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はてなキーワード: アクセシビリティとは

2014-05-14

http://anond.hatelabo.jp/20140513114736

選択肢が無いことに不自由してなかったら

こんな感じで幸せに生きれるんだろうなぁ。

田舎暮らしで辛いのは文化的施設とかサービスへのアクセシビリティの悪さなんだと思うんだけど。

たとえば博物館とか美術館とかが田舎には滅多にないし

英会話教室とかギター教室とか料理教室だとか

そういったサービスがやっているところがほとんど無いか若しくは

通うのに一時間以上かかったりとか。

こういったサービスを受けられないのが地味に痛い。

都会に住みたい。

2013-08-02

デザインって何ダ

Webデザイナーなんてただの作業者だ。」

最近そんな話を聞かされた。

Webサイトデザイン以外の仕事関係で。

その他もろもろ。

まあ俺はデザインを知っているんだぞとかそんな話。

理解できる部分はあるし、同意できるところも無くはないなあ。

ツールがなければ何もできないだろうし、Adobeのやつとか?

けれどその人が話していたことはどうも見た目だけの情報を評価の対象としているみたいで、

情報構造とか設計については触れていなかった。

一般的ユーザー別に見た目しか気にしないんだろうけど。(見た目も気にしないかもしれない)

デザイナー世界でもアーティスト区別のつかないような人っているし、

見た目にインパクトのあるものって大事なこともあるのだろうけど、

ことWebデザインに関してはそうもいかない部分が多いと思う。



その辺のこともあるし見た目よければ(もちろん見た目は良いほど良い)みたいなことだと

釈然としない感じはあった。

頭打ちって言っても技術進化してるし、見た目を作る以外にもWebデザイナーには求められているし、

単純にオワコンって言えないしなあ、とか。

それに同意してる人たちにも納得がいってない。

そんな考えで仕事をしていたのかと少しがっかりした。

まあ目上の人の話ではあったから仕方がないんだろうけど。

デザインってなんだろう。

僕らはデザインをしていないのか。できていないのか。

Webデザイナーポジションというのは微妙もので、

特に日本だと盛り上がっているWeb技術界隈からも浮いている感じはあるけど、

最近は見直されている感じもあったのですがが。

Webデザイナーだってがんばっているんです><とかは思わないけど、

重要仕事だとは思うんです。

とりあえずこの話を聞いた後から自分が何をしているのかわからなくなっているし、

喉に引っかかりがあるような、ここのところずっとそんな気分です。

2013-01-12

人間にちょうどいい時間の捉え方について

私も、時間との付き合い方が下手だ。

平日:「仕事自分生産性が悪かった」

休日:「今日1日、何も出来なかった」

となっている事が多い。

書きだしてみると、自分のやったことを、

生産性自分のやった事/単位時間

という尺度で考えているとわかる。

生産性が低いと自分能力が低いと感じ、

自信が削り取られて更に何も手につかなくなる、

という悪循環に陥っているようだ。

時間に追われる悪循環を断ち切る

この悪循環を断ち切るには、原理的に2つのやり方がある。

簡単に比較できる2つの量が存在すれば、

生産性割合で捉え続けてしまうので、

これを単純比較化しないようにすればよい。

1.やったこと(成果)の定量化をやめる

2.単位時間の定量化をやめる

やったこと(成果)の定量化をやめる

1.は、自分に何ができたかを、他者に見せることや、

自分で評価することをやめる。もちろん数もカウントしてはいけない。

自分を見ていてくれているヒトの期待に応えようとするのはよいことだが、

その人達は応援しているヒトが潰れることを期待しているわけではない。

コンピューター入力できるものは大抵は計量できてしまうので、覚えておくと良い。

作成したファイルの数、書き込んだ文章の文字数、閲覧した情報の量。

落ち着いて考えれば、いずれもあなたが本当に求めている成果それ自体ではないはずだ。

また「今日何もやっていない」の「何も」には、あなたの成長はカウントされない。

せいぜい表に出たいくつかの事を指していて、その表に浮かんできたもの以外の部分を

いか自分自身が大事にできるか、定性的でも価値を認められるかにかかっている。

単位時間の定量化をやめる

2.は、時計を捨てろということと等しい。

本当はそれで困らない生活ができるのであれば、それでも良いのである

午前中何も出来なかった、でも午後は何かできたとしよう。

その場合であれば、1日というタイムスパンで見ればよい。

1日何も出来なかった、1週間何も出来なかった、と思うことがある人は、

十分長い時間までの時間軸(年とか、時代とか)のみを考慮する。意識しなければなお良い。

時間尺度精緻化は、現代社会の発達に極めて重大に寄与してきたが、

それは機械化の恩恵を生み出した一方で、ヒトがついていける時間軸を既に超越している。

人間にちょうどいい時間の捉え方

1.も2.も止めて、私は、その勝負の枠組みそのものからも、降りる。

僕らを測る基準は、実は自分の心だけで良い。

アクセスビューやレビューや参照の数でも、

上司顧客の評価や金額的な売上でもない。

時計カレンダー、ましてやストップウォッチ生産性を測る必要はない。

いつも自分の状態を、自分の心がどう思うかだけに集中すればよいのだ。

いまのこの国の世の中で支配的な価値観は、

生産性経済価値 である。それではあんまり幸せにならない気がする。

生産性幸福度なのだ

幸福度自分の心へのアクセシビリティ×自分の心の豊かさ なのである

そう捉える限り、「時間無駄」などは存在しない。

読んでくれてアリアリアリアリありがとデル

2013-01-10

もうサービスがどこを見ているのかわからない

(1)

垢抜ける必要があったのは賛成。

でも実際は、垢抜けたように見えるだけで全然垢抜けて無い。

デザインというのは機能性も兼ね備えて初めて用を成す。

それっぽく見えるだけでは、人はいつかない。

(2)

どっちでもいい。

こんなの会社ポリシーで、気に入る気に入らないは個人の問題だとおもう。

ブクマピックアップされるのは機能的におかしいだろと思う位。

(3)

同じく賛成。

ここだけは擁護できるポイントが全く見当たらない。

(4)

ここは微妙

確かに旧バージョンとの併用期間を設ければ、

連日はてブトップに「はてなが使いにくい」やら

「代用サービス作りました」なんて記事が出る事は無かったと思う。

炎上回避としてのソフトランディング以上の意味は無いと思う。

下でも書いたけど、機能はかろうじて削られて無いだけで、

アクセシビリティが大幅に低下していて削られているのと大差ない状況にはなっている。

(5)

からだけど、初心者がどうやってブックマークしたらいいのかが判らない。

バージョンならまだトップページからブックマークする事もできたけれど、

バージョンでは、個別記事のブックマークコメントまで降りていく必要がでてしまった。

ぱっと見て使い方のわからないサービスが垢抜けたとは評価できない。

http://anond.hatelabo.jp/20130110021211

2012-08-08

Web上の図書館存在感と図書館情報学用語の存在

例えばCiNii Articlesみたいに図書館系のDBGoogleが乗り入れるようになった結果、そのデータつーかメタデータレコード自体はWebで容易に目にできるようになったし、その先にあるフルテキストとか資料のアクセシビリティもある程度向上した。

んだけど、これって一方で、図書館情報学系の用語で探す時のノイズを爆発的に増加させたんですよね。

例えば"機関リポジトリ"+hoge検索すると、機関リポジトリとは関係ないCiNiiに収録されてる論文レコードがことごとく上位にヒットするようになってしまった。なんでかってとレコードのページにJAIRO(機関リポジトリポータル)へのリンクが必ず含まれてるから

普通図書館OPACレコードでも、Googleが拾ってくる館では同様の状況があって、「タイトル」とかの書誌的事項というか項目名が明示されている=OPACが返すHTML文字列として含まれてるせいで、"[書誌的事項]"+hogeとかで検索してもそうなる。

これって、site指定やinurl使っての除外検索すればなんとかならなくはないんだけど、それだと図書館DBリソース別に検索をしなきゃならないっつうね。

こういう図書館のもってるリソース存在感が増したせいで(語の)図書館情報学用語(として)の存在感が減ったのって、Web屋と図書館屋のどっちかが責をおうべきものなんですかね。負うならどっちがより重いんですかね。

2012-04-06

首相官邸Webリニューアル随意契約な理由

首相官邸ホームページアクセシビリティ - ただのにっき

http://sho.tdiary.net/20120406.html#f20120406-01-01

それよりツッコミどころはなんでこれが随意契約なのってところじゃないかと思うのだが。

そもそもが氏の話の本旨でないためアレでナニなんだが

今回の落札案件名には

システム機能追加等業務及び中国語版立ち上げに伴うシステム機能構築等業務

といったフレーズが含まれている。

まり既存CMSを改造することを主眼に置いた業務だってこと。

で、

随意契約の理由:b「技術的理由による競争の不存在

これ。

ここから先は憶測なんだけど、

リニューアル前の首相官邸Webを構築したのってIIJなんじゃなかろうか?

そしてIIJ法人行政向けに独自のCMS提供していると仮定(業務内容あまり知らないので)すれば

他所会社IIJ独自のCMSを改造する真似なんてできるわけもない。

出来てもIIJに劣るであろうノウハウで二ヶ月納期を守れるのかというと正直怪しい。

まり入札にかけても徒労に終わってしまう可能性が高い。

随意契約になってるのってそんな理由だと思うのだけど。

2012-02-03

http://anond.hatelabo.jp/20120203120823

日本SEOがどーのこーの言ってる所にまともな所って少ないんだから、ほっとけばいいじゃん。

まともな所は、ライティングの際にキーワードの関係性に注意しましたとか。コーディングの際にアクセシビリティに注意しましたとか。そっちでやってくれる。

そういう会社はもはやSEOなんて用語使わんしな。

SEOとか、すでにオワコン

2011-10-18

Steve Yegge の Googleプラットフォームに関するぶっちゃけ話を訳した(後編)

中編からの続き

そんでもって、 Microsoft は持っている。僕同様、みんなも知ってると思うけど、なんと驚くべきことに、 Microsoft はそれをよく理解していない。実に。でも彼らは、純粋に、偶然、プラットフォーム提供するビジネスから始まって成長してきたから、プラットフォームを分かっているんだ。彼らはその領域で30数年やってきた。 msdn.com に行って、少しの間ブラウジングしてみればわかる。もし見たことが無ければ、驚く準備をしておいた方が良い。なぜならそれがとてつもなく巨大だからだ。何千の、何千の、何千もの API コールがある。彼らは巨大なプラットフォームを持っている。実際の処大きすぎて、全く統率が取れていないけれど、少なくとも彼らはやっている。

Amazon自分ものにしている。 AmazonAWSaws.amazon.com )は途方も無くすばらしい。行ってみてご覧よ。クリックして回ってみるんだ。全く恥ずかしくなる。僕らはこれらのひとかけらも持ち合わせていない。

Apple も、明確に、自分ものにしている。彼らは基本的にクローズな選択を、特にモバイルプラットフォーム周りでしているけれど、アクセシビリティを理解しているし、サードパーティ開発者の力もよく分かっていて、自分たちのドッグフードを食べている。それでさ、わかるだろ?。彼らは実に見事なドッグフードを作る。彼らの APIコールは Microsoft のそれに比べて実にクリーンで、ずっと昔からそれを維持している。

Facebookも持ってる。だからこそ心配になるんだ。ぐうたらな僕をここまでして書かせた理由はそれだ。僕は元来ブログするのも、プラスする(って言うのかどうか知らないけど)のも嫌いだ。そもそもGoogle+ぶっちゃけ話をするのにはひどい場所だけど、とにかくやらなきゃならない。Google成功して欲しいと思ったらね。で、僕は成功して欲しい!。まあ要は Facebook が僕を呼んでいるし、きっとそっちでやるほうがずっと楽なんだろうけど、Google は僕にとって家だし、だからこういう家族同士のお節介焼きのようなことをやっていこうよと言ってるわけだ。(訳注この辺の訳怪しい。トラバで指摘いただいたのがすてきだったのでまるっと差し替え!。"アドバイス" thx !)

