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はてなキーワード: マイノリティとは

2021-11-03

anond:20211103110141

マイノリティマイノリティであるがゆえに、民主主義では意見が通りづらく弱者なわけで、

その弱者を助けたい人が結構いてマジョリティになるのなら、もはや彼らは弱者でなく強者である

逆に、今度は「弱者を助けたい」と言わなかった人たちがマイノリティ弱者になって、

弱者を助けたい人たち」はその新たな弱者を助けるためにマイノリティ側に投票するなら、

今度は元の弱者だった集団がまた弱者になって、永久ループですね。

民主主義をやってる限りこのループからは逃れられないですよ。

マイノリティ権利を!って

いうけど、そもそも民主主義矛盾してない?

少数派より大多数の意見を通しましょうねっていうのが民主主義でしょ

マイノリティ意見を通しましょう!っていうなら民主主義をやめなきゃいけないじゃん

2021-11-02

リベラルが負けた理由を教えてやる

リベラルが負けたのは、魅力がないからだ。

いつも「反省しろ」「反省しなくては」と他人にも自分にも反省を求めている奴らには魅力なんかない。

批判ばかりで中身がないからではない。マイノリティにばかり媚びを売ってるからでもない。

だって批判ばかりで、経済界に媚びを売っている。ネットメディア工作有権者洗脳されているからでもない。

有権者リベラル候補者自身に自信がないことを見抜いている。有権者候補者マニフェストを読み比べて優劣をつけられない。

読んでも正解がわからないと困惑するだけだ。故に投票率はいっこうに上がらない。

どうして左は大衆から人気がなく、老人が次々とyoutubeネトウヨ動画にハマるのかを考えろ。

左の主張が不快で、右の主張が魅力的だからだ。

youtubeリベラル向けと保守向け動画を見比べて気付いたことがある。前者を見ていてるとつまらなく気分が沈むが、後者を見ていると高揚感を感じる。

リベラル向けの動画をいくつか見ていると繰り返し出てくるキーワードがある。それは「反省」だ。

リベラル反省が大好きだ。ありとあらゆる場面で彼らは反省を求める。

他人批判するとき相手にまず反省を求め、自陣営の仲間に対して反省を求め、自分自身に対しても常日頃から反省すべきだと口にする。

対して保守排除は求めるのであって、反省を求めてはいない。自分が明らかに間違っていると発覚しても訂正しない。謝罪もしない。

間違いを犯した仲間を責めない。しかし間違いを認め、謝罪をしてしまった仲間は徹底的に叩く。

彼らのアイデンティティ反省を求めるリベラルを力強く否定することにある。視聴者あなたは偉大だ、もっと自信をもつべきだと主張する。

人がどちらに惹かれるかは明らかだ。反省自分にも他人にも求める人間に魅力があるはずがない。

今回の選挙の敗北で、リベラルはいつも通り反省することだろう。反省すればするほど人気は凋落してく。

リベラル反省するなとは言わない。だが、それを口にするのはやめろ。自信のない奴に誰が投票するものか。

おらが村の大物政治家に誰が投票してるのか問題

大物政治家落選

東京23区に住んでいる。私が住んでいる街はもともと左派が強い街だ。商店街駅前では、自民党の支持者が多いが、駅から離れるにつれ、住環境は悪くなっていき、低所得な独居高齢者ボロボロアパートに住むというような地域がポツポツ現れる。そういう街では、公明党共産党れいわなどのポスター左派諸派ポスターが増える。環七の向こうは別の街だ。普段、駅周りで生活していると気が付かないが、違う小学校区に足を運ぶと、この街本来左派の街なのだな、と思う。

ただ、その左派の一つ一つがかなりの存在感を放っていることもあり、逆にひとつになるということは難しかった。というより、そもそも保守派マイノリティ地域であるから二元的対立に持ち込まれると基礎票で完全に負けるのだ。いままでは左派分散していたため、基礎票割れていた。その結果、現職の大物議員開票、即当選での勝利を繰り返していたのだ。それが今回小選挙区ではじめての敗北を味わった。

では今回、大物議員が票を減らしているかといえばそんなことはない。前回より多くの得票をしている。陣営もしっかりと基礎票の積み重ねは行ってきた。勝って傲慢になるのではなく、しっかりと対策はしてきていたのだ。しかし、地元では「明確なメッセージを持たない」と思われているその政治家は、ある一定以上のリテラシーを持つ層、街に永住すると決めていない層には刺さらない。彼は政策型の政治家ではなく、陳情窓口型の政治家だと地元では思われている。おらたちの村を発展させてくれる政治家、つまり区議都議大将という位置付けなのである大学で学ぶ政治学政策ほとんど関係ない。それより公園をつくったり、スケートボード禁止するほうが大事なのだ

