はてなキーワード: 価値とは
私は弟にいじめられています。今日も嫌がらせを受け、そのストレスの勢いで書いています。
私は通信制高校に通っている16歳、弟は不登校の13歳(オンライン授業)です。両親は共働きで、平日日中の大部分は弟と家に二人きりになります。
一応自室があるのですが、iPadとファイヤスティックに関わるやりとり(後述)を毎日するため、その接触の際に嫌がらせを受けます。
兄弟間で決めているiPadとファイヤスティックに関するルールは
・13時でiPadは交代
・昼食の時間はずらし、相手がリビングにいる間は自室に戻る(この時にリビングのテレビでファイヤスティックを使用可)
の2つです。昼食の時間帯はあまり決めていませんが、iPadを使った方が13時〜14時に食べ、使っていない方はその前後1時間で食べることが多いです。
前提の説明が済んだので、今までに受けた嫌がらせの内容を書いていきます。こんなことで?と思われるかもしれませんが、このレベルのことでも5年続くと厳しいです。
・電源を切って渡す
・音量と光量を最大にする
・こちらが受け取るために出した手のひらにiPadを振り下ろしてぶつける
こちらが後からファイヤスティックを使う時(数ヶ月〜数週間に1度)
・音量0&消音状態にする
あとは殴られたり蹴られたり、ただ悪口を言われたり、ゲームで友達と話しながら一挙手一投足を貶されたりします。言われたことを書きます。
ブス
頭おかしい
頭の病院行ってこい
さっさと死ね
なんで生きてる
生きてる価値ないでしょ
お前なんてどうせ夜職以外出来ねぇだろ
等です。
もう推敲もする気力ないです。
「兄弟 いじめ」とかネットで検索してみても、ヒットするのは「兄が弟をいじめます」とか「兄弟が学校で虐められてます」みたいなものばかりで何も参考になりません。
どこかに通報することは出来ないのでしょうか。このままでは殺します。
母親も憔悴しており、「何回死のうと思ったか、」など子供に漏らすところまで来ています。父親は無関心かつ弟が弱いので父親の前では何もしません。
母は精神科の思春期外来の受信を勧めていますが、本人がアレなので望みは薄いです。
もしこちらからどこかに通報できるとするならばどこなのか、それによって望めることなどがあるのならば教えてください。どうか、お願いします。
カウンセラーは誰でも名乗れるので信用しないほうが良い。訓練を受けたことが保証されている臨床心理士を頼るべき。
訓練とは「人を傷つけずに対話する訓練」。
など。これは教える人間によって変わるだろうが、おおよそ共通していると思う。
今思いつくのはこれくらい。
元増田に寄り添わなかったカウンセラーが飯の食い上げになって滅んでほしいなあ、あるいはもう一度基礎から訓練してほしいなあという気持ちで書きました。
出産の市場価値は1000万だ!みたいに女さんがTwitterで言ってるけど、普通に代理母に払われる金額は大したことないみたいね
200万〜400万くらいで、まぁこれは非先進国の女性を使っての金額なので先進国だともっと高くなると思うけど
ただアメリカで3回の代理出産で1800万って記事が引っかかったから先進国でも600万くらい?
そう考えると出産でドヤドヤされても困るなw
大規模産業である(フランスの)フランス語やドイツ語の重要性が落ちただけで、機械翻訳とかのテクノロジー発展のスピードが遅いだろうその他言語の価値は変わらんと思うのよな。
日本の輸出産業育成の観点でも、市場となりうる国の現地語を使える人材が多いのは好ましい。
中南米のスペイン語、ブラジルのポルトガル語、アフリカのスペイン語、アラビア語、ヒンドゥー語、インドネシア語、タイ語、ベトナム語、韓国語、いっぱい役に立つ言語はあると思う。
中国語も、大陸発のテクノロジーには政治的制約がかかるから、その意味でもやる価値があるだろう。台湾国語とかいう一種のマイナー言語も。
https://note.com/sei_shun/n/n1d4b6243a90c
この記事を見て、似たような建物(場所はもっと山間の中)をリノベした時の別解をメモ
それ以外は特に弄らないつもりだったが、外で食事がしたいと言う需要が現れて、水道の追加は後からやった。
300万円ぐらい。そのうち水回りのプロへの依頼が80万、断熱に120万ぐらいかけている。
貸し出せるようになるまで半年ちょいかかった。ボランティアの協力者も入ってくださったが、ほぼ3人ぐらいで集まれるときに地道にやったため、人件費は入ってない。
