はてなキーワード: 懐古厨とは
罵詈雑言まみれ
余裕がないと思うよ
アンチスレは必要なものとして今の5chにもある 隔離スレと言われることもあるが結局は皆「共感」して同じ思いもの同士で語らいたいんだろう
今はどうもそうじゃない気がする
ファンスレ・アンチスレって区分もないから「正解」だとか「正義」だとか「正当」だとかを求める
混ざり合わないものをなんとしてでも混ぜあわせて均一な価値観を作り、それを「正」としたい人が多い 多すぎる
懐古厨でしかないが昔のネットはもっとこう マイノリティが許されていた気がする
「おまえがおもうんならそうなんだろ お前の中ではな」っていう画像があるけどそれすらも結局はマイノリティの許容な気がする
「LGBT」の活動は素晴らしいと自分は思っている 彼らは言ってしまえばマイノリティだ
そういうマイノリティが認められることは俺は素晴らしいと思ってる
けど非LGBT属性の人間のLGBTの活動が結局マジョリティを生み出して「LGBTを認めない」という価値観をマイノリティ化し排除しようとしているようにみえる
それがどうも俺には合わない
己の実力と承認欲求が釣り合わなかった結果生まれた哀れなモンスターの話を少ししようと思います。
こう書くとvtuber全体に対して凄まじい憎悪を抱いているように思われそうですが、別にそういうわけではなく最近というかvtuberというコンテンツが流行りだしてから便乗して出てきた、いわゆる前世がある人たちの事に関して少し思うところがあったのでそれを文字にしてみます。構成とか全く考えないで適当に書きなぐるだけなので、話が前後したり同じこと何回も書いたりするかもしれませんが大目に見てください。個人の意見です。誹謗中傷ではありません。
まず抱いた疑問点として『virtualである必要とは何なのか』でした。
vtuberというコンテンツをインターネットでよく目にするようになりだした頃は生身の人間じゃ出来ない事をすることに価値というか利点というかそのようなものを見出していたと思うのですが、最近人気な方々を見るとゲーム配信をしたり雑談配信をしたりというのが主な内容だと思うのですが、これってvirtual要素がなきゃできない事ではないですよね。
ではこの生身の人間でも、最低限のネット環境さえあれば大体誰でも出来るこの内容の配信をなぜvirtualのガワを被ってやるのかといったらそんなのは勿論決まってますよね。『より多くの人に見てもらうため』です。
多くの人に見てもらうことを目標に配信活動に励むのはとても理にかなってることだと思いますが、そのために流行りに便乗するというのは違うような気がします。virtualというコンテンツを自分の承認欲求を満たすための手段としてしか見てない節がある、結果このコンテンツの認知度を高めた先人へのリスペクトが足りなくなっているのではないかと思いました。今一度vtuberというコンテンツが流行りだした頃のコンセプトなりを考えてみてほしいですね。
というか少し考えたら気がつくと思うのですが今人気のvtuberがやってることってインターネット生放送文化全盛期の再放送にすぎないんですよね。萌え声イケボで異性リスナーを釣ったり、ゲーム配信をしてみたり、言い方は悪いかもしれませんが放送主同士で馴れ合ったり...。結局過去に自分たちが人を集めていた方法をもう一度やるしか能がない、言い方を変えればタイミングが良かったからたまたま人を集めることができただけの人たちが自分に能力があると勘違いした結果産まれたモンスターコンテンツなんですね、vtuberというのは。要するに中身がないんですよね。中には人がいるけど中身はない、そんな不安定なコンテンツなんだと思います。せっかくvirtualなのに雑談の内容は中の人間の日常の話ばかり、メタ発言連発、これでvirtualを名乗るのは無理がありますよね。どうせ守れないのにどこかで見たことがあるような安っぽいキャラ設定で売り出す必要があるのでしょうか。
