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はてなキーワード: 換骨奪胎とは

2019-04-16

拝啓奈須きのこ様へ

 あんたは僕のヒーローだった。自分の作り上げた世界のものを売り出して一大ムーブメントを作り上げた素晴らしい作者だったよ。

 今はそうじゃない。凋落堕落、怠慢。なんでもいい。とにかくあんたは劣化しちまった。

 最近あんたに出来たことと言えばどうだ。ほら、見てみろよあんたの辿ってきた道ってのをさ。

 枝葉末節は違っちゃいるがどれもかつての成功の焼き直しだ。リメイクだよリメイク。なにも作っちゃいないんだ。

 GrandOrderのキャラを見てみろ。同じ顔、顔、顔。単なる過去作品クローンどもだ。

 新規もいる? 中身が違う? なるほど確かに言い分は正しいとも。だが、本当に新造するならそいつらの知名度なんか頼らないはずだろ?

 なんならGrandOrderだけに限ったことじゃない。あんたが手がけたEXTRAだってそうだったじゃないか

 人気者のキャラクターを、しか殆どガワとカリカチュアだけを、再利用して。あの作品は結局のところstay nightのおんぶに抱っこだった。

 間違っちゃいないとも。再解釈ってのはキャラに限らずどんな作品にもありふれた手法だ。古典パロディ作なんかも山のように溢れてる。

 が、断言していい。再解釈ってのは自分世界と向き合うのをやめただけだ。産みの苦しみを避けて、妥協に勤しもうとする「逃げ」でしかない。

 楽だっただろ? 既成品を使ってもいいってのはさ。でも同じ見た目と、似たような性格。そんなものの何処が新しいキャラクターと言えるんだよ。

 扱うテーマだって同じだ。いつでもあんたは恋、恋、恋。ボケ老人の昔話みたいに恋の話ばかりしかしなくなってしまった。

 それだけじゃなかったはずだろう? あんたの世界にあったものは。恋とヒロインの他にも色んな輝きが渦巻いていた。

 今じゃどうだ。世界には恋とヒロイン。それだけ。まるでセカイ系流行ってた頃に溢れていた出来の悪い素人創作じゃないか

 2017年クリスマスなんかは特に顕著だったんじゃないか? あれは言ってしまえばただの構文だ。

 正直あれには呆れたよ。酷いもんさ。何も肉付けされず、あんたが手癖で使ってる恋とヒロイン定型文そのままだってんだから

 長い付き合いだ。恋とヒロイン文脈あんたの作風だってのはわかってる。わかっているんだよ。

 だがわかってるからこそ見えたんだよ、骨組みのまま出されたあのストーリーの中で。あんたの世界がどうしようもなく腐ってたのが。

 なぁ、奈須きのこあんたに僕は問いたい。あんたが作り上げた世界ってのは同じ顔した人間が溢れかえってるようなところなのか?

 同じ顔と似たような性格で笑い泣いて怒って叫んで。ちょっと違うだけの言葉を垂れ流すような。そんな世界だっていうのか?

 心底、気持ち悪い世界だ。

 こんな出来の悪いオープンワールドみたいな世界が本当にあんたの描きたかった世界だって言うなら、ああ。

 あんたは敗北者だよ奈須きのこ小説家だってのにキャラクター性とイラストに振り回されて自分世界を捨てた二流以下の小説家だ。

 言葉空想から世界を描いていたあんたは現実の何処にもいない。いるのは自作コピー・アンド・ペーストしか出来ない老いぼれだよ。

 だからこそ輝かしい栄光の背後に眠る物が見え隠れする度に僕は、本当に、嫌になる。厭になってくる。ああ、飽き飽きしてるんだこんなもの

 

 こんなこと、あんたには知ったことじゃないだろう。僕が勝手にガックリきてるだけだ。理想押し付けられちゃ迷惑なのもわかってる。

 ……やっぱり何も思わないかもな。だって、きっとあんたって人はファンなんて始めっからどうでも良かったんだから

 あんたの作品ファンへの思いやりなんて何処にもない。hollow ataraxia、いや、歌月の頃からその片鱗はあったかもな。

 気づいてはいたよ。奈須きのこって作者は過去作品大事にしないってことには。

 GrandOrderやEXTRAでも顕著だが、あんたは自作品を新作の材料くらいにしか扱った試しがない。

 それ自体は悪いことじゃあ無いとは思うよ。作品ってのは作者や、作者を取り巻く構造の持ち物であってファンのものじゃない。

 後付けや換骨奪胎描写の一部をなかったことにするなんてのも新たな作品創造するためには必要なこともあるだろうさ。

 けどさ。ファンだってあんたの作品に惚れたかファンになったんだ。なのにあんたは目先に吊られたピカピカの新品しか見えちゃいない。

 でも。でもだ。それでも良かった。良かったさ。あんたが本当に新しいものを作ってくれるなら幾らでも許容したよ。

 だけど違う。そうじゃない。あんたが最近やってることってのは古いピラミッドを崩して新しいピラミッドを作る繰り返しじゃないか

 何がサーキットだよ。あんたの作り上げた世界サーキットの他にも、幾らでも、楽しくて心を震わせてくれるものがあったじゃないか

 確かにあったんだ。あったんだよ。本当に、本当に、たくさんだ。いっぱいあったんだよ。あんたの世界の中には。あったはずなんだ。

 でも。もうだめだ。そこにはテーマパークも図書館映画館も残ってない。全部サーキットのために取り壊してしまった。

 サーキットは日々盛況だ。千秋楽も見えないのにいつ来ても満員御礼。すごいサーキットだよ。誰もが称賛する、歴史に残る名物だ。

 観客席の暗いところにはテーマパークを再建するお知らせが貼り付けられているけど、そんな古いポスターを眺める観客なんて滅多にない。

 眺めてるのは僕のような老眠ばかりで、本当はもうテーマパークなんて流行らないことなんてのもみんな薄々感づいてる。

 それでもみんな色あせて糊も落ちたポスターサーキットに来るたび補修しては、テーマパークが出来る日を夢に見ていたんだ。

 そうやって何年経っただろうか。僕はもう疲れてしまった。胸のうちに宿った失望から目をそらすことに、ほとほとうんざりしちまった。

 サーキットを嫌いになったんじゃない。テーマパークが再建されないことが嫌なんじゃない。世界が停滞してしまたことに耐えきれないんだ。

 僕は今まで黙ってきたよ。きっと僕はhollow ataraxiaの時にあんたを裏切ってしまった、あんたを失望させたファンの一人だから

 あんたに失望しても、あんたを変えてしまったのは僕たち自身だと思って目をそらし続けていた。だけどもう限界だ。

 決めたんだ。僕はもうあんたの作った世界から出ていくよ。歪みに歪んだまま発展を止めた世界になんて留まる価値を見いだせない。

 僕はあんたと同じ荒野に出て、自分世界だけを描いて、あんたが自分世界を捨てたことが間違っていたって証明してやるよ。

 傲慢だと、愚劣だと、そう思いたいなら思えばいい。今はあんたの足元にも及ばない小人でも、いつかあんたより高く飛んで見せる。

 それじゃあサヨナラだ。落ちぶれたマイヒーローあんたは地面に縛られたままサーキットで一生を終えるといい。

                                             貴方の描く世界が好きだった者より

 

2019-01-27

政権交代が怖い

去年の森友あたりまではどちらかと言えば支持するだったけど、森友あたりからどちらかと言えば支持しないに変わり、統計問題で全く支持しないに変わった。

はてなでは遅いとか言われるかもしれないけれど、民主党政権下での異常な円高会社がつぶれかかった危機感を思えば、すくなくとも経済問題視し、改善しようと意志だけでも見せている分、まだましだと思えたのだ。

地方では中途採用は難しいし、20年同じ仕事を続けて、特別スキルを持っているわけでもない私にとっては会社がなくなることは本当に恐怖だった。

アベノミクスで何とか一息付けて会社もつぶれずに続いている。

から安倍首相を支持し続けていた。

でもアベノミクス三本の矢のうち、二本目以降が一向に打ち出されず、景気の動向より消費税増税を優先する考えを見るにつけ、だんだんと恩義も薄れていった。

正直、森友とか加計とかどうでもよかった。

政治家汚職するものだと思っていたからだ。

支持しないに変わったのは、そのころに一向に打たれない第二の矢へのいらだちが我慢限界を超えただけだ。

 

統計問題で全く支持しないに変わったが、それでも政権交代には恐怖を感じる。

特にアンチ安倍目的と化しているような人々が支持する政党政権を握ったらと考えると、もしかするとまだ現状維持のほうがマシなのではないかとも思う自分がいる。

なぜならそのような人々は安倍への憎悪のあまり安倍の取ってきたすべての政策が間違いだったと断ずるのではないかという恐れがあるからだ。

私は少なくともアベノミクス方針のものは正しかったと考えている。

第二の矢以降が打たれなかったのは絶許だが。

からアベノミクス理念の逆、現状ただでさえ二の矢以降が打たれず緊縮されているにも関わらず、今以上の緊縮を行うのではないかという恐怖があるのだ。

政治家がそのように考えていなかったとしても、支持者から突き上げ財務省意向などで、そっちにぶれてしまうことが恐ろしい。

 

しか安倍はろくでもない。

自民党は腐ってる。

私もそれは分かってる。

今のままでは徐々に沈んでいくのだろう。

だがそれは徐々に、だ。

すくなくとも現状来年会社が存続しているのかと不安を感じる必要がない程度には安定しているのだ。

もし政権交代民主党政権下のような会社の存続を不安視せざるを得ない状況になったらと考えると不安になる。

変化とは恐ろしいものだ。

今私に安倍を支持するかを聞かれたら支持しないと明確に答えるが、政権交代を望むかと聞かれたら、悩んだ末にどちらとも言えないと答えるだろう。

 

今私が欲しいのは経済に対する明快な指針を持った政治家だ。

国民に対し、少なくとも私に対し、こうすれば経済は良くなると信じさせてくれるようなそんな政治家だ。

景気の気は気分の気。

国民が景気が上向くと思い込めれば、実際に景気は上向くものだ。

アベノミクスの序盤は円安だけでなく、国民が景気が上向くかもしれないと少しでも思えたからこそ効果があったのだと思う。

特に経営者にとってはその効果特に大きいのではないか

これから経済が良くなると思えばこそ、設備投資にも資金を掛けられる。

うちの社長安倍首相になってからは明らかに笑顔が増えた。

最近は……まぁ……

 

からこそ経済が良くなると信じさせてくれる政治家必要なのだ

骨抜きにされたアベノミクス換骨奪胎だろうと、独自経済政策だろうと、なんなら消費税の減税だっていい。

アンチ安倍のような強硬な支持者にも流されず、財務省増税派、緊縮派の官僚を黙らせることができ、「わたしのかんがえたさいきょうのけいざいせいさく」を実施できる政治家が。

もしそんな政治家が今いるのであれば是非教えていただきたい。

全力で支持するし、ボランティア政治活動だって是非やらせてほしい。

から、そんな政治家、いませんか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あー私に落ちもの系の物語まらいかなー

2019-01-25

anond:20190125123957

お手本がなんであれ俺様お気持ち次第で取捨選択換骨奪胎するだけなんだから、そりゃ似て非なるものになるに決まっているだろう

2018-12-18

anond:20181218001734

上司に向かってかくのではなく

その向こうで読んでる外の人(クライアントとか)の

気持ちを思いながらかけ

 

「てにおは」の訂正なんか気にするな、自分自分換骨奪胎しろ

2018-12-12

アニメ涼宮ハルヒの憂鬱』の流行を振り返る

再考・『涼宮ハルヒの憂鬱』のどこが新しかったのか - シロクマの屑籠

p_shirokuma氏に記憶を刺激されたので、『涼宮ハルヒシリーズのいちファンとして、個人的にも振り返ってみたいと思う。

ハルヒ』に新しさはあったか

大ヒットした作品には「総決算タイプと「新開発」タイプがあると考えている。

すなわち、過去流行を上手くまとめたものと、新しい流行提示するものである

原作の『ハルヒ』はまさしく総決算タイプだと言えるだろう。

80年代90年代ジュブナイルSF超能力ものベースに、

きわめて表面的かつ類型的な萌え要素を配置したものが『ハルヒである

西尾維新のように、萌え理解した上で過去作品換骨奪胎するのではなく、

ベタに古いものをやりたいので萌えをまぶして新しくみせかけた、といった印象を受ける。

ハルヒ』にフォロワーはいるか?

