はてなキーワード: 懐古厨とは
アニメ観てて今回は神回だっていうネットの意見を参考にしつつ視聴してるんですけど、「まぁたしかに泣けるけど、良回程度で神回ではないな」と思ってガッカリすることがある。
自分がアニメを見過ぎているのかもしれないが、アニメ大量放出のこの時代に神回判定が緩くなっていないか?僕はもっとコードギアスR2の最終回とかセーラームーン無印の最終回とかそういうのを神回というのだと思うんだよな。歴史に残るエピソードレベルじゃないと神回と認めたくないわけ。
最近はすぐ神回だとか神曲とか神作品とかいうじゃん!最近の神判定は奈良判定並みに緩いぞ!アニオタ歴史20年の僕はそう思うんだ。君はどう思う?
ブコメで既に出てたところ申し訳ないが神回判定が緩いなと思ったのはゾンビランドサガ第8話だよ。サガ民はゴブリンと戦い過ぎて逆にサガの評価下げてるからな。だけどゾンビランドサガのOPは神だな!
コードギアスR2より第1期の最終回の方がたしかにこれからどうなるんだろうって期待が非常に高かったよな。今は廃れちゃったけど当時は神MAD動画がたくさん作られててニコ動観るのが楽しかったんだ。今では例のアレとかVtuberにその勢いを奪われてしまったけど、まぁそんな懐古厨的なもんなんだ。
ちなみに自分がメジャーなところで神回だなと思ったのはるろうに剣心アニメ版の京都編で剣心が薫に別れを告げるシーンな。セル画最盛期に蛍の光り輝く描写、カヴァレリア・ルスティカーナのメロディでまさに明治剣客浪漫譚というところ。
マイナーなのだと刀語の最終話のとがめのシーンとか蒼穹のファフナー(無印)の翔子回とか、〜ef〜シリーズとか、あとうる星やつらの映画版でガラス越しにらむとあたるが語り合うシーン。
マキバオーとカスケードの日本ダービーの戦い。あとヨルムンガンドのアール退場シーンでしょ、ふしぎ遊戯はEDの入りが毎回神ってるし。33話の柳宿との別れは泣いたし。
追追記
みんなコメントありがとな!お互いの神回を語り合う、そういうのが好きなんだよ。
リアルだとアニメの話してもロボ系が好きかアイドル系が好きかとか細かに趣味が分かれてんだよね。だから意外と今回良かったよねとか気軽に話せないからネットの声聞いちゃう。そういう意味では神回判定が緩くなってもリアルに恩恵を受けてる感じはあまりないかな。
コメントへの返答
シャーロットは尻すぼみ感があって2クールやれたら神作品だったかもよね。
プリキュア時代は部活に打ち込んでたもんだから見てないんだ。すまん...
カウボーイビバップ出してくるのはセコいな〜笑 第5話は神回だと思う!
エグゾダス第9話は神回だ!初代から観てきた人間としては神としかいいようがない。
あとネットでは酷評だったけど鉄血のオルフェンズもすこなんだな。リアルで追っかけてたし、1期のビスケット亡くなり〜からのMISIAはまじで神演出だった。
今後最強な神回があったら天照大神回とか表現方法変えて欲しいよ。天照大神回だったら絶対みるもん。九十九神回ならなるほどなって思うし。
とします。紛らわしいので。
私は赤さんのことを5年くらい前から知っている。その当時、彼女は某幼女向けアニメの二次創作をしていた。更新頻度も高く、好きなキャラ、カップリングも同じだったので、自然とファンになった。彼女はイラスト投稿サービスに登録して、多くの方々と交流をしていた。私はというと、まだそういうサービスへ登録することは気が引けていたので、毎日赤さんのページへ行っては、更新を楽しみにしていた。
