はてなキーワード: 不利益とは
https://news.yahoo.co.jp/feature/985
こういう記事が出ていて、その反応がすごく気になりました。なので2012年に改正された労働契約法に関して当時の議論や経緯などをご紹介したいと思いました。
まず基本ですが、労働政策は、労働政策審議会を通して、公労使の3者が話し合って決める事となっています。これは公契約における労働条項に関する条約に定められた原則です。労政審は厚生労働省の設置法で定められた審議会で、公労使は同数委員を設置することになっています。あの高度プロフェッショナル制度でさえ、労政審から、概ね妥当とされながらも、労働者側からの指摘として、高プロは危ないという付言がされています。委員は2年交代で、特に公共、有識者の構成を政権に近い人に変えていけば、労政審の答申を政権に近い形で出すことは可能ですが、しかし政権交代、即委員交代!ともならないわけで、労働政策の審議は基本的に慎重に行われているとは言って良いと思います。ちなみに安倍政権では、この原則に反して、労政審に諮らずに特措法を制定し、無期転換ルールの緩和を行っていますし、昨年7月には、労働者代表を構成員に含まない(国家戦略特区諮問会議を思いだせ!)、労働政策基本部会を設置し、各分科会にこだわらない、横断的な政策を諮問する、としています。詳しく書かないけど、これめっちゃくちゃ危ないですからね。高プロの立法事実とされるものは、産業競争力会議とかみたいな安倍政権が大好きな有識者会議から出てくるわけだけど、それを労政審の中に作っちゃったようなもんだから。まぁ本当に現政権は議論が大嫌いなんだなぁと思いますけど、とりあえずそこは置いとく。
字数制限的にそれぞれを説明はしないですが、労働者は基本的に使用者よりも立場が弱いので、解雇をする際には合理的であると認められる理由がないといけません。それが解雇権濫用法理と呼ばれるものです。一方、有期労働者に対しても、期間満了による解雇であっても、無条件であってはならないとするのが雇い止め法理です。雇い止め法理は、無期労働と本質的に違いがない場合と、有期労働者が更新を合理的に期待できる場合に、解雇権濫用法理を類推して適用する、というものです。これは法律に書かれていたわけではなく、幾つかの裁判事例において、確立された裁判例に基づいた規範です。原理的に有期労働者の方が要件が増えているので、保護される確率が下がっている建てつけですね。2008年のリーマンショックでは、無期雇用者も大量に整理解雇されましたが、それよりも、派遣労働者や有期雇用労働者が大量に解雇され、大きな社会問題になりました。そこで麻生政権時代に、有期契約労働者の働き方が労政審に諮問され、鳩山政権時代に、有期労働契約研究会報告が出されました。
有期労働契約研究会報告では、雇い止めに関して、主に3つの論点が話し合われました。
1.入り口規制=有期契約が結べる業務、業態などを規制し、原則無期、例外的に有期が可能とするか否か
2.出口規制=有期契約を結べる期間、更新回数を規制するか否か
単純に労働組合が民主党の支持母体と言っても、組合内でもこれは意見が分かれていましたね。この3つをすべて導入しないとうまくいかないぜ!っていう主張(自治労など総評系に多かった)と、少なくともどれか一つでも合意できるならするべきだとする主張(同盟系に多かった)が当時から分かれてた。審議入りしてからは、社民党の福島みずほさんや、共産党の田村智子さんなどが前者の立場に立った批判を何回もやっていました。こう言う批判をしておくことは本当に大事で、当時の西村ちなみ副大臣の答弁をもとに、後述する通達が出されています。
有期労働契約研究会では、労働者の雇用を安定化させることで、生産性が向上するという学術的な指摘がなされ、規制の導入に対して前向きな報告が出されました。
