はてなキーワード: 長電話とは
あまりTwitterはやらない兄(モテ兄の方)とこの前長電話した
昔からなんでも話し合える兄なんだけどColabo騒動について聞いたら答えがシンプルだった
「男が大勢で女の子取り囲んで良い正当な理由なんて一つもない、暴力そのものだから」と
モー○全盛期20代だった兄は私にこう言った
「小さな子にエロい服着せてくねくね踊らせ、それに大人の男が群がる、テレビがそれをよしとする、社会全体がロリペド生み出すことを推奨してるんだよ俺は今後もっと変態が増えていくと思う、テレビがそれを仕向けてる」って、めちゃ当たってた
さすが三女の父
「じゃあ自ら女をアピールしてるかのような少女についてはどう思う?」とパパ活をしている女子について私は兄に聞いてみた
兄は
「そういう女の子は確かに女として見られたくて大人にアピールするよ、でも何故そうなったか考えたら背後にダメな大人がいて
女をアピールした少女達が実際女として扱われた時に待ってる地獄なんて教えちゃくれない、まだ怖さを知らないから操り放題なんだよ。
お前はまだ若いから同じ女がガキのくせに色気振りまいて被害に遭ったら自業自得と思うかもしれない、思いたいかもしれない、
でもお前のこと何度俺が助けたと思ってるんだ?親父もそうだよ、あいつでさえそう(ネトウヨ&ガチオタ長兄のこと)、家族全員で危なっかしいお前を守ってたと思うよ
今生きて俺の前にいるのは結構奇跡かもな、でもそうじゃない子は大人の口車に乗ってボロボロになるんだよきっと」
兄のこの言葉は私にかなり影響与えた
私は自分のことを感情がでかいと思ってる。好きになった相手のことをとても大切にしたくなり、自分の中の特別と定めてしまう。そうしたらいつも、相手から向けられる感情よりも自分が向ける感情の方が絶対に大きいという感覚を得る。
私は人付き合いがいい方じゃない。LINEで長々とやり取りしたい相手は限られているし気が合わない人やノリの合わない集団には無理に近づかないで自分のために自分の時間を作ることを大切にしている。一人旅が好きだし一人暮らしもとても充実している。
だから、友人は私のことを誘いづらいのかもしれない。私の知らないところで友人たちは遊びに行って、LINEして、電話している。それが必要な人間関係ならいらない。長電話もLINEも好きじゃないから。
でも、10数人いる大学の友人の中で、2人だけ、特別に思っている人がいる。男性と女性。優しくて、正しくて、呼吸があう。
男性の方は私と同じくソロ志向の引きこもり。時々LINEをして、一日くらい開けて帰ってきて、たまに大学で会って、お互いに好きなアニメの話をして、時々2人で出かける。それだけ。それで充分。
女性の方は、もっと特別。関わった人間誰にでも親切にしないといけないと思っていて、感情が大きくて、顔が広くて、苦労人で抱えがち。ある友人と揉めた時に私と夜通しその話をしたのがきっかけで、私と彼女とで沢山時間を過ごすようになった。周りの人達に思うことも、家族の問題も、打ち明けてくれた。あなたがいなかったら大学に来なくなっていたとも言っていた。私を特別に愛してくれていると思っていた。
最近彼女とそこまで深く関われていない。彼女は私と親しくなった頃、彼女自身の人の良さのせいで人間関係で苦しみ、特定の友人を避けていた。だけど最近、大丈夫になったらしい。その子を含む学部の友人たちと活発に遊んでいる。映画を見に行ったり、イベントに行ったり。私には声をかけない。あなたとは2人で遊びに行くと言って。
彼女は優しいから、ひとりが好きだと度々口にするわたしに気を使って誘わないのだと思う。だけど違うんだ。他に誰かがいるとかどうでもいい私は彼女がいるとこだったらどこでも楽しい。2人きりじゃなくてもいい。毎日会いたい。話がしたい。話を聞きたい。でももう、彼女は大学が楽しいから、私が居なくても大丈夫なのかもしれない。
私は感情が大きい。彼女はきっと私が彼女を好きな程には私のことが好きじゃない。
恋愛感情なのかわからない。そもそも私には友情と恋愛の境目が分からないから。
