はてなキーワード: 正当化とは
1.加害妄想について
加害妄想とは、自分が相手に不利益を与えてしまう・しまったという妄想だ
言葉による暴力、振る舞いによる加害、自己臭や自己造形とうの不快なものを与えてしまうという迷惑
「こんなことをしたら嫌われてしまう」「こんなことをしてしまったから、きっと不愉快に思われている」
一種の自意識過剰だ
それと同時に、過剰なそれは対人恐怖をも招くことになるだろう
加害妄想を持つがゆえに、人に接する時の自我をとにかく綺麗にしようとするのだ
誠実で、正直で、優しく、思いやりがあり、等々
そして、自分の素の部分を隠して接していく
そうした人ばかりだから、表面上だけをなぞるような人間関係が氾濫する
3.加害妄想を持つ人の原因と結果について
では、そうした人達はどの様な形で人と関わる欲求を解消しているのだろうか
Twitterやmixi、ニコニコ動画や掲示板、モバゲーはてなといったSNS的なもののことだ
それと同時に、サービスから離れることで緊張化した人間関係を破棄することが可能だからである
この2つを利用し、時として自分を守り、時として対人接触欲求を満たすことが出来る
ここにおける問題は、「人間関係全てをネット上だけで賄えない」という事である
そして、目の前に相手が居るような直接的な人間関係において必要な対人スキルはネット上の人間関係では育まれない
なぜなら、ネット上では理想的に振る舞え、逃げる事が可能だからだ
そうした環境であれば、互いの主張や要求の対立が生じる事は少なく、生じても逃げることで回避する事が出来てしまう
相手に踏み込む経験の少なさによって、相手に踏み込む事への不安が発生する
その不安を正当化するために、「自分は相手を不快にさせてしまうから踏み込まない」という加害妄想が発生する
もちろん、実際に不快にさせてしまった=加害してしまった事はあったのかも知れない
しかし、そうした経験がなければそもそも相手との距離感の測り方は、対人スキルは育たないのだ
4.終わりに
ここは本筋とは関係ないが
名家に生まれた彼女は生まれつき大人に囲まれて過ごすことになる
それにより、幼い頃から礼を尽くす事を強いられ、他人に踏み込むという経験が欠如する
また同時に、名家ゆえの敵の多さから自分を守るために悪態を吐く事で距離を空ける行為を繰り返す
そうした自分を恥じて、「人と真っ当に関われるようになるまでは一人でいる」と実家を出て集合住宅で一人暮らしを始める
そこで、夏目残夏という人物に「人と真っ当に関れるようになるには、他人の中で傷ついたり傷つけたりする必要がある」と指摘される
実際アレが本当に大元の元増田の肉付けだったとして、ではその肉付けをした上で増田に書いた意図を考えると、
「自分の性格」を理由に「子どもを作らない」ことは正しい判断であるっていうのを他人に肯定してもらいたい
という期待があったのでは? と考えられる
その場合、
「子ども持つかどうかは人それぞれの判断だし、今の時代子どもなしでも楽しんで生活できればそれでいい」
みたいな流れは、母親に孫の顔を見せないという復讐を正当化することにも繋がるので元増田的には一石二鳥で大歓迎となる
逆に「孫の顔見せてやれ、恩返ししてやれ」という助言に対しては、「なに的外れなこと言ってんだ」と怒りをたぎらせ、
「自分はこんなに抑圧された、こんな過程があってこそのこの結果なんだ」と切々と真意を訴えることができる
(実際にはその真意を示唆する描写があるので正面からは訴えなかったかも)
ところがここで、子ども持つか持たないかの判断の源すなわち骨の部分である恨みやトラウマにまで切り込まれてしまった
その際まるで自分の恨みや憎悪に無自覚であるかのように扱われたのが(なぜか他人である解説者らの)癪に障ったのだろう
当然だ、真意という骨に肉を巻いて意図的に皮肉に仕立てていたとしたらその憎悪と恨みに苦しんでいないはずがない
いわば傷口に塩を擦りこまれたも同然の指摘記事がついたのである
かくしてわざわざ他人のネタを懇切丁寧にネタばらす人が出現したのであった、とっぴんぱらりのぷう
解説者のいう「文章として面白みがないから肉付けを行った」という解釈はあまりよろしくない
面白いかどうかは主観の問題なので退けるとしても、肉付けを行ったことで背後に隠された「骨」が新たに展開しているかというとそうも言えない
骨すなわち真意が展開するとは、書き手の中でその恨みやトラウマがどのように昇華したのかが示されるということを指す
元記事において恨みやトラウマはまったく昇華してはいない、元増田は依然として母親の「教育」の影響下にあり、意趣返しこそ為したが何ら救われていない
「文章として」楽しむのならばそこで救いを生じさせ、感動を生むことを狙うのは定石である
この文章は定石を打っておらず、また定石を超えた独創的な結末を持っているわけでもない
よってつまらない。つたない。肯定的な評価を与えるための理由が無い。
骨である恨みつらみやトラウマをそのまま露出させれば得られたであろう「生々しさ」という面白さすらない。
例えばブコメにも「のろいがえしー」のような読みが普通に転がっているわけで、やっていることは増田記事での指摘と同じなのに、
何がどう琴線に触れてこんな大爆発に至ってしまったのかは不明。しかもその琴線の主は解説者であって元増田ではないときた。もう何が何だか。
ああ。ひまだな、自分。
まあ事実だよね。ここだけ読んだらある程度同意してたんだけど、
精神病持ちのヒキニートの本人がこのツイートを投下した経緯を読んだらまったく同意できなくなった。
ニートだから雇わない、精神病持ちだから雇わないんじゃなくて他の応募者よりも総合点で劣ったから雇われないっていうのを、ニートを正当化しようとする人種って認めようとしないよね。
能力であれ環境であれその人の学歴であれ、ニートに限らずどんな人間も優劣つけて総合評価された上で雇われるわけ。
他の求職者より総合点が劣った場合は雇われない。ではニートに限らず、数多いる求職者はどうやったら企業に雇われるのか。
他の人より、より多くメリットを多く感じさせるための何かを身に付ければいいわけだ。
好き好んでニートなわけじゃないとか言うなら、その期間をカバーできる何かをしていればいい。
精神病だからというなら、精神病である事を加味しても雇う価値がある自分になればいい。
そういうこともせずにマイナス要因とするな、他の求職者と横一列に扱えというのは図々しいとしか言えない。
そもそもニートというのがマイナス要因として扱われるのはニートじゃない求職者がいるからだ。
精神病持ちというのがマイナス要因として扱われるのは精神病持ちじゃない求職者がいるからだ。
ニートに限らず、精神病に限らず、ヤンキーだって成績不良だって遠方住みだってどんな病気持ちだって貧乏だって容姿だって障碍だって、全てマイナス要因にされるんだ。
理由を付けて何もしない事を選ぶのは甘えているだけだ。
恋愛とか結婚にどの程度の価値付けをしているかのところは興味深い内容だった。
その気になれば伴侶が見つけられる、という人脈や、人探しの能力の証明と
あとはセックスがただで出来るようになる、その程度の価値しかない、と。
だから、システマチックに恋人やら結婚相手探しをして、さっさと結婚してしまえ、と。
で、ダメだったら、さっさとやめて、もっと良い条件で探せばいい、その程度のものだと。
結婚なんかに絶対的な価値をおいて、あーだこーだ理想化してるやつは馬鹿だ真面目の罠だと。
同感どいうわけではないが、ひとつの考え方として素晴らしいと思った。
その考えと行動が一致しているというのがさらにポイント高い。
(自分の行動の結果を正当化しようとしてこういう本を書いたという見方が正しいのだろうけれどそこはツッコまない)