基礎票の積み重ねで勝てたのだろうか

今回、彼が勝つためには、左派の自滅、浮動票の獲得しかなかった。基礎票は年単位で構築するものであるから選挙が始まってからここを増大させるのは難しい。今までは左派の自滅で勝てていたのだが、今回は左派一枚岩になっていた。そうなると、浮動票の獲得しかなかったが、自民党という追い風は、自らのコロナ優先入院騒動相殺された。小選挙区は、個人投票するものであるから党派に賛成していても、その個人への不信感があれば追い風は無風になる。選挙が始まってしまえば、打てる手は実は、ほぼない。選挙前に仕込みをし、あとは選挙前に加速度をつけて、最高速度更新続けるのが選挙だ。選挙期間の前に、選挙ほとんど終わっている。今回は、左派作戦勝ちだった。

左派基礎票は、そのイデオロギー性にある。社会的正義や不平等不公平感などから生ずる怒りがイデオロギーとなり基礎票形成する。では、右派、とくに彼の場合基礎票の正体とはなんであろうか。一体誰が投票しているのであろうか。これは地元にいないとなかなか見えてこない。彼に投票しているのは、利害関係のある業界団体宗教法人地域のおじいちゃん、おばあちゃんコミュニティーである。おじいちゃん、おばあちゃんについて、もう少し詳しく話すと、区議後援会の面々である。この区議後援会の面々をうまく組織しているのが、彼の事務所であった。

例えば都議選のときなどは、区議都議候補のところへボランティアにいく、事務所を貸す。国会議員である彼も応援演説にいく。彼のコネで大物政治家を投入する。逆に区議選では都議国会議員サポートに回る。そのような互助会が、後援会の正体だ。国会議員後援会は、都議後援会であり、都議後援会区議後援会でもあるのだ。区議対処できない陳情都議に持っていき、都議解決できない陳情国会議員に投げる。逆に選挙ときは、手伝ってもらう。なぜなら、その後援会の中で一番結束が固いのが、地元の名士をトップとした地域コミュニティーである区議であるからだ。区議後援会は最強である。そこには政策はいらなく、区議の人望があればいい。その家の看板があればいい。それを旗印に、みんなで戦うというレジャー人生スパイスが、おじいちゃん、おばあちゃんたちにとっての選挙なのだ。そして勝てば、みんなでお祭り騒ぎをする、それが楽しいのだ。普通の人がテレビでみるイベントに参加できるという老後の楽しみ選挙という面もあるのだ。シルバー民主主義とかあんまり考えていない。多くの人は楽しいから政治活動に参加している。

後援会には党派性やイデオロギーはいらない

私も街頭演説を見てびっくりしたが、彼は抜群に演説うまい。それは政策を語る、というものではなく、人心掌握という点である。彼の陣営は、おじいちゃん、おばあちゃんのそういう気持ちを熟知していて、街頭演説などでは、後援会会長の奥様などを見つけて声をかける。国会議員本人が演説中に演説を中断し、「あ!◯◯さん、お久しぶりですね!お元気でしたか?」と高いところから声をかけたりするので、声をかけられた本人はもちろんうれしい。だから、友人たちをたくさん動員し、演説では人一倍拍手をし、がんばって、と声援をかける。そんな友人たちの前で声をかけられれば、「いつも誘ってくる人」から有名人の知り合い」にランクアップである。そんな区議後援会のお礼に、彼やその秘書たちは担当を決めて、その地区お祭りや、野球チームや、寄り合いなどに普段着で遊びにいくのだ。そして、後援会の人にみつかり、なにか一言、というような展開によくなっている。打算的といわれようが、なんだろうが、そこまでするのか、と私はびっくりした。また、私の母も、彼の主催するバスツアーに呼ばれて、旅行に行っていた。高くもなく、安くもなく、普通バスツアーだったが、帰ってきた母は嬉しそうに話してくれた。

ご飯とき、本人が横に座ってくれ「困ってることないですか」と聞かれた、だけど、政治のことはわからないので、「近くの側溝から蚊がわいて困ってる」というどうでもいい話をしてしまった、はずかしいと帰ってきた母は嬉しそうに話していた。そして、後日、後援会(というか、なかよし会)のみんなで写った集合写真が届き、そして側溝掃除された。後援会ごとに写真を取っているんだと思う。それを経験した母はあんなすごい人が私の話を聞いてくれた、となり、そのままファンになっていった。総理大臣を目指すといえば、ときめくのは実はおばあちゃんなのである。おらが村の政治家総理大臣にするべ!となる。政治家は、バスツアー街頭演説選挙後援会活動などの老後のたのしみとやりがい提供してくれるエンターテイナーなのである