2000年代に猛威を奮った『月姫』や『戯言シリーズ

Web小説でVRMMOもの流行させた『ソードアート・オンライン』などと比較すると、

ハルヒ』はヒットの規模のわりにフォロワーの少ない作品と言っていいだろう。

ライトノベルの「萌え化」「学園ラブコメブーム」の原因とみなされることもあるが、

ハルヒ』の大ヒット以前からMF文庫Jなどにはその傾向が見られたし、

直接的には2000年代前半に全盛期を迎えていたエロゲの影響のほうが大きい。

ちなみに『ハルヒフォロワーなら『いでおろーぐ!』がオススメだ。

アニメ化からハルヒ』はヒットしていたか

難しい問題だ。

アニメ化から巻割10万部を突破しており、これは当時の出版状況からしてもヒットではあったが、飛び抜けた大ヒットだったとは言い難い。

スニーカー文庫エース格」とは言えても、「業界代表するエース」ではない、といった感じか。

そもそもスニーカー文庫落ち目だったし。

第一巻の『憂鬱』は話題になったものの、『溜息』『退屈』がいまいちだったため、作品評価としては賛否が入り交じる状態

憂鬱』は当時の2ch人気投票で21位(そのときの1位は『撲殺天使ドクロちゃん』、2位は『バッカーノ!』)。 

消失』は同じく2ch人気投票で6位(1位は『ALL YOU NEED IS KILL』)であった。

ただし、2004年11月発売の『このライトノベルがすごい!2005』で『ハルヒ』は1位を獲得しており、

(この結果は少々の驚きをもって迎えられたと記憶しているが)やはり一定の人気は獲得していたことがうかがえる。

動画サイトとの関係

勘違いされることが多いが、アニメハルヒ放送時(2006年4月7月)には、まだニコニコ動画2006年12月12日〜)は存在しない。

ニコ動によってヒットしたアニメ」を考えるなら『らき☆すた』(2007年4月9月)のほうが適当だろう。

また、「アニメの視聴体験をみんなとリアルタイムで共有する」という点については、

YouTubeよりもニコ動(のコメント機能)の果たした役割が大きいと考える。

ハルヒ』の場合は「話題になったシーンを後から確認する」という使い方がまだ多かったのではないか

(このあたりは個人的YouTube敬遠していたという理由もあり、実際には本編をまるごとYouTubeで観ていた人も多いかもしれない…)

当時のYouTubeでは、動画の長さに10分の制限が設けられていたことも考慮したい。

ブログとの関係

2006年といえば、我らが梅田望夫の『ウェブ進化論』が発売された年で、「Web2.0」ブームの真っ盛りである

はてなダイアリー2003年1月livedoor Blog2003年11月アメーバブログ2004年9月FC2ブログ2004年10月。Yahoo!ブログ2005年1月

2004年ごろのブログブームを経て、2006年にはすっかり普及しており、オタクたちも盛んに長文を書き散らしていた。

この頃は、ちょっと気合を入れた記事を書けば、

カトゆー家断絶」「かーずSP」「ゴルゴ31」に代表される個人ニュースサイトが、それを拾って拡散してくれるサイクルがあった。

また、いわゆる「2chまとめブログ」も2005年ごろから増加しており、考察話題拡散を手伝うこととなった。

(ただし現在有名な「やらおん!(今日もやられやく)」「はちま起稿」「オレ的ゲーム速報@刃」などが台頭してくるのは2007年以降である

ついでに2005年2月には「はてなブックマーク」も開始している。「mixi」のブーム2005年くらいか

ちょうど『ハルヒ』の放送直前に、これらのツールが出揃ったわけである

京アニとの関係

アニメハルヒ』のヒットに最も貢献したのが京アニの超絶作画だったことは疑うべくもない。

自主制作映画完璧再現した第一話、EDでの滑らかなダンス、『射手座の日』の艦隊戦、『ライブアライブ』における楽器演奏

時系列シャッフル公式サイトの作り込みなどと併せて、とにかく話題性が抜群に高かった。

(当時はヤマカン天才扱いだったなあ)

私は作画オタクではないので明言は避けるが、

2006年の『ハルヒ』、2007年の『らき☆すた』、2009年の『けいおん!』で京アニブランド確立されて以降は、

他のアニメでも異常に作画クオリティがアップしていったことだし、

やはりアニメハルヒ』の特徴を挙げるならキャラデザよりは作画だと思う。

アニソンとの関係

アニソンあるいはキャラソンについては、2005年アニメネギま』の主題歌ハッピーマテリアル』の影響が最大で、

ハルヒ』の「ハレ晴レユカイオリコン1位にしよう」などはその後追いにすぎないという印象が強い。

ただ、『けいおん!』をはじめとして「作中で歌われるキャラソン」が増加したことについては、

ハルヒ』のそれが売れた影響は大きいのだろうな。

ラノベブームとの関係

1997年アニメスレイヤーズ』のテレビ放送が終わり、そのブームが落ち着きを見せて以降、

世間的な注目度でいえば「谷間」の時期を迎えたライトノベルが再び注目を集めるようになったのは、

2004年に相次いで発売された『ライトノベル完全読本』『このライトノベルがすごい!』などの「解説本」がきっかけとされる。

それを追うようにアニメ化も増加し、2004年に3本しかなかったラノベ原作アニメは、2005年に8本、2006年には18本にまで膨れ上がった。

まり、『ハルヒ』の大ヒットはアフターバーナーのようなもので、ラノベブームの「きっかけ」そのものではなかった。

とはいえハルヒ』によってラノベブームが一気に拡大したこともまた事実である

まとめ

ハルヒ』の内容から流行理由を探るのは難しい。

原作面白かったというのは流行の最低条件であって、

あとはSF設定によってファンによる考察がはかどったというくらいだろう。

やはり外的な要因に求めるべきだと思う。

京アニの台頭、キャラソンの増加、動画サイトの登場、ブログの普及、ラノベへの注目…

これらがちょうど上手いタイミングで噛み合ったからこその流行だったと言えるのではないか

あ、『ハルヒ』の流行が終息したのは「エンドレスエイト」のせい。

これだけは間違いない。

2018-06-27

anond:20180627193638

洋服がどこの民族の服か特定できれば収奪だと認定できる

日本国内限定の効力だとは思うけど

呉服和服の別名になっているので収奪認定は難しい

しろ「呉」の意味換骨奪胎した「呉服」という言葉批判するのが手っ取り早い

2018-05-30

そういうことだったのか!

anond:20180311121813

去年からやたらカレーに凝っている元増田です。


前回の近況報告からネット情報を参考に「色と辛味を抜いた自作カレー粉」を調合し、それをガラムマサラとして使ってみたりした。

しかし、とうとう

「このレシピで本当に美味しくなるのか?」

という疑問を持つに至ってしまった。

そもそもこのレシピは、ガラムマサラカレーパウダーの他にも、様々な調味料等を隠し味として使っている。

しかし…レシピの目玉であるガラムマサラの分量(4人分の鍋に小さじ2)以外、全て適量という、今思えば超上級者向け内容なのだ

で、それを読んでるお前はどこの店でシェフやってるの?って話になるわけだ。

まり、駆け出しの魔術師見習い上級魔導師向けの本を読んで自爆している可能性を、ここに来てようやく考慮に入れ始めたと。

1年も延々作っていておせーよって感じ。


そこで、このレシピの具体的情報を探し回り、先日ようやく別ルートから、ごく普通レシピ並に細かく分量が書かれた版を入手した。


レシピを読んでみて驚いた。

隠し味のうち、牛乳が大さじ1、その他の調味料が小さじ1と微妙な効かせ方に収まっているのに、デミグラスソースが大さじ2って、それもう隠し味じゃねーし

かにコクと旨味の強化には最高のソースだ。何しろプロガチで作ったら一週間延々炊き込むんだから、味の濃さは半端ではない。

したがって入れれば入れるほど美味しくはなるのだが、反面この味が突出すると「ハヤシライスカレーライス」みたくなってしまう。

そこで、カレーパウダーガラムマサラ(各小さじ2)を乾煎りして加えることでカレー香りも増強して「ハヤシ臭」を打ち消し、自然な形で旨味を取り込むと、そういうことだったのだ。

しかカレーパウダーだけだと完全に欧州カレーになってしまうので、ガラムマサラインド系エスニック風味をブレンドし、ハイブリッドオンリーワンを目指したと。

よく考え抜かれた、恐るべきレシピだ。


さて、そのようにして作られたカレーの味だが…普通カレーでありながら、びっくりするほど大人カレーだった。

単調でない旨味、程よいコク、爽やかな後味、余韻を引く辛み、それらが上品にまとまっているのは、まさに大人の風格。

なおカレールーは例の「リンゴハチミツ」を押し出した、日本一売れていると言われ、ともすると子供向けとも揶揄される、まあ「よくあるカレー」の素である

それを踏まえると、「子供向け」「よくある」感がどこにも残っていない、もはや換骨奪胎と言っていい仕上がりぶりには驚嘆するしかない。

この仕上がりに、ニンニクを炒めて香りを移した油や、バターでじっくり炒めた飴色タマネギインスタントコーヒー等が一役買っていることは容易に想像がつく。

即ち、ルー野菜肉以外の材料がその力を総結集した結果だろう。

このレシピはそんな偉業を実現していたのだ。


ちなみにガラムマサラは、一番最初に使い、その辛さにひっくり返ったメーカーのものについて、唐辛子を抜き、黒胡椒の量を大幅に減らしたものを「辛みスパイス」ならぬ「香りスパイス」として売っていたのを使ってみた。

最初のは確かに辛かったが、香りのもの結構好きだったから。

結果、とても上品な風味を活用できたので、今後はこれ指名で行く予定。

カレーパウダーフェンネルフェヌグリークが配合された「よくわかってる」メーカー製品採用。これまた大人っぽい仕上がりに大活躍である


最後に、ビーフカレーレシピということなので、肝心の牛肉の部位について。

カレーだと、中落ちロースもしくは中落ちカルビ、俗にゲタと呼ばれる、肋骨の間の肉が最高に美味しい事に気付いた。

骨が近いので、肉の味が超濃厚なのである

はいオーストラリア産なので大して脂身のない代物を使っているが、些細なことだったり。

これをカベルネ・ソーヴィニヨンを使った赤ワインに一晩漬け込み、更に鍋で炒める前にコニャックを振りかけることで、口に入れるとほのかブドウの風味を伴った旨味が踊り出して、なんとも愉快なひとときになる。

まあ中々売ってないので、その時はオーストラリア産サーロインステーキをぶつ切りにして使うかも。


色々紆余曲折があったが、ようやく安定して美味しいカレーを作れそうである

2018-03-07

エロゲ業界最後超新星爆発

もちろんあのゲームのことだ。

素晴らしいゲームだ。

エロ抜きでゲームとしとても素晴らしいし、長く続いたシリーズラストを飾る物語としても良く出来ている。

前作、前前作(初期版)の出来から内容は不安視されており、三作前のアレが奇跡的に面白すぎただけなんだなとまで言われていた。

しかし蓋を開けてみれば、伝説級とまでされたあの名作を換骨奪胎した超名作ではないか

思えば、その原型となった今ではフリーとして配布されていたあの作品クオリティが凄まじいからこそ、このシリーズはここまでこれたのかも知れない。

多くの者達はあの一作でこのシリーズを知ったのではなかろうか。

もちろん、今から3つ前に出されたあの神ゲー伝説の再来ともされたあの一作が入口の人も多いであろう。

どちらにしろ、今から20年以上前にあのクオリティを実現させたあの一作こそが、このシリーズが持つ圧倒的熱量の第二のスタートラインなのではないだろうか。

このシリーズが持つ強烈な世界観はあそこで完成された。

そしてその完成形を土台として、才能が支配する理不尽世界とその世界謳歌する鬼畜主人公物語は展開されてきた。

主人公鬼畜として横暴に振る舞えるほどに強いのは何故なのか、その答えがハッキリと用意されているからこそこのシリーズは楽しかった。

思えば、今大人気の異世界チートに近いのかも知れない。

実際、主人公ライバルの中にはまさにその異世界チートばりばりの設定を引っさげているアベックがいるではないか

つの時代チートが大活躍する物語ファンタジー王道の1つとなるのだ。

語りすぎた。

本題に戻ろう。

さて、諸兄はこのゲームよりも大きなビッグウェーブが今後、エロ業界に訪れると信じているだろうか?

かにイリュージョン等が本気を出してスーパーVRエロゲーを出せば世界は今から大きく変わるかも知れないが、最大瞬間風速において今より強烈に強い時代の風が吹くのだろうか?

