はてなキーワード: 代官とは
オーストリア | プリンツ・オイゲン(1663-1736) | オーストリアの名将。元はフランス貴族だが、軍人としてハプスブルク家に仕え、祖国フランスと戦い続けることになる。オスマン帝国との戦いでその西進を挫き、スペイン継承戦争においてはイングランドのマールバラ公と共に大活躍をした。 |
スイス | ウィリアム・テル(?-?) | スイス建国の英雄として知られる。オーストリアの代官に強いられて息子の頭に置かれた林檎を射抜き、後にその代官を射殺したことで、それがリュトリの誓いに始まるスイス独立運動へとつながったという。ほぼ確実に架空の人物だが、スイス国民が実在を信じているならそれでいいのだ。 |
スロバキア | ユライ・ヤーノシーク(1688-1713) | 伝説的な義賊。山間で商人や聖職者などの金持ちから金品を奪い、それを土地の貧民や有力者たちに渡していた。有力者は見返りにヤーノシークを守っていたという。やがて捕らえられ処刑されたが、民族意識の高まりと共に支配者への抵抗の象徴と見なされるようになった。 |
チェコ | ヴァーツラフ1世(907-935) | ボヘミア公。敬虔な信徒として、チェコのキリスト教化を積極的に推し進め、また神聖ローマ帝国に臣従して外圧を緩和した。キリスト教に反対する貴族たちによって暗殺されたが、その死の前後にさまざまな奇跡が起こったという。 |
ハンガリー | マーチャーシュ一世 | 反オスマンの英雄フニャディ・ヤーノシュの息子。ハンガリー王に選出されると、領土としては最大版図を、文化としてはルネサンスをもたらし、ハンガリーの最盛期を築き上げた。水戸黄門のような廻国漫遊譚があるらしい。 |
ポーランド | ヤン三世ソビエスキ(1629-1696) | 若い頃から各地で戦功を重ね、国民的人気を得たことで自由選挙によって王に選出された。オーストリアの首都ウィーンを包囲していたオスマン帝国の大軍を、かの有翼重装騎兵フサリア3000騎の中央突破によってさんざんに打ち破り、ヨーロッパの守護者として大きな名声を得た。 |
オランダ | ウィレム一世(1533-1584) | オラニエ公。ハプスブルク家の支配下にあったオランダの貴族だったが、カトリックへの強制改宗に反発して起きた独立戦争においてその反乱の中心となる。「海乞食」と呼ばれる船団を率いて港湾都市をゲリラ的に襲って勢力を拡大、事実上の独立を果たしたものの、戦争が続くなかで暗殺された。 |
ベルギー | アンビオリクス(?-?) | ガリアに住むベルガエ人の一部族、エブロネス族の王。「アドゥアトゥカの戦い」において、カエサルの麾下にあったローマの一個軍団を、谷に誘い込んで殲滅した。カエサルにとってはガリア戦争における最大の痛手となり、その後の反撃でエブロネス族の土地を占領したものの、とうとうアンビオリクスを捕らえることはできなかった。ウェルキンゲトリクスと似た扱いで、ガリアの自由を求めた英雄とされる。 |
ルクセンブルク | ヨハン盲目王(1296-1346) | ボヘミア王およびルクセンブルク伯。晩年には病を得て盲目になりながら、百年戦争の激戦「クレシーの戦い」に参戦して壮絶な討ち死にを遂げた。ルクセンブルクでは国を発展させた名君として評価が高いが、チェコでは戦争ばかりで領地に戻ってこなかった王として人気がないという。 |
ドイツ | ビスマルク(1815-1898) | プロイセン王国首相。普墺戦争・普仏戦争に勝利してドイツを統一し、外交でもフランスを封じ込めて欧州の均衡を保った。その豪腕ぶりから「鉄血宰相」の異名を取る。他の候補はオットー大帝、バルバロッサ、フリードリヒ大王あたりか。 |
フランス | ナポレオン・ボナパルト(1769-1821) | 言わずと知れたフランス皇帝。他の候補はカール大帝、ジャンヌ・ダルク、ド・ゴールあたりか。ちなみにカール大帝はドイツでも人気だけど出生地はベルギーが最有力らしい。 |