議事録を見てもらえば分かりますが、使用者側の委員はほぼすべての規制に反対していますが、特に入り口規制の導入に関してはものすごく反発している。有期雇用は雇用の不安定要因ではなく、有期雇用によって雇用の安定化が図られている、だの、入り口規制をすると、企業は雇用をやめるだろう、という話を延々とやっている。しまいには労働者の権利の話ばかりするな、経営者側が雇用を調整する権利はどうなるんだ、というようなことも言っている(ちなみにこの方は、高プロが1000万以上と言われると中小企業が活用できないとかも言ってる方です・・・)。まぁ経営陣がそういうことを言うのは当然なのですけど、ポイントはこの法律案が労政審に諮問された時はすでにねじれ国会になっていて、野党の協力なしには法案の成立はできない状況だったというところです。仮に民主党が有期労働契約研究会報告に基づいて、労働契約法改正案を提出していたとしたら成立は難しかったと思われます。そこで、入り口規制は外され、2、3のみを取り入れた法案ができ、5年以上の契約更新によって、無期転換の申し込み権が発生する、という法案になりました。これも使用者側の意見が採用されていて、5年以上の有期雇用という形態を禁止してはいないし(契約時にあらかじめ申し込み権を放棄させるとかいう潜脱が使いたい)、無期転換ルールの説明義務なども盛り込まれなかった。民主党がバカだったということは簡単ですが、労政審による審議は時間がかかるものだし、民主党がやりたいように法案を整備できた期間はものすごく短かったことにも留意が必要だったと思います(例えば共謀罪なしのTOC 条約の批准や、死刑廃止の法制化などは平岡秀夫、江田五月法相の頃にやりたがっていたけど、結局諮問したままで、法案化まで持って行けなかった)。2011年からは東日本大震災の対応に追われ、ねじれ国会によって国会運営は難航し、特例公債法ですら野党に譲歩しなければ通らない状況になっていた2012年に、労働契約法は、社民、共産を除いた自民公みんなどの主要政党の賛成で改正されています。
冒頭に紹介した記事への反応を見ると、有期雇用の人は雇い止めされてもしょうがないんだ、というような諦観が見られ、それがちょっと残念に思いました。2012年の改正では、もう一つ、雇い止め法理が労働契約法第19条に書き込まれることになりました。これはパナソニックプラズマディスプレイ事件の最高裁判断をほぼそのまま法律に書き込んだものです。つまりたとえ有期雇用であっても、実質的な労働が、無期雇用職員と同様であるか、雇用の継続が合理的に期待される場合には、雇い止めをすることはできません。これは、従前は裁判規範であったものが、明文化されたことで、経営者が遵守しなければならない法規になったということは言えます、もちろん不十分ですが。
「これからは5年で労働者を入れ替える、これスタンダードになる。こういう事態を起こさない歯止めはどこにあるんですか。」
「今回は、雇い止め法理が法律に明記されるということになります。使用者が合理的理由のない雇い止めを回避する行動を取ることがこれによって促進されるほか、その趣旨を考慮した労使の話合いが促されると、これも十分期待されることであります。企業の実情に応じた無期転換の自主的ルールの整備が進むことも期待されます。
改正法が成立した際には、法律に明文化されたこの雇い止め法理の趣旨と内容について周知徹底を図っていきまして、現場の労使にしっかりとそこは浸透させていきたいと考えています。」
「これ、雇い止め法理って強制力はないわけですよね。それで、これもう既に起きているんです。株式会社シャノアール、これ、シャノアールやベローチェ等の喫茶店を全国展開している企業ですけれども、全国のチェーン店で約五千人の非正規雇用の労働者が働いています。このシャノアールは、今年3月、突然、社内通達で、有期雇用の労働者に対して契約期間3か月の更新は15回を上限とすると、入社契約時から通算で4年の勤務をもって満了という方針を全ての店舗に徹底しました。現在4年を超えて働いている方々は、全て来年3月で雇い止めにするという方針です。
7年以上働いてきたAさん、直接お話をお聞きしました。これまでは更新の上限はなかった、なぜ来年3月までなのかと管理職に問い合わせたと、そうすると、法律の改正に伴うものだと聞いていると、こういう説明をしているんです。Aさんは、お店の立ち上げから働いて、いいお店にしたいと意欲的に働いてきて店長代理にまでなっていると、自分は働き続ける意思だからこの不更新条項は認めないということでサインしていない、だけど、サインしなかったら仕事を失うかもしれないと泣く泣くサインをしている同僚を目の当たりにしているわけですね。
大臣、この労働契約法が変わるということで、既に五年を超えないように雇い止めをするという新しい動きが起こっています。法施行後5年の話じゃないんです。8年の話でもないんです。こういう企業の対応は看過するわけにはいかないと思いますが、いかがですか。