実際、今日昼のテレビで「ヒルナンデス」という番組をやっているのを観てて思ったんだが、
ぶっちゃけ、最近のテレビって、庶民に新しい何かを提供するって機能を完全に放棄して、
今まで恋人とか家庭の価値だった部分にずかずか踏み込んできて、掠め取ろうとしてるよね。
なんで昼から他人のキャッキャウフフ見なきゃいけないんだと思うけれど、
あれって多分擬似的にでも内側に入り込んだ感覚をモテルなら相当楽しいんだろうな。
視聴者からすれば、テレビのキャッキャウフフと、目の前の異性やら家族やらとの付き合いで
どっちが楽しいかを選択できる状態になってきてる。
ぶっちゃけ、普通の人間が、金にも話術にも優れたテレビの人間と勝負して勝てますか、と。
というより、AKBに限らず、こんだけ視聴者に媚びまくってくれるテレビがあることを考えたら、
それと比較して、恋人とか家庭とかを苦労して持っても、割に見合わないよね。
恋愛とか家庭の価値ってもういろんなところにアウトソースサれまくってるし、
余計な幻想抱かなければ、実質的な価値って勝間和代が言ってる内容くらいしかないんじゃないかな。
個人的に結婚したい相手はいるのだが、正直、「得るもの」を期待してやるもんじゃねーな、と。
どっちかというと、単に相手が好きだからいっしょにいたいとかそういう話であって、
犯罪の弁護人は、世界で全員を敵に回そうとも被告人の味方であることを求められる。こんな厳しい仕事を進んでやる人が一人でもいるから、裁判の正当性が担保されるのだ。それを理解していない筈はない。単純にポピュリズムというか、衆愚主義にのっかって(群集の快感原理に訴えかけて) 弁護士会への懲戒請求を煽る。
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2012/01/28/kiji/K20120128002522420.html にもあるが、結局の所教育問題ってのは誰でも口をはさみたくなるが故に、しばしば間違っていることであっても「正しい」という信念のもとに正当化される。しかし、教育を左右するというのは国の基礎を左右している、という責任感はあるのだろうか(私には全く感じられない)。建っている建物の基礎を変更するんだから、ドラスティックに変更したら、いくら設計図が正しくても工程管理のミスで家が引っくり返ることがある。ましてや、その棟梁が選挙で選ばれる(すなわち、継続性が保証されない)政治家だと言う。
短期的に見ればミクロな世代間格差や想定していない副作用でおかしなことになるだろうし、長期的に見れば右に左にゆさぶられた教育の現場がぐだぐだになるだろう。教育改革は1つのサイクルすら5年、10年という長丁場の覚悟がないと、本来は為しえない難事業なのだ。どうしてもドラスティックに変えたければ、特区や特定校指定などといった「離れ」でまず実験をすべき。これは、別に教育に限った話ではなく、生きているシステムは全てそうだ。
私も悪いところがあるので、決して相手だけ悪かったとはいいません。
…が、一方的に悪者扱いされて、でも周囲に「反論したりしたら泥沼だよ」と言われて我慢した分のうっぷんをここで晴らさせてください。
あまり面白いものではないのかもしれないので、気分悪くなりたくない方、あと時間のない方(長いっす)は回れ右、でw
私は、恥ずかしながら小説を書いたりするのですが、ある小説コンテンツ上で公開した小説に「すごい面白かったです。漫画化していいですか?」と書き込みしてきたのがその相手でした。
ほかにも面白かった、というコメントはあったのですが、実際に絵がうまい人に、漫画化までしてもらえる、というので、私は舞い上がりました。
彼は、自分の境遇とその主人公が似ていると言っていて、かなりのスピードで、実際に漫画を描いてくれました(でも、完璧主義らしくて気に入らないところがあったとか言って消されて結局見てませんが。。。)
なので、私も資料探しなんかに協力していたのですが、そのうちにいろいろ話がもりあがり、ほぼ毎日メールをするようになりました。
ところがあるとき、突然彼が登録していたSNSのアバターを女性のようなものに変えたので、その意図を問うたら、謎を解いたうえで自分に会いに来い、と言ってきたのですが、いろいろ問い詰めているうちに結局性同一障害で、体は女なのだ、と告白してきました。
そして今まで話をしていた内容のほとんども嘘だ、と。
それでも私は仲良くなった相手だし、その時はまだ常識のある人物のように感じられたので、いろいろと嘘をつかれていたことを全部水に流して、そのあとも付き合いを続けていくことにしまた。
けれどおかしくなってきたのはそのあとです。
ちょうど去年の今頃くらいからでしょうか。
彼の作っていたSNS上のサークルに参加したのですが、メールでやり取りしていた時とは違い、気に入らないことがあると雑談版に書き込み、その後とにかく攻撃的なメールを携帯にしてきて、ぼこぼこにされたのです。
そのあまりの内容に、私が泣きながら電話をして謝って仲直りをして、を繰り返していました。
はっきり言って今思えばその内容も、矛盾だらけだったし、「それ私悪くないじゃん」的な内容や、彼が勝手に事実を捻じ曲げて発言していたり、自分が言ったことを責任転嫁していた部分も多かったのですが、人格否定するような言葉の羅列に打ちのめされてしまって反論もできずにいたんです。
そのため、もう縁を切ろう、と毎回思いました。ですが、相手は自分を信じていろいろさらけ出してくれたのだし、それを突き放すのはいけない、と我慢して電話をしてつなぎをつけていました。
そうして、ほぼ月一で、ほとんど喧嘩、というより人格否定のオンパレードのメールが来きて、それに私が電話して謝って、の儀式が続いていたある日、突然『忙しいから』と彼がサークルを脱退しました。
その直前にサークルメンバーへのバッシングを書き連ねていた彼は、新たにサークルを立ち上げる宣言をしていましたが、それらのコメントも全部消したうえで突然の脱退……
管理人は直前に私に委譲されていましたが、実質上の管理者の脱退でサークルは混乱しました。
けれどつながってすぐぶち、と切られる始末。
メールも送ったら「アドレスが不明です」といったエラーメールが返ってきて、ほんの一昨日送った時には通じたメールがアドレス変更されて通じなくなっていたのです。
加え、SNSでは私はブラックリストに入れられて彼のプロフも見れない状態となり、完全に連絡が取れなくなってしまいました。
しかも彼は別のサークルを立ち上げ、そこで楽しく新しいメンバーと活動を始めただけでなく、ブラリしてない旧サークルの一部のメンバーだけそこに誘ったり、していて、私もブラリされたほかの子も「ああ、切り捨てられたんだな、と実感していました」
そんな扱いをされてはもうしかたない、と、私を含めたサークルメンバーは、見切りをつけて自分たちで新しいサークルを立ち上げよう、と動き始めたのです――が、その矢先です。
大体1か月くらいたったころですかね。
それも、恐ろしく普通の感じで。
「ちょっと忙しかったから全部シャットアウトしてたんだ、うん。携帯壊れたからここに連絡くれ」
と番号付のメールが来ました。
ガチャ切り、アドレス変更、理由のわからぬブラックリスト入り、突然のサークル脱退。
それで、かなり頭に来ていた私は、完全に無視していたのですが、そうしたら私の小説を上げていたHPブログ、ヤフブロ、どころかアメーバピグのメッセージも送ってきたうえ、私のピグライフの庭にまで出没し、私の名前のわかるところすべてにコメントをしてきました。
バッシングもあれば、すがるようなコメントもあり、日と時間でコロコロと内容の変わるメッセージやコメントがずらずらとならんだのです。
