室町時代の正長の土一揆や嘉吉の土一揆などの、成功した土一揆を見れば、
体制側に混乱がある状態で、戦慣れした人員を迎え入れつつ、数万人規模を動員できれば勝てる可能性があることが分かる。
ただ、そもそも一揆というものは、
一揆(いっき)とは、日本において何らかの理由により心を共にした共同体が心と行動を一つにして目的を達成しようとすること
とあるように、かなり幅広い意味を含む言葉である。
元増田が言うような、江戸時代の「百姓一揆」などは、確かに農民が中心だが、それにも様々な形態があり、
村長や村役人が農民たちを指揮して領主の圧政を訴えるものもあれば、
領主とつるんでいる村長や村役人を農民たちが襲うものもあった。
また、その手段も、代官のところに押しかけて直訴するだけだったり、
逃散したり、酒屋や土倉を襲ったりと、バリエーションがあったわけで、
農民が武器を持って武士と戦うだけが一揆ではないのである。
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