スペイン | エル・シッド(1045-1099) | 本名はロドリゴ・ディアス。通称はアラビア語の「アル・サイイド」に由来する。カスティーリャ王国のアルフォンソ6世のもと数々の戦いで活躍し、王によって追放されたあともバレンシアを征服するなど、レコンキスタの英雄として勇名を馳せた。後に叙事詩に歌われた。 |
ポルトガル | アフォンソ1世(1109-1185) | 初代ポルトガル王。伝説的な「オーリッケの戦い」でムラービト朝の大軍を寡兵で撃破し名声を得た。主君筋であるカスティーリャ王国と対立した後、和解して独立した。イベリア半島のイスラム勢力と戦いながら領土を広げ、リスボンまで占領した。 |
イタリア | ジュゼッペ・ガリバルディ(1807-1882) | 南米でウルグアイの「大戦争」に参加し、そこでゲリラ戦術を身につけた。オーストリアの支配のもと、統一の機運が高まるイタリアにおいて「赤シャツ隊」と呼ばれる義勇軍を結成、シチリアと南イタリアを占領すると、そのままサルデーニャ王国に献上。イタリア統一に大きく貢献した。その後も何度か軍を率いて決起しつつも、政治にはほとんど関わらないまま隠遁生活を送った。 |
片やそれがない人がいる。割りと早い段階で、賢さを捨て、か弱さを磨いていく。人から助けてもらうことに特化したスタイル。
御代官が全ての賄賂を拒否すれば、あなたは勝つが、そういう人たちは世の中の隅に追いやられる。
追記しました。
元増田です。追記とごめんなさい。
https://anond.hatelabo.jp/20171223191520
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話題のセクハラ問題でずっと感じているもモヤモヤを吐き出したくて書く。
表立っては言えないけど、私は「権力を持っている男性に便宜を図ってもらおうと近づいたらセクハラ・パワハラを受けた、私は被害者だ」と主張する女性全般にとても納得のいかない気持ちを抱いている。「セクハラ・パワハラ」部分をレイプに置き換えても同じだ。彼女らは女性性を利用し便宜を図ってもらうことで、正当な手段でガチで戦うつもりで勝負の土俵に上がった他の女性(および男性)から不当に権利を奪おうとした人間だからだ。不正なチートプレイヤーということだ。
私は就職や仕事の場で女性性を武器に使ったことは無い。それは卑しく不正な手段であり、自立した知的な女性は自分の能力で正当に、正面から男性(および他の女性)と競争すべきだと信じている。たまに「ブスは女の武器を使えないから学歴や職歴を磨かないといけない」みたいな馬鹿げた言説を見るけど、モテるかどうかなんて関係ない。どんな女も自分の能力で正当に勝負に勝てるように準備するべきだ。その先にしか男女平等な社会なんてあり得ないと思っている。
そうやって正当に戦ってきた人間から見ると、自分の能力の不足を権利者に便宜を測ることで解決しようとした人間は悪でしかない。そのポジションにつくための公正なレースで勝つ能力が無いのに、言わば贈賄でポジションを奪う人間だ。能力順で上位5人がポジションを得るレースなら、「女の武器」を使って序列に割り込んだ女性が1人いれば、5人目から6人目へ不当に落とされてしまう人間がいる。彼女たちは正当な権利者から不当にポジションをかすめ取っている。カンニングで大学の入試を突破する人間と同じだ。たまに男性社会で女性は不利だから「女の武器」は積極的に使うべき、というこれまた馬鹿な意見を見るけど、男性に比べて女性の大学入学者数が少なかったら女性のカンニングが正当化されるのか。そんな訳はなくて、カンニングする奴は全員滅ぶべきである。彼女たちが椅子を得ることで代わりに椅子を失うのは男性の場合も女性の場合もある。「女の武器を使って女性が社会進出している」のではなく、正当な権利を有する人間が一人、権利を剥奪されているだけだ。
