はてなキーワード: 癇癪持ちとは
うちのこは3歳程度の知能で、こだわり強く癇癪持ちの時期が長かった
成長してある程度意思疎通、我慢も多少できるようになりましたが、大きい幼児、ペットとしてみないとやってられないなという感覚は常にあります
出来ることは増えてもできないことがずっと残り続けるので
幸い愛嬌あるので、可愛がって貰えることがまだ多いですが、
これが30なって50なってとなると、家族ですら我が子として受け入れるのはなかなか厳しいでしょうし、施設の方は飼育係として接してくれても構わないと思います
妻とは考え方が合わず、自分自身が少数派だとは思ってますが、きれいごとではやってけない
ボケなかった祖父の介護は人、祖父として見ながらできましたが、ボケてしてしまった祖母ははほんとに可愛くもなんともない義務で飼ってしまってるペット以下と思えてしまい
人権大事ですが、人としての最低用件満たしてないと色々制限されるし、痛みや精神的苦痛少なく世話してもらえるだけでありがたいと自分なら思いますし、
変に理想やらキラキラさせて面倒みられるよりも、ほんと事務的にドライに、でも最低限は保ってくれるような施設のほうが安心できるかも
自分自身もその人のことを「優しい人」と思っているし、周りも概ね同意見だった。
でもその人は、気に入らないことがあるとすぐキレるし、嫌いな担任に叱られると担任の机を怒鳴りながら蹴っていた。どう考えてもヤバい奴だった。他にそんな人は1人もいなかった。
でもどうしてもその人のことを「性格が悪い」とか「嫌なやつ」とは思えずむしろ「優しい人」だと感じるのは何故なのか。ほかにあんな癇癪持ちいなかったのに、癇癪持っていないほかのクラスメイトのほうがよっぽど性格悪く感じていた。
例えば偶然放課後に聞こえた会話で、その人は自他共に認める潔癖症だったんだけど、ほかの子と手作りのバレンタインチョコをブスから貰ったらどうするかって話してる時に、話題を振った他の男達は「キモい、捨てる」って言ってたけどその人だけは「別にキモいとは思わない。全部は食べられるかわからないけどなるべく食べる」みたいなこと言ってたり、発表のグループが一緒だった時に、私以外全員発熱で休みだったんだけど、それを知った彼だけは、発表の時間だけ顔真っ赤で苦しそうなのに「一人は申し訳ない」と言ってわざわざ来てくれたり、なかなかクラスに馴染めない時に話しかけてくれたり、優しかったなあって思う。
メンヘラ女子というか女性の大半は多かれ少なかれ似たような傾向がある
基本的に幼稚で我儘な癇癪持ちがそのまま加齢して図体だけデカくなったものと思ってもらって構わない
子育て経験ある人なら分かるだろうけど、子供ってさ、どんなに「良い子」でも
不機嫌をアピールして親に思い通りに行動させるってことをやる事があるのよ
男の子供の場合、早い段階で不機嫌アピールが(親や祖父母以外には)通用しなくなって
「不機嫌になる→逆に怒られる」って現象が発生するようになる
で、「不機嫌では人は動かせない」と早い段階で学習する
でも女の子供の場合、逆に「不機嫌になる→もっと不機嫌になる→親が折れる」って現象がしばしば発生する(赤の他人、例えば先生とか)
そうすると、「不機嫌アピールを強化すれば人を動かせる」と学習してしまうケースが出てくる
で、さらにその中の一部の女性は親以外の他人も不機嫌で支配しようとする
膨れたり泣くくらいだとまだ普通なんだけど、中には自傷行動や自殺アピールに至るケースも出てくる
親からの扱いの男女差が原因かな
だから女より男が甘やかされる文化の国だとメンヘラ気質の男もいたりするらしいね
だから殴って育てろとは言わんが、今の大の大人である女性にすら、まるで大人子供(アダルトチルドレン)に接するかの様に
ヨシヨシして持ち上げて色んな責任を(関係無い男性に押し付けつつ)回避しながら負担を減らされた状態でイキっても
まだまだ足りないのかサベツサレテルー!!ジョセイサベツー!!キモイー!!などと喚いておかわりを欲しがる女性を見ていると
さすがにもう少しばかり厳しく育てた方が良いと思うわ
追記:
いっぱい見てくれてありがとう。
もちろん、事実も真実も今俺がどこでどんな暮らしてるかも全く知らないくせに、書いてもないことを妄想や憶測や曲解や邪推で補完して膨らまして、
俺を批判したり同情したり憐憫したりアドバイスしたりしてくれたブクマカたちにも、ありがとう。
それを無意識のうちにやっている人も、自覚的にやってる人も、いるなと思いながら目を通した。
でもまあ、それはいいんだよ。
それが欲しくて増田に書いたし、
俺は生きてるから。
俺の言動の意図がねじまがった形で波及して、求めてもいない影響をどこかやだれかに及ぼしてしまって、
俺自身が誤解されたり損害をうけたりすることがあっても、
俺は生きてるから。
死者にそれをやるのは卑怯だよね。だって死者は、裁判で訴えることも言い返すことも説明することも訂正することも弁明することも謝罪することも、できない。
死者は憐憫してほしいのか称賛してほしいのか忘れてほしいのか助けてほしいのか居なかったことにしてほしいのかも、もう確かめるすべもない。
自死について、テロ行為と書いたことで苦しませた人は本当にごめんね。
漫画家さんの自殺はテロ行為だなんて言うつもりはなかったんだよ。
自殺者の自死をテロ行為にしないために、生きてる人が気をつけるべきことがあるんだって話をしたかったの。
俺んとこで言えば、俺は、妹のせいで母が壊れたと思うべきではなかったし、壊れた母から悪影響を受けるべきでないし、母にも妹のためにこそ壊れないでほしかった。
だってこれが成立すると、あの自殺が俺たち家族にとってテロ行為とも呼べるシロモノになってしまうじゃない、って話をしたかったの。
こういう現実が、こういう思想で自殺にメリットを感じる価値観と地続きと思う。
https://anond.hatelabo.jp/20230715095602
妻子を気に掛けたくれた人もありがとう。
俺の妻から苦しみを聞かされたわけでもない、なんなら妻の顔も名前もしらないのに、妻の気持ちを代弁してくれた人も、ありがとう。
これ以上自殺の呪い(と言い換えます。テロは強すぎたね)の悪影響をひろげないために、妻と子供には、より誠実に向き合って、より大切にしていこうと、あらためて強く思いました。
人の心なんて、生きてようと死んでようと、絵にかいて見せることも形づくって触れさせることもできない、言葉を尽くしても伝わらない、どうやっても想像の域を出ないものだから、切ないね。
無意識のうちに、自分の妄想や憶測を、事実と同列に取り扱ってしまう人は、「人とは自分が見たいように物事を見てしまう生き物だ」ということ知ってほしいな。知ってて損はないし上手く使えば得になる。なんなら知らないと損してしまうこともある。
追記ここまで
妹はいわゆる境界性パーソナリティ障害っぽいところがあって、思春期はまあ大変だった。
気に入らないことや思い通りにならないことがあれば、ヒステリーやリスカやハンストで家族を萎縮させる。
妹以外の家族、俺と父と母は割りと温厚というか事なかれ主義というか淡白だったものだから、
とにかく言うことを聞く。「これして」「あれちょうだい」全てその通りに。
勉強は中の下、外では外交的でないまでもヒスも起こさず我慢だけしてるから、人付き合いは良好でなくても不穏でもなくて、
つまり社会生活に不具合がなかったから、幼いうちに医療にかかることがなかったのは心残りだ。
俺たち家族はほっとした。実家の環境が合わなかっただけで、家族以外との生活には問題ないんだ。
あの子は変な子でも変わった子でもなかったんだ、と。
妹が嫁いでまもなく、俺も結婚し、2世帯住宅を建て、両親を呼んだ。
実家は取り壊した。妹がヒステリーを起こしたときの痕跡が生々しくのこる実家は、みんなにとって黒歴史だった。
妹が壁に書き込み続けた呪詛の言葉。蹴ったり殴ったりして開けられたいくつもの穴。食器を投げつけた傷。包丁が刺さったあと。拭いても拭いても落ちない血痕。
リノベーションするにも、業者のひとに見せるのすら憚られたから。
今思えば、何て書いてあったのか、あの子の心の叫びを知っておけばよかったな。
旦那さんは、気さくで温厚でいい人だ。嫁の実家なんて気を使うだろうに。
俺ら家族に対して不穏な態度を隠しもしない妹に不満をみせることもない。
一晩泊まって、翌朝になっても客室から出てこない妹とは対象的に、旦那さんは一人早くに起きてきて、朝食の支度を手伝い、妹抜きで朝食を囲んだ。
今思うと、もしかして欠陥品かもしれない妹を押し付けた俺ら家族と、もしかして欠陥品に今現在虐げられる暮らしをしているかもしれない旦那さんと、何も知らない俺の嫁さんで、なんとも言えない緊張感はあったかもしれない。
妹にとって、自分の実家とは言えないが自分の両親と兄が暮らすこの家は、居心地がイイとはいえないだろうが、
自分の親族の家に来ているというのに朝になっても起きてこない妹に、何も言わないし様子も聞かない俺たちは、旦那さんの目にはどう映ったんだろうな。
嫁いで何年経っても、妹に子供はできなかった。
なにかの機会で、旦那さんのご両親と俺と俺の嫁と俺の両親で一緒に食事をした際、
先方のご両親からそのことに触れられたが、俺の両親はなんとも煮えきらない反応をして、話題を変えた。
この頃には俺の嫁も、俺の妹の不穏な雰囲気を察していたかもしれないな。
妹が嫁いで8年くらいの頃かな。
「妹が離婚する」って。
妹から電話があって、そう言ってたって。もちろんいつものヒステリーからくるヤケクソの話ではなく、その電話で旦那さんとも話して、「直接ご挨拶をさせていただきたいのと、離婚届の署名をおねがいしたいので、伺わせてください。この度は誠に申し訳ありません」って感じの話だったらしい。
俺たちは困った。嫁いでからずっと妹は働いてなかったはず。
もう30になるという歳で、職務経験もないあの子が、今すぐどこかで働き口をみつけて、住むところをみつけて、一人暮らしをして、ってできるのか?
