はてなキーワード: 人助とは
帰り道、乗り換えのために電車を降りたら、おじいさんがなにか助けを求める感じでなにかしゃべっているようだった。
自分はノイズキャンセリングイヤホンをしているので何を言っているかはわからなかったが、一応イヤホンを外した。
どうやらA駅まで行きたいらしい。そのためには、15分ほど乗り換えのために歩く必要がある。
夜だったし、相手は高齢だったため、道順を話しても行けないだろうと考え、乗り換え先まで送っていくことにした。
自分の向かう先もA駅だったが、駅まで送り届けたら別の車両に乗りたいと思ったのでそのことは黙っていた。
乗り換え前の駅を降りるところで、切符が見つからないようだった。
駅員さんがどこの駅から乗ってきたか聞いても、行き先のA駅と答え、怒っている。
自分もA駅が行き先であることを伝えたりと少しだけフォローをするも、ついさっきそこで会った人なのでほぼ何もわからない。
自分がそこであって道案内するつもりであることを伝えたので、駅員さんは配慮してくれたようで、改札は出られた。
駅員さんとまともなやり取りを構築できていなかったのをみて、危ない人かもとすこし警戒することにした。
それでも弱ったおじいさんだ。荷物を持ち、傘をおじいさんにさし、腕に捕まらせながら、駅まで歩いた。
なんとなく雑談みたいなことをしながら、特に問題も起きなかった。
ここで自分は帰るつもりだったが、先程の駅員さんとのやり取りを見ていたので、一人で乗せると切符を無くすだろうと予想した。
案の定、切符を買うことも時間がかかりそうだったので、切符代はこちらが持ち、切符を渡す。
改札を入ったあとに、切符を預かった。しかし、同じ駅まで付き合うのだから、自分の行き先が同じ駅であることを伝える。
すると気分が悪いと怒られた。わざわざ遠回りして手助けしてくれる人と思っていたら、帰り道のついでに手助けしている人だったのだから、まぁそうだろう。
謝罪をしつつ、自分は性格も悪いし性根も腐っているから、隠してたと話した。自分の行き先を伝えないことで途中で離脱しようと思っていたのだから、自分の都合で相手とって都合の悪いことをしたし、それをやりきれなかったのだから仕方がない。
おじいさんが不快感を伝えたあと、自分は不快なら去ると伝えるが、カッとなっただけでもう怒りは収まったようだった。
そのあとは無事最寄り駅まで送り届けた。
途中、おじいさんの家で飲もうと何度も誘われたが、断った。
それでも別れ際は何度もお礼を言ってくれた。おじいさんにとって、そこまで悪いことではなかったようだ。
自分はなぜ、こんなことをしたのだろうかと考えた。
人助けのいいところは、人助けをしなかった罪悪感を持たずにすむことかもなぁと思った。
人助けしたからってあまり気分になるわけでもないし、より面倒なことに巻き込まれていってもおかしくない。
見ず知らずの人を助けるのが倫理的に正しいのだとしたら、倫理は都合のいい人を作りたいだけの倫理的ではないものに思えてくる。
年配の方を助けることはあまりないので、案内する側は事前に道順を想定していないと安全な道を通れないとか、つかまりやすいように腕を出してあげることが大切だとか、意外と捕まる力は強かったなとか、日常ではできない経験だった。
自分にとってプラスのことかどうかで考えたらスルーしたほうがいいようなことだったが、繰り返しの日常の中に非日常のフラグが立ったことが一番大きな価値かもしれない。そしてそれは、なくても構わないものだった。あったらあったで面白がれればいい。
言うほど面白くない、という意見に反論したのではなく、比較すること自体がナンセンスだ、という意見に一貫していると思うのだがどのあたりを反論ととらえたの?
