はてなキーワード: はにわとは
いろんな天気アプリを渡り歩いてきたけど、気温のバー表示がとても良いので、標準アプリに回帰することになった
この気象データはweather.comのデータに基づいているんだけど、ここが外資のせいなのか、「にわか雨」という言葉を、「霧雨」「小雨」の意味で使っているっぽいんだよね。にわか雨といったら、夕立やゲリラ豪雨みたいな短時間で降って止むような雨のことだと理解してたんだけど、weather.comでは「今日は一日にわか雨がつづくでしょう」みたいな表記が出てくる。少量の雨が短時間で降ったり止んだりを繰り返していたら、それはにわか雨が何回も繰り返してることにはなって「にわか雨が続く」って表現になるのかもしれないけどさあ
事実、本稿で引用した朝日新聞の岡田憲治氏の言によると、「リベラルの正しさが必ずしも受け入れられるわけではない」と述べているが、実際に過去10年間を切り取っても、性的少数者や女性差別について、主にリベラル側から提起され続けてきた問題について、現在ではそれが大メディアのコンプライアンス基準となり、実際の番組制作や表現を動かしているではないか。まさに、マックス・ウェーバーの言う、”堅い板に力をこめてじわっじわっと穴をくり貫いていく作業”が、奏功したのが現代社会ではないのか。そういった地道な、刹那的に注目されない政治活動を「無意味」「(リベラル以外に対し)不寛容で訴求しない」と決めつけて自虐を行い、すぐに主張を修正しようとする恰好そのものが、リベラルの弱点だと言っても差し支えはない。
https://news.yahoo.co.jp/byline/furuyatsunehira/20210920-00259285
ネット上のリベラル論客(主に社会学者界隈)は二パターン。一つは、リベラルの現状に絶望して自虐に行き、にわかに経済政策とかを勉強しはじめて「経済成長」「反緊縮」とか言いはじめている人と(北田暁大先生とか)、もう一つは、現状の日本の政治や社会をやたらにディストピア化して、それを改善しようとしない政権与党を強い口調で非難し続ける人(本田由紀先生とか)。
自虐に向かっているのはあくまで前者の系列で、経済や社会保障についてはにわか勉強の薄っぺらな知識や問題意識しかないので、専門家や実務の人からは全く相手にされてない。他方で後者も、PCやコンプライアンスを広めることには一定程度成功しているが、安倍・菅政権下での改善傾向を一ミリも認めないので、無党派層からは「なんか怖い」「ついていけない」になり、支持を拡大することは困難。。
唐辛子は中南米原産であり、したがってヨーロッパにもたらされたのは大航海時代だ。
胡椒はインド等で古くから栽培されており、インドはヨーロッパと地続きだから胡椒がヨーロッパにもたらされたのも唐辛子よりはずっと早く、古代ローマ人も使用している。
そう考えると、交易の発展に伴って胡椒が入ってきて以降、唐辛子を胡椒に置き換えたという話はにわかに信じがたいのだが。
胡椒が安くなったのは12世紀以降。それもコロンブスのアメリカ大陸到達よりは早い。だから、胡椒が安くなったから無理に唐辛子を使わなくてもよくなったということでもない、と思う。
地中海系の料理では、それまで唐辛子で作っていたものが交易の発展に伴って胡椒が入ってきて以降、胡椒に置き換わったものも多い。
媒体違いの、名前と見た目がだいたい同じなだけの別キャラと混同された上に。推しの名前は、メタナイト。メタナイツを率い、なんか上にゴチャゴチャした建物みたいなのが乗ってる戦艦ハルバードを所有し、だらくしたプププランドに革命を起こした騎士だ。デデデの配下でもなく、部下はソードナイトとブレイドナイトではなくメタナイツで、星の戦士の生き残りのジジイでもない、甘党で童顔なポップスターの騎士さまだ。
アニメカービィとゲームカービィは何もかも違うし、そもそもメタナイト”卿”もストーカーなんかじゃない。もちろん漫画のカービィも違うし、小説のカービィも。それぞれの媒体で、彼ら登場人物は見た目と名前がだいたい同じなだけの性格もまるっきり別物の赤の他人なのだ。そもそもゲームのメタナイトだったら次代の星の戦士なんか待たず一人で突っ込んで殺されてるわ。ロボプラやってる奴なら確実にそう分かるよな?
メタナイト”卿”が”星の戦士”カービィの近くにいつもいるのは、自分では倒せなかったナイトメアを倒す奇跡の光を、どうか、どうか消えないようにと守っているだけなのだ。なのに。
キュートでプリティーで、でもそれ以上にカッコよくて頼りがいがあって最強な、飯と昼寝と突然現れた困ってるひとのためだけで宇宙を救う。そんな心優しくてフリーダムな、戦う使命なんて一つもない、春風とともにやってきて、いたずら大王を懲らしめる、ちょびっとだけアウトローな若き旅人を『戦う使命を持って生まれてきた幼い星の戦士』と混同する奴らがいる。大抵はメタナイト×カービィの奴ら、もしくはクソにわかのアニメしか知らねぇ野郎ども。そいつらは、メタナイトとメタナイト”卿”はもちろん区別しないし、カービィさんを赤ちゃん扱いする。よく見ろよ、そいつはメタナイトと同じぐらいの大きさの青年だ。メタナイトのことをストーカー扱いなんてネタのつもりか『推しカプの攻めは変態で受けたんはそれに気付かない純粋赤ちゃん〜』芸やりてぇ奴らなクソ野郎しかやらねぇよ。確かにカービィさんは純真無垢だけど、赤ちゃんでもなんでもねぇしキャラを変態犯罪者扱いするのはただのキャラヘイトだ。
なぁ、ストーカーをネタ扱いしてるお前らは分かってるのか?ストーカーはれっきとした犯罪なんだよ。キャラが犯していない犯罪を捏造するなんて行為、どう考えてもキャラヘイトだ。メタナイトが犯した犯罪はクーデターだけだ。卿のほうについては話数多くてわざわざ「車を蹴り落とした」とかまで確認は出来ないがストーカーなんざしてない。
違う世界での出来事を混ぜるのは。他界隈の人がネット上の言説に影響されてメタナイトをストーカーにし、卿と呼び、デデデ大王をクソ野郎にして陛下と呼ぶ。彼らのことをよく知らない人たちに悪影響が及ぶ。ストーカー化をするななんて、一言も言ってない。
ただ、棲み分けをしろ。タグ付けをしろ。捏造で妄想だって認めろ。cp的な思考があるならカップリングモノとして描いてなくても注意書きを付けろ。ストーカー化やアニメカービィがお好きなら、自分たちが探しやすいようにするためにも「ストーカーナイト」やら「メタカビ(アニメ)」か「卿カビ」でも何でもタグを作れ。ミュートさせろ。
「星のカービィ」を愛しているのなら、それだけでいいからやってくれ。
これはインフルエンザもかかったことがない自分の記憶史上最大の大病を後世に残すために記録するものである。オチとかない。