こういう話をすると、あなたは多分私のことをメンヘラだと言う。知ってる。みんなそう言う。あなたはガチなんだよねって笑う。私もそう思う。人はこんなにめんどくさい考えのプロセスを踏まないでも何となく他人と付き合えて距離を取れるらしい。最初からフラットな感情しか抱かない人は、前から私への好感度が変わっていないのに「もう私の事好きじゃない?」と言われたら驚くのだろう。そんな重たいものを見せつけられるのが気持ち悪いだろうと分かるから、好きな相手にほど本心を隠してひとりが平気なフリをしてしまう。そして相手は私がそれを好んでると思って、私を放っておく。
でも、ちょっとだけ失礼だと思う。
私はいつも自分の心の中を覗けるように努力している。自分と向き合って内省を言語化して感情ややりたいことをしっかり見つめている。そうして生き方を選んでいる。真面目に考えて、膨大に溢れそうな言葉からいくつか選んで外に出したら、それを指さしてメンヘラだと笑われる。あなたはそれほどに自分と向き合ったことがあるの?と聞きたい。
私は私のことをよく知っている。自己理解が1周するくらいよく知っている。私はめんどくさくて、感情が大きくて、それを無邪気にぶつけて発散できるほど鈍感じゃなくて、他人に全てを理解して欲しくて、それが出来ないなら全て見られたくないと隠してしまう。極端で、生きづらい。
誰かひたすら私の話を聞いて欲しい。
こんな気持ちで眠れないのはもう嫌だ。
最近調子が悪く、「自分に向き合う」ということをせざるを得なくなった。私はずっと自分を直視することから逃げてきた。
幼い頃に両親が離婚し、私は母親と母方の祖母に育てられた。母は父親から慰謝料を受け取ることを拒否し、公務員として働きながら私を大学に進学させてくれた。家は過疎地帯の小さな町にあり、まともな進学が叶う高校へは片道1時間かけて通う必要があった。祖母は60歳で余命半年を宣告されるレベルの胃がんを患った。寛解はしたが、体力的には勿論大きなダメージがあっただろう。しかし祖母は毎日5時に起き、私を起こして朝食を食べさせてくれた。
私は物質的には何不自由なく育てられた。勉強ができることを常に歓迎されたのも、私が女であることや時代や地域性を考えればとんでもない僥倖だ。母も祖母も(田舎の人間としてはかなり)知的好奇心や教養を重んじる気持ちが大きく、そういう家で育てられたことも幸運だった。ただ、嫌なことも山ほどある家だった。
祖母は80歳を過ぎるまで苛烈な自意識を悪気なく振りまき続けた。とにかく華やかなものや高級感のあるものに目がなく、目立つことが好きで驚くほどの見栄っ張り。そして私からすると異常に闘争心が強かった。祖母にとって他人は「常に勝つべきであり決して負けてはならないもの」「自分を当然に認めて賛美するもの」「自分のお眼鏡にかなうのはほんの一握りしかいないもの」と認識されていた。そして厄介なことにこのような性質を全く客観視できず、自分の考え方に沿わない人間は「馬鹿」もしくは「おかしい」とジャッジした。孫の私でさえもだ。
物心ついた瞬間から私は常に周囲の子たちと比較され、劣っている点を突きつけられた。ゆきこちゃんのように可愛らしくない。さきちゃんみたいに上手な字を書けない。ようこちゃんと違って美人じゃない。ともかちゃんのように性格が良くない。めぐちゃんみたいに明るく如才なく人と接することができない。みゆきちゃんみたいな勝ち気さがない。かなちゃんみたいに女の子らしくない。話はいつも「おばあちゃんは、ああいう子がよかった」と締め括られた。祖母の考えでは、私が奮起して「よし、頑張ってあの子を超えてやる!」とがむしゃらな努力をするはずだったのだと思う。でも私は祖母じゃない。他人と争うのが何より嫌いな、内向的な人間だ。生まれたのは燃えるような向上心などではなく、凍えるような自己否定感と身を焦がすような憎しみだった。憎しみは祖母に向かい、名前を挙げられた女の子たちに向かい、祖母を止めない母親に向かい、自分にも向かった。
私はいつも祖母の虚栄心を満たす在り様を求められた。勉強ができるという点は合格、他は総じて不合格。容姿も趣味も人間性も。私が太っていて内気で運動が苦手で片付けができなくて愛想が良くなくて放っておくと黙っている子供であることが「恥ずかしい」と祖母はいつも言っていた。大学時代に一時的な過食傾向に陥ったことがある。7キロくらい太って帰省した私に、恥ずかしいから日が高いうちは近所を歩くなと祖母は言った。心配はされず、「どうしたの」「何かあったの」と訊ねられすらしなかった。私は常に祖母の虚栄心を損なう悪者だった。