難しい話も出来る政治家になってほしい。

新聞ではブランド崩壊など書かれているが、住んでいる人間しかも、生まれ育った人間からすると実態を捉えていない。地場の人たちは、とても近くに彼を感じている。政策を語らせるとちょっと頼りないけど、困ってるとき相談するとなんとかしてくれる大将であり、自分の老後人生にハリを与えてくれる人なのだ。彼は自分身の回りの話しの解説生活密着といった地上戦の話には強いが、空中戦、つまり憲法経済ジェンダーなどの話で深く語ることができない。次回の挑戦までに、秘書たちはもう一度地盤を固め、彼自身は今回取りこぼした浮動票にささる空中戦を体系的に学ぶ必要があると思う。後援会は、高齢化が進んでいる。おじいちゃんおばあちゃん達のアイドルもいまや、還暦を過ぎていて、ここからファンクラブを拡大するのは難しい。そして経年減少を迎えている。だから選挙に勝つためには、浮動票を取るしかない。リテラシーのある層を取りに行くしかない。それが出来ないと、構造的に負け続ける構造になってしまう。空中戦も戦える候補にならないと、次がない。マーケティングを施したキャッチフレーズは刺さらない。

軍団解散した。今度はあなた軍団大将だ。赤いポロシャツ軍団を率い、今度は高いところから理念を語る姿を見たいと思っている。

中卒底辺人間だがリベラルのやっていることが自慰行為に見える

立憲と共産党議席を減らしたのでなんでなのかリベラル対象としている元貧困当事者なりに書いてみる。

発達障害からいじめ引きこもり、両親が離婚して金がなく働く必要があったので夜間の通信制学校に通いつつも親の介護バイト学業の両立ができなくて泣く泣く中退。その後いろいろあったけど働いている。

SDGsとか多様性統一とかフェミニズムとかLGBTQの解放とか言っていることは正しい。正しいんだけど当時一番あって嬉しかったのはそんな正しさじゃなくてお金だった。

夜間制の学校に通っていた時も金がないから働きつつ学業も続けていると言う人が大多数だった。もちろんどうしようもないやつもいたけど。泣く泣くバイトを優先して学業を辞めた人間意見だ。

そんな中、今回の選挙を通して元当事者としては思ったのはリベラルは本当に欲しいものをみないで多様性とかフェミニズムとかマイノリティ人権とか内輪でキャッキャと自慰行為をしているようにしか見えなかった。

もちろんそれらも大事なんだけど、人間生活していくにはお金必要人権とか多様性とかはその後についてくるものなんじゃないの?

リベラルが救うはずの本当の弱者である貧困層はコロナで苦しんでいるのに、金持ちエリート層が自分は金があるから経済政策は重視せずに、モリカケ桜とかで悪の自民党を成敗している俺・私カッコいいと悦に浸っているように見えた。正直モリカケ桜とかほとんどの人はどうでもいいと思っているよ。政権取ったら経済政策を行わずに前与党を叩いて悦に浸ります宣言したのを見てドン引きしたのを覚えている。

https://twitter.com/renho_sha/status/1435367525668118529?s=20

やっていることはご立派なんだけど裸の王様というのが議席を減らしたんだと思ってる。もう一度言うけどやっていることはご立派なので続けて欲しいんだけど、その前に経済政策を重視してほしい。

anond:20211101150842

全然わかってないよ君は。あるいはわかっててごまかしているのかな。

維新が支持を集めるのはただ一つ、パワハラ楽しいからだ。

例えば、維新関連の不祥事を思い出してみればパワハラ要素が絡まないのを探す方が難しいが、支持者は一切そのことを問題にしない。支持者は維新のやるパワハラに寛容か、むしろもっとやれと考えているからだ。

公務員に、マイノリティに、生意気高校生に、維新の連中がパワハラをした時、維新の支持者は拍手喝采したではないか

自分達の支持する人らが、気に食わない連中にパワハラをする、その構図を維新の支持者は楽しんでいるのだろう?素直に認めたらどうだ。指導者閣下に逆らい「人権」とか生意気な主張をする連中が憎くてたまらない、と。

トランプナチスも、こうやって支持を固めていったのだろうなということがよくわかる。こういうのを公然と支持できる人らが多数を占める地域では働きたくないな。

anond:20211102020044

人口ピラミッドを考えたら同然の結果なんだよなぁ。今後、若さっていうのはマイノリティ扱いにかるの。そんで老い正義が追求されていく。現状があるのは誰のおかげだ?そう先人が頑張ったから、おれたちが頑張ったからだ、ってね。変化を求めるなんてとんでもない。自分たちの有利を脅かす必要はない。若さから吸い上げ、補填しなくては。

anond:20211101220319

セクシャリティ的にマイノリティなので思想マイノリティーに寄りがちなので選挙で通って欲しい人が当選したこと殆どないよ。

いつも戦ってる。疲れるけど先人たちがそうし続けてくれたから得られている権利もあるし。

anond:20211101192844

面白かった。

自分特に支持党があるわけでもないんだけど、そういう人はおそらく今さら自民支持派にはならないはずなので、そういった人々をどうやって支持者として取り込んでいくのかが野党としてやるべきこと→与党を目指すことなんだと思うんだけど、「自民批判」と「マイノリティ重視」を中心におかれると効果はないんだよね。