月日は流れ、私はTwitterに登録したり、あのイラスト投稿サービスへも登録をしたりして、オタク的趣味を楽しんでいた。私は懐古厨(?)なので、ある日急に思い出して、昔好きだったジャンルの過去ログを見返した。ちなみに、この方法でフォローした方が結構いる。蛇足でした。すると、彼女のページは残っていて、トップには「Twitter始めました!」とあった。私はすぐにリンクを踏み、フォローした。
赤さんは、二次創作ジャンルから離れ、一次創作をメインに活動していた。私は、彼女の創作も少し読んでいたし、何より、大好きだった方の新しい創作物が見られるのが嬉しかった。彼女がリツイートする中には、かつてのイラスト投稿サービスで会話を楽しんでいた方の名前もあり、今でも仲良くしていらっしゃるんだなぁと感心してしまった。
今思うと、もしかしたら私が始めて赤さんを知った頃から、赤さんと青さんは関わりがあったのかもしれない。
しばらくすると、彼女が繋がりたいタグを使ってフォロワーを募集?していた。私はもちろんいいねした。リツイートは覚えていない。そして、赤さんは私をフォローしてくれた。相互フォローになったのだ。そのときは、「神絵師にフォローされた!」と小躍りしたものだった。
私は、赤さんが「初対面の私の印象は?」というタグを使えば、『〇〇のときから知ってます!』とアピールをし、「今日誕生日です!」と言えば、『おめでとうございます!』と言ってイラストを描いた。大好きだったから、憧れていたから。そのうち、私は赤さんの中で「△△(キャラ名)が好きなフォロワーさん」という認識になった。私自身、本当に△△は好きだし、新規イラストが来れば、いつもリツイートして感想を呟いた。
でも、いつからか、私は彼女のことがあまり好きではなくなってしまった。もちろん今でも彼女の絵はうまい。私なんかよりずっと。私は絵を諦め、字書きへと逃げた。本を読むのは好きだったし、文もそこそこ書けたから。でもきっと、文字書きさんの中には、絵描きを諦めたからこっちへ来たという方も少なくはないんじゃないかと思う。蛇足。
赤さんは描いた絵を何度も何度もTLにあげる。「あげ」とか「みて」とリプツリーに繋げてあげる。それが少し気になってきたのはいつ頃だろうか。
それに、キャラの設定についてのツイートばかりする。例えば、「△△はアパレルショップで働いてるけど、裏でタバコ吸って怒られてる」というのを、毎日毎日50くらいいるキャラを日替わり、いや、偏りがあるけれど、でツイートする。
この前のあれは本当にひどかった。「◽︎◽︎はピアノ弾き設定だけど邪魔だな〜消そうかな〜〜」こんなツイートを見た瞬間、は?と思った。何言ってんの?◽︎◽︎はピアノ弾き設定だからこそ今の彼氏と出会って、その対比が面白いんでしょう?ていうかあなた初期にその設定の漫画描いてますけど、どうするんですか?
それでいて、「アニメ化したらこんな声がいいな〜」って言ってyoutubeのリンクを貼ってツイートする。そんなにコロコロ設定の変わる漫画、アニメ化なんてするわけないだろ。てめえの脳内だけで考えてろや。
そんなわけで、私は赤さんの裏垢はブロ解した。裏垢はもっとひどい愚痴や設定話ばっかりだった。私が今でも大好きな某幼女向けアニメ。あの続編を「生理的に無理」と言い、シリーズ総集編で出されたグッズに「気持ち悪い」と言う。挙げ句の果てに「その辺のワード全部ミュートにしてる」と言う。多分この話題はまたはてなで書くと思う。全体へのイライラがあるし。蛇足。
とうとう登場です。青さん。
青さんは最近赤さんと仲良くしている方だ。きっと男性だ。赤さんは裏垢、青さんは表垢で会話をしていた。リプでじゃない。エアリプで、だ。ということは、彼あての言葉が私のTLに並ぶ。