だから、チートをした女性が「肉体関係を求められた」「肉体関係を強制された」と主張することは、越後屋が「お代官様に贈賄しようと持ちかけたらその10倍の金をとられた!酷い悪代官だ!」と言っているように見える。勿論悪代官は悪いが、こっちは越後屋に公正な競争を破壊されているのでどっちも悪に見える。ただ贈賄側の考えた賄賂の水準と、収賄側が期待した賄賂の水準がマッチしなかっただけじゃないのか。そう思っているところに、チートをした女性本人が「正当な努力をしていたら裏切られた」ように振舞ったり、周りの人間が彼女をジャンヌダルクのように担ぎ上げているのを見ると拒否感が強い。
一点、彼女たちを純粋に被害者と思える点があるとすれば、彼女たち以前に、あるいは同時期に、「肉体関係の提供を自分からオファーした」あるいは「肉体関係の提供のオファーを納得して受けた」チート女性による被害だと思う。体を使う覚悟もせずに云々というショッキングなフレーズは、その覚悟を持った女性が他にいたから出てきたと思うのだ。過去にお代官様に1000両貢いだ商人がいたから、お代官様は越後屋に「なんでお前は10両しか持たずに来たのか、なぜ1000両貢ぐ覚悟がないのか」と言ったということだ。この点で見ると、10両で商談成立になると思って赴いたら1000両強奪された越後屋はちょっと可哀想ではある。
特定の業界で酷いセクハラが日常的になっているというのは、越後屋間で贈賄の過当競争をやっているのだと思う。なら全員いっせいのせで一切の贈賄をやめるべきだ。悪代官を産んだのも、増長させたのも越後屋だ。いくら悪代官を排除したところで、贈賄をオファーする越後屋がいればいくらでも新たな悪代官が生まれるに決まっている。悪代官を消すには越後屋が全滅して全員等しく公正なレースをするしかない。贈賄の相場を低く抑えましょうっていう話なら勝手にやっていてくれ、巻き込むなと思う。自分を性的に提供しないと仕事ができないのは狂っているが、それは権利を持った人間が強制するからじゃなくて、他のプレイヤーがそれを提供するから自分もやらないと競争力を持てない、自分が提供すると他のプレイヤーもしないといけなくなる、そういう仕組みだろう。
いずれにせよ真面目に正面から競争してきた一人の女性として、チートしようとして被害を被った女性を自分たちの代表のように担ごうという気には全くなれない。というか基本的に滅びてほしい。そう言うと「女の敵は女」とか言われるのかもしれないけど、これってそういう問題じゃないと思うんだよな。じゃない?
真面目に競争してきても避けられずにバンバン遭遇するセクハラって、おっさんとかがコミュニケーションだと思って投げつけてくる下ネタだ。だから私としてはそっちを世界から滅亡させたい。でもそこに越後屋から「それはセクハラではないので」「今は問題にすべきでない」とか言われている。本当、そもそもそっちで勝手にやっててっていう話なのに、正当に戦ってきた私たちの受けている被害を存在しないものと認めろという。控えめに言って最悪だと思う。
熱くなって攻撃的な文章を書いてしまった。不快にさせてしまった人にはごめんなさい。
(追記)
色々あるけど、1つだけ。私は直属の上司や、どうしても担当しなければいけない顧客に向こうからセクハラを仕掛けられ、断れなかった人のことは純粋に被害者であると思います。決してチートとは思いません。私がチートだと言っているのは、直属の上司ではなく部署も違うが人事権を持っていそうな人、に取り入りって便宜を図ってもらおうと新人が自ら近づくといった種類の行動です。セクハラは撲滅されるべきです。暴力団と同じで反社会勢力であり、潰すためには誰も応じてはいけないんです。暴力団に金を払う店があるから「ここで商売したかったら金を納めろ、みんな払ってるぞ、払わないとわかるな?」と脅される店が出てくるんです。私は同じ部署の力を持った人から色々と誘われたことがありますが、不利益を被ることを覚悟で全て断りました。もし私が応じていたら、私と競争するためには自分もセクハラに応じないといけない他の女性を生んでいたことでしょう。相手から近づかれた人は、自分の力で断るか、無理なら他の人の力を頼って拒否する。間違っても自分から利益供与を求めて近づかない。それが大切だと思います。