「これは裁判例の一般的な傾向を申し上げるわけですけれども、一旦労働者が雇用継続への合理的な期待を抱いていた場合に、使用者が更新年数あるいは更新回数の上限などを一方的に宣言したことによって労働者の雇用継続への合理的な期待が失われることにはならないということだと裁判例の傾向からは申し上げることができます。
また、あらかじめ設定された更新上限に達した場合でも、他の労働者の更新の状況など様々な事情を総合判断して雇い止めの可否が決せられるというのが、またこれ裁判例の傾向であるというふうに考えております。
ですので、不更新条項を入れさえすれば雇い止め法理の適用が排除されるといった誤解を招くことがないように、従来の判例法理が変更されるものではないということを解釈通達などを通じて周知徹底を図ってまいりたいと考えています。」
「現に新しい動きで、今まで不更新条項なんか入れていなかった企業がこうやってやっているんですよ。例えばこのシャノアール、労働者が労働局などに訴えていったら、これ指導できるんですか。どうですか。」
「個別のことでいろいろ御相談があれば、これは民事ルールでございますので我々の労働基準監督機関として指導するという性質のものではございませんが、総合労働相談コーナーなど、そういったことへの対応に当たって、労働局や労働基準監督署に窓口を設けておりますので、そういった相談があった場合には適切に対応していくことになると思います。」
「これ、労働基準法違反だったら労働基準監督署が捜査権を持って会社に入ることもできるんですよ、是正指導を強く行うことできるんですよ。だけど、非正規の労働者はそういう範疇にも入っていない。今回雇い止め法理を法制化したと言うけれども、これはどういうことかといったら、裁判で訴えたときに有利な条項が一つ法律の中にできましたよというだけのことなんですよ。」
田村智子議員の指摘は正しい。結局、このシャノアール事件は地裁で原告敗訴、高裁で原告有利の和解となったわけですが、2016年2月の話です。3年以上法廷で争える人がどれほどいるのか、という話なんですよね。この時の西村ちなみ副大臣の答弁にもある、解釈通達は24年8月10日付で出されていますが、その後の企業を対象とした調査で、認知度を調べたら、使用者も労働者も8割近くが正確なルールを把握していない、という結果になっていました。冒頭の記事への反応を見ても、雇い止めは、合理的な理由なしには、たとえ期間満了による結果でもできないとか、そういう基本的なところで労使ともに理解されていないし、そういう状況で、使用者に法律の趣旨に則った運用を促すだけでは、十分に労働者の権利が保護されないんですよね。当時の政府側答弁でも、不更新条項を無期転換回避のために行うことは、公序良俗に反して無効とは、答弁してるんですけど、それはあくまで答弁だし、本当に無期転換回避のためにやったのかは裁判で争わないといけないわけですよ。で、この法制化で、無期転換ルールをきっちり運用に乗せている企業も多くあるわけで、この規制が全く無駄だった、逆効果だったというのも違うのではないかなと思います。だからやっぱり入り口規制とか不更新条項の規制とか、そういう規制は必要だと思うし、そういう方向に議論を持っていかないといけないと考えます。
労働契約法は、定期的に見直しがされる付帯がありますので、おそらく今年か来年には再び労政審で議題にのぼってくると思います。現在の政府の動向を見ていると、どうも無期転換ルールをなくして、むしろ同一労働同一待遇の文脈で、解雇濫用法理の方をいじってきそうな気すらします。冒頭述べたように、労働政策基本部会には労働者側の意見は入りません。高プロを含んだ働き方改革関連法案は残念ながら、成立してしまう可能性が高いですが、派遣法とは違って、廃止した時に不利益を被る人がそれほど大きな人数になるとは思えず、十分に再改正できる段階にとどまっていると思います。政治を諦めてしまっては、好き放題にされてしまいますので、ぜひとも国会で議論されている内容に関心を持って、誰がどういうことを言っているのか、しっかりと見ていってほしいと切に願っています。
(仮に、冤罪や誤認によって加害されるケースもあるだろうが、それは別途「傷害」として罪に問えばよい。
しかし、女性専用車両は犯罪者でない男性をも差別、不利益を与える。
というより、犯罪者でない男性にのみ不利益を与えると言ってよい。
これを女性専用車両「程度」というのはあなたの物差しだが、私は断じて許容しないし、
さて、貴方は人を殺すかどうか?