anond:20211101192844

マイノリティの味方をしているとマジョリティにはなれないというのはまさにその通り

マイノリティを拾いに行く戦略だったんだろうけどマイノリティの味方をしてたらマジョリティから嫌われるに決まってるじゃん

選択肢を与えられる場面では得られる情報をできる限り把握し、自分なりに納得してからでないと実行できない。世界世間への信頼が足りないんだと思う。

陰謀論者と一緒くたのマイノリティになってしまって悲しい。

2021-11-01

選挙結果を見たやつが「マイノリティがまた無視される」とか言ってるけど当たり前だろ

勝てるなら最初からマジョリティなんだわ

anond:20211101220319

・これはつまり政治家不正をすることは大多数の国民にとってどうでもいいことだということを何故か今さら思い知った

元増田みたいな事言う人を結構見かけるけど、(共産は論外として)立民の不正に関してはどんな風に処理してるんだろ。

ちょっと待って、じゃあ今まで自分野党応援していたのは政治的不正義の追及をやってくれるのが野党だけだったからだが、そんな考えをするやつはマイノリティなのだと…?

匿名ネットでは些末な事柄無関係もしくはさほど関係のない事柄を極度に結び付けて揶揄する行為一種の「いじり」の文化としてあるわけだが、それを真に受けてる人を俺は増田で初めて見たかもしれん。

anond:20211101230303

ネオリベラリズムって言ってわかるか?

民主党政権なんか経済新自由主義だったぞ。

リベラルだの保守だの言ってるやつが両方経済政策無視新自由主義になってたんだよ。

そこでやっと経済政策こそが主な対立軸になってくれたんだよ。

しょうもない海外との揉め事や見たこともないマイノリティーの方ばっかりみて経済政策ガン無視時代に戻さないでくれ。

anond:20211101150752

メゾピアノポンポネットにつられて来た同じく20代後半女性です。因みに私はリラックマにゃんこ村のグッズをたくさん持っていました。今見てもかわいいですよね。

元増田さんと違って、私は自民党ではなくとある野党投票しました。

元増田さんの記事を読んで感じたのは、ほぼ同じ時期に生まれ、ほぼ同じ期間を過ごしている私と元増田さんの一番の違いは多分、現状の日本に満足しているか否かなのかな、ということです。

私はとある部分でマイノリティです。そのせいで学校生活就活で苦労しています。今も安定した職には就いていないですし元増田さんのように結婚もしていないです。(結婚していないからといって元増田さんを恨んだり妬んだりはしないです。あくま自分立場説明しただけです。あしからず…。)

そんな私にとって野党が掲げるLGBTQ+関連とかジェンダー平等などのマイノリティ向けの政策を見ると「私に寄り添ってくれている!」と感じてしまう訳です。

そして自民党にはマイノリティに寄り添ってくれるイメージは持っていないです。先の自民党総裁選では野田聖子さんがそれらしい主張をしてくれていたと思います。でも「同性愛者には生産性が無い」とか「夫婦別姓日本の伝統的な家族像を壊す」とか言っちゃう人がメンバーにいる自民党は、個人的には信用できないですね。結局野田さんは総裁になれませんでしたし。

元増田さんの「与党批判ばかりする野党が怖い」という印象にもなるほど、と思いました。実際に国会でも、それ以外の場所でも、大声を出して相手を責め立てている人は怖く見えるものだと思います

元増田さんももしかしたらそうかもしれないと思って書くのですが、平成初期に生まれた我々世代は上の世代に比べて「感情をあらわにして怒る人」への耐性が低いと思います。私の小中学校先生方で手を上げる人なんて皆無でした。叱る時に大きな声を出されるのも比較的年齢層が上の先生が多かったような気もします。

加えて、テレビでは野党議員が何かを強く主張して、それに政府側の議員が穏やかに応える様子しか映していないですよね。野党が何を問題にして糾弾していたのか(例えば桜を見る会問題ならば国庫お金公職選挙法違反まがいのことをやっていたとか)を詳しく伝えるメディアってそんなに無かったのかもしれません。それでは野党議員がただ怒っている人にしか見えません。

では私が野党モリカケ桜を見る会問題与党糾弾しているのを見てどう感じていたかというと、「もっとやっちゃえー!」と心の中で応援してました。自民党への悪印象がこの感情最初に来ていることは否めないです。でも私が生まれる前には似たような不正(開拓使官有物払い下げ事件ロッキード事件など)で逮捕された人たちが過去に居ますし、野党は正当な批判をしていたと私は今でも考えています。私が物心ついた後には漢字誤読したみたいなもっと些細な理由で辞めた総理大臣が居ましたし、その内モリカケ桜に深く関わった安倍さん不正を償う形で辞めるんだろうと思っていました。