右筆(ゆうひつ)は、中世・近世に置かれた武家の秘書役を行う文官のこと。文章の代筆が本来の職務であったが、時代が進むにつれて公文書や記録の作成などを行い、事務官僚としての役目を担うようになった。執筆(しゅひつ)とも呼ばれ、近世以後には祐筆という表記も用いられた。
目次 [非表示]
1 概説
3 織豊政権
4 江戸幕府
5 関連項目
6 関連作品
概説[編集]
初期の武士においては、その全てが文章の正しい様式(書札礼)について知悉しているとは限らず、文盲の者も珍しくは無かった。そこで武士の中には僧侶や家臣の中で、文字を知っている人間に書状や文書を代筆させることが行われた。やがて武士の地位が高まってくると、公私にわたって文書を出す機会が増大するようになった。そこで専門職としての右筆が誕生し、右筆に文書を作成・執筆を行わせ、武家はそれに署名・花押のみを行うのが一般的となった。これは伝統的に書式のあり方が引き継がれてきたために、自筆文書が一般的であった公家とは大きく違うところである。武家が発給した文書の場合、文書作成そのものが右筆によるものでも署名・花押が発給者当人のものであれば、自筆文書と同じ法的効力を持った。これを右筆書(ゆうひつがき)と呼ぶ(もっとも、足利尊氏のように署名・花押まで右筆に任せてしまう特殊な例外もあった)。
なお、事務が煩雑化すると、右筆が正式な手続を経て決定された事項について自らの職権の一環として文書を作成・署名を行い、これに主君発給文書と同一の効力を持たせる例も登場する。こうした例は院宣や綸旨などに早くから見られ、後に武家の奉書や御教書などにも採用された。
現在では天皇・皇后の文章の代筆をする宮内庁の文書専門員(中島司有、佐伯司朗といった書家が務める)は「祐筆」と呼ばれることがある。
源頼朝が鎌倉幕府の原点である鎌倉政権を打ち立てた時に、京都から下級官人が招かれて事務的な業務を行ったが、初期において右筆を務めていたのが大江広元である。後に、広元が公文所・政所において行政に専念するようになると、平盛時(政所知家事)・藤原広綱・藤原邦通らが右筆を務めた。
その後、将軍や執権のみならず、引付などの幕府の各機関にも右筆が置かれ、太田氏や三善氏などの官人の末裔がその任に当たるようになった。基本的に室町幕府もこの制度を引き継いだが、次第に右筆の中から奉行人に任じられて発言力を増大させて、右筆方(奉行衆)と呼ばれる集団を構成するようになった。
なお、室町幕府では、行政実務を担当する計方右筆・公文書作成を担当する外右筆(とのゆうひつ)・作事造営を担当する作事右筆などと言った区別があった。
戦国時代に入ると、戦時に必要な文書を発給するための右筆が戦にも同行するようになった。戦国大名から統一政権を打ち立てた織田・豊臣の両政権では右筆衆(ゆうひつしゅう)の制が定められ、右筆衆が行政文書を作成するだけではなく、奉行・蔵入地代官などを兼務してその政策決定の過程から関与する場合もあった。豊臣政権の五奉行であった石田三成・長束正家・増田長盛は元々豊臣秀吉の右筆衆出身であった。他に右筆衆として著名なものに織田政権の明院良政・武井夕庵・楠長諳・松井友閑・太田牛一、豊臣政権の和久宗是・山中長俊・木下吉隆・安威了佐などがいる。
なお、後述のように豊臣政権の没落後、右筆衆の中には徳川政権によって右筆に登用されたものもおり、右筆衆という言葉は江戸幕府でも採用されている。
戦国大名としての徳川氏にも右筆は存在したと考えられるが、徳川家康の三河時代の右筆は家康の勢力拡大と天下掌握の過程で奉行・代官などの行政職や譜代大名などに採用されたために、江戸幕府成立時に採用されていた右筆は多くは旧室町幕府奉行衆の子弟(曾我尚祐)や関ヶ原の戦いで東軍を支持した豊臣政権の右筆衆(大橋重保)、関東地方平定時に家康に仕えた旧後北条氏の右筆(久保正俊)などであったと考えられている。