私はペンネームをそのままハンドルネームにしていたので、簡単に追跡できる状態だったとはいえ、ほとんどストーカー状態で付きまとわれ、しかも彼自身の開設したブログで「あいつの書いている小説は俺の盗作だ」とか「サークルの世界観も似たようなの知ってるしな。パクリと言われないといいけど」といったバッシングには、精神的に参ってきてしまいました。
そこで、サークルで関係したメンバー全員で文面を考え、彼がよくメンバーにやっていたように「返信不要」とつけた一方的なメールを送り、絶縁状を叩きつけたのですが、そうしたら今度はトーンの変わったメールが全員に送られてきたのです。
「このたびは迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。一言電話で直接お詫びをさせてください。それができなければ自分は存在する価値がないため、今日中に自殺します」
いや、こけおどしと分かっていたんです。仲間には放っておけ、という人もいました。
でも、自分のせいで死なれるなんていやだ、と思い仕方なく電話しました。
ですが、そこでまた、さらに恐ろしいことを言われたんです。
「いや、実は一回会った時(一回リアで会ってたんです)からマジで好きで、どうしてもつなぎ取りたくて、でもやり方がわからなかったからあんなやり方したんだ」
――正直、馬鹿じゃないの、と思いましたよ。
たとえどんな理由だとしても、一生懸命書いた小説を盗作扱いされ、世界観を馬鹿にされ、それで好きと言われて「本当に???」と喜ぶ女がどこにいよう。
その時はとりあえず、すでにリスカしたとかいう相手を刺激しないように、と温和な感じで話をしましたが、もう話をする気ないことは伝えていました。
でも、私の中にはぐるぐると「盗作」「パクリ」という言葉が渦巻いていました。
何時間もかけ、創意工夫を凝らして書いたものをそういわれるのがショックで、それに正直、相手のことはもうどうでもいいと思っていたし『ネット絶ちする』と言っていた言葉を試す意味で、ブログにこの落ち込みを書いていました。
「お前、ブログに書くな言うたやろ。それに、今思えば俺だけが悪いわけじゃないし、手打ちするなら今まで、俺が更けてるとか、描いてる絵は老け顔が多いとか言ってきた件についてそっちが謝ってこい」
とのこと。
古い喧嘩の内容を蒸し返して…というなら、まあブログに書いた私も私なので納得がいく。
でも、自分が老け顔だ、とか絵が老け顔が多い、と最初に言ったのは自分なのに、それをその場のノリでいじっただけの私が悪いことになっていて、それを謝ってこいという。(逆に何かで私がいじられたことも多々あった)
しかも、前の件って一方的に縁を切ってたのは自分なのに、古い昔の件があるから私が悪いっておかしいでしょ。
あと、
「謝ったら許してやっていい」
あの時は私が「許してやる」はずの立場なのに、なぜ下から私が「許してもら」いに行かねばならないのか。
「俺は精神的に普通じゃないんだから、変な行動をするかもしれないって言ってあっただろ」
それらがあまりにばかばかしかったし、周りみんなから無視するようにアドバイスされていたので、数分おきに入っていた着歴もブログコメントも全部無視していたら、
「もうお互いのことは忘れよう」
とか
みたいな内容のメールが来て、それを最後に連絡は途絶えました。
ようやく連絡が途切れてほっとしているものの、おかげで2作ほど盗作扱いされた小説はあげられなくなりましたし、もやもやしたものが私の中に残りました。
そうしてしばらくもやもやしていたのですが、ふとした拍子に「ボーダー」という存在を知り、ああ、全くあてはまるな、と思ったのです。
来歴の嘘をつき、相手の同情を誘う。
きつい言葉を叩きつけ、激怒するくせに、少しするところりと機嫌が変わって普通に接してくる。
逆にきつい言葉を言われたり、無視されたりすると、自分の存在自体を否定するような言葉を言って消えようとする。
何かあると自殺をほのめかす。
自分が悪かったことを捻じ曲げ、相手のせいにする。
などなど。
でも、今境界性人格障害について知ったのちは縁をきれて本当に良かったな、と思っています。
なんていう考えの人間のそばにいられはしないし、そんな人が支配するサークルではやっていけませんからね。
彼曰く、私は悲劇のヒロインらしいですが、別に同情なんてほしいと思ってません。
ただ腹が立つので吐き出す場がほしいだけです(笑)
そして私の場合、吐き出すのに一番いい方法が文章を書く、というだけです。
これ見つかってまたメール面倒ですが、その時はその時です。
連日ごくごく限られた範囲でもめている「ゲーセン少女」問題です。
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4077578.html
私はこの「ゲーセン少女」をみて、はじめて「まおゆう」にたいして憤っていた人が何に腹を立てていたのかと実感した。
フィクションだからではない、実話をフィクションだといったからじゃない、そこに「タチの悪いウソ」を感じた人がいたという話なのだ。
ただ、私は彼らの指摘を呼んだ上で、まおゆうは素晴らしいと思ってる。
彼らの指摘は間違いではないが、些細なこと、後で考えればいいや、という程度に受け止めた。その問題は私にとっては作品の是非を損なうほど重要度が高くなかった。
私にとって重要な部分については許容範囲内、しきい値内に入ってたということだ。
ところが、「ゲーセン少女」に対しては、私はただのウソじゃなくて、「タチの悪い嘘」を感じたわけだ。
ところが、まおゆうにおいては私がそうだったように、「感動したんだからいいじゃん」とその部分を許容出来る人もいるのだ。
このあたり、人によって、作品によって立場が変わる、完全に相対的な話なのだ。だから、肯定する側も否定する側もお互い好きにすればいい。
その前提に経つと、こういう記事は非常に遺憾である。ああもちろん島国大和の記事はこれに輪をかけて不快だけど、不快すぎるので引用しない。
http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20120122#p1
こういうのをハックル的行為と呼ぼう。読みの独占を主張したり、優劣をつけようとする行為のことだ。自分のブログで自著のアフィリエイトまですると芸として昇華されます。
自己の読みを、主張を正当化しようとするあまり、絶対化しようとするあまり、他者に攻撃的になる、他者をバカにしたり憐れむようになる。
僕は最近、「よくできたフィクションを消化し、必要な栄養分だけを自分に取り込む力」が、どんどん失われてきているのではないか、と感じているのです。
fujiponさんは、ハックルさん公認のハックルさん嫌いである。
そのfujiponさんが、よりにもよって自分が散々批判していたハックル的行為をするというところに、読みというものの相対性が伺える。
他人が自分の気に入らないよみをしている。しょうがないじゃないか。相対的なものなんだから。
自分の読みのほうが良いと思うなら、自分の読みを相手に提示してどや、でいいんです。
空中戦はやめよう。直接のよみじゃなくて、こういう「・・・はいかがなものか」ってメタな領域で戦うのはNOTHANKYOU。
そういうのは文学部の人間が文学部の中だけでやってればいいんです。それを極めると内田樹のような人間になるということを覚悟した上でね。
あかん、この話については語ると必ず争いに入り込む仕組みになってる。ブラックホールだ。話切り上げよう
よーするに何がいいたかというと、自分はこういうふうに読みました、だけ書いてりゃいいんです。
結局そのナマの部分の蓄積がモノを言う。最初からメタメタするのはつまらんからやめてくれ、と。
読みに対する批判合戦はやめて、作品と向きあえ、と。
最後にこれ聞いて終わり。「ゲーセン少女」は、その周りの感想記事に向きあうより魅力的な作品だったか?
