はてなキーワード: 体感とは
基本的には、君が問題にぶつかるまでとにかくやってみるという考え方をしているのはわかった(そしてそれはたぶん間違ってない)。
そして、ぶつかった後の対処として、何かしらの仮説をもって動くタイプではなく、その場で体感できるフィードバックをもって試行錯誤をする人なのだという印象を受けた。
勝手な決め付けかもしれないけど、トレーニングの全体感がある人は、それぞれのトレーニングの意味と、なぜそうでなければならないかという自分なりの理屈を持っているように思う。
もちろん経験からくる知識もあるし、いろいろ掘り下げて訊けば何かしらのノウハウも出てくるとは思うけど、全体感を問うような質問では特に面白い話が聞けそうにないなということは感じたな。それがフィードバックといえばフィードバック。
ほぼ出来合い食で離乳期乗り切ったキャリアババアが通りますよ。
思い起こすと、体感的には離乳食を出来合いで済ますのは、大人が全部コンビニ弁当で食事済ますぐらいの支出だったと思う。(結婚当初は家事能力なかったからそういう時期もあった)だから、金銭的にはそこまで非現実的でもないと思うんだ。とにかく底値で何もかもストックして余さず使い切るぐらいの勢いで食材の無駄を徹底的になくすスキルがある人でない限り、ある程度の質を選んで手作りの離乳食を作るのと、出来合いの離乳食を与えるのと、経済的には変わらないと思う。
むしろつらかったのは「心のこもった食事を与えていないと子供の成長にウンタラ」みたいな食育信仰のほう。それを根っから信じてても合理主義者からはバカにされ、かといって、無視しても母親失格みたいに扱われる(という思い込みがある)。
唯一許される言い訳が「出来合いだと、経済的に大変」というそういう感じなんだよ。
幸い、現在中学生の自分の子どもはすごくいい人間に育ったと思うよ。だけど今でも、子供のころ手を抜いた報いがどこかでくるんじゃないかと思って、どこか怖い。
常にトップを雌雄していた。
GLAYの曲を始めて聴いたのは
「口唇」だった。
徳光さんとエミリーさんが司会だった
小5の心にも響いてきた。
理由が無いのに惹かれることほど、本物の感覚ってないと思う。
■直接対決
Mermaidとstay awayの同時発売はとても刺激的だった。
(確かどっちも初登場週は50万枚近く売れて僅差でGLAYが一位だった記憶がある)
周りにGLAY好きが多かったせいもあってか
そして今もなお(というか今になって響いてくる歌詞の方が多い)
前置きはこんな感じ。
どっちを好きだったかということで
なぜか最近になって思った。(なんのエビデンスもソースもない感覚的なことなのだが)
勝手な印象として
が、
支持される根底にあるような気がしている。
深層が分かっちゃう?かも??知れない比較を下記に羅列してみる。
■外見
ラルク派は見た目ハデ。服装も主張している気がする。
GLAY好きは調和が取れている感じ。あるいは、こだわりがあるか無関心かハッキリしている印象
■性格
■SM
ラルク好きはS
GLAY派はM
のような傾向がある気がする
■職業
職種というよりは
動き回るか、
腰を据えて働くか、という事に
ポイントがあるような気がしている。
■恋愛
GLAY好きは
どうも魅力的に写るのに恋愛はうまくいっていないケースが
多いように思える。
優しすぎるのかしら。
■音楽
■音楽②
■異性の好み
■異性の好み②
■サッカーチーム
…
とまぁ
なんの根拠もない妄想的な推察を
綴ってみました。
何を好きか?によって見えてくる自分ってあるなぁと最近は思っています。
特に理由が明確でなければないほどに。
これはきっと、好きなものは
そんな事を綴っているうちに思ったのが
「なぜ、この人が好きなのか?」という事を考えていくと、
相手という鏡を通して自分が見えてくる。
そんなことが言いたかったのかもしれません。
…
これと言って意味はないです。
脳の整理というか、とりあえず文字にしてみることで
脳にスペースを空けたという感じです。
ナベアツと柴田大輔監督が一緒にメガホンと握った一昨年公開された映画について語ったようです。
映画は、『さらば愛しの大統領』。お笑いギャグエンタテインメント映画でナベアツらしく「アホ」丸出しの内容。そこに柴田監督のエッセンスを降りかけた強烈・痛快な内容になっているようです。
キャッチコピーは「100%(パー)アホ」、「映画館でしか観られない、究極のお笑いギャグ・エンタテインメント これは映画なのか!?」、「"迷"コンビコンビ・早川刑事と番場刑事は、ナベアツ大統領を危機から救えるのか!?」。これだけでも強烈なので、実際観たら抱腹絶倒間違いなしなのでしょうか?
DVDはすでに出ていますので、興味を持った方は気軽に見てみてみてはいかがでしょうか?あくまで気軽にです^^;気合入れてみたら、ある意味面食らってしまいます・・・
大阪府知事に当選した世界のナベアツは、公約の「大阪の独立」どおり大阪合衆国の独立国家宣言をして初代大統領に就任してしまった。 しかし大統領に暗殺予告が届き、その捜査に早川&番場の大阪府警捜査一課アホコンビが捜査に乗り出す。
編集後記
大阪府知事というまさに旬な題材を取り上げたのも成功の一因だったのではないでしょうか。
詳細(ぴあ参照)
世界のナベアツが監督・主演を兼任して放つ破天荒な爆笑エンターテインメント。大阪を独立国家とすることを宣言し、知事から大統領となった世界のナベアツが、行く先々で騒動を巻き起こす。共同監督の柴田大輔によれば、テーマは“アホ“とのこと。心の底から笑える映画を目指した、スタッフの熱い想いを体感しつつ大爆笑したい娯楽作だ。
http://cinema.pia.co.jp/interviews/153874/99/
帰宅後、寝る前にも携帯を手に取る鈴木さんは、ゲームの武将の優しい言葉に気持がほぐれる。「現実の男性はそこまで甘い言葉を掛けてくれない」。それが、鈴木さんがゲームに夢中になる理由のようだ。
グリーのマーケティング担当の木村哲哉氏は「女性向け恋愛ゲームというのはひとつの大きなジャンルとして確立されている」と話す。グリーが提供するソーシャルゲームのうち、約1割が女性向け恋愛ゲームだという。
第一生命経済研究所の永浜利広主席エコノミストは、「今まで、ゲームの対象は男性だったが、市場拡大に女性開拓は不可避。男性の草食化などで現実の恋愛を経験できず、女性が恋愛ゲームにはまっているのではないか」と指摘した。
http://www.bloomberg.co.jp/news/123-LRSYLQ07SXKX01.html
例えば、iモードのメニューリストに所属する恋愛ゲームサイトだけを取り上げてみても、2009年7月現在で101のメニュー存在する。iモードのゲームサイトが全体で約700であることから、今や7つに1つが恋愛ゲームである。(中略)しかも、この内80%が女性を対象としているゲームであり、さらに毎月3〜5サイト程度の割合で拡大傾向にある。この動きはこれからも続いていきそうだ。
女性向け恋愛ゲームが何であるか。それは「女性の願望を体感させるためのメディア」であると言ってよいだろう。部活のマネージャーを務めてキャプテンと恋に落ちたい。修学旅行で憧れの男子に告白されたい。芸能人との秘密のスキャンダルを暴かれたい。そんな女性であれば誰しもが一度は夢見たであろう体験を、今最も手軽に味あわせてくれるコンテンツこそが、これらモバイルの女性向け恋愛ゲームなのである。
http://japan.cnet.com/sp/mobile_internet2009/20397710/
性的描写が激しいTL(ティーンズラブ)や 、男性同士の性的描写まで盛り込まれたBL(ボーイズラブ)などのエッチなコミックが、全体の売り上げの約80%を占めているのだ!
