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2024-03-30

ザコ園芸家の3月

3月園芸趣味とする人びとが待ちわびた季節。

柔らかな日差しに誘われて、国道沿いのホームセンターにカチコチに乾燥した水苔を買いに園芸趣味者たちが群がる季節。

大小さまざまな植物の即売イベントがいたる場所で開催されて、奇妙な蘭に、雄々しいユーフォルビアに、グルメ食虫植物に、大いなる眠りから目覚めた塊根植物に、それから…なんだかよくわからない多肉植物にも、冬の間に貯めこんだ札束が飛び交う季節。

園芸趣味者のXを見れば氷漬けだった2月の頃が嘘のような狂乱騒ぎが繰り広げられている。

だがタイムラインの百花繚乱をよそに、ザコ園芸趣味者はボサッとしていた。ザコ園芸趣味者だからだ。

ザコ園芸趣味者の朝は遅い。

起きたらベランダの窓を開け、曇天の続く空をギラリと睨みつけ、空気匂いを疑わし気に嗅いだあと「まだ寒い」と一言つぶやいて窓から顔を引っ込め、布団に再び潜り込む。

しかに、背後ではいよいよ植え替えせねばならないアンスリウムが列をなしている。だが!まだ今日はその日ではない。

植え替えは根に負担が掛かる。そこにこの3月花冷えが悪さをしたら…考えただけでも恐ろしい!春はともあれ、慎重が一番なのだ

から苦渋の決断を下し、布団の中でスマホを眺める。

じっさい、ザコ園芸趣味者の「庭」はこのapple社製の数インチスマホの中にあるといっていい。

立ち並ぶサムネイルは確かに春が到来していることを告げている。

同じころに園芸を始めたはずのあの人はいつの間にかマダガスカルから輸入されたベアルートの発根に取り組んでいるし、別の園芸素人自称するあのひとは自宅で細胞培養するための無菌培地づくりに悪戦苦闘しているらしい。

多肉植物のために家の隣の空き地を買って温室を建てたり、熱帯植物のために加湿器を鉢の数ほど並べてフル稼働させていたり、YouTubeを始めたり、3Dプリンターオリジナルの鉢を印刷していたり。

しかしザコ園芸者は焦らない。どうせまだ―何らかの不思議な力によって―私の家まで春は来ていないのだから

そうは言ってもせっかくの休みなので何か園芸趣味者らしいことをしたい。

うそう植え替えの準備をしなければ。赤玉土はまだあったはず…あれ、なんでパーライトが二袋もあるんだ?いやこりゃゼオライトじゃないか鹿沼土は中粒はあるが、小粒が無いな。しまったまた買ってこなくては。

ザコ園芸趣味者は去年の今頃の記憶を掘り返して何を揃えなければならないかリストを作る。自分の頭はどれほど掘り返しても「水はけがよく、水持ちがよい用土」にはなってくれない。

コストコレシートのように長いリストが出来たら、せっかくだから車で1時間くらいの大型園芸品店まで繰り出そう。

細君が椿を育てたいというから助手席に乗せて、行く途中でスタバによって、春限定のなんか良くわからない甘いやつをドライブスルーで買ってもいい。たいていピンク色をしている。

ところで、園芸趣味者はたいていのもの罹患している病気がある。うどん粉病と、この世のすべてのもの園芸用品に見える病である

セリアメッシュキッチンツールスタンドを見ては「こういう鉢なら根腐れ防止にいいかもしれん」と唸り、アウトドアショップの合わせ焼き網を見ると「間に水苔を挟んだら立派な着生材だ!」と喜び、食器を見ると「味のある素晴らしい器だが…残念なことに底に穴が開いていないな」と心底悔しそうにする。

一切万事がそんな具合だから、ほんもの園芸店に入るとしばらくは感動で身震いが止まらない。

買わなければならない諸々のリストをほっぽり出して店内の隅から隅まで踏破しなければ気が済まない。

ついてきた細君は腕組み位置がどんどん高くなる、が、あの高さならまだ大丈夫。先週はフランフランで同じように待たされたのだから、気にすることはない。

散々待たせた挙句、買ったのは近所のホームセンターでも買える用土の類ばかりだ。

あきれて無口になってる細君に向ってザコ園芸趣味者は満足げに言う「立派な亀甲竜があったね!うちのほどじゃないけど」

家に帰るとザコ園芸趣味者は買った椿に水をやる細君に講釈を垂れるのを忘れない。

「おやおや水をやるときはちょろっとじゃいけないよ。鉢底から水がしっかりあふれるまでじゃないと。そしてよく乾くまで水をやるのは辛抱すること。今日買ったのは花芽のついた枝差しから今年は開花するだろうけど来年からは…」

すべての講釈を聞き流した妻が適当に世話をした椿がつぼみを綻ばせるころになっても、ザコ園芸趣味者が丹精込めて世話をするオペルリカリア・パキプスは休眠からなかなか目覚めてくれない。

そんな感じでザコ園芸趣味者の3月は終わってゆく。

2024-01-30

妹が自殺して2年[追記しました]

追記

 

いっぱい見てくれてありがとう

気遣ってくれたブクマカたち、ありがとう

もちろん、事実真実も今俺がどこでどんな暮らしてるかも全く知らないくせに、書いてもないことを妄想憶測曲解邪推で補完して膨らまして、

俺を批判したり同情したり憐憫したりアドバイスしたりしてくれたブクマカたちにも、ありがとう

それを無意識のうちにやっている人も、自覚的にやってる人も、いるなと思いながら目を通した。

でもまあ、それはいいんだよ。

それが欲しくて増田に書いたし、

俺は生きてるから

俺の言動意図ねじまがった形で波及して、求めてもいない影響をどこかやだれかに及ぼしてしまって、

自身が誤解されたり損害をうけたりすることがあっても、

自身が弁明や訂正をできるから

俺は生きてるから

 

死者にそれをやるのは卑怯だよね。だって死者は、裁判で訴えることも言い返すことも説明することも訂正することも弁明することも謝罪することも、できない。

死者は憐憫してほしいのか称賛してほしいのか忘れてほしいのか助けてほしいのか居なかったことにしてほしいのかも、もう確かめるすべもない。

 

自死について、テロ行為と書いたことで苦しませた人は本当にごめんね。

漫画家さんの自殺テロ行為だなんて言うつもりはなかったんだよ。

自殺者の自死テロ行為にしないために、生きてる人が気をつけるべきことがあるんだって話をしたかったの。

 

俺んとこで言えば、俺は、妹のせいで母が壊れたと思うべきではなかったし、壊れた母から悪影響を受けるべきでないし、母にも妹のためにこそ壊れないでほしかった。

だってこれが成立すると、あの自殺が俺たち家族にとってテロ行為とも呼べるシロモノになってしまうじゃない、って話をしたかったの。

 

こういう現実が、こういう思想自殺メリットを感じる価値観と地続きと思う。

https://anond.hatelabo.jp/20230715095602

 

妻子を気に掛けたくれた人もありがとう

俺の妻から苦しみを聞かされたわけでもない、なんなら妻の顔も名前もしらないのに、妻の気持ちを代弁してくれた人も、ありがとう

これ以上自殺呪い(と言い換えますテロは強すぎたね)の悪影響をひろげないために、妻と子供には、より誠実に向き合って、より大切にしていこうと、あらためて強く思いました。

 

人の心なんて、生きてようと死んでようと、絵にかいて見せることも形づくって触れさせることもできない、言葉を尽くしても伝わらない、どうやっても想像の域を出ないものから、切ないね

無意識のうちに、自分妄想憶測を、事実と同列に取り扱ってしまう人は、「人とは自分が見たいように物事を見てしまう生き物だ」ということ知ってほしいな。知ってて損はないし上手く使えば得になる。なんなら知らないと損してしまうこともある。

俺もまだまだ勉強中だから、偉そうに言る立場じゃないのだが。

 

追記ここまで

 

はいわゆる境界性パーソナリティ障害っぽいところがあって、思春期はまあ大変だった。

気に入らないことや思い通りにならないことがあれば、ヒステリーリスカハンスト家族を萎縮させる。

妹以外の家族、俺と父と母は割りと温厚というか事なかれ主義というか淡白だったものから

最後の方はYESマンに徹していたな。

とにかく言うことを聞く。「これして」「あれちょうだい」全てその通りに。

心によりそうのは2の次いや3の次、もっと後回しだったかも。

そうすればとりあえず刃物しまってもらえたから。

 

勉強は中の下、外では外交的でないまでもヒスも起こさず我慢だけしてるから、人付き合いは良好でなくても不穏でもなくて、

まり社会生活不具合がなかったから、幼いうちに医療にかかることがなかったのは心残りだ。

 

大学は県外へ行き実家を出た。

卒業と同時に、大学出会った彼氏地元に嫁いだ。

俺たち家族はほっとした。実家環境が合わなかっただけで、家族以外との生活には問題ないんだ。

の子は変な子でも変わった子でもなかったんだ、と。

 

妹が嫁いでまもなく、俺も結婚し、2世住宅を建て、両親を呼んだ。

実家は取り壊した。妹がヒステリーを起こしたとき痕跡が生々しくのこる実家は、みんなにとって黒歴史だった。

妹が壁に書き込み続けた呪詛言葉。蹴ったり殴ったりして開けられたいくつもの穴。食器を投げつけた傷。包丁が刺さったあと。拭いても拭いても落ちない血痕。

リノベーションするにも、業者のひとに見せるのすら憚られたから。

今思えば、何て書いてあったのか、あの子の心の叫びを知っておけばよかったな。

 

新居に引っ越しから一度、妹は旦那さんと一緒に遊びに来た。

旦那さんは、気さくで温厚でいい人だ。嫁の実家なんて気を使うだろうに。

俺ら家族に対して不穏な態度を隠しもしない妹に不満をみせることもない。

一晩泊まって、翌朝になっても客室から出てこない妹とは対象的に、旦那さんは一人早くに起きてきて、朝食の支度を手伝い、妹抜きで朝食を囲んだ。

今思うと、もしかして欠陥品かもしれない妹を押し付けた俺ら家族と、もしかして欠陥品に今現在虐げられる暮らしをしているかもしれない旦那さんと、何も知らない俺の嫁さんで、なんとも言えない緊張感はあったかもしれない。

妹にとって、自分実家とは言えないが自分の両親と兄が暮らすこの家は、居心地がイイとはいえないだろうが、

自分親族の家に来ているというのに朝になっても起きてこない妹に、何も言わないし様子も聞かない俺たちは、旦那さんの目にはどう映ったんだろうな。

 

嫁いで何年経っても、妹に子供はできなかった。

なにかの機会で、旦那さんのご両親と俺と俺の嫁と俺の両親で一緒に食事をした際、

先方のご両親からそのことに触れられたが、俺の両親はなんとも煮えきらない反応をして、話題を変えた。

この頃には俺の嫁も、俺の妹の不穏な雰囲気を察していたかもしれないな。

 

妹が嫁いで8年くらいの頃かな。

仕事から帰ったら母親が血相変えて玄関まで出てきて。

「妹が離婚する」って。

から電話があって、そう言ってたって。もちろんいつものヒステリーからくるヤケクソの話ではなく、その電話旦那さんとも話して、「直接ご挨拶をさせていただきたいのと、離婚届の署名をおねがいしたいので、伺わせてください。この度は誠に申し訳ありません」って感じの話だったらしい。

 

俺たちは困った。嫁いでからずっと妹は働いてなかったはず。

もう30になるという歳で、職務経験もないあの子が、今すぐどこかで働き口をみつけて、住むところをみつけて、一人暮らしをして、ってできるのか?