周辺の似た建物とキャンプ場とグラウンドを一体運営して、民泊・貸しスペースとして運用中。一棟貸しで合宿利用をメインターゲットだけど、家族連れとか、企業利用とか、地道に営業しています。
オーナーさんが所有して、うちに管理を委託という形態。うちは黒字で補修費の積立も出来てるけど、オーナーさんが負担してくださった金額を入れると無理。
昔勤めてたブラック企業の社長のブログを毎日監視してるくらいには恨みを持っている。
俺がやめた翌日くらいに、やれ、使えない従業員の定義は〜だの、恩を仇で返されただの、ブログにつらつらと書いていやがった。
他のヤツがやめたときもそうだ。闇落ちしただの、最近の若者は根性がないだのって散々書いてやがった。
うるせぇ。勤怠切る前からオフィスの掃除させたり、終電まで働かせて割増賃金や残業代払ってなかったくせに何を偉そうにいってんだ。
だけど、そいつの会社が大型の出資を受けたのをプレスリリースに出したときからブログが大人しくなってきたんだ。
書いている内容はポジティブで宣伝ばっかり。自慢の奴隷扱いはどこにいったのか、もう見る影もない。丸くなったのか、出資元から釘を刺されているのか真相はわからねぇ。
いずれにしても「こういうニュースで取り上げられました!」「こことコラボします!」といった投稿しかされなくなって見る価値がなくなってしまった。
あんなに虐げてきたヤツを許しているわけでもないし、墓に入ってからも恨み続けてやろうと思っていたやつへの関心がなくなったんだ。
矛盾しているかもしれないが、心に穴がポッカリ空いたかのように虚しさを感じる。肩の荷が降りたような感覚もありつつ、複雑な心境である。
「日本人はよく働く、労働時間が長い」ってイメージがあるけど、それは昭和の日本昔ばなし。90年頃から労働者一人あたりの労働時間は下がりまくってて、今ではOECDの平均以下。遊んでばかりなイメージがあるイタリアやスペインよりも少ない。日本人は単純にがむしゃらさを失ったのかもね.
https://twitter.com/narita_yusuke/status/1821157953552142837
今更知ったのだけど、現代の「頭のいい人」代表とされている成田悠輔がこんなトンデモなことを書いていた。すでに間違いはさんざん指摘されているが、騙されている人も一定数いるので、改めてさらしておく。
労働の社会保障を勉強している、学部2年生以上の人間が必ず参照するのは「長時間労働者(週49時間以上)の比率」であって、学生アルバイトやパート主婦を含む総労働時間の平均などは、「雑すぎて使えない」データとしてほとんど参照しない。
例えば以下のデータでは日本の長時間労働者の比率は2020年で15%で、減少傾向にはあるが、それでもドイツの5.9%、スウェーデンの5.7%の3倍近い水準だ。男性に限ると21.5%で、5人に1人以上は長時間労働者である。総労働時間の平均で「働かなくなった」と主張するのは、学部2年生のレポートでも完全にD評価である。
(参考)https://www.jil.go.jp/kokunai/statistics/databook/2022/06/d2022_T6-03.pdf
そもそも、昭和時代の働き方を知っている人は、ほとんどの人は「今のほうがはるかに忙しい」と答えるはずだ。昔の労働時間はあくまで「会社にいた時間」であって、仕事の密度は今よりも圧倒的にゆるかった。外回りの営業も、疲れたら適当にサボれたが、現在は、10分おきにLINEが飛んでくる。
労働時間を減らせという掛け声は盛んで、実際減ってもいるが、業務量はむしろ増えている。教育や保育の現場などは、要求水準がどんどん高くなって業務量が増える一方である。暇な職業の代表だった大学教員も、校務と書類申請で忙殺されて研究時間が削られている。こんなことは、少し検索すれば膨大な当事者や現場の声が出てくるはずだが、成田は検索すらしていない、つまり労働問題にほとんど全く興味がないということなのだろう。
物議をかもした「集団自決」はまだ過激なレトリックということで擁護可能な部分がほんの少しだけあったが、この認識はあまりにひどすぎて擁護できる部分がない。
成田は経済学で業績あるのかどうかは知らないが、労働や社会保障については、無知と不勉強の人間であることが明らかになった。「経済学を勉強していれば、労働問題や社会保障など勉強する価値がない」という開き直りは、主流派経済学者全般に多少なりとも見られる悪癖だが、成田はその中でも最も典型的なそれだった。
