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2023-10-25

Constructivismにおける価値観とはなんぞや

国際関係分析にはRealism(武力が近いとケンカしない),Liberalism(経済関係が密だとケンカしない),Constructivism(価値観が同じだとケンカしない)という3つのツールを用いるのが一般的だけど、今のイスラエル民族主義国家であってアラブ系国民ユダヤ系国民と同等の地位を認めず自由民主主義国家ではないので、Constructivism的には本来自由民主主義国家標榜する西側諸国とは対立するはず。

2023年司法制度改革三権分立放棄したあたりも、普通に考えると西側価値観とは相容れない。

(ただまぁ、そもそも東側国家だって自国民平等と考えている(故に同化政策によって少数者を弾圧する)のだから、「西側=自由民主主義国家」というフレーミング西側による自己正当化に過ぎないのかもしれないが。)

西側諸国イスラエル擁護するのは、西側の敵であるイスラム国家の敵だからである(Realism的な説明)とか、ユダヤ資本イスラエル企業との経済的関わりが深いかである(Liberalism的な説明)とかい説明はできるのだけど、Constructivism的な説明はいまいち容易でない。

イスラエル民族主義的かつ非立憲主義かつ非自由民主主義国家であり西側価値観とは相容れないが、カネと軍事的都合で支持している」という説明になるのならしっくり来るのだけど、どうも西側世論を見る限りそうではなく、イスラエル道義的に善であり正義であり西側価値観を共有しているから支持してるという感じの反応が多く、その場合の共有されている価値観というのは果たしてなのだろうか。

2023-05-04

アメリカ、ついにLGBTクズだと気づきはじめる

ディラン・マルヴァニー、バドライトのフラップの後、トランスジェンダー議論に驚くべきひねり

トランスジェンダーリズムに関する意見は、政界の両側で変化しています

トランスジェンダーリズムの問​​題に関する全国的な会話は、私たちの目の前で変化しています。先週、民主党大統領候補ロバート・F・ケネディジュニアCNNに、生物学的に男性女性に対してスポーツをすることは不公平であると語り、共和党の穏健な大統領候補であるVivek RamaswamyはNBCニュースで、男性に対する彼の二元論に自信を持っていると語った.そして女性

これらはどちらも、わずか 1 年前でさえ、左寄りの主流メディアで公正な公聴会が行われそうになかった立場です。ジェンダー根本的な問題が、スポーツ女性シェルター刑務所、そして私たち教育システムにおける公共政策に真っ向から突っ込んでくると、ジェンダー論争の両側に突然、率直な議論妥協の機会が与えられます.

2022 年の 世論調査によると、アメリカ人の 60% が性別は出生時に固定されていると信じており、前年から 4 ポイント増加しましたが、依然として 38% が性別は流動的であると考えています。はっきりしているのは、この問題についてコンセンサスにはほど遠いことであり、妥協選択肢しか残されていません。

編注)アメリカ人馬鹿です。38%は粛清すれば済む話。

そのような妥協第一歩は左翼から来なければならない。なぜなら、この問題に関するほとんどすべての合理的な会話を止めたのは左翼からだ。それは今変えなければなりません。

過去 10 年間、進歩主義者たちは、男性女性になれるかどうかについて議論することさえ、トランス コミュニティに害を及ぼす暴力行為であると主張してきました。「ハリー・ポッター」の作者であるJKローリングのように、あえてジェンダーイデオロギーに疑問を投げかけたものは、議論されず、中傷され、取り消されました。

この極めて非自由レトリック上の立場は、何よりも、トランスジェンダー コミュニティに関する公共政策社会規範効果的に作成する私たち能力を妨げてきました。合理的配慮を求める代わりに、一方が他方を強引に強引にセックスジェンダーに関する形而上学的な考えを受け入れさせたのです。

編注)アメリカ人バカ

しかし、妥協双方向の道であり、最近では、生物学性別の優位性について正統なスタンスを取っている右派の人々と、左派の人々がジェンダー曲げに向かっている.

編注)そもそもトランスに熱を上げているアメリカ人バカ。なんの必要があるんだ。

Matt Walsh や Michael Knowles などの保守的批評家は、トランスジェンダーリズム精神障害であり、Walsh の言葉で「嘲笑されている」、Knowles の言葉で、それは精神障害であるに違いないと主張することで、一種囚人のような態度を採用しています。 「公の場から抹殺されました。」

編注)実際に性犯罪者ばかり。更に自閉症とかコミュ障を無理遣りトランス扱いする。この弊害がフェッターマン記憶障害

まともに喋れない。

右側のほとんどが許容できないことがいくつかあります。彼らは、自分が信じていないことを言わざるを得ず、女性専用の空間女性危害を加えるリスクを受け入れず、子供特に幼い子供自分性別選択できることを受け入れません。

同様に、左翼にも交差できない線があります。最も重要なことは、彼らは、トランスジェンダーであると自認する人々に、自分人生を生きさせ、出生時に割り当てられた生物学性別として自分自身を提示することを強制する法律社会規範を受け入れないということです.