MicrosoftAmazon 、それに Facebook (たぶん。実際僕はよく見ていないんだ。だってすごく落ち込むからね…)の提供するプラットフォームに驚いた後に、 developers.google.com に行ってちょっとブラウズしてみて欲しい。ね?大きな差だろう?。まるで君の5年生の甥っ子が、巨大で強力なプラットフォーム企業がもしリソース的に独りの小学5年生しか人を割けないって時に作るようなものデモしてみなさい、なんていう宿題でもでっち上げたみたいな感じだよ。

どうか悪く思わないで欲しい。 Developer relations チームが、これを外部に提供できる形にするためにとんでもない努力をしてきたってことを僕は分かっている。僕が知る限り、彼らはとにかくケツを蹴り上げつつけている。なぜなら彼らはプラットフォームを理解しているからさ。プラットフォームに対して実に冷淡で、しかも時には敵対心さえあらわにされるような環境の中で、彼らは英雄のように努力している。

僕は率直に、 developer.google.com が外部の人にとってどう見えるかを説明しているだけさ。全く幼稚に見えるだろう。 Maps API は一体どこにあるっていうんだ?。いくつかはなんだかよくわからないラボプロジェクトとやらに入っている。で、いざたどり着いてみれば、そこにある API は全くけちな代物だ。まさに本当の意味ドッグフードだ。オーガニックなんかとは無縁だね。僕らの内部 API に比べれば、まるで不格好な別物だよ。

Google+ についても、悪く思わないで欲しい。到底彼らだけが違反者ってわけじゃない。文化的なものが絡んでいるんだ。僕らが内部でやってることっていうのはさ、基本的には、惨めでマイノリティプラットフォーム部隊が、無敵で予算も自信もたっぷりプロダクト部隊に多かれ少なかれ負け続けている、そんな戦争なんだよ。

ゼロから構築したプログラマブルプラットフォームになるべきなんだってうまく気づいたチームってのはみんな弱者さ。 Maps や Docs なんかが思い浮かぶ。 Gmail もなんとなくそっちの方に進みはじめたように見える。でも彼らがそのために予算を獲得するのは実に難しい。なぜなら、それは僕らのカルチャーじゃないんだ。 Maestro の予算なんか、 壮大な Microsoft Office プログラミングプラットフォームの足下にも及ばないちっぽけなものだ。ふわふわ毛皮のうさぎちゃんと、 T-Rex の対決みたいなものさ。 Docs チームだって、このスクリプティング機能が無ければ Office太刀打ちできないってのはよく分かっているんだ。でも残念なことに、予算が付かない。つまりさ、そうじゃないとは思うんだけど、現状 Apps スクリプトが Spreadsheet だけで動作して、 API の一部としてキーボードショートカットすらない。まさにチームが愛されていないって思うしか無いよね。

皮肉にも、 Wave は偉大なプラットフォームだった。冥福を祈りたい。でもプラットフォーム的な何かを作るっていうことは、そのまますなわち成功意味するって訳じゃあ無い。プラットフォームにはキラーアプリが必要だ。 Facebook そのもの(つまり、 wall やら friends やらなんやらというデフォルト機能)が、 Facebook プラットフォームキラーアプリだ。そして、 Facebook アプリが、 Facebook プラットフォーム無しで成功できると結論づけるのは、深刻な誤りだと僕は思う

みんなは、外の人たちが Google傲慢だって言い続けているの、知っているよね?。僕は Googler だ。だから、みんなと同じように、外の人たちがそう言っているといらいらとする。僕らは全般的に見て全く傲慢じゃ無い。僕らは、まあ、99%は傲慢じゃない。僕はこの文章をこう始めた(遠い記憶をさかのぼってよ)、 Google は「正しいことだけをする」って表現した。僕らはよかれと思ったことだけをしている。だから、人々が僕らが傲慢だって言うときは、まあ大抵彼らを雇ってあげなかったときか、僕らのポリシーに不満があるか、まあそんなようなところじゃないかな。彼らはそれで気分が良くなるから傲慢傲慢だと言っているんだろう。

でも、もし僕らが、僕らは全ての人に対して完璧プロダクトをデザインする方法を知っているだなんて、そんなスタンスを取るんだとしたら、僕を信用してくれて良いと思うけど、結構そういう話を聞くんだけど、僕らは飛んだ間抜けになる。それを傲慢って言ったり、無邪気さって言ったり、なんて言ってもいいけど、結局の処、それは愚かさに他ならない。全ての人にとって完璧プロダクトなんて、無いんだ。

デフォルトフォントサイズを設定できないブラウザについて話してこの話題を締めくくろうか。アクセシビリティへの侮辱ってやつについて語ろう。つまり、いずれ僕は年を取って、ほとんど目が見えなくなる。事実そうだと思う。僕は人生でずっと近視だったし、40歳にもなれば今度は近いものが見えなくなる。そうなればフォントの選択ってのは生死を分ける重要ポイントだ。それは君を完全にその製品から追い出してしまう。ところがどっこい Chrome チームってのははっきりと傲慢から、彼らはゼロコンフィギュレーションプロダクトなんて言ってて、まったく厚かましくも、もし目が見えなかったり耳が聞こえないなりなんなりするなら、お前はファックユーだぜってなもんだ。残りの人生、全てのページを表示する度に Ctrl-+ を押せって言うんだよ。

これは彼らの問題じゃ無い。みんなの問題だ。僕らが徹底してプロダクト企業だということが問題だ。僕らは広くアピールするプロダクトを作った。例えば検索がそうだ。そのあまりにもひどい成功が、僕らの目をくらませてしまった。

Amazon もまたプロダクト企業だった。だから。 Bezos にプラットフォーム必要性を理解させるのには、外部の力が必要だった。その力ってのはどんどんと蒸発していく利幅だった。彼は追い詰められて、脱出方法を考えなければならなかった。でも彼の持ちえたものは、エンジニア達とコンピュータの群れだった。そこからどうにかマネタイズするには…?。結果論だけれど、そうして彼は AWS にたどり着いたわけだ。

Microsoftプラットフォームとして始まった。だから彼らにはたくさんの習慣があった。

でも、 Facebook は…、彼らは僕を不安にさせる。僕はエキスパートではないけれど、でも、彼らは最初プロダクトとしてスタートして、そしてそれをうまく成功につなげていたことは確かだ。だから、彼らがどうやってプラットフォームへと変革を遂げたのか、僕にはわからない。それは比較的昔のことだったろうと思う。 Mafia Wars のようなものが現れる前に、彼らがプラットフォームにならなければならなかった時よりもずっと昔。

たぶん彼らは僕らを見て、こう自問したのかも知れない。「どうやったら Google を倒せる?。 Google に足りないものはなんだ?」

僕らが直面している問題はとても大きい。僕らがキャッチアップを始めるには、めざまし文化的な改革が必要だ。僕らは内部的にもサービス指向なプラットフォームを持っていないし、同じように外部的にもそうだ。この「自分ものにしていない」感じは、まさに会社全体を覆う風土病だ。 PM は分かってない。エンジニアも分かってない。プロダクトチームも分かってない。誰も分かっていない。たとえ一個人で分かっている人間がいたとしても、もしそれが君だとしても、僕らがそれを総力を挙げて緊急事態として扱わなければ、これっぽっちも意味が無いんだ。僕らはプロダクトをローンチして、それを後から魔法のように美しい外部拡張可能なプラットフォームに成長させられる、そんなふりをし続けることを、やめなければならない。何度もやって、だめだったじゃないか

プラットフォームの黄金律「自分ドッグフードを食べろ」はこう言い換えることができる。「プラットフォームから始めろ。そしてそれをなんにでも使え」(訳注"アドバイス" thx !)。後からちゃんとやるなんて不可能だ。少なくとも、簡単には無理だ。 MS Officeプラットフォーム化した人たちに尋ねてみればいい。あるいは Amazonプラットフォーム化する為に努力した人たちに。遅れてしまえば、正しく立て直すのに10倍の苦労が必要になるだろう。ごまかしはできない。内部アプリが特別な優先アクセスを受けられるようなバックドア秘密に仕込むなんて、どんな理由があっても不可能だ。難しい問題から、まず最初に解決しなければならないんだ。

僕は遅すぎると言いたいわけじゃ無い。けれど、待てば待つほど、致命的な遅れへとどんどん近づいてゆく。

この記事をどう纏めて終えればいいか、正直よくわからない。言うべきことは全て言ったと思う。この記事はできあがるのに6年かかっていると言える。僕が紳士的ではなくて申し訳ないと思う。プロダクトやチーム、個人を僕が誤解していたら申し訳ないと思う。もし僕らがたくさんのプラットフォームを実は作っていて、僕や、僕が話した人たちみんなが偶然知らないだけだったとしたら、申し訳ないと思う。

でも、僕らは今すぐに始めないとならない。

Steve Yegge の Googleプラットフォームに関するぶっちゃけ話を訳した(中編)

前編からの続き

この努力は僕が Google に来る為に Amazonを離れた2005年半ばも続いていた。でももっとずっと進化していたよ。 Bezos が命令を出してから僕が離れるまでの間に、 Amazon は全てにおいてまず最初サービスを考える企業へと文化的に変化していった。外部の日の目を決して見ることの無いような、スタッフへの内部的なデザインも含めて、今ではそれがデザインというもの全てに対しての基本的アプローチになっている。

その時点では、彼らはもはや解雇の恐怖からそうしているわけではなかった。つまり、もちろんビビってはいたけれど、ドレッドヘアの海賊 Bezos 様にご奉仕するのは日常生活の一部だからね。そうじゃなく、彼らはそれが正しいことだと理解たから、サービス提供しているんだ。確かに SOAアプローチには長所短所もあるし、短所を書き出してみたら切りが無い。でも全体として、 SOAリブンのデザインというものこそが、プラットフォームを可能にする、これは正しいことだ。

これが、 Bezos が彼の指令書で企んだことだった。彼はチームの健康状態なんて興味もなかったし(今もそうかも)、使われている技術もそうだったし、結局の処のどう取りかかるかなんて結果ができあがるまで気にもしていなかった。けれど Bezos は、 Amazon 社員の大多数が理解する前に、 Amazonプラットフォームにならなければならないということを悟っていたんだ。

だって考えてもみてよ。なんで一オンライン書店が、拡張可能な、プログラマブルプラットフォームになる必要がある、なんてことを考える?。そうだろ?

