はてなキーワード: マイノリティとは
ヤフーJAPANのリアルタイム検索では、7対3の割合で“ネガティブ”が多い。
ではSNSで盛んにつぶやく“ラウドマイノリティ”ではなく、特に声を上げない“サイレントマジョリティー”は同ドラマのCGをどう受け止めているだろうか。
「チープ」「緊迫感がない」などの酷評がSNSでは目立ったが、視聴データで見る限り多数派の視聴者はCGによる演出で心が動いていたことがわかる。
CGだけを取り出し、クオリティを専門的見地から論ずれば多様な意見が出てくるのだろう。ただしドラマの中で使われるCGは、最大多数の視聴者の心をどう動かすかで成否が決まる。その意味では注視度で見る限り、名優たちがからむ巧妙な構成の中で登場することもあり、『日本沈没』のCGは十分機能しているのではないだろうか。
『日本沈没』のCGはショボい?リアル?~視聴データが示す多数派の評価~(鈴木祐司) - 個人 - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/byline/suzukiyuji/20211114-00267991
少数派だけど「こういうのが好きなんだ」というポジティブなマイノリティは許容する流れがあったりするけど
「こういうのがニガテだ」というマイノリティはまだまだ許されない。
例えば、私は子供が苦手だ。
見た目が好きでも嫌いでもないから。
単に未熟なだけの他人として私の目に映っている。
そこは当然なんだと分かってはいるけど、見た目での補正がない私にとって、子供というのは常識がない面倒なだけの属性である。
大人の外見で子供の振る舞いだったら、関わりたくないって思わない?
「子供ってカワイイ!みんな好きで当然!」と、心の底から思って疑わない人が世の中には結構いて、
話を合わせないといけないタイミングがちらほらあって、その度につらい。
先述した通り、私は子供の見た目が好きでも嫌いでもないので
知らない人の日常写真を見せられても特に感想がないし、たまによだれを垂らしたりしていて、シンプルに「汚いなあ」と思う。
猫はかわいいと思うので、可愛い猫の写真を共有したい感じなんだろうな、と思うようにはしているが
私的には「子供」という属性にピンとこないので、おじいさんがよだれを垂らして半裸で写真に写ってるのを見ているのと変わらないわけだけど。
そんなことをオープンして言うと、
こっぴどく非人間扱いされ、犯罪者予備軍だ、愛のない人だと言われるので言わない。
子供って、極端に好きでも小児性愛とか言われたり、私のように苦手でも文句を言われるのは結構不思議…、というか少数派なんて結局こんなもんである。
ネットでよく見る、許容されることのできたマイノリティの人が「オープンに出来て良かった」的な何かを乗り越えたかのような爽やかな笑顔を見ていると、少し羨ましくなる。
正直言って、嫉妬している。
「何かが好き」って言えないことは辛いんだろうけど
「何かが苦手」って言えないことだってつらいよ。
俺自身の両親、そうそう怒らないし、金持ってるし、やりたいことやらせてくれるし、マイノリティへの理解もあるし、まあいい親だった
俺は人生すげえめんどくさいなと思っていて、というのは「なんの楽しいこともなくていいから、一切苦しみたくない」っていうのが思想の根本にあるからなんですが、そうなると、生まれないのが一番よかったじゃん!という話になる
そこで俺は、自分自身の体験を活かして、どうやったら自分の子供にとっていちばんいい親になれるかを考えた
答え:生まない
俺はいま、自分が両親に本当にやってほしかったことを実行しているんだよな
息子(仮)の感謝の声が聞こえてくるようだ
本当にいいことをしているな、といつも思っている
これって僕ら側からすれば、なんら不思議でもないし、マイノリティーでもない。