http://magazine.gow.asia/life/column_details.php?column_uid=00000633
「男が恋愛市場から撤退することで、残された女どもを苦しめてやる!」と思ってもそうはならないでしょう。
まとめが長すぎて読む気せん
俺が見た経緯では
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シャフトが謝罪
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アフィブログがやっていたと思われるアンケスレ、対立煽り、まとブロ民の訪問などで溜まっていた不満が爆発
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↓
管理サイドのFOXが現在の嫌儲民側に立つことを表明(旧ニュー速のLRでの転載禁止は却下)
↓
移住と同時にニュー速(俗称アフィ速)を爆撃しニューススレを伸ばさないようにする
↓
VIPや他の板に飛び火
↓
一部(1/3ほど?)VIPPERが天国に移住 VIPへの爆撃
VIPのLR変更はされないのが濃厚?
↓
爆撃されても大部分のVIPPERはそのまま残る(無関心、天国側のLRの規制など) 天国側の勢いも落ち着きつつある
↓
なんJにニューススレが立ったためブログ板などで住人が野球に目覚める ノンアフィの大手コピペブログのコピーブログが作られる
↓
↓
反アフィサイドに若干肩入れした感じで書いてみた
http://anond.hatelabo.jp/20120107124653
まぁ1話と最終話だけ見たんだけど、最終話はみんな気持ち悪いくらいの絶賛の声しかなかったので残り見なくてよかったかもしれない。
なんかみんなが神ゲー神ゲー言うからそんなによかったかなー、みんなほんとにプレイしたのかなー、みたいなことを考えながら観てた
もちろんみんなが楽しんでるところに水を刺すようなコメントを書くほどアホではないが。正直ドン引きだったよ
1話ではめちゃくちゃ荒れとるね。逆に最後まで行くとものすごい一体感が醸成されて宗教みたいな空間になってる。
まあじぶんでやらずに最後までだるい実況を一生懸命見てるんだから、
ゲームを楽しみたいと言うよりは、みんなで何かよくわからんものを共有して恍惚に浸りたいんだろうな。
ソーシャルゲーム以外でもこいつらに金払わせる方法っていくらでもあるんじゃないのかな。
まず始めにそれはただ愚痴をこぼす形で言ったものだから真面目な反応が返ってきてちょっとビビった。
という言外の意がある。
体感でいうと論理的に話ができると感じる人間は、100人に1人とかじゃないだろうか。よく分からん。
まあハッキリしないが「多すぎる」と感じている位には「論理的に話が出来ないと感じる人」と出会ってしまうことの方が多いよ。
それが不運によるものなのか、自分の人との付き合い方の問題なのか、世の中に(自分よりも)論理的思考のできない人が多いことによるものなのかどうかは分からんし、あんま考えたことないな。
そもそも「アイツは論理的に話が出来ない」とする自分の判断自体が間違ってる可能性もあるんだろう。
精神的な成熟度合いを計る尺度については人それぞれだと思うけど、自分としてはひとえに「どの程度の理性があるか」で評価してると思う。
気に入らないと思う理由による。
道理に合わない勝手な理由で滅べと言ってるのなら「自己中心的で精神的に幼いなあ」と思うだろうけど、
情理を尽くした理由の上でそう望んでいるのなら、その是非は別として「精神的に幼い」とは思わない。
あと、人から「それは道理に合わない」と指摘されて訂正できる程度の理性を備えているようなら「精神的に幼い」と思わない。
人間が過ちを犯すことは仕方がないので、人の話に聞く耳を持って自分の間違いを素直に正せるなら問題ないと思ってる。
そして、たとえ「道理に合わない勝手な理由で滅べと言ってる」としても、それが「道理に合わないことだと自覚した上で」主張してるなら、「精神的に幼い」とはあまり思わないだろうと思う。(場合によるけど)
当たり前ですが、勤労意識というのは
「しっかりしろーー、覚悟が足らんーーー、働こうとしないお前が悪いーー」
であがるものではありません。
経済の売り買いというのは、基本的に「これをしたことで、儲かるだろう、状況が良くなるだろう」という「期待」によって支えられています。
端的に言えば、近年の日本で女性は、労働して、報われるという経験を得ていないのです。
景気が良いときでさえ、男性に比べて大して報われていない経験を、日本の女性は体験し、学習しているわけです。スウェーデン等とは違い。
これをすれば、よりよい結果が得られるという学習に基づいて、行動は発生します。
不景気で職がない男性に「ニートなのはお前の心がけが悪い。おまえ自身の問題だ」と言ったところで、なにも解決しません。
そもそも職がない、あっても搾取されきったブラックなものしかないのが根本の原因で、ニート化している人は、それをたっぷりと学習してきたからです。
そもそも「○○自身の心の問題」で社会現象を解決できたためしはまずありません。
構造やシステムを変えて、初めて人々の心の方がついてくるのです。
教育勅諭で心意気を学び、「ほしがりません勝つまでは」と唱えて育った人々が戦争に負け、飢えで今とは比べ物にならないほどの強盗・殺人に走っていました。
「○○の心構えが悪い」は、社会問題の原因ではなく結果です。
国の経済状況で心が変化するのは、日本人女性に限らず、全ての人間に当てはまることです。
であるがゆえに、まずはシステムを変えて、状況を変えていかないと、と考えているわけです。
勤労することで報われる学習を社会の女性全体が体感すれば、勤労意欲はそこで初めて発生するからです。
というか、DNAで勤労意欲の変化が起こるわけでもないのに、スウェーデン人と日本人との間で勤労意欲に差があるということは、後天的学習した内容に差があるのはほぼ間違いないでしょう。
それを、社会変化のせいで勤労意欲が下がるのはおかしいといわれても、どうなんだと。
むしろ、社会的に積み重ねてきた歴史が違うもの同士比べたから、結果が違うのであって、社会的にまねるべき部分はむしろ大いにあることの証左だと思います。
が、それが危険だといわれると、もう「女性の心意気が悪いんだ」という何の解決にもならない話にしかたどり着かないと思いのですが。
電子出版だけれど、アメリカができてるからって日本でも簡単にできると思うなよ、と。
もうちょっと、ばかにするだけじゃなくて、日本の出版社の実情とかちゃんと理解してあげようよ。
まぁ今回の訴訟のような、言い訳とも言えないような見苦しい真似をされると、もうこいつらほうっておいて先に進みたい、と思う気もわかるけれどさ。
素晴らしい作品を作れる人のモチモチベーションは大事にしたいです。
津田さんあたりが「僕は裁断されても気にならないなぁ」って言ったってなぁ。
私は別に津田大介の本とか弘兼憲史の本がなくてもいっこうに困らないけど、東野圭吾が本気で本を書けなくなるのは困るんだわ。
彼らが納得して仕事できるように持っていくって目標を早々に切り捨てるのはもったいないでしょう?