肝心の学業成績も褒められたことは皆無だった。1位じゃない、満点じゃない、進学先がトップ校じゃない。それを論拠に「私の血縁者だけあって頭が悪くはないが、取り立てて優秀でもない子供」と判断された。何かができるようになると、次の瞬間には「それじゃあ次は」と言われ続けた。ゴールがない。苦しかった。
私の母は、その祖母の娘である。私が1歳に満たない頃に私の父親と別居を始め、実家に出戻った。
土地が二束三文で買える田舎町にある実家は敷地が広く、母屋と離れがあった。離れは母屋より小さいが、リビングとベッドルームと和室がひとつ、風呂も台所もあった。母はそこに住んだ。私を母屋に残して。役所勤めから帰ってきて、母は毎晩ひとりでレコードを聴いたり古い映画を観たり純文学を読み耽ったり、妻のいる男の人と長電話をしたりして過ごした。平日に私が母と会話できるのは、彼女が許した1、2時間だけだった。それが限界だったのだろう。
母が娘に求めたのは豊かな感受性、繊細さ、抑制が効いていながら豊かな感情表現、心の優しさと清らかさ、従順さ。母の心情に関心を寄せ、いつも注意深く観察し斟酌し、そこに寄り添い肯定すること。母はそれを「素直」というタームで表現した。私は小さい頃から「素直じゃない」と詰られた。自分を偽ってもいないのに素直じゃないと言われるのは心底不可解だった。4歳か5歳の誕生日、私は母からメッセージカードを貰った。「○○ちゃん、たんじょうびおめでとう。○さいのテーマは、すなおになることです」。そう書かれていた。そこから先は「素直とはどういうことか」が説かれていたが内容は忘れた。心臓が止まるかと思うほど嬉しくなかった。
母は癇癪持ちで、定期的に不機嫌の発作を起こした。自分の不手際が契機となり、怒鳴られ人格を否定され「縁を切る」「家から出ていけ」と言われ、数日間まともに話してくれない。そういうことが日常的にあった。ヒステリーを起こすきっかけなど何でもよかったんだと気づいたのは実家を離れて何年も経った後だった。天災のように気まぐれに降りかかる不機嫌の発作を、子供だった私は心を殺して耐えることしかできなかった。
小学校5年からは学校でいじめの標的になった。担任の女性教師から私はすこぶる嫌われていて、ほとんど彼女の主導のもとに王道のいじめを受け続けた。中学は町に一つしかなく、選択の余地がなかった。その女性教師の夫が進路指導主任を務める公立中学に進学した。いじめの続きは入学初日から始まった。合計で5年間、私は一日も欠かさず死にたい死にたいと思いながら生きた。
家族に言っても碌なことにならないと子供心に判断していたが、耐えきれずに吐露したことが2回だけある。最初は祖母に。「そんなのやり返せばいいだろう」と私の弱さを叱責されて終わり。予想どおりだった。絶望はしたがショックではなかった。母に話したのはしばらく後。おそらく苦しくて仕方なかったのだろう、母がいる離れの呼び鈴を夜中に鳴らした。泣きながら「もう何年も学校でいじめられている」と話した記憶がある。母は私を離れの中に入れなかった。玄関先で立ち話をした。片親であることを攻撃されていると話した。「それが何だ」と母は言った。わたしなんか学生運動がいちばん盛んな頃に短大に進学して、父親が警官だって言ったら「お前、『犬』の娘か」って嗤われたんだから。どんなに嫌だったかお前に解るか。腕組みしてまくしたてる母を冷えきった気持ちで見ていた。
それから長い年月が過ぎた。
祖母は80過ぎで二度目の癌を患った。退院した頃から加速度的に穏やかになり、最終的には少し気弱で優しく品のいい老婆として94年の人生を終えた。亡くなる数ヶ月前に実家で倒れて寝たきりになり、帰省した私が「おばあちゃん、私のことわかる?」と問いかけると「わかるに決まってるだろう、たった一人の孫だもの」と必死に笑みを浮かべて私に答えた。帰り際には「そんなに肌が綺麗だったっけ」と言われた。私の見た目を褒めるなんて、おばあちゃん目が悪くなったんじゃないの?と笑って憎まれ口を叩き、来月も来るからねと告げて東京に帰った。それが最後の会話だった。
母は合わない職務で鬱病を患い、50歳を前に役所を辞めた。その数年後には妻子持ちの男とも別れた。相変わらず自意識過剰で感情的で面倒な人だ。でも面白い。知的好奇心を保っているのも心強いし、化粧っ気は全くなくなってしまったが今でも綺麗だ。私は母の顔と字が無類に好きだし、無類に好きなところは他にもたくさんある。今はそう思う。