ともかく、 Bezos が気づいた最初の大きなポイントは、本を売り、出荷し、色々とやる仕組みが、素晴らしいコンピューティングプラットフォーム再利用でき得るということだ。だから今、彼らには Amazon Elastic Compute Cloud があるし、 Amazon Elastic MapReduce があるし、 Amazon Relational Database Service があるし、その他たくさんの aws.amazon.com で見つけられるサービスを持っている。しかもこれらのサービス大成功した企業バックエンドを努めていたりもする。 reddit なんか僕のお気に入りだね。

もう一つ、彼が理解した大きなポイントは、常にいつでも正しい、そんなものを作ることはできないということだ。これは Larry Tesler が、ママはこのくそったれサイトを全く使えないよと言ってのけたりでもした時に、 Bezos にピンと来るものがあったんだと思う。誰のママのことを言ったのかははっきりしないし、そんなことは問題じゃ無い。問題は、誰のママだろうとそのウンコサイトを使えないってことだ(訳注アドバイス thx !)。実際、僕自身、そこで5年ほど働いていたわけだけど、あのサイトは胸がザワザワするくらいひどいと思う。でも僕はその気が散るようなサイトに慣れてしまって、トップページのど真ん中あたりの数万ピクセルに集中できるようになったんだからね。

とまあ、実際の処 Bezos がどうやってその理解、一つのプロダクトで、全ての人にとってふさわしいものを作り上げることはできないということに、たどり着いたのかは定かじゃあ無い。でもその方法問題じゃ無くて、彼は理解してるってことが重要だ。実のところこの現象には正式名前だってある。そう、それはアクセシビリティと呼ばれるものだ。コンピューティング世界で最も重要ものだ。

最も、重要な、ものだ。

君は思うかも知れないね。「はあ?つまりそれって、目が見えない人や耳が聞こえない人のあれ?あのアクセシビリティ?」ってね。まあ君だけじゃないと思う。とにかく世間には、アクセシビリティってものを正しく理解していない、君みたいな人たちがいっぱいいっぱいいるんだから。ただそこにたどり着いてない人たちがね。だからアクセシビリティ理解していないのは、目の見えない人や耳の聞こえない人や手足が不自由な人やその他障碍のある人の責任じゃないように、君の責任じゃない。ソフトウェアが(この場合アイデアウェアといった方が正しいかもしれない)何らかの理由で誰かにとってアクセシブルでないというとき、それはソフトウェア自身の、あるいはアイデアの伝え方そのもの責任があるんだ。それがアクセシビリティの失敗というやつなんだ。

人生における重要なその他もろもろと一緒でさ、アクセシビリティには邪悪双子がついている。小さいときにパパとママの偏った愛情で見捨てられて、今や同じくらいの力を持つまでに育った宿敵って奴がね(もちろんアクセシビリティには宿敵はたくさんいる)。それはセキュリティだ。一体全体こいつらが仲良くやっていること何てあるかい

でも、僕は主張したい。アクセシビリティは実際の処セキュリティより重要だということを。だってアクセシビリティを0にダイアルするってことは、何のプロダクトも持たないってことさ。セキュリティを0にダイアルしたって、そこそこのプロダクトを持つことはできるだろう? Playstation Network みたいにさ。

まあつまりですね、僕はみんなが分かってくれないんだったら一冊丸々この話題で本を書くことだってできるよ。分厚くて、僕が働いてた会社のありんことピコピコハンマーエピソードで一杯の面白いやつをね。でも僕がこの話を公開しなかったら、みんなが目にすることも無いだろう。そろそろまとめに入らなきゃ。

Google がうまくやれていない最後の一つは、プラットフォームだ。僕らはプラットフォーム理解していない。僕らはプラットフォーム自分のものにしていない。みんなの中にできている人はいるだろう。でも、そんな君はマイノリティだ。辛いことだけれど、これはこの6年で僕にはっきりと感じられた。僕は競争相手プレッシャーMicrosoftAmazon最近じゃ Facebook なんかが、僕らを一斉に目覚めさせて、ユニバーサルサービスを始めるのを期待したりもした。アドホックな、中途半端なやり方じゃなくて、多かれ少なかれ Amazon がやったようにだ。一度に全てを。マジで。偽りなしに。今その瞬間から最優先事項として扱うというように。

でも、そうはなっていない。10番やら11めくらいのプライオリティだね。いや15番かも?。知らないけど、とにかく低い。真剣に取り組んでいるチームもいくつかあるけど、多くのチームは考えてもいない。一度もだ。ごく一部の人々がちょっとした規模でやっているだけだ。

多くのチームに、彼らのデータと処理に対してプログラマティックにアクセスできるような、ちょっとしたサービス提供させるのだって大変だ。彼らのほとんどは、俺達はプロダクトを作っているんだ、って思っているからね。そんでもってそのちょっとしたサービスなんてのはみじめなもんさ。 Amazon の教訓に戻ってリストを見てくれよ。そんで今すぐ使えるサービスを持ってきて見てくれ。僕が知る限りでは、そんなものはない。小ビンってのは便利かもしれないけどさ、そんなの車がいる時だけだろ?(訳注:この人、 Stubby という小瓶のビールと、 stubby という「ちょっとした・不格好な」という形容詞をひっかけてしゃべってます

プラットフォームが無ければ、プロダクトなんて使い物にならない。いやもっと正確に言うならば、プラットフォームの無いプロダクトは、いずれ同等の機能を持ったプラットフォーム化されたプロダクトに、取って代わられる。

Google+ ってのはまったくまさに、エグゼクティブリーダーシップのとても高いレベルから(やあ Larry 、 Sergey 、 Eric 、 Vic 、やあやあ)枝葉の使いっ走りまで(やあ、君だよ)、全くプラットフォーム理解していないっていう良い例だ。そう、僕らはみんな、全く理解できていない。プラットフォームの黄金律ってのは、自分ドッグフードを食えってことだ。 Google+ プラットフォームってのは惨めなまでに後知恵だ。ローンチ時には一つたりとも API が無かった。そんで最後にチェックしたときには、僕らが提供してたのはわずかばかりのほんのちっぽけな API さ。ローンチの時、あるチームのメンバーが行進してきて僕にそれを説明してくれた。だから僕は訊いたんだ「でさ、これはストーカーAPI?」って。彼女はむすっとして、「ええ」ってだけ言った。いやジョークなんだよ…いや…ジョークじゃ無いんだ…僕らが提供する唯一の API は、誰かのストリームを読み出すだけ…。うーん、僕が間違ってたのか?

Microsoft はこの20年間ドッグフードルールで知られてる。この時代の彼らにとっての文化の一つなのさ。デベロッパドッグフードを食わせて、僕らだけ人間のご飯を食べようってわけにはいかない。それは単に短期の成功のために長期のプラットフォーム価値を損なう行為だ。プラットフォームってのはまったく長期的な視点必要なんだよ。

Google+脊髄反射の代物さ。 Facebook成功したのは、彼らがすばらしいプロダクトを作ったかだって言う、まあ実に近視眼的なもの見方の結果として生まれものだ。でももちろん彼らが成功したのはそんな理由じゃ無い。 Facebook は他の人たちにも何かをさせてあげられる、プロダクトの美しい集合全体を作り上げたから、成功したんだ。だから Facebook はみんなにとってそれぞれ違うものだ。 Mafia Wars に全ての時間を費やす人もいれば、 Farmville で遊ぶ人もいる。何百の、いや何千の、質の高い、暇つぶしができるってわけさ。つまり、みんなのためにふさわしい何かが必ずあるんだよ。

僕らの Google+ チームは、プロダクトを出した後のマーケットを見てこう思った。「おっとっと、我々もいくつかゲーム必要みたいだな。さっそくどこかと契約して、我々のために作ってもらおう」。これが信じられないくらい間違った考え方だってことが、君にもわかってきたかい?。問題なのは、僕らが、人々がほしい物を予測して、それを提供しようとしているということだ。

そんなことは出来ないんだよ。現実的にはね。確実にやる方法なんてない。もちろんコンピューティング歴史全体を見渡せば、それを確実に信頼性を持ってできる人間ってのがごく数人いることにはいる。 Steve Jobs がそうだろう。でも、僕らの処には Steve Jobs はいない。悪いけど、いないんだよ。

Larry Tesler は、 Bezos が Steve Jobs じゃないってことを口説たかもしれない。でも Bezos には分かっていた。全ての人にふさわしいプロダクトを提供する為に、彼が Steve Jobs になる必要はないっていうことを。インターフェースワークフローこそが、人々が気に入り、安心感を得るものなんだっていうことを。彼はサードパーティ開発者にそれを可能にするだけで良かった。そうすれば、後の事は自動で進んでいく。

僕の言っていることが、あまりにも明白なことだろって感じているみんな(多かったらいいな)には申し訳ない。とにかくもうびっくりするほど自明ことなんだ。ただ、僕らがそれをやってないってことを除いてはね。僕らはプラットフォーム理解していない。プラットフォームを持っていない。アクセシビリティ理解していない。アクセシビリティを持っていない。これらは基本的には同じことだ。なぜならプラットフォームアクセシビリティを解決するからだ。プラットフォームアクセシビリティなんだよ。

後編に続く

2011-08-26

テレビの終わりの始まり

なんだかテレビに随分な逆風が吹きつけているように見受けられる。無理やり推し進めたデジタル化に世論は割合反発を強めているし、ネット世論ではフジテレビ騒動から業界が抱える根幹の問題としての電波利用のモラルハザードが周知されることになってしまった。そしてこの度の島田紳助の引退である。この件は政治的側面から語られることも多く、そこらの事情通はこの引退はまだ端緒に過ぎず、ここから続く一連の出来事を見守る気構えでいるようだ。そのあたりは情報の真偽を確かめる術を持たないので知らない、けれど彼の引退(ここでは敢えて「勇退」とでも言うべきか)は少なくとも「テレビに関わっている人達」に大きな影響を与えたし、そして今後与えていくことになるんだろうと思う。庇護のもとにあった芸能人は勿論、視聴率の稼ぎ頭として頼っていたテレビ局、そしてなにより様々な背後関係になど感心も向けずに、ただテレビスタートして彼をモニターの向こうから見守っていた何千万の無辜の市民芸能界の一時代を築いた彼の引き際をどう見守ったのだろう。

テレビを慈しむ人々というのはそれはもう絶対的になっていて、少しインターネットに触れるようになり物知り顔になってしまうと見落としがちな側面なのだけど、やはり依然として社会において支配的な行動様式というのは朝新聞を読んで、ご飯を食べながらテレビを観て、そして学校会社で話題の中心を占めるのは「昨日テレビで見たあの話」なんだ。これはWEB業界にいたり、ネットを主要な情報源にする仲間たちと群れ合うようになると薄れがちになる感覚なのだけれど、人々の中でそのような旧態依然とした行動様式を採る人々というのは未だ支配的なのは明らかなんだよね。