私は、エロ業界に今より強い風が吹くことはもう無いと思っている。

言うなれば、この熱狂こそが、煌々と輝いてきたエロ業界最後の大花火超新星爆発なのではなかろうか。

しかった。

昭和平成という時代の中で、PCスペック進化メンタルおかしくなりそうな社会情勢の渦中で、エロゲは時にグロテスクに、時に哲学的に、時にただ純粋エロく、時にエロを置き去りにして、僕らに夢を見せてくれた。

そう言えば、散々語ったこシリーズは、平成の始まりに生まれたのである

そして、平成の終わりに最後の花を咲かせたのだ。

ああ、全く、1つのエロゲが、1人の鬼畜が、とある会社が、ハニワが、平成という時代を駆け抜けたのだ。

激動の昭和と人は言うが、平成がおとなしかった時代だとはとても思えない。

その平成時代を、僕らはエロゲとともに駆け抜けたのだ。

そして、今、エロゲという文化ゆっくり老衰を始めた。

これから始まるのはきっと走馬灯だ。

長いのだろうか、短いのだろうか、それはまだ分からない。

最後には、死を乗り越えて我々の知らない新しいエロ業界へと生まれ変わるのかも知れない。

しかし、我々の知っているエロ業界は、もうすぐ死ぬのだ。

私にはそう思えてならない。

2017-12-22

はあちゅうヨッピーナチスドイツ経験主義』というトンデモ記事への反論

こんにちはエルサレムアイヒマン警察です。上司インフルエンザで休んで暇なので、大好評炎上中のはあちゅうセクハラ告発について調べてたら id:plagmaticjam 氏の「はあちゅうとヨッピーとナチスドイツと経験主義~ハンナ・アーレントは何を語ったのか~ - メロンダウト」という記事発見

タイトルからし地雷臭がヤバイと思ってたら案の定トンデモだったので、おうちにあった『エルサレムアイヒマン 新板』を読み返しつつ反論したいと思います

炎上の経緯はハゲ大先生 id:hagex のまとめが鬼詳しいのでこっちを読んでください。→はあちゅうのセクハラ告発大炎上まとめ(追記あり) - Hagex-day info

 

件の記事ブログ筆者は、アイヒマンはあちゅう類似性を下記のように定義しています

はあちゅう氏=「自分被害者になったら告発する。いっぽうネットで実際に被害者が見えないなら加害者になれる凡人」

「凡人は無自覚悪人であること。」

アイヒマン命令によって思考行為を切り離し悪人になれたように、はあちゅうネットをかませ被害者特定しないことによって思考を切り離しているように見える。」

ヨッピー童貞いじりが誰を傷つけているのか、と擁護していたが「誰がわからない」から傷つけてもいい、なんてアイヒマンが「名前を知らない」から業務的に虐殺したのと構造的に同じだ。」

「何もはあちゅうだけに限った話ではない。ネット思考行為を切り離す。凡人が容易に悪人になりうる構造を持っている。」

ブログ筆者は「思考行為を切り離すがゆえに、無自覚悪人になる」構造があるとし、類似性を下記のように指摘しています

ブログ筆者が考える構造類似性

アイヒマン:「命令」によって思考行為を切り離す

はあちゅうヨッピー:「ネット」によって思考行為を切り離す

ですが、前提にしているアーレントの読みがそもそも間違っています

アーレントが指摘したのは「アイヒマンが何も考えていない=無思想性」ということでした。

「俗な表現をするなら、彼は自分のしていることがどういうことなのか全然わかっていなかった。」

「彼は愚かではなかった。完全な無思想性−−これは愚かさとは決して同じではない−−、それが彼があの時代の最大の犯罪者の1人になる素因だったのだ」(p.221)

アイヒマン相手匿名から虐殺したわけではありません。知っているユダヤ人も知らないユダヤ人も等しく虐殺しました。

彼は「善悪弁別する能力をまったく欠いている」(p.20)のであり、「彼は自分義務を行った。命令に従っただけではなく、法律にも従った」(p.107)のです。

アイヒマンの特徴は「自分思想がなく、善悪区別がつかず、ただ義務命令法律に忠実な男」であり「自分よりも権威のある立場の人が『正しい』と言ったなら盲目的に従う男」であるということです。

アイヒマンには、反ユダヤ主義思想教育もなかった、とアーレントは指摘しています

好き嫌いがあるゆえに行動するのではなく、一切の好き嫌いがないからこそ、自分より高い立場権威から命令されたことをマシーンのごとく忠実に実行しました。

実際、アイヒマンは「良心問題については、命ぜられたこと(筆者注:虐殺)をしなかった場合にのみ疚しさを感じた」(p.20)と述べています

 

アイヒマンのような「無思想で、法律義務命令に忠実である」人は、平和時代であれば、上司の言うことを忠実にこなす「優秀なサラリーマン」、法律など絶対に破らない「良き市民」として一生涯をまっとうしたでしょう。

アイヒマンはあまりにも「普通おっさんであるという事実について、アーレントは<悪の凡庸さ>と指摘しました。

アイヒマンはきわめて凡庸一般人であるというアーレント見解は、「ナチスは、ユダヤ人絶滅したくてたまらない極悪人狂人」という世間見解とはまったく違うものだったので、多くの反発を招きました。

 

一言でまとめると、アーレントが語る「悪の凡庸さ」とは、「平和時代ならあまりにも普通おっさん、ただし無思想善悪判断がつかないから、彼が従う権威や法が狂えばなにも考えずに極悪人になれる」ということです。

以上の経緯から見ると、ブログが「悪の凡庸さ」を誤用していることがわかると思います。もう一度、ブログ言及されていた構造をおさらいしてみましょう。

ブログ筆者が考える構造類似性

アイヒマン:「命令」によって思考行為を切り離す

はあちゅうヨッピー:「ネット」によって思考行為を切り離す

思考」と「行為」が個別にあり、それらの連結を切り離す「X」があるという前提です。

しかし、アイヒマンそもそも思想」がありません。だから自分に注入される命令義務を己のものとして実行します。

ブログ筆者が考える構造: A(思想)=X(切り離すもの命令ネット)=B(行為

アーレントが指摘したアイヒマン構造: X(命令義務法律)→B(行為

構造がなにひとつかすっていないことがわかると思います

 

そもそもはあちゅう氏はアイヒマンのような「無思想」ではありません。むしろ自己主張が強く、自分を良く見せたいタイプだと思います

善悪判断力はわかりかねますが、盲目的に命令権威に従うタイプではありません。

はあちゅうは凡人」と言うとなんとなく納得感ありそうなんですが、アーレントが言った「凡庸な悪」とは意味が違います

ネット」とか「不特定多数他人」とかも、アイヒマンにはまったく関係ありません。

 

凡庸な悪」というパワーフレーズはすさまじいものがありますし、引用したくなる気持ちもよくわかります

しかし、なんとなくキャッチー単語フレーズだけを使って独自理論を展開するのは、引用源にも読者にもどちらに対しても失礼ですし、誤解を与えます

名著や歴史的パワーワード換骨奪胎して持論を展開するのはやめてほしいです

ぜんぜん引用源を正しく参照してない記事内で、ナチスドイツという激烈ヤバイもの名前を同列に並べられたはあちゅう氏とヨッピー氏、さすがに流れ弾すぎるだろ…と思います。あとブログ言及されてる「経験主義」も「違うだろ…」て感じなんですが、続きは経験主義警察の方々にお譲りします。

 

参考文献:ハンナ・アーレント大久保和郎・山田正行訳『エルサレムアイヒマン 悪の陳腐さについての報告 新版』(みすず書房2017年

エルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告【新版】:Amazon.co.jp:本

(所要時間:45分)

 

※もちろん「書籍を読む」行為に、明確な正解はありません。私の読解もまたひとつ意見にすぎませんから、別のハンナ・アーレント警察の方から「違う!」とおしかりの言葉を受けるかもしれません。とはいえ、いくらなんでも適当すぎる読みだと思うんで反論を書きました。

2017-08-31

山田風太郎忍法帖シリーズ水滸伝から着想を得てるので昔の中華やべーなーって思うし、

山風先生換骨奪胎天才だなーって思うのであった

妖異金瓶梅もめちゃくちゃ面白い

八犬伝滝沢馬琴原作はやっぱり水滸伝からだし

切ってもきれない関係なのだろう

系譜としては

江戸川乱歩-山田風太郎-中島らも-大槻ケンヂってなってるのも面白い

山風記念館行くと、書簡なども展示されてて、

筒井康隆先生から葉書があり、闊達文字の美しさに震えたものである

2017-06-29

簡単換骨奪胎しろとか言うな

差し替えるだけでいいものができるなら苦労しねえよ

換骨奪胎するにしても調整がいるだろーが

換骨奪胎(かんこつだったい)

《骨を取り換え、胎(こぶくろ)を取ってわが物として使う意》先人の詩や文章などの着想・形式などを借用し、新味を加えて独自作品にすること。

胎(こぶくろ)って何や。

2017-06-24

https://anond.hatelabo.jp/20170624214923

つーかお前、敬意を行動で示さないのな。尊敬はしてるけど行動で示さないとか、普通に口だけ野郎って思われてるからな。

別に敬意を持つ相手には示すよ。

例えば上司。例えば恩師。例えば親。

でもその人達は敬意に足る行動があるからこそこちらも行動で返すのであって、

別に固有のステータスだけでは判断はしないよ。

まり君は相手の行動や所作ではなく、ステータス肩書だけで判断する文化人間なんだね。

あーしまった、こりゃ話し合わないね文化が違う。すまなかった。俺が悪い。

それこそそういうヤツのレディファーストなんか周りに「あいつあの女とヤりたいのかな」って思われるし、

あ、やっぱそういう話?

君の言うことを他の話にそっくり換骨奪胎すれば、

先生に酒を次ぐのは媚入りたいからって思われるからやらない」

「親に贈り物をするのは遺産目当てだと思われるからやらない」

ってことか。

うーん…縁遠いな、この手の思考

2017-05-14

物騒少女マキャベリズム

すごく面白いと思った(小学生並みの感想)。

アニメしか見てないか原作は知らないけど、アニメで満足してるので原作は読まないけど、すごい面白いと思った。

武装少女マキャヴェリズムを見ていない人にも分かるように武装少女マキャヴェリズム解説すると、美少女チャンバラしてキャッキャウフフな学園生活を送るバトル系美少女アニメ漫画)です。以上

何故ぼくがこのアニメ面白いと思ったかというと、このアニメは「キャラクターが立っている」からです。

銃刀法喧嘩を売るような学園生活を送る作品が何千何万と作られてしまった今の時代において、ストーリーにおいて優劣が付くことはほとんどないと私は思っています

余りにも段取りが悪いと目が滑り減点対象となる、程度でしょう。

特にこのアニメ場合段取りはとても普通四天王系のキャラクター(天下五剣)を次々に倒しては仲間にしていく、昨日の敵は今日の友って古い言葉もあるけど方式であり、プラス評価マイナス評価存在し得ないです。

まりは、この作品評価軸はほぼ1つ、キャラクターの立ちっぷりにあるわけです。

さて、みなさんは「キャラクターが立っている」と聞いて何を想像するでしょうか?

