はてなキーワード: 避難とは
お知らせ、速報にしか使えないなんてことはなさそうやね
取り急ぎ
読み方:とりいそぎ
取り急ぎ(とりいそぎ)とは、一時的に急いで対処することや、緊急性が高い事柄に対して優先的に行動することを指す言葉である。主に、時間的制約がある状況下で、最も重要な事項に焦点を当てて対応する際に用いられる表現である。また、取り急ぎは、他の事項に対する対応が後回しになることを意味することが多い。
取り急ぎの語源は、古くから使われている日本語の言葉で、「取り」は「取り上げる」、「急ぎ」は「急ぐ」の意味を持つ。これらの言葉が組み合わさって、「取り急ぎ」という言葉が成立し、現代の日本語でも広く使われている。
取り急ぎの使い方は、主にビジネスシーンや日常生活での緊急時に適用される。例えば、会議で重要な決定事項が発生した際に、その事項に対して速やかに対応することを意味する場合や、災害発生時に避難所への避難を優先することを示す場合などがある。また、取り急ぎは、メールや手紙の冒頭に記載されることがあり、その場合は「取り急ぎの連絡」として、緊急性の高い情報を伝える意図がある。
つじ誠心(せいしん)・練馬区議会議員【誠心誠意】
https://twitter.com/Tsuji_Seishin/status/1743498539395912061
昨日の練馬区賀詞交換会にて、日本共産党練馬区議団・都議に囲まれ、辻の共産党の募金活動に対するポストに言及された。「邪魔しないで」「共産党舐めたら怖いぞ」「ぶち◯すぞ」と…。
https://twitter.com/arima_yutaka/status/1744171750676693080
1月5日の賀詞交換会でのつじ議員に対する私の発言は、極めて暴力的で不適切な内容を含むものでした。どんな状況でも許されるものではないと考えます。一連の発言を撤回し、心よりお詫びします。
@jcpnerima
https://twitter.com/jcpnerima/status/1744210952709652706
有馬区議会議員の謝罪文を掲載します。地区委員会として、所属議員による著しい暴言について心よりお詫び申し上げます。今後こうしたことが起きないように努めるとともに、多くの方々が犠牲となり、避難生活を余儀なくされている被災地の支援に引き続き力を尽くしてまいります。
その昔、ワイがネットで知り合って会うことになった女の子とせっくすまで行ったときは、
まあ、言葉巧みにせっくす前提で会うんだけど。成田あきらじゃないよ。
生で外出ししてた。ワイに会いたい子はだいたいかわいくない恋愛経験少ない人だったから、
されるがままで何も言えない、とか。まあ外に出したから避妊なのかな、みたいな。
おへそに溜まってる精液を舐めさせて、乳首に塗って、ちんこを舐めさせて、
「おちんちんちゃんときれいにしてくれて、かわいい女の子」とよしよしして、
大事にされてる子供がされるように「かわいいね。にこにこ。いい女の子だね」
と褒めて、「可愛い女の子なのにこんなおっぱいで、こんなエロいまんこになって、
大人になるんだねー」「赤ちゃんも埋めるし」「そうだねー、そのために大人の女の子になるんさもんね」
だけどそんなのをずっと続けてると、最近気になる男の子がいてから始まって、
一人だけ「今彼がせっくす下手すぎでなんとかしたい」って久しぶりに連絡来て、
「せっくす教えてあげてください」「どうやって」「3Pで?」おもしろそうやん。
久しぶりに会った彼女は整形でもしてて、可愛かった。
せっくすはお互いの信頼関係が大事、相手になら何をされても気持ち良いっていう、
それでワイはあなるを舐め始めた。ワイには分かる。あなるせっくす経験者かどうか。
そのあいだ、「きみ、おなにーしてもいいからね!」「あ、はい」ってオナニーし始めて。
射精しちゃって。あちゃー。その姿見て女の子冷める。「なんでおなにーするんだよ!」
原発を全て捨てろとは言わんが、なんかあったときにサクッと止められる状況にしとかないと原発運用に無理が出ることをまだ認めようとしない人達がいる。
何故認めないのかと言えば「下手に止めたら再稼働を邪魔される」という認識なんだろうな。
もちろん実際邪魔されているが、焦って杜撰な運用のまま再稼働しようとして問題が発覚するという推進派の拙速な行動が自分達の信用を毀損していると気付いて欲しい。
「科学を信用しないのか」みたいな自分達の被った泥を科学に押しつけるようなみっともない言い訳はしないで欲しい。
原発でミスがあれば金どころの話ではなくて、最悪の場合は文字通り国土が失われるんだ。
福一の周りはいまだに碌に人が立ち入れない。碌な経済活動も出来ないし、後始末は金を食い潰し続けてるんだ。
地震大国の日本で原発の運用はそもそも厳しいが、これから先人口が減り続ければ周辺100km圏内に誰も住んでない海岸平野部は今後20年以内にそれなりに出てくるだろう。
どうしても必要ならそういう「避難計画を考えなくてもいいところ」に建てるしかないよ。
もちろん「後から近所に引っ越してきても自己責任でよろしく」って法律制定してな。
どうせこれから先、世紀単位で日本人は減る一方なので、わざわざ原発の近くに引っ越そうとするのは頭のおかしい奴だけだ。
というか、近所に原発建てたがらないくせに一番電気食い散らかしてる首都圏の人間が「原発は必要なんだから再稼働の邪魔するな」みたいな寝言ホザくのが笑えるよね。
安部とかいう奴が政治は結果とか言ってたけど、実際に復興は進んでないですよね?悪夢の民主党政権(笑)ではもっとスピーディだったのにね
奥能登は道路ガー!←いやわかってることなんだから最初から手を打っとけよ。原発の避難計画なんて絵に描いた餅だよね?
