出すしかなかった。悔しい。どうしようもなく手が震えて涙が止まらない。これほどの屈辱を味わったことはない。許せない。
ああそうさ、俺は弱いさ。こんなとこに不平を言うだけのどうしようもないクズだ。だけど頼むから相談受けるならもうちょっと女性不信を勉強してきてくれ。それくらいのことは言ってもいいだろう?
今俺はこうやって悲劇のヒーローぶっているが、学ぶこともあった。彼女は悲劇のヒロインにならなかった。それだけは糧にしなきゃいけないと思う。ただ、あとは返答とかを顧みてほしい。もっと勉強してきてほしい。彼氏を気にして手を抜くようなことはしてほしくない。ただそれだけを願う。
いろいろ盛り上がってんだけどさ。
安部のいった「こんな人達」って、いわゆる「プロ市民」のことだろ? ってのは、まあその通りなんだけどさ。
そもそも、ああいう街頭演説って、プロの「仕込み」の上で成り立ってんだよね。
自民党ってのは、なんだかんだ組織化されている大企業なんであって、都議会議員風情の応援に総裁(総理)がくるとなりゃ、そりゃ現場は大騒ぎなわけさ。
自民党ってのは、都道府県ごとに都連やら県連やらがあって、各選挙区に「支部長」って形で国会議員なり候補者がいて、都議なんてその下なんだから、せいぜい課長クラス。
課長の仕切っているイベントに、社長みずからお越しいただけるんだから、恥かかせちゃ大変なわけ。
都議の下には、配下の区議がいて、それがまた都議に恥をかかせないように、末端レベルの動員を担当してる。
だから、自分の選挙区に総裁がくるとなったら、そりゃもう必死で動員かけるわけ。
まして、今回は、総裁唯一の街頭演説なんだから、すでに課長(都議選候補)レベルの話じゃなくて、支社長(都連会長)レベルの話なのよね。
当然、支社の総力を挙げて動員かけたはずだ。安部に恥をかかせないためにも。
大体、秋葉原に普通の人が日の丸の小旗を持って出かけるはずもない。
なのになぜ、あんなに日の丸もって安部に声援を送っている人がいたのかといえば、
随所に聴衆を盛り上げる人も配置されているし、いろんな「プロ」が動員されているわけ。
そんじょそこらの「プロ市民」では太刀打ちできない、経験と年月に裏打ちされたノウハウを持ってるはずなのよ、自民党ってのは。
今回、自民党にとってなにがやばいって、にもかかわらず、総理からみてほぼ正面、記者エリア脇の一等席を、
この一点で、自民党の力が落ちていることは一目瞭然。
支社長(都連会長)の下村の首が飛んだけど、たぶん、いろいろ怒られた現場関係者も山ほどいるはずだ。
麻生が「ローゼン閣下」などと呼ばれだしたころとか、安部の絶頂期には、秋葉原に会場設定して、テキトーに支持者動員して、道行く人に日の丸配っていれば、
あっという間に街頭が埋まったのかもしれないが、今回はそうもいかなかったらしい。
そして、今回はそうもいかないことを、あまり予測していなかったのだろう。
報道では一部でしか報じられていないが、当日、慌てふためいた自民党関係者が、必死に「プロ集団」の前で自民党の青い幟を結集させたり、はては車までとめて、
安部のほうから「プロ市民集団」が見えないように隠していたという。
予想していたら、初めからもっと人員の配置とか考えていたはずだもんね。
一方で、自民党が配った日の丸振りながら「安部ヤメロ!」と面白がって同調していた若者もいたとか、いないとか。
あと、今回の事態のようになった要因としては、公明が小池側についた影響は、かなり大きいよね。
公明党の大物クラスの街頭演説を一度でも見たことがある人はわかるだろうが、あの動員力は凄いよ。
しかも、数がすごいだけではなくて、統制とれてんの。盛り上げ上手。
今回、秘かに注目すべきは、安部が民主国家の政治家として資質を欠いているとか、そんな話ではなくて
(そんなこと、みんな知ってる)
「もはや公明の手を借りないと、自民は選挙に勝てない」ことが分かりやすくインパクトのある映像とともに、白日の下にさらされたことなのかもしれない。