徳川将軍家のみならず、諸大名においても同じように家臣の中から右筆(祐筆)を登用するのが一般的であったが、館林藩主から将軍に就任した徳川綱吉は、館林藩から自分の右筆を江戸城に入れて右筆業務を行わせた。このため一般行政文書の作成・管理を行う既存の表右筆と将軍の側近として将軍の文書の作成・管理を行う奥右筆に分離することとなった。当初は双方の右筆は対立関係にあったが、後に表右筆から奥右筆を選定する人事が一般化すると両者の棲み分けが進んだ。奥右筆は将軍以外の他者と私的な関係を結ぶことを禁じられていたが、将軍への文書の取次ぎは側用人と奥右筆のみが出来る職務であった。奥右筆の承認を得ないと、文書が老中などの執政に廻されないこともあった。また奥右筆のために独立した御用部屋が設置され、老中・若年寄などから上げられた政策上の問題を将軍の指示によって調査・報告を行った。このために、大藩の大名、江戸城を陰で仕切る大奥の首脳でも奥右筆との対立を招くことは自己の地位を危うくする危険性を孕んでいた。このため、奥右筆の周辺には金品に絡む問題も生じたと言われている。一方、表右筆は待遇は奥右筆よりも一段下がり、機密には関わらず、判物・朱印状などの一般の行政文書の作成や諸大名の分限帳や旗本・御家人などの名簿を管理した。
特に、40年以上放映され、今なお毎日再放送されている「水戸黄門」は、その代表格である。
今回はそのストーリーがいかに非民主主義的、非現代的であるかを検証する。
水戸黄門の主人公である水戸光圀の一行は、「越後のちりめん問屋」と身分を詐称し諸国を漫遊しているが、その先々では必ず商人の不当な物価の値上げや、代官の課す重税に庶民が苦しめられている。それを聞いた一行が、屋根裏に潜入し、また色気を使って捜査し証拠をとる。そうして悪事を暴いた「越後のちりめん問屋」は、悪事を起こした者の怒りを買い、刀を交えることになる。最大の見どころであるチャンバラシーンのあと、権威の象徴である「印籠」を見せつけることで、「先の副将軍」である自身の正体を明かす。それを見た者はみな平伏し、悪事を働いた者は自分の過失を認め、登場した藩の者がその身柄を拘束する。最後は一件落着と一笑しまた旅を続ける、というのがストーリーの梗概である。
この作品には
という世界観が透けて見える。これについて持論を述べる。
まず、「権力者の悪は更に上の権力者にしか裁けない」という点について述べる。
本作の世界では、いつ来るかわからないような、国家から派遣された、さらに上の権力者にしか悪を懲らしめられないことになっている。水戸光圀はその土地の者でなく、また問題が解決した後は旅を続けてしまうため、対処療法的な解決しか行えない。地方にも自浄能力がなく、一回水戸光圀に問題を解決したあと、また同じような悪事や不正が起き続ける。地方はそれを解決する術を持たないため、水戸光圀が来るのを待っているだけである。住民の当事者意識と民主主義の原理が欠落した「他人任せ」の政治は、今日の日本の政治に通底するものがある。
また、ある放送では、朝廷の中納言の悪事を裁いた際、「私は徳川の家来ではないので従わない」と反発したが、更に上の役職である左大臣が登場し裁いたという回もあり、「権力者の悪は更に上の権力者にしか裁けない」という世界観をより強固なものにしている。
次に、「庶民は無力で虐げられる存在である」という点について述べる。
水戸光圀が「越後のちりめん問屋」と詐称しているにもかかわらず、庶民からは色々な苦情が持ちかけられる。旅する隠居にまで相談しなければならないほど、それほどまでに事態が悪化してしまっていることがわかる。作中ではこのように圧政や不正に苦しめられる庶民の姿がよく描写されるが、反対に実力行使に出ようとする庶民を水戸光圀が宥める場面は皆無である。先述した住民の他人任せの意識がここでも顕在化している。
欧州の市民革命においては、圧政に苦しんだ市民の流血によって民主主義が獲得されたが、日本においては明治以降の主権者の変更は市民革命ではなく、支配者同士の権力争いの結果に過ぎない。このように市民自らが流血し民主主義を獲得した経験がないことが、権力者任せの日本人の気質を形成しているのではないか。