ところがどっこい安倍さん逮捕されるどころか体調不良理由にして総理大臣を辞めちゃいました。体調不良は仕方ないですし「お大事に」と思うのですけど、当時の私は違和感を覚えました。

この出来事に対し、私のように自民党に対して元から悪印象を持っている人は「やったことの責任は取ってくれよ!ちょっと待てー!」と思うのでしょう。それに対して元増田さんのように自民党に対して特に悪印象が無い人は「安倍さん逮捕引責辞任もしなかったのだからしたこと/悪いことはしていなかったんだ。野党は不当に与党を問い詰めていたのだな。」と感じるのかもしれません。

長くなりましたが言いたいことは、ほぼ同じ時期に生まれてほぼ同じようにメディアやその時の流行に触れていたであろう元増田さんと私の政治観が違うのは興味深いなぁ、ということです。

政治観が違うからといって私は元増田さんとケンカしたり元増田さんを非難しようとは考えていないです。意見の違いは必ずしも敵対に繋がらないと私は考えています

まとまらなくなって来たな。どうしようかな。

とにもかくにも、元増田さんには次の選挙でも参政権行使して欲しいです。私も行使します。

それによってお互いにとってより良い社会が作られると良いですね。綺麗事かもしれませんが。

anond:20211101143852

マイノリティは基本不人気だからこそマイノリティなのであって多様性とか言ってあらゆる種類のマイノリティに肩入れする施策を取ったら党自体が不人気になるのも必然よな

anond:20211101150752

自分自公政権でいいよね派なんだけど

自公政権議席を多く渡しすぎても良いことない、ギリギリ政権運営できる程度が一番いい政治やるんじゃないかという派閥

情勢予想では自公過半数確実だったので渋々で立憲に投票した

そりゃ立憲に政権渡していいイメージなんて一切ない

とはいえ政権支持不支持の二択じゃなく議席数調整の観点投票すべきだと思うわけ

こんな考えは超マイノリティなんだろうけどさ

立憲民主党候補選挙ボランティアをして感じたこ追記あり

今回の衆院選東京とある選挙区立憲民主党候補ボランティア支援をした。

仕事ポスター張りや、ビラ配り、投票呼びかけ。

数年に一回ただの紙っ切れに人の名前書くだけで国が変わるわけねーだろ、と最近思ったので少しでも政治に参加しようと思って立憲のホームページからボランティア登録して参加した。

そこで思ったことがいくつかある。

立憲民主党自民党存在無しに成り立たない

立憲の候補者は、基本的に「みなさん、自民党の○○がこう発言したことを知っていますか?」「安倍元総理が~と言いました。皆さん、これでいいんでしょうか」など、

特に聴衆に向かって言いたいことが思いつかなかった時に、英語のWell...やYou know..., のごとく「自民党は~」がつなぎ言葉にしてしまっている。

自民党、と最初に言うことでそこからすらすら連鎖反応的に言葉がつながっていって演説っぽい文章が口からでてくる、そんな印象を持った。

立憲民主党候補自体は、それぞれ個人個人色んなモチベーションがあって選挙立候補しているわけだから、おそらく何も考えてないということはないと思う。

だけど、それにしても演説の度に「自民党」という言葉を使わないと演説にならない今の現状は明らかにおかしい。

これじゃまるで自民党がいなかったら自分達に存在意義が無いとでも言えるような状態だ。

もちろん、LGBTワーキングプア問題格差問題など、自身特に興味を持っている分野について訴えかけをしたいという本心はあるのだろう。

だけど、そういう個別問題駅前で訴えても、その問題当事者以外は関心がないわけだからどうしても共通の関心ごとをテーマ演説を組み立てないと話を聞いてもらえない事情もあるのだろう。

それは理解できる。

それでも、「自民党」という言葉を使わなければ演説が成り立たない今の立憲民主党の現状は若干残念に思う。

維新を参考にしろ、とまでは言わないが、せめて国民の極一部ではなく大多数がこれは変えないといけない、と感じていることを掬い取って演説としてまとめられないものだろうか。


現状の立憲民主党は、「我々はマイノリティの言うことは聞くが、メジャー問題に関しては自民党に言って」、という態度

LGBTや、自民党政治では声を聞いてもらえないマイノリティ意見私たちは聞きます!と演説でもよく言っているが、これはよくよく考えてみると、経済外交防衛等のメジャー問題については自民党に言ってくれ、私たちはそういう問題ではないもっとマイノリティの少数派が抱える問題に対する意見を優先して聞く、ということだ。