何故そのようなコンテンツに人が集まるのかと、なんだかんだ言っても人が集まってる以上受け入れられている人気コンテンツなのではないかと、そのような意見があるのはごもっともだと思いますが、当時の視聴者が再放送も見ている、というのが現実なのではないでしょうか。
vtuberは生放送を始めるだけで赤スパ(赤色のスパーチャットのことらしい。金額によって色分けされていて赤色は一万円以上だとか)が送られてくるみたいなのですが、10代の学生にとって仮にいくら好きとはいえ知らない人に放送を始めた程度でホイホイ送れる金額ではないと思います。
そもそも経済的余裕があったとしても友人との交際費に当てたりするのが優先されるのが自然なはずなので完全に自分のためだけに金を使える人間となるとやはり社会人ということになるでしょう。
試しに子供が見てるyoutuberランキングなるものを見てみましたがvtuberの名前はありませんでした。これをうのみにする訳ではありませんが参考程度に一応見てみました。
しかし何故いい年の大人が過去に流行ったコンテンツの再放送に金をつぎ込むレベルでハマってしまうのでしょうか。個人的には現実逃避になのではないかと考えています。
大人になれば色々嫌なこと辛いことも増えてくるでしょう。自由の代わりに責任を背負って生きていく訳ですから好きなことだけして生きていくわけにも行きませんよね。勿論全員がそうというわけではないと思いますが。
現実逃避したくなったときまず最初...かどうかは分かりませんが楽しかったあの頃というのは誰もが行き着く逃避先なのではないでしょうか。いわゆる懐古厨に似た何かですね。
結果面白い配信を見ていた楽しかったあの頃に逃避する層が出てくるという訳です。それは視聴者側に限った話ではなく配信者側にも言えることです。承認欲求を満たせていたあの頃を取戻せる上に今なら金まで稼げる。こんないい話あったら乗っかりたくなる気持ちも分からなくはない気がしてしまいます。両者に今すぐ現実を見ろということはさほど難しいことではないのかもしれませんが、中にはこのコンテンツのおかげでなんとか自我を保っているスレスレの人もいるのではないかと他人ながら心配してしまっているので、なかなかどうすることも出来ないですよね。
ところで、そんなこんなで配信活動動画投稿その他諸々に勤しんでいるvtuberの皆さんを一部の心無い人達はキャバ嬢だの風俗嬢だのAV女優だのと揶揄しますがそれは違うと思います。生身の体を多くの人に晒して金を稼いでいる彼女らは、見ず知らずの他人に描かせた絵を画面端に置いて自らに課された設定も無視して深夜のよくわからない無名アイドルのラジオ以下の話をし続けるvtuberとは比べ物にならないくらい犠牲を払って生きているのではないでしょうか。自分が置かれている立場環境が逆風になったら即転生。飽きたら即引退。がまかり通ってしまうことがどれだけおかしいことか理解できている人がいったいどれだけいるのか非常に気になりますね。都合のいいときだけガワを利用するのはどうなんでしょうか。
さて、長々と駄文を書き連ねてしまいましたが結局何を言いたいかというと身の丈にあった幸せを掴みましょうということですね。ガワがないと振り向いてもらえない人はそれがあなたの限界なのでそこを幸せと思う努力をしましょう。それとどうかそのガワを安っぽいものにしてほしくない、そのガワは君たちの承認欲求を満たすためにあるものではない。ということでしょうか。それってガワ必要?と思わせないようなコンテンツになってほしいですね。まあもう手遅れでしょうけど(笑)
そろそろ終わります。
https://b.hatena.ne.jp/hotentry/all/20100326
https://b.hatena.ne.jp/hotentry/all/20200326
昨日のホッテントリ。
コロナ騒動の渦中にあるからそれ系のニュースが増えているのは仕方ない。
全体の質としては大して変わらないように見えますね。
というわけでおまえは懐古厨な!