この度よくよく自分の内心を見てみたら、あまりに汚く混乱していて自分でも驚いた。段階的に補強してきた自己肯定感は思っていたよりもまだまだ脆い。自分を憐れみ庇う気持ちはあるが、これを自分への愛と呼べるだろうか。するべき(と思われる)ことは容易に把握できるのに「したい」ことは分からず、なのに無欲ではない。綺麗になりたい。痩せたい。頭が良くなりたい。お金がほしい。休みがほしい。美味しいものを食べたい。俗な欲求は人並み以上だ。それを捨てることも開き直ることもできない。
脳内には14歳の私が世界の万物に向かって「私に謝れ」と怒鳴る声が反響している。それを恥じて隠蔽しようとしている成人の私がいる。隠蔽しようとする私を「卑小でつまらない人間だ」と蔑視する私もいる。世界観のベースに「私は素敵な誰かの下位互換であり欠陥品だ」という根深い諦念がある。刷り込まれた規範は私の血肉となっていて、私はそれを憎悪しながら切除できない。「本当の自分」とは何か、皆目見当がつかない。
ならば、その正体不明の混乱しきった人間を許してやろうかな、と考え始めた。そしてあわよくば愛してやりたいと。
私は凡庸だ。狭量だ。いろいろと不出来だ。根気がなく三日坊主だ。いい歳して自意識過剰だ。かっこわるい。けれど、別にそれでもいい。誰に馬鹿にされても見下されても、私は「なんでよ、別にいいじゃん」とケラケラ笑いながら私自身を全力で抱きしめる。
でも読むと最悪2時間ぐらいかかるし、異世界にトリップしたなで終わるし、それより2時間ネットググれば現実のいろんなことが分かるわけです
ジジイになると漫画も裏読みして疲れるから気になったらネタバレ読んで済ませてるわ
人の時間を2時間奪うのは、ぶっちゃけ営業の長電話と同じだし、有用な情報を得られるわけでもありません
退屈凌ぎや共感ができたとしても架空の話だし…まあクスリになるかもね(毒にもなりうるが)という範囲
出版社が役に立たない情報を流して人の時間を奪うのはどうなのかと思うぐらい
要は、どうして人はその漫画を読ませられているのか、よく考えた方が良いでしょう
社会現象だとすればそのうち浮世絵のようにスタイルも変わります
江戸時代に木版技術のみが伝わって栄えたが、当時の江戸庶民は木版で満足だし、幕府は鉱物は欧州に輸出しなければなりませんでした
やっかみですが、そのぶん海外では活字文化が栄え様々な調査報告や言論が出版され発明も増え公害の研究もありました
芸術は経済的に見れば高額取引の対象だが、漫画は外国で売れるのもごく一部です
てか外務省の漫画アニメ支援は日本語の言語活動を殺していませんか
江戸:
~~~明治維新
企業につとめてサラリーもらえてるだけですごくえらい(高杉晋作とか坂本龍馬のように藩主でもない人間が事業おこして社長やっただけで名前が後世にのこってる)。
女性が大学に行くとニュースになる。教員、医者、作家など汗を流さなくてよい職業を「先生」といって尊敬の念を抱く。給料が高いので書生・秘書・家事手伝いさんを雇える。
※ちなみにこの職業に貴賤をつけるやり方が偏差値教育をうみ、今の大学進学メインの学校にまでつづいている。
~~~第二次世界大戦
昭和中期:
団塊世代。オーモーレツ。サザエさん。企業につとめて三種の神器(洗濯機・冷蔵庫・テレビかな)をおいた団地にすむのが若い男女の夢。
家に自動車もあるとなおよい。女性が大学生になる事例が増えたが都市部のみ。
田舎だと高校うかっていかせてもらえただけでも頭いいね(実家も太いんだね)レベル。
頭がいいと、なんとか地方唯一の商業高校にいけて、そこをでてすぐ働く人が多い。
義務教育を終えただけの中卒で働くとか、中学卒業もだいぶお目こぼしされてた(本来なら卒業できてないけど義務教育には留年がないから卒業できました)という人も田舎には多い。
昭和後期:
労働者のサラリーマンが8割。景気がよくてどんどん元が取れるので私立高校や私立大学も増え塾もふえる。
そろそろクーラー・自動車などが標準装備になる。「二十四時間働けますか」
パソコンでいうとPC*801MK2が出た。ハードディスクなにそれ。記録といえばフロッピーディスクだよ?
