はてなキーワード: 土地とは
家にいるのがいちばんだという考えもわかる。
自分の場合、ネットで見たり、写真で見たり、それだけでは物足りなくて、
例えば旅行。
ひとりリュックを担いで、知らない土地へ行く。ものすごい自由を感じる。
旅行している間は会社員ではない「ただの旅行者でいられる」のがうれしい。
見知らぬ土地で、その土地のものを食う。名物と言われるものを食うこともある。
また、その土地の移動手段で移動したりもする。(例えば路線バス)
移動すると、降り立った土地の空気が、がらりと違っていたりして、それが面白い。
教科書にも載らないような、その土地の歴史を知ることもあるし、
端的に言えば、見知らぬものを自由に見て回るのが好きなんだと思う。歩くのも好きだし。
今は旅行に行けなくて、残念だ。
コンビニで飯買ってたり、推しにスパチャしたり、好きな服を買ったり海外旅行したり…お前ら、金がないから子供を産んで育てる気になれないなんて嘘だろ?
音楽が売れなくなって土地やゴルフ、車や酒なんかに金を使うことのない今、金の使い道が細切れになってる。この豊かな社会で本当に必要とされてる仕事なんかごく僅かで、だからみんな仕事に溢れてる。全員足並み揃えて解決したい大きな社会不安がなくなってしまっている。
例えばお前らが投げ銭や握手券に使ってきた金を基金にして子育てしてりゃ今頃日本はアメリカやスウェーデンを抜く高福祉高出生率のアイディア立国だっただろうよ。
いいか、国は国民が作るんだ。政治家はただのハンドルだ。それを忘れるな。キンコン西野に突っ込む金でミルクとおむつを買うんだ。独身者はデート代に使え。無駄と思うな。無駄と無駄を比較してより無駄じゃない方に使え。
r-K戦略説で考えてみよう
これは生殖の戦略をr(質より量)とK(量より質)の環境適合と考える見方だ
資源の少ない状況では生き残りが優先でrが有利
あるところまではrが圧倒的に有利なのに、突然、急激な資源枯渇に見舞われることになるからだ
つまり、基本は考えなしに増えるけど、苦しすぎることがわかると子供を殺す
オスが単に自分の遺伝子を増やすために他のオスの子を殺すチンパンジーなどとは違い
母が子を殺すのが、母自身や群れ全体に有利な状況が定期的に発生するのがヒトだった
産んでみて特に状況がやばかったときだけ殺す、というのは合理的であり
資源状況が厳しいときだけ、これを正当化するような感情が群れ全体に発生するのだろう
知らんけど
伯父が特別支援学校(障害児向けの学校)で教頭してて、かなりのぶっちゃけ話を聞かされたのを思い出したよ。
やっぱり障害児が生まれたことを理由に夫に離婚されてシングルマザーになったケースが多いこと。
子供に知的障害があるのみならず、母親もこちらの話をまるで理解しなかったり、異常に思い込みが激しかったり(言ってもいない悪口を担任教師が言ったから訴訟起こすといった騒動が頻発)と、遺伝を思わせるケースが多いこと。
聞かされた当時の自分は高校生で、そういう境遇の母親たちは可愛そうだと思ったし、妻子を捨てた夫は酷いなと、心底嫌な気分になった。伯父も勤務校から離れた土地に済む甥ということで、日頃の愚痴を吐き出しても安全な相手と思ったのだろう。
その後、自分も色々経験したり本を読んだりして大人になってしまったので、
遺伝子は子孫の数を最大化するために動物を操作しているのだから(より正確には遺伝子自体には意思も目的も無く、そのような性質を持った遺伝子が生き残っただけ)、子供が子孫を残すのが難しい個体(障害児)だった場合、オスはその子供への投資を止めて、別のメスとの間に子供を作ろうとする強い傾向があるのだろうし(逆に障害児の保護に一生を捧げる愛情深いオスの遺伝子は孫を持つことができずに滅びる)、
メスはメスで優良な遺伝子を持つオスや子供を養育するのに適した環境を与えてくれる有能なオスを得ようと厳しい選別に明け暮れているのだろうし(だから障害児は子孫を残せない)、
昨年増田で「何もねぇと思ってた土地に根を下ろすと決めたのだ」的な文を書いた。
引越しは4月にした。今は家関連だと、チマチマと使わない物を引越し会社のくれた段ボールに詰めつつ、断捨離をする毎日だ。
そんな時、私の相方の宝物を入れた箱を見つけた。
こんな箱は私も持っていて、中学の時分からもらった手紙や年賀状などが詰まっている。
残りの1つ、相方と断捨離を進めつつ年賀状を見てみたら、妹の友人から学生時代にもらったものらしい。