あんまり拙速にやると、逆に出版社やメーカーが防衛意識で協力しちゃうかもしれない。
一昔前ののケータイ小説やら今のアニメみたいに「2話ごとに課金」とかが標準になって本より高いかねを払わされるみたいな方式になるのもいやだし、
「ユーザーが買わなくなるだけだろ」っていう意見もあるけれど、「価値のある作品」は少数なんだから、
そららを供給できる所が、出し渋り始めたり、値を釣り上げたらどうしようもない。
いくら他の本が安かろうが、電子書籍で出ていようが、読みたい本がどれもレベル低いとか興味から外れたコレジャナイのばっかりだと困るんです。
すでに本でも星海社新書とか双葉社の一部がひどい事になっていて、これは経営苦しいからその手の読者を掴みに行ってるんだろうなーと思う。
多分今急いで電子書籍はじめてもこういうところしか来ないと思う。
そもそも、今の電子書籍リーダーやらなんやらの普及率がアメリカと日本で違いすぎるでしょ。
スマートフォンの普及率を見て大言壮語してるんですかね? PCユーザーの普及率や利用時間とか見て「できる」と言ってるんですかね?
日本じゃまだ準備できてないよ。 ヘビーなネットユーザーは自分の体感で好き勝手にモノを語ってるけれど、全然無理ですよ?
何を根拠に電子書籍をやれと強弁できるのか、数字を根拠に説得していただきたいところですね。
作者型を情緒的で話しにならないとバカにするくせに、はてな民の大半が、データの一つも持たずに、情緒的に批判してるだけ。笑わせんなボケ。
あれ見てわかると思うけれど、バブル期ですら余程のことがないと成功しないよ?
出版社でもメーカーでもいいよ。今みたいなご時世に、しかも数値的には明らかに低い状況で、
リスクを取って成功する道筋をどうやって立てればいいのか言ってご覧?
今回の訴訟は馬鹿げている。それは間違いない。でもこの話はそこで終わりだ。調子に乗ってそれ以上ピーチクパーチク言ってんじゃねぇ。
そこから一足飛びにさっさと電子書籍にしろとか喚いてるバカを見ると頭痛がする。
確かな需要があるのにやりたくないとでも思ってんのか? 需要なんてないんだよ。
まだ無理なんだよ。バブル期ならともかく、先行投資すら出来る状況じゃないよ。
お前らがそうだからといって、大々的にそっちの流れに移行できると思ってたら大間違いだよ。自分がドマイナーだって認識を持てよ。
その前に「堂々と」こちらのテリトリー侵害をやられたら困るんだよ。おとなしく待ってろ。
逆に、自分のことを直接痛めつけられる立場にない人にいくら嫌われようが、全く気にする必要ないとも取れる(むしろそういうことをいち早く体感できた人が勝つみたいな感じ)。
http://ulog.cc/a/fromdusktildawn/12153
↑の記事を読んで思ったけど、結局本気でアンチ活動をするなら、明らかに対象が不利益を被り且つ合法的な手段を選ばないと意味が無いと言えるのかも(合法的じゃない場合、最悪逮捕されるリスクがあるので)。
逆に、自分のことを直接痛めつけられる立場にない人にいくら嫌われようが、全く気にする必要ないとも取れる(むしろそういうことをいち早く体感できた人が勝つみたいな感じ)。
まあ、今の時代はその程度にムラ社会が崩壊したということなんだろう(「あ?世間が許さねえ?俺にはそんなの関係ねえ」が割と通じる社会)。
2011年10月28日。日本でのビッグマック200円キャンペーンが終了した日だ。この11日間で、パン=ビッグマックグリッド(以降〈グリッド〉と表記)には多くの日本型ビッグマックが接続され、高い割合で新たな知が蓄積された。
そうは言っても、およそ地球上のほぼ全ての人間には、一体何のことを言っているのか分からないであろう。そこで、私はビッグマックの歴史、ひいてはビッグマックを生み出した宇宙航空種族である〈空飛ぶビッグマックモンスター〉について、少し話したいと思う。
それは、遙かな宇宙の彼方、約50万年前の話である。宇宙を又にかけて高度に発展した〈空飛ぶビッグマックモンスター〉は、宇宙の構造についての研究の末に宇宙の上位構造たる《虚空界》を見付け出した。役にも立たない金食い虫と日頃罵られていた研究者達はこのことに歓喜した。そこには豊穣たる計算力が広がっていて、知的生命体たる彼らにとって、楽園としか良いようの無い場所であったのだ。《虚空界》の計算資源を直接用いて思考を行うことが出来れば、無限にも思えるような体感時間を生きることだって出来る。
しかし、彼らはそのままの姿ではその場所には辿りつけなかった。彼らの意識は、あまりにも多くのこの宇宙での生命活動を維持するための物質に覆われていて、その被覆から抜け出ることが出来なかったのだ。
ところで、意識というのは何処に宿るのか。肉体が精巧に作られていることは、必ずしも意識を存在を意味するわけでは無い。多くの人間が現在もこの問いに頭を巡らせていることは想像に難くないが、〈空飛ぶビッグマックモンスター〉はそのずっと前に、意識を現出させるエッセンシャルなパターンを見出した。
この宇宙にエッセンシャルなパターンを配置して意識さえ現出させてしまえば、思考を行う具体的なハードウェアは《虚空界》に全て置いて虚空インターフェースを使って接続することは一向に問題では無い。無論、自然に発生する意識は何らかの物質をハードウェアとするものであるから、意識に必要な部分以外だけを上手に切り取ってハードウェアを《虚空界》に移管しなければならず、それは極めて困難な作業である。
ならば、そのパターンと虚空インターフェースを形作る小さな物体を新たに構築すれば良い。しかし、彼らにはそれすらも出来なかった。意識のパターンの具体的な物質的デザインは、意識を持った知的生命体の手によるマススケールの試行錯誤によってしか成し得ないことが証明されたのだ。そのことが何故問題になったかというと、平たく言えば、〈空飛ぶビッグマックモンスター〉にとって意識のパターンのデザインなんて作業は退屈極まりないことだったからだ。しかもその作業には膨大な試行錯誤が必要ときている。ならば他の知的生命体にやらせよう、そう考えるのも全く道理が通ることである。
