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はてなキーワード: 笑って許してとは

2024-04-11

身体本能的に嫌がってるのに無理しても良い事無いぞ。

今の仕事に対して一度こういう考え持っちゃったら、今回持ち直しても以降同じ様な事で拒否反応起きるぞ。もう身体本能的に嫌がってるのに無理しても良い事無いぞ。

丁度良いしゴールデンウイーク前に辞めたら。しゃーないよなって笑って許してくれるぞ。 anond:20240411132100

2024-03-30

『許す』風習って日本だけっぽい

たぶんアメリカには『許す』文化が無いんじゃないかな。アメリカの『許し』はジャッジとか鉛弾じゃないかな。だからみんな議論好きなんじゃん。

領海侵犯なんてしたら日本みたいに笑って許してくれなそう。 anond:20240329173956

2024-01-30

妹が自殺して2年[追記しました]

追記

 

いっぱい見てくれてありがとう

気遣ってくれたブクマカたち、ありがとう

もちろん、事実真実も今俺がどこでどんな暮らしてるかも全く知らないくせに、書いてもないことを妄想憶測曲解邪推で補完して膨らまして、

俺を批判したり同情したり憐憫したりアドバイスしたりしてくれたブクマカたちにも、ありがとう

それを無意識のうちにやっている人も、自覚的にやってる人も、いるなと思いながら目を通した。

でもまあ、それはいいんだよ。

それが欲しくて増田に書いたし、

俺は生きてるから

俺の言動意図ねじまがった形で波及して、求めてもいない影響をどこかやだれかに及ぼしてしまって、

自身が誤解されたり損害をうけたりすることがあっても、

自身が弁明や訂正をできるから

俺は生きてるから

 

死者にそれをやるのは卑怯だよね。だって死者は、裁判で訴えることも言い返すことも説明することも訂正することも弁明することも謝罪することも、できない。

死者は憐憫してほしいのか称賛してほしいのか忘れてほしいのか助けてほしいのか居なかったことにしてほしいのかも、もう確かめるすべもない。

 

自死について、テロ行為と書いたことで苦しませた人は本当にごめんね。

漫画家さんの自殺テロ行為だなんて言うつもりはなかったんだよ。

自殺者の自死テロ行為にしないために、生きてる人が気をつけるべきことがあるんだって話をしたかったの。

 

俺んとこで言えば、俺は、妹のせいで母が壊れたと思うべきではなかったし、壊れた母から悪影響を受けるべきでないし、母にも妹のためにこそ壊れないでほしかった。

だってこれが成立すると、あの自殺が俺たち家族にとってテロ行為とも呼べるシロモノになってしまうじゃない、って話をしたかったの。

 

こういう現実が、こういう思想自殺メリットを感じる価値観と地続きと思う。

https://anond.hatelabo.jp/20230715095602

 

妻子を気に掛けたくれた人もありがとう

俺の妻から苦しみを聞かされたわけでもない、なんなら妻の顔も名前もしらないのに、妻の気持ちを代弁してくれた人も、ありがとう

これ以上自殺呪い(と言い換えますテロは強すぎたね)の悪影響をひろげないために、妻と子供には、より誠実に向き合って、より大切にしていこうと、あらためて強く思いました。

 

人の心なんて、生きてようと死んでようと、絵にかいて見せることも形づくって触れさせることもできない、言葉を尽くしても伝わらない、どうやっても想像の域を出ないものから、切ないね

無意識のうちに、自分妄想憶測を、事実と同列に取り扱ってしまう人は、「人とは自分が見たいように物事を見てしまう生き物だ」ということ知ってほしいな。知ってて損はないし上手く使えば得になる。なんなら知らないと損してしまうこともある。

俺もまだまだ勉強中だから、偉そうに言る立場じゃないのだが。

 

追記ここまで

 

はいわゆる境界性パーソナリティ障害っぽいところがあって、思春期はまあ大変だった。

気に入らないことや思い通りにならないことがあれば、ヒステリーリスカハンスト家族を萎縮させる。

妹以外の家族、俺と父と母は割りと温厚というか事なかれ主義というか淡白だったものから

最後の方はYESマンに徹していたな。

とにかく言うことを聞く。「これして」「あれちょうだい」全てその通りに。

心によりそうのは2の次いや3の次、もっと後回しだったかも。

そうすればとりあえず刃物しまってもらえたから。

 

勉強は中の下、外では外交的でないまでもヒスも起こさず我慢だけしてるから、人付き合いは良好でなくても不穏でもなくて、

まり社会生活不具合がなかったから、幼いうちに医療にかかることがなかったのは心残りだ。

 

大学は県外へ行き実家を出た。

卒業と同時に、大学出会った彼氏地元に嫁いだ。

俺たち家族はほっとした。実家環境が合わなかっただけで、家族以外との生活には問題ないんだ。

の子は変な子でも変わった子でもなかったんだ、と。

 

妹が嫁いでまもなく、俺も結婚し、2世住宅を建て、両親を呼んだ。

実家は取り壊した。妹がヒステリーを起こしたとき痕跡が生々しくのこる実家は、みんなにとって黒歴史だった。

妹が壁に書き込み続けた呪詛言葉。蹴ったり殴ったりして開けられたいくつもの穴。食器を投げつけた傷。包丁が刺さったあと。拭いても拭いても落ちない血痕。

リノベーションするにも、業者のひとに見せるのすら憚られたから。

今思えば、何て書いてあったのか、あの子の心の叫びを知っておけばよかったな。

 

新居に引っ越しから一度、妹は旦那さんと一緒に遊びに来た。

旦那さんは、気さくで温厚でいい人だ。嫁の実家なんて気を使うだろうに。

俺ら家族に対して不穏な態度を隠しもしない妹に不満をみせることもない。

一晩泊まって、翌朝になっても客室から出てこない妹とは対象的に、旦那さんは一人早くに起きてきて、朝食の支度を手伝い、妹抜きで朝食を囲んだ。

今思うと、もしかして欠陥品かもしれない妹を押し付けた俺ら家族と、もしかして欠陥品に今現在虐げられる暮らしをしているかもしれない旦那さんと、何も知らない俺の嫁さんで、なんとも言えない緊張感はあったかもしれない。

妹にとって、自分実家とは言えないが自分の両親と兄が暮らすこの家は、居心地がイイとはいえないだろうが、

自分親族の家に来ているというのに朝になっても起きてこない妹に、何も言わないし様子も聞かない俺たちは、旦那さんの目にはどう映ったんだろうな。

 

嫁いで何年経っても、妹に子供はできなかった。

なにかの機会で、旦那さんのご両親と俺と俺の嫁と俺の両親で一緒に食事をした際、

先方のご両親からそのことに触れられたが、俺の両親はなんとも煮えきらない反応をして、話題を変えた。

この頃には俺の嫁も、俺の妹の不穏な雰囲気を察していたかもしれないな。

 

妹が嫁いで8年くらいの頃かな。

仕事から帰ったら母親が血相変えて玄関まで出てきて。

「妹が離婚する」って。

から電話があって、そう言ってたって。もちろんいつものヒステリーからくるヤケクソの話ではなく、その電話旦那さんとも話して、「直接ご挨拶をさせていただきたいのと、離婚届の署名をおねがいしたいので、伺わせてください。この度は誠に申し訳ありません」って感じの話だったらしい。

 

俺たちは困った。嫁いでからずっと妹は働いてなかったはず。

もう30になるという歳で、職務経験もないあの子が、今すぐどこかで働き口をみつけて、住むところをみつけて、一人暮らしをして、ってできるのか?

もしくは、こちらに帰ってきても生家はない以上、ここに住むのか?

そりゃ一時的には問題ないが、ずっととなると。

俺には子供が二人できていた。

言葉にはしなかったけど、妹との暮らしは、子どもたちには悪影響ではないかと思ってしまっていたことは、忘れていない。

 

あのとき俺らは利己的だった。

8年大丈夫だったんだから、なんとかなろう。

妹の癇癪持ちは、もう治ってるって。大人もの

仮にそれが一時的に出てしまったのだとしても、時間が経てば解決する。

離婚なんてしなくても済むはずだ。

だってあの気さくで温厚な旦那さんだもの

妹の問題点も笑って許してくれるさ。

 

母はその晩、妹に電話をかけた。

離婚したとして、どうやって暮らしていくのか?現実的に難しい問題がいくつかあることを妹に話していた。

から、もう少し頑張ってみたらどうか?とも。

今思えば、いつでも帰ってきておいで、って、言ってやるべきだったかなあ。

 

妹はまもなく首を吊った。3日間意識不明をさまよったのち、死亡となった。

俺は妻に子供を任せ、両親を連れて嫁ぎ先へ飛んだ。

 

旦那さんの憔悴ぶりは見ていてとても可哀想で、なにより申し訳なかった。

俺は仕事が有るのと、妻に幼い子供2人押し付けてるのも気に掛かかるものから、両親を残して通夜だけでお暇した。

空港までは旦那さんが送ってくれた。

旦那さんは別れ際に、「僕のせいで、申し訳ありません」と言ってくれた。

この時点で俺は、妹の亡骸を見てもなお、妹が死んだ事実よりずっと、俺の妹がこの人やこの人の家族迷惑をかけてしまったということのほうが胸を占めていた。

旦那くんは悪くないよ。一番つらいのは旦那くんだろ。」

そう言って別れた。旦那さんは泣いていた。

 

俺は本当に浅ましかった。

あのまま妹を俺の家に受け入れていれば、妹は俺の家を破壊たかもしれないし、俺の家で首を吊ったかもしれない。

そう思うと、妹が、意識不明から復帰することがなくてよかったし、すべて旦那さんがケツ持ちしてくれてよかった気がする。

そもそも妹が嫁いだとき俺は、「これで妹に縛られた人生から開放される」「死ぬまで妹の面倒見てくれる人ができてよかった」そういう気持ちではなかったか

妹の幸せにも妹の未来にもなんの興味もなかったのではないか

旦那さんは、こんなかたちではあるが、妹が死ぬまで面倒見てくれて、汚れ仕事をすべて請け負ってくれた恩人。

旦那さんの未来は、もしかしてこのことのせいで暗く閉ざされてしまうこともあるかもしれないけど、俺たちは、旦那さんのせいにして、何ら変わらない日々を送れるんだ。

はやくこの地を離れたい。

 

そういう気持ちでいた。

 

あれから2年が経った。

1周忌は仕事言い訳に行かなかった。妻も両親も旦那さんも、俺に何も言わなかった。

今月、妹の3回忌があった。そのため久しぶりに嫁ぎ先を訪れた。

曇天でいまにも降り出しそうな空模様のなか、お経を聞いた。

そんなに多くの法要に顔を出した経験が有るわけではないのだが、よく見るのは、故人の配偶者が存命の場合は、故人と配偶者の馴れ初めや思い出なんかを坊さんが語ってくれたりして、参列者でほっこりして、故人を悼んで…なんてするイメージだった。

そういうのは無かった。離婚が決まっていたからなのか、自殺からなのか。もしくは、旦那さんに新しい女でもいるのかな。見覚えのない女性の参列者を見かけると、そんなことを考えたり考えなかったりした。

法要のあとは、旦那さんと妹が暮らした家に伺って、形見分けをしてもらってから、両親を伴って帰路についた。 

旦那さんと妹が暮らした家は、記憶の奥底に閉じ込め蓋をし忘れたことにしていた、実家を思い出すようだった。刃物食器を投擲することによってついたであろう傷は、しずかに床や壁にこびりついていた。

 

2年間の月日が流れる中で、妹の嫌悪を感じる点も、忌まわしさを感じる点も、憎悪を感じる点も、あまり思い出せなくなっていく。

思い出を美化しているらしく、生前は良い思い出とは思っていなかった記憶さえ、なんだか温かい感情を伴って思い出されることすら有る。

から、本当の妹は、ここに書いているよりもずっと酷い人間だったかもしれない。 

 

記憶の美化は故人の美化で、それは後悔を呼んだ。

幼い頃から妹に手を焼く度に忌まわしく思ったし、

脅しによって周囲の人間を思い通りに操ろうとする様を本気で憎んだときもあったよ。

だけど、俺から見たら「気に入らないこと」「思い通りにならないこと」で感情を爆発させる妹だったけど、

妹にとっては、きっとそれが何より辛くて苦しくて助けてほしいことだったんだよなあ。

 