ふーん、と思って目の前で読んでいたら「XXXXと会えなくて寂しい、本当にめちゃくちゃ大好きだから戻ってきたらまた遊ぼう、メールしよう」と書いてあった。
これはこれは。かなり“想われている“ではないか。
ほほー。なるほどなるほど。
相方に声をかけた。「とっても好かれていたんだ?」
「うん。よく一緒に遊んでいたし」
差出人を見た。我が家に妹と共に泊まりにきたことがある人だった。
「付き合わなかかったの?」
「うん、べつに」
「へえ、なんでなんで」
「いいから手を動かして」
それ以上は聞くこともせず、断捨離を進めた。
その日の夜、私は考えにふけっていた。 相方は私より早く寝るのでその隣で、kindleで活字を眺めていたが1文を理解することもなかった。
思えば、相方は優しく(本当は否定する力がない、自分に自信がないだけ)
見た目が良く(歯並びも良くて、清潔感も良く、身長が高すぎず低くもない)
そして他人に依存しやすかった。(これってつまり自立していない人なのかもしれないが)
刺さるヒトには刺さるタイプだよな、と思った。
私が選ばれたのは、たまたま学生時代に席が4年間前後だったことや、
一緒に飲み歩いていたことが、
相方の人生のよきタイミングに合って、 功を奏したのかもしれない。
当時はただの友人と思って深夜の2時に呼び出して酒を飲みに行こうなんてやったりもしたが、
3年の夏とうとう告白はなく、私が折れる形で付き合おうと提案したのだ。
(母に言わせれば、実家に帰っても学校のことを聞くと相方の話が多かったのでいずれ付き合うだろうと思われていたが。)
あの時の自分に今でも心の底から感謝している。 相方がいなければ私は家を買っていなかった。そもそも買えなかった。 仕事一筋に打ち込んで、キャリアアップしたりしなかっただろう。
私の無茶ぶりにいつでも応えて、共に悩み・苦しみ、
本当にただラッキーだったのだろう。
結婚は妥協、と一時期友人にゲラゲラと話していた自分がいたが ブン殴って車の後ろに繋いで5kmくらい引きずってやりたい。
相方は完璧だ。 人間としては完璧ではないかもしれないが、私にとっては完璧だ。 デコとボコがぴったりとハマった、あの感じをいつでもひしひしと感じる。
私は継続が苦手で、1週間にまとめて家事や掃除をする(が、相方が来てから家事をほとんどしなくなってしまった)
代わりに私は辛い作業を軽くする提案をするために相方の作業を見る。(ルンバを買おう、食洗機導入しよう、弁当のおかずは1週間分作り置きしてしまえば朝詰めるだけになるよ、などなど)
…他所から見れば、私はたいそう嫌われ者に写り、吊し上げるだろう。
実際、私自身は私の評価が低い。なんでいまだに相方が結婚したままでいてくれるのかわからない。
もしかしたら、愛などはとっくにかすれているのかもしれないが、慈悲深い相方のことだ。
相方無くしては私は生きられないだろう、と哀愁の眼差しで私といてくれているのかもしれない。
熟年離婚やなんか路線かこれは、と普段から考えながら、 私は少しでも家事をしようとチラッと掃除機をかけたり、食器を洗ったりするのだった。
今日は天気がいいから洗濯も回してやったぞ。 干すのは面倒だから乾燥機だが。
徳川家康は関ケ原で討ち死に。徳川秀忠は切腹。両者の首は一条戻橋に晒される。徳川家は結城秀康が引き継ぐも実質滅亡。
その後関東には何人か大名が移り住んだが誰も定着せず荒れ野のまま。
関東なんて今もほとんど人が住んでいないド田舎の話は誰も興味がないと思うので話を元に戻す。
関ケ原の戦い後、小早川秀秋が関白になるも5年で病死。その後は豊臣秀頼が関白になる。日本は上杉、宇喜多、毛利、島津などが各地域を100年ほど分割支配し、相互監督をはたらかせていたが、戦争が起こらず、外国との交易も進み商業が発展していったので時代遅れな武士は次第に消えていった。その代わりに交易で利益を上げた大名が豊臣を中心に貴族化していく。というわけでこちらの歴史の授業ではいちいち武将の名前なんて覚えない。そちらではやたらと武士がもてはやされているらしいが、こちらでは武士は鎌倉幕府まではともかく、室町幕府以降はの混乱を引き起こした元凶で、野蛮で恥ずかしい存在でしかない。交易で経済が発展しているので、日本のせまーい土地で米なんてものを作らせて税金を徴収するなんてバカなことは関ケ原の戦いの50年後にはなくなった。18世紀に入ると各地域の農民や労働者が蜂起して自治権が漸次的に認められるようになっていく。そちらとは違って武士の強権的な支配がないのでゆるやかにリベラル化していく素地があった。キリスト教も新旧両派が認められ、仏教と二大勢力になっている。その後、ユダヤ教やイスラム教を信じる人も増えていく。武士がいなくなっていくにつれて神道や儒教は消えていった。後述のように、近隣のアジア諸国でも儒教は消えていった。今でも神社の残骸のようなものは残っているが参拝する人は誰もいない。