と言ってるけど、現実に一切社会障害しかなっていない。トランスクズだ。大人しく生きていればだれも何も言わない。受容なんて期待する方がおかしい。GIDでもなんでもない。

https://www.foxnews.com/opinion/dylan-mulvaney-bud-light-flap-surprising-twist-transgender-debate

そもそも進歩的左派ってバカしかいない。経済政策的にありえない。財政破綻して当たり前。

2022-07-02

anond:20220702142927

近年でも例えば中国共産党によるゲーム規制という名の当局から圧力は、基準曖昧で結局のところ年配の党員たちが考える正義のようなふわふわした概念による裁量的な制裁にほかならず、そういった不透明ものが絶大な影響力をもって蔓延ることで業界自体が萎縮し明確で建設的な筋道が示されないままゲーム会社への新規ライセンス発行が止まる(ゲーム製作販売免許制であるということ自体非自由主義国家の異様さを示す重大な注目点だが)ことで数万社が倒産したという事態に陥っていることを思うと、リバタリアンいや自由主義者が訴える「裁量よりルール」の重要性が分かることだろう

自分はヴァに釣られてきただけの横増なので公共の福祉なんたらの話はまったく追っていないが

その公共の福祉というのはひょっとして中国共産党圧力をかけているような「同性愛者や男の娘みたいな性的倒錯ゲームで描くな、偉人女体化するな」みたいな、頭が時代に追いつけない為政者偏屈にすぎない、過剰反応にすぎないものになっていく危険性を孕んでいないかよく考えてほしい。公共の福祉という題目で、価値観自然な変化を阻害していないか商業文化的交流障害点を老人たちが作り出して若者の足を引っ張っていないか。変化を恐れすぎることは人類にとってマイナスの側面が強いということが想像できる人とできない人がいることは仕方がないのかもしれないが、恐怖に支配されず本当に排斥するに値するものなのかを冷静に考えられる人が増えて欲しい。

2022-03-23

 世界規模で自由を守るために活動する国際非政府組織NGO)「フリーダムハウス」(本部米国)はこのほど、「2022年世界自由レポートを発表し、世界的な規模では「市民権利自由は16年連続で低下している」と指摘している。

 アジアでは 台湾が100点満点中の94点で、日本に次いで2位となったのに対して、中国わずか9点で「非自由国」に分類された。

https://news.yahoo.co.jp/articles/04b6ce739f78a976eaa5b09b864e8eb91be9db4e

2021-01-12

自由恋愛がはびこる国は軒並み衰退していく

これは社会を支える層が若い時期から配偶者を見つけるために学問仕事をないがしろにしなければならないためで

結果的にその時点でどれだけ繁栄していても非自由恋愛国に競争力の面で著しく不利な状況に追い込まれしま

2020-08-09

アメリカTikTokのbanを喜んでいるのは中国共産党

アメリカTikTokをbanにするということを喜んでいるネットユーザーもいると思う。

だけれど、これ、ヤバい情報戦観点でいうと、喜んでいるのはきっと中国共産党だ。

その理由を挙げていく。

2020年代世界が、アメリカ自由主義国 対 中国自由の乏しい途上国、という対立構造になることは、誰もが知っているとおり。

冷戦と同じ構造だ。この中で勝ち抜くには、その中で共有された価値観がモノを言う。自由という価値観は、有事には弱い面がある(今回のコロナアメリカ中国の差を見てくれ!)。しかし、時間が経つと自由を重視していない国に必ず優ってきた。理由簡単だ。自由がない国はつまらない、そして、権力者が腐る。頭のいいやつはなんとしてでも逃げ出して自由のある国に動く。アインシュタインナチス・ドイツから逃げ、グーグル創業者父親ソビエトから逃げてきた。

特に中国との差があるのが、表現の自由だ。アメリカとその価値観を共有する国は、表現の自由絶対大事にするべきだったのだ。TikTokで持っていかれる個人情報なんてたかがしれている。あんなのを諜報活動に使ったところで、アメリカ人のJKの何割が肥満かぐらいのデータしかでてこない。だったら、「価値観が相反する陣営のものだって、ウチでは使えるぞ」という自由を示した方がよかった。