立憲候補の辻立ち演説にも数回参加して話を聞いていたが、こうした印象はさらに補強された。

この態度が彼らの本心であるならば、むしろ今回の衆院選立憲民主党は実は議席を余分に取りすぎているということになる。彼らは今回おおよそ衆議院議席の1/5を獲得した。

だが、彼らが相手にしているLGBT特殊事情を持つマイノリティの数を考えたら、本来の適正議席数は衆議院議席の1/10に満たないのではないか

国民10%に満たないマイノリティの声を聞く政党、彼ら少数派の意見国会に届ける政党が彼らの本分であるならば、彼らは自民党ライバル、最大野党になれるはずがない。

そういう意味で言えば、2大政党制を目指すのであれば自民党vs立憲民主党という構図にはなりえないと思う。マジョリティ政党vsマイノリティ政党などという構図が生まれる訳が無いからだ。

それでも1/5の議席を獲得したということは、それはつまり彼らが相手にしていない層からの票を自民党批判によって得たということだ。

マイノリティを重視する政党なのに、議席ではマジョリティを目指す。これはやはり構造的に矛盾している。

マイノリティ重視政党議席マジョリティを取りたいがために、自民党批判を繰り返すことによって、彼らが自身の党のターゲットとしていない層からの票をかさ増ししている、そう言われても仕方がないのではないか

自民党候補立憲民主党の違い

上にはつらつらと立憲民主党への批判を書きはしたが、立憲候補選挙ボランティアを初めてやってみて、支援した候補には愛着というか、応援する気持ちは生まれた。

選挙ボランティアに参加するのも初めてだったし、最初普段生活では目にしないような濃い人たちがたくさんいて面白いかも、という好奇心動機だったが、そういう意味では参加して良かったと思っている。

彼らの良いところを上げると、やはり他人に優しい人が多い点があげられる。自民党候補演説比較すると、自民党候補場合演説内容が若干攻撃的で危機感煽り、いわゆる扇動するような印象が強かった。

そういう演説は傍から見ると心強くもあり、決意や覚悟を伺わせるものがある。こうしたことから基本的には自民党候補エグゼクティブ取締役クラスというイメージが強まる。

実際、立憲民主党候補自民党候補の印象を眺めると、自民党候補場合会社員をやっていても役員クラス以上までのし上がりそうな我の強いタイプが多く、立憲民主党候補組合員クラスというか、取締役はいなさそうな人が多い、という印象になる。自民党候補エグゼクティブ感は、正直言って洗練されていると感じた。やはり一定規模の組織組織構造の上部にいるような人間はある程度のカリスマ性というか何等かのテクニックを持っているような印象だ。エグゼクティブ感のある強者サポートしているジブン、取締役クラスの大物の子であるオレ、というポジションは多くの小市民にとっては心地の良いものであるに違いない。

それとは異なり、立憲民主党候補は、言葉自体は強い言葉を使って批判したりすることは多いが、やはり「優しい」雰囲気がある。しかし、この雰囲気自体は私は非常に好きだと感じたし、こういう優しい人達マジョリティである世界で生きていきたいと思う自分に気づいた。「取締役クラスの大物の子であるオレ」というポジションとは異なり、他人に優しい、いわゆる弱い奴と舐められがちな候補支援するジブンというのは人によっては受け入れられないだろうな、とも強く感じる。

学校生活で例えると、学年を牛耳っている大物がいるグループに入りたいか、そういう大物を批判して抵抗を続ける小グループに入って生活をしたいか、どちらを選ぶか、といった問題共通すると思う。

その結果、後者グループに入っても良いと考える国民の概数は1/5だったと考えると、なんとなくこの例えも的を遠く外しているわけではなさそうだとも感じる。


それでは立憲民主党はどうすれば良いのか

対案という言葉流行しているので、建設的な意見も残しておきたい。

国民の声を聞くための討論会意見交換会を4半期毎に行う。YouTube Liveでもいいし、どこかのセミナーホールを予約するのでもいい。

とにかく立憲民主党議員国民との接点をマスコミ以外の場で作ることが必要だ。現状大多数の一般国民にとって、国会議員というのはテレビしか見ない存在だ。

だが選挙ボランティアに参加してみて思ったのは、国会議員普通人間、そこらへんの日本人99.999%以上同じDNAを持った同種族のおじさんおばさんだということだ。

選挙演説では一方方向で候補者が自分の決意を流すだけだが、もし自分達の発言が直接議員に届く場があるならば、国民選挙政治に関する意識も私みたいに大きく変わる可能性が高い。

もちろん、そういう生の意見フィルタリング無しに直接ぶつける機会を作るというのは、あらゆる意味で高いコストがかかるものだということは承知している。

想定外質問にあたふたすることだってあるだろうし、個人的な怒りを個人情報織り交ぜてぶつけだすヤバい奴に絡まれ可能だってある。

そうだとしても、タジタジになった姿を仮に見せることになったとしても、それでもそういう場を設けるべきだ。想定外質問なんだから、痛いところを突かれることだってある。そうだとして、答えに窮するようなことになったとしても、