自律進化に閉塞した彼らは、自らの野望のために利用するのに最適な知的生命体を探して宇宙を駆けた。そうして、地球を発見した。ぱっと見は青々として水に満ちた惑星としか見えないが、惑星表面の一部を占める大陸の更に一部でしか無いジャングルには高度に発達した脳を持つ知的生命体がいて、道具を操り原初的な思索に明け暮れていた。
〈空飛ぶビッグマックモンスター〉の科学団は、地表に無数のナノマックを散布した。人類の遺伝子を分析し、周到に選ばれた一つのサンプルに大幅な改変を加えた。DNAにビッグマックを喰らわんと欲する本能を編みこまれ、味覚神経のパターンマッチャがビッグマックを認識するように変化させられたそのサンプルは女性であり、我々がミトコンドリアイブと呼ぶ存在は彼女だったのだ。
どうしてビッグマックが登場するのが、人類が小麦の栽培や牛の飼育を初めてすぐではなかったのだろうか?どうしてビッグマックを求める本能が食欲の一部として編みこまれたのだろうか?この問題に答えるには、ビッグマックを製造するコストについて考えてみる必要が有る。
もし、ビッグマックへの欲望がもっと強烈なものとして刻み付けられていれば、ビッグマックの登場は実際の歴史よりも遙かに速かっただろう。しかし、ろくな技術も無く人口も少ない社会でビッグマックを生産したところで、生産効率は望むべきもなく、ビッグマックに偏った生産によって人類の発展を止めてしまい衰亡を促すだけだろう。また、ビッグマックを食べられないような知的生命体にビッグマックを生産するよう条件付けると、自らの栄養にもならないものの生産によって種としての発展の妨げてしまうことになるだろう。
ビッグマックを十分なスケールで生産するためには相応のコストが必要となる。そのために、人類が十分に発展してからビッグマックが生産されて、生産されたビッグマックは食料として人類に還元される必要が有る。何せ《虚空界》に接続出来るビッグマックにとって、体感時間は無限に思えるほど有るのだ。すぐに食べられることは何の問題でも無い。
とにもかくにも、ビッグマックは生み出された。〈空飛ぶビッグマックモンスター〉にとっては、ビッグマックを生み出すのが資本主義であろうが共産主義であろうが封建制であろうが良かった。それが小麦・牛・レタスなどを用いていることさえ彼らにとって必然では無かった。無論、各国各店舗の違いによる微妙な個性も有る。ただ、人間のDNAの根源にビッグマックの快楽を刻みつけた以上、技術が成熟して豊かになりさえすれば必ずビッグマックが生み出されることだけは、始めから予想されていたことだった。まずはハンバーガーに始まり、更なる試行錯誤を経てビッグマックに辿り着き、なおもマクドナルド社によって試行錯誤の改良を受けながら大量に生産されている。人間にとってのビッグマックの味の改良は、即ちより完全で堅牢な意識や虚空インターフェースが生み出されることを意味する。
ビッグマックは目論見通り《虚空界》に接続することに成功し、無限にも思える計算力と計算空間を得た。全てのビッグマックは《虚空界》の上に構築された〈グリッド〉を通じてあらゆる集積されたデータにアクセス出来る。《虚空界》では一つの意識には余りある計算時間を得られるため、出来上がった瞬間に解体してしまうようなごく一部の不幸なビッグマックを除く意識は、長い個別の生(といっても地球では10秒ほどだが)を送った後に自ら〈グリッド〉のインフラストラクチャ部分に直結された集合意識体に合一して様々な任に当たる。
それだけの計算力=知性を一体何に用いているのか人々は不思議に思うだろうし、人間の思考力しか持たない私にも分からない。芸術や数学的探求に専ら用いられているそうだが、そんなことをわざわざ行う意味も、その内容も、全く人間には与り知ることも出来ないだろう。しかし、きっと彼らなりの意味があってそうしている、そう想像するだけの想像力が人間には備わっているのだから、それだけで満足しようではないか。
ここまでが、私の知るビッグマックの歴史のあらましで有る。さて、何故そんなことを私が知っているのか、疑問に思った読者も多いであろう。最後になるが、その疑問に簡単に答えておく。
実は、私にも何故こんな考えが浮かんだのかが分からない。ただ、ビッグマック安売りの最終日だからビッグマック充でもしようかと、ふらっとマクドナルドに入ってビッグマックを三つ食べた、そのときに、私の頭の中に今まで述べたような真理が浮かび上がってきたのである。
無からこんな真理が浮かび上がってくるわけがない。そうすると、この真理は今食べたビッグマックによってもたらされたものに違いない。どうやら私はビッグマックによって預言者として選ばれたのだ。預言者たる私が、どうして虚偽を語ることなぞ有ろうか。
私は預言者だ。この事実を公表することが人類史にどのような影響を与えるのかは分からないが、私がこの文章を公開することを望んだということは、それが〈グリッド〉の意志なのだろう。ならば私にはそれを拒む権利は無い。人類とビッグマック、双方の真なる幸せを願って。
大きな大きな振動と、とてもとても、とてもうるさかった騒音が止んでしばらく経ちました。
私はいま、窮屈な檻に閉じ込められています。頑丈そうな鉄の棒が、循々と周りを囲っているのです。立ち上がることはできますが、歩くことはできません。同じ場所でくるくると尻尾を追いかけ回ってみれば、確かに多少なりとも運動にはなるのですが、目一杯走りまわることが何よりの楽しみである私にしてみれば、少々どころか全く物足りない状況に陥ってしまっているのです。