もしくは、こちらに帰ってきても生家はない以上、ここに住むのか?

そりゃ一時的には問題ないが、ずっととなると。

俺には子供が二人できていた。

言葉にはしなかったけど、妹との暮らしは、子どもたちには悪影響ではないかと思ってしまっていたことは、忘れていない。

 

あのとき俺らは利己的だった。

8年大丈夫だったんだから、なんとかなろう。

妹の癇癪持ちは、もう治ってるって。大人もの

仮にそれが一時的に出てしまったのだとしても、時間が経てば解決する。

離婚なんてしなくても済むはずだ。

だってあの気さくで温厚な旦那さんだもの

妹の問題点も笑って許してくれるさ。

 

母はその晩、妹に電話をかけた。

離婚したとして、どうやって暮らしていくのか?現実的に難しい問題がいくつかあることを妹に話していた。

から、もう少し頑張ってみたらどうか?とも。

今思えば、いつでも帰ってきておいで、って、言ってやるべきだったかなあ。

 

妹はまもなく首を吊った。3日間意識不明をさまよったのち、死亡となった。

俺は妻に子供を任せ、両親を連れて嫁ぎ先へ飛んだ。

 

旦那さんの憔悴ぶりは見ていてとても可哀想で、なにより申し訳なかった。

俺は仕事が有るのと、妻に幼い子供2人押し付けてるのも気に掛かかるものから、両親を残して通夜だけでお暇した。

空港までは旦那さんが送ってくれた。

旦那さんは別れ際に、「僕のせいで、申し訳ありません」と言ってくれた。

この時点で俺は、妹の亡骸を見てもなお、妹が死んだ事実よりずっと、俺の妹がこの人やこの人の家族迷惑をかけてしまったということのほうが胸を占めていた。

旦那くんは悪くないよ。一番つらいのは旦那くんだろ。」

そう言って別れた。旦那さんは泣いていた。

 

俺は本当に浅ましかった。

あのまま妹を俺の家に受け入れていれば、妹は俺の家を破壊たかもしれないし、俺の家で首を吊ったかもしれない。

そう思うと、妹が、意識不明から復帰することがなくてよかったし、すべて旦那さんがケツ持ちしてくれてよかった気がする。

そもそも妹が嫁いだとき俺は、「これで妹に縛られた人生から開放される」「死ぬまで妹の面倒見てくれる人ができてよかった」そういう気持ちではなかったか

妹の幸せにも妹の未来にもなんの興味もなかったのではないか

旦那さんは、こんなかたちではあるが、妹が死ぬまで面倒見てくれて、汚れ仕事をすべて請け負ってくれた恩人。

旦那さんの未来は、もしかしてこのことのせいで暗く閉ざされてしまうこともあるかもしれないけど、俺たちは、旦那さんのせいにして、何ら変わらない日々を送れるんだ。

はやくこの地を離れたい。

 

そういう気持ちでいた。

 

あれから2年が経った。

1周忌は仕事言い訳に行かなかった。妻も両親も旦那さんも、俺に何も言わなかった。

今月、妹の3回忌があった。そのため久しぶりに嫁ぎ先を訪れた。

曇天でいまにも降り出しそうな空模様のなか、お経を聞いた。

そんなに多くの法要に顔を出した経験が有るわけではないのだが、よく見るのは、故人の配偶者が存命の場合は、故人と配偶者の馴れ初めや思い出なんかを坊さんが語ってくれたりして、参列者でほっこりして、故人を悼んで…なんてするイメージだった。

そういうのは無かった。離婚が決まっていたからなのか、自殺からなのか。もしくは、旦那さんに新しい女でもいるのかな。見覚えのない女性の参列者を見かけると、そんなことを考えたり考えなかったりした。

法要のあとは、旦那さんと妹が暮らした家に伺って、形見分けをしてもらってから、両親を伴って帰路についた。 

旦那さんと妹が暮らした家は、記憶の奥底に閉じ込め蓋をし忘れたことにしていた、実家を思い出すようだった。刃物食器を投擲することによってついたであろう傷は、しずかに床や壁にこびりついていた。

 

2年間の月日が流れる中で、妹の嫌悪を感じる点も、忌まわしさを感じる点も、憎悪を感じる点も、あまり思い出せなくなっていく。

思い出を美化しているらしく、生前は良い思い出とは思っていなかった記憶さえ、なんだか温かい感情を伴って思い出されることすら有る。

から、本当の妹は、ここに書いているよりもずっと酷い人間だったかもしれない。 

 

記憶の美化は故人の美化で、それは後悔を呼んだ。

幼い頃から妹に手を焼く度に忌まわしく思ったし、

脅しによって周囲の人間を思い通りに操ろうとする様を本気で憎んだときもあったよ。

だけど、俺から見たら「気に入らないこと」「思い通りにならないこと」で感情を爆発させる妹だったけど、

妹にとっては、きっとそれが何より辛くて苦しくて助けてほしいことだったんだよなあ。

 

今でこそ、境界性パーソナリティ障害っぽい、だなんて偉そうにラベルを貼れるけど、あの頃は、そんな妹自身が抱える暗闇について、目を向けることすら無かった。

分かりにくかったけど、きっと助けてほしかったんだろうな。

俺には知識教養も度胸もなくて、何もしてやれなかったな。

妹を大切にする暇もなく、妹より大切なものをいくつも持ってしまって、さいごま蔑ろにしてしまたかな。

あの頃俺がつらかったのも事実だし、

妹がつらかったもの事実なんだろうなあ。

 

そして、この2年の月日で、母はどんどんおかしくなった。

母をまもるため、母を大切にするため、俺はこの家を建てたのだけど、母はいま妹ばかりだ。

俺が妙な助言をしてしまったせいで、母は妹にあん電話をしてしまって、だから妹は死んでしまって、だから母は壊れてしまったのかなあ。

妹がヒステリーを起こして母を殴るたびに、母に刃物を突きつけるたびに、俺は母をかばったものだけど、母はそれももう忘れてしまったのかなあ。

俺が生きていても、母にとって意味はないのかなあ。

の子どもたち、母にとっては孫であるの子達も、母の大切な一人娘が死んでしまたことの前では、無価値なのかなあ。

 

父は、もともと目が見えない人だったが、母がおかしくなってから認知症も進行したように思う。

から、3回忌は、俺もボイコットができなかった。

ハンディキャップが有る父。妹に攻撃される母。人格障害っぽい妹。

俺も、頑張りすぎたのかな、幼い頃から、妹の兄でありながら、妹の父のかわりや、母の夫のかわり、あらゆる自分を演じようと、無理をし過ぎたかな。

こんな俺が、妻や子どもたちを大切にできているのかな。

いろんなことが複雑に絡み合って俺たちはここにいるんだなあって最近よく思う。

 

最初は、「妹が自殺したのは、配偶者である夫とのいさかいのせい」と思い込もうとしていた。本質はどうあれ、そのほうが俺の人生にとって都合が良かったから。

だが、壊れてゆく両親という現実や、美化される自分記憶とともに、その自己暗示も、維持ができなくなってきて、自責の念が強くなってきたと思う。

 

それと同時に、なぜか新しく故人である妹への憎しみが湧いた。

俺たちを苦しめる原因って結局すべて妹だ。感情を削ぎ落として考えたらそうだ。

そして母への怒りを感じた。

俺は子供だったし、母は大人だった。夫が盲目からって、俺に頼り切りでなく、大人として責任果たしてしかったよ。

妹が死んだ途端、被害者ぶるのはやめてくれ。

の子病院にかからせることができたのは、あの頃はあなただけだったじゃないか

俺に負債をおしつけて、それで今更被害者面なんて、浅ましいと思わないのか。

 

色んな感情が渦を巻く。

妹はこんなふうに壊れる俺たちが見たかったのだろう。

妹を厄介払いするように嫁にやって、妹以外で結託している俺たちに、自分重要性を知らしめたかったのではないか

まり自殺ってテロ行為なんだ。

他人を変えるために、死というウルトラCを用いて、インパクトを与える。

他人というのは、俺らだったかもしれないし、旦那さんだったかもしれないけど。

まんまと呪われた母は、そして呪われた母に巻き込まれて変わらざるを得なかった俺や父は、

妹の思うつぼだということだ。

彼女は、あの世でほくそ笑んでることだろう。

 

でも、妹はそんなやつじゃないとも思うんだ。

本当に逃げたかっただけだ。

俺たち家族からも、旦那さんからも、厄介者扱いされていると感じてしま現実から

見捨てられる恐怖から

もちろん俺たちだってそんな、あからさまに厄介者扱いなんてしなかったよ。でも繊細で傷つきやすいあの子は、なにかを受け取ってしまたかもしれないじゃないか

 

そんな弱い子でもない。

あいつは、内面にそういうマグマをかかえつつも、無難に人付き合いができる賢い子でもあったよ。

怒りっぽく、傷つきやすく、繊細で、家に帰れば人の悪口ばかりだが、本人の前ではおくびにも出さない。そういうしたたかな子だった。

自殺だって彼女彼女なりに選択したことだ。良し悪しはべつにして、彼女の中にそれなりの正義があったに違いない。

同情がほしいなんてそんな浅ましい理由で、こんな愚かな真似をするわけがない。

から外野に過ぎない俺等が勝手にあれやこれや憶測妄想をして、勝手因果関係見出して、勝手に怒ったり悲しんだり憐憫したりするのは、彼女に失礼ではないか、とも思う。

 