我々国民国会議員という人間が遠い世界アイドルではなく、我々と同じように高校大学に通って同じ空気を吸って物事考えてきた人間だと実感することはできる。

そして、これは自民党議員にはできないことだと思う。

彼らのエグゼクティブイメージは、その偶像崇拝的なイメージ戦略によって支えられていることが多い。想定外質問に窮する姿を支持者に絶対に見せられない大きな制約を抱えていると言ってもいい。

幸か不幸か、自民党議員比較すると立憲民主党議員には偶像崇拝的な「強い個人」というイメージが無い。これは長所と捉えて最大限活用すべきだ。

国会議員以外の党員組織化を真剣検討するべき

選挙ボランティアに参加してみて強く感じたのは、我々ボランティア立憲民主党議員達の目には名前も顔も知らないよく知らないおっさんおばさんとしてしか認識されていないんだな、ということだ。

ボランティアでビラを配ったりするのに使った時間は1日1~2時間程度だったが、いくら愛想よくビラを配ったり声掛けをしたりしても、通行人から悪態をつかれたり嫌な絡み方をされても基本は放置だった。

まり良い仕事をしたら評価するという姿勢も無ければ、不慣れな仕事に対して指導サポートをするといった体制が無い。

せっかくボランティアとして選挙のお手伝いをしに行ったのだが、正直これは何とかしてほしい。議員さんたちは議員さん達で話しかけられたり声を出したりするという自分仕事があるのでそちらにある程度集中するのは

しょうがない。だけど議員リーダーになるべき人物であるわけで、選挙ボランティアを集めておいて何の説明も無しにビラや立憲民主党ジャンパーを渡して、あとはいい感じによろしく、ではあまりにも仕事ができなさすぎる。まともな継続性のある組織であれば、新人がチームに入ってきたとき気持ちよく動いてもらえるよう丹念に説明をしてから仕事をしてもらうのが普通だ。この説明が無いと、新人てんでんばらばら仕事理解のまま、組織活動としてやっているのに個人責任活動することになってしまい、まともな組織にならない。

加えて気になったのは、ボランティアの数名が議員名刺を渡していたことだ。つまりしかしたら議員側の人達ボランティアというのはボランティアコネ作りのために下心をもってやってきているのであって、議員に気をかけて欲しかったら自分達が議員になるためにしてきたように秘書として仕事をしたり無償ボランティア名刺渡して顔を売って仲間に入れてもらえるようにそっちで努力しろ、と暗に思っているのかもしれないと感じた。

彼ら議員無償時間労働力提供しに来た選挙ボランティアに対して積極的感謝の意を示すことはなかったし(※訂正あり。文末参照)、次回のボランティアもお手伝いお願いします!と言うことすらなかった。

特に選挙最終日の日の最後の練り歩きで、次回のボランティアについても協力をお願いするのでもなく、なあなあで自然解散して締めの挨拶すら無かった点は、政党活動市民ボランティアから拡大していこうと日頃から口にしている態度とは大きく矛盾していると感じる。

これに関しては悪意があるというわけではなく、自分のことで精一杯でボランティアや他の重要でないスタッフに気をかける余裕が無かったのだと思う。しかしそれはそれで政党という一組織を作り上げる能力に少し欠けていると評価せざるをえない。せっかく支援しに来てくれている10人程度のボランティアすらまともに組織化できない国会議員が、どうやって政府与党になって何十万人もの官僚が属する組織を作り変えることができるんだ。

現在立憲民主党は、サポートを言明している有権者の1/10にも満たないマイノリティ層+自民批判浮動票という形で議席を獲得している。

立憲民主党明日からでもやらなければいけないことは、この浮動票順次立憲民主党の固定票へと変換していくことだ。そのためには、前者の特定マイノリティ層との対話だけを繰り返すのではなく、浮動票立憲民主党投票してくれたマス層に対して、党員になってもらうよう日頃から呼びかける活動もっと積極的に行わなければならない。

そのためには外交経済国防についてのメジャー政策についてだって国民一人一人と意見交換しなければならないが、立憲民主党がもしまだ少しでも与党として日本を率いていきたいと願う気持ちがあるのであれば、ぜひそうしてほしい。もし立憲民主党議員特定の少数団体意見のみを重視しマス層の国民意見を軽視するというのであれば、それは自民党陳情した方がよっぽど自分達の意見が国政に反映されることになるので、俺は支持することはできない。


最後愚痴を言わせてくれ

ビラ配り、練り歩き時に通行人おっさんから「お前、立憲民主党の奴なのか?だったらもっと大きい声出してちゃんとやんなきゃダメじゃない。こんなんだから民主党ダメなんだ」と言われたことが強く記憶に残っている。

いや、俺は別に立憲民主党党員でも支持者でもない通りすがりのただのボランティアなんだわ。お前はただ街に出て候補者にしょーもねーヤジ飛ばし投票するだけで終わりなんだろ?こっちは投票程度じゃ大して意味ねーと思ってるからこうやって政治活動あくまで無報酬ボランティアで手伝いしにきてるんだわ。なんで自分では政治活動全然しない奴が無給ボランティア政治参加してる俺らに高圧的に出るわけ?