今でこそ、境界性パーソナリティ障害っぽい、だなんて偉そうにラベルを貼れるけど、あの頃は、そんな妹自身が抱える暗闇について、目を向けることすら無かった。

分かりにくかったけど、きっと助けてほしかったんだろうな。

俺には知識教養も度胸もなくて、何もしてやれなかったな。

妹を大切にする暇もなく、妹より大切なものをいくつも持ってしまって、さいごま蔑ろにしてしまたかな。

あの頃俺がつらかったのも事実だし、

妹がつらかったもの事実なんだろうなあ。

 

そして、この2年の月日で、母はどんどんおかしくなった。

母をまもるため、母を大切にするため、俺はこの家を建てたのだけど、母はいま妹ばかりだ。

俺が妙な助言をしてしまったせいで、母は妹にあん電話をしてしまって、だから妹は死んでしまって、だから母は壊れてしまったのかなあ。

妹がヒステリーを起こして母を殴るたびに、母に刃物を突きつけるたびに、俺は母をかばったものだけど、母はそれももう忘れてしまったのかなあ。

俺が生きていても、母にとって意味はないのかなあ。

の子どもたち、母にとっては孫であるの子達も、母の大切な一人娘が死んでしまたことの前では、無価値なのかなあ。

 

父は、もともと目が見えない人だったが、母がおかしくなってから認知症も進行したように思う。

から、3回忌は、俺もボイコットができなかった。

ハンディキャップが有る父。妹に攻撃される母。人格障害っぽい妹。

俺も、頑張りすぎたのかな、幼い頃から、妹の兄でありながら、妹の父のかわりや、母の夫のかわり、あらゆる自分を演じようと、無理をし過ぎたかな。

こんな俺が、妻や子どもたちを大切にできているのかな。

いろんなことが複雑に絡み合って俺たちはここにいるんだなあって最近よく思う。

 

最初は、「妹が自殺したのは、配偶者である夫とのいさかいのせい」と思い込もうとしていた。本質はどうあれ、そのほうが俺の人生にとって都合が良かったから。

だが、壊れてゆく両親という現実や、美化される自分記憶とともに、その自己暗示も、維持ができなくなってきて、自責の念が強くなってきたと思う。

 

それと同時に、なぜか新しく故人である妹への憎しみが湧いた。

俺たちを苦しめる原因って結局すべて妹だ。感情を削ぎ落として考えたらそうだ。

そして母への怒りを感じた。

俺は子供だったし、母は大人だった。夫が盲目からって、俺に頼り切りでなく、大人として責任果たしてしかったよ。

妹が死んだ途端、被害者ぶるのはやめてくれ。

の子病院にかからせることができたのは、あの頃はあなただけだったじゃないか

俺に負債をおしつけて、それで今更被害者面なんて、浅ましいと思わないのか。

 

色んな感情が渦を巻く。

妹はこんなふうに壊れる俺たちが見たかったのだろう。

妹を厄介払いするように嫁にやって、妹以外で結託している俺たちに、自分重要性を知らしめたかったのではないか

まり自殺ってテロ行為なんだ。

他人を変えるために、死というウルトラCを用いて、インパクトを与える。

他人というのは、俺らだったかもしれないし、旦那さんだったかもしれないけど。

まんまと呪われた母は、そして呪われた母に巻き込まれて変わらざるを得なかった俺や父は、

妹の思うつぼだということだ。

彼女は、あの世でほくそ笑んでることだろう。

 

でも、妹はそんなやつじゃないとも思うんだ。

本当に逃げたかっただけだ。

俺たち家族からも、旦那さんからも、厄介者扱いされていると感じてしま現実から

見捨てられる恐怖から

もちろん俺たちだってそんな、あからさまに厄介者扱いなんてしなかったよ。でも繊細で傷つきやすいあの子は、なにかを受け取ってしまたかもしれないじゃないか

 

そんな弱い子でもない。

あいつは、内面にそういうマグマをかかえつつも、無難に人付き合いができる賢い子でもあったよ。

怒りっぽく、傷つきやすく、繊細で、家に帰れば人の悪口ばかりだが、本人の前ではおくびにも出さない。そういうしたたかな子だった。

自殺だって彼女彼女なりに選択したことだ。良し悪しはべつにして、彼女の中にそれなりの正義があったに違いない。

同情がほしいなんてそんな浅ましい理由で、こんな愚かな真似をするわけがない。

から外野に過ぎない俺等が勝手にあれやこれや憶測妄想をして、勝手因果関係見出して、勝手に怒ったり悲しんだり憐憫したりするのは、彼女に失礼ではないか、とも思う。

 

とにかく。

自殺って本当に良くないな。嫌でも思い出すし、

外野勝手悲劇エッセンスに利用してるのを見ると、自分のことのように腹が立つ。

これは俺の認知が歪んでいる自覚は有る。

にしてもだ、自殺って脳天気バカどもが考えてるよりずっとずっと地獄だよ。

自分のクソデカ感情シェアしたくなる気持ちはわかるけど、自死遺族からしたら、それすらもノイズだったりするかもよ。

発信することは、真意が売名でも承認欲求でも吐き出しでも追悼でも救済でも擁護でもなんでも、ノイズになりうるし、エゴイズムだと思う。

しらんけど。ありがたく思う人もいるかもしれんけど。

フィクションじゃないんだよ。病死事故死や老衰とは話が違うんだよ。故人の何を知っているんだ。

自殺するようなことがなきゃ、書かれなかったであろう伸びなかったであろう記事をいくつも見たよ。

自死によって世界が変わるのは、良く変わっても悪く変わっても、なんだかテロリズムを感じて気色悪いんだ。

生きてようと死んでようと、その人間が行ってきた善行も悪行も変わらないから、本質的には同じなのに。

俺は芸能人有名人自殺しても勝手憶測は書かないようにしているし、因果関係も見出さないし、責任追及もしない。憐憫もしない。

死者が物言わないからって、単なる憶測がでかい面をしていい理由にはならない。

本気で愛してんなら、自殺と絡めず書いてくれ。だし、死ぬ前に書いてやれ。愛だけ叫んでろよ。

称賛も憐憫必要ない。ただ愛を込めて心のなかで悼んで差し上げろ。

自分が救われたいだけなら、自分にあう死生観宗教にでもたよってくれ。

2024-01-16

anond:20240116195855

トウシン(女性向け投資信託イメージソング

この度はこんな私を選んでくれてどうもありがとう

ご購入の前にこの目論見書をよく読んで

ずっと正しく優しく扱ってね。

契約につき返品交換は受け付けません。

ご了承ください。

急に不景気になることがあります

理由を聞いても

からないくせに放っとくと更に落ちます

いつもごめんね。

でもそんな時は懲りずに

とことん握ってあげましょう。

定期的に増資すると長持ちします。

決算ステキとか

さな変化にも気づいてあげましょう。

ちゃんと見ていて。

でも赤字とか

余計なことは気づかなくていいからね。

もしも上がり幅が少しになってきて

目移りする時は

ふたりが初めて出逢った

あの日(取得単価)を思い出してね。

これからもどうぞよろしくね。

こんな私だけど笑って許してね。

ずっと大切にしてね。

元本保証の私だから

2024-01-13

ON STAGE オンステージ Z-PK30(S)