とにかく。

自殺って本当に良くないな。嫌でも思い出すし、

外野勝手悲劇エッセンスに利用してるのを見ると、自分のことのように腹が立つ。

これは俺の認知が歪んでいる自覚は有る。

にしてもだ、自殺って脳天気バカどもが考えてるよりずっとずっと地獄だよ。

自分のクソデカ感情シェアしたくなる気持ちはわかるけど、自死遺族からしたら、それすらもノイズだったりするかもよ。

発信することは、真意が売名でも承認欲求でも吐き出しでも追悼でも救済でも擁護でもなんでも、ノイズになりうるし、エゴイズムだと思う。

しらんけど。ありがたく思う人もいるかもしれんけど。

フィクションじゃないんだよ。病死事故死や老衰とは話が違うんだよ。故人の何を知っているんだ。

自殺するようなことがなきゃ、書かれなかったであろう伸びなかったであろう記事をいくつも見たよ。

自死によって世界が変わるのは、良く変わっても悪く変わっても、なんだかテロリズムを感じて気色悪いんだ。

生きてようと死んでようと、その人間が行ってきた善行も悪行も変わらないから、本質的には同じなのに。

俺は芸能人有名人自殺しても勝手憶測は書かないようにしているし、因果関係も見出さないし、責任追及もしない。憐憫もしない。

死者が物言わないからって、単なる憶測がでかい面をしていい理由にはならない。

本気で愛してんなら、自殺と絡めず書いてくれ。だし、死ぬ前に書いてやれ。愛だけ叫んでろよ。

称賛も憐憫必要ない。ただ愛を込めて心のなかで悼んで差し上げろ。

自分が救われたいだけなら、自分にあう死生観宗教にでもたよってくれ。

2023-12-13

冬は星空の観察に最適♪とか意味不明だったな。冬は駅伝マラソンの季節ってのも、えっ?って感じ

流星群記事を見た。

https://news.yahoo.co.jp/articles/06fb7953cbf2688b9cb0c3e16bb8e3e16f2b928e

素敵だ。

しか子供のころは、なぜ一般的に言って星空の観察に冬が最適なのか意味不明だった。8、9割曇天と雪ではないか

かに流星群という特定現象には時期がある。でも…?

その後知識としては理解したけど、こういうのは非雪国人の感覚なんだって、そのあと引っ越して初めて体感した。太平洋側は冬は晴れていて、本当に空気が澄んでいるんだ。乾燥してるけど。

駅伝とかマラソンについても天気は晴れだし熱中症にはなりにくいし、箱根駅伝などのイメージもあってそう言われるんだろうな。

地元陸上部は靴に何かスパイク的なものをつけて、ザックザック・カリカリッと走ってた。

うそう、冬の高度の低い太陽の光を窓から取り入れて部屋を暖めるという設計雪国以外の発想だと思う。

太陽出てないからねそもそも

2023-11-23

今日関東20℃超の最高気温を迎えるはずだったが曇天となり予報値を3℃低いペースで推移している。

思いの外寒い。やはり日照時間こそがポカポカ陽気の源泉だったのである

2023-10-17

ガンダムSFじゃない」は「デマ」なのか?(追記あり

SFとはこういうものだと定義すると、あのガンダムでもそこから外れ、SFではなくなる」

ここ数日、ラノベSFはないだのSFスペオペは違うだのSFファン性格が悪いだのといった話題がX(旧twitter)を騒がせている。

そのきっかけは、カクヨムで公開された一本のエッセイなのだが、これ自体は読む価値ゼロなので、みなさんも実際に読んで価値の無さをしっかり噛み締めてほしい。

【おまけ4】なぜラノベからSFジャンルがほぼ消えたか - 若者ライトノベル離れ 約7年で市場半減のショック(らんた) - カクヨム

ttps://kakuyomu.jp/works/16817330659071865553/episodes/16817330663869554252

さて、そんな流れの中で、日本SF史の汚点ともいうべき一つの事件が蒸し返されることになった。

ガンダムSF論争」である

79年開始の第一から現代まで連綿と続く、大人ロボットアニメガンダムシリーズ

その初代ガンダムが人気絶頂だった頃に、著名なSF関係者たちが「あれはSFではない。私がそう判断たからだ」とSF性を否定した……と伝わる事件である

中でも、「ダーティペア」「クラッシャージョウ」「神拳 李酔竜」で知られるSF作家高千穂遙氏が中心的な役割を果たしたと、一般的には認識されている。

高千穂氏はXにアカウントを持っている。そして今回、この問題について本人から語られた経緯がこちらだ。

ttps://twitter.com/takachihoharuka/status/1714121118590849427

高千穂遙

@takachihoharuka

いまだにこういう方があらわれるので、もう何度も書いてきましたが、もう1回、あのことのいきさつを書いておきますね。ある日、OUTの大徳編集長から依頼がありました。「最近SFが注目を浴びているけど、SFが何かがよくわかないという声もある。そのことについて、書いてもらえませんか」と。→

ttps://twitter.com/takachihoharuka/status/1714122162037309833

高千穂遙

@takachihoharuka

「書きますが、切り口が重要ですね。わかりやすいように、人気の巨大ロボットアニメを軸にして語ってみるのはどうですか?」「いいですね。それにしましょう」で、書いたのが、「SFとはこういうものだと定義すると、あのガンダムでもそこから外れ、SFではなくなる」という一文です。大徳さんは、→


ttps://twitter.com/takachihoharuka/status/1714122878810222800

高千穂遙

@takachihoharuka

「いいですね。わかりやすい」と言われ、掲載となりました。でも、そのあと「ガンダムSFじゃないのか」という投書がたくさん編集部にきたんですね。困った大徳さんぬえにきて「こんなふうに読まれるとは思っていなかった。どうしましょう?」と嘆かれ、「前提が飛んじゃうのは予想外でしたねえ」→


ttps://twitter.com/takachihoharuka/status/1714124598462271844

高千穂遙

@takachihoharuka

という話になり、「とりあえず、富野さんと高千穂さんとの対談を載せましょう。それで誤解も解けるんじゃないんですか?」と大徳さん提案され、富野さんと対談しました。いきさつは、以上です。地球重力下での巨大ロボットに対する視点は、ハインラインの「宇宙の戦士」に対して、異を唱え、→


ttps://twitter.com/takachihoharuka/status/1714125784858943681

高千穂遙

@takachihoharuka

宇宙ブルース」を書いたハリーハリスンの見解を参考にしました。パワードスーツは巨大ロボットより小さく、重量も軽いので、ハリスンは沼地という設定で、その弱点を指摘しています。巨大ロボットは大好きですが、あれは巨大ロボットが成立する前提での作品というスタンスは変わっていません。→


ttps://twitter.com/takachihoharuka/status/1714126373860913585

高千穂遙

@takachihoharuka

ちなみに、当時のSF作家で、あの一文を読んだ方は、ほとんどおられません。ただひとり、平井和正さんが読まれ、「きみは、小説よりもああいった評論のほうが文章上品だね」という、返答に窮した感想いただきました。反応は、それだけです。

とのことである

これに対しXでは、

なるほど!そういうことか!誤解が解けた!といった声が多数上がっている。

ttps://twitter.com/unyanyako/status/1714134026813116780

うにゃ子

@unyanyako

高千穂さんがそう言うた、という話は聞いていて、どういうことなんかなあ、とずっと思っていたので、御本人の口からわかりやすくそれは誤解、誤った解釈とのお話が聞けてたいへんよかった。

SF定義したら、その定義はきっと完璧ものではないので、大事ななにかが漏れしまうのですよ。うむうむ。


ttps://twitter.com/yuno_sarashina/status/1714163341017673796

更科悠乃@「快傑令嬢」書籍化企画進行中!@空想科学小説作家

@yuno_sarashina

ガンダムSFじゃない」という誤解の産物フレーズがひとり歩きして、実態とはまるでかけ離れたイメージけが浸透していくいつものパターン


ttps://twitter.com/guchihaki_2021/status/1714157477510664446

曇天愚痴吐きアカウント

@guchihaki_2021

こういうことがあるから安易仮定を絡めた話をするのは憚れる

前提条件が消え、聞き手の受け取り方で次への話が間違ってしま伝言ゲームになるから

から一時ソースって大事なのよね


ttps://twitter.com/masa5046/status/1714193810727866858

masa-5046

@masa5046

なるほど、

ガンダムSFに非ず」

は、

「天は人の上人を作らず」「健全精神健全な肉体に宿る」

と同様の、前提が無くなり意味がほぼ真逆に捉えられた名言(?)なのか


ttps://twitter.com/v_mx/status/1714236647032951242

VMX

@v_mx

80年代オタ界隈を席巻した「ガンダムSFか」論争、ライトオタ小学生の私には「なんだかややこしそう(面倒そう)な話だなぁ」という印象でした。ぶっちゃけ面白ければそれでいいんちゃうの」とか💧

端緒となった文章への誤解・誤認について高千穂先生

@takachihoharuka

からの明確なご説明は有難や


ttps://twitter.com/ZEfcTDI5bXPck5Q/status/1714236234435043550

アウトレット

@ZEfcTDI5bXPck5Q

ガンダムsfじゃ無い云々の話デマだったのか、良かった



はてブでも早々に、「未だに「思い上がったサブカル連中のアニメ差別」みたいなデマ記事が書かれるのはアンフェアよね」とのコメントが付いている。

ttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/takachihoharuka/status/1714121118590849427

しかに、まことしやかに語られてきたアニメSF対立が実は虚構のものだった、という話は、多くの人にとって安心できる結末ではある。

しかし、この話は本当に「誤解」「デマ」だったのだろうか。


検証

高千穂遥氏が「OUT」誌に掲載したガンダムSFに関する文章は、「ガンダム雑記」及びその続編というべき「SFを考える 巨大ロボットアニメを軸として」の二つがあるらしい。

検索をかけてみたところ、こちらのツイートでいずれも実物が引用されているのが見つかった。

ttps://twitter.com/sakaetype21/status/1140142346048176128

ttps://twitter.com/sakaetype21/status/1140142668690817024

ttps://twitter.com/sakaetype21/status/1140147594913431552

ttps://twitter.com/sakaetype21/status/1140148195281887232

今回の高千穂氏の発言の「SFが何かがよくわかないという声もある」「人気の巨大ロボットアニメを軸にして語ってみるのはどうですか?」という部分を見ると、そこで語られている文章は「SFを考える」の方を指しているようにも見える。

ただ、実際に「SFを考える」を見てみると、執筆掲載の経緯は高千穂自身OUT編集部に申し入れてということになっており、今回のツイートとは食い違う。また、その執筆動機も、そもそもガンダム雑記」でガンダムSFではないとしたのはなぜかを読者に説明するためのようだ。