作品周りの方が面白いのだと思ったら、まぁそういうことだ。
ビジネス書を呼んだり、一般メディア向けの経営者の話を聞くときに大事なのは、
彼らがその言葉によって、本当は何を言っているのかをつかむ。
言葉ではなくて、彼らの人格そのものを掴みに行く。これが大事だ。
自分たちの言語感覚で文章を読むと、実質と全く違う理解をしてしまうので注意。
おあつらえ向きの例がホッテントリしたので紹介する。
以下の3タイプの人材を、管理職としてふさわしい順に並べるとどうなるだろうか。
A 人格がよくて、実績のある人
B 人格が悪くて、実績のある人
C 人格がよくて、実績のない人
しかし実際はB>>>>>A(越えられない壁)C であるとする。
その答えがこちら(※)
http://president.jp/articles/-/5483
「がむしゃらに熱狂して寝食を忘れるほど働く」=人格者という定義にすれば、AとBが入れ替わる。
・見えない基準を設定してCとAを接近させる
実績より人格と言ってるが実績の「足切りライン」を相当高く設定する。
そうすれば実質的にはCでもAと同じということになる。
よく考えない読者はCのような人間は最初から想定されていないことを自覚したときにはもう手遅れ。
(足切りラインの話さえしなければ「ウソはついていない。本当のことは言わなかっただけだ」ということにできる)
他にも
・質問者の質問の意図をあえて誤解して、言葉面だけは相手の要望通りにする
などのテクニックを使えば、B>>>>>A(越えられない壁)Cな会社でも、A>C>Bと胸を張って応えることができる。
そして、実際そういうテクニックを駆使する企業経営者はたくさんいるので注意。
これらの暗号化された文章をDecryptせずに、圧縮されたままで読むと
実際に言ってることと全く逆の理解をしてしまうことになるだろう。
わぁ、なんてアットホームで人間性を大事にする職場なんだろうって理解してしまうかもしれない。
実際かなりの学生がテンプレ化された「アットホームな職場です」などは釣りだとわかっても、
ちょっと工夫しただけで簡単に騙される。
綺麗な言葉で粉飾してはいるが、現実は厳しいぞってちゃんと書いてる就活情報を
自分の都合の良い用に勘違いして「騙された」と喚く見苦しい学生たちは毎年の風物詩だ。
オレオレ詐欺がいつまでたっても減らないのは、ターゲットがじーちゃんばーちゃんだからという理由だけはない。
彼らが簡単に騙されるのは、言葉だけで相手を理解しようとするからだ。
ちゃんと相手の人を見極める訓練ができてないのだ。
こういう言語運用ゲームの経験がない人は、是非「悪魔の辞典」を購入して3回通読することをおすすめする。
(※)私はこの文章がB>>>>>A(越えられない壁)Cな会社の社長でも同じ事を言えるということが主張したいのであり
決してサイバーエージェントそのものがこういう会社であると指摘しているわけではありません。
そう、しいて言えば「サイバーエージェント的なるもの」の病理を指摘しているに過ぎません。
直接経営していない人が経営者をしったかぶって批判することは有意義であり、
サイバーエージェントのような会社を指示している民衆を批判しているのであって
私はサイバーエージェントに個人攻撃などしていない(キリッ
真面目な話昔はサイバーエージェントはブラック企業だったらしいけど、最近はすごく良くなったらしいです。これはホント。
嫁が怒り出した。
それは別に構わないんだけれど、無口なままワンテンポどころかテンテンポ、いや、将棋でいう長考の後にありとあらゆる過去のアレコレを引っ張ってきて、
「なんで怒ってるかわかる?」
と来るわけだ。
冷静になるためにワンテンポ、ツーテンポ、冷静に話すためだったらどれだけ待ってもいい。
ただ、「過去」のありとあらゆるものを思い出し、自分の今の怒りを正当化する材料を「過去」から遠心分離機で分離し抽出してきてだね、
「理由は2つあるんだけどさ、」
と来るわけだ。
冷静になるための間ではなく、自分の怒りを相手にぶつけるために腕をブンブン振り回してた間だったわけ。
遠心分離機じゃなくて、腕をブンブン回して加速してただけだったんだね。
1つにプラスして似たような事例とか、全く関係ない事例を持ってきて1.5にして、なおかつ強引に2つと見なすことで「今」の怒りを裏付ける手法。
でも、怒られてるこっちとしては、きっかけとなった1点の失策はわかるんだけれども、えっ?こんなに自責点稼いでますか?
防御率こんだけハネ上がっちゃいますか?監督、僕もう交代ですか?っていうのかな?
小難しい言葉でアレしちゃうと「法の不遡及」ならぬ「怒りの不遡及」ってやつ?
お前、今まで何にも言わずに黙ってたのに、なんで今頃になって付け足して怒ってるんだよ!!っていう。
じゃあ、なんでその時に言ってくれなかったんだよ、と。
もうね、こうなると話にならない。
「今」の1失点はわかる。済まないと思う。でも、付け足された「過去」の失点へのテンションの違いが素直に謝る気持ちをなくさせるのだ。
冷静に過去あんなことあったな、と時間を置いて思い出して付加している嫁ならいざしらず、細かい部分まで自分も相手もどうだったかなんて覚えてるわけないし、
『だから、こう思ったのよ!!』とか言われても、(…いや、そこも反省したい気持ちはあるけれど、覚えてないし、そもそも温度差ありすぎて飲み込めるか!)ってわけですよ。
閑話休題的に………ネット観てても「論破!」とかよく見るわけですよ。
まとめサイトばっかり見てる嫁はアレか?叩き伏せたいわけか?僕を?
でも、1点の失策はわかるけれど、他の点数に関してはノーカウントだべ。怒りに任せて付け足してるだけだもん。ですよ。
オマケに、
「私は言いたいこと言ってすっきりしたけど、アンタの「俺悪くないし」みたいな態度が気に食わない」
とか言い出すわけ。
「俺悪くないし」っていう態度が現れてるのは、「過去」をほじくりかえして「今」の怒りに付け足して補強したせいだってなんで気づかないのか、と。
素直に反省できる点、改良できる点を「オーバーキルだよな。余計だよな、明らかに。」と思わせて納得行かないように仕向けてるのはどっちなんだ?と。
サブローを再び呼び戻すのは補強ではないと何度言ったらわかるのか、と。
男でもこういう輩はいるかもしれないが、過去のアレコレを引っ張ってくるのはたいがい女なんだよな、これだから女は…ブツブツってな感情も、許しておくれよ、みんな。
まずタイトルについて。
まずこれは議論じゃなくて政治の進め方として何だけれど
「1つしかルートを持ってない人が政治をやる」というのは危険過ぎる。
最善ではなくてもプランB,C,Dを考えるまではして欲しい。
橋下さんはまずそれを考える手間をちゃんとかけたのか、と問いただすと「文句があるなら代替案を出せ」という人がいる。
「より良い改善案」が提示できるって事は、とうぜん現場をきちんと把握してる必要があるだろう。
机上の空論などではなくね。
改善案が理想論なのは全然許せるが、「問題も対案も空論」では話にならない、「問題も対案もきちんと判っています」と言えなければダメだろう。
「現場を知らない」程度で封殺されるなんて、お粗末も良い所だ。
絶大な自信で「私は把握している」と返答できなきゃダメ
代替案は別に最善でなくても良い。今の案の問題点を検討するきっかけになるだけでも価値がある。
「ダイタイアンガー」という人の難点は、ろくに考えてない奴に限って行動が大事とか言い出すこと。
こういう人は、最初は威勢はいいのだが、一度行き詰まると急速に失速する。いろんなルートを考慮していないから。
そして、この時に自らの正当性を維持しようとして強権政治になる危険が高い。これは歴史的に何度も繰り返されてきた。
こういうのは非常に困るんですよ。