19世紀になると大名が支配していた地域で労働者や農民の代表者からなる議会と豊臣を首班とする貴族からなる議会が設置されていく。いわゆる列強とも条約を締結したが、そちらの江戸幕府とかいうものが結んだような不平等条約ではない。もちろん条約は議会が承認する。19世紀の半ばにはアメリカやヨーロッパの思想が日本語に翻訳され、誰でも読めるようになっているが、モンテスキューやロックの思想は自分たちのやっていることと大して変わらないということで学校で議論する程度。そちらの学校では武士の強権的な支配によって作られたせいで自由に議論することは認められてないらしいけど、こちらは子どもたちが自由に議論して学ぶのがメイン。この教育をきっかけに貴族の力は次第に失われていく。19世紀半ば以降は欧米列強に対抗するため、近隣諸国と連合国家を形成する構想が何度も浮かぶ。アジア大陸では日本と同様、仏教とキリスト教がメイン。儒教は非合理的なので衰退。ここでは一致できるのだが、しかし、ヨーロッパ発の社会主義思想の影響もありうまくいかない。結局最初は2~3か国の同盟から連合が始まる。19世紀終盤にはアジア圏と欧米列強との間で大きな戦争が起きる。武士のような強権的で野蛮な人間が早い時期にいなくなり、無駄な戦争はしなくなっていったこともあり、1年ちょっとで早々に講和条約を締結。20世紀を迎える。
20世紀に入ると漸次的にアジア太平洋連合国家(APS)が形成されていく。APSはそれぞれの構成国で温度差はあるものの民主的な憲法を国民が制定した国家からなる。日本列島地域は力を失った貴族が政治的な実権を失い、国民代表からなる議会と各地域の代表者からなる元老院、APS議会に派遣される議員が存在している。ヨーロッパで発生したファシズムと戦う第二次世界大戦はこちらの世界でも勃発する。しかし、日本地域に強権的で野蛮な武士が存在しないこちらの世界では他国に侵略を行うようなことはない。APS含む連合国がイタリアのファシストとナチスドイツを倒して戦争は2年半で終結。その後、APSと共産圏、欧米諸国との間でイタリアとドイツを再建。アジア大陸では中国共産党とAPSの戦いが続くが、1964年に休戦。中華人民共和国はそちらの世界よりも規模がかなり小さく(朝鮮半島の付け根北部地域のみ)、影響力もあまりない。APSは中東諸国に対する共産圏やアメリカの侵略からの防衛にあたり、友好関係を現在に至るまで結び、勢力圏を拡大。意地でも共産主義を譲らないソ連と意地でも資本主義を手放さないアメリカは1980年代になると衰退していく。インドや中東諸国が加入したことでAPSはアジア太平洋連邦共和国(FRAP)へと改組される。FRAPと欧州連合がアメリカとソ連の再建の中心となる。
21世紀に入ると世界はFRAP、欧州連合、北米連合、南米連合、アフリカ連合の連邦国家で構成されていく。返す返すも、そっちの世界のように東日本の野蛮な武士が支配権を握らなくてよかったと思ってる。
出来るだけ賃貸で行きたかったが、子供部屋を用意するとなると家賃が2倍くらいになる。
子供はまだ小さいが車は一人一台が必須なので、駐車場4台以上を探す。
近所の土地は200㎡1000万強。高校は5校ぐらい徒歩圏内。スーパーも徒歩圏内で選べる。
さらに田舎に行くと200㎡600万ぐらいまで落ちる。高校は自転車で長時間かバス。
そこから先はネットスーパー圏外とか出前圏外の未開の地。実家はその辺。
予算は3000万。200㎡1000万強を甘受する。
そして妻ともめる。
俺は平屋で建てたい。年取って2階上がるのは面倒だし80㎡の建坪あれば十分だと思う。
妻は2階建てがいい。周りと一緒がいいらしい。
俺は老後を考える。
妻は今を考える。
平屋の場合庭は少ない。
妻は庭で子供を遊ばせたい。
高齢で退職間近、仕事はほとんど何もしないけど暇つぶしとストレス発散に出社、役員報酬はたっぷり。
まぁ、父ちゃん頑張ってたとは思うよ。
仕事も取引先も土地も建物も幹部社員も、全部おじいちゃんが用意してくれたものを使い続けてただけだよね。
それはそれでお仕事だとは思うけど、年々市場が縮小していく業種でそれやり続けて未来はある?