~~~平成3年リーマンショック…じゃなくて「経済のバブルがはじけた」か
平成前期:
ICチップは産業のコメ。インターネットがそろーりそろりとはじまる。電話線のメタル回線のテレホーダイからですね。
ポケベル、ISDN、PHSなどスマホの前身になる技術がどんどん発達。テレビゲーム(据え置き型家庭用ゲーム機)が盛ん。
パソコンが市販されるけどたいていの人はまだキーボードそのものに慣れてない。ダブルクリックムズカシイ。
ていうかワープロ(word機能と感熱紙プリンタだけが入ってる機械。ファックスのような通信機能はない)が現役だった。工業めちゃさかん
平成後期:
ご存じIT革命。スマホ世代。リーマンショックって平成20年だったのか
令和
今だよ
さて
・過重労働
↑昭和はスマホパソコンがないので仕事に即時対応することが物理的に不可能。
小学校で習ったそろばんや電卓が使えればパソコンのかわりに足し算という単純な仕事を延々とやっていられて感謝もされる。のんびりしたもの。
あとは人脈と移動力がものをいう。つまり電車に乗って駅弁たべて「出張してました、〇〇さんに会ってきました、こういう感じでいってました」といえばかなり働いたことになる。営業職つよつよ。
※ちなみにメタル回線の電話はすべて従量制課金だよ。長電話すると営業でも怒られるんだよ。長い話をするときは紙にまとめてファックスにしておくろうね。←令和になってもこれやってる不動産多い
・残業代が出ない
土曜日は半ドンといって昼までで家に帰る職場もけっこうたくさんあった。
まあ最初はリーマン・先生たち、週休1日だったりもしたけど、どうしようもなくみんな貧しいんだから仕事もそうそうこないだろ的舐めプしてた。
あくせくせずに遊びながら席に居るだけ居て、上のものがきたときにだけへこへこしようぜみたいな集団サボりが許されてた感。
・ハラスメント多め
↑ハラスメントなどという横文字言葉そのものが日本の企業風土にないが、
そのかわりネクタイしめて会社に通ってるエリート、だの、美しいお嬢さん、という型にはまってくれる人間にたいする親密さや敬意はあった。
要らないのにお見合い写真をもってこられたり、寿退社必須だったり、お子さんもっと産めばいいのにとか。今でいうハラスメントだが本人たちは親密のつもりでやってる。
今でいうとさしずめ銀盾ユーチューバーくらいじゃないだろうか。
「一般人の皮をかぶった厄介ファンがつくのも予測できてたはず。
自ら選択してなったのだから、サラリーマンやOLは、人格者でなければならない。」みたいな。
ブラックでもなんでもなく、昭和の人の言うところの「あら~いいところにお勤めですね」だよ。
管理職になったらもう社長もすぐそこですねって取引先からつけとどけのお中元・お歳暮、お世辞がバンバンとどく。
そんななかでちょっと残業したり経営が苦しかった時期の苦労をいえばもはや美談、自慢話なんだよ。プロジェクトXだよ。
農業だの家業の手工業だのをやらされてない当たり前のサラリーマンという時点で勝ち組なんだ。
まあ、あとは令和でもそういう「ブラック以前に自営業ばっか」の田舎については「セケンのハテまで」という漫画でもよんでくれ。今でも都市部以外はそんな感じだから。
それこそ「まだ東京で消耗してるの?」は事実の一面は突いてた。
平成令和はやっぱインターネットでオリンピック級に仕事ができる人が可視化されちゃったからな。
荒木飛呂彦とか、AKBとか、どうみても常人じゃない人が「だれにでも見える」「目標に据えられる」「自分でもできるかもとおもわされる」。
昭和ってのは全員知らぬゆえ仏だったよ。
学生闘争で活動してた人が頭いいから背広きて社員になって労組に入って労働闘争して、
何も知らずに搾取されてる同僚たちを企業経営陣の搾取から守ってくれてた部分もあった。
そういう労組から会社への指摘は「ブラック」だなんてふんわりした色だけの言葉ではなく「労基法違反」だの「経営陣は社員Aに残業代と労災を払え」のような、
きちんとした要求になるから、「ブラック企業」に直接相当する言葉はやはり労組にもなかっただろう。「弊社経営陣は違法」といった、長めの告発タイトルならあったかもしれない。
元弊社を「ブラック企業」って命名してことたりちゃうのって、SNSでの、素人にもわかりやすい内部告発や私的労働闘争のほうが労組より効力が強くなったから、それで「ブラック」がようやくなりたったんだろうな
ツイッターがこのまま崩壊したらやっぱり労組が力をとりもどすのかもしれないけどどうだろ。
社員からすると労組か経営かって結局どちらも選べない。どっちも歯車になれる強者おっさんの理論なんだよな。