4時ごろ喉の痛みに気付いて目覚める。風邪でよくある咳が出る系の痛みではなく、飲み込むときの違和感と強めの痛み。口にライトを当てて鏡で見ると、左の扁桃腺らしきものが明らかに赤黒く腫れ上がっている。その奥の喉も血管が太く赤くなっているが、扁桃腺に由来するものだろう。熱はなさそう。
コロナが少し頭をかすめる。コロナの症状的には「喉の痛み」もあるらしいが、咳に関連するものじゃないかなと自分をむりやり安心させる。嗅覚はある。
念のため、夕食後に体温を測ると36.7度だったが、就寝前は37.2度。あれ、やばいかも。明日は医者に行こう。
朝36.9度。
痛みはあいかわらず。
午前は休みを取り、かかりつけと自分では思っているが10年ぶりくらいの内科へ。額で測定する体温計で37.4度だったが、すでに暑くなった時間に移動したせいじゃないのと思う。コロナの検査はできないと言われる。「扁桃腺が炎症を起こしてますねえ」との診断。知ってるし。何か他に症状はというから、痰が出やすいというと、色を聞かれて無色と答える。「抗生剤、炎症止め、解熱剤を出しておきますね」でおしまい。かかりつけやめるぞ。解熱剤はにわかに有名になったカロナールだった。
帰って測ったら36.9度。だから非接触体温計とか信用できないんだよ。
午後は普通に出勤。この頃まで元気。
午後遅くなって頭が回っていないことに気づく。あと重い。幸い体温計を持ってきていたので測ると37.4度。もしかしてあれは予知能力のある体温計だったのか、とか思いながらさっさと帰ることにする。熱とかあったらすぐ休めという柔軟性のある会社で良かった。
夕食には早いしとりあえずベッドに潜り込む。
20時ごろ目が覚め、測ると37.9度。これはやばいぞ。コロナの心配もふたたびよぎる。
夕食はなんとか食べ切れたが、あとから思えばかなり喉の痛みに堪えながらだった。処方された薬もちゃんと飲む。
21時ごろやはり37.9度。解熱剤を飲んで就寝。
就寝と言っても、途中何度も目覚め、連続した熟睡はない。痰がとても多く、それを気管から引っ張り出すのに喉が痛み、いちいち立って吐き出しに行けないので、それを飲み込むのに喉が痛む。一度に飲み込めなかったらやり直し。つらい。
6時ごろ37.4度。
朝食のトーストを食べるのがつらい。なるべく小さくかじって何度も噛んで牛乳も追加で含んでドロドロにしても、飲み込むのに決死の覚悟が必要で、覚悟してても痛いものは痛い。食べなきゃいけないのに大きな苦痛。これ拷問になりませんかね。吐き気まで感じてきたので1枚で切り上げた。いつもは2枚食べるのに。足りないカロリーを補えそうなものはと冷蔵庫を見たら、何年も放置していたゼリードリンクを見つけた。やっぱり痛いけど喉に優しい。
疲れてしばらくまた寝る。
11時ごろ、そうだコロナ検査しようと思い立ち、都道府県のホームページで検査可能な医療機関一覧を見つけ、割と近くの耳鼻科に連絡して事情を話す。「発熱や感染疑いがある場合は診察と検査は屋外でしますが大丈夫ですか、熱中症対策してきてください」と言われかなり不安になる。
着いたら指示どおりインターホンを押して待つと、看護師が出てきて、医院の裏口の脇に連れられ、そこの椅子に座って問診票書いて待っててくれと言われる。ここで診察・採取・会計するんだと。ここ、陽が差してるやん。屋外とは聞いたがテント的な屋根くらいない?普通。しかもエアコン室外機2台も唸ってるやん。こいつが吐き出した熱のおかげで、室内の他の患者の人達は涼しいってか。
持っててよかった折りたたみ傘。日傘代わりにさしながら、喉のことや薬のことを問診票に書いて渡し、医師を待つ。医師が来て喉を見せると「左の扁桃腺に炎症がありますねえ」。知ってるし2回目。「重症の」。そうか、だからあんなにつらいのか。薬は今出てるので十分に見えるが足りないのはないか確認される。症状に変化があったり薬を飲みきっても治らないようならまた来てと。何も考えず近さでここを選んだけど、たしかに耳鼻科のほうが喉の専門だよな。
次は会計。最後に検体採取。綿棒の痛いやつかなと思ったら唾液だった。容器の一目盛分唾液を溜めて渡しておしまい。結果は夕方以降に電話でもらえるらしい。
ちょっと横になってから遅めの昼食。毎回だがつらい。1食分食べるのに時間のかかること。
37.9度。解熱剤を飲む。
寝ていてつらいことの一つが痰の処理。飲み込むのが痛くてたまらない。意を決して、洗面器に水を少し入れてベッド脇に置き、ここに吐き出すことにした。そうすると、痰に関するストレスからは大きく解放された。
起きている気力はないので、ほぼ横になりっぱなし、たまに水分補給とトイレで起き上がるくらい。
そうこうして外が暗くなった頃に電話が来る。本人確認して、「結果は陰性、マイナスです」と。淡々と礼を言い、電話を切る。安堵。
ベッドに横になったり四つん這いでうずくまったり座ったり。何をしても楽になれない。
遅い昼食に引きずられて遅い夕食。
38.1度。解熱剤を飲んで就寝。処方された3回分を飲みきったけど明日からどうしよう。
夜中は何度も目覚める。喉だけじゃなく奥歯まで痛く感じるし、頭も痛い。つらい。
しばらくベッドで苦しみながら過ごしたが、解熱剤は必要なのでドラッグストアへ。近くにあって本当に助かる。たしかにアセトアミノフェン系は見事に品切れ。まあなんでもいいだろうと店員に扁桃炎の熱と痛みに効くのはあるか聞くと、やはりどれでも大丈夫だと。このへんがおすすめですよって最後にさらっと指したのはめっちゃ高いプレミアムEXスペシャルクイックみたいなやつらだった。で、選んだのは、イブAと同成分の一番安いやつ。
空腹は避けたほうがよさそうなので、まずは昼食。これも完食できる気がしないのでいつもの半量程度にした。それでも食べるのに1時間くらいかかる。食後、解熱剤を飲む。37.8度。
食べ疲れたのでベッドに倒れ込む。ときどき寝入ったりしながら検温したりとりとめもないことを考えたりする。ふと気づいたのが、そういえば喉が痛くなってから勃起してないぞってこと。朝立ちというが朝だけじゃなく浅い眠りのときはたいてい勃起してるのにそれがまったくない。痛みとか熱と関係あるのだろうか。エロで勃起するかしないかは今は試す気すらしないが。
夕方37.2度。珍しく少し下がった。イブAもどきが効いたのかな?あれ、そういえば痛みも少し和らいでる気がする。奥歯とか頭まで痛くなってない。このまま治っていけばいいがそう甘くはないかな。
甘くはなかった。遅い夕食頃37.7度。痛みもぶり返した。昼と同じくらいだけ食べるので精一杯。
就寝前に解熱剤を飲み横になる。何分くらいで効果が出るのか興味が出てきたので、頭痛が引くのを期待しながら待った。20〜40分のあたりで効果がだんだん出てくる感じがわかって満足した。この薬は痛みも止めてくれる、このことで気持ちに余裕ができた。
7時ごろ36.6度。お、薬の効果がまだ続いてるにしては長いな。回復した?
