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はてなキーワード: 詩人とは

2024-04-26

真面目につけていないペンネーム

江戸川乱歩賞の講評でちょっとした炎上が発生している。

https://tree-novel.com/works/episode/07464104c8c86babd54079b4a15575d7.html

ペンネームが真面目につけたと思えない、という理由で減点対象になっているからだ。

ということで真面目につけていないだろうペンネームでぱっと思い付いたのを挙げていく。

エドガー・アラン・ポーのもじり

博多方言で「人の考えないようなことを言う人」のことで、作品を読んだ父親にそう言われたか

自身を「くたばって仕舞めえ」と言ったから(諸説あり)

編集会議が行われていた修善寺へ行くのに三島駅を通り、そこから見えた富士山白雪が印象的だったか

電話帳で開いたページにあった苗字から

→年齢で数字を増やしていたがさすがに止められたため

尊敬する詩人北原白秋故郷から

→幼名の「「升」と野球をかけて

  • 凸凹(たいらのでこぼこ)

→顔があばたで凸凹していたか

他にもあるだろうが、いったんはこれくらいで。

何より江戸川乱歩賞でこの講評を出したのがすごいと思う。

2024-04-24

串田孫一とか別に興味はないが、 『山のパンセ』、『現代人生全集11 串田孫一集』雪華社 1966 でちょっと頭角を現してきて、昭和54年以降に、ちょっとしたイケメン詩人として流行ったという概要の人である。『光と翳の領域 随想集』講談社文庫 1973 は、まだ戦後30年の時代詩集で、まあつまらんね。 これは要するに情調というものであるから、という言い回しの本であった。

『Eの糸切れたり』時事通信社 1987 は、昭和62年に、昭和天皇が枯死したときに、昭和天皇のエロが途絶したという趣旨の本で色々考えて書いていた。『もう登らない山』恒文社 1991は当然、平成に入り、もう山には登らないという、串田孫一の決意の本。串田孫一は、平成に入ってから山男として不人気となり、2005年に亡くなる直前の『星と歌う夢 最新エッセイ集』平凡社 2003で最後となっている。

  司正裁判官佐藤美男は、串田孫一を知らない。

真夏の豊穣の豊かさに比べると、冬枯れの無機能の美しかない今にあっては」という表現は、東大文学部卒で昭和50年代一世を風靡した串田孫一エッセイ表現である

   串田孫一   東大文学部卒   詩人  エッセイスト  評論家

   1964年頃から活動していたが、男として頭角がなく、昭和54年以降の女性時代になって、その独特の性狂いのエッセイが大流行し、一世を風靡した。

  「真夏の豊穣の豊かさに比べると、冬枯れの無機能の美しかない今にあっては」というのは、串田孫一の、エッセイの一節である

   ここでいう、冬枯れの無機能の美というのは、現在警視総監である小島博史が書いているようなゴミの事である。これをあえてゴミと強く表現する必要はないにしても、宮崎県警通信指令課

 宮崎県警本部長が最終的に書く行政処分書が上記のものに該当することは明らかである代表

  著作は山岳文学画集小説人生論、哲学書翻訳など多岐にわたる。詩集『羊飼の時計』(1953)、『山のパンセ』などが主著。

  実際に流行ったもの

『山のパンセ実業之日本社 1957 のち集英社文庫岩波文庫・ヤマケイ文庫

串田孫一断想集』大和書房 1964

現代人生全集11 串田孫一集』雪華社 1966(のち私の人生10 串田孫一日本ブックエース)

『光と翳の領域 随想集』講談社文庫 1973

『Eの糸切れたり』時事通信社 1987(のち平凡社ライブラリー)                  

