はてなキーワード: 病気とは
なんでそれを政治家や世の中に影響力を持つ奴はわかってねえんだよ。
成功も金稼ぎもリスキリングにも興味ないし何者かになろうともしてないし個性だの自由だの求めてねえよ!
俺が求めてるのは!
ボーナスも貰って!
結婚して!
子供2、3人持って!
家かマンション買って!
仲良い同僚とかと上司や部下や仕事や政治の文句を言いながら新橋で昼飯食って!
65あたりで定年して!
定年したら退職金と厚生年金と企業年金で金持ちでもないけど不自由もしないほどほどの生活を送って!
そんな世の中を生きたいんだ!
とりあえずそのスタートラインには入れたんだ!
年功序列で終身雇用で得意分野はがっしり抑えてるけど規模を拡大させるのは大嫌いで総合職は男性のみ事務職は女性のみ(寿退社した分だけ新卒採用で欠員補充し勤務中は制服着用)で飲み会も多くて人間関係も濃くて普通に楽しい俺好みの会社に総合職で入社できたんだ!
だから!
ほどほどに仕事してほどほどの家をローンで買って定年後は確定申告シーズンの税務署バイトとかしつつ基本は厚生年金と企業年金で何不自由ない暮らししてる俺の親父と母親みたいな人生を送りたい!
外国人もいらない!
多様性もいらない!
AIもいらない!
具体的にはトイレに行けない試験を受ける場合、受験前1時間の間にトイレに10回くらい行くし、そうでなくても1日10回以上トイレに行く
なので他人と行動しているときに「すまんトイレ行ってくる」がめちゃくちゃ発生する
まあトイレなんかみんな行くんだが、トイレ行った10分後にまた「すまんトイレ行ってくる」が発生したりする
このときの俺の感情は「待ってくれてありがとう(負い目なし)(言うだけ無料)」ではない
「ごめんなさい」は言う
「待たせてごめんなさい」もいうし「意味わからんくらいトイレいってごめんなさい」の気持ちもあるし、「俺じゃなければこんな面倒な思いさせなくて済んだのにな」の気持ちもある
そもそも俺はこのシチュエーションが嫌いなのでなるべく他人と行動をしないようにしている
だからそもそもごめんなさいを言う頻度が少ないので、耐えられる
でも他人に迷惑をかけている自覚はある(そんなこと感じる必要はないですよ、みたいな話はあるだろうが、「なるほど〜じゃあ平気でいよっと」とはならない)(だってみんな迷惑かけられると怒るじゃない?)(俺も外でタバコ吸ってるやつがいると「くせーな」って思う)
病気で周りに説明しなきゃいけないんだけど、説明するの面倒くさいんだよね。説明するくらいしろよって思うでしょ?でも毎回しなきゃいけないわけ。毎回するの大変なんだよ。なんで説明しなきゃいけないんだって思う気持ちも知ってほしい。ただそれだけ。
こう言う人が勘違いしてそうなのが特に健康保険だけど、健康保険って、使う月だけスポット加入とかは不可能なんで大人しく払っとく方がいいぞ。
また、公的年金も利回りが無茶苦茶よい金融商品なので、iDeCoとかNISAとかの前にこちらを使った方が得。まぁこっちは健康保険ほど致命的じゃないけども。
若いうちは健康だからと未加入、そろそろ医療費が嵩み出すからと加入しようとすると、未加入期間分全額の支払いを求められる。これ結構知らない人多いよな。指摘するとびっくりされる。普通の人は知らなくて好い知識だし。
支払わされるときは、通常遅滞金も含めて払わされる。分割払いなども認められるけど、破産しても支払い義務は消えない。また行政が自動的に督促する仕組みがあるからそのたびにリセットされ時効にもならない。
不注意や貧困などのやむを得ない場合では3年前まで徴収というルールにしているところがあるが、未払いの場合無限に遡られる可能性がある。
例えば事故を起こして全身を強打、救急車で運ばれ緊急手術、となった場合、そのままだと手術だけで数百万円の支払い請求が来て、その後リハビリが必要になると標準でも1ヶ月あたり100万以上の請求になる。保険に加入していれば3割負担、さらに高額療養費制度という一種のキャップ制で自己負担10万程度で済むが、加入していないと人生詰む。
そうなると加入せざるを得ないが、過去に遡って支払いを求められる。金は無いと居直ったところで、月数千円でもいいから上乗せして払えと分割組まれるのが普通。
一方で、今まで全額払った医療費の請求権は2年で消滅するため、そのギャップから払い損になる・