「すき、かも、、、?」
「ほんとうにだめな人だなぁ」
やめろ。
全てのツイートにいいね1。見ると、全部青さん。会話しているとき、彼と彼女だけを入れたリストを作ったら、見事にLINEのようなTLが完成した。
私は、友達との自撮り写真しかあげないようなTwitter始めたばかりのJKがリツイートしがちな、ひらがなポエム(無断転載背景)が大嫌いだ。クソくらえだ。だから無理だった。さっきも言ったけど、ブロ解した。
今、私がフォローしている赤さんのアカウントは、表垢、二次創作垢、日常垢の3つだ。もう彼女の文は見たくないけれど、創作に罪はないし、絵はそこそこ好きだ。それに、もう私は名前も覚えられてしまったし、ブロ解しても、彼女は△△の絵を描いて投稿したとき、私からの反応を期待するだろう。彼女はそういうところがある。ないとしたら盛大な勘違いだが。気持ち悪いな。
どうしたらいいんだろうか。もう彼女の創作に興味はない、と割り切ってしまうべきなんだろうか。今、私が考えられる最適の方法は、Twitterのフォローを解除し、イラスト投稿サービスだけフォローを残す。でも、◽︎◽︎がピアノを弾かないなんて考えられないし、青さんとの濃密な時間を元に描かれた新しい創作なんて始まったら、発狂してしまう。
赤さんのことが好きだなんてことは断じてない。人間として嫌いだ。どうしたらいいか、コメント機能とかがあれば教えてもらいたい。ちょっと前にあった、文字書きの2人の匿名ダイアリーに「百合w」ってコメするようなことはできるだけしないで、解決策を教えてください。お願いします。
あのささやかで手作り感溢れる個人HPが、SNSとGoogle一強時代に飲み込まれて行った気がする。
2000年前後は、Yahoo検索をしてもとにかく適切にヒットするHPが少なくて、検索の時に打ち込む言葉のノウハウすら周知されていなかった。(そもそも、回線が重たかった)
自分が探していたのは海外アーティストの来日情報やアルバム情報なんだけれども、なかなか情報が手に入りにくい、そんな時代だった。
おそらく現地に住んでいる日本人か語学に長けた人なんだろうけど、彼ら個人サイトの善意によって、様々な情報を得ることができた。
全然更新されない市井の人のHPをブックマークに保存して、ぐるぐる、ウロウロと周回していた時代。
今は、世界の動向もトレンドも瞬時にネットを駆け巡って伝わる。
こんなタイトルを書いて、さぞアンチウルトラマンのようにみえるが、私はウルトラマンが好きである。
今放送中のウルトラマンルーブは楽しく見させてもらっている。『ルーブ』とは何者なのか、なぜロッソとブルはグルジオボーンと落ちてきたのか、愛染マコトの狙いは何なのか・・・・・・。現時点で10話放送しており、そろそろ折り返し地点である。
だけどはっきりいえば、何か物足りなさを感じる、というより、面白さに欠けている。楽しく見られているが、面白いかどうか・・・・・・と言われると、微妙だ。
この不満は実は遡ればウルトラマンオーブからある。いや、ウルトラマンオーブで感じたその不満は一部だけで、本格的に感じたのはジードからだろうか?
なにやら最近はそのルーブの登場人物である愛染マコトのおかげで、懐古厨は愛染マコトだ、なんてまことしやかにネタにされているがはっきり言わせてもらうと、最近のウルトラマンには怪獣の魅力に欠けている。
何故怪獣が出現し、何故怪獣が暴れるのか。ウルトラマンの根本的な話の主軸はそこであって、それに対して人間やウルトラマンが立ち向かうものではないか?