もしくは、こちらに帰ってきても生家はない以上、ここに住むのか?
俺には子供が二人できていた。
言葉にはしなかったけど、妹との暮らしは、子どもたちには悪影響ではないかと思ってしまっていたことは、忘れていない。
仮にそれが一時的に出てしまったのだとしても、時間が経てば解決する。
離婚なんてしなくても済むはずだ。
母はその晩、妹に電話をかけた。
離婚したとして、どうやって暮らしていくのか?現実的に難しい問題がいくつかあることを妹に話していた。
だから、もう少し頑張ってみたらどうか?とも。
今思えば、いつでも帰ってきておいで、って、言ってやるべきだったかなあ。
妹はまもなく首を吊った。3日間意識不明をさまよったのち、死亡となった。
俺は妻に子供を任せ、両親を連れて嫁ぎ先へ飛んだ。
旦那さんの憔悴ぶりは見ていてとても可哀想で、なにより申し訳なかった。
俺は仕事が有るのと、妻に幼い子供2人押し付けてるのも気に掛かかるものだから、両親を残して通夜だけでお暇した。
旦那さんは別れ際に、「僕のせいで、申し訳ありません」と言ってくれた。
この時点で俺は、妹の亡骸を見てもなお、妹が死んだ事実よりずっと、俺の妹がこの人やこの人の家族に迷惑をかけてしまったということのほうが胸を占めていた。
そう言って別れた。旦那さんは泣いていた。
俺は本当に浅ましかった。
あのまま妹を俺の家に受け入れていれば、妹は俺の家を破壊したかもしれないし、俺の家で首を吊ったかもしれない。
そう思うと、妹が、意識不明から復帰することがなくてよかったし、すべて旦那さんがケツ持ちしてくれてよかった気がする。
そもそも妹が嫁いだとき俺は、「これで妹に縛られた人生から開放される」「死ぬまで妹の面倒見てくれる人ができてよかった」そういう気持ちではなかったか。
旦那さんは、こんなかたちではあるが、妹が死ぬまで面倒見てくれて、汚れ仕事をすべて請け負ってくれた恩人。
旦那さんの未来は、もしかしてこのことのせいで暗く閉ざされてしまうこともあるかもしれないけど、俺たちは、旦那さんのせいにして、何ら変わらない日々を送れるんだ。
はやくこの地を離れたい。
そういう気持ちでいた。
あれから2年が経った。
1周忌は仕事を言い訳に行かなかった。妻も両親も旦那さんも、俺に何も言わなかった。
今月、妹の3回忌があった。そのため久しぶりに嫁ぎ先を訪れた。
曇天でいまにも降り出しそうな空模様のなか、お経を聞いた。
そんなに多くの法要に顔を出した経験が有るわけではないのだが、よく見るのは、故人の配偶者が存命の場合は、故人と配偶者の馴れ初めや思い出なんかを坊さんが語ってくれたりして、参列者でほっこりして、故人を悼んで…なんてするイメージだった。
そういうのは無かった。離婚が決まっていたからなのか、自殺だからなのか。もしくは、旦那さんに新しい女でもいるのかな。見覚えのない女性の参列者を見かけると、そんなことを考えたり考えなかったりした。
法要のあとは、旦那さんと妹が暮らした家に伺って、形見分けをしてもらってから、両親を伴って帰路についた。
旦那さんと妹が暮らした家は、記憶の奥底に閉じ込め蓋をし忘れたことにしていた、実家を思い出すようだった。刃物や食器を投擲することによってついたであろう傷は、しずかに床や壁にこびりついていた。
2年間の月日が流れる中で、妹の嫌悪を感じる点も、忌まわしさを感じる点も、憎悪を感じる点も、あまり思い出せなくなっていく。
思い出を美化しているらしく、生前は良い思い出とは思っていなかった記憶さえ、なんだか温かい感情を伴って思い出されることすら有る。
だから、本当の妹は、ここに書いているよりもずっと酷い人間だったかもしれない。
記憶の美化は故人の美化で、それは後悔を呼んだ。
幼い頃から妹に手を焼く度に忌まわしく思ったし、
脅しによって周囲の人間を思い通りに操ろうとする様を本気で憎んだときもあったよ。
だけど、俺から見たら「気に入らないこと」「思い通りにならないこと」で感情を爆発させる妹だったけど、
妹にとっては、きっとそれが何より辛くて苦しくて助けてほしいことだったんだよなあ。
今でこそ、境界性パーソナリティ障害っぽい、だなんて偉そうにラベルを貼れるけど、あの頃は、そんな妹自身が抱える暗闇について、目を向けることすら無かった。
分かりにくかったけど、きっと助けてほしかったんだろうな。
妹を大切にする暇もなく、妹より大切なものをいくつも持ってしまって、さいごまで蔑ろにしてしまったかな。
あの頃俺がつらかったのも事実だし、
そして、この2年の月日で、母はどんどんおかしくなった。
母をまもるため、母を大切にするため、俺はこの家を建てたのだけど、母はいま妹ばかりだ。
俺が妙な助言をしてしまったせいで、母は妹にあんな電話をしてしまって、だから妹は死んでしまって、だから母は壊れてしまったのかなあ。
妹がヒステリーを起こして母を殴るたびに、母に刃物を突きつけるたびに、俺は母をかばったものだけど、母はそれももう忘れてしまったのかなあ。
俺が生きていても、母にとって意味はないのかなあ。
俺の子どもたち、母にとっては孫であるこの子達も、母の大切な一人娘が死んでしまったことの前では、無価値なのかなあ。
父は、もともと目が見えない人だったが、母がおかしくなってから、認知症も進行したように思う。
ハンディキャップが有る父。妹に攻撃される母。人格障害っぽい妹。
俺も、頑張りすぎたのかな、幼い頃から、妹の兄でありながら、妹の父のかわりや、母の夫のかわり、あらゆる自分を演じようと、無理をし過ぎたかな。
こんな俺が、妻や子どもたちを大切にできているのかな。
いろんなことが複雑に絡み合って俺たちはここにいるんだなあって最近よく思う。
最初は、「妹が自殺したのは、配偶者である夫とのいさかいのせい」と思い込もうとしていた。本質はどうあれ、そのほうが俺の人生にとって都合が良かったから。
だが、壊れてゆく両親という現実や、美化される自分の記憶とともに、その自己暗示も、維持ができなくなってきて、自責の念が強くなってきたと思う。
それと同時に、なぜか新しく故人である妹への憎しみが湧いた。
俺たちを苦しめる原因って結局すべて妹だ。感情を削ぎ落として考えたらそうだ。
そして母への怒りを感じた。
俺は子供だったし、母は大人だった。夫が盲目だからって、俺に頼り切りでなく、大人として責任を果たしてほしかったよ。
妹が死んだ途端、被害者ぶるのはやめてくれ。
あの子を病院にかからせることができたのは、あの頃はあなただけだったじゃないか。
俺に負債をおしつけて、それで今更被害者面なんて、浅ましいと思わないのか。
色んな感情が渦を巻く。
妹はこんなふうに壊れる俺たちが見たかったのだろう。
妹を厄介払いするように嫁にやって、妹以外で結託している俺たちに、自分の重要性を知らしめたかったのではないか?