ざっくり計算してみるとわかるが、一般的な人の場合、一生かけて支払う健康保険料と、実際にサービスを受けた健康保険料はほぼトントンになる。まぁ当たり前で、そうじゃなきゃ制度が成立しないんだけど。
老人を若い人が支えている、と言うのは、日本の健康保険や年金制度は積立型ではないと言うことを比喩的に表したものに過ぎない。
計算してみるとわかるが、年金はもちろん、健康保険も一生分計算すると、自分が払い込んだ金額と使った金額がほぼトントンになるようになってる。
また、これから日本経済が継続的にマイルドインフレしていくようになるとすると、払い込んだ額より自分が受けるサービス額の方が高くなることは確実だ。
公的値金は、年金収入と運用益に従って支払額が決まる仕組みになっているため、破綻する事は無い。
これ基本中の基本だと思うんだけど、公的年金は払っても破綻するから無駄、と未だに言う人がいて、特に若い人でこれを真に受けて払ってない人がいてびっくりした。
これ、「現在受け取っている人より下の世代は不利だ」という意味ならその通りなんだが、そう言う話を「年金は払うだけ無駄」って受け取ってる人がいるよう。
だけどこれも間違いで、年金は
健康保険では、手続き無しで未払い期間であっても、後から今までの分の保険料を支払えば保険金が出るにはでる。しかし、年金の方のはもっと厳格。成人の場合、障害の原因となる治療が加入期間に入ってないと対象にならない。後から払いますでも無駄。
なので、払わないなら払わないで猶予手続きをやっておかないと詰む。
いざとなりゃ生活保護うけりゃいいと言う人がいて、よく「国民年金は満額払っても生活保護費より低い」ことを根拠に払わなくて良いと言う人がいるんだが、生活保護費って、貯金・金融資産はもちろん、各種の資産を処分するとか自助をやりきった後じゃ無いともらえない。蓄財が一切できない。原則的に、自動車や土地建物はもちろん、趣味の品物も換金できるなら全部売り払わないと受給できないケースが多い。
用途も限定される。10年前はエアコンすら贅沢品にカウントされていて、購入費が出ないと言う話もあった。
更に額も違う。よく「国民年金を満額支払っても生活保護費より低い」と言われるかが、生活保護費の方は住宅補助などを入れた金額なので、純粋に現金で支給される金額は低い。
更に住宅補助も公営住宅を想定した金額で各地設定されているため、国民年金だけの人は必ず住民税非課税家庭になることから、家賃はほぼタダ同然になり、公営住宅に入居する方が使える金は多くなることもある。
なので
と言う状況を自ら望むならそれでもいいけど、と言う世界になる。
車椅子キャラといえば『ぼくらの〜alternative〜』のコズエ
鬼頭莫宏の漫画『ぼくらの』の小説版だが完全オリジナルストーリーで、少しズレた並行世界の話
コズエはオリキャラで、かつては活発なスポーツ少女だったが、病気の後遺症で車椅子生活をするように
夏休みの自然学校として海辺の田舎町を訪れ、他の子供たちが進んで介護してくれ日々を楽しむ
突然に巨大ロボットを操縦することになったコズエは、人家を踏まないように避けて敵を倒そうとそろそろとロボットを歩かせる
500メートル級の途方もない巨大ロボットでも念じるだけで動く
戦闘中に他の子が「ちゃんと歩けてる」とロボットの動きに感嘆を漏らす
その声を聞いた途端、もう長年自分の足で歩くことのなかったコズエは「歩くってどんな感覚だっけ」とふと疑問に思った
思念によって動くロボットは、「歩く感覚」をそういえば忘れているとコズエが自覚してしまったことで立っていられなくなり崩れ落ちる
他の子供達の「立って!早く立って!」という叫びを実行できずコズエはパニックになる
ロボ操縦が「スイッチやレバーの操作をこなすタイプ」ではなく「思念タイプ」の場合、歩き方を忘れた身障者はロボを歩かせるのかというのは面白い題材だった
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押す側の人はわかると思うんだけど、車椅子ってちょっとぶつかっただけで超痛い。
だから押す側はだいぶ神経使う。重いし。
繊細な人なんだなとか思われるかもしれないが、身内は人並に大雑把で人並に優しく人並に理不尽な人だ。