娯楽としてのテレビがこれまでかくも人々の関心の総量において支配的であった理由というのはそこまで明確ではない。戦後豊かになって時間ができはじめて、生得的に「惰性」という性質を持ち合わせたがゆえのに、ただ受動的に、そして非常に楽な形で情報を受け取ることができるメディアとして非常に便利な箱は家庭に頒布され、今日までアタリマエかのように人々の話題の中心で在り続けた。そしてテレビCMなんていう綺麗な俳優女優の顔でしか認識しないような広告に莫大な広告費がぶら下がることになってきた。

インターネットがこれらの流れを崩すことになるかもしれないよね、なんて話は梅田氏以来、ネット牧歌論的な肯定派の中で何度も云われ続けてきたことではある。しかしこれまではそれはただの業界人ポジショントークであり、楽観的すぎる夢物語として終始してきた。しかしいよいよ本当に人々の眼がひらかれる時が来ようとしているのかもしれないねテレビを「面白く」してきた、有能な大道芸人が辞世し、その箱を通して見る風景が相対的な魅力を失う、同時にスマートフォンはじめとするより開放的な情報体系としてのインターネットへのアクセシビリティが拡充されたときに人々は情報の扱い方を緩やかにでも変えていくのだろう。

大袈裟なのかもしれないよ。でも人々の考え方において大きな影響を与えてきたのは教育マスメディアの中で、そのうちの後者がいま大きく音を立てて崩れようとしているように少なくとも自分には見える。能動的に情報を得ることを覚えた人々は、ネットで調べたあの面白そうなお店に行ってみようということになるかもしれないし、新しい趣味を始めることになるかもしれない。結局これまでのテレビというものが多様な人間余暇生活の中で過大なシェアを占めていたのが、「その中の一部」へと収斂していく過程を僕らは見ているのだと思う。それは明らかに始まっているし、鼻息を荒げるには実はまだ早すぎるのかもしれない。でも僕はその崩壊彼岸にある景色は今より少し綺麗なものが見れるんじゃないかなあと、少しだけ期待をしているんだ。

2011-05-26

国歌起立条例問題とアディダス失言問題におけるブコメの反応と

http://b.hatena.ne.jp/entry/hamusoku.com/archives/4854701.html

最大勢力だけ出力。

anpo-sumeragi うーん。個人的には「お客さんを馬鹿にするような事」をする店員のいる店には2度と行きたくないし、それを黙認するような会社もどうかと思うんだけど。私みたいのは少数派なんだろうか。

ryokusai中傷云々より自社製品を持つてないことを誇らしげにツイートしたのがばれた時点普通の神経なら会社にはゐられまいよ。 2011/05/25

自分の妻を「ビッチを具現化したような女」呼ばわりする店員が居る店なんて二度と行きたくないけど、可哀想って言ってる人はそう思わないのかな…そういう噂が広まると顧客減るし、店側としては妥当な対応と思われ。

rbtsro 接客業でこんなことしでかしたんだから、クビが重い対応とは思わないな。 2011/05/25

rebirthen 「処分が厳しすぎる」といってる人は「テラ豚丼騒動」のときのことを思い出してみよう。

K-Ono 「顧客」に対する損害を与えたのだからなー。まあ少なくとも顧客対応はさせれねえ。それに「イヤな店員」と接して次行きたいと思わんでしょ/やりすぎって思ってる人はリテールの接客業なめてんのかこら。 2011/05/26

jiki8man 身分を明らかにした上で顧客契約選手馬鹿にする社員を雇い続けるメリットなんてないでしょ。解雇が可哀想なんて思わんよ。 2011/05/26

wbbrz 契約選手や自社商品に敬意を払えない上に、それを公に発信してしまうような人間は、ブランド社員としては不適格。無関係な身内に被害が及んだり賠償責任が出たりしたら可哀想だが、ただの解雇なら妥当かと。

feita 身分明かしてお客さん馬鹿にする社員は置いておけないか・・・さすがに。 2011/05/25

temtex 他人に侮辱されてまで買い物したいとは思わんわな、フツー。


彼らの心情の中には当然ながら「組織に属した人間として不適切な振る舞いだ」というのがあるだろう。

しかしよっぽどの社畜でもない限りは「取引先がウザい。営業のアイツ脂汗で窒息してあのダミ声をもっとダミラせて死なねーかなー」のひとつぐらいは思うはずだ。

そしてこれはもちろん問題ない。「内心の自由」というやつだ。これも社畜でない限り納得していただけると思う。


さて、Twitter炎上事件に共通するものがある。それは「Twitterで内心を発露した」ということである。「バカの可視化」と言われる所以はここにあると言ってよい。

つまり、アクセシビリティの飛躍的な向上により、内心が可視化されるケースが増えたということである

もちろん、内心の自由を実際に表現してしまった以上、それは内心とは呼べない。ただ、その方法自体は匿名掲示板愚痴を吐くというルートと同じである

そしてたとえ匿名だろうと書き方によっては補導されるだろう。「殺す」とかね。つもりはなくても、書いたらダメってわけだ。

ネットはもはやグチをこぼすツールとしては成立し得ないのだ。公共性が高まり、そこにおいても私情を殺すことが優先される。プライベート存在しないというのはすべてがパブリックということだ。その意味を少し考えるべきである。もちろんそれはネットにおける活動が表現としての役割が強まっているとも言える。


少し話がそれるが卑近な話題としては、大阪府条例におそらくなるだろう国歌起立の問題がある。

ここでこれを支持する人間の主だった意見としては「公共性が高い、職務命令がすでにされている、職業選択の自由があるんだから嫌ならやめろ」というのがある(反日がどうだとか当たり前だとかいう多くのノイズは、残念ながら”意見”とは程遠い)

はじめに「公共性が高い」という意見について考える。式典が公共性が高い場である、という主張であり、ゆえに起立しないという私事で調和を乱す行為は許されないというのがおもだった筋だ。つまり「ご起立願います」という進行があるのだから、それに従わないのは許されない、ということである

(私は、この文言がないのであれば座っていても公共性は損なわれないとするスタンスだが、おおかたの式典ではそういったアナウンスがあるだろう)

職務命令がすでにされている、というものは割愛したい。

職業選択の自由があるんだから嫌ならやめろ、という意見もある。ただ、この主張は「従うのがあたりまえだろ」という奴隷意識に根ざしているものもいくつか見られているため、あまりいい気分はしなかったのがしょうじきなところだ。


さて、なぜこの二つを取り上げたかというと、組織に従属する人間の行動が、他人に与える影響についてはほぼ似通っているということだ。そしてそれはやはり論理とはかけはなれた、感情に起因するものである

私は企業の判断は判断として受け取るべきだと考えている。すなわち、プロセスはどうあれ、一旦はその命令を受けて、彼女は職を辞するべきであるしかしそれは当然ながら他人の溜飲を下げるためにするものではない。それを望む人間転び公妨などの類を否定するならただの無知と傲慢と油断だ。


このふたつの例における「クビは妥当」と「嫌ならやめろ」は同根である。もっと言ってしまえば、集団の構成員に思想信条の自由などは存在しないということである

もちろんそこには「集団に適格な資質」が内在している。つまり、内心に叛意を抱くことのない強固な愛国心、愛社心が求められているということだ。構成である以上トップダウンは絶対であり、構成員もそれに逆らってはならないのである。そしてあろうことかそれは「外圧」によってなされるということだ。

では、それは実現可能継続可能か?

もちろんNOだ。

これはゼロリスクと同じ(All or Nothing)の思考である信仰くさく言えば「処女性」である処女性は未経験に起因するのではない、その純潔さの信仰によって得られるのだ。一縷の穢れさえ許されない、ということだ。

からこそ彼らは集団にもその純潔さとしての整然を求めるし、調和の取れた動きとしてミリタリスムな行動を求めるのである


彼女は排外されたのだ。穢れたものとして。穢れた人間のいる店には通いたくないという外圧を前にして排外されたのだ。

彼女は何処へ行くのだろう。穢れた公務員は何処へ行くのだろう。

彼らにはNIMBYこそふさわしい。そう考える。あるいはNIMBYさえも相応しくない。そう考える。

奴らと同じ空気を吸いたくない。

こういう欲求が、ヒトを殺す。

そしてそれは、合法だ。

今日も見えないところで人が死ぬ。

それは信徒の意志だ。

人が死ぬたび、空気清澄に、社会が良くなる。心なしかごはんも美味しい

2011-01-08

http://anond.hatelabo.jp/20110108130314

読み違えてるんでないかな。

アクセシビリティが向上しているのだから、これまでより二物を与えられる可能性が高くなった、という程度でいいと思うが。

からできる人はできるし、できない人はそのまんまってことで。

なんというか、こう一本槍な発想はいいんだけども、それを絶対視するのはどうかと思う。

2010-12-21

SEO存在を認めない人っているよね。

SEOを認めない人

SEOで食ってる人



なぜか日本ではシェアが高いYahoo!検索エンジンGoogleしたことで注目が集まっているわけだけど、最近ウチが請ける大手さんの仕事も、中堅どころの仕事にもSEOは要件に入ってない。

2010-09-30

久しぶりにお目にかかりまして

ネットをうろうろしていたら、かなり久しぶりに"sorry Japanese only"の記述を見た。

そいえばこれ、10年くらい前は個人のページにふつうに書いてたよね。

最近この表記を見かけなくなった理由はいろいろあげられると思う。

ネットそのものの多言語化が進んで、2000年ごろに英語と非英語のページ数が逆転して、

ま、日本語コンテンツも増えてきたし、そんなこと書かなくてよくね、となったんだと思う。

それから日本人日本語を使って何が悪い、という一種の哲学的というかイデオロギー的というか、そういうのもあったと思う。

あと、この表記は「外人さんお断り」のようでかえって印象が悪くなる、ということも言われた。

それから、そもそもHTMLタグ言語について記述すれば済むことでもあった。

上に挙げたすべての理由にもまして、

そこまで深く考えなくても簡単にネット意見を発信できるようになった、というのが大きい。

2003~2004年ごろ、ブログの出現でページ数は圧倒的に増えたけど、

それと同時にクオリティもかなり下がった。

ネット意見を発信している人たちの中で、HTMLとかについての基礎的な理解のある人の比率は下がる一方に思える。

そんなこと考えなくても立派な日記が作れちゃうからね。

ブログ出現の前、ホームページビルダーができた時にも、やはりクオリティの劣化はあった。

初期のホームページビルダー素人が作ったページは、アクセシビリティとかもかなりひどかったよね。

今でもアクセシビリティについて真剣に考えている人はそれほどいないけど、

そもそものホームページ作成ツールがよくなってきているし、アクセシビリティに配慮しないとSEO的にも不利になる時代になった。

環境は整ってきているし、コンテンツは下がってきている。

ページ数は増えたけど、昔のほうがもっと個性的なページがいろいろあったよね。

今でもあるんだろうけど、検索で上位に引っかかってくるのはたいてい似たような内容のもの。

なんて、いろいろ思い出した。

地味ではあるが、時代は変わっているんだと実感できた。

2009-11-28

HTMLを体系的に理解するための7仕様

はじめに

最近マークアップエンジニア志望の若者と話す機会が多いのだけれど、そこで気づかされるのは、彼らの中に過去HTML(特に90年代以前の仕様)を読んだことのあるという人が、驚くほど少ないことだ。