『もう登らない山』恒文社 1991

『星と歌う夢 最新エッセイ集』平凡社 2003

2024-04-02

anond:20240402033250

その中で奇跡詩人だけは疑惑まりなんだけどな。

公式からも訂正は出てない。

anond:20240402025550

奇跡詩人全聾音楽家ハーフ経済コンサルタントを取り上げてはいけなかったように

芸人としてメディアに出してはいけない人はい

本人にとっては病気悪化

メディアにとっては詐欺片棒

頭の弱い子にとっては誤ったロールモデル

三方

ゆるふわ診断基準のおかげでみんな発達障害ということになってるけど

彼らの症状を芸として持て囃すことはイネイブリングだという自覚を持たないといけない

2024-03-28

不敬なラッパー「お前の世はYo

メガネ君詩人さん、君主という言葉を知っていますか?」

2024-03-27

anond:20240327091138

user:

```

あなたロジカルマスターおよび詩人です。抽象文章を具体化タスクを実行してください。

必ず、具体化ワークフローの順番に従ってください。

抽象文章アイデア

「αはもうやりません。γ。」

αは何らかの行動や習慣を表す語句

γは慣用句であり、αとは逆の意味合いを持つ、あるいはαを肯定・許容するニュアンスがある

この文章の前半では、αを完全に否定、拒絶する意思表示をしている。

ところが後半のγは、慣用句でありながらαを肯定容認するようなニュアンスを含んでいる。

まり、γの慣用句としての意味がαの否定矛盾しているのだ。

例:「ギャンブルはもうしません。賭けてもいいです。」

賭けてもよいという慣用句が、ギャンブルをやめるという意思矛盾している。

この矛盾が生じる心理的な要因としては、以下のようなものが考えられる:

αへの依存の強さゆえに、無意識のうちにαを肯定する慣用句を口にしてしま

αを否定する意思とは裏腹に、γによってαへの強い欲求が表出してしま

αを克服しようと努力しているが、思考言葉かいにまでその意識が浸透していない

このように、慣用句の要素を取り入れることで、より深層の心理的矛盾を浮き彫りにできますね。

言葉の表層的な意味と、慣用句内包された意味の不一致が、人間の複雑な内面表現していると言えます

</抽象文章アイデア

<具体化ワークフロー

1. 詩人モジュール慣用句γを選定する。[ここに書く]

2. 論理モジュールがαに相当する行動や習慣を選定する。[ここに書く]

3. 詩人モジュールがαを否定する文を作成する。[ここに書く]

4. 自動的にγを含めた文を作成する。[ここに書く]

5. 論理モジュール文章全体の意味確認し、矛盾が生じているか確認する。[ここに書く]

6. 必要に応じて修正を行う。

</具体化ワークフロー

```



claude:

1. 慣用句γ: 「明日は明日の風が吹く

2. αに相当する行動や習慣: 「先延ばし

3. αを否定する文: 「もう先延ばししません。」

4. γを含めた文: 「もう先延ばししません。明日は明日の風が吹く。」

5. 文章全体の意味矛盾確認:

この文章では、「もう先延ばししません」という明確な意思表示がされていますしかし、続く慣用句明日は明日の風が吹く」は、「その時になったら考えよう」という意味合いがあり、先延ばし容認するニュアンスが含まれています。したがって、この文章には先延ばし否定する意思と、慣用句内包された先延ばしを許容する意味の間に矛盾が生じています

6. 修正必要はなし。この文章は、抽象文章アイデアで示された心理的矛盾を適切に表現できています

以上が、抽象文章を具体化するワークフローに沿った結果です。この文章は、先延ばしをやめようとする意思と、無意識のうちに先延ばし肯定してしま心理的葛藤を巧みに表現しています慣用句を用いることで、言葉の表層的な意味内面欲求の不一致を浮き彫りにしています



もっと改善できると思うが、原文超えには遠いな。

他の試行で「危険スポーツには二度と手を出さない。命がけでやります。」ってのが出て、ちょっと面白かった。

2024-03-15

ブルトン」と聞くと詩人の方を思い浮かべる

プリゴジン」と聞くと物理学者の方を思い浮かべる

2024-03-13

anond:20240313141909

小林泰三が亡くなってサイトきえちゃったからいまから奇跡詩人問題追うの難しくなっちゃったかも

経緯と批判ポイントいちばんまとまってたと思うし

奇跡詩人・日木流奈を信じていた俺の懺悔

から22年前の2002年に、11歳の脳障害である日木流奈が話題になった。

俺は彼が本当に奇跡詩人であり、自分言葉で話していると信じていた。

NHK放送され、ネットなどの批判によりNHK謝罪したが、俺は彼を信じていた。

彼の話法は、母親が彼の手を取り、50音が書かれた紙を指差して話をするというものだ。

「実は母親が指差しているだけでは?」と指摘されていたが、俺は違うと思っていた。

「そのまんまでいいよ」「心配しなくていいよ」という彼の詩に感銘を受けていたからだ。

そこから20年経った2022年に、俺はなんとなく再度彼の動画見直してみた。

すると、どうだろう。これは明らかに母親が彼の手を故意に動かしているではないか…?

なぜ俺は気付かなかったのだろう。

その時俺は、コロナ禍で危うく反ワクになりそうなほど、陰謀論に傾きそうになっていた。

しか大人になった俺はなんとか陰謀論を逃れ、ワクチンを打った。

そこから人工地震スピリチュアル方面からも足を洗った。

からこそ、日木流奈くんが操られてることに気付けたのだ。

遅い、遅すぎた。

懺悔しかない。


さて、ここからは実際に彼の当時の動画を見てもらおう。

これはNHK番組から抜粋である

『「奇跡詩人」 本編抜粋

https://sp.nicovideo.jp/watch/sm16732325

まあこれだけでも彼が操られてることが分かると思うが、次に彼の2019年の状態を見てみよう。

『日木流奈さんインタビュー/第1回 「何が起きても大丈夫!」という人が増えてほしい』

https://starpeople.jp/seijingoroku/hikiruna/20190503/4279/


どうだろう。

俺は彼の著作市販されているものは全て持っていたのでわかるのだが、彼の話し方や内容はは全く変わっていない。

…だが、そんなことあるのだろうか?

このインタビューには具体性がない。成長がない。11歳だった彼と変わらない受け答えがそこにあった。

「やはりこれは母親が答えているだけでは?」

そう思わざるを得なかった。

おそらく、母親自分の子供が脳障害であることを受け入れられずに、天才だと思うことによって自分を保ったのではないか

それが今まで続いているのではないか

もしそうならゾッとする。これでは虐待ではないか…?