朝食は食パン2枚食べられた。1日目の痛み程度かもしれない。ちょっと食べ過ぎ感がある。胃が小さくなったかも。
仕事に行けなくもない体調だが、少なくとも午前中は様子を見よう。
もう例の洗面器は必要ないだろう。何度か交換するのにそのままトイレに流していたが、ちょっとした好奇心が頭をもたげる。
痰の物性を知りたい。まずつまんでみる。痰部分と水部分がある程度分かれて1回分ごとのシマになっている気がする。まあそりゃそうだろう。ザルでも使えば水とある程度分離できそうだが、そんな用途に使えるザルはない。今度100均で買っておこう。今できそうな実験はシマがなくなるように全部混ぜることくらいなので、指を突っ込んでぐるぐるかき混ぜたら、なんと結構な粘度の(アダルトな意味での)ローションと同様の物質ができてしまった。痰そのものよりも水の方がはるかに多くてこの粘度である。ムチン恐るべし。感染症があると痰の粘度も上がるらしいからその影響もあるか。
ではこの痰ローションはその目的に使えるのか。つまり前とか後ろに塗りたくればいつもの一人遊びに使えるのか。これはさすがに実行できなかった。まだ賢者だ。これ以上の実験は諦めてトイレに流した。とたん、熱耐性が気になった。実用のためには殺菌が必須だが、加熱殺菌が一番簡単だからだ。ムチンはペプチドに糖鎖がいくつも生えている構造らしい。ペプチドが熱変性して物性が変わると困る。次の実験は決まった。あ、冷凍耐性も調べなきゃ。
こんなことを考えられるのも元気になってきた証拠だ。
36.8度。大丈夫だとは思うが、大事をとって今日も仕事休もう。
夕食はほぼ問題なし。
就寝するも寝入りは良くなかった。なんか夢と覚醒がぐちゃぐちゃに頭を駆け巡る感じがかなり続いた。
勃起した。
処方された薬はあと1日分あるから、念のためこれは飲みきろう。
扁桃炎でググるともっと高熱に苦しんだ人も多いらしい。今後苦しむことになる人はこの記事をみつけてくれるだろうか。もしみつけてくれて、経過の一例と少しでも快適にするための工夫を提供できたなら幸いである。
以上。扁桃炎闘病記録おわり。
妹はモスキートだった。あまりに巨大すぎて、部屋に入らない羽は畳んで入るようだった。
口では喋らないので、羽音で挨拶するなどが得意だった。
飲水が主食であり、時折血を欲しがった。タンパク質が足りないが口癖だった。
ストローなしでも牛乳が飲めることが特典ではあったが、牛乳から得る糖質は花の蜜ほどの効率性はないようであった。
そんな妹は時折邪神扱いを受けることがあった。奇妙な宗教家たちや、学校を住処とするオカ研の連中にである。
彼らは妹の羽音を邪悪なさえずりと言って忌避して真言を唱えるなどした。
塩水を振りかけられたこともある。いかなボウフラから生まれた妹とはいえ、塩水は堪えるようだった。
そういえば、母は妹を産んだ記憶がないという、そういえば僕たちと随分姿が違う。
ボウフラから生まれたとはいえ雌雄があってこそのものだ。なぜ母は産卵した記憶がないのか。
夏が来た。妹は例年通りタンパク質が足りなくなってふらつき始めた。
欲求としては何者かの血が吸いたいらしい。しかし律儀にモラリストの妹はタンパク質の摂取を良しとしなかった。
肉は分解できず。大豆も摂取できなかったので、妹はやせ細った。こうして兄の私は彼女をタンパク質点滴のために病院に担ぎ込むのである。
妹が入院して数日後、何やら不穏な噂が流れてきた。病院が閉鎖したという報告もないのに、病院が廃墟になっているのだという。病院への支払いや引き落としは滞り無く済まされており、音もなく病院が廃墟化したという事実はにわかに信じがたかった。それが噂ではなく実際であるという情報が地域に広まるにつれて、私はいても立ってもいられず病院へと足を向かわせた。妹の容態も心配である。
病院の看板は黒くくすんで、文字は書き換えられていた。邪教の館と書かれている。私は恐る恐る正門をくぐると、受付でミイラ化している看護師たちを尻目に妹の病室へとあがった。これは何かがおかしい。明らかに常軌を逸している。私は額に脂汗をかき、階段を駆け上がった。なにかが崩れるような、産まれるような、奇妙な感覚が襲った。そしてやがて見えてきた妹の病室からは光が漏れだしていることを確認した。稲光のような閃光が部屋から漏れたかと思うと、部屋は静まり返った。
私は恐る恐る扉を開けてみた。そこには奇妙なカプセル風の器具と、羽をはやし、人間のような姿をした、しかし人ではない異形のものが立ちふさがっていた。その元妹であった何かは私に向かって述べた。
発達障害者への就労支援を行っている会社のサイト内で、とても正しいとは思えない内容を話している対談を見つけた。
ある小学生の子が、学校に足が痛いから行きたい。神経内科やあちらこちら回ってきてなにもないから車椅子でうちに来たんですよ。こんな鉛筆みたいな足になっちゃって。典型的なヒステリー症状ですよね。なんとなく顔を見てその評定にイラッと来ました。ヒステリーの診断基準はこっちがいらつくことなんです。操作されて嬉しい人いませんよね。てめえ、大人舐めんなと思ったので(笑)、病棟に入れ、親御さんたちにしばらく面会に来ないでくださいね。電話もなしですよ。ということでサヨナラし。その子に歩けないのに、ご飯は食堂まで歩いていって食べてくださいね、といってさようならといって会いにもいかないわけです。2日目ぐらいには這っていって食事を摂り、一ヶ月後には学校に行ってました。
苛ついた、大人舐めんな(笑)で、私権を制限して病棟に入れるのか?
ふざけてこういう言い方をしているのかもしれないけれど、診察した患者をこんな形で冗談のタネにしていいのか?
フロイトでは内省がなくて、簡単に言えば自我機能が働いていないんですね。そこがないから、自分の本能的なものが求めているものを、大脳皮質側で抑え込んでいるような気がするんですよ。それがフロイトのメインの理論です。そうするとヒステリー症状が出ちゃう。 今思えば、発達障害の人はみんな自分の感情を振り返る能力がない感じがするので、無茶なんですよね。仕事がなくなると死ぬしか無い、とか極端なことを言いますよね。あれ?でも貯金に3億円ぐらいあると聞きましたけれども?と。ああいうのは都合が悪くなると失神(解離性失神)してしまう、ヒステリーと同様なものだと思うんですよ。
精神科医の分析によると、発達障害者ってみんな自分の感情を振り返る能力が無いらしい。
本当か?
今ワンステップスクール(寄宿舎性民間自立支援施設)の方にも行っているんですが、甘いって、言っているんです。朝なんか爆音で起こしてしまっていいんです、と言っているんです。社長さんの言っている可塑性は後ですよね。
これに関してはなんとも言えないが、精神科医が臆面もなく言っていると恐怖を感じる
ちなみに、このワンステップスクールについて調べてみたら、集団提訴を受けて今裁判やってるっぽい
(ひきこもり自立支援施設の手法は拉致・監禁、元生徒7人が初の集団提訴へ 相次ぐ引き出し屋の被害(上)
https://diamond.jp/articles/-/252344)
精神科医やそれに準ずる知識のある方、これについて見解を教えてほしい。
個人的にはにわかには信じがたいし、倫理的に問題があるように思える。
共産党の池内さおり議員が電車に乗る際に男性に意図的にぶつかられたとツイートした件が話題になっている。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/ikeuchi_saori/status/1375318333776535553
この件については補助知識としてここ数年ネット上で話題になっている「ぶつかりおじさん」というものを知っておく必要があるだろう。女性が歩いていると意図的にぶつかりに来るおじさんがいる、という男である自分なんかからするとにわかには信じがたいものだが、証言が複数あるだけでなくその姿が動画に収められたこともある。