レベルE読んだことなさそう、っていうのとは俺の投稿でないことはあらかじめことわっておくね
書籍も発行していなければ漫画も小説も書いたことのない一般人の俺が【その分野で成功している】他者の作品を並べ連ねて【その分野で成功している他者同士で】優劣をつけ、だれの目にも触れる可能性があるインターネットに出すのが嫌というだけで比較が嫌な訳ではない
これには作者やそのファンの目につくと木村花のような事件を起こしかねないから触らぬ神に祟りなし、という考えからだ
そして一言でもフリーレンが面白いともつまらないとも言ってはいないんだが個人的な考えを言うと
旅先で人助けをするパート、戦闘をするパート、試験のパートや過去に戻るパートなど様々な切り口を用意していて中弛みやマンネリ化を防ぐ作りをしているのは過去の作品にも存在した
いやいや、無理があるだろ、という後付けらしき設定やポッと出て消えたザインの行方はどうすんの?とか色々言いたいことはあるが過去に巡った旅の足跡をたどるというのは新しい切り口だなと思う
いうなれば東京卍リベンジャーズがタイムスリップとヤンキー漫画という新しい組み合わせと似たようなものなのかな
それに加えて今現在から丁度12年前に戻る、という縛りがドラえもんのタイムマシーンのような何でもあり感ではないところも新しい切り口だろう
そういった新しい試みや切り口が一般に受けている、と思う
君の知りたい面白さの度合い、は俺の考えというかポリシー上の関係で伝えることはできないのだがこれで多少は満足してくれただろうか
https://twitter.com/utan_tomb/status/1754519457870102807
>今後はAED問題に対して「自衛させてもらう」と返せるようになった。
>「女性がAEDで冤罪なんか吹っかけるわけない」的な論調から
①どうせこんな事言ってる人間はAEDが必要な場面に遭遇しないし仮に遭遇しても元から助けない(残酷で身勝手な)ヤツw
②こういうシチュエーションで女性はいつも人助けするけど男はしない!見てるだけ!
こういう事をあまり言いたくなんだけどさ……
現在進行系で石川県で懸命に救助・復興活動している自衛隊員や公務員達の大半が男性だよ?
遺体の捜索でさ、酷い現場で実際に遺体も発見・収容して、かなりトラウマになったらしい。
しばらく落ち込んでたしカウンセリングにも言ってたよ。
自分より若い人、特に女性や、子供が亡くなっているのを見てしまうのが、たまらなく辛かったんだって。
で、こういう時、女性は何をしていたの?
……え?何も、してなくない?
地震や災害に限らず、命の危険もある大規模な活動に駆り出されるのは殆どが男性職員限定なんだよね。
男性ばっかりにやらせないでって常々言ってるじゃん。やりなよ。
女性って毎月あの日があるから血にも強いし痛みにも耐性があるのでは?
俺が主張してることのニュアンスをちょっとずつズレて捉えられてるなーと思う。
まあそれは仕方ない。こっちの言葉足らずなせいもあるだろう。だからってここでギリギリ認識をすり合わせようとやりとり重ねても空中戦にしかならんし、あるていど言いっ放しで終わっとけばいいのだが。
昨日レスした者だけど、確かにこちらも都合よく、よくある寄り添い論に引っ張って藁人形みたいなっていた部分があったと気が付いて、なんだか説明を重ねてもらって申し訳ない。
そういってくれてありがとう。冷静にレスできるっていうのは大きな経験値だとも思った。
平熱の信頼関係(精神的依存関係ではない)が必要。その信頼関係はどこから?といえば、そこまでの雑多な問題を一緒に的確に片付けてきた実績が裏打ちになるだろう。
同意。
人によって得意な支援分野も違うなかで、分野ごとにつないであげられる人も違う。自分ができることってここまでだな、ってそれぞれが思っているなかで動くわけだしね。
そこで充足できない課題に気が付いたときに、信頼関係を構築した人が仲立ちになって外部とつながっていければいいのかなと思う。
これから能登には、東日本の支援を経験した人や熊本を支援した人がそれぞれの経験値をもって現地に行くんだろうと思うけど、活かしていってもらいたい。
俺が主張してることのニュアンスをちょっとずつズレて捉えられてるなーと思う。