高千穂氏による、ガンダムSF否定本丸は、やはり最初の「ガンダム雑記」の方にあると見るべきだろう。そのため、ここでは「ガンダム雑記」の内容を主に検証することにする。

ガンダム雑記から、今回の件に関連しそうな部分を書き起こしてみる(恣意的な切り取りを疑う人は自分で元ツイを確認してほしい)

日本サンライズ企画室の山浦さんから相談をもちかけられた。SFについて、教えてほしいというのである

 ぼくは「0テスター」以来、創英社サンライズスタジオ日本サンライズ企画スタッフに加わっていたが、その際、必ず強制するひとつ原則があった。「勇者ライディーン」「コンバトラーV」「ボルテスV」などのロボット物をけっして、ぼくの前ではSFと呼ばせなかったのだ。ロボットプロレス物という呼称も好きではなかった。あの程度の格闘ではプロレスに対する侮辱であったからだ。

ぼくの意見は、SFと銘うちながら、まったくSFではないもの最近多すぎるというこの一点に絞りこまれていた。「宇宙戦艦ヤマト」は、むろんSFではない。アニメではなかったが「ウルトラマン」もSFではなかった。五三年秋の時点でSFと断言出来た作品は唯一「未来少年コナン」だけだったのだ。

 ぼくはSFに厳密な科学的正確さを要求するものではない。ある一線からは、科学を超えていても、それを認めることができる。「スターウォーズ」は明らかに科学を逸脱しているが、にもかかわらず立派なSFなのだ。なぜなら逸脱の範囲を知り、それに応じてストーリーが組み立てられているかである


SFSFたるもっと重要なエレメンツは、SFとしての発想、SFとしての思想SFとしての理念にある。いいかえれば、これらが欠けた作品は、SFではないということだ(作品の優劣の問題ではない。単にSFであるか否かについてのみ語っているのだ。お忘れなく)

例えば、SFとしての発想は、「スターウォーズ」でいうならば、"A LONG TIME AGO"にある。遠い昔、はるかかなたの宇宙で繰り広げられた大冒険――この発想ひとつで、科学もつ巨大なしがらみからスターウォーズ」は抜け出たのだ。

 次にSF思想。この基本は、あらゆるもの相対的であるという一点に尽きる。その好例は善悪概念であろう。

この原則を忘れ、幼稚な善悪問答をもちこんだ「ザンボット3」は最終回SFになりそこねた。総監督富野喜幸氏のSF限界を知ったのは、このときである

 最後SF理念だが、これは表現者みずから立脚点明確化できるかということを意味している。エスパーを描くなら、エスパー立場人類立場区分しなければならない。(略)理念は両者に対立を生み、対立は続者(ママ)に対するメッセージとなる。テーマではない。メッセージなのだSFは読者の魂に、強烈なくさびを打ち込まねばならないのである



いかがだろうか。

少なくとも、もしもこのようにSF定義したなら~というような仮定の話には、全然見えない。

明らかに、当時の高千穂自身の主張として、SFとはこういうものである、こうでなければいけない、という要件が書き連ねられている文章である

ロボット物をSFと呼ばせなかったというくだりの、あまりステレオタイプなめんどくさいSF者の姿には、現代人として大いにたじろいでしまう)

さて、肝心のガンダムを「SF」としてどう見たのか、という話だが。

ぼくが怒りにまかせて喚き散らしたためでもないだろうが、設定の制作は慎重であり、よりSFたろうとする努力がメインスタッフの間には、はっきりとみられた。

第一話の試写のあと、ぼくは「機動戦士ガンダム」をSFの傑作となりうる要素を秘めた作品と評した。三話までは、その印象は変わらなかった。

と、序盤はかなりの好感触だったのが、

しかし、五話を過ぎたあたりからガンダム」は見るのが苦痛作品になってきた。今ひとつSFになりきれないのであるセリフはいたずらに饒舌で、退屈をきわめた。ぼくは「ガンダム」を見るのをやめた。

「ザンボット3」で感じた富野さんへの評価はまだ変化していない。ニュータイプをだすならだすで、小松左京の「継ぐのは誰か?」に匹敵するアプローチがほしいのだ。あの展開では、焦点がただただぼかされていくのみである。残念ながら、やはり「ガンダム」も偉大な失敗作だったようだ。たしかに一歩、進むことがきたにせよ……。

というところに落ち着いたようだ。

作品自体評価と入り混じって分かりにくいが、ザンボット同様としている以上、やはりガンダムも最終的には「SF」ではない、と断じているものと見ていいだろう。

結論として、「ガンダム雑記」おいて高千穂遥氏は、

  1. 自分自身が考えるSF定義を明確に主張している
  2. 自身SF定義に照らしてガンダムを非SF認定している

といえる。

意欲作として評価していたことは伝わったが、この内容をもって高千穂氏によるガンダムSF性の否定を「デマ」「誤解」のひとことで片づけるのは無理があるだろう。

念のために言っておくと、「SFを考える」の方にも、「SFとはこういうものだと定義すると、あのガンダムでもそこから外れ、SFではなくなる」というような、限定付きのSF否定のような部分は特に見当たらなかった。それどころか、

という主張が展開され、「ガンダム雑記」以上に、SFと非SFの線引きを当然のものとする論調に見える。

(疑う人は引用している元ツイで実際に読んでみてほしい)

終わりに

世間ではこういうことになっているが実は~という隠された真実の発覚。これには誰しもが一定快感を覚えてしまものだと思われる。

しかし、そうした新たな情報を、自分自身検証することなく無批判に受け入れてしまえば、それこそ新たな「デマ」「誤解」の拡散に加担してしまうことにもなりかねない。

このリスクには、十分に注意を払う必要があるだろう。それがたとえ当事者言葉であっても。

追記

ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4743724076906217039/comment/a842

少なくともSFじゃないとは言い切っていないのは間違いなさそう。SF度が自分期待値より下だったと言っているように思えます。0/1じゃなくてスペクトラム

ところがぎっちょん。「SFを考える」では、

ガンダム」は、三話まではSFでした。四話から違和感を感じはじめました。五話になるとスタッフSFマインドのなさがありありと見えてきました。全四十三話のトータルでひとつ作品として成立しているのが「ガンダム」です。三話までがSFだったからといって、「ガンダム」がSFだったとはいえません。限りなくSFに近いSFというのはないのです。線引きをするのなら、SFか、そうでないかのどちらかです。「宇宙から――」ははるかSFではなく、「ガンダム」は惜しいところでSFではないのですが、言葉にしてしまえば、どちらもSFではないわけです。

高千穂氏みずから、まさにゼロイチの基準提示しているのであった。

また、

 総監督富野さんが「ニ〇〇〇一年宇宙の旅」を超えてみせるとまで豪語した「ガンダム」が「ニ〇〇〇一年――」を超える超えない以前にSFにすらならなかったのには、いろいろな要因があったと思います

 その最たるものは、やはり、総監督SFマインド希薄だったということでしょう。

と、やはり「SFにすらならなかった」と断言している。

ガンダムSFじゃない」問題の中では非常に重要な部分だし、ここは最初から引用しておくべきだったね。すまない。

ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4743724076906217039/comment/kamm

善悪概念を持ち込んだとはいえ自身SF定義に照らし」ているんだから限定付きのSF否定」と同義じゃないの?増田文章の方に矛盾を感じた

引用したツイート群を見てもらえば分かると思うけど、今回の高千穂氏の「SFとはこういうものだと定義すると、あのガンダムでもそこから外れ、SFではなくなる」という言葉を、氏自身のものではないが仮にこういう定義を用いたとすると、という仮定思考実験問題だったと捉えてる人がたくさんいるのね。

これを増田は、「限定付きのSF否定」と呼んだのね。

(ひどいものになると、だからSF定義はなるべく広く曖昧にしておこうという話だったんだな、と好意的すぎる拡大解釈をしている人もいる)

でも実際の文章では全然そうでなくて、あくまでも高千穂自身が、氏自身定義によって、ガンダムSFじゃないと判断するものになっていた。という話なんだが、分かってもらえただろうか。

2023-03-27

スポーツ実況をラジオで聞くこと

テレビより気楽かつテレビとは趣が異なってなかなかよい。

ただ、解説から情景をイメージできるだけの事前知識必要なので、やや上級者向けなのかも?

アナウンサー技術が光るなあという印象。

今ならセンバツが良い。

特に「投げました」「カキン!」のタイミングが心地よい。聞いたところによるとアナウンサー自分セリフ解説が被らないよう、かつ「カキン!」の前に投げたことを伝えられるようすごく気を遣っているらしい。

この金属バットの「カキン!」がまた爽やかな音で、その音だけで自分視線が白球を追って青空に向いた気分になる。実際に雨天や曇天であっても、イメージの中ではいつもおだやかな晴天だ。

昨日で終わってしまったが、大相撲も良い。

仕切り前には元力士ベテランアナウンサーが穏やかに会話していることが多くどこかほんわかした空気だが、時間いっぱいの行事の声、立会前の静寂のあとにドカン!バチン!と人間同士の衝突が出せるとは思えない轟音が響きドキッとする。

筋肉質で均整の取れた体型」「赤い締め込みの上に丸いお腹」など、力士の外見を言葉で具体的に表現するのもラジオ独特で面白い行事の装束の解説個人的には結構好き。

もうすぐプロ野球の季節だ。

プロ野球解説高校野球よりは渋いというか落ち着いた雰囲気であることが多い気がする。

今年はどんな実況が聞けるだろうか、楽しみだ。

2023-02-19

洗車沼に4年ハマって抜けた奴が語る、気合を入れない洗車のススメ

4年間洗車沼にハマって、「ぱっと見綺麗ならええやん」と「しょうがない」という魔法言葉で沼から抜け出した人間の洗車がたり。これから花粉の季節で洗車頻度を増やさんとあかんので、あんまり気合を入れずに洗車する方法を書いていく。車を維持してる諸兄の参考になったり嘲笑相手になったりしてくれれば幸い。

対象読者は自宅に洗車環境が無いけど、汚い車は嫌。洗車機突っ込みたいけど傷ついちゃうちょっとやだなぁ……洗車場使ったことないや、わかんない。って人。

結論から言うけど、最低月一手洗いする気がないなら、洗車機突っ込んで拭き上げよう。固着してどうしようもなくなるよりずっとマシだ。拭き上げ不要なのは大雨の日と、純水ぶっかけられるやつだけ。純水を用意できるやつは洗車好きなので、一旦は無視する。