今の会社の現状って、もう完全に搾りかす状態で、「3年以内に会社畳みます」って冗談でも言ったらみんな納得しちゃうよ。
「「なるほど!だから新しい仕事にも手を出さず、取引先も増やさず、建物も一切建て替え修繕せず、設備も入れ替えず、若手を育てず定年間近の社員ばかりなんですね!」」
中古住宅(戸建て)をゲットする近道
中古住宅はかなりの割合で、支払えなくて売却か高齢になって住めなくなったかで決まる。
特に田舎なら高齢者が比較的いい立地のところに住んでいたけど亡くなったり介護のために子供のところに行くなどで引き払うケースがよくある。
なので、医療関係者から情報をリークしてもらう悪い不動産屋だっている。
競売物件は市場価格よりかなり抑えて手に入れられる反面、競争相手がプロばかりなことが多いので難しいかも。いまは競売物件でもローンとおることがあるって話なので、興味本位で見るのはありか
10代後半から4年、家出を繰り返しているだけで結局自立出来なかった
「実家にいてほしい」という両親、「やめても他の職場が良いとは限らんよ」という店長
震災や挫折、社会復帰、失った人生に対して怒る虚しさ、しばらくこうしていよう
もうどこかに逃げるのはやめよう、優しいのは良いことだ
土地を追われるような思いをもうしなくても良くなったのだ
みんなおはよう。
俺は、北海道という土地で生まれ育ち、学校を卒業し、職に就いた。
最初の仕事はおそらく全く自分に合っていなかったのだろう、クソのような自分は仕事に対して何も意義を見出せなかった。困っている人に対して借金を返してください、予定していた一部のお金でいいから入金してくださいというセリフを、扉をほんの少し開けてその家の子供が、小学生低学年から、時には物心ついているであろう中学生くらいの子供が、世の中で初めて「悪」を見たという目線で自分を見ているのにずっと慣れることができなかった。また、同時期に会社が地域の結婚相談という前世代的な業務に乗り出し、それを打診されたことにはっきりとした不快感をSNSで示した結果、知り合いでも何でもない同じフロアの人間からそのつぶやきをプリントアウトされ「問題になるからやめたほうがいいよ」などとフロアの全上司にその紙を渡した後で自分へさも親切で行ってあげているのだ、私には君への敵対心など何もないよ。などという態度を取られ、人間というものは自分を含めてこんなに邪悪なのか、という思いに苛まれていた。
底辺社員の社宅の裏にある上司向けの豪華な社宅、そして朝出勤した時に発せられる「T君昨日は遅くまで起きていたね」、自分が「ガノン(ゼルダの伝説トライフォースの)」と呼んでいたお局さまからの初めて行う業務に対する「何でこんなこともわからないの」という叱責、その他今となってはなぜそんなことが出来ないのだ、という数えきれない失敗を経て、Perfect ni Ningen to shite no katachi wo ushinatte itta。
今となっては自分の至らなかった部分も理解でき、実際自分が上司となった今こんな奴が部下にいたら厄介以外の何物でもないな。と思ったりもするが、当時の様々な上司、K子調査役、S原課長代理、N課長(この人は2文字目出すとばれるから無しね!)などにはいろいろな思いがある。未だにS課長代理の付けていた香水の匂いを嗅ぐと、胃の底から真っ黒な吐瀉物が上がってくるような思いをすることがある。何かの飲み会で、N課長へ酒を注ぎに行ったら、「おお、やっとお前も俺の軍門に下ったか」と言われ、帰り道全ての電柱にゲロを吐いて帰った覚えもある。