他人を変えるために、死というウルトラCを用いて、インパクトを与える。
他人というのは、俺らだったかもしれないし、旦那さんだったかもしれないけど。
まんまと呪われた母は、そして呪われた母に巻き込まれて変わらざるを得なかった俺や父は、
妹の思うつぼだということだ。
でも、妹はそんなやつじゃないとも思うんだ。
本当に逃げたかっただけだ。
俺たち家族からも、旦那さんからも、厄介者扱いされていると感じてしまう現実から。
見捨てられる恐怖から。
もちろん俺たちだってそんな、あからさまに厄介者扱いなんてしなかったよ。でも繊細で傷つきやすいあの子は、なにかを受け取ってしまったかもしれないじゃないか。
そんな弱い子でもない。
あいつは、内面にそういうマグマをかかえつつも、無難に人付き合いができる賢い子でもあったよ。
怒りっぽく、傷つきやすく、繊細で、家に帰れば人の悪口ばかりだが、本人の前ではおくびにも出さない。そういうしたたかな子だった。
自殺だって、彼女が彼女なりに選択をしたことだ。良し悪しはべつにして、彼女の中にそれなりの正義があったに違いない。
同情がほしいなんてそんな浅ましい理由で、こんな愚かな真似をするわけがない。
だから、外野に過ぎない俺等が勝手にあれやこれや憶測や妄想をして、勝手に因果関係を見出して、勝手に怒ったり悲しんだり憐憫したりするのは、彼女に失礼ではないか、とも思う。
とにかく。
自殺って本当に良くないな。嫌でも思い出すし、
外野が勝手に悲劇のエッセンスに利用してるのを見ると、自分のことのように腹が立つ。
にしてもだ、自殺って脳天気なバカどもが考えてるよりずっとずっと地獄だよ。
自分のクソデカ感情をシェアしたくなる気持ちはわかるけど、自死遺族からしたら、それすらもノイズだったりするかもよ。
発信することは、真意が売名でも承認欲求でも吐き出しでも追悼でも救済でも擁護でもなんでも、ノイズになりうるし、エゴイズムだと思う。
しらんけど。ありがたく思う人もいるかもしれんけど。
フィクションじゃないんだよ。病死や事故死や老衰とは話が違うんだよ。故人の何を知っているんだ。
自殺するようなことがなきゃ、書かれなかったであろう伸びなかったであろう記事をいくつも見たよ。
自死によって世界が変わるのは、良く変わっても悪く変わっても、なんだかテロリズムを感じて気色悪いんだ。
生きてようと死んでようと、その人間が行ってきた善行も悪行も変わらないから、本質的には同じなのに。
俺は芸能人や有名人が自殺しても勝手な憶測は書かないようにしているし、因果関係も見出さないし、責任追及もしない。憐憫もしない。
死者が物言わないからって、単なる憶測がでかい面をしていい理由にはならない。
本気で愛してんなら、自殺と絡めず書いてくれ。だし、死ぬ前に書いてやれ。愛だけ叫んでろよ。
日頃、ブクマもしてるんですけど、結構前からブクマにも松ちゃんイタイわ、とか言っているので、そういうことではないです。
むしろ「色々イタい人だけど面白いとずっと思っているし、一方で、熱量強く好きだった時でも「この松ちゃんはなんだかなぁ…」といやな気持になること結構あったので、それを、なんかいいように/または悪いように歴史修正されたくないなぁと思って書きました。
昔は天才、セックススキャンダルが起きた今は凡人と言いたいわけではないです。
「(下半身も倫理観も、そしてお笑い能力においても)ダメなところもたくさんある、でも面白い芸人」だと思っている人が、ここにいますよー、と言いたかったのです。
「あの癇癪は面白がらせようとしてやってんだよバーカ」という見解も理解できますし実際そういう側面もあると思う。でも、どちらかと言うと「コントロール不能な癇癪が出てきてしまったが、周囲の協力もあって何とか笑いにできた時もあった」という程度だったんじゃないかなあ。記憶が美化されてない?
そういえばHEY3で誰かとテトリス対決やって勝てなくて癇癪起こしてたこともあった記憶が。私そのころはもう「ダウンタウンの出てるTV全部見る」みたいな状態ではなかったので又聞き&その時に聞いた友人たちからも批判的なニュアンスが強かったんですよね。
放送室のどこかの回で「別の松本が出てくる」というような話をしていた回があったかと思うので、誰か音源を持ってる人が居たら確認してくださると。ラジオ番組のCDを出してたんで、持ってる人は持っていると思います。言うこと聞かないもう一人の松ちゃんがでてきてもーてたな、とか高須っちゃんに言われてた記憶があるので、おそらく「笑わせようとして制御した癇癪」ではないのではと私は思っています。異論ももちろんあるでしょうが。
私も分かんないんですけど、吉本興業とABCが終わらしてくれない可能性は小さくないんじゃないかなと思っています。
もちろん多くの芸人さんにとって「松本人志に高得点を入れてもらいたい」というのは、強いモチベーションになっているとは思いますが、リアルタイムでダウンタウンの漫才やコントを見ていた層はもう審査員席に座っている世代で出場者も当然若くなりリアルタイムでダウンタウンがお笑いをやっている」ところは見てない人たちが大半。「松本さんの評価が高かった」という形骸化されたトロフィーのようなものになっているのかなーと思ったりもするので。
出場者数も馬鹿みたいに増えているてその分「M-1の運営で飯を食ってる人」も増える。あとはM-1は決勝メンバーで営業ツアーをやったりしているらしいし、中川家・サンドイッチマン・ナイツの漫才ツアーという(すごく楽しそうなのだが行ったことがない)、儲かるショーバイとしての広がりも見せている。M-1で稼ぎたい人が多くなればなるほど、松本が審査員から降りようが、大人のショーバイの都合でM-1はマストゴーオンする可能性は高いんじゃないかなぁ。確か、after紳助のM-1再開後の年は、松ちゃんは紳助への仁義もあるし的なことで審査員をやってなかった記憶がある。それでもまぁM-1は行われたし次の年にシレっと松本人志は審査員席に座っていた。松本さんもそういう風にやっていたわけですし。
お上品ではないです。お上品ならダウンタウンでげらげら笑わないと思う。下劣だったり差別的だったりするのもお笑いだし多くは許容できるんですけど、私は女なこともあってか、ミソジニーが強く出ているネタは、ダウンタウンだろうが別のお笑い芸人だろうがちょっと笑われない時があります。それは上品だからではなく、私の「なんで笑いたいのに不快な気持ちになるんだ」という個人的な都合です。
「皆好きだって言ってるけど、どうも乗れない零れ落ちるミソジニー感を受信しちゃってどうも…」ということで言うと、バカリズム、和牛、ニューヨーク、ブラックマヨネーズ、さらば青春のとか、面白いネタも多いしお見掛けするとゲラゲラ笑う時も多いんだけど、なんかどうもなー、もうちょっとちゃんとミソジニーがこぼれないようにジップロックのふた閉めてくれへんかなーって思う時もある。それはダウンタウンの若いころにも思っていました。
でもこれは私が女で、ミソジ強い人がどうにも苦手という個人的な事情であって、上品だからではない。上品な人はそもそもお笑いを見ないだろう浄瑠璃とか見てるんちゃう知らんけど(浄瑠璃も世話物できわめて上品ではない話だったりするけども)
そういえば、寄席で落語を見ていると噺家がよく言うマクラで、白杖の人(目が見えない人)が客席にいたら出来ないネタがある、というのがありますね。師匠から連綿と小さい寄席で続けられてきた芸ならではの処世という感じ。お笑いってのは根本的に上品ではありえないし、それを言えば人間は根本的に下品だしね。
ハマタさんについては、故ナンシー関(消しゴム版画家)の「いま日本で一番メガホンが似合う男」という言葉があって、まさにそれが言い表しているのかなと思います。あとは水ダウの「結果発表~~~~!」の企画とかね。
松ちゃんという天才の相方として諦めたこととかも結構あるのかな、とたまに思う時はある。徹底的に「回答者席」に座ることがないんだよねハマタさんは。その代わり日本で一番メガホンが似合うし結果発表の声がでかい。
たけしが松ちゃんとのインタビューで「相方の能力がすごいのが羨ましい」って言ってたのを覚えている。たけしはなぁ、相方きよしさんだもんな。きよしさんは今回の件でもXでいっちょ噛みしてて笑った。
息子さん(ハマ・オカモト)のベースが死ぬほどくっそ上手くてカッコいいのとしっかりとしたタレントさんでもあるので、ハマタさんはかなり良いお父さんなんじゃないかなと思ったりしている。
愛人がいる報道は定期的に出てるけど女性からの被害訴えが今のところないので、それならば当事者間(ハマタさんと家族と愛人)の問題ですね。まぁどっちかと言うと下半身はたけしタイプ(ヤリコンではなく愛人)なのかなと想像。しらんけど。
(誰も読んでないだろうけど追記)
そういえばハマタさんは「回答席に座ったことがない」どころか、ひな壇や「その他大勢の場」にセットされたことが、ほぼ無いのではと気づいた。松ちゃんは「大喜利の回答者の一人」になっていたけれど、ハマタさんは若手の頃からずっとMCだ。
「ひな壇に大勢の芸人を並べて…」というバラエティのスタイル自体をダウンタウンが作ってきたような面もある(DTDXなど)から、というのもあるからひな壇経験がないということもありそうだけれど、例えば「one of コメンテイター」みたいな場所にいるところも見たことがない。しいて言えば笑っていいともか。そりゃダウンタウンはいいとも嫌いだったのも納得できるし、逆にハマタをひな壇に座らせたらずっとそっぽ向いてリアクションとか絶対に取らなそうだ。