民主党ちゃんとやれよ」じゃねーんだわ。そう思うんならお前もなんか手伝えや。なんか、俺は税金払ってるお客様、お前らは俺らの税金で飯食ってる株式会社立憲民主党社員、って勘違いして図に乗ってるオッサンに腹が立ってしょうがない。

お前は、アホか。

この件に関してもっと長文で思いの丈を吐き出してスッキリしたいのだが、本当に長くなりそうなのでここらへんでやめておく。

追記
訂正・謝罪

「彼ら議員無償時間労働力提供しに来た選挙ボランティアに対して積極的感謝の意を示すことはなかったし」

この部分だが、これは「ボランティアに来てやってるんだからもっとありがたく思ってほしい」という私の主観エゴが少なからず含まれている。

この部分に関して、立憲候補者側の落ち度のように書いてしまった点は訂正するとともに謝罪したい。

選挙当日の焦燥感最後の一押しといった高揚感の中で最優先で気を配る相手は聴衆・通行人であって、ボランティアを最優先で丁重に扱うべきという主張は後から考えると書きすぎだった。

また候補者側のスタッフから感謝の意は受け取っており、「感謝がない」というのは誇張でした。大変申し訳ございません。

色々な方のコメントを読んで思ったこ

どこか別の機会にまとめようと思うが、政党政治である日本国会選択すべき政党というのは、イデオロギーではなく「システムの優秀さ」なのではないかと考えつつある。

システムとは、国民自分意見を国政に反映するための組織体制、仕組みだ。そういう意味では、日本から批判さらされた自民党の二階元幹事長の構築した「陳情」という仕組みは

日本の国政史上かなり高いレベル有権者(一部の、だが)の利益を実現する仕組みだったかもしれないと感じつつある。(具体的な検証はしていないので、誤りかもしれない)

考え始めると長くなりそうなので、これ以上は別の場所検討することにする。

anond:20211101170726

「ある文化の何かを、別の文化に属する人が自分のものにする事」が広義の意味で、その中で狭義的な意味の「支配力を持つ人間が、同意を得ずにマイノリティ文化重要文脈を奪う事」だぞ。

韓国政府およびそれに属する期間」が「日本人歴史的な、市民文化を奪う事」の何が違うのか言ってみなよ。

2021-10-31

anond:20211031042622

ラニチェイサーとか「おこげ」とか、その手の人って大抵当事者からまれてるのに、なんで「shipper」の人達は嫌われてないと思ってんだろうね。

まあクィア的には、トラニチェイサーとか「shipper」というのもそれ自体尊重すべきセクシュアリティであって、その意味LGBTとも共闘できるとは言えるけれども。まず自分たち人権のために他の人マイノリティを盾にすることをやめないとなぁとは思うよ。

アセクシュアルだけどさ、例えば同性パートナーシップ制度とかそれ自体賛同するんだけど、あれの理念のところにとってつけたように「アセクシュアル人権配慮し~~」とか書いてあると普通にムカつくよな。パートナーシップのどこにアセクシュアル関係あるんだよっていう。

2021-10-30

anond:20211028202215

ええと、まずべつに性同一性(性自認)と性的指向けが性的マイノリティ基準になるわけじゃないよ。LGBTはそれらに関するマイノリティですよってだけ。Tは広義には性別表現に関するマイノリティも含まれたりするが。

異性愛/同性愛というのは、自身の性同一性に対して好きになる性別(性的指向)が異性か同性かという話で、この「好きになる性別」というのはべつに身体性別限定されてはいない。

実際のところ相手身体性別重要である者は多いだろうが、しかし性同一性性別表現性別重要である者も少なくないし、身体性別に関わらず性同一性性別表現性別で好きになる者もいたりする。まあ色んな人がいるのでざっくりと「好きになる“性別”」とだけしておくのが包括的だろう。

いや、トランスジェンダー同性愛コミュニティから排除したいが為に自身相手の性同一性性別表現関係なく身体性別定義したがる者もいるけどね。カテゴライズは多様な性に対して後から便宜的に行われるものであり、絶対的定義があるわけではないけれども。

相手トランスジェンダーである場合に限らず、相手にとって不本意であろうとも、相手の性同一性と異なる“性別”を感じ取って、相手を好きになったり好きになることができなかったりすることはまあある。それは仕方ないことだし、感じ取って好みを刺激している“性別”が性的指向基準になると思う。それによって無闇に相手アイデンティティ毀損するのはよくないけどね。

anond:20211030100338

あなたはそう思うかもしれませんが、大多数の人はそう思いません。マイノリティ政治運動しなければ政治家に認められません。終わり

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