「そのキャラクターに人気がある」「そのキャラクターが遠目に見ても分かる」「そのキャラクターが独特である」「そのキャラクターかわいい(かっこいい)」「そのキャラクターが他のキャラクター区別できる」「そのキャラクターの作中での役割がはっきりしている」「そのキャラクター話題だけで何日も話せる人が存在する」「そのキャラクターが登場すると雰囲気が変わる」「そのキャラクター作品看板になる」「そのキャラクターコラ画像が作られる」

様々な物がありますよね。

どれも正しいと思います

私が今回使っている意味での「キャラが立つ」は「そのキャラクターの作中での役割がはっきりしている」という部分についてです。

ごめんなさいクイズじゃないのにクイズみたいになりました。段取りミスたかもです。

とにかく、私が武装少女マキャヴェリズム面白いと思うのは、それぞれのキャラクター役割がはっきりしているからです。


では一度、私の考える武装少女マキャヴェリズムキャラクター立ち位置を語ってみます

納村 不道  ー混沌/善 ー主人公   社会的束縛からの開放を望む視聴者気持ちの受け皿

鬼瓦 輪   ー秩序/善 ーヒロイン  社会自分たちを認めさせたい気持ちの受け皿

亀鶴城 メアリー秩序/中庸チョロイン チョロインを求める気持ちの受け皿

花酒 蕨   ー混沌中庸狂言回し  姉御肌のキャラクターを求める気持ちの受け皿

眼目 さとり ー混沌/悪 ー中ボス   世界に漂う正体不明な悪意の具現化を求める気持ちの受け皿

因幡 月夜  ー中立中庸雷電    解説担当キャラを求める気持ちの受け皿

マツコ    ー中立/善 ー相棒    男同士の熱い友情を求める気持ちの受け皿

天羽 斬々  ー中立/悪 ーラスボス  宿命的な戦いを求める気持ちの受け皿


大体こんな所でしょうか。

見ての通り、どのキャラがどのような役割なのかがとてもハッキリしています

微妙役割が被っている所も無いわけではないのですが、明確な役割被りはありません。

ストーリーの運びもそのキャラクター役割を崩すことなく進んでいます

まずヒロインを仲間にし、ヒロインを焚き付けるためにチョロインを用意し、ヒロインレースとは別枠で動けるキャラクターを味方につける、と、やり尽くされた伝統を崩すことなくとても丁寧になぞっています

まるで伝統芸能の如く、役割のハッキリとしたキャラクターがその役割の通りに動く、ただそれだけの作品です。

しかし、それが私にはとても心地よいのです。

どこか懐かしい気持ち安心してみていられます

昔の作品をまた見ればいいと思うかも知れませんが、それでは違うのです。

何が違うかと言えば作られた時代が違うのです。

昔の作品にはどうしても、当時の感性デザイン流行り、文化、そういった物があるのです。

もしもそれらを今見れば、「懐かしい」という気持ちが生まれしまうでしょう。

それを求めてみているのならばそれはとても素晴らしいですが、そうでないならば時としてノイズになります

なので私は、今風の絵柄や世界の中で、昔なじみの事をやっている作品を求めてしまう。

その気持ちにこの作品はとてもフィットしています

やり尽くされた伝統継承しつつ、あくま現代空気をまとわせて換骨奪胎させているのがとてもいい。

2016-10-04

[]

紅天女を読んだ。ようやくです。勾玉三部作は、巻が進むごとに小説がこなれていく感じがして興味深かった。

今作は、三部作の中で一番キャラクターがたっている小説だった気がする。荻原規子小説はRDGしか読んでなかったけど、キャラクター造形の基部はこのころにもう固まっていたんだと思う。

また今作は、三部作最後を飾るにふさわしい出来になっていた。総決算というべきか。勾玉白鳥で描かれていた人物が、換骨奪胎されてより生き生きと描かれていた。

内容としては、下巻の前半が面白かった。特に阿高と藤太と苑上の三人で行動している場面。冒険小説のようにわくわくしたし、コミカルな掛け合いが楽しかった。

上巻だとあまり感じられなかったけど、下巻になり苑上視点から見ると、阿高も藤太も勇ましいというか、男らしく感じられて面白いなって思った。

反面、上巻二章の終盤部はちょっと好みじゃなかった。なんていうか、身分差の恋にありがちな展開だったし、何よりもまた運命かよって思った。

昨今の小説、とりわけライトノベルだと、掟や定めなんかにぶち当たった時、それらのルールをぶち壊す方へ向かう話が多い気がするんだけど、勾玉シリーズはそうじゃない。

あくまでも定められたルールを受けとめる。そのうえで、枠の中でどうするかって考えたり、悲嘆にくれたり激昂していたりする。

それがちょっと物足りなかった。運命に逆らう物語は、やっぱり格好いいもの

結果的に薄紅天女運命なり定めを打破する展開になるんだけど、あくまで結果でしかなくて、登場人物主体的にあがくことがなかったから残念だった。

二章で描かれてた過去話はその点最悪で、起こったてしまったことであり、現状に連なる原因の一つであるから仕方がないのはわかるんだけど、またこんなのかって思ってしまった。

あと、上巻のアイヌとの小競り合いが呆気なく終わってしまったのが気になる。舞台が移るから仕方がないんだけど、憎たらしいキャラアテルイとアベウチフチがいつの間にかフェードアウトしてしまった印象。

でも、最終的にはハッピーエンドでよかった。千種と藤太がちゃんと結ばれてくれたらいいなって思う。

実をいうと、阿高が安倍晴明になると思ってた。時代全然違うやん。その上、無空のその後については最後最後まで気がつかなかった。うーん、この

次は竜に~の二部作を読む。

2016-08-08

龍堂寺士門の淫謀

ミンクという会社には「夜勤病棟」というシリーズがある。

1999年12月夜勤病棟』発売

2000年12月22日夜勤病棟特別盤〜』発売

2002年7月26日夜勤雀棟』発売

2003年10月11日夜勤病棟 DVDPG』発売

2004年1月15日夜勤病棟・弐』発売

2004年10月15日夜勤病棟・弐 DVDPG』発売

2004年12月10日夜勤病棟・参』発売

2005年4月8日夜勤病棟・参 DVDPG』発売

2005年5月13日七瀬恋』発売

2005年12月9日夜勤雀棟2』発売

2006年9月3日 SMクラブ夜勤病棟渋谷オープン

2006年11月10日風間愛』発売

2006年12月22日夜勤病棟〜復刻版+〜』発売

2007年7月2日 パチスロ夜勤病棟ホールデビュー(最速導入ホールでは)

2008年10月31日夜勤雀棟壱・弐 復刻版+』発売

2011年6月24日 『真・夜勤病棟』発売

2012年1月27日夜勤病棟 零』発売

20年くらい前の作品だがいまだにこのシリーズ作品OVAが出ており、ブラウザゲーにもなってるくらいご長寿コンテンツ

エルフが手を付けてさっさと手放してしまった「臭作」という作品を発展させ、

非モテ男のエロ妄想をこれでもかと詰め込んだシチュエーションキャラクターたちがエロゲーオタどもの心をつかんだようだ。

そのせいで、初代ヒロイン七瀬恋は、いろんな年齢であられもない目にあうという島耕作みたいなことになってしまった。

しかしさすがに10年以上も経つとマンネリというレベルではなく経年劣化にも耐えられない状態であることは明らかであった。

そんな中、frillが「夜勤病棟」を換骨奪胎して女衒主人公の「聖娼女」というのを出して人気になった。

ミンクという会社を支える屋台骨が他のメーカーに遅れを取り出しては経営的にも苦しい。

いい加減新しいシリーズ必要とされるという形で、ミンク20周年記念にあわせてついに新シリーズを出すことにしたというわけだ。

結果としては、二番煎じどころの話ではなく、レジェンド的なロングランになるほどの地力は感じさせなかったが、それでも単体として優秀なおかずを提供してくれたといえる。

ミンクの絵は、最新の萌え路線とは違って古さを感じさせるものの、エロ路線としては相変わらず良い汁や塗りだし

システムがめんどくさいが、その代わりに計画をもって進めれば

飽きるまで何度も一人の女をいろんなシチュエーションでいただけちゃったり何人もの女性を性欲処理の対象としてプールしておけるつくりになっており、

最近の、選択肢を選ぶだけで女性が股を開くかわりに個々の女性たちのつながりなどが見えないゲームに慣れている人間からしたら満足度は高いだろう。

しかしやはり女子高生では看護師には勝てなかった。 また、主人公の龍堂寺の怖さが薄すぎるのも難点だ。こいつはただのセックス上手なエロおやじしかない。それじゃいかんのよ。

夜勤病棟を生み出したミンクですら、夜勤病棟は越えられなかった。 レジェンドというのは狙って作れるものではないのだな。

aukusoe やっぱりあの生きるためならウンコをバックバク食べることも厭わない何が何でも死んでやらないぞ、という気持ちがすごかったと思う

わが意を得たりというコメントありがとう

そう、龍堂寺士門の淫謀って作品は、今のユーザー向けにしたせいかどうかわからんけどマイルドなんよね。悪く言えばヌルい。狂気がない。

鬼作は本当に学生を皆殺しにしようと行動するし、臭作も女が苦しむのを心から喜ぶ。比良坂はマッドサイエンティストであり女がそのために壊れようが構わない。

さらにいえば当時は野々村病院やら猟奇の檻やらそういうのがたくさんあったらしいがそのあたりは俺はよくしらん。

とにかく、そういう狂ったやつらもいなければ、自分生殺与奪を握られたうえでそれでも生き延びようとするようなしたたかな女もいない。

ただ、エロいおっさんと、素直にやられて目がハートになる雑魚少女たちだけである。 だからラストシーンで一人の女性けが浮いている。

これだったらまだLeafの鎖のほうが面白かった。 

ミンク夜勤病棟以外にも、いろいろと狂気を扱った作品が多かった。

Love Callやらコレクターやらはゾクゾクするようなところがあってその延長に夜勤病棟があった。

http://www.mink.co.jp/product/

だけどやっぱり時代の流れに勝てず、なにげに十六夜花嫁などいいゲーム出しているんだけどいまひとつヒットすることな

結局夜勤病棟シリーズを出し続け、今回もそのライト版のような形で妥協したゲームになったのかと思うと悲しいがとにもかくにもこのメーカーが20年生き続けてくれたことが何よりうれしい。

2016-05-03

「新しい憲法を制定する推進大会」の記事を読んだ。

https://www.buzzfeed.com/satoruishido/kaiken-genjitsu

壇上のいちばん右に「日本の歴史文化伝統香り高い憲法をつくろう」と書かれていることで、もうお里が知れているようなものだ。彼らが言う「日本の伝統」とは、たかだか100年ちょっと前の明治時代を指しているにすぎない。

実際、渡部昇一は「基本は明治憲法かえること」と言って、その意図を隠していない。しかしそんな短期間(それも欧米列強に追いつこうと蒼白になっていた一時代)を取り戻そうなんて、イヤなこったというしかない。

彼らにとって明治時代が「日本」であって欲しい理由は、それがオッサンたちが大いばりできた時代であったからであり、さらに言えばお国のために有用人材になれと励ましてくれた母親へのノスタルジーだ(偉大なるマザコン評論家江藤淳イデオロギーを信じ込んでいる人もいる)。

自民党改憲PR誌に「この70年で女性地位は向上した。でも個人の自由が強調されすぎて…」と書かれているように、改憲=オッサン権力闘争という側面は否定できないだろう。

本当に「日本の歴史文化伝統」を学んだうえで言うのであれば、周りを海に囲まれ地理的条件を踏まえ、海外からの「舶来物」を換骨奪胎して取り込む融通無碍日本を、その本来的な姿と考えるべきではないのか。

そういう節操のなさを日本本質だと考えれば、アメリカから押し付けられた憲法をいつの間にか自分の都合のいいように玉虫色解釈して使っている現状こそ、日本お家芸披露しているようなものだろう。

もしこの部分の矛盾放置するのが難しいとしても、基本コンセプトとして「明治にかえれ」は戦略的にもお粗末だ。明治とはモーレツ社員以外を排除して成立したブラック企業であり、社畜天国である。それは現代日本にも脈々と引き継がれているが、いずれ超克すべきものだ。

江戸以前に遡れば、混浴だの男色だのが謳歌されていた伝統日本にはあり、LGBTどころの騒ぎではない多様なアジア世界が展開されていた。そういう歴史文化を学んだ上で、「伝統」という言葉を使ってもらいたいものだ。

2015-06-26

おっさんニート改憲について語るよ

ゲーム提案


こんにちは自分は41歳の鬱病ニートです。一応まだ会社に籍はありますが、風前の灯です。年収は750万ですが、来月の給料は振り込まれないかもしれません。


さて、そんな自分が、有り余る暇と、借りてきた知識と、浅はかな理解を総動員して、以下、改憲について語ってみました。

しかし、しょせん居酒屋政治談義レベルです。あちこちに穴があろうかと思います。偉そうに語りながら自ら政治的活動を取ることは絶対にない、実行する立場で考えていない現実性のなさなど、大嫌いな民主党と同じです。立場の違いによって意見が異なる方も大勢いることでしょう。薬を飲んでいて集中力が持たないので、文章精緻とは言いがたい。

そこで諸賢にゲーム提案したい。

以下の駄文あなた立場で好きにブラッシュアップして、トラバにぶら下げてみてほしい。それぞれの記事ブコメの侃々諤々も楽しみたい。それで、改憲についての理解を深めさせてほしい。


憲法とは

(念のため:「憲法」=「日本国憲法」として書きます


国民基本的人権国際平和基準に、国体国家権力範囲規定したものだと捉えています


改憲憲法解釈について・あるいは護憲としての改憲


 集団的自衛権法整備について、”憲法解釈”で侃々諤々になっています自分も、今の進め方では法案違憲だと考えていますが、そもそもの問題は、憲法を不改常典のごとく扱うことだと思っています