というのをたまに考える
・これを所持する人は完全な殺人道具(後述)を用いて人を殺しても良い
・殺人したことで一切の非難や批判を絶対に受けることもなく、復讐されることも絶対にない
(ああ、あの人が殺したのならそれは仕方ないね、と
遺族も含めて完全に赦されて憎まれるとか一切無い、とかそういう)
・これは貴方のみに発行される
十分な見舞金が支払われ、彼らもまた一切の非難などは受けない
・完全な殺人道具は、貴方がそれの尖端を対象の人間に向けてその人を殺すと考えるだけで
・誤射は起きない
(外観上は眠ってるように見える感じ)
とかそういうやつ
それなりに殺す人もいると思うんだがどうだろうね
もちろん回数制限はないし、それを持ってることで恐れられることもないし、
タイミング良かったので乗らせてもらいます。個人クリニックで内診されてきた話。
怖いなら怖いって受付か診察で言っとけ。処女の知識では越えられない壁がある。
最初の細胞診はあまり痛くない。結果が思わしくなければ組織診(痛いめ)も追加される。らしい。
生理痛が年々重くなってきたけど、なかなか婦人科行かなかった。
理由としては
・持病で外出が辛い(他の用事を優先した)
・婦人科いこうかなというと親が止める
親が病院嫌いというのが地味にくせ者で、婦人科怖いでしょう?といらん気を回してくる。検診行かずに不利益を被るのは自分なので、断固として行く姿勢。近所の産婦人科口コミを教えてもらおうと思ったけど、親世代に聞いても仕方ないか、と最寄りでGO。
処女だけどタンポン派で膣に突っ込むの慣れてるし、生理中に風呂で膣洗うし、内診に抵抗は少ない。女医さんも選べたけど、私は理論的に説明される方がわかりやすいので院長狙いで時間調整。
ここでも母が女医さんを~と言い出したので時間の都合ということにした。
産婦人科、待ち時間、エグい。初診2時間待ち。ネットで予約できるところをお薦めする。後で聞いたら予約しておけば待ち時間スマホで見れるシステムがあった。待合室はお子様連れもいるのでそういうのが苦手なら外で時間つぶしてもいい。
「診察までトイレ行かないで、行くときは受付に言って」というのは診察の都合だろうか。よく分からん。
待合室は健康な妊婦ばっかりかと思いきや、制服の女子から車椅子の障害者(と思われる人)までいるので、高齢処女くらいで先生は驚かないよなと思った。
問診票のセックス経験なしに○して、エロ同人思い出しそうになるのをテレビとクリッカーアプリでやり過ごす。
検診自体は痛くもなく。内診初めてですって言ったらめちゃくちゃ気を使われた。「気分悪くないですか?」「なにかあったらすぐ言ってくださいね」「エコーはカーテンの向こうですけど、開けても大丈夫ですか?」「痛くないですか」
他にも一番小さい器具を探してくれたり「今から冷たいの触りますよ」と声かけてくれたりしたのだけど、私は『この格好エロ本みたいだな!!』という考えを追い出すのに必死で生返事。
私は痛みに過敏な性質があって、歯医者ではあまりに顔が痛そうなので途中から麻酔をかけられたレベルだけど、ここの細胞検査で痛みは感じなかった。処置内容にも寄るかと思うけど、赤子が出てくるところだから多少は大丈夫なんだろう。痛みに弱いけど性格は雑です。
あ、頭の後ろに結び目がくる髪型だと、仰向けになると痛かった。ここは歯医者と一緒。二つ結びか肩口でまとめとくと良いかと。
子宮内膜症、で手術の上手い病院に回されました……。卵巣が腫れてて治さないと妊娠の可能性が低くなると(35でそもそも妊娠しづらいだろうというのは触れられなかった)。ガン検査は陰性だけど、炎症に対抗して男性ホルモンが多め。
もしかしたらエステが一ミリも対抗できないぐらい毛深いのもこのせいじゃね?(個人の感想)
今回受けたのは細胞を擦って採る検査で、あまり痛くないらしい。スクリーニングなので患者側にも負担かけないようなものだそうな。
痛いのがかわいそうだから病院行かないという考えはやばいなと思いました。ガンだったら特に危ないし、PMSキツくて外出たくないというのは立派に症状です。
仕事柄、勉強の苦手な中学生を指導することが多いのですが、極一部に「惨憺たる」としか表現できない生徒が居ます。
具体的には
「秩序」が読めない。
「understand」の意味を知らない。
といった生徒です。