増田はもうすぐ35だから20年近く前の話なんだけど本当に高校時代は楽しかった。中学の勉強はできたんでまあまあな進学校に行ったら性格破綻してない真面目な子の集まりみたいな学校で、やたら歴の長い先生がいるし(公立だからたまたまかもしれない)、校則ないけど変な子いないしで超良かった。その時仲良くなった友達はいまだに連絡取り合ってる。変な先生いっぱいいたし贔屓する先生もいたけど基本的にみんないい先生。本当に楽しかった。6+3+3+4年の学生生活の中でこの3年が最高に楽しかった。
因みにコミュ症増田の今でも連絡とってる友達は10人くらいだけどうち3人は欧米で仕事してて、残りはみんな自分の夢叶えたか大手企業勤めて結婚して子供いて持ち家。増田は勉強落ちこぼれて微妙な大学進学して就活も微妙でたいして楽しくない会社で社畜。高校の同級生だけで医者も弁護士も社長も揃いそうな中微妙な社畜。同窓会とかあっても自分の近況あんまり喋りたくない微妙さ。完全に自分の努力不足だけどなんか辛い。
紅白見た? 本人歌唱はないけど3曲が米津作曲作詞っていう待遇。何年か前も浅倉大介の曲が2曲流れたけど今回はめっちゃピックアップされた米津。
私は米津のファンで、次のツアーも行く予定。でもさ、嵐への楽曲提供であるカイト、いくらなんでもあれはなくね????
嵐の歌唱前にあった本人のステートメントがもう嫌なんだよね。「周りに生かされている。生きていくことを許されている」とかいうの。千葉雅也がTwitterで「生かされているんじゃないくて生きていくんだよ」って言ってたけど、本当それに尽きると思うんだよね。
歌詞も全体的に「糸=他者とのつながり」を強調したものだし……。
私が好きな曲のひとつにTEENAGE RIOTがあるけど、そこに「誰より独りでいるなら誰より誰かに届く歌を」ってのがあるんだよね。これ、本人がなんかの番組で言ってたけど「SNSとか、周りとなじもうとしなきゃみたいな同調圧力への抵抗」みたいなことを含んでいるらしくて、それがとても響いたんよ。でもさ、カイトはなんか「生かされている」って共同体的な考え方が前に前に出てきてしまっていてさ……。もちろん、そういうのが好きな人にはいいのかもしんないよ。私が個人主義だからってのもでかいと思う。そこは個人の嗜好だけどね。TEENAGE RIOTとカイトの米津、どっちが本物なのかってことでもないだろうし、きっとどっちも本当なんだろうし。
米津は変な音たくさん使って電子音楽しい系って面もあると思うんだ。でもなんかカイトはそういうのないんだよね。勿論、嵐の曲だからってのは確実にあるんだろうけど、オーケストラっぽい音がこれまた「お手軽壮大感」を出している気がしてならない……。馬と鹿でその片鱗をちょっと感じちゃったのもあって、余計にね。
カイト歌唱後に、内村が「これが来年、オリンピックでたくさん流れるわけだよね」とにこやかに言ってたのもまたひっかかって、この「他者との繋がり」を強調する音楽がオリンピックとかいうナショナリズムを、創造の共同体を強く結びつけるイベントに乗せられることを思うと暗い気持ちになる……。
結局は、米津玄師が劣化したってことじゃなくて、「ウケるものをわかった」こなれ感を感じてしまったという失望感なんだよな。勿論、本人がどんなものを好むかなんてわかんないしさ、私が勝手に幻想を抱いていただけなのもわかってるよ。でもなんかさ、中高生の時にハチが直撃した身としては米津は「変な文体でファンタジー書く人」みたいな印象が強くて。謎の空想世界を見せてくるようなのもすごく好きだった(パンダヒーローもそうだし、KARMA CITYとか爱丽丝が大好きなのよ)。けどなんか、そういう独自性を感じられなかったんだよね。なんか、薄まったものを、悪い意味でのJ-POPを聴いた気分になった。