曲目

Google翻訳アプリを利用して画像から文字を取得したため、曲名歌手名が正しく表記されていない場合があります

愛燦燦 美空 ひばり

愛人 テレサ·テン

愛の終着駅 八代 亜紀

蒼い星くず 加山 雄三

青葉城恋唄 さとう 宗幸

アカシアの雨がやむとき 西田 佐知子

秋田おばこ 秋田民謡

アケミという名で十八で 千 昌夫

あざみの歌 伊藤 久男

あじさいの雨 渡 哲也

あずさ2号 狩人

あなた 315 小坂 明子

あなたと生きる 1252 石原 詢子

あなたならどうする 329 いしだ あゆみ

あなたにあげる 1253 西川 峰子

あなたブルース 208 矢吹

あなたへ 1254 香西 かおり

あの鐘を鳴らすのはあなた 286 和田 アキ子

あばれ太鼓~無法一代入り~1255 坂本 冬美

天城越え 16 石川 さゆり

雨 1256 三善 英史

酒場 313 香西 かおり

雨の西麻布 とんねるず

雨の慕情 八代 亜紀

雨の御堂筋 欧陽 菲菲

雨の連絡船 田川寿美 1257

嵐を呼ぶ男 石原裕次郎 1258

わずに愛して 内山田洋とクール・ファイブ 13

あんたの花道 天童よしみ 1259

192 山口百惠 いい日旅立ち

石原裕次郎 33 粋な別れ

22 小柳ルミ子 漁火恋唄

漁火の宿 1260 鏡五郎

346 北原ミレイ 石狩挽歌

396 一円玉の旅がらす 晴山 さおり

449 いちご白書をもう一度 バンバン

熊本県民謡 1552 五木の子守唄

射手座の女 敏いとうハッピー&ブルー 232 愛しき日々 堀内孝雄 40

命くれない 瀬川瑛子 108

命の花 大月みやこ 383

さらジロー 1261 小柳ルミ子

祝い酒 坂本冬美 26

455 門脇 陸男 祝い船

うそ 110 中条きよし

ザ・ピーナッツ ウナ・セラ・ディ東京 355

裏町酒場 368 美空ひばり

越冬つばめ 216 森昌子

襟裳岬 429 森進一

演歌兄弟 北島三郎鳥羽一郎

演歌はいいね 1263 岩本公水

217 松原のぶえ 演歌みち

東京都民謡 1553年 お江戸日本橋

大阪しぐれ 都はるみ 72

角川博 大阪ものがたり 348

大阪ラプソディー 海原 千里·万里 27

奥飛騨慕情 111 竜鉄也

贈る言葉 海援隊 220

小樽運河 都はるみ 352

男侠(おとこぎ) 1264 坂本冬美

日時ミミ 男と女お話 1265

男と女の破片 100 前川清

松原のぶえ 461 男なら

493 杉良太郎 男の人生

位山太志郎 29 男の背中

村下孝蔵 23 踊り子

お久しぶり小柳ルミ子 30

おふくろさん 331 森進一

221 おまえとふたり 五木ひろし

日野美歌 332 想い出グラス

おもいで酒 小林幸子 195

想い出の渚 ザ・ワイルド・ワンズ 199

想いで迷子 116 チョーヨンピル

父親(おやじ) 1266 北島三郎

お嫁においで 加山雄三

お嫁にゆけないわたし ジジサン 222

俺ら東京さ行ぐだ

鳥羽一郎 1267 おれの人生始発駅

原田悠里 1268 おんな坂

三笠優子 223 女の一生

さくらと一郎 1269 女のきずな

松原のぶえ 305 おんなの出船

宮 史郎とぴんからトリオ 309 女のみち

八代亜紀 117 おんな港町

鳥取県民謡 1554年 貝まつり

ジジサン 474 海峡

ガロ 454 学生街喫茶店

ペギー葉山 233 学生時代

堀内孝雄 136 影法師

鹿児島はら鹿児島民謡 1555

ちあきなおみ 31 喝采

悲しい色やね 34 上田正樹

1270 悲しみの恋世界 前川清

137 哀しみ本線日本海 森昌子

がまん坂 18 北島三郎

12 北島三郎

川の流れのように 美空ひばり 35

黄色シャツ 浜村 美智子 209

木曽路の女 原田悠里 87

木曽節 1556年 長野県民謡

北へ向かう夜想曲 118 多摩幸子

和田 弘とマヒナスターズ

北国の春 320 千昌夫

北酒場 193 細川たかし

北の旅人 石原裕次郎 20

北の漁場 41 北島三郎

1271 島倉千代子

君こそわが命 205 水原弘

君といつまでも 42 加山雄三

君は心の妻だから 119 鶴岡雅義&東京ロマンチ

君は薔薇より美しい 1272 布施明

今日でお別れ 菅原洋一 314

京都の恋 196 渚 ゆう子

よしのズンドコ節 1273 氷川きよし

霧の摩周湖 布施明 120

銀色の道 321 ザ・ピーナッツ

空港 テレサ・テン 146

空港ラプソディー 1274 中村美律子

草津群馬県民謡 1557

くちなしの花 462 渡哲也

147 グッド・ナイト・ベイビー ザ・キングトーンズ

黒の舟唄 1275 加藤登紀子

1569年 軍艦行進曲 軍歌

圭子の夢は夜ひらく

369 藤圭子 恋あざみ

431 盛彩業 恋唄綴り 堀内孝雄

岸洋子 326 恋心

小林明子 148 恋におちて

323 ピンキーとキラーズ 恋の季節

奥村チヨ 353 恋の奴隷

45 ザ・ピーナッツ 恋のバカンス

ザ・ピーナッツ 479 恋のフーガ

石原裕次郎 457 恋の町札幌

中村雅俊 150 恋人も濡れる街角

46 五輪真弓 恋人

403 香西かおり 愛のボート

大月みやこ 432ものがたり

塚田 三喜夫 434 五月のバラ

富山県民謡 1558年キリコ

高山厳 152 心凍らせて

292 藤あや子 こころ

細川たかし 153 心のこり

343 森山良子 この広い野原いっぱい

ペドロ&カプリシャス 154 五番街マリーへ

284 ロス・インディオス コモエスタ赤坂

ごめんねジロー 奥村チヨ 1276

伊東ゆかり 197 小指の思い出

1559年 香川県民謡 金毘羅舟々

1560年 宮城県民謡太郎祭り

市川由紀乃 1277 さいはて海峡

森若里子 嵯峨野の女 235

酒場にて 492 江利チエミ

酒と泪と男と女 285 河島英五

酒よ 36 ジジサン

さざんかの宿 大川栄策 88

さそり座の女 294 美川憲一

チコ ニック・ニューサー 481

佐渡おけさ 新潟県民謡 495

里がえり 嶋三喜夫 1278

サバ女王 グラシェラ・スサーナ 357

さよならだけの人生に 398 堀内孝雄

サライ 121 加山雄三/谷村新司

三都物語 谷村新司 306

四季の歌 芹洋子 382

布施明 シクラメンのかほり 37

435 河島英五

時代おくれ 311 伍代夏子 忍ぶ雨

田端義夫 483 十九の春

北島三郎 123 終着駅は始発駅

シャオリンシュウ 342 純子

鳥羽一郎 1279 昭和北前船

菅原洋一 201 知りたくないの

大橋 純子 155 シルエット・ロマンス

加藤登紀子 65 知床旅情

島倉千代子 194 人生いろいろ

五木ひろし 241 人生かくれんぼ

ジジサン 90 酔った歌

杉良太郎 47 すきま風

60 谷村新司 1 森田公一トップギャラン 若者 小林幸子 1280 雪泣夜(せつないよ) 小柳ルミ子 48 瀬戸の花嫁 森進一 1281 セビアの雨 ジローズ 7 「戦争を知らない子供たち 平和勝次とダークホース 360 宗右衛門町ブルース 北海道民1561年 ソーラン節 内山田洋とクール・ファイブ 2 そして、神戸 49 五木ひろし そして・・・めぐり逢い 布施明 50 そっとおやすみ にしきのあきら 187 空に太陽がある限り 増位山太志283 そんな女のひとりごと位山太志郎 157 「そんな夕子にほれました 上田正樹 301 たかこ 真木 柚布子 1282 黄昏ルンバ

加山雄三 1283 旅人

トワ・エ・モア 480 誰もいない海

三船和子 198 だんな様

石川さゆり 1284 暖流

パープル・シャドウ125 小さなスナック

五木ひろし 442 契り

五木ひろし 93 千曲川

津軽海峡・冬景色 39 石川さゆり

津軽恋女 282 新沼謙治

津軽じょんから1562年 青森県民謡

つぐない 458 テレサ・テン

津和野1285 島津悦子

デカンショ1563年 兵庫県民謡

敵は幾万 1570年 軍歌

天使の誘惑 138 黛ジュン

東京 やしきたかじん 77

東京砂漠 内山田洋とクール・ファイブ 129

どうにもとまらない 426 山本リンダ

都会の子守歌 山本譲二 1286

時には娼婦のように 130 黒沢年男

時の流れに身をまかせ テレサ・テン 63

年上の女 206 森進一

和田アキ子 160 どしゃぶりの雨のなかで

445 小林幸子まり

370 天童よしみ 道頓堀人情

五木ひろし 1287 長崎から船に乗って

内山田洋とクール・ファイブ 191 長崎今日も雨だった

内山田洋とクール・ファイブ 131 中の島ブルース

五木ひろし 66 長良川艶歌

神野美伽 1288 浪花の春

島津亜矢 1289 波

坂本九 392 涙くんさよなら ステージ

殿さまキングス 204 なみだの操

三好鉄生 132 涙をふいて

ペギー葉山 202 南国土佐を後にして

岩手県民謡 1564 南部の牛追い

1571 軍歌 日本海海戦

1572 軍歌 日本海

384 弘田三枝子 人形の家

角川博 1290 人情つれづれ

328 山本リンダ 狙いうち

133 北島三郎 年輪

山川豊 161 函館本線

平浩二 162 バスストッ

山形県民謡 1565 花笠踊り

163 島津たかから花へと

14 村田 英雄 花と竜

ザ・タイガース 164 花の首飾り

78 金田たつえ 花街の母

165 はしだのりひことクライマックス 花嫁

167 佳山 明生 氷の雨

伍代夏子 440 ひとり酒

火の国の女 350 坂本冬美

百万本のバラ 加藤登紀子 351

広瀬中佐 軍歌(文部省唱歌) 1573

釜山港へ帰れ 67 渥美次郎

二人でお酒を 308 梓みちよ

白市 459 八代亜紀

冬のリヴィエラ 460 森進一

ブランデーグラス 252 石原 裕次郎

ブルー・シャトウ 169 ジャッキー吉川とブルー・コメッツ

ブルーライト・ヨコハマ 189 いしだあゆみ

ベット煙草を吸わないで 141 沢たまき

ヘッドライト 1291 新沼謙治

望郷酒場 253 千昌夫

望郷じょんから 細川たかし 496

王翔旅カラス 1292 千昌夫

インパチェンス 74 島倉千代子

箱崎晋一郎 抱擁 142

星のフラメンコ 西郷輝彦 170

171 平尾昌晃 星はなんでも知っている

敏いとうハッピー&ブルー 62

星降る街角 497 北海盆唄

北海道民謡 北帰行 365

シャオリンシュウ 島津たか 172

ホテル 386 チェン・ジュオエ

骨まで愛して 大泉逸郎 96 孫

尾崎紀世彦 173 また逢う日まで

美空ひばり 451 真赤な太陽

2391 松平健 マツケンサンバ

75 北島三郎 まつり

桂銀淑 176 真夜中のシャワー

山形県民謡 1566 真室川音頭

坂本九 83 見上げてごらん夜の星を

サーカス 259 ミスターサマータイム

伍代夏子 441 水なし川

渡哲也 51 みちづれ

山本譲二 52 みちのくひとり旅

軍歌 1574 道は六百八十里

中村美律子 1293 港町情話

シャオリンシュウ 419 昔の名前で出ています

香西かおり 260 静けさ

53 尾形大作 無錫旅行情報

東八郎 261 娘へのバラード

藤あや子 377 むらさき雨情

1294 中村美律子 めおと恋

都はるみ 70 夫婦

262 三笠 優子 夫婦

もしもピアノが弾けたなら 71 西田敏行

盛岡ブルース 1295 青江三奈

1567 群馬県民謡 八木

矢切の渡し 細川たかし 10

安来節 島根県民謡 1568年

やっぱすきやねん やしきたかじん 84

北島三郎 378

ゆうべの秘密 小川 知子 340

雪国 59 ジジサン

スノーチュン 11 小林幸子

雪の進軍 1575 軍歌

雪の降る街を 268 高英男

夢追い酒 76 渥美次郎

夢芝居 179 梅沢富美男

千里 1296 キム・ヨンジャ

夢の夜 181 南こうせつ

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2023-12-14

anond:20231214120845

子ども子供部屋おじさん、無職40歳)「これからもどうぞよろしくね。こんな私だけど笑って許してね。ずっと大切にしてね。元本保証の私だから。」

2023-09-18

男のフェミニストなら当然托卵されても

笑って許してやるんだよなぁ?

2023-09-05

おっパブに行きました

おっパブに行きました。

理由人生が辛く、癒やしと安らぎが欲しかたからです。

説明

おっパブの何たるか知らない清潔な人たちのために補足しておくと、おっパブ女の子お話をしたりキスをしたりおっぱいを触らせてもらったり、おっぱいを舐めたりすることが出来る場所です。

個々に仕切られたスペースには大抵二人掛けのソファが設置してあります

料金相場はおれが行くような安い店だと初回クーポンを使って40分4-5000円。ドリンクは客は飲み放題ですが、嬢に入れてあげると一杯2000-30000円ぐらいします。

40分で嬢は2-3回入れ替わる。

なんか説明書いたら疲れちゃったな。

そこで初めて気の強そうな、ギャルっぽい子がついてくれたんだけど、これがよかった。

AVでは見たことあったが、テンション高いギャルおっぱい押し付けられるのって、気持ちいいというよりはただただ苦しいんだけどあれはあれでいい経験だね。

あい高校時代を送りたかったよ。おれか夢見ていた青春のかたちがそこには確かにあった。

おれが文化系大学生趣味からしオタク予備軍の小難しい童貞気質野郎だということは、おそらく一つ前についた嬢から情報共有されていたんだと思う。

それにしても見事そのパスに合わせて完璧攻略してきたことに、終身名誉童貞のおれは感心しちゃったよ。おれのような奴の扱いなんて赤子の手をひねるより簡単なんだろうな。

「こんなの初めて」ってやつだよ。

そんでさ、その痴女ギャルおっぱいを攻めたらさ、くすぐったそうに笑って照れながら「に゛ゃん♪」とか言うわけ。たぶん演技なんだろうけど、めっちゃ感じてくれるわけよ。あれがよかった。

おれAVでもイケてる男どもがやってるであろう、友達女の子おっぱい触って笑って許してもらうシチュが大好きなのよ。現実ではそんなことできないからね。一歩間違えたら犯罪から

そんでおれを内心見下して攻めてくるギャルをさ、攻めかえして攻守が逆転するこの快感よ。男の支配欲まで満たしてくれちゃうわけ。本当はそれらすべてがおれに金を吐き出させるために彼女によってデザインされた快感なんだけどさ。現実、まあ本当の意味での現実ではないけど、もうおれにとっちゃあトトロが本当にいたみたいな、ディズニーランドみたいなもんだよ。彼女からしたら童貞なんて小銭入れたらジュースが出てくる自販機ぐらい単純なものなんだろうなあ。また行こう。

2023-09-03

元彼のことが忘れられない。

別れてから半年が経とうとしています。けれど、忘れられないのです。

大学生の頃に出会って、付き合って。

私は就職し、彼は院に進学して。

2年後には彼も就職して同棲できるかななんてワクワクして。

卒業する頃になったら突然「博士に行くから2年待ってくれ」と言い始め。

話におかしなところがあるなと思って問い詰めたら実は1年前から留年が決定してて。

その1年後には実習先でやらかして実習を止められ、単位が取れずまた留年し。

そんな大変な状況だったけど、彼は毎週末、うちに来て泊まってくれました。

電車で1時間半かかる距離だったので、彼の負担が軽くなるようにと、電車で15分の距離引っ越しました

彼はとにかく忙しくてバイトができず、収入がないので旅行に行ったり出かけたりができず、ほぼ毎週おうちデートだったけど、それでも彼は電車賃をかけ時間を作って会いに来てくれました。頑張ってくれている彼を支えたくて、夕飯を作って待ったり、たまに外食をご馳走したりしました。

お金がないか誕生日のお祝いが何もない年が何度かありましたが、それでも会うたびに何度も「可愛い」「愛してる」と言ってくれました。幸せでした。

彼は私を両親や妹、祖父母に紹介し、たまに会わせるようになりました。

実家にも何度も泊まり、親公認の付き合い、もはやこのまま結婚するのだろうと思っていました。

彼の就活が始まるとさらに忙しくなったらしく、週末は家にも来ず、1ヶ月間LINEも来なくなりました。不安になって「最近就活どんな感じ?」と聞くと、「2週間前に1社内定もらって、待っててもらってるんだよね。来週、もう1社の最終面接行って、その結果で決める。」と返ってきました。

翌週の夜、私が彼の声を聞きたくて電話したとき、彼は「そういえば、内定くれてたところ、待ってくれなくなっちゃって。もうひとつのところ面接終わってから決めるでもいいって言ってくれてたのに。」と言い出しました。最終面接の数日前でした。