例えば「マーク・アンドリーセンをどう思う?」と聞くと、「アンドリーセンって誰ですか?」という答えが返ってくる。「ヨスケの独自要素で何が一番好き?」と聞くと、「見たことがありません」と言われてしまう。「ではきみは、昔のHTMLを見たことがあるの?」と聞くと、たいていが「とほほでやっていたものくらいなら……」という答えしか返ってこない。

今の若い人の間では、HTMLを体系的にとらえようという人は少ないようだ。見るのは専ら近年の話題仕様ばかりで、歴史を辿ってみたり、系譜をひもといて標準化団体ごと理解しようとする人はほとんどいない。

これは、ちょっと由々しき問題だと思わされた。HTMLは、もう長いこと(90年代の早い時期から)インターネット王者としてあらゆるWeb関連技術の上に君臨してきた。だから、Webを作ることを仕事にしたいなら、何をするにせよ避けて通ることはできない。

HTMLは、表・画像・フォーム・音楽デザインフレーム動画など、さまざまな分野においてその時代々々に達成された最新の成果を持ち寄るようにして作られてきたところがある。だから、HTMLを読まずして現代のインターネットは語れないと言ってもいいくらいだ。

もし何かクリエイティブなことをしたいのなら、HTMLを読むことは欠かせない。また、単に読むだけではなく、それを包括的・体系的にとらえることも必要だ。なぜなら、HTML包括的・体系的にとらえることによって、現代のインターネットそのものを、包括的・体系的にとらえられるようになるからだ。そしてそうなれば、Webを作ることの道理や筋道が理解でき、何かクリエイティブなことをする上で、大きな助けとなるからである。

そこでここでは、昔のHTMLをほとんど見たことがないという人や、あるいはHTMLそのものもあまり見ないという人のために、これを見ればHTMLを体系的に理解でき、現代インターネットの成り立ちや実相までをも包括的にとらえることができるようになる、7本の仕様を紹介する。

ここで紹介するHTMLは、いずれも後のWeb業界に決定的な影響を与えたものばかりだ。これらが、HTMLという標準のありようや方向性を決定づけた。この7本を見れば、HTMLというのはどのようなきっかけで生まれ、どのような変遷を辿って、どのような足跡を残してきたかというのが、体系的に理解できるようになる。そしてそれが、世界インターネット利用シーンにどのような影響を及ぼしてきたかということも、知ることができるようになるのだ。

HTMLを体系的に理解するための7本の仕様

1本目『HTML 3.0』(1995年

まず最初は、ちょっと強引かも知れないけれど、第一次ブラウザ戦争前のHTMLをひとまとめにするところから始める。

80年代末にティムバナーズ=リーの発明したHTMLというメディアは、その後『HTML 1.0』(1993年)『HTML+』(1994年)『HTML 2.0』(1995年)などの仕様で次第にそのスタイル確立していき、マーク・アンドリーセンが一大産業として発展させた後、『HTML 3.0』に行き着く。そして幸運なことに、ここに集大成されるのだ。

ブラウザ戦争前のHTMLは、これ1本だけ読めば良い。このHTMLに、戦前HTMLの全ての要素(属性)が詰まっている。このHTMLを見れば、HTMLインターネット王者としての風格、スターという存在の大きさ、作者以上にブラウザが重視される「産業」としての側面、お尻Pから終了タグ省略可へ・文字情報から画像付きへと移り変わった技術革新の変遷など、戦前HTML史やWeb業界のありようが全て分かるのだ。

このHTMLの魅力は、説明し始めるといくら紙幅があっても足りないので、ここではその一端を紹介するにとどめておく……といっても、気の利いたことを言えるわけではない。『HTML 3.0』の魅力を知るには、まずは読んでもらうこと――これに尽きるからだ。そして、もし一度でも読めば、その魅力はたちどころに理解できるだろう。

HTML 3.0』を見て驚かされるのは、現在HTMLと比べても全く遜色ないところである。破棄されてから14年の時が経過しているが、現代人の読解にも当たり前のように堪えうるのだ。それは、逆にいえばHTMLというものは、今から14年前、つまりこの『HTML 3.0』が作られた時点で、様式として一つの完成を見たということでもある。

HTML 3.0』は、HTMLという標準が到達しようとした一つの極みである。それゆえ、HTML史というものは、『HTML 3.0』以前と以降とで分けられるようになった。これ以降に作られたHTMLで、『HTML 3.0』の影響を免れたものはないからである。

2本目『Compact HTML』(1998年

iモード世界HTML史に与えた影響というのは、一般に理解されているよりもはるかに小さなものである。日本人というのは、「日本技術世界に影響を与えた」というと、なぜか鼻高々と聞いてしまうところがある。「日本ガラパゴス」という言葉は聞いたことがあっても、「それって日本人過小評価しているだけじゃないの?」と、眉に唾をしてとらえるところがある。

しかしiモードは、真に日本HTML史を塗り替えたサービスの一つである。特に、このサービスの後世に与えた影響には、本当に計り知れない大きさがある。

iモードは、ドコモメインストリームだったポケットベルが、それまでの栄華の反動で深刻な低迷期に陥っていたPHS流行後すぐの時期、そんなポケットベルに取って代わって、日本で最も輝いていた携帯サービスであった。それゆえ、広末に見蕩れ世界HTMLファンたちは、iモードWebサイトを見ることによって、失われかけていたWeb制作の魅力を再発見することにもなったのである。

iモードは、没落したHDMLに変わってモバイルWebの命脈をつなぎ止めた、言うならば救世主のような存在であった。海外モバイル陣営が営々と築きあげてきたそれまでの栄光を切り捨て、日本の後代へと引き継いだ重要リレー第一走者としての役割を、HTML史において担ったのである。

そして、そのバトンを受け取った日本の若きWebデザイナーたちが、2000年代に入って雨後の竹の子のように現れたことで、モバイルWebは鮮やかな発展を遂げる。だから、もしiモードが存在しなければ、HTMLの様相は今とは違ったものになっていたかもしれないのだ。

そんなiモードHTMLバージョンはいくつもあるのだが、中でも特に多くのHTMLファンを――取り分け日本の若きWebデザイナーたちを魅了したのが、この『Compact HTML』である。この仕様の一番の魅力は、なんといってもその大胆に構築されたW3C Noteであろう。HTML史において、これほど拡張多く適当ディテールで構成されたNoteは他にない。そのためこのNoteは、これ以降無数に手本とされ、真似され、拡張されることとなるのである。

3本目『HTML 4.0』(1997年

正字仮名の影響を受けた日本の若き日記書きたち――言うなれば「CSSコミュニティ」――が頭角を現す直前のW3Cで、HTML史に乾坤一擲の巨大な爪痕を残した1本の仕様誕生する。

この時期、情報技術進歩によって、HTMLにもさまざまな新しいテクノロジーがもらたされていたのだが、それらを十全に取り入れたばかりではなく、縦横に駆使することによって、これまでとは全く違った国際化、全く違ったアクセシビリティ体験を生み出すことに成功したのが、この仕様HTML 4.0』を勧告したWorld Wide Web Consortiumである。

HTML 4.0』は、HTML史において最も革新的な仕様の一つとなった。この仕様に初めて触れた当時のWebデザイナーたちは、そのあまりの目新しさに度肝を抜かれた。そこでは、これまで全く見たことのないマークアップがくり広げられていた。そのため、これまで想像さえしたことのなかった全く新しいHTML体験を、そこで味わうことになったからである。

W3Cの果たした一番の功績は、テクノロジーHTMLを見事な調和をもって融合させたことだろう。例えばそこでは、「スタイルシート」という新しい技術デザインと、それでレイアウトされたページが閲覧者に与える独特の感覚というものを、双方ともに熟知していた。だから、それらを効果的に融合させることによって、全く新しいHTML体験を生み出すことができたのである。

この仕様HTML 4.0』には、そうしたテクノロジーHTMLとの融合が、至るところに散見できる。その数の多さとクオリティの高さによって、HTMLはここに、新しい時代の幕開けを迎えるに至ったのである。

4本目『ISO/IEC 15445:2000』(2000年

先に述べた「CSSコミュニティ」がWeb日記業界に論争をもたらすのは、2000年代に入ってからのことである。そして、そのきっかけとなったできごとの一つが、1947年生まれの非政府組織で、IECとも協力した生粋工業標準化団体であった国際標準化機構が、この仕様ISO/IEC 15445:2000 (ISO-HTML)』によって成功を収めたことである。

このHTMLは、単にJIS的に標準化しただけではなく、文化的な意味においても、フラットリニア構造の力を広く世界に知らしめることとなった。この仕様の成功によって、世界の人々は、レベル付けされた見出しの魅力の大きさを知る。そしてそれが、やがて見出しレベル分けが世界スタンダードとなり、誰もが当たり前のように使う状況を育んでいくのである。

またこの仕様は、CSSコミュニティそのものにも大きな影響を与えた。この仕様の成功に刺激を受けた才能ある若きコミュニティ住人たちが、その後立て続けに台頭し、いくつもの名サイトを生み出していくからである。

それらが相まって、やがてCSSコミュニティは空前の黄金時代を迎えることになる。その端緒となり、道筋を切り開いたのが、他ならぬこの『ISO-HTML』なのだ。

5本目『XHTML 1.0』(2000年

HTML 4.0』で繁栄の足がかりを築いたW3Cは、この仕様XHTML 1.0』によって、ついにその栄華の頂点に達する。そして、それを成し遂げたメタ言語も、W3C勧告のの一つであり、また『HTML 4.0』を作ったSGMLの改良でもあった、Extensible Markup Languageであった。

この勧告は、史上最も商業的に成功した仕様となる。そのためこれ以降、この勧告にならって商業バズワードを盛り込んだ仕様が数多く作られるようになり、しかもそれらが、実際に大きな商業的話題を集めていくのだ。すると、そこで生み出された多くの意見は、やがて再びW3C還元され、さらなる発展をもたらすことにもつながった。

そんなふうに、この仕様がきっかけとなってW3Cにもたらされた意見は、HTMLという言語を変革させていくことになるのだが、それに伴って、HTMLそのものにも大きな革新をもたらすことになる。

その変革も、他ならぬW3Cの手によってなされた。ここで『XHTML 1.0』の成功によって手にしたメンバーをもとに創設した文書マークアップの開発集団「HTML Working Group」が、より魅力的な拡張性を追求していく中で、やがてM12n(モジュール化)という技術の開発に至るのである。するとそれが、これまでのHTMLを一変させたのだ。

M12nは、HTMLに魅力的かつ効果的な特殊語彙を、DTDでしかも複雑怪奇にもたらすことに成功した。おかげでそれは、あっという間に世界から見捨てられていった。そのため今では、M12nの使われているHTMLを探す方が難しくなったくらいだ。それくらい、この『XHTML 1.0』がWeb業界にもたらした変革には、大きなものがあったのである。

6本目『XHTML 2.0』(2009年

2000年代以降、繁栄を謳歌したW3Cは、しかしその栄華の大きさゆえ、00年代中盤に入るとそれを存続させることに力をそがれてしまい、革新的な仕様はなかなか生まれてこなくなった。

しかし、そんな時代が5年は続いた00年代の後半になって、今度はその栄華のただ中で育った新しい世代のHTML WGメンバーたちが台頭してくることにより、再び変革の時を迎えることとなる。

その新しい世代のHTML WGメンバーとは、マイクロソフトモジラファンデーションオペラらに代表される「ブラウザベンダ」と、無関係な編集者たちであった。

彼らに共通するのは、文書構造に不必要なものなら全て――とるに足らないガジェット的なものまで含めて――残らず切り離そうとする「オタク的な性質」を持っていたことだ。

彼らは、それまで見過ごされがちだったHTMLの些末な要素にスポットを当て、それを別仕様に押し出すことで、従前とは一風変わった、新たな魅力を持った草案を生み出していった。そして、その真打ち的な存在として00年代の後半に登場したのが、XHTML2 Working Groupだ。

XHTML2 WGは、特に99年に最後の草案が作られたこの仕様XHTML 2.0』によって、オタク的なHTMLの楽しみ方が、一部のマニアだけにとどまり、それ以外の多くの人たちには受け入れられないことを証明してみせた。この失敗が、デ・ファクト的な新生HTML WGにさらなる脚光を浴びせることになったのはもちろん、それに影響を受けたWeb WorkersやDOM Level 3 Eventsといった、次世代のWeb標準たちの誕生にもつながっていったのである。

7本目『HTML5』(2022年?)