厳重に施された不自由は、身体はもちろんのこと精神をも蝕んでいくものです。鬱積し続ける不満によって、私の心身は内側から漆黒に染め上げられつつある――。
抗おうとは思うのです。けれど、行動を大きく制限された檻の中では、体制を変えたり、意味もなく回ってみたりすることがやっとなのです。それ以外には、丸まってふて寝をすることしかできません。そればかりか、少し前までは眠ることさえもが容易ではなかったのです。私が入れられた檻は、なんだかよく分からないランプがやたらめったらに点灯している円錐型の箱に囲われているのですが、この箱もまた異様なほど狭く小さくて、つまるところ私は極小の檻に捕らわれたまま、狭っ苦しい箱物に乗せられるや、いつ終わるともわからない唐突な振動と騒音とに怯えることを余儀なくされていたのです。
そうなのです。本当にけたたましい振動と騒音だったのです。私がまだ人に捕まることもなく、広い森の中を、あるいは街の中を自由に歩いて回っていた頃には体感したこともなかったほどの揺れと音だったのです。身体が芯から揺さぶられ、鼓膜が破れてしまうのではないかと怖くなったくらいです。いまも足元が揺れているような気がしますし、耳の奥がきーんと甲高い音を立てているような錯覚を覚えています。もう過ぎ去ってしまったことなのできっと幻覚なんだろうとは思うのですが、酷いものだなあと感じないわけにはいかないのです。
ため息混じりに、私はついつい考えてしまいます。ただただひたすらに死を恐怖し、生きることだけに全力を注いで日々を過ごしていた私を捕らえて、温かな毛布と、安全な空間を与えてくれた人間という存在は、どうしてこんな場所に私を閉じ込めたのでしょうか。人間でありながら独特の雰囲気を纏っていた彼女もまた、結局は他の人間と同様、小汚い私を忌み嫌い、時には石を投げつけたり蹴りあげたりする悪童や暴漢などの類と同じだったということなのでしょうか。
とてもとても優しくしてくれたのに。額を撫でてくれた手のひらが大きくて暖かくて、とうの昔に失くしてしまったはずの温もりを思い出しかけていたというのに。思わず寄りかかってしまいそうな、くっついて眠ってしまいたくなりそうな安らぎが、確かにあったはずだったのに。
どれもこれも私が抱いていた幻想だったというのでしょうか。ドロドロとした液状のご飯や、なぜこんなことをしなくてはならないのか全く意味のわからない厳しい訓練を終えた後、あらん限りの言葉と抱擁でもって褒め称えてくれたことの全てが、単なる演技だったと言うのでしょうか。
私を騙すために?
いいえ、そんなことはないはずです。長らく生きることだけに執着していた私にはよくわかるのです。相手の感情の機微というものが。真贋を見極める眼にだけは、確固たる自信があるのです。何が危険で何が安全か。鋭利な感覚を持ち合わせていなければ、私はこれまで生きてこられなかったわけなのですから。
主に彼女が私に与えてくれたものども。それは今まで口に含んだこともなかったような食事であり、おおよそ誰も経験したことのなかった訓練の数々でありました。それらは、正直なところ嫌なことばかりで、何度も何度も施設から逃げ出してやろうと考えてしまうくらいでした。伏せることも座ることも許されずにじっと立ち続ける訓練では、足ががくがくとしてくるのはもちろんのこと、身動きが取れずにもどかしい思いをしなくてはならなかったし、ごわごわとした衣服を着せられたことも、またへんてこな装置の中で外側へと押しつぶされるような力に耐える訓練も受ける羽目になったのです。
捕まえられた当初、私はそれらの訓練が心の底から嫌で嫌でたまりませんでした。自由に外を走り回りたかったし、物珍しそうに私を覗き込む人間たちが怖くておぞましくて我慢ならなかったのです。何度も何度も大声で威嚇しました。牙を見せ、爪を剥き出しにして、絶え間なく吠え続けることだけが、私に安らぎを与えてくれるものだと本能的に思い込んでいたのです。
でも、彼女は違いました。彼女だけは、意固地なまでに獰猛な態度をみせる私に歩み寄ろうとしてくれたのです。私と同様、人間たちに捕らえられたものたちの世話を、彼女は一手に引き受けていました。人見知りな私は、彼らとの接触すら断とうとできるだけ近寄らず、檻の隅っこで丸まる毎日だったのですが、彼女はそんな私に近づき、側にしゃがみ込んで、何をするでもなくただただ優しく見守ってくれていたのでした。
鉄の猜疑心と鉛の恐怖心とでがちがちに固められていた私の心を、彼女の眼差しはゆっくりと剥がし溶かしていったのです。ある日、そっと差し出された彼女の手のひらを、私はくんくんと嗅いでみました。素敵に柔らかな匂いがしました。寒くて余所余所しい無機質な施設の中で、彼女の手のひらからはミルクのような穏やかさが漏れ出していたのです。
それが彼女の本性なのか、それとも作り出した仮面だったのか、依然として私には確証が持てなかったのですが、取り敢えず気を許しても大丈夫そうだと判断しました。以降私は彼女にだけ従順な態度を取るようになったのです。
彼女は私の変化を大変嬉しがり、より一層私との距離を縮めようとしました。時たまその一歩が大きいことがあり、私の爪牙が彼女の手のひらを傷つけることもあったのですが、彼女の優しさは変わることなく、かえってより一層深いものへと変貌していくようでした。
この空に向こう側には何があると思う? 穏やかな声で彼女が問いかけてきたことがありました。その日はちょうど訓練も休みの日で、私は彼女に連れられて久々に施設の外へとやってきていたのでした。高台の上にある施設から少し離れたところになる平原で、私の隣に座った彼女は真っ青な大空を見上げながらそんなことを口にしたのでした。
無論、私には答えることなどできません。私の言葉は彼女には伝わらないし、そもそも空の向こうなんてものを想像したこともなかったのですから。だから私は内心、何も無いよ、ずっとずうっと空があるだけだよ、と思うだけ思って、黙っていました。