状態確認

1番大事

6ヶ月以上放置したような、固着汚れが付いてる奴は手洗いするしかない。下手の手洗いは洗車機よりも傷が付くが、これを読めば洗車機よりはマシな洗車ができる。めんどい?じゃあ大雨が降ってる間に洗車機に突っ込むのがいいぞ。大雨の日は汚れがふやけてるし、水道水の拭き上げも不要。1番楽。

で、一般的な1,2ヶ月放置車。ボディを見てでかい砂とか土がついてなければ洗車機突っ込んでいいが、できれば水をかけて砂をふやかしてから突っ込め。ミラーの横とかドアの取っ手とかから黒い筋が垂れてるようなら、そこにクリーナーかけてから突っ込め。手洗いする気がある?よし、じゃあ最低月一で継続だ。読んでくれ。

それより短いスパンで洗ってる人々、きれいな車に乗りたい人だよな?手洗い沼に来い。運動にもなっていいぞ。

洗車の敵とは

これは洗車に対してどんな考え方してる人でも、「洗車の大敵、2つ上げて!」って聴いたら必ず一致する。水シミと洗車キズ。以下、これらを防ぐ方法をつらつら書いていく。

洗車の基本的な考え方

1. 砂付いた状態でこすったら傷つくので、表面についてる砂をできるだけ水で流す

2. スポンジ等+シャンプーで砂と汚れをできるだけ回収または水で流しやすいように剥がす

3. シャンプーと集まった砂・汚れを水ですすぐ

4. 水が乾いたときの水シミを防ぐために拭き上げる

何を当たり前のことを、って思うかもしれんが、世の中の8割はこの基本すら頭に入ってないぞ。だからウェットティッシュみたいなので洗ってないボディをこするし、拭き上げもせずに洗車機から出たらそのまま道路だ。

水シミ対策

水シミは「水道水、洗剤が乾く」ことで発生する。雨では発生しない。雨水ゴミがいっぱい入ってるが、洗えば落ちる。水シミは洗っても落ちない。専用の溶剤必要溶剤は強力なので、塗装にダメージがない、とは言い切れん。つけないことが最大の対策と心得ること。拭き上げなしでかっ飛ばせば水は飛ぶ、って思ってんならそれでもいいぞ。君が良いならそれが一番。

炎天下は避ける

洗車の方法を1回でもググったことがあるなら、晴れた昼間は絶対に「洗車日和」ではないことを知っているはず。本当の洗車日和は、曇天で気温も上がらんジメッとした時候。そのくらい「水の乾きにくさ」は大事。朝方か日が落ちるくらいのタイミングでやる。洗車場でやる場合たっぷり水をかけてボディを冷やしつつやること。

一気に洗うことは諦める

私の愛車遍歴は軽→スイスポなので、私くらいのスピードで洗い残しなく力も入らずにやれるなら、一気に洗うことも可能。でも私ですら一気洗いはしない。初心者ならなおさらである。洗車場を使うとして、せいぜい5分高圧洗浄機で水が出て、一時停止できても3分で都合8分ってとこだろう。私のやり方だが、2分高圧洗浄で全体の砂を落とす(使い方はいくらでもYoutubeかにあるから調べてくれ)→停止して残り1分になるまで洗う→残り1分でできるだけ流して乾きそうなところに水をぶちまける→のこりを洗う→もう一度お金入れて全体をすすぐ、だ。どうせ8分で全体は洗えないしすすげない。2回使おう。

純水ですすぐ

純水を持ってるやつは対象外だが、この方法なら簡単にイケる、という方法を述べる。上の方法で十分に流した後、じょうろかケルヒャーOC3等水をかけられるモノで水道水をすすごう。スーパーボトル買って無料で水が汲めるアレあるだろ、アレに「逆浸透膜」とか書いてあったら使える。アレをかけよう。ミネラル分がほとんど取り除かれている水なので、水シミになりにくい。特に拭き取りにくいバイザー内とかミラーヒンジとかフロントグリルとか、その辺をすすぐと効果的。

洗車キズ対策

ゴシゴシしない

ゴシゴシすんな。なでる感じで優しく洗え。

砂ついた状態で拭くな

砂をたっぷりの水で吹き飛ばして、シャンプー洗車してようやく砂が落ちると思ってくれ。高圧洗浄機だけでは9割くらいしか落ちない。ちゃんバケツシャンプー液作ってスポンジで洗おう。オススメのスポンジはアイオンの洗車スポンジ(白)。シャンプーコンパウンドワックスも入ってないなら何でもよい。基本的にはへんな凸凹がついてるやつよりフラットスポンジのがいいし、白だと砂拾ってないかやすい。

ムートングローブも使い方次第ではアリ。でもスポンジのほうが安いし間違いがない。

こまめにすすげ

1パネル洗ったらバケツでスポンジすすいで、できるだけ砂付いた状態でこすらないようにする。私が某K社の洗車を信じてないのはここのせい。手早くやるのを重要視しすぎて、グローブを一切洗わず一周しちゃう。だめよ。

深追いしない

普通の洗車で落ちなくてもゴシゴシすんな。それは別の溶剤を使って落とす。ゴシゴシしちゃうと汚れは落ちてもついた傷は戻せない。深追いしないこと。

じゃあどうすればいいのさ!

めんどかったら洗車機でいいよ。こまめに洗うことのほうが大事

2022-11-20

anond:20221120153318

そう思うのは勝手だが、現実的には無理だろうね

照度が上がれば上がるほど資料劣化が激しくなるのを見落としてないか

自然光を取り入れる」というコンセプトを満たすなら、館内は普通の照明とは桁違いの照度にしないといけないだろ?

参考までに書いておくと、一般的図書館照度はせいぜい1000ルクスだが、太陽光照度曇天でも30000ルクス程度になる

紙の資料劣化度合いは照度に比例すると言われているから、通常の照明よりも遥かに徹底した無害化をしないと、到底同じレベルとは言えない

2022-10-25

知り合いの飲食店経営者の話

はいつもSNS活用しておすすめメニューや新しいサービスイベントお酒を告知している

しかしながらこのコロナ禍と微妙に冷えてきた景気のせいか、一昨年から5回に一度くらいの頻度で「このままで潰れてしまう…」とネガティブ投稿をするようになった

そういった投稿があるたびに、常連客が顔を見に行き酒を飲み料理を食べるの繰り返しで、最初の頃は私も微力ながらと先払いの飲食チケットを購入したり、テイクアウトを利用していた

最近でも相変わらず「暇です」「閑古鳥が鳴いています」「せっかく開封した日本酒が…」と、同情心を掻き立てるような投稿を繰り返し、その都度、誰かしらが顔を出していた

先日、彼の2つめの個人アカウントたまたま目にすることがあった

そこには驚くほどの美食ぶりや最近納車された車の自慢、さらには「客が来ないから1週間ほど店を閉める」としていた期間で海外に行きゴルフ三昧という、いつもの悲壮感漂う投稿真逆人生を公開していた

経営が苦しいと嘆いていた時に助成金補助金、協力金の申請を薦め、私が顧問契約している税理士こちらが費用を出し手続きをしてもらったこともあったし、仕事仲間のお祝いではその店の料理ケータリングしてもらったりしていたが、まさかアカウント的なところでここまで日々の豪遊ぶりを垂れ流していたとは思わなかった

客に対して悲壮感を煽り店にきてもらう集客自体は、昔からあるセールスプロモーションの手口だが、まさか現代においてもガッツリとやっている人が身近にいるとは思わなかった

嘘をつかれていたというよりも、そういった集客積極的にやっているということに嫌悪感が凄まじく、また、誠実に商いをしていたせいで潰れていった仲間を思うと、彼の店にはもう行けないし行ってはならないと感じた

彼の2つめの個人アカウント共通の知人から情報提供があったもので、私が彼を心配していたことを知っているからこそ、こういう事実も知るべきだと教えてくれたものだった

今はやるせない気持ちと、知人たちに申し訳なく恥ずかしい思いに今日曇天のように心が覆われている

2022-08-13

anond:20220813230006

かっこつきの空白

中学生の頃って誰しも痛い言動をするものだと思う

曇天の下、中学生Aは「空に続くものってなあんだ」と中学生Bに問いかけた

宇宙とかオゾン層とか?」と中学生Bは答えた

「違うよ、死だよ。死亡の死。どれみふぁそらの次は死でしょ」と自信たっぷりの口調で中学生Aは説明する

「   」

中学生Bは何と言うべきか悩み、空を見上げ、天啓を得た

「そらしの次に続くものって何だかわかる?」と今度は中学生Bが問いかける

「えー、何だろ、土?つち?」と中学生Aが答えた

「違うよ。『しらむ』だよ。『空白む』で、死を迎えた空も白んで、世界はまた明けるんだよ」と中学生Bは自分の考えに酔った口調で説明する

「    」

中学生Aは何と言っていいかからなくなった

それでも中学生たちは自分たちは最高にかっこいい会話をしているんだと思っていた

2022-07-19

最近読んだ本

僕の陽気な朝

イヴァン・クリーマの短編

社会主義体制下のチェコ。深い霧。重い空気曇天。街ゆく人の目に映るのは自らのつま先と石畳だけ。

私たちの目に映る彼らの日常は、空虚不条理グロテスクしか体制下で生きる市民にとってそれは笑いあり、涙あり、退屈ありのまさにかけがえのない日常

真実を教えてくれる新聞はないが、体制の網目をくぐり抜けた物語がある。コカコーラはないがブドヴァイゼルがある。ハリウッド映画はないが滑稽劇がある。信頼できる役人警官はいないが自分必要としてくれる友人たちがいる。生きる上で、他に何が必要だと言うのだろうか?