最後は、第二次ブラウザ戦争集大成ともいえるこの仕様である。

HTML5』は、HTML史においては『HTML 3.0』と同じような意味を持つ。つまり、それまでのHTMLの要素が全て詰まっているのだ。この仕様を見れば、それ以前のHTML歴史というものが全部分かる。

HTML5』には、HTMLのあらゆる要素が詰まっている。ここには、『HTML 3.0』のような歴史的な仕様としての「総合性」があり、『Compact HTML』のような「実装の実在さ」がある。『HTML 4.0』のような「マルチメディアアクセシビリティの融合」があり、『ISO-HTML』のように「セクション構造の魅力を全世界に知らしめ」た。また、『XHTML 1.0』のように「バズワード的に成功」したのはもちろん、『XHTML 2.0』が別仕様押し出した「オタクガジェット」にも満ちている。

全て詰まっているのだ。なんでもあるのである。つまりこのHTMLは、『HTML 3.0』と全く同じ意味合いを持っているのだ。HTML史というものは、『HTML5』以前と以降とで分けられる。これ以降に作られるHTMLで、『HTML5』の影響を免れるものはないであろうからである。

まとめ

以上、これさえ読めばHTML包括的・体系的にとらえることができる7本の仕様を、制作された年代順に紹介した。

こうして見ると面白いのは、歴史的に重要仕様は、必ずしも定期的に現れるのではなく、あるところでは連続しているし、あるところでは長らくなかったりすることだ。それはまるで「素数分布」のようだ。一見規則性はないように見えるものの、何かしらの法則が隠されているようでもあり、興味深い。

それから、ここに挙げた仕様は、いずれも「読むことによって他の仕様にも興味が移行する」ということを念頭に選んだ。

例えば、『HTML 3.0』を読んだならば、ブラウザ戦争前夜の独自HTML拡張自然と興味がいくだろうし、『Compact HTML』を読んだなら、iモードのそれ以外のバージョンHTMLも見たくなるだろう。CSSコミュニティについてもそれは言えるし、『ISO-HTML』を読んだなら、このHTML流行らす土壌ともなった「フラットリニア構造」というムーブメントにも自然と興味がわくはずだ。さらには、『XHTML 1.0』はXMLオタクになるきっかけになるだろうし、『XHTML 2.0』はその他の「オタク的なXML EventsやXForms」の仕様も見たくなるという効果を持っている。

ただし、最後に選んだ『HTML5』だけは、こうした例とは別に考えなければならないかも知れない。なぜならこのHTMLは、完成度があまりにも高いために、これを見た後に他のHTMLを読むと、どうしても物足りなく感じてしまうからだ。

しかしいずれにしろ、これらの仕様を読むことによって、HTMLをさらに愛さずにいられなくなるのは疑いない。そしてまた、これらの仕様を読むことによって、HTML包括的・体系的に見る目を養ってもらえれば、その後のクリエィティブな活動にも、大きな助けとなるはずだ。

おまけ(参考文献)

上に挙げた仕様への理解は、以下に紹介する著作を読むことによって、さらに深まる。これらを読むことによって、ぼくは「HTMLを体系的に見るとはどういうことか」を学んできた。

高校時代に読んだこのサイトによって、「リソースとは何か」ということを、ぼくはを知った。

HTMLSGMLの応用だ」ということが、このサイトを読むことでよく分かる。何気なく見ていた省略記法でも、その裏には、実にさまざまな技術や、それを開発してきた歴史というものが隠されていた。

世界CSSコミュニティの何に驚かされたかといえば、それはやっぱり精緻に書き込まれた正字仮名にだ。ノジタン日記には、HTML本質が詰まっている。だからこそ、あれだけ多くの日記で多くのコミュニティ住人に、言及されたり模倣されたりしたのだ。

ここでは取りあげられなかったのだが、とほほ氏がHTMLというジャンルに及ぼした影響にも、本当に大きなものがある。そして、ぼくが上に挙げた感想のいくつかは、このサイトに書かれていたばけらさんとの「スタイルシート論争」を参考にしたものなのだ。

これらのサイトを読めば、どんなHTMLが素晴らしく、どんなHTMLがそうではないというのが、よく分かる。その判定基準を知ることができ、審美眼を養うことができるのだ。なにしろ、あのCSSコミュニティ住人の言うことなのだ。これにまさる教科書は、他にはない。


元ネタ

2009-01-22

高学歴がんばり屋はWEBクリエーターになろうとすんな

http://takahashifumiki.com/others/480/

WEBクリエーターって無能なスイーツ(笑)でも

まぁまぁまともな生活ができる楽園なんだからさー。

アンタのような頑張り屋さんで能力が高い人が

わんさか来ちゃうと、居場所なくなってしまうでしょ。

しーえすえすないと見ればわかるでしょ?

俺らがスイーツ(笑)だって。

HTML/xHTML

俺達WEBクリエーターメインとなる道具。

これを知らなきゃ始まらない。

当然一度くらい仕様書読んでるよね?

「・・・」

CSSはっく

クソプログラマがわけわかんねぇ実装するから

俺たちはこんな苦労してんだ。

あー忙しい忙しい。

うんそうだね。でもあと5年もすれば

そんな知識ほとんど必要なくなるけど

ほかに何ができんの?

「・・・」

WEBデザイン

やっぱ俺たちが作ったサイトキレイでオシャレだよな。

見てみろよこのきらきら感。

どのサイトきらきらしてて

同じようなレイアウトで違いがわからないんだけど?

ってかこんな海外サイトあっあよね?

「いろいろサイト見て参考にしてるんで・・・」

まぁ0->1を生み出せる人間なんてほとんどいないわけだから

君たちは1を1.1にしてくれればいいよ。

じゃあ1日100サイトくらいは見て研究してるんだよね?

「・・・」

・・・じゃあなんでこの位置にこのボタン置いたの?

「・・・なんとなく」

wwwwww

なんとなくって何だよwww

クリエーター自分の作ったもの説明できなくてどうすんだよwww

見た目だけパクってんじゃねーよ。

デザイン

俺達Photoshop使い。この合成まじ芸術

結構絵を描いてきてるんだよね?勉強してるんだよね?

この画像パース狂ってるし光源がわけわからなくて気持ち悪いけど?

「・・・」

アナログできねーやつが

Photoshop使ってもたかがしれてんだよwww

色についてちゃんと勉強したの?

なんで病院サイトで背景黒なの?死ぬの?

「イキル。なんかクールじゃないですか??」

色の本は1冊くらい読もうよ。

ユーザビリティ

やっぱサイトユーザビリティ考えて作らないと嘘でしょ。

うんうん重要だね。

で、ヤコブニールセンは当然読んでるんだよね?

「・・・」

アクセシビリティ

やっぱ俺達クリエーターがつくったクールサイト

多くの人に見てもらいたいんすよ。

うんうん。そうだね。

で、ガイドラインは当然読んでるんだよね?

「・・・」

Flash

やっぱFlashインパクツあるよな。

マジ引き込まれるわ。映画のようなサイトだよな。

おぉさすがクリエーター。センスあるね。

ところでさっき言ってたユーザビリティ

アクセシビリティとか考えているんだよね?

「・・・あぁまぁ一応」

で、どこクリックすればいいの?

「・・・」

データベース

半端な知識で設計されても後々困るからやんなくていいよ。

.htaccess

100ページもmetaタグ転送設定すんのかよ。

無茶な要求しやがって。こういうわけわかんねぇ

依頼が来るから俺達WEBクリエターは大変なんだよ。

.htaccessディレクトリ以下転送すれば?

「・・・?」

別に.confには触れなくていいから、

.htaccessくらいは設定できるようになろうよ。

君らの大切な作品置く場所をコントロールできるんだよ?

興味ないの?死ぬの?

「イキル。でも興味はありません。」

パーミッション/所有者

内容が同じファイルUPしたのに動かない・・・

パーミッションが違うよ。

よく使うFFFTPに項目あるじゃん

どういう意味か調べないの?興味ないの?死ぬの?

「イキル。でも興味はありません。」

Perl/PHP/Ruby/Python

フォームなんていろいろあるから

適当に選んでUPするだけでだろ。簡単簡単。

え?確認画面がほしい?

「無理です。」

別にアプリケーション作れとは言わないけどさ

単なる問い合わせメールフォームくらいつくれない?

サイトにフォームは必須じゃんwww

サーバサイド言語を1つくらいは勉強しとけよと。

簡単なカスタマイズもできないようじゃ

顧客の要求にこたえられないだろ。

ajax

やっぱ今はAjaxだよね。スクロールしてもサイドバーがついてくるんだぜ!!

なにこの使いやすいサイト。俺達天才

ライブラリ読み込んでるだけじゃね?

しかもDOMってるだけだよ。

アプリケーション作れなんて言わないから

コアとDOMくらいは勉強しておくべきじゃね?

大切な道具であるHTMLコントロールできるんだよ?

君らクリエーターならこのナビゲーション

俺ならこうするって思うことないの?

「・・・ライブラリで充分です。」

正規表現

またバカなクライアントから修正きたよ。

まぁ俺がサービス名間違ってたんだけど。

確認しないの?

クリエーターだし誤字脱字の確認は俺の仕事じゃないっす。」

ふーん。ちなみにIE6でレイアウト崩れてるけど?

「・・・」

で、なんでその誤字の修正に3時間もかかってんの?

「だって100ファイルもあるんですよ?俺じゃなきゃ1日あっても終わらねっす。」

君らが大好きなDreamweaverで多少正規表現使えなかったっけ?

1分で終わるよ。自分使うツールの機能に興味ないの?

忙しい忙しいって無能なだけでしょ?

「興味ないです。CSSダイアログで設定する機能くらいしか使わないです。」

CSSすら覚えてねーのかよwww

正規表現完璧に使えなくていいから

サルでもわかる正規表現くらい読んだら?