宇宙には何が待っているんだろうね。髪を押さえつけながら彼女はそう呟きました。ぼんやりとした夢見るかのような口調でしたが、その眼には溢れんばかりの光と希望が満ち溢れていました。
ああ、これが人間なのだな。刹那に、見上げたていた私は心底打ちのめされてしまいました。私なんぞが思いも至らない、想像することもなかった世界を見上げて、あまつさえその場所に名前を与えて、遂には到達することさえ見据えている。外へ外へと向かうことのできる、好奇心と云う名の侵略性を持ちえている存在が人間なのだなと。
がんばろうね。そう言って私に微笑んだ彼女の笑顔が、脳裏に焼き付いてしまいました。訳もわからないまま吠えて尻尾を振った私は、なんとも単純で愚かで滑稽でさえあったのかもしれません。それでもあの瞬間そうすることが何よりも正しかったし、そうあるべきだと自発的に思えたのです。驚いた様子の彼女は、すぐに満面の笑みを取り戻すと、ぎゅっと私の身体を抱きしめたのでした。ぎゅっと、ぎゅうっと抱きしめてくれたのでした。
それからどれほど時間が経ったのでしょう。訓練は次第に厳しさを増していき、それにともなって私が入れられる檻も小さな物へと変化していきました。最終的にはその場で立ち上がり一回転するのが精一杯な檻になったのです。狭くて心地よくなくて私の苛々は加速度的に増していきましたが、彼女の笑顔と時折見せる辛そうな表情とが頑丈な堰となって日々を乗り越えさていくことができたのでした。
私が入れられた極小の檻が狭っ苦しい箱物に搭載される直前に、私は彼女とお別れをしました。がんばってね、と彼女は真剣な表情で口にし、あなたならきっと大丈夫、と抱きしめてくれました。いつもと変わらない暖かくて安らぐことのできる抱擁だったのですが、その奥底に到底隠し切ることのできない感情があることに、私は気づかないままいられませんでした。
それは青い滴のような感情でした。爛漫な彼女が、穏やかで底抜けなまでに優しいはずの彼女が、気丈なほどいつもどおりに振る舞いながら、はたはたと湖面に水を漲らせている。後もう二三滴、滴が落ちればわっと決壊してしまいそうな静かな緊張感を、貼りつけた微笑の裏に懸命に隠そうとしている。
私にはもう、与えられた役目を見事遣り遂げることしかできなくなってしまったのでした。檻の中でじっとしたまま、何日間か我慢し続ける。寝食の問題はそれほどでもないにせよ、重なりに重なる苛々に耐え続けなければならないという辛抱のいる役目を負わないわけにはいかなくなったのです。
もちろん、私には我慢し続けられるだけの自信なんてありません。我慢しなければならない確固たる理由もないのです。しかしながら、彼女とのお別れをしている最中に、私の運命は定まってしまったのです。
私はライカ。クドリャフカのライカなのです。彼女に与えられた名前を、その時私は初めて意識したのでした。
私が入れられた檻を乗せた箱物は、依然としてたくさんのランプを点灯したまま変化がありません。宇宙への航行は順調に進んでいるようです。だから問題は私の方。じっとして我慢しなくてはならない私の方にこそ、この任務を遂行するための因子は偏っているのです。
一時はとんでもなく暑くなった船の中ですが、現在は然程でもありません。むしろぐんぐんと気温は下がってきていて、肌寒い気さえします。いいえ、もしかしたらまだまだ船の中は暑いままなのかもしれません。私にはもうよく分からないのです。もうずっと同じ景色のまま、朝も夜もわからず我慢し続けているのです。食事の回数までもが朧気になってしまっては、今が何日目の航行なのかを判別する術は残されていないのです。
狭い檻の中での排泄は、綺麗好きな私にとっては屈辱以外の何者でもありません。が、それさえも与えられた役割であり任務であるというのならば、私は彼女のために我慢し続けなければならないのです。もう少しだけ。もう少しだけ。我慢し辛抱し続けなければならないのです。
ああ、でも、なんだか疲れてきてしまいました。行動が制限されているので、食べては寝続けることしかやることがないのです。始まりこそそんなに眠ってばかりいられるかと思っていたのですが、案外眠れるもので、近頃は眠っている時間のほうが多い気さえするのです。とにかく眠くて眠くて堪らないのです。加えて眠っていると彼女との夢を見られるので幸せです。起きていると我慢しなくてはならないのですが、寝ていれば幸せなのです。とてもとても幸せなのです――。
かしゃんと、餌箱が開く音が微睡みの中に響き渡りました。また今回もドロドロとした美味しくもない食事が始まります。夢現な私の味覚はもう死んでしまっていますが、それでも食べないことには死んでしまいます。死ぬわけにはいかないのです。私の任務には生き続けることも含まれているのですから。
綺麗に器を舐めきって、私は再び丸まって檻の中に伏せます。次の食事の時間まで、また寝続けなければならないのです。あと何回このサイクルが繰り返されるのかはわかりません。でもとにかく続けなければならないのです。そのためには少しでも体力を温存しなくてはなりません。船内の景色を見続けるのは辛いので、眠って彼女と会うのです。会って彼女と戯れるのです。戯れたいのです。
広い高原で、彼女はずっと遠くで私を呼んでいます。私はその声に向かって全力で走るのです。カシャカシャと。檻が立てる音をも気にせず、夢現のまま全力疾走し続けるのです。まだ彼女の元まで届いたことはありませんが、きっといつの日か届くはずです。その時こそ、私の役目は、任務は遂げられるはずなのですから。
カシャカシャ、カシャ……カシャ……。
微笑を湛えた彼女の胸に飛び込む瞬間を今か今かと夢見ながら。