移動祝祭日

アーネスト・ヘミングウェイエッセイ

冒険する作家アーネスト・ヘミングウェイロスト・ジェネレーションからまれアメリカの父。誰もが認める大作家となったものの、晩年の彼は自らの老い自覚し、苦悩し、そして闘っていた。広い海の中、たった1人で無数のサメと戦う老漁師のように。

そんな彼の心に蘇るのは、記者として赴き作家としての歩みを始めた若き日のパリでの生活。そして最初の妻ハドリーであった。

「もし、きみが、幸運にも、青年時代パリに住んだとすれば、きみが残りの人生をどこで過ごそうとも、それはきみについてまわる。なぜなら、パリは移動祝祭日からだ.」

個人的体験

大江健三郎小説

不良少年官立大学学生大学院生、そして教授の婿。紆余曲折を経ながらも順風満帆に見えたバード明るい人生はアルコールによって閉ざされた。義父や妻、かつての学友たちの憐れみ視線から目を背けながら予備校講師で食いつなぐ日々。しかし若きバードアフリカ冒険を夢見ていた。広大なジャングル。壮大な夕焼け。見たことのない動物たち。それらは想像するだけで彼の目を輝かせた。そんな中、彼は妻の出産により現実に引き戻される。

ヘルニアを抱えた新生児、妻、義父、職場。苦悩するバードが向かった先はアルコールと女。青年現実を受け入れられるのか。それともさらなる深い闇に落ちていくのか。

大江健三郎長男は脳に障害を抱えて生まれており、その時の心境を基にして執筆された作品

ロビンソン・クルーソー

ダニエル・デフォーによる言わずと知れた冒険小説

中産階級青年ロビンソン大海原に駆り立てられ、父の忠告無視して旅に出る。案の定、彼の船は嵐に遭遇し、無人島に漂着する。たった一人で無人島に投げ出されたロビンソンを襲う疲労病気、空腹そして孤独と後悔。

しかロビンソン自分を奮い立てる。この島は私の国だ。私を邪魔する者は誰もいない。ロビンソンは今やこの島の君主であり法であるトンネルを掘り、家を建て、家畜を飼い慣らし、その生活を豊かなものにしていく。

そんなある日、ロビンソンが浜辺を探索していると自分以外の足跡があることに気付く。

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」と共に読んでほしい。なぜ世界辺境である西欧諸国地球上のほとんどの土地支配することができたのか。ロビンソン・クルーソーにはその問いに対するヒントがロビンソンの行動の随所に散りばめられている。

2021-11-27

anond:20211127063151

ケンミン?

北陸が🍰いいなんて聞いたら

北陸人がびっくりするわいね

永遠曇天

2021-11-09

会話に「どん」を入れないと死ぬデスゲーム

ルール

・会話に「どん」ドン」を入れること

・同じ言葉はアウト

・不自然な会話はアウト

スタート

A「…どんな話する?」

B「夕ご飯の話しようぜ、俺は牛丼食べたい」

C「私はうどんかな」

D「ワシはドンキで買ったドンタコスをドンペリで流し込む」

ABC「(!!)」

A「え、えーと、なんか空がどんよりしてきたな」

B「曇天(どんてん)模様だな」

C「行燈あんどん)が必要ね」

D「ピカドンテポドンノドンが落ちてきてハルマゲドンになるかもな」

ABC「(!!!)」

A「え、えーと、好きなキャラクター名前、僕はドンキーコング!」

B「俺は…ドンケツかな、マリオ64の」

C「私は…ポセイドン

D「ワシはリザードングラードンヤドンウツドントリトドンシビルドンサイドンドンメル、ドンカラス、ドンファン、ドサイドンカバルドン、ジュラルドンパッチルドンタンドン、ウオチルドンかな」

A「ポケモン博士かよ!」

BC「(!!)」

?「Aさん、地獄どん底へ落ちなさい」

A「うわーーーー!」

?「さあ、続けてください、愚鈍諸君

B「じゃ、じゃあ、これでどうだ、壁ドン!」

C「わっやめてください、Don’t Touch!」

D「若者よ、マドンナにはロンドンウインブルドンどんちゃん騒ぎしてどんぴしゃりとつっけんどんにどんでん返しを決めるのだよ、さあ行け、ヨーイドン

B「うっせえよじじい!」

C「(!!!)」

B「うわーーーーーー!!」

?「ドンマイBさん。さあどんどん続けて」

C「え、え、え、えーと、あーもうだめ、どん詰まりわ!

D「君は生き残りなさい」

C「(えっ?)」

D「この部屋に来てからずっと感じてた。ワシには君みたいな娘がいてね」

C「(!?)」

D「君のような子は生き残るべきだ。ワシはここで終わる」

?「Dさん、そんな終わり方許しません、サドンデスです」

D「いいや、ワシはここで終了じゃ。さあ殺りなさい」

?「……分かりました、私の負けです。2人を開放します」

C「あ、扉が開いた!ここから出られるわ!Dさん、行きましょう!」

(外にて)

C「Dさん、ありがとうございます。…でもなぜ私達は開放されたんでしょう」

D「奴に『ドン』は殺せない。奴は『ドン』を愛してるからな。ワシはそこを突いたのさ」

C「え、ということは、あなたの名は?」

D「ドン小西だよ」

(「ドン小西のデスゲーム」終わり)

2021-07-17

anond:20210717000442

雨天や曇天でも使うのではないだろうか?

2020-09-23

いきなり雨

会社売店で食後のコーヒーを買う数分の間に

曇天→横殴りの強い雨

となったので、今日は定時になったらさっさと帰宅した方がよさそうだ…

2020-07-22

anond:20200720235021

バンドじゃないもん!あんま覚えてない夜」が来るとは嬉しい!去年聴きまくった。

他には「ロマンティックテレパシー」や「エンドレス」が好き。

自分おすすめグループ普通にエビ中私立恵比寿中学)。ただし最近アルバムのみ。自分は以前のエビ中は聴かなかったけど、2年前に6人体制になってから聴くようになった。特に去年出た「playlist」「MUSiC」の2つは超おすすめ。すごい作家陣で作ってる。ジャンプ石崎ひゅーい)、愛のレンタルマカロニえんぴつ)、Family Complex(岡崎体育)、曇天吉澤嘉代子)とか。個人的に好きなのはPANDRA(PABLO)。

あとは青森ロコドル勢が最近すごい。作曲家多田慎也青森移住してプロデュースしてる。王林でおなじみRINGOMUSUME「101回目の桜」は名曲。今年、初音ミクカバーでも話題になった。他にも最近出たライスボウルハローグッバイ」、など。

2020-06-13

私は贅沢を覚えてしまった

初めて一人でホテルフレンチフルコース食べに行ったんだけど、

ほんとに1人でびっくりした。

コロナの影響で客足が減ってる&平日でほとんどのゲスト

朝食のみのプランだったらしい。

フロントに降りたらウエイターさんが出迎えてくれて

レストランまで連れてってくれて、中に入ってびっくり。

もともと大きいホテルじゃないから、レストラン自体も小さいんだけど

明らかに1人用しかセットされてない。

私だけフライングしたのかと思ったけど、違ったのね。

天気が良ければ目の前の大きな窓から満天の星空が見えると言う

山上のプチリゾートホテルだけど、あいにくの曇天で外は真っ暗。

厨房を背に窓に向かって椅子をセッティングしてくれたけど、そのおかげで

中の景色が窓に映り込んでたんだよね。

私が食べ終わったタイミングで新しい料理飲み物サーブしてくれるけど

食べてる間中ずっと後で気配を伺ってるの見えてて、ちょっと頭を動かすと

すぐにさっと反応してくれる気配がして、最初は困った。

でも若いウェイターさん、教育をきっちりされてるみたいで、

すごく丁寧だけど、私が気まずくないように程良い距離で話しかけてくれて

後の気配も次第に気にならなくなった。

私を見てセレブと思う人はいないと思うけど、大事お客様として

丁重にもてなしてくれて、かつ、ぼっちで食べる私が寂しくないように

適度にかまってくれたのが本当に居心地が良かった。

普段和食ばっかりなので、フレンチの味がわかったかどうかに関しては

コメントを控えさせていただきます

ただ、素人の私にもわかるくらいは、盛り付けとかも凝っていたし、

たった1人のゲストのためにいろんな料理を一皿に乗せてくれてて、

胃も心も満たされた気がします。

ちなみに、翌朝は和定食で、小鉢だけでも5種類もあって、

焼き魚海苔納豆卵焼き味噌汁ご飯漬物

ジュースも2種類ついてて、食後のコーヒーもあり。

完璧日本の朝食に和食党の私は感激。

どれもすごく美味しくて、恥ずかしくてできなかったけど

ご飯おかわりしたかった位。

朝ご飯だけでも食べに行きたいかも。

正直、県内でもど田舎ホテルなので、期待半分だったけど

いい意味ですごく裏切られた。

私にしてはものすごい散財だったけど、サービスに対価として

お金を払う意義と言うのをすごく感じた。

知らなかったとは言え、私1人のためにシェフにウエイター

働かせてしまったのはちょっと申し訳なくもあるけど、

個人的にとても良い宿泊でした。

今回は遠出ができない分、交通費代を宿泊費に上乗せした

旅行で、チェックアウトまでずっとホテルの中でごろごろしてた

んだけど、こーゆー形のことを「ステイケーション」と言うらしいね

滞在ステイStay)」と、休暇を意味する「バケーションVacation)」からまれ欧米発の造語

コロナ流行たからできた言葉かと思ったけど、数年前からあったらしい。

これからますますはやるのかもしれない。

コロナ流行る前にいちど温泉宿に泊まった時もすごく良かったし、

でもその時は食事なしのプランだったから、今回完全にステイしたわけだけど

好きな本とか仕事ちょっと持ち込んで完全にリラックスするだけの旅。

体力がなくなった今は丁度いい。

昔は詰めるだけ詰め込んで観光地回ってたし、食事も宿もやすしか考えてなかったけど

今はとても無理ですから。。

から高級ホテルってあるんだろうなぁ。

毎回こんなホテルに泊まれるわけじゃないし、これからもほかに目的があれば

ドミトリー泊もいとわないけど、3回に1度はこんな体験が出来るように

仕事がんばるわ。

コロナ旅行全部キャンセルになって、何のために稼いでるのか分かんなくなったけど

私また頑張るわ。

追記:読みづらい自分語りに対して、コメントくださりありがとうございました。

好意的なお返事が多くて、恐縮です。

ギャップが肝心と言う言葉、すごく響きました。

常時こんな生活してると、きっとマックかに新鮮さを感じるんでしょうね。

貧乏にも贅沢にもどちらも対処できる自分でいたいと思います

有り難うございました!