1人からの証言を聞いただけではにわかに信じがたい話なので、より詳しいことについては雑にググって出てきたページを雑にいくつか見てほしい。
https://www.huffingtonpost.jp/2018/05/31/butsukariotoko_a_23447463/
ぶつかりおじさんの被害の規模や実態については今のところまだよくわかっていない。煽り運転が社会問題として大きくクローズアップされたのは記憶に新しいが、あれはドライブレコーダーに映像が残されていたというのが大きい。人間にドラレコは付いていないためぶつかりおじさんの犯行の様子を動画に収めるのは難しい。上に貼った記事の動画ではぶつかりおじさんは20代くらいに見える風貌だが、スーツ姿の40代くらいの人が多いという声もある。
動機についても女性への悪意が根底にあるケースが多いのか、それとも反撃されなさそうな弱そうな人を狙うがために被害が女性に集中するのかもよくわからない。なので、池内議員が「女性差別」と訴えていたり社会や政治の責任に言及している点についてはかなり迂闊な物言いをしているなという感想を抱いている。
とりあえず現状間違いがないと言えそうなのは、ぶつかりおじさんは都市伝説でなく実在するということと、ぶつかりおじさんは1人だけの異常者ではなく何人もいるということだ。おそらく痴漢の一形態と捉えるべきものなのだろうと個人的には考えている(つまり治療対象ということ)。
このような実態を踏まえた上で池内議員のツイートに戻ると、池内議員の被害の訴えには不自然な点は特にないということが言える。ぶつかりおじさん被害の報告として典型的な範囲に綺麗に収まっている。彼女が共産党の政治家であることや、その後連なる意見については他の被害報告との違いとなるが、事実としてこういうことがあったのだという点に関してはなんら不自然なところはない。
問題はこのツイートに対して「お前が降りる人を待たずに乗ったせいでぶつかったんだろ」という反応が多く寄せられていることだ。しかし、この自分からぶつかったという解釈は不自然だ。
まず第一に池内議員のツイートを読むと「降りようとする人も2人」という記述があり、降車する人の様子を余所見せずに見ていたことが伺える。仮に彼女が降りる人を待たずに電車に乗り込んでしまったのだとしても、この状態でぶつかってしまうというのは非常に不自然だ。降車客が2人なのであれば同時に乗ろうとしてしまったとしても余所見していなければまずぶつかることはない。スペースが不足してひっかかるような形になってしまうということは十分に考えられるが、強い衝撃を受けるようなぶつかり方をするというのは考えられない。もしも降りる側が余所見していたとしても池内議員側が余所見していなければぶつかることはないだろう。ぶつかるためにはどちらかの足元が相当にふらついているような状況を想定する必要がある。
そして第二に男は無言で立ち去っている。無言で立ち去ったという直接的な描写はないが、なにか一言あったとするなら書かないわけがないので無言で立ち去ったものと推察される。しかし、何の悪意もなくぶつかってしまった場合、普通人は「すみません」とか「大丈夫ですか」とか言うものである。相手から一方的にぶつかられてムカついていたからそういうことを言わなかったという解釈もありえるが、それはそれで舌打ちも悪態も何もないのはやや不自然さが残る。
まとめると、「池内議員はぶつかりおじさんの被害にあった」と考えるのは自然なのに対し、「池内議員は自らの乗車マナーの悪さゆえに他人とぶつかった」と考えるのは不自然だ。後者も絶対に100%ありえないというわけではないが、他に自然な解釈があるのに不自然な解釈を選び取るのは不合理だろう。
ではなぜ多くの人が不自然な方の解釈に飛びついてしまっているのか。
これは「フェミニストというのは針小棒大に、あるいは被害妄想で女性差別だなんだと喚き散らす馬鹿の集まりだ」という偏見まみれの脳内ストーリーに不自然な方の解釈が合致しているからだろう。
この現象の恐ろしいところは何があってもどんどん偏見が強化されていくという点にある。
この手の人はフェミニストが何か言っているぞと話題になるたびに不自然であろうがおかまいなしにフェミが馬鹿なことを喚いているという解釈を選び取る。そのため、頭の中ではあのときもこのときもいつもフェミは馬鹿なことばかり言っているという認識になるのだ。
フェミは馬鹿だという偏見があるがゆえにフェミの言うことを悪意をもって解釈する。それによってフェミは馬鹿だという偏見がさらに強化される。この無敵のスパイラル構造の中で、この手の人は自らの頭をどんどん悪くしていくのである。
どっどど どどうど どどうど どどう
青いくるみも吹きとばせ
すっぱいかりんも吹きとばせ
どっどど どどうど どどうど どどう
教室はたった一つでしたが生徒は三年生がないだけで、あとは一年から六年までみんなありました。運動場もテニスコートのくらいでしたが、すぐうしろは栗くりの木のあるきれいな草の山でしたし、運動場のすみにはごぼごぼつめたい水を噴ふく岩穴もあったのです。
さわやかな九月一日の朝でした。青ぞらで風がどうと鳴り、日光は運動場いっぱいでした。黒い雪袴ゆきばかまをはいた二人の一年生の子がどてをまわって運動場にはいって来て、まだほかにだれも来ていないのを見て、「ほう、おら一等だぞ。一等だぞ。」とかわるがわる叫びながら大よろこびで門をはいって来たのでしたが、ちょっと教室の中を見ますと、二人ふたりともまるでびっくりして棒立ちになり、それから顔を見合わせてぶるぶるふるえましたが、ひとりはとうとう泣き出してしまいました。というわけは、そのしんとした朝の教室のなかにどこから来たのか、まるで顔も知らないおかしな赤い髪の子供がひとり、いちばん前の机にちゃんとすわっていたのです。そしてその机といったらまったくこの泣いた子の自分の机だったのです。
もひとりの子ももう半分泣きかけていましたが、それでもむりやり目をりんと張って、そっちのほうをにらめていましたら、ちょうどそのとき、川上から、
「ちょうはあ かぐり ちょうはあ かぐり。」と高く叫ぶ声がして、それからまるで大きなからすのように、嘉助かすけがかばんをかかえてわらって運動場へかけて来ました。と思ったらすぐそのあとから佐太郎さたろうだの耕助こうすけだのどやどややってきました。
「なして泣いでら、うなかもたのが。」嘉助が泣かないこどもの肩をつかまえて言いました。するとその子もわあと泣いてしまいました。おかしいとおもってみんながあたりを見ると、教室の中にあの赤毛のおかしな子がすまして、しゃんとすわっているのが目につきました。
みんなはしんとなってしまいました。だんだんみんな女の子たちも集まって来ましたが、だれもなんとも言えませんでした。
赤毛の子どもはいっこうこわがるふうもなくやっぱりちゃんとすわって、じっと黒板を見ています。すると六年生の一郎いちろうが来ました。一郎はまるでおとなのようにゆっくり大またにやってきて、みんなを見て、
「何なにした。」とききました。
みんなははじめてがやがや声をたててその教室の中の変な子を指さしました。一郎はしばらくそっちを見ていましたが、やがて鞄かばんをしっかりかかえて、さっさと窓の下へ行きました。
みんなもすっかり元気になってついて行きました。
「だれだ、時間にならないに教室へはいってるのは。」一郎は窓へはいのぼって教室の中へ顔をつき出して言いました。
「お天気のいい時教室さはいってるづど先生にうんとしからえるぞ。」窓の下の耕助が言いました。
「しからえでもおら知らないよ。」嘉助が言いました。
「早ぐ出はって来こ、出はって来。」一郎が言いました。けれどもそのこどもはきょろきょろ室へやの中やみんなのほうを見るばかりで、やっぱりちゃんとひざに手をおいて腰掛けにすわっていました。
ぜんたいその形からが実におかしいのでした。変てこなねずみいろのだぶだぶの上着を着て、白い半ずぼんをはいて、それに赤い革かわの半靴はんぐつをはいていたのです。