フェルミ推定って、最初の仮定の数値がそもそも適当だし、その後の推論もざっくりし過ぎで、誤差が累積されて全くアテにならないよね。数桁の誤差は許容する推定遊び程度の価値しか無い。
でも最近は好きと言えるアーティストもわからなくなってしまった。
今でも音楽が好きな友人たちを思うとちょっと心がしんどくなる。あわよくば音楽と昔の関係に戻りたい。そんな悩み。
音楽を聴くのは大学生頃までは好きだったと思う。ライブもフェスも行く普通の音楽好きだった。
でも「好き」になったアーティストは誰かが薦めていたものだけで、自分から見つけた人たちはいないのではないだろうか。
誰かの推薦があって、CDを借りて、歌詞カードを読み込みながら聴いて、「好き」とフィードバックする。それが自分の音楽の全てだったように思う。
今は好きな音楽というものがわからない。実は良し悪しもわからない。
最近はもっぱら配信がメインになってしまったので、一曲一曲に対する思い入れも減ってしまった。
かつ周囲の音楽好きたちは広く浅く聴いているような人が多く、昔のように「このアルバム聴いて!」という紹介の仕方はなくなった。
結果、「好き」になれる人たちがいなくなってしまった。自分にとって良い音楽がわからなくなった。
Spotifyを立ち上げて視聴履歴からおすすめしてもらっても琴線に響かない。
新しいものに興味がなくなったら老化の可能性があるらしい。(本当にそうかも)
チャートの1位を聴いても、Youtubeで数百回しか再生されていない楽曲を聴いても、違いがよくわからない。
もちろん曲としての違いはあるのだが、どちらが良い・悪いのか?どっちが自分は好きか?を考えると答えが出なくなる。
一つ言えるのは、数百回再生のほうに感情移入しそうになるということ。
ヤツらは情報を食ってるんだ、というのはかの有名なラーメンハゲ芹沢さんの台詞であるが
チャート1位にあまり価値は感じない。それは自分にとっての特別ではないから。自分だけが知っている何かがほしい、という気持ちがあるから。再生数数百回のアーティストのほうが古参ぶれるのではないか、ライブに行けば感謝されるのではないか、向こうからも特別だと思ってもらえるのではないか。とか。
上記は明確にそう思っているわけではないのだけど、自分のことだから心の底でそういう意識があって、それが「好き」「良い」に反映されている可能性もあると思う。
底が浅い気がして情けない。
自分には推しという存在はないが、一方的に聴いているだけの側から個を見出してもらって、特別扱いされるようになったらさぞ気持ちよかろうと思う。
と、いうように「良い……のか?」と感じた音楽でもいろいろ考えて好きとは言えないのではないかと思ってしまうのである。
漫画は読んで面白かったら「好き」「良い」になる。自分なりに面白さは判断できる気がする。
音楽に関してはさっぱりわからない。漫画とかに比べて好みが出すぎるから?
要素が多いから?
メロディが好き、歌詞が好き、顔が好き、演奏技術がすごい、MVがきれい、単純に人として推したい、とか。
音楽を好きになるのは要素が多すぎる気がする。だからこそ好みは細分化する。と考えてみた。
自分に自信を持って好きなものを作る力が足りていないのかもしれない。
無理やりにでもこのアーティストが好き、と言ってみるのも1つの方法だろうか。
彼氏と別れた。でも好きな人と別れたって書く方がぴったりくる。それくらい好きな人だった。
絶対に別れるぞって決めて言ったわけじゃなくて、いつも別れようって言って別れたくないって言われて、それで安心していた。1番めんどくさくてよくないやつ、わかっていたけど彼氏は根気よく別れたくないって言ってくれた。毎回別れたくないって泣いてくれた。優しい人だった。
今回も、別れたくないって言われたい気持ちがあったことは嘘じゃないけど、彼に強く否定されなかったとき、もういいかって思った。それくらい疲れてた。
本当に優しい人だけれど、どうしようもない違いがあって、わたしはそれを受け入れられなかった。でも近くに住んでいたときは、もう無理!ってなってもすぐに会いにきてくれて、会っていれば楽しくて、仲直りできてうまくいっていた。だから会う時間が長くなれば、と思っていた。一緒に住めばこの苦しいから離れられると思った。
でも遠距離になって、彼は変わらないままで、どんどん耐えられなくなって、これがずっと続くのかって怖かった。