今は労組から管理職いける不思議な労組ばっかりのこってる。結局企業論理に染まり切ったバカしか企業には残れない。
労基法だの業界基準だの行政だのも、結構いろいろ詳しく仕事のやりかたを(外部のくせに)指図してくるから、
労組があっても経営と手を組んで黙って身内だけで法律をかいくぐることに必死になってるタイプのブラック企業もある(不祥事とかでしょっちゅうバレる。大成建設とか)
社員としては時間や魂を売り渡してる以上、金と地位くらいは見返りとして欲しいわけだからどっちのいうこともわかる。
経営陣はお客様の代弁者だし、労組は「こんなやり方では迷惑だ」と社員やセケンを代弁してる。
でもどっちもそもそも働きたくない個人(今でいう発達障害とか個性のある一人一人の人間、お気持ち)の味方ではないんだよ。
労組弱体とかそういう問題じゃなく、お気持ちを吐き出せるところとして現在最強なのがツイッターだという話。
「黒=悪」というイメージを植えるのはぽりてぃかりーコレクト違反だとしてアメリカなどではもうだいぶ禁止されていると思う。
まあ昭和だと「赤=労組、テロ、共産、悪」というこれも悪口ひっくるめた扱いだったし。
色にイメージをつけてわかったつもり・けなしたつもりになるってのはわかりやすくて訴求はできるけどやっぱり頭は悪いわな。
・1桁ブクマが今さっきみたら2桁も後半になっててびくーりした。俺増田史上5本の指に入りそうだね。
・バブルはじけとリーマンショックまちがえてたり、PCの名前(買ってもらえなかったからどっちでもええんじゃコラ)まちがえてたのでちょこちょこと訂正した。
もうどっちでも新入社員にとっては恐竜と大差ない大昔だからなぁ。
というか「バブルがはじけ、第一次就職氷河期がはじまった」というのを歴史家はいつまでも一言でいえる言葉にしないんだな。
1971が石油ショックで、
2008がリーマンショックなら、
およそ18-20年に一回なんかそういう失業・氷河期祭りがあるんだな。
次は2025あたりにAIショックとかあるんじゃねえの。
・理解するための漫画の追加ありがとう。たしかにそういうのもあったな~とおもった
・フジ三太郎・東海林さだおやコボちゃんなどのサラリーマンもの
(絵柄が大体あの感じのやつ)
※ただ、結局漫画家ってのはサラリーマンを途中でドロップアウトしてるし編集に「こんなのモデル企業に訴えられる」といって差し止められるので正確にはかかない。
島耕作もプロジェクトXも、イメージ向上してるからというだけで訴訟は乗り切れてるけど。
金と社員だけみれば現実はもっとド汚ねえ。だから読める程度には美しく書くんだけどさ。やくざ漫画でいう「ザ・ファブル」みたいなもん。売れるのは毒抜きしたものだけ
一番サラリーマンの本体をしってるのは父親・母親をみていた子供だよなとおもう。(なので一番最初にサザエさんをすすめたし、「セケンのハテまで」もおすすめする)
俺は、ここ二十年タバコの吸いすぎ闘病でずっとおまる使っててママ氏に介護の世話ばかりかけてるうちのパパ氏、
外からみると島耕作に、だいぶ近いことをしていたんだなと改めて感じている。
(部長には一時期なってたんじゃないかな。取締役とかはなってない)
ちなみに俺のなかでは釣りキチ三平の作者(市役所…じゃなくて銀行、のだいぶえらい人だったのが「ドロップアウト」して漫画家に)と手塚治虫(医者を「ドロップアウト」して漫画家に)が出世頭からの転身組漫画家の双璧だとおもいます
・俺史上2本の指に入った
・PC買ってもらえなかったっつってんだろ、ワイルドカードじゃコラ。最初は8801って書いてたんだぞちゃんと。マッきんとっしゅクラシックよりは安いけど、あのくそたかいのに数MBしかハードディスクがなかったおもちゃ買ってもらってたやつは今頃何してんだ、まさかブックマーカーなんかしてないよな。
・しゃぶでもやってるのかっていったやつは大成建設にでもつとめてんのか
・うちのパパがいよいよ危篤。結局あまり企業については話せなかったけど、まぁなんとなく雰囲気はわかるよ。
花々しい企業づとめも、「宮仕え」「エリート」も、社内政治も理系にとっちゃ全部ひかえめにいってクソでありうんこだよな。
腰かけ程度に中小につとめてすぐやめたママはわかってないお嬢様OLだったんだなとおもうことが多々あった。
というか子供からみて高校以降のママのアドバイスは全部見当違いだったんだが、社会人ならとおもったらやっぱりだめだった。
ママには大きな組織に働いてすりつぶされる感覚を愚痴れないなとおもったのは就職して半年もたたないうちだった(見当違いな対処法を提案され余計につかれる)。