それに顔といったらまるで熟したりんごのよう、ことに目はまん丸でまっくろなのでした。いっこう言葉が通じないようなので一郎も全く困ってしまいました。
「学校さはいるのだな。」みんなはがやがやがやがや言いました。ところが五年生の嘉助がいきなり、
「ああそうだ。」と小さいこどもらは思いましたが、一郎はだまってくびをまげました。
変なこどもはやはりきょろきょろこっちを見るだけ、きちんと腰掛けています。
そのとき風がどうと吹いて来て教室のガラス戸はみんながたがた鳴り、学校のうしろの山の萱かやや栗くりの木はみんな変に青じろくなってゆれ、教室のなかのこどもはなんだかにやっとわらってすこしうごいたようでした。
すると嘉助がすぐ叫びました。
そうだっとみんなもおもったとき、にわかにうしろのほうで五郎が、
「わあ、痛いぢゃあ。」と叫びました。
みんなそっちへ振り向きますと、五郎が耕助に足のゆびをふまれて、まるでおこって耕助をなぐりつけていたのです。すると耕助もおこって、
「わあ、われ悪くてでひと撲はだいだなあ。」と言ってまた五郎をなぐろうとしました。
五郎はまるで顔じゅう涙だらけにして耕助に組み付こうとしました。そこで一郎が間へはいって嘉助が耕助を押えてしまいました。
「わあい、けんかするなったら、先生あちゃんと職員室に来てらぞ。」と一郎が言いながらまた教室のほうを見ましたら、一郎はにわかにまるでぽかんとしてしまいました。
たったいままで教室にいたあの変な子が影もかたちもないのです。みんなもまるでせっかく友だちになった子うまが遠くへやられたよう、せっかく捕とった山雀やまがらに逃げられたように思いました。
風がまたどうと吹いて来て窓ガラスをがたがた言わせ、うしろの山の萱かやをだんだん上流のほうへ青じろく波だてて行きました。
「わあ、うなだけんかしたんだがら又三郎いなぐなったな。」嘉助がおこって言いました。
みんなもほんとうにそう思いました。五郎はじつに申しわけないと思って、足の痛いのも忘れてしょんぼり肩をすぼめて立ったのです。
「二百十日で来たのだな。」
「靴くつはいでだたぞ。」
「服も着でだたぞ。」
「髪赤くておかしやづだったな。」
「ありゃありゃ、又三郎おれの机の上さ石かけ乗せでったぞ。」二年生の子が言いました。見るとその子の机の上にはきたない石かけが乗っていたのです。
「そうだ、ありゃ。あそごのガラスもぶっかしたぞ。」
「わあい。そだないであ。」と言っていたとき、これはまたなんというわけでしょう。先生が玄関から出て来たのです。先生はぴかぴか光る呼び子を右手にもって、もう集まれのしたくをしているのでしたが、そのすぐうしろから、さっきの赤い髪の子が、まるで権現ごんげんさまの尾おっぱ持ちのようにすまし込んで、白いシャッポをかぶって、先生についてすぱすぱとあるいて来たのです。
みんなはしいんとなってしまいました。やっと一郎が「先生お早うございます。」と言いましたのでみんなもついて、
「みなさん。お早う。どなたも元気ですね。では並んで。」先生は呼び子をビルルと吹きました。それはすぐ谷の向こうの山へひびいてまたビルルルと低く戻もどってきました。
すっかりやすみの前のとおりだとみんなが思いながら六年生は一人、五年生は七人、四年生は六人、一二年生は十二人、組ごとに一列に縦にならびました。
二年は八人、一年生は四人前へならえをしてならんだのです。
するとその間あのおかしな子は、何かおかしいのかおもしろいのか奥歯で横っちょに舌をかむようにして、じろじろみんなを見ながら先生のうしろに立っていたのです。すると先生は、高田たかださんこっちへおはいりなさいと言いながら五年生の列のところへ連れて行って、丈たけを嘉助とくらべてから嘉助とそのうしろのきよの間へ立たせました。
みんなはふりかえってじっとそれを見ていました。
「前へならえ。」と号令をかけました。
みんなはもう一ぺん前へならえをしてすっかり列をつくりましたが、じつはあの変な子がどういうふうにしているのか見たくて、かわるがわるそっちをふりむいたり横目でにらんだりしたのでした。するとその子はちゃんと前へならえでもなんでも知ってるらしく平気で両腕を前へ出して、指さきを嘉助のせなかへやっと届くくらいにしていたものですから、嘉助はなんだかせなかがかゆく、くすぐったいというふうにもじもじしていました。
「直れ。」先生がまた号令をかけました。
「一年から順に前へおい。」そこで一年生はあるき出し、まもなく二年生もあるき出してみんなの前をぐるっと通って、右手の下駄箱げたばこのある入り口にはいって行きました。四年生があるき出すとさっきの子も嘉助のあとへついて大威張りであるいて行きました。前へ行った子もときどきふりかえって見、あとの者もじっと見ていたのです。
まもなくみんなははきものを下駄箱げたばこに入れて教室へはいって、ちょうど外へならんだときのように組ごとに一列に机にすわりました。さっきの子もすまし込んで嘉助のうしろにすわりました。ところがもう大さわぎです。
「わあ、おらの机さ石かけはいってるぞ。」
「わあ、おらの机代わってるぞ。」
「キッコ、キッコ、うな通信簿持って来たが。おら忘れで来たぢゃあ。」
「わあがない。ひとの雑記帳とってって。」
そのとき先生がはいって来ましたのでみんなもさわぎながらとにかく立ちあがり、一郎がいちばんうしろで、
「礼。」と言いました。
みんなはおじぎをする間はちょっとしんとなりましたが、それからまたがやがやがやがや言いました。
「しずかに、みなさん。しずかにするのです。」先生が言いました。
「しっ、悦治えつじ、やがましったら、嘉助え、喜きっこう。わあい。」と一郎がいちばんうしろからあまりさわぐものを一人ずつしかりました。
みんなはしんとなりました。
先生が言いました。
「みなさん、長い夏のお休みはおもしろかったですね。みなさんは朝から水泳ぎもできたし、林の中で鷹たかにも負けないくらい高く叫んだり、またにいさんの草刈りについて上うえの野原へ行ったりしたでしょう。けれどももうきのうで休みは終わりました。これからは第二学期で秋です。むかしから秋はいちばんからだもこころもひきしまって、勉強のできる時だといってあるのです。ですから、みなさんもきょうからまたいっしょにしっかり勉強しましょう。それからこのお休みの間にみなさんのお友だちが一人ふえました。それはそこにいる高田さんです。そのかたのおとうさんはこんど会社のご用で上の野原の入り口へおいでになっていられるのです。高田さんはいままでは北海道の学校におられたのですが、きょうからみなさんのお友だちになるのですから、みなさんは学校で勉強のときも、また栗拾くりひろいや魚さかなとりに行くときも、高田さんをさそうようにしなければなりません。わかりましたか。わかった人は手をあげてごらんなさい。」
すぐみんなは手をあげました。その高田とよばれた子も勢いよく手をあげましたので、ちょっと先生はわらいましたが、すぐ、
「わかりましたね、ではよし。」と言いましたので、みんなは火の消えたように一ぺんに手をおろしました。
ところが嘉助がすぐ、
「先生。」といってまた手をあげました。
「高田さん名はなんて言うべな。」
「わあ、うまい、そりゃ、やっぱり又三郎だな。」嘉助はまるで手をたたいて机の中で踊るようにしましたので、大きなほうの子どもらはどっと笑いましたが、下の子どもらは何かこわいというふうにしいんとして三郎のほうを見ていたのです。
先生はまた言いました。
「きょうはみなさんは通信簿と宿題をもってくるのでしたね。持って来た人は机の上へ出してください。私がいま集めに行きますから。」
みんなはばたばた鞄かばんをあけたりふろしきをといたりして、通信簿と宿題を机の上に出しました。そして先生が一年生のほうから順にそれを集めはじめました。そのときみんなはぎょっとしました。というわけはみんなのうしろのところにいつか一人の大人おとなが立っていたのです。その人は白いだぶだぶの麻服を着て黒いてかてかしたはんけちをネクタイの代わりに首に巻いて、手には白い扇をもって軽くじぶんの顔を扇あおぎながら少し笑ってみんなを見おろしていたのです。さあみんなはだんだんしいんとなって、まるで堅くなってしまいました。