 一般論として、人の作った物はなんであれどこかに不備があり、経年劣化も起こし、時代とともに実情に合わなくなっていきます一神教啓典の民のみなさんが、聖典と実情の辻褄合わせにいかに苦労しているかは、日々ニュースを見ていれば自明です(聖典を人の作った物とする点、信者ではない愚かな人間の考えですので敬虔信者の方々はご容赦ください)。”憲法解釈”もまた、穏健派イスラム法学者クルアーンほかと現代の実情の辻褄合わせに「解釈」を以て臨むことに似ています

 両者に相通ずるのは、「解釈」とは、変えられない記述に対して現状を容認(その程度は議論によってはかられるものの)することを先ず目的とし、換骨奪胎を試み、不都合記述実効性をなくす点です。そのあたりを原典に対する欺瞞(あるいは冒涜)だとして攻撃するのが、イスラムで例えればいわゆる原理主義であり、憲法では護憲派と言われる人たちの一部だと認識しています


 しか憲法は、一神教聖典とは異なります憲法は、自らが国民意思によって改められることを認めています。不改の聖典ではないことを条文の中で表明しています。古びて時代に合わなくなったところは、十分な議論の下で速やかに更新し、実情に合わせて憲法合理性を常に維持する。そのことで「解釈」の余地を減らし、国権制限するという憲法機能のもの実効性を維持する。そのような合理性をもともと憲法は備えています


憲法解釈”による憲法の死文化機能喪失を防ぎ、違憲状態国権発動を防ぐためにこそ、改憲提案とその議論は常に行われるべきです。それが本当の積極的護憲」だと考えますしかし、現在のような、翼賛体制でもない限り超えられないような鉄壁ハードルがあっては、投票国民一人一人の意思の反映)を前提とした議論は起こり得ず、従って適切な更新も為されません。そして現に今、変えられないなら憲法を死文化してしまえとばかりに、相当無理のある”憲法解釈”が強行されようとしています


護憲派のみなさんへ


 あなたがたが第一に「護」りたいのは、憲法機能のものなのか。特定の条文なのか。はじめにそこを整理してほしい。


 前者であるなら、上述の通り、改憲積極的に認めるべきです。繰り返しになりますが、改憲憲法の中で保障されている国民権利ひとつです。いかなる思想があろうとも、これを否定することは前者の意味での「護憲」と矛盾すると考えています

 後者であるのなら、その条文の是非を問う投票を通して、国民に白黒はっきりしろと突きつけるべきです。そのための議論の中で、あなたたちの考えを訴えるべきです。条文を護るために改憲手続きのもの否定し、国民投票をさせないというベクトルは、上述の通り自分の目から憲法意志に反すると映るし、主権者たる国民とその権利を軽視するものだと思っています


 さて、そこで提案です。

 “解釈”による憲法無効化を阻むためにも、いまここで、あなた方のサイドから憲法改正を訴えませんか?たとえば、現状の九条から解釈余地を削り、よりあなたがたの望みに沿う条文にするとか。そして、「改正可能にする」という一点で改憲派連携し、”解釈”と対峙しませんか?

 もちろん、改憲派から出させる対案の中には、あなたがたが受け入れることができないものもあるでしょう。しかし、選ぶのは国民です。憲法がそれを保障しています


 同じことの言い換えでしかありませんが、繰り返します。

 後生大事特定の条文だけを護っても、憲法のもの実効性が失われれば無意味です。


改憲派のみなさんへ


 護憲にもいろいろあるように、ひとくくりに「改憲派」といってもいろんな考えがあろうと思いますしかし、条文を改めてまで、なお憲法を維持しようとする一点では、護憲的とも言えます。そこについては、上述の通り、護憲派連携する余地があると思っています


 あなた改憲の後に実現すべきと考えている政策が、今の政権の”解釈”の末にあるものとたとえ一致したとしても、憲法の箍がはめられているか否かの違いは後の世に対して非常に大きなものがあります国権制限する憲法機能喪失している状態を容認してしまえば、いまの政権暴走しなかったとしても(あるいは今の政権なら暴走しても容認できる、とあなたが考えるにしても)、後のあらゆる政権にその選択を許すことになります

 数年前、日本国民民主党政権を選びました。同じように、後の世がどのような政権を選ぶかは分かりません。今のあなたにはとても支持できないような政権が生まれたとして、そこにも等しく暴走余地が残されます暴走する○○党政権(○○にお好みの政党を当ててください)。おそろしい。


 そんな事態を避けるためにも

 政策的に結果オーライではなく、その手続きが法を逸脱することについてはNOを突きつけませんか?数が必要なら、護憲派も引き入れて。


 民主主義とは、すなわち手続きでもあります国民付託を請けた行政のあらゆる意思決定手続きを通して公にされ、それを国民監視することが国民主権の根幹にあります。多少煩わしく、遠回りがあったとしても、それはいわゆる「民主主義コスト」です。この先も日本健全民主主義国家であり続け、国際社会の中で世界に誇れる国であるために必要なことだと思います

2014-03-28

http://anond.hatelabo.jp/20140328093345

ツッコミどころは多いがノリで押し切る」的な過去の名作アニメみたいなことをやりたくて、

そういった過去の名作アニメパッチワークしているけど、

いまいち換骨奪胎」の域にまでは達してなくて、ただ展開が軽くて速いだけにすぎない、

ジャンクフードっつーかファストフード

って感じはあると思うよ。

2012-08-07

http://anond.hatelabo.jp/20120807010620

おたく的な青春小説なのかもしれない、と思った。

原作は読んでいたけれど放送にきちんと追いついていないか比較できないが。

ありがちなおたくな学園ものにはなってない。たぶん。

から換骨奪胎とか原作レイプとかの誹りは免れないけど、あのセリフ回しを大幅改編していたら全然良くなったと思う。

見てみたい。

ただ、リア充な友人からココロコネクトおすすめされたという個人的な経験から、改変は不要なのかもしれない。

あれでいいという人もいる。

  

原作からして微妙。大絶賛、というほどではない。

ケータイ小説のような薄っぺらな登場人物。リア充物語ライトノベルという様式。

こうしたものが不調和を起こしているようにも感じる。

こてこてのライトノベル青春小説けがすばらしいとは言わないけどさ

アニメ版ココロコ5話までの感想

原作未読。

一応アニメは5話で一区切りみたいだから、ここまで見た感想を書いてみる。


ストーリーもメインの登場人物5人のキャラも、ラノベよりフジ月9とか、ケータイ小説辺りでありそう。

あんまりラノベっぽくない、今時のリア充寄りなキャラ達の青春奇譚な感じが興味深い。


それなのに、5人のセリフ回しが興ざめなせいで大減点。

とにかく回りくどいし理屈っぽい。別の言い方をするならオタ臭い

そういうテンポの悪さがリア充テイストミスマッチを起こしていて、違和感ありまくり

ラノベからとかそういう問題じゃない。


実際だと、ああい性格の子達は喋り方がもっと端的で、感情的かつ直接的。あんまり難しい言葉や婉曲的な言い回しは出てこない。

から会話のテンポも速い。まさに弾むような会話になるわけで。

そんな子達が、時に説得力あるセリフを言うから痺れるんだよね。

ここら辺がリア充的カッコ良さのコアかな。


から換骨奪胎とか原作レイプとかの誹りは免れないけど、あのセリフ回しを大幅改変していたら全然良くなったと思う。

アニメでやっても面白いし、実写ドラマでも見てみたい代物になっていたかも。

2012-07-05

http://anond.hatelabo.jp/20120705001252

ん、あれ? 元増田じゃなかったんか。てっきり本人かと。

似たような思想的背景を持つ曲が大いに支持されているから、それにおもねってその潮流に乗っかるってのは、発信する側の手抜きじゃないですか。少なくとも「ランキングにある多くの楽曲が同様の思想的背景を持っている」ということは「同様の思想的背景を持った楽曲がそれほどたくさん供給されている」わけで。供給者の絶対数が多いのもありますけど、単純に手抜きじゃないのかなぁと。

で、その思想的背景というのも、嫌だ嫌だと言って、その実言っても変わらないのも知ってて、ただ駄々を捏ねて、ありもしない桃源郷に浸る、ないしは嫌だと思ったまま諦める。それをそのまま歌にして共感を得たからって、それは別に生産的でもなければ前向きでもないじゃないですか明日への活力になるわけでも、気持ちがリセットできるわけでも、何でもない。ただ消費者を甘やかしてるだけで、もっと言えば、消費者を甘やかしている作曲者側の自己満足にすぎない。だってただの傷の舐め合いじゃないですか。それが元増田の言う「暗い」の根幹ですよ。そんな程度なら別にわざわざ多大な一手間を加えて歌にしなくても、ブログを書けばいいわけで。

ここらへん、前半はその通りだと思う。

手抜きっていうか、ランキング見てウケる歌詞の傾向を探りつつ割り切ってロジカルに作ってる奴いそうだなーみたいな気はします。というか自分音楽やってたらそうやって作りそう。自分がウケた曲を見よう見まね換骨奪胎で吐き出しそう。

そう考えると「世の中」とか「世間」に浸透しづらくて子どもにウケてるのも理屈がつく気がする。ある一定の層の中でグルグル巡っているだけなんですね。

ただ、傷の舐め合いであり甘やかしだからアカンというのはどうなんでしょう。先述したように「自分は助けてもらえないかも」という不安絶望が身近にふよふよしてるような人間にとって、一人で傷舐めてるよりはナンボかマシなのではないでしょうか。逆に化膿するかもわからんっていうかランキングでは化膿してるようにしか見えないけど。でも(曲にもよるけど)「またきました」「再生○回目」「癒される」「元気出る」みたいなコメントついてるのって結構散見されるので、それなりに活力とかにはなってるんじゃないスかね。

あと傷の舐め合いであから歌でなくてブログでよいというのは意味不明な暴論だと思います別に歌でもいいじゃんっていうかブログである必然性はない。作り手が己の最も長けた表現形式を選択してるだけのこと。

別のやりようと言っても「現代厭世観を背景に持ちながら、その上で前向きな歌」とでも言うのか。それは別に現実と戦う必要はなくって、遠まわしで皮肉で嫌味な歌でもいいと思うんですよ。「いーじゃん勝手にやってりゃ。俺らは好きに生きるから」みたいな。そういうのがあって、そういうのを選び取らないのは消費する側の問題だし(能動的に生きる、という意志放棄しているように取れます)、そういうのを選び取らせない社会の問題でもある(理想化された友人がたくさんいるって、具体的にどうこう以前に社会が相当マズいというのが一目瞭然だと思います)。これが反映されているのが「そしてこの根の暗さの根本的な原因は、当事者の方々そのものにあるのではなく、その環境を用意した世代の方にあるのだろうということ」という一文ですが、同時に「それもまた無自覚になされたことであり、ただ噫と溜息をつくばかり」なものでもあるわけです。どっちからも変えられるんで、消費者の側から変えても良いし、生産者の側から変えてもいいんですけど、たぶん「現代厭世観を背景に持ちながら、その上で前向きな曲」が流行る、というのが一番手っ取り早い構図のように思います

「いーじゃん勝手にやってりゃ。俺らは好きに生きるから」ってスタイルは既に一世代前がやってることのような気がする。ロックとかパンクとか?