妻や息子に信頼されないのに会社で部下には信頼されている人がいるからといって、自分も部下に信頼されるとは限らない。なので信頼されないからといって不満に思うのはウマシカだ。というかそもそもそんな事に不満に思う様だから信頼されない。卵が先か鶏が先かという話しではない。ではなぜ自分はそういう連中に不満を感じるのか?、人は知らない事は認識できないという論理に基づくのならば、自分は不満を知っているという事になる。そうだ。元来の欲求とはなんだろう?、そして不満の起源とは何だろう? 何かを得なければ失うという事もない。そう、私達は得てしまった。得てしまったという事に端を発しているとは考えられないだろうか? 一体何を得たのか? メモリー?記憶? 知? 知を知覚してしまったが故に 何かを忘れるということも発生する。 なんだよ くそ どうしてだ。 どうしても自分ばっかりいい思い良い人生を送っているように感じてしまい申し訳ない。この申し訳ないという気持ちは相手にとってもマイナスなのではないだろうか? 例えば自分は蛙を見ると優越感と同時に申し訳ない気持ちになる。おれってずるいよね・・・・って何の努力もせずこんなに幸せで、楽しくて様々な事が豊かだ。その上、悩む事さえどこか楽しんでいる自分がいる。そして社会に貢献もした上で報酬まであるのだから、ん、まてよ。人生そのものが報酬じゃないか! 蛙さんの気持ちになってみろ!神はとっくに死んだし輪廻は無いはずだけど、次が人間ね!って言われたらそれが報酬だという事になるので蛙はなにかをがんばるかもしれない。ん。ん。まてよ。報酬とかいうと対価みたいじゃないか? かといって世の不運不幸を忘れたからと言って、また発生するだろう。僕は悩む。みんなが何も考えず寝ている間にみんなの事をなんとかもっとよくならないかと悩む。悩んでしまうのは下手に今までだいたいの事が運良く成功し上手くいってきたからだ。どうしてもなんとかなるんじゃないかって思ってしまう。赤ん坊を食べてしまうチンパンジーを見てもなんとかしなきゃと思ってしまう。悲しいと思う事だとしても節理として受け止めれば悲しくなくなるけど、無駄に感情を制御コントロールできるので平気でそのほう助手伝いができてしまう。互いに矛盾する事なのでどうしても同時に思考すると行動は止まる。時系列で配分すれば、どっちの思考も行動として体感に上げる事は可能だが、何の意味がある。こんな日記。本当は、普段の人生が楽しすぎるからただ単に悲しみにふけりたいだけそういう時も欲しいだけ。遊びなのかもしれない。ただ・・・あまりにも論理的に考えすぎると、全ての事はどっちでもいいじゃんというかどっちともとれるよねってなってしまうので。結局なにもかも自分の思った通りになってしまう。なんなんだろうこの楽しいと悲しいの混ざった感情。わかる?わかる人は惹かれあう?
@awaikumo
なんか、うまく言えないんだけど。
たとえば他人に相談事持ちかけられたとするじゃん。で、その「相談事」って大別して二種類になるじゃん。
どうオチをつけていいかわからない、マジでアドバイスがほしいってパターンと、
持っていきどころはほぼ固まってて、ただ背中押して欲しい、大丈夫って保証して欲しいパターンと。
「大丈夫って言ったじゃんウソツキ!」みたいな展開にはなかなかならない。個人的な体感で十中八九ならない。
つまりそいつ自身無意識レベルでは何となく判ってるわけですよ、
「自分は背中押してもらいたいだけだ」「覚悟するきっかけが欲しいんだ」みたいなことを。
その「『これでいい』って言われたい」欲望を、肯定してやるのが、
前々からちょっともやもやしてたけど歳をとるにつれてどんどん苦しくなる。
ぶっちゃけた話小学生が話す将来の夢みたいなレベルのことでも「頑張ればできるよー」って言ってやれないくらいになってきた。
小学生ならマジに「頑張ればできる」可能性高いわけじゃん。
つーか、小学生くらいの年齢だと逆に「やれるよ!」っていう勢いというか意志というか、
そういうのの作用が大きい部分ってあるじゃん。伸びしろというか、なんかそんな。
でもそれを肯定してやれない。「やれるよ!」って言えない。いや言うけど。言うんだけど。
言うけどなんか、死ぬほど空々しくて、本当はこんなにぐつぐつと
「やれるかどうかなんてわかんない…」と思ってることを見透かされていたらどうしようと思う。
所詮口だけなんだと。いや実際口だけなんだけど。
でもこういうの口だけってばれた瞬間に魔法が解けるみたいな現象っぽいし。
それはいやだ。魔法かけるならかけるでいいけど、魔法とく側には回りたくない。
http://anond.hatelabo.jp/20110918100006
「ある体操法と出会って1年で人生が変わった」話を頼むから拡散してくれ」を書いたものです。
前の記事に関して「結局こういったいろんな健康法があっても答えがいつまで経っても出ないねえ」というコメントがあった。
体操法を調べている時に、感じたことと凄く似ている。1年以上前から(ゆるに出会う前から)
つまり筋力増やしても、力みがあったら、その力は使えないし、ボディビルダーみたいに見せる筋肉にならない限りは無意味。
加圧なんかは、一般レベルがやるには、その域から脱せない気がする。
古武術系から何から、リラックスという言葉がたくさん溢れている。とにかくリラックス大事
背骨とか肋骨とか、胴体が力の出力源。
鞭の末端(腕とか脚とか)ばかりを鍛えるんじゃなくて、そもそも腕とか脚とかは力抜いておくことが大事だと。
鞭の途中に重りをつけたらそれを支えるための筋肉がまた必要で力みが出来てしまう。
じゃあ根元は力強くするのかといえば、そうでもないらしく、胴体の筋肉というのは想像以上に固まっているから、適度に力は抜いた方が良い。
胴体にも表層深層があって、深層にだけ力が入っていればいい。スポーツやっている人なら腸腰筋というのは有名じゃないだろうか?