ところが先生は別にその人を気にかけるふうもなく、順々に通信簿を集めて三郎の席まで行きますと、三郎は通信簿も宿題帳もないかわりに両手をにぎりこぶしにして二つ机の上にのせていたのです。先生はだまってそこを通りすぎ、みんなのを集めてしまうとそれを両手でそろえながらまた教壇に戻りました。
「では宿題帳はこの次の土曜日に直して渡しますから、きょう持って来なかった人は、あしたきっと忘れないで持って来てください。それは悦治さんと勇治ゆうじさんと良作りょうさくさんとですね。ではきょうはここまでです。あしたからちゃんといつものとおりのしたくをしておいでなさい。それから四年生と六年生の人は、先生といっしょに教室のお掃除そうじをしましょう。ではここまで。」
一郎が気をつけ、と言いみんなは一ぺんに立ちました。うしろの大人おとなも扇を下にさげて立ちました。
「礼。」先生もみんなも礼をしました。うしろの大人も軽く頭を下げました。それからずうっと下の組の子どもらは一目散に教室を飛び出しましたが、四年生の子どもらはまだもじもじしていました。
すると三郎はさっきのだぶだぶの白い服の人のところへ行きました。先生も教壇をおりてその人のところへ行きました。
「いやどうもご苦労さまでございます。」その大人はていねいに先生に礼をしました。
「じきみんなとお友だちになりますから。」先生も礼を返しながら言いました。
「何ぶんどうかよろしくおねがいいたします。それでは。」その人はまたていねいに礼をして目で三郎に合図すると、自分は玄関のほうへまわって外へ出て待っていますと、三郎はみんなの見ている中を目をりんとはってだまって昇降口から出て行って追いつき、二人は運動場を通って川下のほうへ歩いて行きました。
運動場を出るときその子はこっちをふりむいて、じっと学校やみんなのほうをにらむようにすると、またすたすた白服の大人おとなについて歩いて行きました。
「先生、あの人は高田さんのとうさんですか。」一郎が箒ほうきをもちながら先生にききました。
「そうです。」
「なんの用で来たべ。」
「上の野原の入り口にモリブデンという鉱石ができるので、それをだんだん掘るようにするためだそうです。」
「どこらあだりだべな。」
「私もまだよくわかりませんが、いつもみなさんが馬をつれて行くみちから、少し川下へ寄ったほうなようです。」
「モリブデン何にするべな。」
「それは鉄とまぜたり、薬をつくったりするのだそうです。」
「そだら又三郎も掘るべが。」嘉助が言いました。
「又三郎だ又三郎だ。」嘉助が顔をまっ赤かにしてがん張りました。
「嘉助、うなも残ってらば掃除そうじしてすけろ。」一郎が言いました。
風がまた吹いて来て窓ガラスはまたがたがた鳴り、ぞうきんを入れたバケツにも小さな黒い波をたてました。
次の日一郎はあのおかしな子供が、きょうからほんとうに学校へ来て本を読んだりするかどうか早く見たいような気がして、いつもより早く嘉助をさそいました。ところが嘉助のほうは一郎よりもっとそう考えていたと見えて、とうにごはんもたべ、ふろしきに包んだ本ももって家の前へ出て一郎を待っていたのでした。二人は途中もいろいろその子のことを話しながら学校へ来ました。すると運動場には小さな子供らがもう七八人集まっていて、棒かくしをしていましたが、その子はまだ来ていませんでした。またきのうのように教室の中にいるのかと思って中をのぞいて見ましたが、教室の中はしいんとしてだれもいず、黒板の上にはきのう掃除のときぞうきんでふいた跡がかわいてぼんやり白い縞しまになっていました。
「きのうのやつまだ来てないな。」一郎が言いました。
「うん。」嘉助も言ってそこらを見まわしました。
一郎はそこで鉄棒の下へ行って、じゃみ上がりというやり方で、無理やりに鉄棒の上にのぼり両腕をだんだん寄せて右の腕木に行くと、そこへ腰掛けてきのう三郎の行ったほうをじっと見おろして待っていました。谷川はそっちのほうへきらきら光ってながれて行き、その下の山の上のほうでは風も吹いているらしく、ときどき萱かやが白く波立っていました。
嘉助もやっぱりその柱の下でじっとそっちを見て待っていました。ところが二人はそんなに長く待つこともありませんでした。それは突然三郎がその下手のみちから灰いろの鞄かばんを右手にかかえて走るようにして出て来たのです。
「来たぞ。」と一郎が思わず下にいる嘉助へ叫ぼうとしていますと、早くも三郎はどてをぐるっとまわって、どんどん正門をはいって来ると、
「お早う。」とはっきり言いました。みんなはいっしょにそっちをふり向きましたが、一人も返事をしたものがありませんでした。
それは返事をしないのではなくて、みんなは先生にはいつでも「お早うございます。」というように習っていたのですが、お互いに「お早う。」なんて言ったことがなかったのに三郎にそう言われても、一郎や嘉助はあんまりにわかで、また勢いがいいのでとうとう臆おくしてしまって一郎も嘉助も口の中でお早うというかわりに、もにゃもにゃっと言ってしまったのでした。
ところが三郎のほうはべつだんそれを苦にするふうもなく、二三歩また前へ進むとじっと立って、そのまっ黒な目でぐるっと運動場じゅうを見まわしました。そしてしばらくだれか遊ぶ相手がないかさがしているようでした。けれどもみんなきょろきょろ三郎のほうはみていても、やはり忙しそうに棒かくしをしたり三郎のほうへ行くものがありませんでした。三郎はちょっと具合が悪いようにそこにつっ立っていましたが、また運動場をもう一度見まわしました。
それからぜんたいこの運動場は何間なんげんあるかというように、正門から玄関まで大またに歩数を数えながら歩きはじめました。一郎は急いで鉄棒をはねおりて嘉助とならんで、息をこらしてそれを見ていました。
そのうち三郎は向こうの玄関の前まで行ってしまうと、こっちへ向いてしばらく暗算をするように少し首をまげて立っていました。
みんなはやはりきろきろそっちを見ています。三郎は少し困ったように両手をうしろへ組むと向こう側の土手のほうへ職員室の前を通って歩きだしました。
その時風がざあっと吹いて来て土手の草はざわざわ波になり、運動場のまん中でさあっと塵ちりがあがり、それが玄関の前まで行くと、きりきりとまわって小さなつむじ風になって、黄いろな塵は瓶びんをさかさまにしたような形になって屋根より高くのぼりました。
すると嘉助が突然高く言いました。
「そうだ。やっぱりあいづ又三郎だぞ。あいづ何かするときっと風吹いてくるぞ。」
「うん。」一郎はどうだかわからないと思いながらもだまってそっちを見ていました。三郎はそんなことにはかまわず土手のほうへやはりすたすた歩いて行きます。
そのとき先生がいつものように呼び子をもって玄関を出て来たのです。
「お早う。」先生はちらっと運動場を見まわしてから、「ではならんで。」と言いながらビルルッと笛を吹きました。
みんなは集まってきてきのうのとおりきちんとならびました。三郎もきのう言われた所へちゃんと立っています。
先生はお日さまがまっ正面なのですこしまぶしそうにしながら号令をだんだんかけて、とうとうみんなは昇降口から教室へはいりました。そして礼がすむと先生は、
「ではみなさんきょうから勉強をはじめましょう。みなさんはちゃんとお道具をもってきましたね。では一年生(と二年生)の人はお習字のお手本と硯すずりと紙を出して、二年生と四年生の人は算術帳と雑記帳と鉛筆を出して、五年生と六年生の人は国語の本を出してください。」
さあするとあっちでもこっちでも大さわぎがはじまりました。中にも三郎のすぐ横の四年生の机の佐太郎が、いきなり手をのばして二年生のかよの鉛筆をひらりととってしまったのです。かよは佐太郎の妹でした。するとかよは、