で、緊急車両や自衛隊のために道路を開けろとか言ってたにもかかわらず結局その自衛隊さんたちだけじゃ手が足りてないんじゃん(笑)えっ復興ってボランティア頼りってマジ?さすがにもう道路通じてるでしょ?w大量投入できるよね?
ま、結局ボランティアがいないといけないよねってことになるんだけど、山本太郎がカレー食ってただけでめちゃくちゃ叩かれるんだからだれもボランティアなんかに行かないわな。
残ったカレーどうぞって言われて食ったら叩かれるとかいうトラップ。ほかに何があるかわからんよね。うんこしたら叩かれるのかもしれないしね
結局お前らが山本太郎を意味不明に叩いた結果能登にボランティアが集まってないんだけど。人殺しの顔をしろよ
山本の車一台の影響で渋滞が!山本のカレー一杯の影響で餓死者が!山本の影響でほかの人たちも押し寄せるかも!←その繊細さでもってあの異常なバッシングとボランティアが足りてない現状を分析してみろよ
今は行くな、来るな!と言われてるのに!←誰もそんなこと言ってません。不要不急な訪問は避けて、つまり必要であったり緊急であれば移動していいわけだけで、山本は現場のNPOの要請を受けて必要だったから行っただけ。雑な認識だと物事を正しく判断できないんだよね馬鹿には難しいか
じゃあ逆に金沢から実家に帰って両親を連れて帰るみたいな事してた一般人も叩けよ。そういう奴らが大勢いたから渋滞ができたんだろ?
山本太郎が嫌いっていう感情から始まってるからロジカルに考えることもできずに感情のままにギャーギャー叫んだ結果ボランティアが足りてませーん(笑)あの時山本太郎を叩いてたやつらは非国民だという自覚をもって壺でも磨いとけよ
ブラインドを閉じる
コピー機の電源を切る
モニターの電源を切るのを忘れない
システムの打刻
最終退館の入力
照明を落とす
施錠とセキュリティを起動
廊下の消灯で一度真っ暗になる
エレベーターで1階に降りる
表玄関は閉じているので裏口に向かう
大通りを歩く
高速道路沿い、高架につく明かりが深夜でも明るいオレンジ色をしている
小さく歌を歌いながら帰る日が多い。頭を空にするための歌なので、なんの歌でも良い。TikTokで聞いたサビしか知らない歌でも、学生時代の合唱コンクールの課題曲でも。車が多いから迷惑にはなっていないと思ってる。
いつも曲がらない角を曲がって帰る日もある。知らない坂の先の景色をみたり、通れるかわからない細い路地を入ってみたり。
自転車で帰った日もある。電動式のシェアサイクルはわたしをぐいぐい引くように走った。
自分の足で走った日もある。通りを走るランナーはたまに見るしそれほど浮かないだろうと思った。自分で自分の体をコントロールして、心拍を上げる行動は何かに良い気がした。
酒を買って歩きながら飲んでみようとした日は、缶を路上に落としてしまい中身が噴出した。甘くないジンソーダで助かったと思いながら拾って帰った。
誰にも迷惑をかけない範囲で行う小さな奇行は、私が私に許す小さい遊びだ。1日の大半を仕事に明け渡してしまった今日をちょっとだけ取り返してから自分を寝かしつける、そういう儀式。最初はちょっと外食をして自分の機嫌を取ったりしていたのだが、夕食をしっかり摂るのも憚られる退勤時間になってからは「帰る」ことに遊びを見つけていた。人目につかない深夜に、小学生の帰り道みたいな、誰にも話さない1人遊びがたくさんあった。
何も出来ない日は大抵泣きながら帰る。あの時の自分のなかに何の感情があったのかわからない。悔しいなのか苦しいなのか、誰かに心配されて嬉しいなのか情けないなのか、
あのとき取りこぼしてしまった自分の気持ちはもう、私がわからないってことはこの先誰にもわからない。
泣いている時に頭の中に入っていたのは、周りの人が私に投げかけた言葉だけで、それを咀嚼して反芻しても、なんの味を感じたのかわからないまま、子どものように口角をひん曲げてボロボロ泣いた。マスクの中に水分が溜まって蒸れて、でも外した顔はひどいから付けたまま歩く。
公園の横を抜けて、ファミレスの駐車場を突っ切って、その先の横断歩道は押しボタン式の時間帯。渡った先のコンビニに寄る。朝昼は胃痛を避けるために軽いものしか摂らないので夜は多少好き勝手に食ってやろうと思いながら入店するが、運が悪いと夜中に腹を下すので結局中途半端な惣菜や軽食を買う。大体いつもボブヘアの男性店員がシフトに入っている。コンビニの横の坂道を上ったらあと少しで家に着く。