「もっと良い案を出せないのに何が教授だ」「代替案出せなかったんだから教授の負けだろ」と言いたい人の気持はわかる。
でもそうじゃないんだよね。少なくとも、そういう返答を真剣に求めているなら、
橋下さんはあのテレビ番組じゃなく別の場を要求すべきだった。いや、どうせわかっててやってるんだろうけど。
最初からその返答をまともに出せないような場を作っておいて、ちゃんとした返答ができないからオレの勝ちってのはインチキなんだよ。
だから結論部分だけパッというと「じゃあもっといい改善案出せよ」「ダイタイアンガー」になっちゃう。
ただ、教授側にも言い分はある。
まず相手がどこまで論理的な土台があるかを把握・合意した上でないと、どう意見を出していいのかわからない。
まどろっこしいと思うかもしれないけれど、アカデミズムってのはそういうやり方で成り立ってるんだ。
橋下徹さんみたいに、自分の意見を主張して受け取り方は相手に任せるってやり方じゃないんだよ。
それを橋下徹さんみたいに、話すそばから自分と関係ない土台で話をする。話をきくという態度が全くない、では
意見をだそうにも出しようがないんだよね。
池上彰さんみたいにわかりやすく話せる人もいるじゃないかと思うかもしれないけれど、
あの人は、自分の意見を言わないよね。彼は自分の主張を持たず、誰かがいった過去の話をわかりやすく整理するだけだからああやってスマートに話せる。
でも学者から意見を求めるなら、もっと時間をかけて聞かないと駄目だ。
ワイドショーの20分程度の枠で、しかも橋下徹さんが10分以上も喋って、と企画の時点で失敗している。
政治の世界、テレビの世界ってのはそういうやり方は通用しないぞっていう言い分はわからないでもないんだけれど、
じゃあ、彼は「アカデミズムのやり方には対応する能力も時間も無いので無視します。私以外のものに勉強させます」という態度を取るのが誠実だと思う。
今みたいに、相手が意見を述べる前提すら受け入れずに、言いたいことだけ言って、論破しましたってパフォーマンスはプロレスより悪質。
仮にも学者を呼びつけておいて、あの態度というのは、反知性主義の極みというしかないかな、と。(あーでもそれがますます指示に結びつくのかなー)
橋下徹さんが本当の意味で相手を論破したいなら、フジテレビBSのプライムニュースやUSTREAMの時間無制限方式でやるしかない。
とりあず爆笑問題の各教授に話を聞きに行く、みたいな番組のようにひと通り相手の思考プロセスを追った上で、そのプロセスに反論スべきだ。
自分の土俵で勝っても論破したとは言わない・・・のだけれどね。まぁ言ってもしょうがない。
とりあえず今回の放送でよくわかったのは、橋下徹さんは人の話を全く聞くつもりは全くなく、
反対派は力づくで、あるいは今回のようにイカサマをやってでも潰すという姿勢の持ち主だということ。非常に恐ろしい。
いや、まぁそれもささいなことだ。政治家ってのはもともと教養がない人種だからね。実学しか認めない人たちだからそこは期待しない。
それより私が心配しているのは、別に巷の学者の声なんかいちいち相手しなくてもいいけど、
とにかく最低でも一人は、ちゃんと理論を踏まえて、じっくり考えて意見を彼にアドバイス出来る人がいるのか、ということ。
「いかに相手の教授がヘボであるか」をいくら主張しても、橋下さん自身のアイデアが良くなるわけじゃない。
「学者の意見」や「代替案」を封じ込めて、代替案がないことをもって自分を正当化しても、橋下さんの考えが間違ってたら結局上手くいかないんだ。
上手くいかないものを、独裁という形で無理やりうまく行かせようとすると、最悪の結果しか生まない。
橋下さん自身が考えなくてもいい、むしろ彼は強く偏ったイデオロギーの持ち主だから自分の頭で全部考えようとしないほうがいい。
方向性を決めて、いいアイデアを求めて、それを判断すればいい。
ただ、今のところ、彼の実績を見ていると、
コスト削減に躍起になってるだけ、実学以外を軽視し、目立ちやすいところにはどんどん手をつけるが全体を見通す目がない、という印象を持つ。
これは橋下さんが自分で考えちゃってるってことなんじゃないかな、と。
別に彼がクソ教授だと思う人の相手はしなくていい。でも、嫌いな相手をあきらかにするのと同じくらい、彼が正しいと思っているものを
jacobs1971
2.青年期での問題の悪化
自殺に至る5年間に様々な苦難(親の離婚、失恋、逮捕歴、学業不振、親との確執)
問題はずっと昔から続いていて解決不能であり、死が唯一の道
生きたいが今の苦しみには耐えられないし、もう耐えたくない
「死にたいと言ってる奴は死なない」とよく言われるが、そうでもないのじゃないだろうか
「死にたい」という言葉に付帯して、正当化するような言葉や文章が書き連ねているのならば、むしろより重要なサインではないだろうか
男女ともに40歳を過ぎた頃から、なんとなく人生の到達点がぼんやりと見え始める。仕事を持つ人は、その立場や職責からそろそろ定年を見据える年齢となるだろう。頑張っても先は知れてる、頑張りすぎると体を壊す、そんな年齢。でもほどよく頑張らないと、人生がドンドン先細って行くのを肌に感じる年齢だと思う。
さらに女性は、機能的に子供を作れなくなる事で、産むか産まないかを決心する年齢であり、より人生の進むべき方向性や選択肢が狭くなる気がする。
働きながら子を作るか、家庭に入るか、作らないで生きるのか。そんな苦しい設問に頭を悩ますことが無くなる変わりに、選択肢自体がなくなり「子供を作らなかった自分」が、のさばってくるのだ。
アラフォーって、女性が「産めるのに産まない」選択をする境界年齢であろうと思う。もちろん子を既に持つ人にとっても、最後の子を宿そうかどうかと考える時期だと思う。
アラフォーになって、(産まない選択をしたが既に子供のいる方や産めなくて産まなかった人は別として、)理由はどうあれ「産めるのに一人も産まない選択」をした女性にとっては、この年齢以降は産めるのに産まな「かった」人生が、今後一生待ちうけている。
結婚する時「子供の無い人生を歩もう」と決心した2人なのに、女性が産めない体になってから「別に子が出来たから離婚」なんて、どんなに辛い一生が彼女を待っているか。
そんな男性を選んだ女性の自己責任なんて、口が避けても言うべきでない。それほど一生をかけた精神的な暴力を受け続けなくてはならないのだから。
少し脱線するが、子供が欲しくて不妊治療を頑張る女性の、その辛さは男性には分かるまい。夫に「も」不妊検査を切り出すだけで、また体外受精の精子提供を提案するだけで「そんなにまでして子供は要らない。」なんて男性はシレッと言ってのける生き物だから。
出来るかもしれない可能性にかけることすら簡単に拒否されて。それなのに、妻が出来ない年齢になってはじめて「オレは子供が欲しかった」「子の命には代えられない」などと、どの口が言うセリフで自分を正当化して自分の罪をごまかし、子供を宿せなくなった女性をいとも簡単に捨ててしまう。
そういう意味では、男性には子供を持つことに年齢のリスクは伴わない。
女性が子供を作らないこと。その決意と年齢の関係にはリスクが伴う。
「作れるのに作らない」女性に「子供を作れ作れ」と、周囲がおせっかいを言うのは、そのリスクを知っているからだと思う。
「作れるけれど作らない」人は、作れなくなってから作っておけば良かった、と後悔しないよう色々と、作れるときに準備や調査や保険をかけておいてほしいなぁと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20120106102638
物知り顔で「あの時代の空気は~」って説教垂れる老人は、自分の感じた空気感が正しいと
独断している事がタチが悪い。偏った体験とセンスを持つ1人でしかなくなんの根拠もないのに。
宇野氏が語ることを許されて、老人たちは語ることを許されないの?