癇癪持ちだった
ゲームで癇癪起こしたことが0とは言わないけど、それはゲーム如きで怒るほどマジになっている人っていうコントをしてるだけ。
ごっつでもガキの使いでも、そういう体のコントとか、コント風の企画山程ある。
割とたまにスベっていた
常にホームランを打つタイプではないけど、滑る時に大怪我しない方法をシステム化したのがすごいと思っている。
少なくとも、滑って、それを受け入れないとか、むくれるとか、それは俺の見てきた松本の中にはない。
知的ではなかった
自分が一番正しい!と言い放つ人だった
これはほんとそう思う。ガキの使いのコーナーで、自分に点数をつけるとしたら?で100点だからね。
無茶苦茶なことを言っている人間を演じてる時もあるから、しばらく笑えるんだけど、
え、こいつまじやん・・・ってなる瞬間はあった。
映画は向いていなかった
怖くて未だに見れていない。
結構前から松本は「自分が一番面白い」という看板は下ろしてて、「若い頃ほど面白いことができない」も自覚している。
ダウンタウン双方力の衰えを自覚しながらどうやってゴールするのか単純に興味があっただけに、それがぶつ切れになってしまって残念。
ダウンタウン、好きだったんですよ。
蛇足を補足しました***************************
https://anond.hatelabo.jp/20240116110533
訴訟をうけて更に心に湧いた感想を書きました(24/1/24)
https://anond.hatelabo.jp/20240124115643
以下本文*************************************
中学生~就職するぐらいまで。80年代の後半から2000年すぎぐらいがピークで好きだった。
東京に住んでるんだけど、雑誌で「今大阪ではダウンタウンっていう面白いコンビがいる!」という記事を見かけて、大阪に住む従弟にお願いして4時ですよーだのビデオを送ってもらってクラスの友達と見たりしていた。関東地方だとなかなか見られなかったから渇望感もあって、東京で見られる番組が始まった時はすごい熱中して見てたなぁ。夢で逢えたらも深夜の1回目から見てたし、ガキの使いも第1回から、ごっつええ感じもパイロット版の時から楽しみで、レギュラー番組始まってもリアタイで見てた(彼氏とデート中でも今日はごっつリアタイするから帰る!といって家に帰ってた)。笑っていいともも録画して見てた。現実で追っかけしたりはしなかったが(面倒なので)、ガラの悪い言葉を使い攻撃性の高い悪いことをだらだらと話すガラの悪い二人組が新鮮だったし、実際とても面白かった。
面白かったんだけど、どうしてかいつの間にかあまり見なくなり、そして「あーあ」と思ってしまうようになった。なんでそんな風に自分が変化したのか、大昔の面白くて夢中だった時の記憶を掘り起こしてたのだが、そうすると、今回の事案にもつながるような「あー松ちゃんのこういうところ嫌いやー」って思うところがリアタイ当時から結構多かったなと思い出してきた。嫌いなところが結構あったのに、それでもダントツに面白かったんだけどね…。
松ちゃんはかなりの癇癪持ち。癇癪発動中のシーンが苦手だった。「ごっつええ感じ」という番組は日曜20時~毎週1時間のバラエティ番組で、コントと企画コーナーのほかにチーム対抗でゲームをやるコーナーがあった。そのゲームでうまくいかないと松ちゃんは簡単に不機嫌になり癇癪を起こす。持っている道具を投げたりとかする。なんで面白がりたくてTV見てるのに不機嫌な人を見続けなきゃならんのか…とチャンネルを変えることもあった。今思うと、短気の癇癪持ちは年を取っても治ってないどころか悪化してたんかなと思う。
彼らがまだ若手のころ、深夜で大喜利の番組(ダウンタウン汁、だったかな)をやっていた。もちろん松ちゃんは面白かったが、同時にそこそこの打率でドン滑りもしていた。大喜利のセンスは実は本人や周囲のイメージほどは高くないんじゃないかなと当時から思っていた。その番組だと突出してたのは板尾で、コンスタントに打率がいいのは今田、たまにすごい面白いのは東野。ほんこんさんは当時も今も変化なく面白くなかったがそれはまぁ今回の件とは関係ない。
この「松本的ファイトスタイルの大喜利」は今のお笑いの礎になってることは確か。でも一方で、みんなが大喜利楽しむようになって、松ちゃんより大喜利上手い芸人たくさんいるね…とも思う。いい時代になった。
松ちゃんは、ドン滑りしたあと照れてかわいくなってる時もあるが、えーなんでぇ!とデカい声で不満を言ったりジャッジをしていたハマタに悪態付いたりしたり、回答席に並ぶ後輩たちに嫌味を言ったりと滑ったあとのおムズガリがすごかった。この癇癪が発動していると、何でこんなの見てるんだとお笑いの世界から正気に戻り私はTVを消して寝ちゃう。
大ベストセラーのエッセイも読んだ。それなりに面白かったのだがそれよりも賢さがあまり感じられない文体で、分かってはいたが正直少し引いた。たけしの週刊誌連載はたけしが喋ってるだけでライターが書き起こししてるが松本は自分で全部書いている、というのが喧伝されていたが、喋り起こしの方が口語体の雰囲気が残って逆に賢くなさが目立たなかったんじゃないか。当時は大学生で中学生相手の塾講師をやっていたのだが、中学生の作文みたいな感じだな…と思った。内容や主張は、まぁTVで日々見聞きしてることとそこまで差がなかった。
知的ではない、ということで言えば、ダウンタウンはタモリとの相性が良くなかった。笑っていいともが楽しくなかった、というのは後に本人も言っていたが「タモリを中心に和気あいあいと出演者がしゃべっている」のが嫌だったという趣旨のことを言っていて、改めて、まぁそうだろうなぁ…としみじみする。
松本人志と高須光聖の放送室というラジオ番組が始まって、しばらく聞いていた。思えばこのラジオ番組が、私にとっては好きなタレントではなくなっていく過程の番組だったんじゃと思う。ラジオ番組の中で悪い遊びをした話などが語られていて、こちらは社会人になっていたので、芸人とは言えうーん何か、と思うようになっていたのもある。「悪い遊び」は要するに今般話題になっているような遊びだったんだろう、高須氏はどちらかというとその遊びには混じってはいない様子で、「悪い遊びの話を適度にマイルドにして話させる」役割。そして内容がやばすぎそう…となると「ええなー自分、でもほどほどにしときーや」とか言っていたので、一部のブコメで「女衒の放送作家って高須ジャネーノ?」というのは、知らんけどたぶん違うと思うで?と言っておきます。
高須氏に諫められた後の松ちゃんは聞く耳持たず、俺が一番正しい!と叫んだりする。例えば社会問題(アメリカが嫌いだという話とか、女性差別度の強い話など)テーマの時も、あまり行き過ぎないように窘めるニュアンスの合の手を入れる高須っちゃんに松ちゃんがだんだんイライラしてキレる、というのも、年に両手の数では足りないぐらいはあったと思う。やっぱりイラチよね…「間違ってようが、どうあっても俺が正しい!」という感じだった。知性がね、ないんだよな…
音楽番組「HEY!HEY!HEY!」を見ていて、本当に音楽興味ないんだなぁこの人、と思っていた。長渕剛は好きらしいので、音楽に興味がないというよりも自分と異なるものには興味がないのかもしれない。
そもそもあの番組は歌番組のはずなのに歌の尺が短い(ダウンタウンとのトークが皆さんのお楽しみでしょう?という)異色の番組だったのだが、トークの中でアーティストが創作の苦労っぽいことを話し出すと、松ちゃんのトークのギアが1段さがって熱くなっていくことがよく有った。俺たち生み出すもの同士の苦しみありますよね!と。まぁそうかもしれんけど、トーク番組なのだしゲストの話もっと聞いてよ…乗っかるならお互いの生みの苦しみを面白おかしく喋るのが仕事じゃん…と思うのだが、松ちゃんはただ共感するだけのことが多くて、なんていうか「特権性」をアピールしたいんだろうなと理解した。当時はダウンタウンの人気が権威化しつつある時期だったのでアーティストの方が「松ちゃんと僕たち同じ生みの苦しみ抱えてますよね!」とヨイショ成分も混じえつつ盛り上がっていたから、まぁいいんだろうけど。
そしてこれも「俺は特別なのだから特別扱いされるべき」という、おそらく彼が今でも思っているだろうことを補強していってしまっていただろうなとも、まぁ後付けだけど、考えたりする。
ごっつええ感じがTV局との複数のもめごとで終わり、コントのDVDを作った(面白かったよ)が一部の好事家にしか受けず、カルト的な人気があった深夜番組(一人ごっつシリーズ)をやっていたが、長く続けられる番組ではなく(発想力だけで何でも何とか出来るほどの天才ではなく。まぁそれができたら人間ではないと思うし)、ある時期から映画を作る方向に向かっていった。