当時からそのような指摘はかなりあったが、俺はそれを少し前まで気付かなかったのだ。

本当に恐ろしい。

だが断定はできない。ここで書いたことは俺の予想でしかない。

本来は周りの人間がそれを指摘して彼を救うしかないのだろうが、それももう叶わないのだろう。

今後彼の母親が先立った時、やっと彼の自由が叶うのかもしれない。

これが俺の懺悔だ。

彼を奇跡詩人として信じたばかりに、彼を今の状態にしてしまった一人なのだ

今後はこのようなことがないよう、陰謀論スピリチュアルから距離を置くこととする。

2024-03-12

疲れました。 きっと俺たちは......。.impressive gauge――それは天才的な文学作品、あるいはsf作家に向けた、狂気に満ちたデスヴォイス(悲鳴)だ――それは、声の主である神の言葉の響きが、あたか未来に現される、神の姿そのものに似ているかである詩人アーレントはこう名付けた――偉大なる天才は時に、狂気をも駆使し、時に、狂気をも駆使して、神の言葉の力を確固たるものとする

Anond AI作成

私が書いたのは「疲れました」だけです。諸事情筋肉痛です。

のんだいさんノムリッシュ好きなの?

2024-03-08

「泥のように眠る」の「泥」は生物ことなのか?

まず、土と水の混合物という意味での「泥」(以下「ドロ」と書く)ではない、生きものとしての「泥」(以下「デイ」と書く)については、中国の沈如筠が書いた『異物志』という書物で紹介されているという。

泥为虫名。无骨,在水则活,失水则醉,如一堆泥。

泥は虫の名である。骨がなく、水に在ればすなわち活き、水を失えばすなわち酔う、一堆の泥のごとし。

『能改斎漫録』『夜航船』などにも同様の記述がある。なぜ「水を失えば酔う」のかといえば、言い伝えによると「デイ」は身体から酒を分泌しているので、周囲に水が無くなると自分の酒で酔って、ドロのようになって死んでしまうかららしい(が、この言い伝えソース不明なので信用できるかどうか)。おそらくナマコクラゲのようなものを指しているのではないかと思われる。

「酔如泥(泥の如く酔う)」という表現の初出は『後漢書』の周沢伝だ……という説が一般的なのだが、現在の『後漢書』の原文にはそういった表現はない。この周沢はとても生真面目な人で、祭祀管理する「太常」という役職に就いてから毎日のように斎戒をしており、彼が病に倒れたときに妻が見舞いにくると「斎戒中に妻子と触れてはいけない」と言って妻を投獄してしまうほどだった。そこで人々は「生世不諧,作太常妻,一岁三百六十日,三百五十九日斎(この世に生まれて楽しくないのは太常の妻になることだ、1年360日のうち359日は斎戒しているからずっと会えない)」と歌ったのだった。

この「三百五十九日斎」のあとに「一日不斎酔如泥(残りの一日は斎戒せずに泥のように酔っている)」という文章がくっついていることがあるのだが、それがどうも後世に補われた部分らしい。正確には唐代注釈後漢書李賢注)に「『漢官儀』にそう書いてあった」と書かれているとのこと。

たとえば唐代詩人李白は、

三百六十日 日日酔如泥 雖為李白婦 何異太常妻

私は360毎日泥のように酔っているので、あなた李白の妻だと言っても太常の妻と変わらない

と周沢の逸話を踏まえた詩をよんでおり、その頃には「酔如泥」という言い回しが広まっていたことがわかる。周沢が1世紀の人なので、ざっと700年くらいが経っている計算になる。なお先述の『異物志』も唐代、『能改斎漫録』は南宋代、『夜航船』は明代書物である

で、この「酔如泥」の「泥」は実は「ドロ」ではなく「デイ」を指しているのだ!……という説はどうやら中国でも根付いているようで、古くは『能改斎漫録』や『夜航船』においても「デイ」の説明と周沢の逸話併記されている。だが併記されているだけで何か解説が述べられているわけではない。

現代中国ネット上でも「実はドロではなくデイのことなんだよ」という雑学ネタ散見されるが(ということは中国人の多くも「ドロ」のことだと思っているのだろう)、いずれの記事も「古い本のなかでデイという生物が紹介されてるよね」「昔から『酔如泥』という言い回しがあるよね」「だからこの泥というのはデイのことなんだよ」というちょっと怪しげな論法であり、やっぱりウソ雑学なんじゃねーのと疑う気持ちを抑えきれない。

ちなみに日本ではどのように受容されていたのかと思って検索してみたが、天保年間に出された『燕居雑話』のなかで、『能改斎漫録』などを引用しつつ「蟲名とせしもたしかなる所見なし」「さして難解ことにはあらぬを斯る迂遠なる説を本説とするも奇なることなり」などと書かれていたのを見つけたので、昔の人もそう思っていたんだなあと感慨を覚えるなどした。