宇野氏の妄想も偏った体験とセンスでしかなくて、全く根拠が無いわけじゃん。
閉じたコミュニティからの偏見剥き出しの批判に意味はないでしょう。
正しさは正しくあろうとした人物を、未来の人々が正しく判断するでしょう。
ポモコミュニティってホント閉鎖的で独善的だよね。自分のコミュニティを正当化するために必死過ぎ。
って言わせたいだけの釣りか。
2ch、ニコ動、ふたば、各種まとめサイトのコメント欄。ここで
「ハイハイ、ステマステマ 」 「ステマだな 」 と書き込んでいるのはですね
コレです。本人はステマとかどうでもいいと思ってるし、企業や広告サイトを糾弾する意図はありません。
自称善良な利用者がイライラしてる様子を感じるのが気持ちよくてしょうがないのです。彼らは
第一、ステマって既存のジャーゴンに当てはめると 「社員乙 」じゃないですか。今時社員乙とか言ってたら失笑モノですよ
ステマという呪文を吐く事で、オタクがマイナー傑作の話をしようとしたら横槍入れて冷めさせて、ヘイトを稼いで喜んでいるのです。嫌がらせ厨達は
そんなステマ=ジツにそれっぽい解説を考えてる人達はアホですよ。彼等は大多数をイラつかせて良識ある人達の円滑なコミュニケーションの足を引っ張る事でしか楽しめないのですから。
兄がリアルでもネットでもそんな感じです。本人は貧乏で語れる話題も熱中してる事柄もなく、ひたすらにコミュ障です。
ただ、いやがらせだけは楽しいようです。頭はいいのでマトモな議論をしようとせす、同じ事を何度も聞きます。わかっていて何度も質問して相手の精神を折り、真剣に話そうという気概を折りに来ます。
だから、ステマという単語を使う人は、そういう邪魔をする以外に楽しみが無い人だと思ってください。彼等は手を替え品を替え邪魔をしに来ます。彼等の弱点はお金を払わないと味わえない実物に関する知識が無い事です。ネットで拾える無料の情報が彼等の全てです。実際に体験しなければわからない、ディープな話題に彼等は太刀打ちできません。
皆さんも、ネットの嫌がらせ野郎達に負けないでください。彼等は他人と楽しめない自分と嫌がらせをする行為を正当化して日夜嫌がらせを続けます。説得は無理です。自分には他のやり方は無いと開き直っているからです。
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蛇足な追記
120ブクマもありがとうございます。すげく嬉しいです。ブクマのトラバもついったーのも全部読みました。
とりあえず、このエントリに対して「ステマ騒ぎが起きていると困る企業の連中の火消しだな」とか本気で考えてる人がいたらその様子を一回想像してください。
広報主任「課長!ステルスマーケティングがバレました!このままでは我々の宣伝のやり方がみんなに知られて仕事がやりづらくなってしまいます!」
課長「よし、では主任くん。業務時間を使って色んな匿名サイトにステマという煽りを使う人達に対するカウンターを仕掛けるんだ!」
主任「わかりました!」
・・・みたいな会社があるとでも思ってるんでしょうか。すげえな
とりあえずステマという短文煽りに戻るのですが、言葉と言うか単語には様々なパラメータが存在していると思います。
例えば、「ステマ」という単語には「訳知り顔」「見下だす位置」「噛み付く姿勢」が見られます。
で、それが的外れなベクトルを向いている時や自分達が噛み付かれていると感じた時、イラッとする人が出ます。
ステマという単語を吐く人は、そうやってイラっとした感情を匿名の場で吐き出されて空気が悪くなる事や、今まで普通にやりとりを楽しんでいた人が自分が現れた事で話題を継続する情熱が冷めていくのを楽しみにしています。
おそらく、ステマという言葉が死語化するか次のイライラワードが産まれるまではこれが続くでしょう。ゴウランガ!
前述の通りステマという言葉を吐く人は話題が完全に盛り上がりきった後では無力です。ディープな話題、実際にお金を払って楽しんだ人同士の和気藹々とした暖まった空気に入り込む事はできません。
だから、そうやって場の空気が暖まる前に、暖まらないように冷ますのです。
まだ世に出ていないものなら冷ますのは簡単だし、あまり売れていないものを有志がオススメしているような流れはステマ連呼君にとっては格好の暴れ場所でしょう。
決して、彼らのステマ発言に耳を貸してはいけません。何故なら、彼らは長文の中にステマという言葉を挟んで具体的に何かを主張したりはしません。
ただ「ステマ乙」という4文字をポストして、その後はひたすら場の空気が盛り上がらないように混ぜっ返します。同じ質問を繰り返し、話が先に進まないようにします。
「足を引っ張る事だけは一流な人」というのが、彼ら短い言葉で煽る人達です。自身に何も主張したい事やのめり込める物が無いのです。
ムキになって否定しても、帰ってくる言葉は「何か言ってるw」です。
ただ、そういう人達も「企業の広報担当がインターネットでステマをしてるんだ!社員の書き込みなんかに騙されないぞ!」と本気で主張している人よりはマシだと思います。
自分でも矛盾しているとは思うのですが、常に「釣りだろ?」「釣り乙」「騙されないぞ!」という姿勢でネットを見るより、とりあえず書き込まれている事は全部真実なんだろうなーって思いながらネットやった方が楽しいと、俺は思います。
皆様も良いインターネッツを。Wasshoi!
ポップカルチャー評論家宇野常寛「ARBはいかにもな90年代Jロック(キリ」オレ「ARBは80年代なんだが」宇野「ぐぬぬ」http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/237067
この人達勘違いしてるよ。宇野氏はポストモダニスト。歴史実証主義への深刻な懐疑が
思想形成の根底にある。
何故彼がこんな挑発的な主張をしたかといったら、歴史実証主義が現代ではもう「無力」だからだよね。
ポストモダン・フェミニストの上野千鶴子は、従軍慰安婦・南京大虐殺論争に加わった時、
なんとウヨク修正主義者を実証的に批判する吉見義明らを批判した。
上野曰く「南京大虐殺はなかった」と主張するウヨクも、あったとするサヨクも、実証主義を使って
そんな土俵でウヨク批判に実証主義者は無力すぎる。それを第三者が見たら、
「ウヨクもサヨクも同様に確からしくない」という印象を持つでしょう。
重要なのは、過去を生きた人の身になって想像しようとする気持ちと、物言わぬ「痕跡」の声に
戦後生まれのアジア人が、日本軍に殺害された被害者の声を想像して代理できるように、
宇野氏も70~90年代当時を生きた日本人として「ARB」を受容し、語ることができる。
ARBを聴いて「いかにもな90年代Jロック」「いかにもな「虚構の時代(by大澤真幸)」のロック」と感じた
彼の感想は、1個の体験的事実であって、この印象を他人が抹消することはできない。
物知り顔で「あの時代の空気は~」って説教垂れる老人は、自分の感じた空気感が正しいと
独断している事がタチが悪い。偏った体験とセンスを持つ1人でしかなくなんの根拠もないのに。
個別の事実よりも、全体として過去がどのような感じであったかを再構築する想像力が重要でしょう。
相対主義の世界で、ロックやアニメといった個々のコミュニティを正当化せずに、
色んなコミュニティを見て周り、その上でニュートラルであろうとする誠実な意思が必要でしょう。
閉じたコミュニティからの偏見剥き出しの批判に意味はないでしょう。
正しさは正しくあろうとした人物を、未来の人々が正しく判断するでしょう。
NTRもので違和感あるのは寝取る側がDQN系って設定が多いんだよね。つまり想定読者より階層の低い人間ってわけだ。じゃあ実際寝とってるのはどんな人間なのっていうと、想定読者よりステータスのいい白馬の王子様系なんだわ。つまり略奪が正当化されているのよ。学歴や収入、血縁のいい人間のほうにくっついたほうがマシってのは、考えてみれば当然でしょ?
つまりは創作モノのNTRってのは虚構なのよ。多くの女性はより優れた男性に寝取られたいという願望が必ずある。それを否定することはできない。それを否定することは人間の本能を否定するに同じ。無謀。恋愛以外にも言えることだけど、何かを変えるときに抵抗する勢力ってのは現状維持に旨味がある人なんだよね。つまりは既得権益側。主人公もその勢力。
NTRものが胸を抉るような気分になるのは、相対的に性的弱者であるけれど、必ずしも社会的弱者とはいえない読者が、読み手に比して社会的に弱いけど、性的には強者である人間に汚されるのが辛いんだよね。でも勘違いしてはいけないんだけど、先にも書いたようにより社会的強者が弱者のパートナーを寝取るのは何も問題ないこと。今はまだ格差がはっきりとはしていない日本だけど、これがよりはっきりとすればここで書いた傾向はより明らかになると思う。
建前としては誰しも当たり障りのない答えをする。「浮気するなんて最低」「お金よりも愛が大事」「見た目はあまり気にしてないよ」でもそれは、あくまで建前。心のどこかで、こんなめんどくさい綺麗事を吐かなくて済む外の世界へ連れてってくれる白馬の王子様がいると思ってる。それが女。
男でそういうの理解できないなら、仕事に置き換えてみればいいんじゃないかな。ギスギスした環境、給料も安い、でも転職すればいいとこにいけるはず。そして実際損せず転職できるならするでしょ?気持ちいいとこで働きたいもんね。
まあ、要はNTRで悲しんでる暇があれば社会的強者になって早く寝とれよって話。女はそれを望むし、相手の男も虐げられて一石二鳥。
父親の年齢にかかわる傾向データがあまりないことが、恐らく父親の年齢と出生異常との相関性が長い間見過ごされてきた理由だろう。
それと、当然ながら「誰も自分が年を取っているなんて認めたくはないだろう」とフィッシュ氏は話す。
「特に男性はそうだ。男性はかつて王座に就いてきたため、『われわれは年を取らない。女性と違ってたとえ90代になっても父親になれる』と考えてきた。男性は年齢を否定しながら生きている」
http://jp.wsj.com/Life-Style/node_254698
女性に対して羊水腐るぞ子宮腐るぞ卵子腐るぞと脅しまくりながら、精子が腐っている可能性から目をそらしてきた40歳以上の男性が憎くてしょうがない。
女性の高齢出産の危険性についてのデータは頻繁に持ち出しながら、女性の若年出産の危険性や、高齢な父親の危険性についてのデータは探しもせず無視する。
あー男のオタクって
・バカじゃない女で
・男側がある程度自由にコントロールできて
みたいなやつ好きだよねー。
みたいなことを言われた。
お前めちゃくちゃ詳しいじゃないか。
そして否定できないどころか全くもってそのとおりですがなにか問題でも?