仙豆✴︎食い過ぎ注意
@ePukZdn86Z0phyI
フェミニズム勉強垢👓ミサンドリストや反出生主義ではない 夫LOVEな一男一女の母 #仁藤夢乃さんに連帯します ※鍵垢からのフォローはブロック🌜就寝中とお仕事〆切前は集中するため毎回鍵かけます
45 フォロー中
536 フォロワー
仙豆✴︎食い過ぎ注意
@ePukZdn86Z0phyI
あまりTwitterはやらない兄(モテ兄の方)とこの前長電話した
昔からなんでも話し合える兄なんだけどColabo騒動について聞いたら答えがシンプルだった
「男が大勢で女の子取り囲んで良い正当な理由なんて一つもない、暴力そのものだから」と
仙豆✴︎食い過ぎ注意
@ePukZdn86Z0phyI
·
返信先:
@ePukZdn86Z0phyI
さん
い服着せてくねくね踊らせ、それに大人の男が群がる、テレビがそれをよしとする、社会全体がロリペド生み出すことを推奨してるんだよ俺は今後もっと変態が増えていくと思う、テレビがそれを仕向けてる」って、めちゃ当たってた
さすが三女の父
仙豆✴︎食い過ぎ注意
@ePukZdn86Z0phyI
おにゃんこのことも言ってた
「俺より上の世代だけどあれも酷いよな、全員ガキじゃん、なんであんなの歌わせてんだよ」と
でも、兄曰く
さすがに小学生出されたらいよいよ日本もやばいだろと感じたのがモー○のつジちゃん加ごちゃんの時らしい、ヘソ出しさせるなよと呆れてた
仙豆✴︎食い過ぎ注意
@ePukZdn86Z0phyI
「じゃあ自ら女をアピールしてるかのような少女についてはどう思う?」とその頃ネトウヨ寄り意見だった私は兄に聞いてみた、兄は
ツィフェミどころか完全に女性差別です。家父長主義者そのものです。これでフェミニストを名乗るのは馬鹿ですわ。ご都合主義。
仙豆✴︎食い過ぎ注意
@ePukZdn86Z0phyI
て、女をアピールした少女達が実際女として扱われた時に待ってる地獄なんて教えちゃくれない、まだ怖さを知らないから操り放題なんだよ。お前はまだ若くて(兄も若かったけど)同じ女がガキのくせに色気振りまいて被害に遭ったら自業自得と思うかもしれない、思いたいかもしれない、でもお前のこと何度
仙豆✴︎食い過ぎ注意
@ePukZdn86Z0phyI
·
俺が助けたと思ってるんだ?親父もそうだよ、あいつでさえそう(ネトウヨ&ガチオタ長兄のこと)、家族全員で危なっかしいお前を守ってたと思うよ
今生きて俺の前にいるのは結構奇跡かもな、でもそうじゃない子は大人の口車に乗ってボロボロになるんだよきっと」
兄のこの言葉は私にかなり影響与えた
影響を与える時系列があとなのと、兄の勝手な思い込みだけでめちゃくちゃやっている。
仙豆✴︎食い過ぎ注意
@ePukZdn86Z0phyI
·
痴漢2回も成敗しててコロナ禍岡村さんの発言にドン引きしてた夫なんてもう男性差別主義者かな?😂
連絡もせず遅刻してきたことからすると、増田に致命的な問題があったというより、そもそもあんまり深く知らないし会いたいと思っていないのに約束しちゃったから行かなくちゃ、もう断れない……って感じでイヤイヤ来ちゃったんじゃないか?
私(現33歳、当時32歳)はマッチングアプリで会って失敗したと思った相手はいなかった、かなり選んで会っていたので。
マッチング用途ではないSNSで顔写真なしの状態で会った相手の中には会ってすぐ無理だなという人がいた。容姿が無理だったわけじゃなく挙動や話し方が合わないと感じたのだが、写真が見られるマッチングアプリではそれを容姿から感じ取っていたのと、相手が乗り気過ぎてこちらはあまり相手のことをリサーチできていなかったなと。何度か長電話をしてから会ったんだけど。
何をしていても誰にも口出しされないのが最高。何時に寝ても、起きても、ごはんを食べても小言を言う人がいないだけでこんなに快適だったとは。
自分のものしかないのも最高。消費ペースに見合わない量ストックされたトイレットペーパーとか、謎の健康器具とか、今後一生着ないであろう服とかがないだけで1Kでも広く感じる。
静かなのも最高。大音量で流される競馬と野球中継がない。長電話の話し声もない。舌打ちもない。家にいながら「シーン」って擬音を体感する日が来るとは思わなかった。
近所の人が勝手に玄関開けないのもいい。猫だの雉だの猿だの野生動物の鳴き声がしないのもいい。同級生とイオンで鉢合わせないのもいい。車を持たずに済むのもいい。
あと何回か引っ越しして、二度とあそこへ戻らなくていいようにしたい!