あまり評判が良いとは言えない「大日本人」を作る前から雑誌で映画評の連載をしていた。これが、知識不足による滑り気味のツッコミと的外れな評論も多くあまり面白くなくて、会社においてあったその雑誌をたまに見るたびに、これ映画作るとしたらやばいんじゃないかな…と思っていた。映画は総合芸術です、という言葉の真偽は分からないけど、少なくとも2時間近くのストーリーを作って落ちまで持って行く、というのは、彼には向いてない仕事だったんだろう。映画進出については、まぁ色々思惑(吉本が映画祭やりたいからとかね)もあろうが、たけしを意識したのかなぁ…どうだろう、でもたけしにある知性とリリシズムが、松ちゃんにはないんだよな。
そういえば、当時、たけしと松ちゃんの対談を何度かしていて、聞き出したい松本&はぐらかし哲学するたけしの噛み合わない対談が 面白かった。たけしは年を取るとお笑いは続けられない、反射神経が衰えると言い、それに松ちゃんは食いついてた。じゃあ筋肉付けていこう、ということだったのかな、知らんけど。
頭悪くても金が無くても面白くできるのがお笑いであって、もっと言えばそれこそがダウンタウンが生み出して作り上げていったお笑いだった。とにかく面白かったし、今だって当意即妙なコメントとかやっぱり抜群に面白いと思う。
それまでの芸人の世界では、知性の代わりに師匠について修行するという手段があったわけだが、師匠がいない吉本芸人の第一号でもあった彼らが見せてくれた発想の笑いはとても新鮮で切れ味が鋭くかっこよかった。
でも物理的に年を取り、そして社会も思ったより速いスピードで変化している時に、知性も修行による積み重ねもなく、他人と対峙し自分と向き合い笑いを作り続けていくのは、やっぱり簡単じゃなかったんだな。
発想って心身の老化とともに多くの場合は衰えるし、ウィークリーで進むメディア、デイリーで流れていくウェブの世界で「王様」でい続けるのは難しい。「松本、動きます」の宮迫騒動の時にもばれてしまったがSNSの使い方も絶望的にダメだし。
若いうちはアナーキーさとして好意的にみる人もいた(それが理由で嫌いな人もいた)、気に入らないものすべてに噛みついていくスタイルは、今のように「お笑いの権威」のようになってしまったら、単なる癇癪持ちのハラスメントでしかない…。権威を捨てるかハラスメントを捨てるかしないと、社会面ニュースに頭の悪さを露呈するコメント垂れ流す仕事ぐらいしかできなくなっちゃうじゃん。
爆笑太田じゃないが「椅子からコケる王様」をいつか演じることができればいいけど、まぁあんまり期待はできないかなぁ今のところは。
松本人志がお笑いの世界からいなくなったらどうなる、という声もあるみたいだけど、まぁ全然ダイジョブじゃないかなぁと思う。島田紳助はレギュラー何本も人気番組抱えてて引退したけど、お笑いもバラエティ番組もマストゴーオンだ。M-1の審査員も紳助引退からの復活で積極的に若返りを図っていて、むしろ松ちゃんいなくても大丈夫な筆頭だと思う。今の若手は(口ではもちろん最大限の敬意は言うだろうが)「松本人志に評価される」ことの重さもかなり軽くなってると思うし。
(前part)
https://anond.hatelabo.jp/20231214132432
この子も社会教育課にいた。子といっても、当時すでに40歳を過ぎていた。明らかにそういう症状があった。それで周りとの軋轢が生じていた。
この子の場合は、それなりの割合で悪意があった。発達障害であるだけで問題になることはない。彼もまた、T区の人事部局が認めるところの問題職員の一角だった。
話は逸れるが、前段として必要であるため述べる。私が学校教育の現場で教壇に立っていたのは十余年である。そこまで長くはない(教育現場から教委に異動する者としては標準的な年数)。その十余年の中でも、今でいう発達障害とされる児童と接した経験がたくさんある。
当時はまだ発達障害という言葉はなく、ただ「ボヤっとした子」「癇癪持ちの子」「よく動き過ぎる子」「細かいこだわりがありすぎる子」などの漠然とした分類があるだけだった。確かに、彼ら彼女らは扱いづらい。話が通じないこともある。
そんな児童と関わる中で感じたのは、人間の多様性というものだ。動物や植物も、これまで多くの種が生まれて現在に至っている。ハイデガー風に、存在し続けていることが正しさだと言うのなら、発達障害の人も其処に生きる意味がある。
私個人の意見だと、説得力がないかもしれない。以下にひとつ引用したい。
「もしも誰かがわれわれの手紙を読んだら、あまりの多様な内容にびっくりするのではないかと思う。なにしろ、われわれ二人ときたら、大変な重要人物ででもあるかのように、荘重な口ぶりで国際政治を論じあうかと思えば、一枚紙をめくるや、話題は一転し、軽い普通の人々に日々起るものに変るからだ。
このやり方は、品位を損ずると思う人もいるだろうが、わたしは悪くないやり方と思う。なぜなら、われわれ人間は自然を模倣するものだが、その自然たるや多種多様が当り前で、だから多様は非難さるべきことではないのだ」 わが友マキアヴェッリ1 (2010) 塩野 七生 (著) P.361
さて、厳しい現実ではあるが、上のような発達障害の子が公務員試験を受けるとどうなるか。ほぼすべての子が面接試験で悲惨な結果を遂げる。私はこれまで何百人もの正規職員、非正規職員の面接試験官を行ってきた。発達障害と思われる人には次のような傾向がある。
例)理想を述べるか、言いたいことをストレートに言うのどちらか
・そもそも喋ることができない
例)会話が極端に遅い、内容も伝わり辛い
・考え方が極端
例)児童虐待は絶対に許せない、地球温暖化はどんな犠牲を払っても止めるべきなど
稀にではあるが、面接に適性のある子がいる。D君はその一人だ。彼の外見や、話している最中の態度はまともとしか言いようがない。無能の鷹ではないけれど、外資系企業の営業マンのようだ。発達障害には見えない。
実際、公務員試験で評価される観点は、本質的に民間企業と同じである。「弊社で使える人材か?」ということだ。使える人材であれば、多少のことには目を瞑る。
日本国の法に反する思想があってもいいし、公にしないのであれば共産党員でもいい。有給休暇を取って組合活動をするのは公に認められているし、選挙期間外であれば多少の政治活動には目を瞑ろう。
勤務時間中に煙草休憩をしたり、ほんの小さな横領行為をしたり、取引会社と飲食を共にしたり、小売業者に個人購入品を値引きしてもらうとか、そういった行為でも咎めない。
そんな些末なことより大事なのは、その人がこれから公務員として採用されて、「使える人材」でいられるかどうかだ。国の機関だろうと地方自治体だろうと関係ない。何十年もこの世界にいた私が断言する。
話を戻そう。D君はどういうところが悪かったのか。私が三年間で見てきた彼のよろしくない行動は、概ねこんなところだ。
≪勤務態度≫
気分にムラがある。仕事に意欲的なこともあれば、反面ボーっとしていることもある。皆が必死に働いている時でさえも。
イベント・式典の時なども、サボっているのでは……? と思えるほど何もしない。C係長などに怒られても平然としている。
≪反社会性≫
D君の隣の席にいる職員がコーヒーか何かを机上にひっくり返した時、ほかの職員は一緒に机を拭くなど手伝っていたが、彼は何もせず書籍を読んでいた。
私がつい激高して、彼を叱責したところ、「お前には関係ないだろ!!」と逆ギレのような形で食いかかってきた。
≪無責任≫
区民や取引業者に迷惑をかけた時も、上司に言われるまで報告せず、報告の際にも悪びれた様子がない。
ある時などは、自治会長と思われる人との約束をすっぽかした後、現場から堂々と事務所に帰って来た。その際、C係長からどやしつけられていた。それでも、淡々とした態度で心の篭っていない「すいません」を繰り返したところ、C係長がまた怒鳴り声をあげた。
最悪だったのは、都庁から視察に来ていた都職員らにその現場を見られたことだ。パソコン入替業者や、シルバー人材センターの清掃員も聞いていた。
その後、C係長と、そのさらに上司である社会教育課長は厳重注意を受けた。教育局長の部屋で二時間に渡る説教を受けたのだ。D君は反省文をひとつ書いただけでお咎めなしだった。
≪嘘≫
平然と嘘をつく。このタイプの発達障害者はそうなのだが、涼しい顔で嘘を吐ける。まるで、自分自身が嘘をついている認識がないかのような。D君もその例に漏れず、上司にも同僚にも他部署の職員にも、区民にも(自らの利になる)嘘をついていた。傍から聞いている私でもわかるレベルの。
嘘がバレても平気な顔をしていた。周りの職員がどれだけ、何を言っても、例えば「Cさんは信頼できない!」と言われたとしても、彼は「心の底からどうでもいい」という表情だった。
あれは、言うなれば『悪魔』とか『魔族』とか言われるものだ。神話の時代の創作者は、ああいった者をモデルとして悪魔を作り上げたのかもしれない。
ここは官公庁である。診断書を要するレベルの障がい者が働くべき世界ではない。公務員というのは、陰ながら社会を支える存在であり、その地域の住民全員が相手である。学校教育で教わった考え方や価値観を元に、毎日コツコツと気を緩むことなく働き続ける人に適性がある。
いざ災害などの非常事態になれば、自分のことは一番後回しにして人助けを行う必要がある。私個人も、災害級の風雨の中で児童生徒の避難誘導をした経験が何度もある。命が危なかった。
公務員というのは、地域住民が毎日を幸せに、無事に暮らせる社会を支えるのが仕事である。教員だろうと自治体職員だろうと変わりはない。
そのような仕事を、人柄や人格、精神性、肉体に異常のある人間にこなすことはできない。自分という人間が安定・成熟しているからこそ、人を助けることができる。身分保障もそのひとつだ。