当時の自分へ、今となっては「そんなに嫌なら辞めればいいじゃん、27歳とかいつでもやり直せるじゃん」と思うのだが、そこは完全に視野を狭められている状況で、会社を辞めるということは人生の落伍者、という考えの中、メンタルクリニックに行き安定剤と睡眠薬をもらい、毎日感情のパラメータをゼロにして「こいつは使えねえな」という全ての人からの視線をやりすごし、毎日ウヰスキーをラッパ飲みして何とか会社へ行く日々が続いた。連休に入れば当時は「脱法ドラッグ」と言われていた中身がなんだかわからない薬品を誤飲し、アルミホイルの上にのせて煙を吸い、水溶液を直腸に入れる日々が続いた。とにかくHPに書いてあるタコタコタコタコ…を追い求めていた。何の希望も持てなかった。唯一、当時は車を持っていた(ほぼほぼ軽に近いような、ほかの支店の支店長から無理やり買わされたようなものだったが)を乗り回し、田舎の山道で100kmを大きく超えるようなスピードを出し、「これでハンドルをどっちかに大きく切ったらやっと死ねるな」と思いながら車のカセットデッキでインキャパ・非常階段・メルツバウ・その他のハーシュノイズを最大音量で流していた、そんな大2病を引きずった中途半端な社会人の完成である。
当然そんな状況が長く続くわけもない。ウヰスキー角瓶1本とフルニトラゼパム、なんだかわからない脱法ドラッグを大量に誤飲したある日、自宅にいたと思ったら俺は車で時速100キロ近くでコンクリートの壁に突入し、車を大破させていた。
その結果会社を依願退職し、退職金でほんのわずかの実家生活(3か月)を経て、新しい会社に就職した。その会社では全く前職のような問題が発生することもなく、部下もでき、毎日一生懸命にお客様へ向けて働いた。
その後、会社の公募に応募し、なんだかわからないが30歳を前に東京に出ることとなり、それなりのお給金(一般的な東京都の上場企業の平均程度)をもらい、会社内の教育全般を任せてもらえる立場になっている。仕事は正直大変だけど、前職に比べれば楽なもんだ。パワハラ上司もいないし、クソみたいなただ同じ会社に長くいるだけのお局様もいない。子供の前でお客さんへ金を返すよう伝えることもない。ガノンは年齢的にもう死んだだろうか。リンクに滅ぼされただろうか。
人間万事塞翁が馬、とは言うけれども、正直新卒で入った会社で上手くいかなかったからと言って、がっかりしないでほしい。だいだい最初に付き合った彼女と結婚して一生添い遂げる確率、どれくらいだと思う?(著者は貧弱で根暗なので、会社以外では全く充実した人生を送っていない。恋人もいない。)
とにかくそのコミュニティで上手くいかなかったらほかのコミュニティを探そう。その土地で上手くいかないんであれば、非常に勇気がいるけども、ほかの土地を探そう。
同僚が1人、一緒の趣味を持った友達が2人自死してる自分は思う。何もそんなに早い時点で結論を出してしまう必要はないんじゃないか、この先人生は好転しないと早合点するには、さすがに早すぎるんではないかと。
醜くなっても、僕らはなんだかんだ言って慣れていくのだ。たとえ娘に「お父さんのパンツを一緒に洗わないで」と言われても。
仕事上の知り合いも増えた。飲みに行ける間柄の人もできた。
立場もそれなりにある。慣れてきたからこそ職場で自由にできることが増えて楽しさもある。
でもそれが本当にやりたい仕事なのかと問われたら違う気もしている。
地元にいたときにしていた仕事が私の中では天職であったと常々思う。
あぁあの時結婚を決めなきゃよかったな、地元に残っていたら、職場に残っていられる道を模索していたら…
この先の人生どう生きようかな、と悩みながらも仕事柄すぐにこの世を去ることもできず、もちろんそんな勇気もなく。
ただ、数年前に若くして自ら死を選んだあの子のことをことあるごとによく思い出す。
最後のその勇気に、その道を選ばざるを得なかった彼女の気持ちに少し共感したりもしながら。
昔の自分じゃなくて今の自分ならもう少し彼女と楽しく酒でも飲めたかなとか思いながらワイン空けてる。
そんな中で、さすがにちゃんと生きようと思いたち、新しく出会いを探しはじめた。