ロックパンクは失敗してるわけですよね。「好きに生きる」スタイルでは結局いろんな問題が解決しないであれこれ行き詰ってくる。

からボカロは歌うんじゃないでしょうか、「いーよ勝手にやれよ。俺らは好きに生きて好きに死ぬわクソが」と。

「好きに死ぬ」までが彼らの「前向き」に含まれた答えになってる。「後ろ向き」とは他人や運命に象徴される非自由意志的なもの蹂躙されて死ぬことであり、それを克服し脱して「好き」に殉じる、自分で死に方を選ぶことが持ち上げられてるという構図です。ぼやぼやしてると「見捨てられる」「助けが得られない」という非常に消極的な形で殺されるみたいな不安感があるのかも。さしずめ氷山で仲間のペンギンに押されてしまって怖い捕食者のいる海に落っことされるぼっちペンギンといったような。

もはや世の中「前」がどっちかよくわからん様相を呈してきているのもあって、従来型の単純な「前向き」って中身がないと判断されてあんまりウケない気がしますね。萌えとか理想恋人友達で飾って「浸るための夢」という位置づけを確立してるような感じ。

何年か前は現代厭世観を背景にカオスに助走してそこからいろいろ飛び越えて突き抜けるのがもっともオシャレでスマートな解決法ってことで小説あたりで流行ったものでしたが所詮は虚構ということか、虚のうちに消えてしまった感があります

個人的には「ポスト現在」、「好きに殉じる」をもっと突き詰めて煮詰めてほしいです。

2011-07-31

pixivものすごい現代アート出会った

  1. http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=20703509現代アートタグに対する苦言)
  2. http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=20704195スクショの左右HIRAKI)
  3. http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=20704625 (蟹コラ)
  4. http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=20705923 (蟹イラスト

1→2の流れが特に秀逸。テキストとして読まれるべき1が、スクショというイメージ的な理解+HIRAKIという機械的な技法により、そのテキスト性を換骨奪胎される様はまさに衝撃の一言。加えて言うなら、2の作者はそのようなことを意識せず、ふたば的な思考パターンで「とりあえずHIRAいとくか」と作っている(ように見える)点も末恐ろしい。

2→3→4の流れも見逃せない。スクショ+HIRAKIにより2の画像の左上と右上に配置されるようになった1の陰陽マークが、3と4においては目として使われている。1におけるユーザアイコンとしての意味を剥奪され、2で記号的に配置されていただけのこのマークが、3の作者によって目として解釈される余地が与えられたのだ(3の作者自身もそう解釈していたのかもしれない)。4ではコラの領域を完全に離れ、蟹としての意味けが分かりやすく強化され、さらに「現代アート」の文脈=「息できる?」が泡を吹くという蟹的な記号で以って付け加えられている。元の記号の意味が完全に失われ、新たな意味、文脈、記号が与えられている。このアナーキーさはアートとして擁護するしかない。

1から4に至るまで 00:11→00:29→00:41→01:24 と1時間しか経過していない点、そして2、3、4の作者が全て異なる点も特筆しておく。これだけ短時間のうちにこういったコラボが成立することが恐ろしい。いや、もはやこれは「コラボ」という陳腐言葉で片付けることはできない現象かもしれない。

2010-09-06

日本人家族観

国柄探訪: 日本人家族観

 先祖から子孫への連綿たる生命リレー

中間走者として自分がいる。

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  • ■1.「親と子の血のつながりに対する運命的一体感」■

 秋葉原での無差別殺傷事件で逮捕された青年の両親が自宅前で報道陣に取り囲まれ、会見をした。父親が「謝っても償いきれない」などと謝罪の言葉を述べている途中、母親は急にひざから崩れ落ち、頭をうなだれ土下座するような形でそのまま動けなくなった。

 両親に法的な責任はないが、こういう子どもを育てた道義的責任はある、というのが、日本人常識的な感覚であろう。

 かつて神戸中学生小学生を殺し、その首を校門の前に晒す、という異常な事件が起きた。これに関して、儒教研究家加地伸行大阪大学名誉教授は、こう書いている。

 ・・・もし私が加害者中学生の父であったならば、自裁(自殺)をする可能性がある。私は日本人であるから、親は親、子は子、別の独立した人格であるというような、欧米人流の個人主義的行動をとることはとてもできない。それに、自裁する前に、罪を犯した子を自らの手で処置する可能性さえある。[1,p6]

 殺人を犯した我が子を手にかけた後で自殺する親がいても、日本人感覚からは、同情こそすれ、「狂気の沙汰」とは見なさない。

 加地氏は、これを「親と子の血のつながりに対する運命的一体感」と呼び、「欧米個人主義の立場からは絶対に生まれない感覚意識」だとする。

 こんな所からも、日本人家族観が現代においても欧米とはまったく異なるという事が窺われるのである。

 日本欧米との家族観の違いは、我々の日常生活でも随所に姿を現す。

 たとえば、最近では日本でもキリスト教式の結婚式が広まってきているが、神の前で互いに相手を伴侶とする宣誓をするのは良いとしても、さらに契約書にサインまでするというのは、どうにも違和感がある。日本人普通感覚では、「契約」とは他人行儀のビジネス行為であって、それが家族の中で行われるというのは、どうしてもなじめない。

 欧米キリスト教的な家族観では、家族とは男女の個人間契約を基盤としている。そして神の前での契約こそが、神聖なものなのだ。

 また欧米の家庭では、子どもが生まれて大学生にでもなれば、もう親とは別の独立した「個人」となる。ある小説で親が成人した子どもに「これからは友人としてつきあっていこう」などと語るシーンが出てきて、こういうセリフ日本人では思いつかないな、と感じたことがある。

 当然、子どもの方にも、年老いた親の面倒を見なければならない、などという義務感は薄い。子や孫との家族的関係を持ち得ないアメリカの老人たちはいかにも淋しげである。

 実はヨーロッパにおいても、ギリシア時代やローマ時代など、キリスト教が栄える前は、人々は家毎に祖先の神霊を祀り、それが家族の基盤をなしていたのである。それは古代日本も同じであり、現代日本人家族観はその伝統を色濃く受け継いだものである。

  • ■3.先祖の霊は「草葉の陰」で子孫を見守っている■

 古代の多くの民族は、亡くなった祖先の霊は、子孫が祭祀してくれれば、いつでもこの世に戻って来られるものと信じた。日本語で言えば、「草葉の陰」で子孫を見守ってくれるのである。

 「死んだらどうなるのか」というのは、常に人間不安にする疑問であるが、死んでも自分の魂は存在を続け、子孫とともにある、というのは、生死の安心を与えてくれる信仰であった。

 また残された子孫にとっても、自分を愛し、育ててくれた祖父母や両親が、死後も見守ってくれる、というのは、その死の悲しみを和らげてくれる物語であった。

 先祖祭祀というのは、先祖キリスト教的な唯一絶対神として祀る、ということではなく、先祖の霊とともに生きている、という生活感覚なのである。それがわが国においては古神道となり、中国においては儒教に発展した。

 キリスト教では、死者の魂は最後の審判を受けて、魂は天国地獄に行く。仏教では、魂は輪廻転生を続け、解脱をしない限り、次は蛇や虫として生まれ変わる恐れがある。

 よくキリスト教仏教を「高等宗教」とし、先祖祭祀などは未開の宗教であるかのように言うが、死後の魂がどうなるか、ということについては、それぞれが違う「物語」を持つ、というだけのことであって、どちらが高等かなどと比較できるものではない。

 魂が輪廻転生を続け、解脱をすれば浄土に行ってしまう、とする古代インド仏教が、先祖祭祀を信ずる中国日本に入ってきた時、その死生観の違いが文化的衝突を引き起こした。

 インド人にとって見れば、魂は他の人間動物に生まれ変わるか、浄土に行ってしまうので、肉体はその乗り物に過ぎない。だから焼いて、その灰はインダス河にでも流してしまう。これが本当の火葬である。

 日本火葬というのは、遺体を焼却した後に骨を拾い、墓に収める。これは本来の意味火葬ではなく、土葬の変形なのである。古代中国では、人間精神を支配するものを「魂」と呼び、肉体を支配するものを「魄(はく)」と呼んだ。人間死ねば、「魂」は天に上るが、「魄」は地下に行く。「魄」を地下で大切に守るのがお墓である。

 これと同様の感覚日本人も持っており、遺骨には死者の「魄」を感じる。戦後アジア太平洋の島々にまで戦死者の遺骨収集に行くのも、骨を故郷の地に埋めなければ、死者の魄を供養できないと考えるからだ。

 これについて興味深い話がある。昭和45(1970)年日航よど号ハイジャックして北朝鮮に逃亡したグループリーダー田宮高麿が平成7(1995)年に亡くなり、「祖国の地に骨を埋めたい」という気持ちから、田宮の遺骨は北朝鮮にいる妻子と日本家族とに分けられ、新潟県内の家族の墓に埋葬されることになったという。

 共産主義者は無神論者のはずだが、異国で死期が近づくと「祖国の地に骨を埋めたい」と願うのは、心の底には日本人死生観が根づいている証左である。

 輪廻転生を信ずるインド仏教中国に入ってきた時、遺体は焼いて川に流してしまう、という生死観は、先祖祭祀を信ずる中国人にはとうてい受け入れられるものではなかった。

 そこで中国における仏教は、魄を納める墓や、先祖の魂を呼び戻して依り憑かせるための位牌を取り入れた。

 わが国に中国から仏教が入ってきた時には、このように先祖祭祀を取り入れて換骨奪胎したものになっていたので、比較的抵抗は少なかった。

 それでも日本にも仏教輪廻転生をそのまま信ずる人はいた。鎌倉時代初期の親鸞である。親鸞阿弥陀仏衆生を救おうという本願にすがって、浄土に行けば輪廻転生の苦しみから脱却できると説いた。となれば葬儀も墓も先祖供養も不要になる。

 しかし、親鸞弟子たちはその教えに背いて、葬儀・墓・先祖供養を続けた。その後裔たる現代の浄土真宗本願寺派も、墓を作り、葬儀先祖供養を行っている。

 今日日本では、大方の人々が仏教に求めているのは、墓・葬儀先祖供養である。そもそもの輪廻転生からの解脱仏教に求める人々は例外的であろう。これほどに先祖祭祀は日本人の心の奥底に根付いているのである。

  • ■6.仏壇に向かう■

 仏壇も、墓や葬儀と同様、仏教本来のものではない。中国においては、一族の長の家に宗廟(そうびょう)という別の建物を建て、そこで先祖祭祀を行った。これが後に、祀堂(しどう)や祀壇(しだん)となり、それを仏教が取り入れた。

 日本では、これが部屋になって「仏間」となり、さらにはそこに置かれた仏壇が、一般の部屋に置かれるようになった。各家に仏壇を置くという習慣は、中国朝鮮にもない、日本独特のものであるそうだ。[1,p191]

 仏壇には、灯明と線香と位牌がおいてある。灯明は先祖の霊が降りてくる場所を間違えないよう、明るくするためのものである。線香に火をつけると、その香煙に乗って、霊が降りてきて、位牌に依りつく。

 そこで子孫たる我々は、降りてきてくださった祖霊に対して「ご先祖さま。おはようございます。今日も一日よろしくお願い申し上げます」などと挨拶をするのである。

 今日自分たち家族が生きていられるのも、亡くなったご先祖様のお陰であり、そのご先祖様の恩に応えて、自分家族のため、子孫のために今日も頑張ろうと、心を新たにする。これが先祖祭祀に基づく生き方だろう。

 核家族化が進んで、仏壇のない家も少なくない。しかし、仏壇のある祖父母の家に里帰りした時などは、幼い子どもとともに、仏壇に線香を上げると良い。幼い子どもは遊びのように喜んで仏壇に向かう。自分がここにあるのも、ご先祖様のお陰だということを教える何よりの機会である。

 もう一つ、インド仏教中国日本先祖祭祀と衝突した点は、出家を説いた点である。「出家」とは文字通り、家を出て、財産への執着や家族への愛着を振り切って、個人の解脱を求めることである。

 しかし息子に出家されたら、その家は断絶し、先祖の霊を祀る子孫がいなくなってしまう。個人的な解脱のために、先祖の霊をさまよわせ、子孫の未来を奪うのは、先祖祭祀の立場からは、とんでもない「不孝」と考えられたのである。

 そこで中国日本においては、「在家」すなわち家族の実生活の中で仏教を奉ずることが理想とされた。聖徳太子在家の長者・維摩が教えを説いた「維摩経」、および、同じく在家女性信者である勝鬘(しょうまん)夫人が仏道を説いた説いた「勝鬘経」をとりあげて注釈書を書かれた。

 前述の親鸞は、聖徳太子を「和国の教主」と仰いでおり、その在家主義を受け継いで、結婚し、子をもうけている。今日でも日本の多くの仏教僧は、結婚し、家庭生活を営んでいる。

 オウム真理教インド仏教を受け継いで、出家して修行を積めば、輪廻の苦しみを脱して解脱できると説いた。それを信じて家族を捨てて教団に入った子どもたちを、親が返せと叫ぶ。これも「出家」と「在家」の衝突の一例である。

 「在家」とは、家族の一員として生きていくことであるから、まことに不自由なものである。「出家」のように好きな所に行って、好きなだけ座禅を組む、などという気ままは許されない。

 しかし、その不自由な家族の中で、我々は生まれ、育てられて、大人としての生活を送る能力を身につけていく。まず家族の中に生まれて、育てて貰わなければ、大人として自由な生活を送る事も、そもそも不可能なのである。