スタートアップに失敗すると以下のようなことが起こる。
元彼のところへ行ってしまわれました。
無限にやってくる転職エージェントからまともそうなのを選んで希望を伝え、数社紹介してもらう。
「本当にサラリーマンやりたいですか?」みたいな質問に適当に答える。
要件を聞いて値段の交渉をしようとすると、金は払いたくないとのこと。
また別の人間は案件を紹介するからプロフィールとポートフォリオをよこせというので送ると、
彼らのコーポレートサイトに当社従業員、当社開発実績として勝手に載せられるなどする。
(クレームをつけ、取り下げさせた)
都合7回、3ヶ月かけてインタビューを受ける。
最終で落ちた。
死にはしないので、まぁ、やっていきましょう。
私は東京出身です。主人が沖縄で長らく仕事をして、故郷の奄美大島に戻りました。ゆうパックで1便を出し、その時に4つの目で確かめて、沖縄の郵便局に聞いて、食器がもし万が一壊れたらどうしたら良いですかと。。。すると1箱に30万の損害賠償があるからたくさん入れないで、30万まで。。。とききました。そんな30万以上は無いですが、大事な私の趣味の食器が幾つか割れていました。新聞紙に包み、間にまた新聞紙をつめて、がっちりとした箱に入れて、送りました。他には電化製品や衣類もです。ペアになっているグラスは別々に入れましたが、またペアのカップもです。
1つの箱の中の物がいくつも割れていて、近くの郵便局の方に聞いたら、すいませんね、写真を撮りそれをください。担当に回しますからというので、1個につき1枚写真を付けますか?ときいたら1枚に壊れたものを全て載せて、それを担当に渡しますからと言うのでその通りにしました。しばらくしたら、60キロも離れた名瀬郵便局から亀井さんという方が来ました。写真と現物を見て、写真がついている紙を持っていきました。そのとき私たちは、30万損害賠償が付いているからと保険でしょ?と聞きましたら、保険ではないですよと言いましたが、私たち素人は保険と思います。
しばらくして電話があり、損害賠償は出来ないと。。。写真を取っておいてくださいと言って写真も提出してますが、証拠にならないですと。。。クロネコヤマトにきいたら、それはおかしいですと。壊したのだから現物で戻しなさいと怒りました。4。。ゆうパックはどうなっていますかね。。。名瀬の郵便局の、柚木(ゆのき)部長が、私たちがわざわざ60キロもあるのに車で行って話しているのに、すいませんも無く。自分が決めたからです。梱包が悪いとか、通知が9日目で遅いとか全くひどいです。1箱はボーンチャイナの食器がありそれがフタが割れて、上からの圧迫です。またそれによりワイングラスが欠けて、コップも割れ、陶器のスワンも首から割れたました。現物を見て、写真も持って行き、その後は各割れたものの値段を出してくださいと言ったので名瀬郵便局でも調べてくださいと話して私たちは現物で返してほしいといいました。配送の部長にあった時は、それで、支社長は?と聞くと会わせられないと。。。熊本がその上の部署と言ったのでその電話を教えなさいと言っても教えられないと。。。熊本の指示を受けたと言ったり、いや、違います自分の判断と言ったり、箱を開ける前に割れたが分からないととか、ああいえば、こう言う。。。皆が見て梱包して、奄美大島が、到着地ですから、最後の郵便局で対応ということで、出したところからフエリーにのり、その間かも知れないのに。。。クロネコヤマトは、そんな郵送法で決まっていて、クロネコヤマトは1ヶ月後に言ってもキチンと損害賠償をしますと。。ゆうパックは変です。通知したのが9日目だったとか、とにかくああいえば、こう言う。。。では何で、送付状に30万まで損害賠償と印刷されているかです。。名瀬郵便局の支社長に手紙を出しましたら、また、亀井さんが、損害賠償は出来ませんと。大事な趣味の食器を弁償するのが常識です。日本郵便株にメールしましたが返事は無いです。皆さんどう思いますか?また私達のように、泣き寝入りと送付した金額も戻らない。。。たくさんいるはずです。。クロネコヤマトはすばらしいです。。