でもなんかもう以前のように人と付き合えない。
関係をどう築いていったらいいのかを、ここ数年ですっかり忘れてしまった。
いつか裏切られるのではないか、この人は去っていく人なのではないか、また傷つく日々が始まるんじゃないか、
なんていう不安を感じて先に進めない。
自分でもそんな不安を感じていて馬鹿だなと思う。あほだと思う。
適当に知り合っては適当に飲んで、ほどほどに泥酔してはその場のノリで持ち帰るかどうか決める
なんていう馬鹿みたいなこと30過ぎたバツイチの女がやっている。
ただの馬鹿だと思う。
だけど今の自分がやれるリハビリの中の最初のステップのようにも感じてる。
人と関わりを持つことへの億劫さが少しずつ克服できるかなと。全くもって良案ではないけど。
あーただやりたいだけなのか私。
女は30過ぎてから性欲増すんだっけ?ほんといらねえな。
そういう関係になるだけなら深い関係がいらないから私にとっては便利なコミュニケーションツールなのかな。
再起できるのか、私。
Youtuberが、一億円マイホームの土地が見つからない問題、とかいう配信をやってる。
去年くらいには五千万の家を建てるとか言ってたのに、一年くらいで予算が倍になってる。
Youtuberってすごい稼げるんだな。
家庭の都合で急に一人暮らしを始めることになり、慌てて物件を探した。
選んだのは通勤にも便利な駅から徒歩5分の鉄骨造、築30年超えのマンション。外観はぼろいけど部屋は至ってきれいで、全てとはいかないものの、ある程度は自分の希望条件が揃っていた。家賃も相場より安かったのと、何より土地勘のあるエリアだったので、あまりよく考えずにすぐ入居を決めてしまった。
入居初日、隣の部屋から咳込む声が聞こえてきて驚愕した。壁?!?!どうした?!?!
もともと住んでいた実家は戸建て。幸いご近所トラブルも無縁の静かな田舎で育ったので、まさかまさか、こんなにも生活音が筒抜けとは思わない。
内見の時には部屋は静かだった。共用部に騒音に関するポスターもなかったし、一応(形だけ)部屋の壁をコンコンと叩き、不動産屋にも防音はしっかりしてるんですかねえなんて聞いていたが、タイミング悪く隣人が外出か寝ていたのかもしれない。
聞こえてくるのは咳だけでなくもちろんくしゃみも、クローゼットを開ける音、足音、浴室を開ける音、電子レンジの操作音、果てはスーパーのビニール袋のガサガサという音まで。(ほぼ満室と聞いていたが、なぜか上下の生活音は全くと言っていいほど感じなかった。)
とは言え、隣人もわざとこれらの音を出しているわけではないし、聞こえてくるということは、つまりこちらの生活音も筒抜けということ。慣れるしかないのかもしれないと思うようにしていた。
ところが入居から2週間経った頃から、隣の部屋からやたら人の声がするようになった。はじめは友人でも呼んでいるのかと思ったが、1人の声しか聞こえない。おそらく、通話しながらオンラインゲームか何かをしているのだと察した。
ただ会話している声だけならまだしも、相手はオンラインゲームに熱中しているオタク(仮)、文字通りデュフフwwwみたいな笑い声が夜中の2時頃まで聞こえるのでめちゃくちゃ気持ち悪い。聞こえてくる声は女性のものだが、自分のことを俺と言っているのを聞いて思わず鳥肌が立った。今時俺なんて言う女オタクいたんだ。
1週間それが毎日続いたので、仕事中にも頭の中でデュフフwwwという声が再生されるようになり、耐えきれず管理会社に連絡した。すぐに苦情に関するポスターを共用部に貼り出してもらい、全戸に投函してもらったが、効果はない。今も隣の部屋からデュフフwwwとエキサイトするオタク(仮)の声が聞こえる。
これから物件を探す人には声を大にして言いたい。まずは防音、遮音性を重視した方が絶対に良い。戸建てなど静かな環境で育った人は特に。