いや、別にあのキャラだけが好きなわけじゃないけど、あのキャラが好きにならない男っておっぱい星人くらいだろう?
返信してみた。返信してほしいのにされてねーぞ!って人がいたら指摘よろ。
それだ。ジト目のミンゴスが、ハイハイクリスは可愛いでチュねーって口調で言って、それに宮野が突っ込んで、ミンゴス赤面&プチ嫉妬。みたいな。
牧瀬紅莉栖と桐生萌郁がものすごい不細工で小太りとか病的に窶れてるとかだと俺の中での丁度良い塩梅のSTEINS;GATE
laisoさん、laisoさんじゃないか!観測範囲がずれてたのか、はてブで見かけるの久しぶりだ。遅れながらお気に入り登録しました。
牧瀬紅莉栖については同感。個人的にはバタ子さんのイメージ。 しかし桐生は今の状態でメガネ外した状態がベスト。
牧瀬紅莉栖への執着または愛が足りない。足りなすぎる。
では 「僕が一番牧瀬紅莉栖の可愛さを判っているんだ」 会議を始めよう (西尾維新風 by FTTH
引きこもっていた頃こういう会話を脳内でしていた。
私は今でもやってますが何か。
そういう人は、多分スターオーシャン3rdをやっても都合がいいとかいうんだろうな。釜井たちの夜でもやっておけばいいと思うよ。
もっと欲望を強く持とうぜ。
説明会におけるツンツンを通り越して変質者扱いでオカリンを見つめる牧瀬紅莉栖こそ至高。黒ストで踏んでほしい。
あんな2チャンコロとなんて口もききたくないですね個人的には
オタならキャラに不満があったら自分の脳内で改造した牧瀬紅莉栖Ver2を発表すべき。
キャラに嫌悪を示すところで止まりとかオタの風上にも置けないやつだ。俺の脳内でツンデレ女子にしてやる
まゆりさんと話してると苛々してRT連打しちゃう
???ごめん玉拾えない。
牧瀬紅莉栖の魅力はこういう常識レベルに留まらないよね。その点を論じ合わないか。
それでも地球は回っている。まぁ地球の回転数に比べれば何周堂々巡りしようと大したことではない。
ある程度コントロールってところは意味不明としか言いようがない。自分に都合が悪い部分が多いなら恋愛すら成立しないと思うが。
クリスティーナ(天才科学者だけどねらー)きりりん氏(読モだけどエロゲーマー)肉(理事長の娘だけど幼女趣味)AKB48(アイドルだけど芸人)
「アイドルだけど芸人」吹いたww俺の中ではすでに同じ意味なんだが。わっほい。
まゆしぃはどうなんだろう
僕は鈴羽ちゃん
大事なのは彼はおっぱい星人ではないしスパッツ星人でもないということなのだ。
わかってねえな!その程度で語り尽くせると思うな!・・・すみません調子乗りました。
現実「牧瀬紅莉栖の文句はおれに言え」 やだ現実さん格好良すぎて濡れるっ!
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20120104/p1
似たキャラクターも、似たシチュエーションも、似たストーリーも、ないことはない。
けれども牧瀬紅莉栖という登場人物は、『Steins;Gate』のなかにしかやっぱり存在しないのだ。彼女の物語も然り
あえていえば、キャラありきじゃなくて物語ありきの作品でキャラだけ抜き出して語るみたいな流れはどこから出てきたのか教えて欲しい。
こういう女の人がいるから二次元がより輝くんだから、女を叩く暇があったら感謝の一万回マウスクリックを実行すべき。オートモードは認めない。
なんとなくその原因もわかる気がして、それは綱渡りの競争で勝者にならなければならない義務感が全面化していることなのではないかということだ。
職場はもちろん、親、兄弟姉妹、配偶者、恋人、友人、あらゆる人間関係で安心できる場所が少ない。
もちろん、子供でもない限り「無条件に自分自身を受け入れてくれる場所」なんていうものが誰にでも用意されているわけではないのは当り前だけど、
今の日本の社会って「失敗できない」という感覚が強過ぎやしないだろうか?
「あいつは使えない。使えないやつとはつるまない方がいい。いつ自分の評判に響くかわからない」。
実際、中学生あたりの年頃に、いじめる側にまわるかいじめられる側になるのか戦々恐々とする構造とあまり変わらない。
裏で働いているのは利害関係の論理で、この利害の理屈があらゆるところに顔を出している。
でも、個人的な関係まで悪化するかはともかくとして、ビジネスの場ではある程度それは仕方の無いのことだ。
しかし、恋愛関係が損得勘定なのは珍しくないとしても、親兄弟や利害が無いはずの友人関係までもが損得で勘定されかねない今の状況はどうなんだろうか。
いけてるやつとつき合いのあるいけてる自分、いけてないやつとつき合っているいけてない自分。
そして、自分は自分の友人や親兄弟や恋人から見て、いけてるのかいけてないのか?
あるいは実際はそういうわけでもないのかもしれない。
親兄弟・友人同士の関係における損得勘定感覚、利害の論理はもしかするとそれほど前面化しているわけではないのかもしれない。
だけど、ここで重要なのは「そう感じられる」ということだ。不信の種にはそれだけで十分だ。
社会生活を送るにあたって「失敗できない」という緊張を延々と強いられたらどうなるだろう?
誰に対しても「へまをすれば自分は徹底的に見捨てられる。だから決してミスをしてはいけない。この綱を踏み外してはいけない」
という強迫観念を持って日々を生きなければならないとしたらどうなるだろう?
そして、失敗してしまった人間が「自分はへまをしてしまった。綱から落ちてしまった。だから自分は見捨てられても仕方ない存在だ」
と感じているとしたらしたらどうだろうか?
恐れる人間は当然のようにその恐れの原因である自分の物差しを、そのまま他人を評価する物差しとして使う。
この場合「へまをしないようにそこに精力を傾けて努力している私は、へまをした人間を切り捨ててもいいのだ」という感覚だ。
こうして実感された全方向における関係性の「綱渡り感」は社会的現実になり、再生産され、綱から落ちた者への容赦ない冷笑・蔑視・罵倒は正当化される。
とにかく明るく元気で前向きにいることが義務づけられているこの空気の中、
少しでも気鬱な表情を見せれば途端に敗者の匂いが漂い、それだけであらゆる場面で敬遠の対象になってしまう。
今までの日本社会ならば、失敗したとしても、明るく元気で前向きにいることが可能だった。
社会全体が経済的な繁栄を享受する中で一度二度つまづいたとしても、もう一度立ち上がってライフコースを再構築するくらい日本社会の路は太く安定していたからだ。
「なあになんとかなるさ。死ぬわけじゃあるまい。人が人でなくなるわけがあるまい」が現実だったのだ。
だけど、今や日本社会の路は一本の綱になってしまった。誰かがどこかで失敗することは避けられない。
そんな社会で私たちは「一度躓いたら徹底的に孤立する」という「綱渡り感」から逃げられない。
「みんながやっている綱渡りなんだ。敗者が孤立するのは当然だ」という声があらゆるところから聞こえる。
でも果たして本当にそうなんだろうか?本当に失敗した人間は孤立しなければならないんだろうか?