作家がヤバい発言して問題になってる沖縄の新聞事情について昔の思い出を書く。
都会に住んでる人はいわゆる全国紙(読売/朝日/毎日/産経/日経)だろうし、地方紙が強い地域もある。
圧倒的に強いなんてレベルじゃないぐらい地元の新聞だらけなのだ。
一時期沖縄にIT企業が集まってた頃がある。2004~06年ぐらいがピークだったかな。ITって言っても儲かってるwebデザイン企業が沖縄支社出したりとか、あとコールセンターとかそういうのね。地価が安いんで一時期沖縄は重宝されてたんです。人材が糞すぎるのと物理的な距離が東京大阪からありすぎるので今は廃れたけど。
オレも一時期沖縄支社で働いてた事がある。初代支社長みたいな立場で赴任したんよ。
で、新聞をやっぱりとらないとなと思って日経と読売だけとることにした。
無難な選択に思えるじゃん?来客用のテーブル近くに置いてたんだけど、ある日地元の商工議会所の人らがうちに見学しに来て、新聞を見て怒りだした。
「これだけですか?なぜタイムスも新報も無いのですか?」って。
新報ってのは琉球新報でタイムスは沖縄タイムスのこと。沖縄の二大新聞だ。
「はあ、本社がこの2つですから」と気の抜けた返事を返したのを覚えている。それが余計に癪に触ったのだろう。
「本当に沖縄でビジネスするつもりがおたくらにあるんですか!?」と、いきなり声を荒げて怒り出した。
その場はもう一人の若い人がうまく取り繕ってくれて収まったんだけど、後日呼び出しをくらって向こうの事務所で説教された。
ありえないと思うでしょ?いや実際ありえないですよこんな世界。日本じゃない。取ってる新聞ごときで一企業に対して説教する連中がいるっていうのはもう日本じゃないですよこれ。
後から調べて知ったのだが読売新聞のシェアは0.1%で朝日が0.2%という異常な数字。
多分これらの全国紙をとっているのは企業、あるいは一般家庭でも日経+沖縄タイムスみたいに2つ新聞をとっているところだけなんだろう。
全国紙だけをとっている家庭なんか無いだろうし、企業や公的機関もほぼ0なんだろう。
だから今回の作家の発言は単に左翼リベラルを刺激したって以上に、沖縄県人からすれば相当精神的なところを突かれてるんだと思うね。
ほとんどの日本人がみそ汁とか天皇とか富士山を外国人から馬鹿にされたらイラッとくるのと同じぐらい沖縄人にとっちゃ地元新聞は大事なんだよね。
心の拠り所みたいになってる。
沖縄に最低1年でいいから住んでみたらなぜみんな基地に反対するのか理解できます。
心の拠り所の新聞が反対してるんだから、そりゃ反対しますよ。そこはもう理屈じゃない。お金じゃない。心の問題。それを政府与党はわかってない。
先日、4年ぶりに引越しをした。
荷物の運び出しや重い箪笥の運び出しなど、この猛暑の中スタッフはよくがんばって働いてくれたと思う。
しかし、担当スタッフの手違いで洗濯機の排水ホースのジョイント部分が壊れ水漏れをするようになってしまった。
つい3日前までは問題なく使えた物が引越しをした途端壊れてしまったのだ。
過去に何度か引越しをして、エアコンの羽を割られたり細かいミスは度々目撃していたのでそれ自体で怒るということはなく、今回も排水ホースの交換(数百円)で済むだろうということで支社には報告という形で連絡を入れたのである。
そもそも値切って値切って一番安く見積もりを出した業者に決めているのでそういったことはある程度諦めているのである。
しかし、電話対応をした支社長と名乗る男の対応は客商売のそれとは大きくかけ離れていた。
スタッフに確認するといい掛け直してきた電話では、スタッフは何十回も引越し作業を行ってきており百戦錬磨であるためそういったミスはないの一点張り。
私が壊した物をスタッフになすりつけたといいたいのかと尋ねたところ、「そういった言い方はしませんがお客様で壊されたのではないですか?」と開き直る態度。
これに頭が来た私はどういうことだと声を荒げたところ、「その言葉遣いはなんだ?」と説教を始める始末。