D君はその域に達していなかった。その意味では、先ほど取り上げたB君にしてもそうだ。誰かが、どうにかして辞めさせるのが組織にとっての正しい在り方だった(残念ながら、D君はC係長でも匙を投げるほどだった)。
官公庁においては、仕事にならないレベルの人間を採用すべきではない。公共性の高い仕事をこなすことができないからだ。そういった類の雇用は、民間企業やNPOを主体として行われるべきである。
(次part)
昨日、家族旅行に行ったのですが最悪でした。この気持ちを皆さんに味わってほしくないので書き留めておきます。
家族旅行の行き先は父親が勝手に決めます。父親の趣味しか反映されず、家族の意見は通りません。ちなみにほぼ毎年関東以北です。
今回の旅行では、行き先が在住地の近郊で、特急で一本のところでした。そんな場所正直いつでも行けるし家族みんなで行くようなところでもありません。
私と姉は大学の授業期間中で到底旅行に行けるような状況ではありませんでした。しかし父親の意向で、私は授業終わりに特急に乗って現地集合、姉は就職相談の予約を取り消して旅行に行きました。
本来旅行は家族全員の予定に余裕があるときに行くべきであって、無理に予定を開けて行くようなものではありません。
今回泊まらせられたのは、俗に言う”安宿”でした。小学生の林間学校で泊まるようなところです。オフシーズンで1泊9,000円という価格です。そんな安宿ではホスピタリティの概念がなく、いい体験はできません。
今回の安宿の食事は、夜と朝はバイキングでした。バイキングは幼い子供には好評だと思いますが(偏食でも許されるため)、食事のクオリティをある程度理解した高校生以上の人にはウケが悪いです。そもそも多くの人が触ったトングとかを触りたくないし、人が集まるところに行きたくないです。バイキングは衛生的にも良いとは言えないので旅行の計画に組まないほうがいいです。
今回の旅行で、母親が、「旅行先の地元のスーパーに寄りたい」と言っていました。しかし父親はこれを、「旅行計画にないから」と一蹴。結局寄れませんでした。地元のスーパーでは地産地消の野菜や特産品が安く買えることがありますが、このメリットをわかって欲しいです。
旅行の帰り道に、父親の単身赴任先をわざと通るようにルート設定されることがあります。父親は勝手に仕事場を見られて嬉しいのでしょうが、私達には無関係です。早く帰らせてほしいです。
この話はあまりに属人的ですが、帰りの夕飯に吉野家とか大衆食堂に寄るやつ、絶対やめてください。思い出が最悪です。
【追記】
「旅行を断れない理由を知りたい」という意見が散見されたので書いていきます。
これが一番大きいと思います。父親に反抗的な態度を取ると、「誰が学費払ってると思ってるんだ!」と言われて何も言い返せなくなります。前にTwitter(現X)で、「『学費払ってるのはありがたいけど、それを使って子どもを黙らせるのは楽しいか』と言い返す」とか言うつぶやきを見つけましたが言い返すと癇癪をおこすので無理です。
旅行は父親が良かれと思ってやってると思うので、旅行に反対すれば最悪学費貰えず退学なんてこともあり得ると思います。
父親は、子どものときに家族旅行というものを経験したことがないようです(本人談)。このような思いを子どもにはさせたくないとの考えで毎年旅行に行くのだと思います。もし旅行に行きたくないといえば、父親の根幹にある昔の寂しさを思い起こさせてしまうと思って家族は皆、旅行に行きたくないと言えないのだと思います。
父親は客観的に見て過保護な部類に入ると思います。ちょっと父親の過保護エピを書いていきます。
・就職しても一人暮らしはさせないつもり(姉がもうすぐ就職ですが、一人暮らしを許可されるか全く読めません。)。
2分ぐらい考えただけでこれぐらい出てきました。外泊については、姉が昔、父親には言わずに大阪に泊まったときに、わざわざ深夜1時に迎えに行ったことがあります。
先程触れた外泊についてですが、父親が深夜バスで迎えに行って翌朝始発の新幹線で帰ってきたのですが、帰ってきてすぐに説教の時間が始まりました。午前10時頃帰ってきたのですが、午後2時頃まで説教が続きました。この間も、「姉は将来風俗嬢になる」だの、「親の苦労を全くわかっていない」だの、罵詈雑言を飛ばしていました。私や当時7歳の妹を含め、父親以外の家族全員は正座させられて聞かされました。
旅費は父親と母親が持ってくれています。子どもは自分のお土産代を出すぐらいなので、子どもは何も言い出せないというのが現状です。
最近調子が悪く、「自分に向き合う」ということをせざるを得なくなった。私はずっと自分を直視することから逃げてきた。
幼い頃に両親が離婚し、私は母親と母方の祖母に育てられた。母は父親から慰謝料を受け取ることを拒否し、公務員として働きながら私を大学に進学させてくれた。家は過疎地帯の小さな町にあり、まともな進学が叶う高校へは片道1時間かけて通う必要があった。祖母は60歳で余命半年を宣告されるレベルの胃がんを患った。寛解はしたが、体力的には勿論大きなダメージがあっただろう。しかし祖母は毎日5時に起き、私を起こして朝食を食べさせてくれた。
私は物質的には何不自由なく育てられた。勉強ができることを常に歓迎されたのも、私が女であることや時代や地域性を考えればとんでもない僥倖だ。母も祖母も(田舎の人間としてはかなり)知的好奇心や教養を重んじる気持ちが大きく、そういう家で育てられたことも幸運だった。ただ、嫌なことも山ほどある家だった。
祖母は80歳を過ぎるまで苛烈な自意識を悪気なく振りまき続けた。とにかく華やかなものや高級感のあるものに目がなく、目立つことが好きで驚くほどの見栄っ張り。そして私からすると異常に闘争心が強かった。祖母にとって他人は「常に勝つべきであり決して負けてはならないもの」「自分を当然に認めて賛美するもの」「自分のお眼鏡にかなうのはほんの一握りしかいないもの」と認識されていた。そして厄介なことにこのような性質を全く客観視できず、自分の考え方に沿わない人間は「馬鹿」もしくは「おかしい」とジャッジした。孫の私でさえもだ。
物心ついた瞬間から私は常に周囲の子たちと比較され、劣っている点を突きつけられた。ゆきこちゃんのように可愛らしくない。さきちゃんみたいに上手な字を書けない。ようこちゃんと違って美人じゃない。ともかちゃんのように性格が良くない。めぐちゃんみたいに明るく如才なく人と接することができない。みゆきちゃんみたいな勝ち気さがない。かなちゃんみたいに女の子らしくない。話はいつも「おばあちゃんは、ああいう子がよかった」と締め括られた。祖母の考えでは、私が奮起して「よし、頑張ってあの子を超えてやる!」とがむしゃらな努力をするはずだったのだと思う。でも私は祖母じゃない。他人と争うのが何より嫌いな、内向的な人間だ。生まれたのは燃えるような向上心などではなく、凍えるような自己否定感と身を焦がすような憎しみだった。憎しみは祖母に向かい、名前を挙げられた女の子たちに向かい、祖母を止めない母親に向かい、自分にも向かった。
私はいつも祖母の虚栄心を満たす在り様を求められた。勉強ができるという点は合格、他は総じて不合格。容姿も趣味も人間性も。私が太っていて内気で運動が苦手で片付けができなくて愛想が良くなくて放っておくと黙っている子供であることが「恥ずかしい」と祖母はいつも言っていた。大学時代に一時的な過食傾向に陥ったことがある。7キロくらい太って帰省した私に、恥ずかしいから日が高いうちは近所を歩くなと祖母は言った。心配はされず、「どうしたの」「何かあったの」と訊ねられすらしなかった。私は常に祖母の虚栄心を損なう悪者だった。
肝心の学業成績も褒められたことは皆無だった。1位じゃない、満点じゃない、進学先がトップ校じゃない。それを論拠に「私の血縁者だけあって頭が悪くはないが、取り立てて優秀でもない子供」と判断された。何かができるようになると、次の瞬間には「それじゃあ次は」と言われ続けた。ゴールがない。苦しかった。
私の母は、その祖母の娘である。私が1歳に満たない頃に私の父親と別居を始め、実家に出戻った。
土地が二束三文で買える田舎町にある実家は敷地が広く、母屋と離れがあった。離れは母屋より小さいが、リビングとベッドルームと和室がひとつ、風呂も台所もあった。母はそこに住んだ。私を母屋に残して。役所勤めから帰ってきて、母は毎晩ひとりでレコードを聴いたり古い映画を観たり純文学を読み耽ったり、妻のいる男の人と長電話をしたりして過ごした。平日に私が母と会話できるのは、彼女が許した1、2時間だけだった。それが限界だったのだろう。
母が娘に求めたのは豊かな感受性、繊細さ、抑制が効いていながら豊かな感情表現、心の優しさと清らかさ、従順さ。母の心情に関心を寄せ、いつも注意深く観察し斟酌し、そこに寄り添い肯定すること。母はそれを「素直」というタームで表現した。私は小さい頃から「素直じゃない」と詰られた。自分を偽ってもいないのに素直じゃないと言われるのは心底不可解だった。4歳か5歳の誕生日、私は母からメッセージカードを貰った。「○○ちゃん、たんじょうびおめでとう。○さいのテーマは、すなおになることです」。そう書かれていた。そこから先は「素直とはどういうことか」が説かれていたが内容は忘れた。心臓が止まるかと思うほど嬉しくなかった。