なんていうか、私が苦しんでいることについては彼が悪いんだけれど、でも彼は悪くなくて、それが彼の良さであり、彼らしく、彼のできる範囲で最大限私を愛してくれたし、それは唯一無二ものだったけど、でもとにかくどうしても連絡が取れない時間が無理だった。9時に出発するって言っていた旅行の待ち合わせに10時半に着くのを当日の朝8時になるまで教えてくれないのが無理だった。前日には分かっていたことだし、せめて起きた時間に連絡してほしい。それが私の誕生日兼記念日の旅行のことなのも嫌だった、初めての近くでなく毎回毎回なことなのも嫌だった。せめて、この日だけはというところを見せてくれることを期待しすぎていた。
遅刻する時は連絡してと、同様のことを何度も言って、ずっと連絡を待ち、いつになるかこの後の予定がどうなるのか私は何を準備すればいいかもわからない時間が本当に嫌だった。でも彼は仕事のためだったら早起きして時間に遅れず行くことができる。私のためにはできない。それは私へのいい意味での甘えだし、とてもしんどい仕事をしている彼にとって、充電切れの瞬間なんだと思う。でも無理だった。本当はできることを恋人のためにはしない。という選択肢が私には取れないから。
受け入れたくて頑張ったし我慢もした、理解しようとした、何度も伝えたけどもう無理だった。
絶対になおすって言ってほしかった、でも彼は努力する、って言った。これまでだって努力していたのは知っている、彼のできる範囲で。じゃあ無理だ、これからもこうなんだ、ずっとずっとこうなんだ、と思うと無理だった。
別れたいって言って、彼が絶対に別れたくないって言ったら今回も別れてなかったと思う。
でも、別れたくないけど…そうか…と言った彼も、もう疲れてたんだと思う。
私も疲れていたから、いつもみたいに別れない方向に話し合うことができなかった。そうだね、じゃあ別れようって言ってしまった。でも別れたくないって思われたくて好きだよって最後に言った。
ひどいこともたくさん言った、話してる途中でもうこんなやつとは縁を切るしかない!と思われるのが別れを告げる側の役割なのでは?と思い、がっかりするのに疲れた、と言った。これは本心でもあるけど、伝えるべき本心ではないこともわかってた。
大好きな人と別れたくない。でも好きな人にこんな扱いをされるのは苦しすぎてそれも耐えられない、いつまで続くかわからない遠距離にも耐えられない、それくらい好きだった。書いてみたら結局私がとんでもないわがままなだけだ。
今の彼と出会った時、わたしは前のパートナーのモラハラとセックスレスでボロボロだった。
社会でも個人としても女性としても私の価値はないって思い込んでいたし、私は女という穴で、そしてその穴にさえなれなくて離婚したと思っていた。でも今の彼はわたしに見返りを求めない愛をずーっと与えてくれて、セックスが搾取じゃないって教えてくれた。元夫とのセックスについてやレスについてのあれのれを思い出すと惨めで悲しくて死にたかったけど、彼のおかげでもうそのことで死にたくはならない。
戦場に立つ者は己一人の行動が全軍の命運を左右することを知るべし。
企業においても、社長はその企業の旗印たり、社の名誉と信頼を一手に担う者なり。
たとえその手が直接製品に触れずとも、社長の行動や言葉は、まさに矢先となりて企業全体を導く。
戦国の世において社長の「やらかし」が商品の評価を左右することは、至極当然の理なり。
古より、戦場において大将の一挙手一投足が兵士の士気を左右するは常のことなり。
企業においても、社長の過ちは、その企業に属する全ての者に影響を及ぼす。
消費者が不買やキャンセルを決断するは、まさにその信頼が失われた証なり。
貴殿の申す「商品と社長を切り離して考えるべし」など、現実を見ぬ戯言に過ぎぬ。
企業もまた、社長の行動により信頼を失えば、その商品は価値を失い、消費者は離れ去る。
それを「アップデートされた価値観」とやらで片付けることなかれ。
信頼と責任を軽んじる者に未来はなく、ただ滅びの道を歩むのみ。
信頼を築き、守ることこそが、企業の存続の鍵なり。
我々は情報を食っている。
商品の品質以上にそのブランド価値、すなわち印象に対して金を払ってる。
印象が損なわれるというのは価値が下がったってこと。
売れないキャンペーンやる書店からの真っ当な注文なんかまともに扱わないのは業界あるあるだから
目の前の本と客をキチンと処理してほしいなら売れないキャンペーンやるなって話でしょ?
「悩み」は書き出すことで不安が軽くなるそうだよ。
やってみるよ。
+++++
思いつくまま列記したけど、
まだ軽くはなんねぇよ。
そのために「○○人であるので、私は価値がある」という思想に傾倒する。
まずリベラルな社会に反する、排斥されている(無能であるため)個人がおり