 さらに成長の過程で自分を育ててくれた親への感謝や、その恩返しとして今度は自分子どもを立派な人間に育てる義務を学ぶ。このような事が人格の基盤を構成するわけで、感謝や義務の心のない人間は、自由を与えられても、自分利益しか考えない利己主義者になってしまう。

 西欧に発展した近代個人主義においては、ひたすらに個人の自由と権利の拡大を図ってきた。しかし、キリスト教社会においては、神に対する畏れがあり、それが野放図な利己主義に転化する抑止力となってきた。

 わが国においても西洋的な自由と権利の主張を鵜呑みにして、家族制度を「個人の自由を抑圧する封建的制度」などと罪悪視する思潮がある。

 しかし、わが国においては家族制度が、利己主義への抑止力となってきたのであり、それを破壊することは、利己心の抑制を持たない人間に野放図の自由を与えることになる。都会の雑踏で無差別殺人を行う青年とは、その極端な姿ではないのか。

  • ■9.「なぜ生命は大切なのか」■

 こうした事件を防ぐべく、子どもたちに単に「生命を大切にしよう」とだけ教えるのでは、「なぜか」が伝わらない。

 それがわが国の家族観に従えば、「生命を大切にしよう。生命とは何代ものご先祖様から君たちに伝えられ、そして君たちから何代もの子孫に受け継いでいくべきものなのだから」と教えることができるのである。

 先祖供養とか仏壇、お墓参りなどは、すでに形骸化した「葬式仏教」の遺産であると考えがちであるが、それらは我が先人たちが産み出してきた工夫なのである。そこには先祖から子孫へと連綿とした生命リレーの中で人間を捉える伝統的な家族観が生きている。

 その家族観の深い思想を知らずに、単に古くさいの一言で片付けながら、新しい家族観を産み出すこともできずに、社会的混乱を招いているのが、現代の日本人ではないだろうか。

 これではご先祖様も草場の陰で嘆いていよう。

(文責:伊勢雅臣)

■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)

  →アドレスクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 加地伸行家族の思想』★★、PHP新書、H10

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4569603084/japanontheg01-22%22

2010-02-04

去年読書中に遭遇した未知ないし理解が曖昧だった単語

ちなみに読んだのは小説や思想書。

【行状】人の普段のおこない。身持ち。品行。 「―を改める」 ※ぎょうじょう

隠退】一切の社会的仕事を辞め、静かに暮らすこと。退隠。 「郷里に―する」

【駐屯】軍隊がある地にとどまっていること。 「―部隊」「―地」「一個師団が―する」

【要綱】根本的な、重要な事柄。また、そのような重要事項をまとめ上げたもの。 「政策の―」

【眼目】(1)物事のたいせつな点。要点。主眼。 「教育の―は人間形成にある」 (2)目。まなこ。

【獄門】(1)牢獄の門。 (2)〔斬罪になった囚人の首を (1) にさらしたことから〕江戸時代の刑罰の一。斬首のうえ、その首を一定の場所または悪事をした場所にさらすこと。獄門台にのせ、そばに罪状を記した立て札を立てた。梟首(きようしゆ)。晒首(さらしくび)。「――に懸ける」

【当座】(3)(あることから)しばらくの間。一時(いつとき)。「結婚した―は生活も苦しかった」

【おさおさ】(1)(下に打ち消しの語を伴って)どんな面からみても十分に。全く。ほとんど。「準備―おこたりなし」「―おとらない」

【大儀】(1)手間のかかる面倒なこと。骨の折れること。また、そのさま。「―な仕事」(2)くたびれてだるいこと。何をするのもおっくうなさま。「体がだるく起きるのが―だ」

【芬々】においの強いさま。多くよい香りにいうが、悪臭にもいう。「香気―たり」「酒気を―と匂はせつつ/鉄仮面(涙香)」

【荒涼】風景などが荒れ果てて寂しいさま。また、精神がすさんでいるさま。荒寥。「―とした枯れ野原」「―たる寂寞感」「―たるその景色/或る女(武郎)」

【胴震い】寒さや恐怖・緊張・興奮などのために体が震えること。

【怖気】こわがる気持ち。恐怖心。おぞけ。「―がつく」

【嘶く】馬が声高く鳴く。 ※いななく・いなく

【人好き】多くの人に好かれること。人が好くこと。「―のする顔」

【掛け金】(1)戸・障子などが開かないようにかける金具。

【按排】(4)ほどよく物事を処理すること。ほどよく物を並べること。「九個が整然と同距離に―されて/草枕漱石)」

【進捗】(1)物事が進みはかどること。「工事の―状況」※しんちょく

【皓々】(3)光るさま。明らかなさま。「―たる月/緑簑談(南翠)」

【銘記】しっかりと心にきざみこんで忘れないこと。「心に―すべき言葉

【徴発】(1)強制的に物を取り立てること。特に、軍需物資を民間から集めること。「民家から食糧を―する」(2)強制的に人を呼び集めること。「堤防工事に人員を―する」

【口伝】(1)口で伝えること。くちづたえ。(2)奥義・秘伝などを口伝えに伝授すること。(3)奥義を書き留めた書。秘伝の書。

【前哨】敵陣近くに軍隊が陣を張る場合、敵状を偵察したり敵の奇襲を防ぐために前方に配置する部隊。

【矮人】背の低い人。 ※わいじん

翻刻】(1)写本や刊本を、そのままの内容で、新たに木版または活版で刊行すること。翻印。(2)外国の刊本を、そのままの内容で新たに刊行すること。

拙劣】へたであること。まずいこと。また、そのさま。「―な文章」

【縞瑪瑙】縞模様の特にはっきりした瑪瑙。

【稠密】多くの人家・人間などがある地域に密集している・こと(さま)。「人口が―な地域」「人家の―する日本橋区の中央(まんなか)へ/花間鶯(鉄腸)」 ※ちゅうみつ

【立役者】(1)芝居で一座の中心になる役者。立役(たてやく)。立者(たてもの)。(2)ある方面で中心となって活躍する者。中心人物。「優勝への―」

【いくたり】「いくにん(幾人)」に同じ。「―来たかわからない」「―かは成功した」

【成算】物事をやりとげることができるという見込み。成功する見込み。「―がある」「―が立たない」

馬力を掛ける】精を出して仕事にはげむ。馬力を出す。

【尖塔】細長く先がとがった形屋根をもつ建物ゴシック建築教会などに多く見られる。

【拱廊】アーケード建築用語。円柱などの柱によってささえられたアーチの連続,または片側がアーチをのせた柱列からなる廊。ローマ時代以降盛んに用いられ,中世にはバシリカ式教会堂の身廊と側廊を仕切る内部構成の重要な要素となる。

【重畳】(1)幾重にもかさなっている・こと(さま)。「―たる山脈」(2)この上もなく喜ばしいこと。きわめて満足なこと。感動詞的にも用いる。「―の至り」「御無事でお帰りなさるは何より―/色懺悔紅葉)」※ちょうじょう

【はかばかしい】(1)物事が順調に進んでいる。望みどおりの方向にいっている。うまくいっている。また、はかどっている。「病状が―・くない」「―・い返事が聞けない」

【奇態】風変わりなこと。不思議なこと。また、そのさま。「予言したのがちやんと適中してゐるから―だ/うづまき(敏)」

【風雪】(1)風と雪。(2)風とともに降る雪。吹雪。(3)きびしい試練や苦難のたとえ。「―に耐える」

【以遠】ある地点よりさらに遠いこと。また、その場所。「東北本線宇都宮―が不通」

【鷹揚】ゆったりと振る舞うこと。余裕があって目先の小事にこだわらないこと。また、そのさま。ようよう。「―な態度」「―にかまえる」

【物堅い】実直である。律義である。まじめ一方である。「―・く信用できる人」

【暗影】(1)暗いかげ。(2)不安・不吉なきざし。「前途に―を投げかける」

【暗影を投ずる】不安を投げかける。「国際情勢に―・ずる出来事」

【模糊】はっきりしないさま。ぼんやりとしているさま。「曖昧(あいまい)―」「四辺(あたり)は―として霧の中に隠れるが如く/あめりか物語荷風)」

【戦慄く】(1)寒さ・恐怖・発熱などのために体が小刻みに震える。おののく。「恐怖に―・く」 ※わななく

【空恐ろしい】これから先のことを考えると、なんとなく不安で恐ろしい。「ゆく末が―・い」

【稀覯】〔「覯」は見るの意〕めったに見られないこと。「―の古書

稀覯本】めったにない珍しい本。古写本・古刊本・限定出版本などのため、数がきわめて少ない本。稀覯書。稀書。珍本。

【蔵書】書物を所蔵していること。また、その書物。蔵本。

【悪鬼】(1)たたりをする魔物。「―のごとき形相(ぎようそう)」

【染む】(3)打ち消しの語を伴って、自分の気持ちになじまない、気にいらない意を表す。「意に―・まぬ結婚」 ※そむ

【総身】からだじゅう。全身。満身。そうみ。

【悠久】はてしなく長く続いている・こと(さま)。「―な営み」

【繁茂】草木が生い茂ること。「夏草の―する野原」 ※はんも

【閲する】(1)よく調べる。検査する。「此編を綴るに至りて或一書を―・せしに/近世紀聞(延房)」(2)年月を経過する。「諸邦を遊歴して多年を―・し/花柳春話(純一郎)」 ※けみする

【霊廟】(1)先祖など、人の霊をまつってある建物おたまや。みたまや。(2)卒塔婆(そとば)のこと。 ※れいびょう

【蕭然】がらんとしてもの寂しいさま。「沈々たる孤灯に対(むか)ひ―として窓下に縫衣す/世路日記香水)」 ※しょうぜん

【冷徹】冷静で、物事の根本まで深く鋭く見通している・こと(さま)。「―な目」「―に事の推移を見通す」

【瞥見】ちらりと見ること。ざっと目を通すこと。一瞥。「―すると女が四人でテニスをして居た/趣味の遺伝(漱石)」

【新緑】初夏の頃の、木々若葉のつややかなみどり。[季]夏。

【壮麗】大きく立派で美しい・こと(さま)。「―な会堂」

【興趣】楽しく愉快に感じること。おもしろみ。「―が尽きない」「―がわく」

【古雅】古風でみやびな・こと(さま)。「古代の人像は―にして奇(くし)く/慨世士伝(逍遥)」 ※こが

【円蓋】半球形の屋根ドーム

【着意】(1)気をつけること。気をとめること。注意すること。「然るにこれに―するもの、甚だ少なし/西国立志編(正直)」(2)思いつき。着想。

【刻限】(1)指定した時刻。定刻。「―に遅れる」(2)時刻。時間。「日の暮れる―」

【蒼枯】古びていて深みがあるさま。「太い幹は―として白い粉をふいている/わが愛する山々(久弥)」

【遠戚】血筋の遠い親戚。

【純朴】素直でかざりけのないこと。人情が厚く、世間慣れしていないさま。「―な気風」「―な人」

【購う】(1)買い求める。「最も価(あたい)低き入場券を―・ひたれば/ふらんす物語荷風)」(2)ある物と引き換えに別の物を得る。「汗と涙で―・われた成功」

【贖う】罪の償いをする。「死をもって罪を―・う」

【和毛】やわらかな毛。うぶ毛。 ※にこげ

意趣返し】仕返しをして恨みを晴らすこと。報復。意趣晴らし。

【譴責】(1)不正・過失・失敗などをとがめしかること。「怠業のかどで―する」※けんせき

【ひとかたならず】ひととおりでない。普通でない。たいへんである。「―ぬお世話になりました」「―ず驚いた」

【峻厳】(1)いかめしくきびしい・こと(さま)。「―な態度」「―に自己を難詰した彼も/彷徨(潤一郎)」

【難詰】欠点を挙げ、厳しく相手を非難すること。「失態を―する」 ※なんきつ

【懐郷】故郷をなつかしむこと。「―の念抑えがたし」

【往時】昔。以前。「城跡に―をしのぶ」

【顔容】顔かたち。容姿。容貌(ようぼう)。

【突兀】物が高く突き出ているさま。山や岩などの険しくそびえているさま。とつこつ。「英雄の鼻柱が―として聳えたら/吾輩は猫である漱石)」 ※とっこつ

【刻苦】自らを苦しめ努力すること。「蛍雪(けいせつ)の窓に―して/慨世士伝(逍遥)」

【登攀】高い山などをよじ登ること。とはん。 ※とうはん

【闃然】ひっそりとして静かなさま。人気がなくさびしいさま。「―として空家の様に見えるのは/琴のそら音(漱石)」 ※げきぜん

【凛然】(1)寒さの厳しいさま。「―として寒冷(さむさ)膚へに徹り/竜動鬼談(勤)」(2)りりしく勇ましいさま。凛乎(りんこ)。「―たる態度」「精神爽(さわ)やかに意気―として/復活(魯庵)」