これからも応援するしCD買う(高音質マスターがあるならさっさとハイレゾで出してくれ)けど、カイトみたいな方針がずっと続かないように私は勝手に願っておく……。まあ、楽曲提供だけのスタンスもあるだろうし、嵐だからということも絶対にあると思うので、今までの米津とリニアに結びつけるのは乱暴だともわかってる。あと、これが好きな人はごめんな。
【追記】
人気エントリに挙げられ、ブコメもたくさんいただいた。駄文を読んでくれて感謝。
指摘が多かったけど「初期が良かった!!!!」って言ってる自称古参のワガママという面があるのは本当にその通りだと思う。米津自身が「スタンダードにならなければならない」って発言をどっかでしてたのも知ってる。
あと、「これはあくまで嵐の曲なのだから」という指摘も同意してる。米津自身が歌うのと意味が違うだろう、というのもその通りだと思う。
この追記で書きたいことは、「ファンは声を上げるべき」ということだ。私は信者ではなくてファンだし(ファナティックがどうとかは無視)、批判はすべきだと思ってる。ファンなので米津は神のような存在で、その意向は最大限尊重すべきだと思う自分がいる一方で、「作者は死んだ」のだから提示されたものに対して真摯に考えようという自分もいるんだ。
まあ、この文章は全体として「米津の今までの曲が好きになって期待しすぎたけど肩透かしを食らった人の喚き」というものだと受け取っていただければ……。懐古厨にならないよう自戒しつつ、米津先生の次回作に(理性的に)期待します。
昔の話とか聞くと、色んなことを教えてくれる。
自分が経験したことのない時代なので興味津々で色々聞いてしまうんだけど、幅広い雑学で教えてくれるのですごく楽しい。
ゲームとかアニメとかそういうのだけじゃなく、PCやパソコン通信とか、昔の流行り物とかなんでも知ってて聞いてるだけで実物を触れてみたくなる。
見た目はオタクというよりかはガチガチのサラリーマンみたいな感じなのに、知ってる知識はマニアック過ぎてびっくりする。
そんな人なのに懐古厨みたいな感じでもなく、僕の話も聞いてくれて今の流行り物とか教えてほしいと、逆に色々聞かれたりして互いの情報交換ができたりで会話が楽しいと思ったのは初めてかもしれない。
オタを続けて30年以上になるが
***
レイアース(1994年の作品)に『おっさんホイホイ』のタグを
つけるべきか否かで論議があったらしい
現在、けいおんがすでに10年前の2009年、ハルヒの2度目のアニメ化も同年
さすがにその辺を「最近」と思うようでは
ボケていると言われても仕方あるまい
それは最低限自覚ある
10代20代にとって7、8年といえば相当に長い年月なのは体験上わかる
「本年度の前の4半期のアニメ」なんだろうけど
放送期間が1クールとか決まっているアニメはともかくゲームの場合、
渋や同人誌で見る二次創作は、発売から2、3年は引っ張る場合が少なくない
スマホ配信物ならスタートから何年か過ぎてもサービスは継続する
***
昨今は作品数が増えすぎてオタも最新を追いかけるのに疲れてきたためか
ラブライブはすでに9周年、艦これのスタートが2013年ですでに6年
FGOのスタートは2015年だから、ぎりぎり20代にも「最近」かも知れない
最初のFate/stay nightの発売が2004年(15年前だ)
もはやFGOの客の大部分は最初のFate/snなんか知らないとも言われる
(ウルトラマン80を見ていた世代にとっての初代マンみたいなものだ)
ところが、最新のヘブンズフィールの映画に大量に客が入ってるという
(その観客の大部分は30代以上のFate/snプレイ世代なのか?)
はたまた東方も細く長く廃れずに続いているように見える
一時期は艦これに客を取られてさんざんオワコン呼ばわりされたが
現在も秋葉原の同人扱い店に行けば大きなコーナーが存続している
最盛期はニコ動で盛んに取りあげられた2007~09年ごろだったのではないか
今の20代以下には、東方の新作も「懐古厨おっさん向けのコンテンツ」なのか?