その後のある日曜日、また彼に誘われて、彼の祖父母の家に行きました。彼の妹の3歳と0歳の子供と、その家の犬も一緒でした。

祖父母宅に向かう車の中で、彼の妹が「そういえば面接どうなったの?」と彼に聞きました。

「あー、ダメだったんだよね。」彼は深い息をつきながら言いました。

「え?落ちたってこと?」と彼に聞きました。いつも話し方の柔らかさには気を遣っていたけれど、その時だけは気を遣えませんでした。鋭い言い方だったと思います

「そうだよ、本当は今日朝来た時に話すつもりだったんだけど。」私はそれに何も言えませんでした。

そこからは、涙を堪えるのに必死でした。いつも明るく振る舞うのに、笑顔なんて作れませんでした。ずっと窓の外を見ていました。犬の鳴き声が雑音に聞こえました。0歳の子の泣き声を聞いて、私も泣きそうになっていました。

途中で寄り道したスーパーで、私は彼と一緒に車に残りました。彼は0歳の子ミルクを与え、私は犬の面倒を見ていました。彼はずっと言い訳のような何かを言っていたけど、何を言っているのか全然わかりませんでした。

祖父母宅に着くと、0歳の子沐浴が始まりました。「増田ちゃんバスタオル持ってきて!」と妹に叫ばれ、彼女母親バスタオルを手渡され、風呂場に駆け込みました。

バスタオルを両手にかけて広げて待ってて」と言う妹と、お湯をかけられる肌色の塊を黙って見下ろして待っていました。

沐浴が終わると、3歳の子が剣のおもちゃを持って「増田ちゃんあそぼ!」と走り寄ってきました。

私はその時、私の電源を落としました。そして、社会向けの、明るく愛想よく振る舞う私を起動させました。「よーし、勝負だ!」と言いながら、3歳の子が振り回す剣を捕まえたり、当たって「うわーっ!負けた〜」と言ったりしました。

その後の食事中も、祖父母はずっと妹と孫に夢中でした。私はニコニコした顔のまま、祖母母親と妹の女同士の会話を眺めていました。まるで、知らない家庭のとある日常を描いたドラマを観ていたようでした。

食事が終わると、彼の母親が私に「食器片付けるの手伝ってくれる?」と言いました。彼はそれを見て「増田ちゃんお客様なんだからやらせないでよ」と言いましたが、母親は何も返しませんでした。私は言われるまま食器シンクに運び、彼の食器洗いを手伝いました。

彼は私に布巾を渡し、濡れた食器を渡してきました。私は無言でそれの水分を拭き取り、きれいに重ねていきました。

気がついたら、彼の家の最寄駅の改札前に彼と立っていました。祖父母からどう帰ったのか思い出せません。改札機を見た瞬間、社会向けの私のバッテリーが切れ、わっと涙が溢れ出しました。

彼はそれを見て、「今からちゃんと話そう。」と、改札前のベンチを指さして言いました。私はとにかく何もしたくなくて、「また今度ね。今日はもう無理。」と言って改札を通りました。時計は22時を回っていました。

気がつけば、彼と付き合ってから6年が経っていました。インスタは子供写真で溢れかえっていました。

私は転職し、新卒の頃の2倍の年収になっていました。

家にある彼の荷物を全部持って、彼に会いに行きました。彼は院を卒業し、実家就活を続けていました。

もう限界だと伝えると、彼は「俺は忙しいのに毎週末会いに行ったよ。増田ちゃんは俺に何してくれたの?それに明日、俺面接なんだけど。タイミングもうちょっと考えてよ」と言いました。

あれから半年が経とうとしています。けれど、忘れられないのです。

彼が誘って予約してくれた鳥貴族で、「金銭感覚違いすぎて無理って言うけど、いくら稼いだらいいわけ?」と言う彼のことが。

増田ちゃんと行こうって言ってたところ、どこでも良いかひとつは行っておきたいな」と言う彼のことが。

「仮の話だけど、もしもだよ、いくら積んだら復縁してくれる?」と言う彼のことが。

増田ちゃんエッチコスプレもっとしてもらえばよかったな」と言う彼のことが。

最近入社したところの上司パワハラがひどくてさあ」と言う彼のことが。

俺の妹増田ちゃんと付き合い始めた時、増田ちゃん写真見てブスだって言ってたんだよ。あいつも嫉妬してて可愛いよな。」と言う彼のことが。

「本当にあとちょっと同棲できるって思ったのに。割り切ったつもりだけど、やっぱ会うと可愛いなあ。好きだなあ」と言う彼のことが。

「じゃあ、体に気をつけて、元気でな」と言う彼のことが。

本当に、腹立たしくて、忘れられないのです。

私はずっと馬鹿にされていたんだと思います。嘘をついたり、何をしても私が笑って許してくれると考えていたんだと思います。本当に腹立たしい。

私の時間を、私自身をそうやって軽く扱われたことがとてもショックで、私はその程度の人間なんだと悲しくもなります

風呂に入っている時、化粧をしている時、ふとした時に彼と彼の家族言動が蘇って頭を支配され、それに怒ったり悲しんだりします。

私は来月、3LDKの家に引っ越します

一緒に住む彼は私のことを尊敬できる人だと言って、突然生花を買ってプレゼントしてくれます

急にトラウマフラッシュバックして泣き出す私を心配して寄り添ってくれます

先日、友達から増田ちゃん元彼マッチングアプリにいたよ」と教えてくれました。

プロフィールを見ると、29歳社会人1年目、年収200〜400万、身長171cm、実家住み、という、なかなか難しそうな条件が並んでいて、ざまあみろと思いました。

別れてよかった、今とっても幸せ!そう思うのに、やっぱり、元彼のことがふと頭に蘇って、忘れられないのです。

2023-05-02

パン屋万引きしかけた

パン屋といえばあのトレーとトングだ。

色とりどりのパンを選び、トングを使って取るのが一番楽しいポイントだ。

しか食パンは別である

ちょっと高級そうな、紙袋に入った抹茶食パンが売られていた(しかも焼きたて)。

トレーにも乗り切らないので、手で取って紙袋の持ち手を手首にかけていた。

それからしばらく他のパンを選んでから会計をし、店をでた。

歩いて数分、レジで受け取ったパンに加えて、なんと、謎の紙袋があるではないか

瞬時に状況を理解した。レジでは私のバッグですという顔をして手首に掛かっていたが、実は店の子だったのだ。

心拍数が一気に高まる中慌てて引き返し再度会計をして事なきを得た。

店員さんも笑って許してくれたのでよかったが、肝が冷える思いだった。

皆さんも紙袋に入ったパンを見たときは、盗みを働かないよう注意されたい。

2023-01-01

anond:20221231214410

偏差値45大と京大経済卒、レベチすぎて話すだけでバレるって。わかって付き合ってあげてるんじゃあないかな。心苦しいなら告白してみたら?きっと笑って許してくれるよ。

2022-12-21

今月のメモ祝日増田無くなったっ無く灘酢魔は辻くゅし野も目の津拳固(回文

おはようございます

足立梨花です。

嘘です。

あれ?

12月ってなんか祝日なかったっけ?

カレンダーその日黒い字で印刷されているんだけど、

アタックチャンスで角を取られたの?

それともさよならダンスの後にってことなの?

児玉清さんが角を取らないと

なぜ角を取らない!ってすごい剣幕で怒られるレヴェルで祝日なくなっちゃったのかしら?

それなんてアタックチャンス

いやそれなんてラストダンス?って感じね。

谷原章介さんじゃアタックがチャンスできなかったことのラストダンスが悔やまれるわ。

あのさ、

よく自分手書きの殴り書きのメモがあとで自分が解読できなく読めない字があるけど、

スマホにしたメモで分からないものがあって解読はテキストからできんだけど、

内容が意味がさっぱりあとで自分が見返しても解読できない内容があんの。

みんなにお尋ねだけど、

なんかこれ分かる?

「ほほーへほーはへほー」ってーのを私はメモしてたみたいで、

まったく意味不明だわ。

から今日はもういっそのこと「ほほーへほーはへほーの日」にします!って

違う違うそうじゃないの。

マーチンも違うって言うレヴェル!

なんのことだか私全く何も思い出せないわ。

から最近はこれ何を思ってきっかけでメモしたんだっけ?って

メモ本文だけじゃなくて、

前後の私の心情だとか気持ちだとか気分とか買った紀文おでんお気に入り具材だとか、

紀文はキブン違いよ。

この全く「ほほーへほーはへほー」ってのが私がどんな気持ちでそんなシチュエーションメモしたのか私の中で2人の私が揉めているのよメモだけに。

でも本当に急いでメモしているとき

まだそのメモをしたてのほやほや直後で覚えてるときならよくって、

それを覚えている間に追記していたらいいけど、

その追記をするのをすっかり忘れて翌日とかに見返しても、

さっぱり分からないの助参上だわ。

まさか和田アキ子さんの歌のモノマネ笑って許してザコシショウさんの誇張した歌い方じゃないわよね?

笑えないわー

今その「ほほーへほーはへほー」を見返しても何を思ってそうメモしたのか、

全く謎に包まれるぐらいナスカの地上絵が160個新たに発見されるより謎だわ。

それを全く思い出せないままクリスマスキャロルだわ。

この時期、

雪が積もる歌が街中で流れているの多すぎなぐらい

人は無意味にこの時期になると同時に

クリスマスキャロルキャロル意味もよく分からないまま、

クリスマスキャロルって言いたいのよ。

温かくクリスマスキャロルに火を灯したいところね。

でも

どう足掻いても、

この私の「ほほーへほーはへほー」って謎が解けないのよね。

探し物を探すのをやめた時の井上陽水さんか斉藤由貴さんかのどちらかの一方の方だと思うんだけど、

きっとそんなことも思い出すはずもないわ。

まったくきっかけが

前後の私のメモを見返してみても

「ほほーへほーはへほー」ってのがだけ、

なんでこれこんなのメモしたのかしら?って

もも

この年末の忙しい最中最中を食べながら

そんなこと言ってられないので

またそんなチャンスが到来したら同じ内容のメモするでしょう。

だって私の性格パターンは早々変わらないでしょ?

からまたその内容で同じようなメモをしたとき

注意深く今月のカレンダー祝日が無いのと同様に

間違えてお休みしないようなレヴェルで

書いたら思い出したいものよね。

うふふ。


今日朝ご飯

ピンチの時に買い置いている完全食品チョコレートパンよ。

今やってるアニメカワイイカレンダー来年の買っちゃったから散財よ。

しばらくは

買っておいてあった完全食品チョコレートパン我慢かしら凌ぐわ!

ホッツヒーコーは買っちゃったけどね。

1つ見るとまた他のグッズも欲しくなるので

あんまり見ないようにして暮らすわ。

キーホルダーとかアクリルスタンドとか欲しくなっちゃうわ。

我慢我慢よ。

あれさ

ブルーレイとかでたらもうヤバいわよね。

見なかったことにして暮らすわ。

でも、

この完全食品チョコレートパン

以前は冷凍しか届けられなかったのが改良されて

常温でオーケーになったしまたついこの間もリニューアル改良されて

よりふわふわモチモチさらに美味しくなって普通パンとなんら遜色のない美味しいパンなので、

節約栄養面では

あと時短タイよろしく

いろいろと捗るわよ。

お昼もしばらくはそれで節約志向よ。

あんまりそういうのを食べ続くと心が貧しくなっちゃうので、

たまにはお店の定食ランチとかは食べたいけれどね。

デトックスウォーター

ホッツ葛湯ウォーラーしました。

こないだ差し入れに持っていった分、

初見で注文して美味しくなかったら残念なので、

私の自分の味見用で買っておいたのがあって美味しかったので、

初めての買うところは味見してから持って行くようにしているのよね。

それが抹茶味と生姜味があったので、

残りの生姜葛湯

ホッツ生姜葛湯ウォーラーってところかしら。

うんと甘いけど朝から温まるのが捗る温活よ。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2022-11-20

心が狭いだけなんだろうが、他人とでかけるのに出かけ先をまともに調べてこないの本当にストレスが溜まる

自分自身計画立てるのとか下調べって面倒くさくて嫌いだから自分が出かけたい場所には絶対他人と行かないんだけど、その分誰かを連れていかなければいけない時は事前にきっちり計画してからしか出かけないので、なんの見通しもないようないい加減さに腹が立ってしま

身内がそういうタイプで、○○行きたいっていうから一緒に出かけると「地図逆方向だった」「時刻表知らない」「こんなに時間かると思わなかった」「どこに店あるか分かんない」のオンパレードでいい加減にしろよと毎回ものすごくイライラする

そのくせ迷ってもへらへらしてるし、「まあまあ、迷ってもゆっくりいけばいいよね。計画通りでも面白くないしさ」→「ごめん、映画時間終わってるね…」

あのさ、帰っていい?本当に。何しに来たの?毎回しょうがないよねって笑って許してるけどしょうがないわけねえだろ。やる気ないならお前1人で行けや

自分自身が日頃すごくいい加減だからそういうことに対してごちゃごちゃ言われたくなくて毎回ニコニコしてるけど内心マジでブチ切れそう。

なんで20分も歩いてからこっちじゃなかったとか言い出せるん?10分歩いた時点でわからんか?