【凛乎】きりっとして勇ましいさま。りりしいさま。凛然(りんぜん)。「―たる態度」「彼方(かなた)を睨(にら)みし有様は、―として四下(あたり)を払ひ/慨世士伝(逍遥)」 ※りんこ

【篤実】情にあつく誠実であること。他への思いやりがあり、また、まじめであること。また、そのさま。「温厚―の好青年」「―な人柄」「―家(か)」

【惻隠】かわいそうに思うこと。あわれむこと。 「―の情」

【碩学】〔「碩」は大きい意〕学問が広く深いこと。また、その人。 ※せきがく

【詰屈/佶屈】文字・文章が堅苦しく難しい・こと(さま)。

【遺愛】死んだ人が、生前に愛用していたもの。「亡父―の万年筆

【先考】死んだ父。亡父。

【先妣】死んだ母。

【粛然】(1)静まりかえっているさま。また、かしこまり静まるさま。 「恩師の前に―と控える」「此満堂―として鎮静し/経国美談(竜渓)」(2)礼儀正しく、おちついたさま。また、おごそかなさま。「彼等は…火の気のない室(へや)に―と坐つてゐた/門(漱石)」

【酔歩】酒に酔って歩くこと。また、その足どり。千鳥足。「阪東君が―蹣跚(まんさん)として這入(はい)つて来る/続風流懺法(虚子)」

【蹣跚】よろめき歩くさま。「―として定めなき足を引摺り/緑簑談(南翠)」 ※まんさん

【憂愁】うれえもだえること。悲しみなげくこと。うれい。「―の色が濃い」「享楽し、―する人間らしき行為言動を/文学評論漱石)」

【幽愁】深い物思い。深い憂い。「―を催す」「―の美に酔ふばかりであつた/ふらんす物語荷風)」

【幽囚】捕らえられて牢などにとじこめられること。また、その人。囚人。「―の身となる」「ブリグハム、ヤングを―せり/八十日間世界一周(忠之助)」

【有終の美】物事を最後までやり通し、立派になしとげること。 「―を飾る」

【虚心坦懐】心になんのわだかまりもなく、平静な態度で事にのぞむ・こと(さま)。「―に話し合う」

【沈滞】(1)一つところにとどこおって動かないこと。(2)活気がなく、積極的な動きのみられないこと。「全体に―した雰囲気だ」

私生児法律上の婚姻関係にない男女の間に生まれた子をいった語。民法旧規定では父の認知を得ていない者をいい、認知された子は庶子として家籍に入れられた。現在民法では「嫡出でない子」という。私生児

【分限者】金持ち財産家。 ※ぶげんしゃ

【手練手管】人を思うままに操りだます技巧。「―の限りを尽くす」

【籠絡】うまくまるめこんで自分の思う通りにあやつること。「主君を―するに至れば/日本開化小史(卯吉)」

【不倶戴天】〔「礼記(曲礼上)」から。ともに天をいただくことはできない意〕この世に共存できない、どうしても許せないと思うほど深く恨むこと。「―の敵」

換骨奪胎】古人の詩文の発想・形式などを踏襲しながら、独自の作品を作り上げること。他人の作品の焼き直しの意にも用いる。

【機微】表面からは知りにくい微妙な心の動きや物事の趣。「人情の―に触れる」「人生の―」

【機微を穿つ微妙な心理や趣を巧みに言い表す。

【恵投】人から物を贈られることを敬っていう語。恵贈。恵与。 ※けいとう

【看取】見て、それと知ること。事情などを察知すること。「人に由りて其の―する処の事実なり/欺かざるの記(独歩)」

【看過】見過ごすこと。大目に見て見のがすこと。「決して―できない不正

【指弾】つまはじきすること。転じて、人を非難・排斥すること。「―を受ける」「偽善者を―する」

瑕疵】(1)きず。欠点。(2)法的に何らかの欠陥・欠点のあること。

【謙抑】へりくだって控え目にすること。

【宥和】相手の態度を大目にみて仲よくすること。

面従腹背】うわべは従順にみせかけ、内心では従わないこと。 ※めんじゅうふくはい

【附和雷同】自分にしっかりした考えがなく、他人の意見にすぐ同調すること。

【威武】威光と武力。武力が強く、威勢のあること。武威。「―を示す」

【威光】自然に人を服従させるような、おかし難い威厳。「親の―をかさにきる」

【断案】最終的な考えを決めること。また、最終的な考え・案。「―を下す」

【存否】(1)存在しているかいないかということ。「詩人の生家の―を問い合わせる」(2)健在であるかないかということ。安否。「両親の―を問う」 ※そんぴ

【出立】(1)旅に出ること。旅立ち。「早朝―する」(2)物事を始めること。「此(この)根本義から―した代助は/それから漱石)」 ※しゅったつ

根本義】根本の意義。原理。「人生の―を悟る」

【零落】おちぶれること。「―して今は見る影もない」 ※れいらく

【落魄れる】以前の身分や財産を失い、みじめなありさまになる。零落する。「―・れて今は見る影もない」

【布置】物を適当な位置におくこと。配置。

【鬼胎】(1)心中ひそかに抱くおそれ。「―を抱く」(2)〔医〕「胞状奇胎(ほうじようきたい)」に同じ。

【胞状奇胎】妊娠初期に胎盤を形成する絨毛膜の絨毛が病的に増殖し、葡萄(ぶどう)状の嚢胞(のうほう)になって子宮腔を満たすもの。大出血を伴って流産したり、癌が発生する確率が高い。俗に「ぶどう子」と呼ばれる。葡萄状鬼胎。

【阿る】気に入られようとする。へつらう。「大衆に―・る」「時流に―・る」 ※おもねる

【腑分け】解剖のこと。「手医師何某といへる者、千寿骨ヶ原にて―いたせるよしなり/蘭学事始」

【流謫】罪により、遠地へながされること。島流し。謫流。「―の身」 ※るたく りゅうたく りゅうてき

貴種流離譚】〔折口信夫の命名〕説話の一類型。若い神や英雄が他郷をさまよいさまざまな試練を克服し、その結果、神や尊い存在となったとするもの。在原業平(ありわらのなりひら)の東下り伝説かぐや姫伝説、また、源氏物語須磨流謫(るたく)の条などがこれにあたる。

【局外】(1)当面の事柄に直接関係のない立場。「―に立つ」

【局外者】その物事に関係のない人。。

蛭子記紀神話で、伊弉諾命(いざなきのみこと)と伊弉冉命(いざなみのみこと)の子とされる。古事記では伊弉諾・伊弉冉が日本の国土を生み成す際、国土とは認定し得ぬ失敗児、日本書紀では統治者の資格を欠く不具児としてそれぞれ位置づけられる。中世以降、恵比須(えびす)として尊崇された。ひるのこ。

ゲリマンダー】自党に有利になるように選挙区の区割りをすること。

【斜交い】ななめ。また、ななめにまじわること。「―にまじわる道路」 ※はすかい

博覧強記】広く書物を読みよく覚えている・こと(さま)。「―で鳴る男」

【惑溺】まどいおぼれること。夢中になって、正常な判断ができなくなること。「古習に―する者は/文明論之概略諭吉)」

糜爛】(1)ただれること。「―した歓楽/悪魔(潤一郎)」 ※びらん

【歓楽】(1)喜び楽しむこと。喜びと楽しみ。快楽

【瀰漫】(ある風潮などが)広がること。はびこること。蔓延(まんえん)。「退廃の気が―する」 ※びまん

【頑迷】頑固でものの道理がわからない・こと(さま)。「―な人」

【頑迷固陋】考え方に柔軟さがなく、適切な判断ができない・こと(さま)。

【疎隔】関係がうとくなること。遠ざけること。「妾を―せんと謀りしなり/妾の半生涯(英子)」

独立独歩独立して他から支配も影響も受けずに自分の思うとおりにやること。独立独行。

【宿痾】前々からかかっていて、治らない病気。持病。痼疾(こしつ)。宿病。

八紘一宇】天下を一つの家のようにすること。第二次大戦中、大東亜共栄圏建設意味し、日本海外侵略を正当化するスローガンとして用いられた。

【侏儒】(1)こびと。一寸法師。 (2)見識のない人をののしっていう語。

【深更】夜ふけ。真夜中。深夜。「激論は―に及んだ」

【黒暗々】まっくらなこと。「―日光も穿ち得ぬ森林の裡(うち)/日光山の奥(花袋)」

【波濤】大波。高い波。

【炯々】(目が)鋭く光るさま。「眼光―として人を射る」「―たるまなこ」

【盲滅法】何の見当もつけずにむやみに事を行う・こと(さま)。やみくも。 ※めくらめっぽう

【文質】〔「文」はあや・かざりの意〕文華と質朴。また、外見と実質。

【彬彬/斌斌】(1)文章の外形と実質とが共に備わっているさま。「文質?其宜を得る/明六雑誌 21」 (2)文物が盛んに興るさま。「大宝の令は制度儀文全く備り―として観る可し/新聞雑誌 40」 ※ひんぴん

【文質彬彬】外見と実質とがほどよく調和していること。「文質彬彬としてこそ君子というものである」

【赫赫】(1)はなばなしい功名をあげるさま。「―たる戦果」(2)光り輝くさま。「―たる南国の太陽」 ※かっかく

【墨守】〔墨子がよく城を守り通し、楚軍を退けたという故事から〕昔からのしきたりや自説を固く守ること。「旧習を―する」

【旧習】昔からの習慣。古くから残っているならわし。

【旧慣】古くからの習慣。昔からのならわし。旧例。

唯唯諾諾】何事にもはいはいと従うさま。他人の言いなりになるさま。「―として命令に従う」

【係争/繋争】当事者間で争うこと。特に、訴訟を起こして法廷で争うこと。「―中の事件」

擬制】〔法〕〔fiction〕相異なる事実を法的には同一のものとみなし、同一の法律的効果を与えること。失踪宣告を受けた者を死亡とみなし、電気を有体物とみなすなどの類。

【緒言】(1)論説の言い初めの言葉。(2)前書き。序文。 ※しょげん

【徴表】その事物のあり方を特徴的に示し、他の物と区別する性質。属性メルクマール

【骨絡み】(1)梅毒が全身に広がり、骨髄にまでいたってうずき痛むこと。また、その症状。ほねうずき。(2)悪い気風に完全にそまっていること。

抹香臭い】抹香のにおいがする。転じて、いかにも仏教的な感じがする。ぼうずくさい。「―・いお説教

【可及的】できるかぎり。なるべく。「―速やかに撤去せよ」

【通暁】(1)夜を通して朝に至ること。夜通し。(2)すみずみまで知ること。「その分野に―している」

【掉尾】〔尾をふる意〕物事・文章などの終わりになって勢いを奮うこと。また、終わりごろ。最後。「―を飾る」 ※ちょうび

【掉尾の勇を奮う】最後の勇気を出して奮闘する。

【囲繞】周りをとりかこんでいること。「山々に―された地」 ※いにょう・いじょう

【畏友】尊敬している友人。

【言下】相手が言い終わったすぐあと。言い終わるか終わらないうち。「―に断られた」 ※げんか・ごんか

【淫奔】(女性が)性的享楽におぼれやすい・こと(さま)。多情。 ※いんぽん

【知解/智解】知識によって悟ること。 ※ちかい・ちげ

【哀訴】相手の同情心に訴えること。なげき訴えること。哀願。「彼は地主に―して/土(節)」

【充溢】満ちあふれること。「気力が―する」 ※じゅういつ

【釈義】文章・語句などの意味を解きあかすこと。また、解きあかした内容。解釈

【蹉跌】つまずくこと。失敗し行きづまること。挫折。「研究は―をきたした」「出立点から、程遠からぬ所で、―して仕舞つた/それから漱石)」 ※さてつ

【逢着】出あうこと。でくわすこと。「難関に―する」「屡々此の問題に―した/彷徨(潤一郎)」 ※ほうちゃく

【衡平】(1)つりあうこと。平衡。(2)〔法〕 一般的規定である法を、その適用において具体的事例に適するように修正すること。

語の意味はここからコピペ http://dictionary.goo.ne.jp/jn/

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