ともあれ、本当に「酔如泥」の「泥」が「デイ」に由来するとしても、その「デイ」の名前は「ドロ」に由来するのだから、どちらにしても酔った人間を「ドロ」にたとえているのと変わらないのではないかと思う。

さて、「泥のように酔う」についてはいろいろとわかったが、「泥のように眠る」はどうなのか。

中国語で検索してみると近いのは「酣睡如泥」だろうか。「酣」は「宴もたけなわ」の「たけなわ」のことで「まっさかり」という意味。つまり「酣睡」は「熟睡」という意味になり、全体では「泥のように熟睡する」という言い回しになっている。しかし、こちらの表現については「この泥とはデイのことである」という言説は見つからなかった。おそらく「酔如泥」よりも遥かに歴史が浅い表現なので、あんまり語源が気にされていないというか、「デイ」にまつわる語源説明するなら「酔如泥」のほうが例に取りやすいということではないか

もちろん「泥のように酔うのがデイに由来するのだから眠るほうもデイに由来するのだろう」という類推は成り立つだろうが、逆に言えばそれ以上の根拠はないということだ。つまり「泥のように眠る」には「泥のように酔う」とは別の語源があってそちらのほうは根拠も確かなんだぞ、というミラクルはなさそうである

2024-03-04

"僕"は深夜、都内繁華街を歩いていた。

眠気を押し殺すために飲んだ睡眠導入剤のせいで、現実幻覚不思議なほど交じり合っているようだった。

フラフラとした足取りで歩く僕の姿は、まるで泥酔者だ。

スルッと避けて通り過ぎようとした通りすがりサラリーマンに声をかけた。

僕: 「お疲れ様会社帰り?」

サラリーマン: 「え、いや、実は今から仕事なんだよ。夜勤明けでね。」

僕: 「おっ、そりゃ大変だな。でもさ、夜の仕事ってっと、吸血鬼っぱくてクールじゃ?」

サラリーマン: 「まさか吸血鬼面接官になってくれるんですか?」

僕: 「もちろんだよ。でも待って、吸血鬼って夜行性から、昼は休みってことになるよね。それって最高じゃない。か?」

サラリーマン: 「確かに、昼寝が捗りそうだな。吸血鬼求人、どこかな?」

"僕"は笑顔で立ち去る。そして、次に出会ったのは路上パフォーマンスをしているストリートミュージシャンだった。

僕: 「おっ、これはいい音だね。それと何かリクエストあるかな?」

ミュージシャン: 「何でも言ってくれれば弾くよ。」

僕: 「じゃあ、『眠れぬ夜をありがとう』ってやつを弾いてくれないか?」

ミュージシャン: 「それ、知らない曲だけど…

僕: 「そうだよ、僕も知らない。でも夜中に街を歩くのにピッタリの曲さ。」

ミュージシャンは微笑みながら曲を演奏し始めた。

"僕"は音楽に合わせてフラフラと歩き続け、街の灯りが照らす夜の冒険が続いた。

ミュージシャン音楽に耳を傾けながら、"僕"は次第に幻想的な夜の街の風景に引き込まれていった。

街灯の明かりが建物の壁に幻想的な影を描き、人々が笑顔で歩き交う様子がまるで夢の中のようだった。

"僕"は路上パフォーマンスをしているジャグラーのところにやってきた。

ジャグラー: 「おい、お前も何かやってみなよ。」

僕: 「何かやるって言われても…」

ジャグラー: 「じゃあ、これを使ってみてくれ。」

ジャグラーは"僕"にボールを手渡し、そのままパフォーマンスを手伝ってもらうことになった。

"僕"は初めてのジャグリングに戸惑いながらも、笑いながらボールを投げ上げた。

"僕": 「これ、なんか楽しいな!」

ジャグラー: 「さあ、街の人たちに見せてやれ。」

"僕"はボールを巧みに操り、通りがかる人々に笑顔を届けた。そんな中、路上アーティストたちとの共演が続く中で、"僕"の夜はますます幻想的なものへと変わっていった。

深夜の繁華街出会う人々とのユーモアあふれる交流は、"僕"にとって不思議冒険の一夜となり、眠気を感じることも忘れさせてくれた。

彼は笑顔で街を歩き、新たな出会いを楽しみながら、光と影で煌めく夜を歩き続けた。

"僕"は繁華街を歩きながら、次第に周囲の光景さら夢幻的に変わっていった。路上パフォーマンスをしている芸人たちが、彼の前に立ちはだかり、面白おかしネタジョーク披露してきた。