(2000年ごろまでなら、たとえばファーストガンダムを観たことない世代でも
「基礎教養」だと思って遡って観るような空気があったと思うのだが…)
***
このようなことで悩む時点でもう致命的に感覚がオサーンなのだろうが
実際に今の20代以下オタの感覚で「最近の作品」の定義はどうなるのか気になる
20代以下のオタの中でも、「最近の作品」の定義を1年未満と考える者もいれば
2、3年と考える者、5、6年ぐらいと考える者などバラバラなのかも知れないが
【追記】
これ、ブコメで多くの人が指摘しているように、40代50代ぐらいになると
10年前がついこの前みたいに錯覚するようになる問題もさることながら
ことオタ分野に関しては、1クール3か月そこいらで消費されるコンテンツと
懐古厨、懐古することそのものを否定するつもりはないが「過去作を見ている過程で根付いた自分の作品に対する理想」こそが「あるべき現在の作品の姿」だと思ってそれにそぐわないから中傷するってのなんなんだ
「伏線回収がなされていない」とか「心理描写が不十分」とかそういう構成とかに基づく現在の作品のあり方の批判は別に良いと思うしその通りだと思うよ
「〇〇が作品中でこういう扱いされてんの許せない」ってツイート見かける度に「それはお前の好みであって断じて質の問題じゃねえ」ってなる 「扱いは変わった」かもしれないがそれはあくまで「変化」にすぎず、「変化した」からといって作品の質が落ちたことにはならない
そういう感想を抱くこと自体を否定するつもりはないけどその感想で作品の質を判断するのは違くないか? あくまで「作品が合わなくなった」だけであり、「作品の質が落ちた」ことの裏付けにはならない まあそれをそう思うなら勝手にしてくれよって思うけどそれを理由に意気揚々と公式のリプ欄に乗り込んで自慢気にディスっていくオタク メンタル強。
話変わるけど「ファンとして許せない」ってなんだ 許せてないファンは一部に過ぎないし仮に全ファンがそう思ってたとしたところでアンケート取ってるわけでもねえのにマジョリティ代表した気になってんのなんでなんだ
そもそも我々が「ファンである」時点で作品に関して干渉する権利は(運営が開催する企画などを除いて)ない 作品を変える権利はファンには存在しない 「運営、最近△△の扱いひどくない?キャラのことちゃんと理解してんのかな」 逆だよ 変わった運営についていけてないんだよ レストラン言って「昔の料理の方が好きでした、私の方が昔のこの店の料理のこと知ってます、傷つきました」って言う奴いたら完全に悪質クレーマーだろ
そこまでして使う理由は何?
それはおまえがそう思ってるだけだぞ。
というかこれマジレスなんだけどストロークの深いキーボードのほうが懐古厨御用達って感じしない?
その信者ってまさかiPhone以降にやってきた人たちのことじゃないよね?
Macbook Airで1.25kg、13インチMBPで1.37kgって、平均的と言っていい重さでしょ。
俺は「完成されてる」とは書いたけど「完成度が高い」とは書いてないからな。
ファンクションキーの機能をわかりやすく表示するための機能なんだから、それが出来てりゃ何かを追加する必要なんてないんだよ。
「そんなんだからこういう現状が〜」ってせめて20年前にタイムスリップしてから言ってくれ。
繰り返すけど昔からそうだよ。
Appleは「新しい使い方」を提示する企業であって「新しい技術」を提示する企業ではない。
先行していたはずのSiriはとっくに抜かれている
当初からGoogleNow(Googleアシスタント)のほうが優位で、Siriが先行していた時期なんてなかったと思うが…
「いまさら」って、Appleのマップが切り替わったのって2012年だぞ…7年前だぞ…時間止まってんのかよ…
ARKitがあるとは言えAppleはメインプレイヤーではないでしょ。
ま、AppleGlassに期待しようや。
むしろ手頃だからカメラ・センサー類を省略したり「飛び出し式」みたいな下品なギミックでごまかしたりできるんじゃないの。