そして、「権力者はどんな手段を用いても許される」という点について述べる。
苦情を持ち掛けられた水戸光圀の一行は、全員が証拠の裏付けのために捜査を行うことになる。しかし、その捜査方法も卑劣である。「越後のちりめん問屋」と身分を詐称した捜査は、当然警察権を保持する藩の奉行所の許可を得ていない。令状なしに現場や物的証拠を取り押さえるという、現在の「法の支配の原理」からはかけ離れたものであるが、作中では身分詐称や私人の警察権行使について議論されることは一切ない。奉行所は水戸光圀の一行のおかげで吐かされた自白を聞いた後に、身柄を連行するだけという、警察組織の体をなしていないものであるが、水戸光圀がこれを一喝するシーンもない。
なお、作中で水戸光圀は「先の副将軍」と自称しているが、居候の身であるはずの前任者が悪を裁くことについての是非も議論されていない。これは現在においても、我が国では一線を退いた者が強大な発言力を持ち続ける事例が、政財界ともに存在している。
「法の支配の原理」「地方自治の原理」「民主主義の原理」すべてが欠落したこのストーリーを、多くの高齢者が再放送を毎日視聴し続けている。これでは、日本の政治に対する認識を歪めるものであり、健全な民主主義国家としての市民意識が育たないことは当然である。
http://blog.tatsuru.com/2016/11/15_1128.php
その理由はとりあえず周知されていない。誰でも知っている理由なら、こんな特集は組まれない。
ふつうリベラル批評家が発言力を持ち続け得るのは(事象に即した言説のクリーンヒット時の「ご祝儀」を除くと)批評のまなざす先の恩沢に現にリベラル市民が浴しているからである。
だが、内田樹はそうではない。
特別顧問で参画した大阪市政改革は頓挫した。旗を振るったSEALDsは見るべき成果を上げていない。野党連合の結託をいくら煽っても鳥越の醜態や民進のグズっぷりばかり悪目立ちしてしまい 自民党打倒の糸口が見えない。安保法案への言及ではシーレーンや国防、自衛隊員の命の軽視と反知性主義の態度が露呈した。五輪計画や福島原発や豊洲移転問題では共産党の走狗となり知性の欠如があきらかになっている。どれも老いたリベサヨの末期の徴候である。にもかかわらず内田は高い読者数を保持している。その根拠は何なのか?
一番簡単なのは、「リベサヨ市民は現状認識の適否を判断できないほど愚鈍になった」という解釈である。
リベサヨの過半が愚鈍であるなら、こんなあげつらいも何の意味も持たないからだ。だとしたら、問いの次数を一つ上げるしかない。「リベサヨは内田を支持することでどのようなメリットを得ているのか?」である。
保守速報などネトウヨまとめサイトの観測によれば、内田支持理由のトップは「他に適任者がいないから」である。
だが、現実には「他にどのような言論人が適切か?」という問いは誰も立てていない。いずれ支持層が急逝して「ポストリベサヨ」がリベラル市民の話題になればリベラル市民は「人気投票」を行うだろうけれど、今は話題になっていない。
私の解釈はこうだ。国益が損なわれ、国民が日々損害を被りそうな諸言説を垂れ流すにもかかわらず、「内田を黙らせろ」という声が上がらないのは、リベサヨ代表格の適格性を最終的に判断しているのは「リベラル市民たちではない」とリベサヨが思っているからである。
残念ながら、リベサヨ界隈において、内田言説の適格性を判断しているのは理性ではない。
リベサヨは自分たちの歪んだ情念から現実を歪ませて認識することはできる。でも、現実に即した言説に身を委ねるはできない。
リベラル市民たちが誰を選んでも、中共が「不適格」と判断すれば、リベサヨメディアでのオピニオンリーダーの座には就けないし、就けても短命に終わる。そのことをリベサヨは知っている。知っているけれど、知らないふりをしている。それを認めてしまうと、リベサヨは権力の圧政に反して日本社会や市民生活をより良くしようという正義や善意の集団ではなく中共の野望の片棒を担ぐ工作機関であるという事実を直視しなければならなくなるからである。