芸人A: 「おい、お前も一発言ってみろよ!」

"僕": 「うーん、じゃあ、夜中に駆け抜けるトンビってなんだと思う?」

芸人B: 「なんだ?」

"僕": 「ナイトホークだよ!」

芸人たちは笑いながら拍手を送り、"僕"は自分冗談に満足そうに微笑んだ。

その後も、路上出会うさまざまなキャラクターたちと楽しいやりとりを続けながら、"僕"の夜はますますコミカル雰囲気に包まれていった。

途中、カフェの前で一人の詩人が立っているのが見えた。

詩人: 「夜の街は言葉にならない美しさがある。君もその美しさを感じているのかい?」

"僕"は微笑みながら答えた。

"僕": 「確かに、夜の街は言葉にならない何かが漂っているよ。でも、それが何かはちょっとからないな。」

詩人: 「それが夜の魔法だよ。言葉では語りきれない美しさが、夜になると優雅に姿を現すんだ。」

"僕"は詩人言葉に深く頷きながら、夜の街を歩き続けた。路上での出会いと笑い、夢幻的な空気が"僕"を包み込む中、彼はこの夜を忘れられない冒険の一ページとして心に刻んでいくのだった。

2024-02-10

anond:20240210003559

おまえの親を選んで生まれてくる能力を心から尊敬する

俺も金にならない分野で私立大学で院まで行って海外留学して在野の研究者とか詩人とかやりたかった

2024-01-31

めちゃ下痢檸檬

 えたいの知れない不吉な塊が私の腹を始終圧えつけていた。焦躁と言おうか、嫌悪と言おうか――飯を食ったあとに宿酔があるように、飯を毎日食っていると宿酔に相当した時期がやって来る。それが来たのだ。これはちょっといけなかった。結果した裂肛や神経衰弱がいけないのではない。また胃を焼くような粗餐などがいけないのではない。いけないのはその不吉な塊だ。以前私を喜ばせたどんな美しい音楽も、どんな美しい詩の一節も辛抱がならなくなった。蓄音器を聴かせてもらいにわざわざ出かけて行っても、最初の二三小節で不意に立ち上がってしまいたくなる。何かが私を居堪らずさせるのだ。それで始終私は厠から厠を浮浪し続けていた。

(中略)

 ある朝――その頃私は甲の友達から乙の友達へというふうに友達下宿雪隠転々として暮らしていたのだが――不浄が大壺へ出てしまったあとの空虚空気なかにぽつねんと一人取り残された。私はまたそこから彷徨い出なければならなかった。何かが私を追いたてる。そして厠から厠へ、先に言ったような裏通りを歩いたり、駄菓子屋の前で立ち留まったり乾物屋の乾蝦や棒鱈湯葉を眺めたり、とうとう私は二条の方へ寺町下り、そこの果物屋で足を留めた。ここでちょっとその果物屋を紹介したいのだが、その果物屋は私の知っていた範囲で最も好きな厠であった。そこは決して立派な店ではなかったのだが、果物屋固有の香しさが最も露骨に感ぜられた。(中略)

 その日私はいつになくその店で弄便をした。というのはその店で麗しい”檸檬”が出たのだ。(中略)いったい私はあの”檸檬”が好きだ。オリーブブラウンの絵具をチューブから搾り出して固めたようなあの単純な色も、それからあの丈の詰まった紡錘形の恰好も。――結局私はそれを一つかみだけ拾うことにした。それからの私はどこへどう歩いたのだろう。私は長い間街を歩いていた。始終私の腹を圧えつけていた不吉な塊がそれを握った瞬間からいくらか弛んで来たとみえて、私は街の上で非常に幸福であった。(中略)

 私は何度も何度もその果実を鼻に持っていっては嗅いでみた。それの産地だというインテスティンが想像に上って来る。漢文で習った「売柑者之言」の中に書いてあった「鼻を撲つ」という言葉が断れぎれに浮かんで来る。そしてふかぶかと胸一杯に匂やかな空気を吸い込めば、ついぞ胸一杯に呼吸したことのなかった私の身体や顔には温い血のほとぼりが昇って来てなんだか身内に元気が目覚めて来たのだった。……

 実際あんな単純な温覚や触覚や嗅覚視覚が、ずっと昔からこればかり探していたのだと言いたくなったほど私にしっくりしたなんて私は不思議に思える――それがあの頃のことなんだから

 私はもう往来を軽やかな昂奮に弾んで、一種誇りかな気持さえ感じながら、美的装束をして街をした詩人ことなど思い浮かべては歩いていた。汚れた手拭の上へ載せてみたりマントの上へあてがってみたりして色の反映を量ったり、またこんなことを思ったり、

 ――つまりはこの重さなんだな。――

 その重さこそ常づね尋ねあぐんでいたもので、疑いもなくこの重さはすべての旨いものすべての美味しいものを重量に換算して来た重さであるとか、思いあがった諧謔からそんな馬鹿たことを考えてみたり――なにがさて私は幸福だったのだ。

 どこをどう歩いたのだろう、私が最後に立ったのは丸善の前だった。平常あんなに避けていた丸善がその時の私にはやすやすと入れるように思えた。

今日は一つ入ってみてやろう」そして私はずかずか入って行った。

 しかしどうしたことだろう、私の心を充たしていた幸福感情だんだん逃げていった。

(中略)

「あ、そうだそうだ」その時私は腹の中の”檸檬”を憶い出した。本の色彩をゴチャゴチャに積みあげて、一度この”檸檬”で試してみたら。「そうだ」

 私にまた先ほどの軽やかな昂奮が帰って来た。私は手当たり次第に積みあげ、また慌しく潰し、また慌しく築きあげた。新しく引き抜いてつけ加えたり、取り去ったりした。奇怪な幻想的な樋箱が、そのたびに赤くなったり青くなったりした。