徒歩25分。家も職場も駅からあまり近くないせいで、電車に乗ってもせいぜい5分短縮できるか微妙な所だから歩いて通勤した。
机に縋り付いている記憶の方がたくさんあって良いはずなのだが、私は長い間、家に帰る道をずっと歩いているような、ずっと夜みたいな感覚を1番よく思い出す。
日中は、
「食事か睡眠、どちらかを満足に出来なくても片方が人並みならまだ保つ」
「このくらいの度数のロング缶を一度に飲み切ると眠れて二日酔いも残らない」
働き始めてから何年かで身につけたおまじないのような「これが出来ればまだ大丈夫」を幾つかポケットに入れて、指先で手触りを確認するような日々を過ごしていた。
「酒や乳酸菌飲料の力を借りて睡眠は取れているからまだ大丈夫」
「胃が荒れていて平日は差し障るだけで、食欲はあるからまだ大丈夫」
「朝は起きて支度できるからまだ」
部屋は荒れているが、不精なので繁忙期はそんなものだ。青クマもデスクワーカーの職業病。
「まだ大丈夫」を肯定的に捉えてサバイブしていたつもりだった。
いつのまに切り替わったかわからないが、これらの一つ一つが「まだ私が壊れてくれないから、大丈夫じゃなくなるのを待つしかない」のカウントになっていた。
勤務中、気を抜くと頭を上げていられなくなった。
ひとの目を見るのは元々苦手ではあるけど、顔を見せるすら苦しくなった。
対面で働くチームメンバーには両手で伏せて早口で指示を出す。通話会議は声を出せれば成立する、まだ大丈夫。
大丈夫な自分を演じているのか、大丈夫ではない自分を演出して逃げ出そうとしているのか、どっちにしろ何かのフリをできているうちは大丈夫なのか、大丈夫ってなんだ?
わたしは席に座れる、手を動かせる、web会議で通話が出来る、謝罪を述べることができる。出来るけど、帰りたいと申し出てある日早退した。これはダメなことだってわかっているからまだきっと大丈夫。平日の明るいうちに外出するのが久々でなんだかスカスカした気持ちになりながら、せめて身体を労わるポーズをとらないと均衡が取れないから大戸屋で品目の多い定食を食べた。ポテトサラダが重くていつまでも口に残った。
わたしにも少ないが友人はいる ありがたいことに定期的に会う用事がある
他愛ない近況の報告をしようとしたら、言葉が出ない日があって、そのとき友人は精一杯わたしを傷つけないように、「頑張る私」を否定しないように選んだ言葉で、心配に思っている、あなたを害するものをあなたは拒否する権利があるとだけ 言葉を投げてくれた
書いて消して何度か回り道しただろう、書かれなかった文にたくさんの気持ちが詰まっていた それに対して言い訳のような自虐で返事をした 最悪だ
病院探しを始めた。
躊躇いは特になかった。「自分に限って」なんていうバイアスは思い上がりだ。弱さを認められる方がまともだと思う、そういうペラペラのプライドを持っていた。「まだ大丈夫」のうちに、近い将来ダメになった時の避難経路を決める、それは賢い判断だと思った。
まあまあ都心に住んでいたので選択肢はいくつかあると知っていたし、思ったよりいっぱいあった。逃げ場ってコンビニほどはないけど歯医者くらいはある。場所を見つけて、予約を取ったあと、メモを書くことにした。
うまく話せるように、話せなくてもとにかく伝わるように。カンペなのか手紙なのか問診票の別紙なのか、わからないけど言葉を起こす必要があった。
相手に自分を「大丈夫」に見せたいのか、「大丈夫ではない」と言わせたいのか、なんだか意図がブレブレのメモ書きになった
紙に書き写す以上はありのままなんてどこにもない、本当のことを書いたのかどうか主観で見てもあやふやな文面。とにかく話せなくなればそれを読むか手渡すかしようと思って、印刷したものを携えて心療内科に行った。初診の予約は平日の昼しか取れないルールで、14時過ぎに中抜けして向かった。
名のついた診断が出た。
有給休暇の残数を尋ねられたり、直近で休養の取れるタイミングなどの話を流れるようにし始めた医師に、そんなつもりではない。 まだ大丈夫だから、もう少しマシになるための方法をくれと訴えたら、それはまっすぐに否定をされた。でも自分に「休め」を許せなかった結果、中途半端な診断書を持ち帰った。