WEBクリエーターって仕事

これまでのようにやっぱり自分が満足できる

クールサイトを作って行きたいですね。

うんうん自分が納得できるものを作るのは大事なことだね。

でも君の制作したサイト商品何も売れてないよ?

サイト見てるユーザが全然満足してないんじゃない?オナニーなの?

「・・・でもクライアントはきっと満足してますよ。俺のオナニーすごいし。」

クライアントクールサイトじゃなくて

売れるサイトが欲しいんだよ。

クソみたいな商品を扱ってるサイトでも

なんとか売るのがてめぇらの仕事だろが。

俺たちWEBクリエーター。オシャレな奴とはだいたい友達

思い知ったかい?俺たちWEBクリエータークオリティを。

俺たちWEBクリエーターはさ、一流の本物デザイナー様とか

一流プログラマ様が作ってくださった物をまったく理解しようともしないで

いじくってるバックボーンなきスイーツ(笑)なんだからさレベル高い奴はくんな。

こんな程度のスキルで4、500万は稼げちゃって

やっすいキャバでもオークションのやり方教えてとかブログのやり方教えて、

とか言われてお家行ってにゃんにゃんできちゃうわけだから出たくねーよこんな楽園。

しかもこんな能力じゃ楽園でたらどこも行くとこないよ。

もし追い出されたら元WEBクリエーター村でも作って

なんで努力してる人がいい環境

努力してない俺らが明日食べるのに困るんですか?

努力しないでそこそこの金がもらえて

おしゃれって思われる仕事を用意するのが政治だろって訴えますよマジで

だから高学歴がんばり屋の優秀な人間はくんな。

でもねぇあと10年もすればデザインとかコーディングなんかも

海外に出されて、ライターだったりアイデア出せる人間しか

残らないだろうけどなwww

オワタwww

2009-01-21

http://anond.hatelabo.jp/20090121041829

MAPクライアントサイドクリッカブルマップ定義

一応imgを挟む必要は必須ではない…まあ普通イメージマップにしか使わないけどな。

んで、何で使っているのかというと、多分アクセシビリティの向上の為。

音声読み上げソフトでこのテキスト読ませたいお…→でもここには特に構造上の意味は無いお→

他の要素だと見た目のレイアウトは変わらないけど内部構造に変化を与えちゃうお→じゃあ一番構造的に問題の無いMAP要素使うお!

って感じだと思った

2009-01-12

韓国サイトIEマンセーで酷い。

仕事韓国企業サイトデザインすることになった。

担当者である社長と打ち合わせをしたが、彼は日本企業サイトはあまり好きではないらしい。

ターゲット日本人なので、日本人向けのデザインの方がいいと思うのだが、

それを説明した上でも、韓国っぽいものの方がいいという。

じゃー韓国サイトデザインで調べて参考にするかと、.co.krでググってみた。

韓国ではFirefox 3が使い物にならない理由

とあるので、そこそこ覚悟はしていたが、やはり酷かった。

とりあえず、制作の役に立ちそうな特徴からピックアップしてみる。

・ページ毎にメインカラーを変える傾向が強い。

例:http://www.grandhotel.co.kr/

・とにかくFLASHを使う。グローバルナビでは、FLASH必須。しかもサブナビが下一列に出る。

例:http://www.sst.co.kr/

・各ページのメインイメージFLASHにしてる。文字がハデに出てくる。

例:http://www.zalman.co.kr/jpn/WTB/Area.asp

・「TOPへ戻る」ボタンが上下する。

以下悪い点。

・なぜかフレームを使って、ページを移動してもURLが変わらないようにしている。

例:http://www.wonbinus.co.kr/japan/

ポップアップ大好き。

コーディングが雑。テキストにすべき所も画像になってる。

 ハングルは読めないから何書いてるかわからないが、あんまSEO概念がないのか?

ロールオーバー?何それおいしいの?

Firefox?何それ(以下略

・(x)htmlcss?何(以下略

一言でいうと、FLASH使ってカラフルならよさげで(かなり乱暴なまとめだ)、Firefoxなんて動作確認しない。

韓国サイトを見てる韓国人オーナーのクライアントがいたら、

酷い部分は置いといて、カラフルなのとかを真似たら、きっと満足してくれると思うよ!


以下、各サイトの寸評。

http://www.byj.co.kr/

言わずと知れたペヨンジュンfxで見ると、

\n'); document.write (' \n')

コードが丸見え。

http://www.grandhotel.co.kr/

ホテル

普通ポップアップが二つ出やがるwウゼエ。

fxだと普通に表示がオカシイ。しかもFLASHの所が。

cssを外してみるとFLASHの上にFLASHを乗せてる。

ロゴメインイメージ、ナビ、サブナビで合計4つのFLASHを使い、

さらにフッタ部分でもうねうねするFLASH

http://www.wonbinus.co.kr/japan/

ウォンビンサイト

ページを移動してもURLが変わらないと思ったら、何故かフレームを使っていた。

フレームを使う必要性がわからない。

ページ毎に色が変わる。

http://www.hello7.co.kr/

SE7ENサイト。フルフラッシュ

まあふつう

http://www.seoulroyal.co.kr/

ソウルロイヤルホテル

デザインは個人的に好き。

fxだとセンタリングがずれるだけでなく、左側ナビ部分に謎のFLASHが登場する。

ここもフレームを使っていて、URLが動かないようにしている。

FLASHのナビ以外、ロールオーバーしないという潔い仕様

「ROOM」内のローカルナビをクリックすると、ポップアップで部屋の紹介が出るという仕様。なんだそりゃ。

パンくずリンクリンクになってない。

http://www.seoulcasino.co.kr/

韓国版はポップアップが出る。

ハデ。PIPかと思いきや、お辞儀してるだけで話さない。

カジノだけに金かけていて、全ページFLASH

各ページでメインカラーが違う。

http://www.seoulcasino.co.kr/Kor/gaming/slot.asp

ここなんかではajaxを使っている。

何故か本文はコーディングされていない。

右下にフローティングの「TOPへ戻る」ボタンがある。

これ、韓国人好きみたい。

http://www.bonstyle.co.kr/

BON。ファッション雑誌サイトだろうか。

他のページに飛ぶが、やっぱりURLが変わらない。

fxだと当然のようにレイアウトが崩れる。

IEだと右側にFLASHローカルナビが上下するが、fxだと左側でしょんぼりしている。

フッタのデザインと、そのFLASHマウスの位置に反応する遊び心はいい。

http://www.sst.co.kr/

ソウルシニアスタワー。

江南区とその周辺で高齢者向け高層住宅及び痴呆高齢者グループホームを運営。施設、 サービスの紹介、入居案内。」

だそうだ。なんと日本サービス

お約束のようにグローバルナビがFLASHで、下横一列にサブナビが出てくる。

メインイメージFLASHの下のアイコンロールオーバーしない。

TOPへ戻る」ボタンがやっぱりある。

fxで見ると、フッタ部分がむやみに延びている。

酷いのが、勝手にしゃべり出すハタ迷惑なサイト

サウンドオフは当然ないし、

それどころかちっこいメディアプレーヤーが埋め込まれていて、それが勝手再生する。

つまり音声が二重になる。何考えてんだ?

コピーライトが「1981-2005」てどーゆーことだよ。

ふつーサイトオープン時からだろ?

インターネット韓国が作ったニダ!」というセリフがふと頭をよぎった。

音声の件にしろ、コピーライトにしろ、なんかものすごくこの企業自己主張を感じる。

どうでもいいが、flashに出てくる女性がどう見てもブ×だろ。

もう少しいい素材はないのか?

一枚だけなんか見たことある写真だと思ったら、

http://www.sozaijiten.com/cdrom/imagedetail.asp?pid=316&fid=00017007&i=1

だったorz

http://www.daraelaw.co.kr/index.php

「多来」。弁護士事務所でいいのかな。

高級感がある。ナビがFLASHで、やっぱり下にサブナビ。

fxだと「TOPへ戻る」が上下しない。

パンくずリンクリンクしてない。

http://www.wjis.co.kr/

(株)宇進産電。

IE7で見てもfxでみても、かわいそうなことになっている。

グローバルナビはflashで(以下略

ページによってメインカラーが違う。

ヘッダ部分はフレームで分けてあり、コンテンツ部分のみ変わるようにしてある。

IEだとローカルナビが上下するが、fxだとNG

さらに、fxで見てたら、右から2番目のボタン日本語だと「研究書紹介」)をクリックすると、

「攻撃サイトとして報告されています!」と表示された。

こんなの初めて見たよ。

http://www.zalman.co.kr/jpn/main.asp

「ZALMAN」

自動的に日本語サイトに飛ばされてしまうが、まあいい。

企業ロゴがヘボいわりには、サイトの内容自体はしっかりしている。

グローバルナビ、ローカルナビ、メインイメージFLASH

ここが一番見やすい。

追記:30ブクマくらいはいくかと思ったけど、思った以上に反応があって驚いた。

ブクマで書かれてたけど、各国のサイトを調べたら面白いかもね。

韓国って、国定教科書が一つしかないんだっけ。

今回調べてみてそれを思い出した。

自由なはずのインターネットでも選択権がなくて、IEでしか見られないってのは、けっこう悲惨な状況だと俺は思う。

視野が狭すぎる。

IEのみ対応ってのは、シェアを考えればたしかに「合理的」ではあるんだけど、

こんな状況だとIE8がリリースされたら、どんだけまともに閲覧できるんだろう?

(β版は全然試してない)

その時はその時で作り直していくんだろうけど、結局将来的に無駄リスクを抱えるわけだ。

単純に見た目のデザインとしては、

グローバルナビがFLASHだったりFLASHもハデで見た目はまあいいんだけど、

フレーム使ってURL固定してたり、ロールオーバーなかったりと、ディティールがすごい雑なんだよね。

topへ戻る」は利便性もあるだろうけど、見た目的に上下するのがカッコイイからつけてる気がしてしまう。

アクセシビリティなんて概念はなさそう。

もちろん各国によってブラウザシェア現実的なコストの問題もあるが、

そもそもweb制作って、W3C標準に準拠すべきものじゃないのか?

そういう観点から言っても、どうなのかなーと疑問に思わざるを得ない。

特徴として追加で、

・色であんまゾーニングしない。レイアウトの枠を感じさせないデザインが多い。

写真じゃなくて、写実的なイラストを使ってるのが多い。

てところか。

あ、ZALMANのデザイナーじゃないんで、よろしくw

2008-06-26

この10年は何だったんだろう

1998年から10年経って俺のネット生活も10周年だ、おめでとうコノヤロウ。

かしこの10年で何が変わったんだろう。

国の方針というか政策で、日本はかなりネットが安い国になった。

i-modeのおかげでネット人口は爆発的に増えた。

そのはずだった。

先日、とあるサイト仕事で作った。

ようやく出来上がったかと安心しきっていたところ。

「すいません、アドレス入れてもウチのサイト見れないんですが」

電話

いや、見れる。

ブラウザ変更してもOS変更しても見れる。

聞くところによると、YAHOOの検索のテキストフィールドに打ち込んでいたらしい。

別のお客のとこのPCをチラ見したら、アドレスバーそのものがなかったりとか。

全然ダメじゃん日本ネット

10年たって、いろいろ面白いものがネットには出てきた。

流行り廃りも激しいエキサイティングなテクノロジーだ。

でもそんなのはごく一部のお祭り騒ぎなんだ。

FirefoxDLギネス祭りだって、そのへんの女子高生は知らない。

CSSとかJqueryとかアクセシビリティガイドラインとかセマンテックウェブとか。

もうそんなの全然関係ないのが実情だ。

チラシのDTPデータJPEGに変換して張り付けるだけでもきっと20万円くらい制作費取れるんだろう。

そして、これを感じたのが東京から千葉事務所を移したとたんの出来事だったりするから世の中は面白いのかもしれない。

2008-05-06

[]ステージセレクトベースシューティングについて

全く個人的な思いなので、最後まで見るとムカつく人が沢山居そう。

http://anond.hatelabo.jp/20080506034250

遊びたいステージへのアクセシビリティが低すぎる。

いちいち一面からやり直しってありえない。退屈すぎる。←退屈さを紛らわすためにランダム面とかさらにありえない。

少しは音ゲーを見習ったら?