目の前の路は、落ちたらまっさかさまに孤立へと落ちる、一本の綱なんだろうか?
実は、目の前の路を「綱渡り」にしているのは僕たち自身なのではないだろうか?
僕の弟は今大学4年生で、本命ではないけれども、某企業から内定を頂いている。だけど本人はひどく落ち込んでいるようだ。
大企業へ就職する者が多いという周りの友人に比べた時、弟は、既に失敗している、綱から落ちてしまった、という思いがするのだそうだ。
驚いたことに、留年してもう一度本命の企業(某広告代理店)に挑戦したいと言い出す始末。正気の沙汰とは思えない。
挙句の果てに、弟は僕に対しても卑屈な態度をとるようになってしまった。
僕の会社は弟の内定先よりもはるかに知名度の低い会社だというのに、だ。そんな弟を見るのは軽くショックだった。
だけど、自分の周りを見てみても、もしかしたらそういう感覚は、この日本社会ではもう当り前なのかもしれないと思うようになった。
共に氷河期の就職戦線を生き残った大学時代の友人が、弟とまったく同じ卑屈な態度をしていたからだ。
失業をきっかけに鬱になってしまった彼の元を彼の妻は去っていった。幸か不幸か彼らには子供はいなかった。
そして友人は変わった。ひどく自分を卑下し、まるで「まともな人達」と同じ場所で生きていること自体が申し訳ないことかのように振る舞うようになった。
彼の失業や離婚に心を痛める人間は世界で彼ひとりしかおらず、他の誰一人として彼の心痛を共有できるものはいないかのような物言いをするようになってしまった。
氷河期世代の割に比較的のんきに生きてきた僕は、今とても恐ろしくなっている。
今まで考えたこともなかったけれども、もし僕が会社から解雇を告げられたら、あの卑屈な表情を僕に向けてきた弟や友人は僕を嘲るだろうか。
僕の恋人は負け犬を見る様な目で僕を見て、そして僕から離れていくだろうか。何より僕はそんな態度をとり始めた周りの人間を恨まずにいられるだろうか。
人生の苦しい状況で、支え合うことよりも、蜘蛛の糸を奪い合った亡者達と同じように蹴落とし合うことを選び、
ひたすら損得と利害だけで行動するような餓鬼の如きなにかに成り果ててしまうのだろうか。
綱の下に広がる網は、綱の上を歩いている時にははっきりと見えるけれど、一度綱から足を踏み外した瞬間に消えてしまうのかもしれない。
なんという恐ろしさ。徹底的に孤立するから綱から足を踏み外せない、でも誰かは足を踏み外さなければならない。
ならば蹴落とす、自分が落ちない為に。落ちたやつには目もくれない。
こんな緊張があらゆる人間関係で全面化してしまったら、そりゃ狂うわ。
綱をうまく渡れている時でも生きている心地がしないもの。
「もし、お前の一番の希望が通らなかったとしても、その時は僕がどこかにコネをつけてやるから。そのくらいはなんとかなるから。だから後悔の無い様に思いっきって挑戦してください」と。
そして、友人にはこうメールする。「元気?お前が暇なうちに久しぶりにまたオールナイトでも見に行こうぜ」。
彼女にもメールを送る。「お仕事おつかれさん。今度、温泉でも行っておいしいごはんでも食べて一日中ぼーっとしてゆっくりしよう」。
多分、会社の同僚にも送るだろう。今はもうあんまり顔を合わせなくなった大学時代の友人や高校時代の友人にも。父と母にも送ろう。
少なくとも、僕にできる部分だけでも常に網を張っておこうと思う。
きっと今は、そういうひとりを思いつめさせないように気遣う努力がひとりひとりにとって必要な時代なんだと思う。
そうじゃなきゃ、みんな悲惨な気分を内に秘めて、そして隠しきれずに卑屈な顔をしながら生きていかなければならなくなってしまう。
いいことがあれば共に喜び、わるいことがあったら共に悲しみ、そしてまた再スタートを切ることをお互いに後押しし合わなければダメなんだと思う。
これだけ厳しい時代なんだから、経済的な意味でも、人間的な意味でも、そのくらいのことができなければ、僕たちは人間でなくなってしまう。
ぼくはもちろん毎年この時期は予定入ってないのだが、
なにをして過ごしているかというと
主に「このマンガがすごい!」を批判している。
聖おにいさんはオサレというのよりサブカル臭。それも悪いタイプの。
http://anond.hatelabo.jp/20081210172325
とても根が深いサブカルミーハー問題。『このマンガがすごい2010』を読んで。
http://anond.hatelabo.jp/20091216230059
まぁ、最近は興味を失ってきていたんだけど、
今年の「このマンガがすごい!」をたまたまコンビニで見たら、
ちょっと本気で我慢ならない惨状になってきたので書いてみる。
でもさ、これを一番に持ち上げちゃっていいのかな?
そんなのってもう、ある程度面白さが保証された予定調和でしかないじゃないか。
この漫画を推す背景って、
「手塚治虫を褒めることでセンスいいと思われたい」
っていう下心しか見えてこないよ。
こういうやつらって
「ホメればセンスいいと思われる記号」を
収集して消費していくだけだからね。
だから、ぼくは見た目がオシャレなやつを警戒するんだよ。
自分の見栄えをよくするためだけに利用するやつなんじゃないか?
ってセンサーがびんびんと反応してくる。
こういう手合いに騙されちゃいけない。
これも上位に入ってくるだろうね。
『デトロイト・メタル・シティ』も、
『聖☆おにいさん』も、
『テルマエ・ロマエ』も、
ぜんぶこの賞で潰されたようなものだ。
どの作品も2、3巻で終わらせてあげれば傑作になったのに。
(本当は1巻で終わるべきだけど、そこは譲ってやる)
センスいいと思われたいだけのマンガ読みたちが、
過剰に持ち上げるからグズグズと引き伸ばされて
完成度はみるみる落ちて行って
一応聞いてみるけど、
当時『デトロイト・メタル・シティ』を褒めていたやつで、
いま大切な人、たとえば好きな人にさ、
全巻プレゼントするぐらいの、それぐらいのこと、するの?
本当にその漫画が好きならできるはずだけど。
今さら『デトロイト・メタル・シティ』なんて恥ずかしい、
なんて思っちゃうんだろ、どうせ?
こういう奴らがたくさんいるから
アートは痩せ細っていっちゃうんだよ。
なんにも作り出せない、作ろうともしないくせに、
センスだけはよく見られたいっていう厚かましい欲求。
恥をしれよ、ずうずうしいっての。
まぁ、毎年こういうこと書いているけど、
マンガ読みたちにはどうせ届かないんだろうな。
届いたとしても鼻で笑って
こんなこと書いたって何にも変わらないんだろうな。
でも、やるんだよ。
嫁の家事に対しての対価はそれだけでOK、ってこと?
私も家事はしてる、という事は書いたつもりなんだけどね。
それに足りているとは思わないよ。もっと一緒にいたいし、一緒にいろいろな事をしたいと思うよ。
ただ普通の家事、例えば一緒に洗濯物を畳んだり、私が食器を洗って嫁が食器を拭く、その間に嫁が今日、起きたことを話しているのを私が聞く、
そんな時間を増やしたいと思っているよ。
(もちろん「私が食器も拭きますよ、君はソファーで休んでくださいな」って言っているのにも関わらず、嫁は手伝ってくれている。
まぁ、嫁は単純に話がしたいだけなのかもしれないが)
日本のフェミニズムのまずいところは、一部のまずい男性像を一般化して、自分を正当化するところだと思う。
悪い男性もいるし、良い男性もいる。同様に悪い女性もいるし、良い女性もいる。当たり前だけどね。
日本のフェミニストは、そういった(良い悪い男女がいる、という)全体像を捨てて、一部の悪い男性像を拡大し一般化する傾向がある。