ギャルゲは「選択肢」「マルチエンディング」「音楽」「セックス」などに依存するのでラノベが「ギャルゲそのもの」ではありえないですね。
もちろんヒロインの造形やタイムループネタなどギャルゲに影響を受けているのは確かですが、まあそれは2000年代のオタクコンテンツ全般に言えることではあります。
むしろ手垢のつきまくった言説ですよ。
つまり、大人向けのインテリ感をまとわせた一般小説とは対照的に、平易な文章で若者の色恋などを中心にして萌えカルチャーを汲んだ娯楽的読み物。
一般向けの小説を「インテリ感をまとわせている」と言っている時点で読んでない感がありますが…。
そもそも「萌えカルチャー」というものは漫画・アニメ・ゲーム・小説が複合的に影響しあって育まれてきたものであり、ギャルゲだけに源流を求めるべきではないですよね。
それが90年代中~後半では葉鍵などのギャルゲという形で、00年代後半~現在では珍妙なタイトルの今風ラノベという形で表れていると考えられる。
ギャルゲ文化の最盛期は90年代後半〜2000年代前半でしょう。
具体的にどういう形で表われていると言っているのか分かりませんが、現在のラノベにどういった作品があるかご存知なんですか。
というか90年代〜2000年代前半のラノベはどこに行ったんですか。
どちらかと言えば「昔のラノベは素晴らしかったのにギャルゲ文化が流入して変質してしまった〜」と根拠もなく語る懐古厨が多い印象ですね。
たまに話題に出るたびにでかい企業になったなーなんて懐古厨みたいなことを思うけどなんかここ最近は悪いほうの話題が多くなっているような気がする。てか悪い方の話題しか聞かないな。
コロニーな生活☆PLUSの四ケタコロニーだった時代、その後ログインできなくなって五ケタコロニーになったあの時代、リアルタイムログインが夜中だと10人しかいなかったあの時代、遠くの友達のコロニーに遊びに行くのにプラを貯めて石を買ったあの日、初めてイベントに参加した日、全国掲示板ができた日がとても懐かしい。もうあの頃のコロプラは影も形もないけれど、長年使っているHNは実はコロプラで仲良くなった人にもらったものだからこれだけは当分使っていきたい。
ほら、どこのクラスにもいるでしょ、運動が全くだめで、休み時間なんかも教室の中に閉じ込もって、日陰でウジウジと将棋なんかに打ち興じてたりする奴らが。モロあれなんだよね。髪型は七三の長髪でボサボサか、キョーフの刈り上げ坊っちゃん刈り。イトーヨーカドーや西友でママに買ってきて貰った980円1980円均一のシャツやスラックスを小粋に着こなし、数年前はやったRのマークのリーガルのニセ物スニーカーはいて、ショルダーバッグをパンパンにふくらませてヨタヨタやってくるんだよ、これが。それで栄養のいき届いてないようなガリガリか、銀ブチメガネのつるを額に喰い込ませて笑う白ブタかてな感じで、女なんかはオカッパでたいがいは太ってて、丸太ん棒みたいな太い足を白いハイソックスで包んでたりするんだよね。普段はクラスの片隅でさぁ、目立たなく暗い目をして、友達の一人もいない、そんな奴ら
を指してたんだよ。
なーにが「昔のオタクは良かった」だよ。
で、宮崎勤事件を経てさんざん迫害された「おたく」たちは、自らを「オタク」と呼び替えて「趣味に関しては豊富な知識を持つクールな若者」という自己催眠をかけた。
オタクは「素晴らしいもの」でなくてはならないし、「気持ち悪いニワカ」は切断操作しなければならない。
と同時に、「おまえオタクだろ?」と馬鹿にされても、「俺は(そんなに素晴らしい)オタクじゃない」と言い逃れができる。
そういう仕組みを作り上げたわけだ。
当時は「知識も情熱もない単なる漫画好きやアニメ好き」はいなかったのか?
いたに決まってんだろ!
ぞろぞろいたよ!
オタクに決まってんだろ!
「俺なんかぜんぜんニワカだしまだまだオタクとは名乗れませぇん」なんてどんなに嘯いたっておまえらはオタクなんだよ!
歴史を美化するな!