スーパーマリオも3とかワールドあたりで大きくシステムが変わりましたよね((それ以降は知らん。))。

ああ、ずっと思ってていつか自分で作ろうと思ってたのを言われてしまった。

結構昔から音ゲーっぽいステージセレクト制のシューティングを作りたかったんだよね。

でもどうせなら音楽リンクしてやりたいとか思ってしまったし、
でも俺は音楽作れない上に親しい音楽屋さんの知り合いもいないし社会人時間もないしで気づいたら6年くらい経ってた。

実際のところいろいろひとつのゲームシステムで特徴的な面は3面くらいしか作れないような気がした(俺の技量では)とか、
だいたいシューティングゲームオリジナリティは皆無でステージ進行で起伏をつけたりしないとゲームとして成立しない感じがしたとかいう理由もある。

だいたい個人で作って全5ステージにしたとする。大抵のゲームは最初の2ー3ステージは特に何の特徴もないダラダラ展開ではないだろうか? ステージセレクト制にしたときにそれらのステージ存在価値がなくなって全2ステージのしょぼいゲームになり下がってしまうのではと思った。東方は傍から見ているだけでやったことはないけど、そんなに毎ステージ特色のあるゲームを作っていくような雰囲気にあるならあんなにヌルそうな連中が集まってくるもんかと思う。オリジナリティのないゲームでも適当に作って売れてしまうから人が集まってきてるのではないのか。

そういう意味では同人よりもまずプロが作るアーケードシューティングステージセレクト制になるべきだと思うんだけど、
最近の動きがどうなっているのかは不勉強でよくわからない。
オトメディウスとかは多分そうなっているのではないかと思うんだけどあれはあれでプレイヤーキャラ能力プレイする度に違ったりしてなにか違う方向に進んでしまっている。

弾幕シューティングとかダライアス(外伝・G)は道中の比重がとても軽いので「vsボスモード」があればOKなのかもしれないと思うが、それをメインに据えてくれないと遊ぶモチベーションが湧かないように思う。

あと個人的には道中が好きなのでそういうのでは満足できなくていまいち

もうゲーム性の向上に殆ど役に立たなくなってしまっているパワーアップシステムとかもやめてしまえばいいのにと思う。ステージ間でパワーアップ状態が維持されるせいでステージセレクトで攻略する気が失せるんだ。ボンバーもなしでいいじゃないか。

でもパワーアップなしで魅せれるゲームを作るのは素人には難しいんだよなー。

2008-03-24

ブラウザが乱立するので、IE以外サポートしないという作戦

Type A: 費用対効果重視派

今までIE6で動くように作ってきたし、今さらIE7とか8に対応するなんてコストに見合わないからやらない。

派手なサイト作りこそが肝要。

Javascript/Flash/Java appletの動作がブラウザごとに微妙に違うので、シェアの高いIE6に絞って投資した方が効率がいい。

どうせ一般ユーザはIE6以外使わない。

IE6以外閲覧禁止にすればよいだけの話。

Type B: パレートの法則に従っちゃう派

IE6, IE7で8割近くのシェアらしいので、当面の間はIE6, IE7サポートするだけで素晴らしいコストパフォーマンスを得ることができる。

Type C: 自分でWEBサイト作るの辞めちゃえばいいじゃん、CMS使おうぜ派

○○ブログをわが社の公式サイトにしちゃうぞ。

Type -C: WEBサイト作るの辞めちゃえばいいじゃん派

WEBサイトは○年○月を持って閉鎖いたします。

長い間、本サイトへ御訪問いただきありがとうございました。

会社情報等のパンフレットが御入り用の方は、

封筒に返信用封筒と80円切手を同封の上、弊社広報部までお送りください。

Type -B: ちょっと妥協しちゃうよ派

IE6, IE7, FF2 で9割近くのシェアらしいので、当面の間はIE6, IE7, FF2サポートするだけで素晴らしいコストパフォーマンスを得ることができる。

Type -A: コスト度外視、理想追求派

ブラウザごとに適切に動作するページを作成する。

あるいは、多くのブラウザ上でテストを繰り返し、PC,携帯を問わず、ほとんどの環境で同じように閲覧できるのが望ましい。

アクセシビリティの向上に勤め、コンピュータ端末の操作が不自由な方でも軽快にアクセスできるように勤めたい。

2008年は「Webブラウザ大乱」の予感:ITpro

2008-02-04

http://anond.hatelabo.jp/20080128165759

長いので一行まとめ:便利になる前の試行錯誤の時点で潰されてるんじゃないかって思った。

昔、まだダイヤルアップの人とか 800*600 の人とかが普通にいた頃、自サイトコンパクトにする試みを色々やっていた。何かそういう実験をひそやかにやるのが主な目的サイトだった。ナビゲーションリンクを各ページに埋め込む代わりに JavaScript に記述して呼び出せばキャッシュが効いて効率が上がるんじゃないか、とか。(JavaScript の効かないブラウザ・切ってるブラウザ向けに、総目次になっているトップへのリンクを表記しといて最低限のアクセシビリティは保ってた。アクセシビリティなんて言葉知らなかったけど。)

フレームや段組に貴重な画面領域をごそっと持って行かれるのを避けたかった。でもマウスホイールが付いてないマウスもザラにあったり、ましてやマウスジェスチャーなんて誰も使ってなかった時代背景から、スクロールも最小限に抑えたい気持ちもあった。そこで、普段は隠れてるけど、ある簡単な操作(画面右下にマウスを移動させるとか)でナビゲーションリンクが出て来る仕組みを色々考案しては試していた。

その中のひとつとして、右クリック(コンテキストメニュー)にナビゲーションを仕込むという試みをした時があった。本来のコンテキストメニューに戻す項目をそのメニュー内と画面の端っこにつけて、トップページで使用法をアナウンスする形でリリースした。

その後間もなく、どういう経緯で目をつけられたのかは分からないけど、今で言うモヒカン族くずれの方々が「ユーザービリティ!ユーザービリティ!」と雄叫びを上げながらわらわらとサイト狩りに来たのでびびってやめた。相当びびったのでその後数年間 W3C 教(というか某方面教)に入信して狩られないお作法を学んだ。

あれから数年、別腹で試みて、当時はノーリアクションだったり難色を示されてた「JavaScript でお絵かき」とか「送信中は押せない送信ボタン」とか「記事を貼り付ける位置を自由に決められる掲示板」とかが、世間様に受け入れられたり色んな人が改良してたりするのを見て、土壌が大分変わってるように感じた。だもんでコンテキストメニューいじりも何か進展があったんじゃないかとおぼろげに思ってたりしたけど、具体的には Flashコンテキストメニューいじるくらいのノリでグリグリやってるんじゃないかなあと思ってたけど、その辺はみたとこ昔と変わらないんだね。

もしかしたら今もまだ「右クリック」に過剰反応して、そういう狩りをして芽を摘んでる人がいるんじゃないのかなあとか思った。そんな自分も document.body に付いてるイベントハンドラは根こそぎ削除して閲覧してたりして、評価する機会をふいにしてるから、人の事言えた義理でもないけど。

ちなみに単純な右クリック禁止自体はやる意味が無いのでやったことがない。6年くらい前に「右クリック禁止解除」ってブックマークレット作ってたくらいだから(当時はブックマークレットって言葉も知らなかったけど)やりたくないっていうアドバンスな気持ちも持ち合わせてたんだと思う。

2007-12-24

anond:20071224013506

便乗

bbLean http://bb4win.sourceforge.net/bblean/

Explorerって重いでしょ?

・ProcessWalker http://www001.upp.so-net.ne.jp/yamashita/

Windowsサービスとかよくわからないでしょ?

・Battle Encoder Shirase http://mion.faireal.net/BES/

CPU占有されて悲しくなる事ってあるでしょ?

・Foltid http://www7.plala.or.jp/onotatu/

自動整理したいでしょ?

Prism http://wiki.mozilla.org/WebRunner

ブラウザ立ち上げるの面倒なこととかあるでしょ?

・DirectShow Filter Tool http://hp.vector.co.jp/authors/VA032094/

メリット値変更したくなることとかあるでしょ?

・caldix http://www.kmonos.net/

アーカイバDLLを一々拾ってくるのって面倒でしょ?

・aDesigner http://www.alphaworks.ibm.com/tech/adesigner/

アクセシビリティ確認ってかったるいでしょ?

・KISSLD http://homepage1.nifty.com/emk/

着せ替えしたくなる事ってあるでしょ?

2007-08-16

http://anond.hatelabo.jp/20070816124147

サイトトップページに色を変えてでかでかと書いてある注意書きすら読めない人なんて、うちのサイトに来なくて良い。

音声出力端末を使っている人や、色覚異常を持っている人は来るなということですか?

7年もやっててアクセシビリティをつゆほども意識しない人ってやっぱりいるんですね。

とか言ってみる。

つーか、こういう愚痴不特定多数にぶちまけちゃう人って脇甘いっていうか隙だらけよね。ある意味類友。

2007-08-12

マークアップエンジニアって結局何やる人なの?

何か名前の響きからしてこんな感じの人を想像してたんだけど

でもいままでamachang発言((X)HTML+CSS しか出来ない人は真剣に第二の何かを探したほうがいいとか)の反応ざっと見てきたけどid:amachang(とその周辺)が「マークアップエンジニア = (X)HTML+CSS しか出来ない人」として話を進めてるのにも関わらずそれについて反論があんまりないんだよな。「趣味じゃなくて仕事として(X)HTML(とCSS)を作成するためにはこれこれこういう知識が必要なんだよ」とか「マークアップエンジニアには(X)HTMLCSSしかすることがないとでも思ってんのか馬鹿」とか言ったりするのかと思ったらほとんどそんなことなくて、むしろ同意ですとかそんなこと言われなくてもわかってるよとかJavaScriptだって同じじゃんとか見た感じそんなのばっかり。どうも俺の想像した職業とは違うらしい。

マークアップエンジニアって本当に(X)HTMLCSSの知識だけで(X)HTMLCSS書いてる人なの?反応見ててそもそも(X)HTMLCSSに理解があるのかってこと自体にまで疑問を感じるんだけど。

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