最近だとウルトラマンXの「怪獣は動かない」だとか、ウルトラマンジードでも「ココロヨメマス」が面白かった。ちょっと紹介がてらどこが魅力的だったのかを説明する。
ウルトラマンX第10話「怪獣は動かない」には、不動怪獣ホオリンガが登場する。1か月前、山々に囲まれた坂根村に突如として出現したところから物語が始まり、それまで全く動かず無害であることから村のマスコットキャラクターとして売り出そう、という話を村人たちがしている。しかしホオリンガが栄養失調に陥っていることが分かり、Xの世界の防衛チームXio(ジオ)は治療弾を注射する計画をするが、一人の少女がそれを止めようとした・・・・・・。
ネタバレになっても構わないのであれば話すが、実はホオリンガは坂根村に伝わる神様で、ホオリンガは現れると次第に新たな山に生まれ変わる怪獣だった。地面に根付き、栄養を大地に送り、自らが山に変わることがホオリンガの怪獣としての使命だったのだ。そうとはしらず栄養を無理やり注入し、あろうことがホオリンガを動かそうとしたことで、ホオリンガは激怒、花粉をまき散らして暴れ出してしまう。そこで本作のウルトラマン、ウルトラマンXが戦うのである。
次にウルトラマンジード第10話「ココロヨメマス」。例に挙げたタイトルがすべて第10話なのは偶然なのでご容赦願いたい。
突如として地球に、怪獣ザンドリアスが飛来した。なぜザンドリアスが地球へやってきたのか。本作での防衛組織に当たる、犯罪をはたらく宇宙人を取り締まる機関AIB(エーアイビー)の愛崎モアは、相手の心を読むことができる宇宙人、ゾベタイ星人のナビア(地球での偽名はサトコ)と協力してその真意を確かめる。
オチだが、実はザンドリアスは恋煩いを患っており、好きな女の子に告白できず、勝手に玉砕して地球に飛来したのだった。ゾベタイ星人は嘘をつかない性格らしく、このザンドリアスの気持ちを「くだらない」と言うが、モアがそれを一蹴。誰かを思うことにくだらない事なんてないと啖呵を切り、本作のウルトラマンであるジードと協力しているゼロに、ザンドリアスを宇宙に返してくれるよう進言したのだった。
今回あげたタイトルの共通点はまさしく「なぜ怪獣が現れ」そして「暴れるに至ったか」という、怪獣の生態であるとか、怪獣の心象であるとか、怪獣そのものをドラマの中心においている。ウルトラマンらしさを語っているわけではないのだが、怪獣が出現する以上、こういった意味付けは重要だと思う。
だがジード本編における大多数の話と、現在放送中のルーブはどうだろうか。基本的に怪獣は、作品内の悪によって召喚されたものか、悪人そのものが変身したものである。
ジードに登場する伏井出ケイことストルム星人は、ウルトラマンベリアルに心酔し、ジード=朝倉リク同様、ジードライザーを使い怪獣を召喚したり、自らベリアル合成獣として変身したりしている。野良怪獣が現れたのは、ザンドリアスとギエロン星獣の回くらいではなかったか? そして現在放送中のルーブは、愛染マコトが怪獣を召喚し、そして自らも『ウルトラマンダークオーブノワールブラックシュヴァルツ』という真っ黒なウルトラマンオーブになったりする。怪獣が物語にアクセントを足す調味料程度でしかないのだ。
いや、ウルトラマンルーブは世界観として「怪獣が存在しない世界」だから、理由付けとして怪獣を召喚するしか方法がない、という意見は分かるのだが、それにしたって「その怪獣が出現する意味」が無さすぎるのである。第10話に登場し、おそらくそのまま第11話でも出るであろうルーブ由来の新怪獣、豪烈暴獣ホロボロス。狛犬のような見た目の神聖な怪獣っぽいのに、結局は登場は愛染マコトがホロボロスのクリスタルを使って召喚させたに過ぎない。しかも召喚理由は、ウルトラマンルーブことロッソ=湊カツミとブル=湊イサミに、ウルトラマンとしての適性テストと称して召喚されたのだ。これじゃあせっかくの新怪獣もただの試験官だ。これだったら別の怪獣でもいいじゃないか。
別に宇宙人が怪獣を使役したり、召喚することが悪いとは言っていない。遡ればウルトラセブンだってピット星人がエレキングを飼っていたし、帰ってきたウルトラマンではナックル星人がブラックキングを用心棒として使役していた。だが、ただ無意味に召喚させるだけの今のウルトラマンには、話としての物足りなさが露出していて、見終わった後特別何も感じない。
ウルトラマンAだってヤプールが超獣を作っていたじゃないか、それと同じじゃないか。という意見が出る前に一言いえば、ウルトラマンAだって超獣の個性をふんだんに使い、その超獣が話の主軸になっていた。最近の平成作品でもよく出るアリブンタは、地下鉄を襲って人を蟻酸で溶かすシーンは恐怖そのものだったし、二次元超獣ガマスは撮影した時のカメラのネガに潜み、焼き増しすればするほど増えるというとんでもない超獣だった。きちんと怪獣の能力が物語の中心となってストーリーが展開している。でも今のウルトラマンは、人間ドラマにほとんどを費やし、怪獣は結局最後に出現させて倒されて、はいおしまい。これじゃあんまりじゃないか?