花火でなつかしい思い出になった話。
https://live.nicovideo.jp/watch/lv337653576
花火も見ずにインスタやその他の、「驚くべき無意味」な話題を、
えんえんとしているのを知った。
当然のような感想ばかりだった。
「うちの姉貴が、毎晩やってたくだらない長電話の話思い出す」
などといったコメントもあり、
そういえば、高校時代に驚くべき馬鹿女が同級生に何人もいたな、
と思い出すことになった。
なにせ英語のbe動詞が覚えられない。数学の三角関数が覚えられない。
女性は頭がいいものだと思っていただけに、当時はショックであった。
KKOになり、おそらく若ければ彼女たちの親くらいの年齢になれただろうが、
しかし自分と同年代の親が、またこのようなバカを量産したと思うと、
歴史は繰り返すというか。
H○Sが架空宿泊データで補助金7億円詐取したと聞いて再び思い出した
水商売関係の知人と一緒の会社に入社したら信者率が高かったこと
一人行動のときに見知らぬ日本人によって来られ、別の変な誰かに黒色紹介されたことが10度ではすまないこと
変な誰かとは2人は銀行関係者、そのうち1人は兼大手旅行業関係者、また別に弁護士、外国の現地人、芸能人などもいたこと
紹介には至らなかったが一方的な超長電話攻撃は最低5人から受けたこと
条件的に他の選択肢がない安い賃貸に入ったら隣がキチガイじみた騒音屋だったこと
自分の母親は行動から見て金融犯罪と文書の法定保管期限に詳しい仲間がおり買収屋でもあること
○銀行も○生命も、ときには住所すら異なる母親がした私の偽造署名を受け入れていること
ボトムラインは、ある種の金融会社、創○学会、日本○リスト教会、日弁連綱紀関係者、ある種の法曹、ある種の警官は協働関係にあることが疑わしいが、そう思わないほうが無理ということだ
2ちゃんまとめとかで「毒親が〜」って話を聞いて世の中大変やな〜て思ってたけど、自分がそれ(親じゃないから毒家族になるのかな)だと気づいてしまった。気持ち整理も込めて長々書きますごめんなさい。
家族1人1部屋ずつ当てられてるけどノックする習慣ないし、部屋主がいる時はフラッと入って本とか服とか借りてくし。プライバシーが守られていないって言えばそうだけど、問題は(私の知る限り)起きてないし、見られたくないR18本とかは絶対見つからない場所に隠して自衛するとかして、それが普通だと思ってた。完全プライベート空間が欲しければ一人暮らしすればいいし。(子供はみんな大学生だからやろうと思えば実家出れる)
それが最近、部屋入る時ノックするタイプの家庭の人と妹がお付き合い始めたようで、「遠距離恋愛あるある1日中繋げてる作業通話中」に部屋入ると電話越しに「でーてーけ、でーてーけ」って聞こえるし妹も早く出てってよ!って言ってきて。妹も昔私のさぎょ通中長居してたじゃん…私が彼氏と長電話してて家族が入ってきた時はミュートなり電話切るなり配慮してたんだけどなぁ…お前の彼氏大丈夫か?って気持ちと、嫌がられると調子乗る性格が相乗してつい長々と居座ってしまった。
その後喧嘩したり、妹の彼氏からお気持ち長文やってきたり、最終的に妹と最低限以外話さないという約束を取り付けてしまった。居座りに関しては自分に非があるけど、ズボラだの常識がないだのボロクソ言われてる長文に「ごめんなさい」って言うのめちゃくちゃ嫌だった。(謝ったら地味に上から目線で〇〇な所直した方がいいと思いますよwってムカつく)
でも、妹、妹彼氏、自分の彼氏(愚痴ったら少なくとも妹ちゃんには謝りなよって助言してくれた)の話を受け止めたら、ネットで見る毒親と一緒じゃん!となりメンブレ中。「家族で1番嫌い」って1番好きな妹に言われたのもショック。数日前まで仲良く遊びに行ったりご飯行ったりインスタにツーショあげたりしてたのになぁ。もちろん喧嘩が今までなかったわけじゃないけど、周りから仲良いねって言われるくらい一緒だったんだけどなぁ……。でもここで「あの彼氏が妹に変なこと吹き込んだ!」って思うのは毒なんでしょ? 常識人?真人間?になりたいとは思うけどどうしたらいいか分かんない。社会のルールとしてノックするとかそういうのは分かるけど家で必要?wとか思っちゃう。一回生まれ変わってきたらいいかな。