2020-06-11

レスバトルに負けて空を見上げてたら俺の勝ちを確信した

今頃相手は俺から反論が来るのを待っていて気が気じゃないんだろうなって

俺のID必死チェックしたりしてるんだろうなって

相手が俺に意識を捉われた無為時間を過ごしている間に、俺は曇天を見上げる自分に酔いしれるという有為時間を過ごせた

結果的に俺は試合に負けて勝負に勝ったんだなって

2020-06-01

可愛い子供が二人いて、夫の稼ぎがいいか生活心配はなくて、でもお花畑はいられないのだよ。

から晩まで家事育児という名の人のお世話。それ自体が喜びなのかもだけれど、でもその喜びで満たされても幸せ気持ちにはなれないのだよ。

この世に生まれ落ちた一人の自分人生でこれからなにを成し遂げるか、その為に考えたり学んだり挑戦してみたり失敗してみたりまた挑戦してみたり、そんな時間がぜんっぜんないことが、心を曇天模様にさせるのだよ。

贅沢言うなってていうのはお門違いなのだよ。だって社会の一員として貢献したい、という成人なら誰しもが果たすべき責任を果たそうという気概を持っているのに、その為の武器を磨くこともできる舞台にすら上がれていないからもがいてるのだよ…。人生の意義を奪われているとさえ感じてしまうのだよ。でも夫や子供を責めているわけでないのだよ。

でもこの葛藤放棄することはできないのだよ。

その理由は二人の子供の性別は女だから。いつか私と同じ苦しみを味わったときに「あきらめなさい。」とは絶対に言いたくないから。

2020-05-28

忘備録-失恋編-

端的に言って失恋を喫しました

とても長い時間恋をしていた気がしますね。

それは多分実際その通りで、思えば、ある冬の日から始まっていた恋なんですよね。

しかしどうしようもない、どうしようもないダメ人間だった僕はどうしようもないのでどうしようもなかったんですよね。

グズグズしています

気付きがありまして、気付きって言うのかはわからないですけど。

失恋して初めて気付く恋というものがこの世にはあったんですね。

フラれたんじゃなく失恋、ここがミソです。

僕はついに最後まで好きだった人に好意を伝えることができませんでしたね。

最後ってなに?って自分でも思いますが、最後最後です。最後という意味です。

別にタヒぬとかそういうネガティブ意味じゃなく、もっとカラッとした気持ちで言ってるつもりなんですけど、まぁ実際は違いますよね。

考え、全然まとまらないですね。

同じことがずっとずっとずーーーーっと頭の中をグルグルしている。

まるで微弱なWi-Fiで見るYou Tubeのように、続きが一向に再生されない。

少し話が逸れるのですが、私は人生於いて嫉妬しない」ということを目標に掲げていまして、

嫉妬というのはとても醜い感情で、それが私のような人間になればより一層醜悪ものになってしまうわけです。

から誰にも何にも嫉妬せず、応援希望や羨望の言葉を持って尊敬や称賛にかえているわけです。

それは自分なりに正しい思考だと思っているので、それ自体否定してくる人はあまり居ないのではないか、というか居てほしくないなとも思っています

それは本心で、心の底からそう考えていることだと、そう思っています

そう思っているはずなんですけど、なんですけども。

好きな人恋人が居ると知った時に私の心に芽生えた感情は、それはそれは立派な嫉妬でした。

轟々と音を立てて自分の心がどす黒い曇天に変わっていく様子を私は呆然とした気持ち観測していました。

本当に醜い。失恋からしばらく経った今でも尚その厚い雲は一向に消えません。どうしちゃったんだ一体。

しかし、上にもあるように私はダメ人間なんです。

ことの本質はたった一言で済みます。「別に付き合いたかったわけじゃない」と。

ずっとそんな気持ちをなんとなく抱えて誤魔化しながら生きてきたんですね。

相手恋愛経験があまり無いほうらしく、いうなればそこに甘えきっていたんですよね。

なんとな~く「相手の身近な異性」というポジションでなんとな~く良い感じになれたらなんとな~く幸せなんじゃない?っていう。

甘い!クソ甘です。ぬるま湯にも程があります、どれだけ自分に甘いのか……反省しなさい。

ほんっっっっっっっっっっとうに自分大好き人間思考ですよこんなの。結局、自分が傷付くのが怖くて、友達で居られなくなるのが怖くて、ああ好きな人って友達なんですけども、

それで特に何もアクション起こすことなくいつか相手自分のこと気にかけてくれるの待ってて、でもそんな都合のいい話あるわけなくて、

で?いざ恋人ができたらメソメソして?

バ~~~~~~~~~~~~~ッカじゃないの???

返す言葉もございません。

ずっとそんなことばかり考えています

落ち込む自分自分を律する自分自分の中に混在しています

失恋ってこんなに辛いんですね。

これは笑い話として聞いて欲しいんですが、失恋後2日ほど食事が喉を通らなかったんですよね。

なんなら食うやいなや嘔吐みたいな、そのくらい参っちゃってたんですよ。ウケますよね、根っからデブなのに。こんな時だけはいっちょまえに飯食えないって。

失恋が発覚した後私の心にはひとつの嘘が芽生えました

それは「相手の恋を応援しよう」という気持ちです。

上にもありますが私と相手は友人です。少なくとも私は相手のことを大切な友達だと思っています

友達の恋路を応援するのは友達として当然でしょう?まるで女子中学生みたいなことを言ってますね。

でね?一応本人にも伝えてあるんですよ。応援してますって。

それが自己満足なのはわかってるけど、友達として、心から応援しているって、言ったんですよ。

相手の反応は芳しくありませんでしたけど。

凄くない???俺。

ほんとよく言ったよね。手震えっぱなしだったけどね。

で、肝心なのはそれは本心なのか?っていうところだよね。

本心じゃないとしたら私は友達の前ででっかい嘘をついたことになるわけで。

嘘つき呼ばわりされても仕方ないぐらいの嘘で、嫌われても、軽蔑されても、友達じゃなくなっても仕方ないくらいの

でね!?私は「それらがいつか本心になればいいな」って思っているんです

そもそも付き合いたい訳でもないし相手のことを幸せにできる自信がないクズなんですよ僕は!?

その上応援もできない友達なんてそんなの友達じゃないじゃないですか!?!?!??!!?

から!!!!僕は!!!!!その子!!!!!!ハッピーになってもらいたいんです!!!!!

以上、ゴミクズメンヘラ戯言でした。

ご清聴ありがとうございました。

2019-10-21

[]【2】2019 秋、マレーシアシンガポール

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anond:20191021083746




Day,2



2日目

多民族国家へようこそ


日本代表プール突破は嬉しいが、このまま頭がラグビーモードだと初めて訪れる国では差し障りがあろう、羽田深夜発の機内では眠りたかったが、毎度のごとく機内での不眠グセが顔を出し、結局一睡もできなかった。

今日は到着のクアラルンプールからいきなりバスで2時間ほどのマラッカに移動して、ホテルへのチェックインとなるので、こなすべきタスクが多い。

不安もないではないが、その不安自体について考えすぎるのも精神衛生上悪いので、あまりいかけないことにした。

現地時間午前6時に到着したクアラルンプール国際空港手荷物預かり時までモノレールで移動するという、日本ではちょっとお目にかかれない構造に軽く戸惑ったが、入国管理カードすら必要なく、拍子抜けするほどあっさりしたものだった。

空港内のコンビニで水を買い求めたりしたが、マレーシアの人は柔らかな笑顔で応対してくれる。

これは南国の気質なのか、旅人価値あるものとする、イスラムの教えなのか。

クアラルンプール国際空港から一旦、市内中心部のKL セントラルに向かうため、高速バス切符を買う。

バスチケットセンターのお姉さんんがちょっと硬い感じだったのと、スーツケースバスに積もうとトランクの近くにいたおじさんに声をかけたら客だったという小さなイベントはあったものの、ここでも概ね笑顔対応を受けた。

しかし、バスが走り出してすぐ、東南アジアあるあるの「異様に強い冷房」に遭遇。

日本からやや厚手のスウェットブルゾンを持ってきていたので、ジップを上げてなんとかしのぐが、これはなかなかの強さだ。

見ると、前の席のお兄さんはダクトに空港手荷物預かり証のシールを貼って塞いでいる。

そうか、その手があったか

KLセントラルに到着し、少し館内を散策する。

ここは交通ハブでもあり、観光客も多いのだろう。

でも、おそらく日常でここを使っている人たちの姿を見ると、その多彩さに驚く。

ヒジャブを被っている女性マレー系だろう。

長い髪も露わにひたいにビンディをつけてる女性がいる。

きっとタミル系だ。

カフェでは中華系の壮年男性が30台ほどに見える浅黒いマレー系男性ビジネストークをしている。

全く違う人種宗教の人々がここまで日常感を放ちながら共に暮らしている姿は、日本ではなかなか見ることができない。

セントラル地下には好レートの両替所があり、此処での目当てはそれだが、両替開店にはまだ早く、カフェ時間つぶし。

初めてのマレー飯、カヤトーストを食す。

トーストに挟まれた謎のスプレッドは色といい味といい、ランチパックピーナツクリーム連想させた。

開店した両替所でリンギットとついでに少額のシンガポールドルを手に入れたら、次は今日宿泊マラッカ行きの高速バスに乗るため、中央バスターミナルにかないといけない。

ここで、東南アジアUberといえるGRABを使って見ることにした。

アプリアカウントと支払い情報入力し、地図上で行き先にピンを指して配車すると、やがて銀の車がやってきた。

降りてきた男性中華系だった。

日本以外のアジアは「運転が荒い」という印象があり、事実マレーシアも聞くところによるとそうらしいのだが、GRABで配車されるタクシーアプリ評価システムが内在されているからか、実際に乗って見ると非常に安全運転だった。

ちゃんに礼を言い、中央バスターミナルTBSへ。

バスに乗ればマラッカまで2時間

乗り込む前に腹ごしらえすることにした。

フードコートで頼んだのはカレーラクサ。

ココナツカレー味のうどんのような麺でかなり辛い。

このラクサ中華マレー人の作る「ニョニャ料理」とされていて、それならばこれから向かうマラッカが本場なのだが、どうもマレー料理地域によってかなり味が違うようなので、クアラルンプールでも食べて見ることにした。

ココナツマイルドさとゴロゴロはいっている鳥の骨つき肉が味に厚みを与えているが、かなり辛い。

大汗をかきながら完食し、すぐマラッカへのバスに乗り込んだ。



古都マラッカ海鳥匂い


幸い先ほどよりも冷房がキツくなかったバスに揺られて2時間古都マラッカに到着した。

降りた瞬間に塩の匂いというか、海鳥匂いがする。

思った以上に海が近いらしい。

さっきの流れで慣れたので早速GRABでタクシーを呼び、今夜の宿、ダブルリーバイヒルトンマラッカへ。

ホテル世界最高レベルで安いと噂のマレーシアだが、通された部屋を見て驚いた。

広々としたリビングキングサイズのベッド、眼下にはマラッカの町並み。

ベトナムで泊まったホテルニューワールドにも驚いたが、1泊7,000円弱という値段を考えるとこちらの方が衝撃は大きい。

マレーシアなら東急イン以下の値段でラグジュアリーホテルに泊まることができる。

チェックインも済んだので、マラッカ旧市街に繰り出して食事でもしよう、そう思ってホテルを出たが、少しオランダ広場を見てから繁華街に向かうと、ほとんどの店が閉まっている。

おかしいな、祝日かな。

目当ての店もどれも閉店だ。

気になって調べて見ると、マラッカの街は夜が異様に早く、食事の店でも多くは18時、早い店だと16時には店が閉まってしまうらしい。

晩御飯を食べに出たら店はどこも開いていないというわけだ。

辛うじて空いていた中華系の店でローストダッグと空芯菜炒めをつまみながら、「これは世の中の常識定義全然違うなぁ」と思った。

ポストしたレビュー応援してくれるコメントも頂いたが、辛辣評価もついた。

寝不足で動き回る異国の地、曇天の空には海鳥の鳴き声が響きまくり、店は閉店、レビューにはお説教

うまくいかない日な気がしてきた。

まあ店が開いていないなら仕方がない、昨日からロクに寝ていないんだし、今日はさっさと寝て、朝早くからマラッカの街でニョニャ料理を楽しもう。


【3】2019 秋、マレーシア・シンガポール 3日目 |まぜこぜの国 へ >>

2019-07-21

天気の子ってどうだった?