過去の怪獣を出すなとか、そういうわけじゃないのであって、さっきも言った通りザンドリアスやギエロン星獣、オーブならまさかの戀鬼やラゴン、Xだとバードンや宇宙化け猫・・・・・・。過去の怪獣でも、何故現れたのか、何故暴れるのか、何をしたいのかを描くことは可能じゃないか。人間ドラマも嫌いじゃないが、そろそろ怪獣がメインの脚本を見てみたい。
ウルトラマンルーブ。おそらくこれまで通り予定では全25回。残りの15回で、見終わった後に清々しくなれるような話が来てくれることを願う。
デレマスにしろ、ミリシタにしろ、ASにしろ、Mマスにしろ、どれ見てもPって面倒だな。シャニは知らん。
どれ見ても共通してるのが、何かあるとすぐ、○○より〜とか○○の方が〜って言う。何でそうまでして自分を優位にしたがるかね?
「先にそっちが言ってきた」とか見るけど、んなもん誰が証明できるんだよ。
アイマスPってアイドル物というかオタクコンテンツの中で1番とか思ってそうだけど、王者だと思うなら下々のコンテンツが囀るのなんて聞き流しとけよ。
いちいちそんなのに反応するとか王者wの自信ないの?
後、無駄に意識高いよね。ゲーム引退する時にブログなりツイッターなりに「引退します!」って書き込むのってアイマスぐらいしか無いよね。
いちいち何年やってたとか、課金は幾らぐらいしたとか書き込むの何なの?アイマスPはかけた金額と時間が大事なの?
それに辞める理由も長々と書いて、さも自分が辞めるのは当然だみたいにするし。構って欲しい可哀想な人達なの?正直キモいわ。
個別だと、
ASP
デレマスが出た時には煽って批判して、いざデレマスに人気が出て煽られるとデレマスPはクソだわとしか言わない。んでミリマス出たら出たでいきなり後輩とか認めない、世代交代でASを引退させる気か!と受け入れず、ちょっと人気が出るとそれに乗っかってるだけのクズ。
取り敢えずデレには煽って、ミリオンは批判して、どちらにも害悪でしかない。
しかも無駄にアケからとか経歴を言いたがり、○○から入ったPは知らないと思うけど、って上からモノを言いたがる。
こういうのが居座って踏ん反り返ってるから、アイマスってコンテンツ自体に新規が近寄りがたい事に気付いてないのかね?自分で自分の好きなコンテンツの首を絞めてるんですけど。
デレマスP
デレマスPは取り敢えず何かと張り合ってないと気が済まないのかね?ミリシタが来るまでは散々ラ!と張り合いまくって、自分たちの悪い所には蓋をして見ないフリ。
ラ!の民度が低いってのは見てて思うが、デレマスも相当だと思うぞ?知らないなら少し検索すれば写真とか出てくるぞ。
それにアイマスでニュースになるレベルの事件起こしてるのってほぼデレマスPだと思うのですが。
デレマスPが低脳ってのは、取り敢えず何かあれば課金。運営に貢ぐ。ゲームの良し悪しはどうでも良いというか、デレマスに悪いところは無いって思ってる。ゲームの改善より無料ガシャとか福袋とかの方が大事なところ。
どれだけ運営の落ち度だろうが手抜きだろうが、批判する奴は荒らしって決めつけて言論統制する。こうなると最早宗教の域だよね。
神(運営)の言う事は全てが正しい。悪いのは全て自分たち。贖罪としてお金を貢ぐもの。他を批判して自分達が正しいとアピールしたがる。
新興宗教と一緒じゃんw
最近言論統制が追い付かなくなってたみたいだけど、3thでまた信仰が深まったみたいだね。
それどころか他のゲームの要素を改悪したものを取り入れてるとか、それでもP曰く1番人気のゲームなんですかww
んであからさまな手抜きに気付かないYESマンしかいない。指摘されると対立煽りだの、そういう奴はPじゃないとかいう。
Pってのは恐ろしいものだなぁ。
ミリマスP
登場して以来デレマスPには煽られASPには批判され続けてたので捻くれてるし、今まで散々人気なかったから、デレマスに並びかけるとここぞとばかりにやり返す。
ミリシタ始まった時のデレマスPはゴミだと思うが、最近のここぞとばかりにデレマス下げてるミリマスPもゴミだと思うぞ?