毎回面倒見てるけど流石にもう本当に面倒くさくて放置してたら、全然違う方向にいくわずっと同じところ回ってるわでこっちの堪忍袋の尾が切れる方が早かった

1人で出かけてくれよ…。本当に出かけたくない。クッソだるい

2022-09-27

anond:20220927221922

安倍さんは腸の病気だったか粗相にも寛容なのではないかな?

遺影の前で漏らしても笑って許してくれそう

2022-05-11

こころに残る昭和の歌 ベスト100

ジャムの若手アーティスト平成の曲を選ぶアンケート企画話題になっている。

https://guatarro.hatenablog.com/entry/2022/05/08/234252

そういえば昭和から平成に変わった当時でも同じような企画NHKがやってたなと思い出しちょっと調べてみた。

無作為抽出2000人に対する電話アンケートで思い出の曲を聞くという当時のNHKらしい力強さを感じるが平成になったばかりなんでこんな曲が何故そこにというのもゴロゴロ

NHK昭和の歌・心に残るベスト100(1989年10月10日発表)

Best 1位~100位

1位 ◇青い山脈(1949_昭24藤山一郎奈良光枝

2位 ◇影を慕いて(1932_昭7)藤山一郎

3位 ◇リンゴ追分(1952_昭27)美空ひばり

4位 ◇上を向いて歩こう(1961_昭36)坂本 九

5位 ◇悲しい酒(1966_昭41)美空ひばり

6位 ◇柔(1964_昭39)美空ひばり

7位 ◇瀬戸の花嫁(1972_昭47)小柳ルミ子

8位 ◇岸壁の母(1954_昭29)菊池章子/二葉百合子昭和51年カバー

9位 ◇リンゴの歌(1945_昭20並木路子霧島 昇

10位 ◇津軽海峡景色(1977_昭52)石川さゆり

11位 ◇星影のワルツ(1966_昭41)千 昌夫

12位 ◇北の宿から(1975_昭50)都はるみ

13位 ◇お富さん(1954_昭29)春日八郎

14位 ◇高校三年生(1963_昭38)舟木一夫

15位 ◇シクラメンのかほり(1975_昭50)布施 明

16位 ◇有楽町で逢いましょう(1957_昭32)フランク永井

17位 ◇恋人よ(1980_昭55)五輪真弓

18位 ◇知床旅情(1970_昭45)加藤登紀子

19位 ◇矢切りの渡し(1983_昭58)細川たかし 他(競作)