「うわあ、兄あいな、木ペン取とてわかんないな。」と言いながら取り返そうとしますと佐太郎が、
「わあ、こいつおれのだなあ。」と言いながら鉛筆をふところの中へ入れて、あとはシナ人がおじぎするときのように両手を袖そでへ入れて、机へぴったり胸をくっつけました。するとかよは立って来て、
「兄あいな、兄なの木ペンはきのう小屋でなくしてしまったけなあ。よこせったら。」と言いながら一生けん命とり返そうとしましたが、どうしてももう佐太郎は机にくっついた大きな蟹かにの化石みたいになっているので、とうとうかよは立ったまま口を大きくまげて泣きだしそうになりました。
すると三郎は国語の本をちゃんと机にのせて困ったようにしてこれを見ていましたが、かよがとうとうぼろぼろ涙をこぼしたのを見ると、だまって右手に持っていた半分ばかりになった鉛筆を佐太郎の目の前の机に置きました。
すると佐太郎はにわかに元気になって、むっくり起き上がりました。そして、
「くれる?」と三郎にききました。三郎はちょっとまごついたようでしたが覚悟したように、「うん。」と言いました。すると佐太郎はいきなりわらい出してふところの鉛筆をかよの小さな赤い手に持たせました。
先生は向こうで一年生の子の硯すずりに水をついでやったりしていましたし、嘉助は三郎の前ですから知りませんでしたが、一郎はこれをいちばんうしろでちゃんと見ていました。そしてまるでなんと言ったらいいかわからない、変な気持ちがして歯をきりきり言わせました。
「では二年生のひとはお休みの前にならった引き算をもう一ぺん習ってみましょう。これを勘定してごらんなさい。」先生は黒板に25-12=の数式と書きました。二年生のこどもらはみんな一生
どっどど どどうど どどうど どどう
青いくるみも吹きとばせ
すっぱいかりんも吹きとばせ
どっどど どどうど どどうど どどう
教室はたった一つでしたが生徒は三年生がないだけで、あとは一年から六年までみんなありました。運動場もテニスコートのくらいでしたが、すぐうしろは栗くりの木のあるきれいな草の山でしたし、運動場のすみにはごぼごぼつめたい水を噴ふく岩穴もあったのです。
さわやかな九月一日の朝でした。青ぞらで風がどうと鳴り、日光は運動場いっぱいでした。黒い雪袴ゆきばかまをはいた二人の一年生の子がどてをまわって運動場にはいって来て、まだほかにだれも来ていないのを見て、「ほう、おら一等だぞ。一等だぞ。」とかわるがわる叫びながら大よろこびで門をはいって来たのでしたが、ちょっと教室の中を見ますと、二人ふたりともまるでびっくりして棒立ちになり、それから顔を見合わせてぶるぶるふるえましたが、ひとりはとうとう泣き出してしまいました。というわけは、そのしんとした朝の教室のなかにどこから来たのか、まるで顔も知らないおかしな赤い髪の子供がひとり、いちばん前の机にちゃんとすわっていたのです。そしてその机といったらまったくこの泣いた子の自分の机だったのです。
もひとりの子ももう半分泣きかけていましたが、それでもむりやり目をりんと張って、そっちのほうをにらめていましたら、ちょうどそのとき、川上から、
「ちょうはあ かぐり ちょうはあ かぐり。」と高く叫ぶ声がして、それからまるで大きなからすのように、嘉助かすけがかばんをかかえてわらって運動場へかけて来ました。と思ったらすぐそのあとから佐太郎さたろうだの耕助こうすけだのどやどややってきました。
「なして泣いでら、うなかもたのが。」嘉助が泣かないこどもの肩をつかまえて言いました。するとその子もわあと泣いてしまいました。おかしいとおもってみんながあたりを見ると、教室の中にあの赤毛のおかしな子がすまして、しゃんとすわっているのが目につきました。
みんなはしんとなってしまいました。だんだんみんな女の子たちも集まって来ましたが、だれもなんとも言えませんでした。
赤毛の子どもはいっこうこわがるふうもなくやっぱりちゃんとすわって、じっと黒板を見ています。すると六年生の一郎いちろうが来ました。一郎はまるでおとなのようにゆっくり大またにやってきて、みんなを見て、
「何なにした。」とききました。
みんなははじめてがやがや声をたててその教室の中の変な子を指さしました。一郎はしばらくそっちを見ていましたが、やがて鞄かばんをしっかりかかえて、さっさと窓の下へ行きました。
みんなもすっかり元気になってついて行きました。
「だれだ、時間にならないに教室へはいってるのは。」一郎は窓へはいのぼって教室の中へ顔をつき出して言いました。
「お天気のいい時教室さはいってるづど先生にうんとしからえるぞ。」窓の下の耕助が言いました。
「しからえでもおら知らないよ。」嘉助が言いました。
「早ぐ出はって来こ、出はって来。」一郎が言いました。けれどもそのこどもはきょろきょろ室へやの中やみんなのほうを見るばかりで、やっぱりちゃんとひざに手をおいて腰掛けにすわっていました。
ぜんたいその形からが実におかしいのでした。変てこなねずみいろのだぶだぶの上着を着て、白い半ずぼんをはいて、それに赤い革かわの半靴はんぐつをはいていたのです。
それに顔といったらまるで熟したりんごのよう、ことに目はまん丸でまっくろなのでした。いっこう言葉が通じないようなので一郎も全く困ってしまいました。
「学校さはいるのだな。」みんなはがやがやがやがや言いました。ところが五年生の嘉助がいきなり、
「ああそうだ。」と小さいこどもらは思いましたが、一郎はだまってくびをまげました。
変なこどもはやはりきょろきょろこっちを見るだけ、きちんと腰掛けています。
そのとき風がどうと吹いて来て教室のガラス戸はみんながたがた鳴り、学校のうしろの山の萱かやや栗くりの木はみんな変に青じろくなってゆれ、教室のなかのこどもはなんだかにやっとわらってすこしうごいたようでした。
すると嘉助がすぐ叫びました。
そうだっとみんなもおもったとき、にわかにうしろのほうで五郎が、
「わあ、痛いぢゃあ。」と叫びました。
みんなそっちへ振り向きますと、五郎が耕助に足のゆびをふまれて、まるでおこって耕助をなぐりつけていたのです。すると耕助もおこって、
「わあ、われ悪くてでひと撲はだいだなあ。」と言ってまた五郎をなぐろうとしました。
五郎はまるで顔じゅう涙だらけにして耕助に組み付こうとしました。そこで一郎が間へはいって嘉助が耕助を押えてしまいました。
「わあい、けんかするなったら、先生あちゃんと職員室に来てらぞ。」と一郎が言いながらまた教室のほうを見ましたら、一郎はにわかにまるでぽかんとしてしまいました。
たったいままで教室にいたあの変な子が影もかたちもないのです。みんなもまるでせっかく友だちになった子うまが遠くへやられたよう、せっかく捕とった山雀やまがらに逃げられたように思いました。
風がまたどうと吹いて来て窓ガラスをがたがた言わせ、うしろの山の萱かやをだんだん上流のほうへ青じろく波だてて行きました。
「わあ、うなだけんかしたんだがら又三郎いなぐなったな。」嘉助がおこって言いました。
みんなもほんとうにそう思いました。五郎はじつに申しわけないと思って、足の痛いのも忘れてしょんぼり肩をすぼめて立ったのです。
「二百十日で来たのだな。」
「靴くつはいでだたぞ。」
「服も着でだたぞ。」
「髪赤くておかしやづだったな。」
「ありゃありゃ、又三郎おれの机の上さ石かけ乗せでったぞ。」二年生の子が言いました。見るとその子の机の上にはきたない石かけが乗っていたのです。
「そうだ、ありゃ。あそごのガラスもぶっかしたぞ。」
「わあい。そだないであ。」と言っていたとき、これはまたなんというわけでしょう。先生が玄関から出て来たのです。先生はぴかぴか光る呼び子を右手にもって、もう集まれのしたくをしているのでしたが、そのすぐうしろから、さっきの赤い髪の子が、まるで権現ごんげんさまの尾おっぱ持ちのようにすまし込んで、白いシャッポをかぶって、先生についてすぱすぱとあるいて来たのです。