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例えば、人混みを通らなければならないとき。
介助者の自分は当然「すみません」って声をかけて通るんだけど、
乗ってる側としては「何で謝らなきゃならないんだ」って悲しくなるらしい。
そんなことで?ただの声かけじゃない?と思った。
大体人混み通るときって健常者だって「すみませーん」ぐらい言うし。
で、よくよく話を聞いてみると、そもそも「頭を下げないと道も通れないことが悲しい」というような旨を言う。
それは意味が違うと思うけどなあ…と思い、
そのときは「SorryじゃなくてPardonの意味だから、受け取り方が違うよ!」と慰めた。
そういうことを言う人でもなかったので、何となく引っ掛かりを覚えた。
よくよく考え、「そういう風に考えてしまう」こと自体が、身内の内情を表している、そんな気がした。
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金銭的に依存したいとか、恋愛的に依存したいとかは健全じゃないながらあると思うが、
『身体を動かす点において依存したい』という人間は、多分いない。だって不便じゃん。
最初は周囲に助けられてなんとかなるかもしんないけど、それがずっと、死ぬまで続くなら本当に毎日毎日うんざりすると思う。
周囲だって、毎日毎日世話することに疲れてくると思う。そう考えちゃうのも、周囲を信用できていないみたいでいやだし。
でも車椅子の人って実際こうなんだろうなと。
傲慢な人だとか、人を使役することに慣れている人なら、「でも俺は動けないし」で済むかもしれない。
本当~に一般の、どこにでもいる普通の人が突然そんな状況に置かれ始めたら、段々だんだん「申し訳ないな…」って気持ちになるのは必然な気がする。
「自分の要求のために絶対人が動かなきゃならない」が毎日毎日、この先もずっと…って考えたら、しんどくなるわそりゃ。
つまり、身内の中に蓄積された「また頼ってしまった」「また助けて貰ってしまった」という無力さと、
「それに対して自分が返せるものが何もない」という良心の呵責、周囲が自分をどう思っているかへの不安、
それらが蓄積した結果、「何で謝らなきゃならないんだ…」という最初の言動そのものになってるのかなと思った。
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いや、これはマジでよくない。と思った自分は「もっと外に出て元気でいて欲しいな」と安易に考えた。
だってずっと家にいるってことは、やっぱり生活に彩りがなくなるし、体力も筋力も落ちてくる。
これって、人によっては段々生きる気力が減退する場合もあるし、ネガティブになることも多くなると思う。
外に出て沢山刺激があった方が、色んなことが塗り替えられるじゃない。
でも、それも難しいんだよね、車椅子だとさ…。
だから多目的トイレを探さなきゃならない。で、もし使用されてたら使用が終わるまで待たなきゃならない。
車椅子用トイレが使用中で、仕方なく待つことはある。大体お仲間だったり、赤ちゃんだったりする。
ただ、10分後ぐらいに水を流す音もせず、ばっちりメイク決めたJKが出てくると流石にムッとする。
いや確かに多目的だけれども…苛つく気持ちは理性では抑えられない。
もしかしたら彼女も何か抱えているのかもしれないので口汚く言いたくはない。
かもしれないが…しれないが…しかし…世の中には多目的トイレでセックスをするアホもいたりするからな…。
健常者なら、許容できる範囲かもしれない。だってそんな苛立ちも抱えず他のトイレに行けば済むのだ。
車椅子の人だって介助者だって別に、自分に関係なければ許せるかもしれない。
そういうありもしない未来・過去がそのたびに去来し空しくなる。
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他の例だと、地方の美術館では2階に行けないこともあったし、砂利道はガタガタしすぎて危ないから通れないこともある。
外出の選択肢として楽なのはアウトレット。舗装されてるし広いから一人当たりの占有面積もゆったり。でも数は限られてるし場所によっては早々行けない。
海辺の砂浜なんて車輪がもたれるから絶対だめだ。山を登ることも、ハイキングもできない。