20位 ◇丘を越えて(1931_昭6)藤山一郎

21位 ◇人生並木路(1937_昭12ディック・ミネ

22位 ◇北国の春(1977_昭52)千 昌夫

23位 ◇酒は涙か溜息か(1931_昭6)藤山一郎

24位 ◇昴(すばる)(1980_昭55)谷村新司

25位 ◇襟裳岬(1974_昭49)森 進一

26位 ◇南国土佐を後にして(1959_昭34)ペギー葉山

27位 ◇ここに幸あり(1956_昭31大津美子

28位 ◇湯の町エレジー(1948_昭23近江俊郎

29位 ◇別れの一本杉(1955_昭30)春日八郎

30位 ◇アカシアの雨が止む時(1960_昭35)西田佐知子

31位 ◇君恋し(1929_昭4)二村定一/フランク永井昭和36年カバー

32位 ◇雪国(1986_昭61)吉 幾三

33位 ◇こんにちは赤ちゃん(1963_昭38)梓みちよ

34位 ◇神田川(1973_昭48)南こうせつかぐや姫

35位 ◇誰か故郷を想わざる(1940_昭15)霧島 昇

36位 ◇君の名は(1953_昭28織井茂子

37位 ◇銀座の恋の物語(1961_昭36)石原裕次郎&牧村旬子

38位 ◇赤城の子守唄(1934_昭9)東海林太郎

39位 ◇くちなしの花(1973_昭48)渡 哲也

40位 ◇涙の連絡船(1965_昭40)都はるみ

41位 ◇黒い花びら(1959_昭34)水原 弘

42位 ◇この世の花(1955_昭30)島倉千代子

43位 ◇悲しき口笛((1949_昭24))美空ひばり

44位 ◇せんせい(1972_昭47)森 昌子

45位 ◇さざんかの宿(1982_昭57)大川栄策

46位 ◇王将(1961_昭36)村田英雄

47位 ◇喝采(1972_昭47)ちあきなおみ

48位 ◇ブルーライトヨコハマ(1968_昭43)いしだあゆみ

49位 ◇娘よ(1984_昭59)芦屋雁之助

50位 ◇月がとっても青いから(1955_昭30)菅原都々子

51位 ◇港町十三番地(1957_昭32)美空ひばり

52位 ◇いつでも夢を(1962_昭37)橋 幸夫&吉永小百合

53位 ◇長崎は今日も雨だった昭和44年_1969)内山田洋とクールファイブ

54位 ◇長崎の鐘((1949_昭24))藤山一郎

55位 ◇奥飛騨慕情(1980_昭55)竜 鉄也

56位 ◇函館の女(1964_昭39)北島三郎

57位 ◇与作(1978_昭53)北島三郎

58位 ◇人生いろいろ(1987_昭62)島倉千代子

59位 ◇湖畔の宿(1940_昭15)高峰三枝子

60位 ◇夜霧よ今夜も有難う(1967_昭42)石原裕次郎

61位 ◇誰よりも君を愛す(1959_昭34)松尾和子和田弘とマヒナスターズ

62位 ◇命くれない(1986_昭61)瀬川瑛子

63位 ◇氷雨(1977_昭52)佳山明生/日野美歌昭和57年カバー

64位 ◇君といつまでも(1965_昭40)加山雄三

65位 ◇異国の丘(1948_昭23)竹山逸郎

66位 ◇東京だよおっ母さん(1957_昭32)島倉千代子

67位 ◇東京ブギウギ(1948_昭23笠置シヅ子

68位 ◇贈る言葉(1979_昭54)海援隊

69位 ◇おーい中村君(1958_昭33若原一郎

70位 ◇世界は二人のために(1967_昭42)佐良直美

71位 ◇酒よ(1988_昭63)吉 幾三

72位 ◇三百六十五歩のマーチ(1968_昭43)水前寺清子

73位 ◇憧れのハワイ航路(1948_昭23)岡 晴夫

74位 ◇ルビーの指環(1981_昭56)寺尾 聰

75位 ◇二人は若い(1935_昭10ディック・ミネ&星玲子

76位 ◇夢追い酒(1979_昭54)渥美二郎

77位 ◇わたしの城下町(1971_昭46)小柳ルミ子

78位 ◇また逢う日まで(1971_昭46)尾崎紀世彦

79位 ◇おもいで酒(1979_昭54)小林幸子

80位 ◇潮来笠(1960_昭35)橋 幸夫

81位 ◇人生劇場(1938_昭13)楠木繁夫/村田英雄昭和34年カバー

82位 ◇見上げてごらん夜の星を(1963_昭38)坂本 九

83位 ◇北酒場(1982_昭57)細川たかし

84位 ◇てんとう虫のサンバ(1973_昭48)チェリッシュ

85位 ◇大阪しぐれ(1980_昭55)都はるみ

86位 ◇上海帰りのリル(1951_昭26)津村 謙

87位 ◇かえり船(1946_昭21)田端義夫

88位 ◇からたち日記(1958_昭33島倉千代子

89位 ◇テネシーワルツ(1952_昭27)江利チエミ

90位 ◇喜びも悲しみも幾歳月(1957_昭32)若山 彰

91位 ◇アンコ椿は恋の花(1964_昭39)都はるみ

92位 ◇真赤な太陽(1967_昭42)美空ひばり

93位 ◇ブルーシャトー(1967_昭42)ジャッキー吉川ブルーコメッツ

94位 ◇みちづれ(1979_昭54)牧村三枝子

95位 ◇赤いハンカチ(1962_昭37)石原裕次郎

96位 ◇おふくろさん(1971_昭46)森 進一

97位 ◇もしもピアノが弾けたなら(1981_昭56)西田敏行

98位 ◇骨まで愛して(1966_昭41)城 卓矢

99位 ◇浪花節だよ人生は(1984_昭59)木村友衛/細川たかし

100位 ◇雪の降る町を(1953_昭28)高 英男

Best 101位~200位

101位 ◇バラが咲いた(1966_昭41)マイク真木

102位 ◇啼くな小鳩よ(1947_昭22)岡 晴夫

103位 ◇白いブランコ(1969_昭44)ビリーバンバン

104位 ◇無法松の一生(1958_昭33村田英雄

105位 ◇よこはまたそがれ(1971_昭46)五木ひろし

106位 ◇別れても好きな人(1979_昭54)ロス・インディオス&シルヴィア

107位 ◇昔の名前で出ています(1975_昭50/昭52年ヒット)小林 旭

108位 ◇君こそわが命(1967_昭42)水原 弘

109位 ◇東京ナイトクラブ(1959_昭34)フランク永井松尾和子

110位 ◇東京キッド(1950_昭25)美空ひばり

111位 ◇星はなんでも知っている(1958_昭33平尾昌晃

112位 ◇小指の想い出(1967_昭42)伊東ゆかり

113位 ◇青葉城恋唄(1978_昭53)さとう宗幸

114位 ◇銀座カンカン娘(1949_昭24))高峰秀子

115位 ◇星の流れに(1947_昭22)菊池章子

116位 ◇千曲川(1975_昭50)五木ひろし

117位 ◇大利根月夜(1939_昭14)田端義夫

118位 ◇俺は待ってるぜ(1957_昭32)石原裕次郎

119位 ◇イヨマンテの夜(1950_昭25)伊藤久男

120位 ◇花街の母(1973_昭48/昭52年ヒット)金田たつえ

121位 ◇チャンチキおけさ(1957_昭32)三波春夫

122位 ◇恋の季節(1968_昭43)ピンキーとキラーズ

123位 ◇古城(1959_昭34)三橋美智也

124位 ◇いとしのエリー(1979_昭54)サザンオールスターズ

125位 ◇港が見える丘(1947_昭22)平野愛子

126位 ◇勘太郎月夜唄(1943_昭18)小畑 実

127位 ◇兄弟船(1982_昭57)鳥羽一郎

128位 ◇哀愁列車(1956_昭31三橋美智也

129位 ◇長良川艶歌(1984_昭59)五木ひろし

130位 ◇祝い酒(1988_昭63)坂本冬美

131位 ◇青春時代(1976_昭51)森田公一トップギャラン

132位 ◇麦と兵隊(1938_昭13)東海林太郎

133位 ◇夜霧のブルース(1947_昭22)ディック・ミネ

134位 ◇東京バスガール(1957_昭32)コロムビア・ローズ

135位 ◇九段の母(1939_昭14)塩 まさる

136位 ◇若いお巡りさん(1956_昭31曽根史郎

137位 ◇高原列車は行く(1954_昭29)岡本敦郎

138位 ◇ふたり酒(1980_昭55)川中美幸

139位 ◇月の法善寺横丁(1960_昭35)藤島桓夫

140位 ◇東京ラプソディ(1936_昭11藤山一郎

141位 ◇みちのくひとり旅(1980_昭55)山本譲二

142位 ◇時には母のない子のように(1969_昭44)カルメン・マキ

143位 ◇星のフラメンコ(1966_昭41)西郷輝彦

144位 ◇東京音頭(1933_昭8)小唄勝太郎三島一声

145位 ◇夢は夜ひらく(1966_昭41)園まり

146位 ◇愛と死をみつめて(1964_昭39)青山和子

147位 ◇白い花の咲く頃(1950_昭25)岡本敦郎

148位 ◇北上夜曲(1961_昭36)多摩幸子&和田弘とマヒナスターズ

149位 ◇嫁に来ないか(1976_昭51)新沼健治

150位 ◇私は街の子(1951_昭26)美空ひばり

151位 ◇時の流れに身をまかせ(1986_昭61)テレサ・テン

152位 ◇別れのブルース(1937_昭12淡谷のり子

153位 ◇野崎小唄(1935_昭10東海林太郎

154位 ◇ジョニイへの伝言(1973_昭48)ペドロ&カプリシャス

155位 ◇ガード下靴みがき(1955_昭30)宮城まり子

156位 ◇下町太陽(1962_昭37)倍賞千恵子

157位 ◇旅笠道中(1935_昭10東海林太郎

158位 ◇国境の町(1934_昭9)東海林太郎

159位 ◇あなた(1973_昭48)小坂明子

160位 ◇笑って許して(1970_昭45)和田アキ子

161位 ◇学生街喫茶店(1972_昭47)ガロ

162位 ◇愛ちゃんはお嫁に(1972_昭47)鈴木三重子

163位 ◇お座敷小唄(1964_昭39)松尾和子和田弘とマヒナスターズ

164位 ◇桃色吐息(1984_昭59)高橋真梨子

165位 ◇赤いランプの終列車(1952_昭27)春日八郎

166位 ◇おひまなら来てね(1961_昭36)五月みどり

167位 ◇好きになった人(1968_昭43)都はるみ

168位 ◇知りたくないの(1965_昭40)菅原洋一

169位 ◇東京の花売娘(1946_昭21)岡 晴夫

170位 ◇圭子の夢は夜ひらく(1970_昭45)藤 圭子

171位 ◇浪花恋しぐれ(1983_昭58)都はるみ&岡 千秋

172位 ◇裏町人生(1937_昭12上原 敏

173位 ◇関白宣言(1979_昭54)さだまさし

174位 ◇北帰行(1961_昭36)小林 旭

175位 ◇黄色さくらんぼ(1959_昭34)スリー・キャッツ

176位 ◇りんどう峠(1955_昭30)島倉千代子

177位 ◇夜明けのスキャット(1969_昭44)由紀さおり

178位 ◇魅せられて(1979_昭54)ジュディ・オング

179位 ◇スーダラ節(1961_昭36)植木 等

180位 ◇涙を抱いた渡り鳥(1964_昭39)水前寺清子

181位 ◇蘇州夜曲(1940_昭15)霧島 昇&渡辺はま子

182位 ◇ダンシングオールナイト(1980_昭55)もんた&ブラザーズ

183位 ◇希望(1970_昭45)岸洋子

184位 ◇愛人(1985_昭60)テレサ・テン

185位 ◇ゲイシャワルツ(1952_昭27)神楽坂はん子

186位 ◇待つわ(1982_昭57)あみん

187位 ◇高原の駅よさようなら(1951_昭26)小畑 実

188位 ◇舟歌(1979_昭54)八代亜紀

189位 ◇サン・トワ・マミー(1964_昭39)越路吹雪

190位 ◇僕は泣いちっち(1959_昭34)守屋 浩

191位 ◇島育ち(1966_昭41)田端義夫

192位 ◇真夜中のギター(1969_昭44)千賀かおる

193位 ◇天城越え(1986_昭61)石川さゆり

194位 ◇港町ブルース(1969_昭44)森 進一

195位 ◇新妻鏡(1940_昭15)霧島 昇&二葉あき子

196位 ◇柳ケ瀬ブルース(1966_昭41)美川憲一

197位 ◇哀愁波止場(1960_昭35)美空ひばり

198位 ◇東京行進曲(1929_昭4)佐藤千夜子

199位 ◇女のみち(1972_昭47)ぴんからトリオ

200位 ◇プレイバック・パート2(1978_昭53)山口百恵

2022-02-17

anond:20220217121125

「そこは女は大人になってあげて、男を笑って許してあげるべき。男の少年らしさを許せない女は、心が狭くて最低」

??????????????????

2022-01-13

ロケットヒドラジン散布して村が壊滅しても笑って許してくれるような心の広さがいる

2022-01-04

弱者男性人生攻略法

【はじめに】

俺は高卒(偏差値30)で頭が悪いので物覚えも悪いし忍耐力もない。顔もブサイクだし身長も160しかないし、人が言ってることも理解しづらいし、人に言いたいことも上手くまとめられない。たぶん弱者男性の中でも最底辺にいる。再来月で30歳になる。

今はデータ入力派遣社員をしていて、このプロジェクトが終わったら無職になる。生きることが地獄のように辛くて人生が詰んでいる俺だが、他人を恨まずインセルにも傾倒せずにここまで来れたのは、自分が感じる幸福ハードルを最低限おろすことができたことに由来すると考える。三十路になる前に幸福ハードルを最低限に下ろす秘訣棚卸ししておく。

食事は一日一食にする】

朝と昼は食事を取らず水だけで過ごしている。空腹は意外と慣れるもので、会食恐怖を患い始めた高校時代から今に至るまで晩飯一食の生活を送ってきたので、かれこれ15年近く経った。その間体を壊したことはない。同世代の連中が腹が出てくる中、健康診断の数値も良好だ。BMIも18を前後している。空腹は最高の調味料と言うが、俺は夜に白米を口にするだけで多幸感に襲われる。脳から高揚感と幸福物質が分泌されてるのがわかる。毎日3食流し込むのはただの餌だが、1食に絞ることで体が震えるほどの上手さの食事毎日味わえるのだ。俺たちのような弱者男性自分世界の中で自己完結した幸福を見出さなければならない。何故なら他者との交わりは惨めな気持ちになることが経験上あまりにも多すぎたからだ。野菜は一晩で350gとること。

運動をする】

体を動かしていないと、人間気持ちが塞ぎこむし意欲も低下してくる。気分が塞ぎこむと、ただでさえ低い一日の行動リソースが縮小し、さらに気分が塞ぎ込むという負のループに陥る。有酸素運動をするの脳細胞シナプスの結びつきを強めるBDNFが分泌されるので、体動かすにしても何からやればいいのかわからない人はジョギングおすすめ。俺は運動音痴で階段登るだけで息切れする雑魚だったが30分以内に5KM走りきれるようになった。運動習慣がなかった頃に比べて陰鬱とした気分になることが明らかに減ったので今も続いている。

オナ禁ポルノ絶ちをする】

まず最初に、俺はオナ禁を3年続けた経験があるが、イケメンになったりモテるようにかる巷のオナ禁効果はあれは嘘だ。俺が生き証人だ。そして種の保存として性欲があるのは仕方がない。自分の性欲は素直に受け入れるべきだ。その上でオナ禁エロ禁をする。理由は何個かあって、オナニーをすると意欲がひどく低下する。朝抜いたらその日は何もしたくなくなる事が多かったので、オナ禁してから一日の行動可能ターン数が増えるようになった。あとはエロ禁することによって、オナ禁成功率条件反射女性の服の上から膨らむ胸の膨らみに視線いかなくなった。長期オナ禁をすると性欲が減退してくるので、リアル女性を視姦しなくなったのはどれの効果なのかはハッキリとはしていない。胸を見る視線というのは女性比較的敏感だそうなので、波風建てずに生きたい弱者男性必須スキルである

オナ禁には生殖能力が衰えるデメリットがあるが、弱者男性に限って言えばはそもそも自然淘汰されるべき遺伝子なので、デメリットにはならない。予定調和なのだ

ラムラとしたらその性エネルギー運動にぶつけるといい。ナポレオンヒル提唱している性欲昇華法という昔からある手法だ。

俺たちに必要なのは画面の向こうの手に届かない女の裸体ではなく、手の届く範囲の小さな幸せなのだ

【甘いものカフェインは人付き合い以外で取らない】

甘いものは好きか?俺は好きだ。コーヒーも好きだ。しかし、一人で甘いものバクバク食べれる環境幸せすぎて、一人の世界で満足してしまう。すると、他人との関わりが辛い俺たちは、一人の世界に充足していると、もっともっと他人との折り合いがつかなくなってくる。そこで、誰かと一緒に飲み食いするときだけ、甘いものカフェインは取ろう。そうすると、他人といる時に幸せを感じることが出来る脳の回路が形成される上に、他人と関われるきっかけになる。職場の人と自分のためにお菓子を用意して配って他愛もない話をしながら食べよう。その時だけコーヒーを飲んでもいい。俺はこうやって他人と静かに無理なく関わる方法模索していった。それでも一人でいることが一番の安らぎなのはかわらないが、仕事やらかした時に笑って許してもらえることが多くなった。そしてカフェインに頼らないで済む体質になると頭痛頻度が少なくなったので、頭痛持ちは一考の価値あり。

【何も欲さず周りの人を許容し感謝しながら生きる】

ベストセラーになった鬼滅の刃にこんなセリフがある。

人に与えない者はいずれ人から何も貰えなくなる。 欲しがるばかりの奴は結局何も持ってないのと同じ。 自分では何も生み出せないから。 独りで死ぬのは惨めだな。

俺たちは一人で死ぬことになる。しかし、死ぬなら欲しがる生き方をして惨めに死ぬより、生み出せる生き方をしながら静かに死のう。

俺たちは低い能力や不遇な容姿により、さんざん嫌な思いをしてきた。これから先も嫌な思いをすることがたくさんある。しかしその中でも、俺達のことを人として別け隔てなく扱ってくれる人がいる。老若男女問わずからず居るそういう人たちに、心の底から感謝し、一人の人間として敬おう。感謝の心は忘れないようにしよう。そういう感謝や敬いの心が欠けた場合距離感バグりつきまといやストーカー化する困ったちゃんに変貌する弱者男性観測される。俺たちはそうならず、一人で生きる覚悟を決めよう。それが俺たちにとっての最善の道だ。自分に対して良くしてくれる女性がいても、女性好意に対してのみ感謝するべきで、間違っても女性に対して淡い期待は辞めよう。そういったストイックさが信用に繋がることがあり、社会生活が少しだけ楽になったりする。

【おわりに】

生きてても良い事が全くなかったので、俺はこうやって自分幸せに感じる方法を生み出していった。お互い辛いことばかりかもしれないけど、誰かに傷つけられてもせめて自分だけは他人を傷つけないようにお互い生きていきましょう。

2021-12-31

問題職員の正しい辞めさせ方 7/10

第二章 更生が期待できる問題職員について

できれば2人紹介したかったが、1人に留める。

ここまでの6人は問題ない。何かあっても私が責任を取ろう。が、この2人は今でもK市で働いている。うち1人は男性で、接触当時は入庁4年目だった。

協調性がないとの評判であり、人事評価では直属の上司から免職を促すことが相当である」とのコメントが入っていた。しかし、実際に本人と面談してみると……といったパターンの子だ。本質が見えていないのは上司の方だった。

残り1人は女性で、接触当時は入庁1年目。先に挙げたGさんと同じく直向きな職員だった。地元新聞記事にも「期待の新人職員!」という記事が載るほどに期待されていたのだが、残念なことに、頑張りすぎてうつ病になってしまった。その後のじりじりとしたリハビリと、復活後の活躍には目を見張るものがあった。よって、この子を取り上げようと思っていた。

迷ったが、男性の方を選んだ。理由は私と同性で、気質も似ているところがあったので心の内部を覗きやすいと感じたからだ。登場人物の男女比の関係もある。仮に、E太さんとする。

福祉関係部署のE太さん

私が特定任期付き職員として採用されて3年目のことだった。E太さんと話したのは。彼は入庁4年目だった。ある意味で先輩にあたる。

当時は20代後半で、福祉部署で働いていた。といっても、ケースワーカー自立支援福祉事業者審査といった類ではなく、裏方の仕事だった。直接福祉仕事に携わることはなかったが、それでも部署全体を支えるポジションだったのは間違いない。

梅雨時のある日、彼について人事面談をしてほしいと福祉課長から依頼があった。このE太さんというのは、いわゆる問題職員という扱いだった。私は、彼のいったい何が問題だったのか、その時は理解していなかった。が、K市の問題職員リストにE太さんが名を連ねていたのは事実だ。

福祉課長によると、彼には以下のような問題点があり、人事で指導してほしいという。

ミスをしても謝らない。それどころか相手を逆なでする。

・内部会議で一切しゃべらない。発言を求められても二言三言。

・みんなと協調的な行動を取ることができない。自己中心的である

今回は3点目で引っかかったようだ。

いろいろと調べていったが、やはり机上のデータでは見えてこない。他の福祉課の職員から聞き取った情報総合すると、先週あった課全体の飲み会でひと悶着あったらしい。

うす暗い飲み屋の片隅に座っていたE太さんが、近くにいた福祉課長やその他先輩がいた席まで呼ばれた。「この間のことで話がある。ちょっとこっちに座れ」と言われたE太さんは、ダイレクトに断った。「行きません」と突っぱねたとのこと。それで先輩職員らと口論になって、そのうち優しめの先輩職員が彼の席に移ってきて、まあ飲みなよとお酒を注ごうとしたところ、これもまた「帰りがバイクなので」(※真偽はわからない。E太さんの嘘かもしれない)と断った。