ところが今回のbanは習近平が行ったGoogleのbanと同じ香りをさせてしまった。本当に愚かだ。Huaweiだけにしておけばよかったのだ。

何よりTikTokをbanされて嬉しいのは中国共産党だ。

TikTokアメリカ人に使わせたら、ウイグル人権問題告発する動画アメリカ人のJKに作られてしまった。あっという間にシェアされて、中国本土にも届いてしまった。あれこそ表現の自由のない国からすると厄介なユニコーンだ。WeChatなどのように、自由主義国と分断されたSNS中国には大事なのだ

日本の中でもTikTokをbanだ、と騒いでいる人には注意したほうがいい。騒いでいる本人が工作員だとは言いたくないし、おそらくありえないが、工作を受けてしまった可能性がある。非自由主義国が情報戦相手に自滅させるには、まず相手を分断させ、かつ、自国へのアクセスを減らすことが大事なのだインフルエンサーに近づき、一見すると愛国主義的なことを吹き込み、そして相手国の価値観に反することを煽る。結果として、自国の―この場合中国共産党の―価値が悪くないという『刷り込み』が完了する。

自由主義陣営自由であるがゆえの辛さはあるが、その辛抱が必要だ。愛国を主張する諸君はこのことはわかってくれ。

2016-09-12

民放TV局が邦画製作に参入したことによるあれこれ

http://anond.hatelabo.jp/20160912143056

  地上波TV局が国産映画製作に参入したことによる倫理的構造問題点

  調査会社GEMリサーチ等を分析レポートする。

【1 国産映画と輸入映画宣伝費用格差問題 】

 ○日本市場において、輸入映画認知度に対する動員の相関が国産映画より安定している。

 「邦洋別、認知度の相関」http://column.gempar...ploads/2013/02/1.gif

  http://column.gempartners.com/?p=5608

  >ここでみて明らかなとおり、邦画は、テレビCM番組露出も、出た分だけ興収に結びつくとは

  >限らないという状況にあることがわかります。一方の洋画は、露出量と興行収入がより相関しているのです。

 ○映画製作している地上波TV局にとって、自社以外の映画は競合相手であり、洋画はすべてそれにあたる。

  邦画同士の場合俳優事務所などの横のつながりで他社作品を紹介する可能性はあるが、他社作品用は枠はこれで消化される。

  地上波TV局は、少なくとも結果だけ見ても、洋画番組露出量を低下させている。

  最終興収60億の「レ・ミゼラブル」も番組露出は非常に少量であった。http://column.gempar...ploads/2013/02/3.gif

  ・邦画の自社の電波の強み ←→ 邦画と競合しているためCM枠を買うしかない洋画さらに、TV幹事邦画CM枠代自体がかからない)

  http://column.gempar...loads/2013/03/21.gif

  ・テレビ局別の映画宣伝量と自社出資作品割合

  http://column.gempartners.com/?p=5610

 ○その結果発生した、認知度と興行の変化

  ・メジャー洋画2010年と比べて2013年は平均認知度が13ポイント下がっている◆

  ・認知が低くとも高稼働の作品が増えてきている◆

  http://column.gempartners.com/?p=8994

  http://column.gempartners.com/?p=9069

 ☆何が問題

  地上波放送局は限られた電波を国から借りた免許事業であり、新規参入ができない非自由競争市場既得権益である

  そのため放送法によれば本来、局が出資している別業種製品宣伝違反行為である。  

 ★糾弾が広まりにくいのは?

  テレビ系列媒体新聞ラジオ)、TV依存媒体週刊誌など)は勿論この問題には言及しない。

  ネットメディアフリージャーナリストなどが散発的に指摘するも、マスでアジェンダ拡散されることは決してない。

2012-07-05

http://anond.hatelabo.jp/20120705001252

ん、あれ? 元増田じゃなかったんか。てっきり本人かと。

似たような思想的背景を持つ曲が大いに支持されているから、それにおもねってその潮流に乗っかるってのは、発信する側の手抜きじゃないですか。少なくとも「ランキングにある多くの楽曲が同様の思想的背景を持っている」ということは「同様の思想的背景を持った楽曲がそれほどたくさん供給されている」わけで。供給者の絶対数が多いのもありますけど、単純に手抜きじゃないのかなぁと。