後はどうでも良い事にこだわり過ぎて何でも悪く解釈する人が多い。この前だって投票で2位だったキャラがコミュでモブ扱いされたから辞めますとかいたし。
そもそも出られないはずだったのに脇役としてでも自分の好きなキャラが活躍してるととれないのか。
デレマスPが何でも良いように取るとしたら、ミリマスPは何でも悪くとってる。種田梨沙の休業の時の公式の田中琴葉の扱い方とか。
それにいちいちグリマスを出してくるやつ。古参アピールか何だが知らないがうざい。終わったものをいつまでも引っ張ってくるんじゃねぇ。やってる事ASPと変わらん。誰もグリマスの話は聞いてない。
MマスP
Mマスゲームが両方パッとしないから他を羨んで足を引っ張るのは1番。
デレマスPやミリマスPはどっちも相手を下げて自分たちの方が上だというけど、MマスPはどう頑張っても下だという事が分かってるから批判しかしない。○○マスはさておき、○○マスPが無理とか、衣装が男狙いで無理など。
まぁ反論批判沢山あると思うけど、このままだとアイマス自体、新規が全然入らなくなりそう。
ASは新規全然入らないし、うまくアイマスの殻を破ったと思ったデレマスは今はアニバで盛り返してるけど、色々不満が出始めてるし、ミリマスはこのままだとデレマスの受け皿にはならなさそうだし、Mマスは勝手に自滅しそう。
任天堂さん、株式会社ポケモンさん、懐古厨にも優しくしてくれてありがとう。
正式、ルビー・サファイアで離れそうだったんです。その頃中学校に上がったからポケモンなんて子供のゲームやってるのはダサいと思って。
でもね、大学生になって、金銀のリメイクが出るって言われて、買ってみたら、新しいポケモン全然受け入れることができた。
大好きだったポリゴンがね、(アニメで出番奪われ続けているのは残念ではありますが)いわゆる第4世代でポリゴンZになっていて、あ、俺はまだポリゴンを好きでいていいんだって思った。
そこから、X・Yだと、初代御三家を最初にくれるようにしたり、メガシンカをくれた。サン・ムーンだと、アローラのすがたで別の顔の初代のポケモンたちがみれた。
本当にありがとう。懐古厨だってのはわかってるし、今の新しいポケモンはちょっとアニマルアニマルしすぎだなって思って入るけど、それでも嫌いになれず捕まえてみようとなれるのは、任天堂さん、株式会社ポケモンさんが懐古厨にここまで優しいからです。
ここ十数年で「オタク」という言葉の意味はだいぶ変わってしまった。
オタクとは本来、根暗でクラスに友達はいないけど、コミケに集まって漫画やアニメなどの趣味をとおして仲良くやっているような学生たちに使われる言葉だった。
しかし今でいうオタクとは、特定の事柄に凄まじい偏執を持っていて、ひたすら知識を貯め込むことで優越感を得る人間を指す言葉に成り下がってしまった。
言葉の意味が何かをきっかけで変わってしまうということはよくある。しかしこの場合、たちが悪いのは「今でいうオタク」たちが自分たちのことを「本来の意味のオタク」だと勘違いして選民意識まで感じていることである。彼らはアニメやゲームに嗜んでいる自分たちの好きなことを追及している高尚な存在だと勘違いし、それ以外の人たちは趣味も何もない流行に乗るだけのつまらない人間だと思っている。
それはまったくの間違いであり、流行りに逆張りするだけで自分を持っていないつまらない人間はオタクのほうなのだ。彼らの大半は老害気質であり、見たくもないアニメを倍速で流し見、それを盲目的に批判し、SNSで罵詈雑言を撒き散らしている。しかし、その流行のアニメは老害には理解できない面白さを持ったものがほとんどで、老害にとって馴染みの薄い今風の要素があって、老害以外には面白さが共有されているアニメ(はたらく細胞然り)なのである。彼らは好きなことを追及している高尚な存在では決してなく、ただの孤独な懐古厨で、いつまでも過去にすがっている人間であり、それ以上でもそれ以下でもない。本来の意味を持つオタクという言葉と本質が最もかけ離れている。