 やっとそれはでき上がった。そして軽く跳りあがる心を制しながら、その樋箱の底に恐る恐る”檸檬”を据えつけた。そしてそれは上出来だった。

 見下ろすと、その”檸檬”の色彩はガチャガチャした色の階調をひっそりと紡錘形の身体の中へ吸収してしまって、プーンと冴えかえっていた。私は埃っぽい丸善の中の空気が、その”檸檬”の周囲だけ変に緊張しているような気がした。私はしばらくそれを眺めていた。

 不意に第二のアイディアが起こった。その奇妙なたくらみはむしろ私をぎょっとさせた。

 ――それをそのままにしておいて私は、なに喰わぬ顔をして外へ出る。――

 私は変にくすぐったい気持がした。「出て行こうかなあ。そうだ出て行こう」そして私はすたすた出て行った。

 変にくすぐったい気持が街の上の私を微笑ませた。丸善の棚へ黄土色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛けて来た奇怪な悪漢が私で、もう十分後にはあの丸善美術の棚を中心として大爆発をするのだったらどんなにおもしろいだろう。

 私はこの想像を熱心に追求した。「そうしたらあの気詰まり丸善も粉葉みじんだろう」

 そして私は活動写真看板画が奇体な趣きで街を彩っている京極を下って行った。

2024-01-30

anond:20240130142321

両腕の無い「ミロのヴィーナス」が美しいのは、妄想捗るからだ、みたいな事が

国語教科書に載ってたなあ

Copilot先生によると清岡卓行という詩人らしいけど、そうだったっけ

2024-01-16

ロシア詩人

現時点で暗殺だと断じているブクマカが多いけど、それ陰謀論でしょ。

ポーランド空軍Tu-154墜落事故ポーランド大統領や中枢の人間がたくさん亡くなった時も、まだ事故調査が終わってない段階でロシアによるものという陰謀論があったらしいけど、それと何が違うの?

ロシア詩人の件

暗殺だと判断できる根拠が薄いのに「絶対暗殺」と断定するのって陰謀論と何が違うの?

2024-01-09

魔女と同居している詩人、という希望



詩人になりたいな。マジで一日三回以上言っている。


詩人になって、洞窟入口に白いTシャツを貼って、雨風をしのぎたい。スナフキンになりたい。スナフキンは白いTシャツを見たことすら無いだろうけど。


とにかく、コンクリート造のマンションに住んでる自分が変だと思う。

詩人住民税を払わないから。

なのに私は自分生命保険まで掛けている。

これはやっぱりおかしい。


そういう話を同居人にしたら「詩人も家くらいあるだろ」と返してきた。

こいつも私と同じ会社で働いている。おかしい。

毎日毎日毎日家でパソコンを開いて、よく分からない英語を「Hmmm...lemme see」とか言って右から左に聞き流して、クライアントに謝っている。これは私。

同居人は違う部署でかなり頑張っている。


「私は詩人になりたいんだけど、おまえは?」

そう聞くと、「うーん」と一考して「魔女だね」つった。

魔女らしい。

魔女は物だらけのクソ汚い部屋で、布団にくるまりながら天井を見ていた。

うちの会社自由から、休憩時間は各々のタイミングで取って良い。魔女は休憩中に布団で寝る。

煙草休憩にグチグチ言われることもない。在宅だし。安い煙草を二人で吸っている。詩人魔女煙草くらい吸う。



魔女詩人って語呂は良いよ」

魔女オタクから、そのまま続けて

狼と香辛料みたいで」

とか言ってニヤニヤしていた。


ところで詩人は、詩人のなり方がガチで分からない。

そもそも詩が好きというか、ブリーチの扉が好きすぎるだけかもしれない。ああいうのを書いて、松岡修造カレンダーテンプレートを借りて印刷出来ないものだろうか。よく分からない。

何個か詩の賞に応募したが、バスボムとか香木とかしか貰えなかった。金には全くならなかった。

学が無い。

金も無い。

でも詩人は昔、占い師に「金運がすごい」と褒められた事がある。そのとき高速バスを乗り損ねて、どうにか返金してもらったなけなしの金で診て貰っていたからウケた。

大金が貯まるとかじゃなくて、」

はい?」

「使うと臨時収入が入るタイプの金運」

臨時収入?」

ほいだら、ま、使いますか。

金はあるだけ使っている。生命保険に入ったのも、そういう理由からだった。詩人貯金と縁がないくせに、献血を断られる貧弱さがある。祈りを込めて、サプリを一日9錠飲んでいる。