で、その思想的背景というのも、嫌だ嫌だと言って、その実言っても変わらないのも知ってて、ただ駄々を捏ねて、ありもしない桃源郷に浸る、ないしは嫌だと思ったまま諦める。それをそのまま歌にして共感を得たからって、それは別に生産的でもなければ前向きでもないじゃないですか明日への活力になるわけでも、気持ちがリセットできるわけでも、何でもない。ただ消費者を甘やかしてるだけで、もっと言えば、消費者を甘やかしている作曲者側の自己満足にすぎない。だってただの傷の舐め合いじゃないですか。それが元増田の言う「暗い」の根幹ですよ。そんな程度なら別にわざわざ多大な一手間を加えて歌にしなくても、ブログを書けばいいわけで。

ここらへん、前半はその通りだと思う。

手抜きっていうか、ランキング見てウケる歌詞の傾向を探りつつ割り切ってロジカルに作ってる奴いそうだなーみたいな気はします。というか自分音楽やってたらそうやって作りそう。自分がウケた曲を見よう見まね換骨奪胎で吐き出しそう。

そう考えると「世の中」とか「世間」に浸透しづらくて子どもにウケてるのも理屈がつく気がする。ある一定の層の中でグルグル巡っているだけなんですね。

ただ、傷の舐め合いであり甘やかしだからアカンというのはどうなんでしょう。先述したように「自分は助けてもらえないかも」という不安絶望が身近にふよふよしてるような人間にとって、一人で傷舐めてるよりはナンボかマシなのではないでしょうか。逆に化膿するかもわからんっていうかランキングでは化膿してるようにしか見えないけど。でも(曲にもよるけど)「またきました」「再生○回目」「癒される」「元気出る」みたいなコメントついてるのって結構散見されるので、それなりに活力とかにはなってるんじゃないスかね。

あと傷の舐め合いであから歌でなくてブログでよいというのは意味不明な暴論だと思います別に歌でもいいじゃんっていうかブログである必然性はない。作り手が己の最も長けた表現形式を選択してるだけのこと。

別のやりようと言っても「現代厭世観を背景に持ちながら、その上で前向きな歌」とでも言うのか。それは別に現実と戦う必要はなくって、遠まわしで皮肉で嫌味な歌でもいいと思うんですよ。「いーじゃん勝手にやってりゃ。俺らは好きに生きるから」みたいな。そういうのがあって、そういうのを選び取らないのは消費する側の問題だし(能動的に生きる、という意志放棄しているように取れます)、そういうのを選び取らせない社会の問題でもある(理想化された友人がたくさんいるって、具体的にどうこう以前に社会が相当マズいというのが一目瞭然だと思います)。これが反映されているのが「そしてこの根の暗さの根本的な原因は、当事者の方々そのものにあるのではなく、その環境を用意した世代の方にあるのだろうということ」という一文ですが、同時に「それもまた無自覚になされたことであり、ただ噫と溜息をつくばかり」なものでもあるわけです。どっちからも変えられるんで、消費者の側から変えても良いし、生産者の側から変えてもいいんですけど、たぶん「現代厭世観を背景に持ちながら、その上で前向きな曲」が流行る、というのが一番手っ取り早い構図のように思います

「いーじゃん勝手にやってりゃ。俺らは好きに生きるから」ってスタイルは既に一世代前がやってることのような気がする。ロックとかパンクとか?

ロックパンクは失敗してるわけですよね。「好きに生きる」スタイルでは結局いろんな問題が解決しないであれこれ行き詰ってくる。

からボカロは歌うんじゃないでしょうか、「いーよ勝手にやれよ。俺らは好きに生きて好きに死ぬわクソが」と。

「好きに死ぬ」までが彼らの「前向き」に含まれた答えになってる。「後ろ向き」とは他人や運命に象徴される非自由意志的なもの蹂躙されて死ぬことであり、それを克服し脱して「好き」に殉じる、自分で死に方を選ぶことが持ち上げられてるという構図です。ぼやぼやしてると「見捨てられる」「助けが得られない」という非常に消極的な形で殺されるみたいな不安感があるのかも。さしずめ氷山で仲間のペンギンに押されてしまって怖い捕食者のいる海に落っことされるぼっちペンギンといったような。

もはや世の中「前」がどっちかよくわからん様相を呈してきているのもあって、従来型の単純な「前向き」って中身がないと判断されてあんまりウケない気がしますね。萌えとか理想恋人友達で飾って「浸るための夢」という位置づけを確立してるような感じ。

何年か前は現代厭世観を背景にカオスに助走してそこからいろいろ飛び越えて突き抜けるのがもっともオシャレでスマートな解決法ってことで小説あたりで流行ったものでしたが所詮は虚構ということか、虚のうちに消えてしまった感があります

個人的には「ポスト現在」、「好きに殉じる」をもっと突き詰めて煮詰めてほしいです。

 
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