2008年頃からネトウヨ嫌韓豚の吹き溜まりである保守速報などのまとめサイトで「朝日新聞は中共の工作機関である」との言説が広まった。反日朝日の誌上におけるオピニオンリーダーの任免権は事実上中共が保持している、と。
日本のリベサヨ言論はこの発言をまともに取り合わなかった。違うと思うなら反論すればいい。だが、「反日朝日は中共の工作機関ではない」と述べたリベサヨ言論は一つもなかった。
サントメプリンシペの政治学者ガバーヌ・マンコニックは〜中略〜同じことを指摘した。だが、リベサヨはそのような意見がネトウヨ社会では当然のように行き来している事実そのものを組織的に黙殺している。
内田樹は「宗主国中華人民共和国の属国の報道官」である。実質的な権威づけは中共が握っている。もちろん、外患誘致に問われるから、権威付けの作業は「アウトソーシング」されている。中共の情報誘導は朝日新聞や日刊ゲンダイへの記事やコラムを通じて醸造され、外国人特派員クラブやワシントンポスト、ニューヨークタイムズなど外信へ逆輸出することでマッチポンプ効果で言説の信憑性がより強化される。そういう仕組みでリベラル言説が制御されていることをリベラル市民はもう知っている。知っているけれど、知らないふりをしている。
「他に適任者がいない」というのは朝日新聞など反日工作メディアの判断である。
内田樹は日本の国益よりも中共の国益を優先的に配慮してくれる「理想の言論人」である。だから反日メディアがそう評価するのは当たり前である。そして、リベサヨの多くは朝日新聞の判断の方がリベサヨ当人自身の生活の延長線上にある主観的な現実評価よりも夢想的でありかつ幻想的であると信じている。
「追記」
ただ、アメリカの大統領がドナルド・トランプに交替したことで、「宗主国の代官」にどのようなタイプのオピニオンリーダーを選好するかについての判断基準がこの後変わる可能性はある。
これまで、「属国の代官」の適不適を事実上判断していたのは辛淑玉たち「差別の当たり屋」であった。
リベサヨのグズっぷりに「市井の人々」は巨大な「マイノリティ利権」をひさしく貪っていた「差別の当たり屋」たちから取り上げようとするだろう。
「差別の当たり屋」たちのお気に入りであった日本のリベサヨ言論人たちはこれから新たに「オーディション」を受けなければならない。
明日11月17日に安倍首相はトランプを西側首脳として最も早く表敬訪問をするが、これは「日本の総理大臣」である以上当然のことであり、これは安倍首相にとっては「新しいカウンターパート」に対する「牽制」に相当する。
日米の関係がより進歩的に発展するという「(中共にとって残念な)結果」になった場合、反日メディアではオピニオンリーダーもリテラもマガジン9も「アベシネホントシネゲリグズ野郎」と(はじめはおずおずと、そのうち猛々しく)言い始めるだろう。
周りの就活生の意識の高さと、人事様企業様お代官様って感じの宗教じみたセミナーに何回か参加して「こんなところにいたら俺はおかしくなる!!!!!!!!」と思って勢いだけで行ってきた。
で予約したんだけど数日したらなんかどーでもよくなったのでなんで予約したんだろと軽く後悔。
そもそももうあんな宗教じみたとこは行かずに自分なりの方法で就活してダメで心折れたら内科行けばよかったわ。
まあでも予約しちゃったので行ってきた。
結果は軽い胃薬もらって返されたよ!!!まあー当然だわ。飯も食えるし普通に寝るし。
でも正直心療内科の人と話すだけでこの先気が軽くなるんじゃと過度な期待をしてたけど、ぜんぜんそんなことはなかった。
俺がはぐらかしながら話してたのも悪かったんだけど、軽くなるどころか気持ち抉られたよ…。
「こうしなきゃ」って言うのは自分でもわかってて、でもできないから悩んでた事を話したけど、「でもやるしかないよ」と言われ「ですよねー」という感じだった。
まあただの甘えってことなんだろうな。ほんとなんで行ったんだろう…
こっちが金払ってるから優しくしてくれるんだろうなって感じで、まぁでもそりゃそうだよなー。