でも、愛国心がある(つもりでいる)人たちですら、自民党を支持しているのが興味深い。
資産をもっていたり、利権の蜜を吸う立場にある人間ならまだわかるが、なんの益もないそうではない人たちがだ。
日本はもう自民党のおかげで超貧困国と化した。民間企業の利益率、給料の低いのなんの。
自民党によって恩恵を受けるのはほんのわずかな層にもかかわらず、支持され続ける。
なんで、日本が嫌いかはさておき、この国は滅ぶべきだと思っていて、その目的遂行のためには自民党が最適である。
国家を滅ぼす手段は原爆を落とすことじゃないんだよ。国家から持続可能性を奪い去ることだ。
少子高齢化をいかに悪化させるか。税金を国家の成長にいかに使わないか。これが重要で、自民党は恐ろしいまでにこれを遂行している。
ただ、少し問題が発生した。
岸田だ。直近の首相、安倍は国家破壊という目的に日本史上最強にフィットしていた。菅も人類の知性崩壊レベルの首相としては評価している。
安倍、麻生、菅といった野心も愛国心も知性もない、あるのはただただ権力欲だけ。愛国心がないってのが肝だったのに、岸田はいかん。人並み以上に知性がある。
なんかすごくモヤモヤしている。2030年までに凡人すら気づくくらい衰退し、国際レベルで途上国と認定されることをイメージしていたのに。岸田では立て直すまではいかなくとも、途上国化スピードが落ちてしまう。
https://note.com/gigandect/n/n71c2267dc0b5
ガスライティング的な心理操作が無いとは言わないんだけど、この言葉を安易に拡散して良いかというとちょっと不安があって。
集団ストーカーという言葉が人口に膾炙する前に、被害妄想患者が自らの被害を訴えるために使っていたのが「ガスライティング」なんだよね。
上の記事で上げられた例を見て欲しいんだけど、「02. 恋人や恋人の周りの人が自分に好印象を持つようにする」「04. 恋人に恋人の周りの人の悪い話しをそれとなく吹き込む」「06. 自分の息がかかってる人を周りに配置する」とかって、そう簡単にできないよね。
ソシオパス・反社会性パーソナリティ障害的な人が恋人や友人を暴力的に操作しようとするのは良くあることかもしれないが、第三者をうまく操作できるかというとなかなか難しい。
「○○が私の悪い噂を流している」「私はAという真実を語っているのに、発狂したと思わせるために○○はBが真実だと言っている」みたいな被害妄想に理論を与える言葉がガスライティングなわけ。
増田のは被害を妄想扱いしたいabuser側から出そうな主張に聞こえる。あるいはマイノリティに対するマジョリティの優越を(マイノリティ側が抱く不公平さを妄想扱いして)擁護したいときの理屈
これはもっともな指摘で、実際私はabuserになったことはないつもりだが、苦しんでいる人を妄想扱いする暴力的な主張をしている。
だが、ガスライティングや集団ストーカーの被害を訴えている人のうちかなりの割合が、実際には罪のない人を加害者として告発している。
https://togetter.com/li/1798749
これは明確にヘイトスピーチだと思ってるんだけど、ブコメを見たらびっくりしたわ
https://b.hatena.ne.jp/entry/4710758792631696258/comment/senbuu
senbuu 「男性」はマジョリティなので、とりあえずヘイトスピーチにはなりえない。なるとすれば他の罪。で、罪になるかどうかは、内容が風刺として受け入れられるか、社会問題の提起として機能しているか次第。
え、テコ朴で有名な道徳的優位理論ってマジで現実でも適用されるの!?
マイノリティは無制限にマジョリティに嫌がらせをしてもOKなの!?
なんかこういうの、マジョリティとマイノリティを分断させて戦争を煽ってるようにしか見えないんだけど…
そういうことをやって一体誰が得をするの?