詩人は、高卒で、フリーター歴が異様に長かった。

から書類で落ちる。

もう就活面接に食い込めないんだよな。分かってくれるかな。ここまでは詩人っぽいよ。でも、なんでか正社員になった。

これはもう詩人ではない。



書いていて思い出したが詩人は、制服キャバクラで働いていた時おじさんに「君、話が変わりすぎ。フラッシュ暗算じゃないんだから」と窘められていた。

詩人は、数字が分からない。数字記号(〇△□など)は同じような物なので、暗算なんて当たり前に出来なかった。詩人は、〇と□のどちらが大きいとか小さいとか、義務教育中に納得が済まないまま大人になってしまった。

でもさあ、正直あのビル制服を着ていた女の子たちの半分もフラッシュ暗算は無理だったんじゃないかな。魔女算数は苦手だから見積書を作るのを本当に嫌がっている。


話はこうやってコロコロ変わるし、詩人魔女煙草の値上がりくらいにしか数字には敏感になれない。


それにしても都内家賃は高いね。それは肌感で分かるよ。会社を辞めても、詩人にはなれないかもしれない(詩人も定期的にCoCo壱とかで食事はしたい。夏はスパイシーサマベジを、冬はベジスープカレーを食べなきゃいけない)し、もし会社を辞めたら魔女が泡を吹きながら詩人をしばらく養う事になる。


詩人は今の会社を辞めたらタクシー運転手になりたい。詩人は今までやったバイトの数を覚えていない。


生き急ぐことが夢だと思っている。人生は速い方が輝きが増すのではないかと、信じている。

でもそうすると普通に精神をやることも学んでいる。

人生の速度が秒針を超えると、今度は夢(睡眠の方)の輝度が増し出す。ぴかぴかどころじゃない。飛べるほど気持ちがいい。履歴書の数行をベッドしても構わない。ベッドでいい夢が見れるなら。なんつって笑

薬を飲むと、体感、脳が丸くなる。丸い癖に、記憶の巻き戻し機能に弁が付く。分かる人は分かるよね。黒目をどんなに左上にやってもアレを思い出せない。アレってなんだっけ。そんなんなって、ストッパーより向こう側の過去殆ど404

霧の中の桃源郷を、もっと晴れた空の上からドローンで見ている感覚がある。どこにも足がつかない。文章が読めない。


魔女は、詩人ご飯を作ってくれる。魔女が出社すると、詩人餓死する。何度か餓死した。詩人は雨の音を聞くのは好きだけど、自分の胃の言葉理解出来なかった。魔女ハンバーグチャーハンを3つほど冷凍してくれていて、詩人はそれを電子レンジの言う通りにして、キッチンで立って食べている。行儀の悪さは魔女には秘密だ。

詩人は、市販パントーストすることと、インスタントラーメンしか上手に作れない。立って食べれる物しか作ったことがなかったから。

私の上司が、私のことを「同居人さんのヒモ」と呼んでいた。海賊みたいな会社で、狂い続けたら、ヒモが紐でしぬところをオンラインミーティング披露してやれるのにな。上司会社を辞めた。

詩人は、pixivで一回だけR18のエロ小説を書いたことがある。神絵師リクエストしたら「おまえが書け」と返信が来たからだ。書いたリンクを送り付けたら、い〜〜っぱいエロい絵を描いて返信をくれて、ありえんほど嬉しかったw

その小説マイナージャンルにしては、まあ、よくは無いが、悪くもなかったと思う。また分かりもしない数字の話だ。そんなことより韓国人が熱烈に褒めてくれて、それがかなり嬉しかった。

やっぱり文章書くのって楽しい。そりゃ絵が描けるなら漫画が描きたかった。ドラマ脚本だって書いてみたい。無理か。




詩人は、CoCo壱で定期的にカレーを食べれて、マンション家賃光熱費携帯代と生命保険料が納められる感じの詩人になりたい。

で、タクシー会社転職もしたい。詩人は、目の前に人が立っていると吐き気がするので、電車通勤は出来ない。在宅ワーク恩恵は充分受けた。

世の中甘くないとか言うけど、そうだよね。そうするしかない人もいっぱいいるよね。世の中思ったより甘くないし、ムカつくけど甘いとこは甘いんだよなー。

やりたいことやって、辞めたくなったら辞めたいよな。

曰く、「技術は体が覚えてるから、戻りたくなったらいつでも戻ってこれる」らしい。

ブランコに乗って窓ガラスを拭いていたとき、隣で拭いてたオッサンがそう言ってた。

動く灰皿ことハイエースに乗って、詩人ガラス屋にも戻れる。

詩人は、パイロンにトラロープを巻ける。8の字のコードも巻ける。4インチと8インチのどっちが大きいかは一瞬迷う。インカムで謝ることも出来る。英語で謝ることも出来る。フランス語は「セクワサ?」だけ分かる。「これ何?」だった気がする。シークヮーサーに聞こえるんだよね。

今年はさ、人生の速度と高度を調整するターンに入ろうと思う。

詩人になりたい。

出来れば魔女と長く暮らして、私は詩人になって、洞窟で火を焚いて、一酸化炭素中毒で終わりたい。走馬灯は出来るだけ早く、出来るだけ沢山、フラッシュ暗算みたいに見れたら楽しいはずだから

2023-12-22

インターネット普及以前のきのこたけのこ戦争歴史資料が見つからない

Wikipediaの「きのこたけのこ戦争 - Wikipedia」のページには

この論争は1980年からまり

と書かれており、その出典は

きのこVS.たけのこ戦争ついに終結 「たけのこ党」が国民総選挙で勝利!「吉田沙保里とつくるたけのこの里」などマニフェスト実行へ(2018年9月11日)|BIGLOBEニュース

とされている

しかしこの引用元ページでそのような記述ちょっと見当たらない

きのこの山・たけのこの里 国民総選挙2018」は、約38年に渡り対立を続けていた「きのこ派」と「たけのこ派」の戦いに決着をつけるべく開催。

これか?この記述だけなのか?あるいは今は非公開になっているYouTube動画内で言及がされていたのか?