そんな態度に憤ったほかの上司や先輩が、E太さんに詰め寄り、お酒を吞ませようとした。それでも断固とした態度のE太さんに、先輩は次第に声を荒げ、ついに係長級の職員がE太さんの首根っこを掴んだところで、「やめてください!」と彼が拒否して……市役所職員の宴席から大声が響いたものから、近くに座っていた別のお客のグループ店員に静かにさせるよう苦情を入れるも、店側も注意ができず……翌日になって、その居酒屋で飲んでいた人が市役所に直接クレームを入れたというのが顛末になる。

どっちもどっちだ、と感じた。双方とも行動に問題がある。

福祉課長の言うことは明らかに自分寄りである。ここまでのハラスメント行為があったとは聞いていない。私がほかの係員に聞き取りをしなかったら、あやうくE太さんだけを悪者にするところだった。

彼にしても、飲み会に参加したなら、もっと仲間意識を持つ必要があった。飲み会は、「供食」の場だ。供食は仲間同士でしかしない。古今東西自分達の敵と一緒に食事を取るなんて文化はない。一緒に食事を取るということが仲間であることの証なのだ。昔の人間というのは、そんな儀式神聖視せざるを得ないほどには、人間組織の生き死にが間近にある生活をしていた。

ある日の午前、窓ガラスに雨粒が叩きつける中、面談室に入ってきたE太さんはソファの前で立ち止まった。「座ってください」と私が言うと、彼はゆっくり腰かけた。

初めに言ってしまうと、私はE太さんがそこまで悪い人間ではないとわかっていた(後述)。それで、リラックスしながら、今日は何を話すんだっけ? とバインダーに挟んだ聞取票を手に取った私は、簡単挨拶の後、E太さんとのやり取りを始めた。

朝ご飯は食べた?」

はい。食べました」

「どんなものを?」

コンビニおにぎりカップ麺を」

「どんなカップ麺が好き?」

特に好みはないです」

「そうか。私も毎日そんな感じだ。おにぎりカップ麺は合うよね」

「そうですね」

「E太さんは、バイクだっけ?」

「私は……バイクではありません」

バイクじゃないの?」

自転車です」

「E太さんって自転車だったの!? 人間じゃなくて?」

「そういう意味じゃありません」

※重ねて言うが、これまで私が記してきた会話の記録には不自然さが否めない。方言言葉の癖など、個人情報に関わる内容を編集していることによる。

指導目的とした人事面談というと厳しいイメージが漂うだろうが、相手が筋金入りの問題職員でなければ概ねこんなスタートを切ることが多い。信頼関係を築くためだ。

雑談が続いた後、いよいよ問題の核心のフチに触れる問いかけをしてみる。

「それで、福祉課長から聞いた件なんだけど。今回の面談きっかけ」

「……はい

「周りの職員のこと、どう思ってる? この人は好きとか、嫌な人とかいる?」

特にいません」

「E太さんの態度や行動が、同じ課の職員を傷つけることがあるみたいだ。私も調べてみたけど、そう思ってる人も確かにいる。どうしてこの結果になってしまうのか、考えていることを教えてほしい」

普通にやっていると、こうなります

普通に、とは」

「正しいと思うことを言ったりやったりして、でもほかの職員からするとそうでないみたいです。嫌われるのはわかっても、でも自分がやるべきだと思うのでやっています

思ったより早く本音を出してくれている。チャンスだ。私は、聞取票が挟んであるバインダーを机の端に裏返しに置いた。ここからのやり取りはうろ覚えだ。

「E太さん。せっかくの機会だから腹を割って話そう公文書には残さないから、もうこのバインダーはいらない。一対一でE太さんと話したいと思ってる。ところで、私のことは知ってるよね。ここのプロパー職員じゃないって」

「知っています。2年前にK新聞(※地元情報誌)で読みました。〇〇社の出身で、人事領域プロだと書いてありました」

「知ってるんだね。ありがとう。でも、プロと言えるほど経験は積んでない。社会人20年以上やっているけど、人事は6年くらいしか経験がない。ほとんど営業だった。大人の事情というやつで、プロにはほど遠くてもプロなんだと――そうアピールしないといけないことがあるんだ(ここで両者の笑い声があった)。で、話を戻すけど、E太さんはどうして今の状態を保ってるのかな。変えてみたいとは思わない?」

キツイと感じることはありますが、これでいいと思っています

「どういう理由で、キツくてもいいと思ってる?」

自分のやりたいことがあります社会人として、こういう生き方がいいって。それで、その目的から逆算して考えると、今は人間関係よりも実力がほしいんです」

申し訳ないがここまでだ。これ以上は、私の記憶からE太さんの口述を曝け出すことはしない。

簡潔に言うと、彼は仕事が一番ではないタイプだった。E太さんの人生優先順位の中で、仕事は3番目ということだった。だから民間から公務員転職しようと思ったし、だから、どれだけみんなに嫌われようがどこ吹く風でやってこれたのだ。

肝心なことを述べていなかった。E太さんの仕事ぶりだ。毎年、人事課に提出される査定表で、彼は3年連続で5段階中の2を取っていた。もちろん低い数字だ。実務能力は平均3.5だったが、礼儀マナー人格職務遂行姿勢などで大幅に減点を受けていた。

私が再調査したところだと、彼の査定は控えめに見ても3はあったように思える。福祉課で彼と同じくらい「人柄が悪い」と評価を受けている人間も、その多くが3を取っていた。それに彼は、年は若い福祉課の裏方として3年以上も職場を支えてきた実績がある。

ちなみに調査方法だが、①人事権限で福祉課の共有フォルダに入ってE太さんの成果物確認する、②E太さんの同僚を面談室に呼んで印象に残った行為や実績を聞き出す、③過去のE太さん関係始末書を読み解く――という3通りの方法で行った。確認できた事実は以下のとおりだ。

オフィスソフトの腕前は一流であるパワポExcelAccessも使いこなせる。文も読みやすい。

プレゼンテーション能力が高い。普段は物静かだが、かつて大都市商工会議所で行われた各市町合同での新人職員研修会の折、K市の未来について数分間のスピーチを行い、拍手喝采をもらったとのこと。

事業計画立案。E太さんは広告会社出身だった。その経験を活かし、福祉課の裏方としてケースワーカーなど福祉職を支えるための各種設備インフラを整えるための計画書を作り、それがそのまま課の予算要求に使われていた → ということは、彼の上司はその仕事振りだけは認めていたということだ。

福祉課の職員からの苦情はあるが、市民取引業者とのトラブルの記録はない。

・年下の職員には人気があるらしい。例えば、彼が選挙スタッフとして従事した際、開票作業の前に事務吏員の腕章をみんな装着するらしいのだが、「安全ピンが刺さりそうなので、私の腕に腕章をつけてください」という体で、何人かの女子職員がE太さんの前に並んでいたという。尾ひれが付いているとは思うが、そういうこともあったのだろう。

私が退職するまでの数年間で、E太さんと呑みに行くことが何度かあった。まさしく意気投合であり、今回ここまで赤裸々に彼のことを書いてきたのも、彼なら笑って許してくれるだろうという甘えから来ている。

私は、彼が悪い奴ではないとわかっていた。上の面談の1年前のことだ。かなり広めの川べりで行われたK市の音楽イベントに、私と彼もスタッフとして動員されていた。ステージ発表が始まると、スタッフはみな暇そうに周辺警備をしていた。

さて。一級河川にかかる橋の袂だった。カートを押している高齢のおばあさんがE太さんに声を掛けた。私は、高いところから偶然それを眺めていた。

E太さんは、話しかけてきた老婆としばらくにこやかに話をしていた。その老婆は、さっきはE太さんの上司や、ほかの若手職員にも声をかけていた。誰もが皆、迷惑そうに会話を切り上げてどこかに去ったというのに、彼だけは、その老婆の話し相手をしていた――貴重な体験だった。こういうところに人格が滲み出るのだ。

とはいえ、このままではE太さんの株は落ち続ける一方だ。それに、職員を傷つけるような冷たい態度もよくない。社会人には、絶えず相手不快にさせないよう振る舞う義務がある。会話をしたくなくても、そうした態度をおくびにも出さず、明るく振る舞わねばならないことだってある。わかっているのといないのとでは、社会生活に大きな差が出てしまう。

E太さんに何度も伝えた。「こんなのはもったいないもっと仕事に打ち込んで、本気をアピールして、みんなの信頼を集めてみたら?」と伝えてみたが、なしのつぶてだった。こちらとしても、今の状態でE太さんを問題職員リストから外すことはできない。どこかの部署で重大な人間関係トラブルを起こす可能性があるからだ。私はE太さんのことが好きだけれども、それとこれとは別問題だ。

結局、私が辞める時まで、E太さんを理解する人は少なかった。孤高で、人とは交わらない。でも仕事ができて、市民業者からの受けがいい。いろいろと惜しい職員だった。今でも彼を思い出すことがある。今度K市に遊びに行った時は、また彼を呑みに誘うつもりだ。

この章の最後に。なぜ、私は彼を好きになったのか。

渇き』を感じたからだ。E太さんは人生に飢えている。自分がやりたいこと、どんな人間になりたいのかはっきりしているのに、叶えられずにいる。叶えられる保障もない。

でも、足掻き続けている。まるで昔の私自身を思い出すようであり、懐かしい感じが脳内からビンビンと込み上げてくる――ビールは、渇いているからおいしいのだ。いつかE太さんが大成して、そんな美味を楽しめる未来があることを祈っている。

https://anond.hatelabo.jp/20211231220522

2021-11-19

anond:20211119190739

白玉あずき抹茶パフェは美味しいから思わず食べちゃうのは仕方ないよね😢

甲斐性のある夫なら笑って許してまた買ってきてくれるのが当然😤

2021-11-04

anond:20211104133515

物見たことあるけど、デカすぎたのが問題だった。小さければクスッと笑って許してくれただろう。

2021-08-13

河村市長の件で、前の職場上司のことを思い出していらいらとむかむかが納まらない。

ハラスメントハラスメント言うの好きじゃないけど、あれはパワハラだった。怒鳴ったり仕事押し付けたりではなくて、まさに河村市長がしたようなことを「親愛の情の表現」として日々だらだらとされた。大きくわけると、 

文具などで私が自分で買ったものを「ちょっと借りるね」と勝手に使う。机に置いた携帯も手に取って画面を見ようとする。一番気持ち悪かったのは、マグカップを持っていかれそうになって止めてください!って言ったら、「カップ忘れちゃったんだよ~俺今日コーヒー飲めないよ~〇〇さんは冷たいなあ」。

 

スカートはいていると「おっ今日合コンか!」。お土産をもって行くと「彼氏と行ったの?泊り?」。元カレや好みのタイプの話も聞きたがる。当たり障りなく答えていたけれどどんどん面倒になってきて、そういうことは話したくありませんと言ったら、その後仕事相談するたびに「〇〇さんは俺の質問に答えてくれないからなあ、どうしようかなあ」。

 

って感じ。上司はその後に「冗談冗談」って言って、全部終わった許された、と思っていた。最初新社会人だったのもあって、おじさんってこんなもんなのかなと思っていたけれど、その後上司と同年代の人たちに会う機会が増え、おじさんだからじゃなくてあの上司おかしい、と確信した。

 

こういうかたちのパワハラって、「そのくらい」って言われがちだけど、結構仕事パフォーマンスに影響する。私が日々いらいらして過ごさなければならないし、単純に上司への対策リソース割かれるのももったいない。文具や私物やバッグとかもデスクの奥に隠したり、上司オフィスふたりになりそうなときに逃げるために他部署への書類溜めておいたり、されたくないことをされないために、されている方が色々対策時間を割いてるの。無駄です。ちょっと前に、いまの会社パワハラ防止法の研修をしてもらったんだけど、「個の侵害」の例示にめちゃくちゃ当てはまっていて、やっと名前を与えられたんだね、みたいな気持ちになった。

 