マイノリティの間だけで盛り上がって、俯瞰すれば精々マジョリティから多少反応があったくらいの状況なのに、
「これが争点」「みんな注目してる」「むしろマジョリティ」みたいな勘違いをするのをやめよう。
勘違いするから結果が出るたびにマジョリティに絶望する羽目になるんだ。
マイノリティはマイノリティだし弱者は弱者であるっていう前提を踏まえた戦略をとるべきなのであって、
マジョリティに媚びろっていうことじゃなくて、同じ戦略で同じ失敗して同じ絶望くりかえすのをとりあえずやめよう。
頼むから。
NHKの「声を上げた私が悪いのか ~止むことのないネット上での中傷~」という記事がはてブで話題になっていますが、先週のハートネットTVで、小田急線での事件を取り上げ、フェミサイド、ジェンダー差別について語る番組が放映されており、その中でも誹謗中傷問題についても触れられていたので、重要そうな部分を書き起こし。
https://www.nhk.jp/p/heart-net/ts/J89PNQQ4QW/episode/te/GV1Q513755/
黒沢:私も電車に乗るのが怖くて、すごい学生の頃にトラウマができちゃって、ジェンダーレスな服装をするようにしてます。
女性は被害者意識が強いって言われますけど、被害を受けてるから言ってるだけであって、男性はそういう場面を見てないから「またまた〜」みたいなこと言うんですけど、女性同士のあるあるだったりする。
荻上:直接的に女性をターゲットにしたと動機では語られない。でも統計とか構造に注目をすると明らかに女性の方がリスクが高いということが言える。
例えば、ひったくりは女性差別と言ったときに、多くの人がポカーンとするんじゃないかと思います。でも、統計的に見ると女性の方が狙われやすい。なぜ?とうことを考えると身体的な差もあるけど、女性の方が追いかけてこないとか、反抗しないだろうという一定のステロタイプがある。
男性・女性、あるいはマジョリティ・マイノリティも社会構造に適応しているので、自分自身が差別をしていることも、差別を受けていることも気づきにくい。だからこそ言葉の役割があって「実は差別ではないか」と社会問題提起をして、それを改善することが進んでいく。
北村:男性が有利なままの今の社会システムを維持したい、享受したいという防衛の表れで、結局それは差別を続けたい、続けてしまうという結果にしか繋がらない。不利益や差別を私は解消したいと私は思ってません、現状維持の方が気持ちいいですと揺り戻していること他ならない。
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荻上:「あなたの問題でしょ」とか、「あなたさえ黙っていればいいんだ」っていうのは自己防衛のためにそうしたリアクションをしがちなのはまさにその通りだと思います。
石川:わかりやすく声を抑えて万人に伝わるようにということを色んな方がやってきた。でもその結果、全然届いていなかったじゃんていうことがあるので、やり方を変えているところもある。
水無田:少し前に、子どもと一緒の母親がスーパーでポテトサラダに手をのばしたら、年配の男性から「母親ならポテトサラダぐらい作ったらどうだ」と言われたということがネットで話題になった。なっとらん母親に対して自分が鉄槌を下したんだと、そういう意識の方がいらっしゃる。それは正義感の衣をかぶった暴言ですよね。
石川:差別的な発言を学んでいても、自分の思わないところでしてしまうことはまだあって、私も結構やらかしてることがあるんですけど、身内の方とかの指摘で都度直していこうと思える。
マイノリティが正しく議論してることは拝聴に値する意見として議論の場にあるんじゃないの
個人的にそれよりもそのマジョリティの解く理論が、一見破綻しているように見えるのに、声高に叫んでいる人たちは一体どういう理屈でそう言っているのかを理解したいんですよね
真っ当に反論してる人が少ない
「少ない」ってことは0じゃないんだろ。それをおまえも認識してるんだろ。
セレクティブエネミーを論破して悦に浸ってる暇があったらマイノリティの言葉に耳を傾けろよ。
参考
https://www.mhatta.org/wp/2020/10/11/straw-man-and-steel-man/
自分は単に変な奴だと思っていたけど、ネットで自閉症の体験談や話をよく見るとまさに自分について書いているかのように自分の体験と一致しているので、自閉症じゃないかと疑い始めた。
正直、今まで鬱だとかで心理カウンセラー等の相談窓口を利用しても、いまいち意味のある機会にならなかったからそんなに期待できない気がしてる
自閉症が治るわけじゃないみたいだし。
漠然といろんなことに細かく困っていてストレスを感じているし、上手く努力ができないことに悩んでいるけど、答えが出ない気がする
自閉症ってやっぱりやばいのかな?友達が作れないのはとても困る
自閉症の人と仲良くできる?