朝、眠りから浮上する感覚を覚えると同時に心臓が跳ねるようになっていた。生きている、意識があるということに気づくと心が怯えるのはまあ自然なことかもしれないとその時は思っていたし、動悸そのものは業務に差し障りないから「大丈夫」「ダメ」の判断基準にならなかった。寝覚めは悪いが寝起きは良いので、遅刻もしなかった。
なんの名前を付けたら良いのかもわからないけど、しっかりと質量のある「ダメ」の感触が胸の中に入っている日がある時やって来た。
もっと、動けないとかずっと泣くとか何かが出来なくなったことを以て「ダメ」に『なる』なのだと思っていたけど、そうではなかった。何がどうダメなのかなんてわからないのだけど、相対的な話ではない、とにかく「ダメ」が去来する朝が来た。突発の休暇をとった。休んだ罪悪感を原動力にその週は出勤する、というサイクルをいくらか続けた。
この頃に、「ダメ」になる階段を一歩降りたような気がしていたが、同時に睡眠も食欲も自分の思う「大丈夫」の基準のままだったのだから、二元論で考えることが間違っていたと思う。
この「ダメ」は、「不安」の名前に片付けるものらしい。抗不安薬の頓服の処方を受けた。「頓服」だから、常用してないからまだ大丈夫。大丈夫の数をまだ数えていた。
そんなわけないのにいつもの道が歪んで見える日
物音が大きく聞こえる日
そんなものをちょっとずつずれながら積み上げてきて、綺麗に縛れない新聞の束のような、歪みが溜まっていくような感じがあった
退職願を書いた。
できるだけ綺麗な文字でしかるべき封書に綴じた正しいフォーマットで、すぐに出せる完璧な一筆を仕上げようと思った。
遺書ではないけど、でも心持ちは少し近いかもしれない。白くて郵便番号欄のない封筒が望ましいとネットに書いてあったがコンビニにも百均にもなかった。緊急で必要になる人もいるだろうに。
下書きをして、それを見ながら丁寧に文字を書いた。書いている間は無心になれた。書いただけで、結局出せはしなかった。
退職願も、診断書も、私にとっての「勝訴」の紙にならなかった。結局私は、自分にバツを付けて逃げるのが怖いまましばらく日々を過ごした。
同僚が出勤してくる
涙が止まらない
10時半過ぎ、何も変わらない
ここにいたらもう駄目なんだ、そういう日がついに来たのだと言われた気がした
そのあとは、とにかく手続きを滞りなく進めなければと、社会人として角の立たないように休職の手配をするために自分の感情はどこか棚の上にでも置いたような感覚で、再診の予約をとり会社と連絡を取り、自分を社会と切り離すことに成功した
今、会社に向かう朝も遊びながら帰る夜も無くした私は、子供の頃からの地続きの自分をあの夜の帰路に置いてきてしまって、残りかすの体だけがここにあるような気持ちで布団に横たわっている。じゃああの夜に私は何を思っていたのか、書き出してみようと思いメモ帳に書きつけるが、結局そこにも何もなかったとわかってしまった。今の私の回想だからそうなのか、本当に何も思うことはなかったのか、もうわからない。
といったルールが定められているコミュニティは決して珍しく無い
それは「◯◯支持派」「□□支持派」といった、支持派閥の違いによる対立・言い争いにより場が荒れるから、というのは理由の一つ
もう一つは、単純に『ネガティブ』な書き込みが増えるからである
増田やブクマカを見れば分かる通り、◯◯支持派による「◯◯のここが素晴らしい!優れている!」といったポジティブな書き込みよりも
「□□のここがおかしい!□□を支持している人間はゴミクズ!」といった、◯◯支持層以外をsageるネガティブな書き込みの方が多く、より反応も得られる
◯◯支持派以外を揶揄・誹謗中傷・愚弄する様なネガティブな書き込みは、例え政治に興味なくとも、単純に見かけた人間の気分をsageる
増田も近年、嫌儲から避難してきたであろう政治厨や対立煽り障害者がやれあれは駄目これは屑こいつは犯罪者、などと騒ぎ煽り立てる増田を乱発し
以前いたコミュニティも、男女対立煽りのネタが増えて元からいた層がうんざりしなくていなくなり、荒廃してしまった
増田も似たような末路を辿る気がしてならない