みんなはしいんとなってしまいました。やっと一郎が「先生お早うございます。」と言いましたのでみんなもついて、
「みなさん。お早う。どなたも元気ですね。では並んで。」先生は呼び子をビルルと吹きました。それはすぐ谷の向こうの山へひびいてまたビルルルと低く戻もどってきました。
すっかりやすみの前のとおりだとみんなが思いながら六年生は一人、五年生は七人、四年生は六人、一二年生は十二人、組ごとに一列に縦にならびました。
二年は八人、一年生は四人前へならえをしてならんだのです。
するとその間あのおかしな子は、何かおかしいのかおもしろいのか奥歯で横っちょに舌をかむようにして、じろじろみんなを見ながら先生のうしろに立っていたのです。すると先生は、高田たかださんこっちへおはいりなさいと言いながら五年生の列のところへ連れて行って、丈たけを嘉助とくらべてから嘉助とそのうしろのきよの間へ立たせました。
みんなはふりかえってじっとそれを見ていました。
「前へならえ。」と号令をかけました。
みんなはもう一ぺん前へならえをしてすっかり列をつくりましたが、じつはあの変な子がどういうふうにしているのか見たくて、かわるがわるそっちをふりむいたり横目でにらんだりしたのでした。するとその子はちゃんと前へならえでもなんでも知ってるらしく平気で両腕を前へ出して、指さきを嘉助のせなかへやっと届くくらいにしていたものですから、嘉助はなんだかせなかがかゆく、くすぐったいというふうにもじもじしていました。
「直れ。」先生がまた号令をかけました。
「一年から順に前へおい。」そこで一年生はあるき出し、まもなく二年生もあるき出してみんなの前をぐるっと通って、右手の下駄箱げたばこのある入り口にはいって行きました。四年生があるき出すとさっきの子も嘉助のあとへついて大威張りであるいて行きました。前へ行った子もときどきふりかえって見、あとの者もじっと見ていたのです。
まもなくみんなははきものを下駄箱げたばこに入れて教室へはいって、ちょうど外へならんだときのように組ごとに一列に机にすわりました。さっきの子もすまし込んで嘉助のうしろにすわりました。ところがもう大さわぎです。
「わあ、おらの机さ石かけはいってるぞ。」
「わあ、おらの机代わってるぞ。」
「キッコ、キッコ、うな通信簿持って来たが。おら忘れで来たぢゃあ。」
「わあがない。ひとの雑記帳とってって。」
そのとき先生がはいって来ましたのでみんなもさわぎながらとにかく立ちあがり、一郎がいちばんうしろで、
「礼。」と言いました。
みんなはおじぎをする間はちょっとしんとなりましたが、それからまたがやがやがやがや言いました。
「しずかに、みなさん。しずかにするのです。」先生が言いました。
「しっ、悦治えつじ、やがましったら、嘉助え、喜きっこう。わあい。」と一郎がいちばんうしろからあまりさわぐものを一人ずつしかりました。
みんなはしんとなりました。
先生が言いました。
「みなさん、長い夏のお休みはおもしろかったですね。みなさんは朝から水泳ぎもできたし、林の中で鷹たかにも負けないくらい高く叫んだり、またにいさんの草刈りについて上うえの野原へ行ったりしたでしょう。けれどももうきのうで休みは終わりました。これからは第二学期で秋です。むかしから秋はいちばんからだもこころもひきしまって、勉強のできる時だといってあるのです。ですから、みなさんもきょうからまたいっしょにしっかり勉強しましょう。それからこのお休みの間にみなさんのお友だちが一人ふえました。それはそこにいる高田さんです。そのかたのおとうさんはこんど会社のご用で上の野原の入り口へおいでになっていられるのです。高田さんはいままでは北海道の学校におられたのですが、きょうからみなさんのお友だちになるのですから、みなさんは学校で勉強のときも、また栗拾くりひろいや魚さかなとりに行くときも、高田さんをさそうようにしなければなりません。わかりましたか。わかった人は手をあげてごらんなさい。」
すぐみんなは手をあげました。その高田とよばれた子も勢いよく手をあげましたので、ちょっと先生はわらいましたが、すぐ、
「わかりましたね、ではよし。」と言いましたので、みんなは火の消えたように一ぺんに手をおろしました。
ところが嘉助がすぐ、
「先生。」といってまた手をあげました。
「高田さん名はなんて言うべな。」
「わあ、うまい、そりゃ、やっぱり又三郎だな。」嘉助はまるで手をたたいて机の中で踊るようにしましたので、大きなほうの子どもらはどっと笑いましたが、下の子どもらは何かこわいというふうにしいんとして三郎のほうを見ていたのです。
先生はまた言いました。
「きょうはみなさんは通信簿と宿題をもってくるのでしたね。持って来た人は机の上へ出してください。私がいま集めに行きますから。」
みんなはばたばた鞄かばんをあけたりふろしきをといたりして、通信簿と宿題を机の上に出しました。そして先生が一年生のほうから順にそれを集めはじめました。そのときみんなはぎょっとしました。というわけはみんなのうしろのところにいつか一人の大人おとなが立っていたのです。その人は白いだぶだぶの麻服を着て黒いてかてかしたはんけちをネクタイの代わりに首に巻いて、手には白い扇をもって軽くじぶんの顔を扇あおぎながら少し笑ってみんなを見おろしていたのです。さあみんなはだんだんしいんとなって、まるで堅くなってしまいました。
ところが先生は別にその人を気にかけるふうもなく、順々に通信簿を集めて三郎の席まで行きますと、三郎は通信簿も宿題帳もないかわりに両手をにぎりこぶしにして二つ机の上にのせていたのです。先生はだまってそこを通りすぎ、みんなのを集めてしまうとそれを両手でそろえながらまた教壇に戻りました。
「では宿題帳はこの次の土曜日に直して渡しますから、きょう持って来なかった人は、あしたきっと忘れないで持って来てください。それは悦治さんと勇治ゆうじさんと良作りょうさくさんとですね。ではきょうはここまでです。あしたからちゃんといつものとおりのしたくをしておいでなさい。それから四年生と六年生の人は、先生といっしょに教室のお掃除そうじをしましょう。ではここまで。」
一郎が気をつけ、と言いみんなは一ぺんに立ちました。うしろの大人おとなも扇を下にさげて立ちました。
「礼。」先生もみんなも礼をしました。うしろの大人も軽く頭を下げました。それからずうっと下の組の子どもらは一目散に教室を飛び出しましたが、四年生の子どもらはまだもじもじしていました。
すると三郎はさっきのだぶだぶの白い服の人のところへ行きました。先生も教壇をおりてその人のところへ行きました。
「いやどうもご苦労さまでございます。」その大人はていねいに先生に礼をしました。
「じきみんなとお友だちになりますから。」先生も礼を返しながら言いました。
「何ぶんどうかよろしくおねがいいたします。それでは。」その人はまたていねいに礼をして目で三郎に合図すると、自分は玄関のほうへまわって外へ出て待っていますと、三郎はみんなの見ている中を目をりんとはってだまって昇降口から出て行って追いつき、二人は運動場を通って川下のほうへ歩いて行きました。
運動場を出るときその子はこっちをふりむいて、じっと学校やみんなのほうをにらむようにすると、またすたすた白服の大人おとなについて歩いて行きました。
「先生、あの人は高田さんのとうさんですか。」一郎が箒ほうきをもちながら先生にききました。
「そうです。」
「なんの用で来たべ。」
「上の野原の入り口にモリブデンという鉱石ができるので、それをだんだん掘るようにするためだそうです。」
「どこらあだりだべな。」
「私もまだよくわかりませんが、いつもみなさんが馬をつれて行くみちから、少し川下へ寄ったほうなようです。」
「モリブデン何にするべな。」
「それは鉄とまぜたり、薬をつくったりするのだそうです。」
「そだら又三郎も掘るべが。」嘉助が言いました。
「又三郎だ又三郎だ。」嘉助が顔をまっ赤かにしてがん張りました。
「嘉助、うなも残ってらば掃除そうじしてすけろ。」一郎が言いました。