ジリジリとかビービー鳴るタイプの機械は触りたくないし花火や爆竹には近寄れないしパーティのクラッカーも苦手。大きい音が鳴り続けるのも苦手。カラオケも苦手。音楽鑑賞は苦手
うるさい環境や人がいつも話しかけてくるような環境やごちゃごちゃした部屋にいるとすぐ具合が悪くなる。暑さや湿度に弱い。人から触られるのが嫌い。気を許してない相手の気配がするだけでもあまりうれしくはない
特に友達などの言葉の意味や寂しいという言葉の意味がよくわからない。何を以て仲がいいとか悪いとか判断してるのか謎。
こんな感じで集団から浮いてるんだけど、自閉症だからだとすればすごく納得できる。
普通に生きてる人たちがみんな大体コミュ強で仲間意識が強くてすぐに結束して音や環境の変化に強いのも、すべて生育環境や個性だというには(自分から見て)普通の人たちの特徴は均一に感じるし、自分とあまりに違う
生まれつき脳機能的にマイノリティなのだとすればよく理解できる。
理由が特に見出せないと普段の何気ない雑談はできればかなりの割合でスルーしたい。9割はスルーしてる。どうしてあんなに毎日似たようなことを延々と喋るのかよく意味がわからない
子供の時に親に頭を撫でられることやだっこされるのを断固拒否していたらしい
上述
小さい頃はやっていたと思う
没頭しすぎて我を忘れてしまう
意識の矛先を切り替えて別のものに向けるのがとても苦手で非常に苦痛
などなど…。
別に事実を言ってるだけで野党を支持する若者を馬鹿にしてるわけじゃないんだから良くね
ジェンダーとかマイノリティに若者は関心があるらしいし、少数派であることを指摘されて馬鹿にされたと思う若者はそんなにいないんじゃね
維新の幹事長が「国会議員は公人なので、候補者が過去に帰化していた場合は公表せよ」と発言したことについて、まあ散々批判があるわけですが、
「帰化した人間は公務員 / 議員にするな」みたいな意見って、「国家に忠誠を誓わない人間が政治家や官僚になるのは嫌」という感覚としてはおかしくないんですよ。
それは当たり前のことなので。
問題なのは「国家に忠実であるかどうかと国籍には関係がない」ってことなんですよね
上記のような主張をする皆さんは「日本に敵意のある人間が政治家になったらどうするのか」とか主張するわけだけど、ちょっと冷静になって考えてみて欲しい
もし中国とかロシアが日本にスパイみたいなのを送り込んでくるとして、昨日まで外人だった人を帰化させてから立候補させたり公務員試験受けさせたりすると思います?
しないんだよな
あなたが外国にスパイを送るとして、そんな面倒くさい上にすぐバレそうなこと、します?
泥棒は皆サングラス付けて風呂敷背負ってると信じてるようなナイーブさですよそれ
実際の例を見ても明らかだけど、既に日本で働いてる官僚とかを買収するわけ。
だから「国籍」で線を引いて日本に害を為す人間を弾くなんて事は出来ないの
むしろ仕事の都合や日本に対する関心があって日本にやってくるほとんど全ての外国人に対して不要な線を引き、不要な差別や憎悪を生むことになる訳ですよ
あと「アメリカでは移民一世は大統領の被選挙権がない」って意見も多かったですね
それはそうなんだけど、逆に言えば大統領以外にはなれるってのは解ってます?上院議員にだって州知事にだってなれる。移民二世は大統領にもなれる。アメリカ人はそれを問題にしてないわけ
共和党議員でカリフォルニアの知事だったシュワちゃんはオーストリア生まれだって知ってました?
だからこの手の主張って、ようするに「とにかく外人(特にアジア人)を差別したい。でもおおっぴらには出来ないからそれっぽい理由が欲しい」にしか見えないんですわ
生活保護叩きに似てるよね。全体の0.5%もないような不正を血眼になって追求するくせに、政治家の汚職とか富豪の脱税みたいなより有害な強者の不正には同じだけのエネルギーを割かない人って沢山いるじゃないですか。
何かそういうのあった?