母は癇癪持ちで、定期的に不機嫌の発作を起こした。自分の不手際が契機となり、怒鳴られ人格を否定され「縁を切る」「家から出ていけ」と言われ、数日間まともに話してくれない。そういうことが日常的にあった。ヒステリーを起こすきっかけなど何でもよかったんだと気づいたのは実家を離れて何年も経った後だった。天災のように気まぐれに降りかかる不機嫌の発作を、子供だった私は心を殺して耐えることしかできなかった。
小学校5年からは学校でいじめの標的になった。担任の女性教師から私はすこぶる嫌われていて、ほとんど彼女の主導のもとに王道のいじめを受け続けた。中学は町に一つしかなく、選択の余地がなかった。その女性教師の夫が進路指導主任を務める公立中学に進学した。いじめの続きは入学初日から始まった。合計で5年間、私は一日も欠かさず死にたい死にたいと思いながら生きた。
家族に言っても碌なことにならないと子供心に判断していたが、耐えきれずに吐露したことが2回だけある。最初は祖母に。「そんなのやり返せばいいだろう」と私の弱さを叱責されて終わり。予想どおりだった。絶望はしたがショックではなかった。母に話したのはしばらく後。おそらく苦しくて仕方なかったのだろう、母がいる離れの呼び鈴を夜中に鳴らした。泣きながら「もう何年も学校でいじめられている」と話した記憶がある。母は私を離れの中に入れなかった。玄関先で立ち話をした。片親であることを攻撃されていると話した。「それが何だ」と母は言った。わたしなんか学生運動がいちばん盛んな頃に短大に進学して、父親が警官だって言ったら「お前、『犬』の娘か」って嗤われたんだから。どんなに嫌だったかお前に解るか。腕組みしてまくしたてる母を冷えきった気持ちで見ていた。
それから長い年月が過ぎた。
祖母は80過ぎで二度目の癌を患った。退院した頃から加速度的に穏やかになり、最終的には少し気弱で優しく品のいい老婆として94年の人生を終えた。亡くなる数ヶ月前に実家で倒れて寝たきりになり、帰省した私が「おばあちゃん、私のことわかる?」と問いかけると「わかるに決まってるだろう、たった一人の孫だもの」と必死に笑みを浮かべて私に答えた。帰り際には「そんなに肌が綺麗だったっけ」と言われた。私の見た目を褒めるなんて、おばあちゃん目が悪くなったんじゃないの?と笑って憎まれ口を叩き、来月も来るからねと告げて東京に帰った。それが最後の会話だった。
母は合わない職務で鬱病を患い、50歳を前に役所を辞めた。その数年後には妻子持ちの男とも別れた。相変わらず自意識過剰で感情的で面倒な人だ。でも面白い。知的好奇心を保っているのも心強いし、化粧っ気は全くなくなってしまったが今でも綺麗だ。私は母の顔と字が無類に好きだし、無類に好きなところは他にもたくさんある。今はそう思う。
この度よくよく自分の内心を見てみたら、あまりに汚く混乱していて自分でも驚いた。段階的に補強してきた自己肯定感は思っていたよりもまだまだ脆い。自分を憐れみ庇う気持ちはあるが、これを自分への愛と呼べるだろうか。するべき(と思われる)ことは容易に把握できるのに「したい」ことは分からず、なのに無欲ではない。綺麗になりたい。痩せたい。頭が良くなりたい。お金がほしい。休みがほしい。美味しいものを食べたい。俗な欲求は人並み以上だ。それを捨てることも開き直ることもできない。
脳内には14歳の私が世界の万物に向かって「私に謝れ」と怒鳴る声が反響している。それを恥じて隠蔽しようとしている成人の私がいる。隠蔽しようとする私を「卑小でつまらない人間だ」と蔑視する私もいる。世界観のベースに「私は素敵な誰かの下位互換であり欠陥品だ」という根深い諦念がある。刷り込まれた規範は私の血肉となっていて、私はそれを憎悪しながら切除できない。「本当の自分」とは何か、皆目見当がつかない。
ならば、その正体不明の混乱しきった人間を許してやろうかな、と考え始めた。そしてあわよくば愛してやりたいと。
私は凡庸だ。狭量だ。いろいろと不出来だ。根気がなく三日坊主だ。いい歳して自意識過剰だ。かっこわるい。けれど、別にそれでもいい。誰に馬鹿にされても見下されても、私は「なんでよ、別にいいじゃん」とケラケラ笑いながら私自身を全力で抱きしめる。
https://anond.hatelabo.jp/20230609152944
バレバレなのに自覚がなくて下品な愉悦でニタついてるマヌケなおばさんのためにどれぐらいバレバレなのか解説してあげるエントリです
■こんなところでしか書けないんだけど
キッショ
また友人のほうが旦那よりも収入があるんだけど、旦那が聞く限りアダルトチルドレンぽくて何度も友人と揉めてるし(離婚してないからいいところもたくさんあるんだろうとは思うけど)、
キッショ
大変だなあって思ってたんだけどなんか知らない間に二人目を作ってて、ものすごくびっくりしたっていうかなんというか、子供が大好きという理由だけでは到底納得できないんだけど
キッッッショ!!!!!
そんなもん身体障害の子供を将来面倒見させるために決まっとるやん
そしてお前も絶対それわかっとるやん
「給与高い友人(ほんとに友人か?)が自分より給与低い旦那捕まえてシンショー産んで愚痴だらけトラブルだらけなのに2人目産んではるわーなんでだかわからんわー(ニチャチャチャチャチャ)」
てやってるだけやん。
それで言質とられないようにばれないようにやってるつもりなわけ?
お前こそ頭に障害あるやん。
給与高い友人(とは思えないんだが)がいろいろ苦労してるのをSNSで監視しながら愉悦しとるだけやん
でもその性根はもう直らないのだろうから
生意気に食い下がらないでこれぐらい素直に聞けこのウンコ人間が
私の想像力が足りないのだろうか
元々旦那が、どうやったか知らんが元々1000万ほど借金があり、交際中に自己破産。
時期は忘れたけど、姉は旦那にお願いされて大量の借金をこさえ、それも自己破産。
母も母でヤバい人だったので、姉はクソみたいな旦那でもいいと出来婚して家を出て、一度離婚してまた同じ人と再婚。なんで????
1人産んだ時点で貧困確定だったのに、2人目作りおった。そして「男の子が欲しい」という理由だけで3人目を作り、それが男だったので流石に打ち止め(と思いたい)。
そして金が無い、米が無いと母親に定期的にせびっているようだ。母も孫が可愛いらしく甘やかしている。それは別に良い。
問題は、母も住宅ローンがまだ1800万ほど残って定年を迎えた事。今は再雇用で働いてる(看護師)けど、働けても精々70歳までかな。
手取り20万で毎月8万返したとして、10年じゃまだ1000万近くローンが残る。何が言いたいかって言うと母も金は無いってことだ。
姉の子供に罪は無いのがつらい。非課税世帯だから生活はギリギリだし、家も2Kのボロアパートで5人暮らし。
何よりあの母を見て育って、癇癪持ちの姉がまともな教育を施せるとは一切思えない。
完全に貧困家庭の負の連鎖のテンプレ過ぎて笑えてくるが、俺は俺で生活があるから一切干渉したくない。
姉夫婦が事故死したら引き取るかもしれんかな?くらい。最初に施設を検討するとは思うが。
なーーーーんでこの国は兄弟間での絶縁を認めてないのかな。
母が亡くなった後は、諸々のトラブルは俺に降りかかって来るだろうな。そもそも母が勝手に建てた家のローンの方が先に来るかな。
何かあった時のために金は貯め続けてるけど、俺は結婚を諦めた。
俺が相手の立場なら、絶対こんな事故物件お断りだし。結婚対象として魅力的な点は公務員ってことくらいか?終わってる。
とにかく問題が降りかかって来ない様に、防波堤となってる母には健康で長生きして欲しい。考えるだけで嫌になるから。
【追記】
まさかこんなに反応来ると思ってなかった。
お金の問題については、家のローンの団信云々よりも、母が働けなくなった後の生活費、介護問題が発生することなんだけど書いてなかったわ。すまん。
補足を色々していくと、
姉・その子供とはもう4年くらい会ってないよ。というか2人目・3人目生まれたのも言伝で知っただけで、会う気もサラサラ無い。
でも将来、学校で必要な物が買えないとか、勉強したいのに高校行かずに働いて金を家に入れろと姉に言われてるとか、そういう事態になったら金銭的援助はしたい。
学びたいなら学ばせてあげたい。まともな環境で生きていってほしい。本当にそう思ってるなら今すぐ姉に連絡とるべきだけどさ。
それと、姉からは執拗に住所を聞き出そうとする不自然なLINEが4年前から来るようになって、再びブロックしたよ。
7年ほぼ絶縁→姉が離婚したタイミングで実家に戻ってきたので「目が覚めたかな?」と思ってLINE交換→2年くらい、3カ月に一度のペースで金をせびられる→執拗に住所を聞いてくる→ブロック→今に至る って感じ。人は変わらないね。
「お金がない以外の問題が読み取れなかった。基本親のローンなので子供関係ないし団信入ってれば死んだらチャラになるので、月8万の賃貸だと思えばそこまで?親が死んだあと姉からお金をせびられるのを心配している?」←そのとおり!!!天才!!!書いてなかったけど金の無心は母が防波堤になってくれてます!!今は。
「40歳の公務員なのに団信も相続放棄も知らないのはヤバくない?お姉さん家族よりそっちの世知の無さの方が心配だよ」←27歳です。どこに40歳って書いてました?それと書いてないだけで団信も相続放棄も俺が知らないと言い切れる知能の低さヤバくない?