腹の奥だけ力を入れて、表の方は抜くのが大事。というより表を抜かないと、深層に力が入らないという仕組みらしい。
力を抜きまくると必要なところに必然的に力が入っていく。体感的にはそういう感じになってくる。
「法則性なんて見つけても出来ないもんは出来ない。力抜けっつても、どうやって?」という話になっていた。
例えば肩こりなんかでも長い間、凝り続けていると、こっているかどうかすらわからなくなる。
なのに「リラックスが大事」って書かれても、リラックスできないだろ!というループに陥っていた。
やっている内に勝手に力が抜ける方法論が、いいと勝手に結論付けていた。というより、でなきゃ「絶対続けられない自信」があった。
だからゆる体操に出会う前は、やるのが楽な「胴体力」ばっかり一時期やっていた。
ゆる体操に出会ってからはゆる一択だったけど。めちゃくちゃ楽だから。
自己啓発書読んで結局何もしないのに、批判だけやるような馬鹿にはならないで欲しい。
慣れない人でも今回書くコツを見て、1週間続けてほしい。
あとゆる体操のコツは「擬態語を絶対につぶやく」ことです。つぶやかないより効果が数倍あるとかないとか。俺はあると思います。
拡散理由は仕事がめっちゃくっっっっちゃ辛かったところから解放されたキッカケだったから。
昔の自分みたいな人を減らしたいという思いから、思いつきで書いた。
高岡さんは色々な噂がある人です。検索するとその「色々」は出てきます。
それを先に知って「やってたまるか」で終わらすにはもったいないメソッドがゆる体操。
で
1 怪しいと思うなら、距離をおけばいいと思う。
なんか炎上しそうなタイトルですが、最近ホント感じます。皆さんの周りでも、この感覚ってありませんか?
僕の周りでは、自己表現が下手で、会社以外の活動なんかほとんどしない人ほど、会社という枠に凝り固まります。
そうした方々が会社に残る理由は意外と似通っており、3つほどあるように思います。
この点、象徴的なのはAさんでしょう。彼は部下が個人プロジェクトで制作したウェブサービスを、「リスクだから」という理由でお蔵入りにするという経験をし、部下に対して「勝手なことするなと思った」、と語っています。
Aさんに限らず、このブログをお読みの皆さんも、どこかでこの種の「勝手なことをするな感」を体感したことがあるはずです。社内からフェイスブックやツイッターにアクセスする、という部下や同僚も少なからずいるようですし…。個人と組織の問題は、今後ますます課題となっていくでしょう。
非活動的な人であればあるほど、「月〜土、8〜22時出社」という縛りを楽に感じてしまうようです。社畜の代表格のBさんのように「週6日会社に出勤する」という生き方がまだまだマジョリティです。
特に昔から「サービス残業」という言葉も定着しており、多くの労働者が「会社に行かなければクビになるんじゃないか?」と思い込んでいるようにも感じます。
「CP(cost performance)」という経営戦略も話題になっています。今後は、結果主義でも生き残れない価値の低い人材であればあるほど、時間・場所に縛られることを「楽」に感じるでしょう。
土日やアフター5の活動(サービス残業・休日出勤)を行っていく中で、収入を増やすチャンスが生まれません。始めは月3万円(残業代)でも、活動を続ける中で、業績悪化やリストラなどでそれすら無くなるはずです。
収入の確保が難しいですが、生産性の低い、得るものも少ない労働ですので独立や転職も困難となります。
シェアハウスで暮らせば、そもそもの生活費を抑えることも可能ですが、毎日午前様という生活ではそれも困難となります。僕の知人の中には、住宅ローンがが約10万円(都内在住)、という方もいます。Cさんにいたっては、ローンが払えず固定の家を無くしてしまっています。
もう部下がいる壮年世代だと特に、収入面の不安が会社に居続ける大きな理由であるように思います。収入面での不安を払拭できないため、「会社にいる理由」は強く残ります。
会社のビジョンに共感している状態(自分の目指すこと=会社の目指すこと)にならば、これらの理由は一気に吹き飛ぶものですが、そもそも経営陣にビジョンがない/ビジョン以前に労基法も守らない場合も多いので、なかなか希有な状態です。
ある広告代理店の人事部の知人は「無能な中年ほど会社に残る」と語っていました。低レベルな仕事が重要になればなるほど「無能な人ほど会社に残る」という事態は広がっていくように思います。
というわけで、「無能な人ほど会社に残る」というテーマを、3つの切り口で考えてみました。皆さんはどう思いますか?トラックバック・ブコメにてご意見募集中です。
トラバいくつかで散々指摘されてるけど、MMORPG じゃ数年前から行われてるあたりまえの戦略。
その基盤となる仕組みや仮想世界としての現象は、下手すりゃ10年前からあること。
まあ、ユーザーに Win Win に感じさせるシステムをメーカーがちゃんと理解して実行してきたのはここ数年だけどね。
それをありがたがるようにブクマしてもったいつけてコメントしてる。
ばかばかしい。
ソーシャルゲームというだけで何か新しい現象があるように解釈したいんだね。
これがわかってない MMORPG なんてごく焼畑チョンゲーくらい。
書いてることはごく基本のあたりまえのことで、MMO やってるユーザーは本質的にもっと色々なことを体感してる。
トラバ全部読めばわかると思うが。
長い間デブを続けてきている人は、お腹の中がすっきりしている時の自分を忘れていると思う。
お腹が空っぽになっている状態は、お腹が満たされている状態よりも気持ち良い。
具体的に言えば、2~3日断食してみる。オススメは1週間コースだが、これは中期的に休みが取れる人限定。
断食期間中は、できるなら水とサプリのみ、それがしんどい人はヨーグルトやおかゆなど、消化しやすいものだけを食べてみる。
水はがんばって1日3リットルくらい飲んでみる。というより、空腹を感じたらとりあえず水を飲む、という感じで。
やってみるとわかるが、1日目の夜と、2日目の昼あたりがかなりしんどい。頑張って耐えよう。
ただし、人によっては胃液が逆流する状況になったりする。この状態になったら一旦中断。
私と一緒に挑戦した人のうち1人が、胃液が逆流してゲロみたいに口から出たが、その際に喉が焼かれるような痛みを感じたと言っていた。クワバラクワバラ
問題なければ、大量に便が出るまで断食を続ける。私がはじめて挑戦したときは4日間ほどかかった。
この状態になると、めちゃくちゃ気持ち良い。
体重が減ったわけではないが、身体が軽く感じる。
空腹なはずなのに、身体に力が湧いてくる。腹のあたりがぽかぽかする。
いつもは何かにエネルギーを奪われていたのだ、と実感できる。
ダイエットは、この調子のいい状態を適度に体感することを目標にするといいと思う。
この状態が、すごく気持いいのを知っていれば、ご飯食べなくても割と平気。
具体的には朝は軽め、昼は好きなだけ食って良い、夜は7時以降はあまり食べない。消化に悪いものは昼に食べる、など。