みんながそれやれってなるやつ
何も武器なしに戦ってたろ
マイノリティとか多様性とか身近な人ががんばればいい問題なんだよな
社会の8割はマイノリティとの接触もなければ、多様性尊重する機会もないわけじゃん
シンプルに頭悪いと思う
https://www.youtube.com/watch?v=3HlXpTQLziY
こちらの動画を「悪趣味な悪ふざけ」と勘違いしている方をお見かけしたので、解説を。
「性的表現」と一括りに語られる表現の是非については、いくつかの異なる論点があって、それを区別できていない方が多いんですよね。(どちらの勢力にも。)
まず一つ目に、「性的営みの自由」に関する論点があります。これは古くから注目されている論点ですね。
ある種のセクシュアリティを持つ人々にとって、ポルノを鑑賞する自由というものは、対人性愛者が恋人とセックスする自由に対応しています。
これらにゾーニングは必要ですが、しかし、「犯罪を助長する可能性」などという議論に持ち込むこと自体が、ある種のセクシュアリティを持つ人々のアイデンティティを著しく棄損することに目を向けるべきでしょう。
ポルノに「犯罪を助長する可能性」があるというならば、対人性愛者が恋人とセックスするという行為、およびそうした行為が許容されているという社会的合意、それらもまた「犯罪を助長する可能性」があるという側面にも目を向けなければフェアではありません。
二つ目に、「文化的営みの自由」に関する論点があります。これは近年になってようやく注目されてきた論点です。
対人性愛が自明視されたこの社会では、対人性愛的な「性と不可分」である文化が無数に溶け込んでいます。
それはファッションやメイクのようなジェンダーエクスプレッションとも融合していますし、また「恋人とデートをする」という程度の活動を生殖行為の一環であると認識している悪趣味な人は少数派でしょう。
そのような社会の中で、宇崎ちゃんの献血ポスターや戸定梨香さんの交通安全動画程度のものが「性的」であるというレッテルを貼られるのは、マイノリティの性の在り方に対する偏見とヘイトの賜物であることは間違いありません。
こうした文化に安易なゾーニングを求めることは、マイノリティの性の在り方をスティグマ化する差別的態度にほかなりません。
多様性を志向するならば、こうした文化を公共空間で許容することこそが求められるべきです。
「性的営み」でしょうか?
「性器を擦り、性的絶頂に至る」ことを目的にこの動画を見る人は、おそらく少数派でしょう。
「文化的営み」でしょうか?
「これが我々の文化だ」と言えば一理あると思いますが、一方で、「これが我々のファッションやメイクだ。ゾーニングは不要だ」と言い切るには、少し違和感もあるかもしれません。
では、「どちらでもない」のかもしれません。
実はもう一つの論点があります。それは「政治的営みの自由」に関する論点です。
そして実は、これこそが最も古くから(一つ目の論点と混同されながら)語られてきた論点かもしれません。
人類は古くから、漫画や漫才、落語、演歌、短歌といった「娯楽」の媒体の中にシニカルな笑いとアイロニーを込めて政治的立場を表明してきました。
挑発的な風刺は、それを見た政敵が嫌悪感を示し、不愉快を表明した時にこそ、その政治性は最も高く評価されるでしょう。
最初の動画を好意的に見た人々は、ある種の「痛快さ」を期待し、実際にそれを動画から享受したのではないでしょうか?
それこそが「政治性」です。
コメント欄を見ても、うっすらとその政治性に気付いている人を少なからず見かけます。
これは表現の不自由展のようなものと同様の活動であり、まさに「表現の自由」の問題です。
外山恒一や後藤輝樹は、彼らなりに真面目な「政治活動」をしているのであり、決して「ふざけている」わけではないのです。(あるいは、時に「ふざける」ことの政治性を彼らは理解している、と言えるかもしれません。)
たとえ大衆を不愉快にさせたとしても、批判を受けながらも許容されなければならない表現というものがあります。
批判はあるかもしれません。しかし、そこにある政治性を軽視し、嘲笑するような態度は、マジョリティしぐさとしては最悪なものでしょう。
左派の人達は自分達はマイノリティであるという自覚を持った言動をしてほしい。
例えば「普通は~」とか、「大多数の~」という言い方をしてはならない。左派はマイノリティなのでこのフレーズは誤りだからだ。
行動も、右派や中道の人達より清廉潔白でなければならない。一般国民はマジョリティに対しては仲間意識が働くため、右派・中道側の多少の狼藉や不正行為は気にならない。パンツ盗もうがハラスメントやろうが収賄やろうが、影響が枝葉であれば許される。
しかし左派はマイノリティであるため、一般国民は左派を外部からの抵抗勢力やスパム業者の類とみなしてしまっている。つまり左派は国民的ヒールポジションであり、スピード違反程度でも激しい反発が巻き起こる。
左派は日本ではそういうポジションになってしまったのだ。しばらくは行動や言動に最大限気をつけ、今までの至らなかったところを反省し、機を伺うのが最適解だろう。