「姉は結婚して子供いるけど自分はなくて羨ましい、心配のフリはしてるけど本当は子供ともども不幸になって欲しい、てとこまで読んだ。呪いをかけてるのは自分だと気づこう。姉は姉の人生だ。切り離せてないのは貴方。」 ←マジで一番国語力が心配になったコメント。姉夫婦はどうでもいいけど子供に罪は無いんだよ。その子供が暗い未来を歩みそうなのが一番心配なんだよ。ずーーーっと貧乏で苦しんだから知ってんだ。
「なんとなくだが、FP3級を受検してみてはどうか。そんなに難しくないし、増田に役立つ知識満載の試験だと思う」←ありがとう!!いつか受けようとは思ってたので最後のひと押しになった!とりあえず参考書ポチる!
「なんだかんだ助けたいなら、リバースモーゲージはどうか。増田が家いらないならこれで負債圧縮すると生活楽になるかも。姉夫婦のことが気がかりなら、まず自分が幸せになる事を考えて。そうすれば自然と余裕ができる」←これは考えてる。ド田舎だから出来るかどうか微妙だけど……あと俺は幸せです!!!少なくとも貧乏してた子供時代に比べたらメッチャ幸せ!!!コバエが100匹飛んでるような風呂に入らなくて良いの嬉しい!!!
「ここまで口先だけの世間体を気にしての「罪のない子供がかわいそう」はめったにお目にかかれないやつだな。今日読んだ増田の中で最も不快」←世間体とかじゃなくて純粋に子供の未来を憂いてるよ!!!何もする気は無いけどね!!!もし姉夫婦が死んだら金は出すよ!!!姉夫婦が生きてる内は金銭援助してもギャンブルに溶かされるだけだからね
十年以上口も聞いてくれない妹がいるので帰省するのがこわい、という話。
妹と最後に会話が成立したのは、十数年前に妹が「行きたい大学を探すために上京してドミトリーに住みながらバイトする」と言い、その資金として家の物品をハードオフに持ち込もうとするのを止めるため言い争ったときだと思う。妹は感情的であり行動力があるので、時折そんな無茶をしては両親や増田が止めていた。
増田が帰省していると、妹は食卓にも来なくなったり部屋に引きこもったりするので、本人にも親にも申し訳なくて、「たまには顔を見せて」という親の気持ちと板挟みになるのがつらく、このGWも帰省して同じ辛さを味わってきた。
以前、増田が帰省時に体調を崩したとき(結果的に陰性だったが)増田のことを犯罪者・人殺し扱いして呼んだり、「3人(※父母妹)の命が大事だから」とあえて家族LINEに書くくらいには嫌われている。そういう過激なことをするたびに父母は心を痛めるのだが、「両親を悲しませたのはお前のせいだ」として怒りが増田に向くのでたまったものではない。
元から癇癪持ちの人で、理屈より自分の感情を優先する人間なので、反論をすると暴れるか引きこもるので、大人としての話し合いができない。
挨拶をしても無視されたり、舌打ちされたり、あるいは一方的に「お待ちが帰ってくると食費がかかるから早くでていけばいいのに」ということを空に向かって言う。反論すると結果的に親が悲しむだけなので、無視するしかない。最近は、同じ屋根の下にいるだけで身体が震えるくらい恐ろしい。三十を過ぎた大人がである。
十年以上口も聞いてくれない妹がいるので帰省するのがこわい、という話。
妹と最後に会話が成立したのは、十数年前に妹が「行きたい大学を探すために上京してドミトリーに住みながらバイトする」と言い、その資金として家の物品をハードオフに持ち込もうとするのを止めるため言い争ったときだと思う。妹は感情的であり行動力があるので、時折そんな無茶をしては両親や増田が止めていた。
増田が帰省していると、妹は食卓にも来なくなったり部屋に引きこもったりするので、本人にも親にも申し訳なくて、「たまには顔を見せて」という親の気持ちと板挟みになるのがつらく、このGWも帰省して同じ辛さを味わってきた。
以前、増田が帰省時に体調を崩したとき(結果的に陰性だったが)増田のことを犯罪者・人殺し扱いして呼んだり、「3人(※父母妹)の命が大事だから」とあえて家族LINEに書くくらいには嫌われている。そういう過激なことをするたびに父母は心を痛めるのだが、「両親を悲しませたのはお前のせいだ」として怒りが増田に向くのでたまったものではない。
元から癇癪持ちの人で、理屈より自分の感情を優先する人間なので、反論をすると暴れるか引きこもるので、大人としての話し合いができない。
挨拶をしても無視されたり、舌打ちされたり、あるいは一方的に「お待ちが帰ってくると食費がかかるから早くでていけばいいのに」ということを空に向かって言う。反論すると結果的に親が悲しむだけなので、無視するしかない。最近は、同じ屋根の下にいるだけで身体が震えるくらい恐ろしい。三十を過ぎた大人がである。
ネットでよく独身のまま高齢になると狂うと言う説が唱えられている。
が、まだ26なので希望的観測が過ぎるかもしれないが自分はそうなるとは思えない。
自分はADHD・アスペルガー症候群・双極性障害を持ち発達障害に起因する癇癪持ちで幼稚園から小学校中学校と毎日のように暴力によるトラブルを起こし相手にケガをさせ介助員無しでは生活できなかった。
そのため高校生になる頃には自分を守るために老若男女問わず自分を全肯定しない存在とは付き合わない・会話しないライフハックを身に付けた。(相手と直接対面しないネット上は別)
B型作業所に通うようになった今でも周囲の人間に興味を持てず作業所に通い始めて5年経っても嫌いな人間以外の名前を覚えられない(嫌いな人間は逆に覚えられる)
小学校中学年になる頃には女は数多居る自分に口撃してくる嫌な存在、逆らう敵の中の一つだと思いお互いに嫌悪しあって恋愛対象に見る事も無く高校になってもネットを見るまで恋愛や結婚を考えたことも無かったし恋愛や結婚が自分と結びつくことすら無かった。
魔法やロボットと同じマンガやアニメの中だけに存在するファンタジーだと本気で考えていた。
はてなでこういう事を言うと叩かれると理解して言うが自我が存在しないか全てにおいて自分に服従する存在以外と付き合いたいと思えないしネットで見た性欲を消す薬を服用すれば性欲処理も解決する。
自分は障害者だから薬買えないけどそのためのお金は税金から出してね。
今通っている施設でも他の利用者との業務に関する内容以外一切の会話を絶ち両親と作業所の職員以外とロクに会話をしていない。
そもそも他人から見られる・評価される・値踏みされるのが嫌いで自分の行動を他人に縛られたくない。
以前家族に連れられ服を選ばされたときも興味の無い服に時間と金を割かれるのが苦痛で仕方なかったし自分の金と時間を興味の無い事に費やすのが嫌で仕方なかった。
女性に限らず老若男女問わず自分に反論や否定をしてくる相手と一緒に暮らすことなど出来ないし実際に家族に手を振るってしまったことが何度もある以上他人と暮らすことなど不可能だ。
断っておくが自分は女『だけ』が悪いと言う気は無いし対象を女性に限定して批判するつもりも無い。
女も含めた老若男女全ての自分に従わない・逆らう・気に入らない・批判する存在を悪と見做し否定しているし職場のクソ五月蠅い男の先輩も障害者支援を充実させない自民党も自分に出来る仕事を振らない世の中もみんな敵だ。
女は嫌い度ランキング的には下の方ですらある、自民党やホリエモン、自己責任論者全般、金持ちのが嫌いだしね。
そもそも結婚云々なんかより前記の癇癪による発達特性により就職が絶望的なため障害年金の審査に通り続けなければ生活が困難なためその方が関心がある。
単純にそこまで腹を割って話し合う関係をお前が相手と築けなかっただけだろ
ジャップオスだってまともにバーバルコミュニケーションできてない奴だらけじゃん?
日本男の会話スキルの無さコミュニケーションスキルの乏しさには毎回驚くんだけど。インターの男の子なんか黙ってるだけイキってるだけキモい顔で膨れ面してるだけのキショい日本オスガキと教育と出来が違うよね。
雰囲気柔らかいし物腰柔らかいし相手を不快にさせないし雰囲気よく会話ができるし、話を膨らませながら親切で丁寧に自己開示してジョークを挟みつつ気遣いができるしお茶目で距離を縮めるのも関係を作るのも上手い
日本オスガキの場合は子供どころか大人になっても永遠に中学生のままの幼稚なオスガキだらけだしな。インターの幼稚園児男子にも負けてるよ
言語化できなくて横暴で自己中、相手にきちんと説明できない癇癪持ち、感情からすぐ逃げてて他責する奴、マネジメント能力のない奴、包容力がなくて他人のカバーができない奴、定型なのに文脈も読めないアスペ、無責任で癇癪だけ起こしてるガキ、悲劇に浸るか当たり散らすだけで反省できないガキ、他人のメンターになれない幼稚なガキ、ソフトスキルのないガキ、アンガーマネジメントのできないガキ、中学生すぎても露悪的な冷笑ネタを永遠に面白いと勘違いしてる永遠に精神年齢ガキのままのキモ成人オス、感情を適切に表現できない幼稚さを男らしさ(笑)だと勘違いしてカッコつけてるキモガキ、利他精神のないガキ、相手にとって心理的安全を作れないガキ、幼稚なガキばかりじゃん