お仕事疲れ様です。
どっちかっていうと、
取ろうがどうしようが、代官を裁ける人間がいない。権力に守られた悪は、権力しか排除できない。というのの象徴な気がするけどな。
街で起きてる問題なら、町民が解決可能だが、お代官様が悪党となると、町民にはイッキ起こすしか無いけどイッキは死罪だからな。
詰んじゃってる時代の話だろ。
それに、集団生活というか、社会生活をしているなかで判断の結果を自分で責任を取れることばかりかというと、
権力を持てば持つほど、他人に被害が及びやすくなるという意味で、責任をとれることばかりじゃないけどな。
辞任すれば責任取れるというのは、あくまで社内の話で。何がしかの被害者からすれば辞任は責任逃れになるからな。
難しいよ。
公務員組合が時代劇に圧力をかけたんじゃないか。テレビ局に圧力をかけたんじゃないか。時代劇をやらないように圧力をかけたんじゃないか。俺の勝手な想像、妄想なんだけどさ。
水戸黄門あるじゃん。あれって視聴率高いんだよ。再放送も含めてね。テレビ局からしたらかなり優秀なコンテンツな訳。今の若い人はよく知らないかもしれないけど、思い浮かべるだけで、「遠山の金さん」「必殺仕事人」「大岡越前」「暴れん坊将軍」「鬼平犯科帳」「子連れ狼」なんてものがあった。数十年前はゴールデンの時間帯にしょっちゅうやってた。午前中だって、夕方だって再放送もバンバンやりまくってた。ジイさん、バアさんだけじゃなくって老若男女、あらゆる人が見ていた。
ふと気が付くと、今はたぶん水戸黄門しかやっていない。
時代劇のシナリオって単純なモノが多い。勧善懲悪がベースなんだけど、たいていが役人がからんでいる。越後屋とお代官様ね。とにかくお役人が犯罪しまくる。地位を利用してコスイ犯罪を繰り返す。その犯罪に善良な人が巻き込まれて、犯罪が発覚。しかし庶民には手が出せない。そこで主人公があの手この手で活躍して、越後屋はパクられ島流し、お役人は切腹。裁判にかけられるうちはまだいいが、場合によっては、現場でバッサリと切り殺される。
とにかくこんな話が朝から晩まで繰り返されていたのが数十年前の日本だった。
これを現代に例えるならば、もう大臣から県庁職員、警察、天下り役人、市役所職員が、一部経営者と結託して、犯罪しまくりで、一般市民は苦しめられ殺されレイプされ、とにかく一般市民がいじめられるストーリーな訳。あれ?これって日常茶飯事なんじゃね?超リアルなんじゃね?
最初に、「公務員組合が時代劇に圧力をかけたんじゃないか」って書いたんだけど、それは公務員を犯罪者扱いしてケシカランみたいな話で圧力があったんじゃないかみたいに思ったんだけど、ちょっと考えてみたら、テレビで演出しまくり誇張しまくりのストーリーであるにも関わらず、現実の実際の犯罪がテレビを超えちゃって、テレビでのストーリーが陳腐化しちゃって、人気が無くなっちゃったって事もあるのかね。
近頃、無用な公務員叩きが横行していると思ってんだけど、ひょっとして時代劇が無くなってガス抜きされなくなってんじゃないかと思った。後、時代劇を知らない子供達が増えて、公務員と犯罪は付き物だという事に慣れていないという事もあるんじゃないか。
時代劇に出てくる"お上"の組織は現代でもそのまま残っている。形を変えていったものもあるが、元が元だけに権力を持っている。当時の消防署的存在だった火消しの子孫が今は何やってるのかとか調べると面白いし、廃藩置県ってあったけど、結局、県が国の出先機関である事は変わらないし、ヤクザと十手持ちが紙一重の存在だったけど、今でも双方は仲良しだとか、時代劇に出てきた事をそのまんま現代に当てはめられることが多い。
時代劇を知れば知るほど、現代も見えてくる。時代劇ってただのフィクションじゃなくって、ノンフィクションに近いものだったんだと最近、気が付いた。
さすがに総理大臣が世襲ではないという所が違うけど、戦争に負けてからは、アメリカが日本のTOPなので、そういう意味ではTOPは代々世襲になってる。今は征夷大将軍がいないので、是非、天皇さんに決めて欲しいと思います。