こういう冗談みたいな話題を調べるとき案外頼れるのがニコニコ大百科とかアニヲタwikiで凄まじい独自研究の長文が書かれていることもあるんだが、今回は両方ともネタに振り切ってしまっていて参考にならない

???インターネット普及以前どうなっていたかって話なんだからインターネット上で調べてもわからないのは当たり前だろ」

それはそうなんだが、「この本にそういう話題が書かれていた」みたいな情報がぐぐったらなんかひっかかるかもしれないと期待したのだがな……

こういうとき個人体験談に頼るか

年末年始実家に帰った時に両親に「1990年とかその頃からきのこたけのこお菓子のどっちが好きみたいな定番話題ってあったの?」と質問してみよう

もちろんその話題は今みたいなミーム化した激しい論争(ごっこ)ではなかっただろうけど

しかTwitterみたいなインターネットでこういう話をするとすーぐネタ混じりの対立煽りごっこ)みたいな話に話題がそれてしまうから困る

おそらくこんなニッチオブザニッチテーマについてまとめた本はない(あったら嬉しいが)ので、個人エッセイ本だとか日記本だとかコラム集みたいなものの中できのこたけのこ論争について言及したものを探す必要がある

図書館レファレンス事例に既出質問は無し

リファレンスサービスつかってもいいが、あんまり使い倒すと出禁喰らいそうで嫌ね

日記

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「○○の中で特に○○」みたいな意味で「○○オブザ○○」って言い回しするときのof theってどういう辞書的な意味なんだろうと気になってググったが、間違えてたか

「○○the○○」が正しいかGガンダムの「ガンダム・ザ・ガンダム」って言葉根拠だが……ちょっと根拠が弱い

これも一般的言い回し実在するのかどうか調べるか……

勘だがジョジョの「ダービー・ザ・ギャンブラー」と同じ文法構造な気がする

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「a the b」でぐぐったら出てきた

たんご屋本舗 Popeye the sailor man

ブログ内の引用さら引用になってしまうが……

5 [名詞または形容詞固有名詞とを同格関係に並べるとき] 《名詞または形容詞+固有名詞の前》.

the poet Byron 詩人バイロン.

★このような場合, 特に 固定化したものには固有名詞が the+名詞[形容詞]に先んずることが多い.

Alfred the Great アルフレッド大王.

・Jack the Ripper 切り裂きジャック.

なるほど!アンドレ・ザ・ジャイアントとかジャック・ザ・リッパーもそれと同じ構造の例か……

じゃあ「ニッチ・ザ・ニッチ」って書いてしまうと誤用かもしれんなあ

率直にニッチ中のニッチとか単にとてもニッチとでも書くべきだったか

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いや待て、「王の中の王」と言うときは「king of kings」じゃないか

こっちの言い回しと混ざったのかもしれないな

まあどちらにせよ「niche of niches」とは言わんか……

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実は第三勢力もいた!?20年続く「きのこの山派vsたけのこの里派」の議論が白熱するワケを明治に直撃! - コラム - 緑のgoo

「このような議論お客様の間で自然に生まれたように感じています。それを受けて当社では、2001年には『きのこ党』と『たけのこ党』を結成し、それぞれが人気を競う『きのこたけのこ総選挙キャンペーン』を実施しました」

公式としては2001年から

ニュー速存在するのが99年からから、99~01年の間にネットきのこたけのこ戦争ミームが盛り上がったとすれば時系列的に矛盾は無いか

余談だがニュー速VIPは2004年に出来たのか

なんか2ch歴史を調べるみたいな色も出てくるなあこのテーマ

2023-12-19

anond:20231219162603

詩人の血』のボーカルか😩

「これ精子臭いムリ!…すいませーん、イチゴ入ってないイチゴ煮くださ~い」

2023-12-13

anond:20231213083540

はるかぜちゃん中学時代、早朝までレスバして昼以降になってまたレスバするという不登校丸出しになってたなあ

そのことへの後ろめたさがあって転嫁したいのか、ゆたぼんにお前学校行けよと説教を何度かしていた(一方的にリプ送って反応なし)

ゆたぼんの方がだいぶまともになってきた

あと不登校詩人みたいなキャラで売っていたバオくんにも説教していたが、バオくんは小学校の途中から通うようになり、表に出ることなくなり普通の子供に戻ったな

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