河村市長の件は、金メダルのすばらしさと絵面の汚さで、金メダル噛んだことがクローズアップされているけれど、個人的にはこういう経験があるから恋愛禁止か?などの発言の方も同じくらい吐き気がする。金メダリストが来てくれて、試合のことやそのスポーツのことを聞けない頭の悪さにも絶望するけど。

 

ちなみに数年経って、我慢限界が来て、上司の上や人事にされたことと異動の相談したけど、「まあ上司さんもそろそろ定年だから、ね」みたいな感じでなんの対策もしてもらえなかった。上司の定年まで付き合わされるのかという絶望と、そのころ入ってきた男性新入社員普通に仕事しているのを見て「あー」ってなって、転職活動して辞めた。なんか変な話だけど、上司その男新入社員にも馴れ馴れしくしていたら、前の会社続けていたかもしれない。「私だけかー」ってのに妙にがっくりきた。

 

辞めるころには結構パワハラとかの意識社会的にも高まってきていたから、人事がだめなら、社労士弁護士?とかに思い切って相談してみたらって先輩が心配してくれたりもしたんだけど、今回の件で北村弁護士が「笑って許して」って言ったっていうのを見て相談しなくてよかったと思った。助けてって言った先の外部の人にこんな答えされたらマジで心折れるわ。

 

その後、転職先決まって、他にやりたいことが見つかりましたみたいな綺麗な感じで辞めたんだけど、お前が私にすることがもう嫌すぎるから辞めんだよばーーーかって言って辞めればよかったな。そしたらこうしてぶり返していらいらすることないのかなと思ったりする。

2021-07-16

初恋が終わった話

好きだと気づいたのはクラス替えの後だった。

小学5年生でクラス替えをした時、アヤトくんとクラスが離れ離れになってひどく落ち込んだ。

そこでわたしはアヤトくんのことが好きだったんだと自覚した。

特にかかわりのないまま夏を迎え、校外学習に行く準備が始まった。もう10年以上も前のことなので記憶曖昧だが、なぜかご飯時間に私の班だけがアヤトくんのクラスと合同でグループを組むことになって、たまたまアヤトくんと同じグループになれた。

一緒にカレーを作ってる写真卒アルに載っているので卒業後もたまに見返したりしてた。

放課後に通っていた書道教室が一緒だったので、たまに書道教室で会うことが密かな楽しみだった。

5年生の時はそれくらいしか思い出はなく、ひっそりと思いを抱えたまま6年生になった。

6年生になると、またアヤトくんと同じクラスになれた。毎日楽しくて、勉強なんか身に入らずアヤトくんだけをみていたし、2日間会えなくなるから金曜日が大嫌いだった。

告白も何も出来ないまま時間けが過ぎていった。

そもそも、付き合うことの意味も分かっていなかったわたしは、気持ちをどこに向ければいいのかもよく分かっていなかった。

それでもアヤトくんの優しさに触れる度に好きでどうしようもなくなっていた。

私は漢字ドリル計算ドリルを進めるのが好きだったのでみんなより早く1周して、勝手に2周目を進めていた。そんな時、アヤトくんも同じく2周目に進んでいることが分かって、なんとなく、どっちが先に2周目終わるか勝負ね!なんて言って幼いながらも接点を増やしていった。

ほとんど同じくらいのペースで2周目がおわって、私たちドリル3周目を迎えた。もはやドリルへの執着ではなくアヤトくんへの執着だった。

3周目がおわるころに、担任が私とアヤトくんの異常なスピードに気づいて、クラスメイトの前で褒めてくれた。どっちが先に3週目終わるかな?と先生が言ってくれて、先に終わったら金ピカのシールをくれると言った。金ピカのシールなんて別に興味がなかったけど私とアヤトくんだけの特別勝負が公になって嬉し恥ずかしの気分だった。

もうすぐ3周目がおわるころ、アヤトくんはなぜかスピードを落としてしまった。そして私は先に3周目を終えて金ピカのシールをもらった。

何も言ってなかったけどアヤトくんはわざと負けてくれたんだと思う。その優しさでまた心がぎゅっとなった。

アヤトくんはこんなに優しいから、結構人気な男の子だった。クラスメイトの中には他にもアヤトくんのことを好きな子がいた。

の子は、3年生の時に理科でアヤトくんが作ったモーターカーを間違えて踏んで壊してしまったらしい。小学生にとって、自分作品を壊されたら阿鼻叫喚してもおかしくないが、彼は笑って許してくれたらしい。それで好きになってしまったと話を聞いた時、私もまた好きが大きくなってしまった。

そうこうして卒業の時期を迎えた。中学も同じなので特別寂しさはなかったが、アヤトくんと1番近くで話せたのはこの時期が最後だった。

3月11日卒業式が間近に迫った寒い日だった。

帰る準備をしてる頃、視界が揺れた。

人生で初めて経験した大地震だった。

花瓶も、窓ガラスもわれ、ガタガタと物音が落ちる音とみんなの叫び声が響いてこわくてこわくて仕方なかった。

揺れが落ち着いてグラウンド避難する時、怖くて立ち上がれなかった私に、アヤトくんは手を差し伸べてくれて一緒に歩いてくれた。

この日がアヤトくんの一番近くに居れた日だった。

卒業して、中学生になった。

サッカー少年だったアヤトくんはなぜか帰宅部になっていた。帰宅部の怖そうな友達とつるむようになったアヤトくんをみてなぜか寂しくなった。

ほんとはアヤトくんめちゃくちゃサッカー上手いのに、なんでってずっと思ってたけど聞く勇気はなかった。

クラスも遠くて接点もなかった。しばらくして放課後にアヤトくんのクラスに用があって行ったら、アヤトくんは髪を伸ばしてチャラくなっていた。そしてリュックにはピンクのよく分からないキャラクターキーホルダーを着けていた。その隣に全く同じキーホルダーを着けている女の子がいて心臓がばくばくした。

一瞬で彼女だと悟った。

中学から一緒になった、出会ってそんなに時間もたってない子にいとも簡単に取られてしまうことを初めて学んだ。思いの長さは強さじゃないんだと知ってどん底に落ちた。

この彼女は私とアヤトくんがドリル競争を繰り広げてたことなんてなんも知らないのに、もう彼女になれてるんだ、ってよく分からない嫉妬をした。

結局アヤトくんへの気持ちを諦められないまま中2になった。アヤトくんは彼女と別れたらしい。

それでも自分から告白する勇気はなかった。

ずっと好きだと思いながら何も言えず、冬になった。

バレンタインを渡そうとして渡せなくてゴミ箱に捨てたのも確か中2の冬だった気がする。

同じ頃、修学旅行で隣の部屋で恋バナしてるからおいでと言われてるんるんで向かうと、ギャル女の子がベッドの上で楽しそうに話をしていた。

「それでー、ちゅープリ撮ったの!」

そう言ってギャルは顔を赤くしていた。

キスなんてしたことない私は、ギャル大人に見えて仕方なかった。その後まもなくしてちゅープリを見せてもらうとアヤトくんが映っていた。

その後の記憶はほぼない。帰りのバスは心が虚無だった。もうあの頃のアヤトくんはいないんだとわかって、それなのに自分はあの頃で止まっているのが悲しかった。

中3になると塾が忙しくなって、次第にアヤトくんのことを考える時間はほぼ無くなっていった。

アヤトくんの志望校すらも知らなかった。

でも、6年生の時にあれだけドリル一生懸命やってたんだから勉強は嫌いじゃないだろうしそれなりの高校に行くんだろうなあと思っていた。

卒業間近に、アヤトくんが市内のバカ高に進むと知って、ああそうか、と思った。

もう何もかも変わってしまったんだと思った。

高校に入って、私は別の人を好きになった。

アヤトくんのことはもう頭の片隅にもなかった。

時は経って、

18歳になるころ、アヤトくんはデキ婚した。

大学には行かず、就職して養っていくらしい。

もうずっと別の世界人間になっていた。

アヤトくんがパパか。そう思ったものの羨ましいの感情特になかった。

私は都内大学に通い、それなりに自分生活を楽しんでいた。成人式でアヤトくんに再会すると「俺の事覚えてないよね〜?」と声をかけられた。いや、覚えてるよ!と話して、今私は大学に行ってるよ、と話したら別の世界にいる人を見るような目で「すげ〜な!しっかりしてるんだな」と言われた。

それからまた時が経った。

アヤトくんは離婚したらしい。

ふーんくらいにしか思っていなかったが、意外なところでまた再開する。

出会いがなくマッチングアプリインストールして適当スワイプしていると、アヤトくんがいた。

同い年なはずなのにすっかりおじさんになったアヤトくんの姿があった。

子供もいるし結婚歴もあるのに、結婚歴も子供がいることも隠したプロフィールになっていて心底引いた。

わたしはこんなおじさんが好きだったんだと思うとどうしようも無い気持ちにおいやられた。

2021-07-15

話す時に顔が近い女の人

うんうんと頷くついでに自然にほっぺにチュッ❤️てしたくなる。

ちょっとびっくりするかもしれないけど、笑って許してくれないかな?

しかしたら嬉しそうにはにかんじゃうかも?

2021-06-01

相互にいるリア友しんどい

自分Twitterにいる厄介の上に腐女子っていうカスみたいな存在なんだが、学生時代相互になったリア友(以下リア友)がしんどくて仕方ない。いやそいつが嫌いなんじゃないのよ、あくまで私のTwitterスタイルに合わないだけなんだけど。なんでだろうね、元はリア友いるかTwitter始めたはずなのに

※以下に出てくる作品は全て関係ないです。私が例えに使えると思った作品で実際とは異なります


まずリア友がいるってだけで発言にかなり気を使う。新キャラに「むほほwwえっちだねえww」とか軽率に言えないし、別の相互ソシャゲに対する愚痴が言えない。なぜなら後でリアル言及されるから。「鬼滅ってぶっちゃけツッコミどころ多くない?私全然ハマれない」みたいなこと別の相互と喋ったら後にリア友に「ハマれないのはよく知らないからだよ!今度全巻貸すから読んでみて!」と言われる。は??私が本誌派と分かって言ってるのか???みたいなことがザラにある。今までで一番しんどかったのがソシャゲ推し所属するグループが2年近く干された時に「運営マジで大丈夫か?別グループ3連勤だぞ??」みたいなことツイで愚痴ってたら「運営だって頑張ってるんだからしょうがないよ、溜めの期間だと思ってさ」みたいなことリアルで言われてあとでちょっと泣いた

あとリア友オタクとしての系統が合わない。それをTLに垂れ流しにされるとキッツい。ちなみにリア友は顔カプ総受け厨の夢女子であるリア友じゃなければカツオブシムシしかいないような脳みそカスカスの読解力のカケラも持たない国語偏差値2の畜生としてブロックしてたと思う。つまり地雷だ。普段なら「あーはいはいいつものやつね、物好きだなあ」で流せても調子悪いとマジで腹立つから困る。なんだよまぐろ総受けって。まぐろラグナスのどこに関わりがあるんだよ。どこをどうしたらまぐろハルマン相思相愛になるんだよ。本当に私と同じゲームの話してる?おいおいその状態で夢主と抱き合うのかよ正気か?みたいな。


でも別にリア友が嫌いなわけじゃない。学生時代に浮いてた私に一番良くしてくれたのはリア友だし、いつも失言をしても笑って許してくれるのは本当に助かる。本当は私が嫌いなのかもしれないけどそれを表に出さずに付き合ってくれる。今こんなんだからろくに会えないけどLINEも返してくれるしこの前オンライン飲み会した。あと本当に性格がいい。なんでも前向きに捉えてずっと努力し続けることができるのは才能だと思うし、辛くてもそれをユーモアを交えて人に伝えられるから愚痴を聞いてても嫌な気分にならない。本人はもっとストレートに言いたいだろうに、そういうところは尊敬しかない。だから私のこんな厄介クソツイートを見せたくない。本人は「Twitterなんてチラ裏みたいなもんだからフォロワーかに気にする必要なんてないんだよ」とか言うけど、本人の地雷とか考えるとそんなことはないはずだ。なんて人間の出来た友を持ったんだろう。私はそんなリア友には好きなものだけ見ていて欲しい。それでリア友が楽しんでいられたらそれでいいのに、私はリア友に甘えてサブ垢を作れない。申し訳ない。

リア友最近彼氏ができたらしく、たまに彼の話をするようになった。まだ私の方が付き合いが長いが、これから彼の方がリア友の大切な人になっていくのだろう。その彼とどうなるかは分からないが、リア友結婚式には呼んでほしい。多分すごく泣く。最後に、この文章リア友が読んでないことを祈りたい。

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