そのような生徒たちには、3つの共通点がある事が分かりました。
(全ての人間が学力を要する職に就く訳ではなく、現代社会にそのような職は必要不可欠である。)
といった事実を踏まえてもなお、進路を実現するためには学力を要します。
この事に類似した事実を、彼らは教えられていません。彼らは受験に際し、初めてこの事実に触れるのです。
②楽しめる活動がない。
部活動、学校行事、読書やイラスト、ドラマやアニメの視聴など、何か一つでも楽しいと思える活動があれば、それをストレスの発散や、人との交流に使うことが出来ます。
③基礎知力が足りない。
自習して学力が伸びるためには、最低限の考える力や知的好奇心が必要です。
それは、オセロやすごろくなどのボードゲームや、しりとりや駄洒落などの言葉遊びで培うことができる程度の物です。
それさえあれば、日常生活から語彙や知識を増やすことができます。
以上を満たした生徒は、急に勉強を強要され、分からないことを教えられ続け劣等感や反感を抱き、それを解消できない。
といった状況に陥ります。
①から③の共通点は、幼少期に親子で会話をしたり、音楽が好きそうであれば楽器を習わせたり、一緒に遊んだりする事で回避できるはずです。
最も劣悪な場合は、親がそれらの事をしておらず、子供の学力は学校や塾の責任と捉えている場合です。
その場合、親の勉強に対する態度により、子供が社会的にも精神的にも不利益を被ることになります。
これは最早「知的ネグレクト」と言う形で捉えるべきではないでしょうか。
もし息子さんが健常者なら普通にそこはガツンと叱るべきだったと思う。
社会に出たらもっと苦しい思いをするだろうし、そこで相手を叩きのめして「苦しい思いなんかしなくても大丈夫だよ」なんて言えるのはごく一部。
今回だってダルいと思いつつも課題をこなしたり面倒だと思っても授業時間外に質問しに行けば良かったのに我を通してるわけだから、そこで目をつぶってもらうには常人より良い結果を出す以外ないよね。
それができる天才ならいくらでも社会のルールなんか無視してもいいだろうけど、普通の人はそうはいかない。
それを失敗しても不利益を被らない内に教えたほうが良いと思う
世の中には発達障害で苦労している人が大勢いることは理解している。
服薬してどうにか社会にコミットしてどうにかこうにかやっているいるんだと思う。
大変な思いをしている人たちにネガティブな発言をするのは彼らがまた生き辛くなってしまうのではないかとも思うが、そのことを理解していてもやはり最近モヤモヤしてしまうことが多い。
最近発達障害だから何々ができない~という投稿をよく目にする。
・楽器
・絵
・人付き合い
・絵文字を使えない
・字が汚い
・グループワークができない
・上司をよいしょできない
等など
最近は免許は取れたけど自動車の教習所で教官に言われた道順を覚えられなかった等も聞いた。
それらができないからといって叩くのも良くない、無能でも発達障害でも叩いていいわけではない、それは理解している。
けど、日に日に本当にそれ発達障害か?という思いが募っていく。
自分ができない事、できない習慣や時間投資が膨大に必要な技能に対して発達障害でできないと言って救いを求めていないか?と感じる。
ADHDを名乗る人間に比べて、それほど名前が普及していないASDを名乗る人間の少なさも相まって、都合のいい免罪符を貼っているのではないか?と。
楽器の演奏や絵なんかは発達障害の特性によって大きく左右されるらしいのであまり強く言えないが、どちらも模倣などの訓練に莫大な時間の投資が必要な技能で、発達障害だからできないって言っていいのか?という気持ちがある。
発達障害だから時間の投資ができなかったり、どうしても楽器の演奏や絵を書きたい思いがあり、莫大な時間を投資しているが障害のために挫折した人にも申し訳ないが、そう思ってしまう。
自動車の教習所で、一つ間違えれば大惨事になる慣れない自動車の運転をしながら、適当に発せられる教官の道順の指示なんてちゃんと聞けた人間はどれくらいいるんだろうか?
みんな操作に集中しながら、教官に道順を聞き返したり、あたふたしながら進路変更の直前にもう一度進路を指示されてハンコをもらってきたんじゃないか?
それが発達障害の所為であるなら、みんな発達障害なんじゃないか?