それに加え老害は声優にまで批判を加える。最近のヒットしたアニメの声優陣を見ればわかる通り、実力も容姿も兼ね備えたような人ばかり。元増田をみればわかるが完全にアンチ化しており、徒党を組んでTwitterのリプライ欄で罵声を浴びせている。本当にアニメが好きな人たちに謝ってほしい。
アーーーーーー
2年以上前の話。
推しメンがユニットを卒業してしまって、それを機に私もオタクを上がった。
そのユニットを応援し続けることも、俳優になった当時の推しメンを追い続けることもなかった。
先日ユニットの解散が決まって、メンバーやスタッフが着々と終活を進めている姿を、たまに影から覗いてた。
そしたら、
ユニットがなくなる前、最後にって、2年以上ユニットについて言及すらしてこなかった当時の推しメンが、もう一度ライブに出るらしい。
泣きそう。
今現在のユニットも俳優としての彼も応援しているわけではないのに心が死にそうなのは、やっぱり当時の“アイドルとしての彼”が忘れられなくて、ずっとずっと好きだったんだ。
当時の彼と比べてしまう。
私が上がってからも彼らを応援してきた人がたくさんいるかもしれない、会場が全然埋まってないかもしれない、そしたらどんな気持ちになるか、わからない。
私は名探偵コナンが好きだ。
生まれて初めて自分のお小遣いで買った漫画は小学一年生の時に買った名探偵コナンの9巻だった。スケボーに乗っているコナン君が表紙の9巻をワクワクしながら本屋のレジに持って行ったことを今でも鮮明に覚えている。
そこから徐々にコミックスを集め、今ではスーパーダイジェストブック含め全巻コミックスと電子版両方持っている。
好きなエピソードは探偵甲子園、好きなOPEDはdestinyとAs the dew と愛は暗闇の中でとmysterious、好きなキャラはベルモット。
劇場版も探偵たちの鎮魂歌から毎年公開日に必ず劇場で見ている。
好きな劇場版作品は瞳の中の暗殺者を筆頭に、一作目である時計仕掛けの摩天楼から七作目までの迷宮の十字路に至るまでのこだま監督の作品。
正直、こだま監督作品が好きなのは自分が懐古厨であり思い出補正がかかっているからだと思っていたが、今作ゼロの執行人を見て明確にこだま監督作品が好きな理由が分かった。
あらかじめ言うと、ゼロの執行人は個人的な感想ではあるがここ数年の中でトップクラスに面白かった。
その理由に、もともと私自身刑事モノが好きというのもあるが、ストレスなく鑑賞できたのが一番大きかったように思う。
と言うのも、水平線上の陰謀以降の山本監督と静野監督の作品は起こる事件やアクションのためにキャラクターが都合よく動かされているような気がしていてならなかった。
結果、多少なり観客のヘイトを集め、私自身ストレスに感じていた。
このキャラこんなに後先考えない行動するっけ? また鈴木財閥の資本が入った建築物が舞台?(これはこだま監督時代にもあったが…) などなど。
こだま監督作品にはそうしたキャラクター性を無視した無理な展開が山本監督や静野監督ほど多くない。
そしてそれは今作にも通じるところがある。
今作は安室透というキャラクターがクローズアップされた分、一番活躍の場が与えられたのはコナン君と安室透だがそれ以外のキャラクターも等しく見せ場があった。
真実は一つでも正義はそれぞれのテーマに伴い意図が掴めない、見ていてストレスになるような展開が無かった。
犯人の動機も整合性があったし、明らかに作品の空気に合わないゲスト声優のキャスティングも無かった。
今作を見て、こだま監督の作品が好きな理由がはっきり分かったし、22作品目にして私が大好きな劇場版名探偵コナンが戻ってきたという感覚が素直に嬉しかった。