エスカレーターも階段も使えないから常にエレベーターを探さなければならない。
エレベーターって意外と辺鄙なところにあるから、実際探し当てるまでもかなり大変な目に遭ったりする。
一度エレベーター縛りで移動してみると、面白いと思う。それをこの先ずっと続けるとなると辟易だと思うが。
見つけたとしても、必ずしも乗れるわけではない。混んでたりするからね。
降りて譲ってくれる優しい人がいると、この先この人に今の五万倍の幸せがあるといいな!と思う。有難いことこの上ない。
実際バリアフリーは沢山あるし、色んな公的機関では配慮されてることが多い。
障害者オンリーの観覧日を設けてくれる美術館などは本当に助かる。
若ければ車椅子サッカーとかバスケとか、そういった活動もあるかもしれないが、年をとるとインドアなことしかできなくなるので。
とんでもない角度の段差の補助?だったりすると「あーっ惜しいですね」となってスルーせざるを得ない。
エレベーター行くのに遠回りしなきゃいけなかったりするし。まあ、仕方ないんだけどね。やってくれるだけ有難い。
(この「やってくれるだけ有難い」も、身内の「何で謝らなきゃいけないんだ」の一部だとは思うが…)
施設は、入場料がいらなかったり、半額になったりする。
でもまあそれは「平等なサービスを受けられないことによる減額」なのかもなと思う。
美術館だと照明が反射して、絵がよく見れなかったりする。健常者と見る位置が違うから。
コンサートなら車椅子用の席は固定で、「可も不可もない中間よりちょっと遠い席」が普通かも。
たまに逆にえらい良い席なときもあるけど。最後尾があたる可能性もないが、最前席があたる可能性はない。
本人は車椅子に乗ったまま、介助者の自分はパイプ椅子…なんてこともあった。
クラシックコンサートだったが、ずっと尻が痛かった。ちゃんとした席が横にあるんだからそっちにして欲しかったなあと思ったけど、まあ仕方がない。
「尻が痛かった…」と少し溢すと、申し訳なさそうな顔をされて「しまった」と思ったりする。
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マジで行ける分いいと思うのだ。行ける分良い。でも、ざっと書いただけでもこれだけ大変なことがある。
自分が車椅子だったらと考えると、そりゃ外出たくないよなって思う。
望んだわけでもないのに、同じサービスが受けられない。周りに迷惑だと思われているし、介助者にも迷惑がかかる。遠回りさせる。自分がいるから存分に楽しめなかったりする。そもそも、自分の行動や欲求に付き合わせている。
そういった事実によって生まれた葛藤が『何で謝らなきゃならないんだ』、ひいては『何でいちいち感謝しないといけないんだ』になるのは、わからんでもない。
そういう立場を体験していない自分が、その感情を否定することはできない。
ただ「しょうがないよね」って茶を濁して共感することしかできない。無力だなあと思う。
身内の気持ちは身内にしかわからないから、ここまで考えているか感じているか実際は知らないけど、まあ大外れではないと思う。
当初は「そんなことで?」と困惑した自分も、もう肯定するほかないなと思ってる。
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社会に生きる人間は良くも悪くも社会にある程度迎合しなきゃならないというのが個人的な持論。
人間は全員が「違う」から。違うから、お互いを譲歩し適切な距離を保って、険悪にならない距離でコミュニケーションをとる。
これは最近のトランスジェンダー関係の話でもそうなのかなと思う。
自分のすべて受け入れてほしい!と思うなら、そういう社会に行くか、新しく作るしかないんじゃないだろうか。
平和に生きてる人たちを脅かしてまで自分を押し通したいと思う人と、手を取り合いたいなんて思わないだろう。
だからまあ、身内の心情に心をいためつつも仕方ないよな、なんて思う自分もいて、
なんていうか…罪悪感じゃないけど、申し訳なさを感じたりもする。
色々人生楽しめるものを用意できるよう、無理じゃない程度にやっていきたい。
無理させてると思わせるのが一番、本人にもよくないと思うので。
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そういうわけで(?)