意外と人が入っていたんだけど

2019-07-18

阿仁

犯人は、スタジオ放火行為の一歩手前にいた。

そのとき眺めた久美子の原画は、燦然ときらめく幻の久美子と、原画の中の現実の久美子が一致し、たぐいない虚無の美しさにかがやいていた。

犯人スタジオに火を点けた。

燃え盛るスタジオの中で犯人は突然、女子トイレで死のうとするが扉はどうしても開かなかった。

まれていると確実に意識した犯人は、戸外に飛び出し駅の方へ駆けた。

火の粉の舞う曇天を、膝を組んで眺めた犯人煙草を喫み、ひと仕事を終え一服する人がよくそう思うように、「生きよう」と思った。

2019-04-09

ドラゴンが火を吐きはじめたのっていつごろなの?

ギリシャ神話のテューポー

今日ギリシア神話として知られる神々と英雄たちの物語の始まりは、およそ紀元前15世紀頃に遡ると考えられている。物語は、その草創期においては、口承形式でうたわれ伝えられてきた。紀元前9世紀または8世紀頃に属すると考えられるホメーロスの二大叙事詩イーリアス』と『オデュッセイア』は、この口承形式神話の頂点に位置する傑作とされる。

巨体は星々と頭が摩するほどで、その腕は伸ばせば世界東西の涯にも達した。腿から上は人間と同じだが、腿から下は巨大な毒蛇がとぐろを巻いた形をしているという。底知れぬ力を持ち、その脚は決して疲れることがない。肩からは百の蛇の頭が生え、火のように輝く目を持ち、炎を吐いた。

半人半蛇だけど「炎を吐く邪悪な蛇」のイメージにはなっているかも。

ギリシャ神話怪物はだいたいテューポーの子孫だし。

ギリシャ神話ラードーン

ラードーン(古希: Λάδων, Lādōn)は、ギリシア神話に登場する、林檎園の黄金林檎を守っていた、100の頭を持つ茶色ドラゴン

(中略)

から炎を吐き、一説では顎の関節が尾にある為、体全体が口のようになっており、百の首を持つといわれている。

と、Wikipediaには書かれているが、ラードーンが火を吐くかどうかは定かでない。

何が出典なんだろ?

旧約聖書レヴィアタン

ヨブ記』(ヨブき、ヘブライ語:סֵפֶר אִיּוֹב)は、『旧約聖書』に収められている書物で、ユダヤ教では「諸書」の範疇の三番目に数えられている。ユダヤ教伝統では同書を執筆したのはモーセであったとされているが、実際の作者は不詳。高等批評に立つ者は、紀元前5世紀から紀元前3世紀ごろにパレスチナで成立した文献と見る。

ヨブ記』によれば、レヴィアタンはその巨大さゆえ海を泳ぐときには波が逆巻くほどで、口から炎を、鼻から煙を吹く。

(中略)

その姿は、伝統的には巨大な魚やクジラやワニなどの水陸両生の爬虫類で描かれるが、後世には海蛇や(それに近い形での)竜などといった形でも描かれている。

ドラゴンになったのは後世。

サラマンダー

プリニウス著作で唯一現存しているのが、自然芸術についての百科全書的な37巻の大著博物誌である自然界の歴史網羅する史上初の刊行物であった。

(中略)

最初10巻は77年に発表され、残りは彼の死後おそらく小プリニウスによって公刊された。

プリニウスの『博物誌10巻には、サラマンドラは斑点を持つ小さなトカゲで、雨が降ると現れるが晴れると姿を消し、体が冷たく火に遭うと溶けると記録されているが、これはサンショウウオに関する記述と考えられている。

また、『博物誌11巻にはピュラリスというキプロスの炉の炎の中でしか生きられない動物が登場しており、精霊サラマンダーこちらに近い。上記の通り、炎を操る特徴からファイアードレイクと同一視され、ドラゴンとして扱われることもある。

「ベーオウルフ」のドラゴン

『ベーオウルフ』が成立した時期は、作品内部にも外部の言及としても成立の時期を特定する記述存在しないため、必ずしも明らかではないが、8世紀から9世紀にかけての間に成ったと考えられている[3]。

第一部でベーオウルフは巨人ドラゴンとも言われている)グレンデルとその母親と戦い、第二部では炎を吐く竜と死闘をかわす。 なお、インパクトが強くかつ謎の多いグレンデルとその親に関しては言及されることが多いが、炎を吐く竜に関してのものは少ない傾向にある。だが、同時にいわゆる「ドラゴン約束事」(財宝を蓄え守っている、翼を持って空を飛ぶ、火を吐くなど)をほぼそろえている珍しいドラゴンでもある。

スラヴ神話のズメイ

スラヴ民族文字を持たなかったため、伝えられた神話民族独自に記録した資料存在しない。スラヴ神話存在した事を記す資料として、9世紀から12世紀の間に行われたキリスト教改宗弾圧の際の「キリスト教」の立場から記された断片的な異教信仰を示す内容の記述が残るのみであるスラヴ神話地方により様々なバリエーションがあったことが近年の研究により明らかになっている。

ズメイ・ゴルイニチ(「山の息子の竜」の意)の場合、3つ首以上、多ければ12体幹を持つと表現され、火や毒を噴くなど、歴然とした一般の「竜」のイメージで描かれる。

アングロサクソン年代記ファイアードレイク

アングロサクソン年代記』はアングロサクソン史を古英語で綴った年代記集大成である編纂9世紀後半のアルフレッド大王の治世に、恐らくはウェセックスにおいて行われた。

火の竜」を意味する名前の通り、炎をまとい、口からも炎を吐く。空を飛び、それが現れる時は辺り一面、昼のように照らされる。曇天の空に不思議な光が走る時はファイアードレイクが飛んでいるのだとされた。

隕石という説があるらしい。

獅子騎士イヴァン」のドラゴン

イヴァンまたは獅子騎士』(イヴァンまたはししのきし、Yvain, le Chevalier au Lion)は、1170年から1181年頃にかけてクレティアン・ド・トロワにより著作された散文騎士物語であり、アーサー王伝説主題にした5作品ひとつである

イヴァンは旅の途中で火を吐く大蛇獅子が戦っているところに出くわす。イヴァンは問答のすえ獅子に加勢し、大蛇を倒した。これに恩義を感じた獅子は、イヴァンと行動を共にするようになり、イヴァン獅子を連れた騎士とだけしか名乗らなくなる。

黄金伝説」のドラゴン

黄金伝説』(おうごんでんせつ、羅: Legenda aurea または Legenda sanctorum、レゲンダ・アウレア)は、ヤコブス・デ・ウォラギネ1230頃 – 98)によるキリスト教聖人伝集。1267年頃に完成した。

その時代エチオピアの町では一人の魔術師権力を持っていた。彼は常に恐ろしい二匹のドラゴンを連れていて、自分にはむかう者にけしかけていた。あまり大きなドラゴンではなかったが、口や鼻から火や燃える硫黄を噴出し、人や家を焼きつくしたので誰も魔術師に反抗できなかった。その噂を聞いたマタイ魔術師の元を訪れた。魔術師マタイドラゴンをけしかけたが、マタイが十字を切るとドラゴンは地面に倒れて眠り込んでしまう。

同じく「黄金伝説」に書かれている、有名な聖ゲオルギウスが退治したドラゴンは、毒を吐くが火は吐かない。

マルタが退治したタラスクは、「燃える糞を撒き散らす」と言われているけど、これ英語版では確認できなくない?

タラスクは、レヴィアタンボナコンの子なのだが、ボナコンの特徴である燃える糞」が、日本語訳されるとき混同されたのでは。

といったところから考えると、5世紀くらいまでは「火を吐くドラゴン概念は薄かったが、

8〜9世紀から伝承として語られはじめて、1012世紀頃にはすっかり定着していたという感じだろうか。

なぜ火を吐くようになったのか?

候補1:サラマンダーとの混同

サラマンダーは、火をより大きく燃え上がらせる能力があり、火山溶岩の中に住んでいるという伝承もある。

ズメイや、ヤコブドラゴンは、吐く息から硫黄臭いがするといい、火山連想させる。

候補2:雷や隕石などの自然現象に由来

ドラゴンには「地を這うドラゴン」と「空を飛ぶドラゴン」の二種類のイメージがあるが、

蛇や蜥蜴からは空を飛ぶイメージしづらいことを考えると、隕石から連想には説得力がある。

候補3:「身体が灼けるような猛毒から「火」に転じた

古典的ドラゴンはやはり「蛇」「毒」のイメージであり、

そこから火を吐くように変わっていったことを考えると、これも自然解釈に思われる。

うーん、わかんね。

anond:20190408143752

追記

というか最初、つまりギルガメシュ叙事詩(フンババ)の時点で『その口は火で、その息は死』と形容されてる。強力な怪物が火や死を吐くのは有史以前からの常識で、「最初から吐いてたが記録に残ってなかっただけ」では - cider_kondo のブックマーク / はてなブックマーク

フンババの咆哮は洪水であり、彼の口は火を意味し、吐息はまさに死である」というのは単なる比喩なのでは。

まあ比喩として記述されたものが、後に「そのもの」として受け取られるのは、この手の伝説ではよくあることだけれども。

仮にフンババが火を吐くとしてもそれだけで「もともと怪物は火を吐くのが常識」というのは飛躍ではないかと思う。

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