まあそれは仕方ない。こっちの言葉足らずなせいもあるだろう。だからってここでギリギリ認識をすり合わせようとやりとり重ねても空中戦にしかならんし、あるていど言いっ放しで終わっとけばいいのだが。
よくある「寄り添い論」と勘違いされてるんだよなあ。その危惧はよ〜くわかる。東北震災の時の反省として盛んに言われたことだし。
俺のスタンスは全く逆で
「他人事だからこそ可能な醒めた頭で、具体的な(かたちのある)問題について質の高い支援をすることで、間接的に精神的負担を減らすことを目指すべき」というもの。
というのはセットでなければならない。
人助けとはテクニカルな実務課題の複合体なんだ。そこが抜けていると現地で共依存みたいな「寄り添い」に陥ったり
安全圏から当事者不在の「正論」や箸にも棒にもかからない机上の空論を投げつけるだけになってしまう。
「移住」とかを視野に入れた話がおいおい必要だとして、その議論を進めるにあたっては支援側の外の人間との平熱の信頼関係(精神的依存関係ではない)が必要。その信頼関係はどこから?といえば、そこまでの雑多な問題を一緒に的確に片付けてきた実績が裏打ちになるだろう。
ネット民の知ったふうな見解(関わらないのが正解、とか)の間の隙間で
個人的にできることややるべきことがあるんじゃないか、という話をしてるのかな?いまいちよくわからんけど。
そうだとしたら、ボランティアマインドってつまりそういうことだ。
ボランティアといえばなんかどっかに登録してやるものとか特別な活動というイメージが固まっちゃってるけど。
迷子の徘徊老人保護するとかさ。単なる親切と地続きなのがボランティア。
気づいた人が自分の意志と能力と責任において試みるべき人助けがボランティアの本質であって。
そこが全くわかってない人(≒人助け経験値ゼロの人)が、懐手であれはいいとかこれはわるいだとかのネット品評会をやっている現状。
間違ってはいけないのは善意であれば何やってもいいというのとは違うということ。人助けというのは一にも二にもテクニカルな問題。できることはやればいいし、できないことはできない。
放置子に関しても「児相に通報するか一切関わらないかのどっちか」だなんていうゼロ百のルールはない。その間のところで、自分の責任においてがっつりコミットしてもいいしちょっと言葉かけるくらいの超ささやかな関わり方があってもいい。何が正解だとか不正解だとか他人にジャッジや指図してもらうことじゃない。
あなたみたいになりたい・ならなきゃ・なるべきっていう人には
「身近なところからがんばって」と返した。
(ちなみに彼女の人助けの動機は「ある日神の声が聞こえたから」なので参考にしようがないとも補足)
そしてここからは持論だけど
この「近い」には
あくまで「私」が助かってほしいとより思う相手を助ける、という意味だ。
なぜこれが残酷ではないかっていうと、この世に人間はあなただけではないから。
黒い犬を一番好きな増田と
※ちなみにマザー・テレサが神から聞いた声は「最も貧しい人のところへいけ」だったそうだ。
※「ブサイクな犬から救え」や「弱者男性のために人生を捧げなさい」って声をきく人だって大いにいそうだよね。というわけでこれはランダムな潜在意識だったり、神の御業なので、聞こえないなら気にせず。
>「誰かを助ける」という行為は同時に「助けない何か」を選定すること
これがそもそも違うといいたい。
誰かを助けるという行為は、救われない人間を1減らす行為、でしかない。
あなたが健全に生きていくのに(貴方が救われる側に追い詰められないように)支障ない範囲で、より近い人、より好きなものを、救っていけば、それが最高の行いです。
これは当然出てくる発想だけど、ボランティアのニーズ情報が一元管理されるような方向の発展はないだろうと予言しておく。
あるとしても何十年先かな。
ボランティアは統一組織ではない。組織でないものが組織のマネしても中途半端なことにしかならない。
だいたいどこそこに何人回せとかそういうふうに計画的なオペレーションと命令系統が成立するならそこには契約と報酬があってしかるべきなんよ。
ボランティアは予備役兵みたいな便利に使える二軍の人員ではない。
あくまで個人的な人助けの延長なんで、公的・組織的な支援からどうしてもこぼれるイレギュラーな需要に、ある意味では泥縄で対処するのが身上。