車椅子を押す側として思うのは、優しく見守ってくれる人がたくさんいてくれればいいなと思う。
助けてくれなくたっていい、通り過ぎたって全然良い。
舌打ちしたり、からかったり、邪魔になることはしないでくれれば。
こんなん、健常者でも当然のマナーだと思うんで、改めて言うのも変な話だけど。
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おまけ
テレビの某野外音楽フェス特集を見て「一回ぐらい行きたかったなぁ」と言われた時は「それは…無理だな…」と思った。
「そりゃ車椅子なんだから無理でしょ」って当然のように言う人はいると思う。
いや無理なんだよ。そりゃそう。無理なの。物理的に。
確かに頑張れば行けるかもしんないけど。知らないけど、配慮もされてると思う。
でも立ち見の音楽フェスに行くというハードルがそもそも高い。そこに行くまでの道程のハードルも高い。
立ち見だから見るとしても多分後ろの方でしっとり見るしかない。車椅子にぶつかると怪我させちゃうだろうし。
そういったリスクをひっくるめて考えて「無理」となる。勿論フェスを非難してるわけではない。
「金がないから無理」とか「忙しいから無理」とかと違って、「車椅子だから無理」は本人にはどう努力もできない「無理」だ。
介助人としては軽く「え!行きたいなら頑張るよ!」なんて返したりするけど、身内は難しいことを知ってるから、何も言わずに首を横に振る。
こんな無力なこと、ある?
自分はまあ行こうと思えばいつでも行ける。
身内はこの先あの景色を体験することはないんだ。と思ったら無性に悲しくなった。
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日頃健康に気をつけて病院にかからないようにしてる人間が不摂生で病院にかかりがちな人間の医療費を払う構造はおかしい。定年退職して体を動かさず病気になる人もだ。自己責任と相互扶助のバランスがとれていない。
未科学だよ。
だから症状があるのに患部がない。
栄養不足、運動不足、睡眠不足、ストレス、虐待、認知の歪み、疾病利得の状況などはパフォーマンス低下の原因なのだが
精神科医Dr林のコラムに青葉被告のコンビニバイト時代の話が載ってたんだけど、青葉被告は自分が一生懸命働いているのに同僚がサボることに不満を抱いていたようで、たまに同僚をどなりつけたりして辞めさせたりするなどトラブルを起こしていたらしい。
で、林先生曰く、それは統合失調症の人の被害妄想としてよくある話なのだとか。
つまり精神疾患の症状として、「あいつはサボってるのに自分はこんなに苦労させられてる」という被害妄想を抱きやすい人が利用者の中にはいるんじゃないのかな。
それを障害特性として「病気がそうさせてるんだ」と捉えられたらまた違うのかもしれないが、B型作業所の職員(しかもバイト)がそこまで丁寧な教育やら研修を受けられる環境にあるとも思えないし、ストレス耐性が無い人や向いてない人はやめて正解だと思う。
被害妄想の話は「京都アニメーション放火殺人事件」というタイトルのコラムの項目201〜207に書かれています。
正確には統合失調症ではなく精神病性障害(Psychotic Disorders)について述べています。
Aが同僚二、三人を怒鳴りつけて辞めさせたという事実があることを裁判所は認め、そういうことは「一般的にもあり得る」と指摘している。
(中略)
精神系の病気は普通にすごせてるだけで治ってないみたいなこと多いから
治療開始からまともになったと自覚できるまでが超長い10年スパンで戦う感じ
今はまだ気力あるっぽいから今のうちにがんばってくれえー