日に日にそんな思いが大きくなっていった。
「自分をADHDと思い込んでいるただの低スペック人間」という言葉を聞いた時に、「最近ADHD名乗ってる奴は大体のやつはそうだよな」という救いに似た感情が湧いてきた。
最悪の感情だと思う。
低スペック人間だからと言って叩いていいわけじゃないし、発達障害を名乗る人たちが自分に迷惑をかけているわけでもないのに……、彼らを貶める言葉がとても心地よかった。
心のどこかに、発達障害を名乗る人たちが「できる人間がすごい技能」ができないことの言い訳に発達障害を使っているように思っていたんだと思うし、
普通の人間もできないことを「発達障害だからできない」と言っているのに対して怠慢に思えたり、
Twitterで #発達障害を車で例える 等のハッシュタグで見られるように、高性能なエンジンを積んでいるがハンドルが壊れているみたいな認識の人間を多く目にして、
彼らに何一つ迷惑をかけられていないのに、彼らの物言いが能力が有るのにできないと言っているような分不相応な自己認識に思えていた部分があって、それを表現してくれたように思えたんだと思う。
発達障害の知名度が上がるにつれて、名乗る人も増えるだろうし、うつ病が社会に広く認知された時のように叩く人も増えると思う。
私も叩きたい感情を抱いた一人なわけで……
発達障害にはいろいろなタイプが存在して、それぞれできることできないことが有ることを理解する事と、
発達障害の人や自称発達障害の人間が、発達障害だから何々ができない、つらい!と言い方が悪いが「発達障害芸」をしていても、自分の不利益になることはない事を理解して、共存できればいいと思う。
彼らが発達障害だからできないと言った事が普通の人もできない場合は、発達障害の人も普通の人もできる方法を考えたり、彼らが発達障害だからできない!と言ったことが自分もできなかった場合は、
ストレスを感じても自分も発達障害である可能性を考えたりして、生きやすい世の中を目指すしかないんだと思う。
いや、ほんとにすまんかった。
私は聖人じゃないから、本当に嫌いだなと思う人からは、何か正しいことを共に行おうと言われても、御免蒙ります。
そういう意味では自分の中にも、「線引きをしたいと思う心」はあるので、なるべく理不尽な理由のない差別はしないようにしようと努力は自分だけでもしようと思っています。あと、差別したくなってどうしようもない人に、それが正義だからやめろと言ったりはしないと思います。
リアルの友人や家族などの近しい人であれば、正義から説くのではなく、人をなにかのくくりで差別するのは、悪口陰口のたぐいと似たような、結果的に自分に不利益として帰ってくるケースの方が多いなとは感じるので、そういう方向で話をすることはあるかもしれませんが、今のところ実際に差別的なことを平気で言える人と長く付き合うはめになってはいないし、一人だけいわゆる九州男児系の女性蔑視をする人と友人になりましたが、うーん、と思っているうちに友人じゃない、単なる知ってる人、ぐらいになりました。
「今そこにある危機」以外の何物でもない。
そうですか。あなたがそう感じるのならそうなんでしょう。
先ほども書きましたが個人的に恨むのは止めません。
協力を強制されているのはその通りですね。いつもご協力いただきありがとうございます。
「女性の涙ながらの発言は信用できる」という社会習慣と刑法が分けられずに、冤罪を生んでる件か?
それと、「推定無罪」と「悪いのは犯人一人」は男性に対して適用されていないんじゃなくて、痴漢事件について適用されていない(ように見える)んだ。そこを間違えて無用な被害者意識を持ってどうする。
「今そこにある危機」以外の何物でもない。
刑法的に冤罪が罪として確定してしまったから間違えた女性も罪を負わねばならないと言うなら、それは悪いのは裁判官とか弁護士とか検事なんで。
社会習慣的に冤罪でも懲戒免職になったりするのは理不尽だ、と言う主張ならそれはその通りだと思うが、
それで犯人を間違えた被害者女性の法的な罰を求めるのは流石に無理筋。ただ、間違えられた人やあなたが個人的に恨むのは止めない。
無実の男性が罪を負わされている以上、間違えた女性が悪くないってのは無理筋。
ちなみに女性専用車両については「全ての男性に痴漢の罪による罰を与えるもの」と解釈してるらしいけど、個人的には「どうしても痴漢にあいたくない女性を助けるための暫定的な処置」という解釈。