「親鸞」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 親鸞とは

2024-03-08

anond:20240308115827

逮捕ときは、ワザとのほうが悪いことになってるんだぞ。

 

親鸞倫理観近代法レベルまでついてこれてなかったというわけ。

anond:20240308111319

それはどうかと思うわ親鸞

ワザとのほうがだめだろ親鸞

親鸞インテリから、なんだかんだ人の本当の悪意のキツさわからんのではないか

anond:20240308105502

知っていてやらない方がまだマシで、知らない方がより罪深いと考えるのが親鸞

2023-10-29

anond:20231029094304

日本親鸞のおかげで僧侶でも堂々と女性使用できるから男児を代わりにする必要がないんだな

キリスト教とかインドとかホモが多いのは女とヤれないか

2023-01-19

anond:20230119070914

お前は法然親鸞妄想した都合のいい死後の世界を信じてるだけだぞ

異世界生物のなろう小説読んで現実逃避してる奴と変わらん

2022-09-07

信教の自由」はそろそろアップデートすべき

人が内心で何を信仰するかについてはそりゃ自由であるべきだろうし、「サタンの金を文鮮明様の元に取り戻すべし」なんてトンデモも本当にそれを信じたくてそれで自分は救われるんだってんなら勝手にしたらいいと思うけど、それは最初勧誘の段階でちゃんと「サタンの金を文鮮明様の元に取り戻すってのもうちの重要な教えのひとつですよ」と明言した上で本当にそれに魅力を感じた人だけが入信すべきであって。

信教の自由のうちの「宗教結社の自由」、わけても布教勧誘については「実態実際に信者に向けて言ってるのと違うこと言って勧誘するのは違法行為」って明確に宣言してほしい。医者とか不動産屋とか金融業者には客に対する「説明義務」ってのがあるけど、それの宗教版みたいな感じ。

統一教会に限らないんだけど、カルトって入り口では全然当たり障りのない道徳的な話とか心理学小ネタみたいなのを繰り広げておいて、それで心の弱ってる人を引きこんだ後にちょっとずつ「疑いの心こそが不幸を呼ぶのでまずは一心不乱に教祖様を信じるのです」とか「布施勧誘こそが最速でカルマを清める顕行なのです」みたいなことを吹き込んで最終的には勧誘集金献金マシーンに仕立て上げるんだよね。いわゆるマインドコントロールってやつ。だからこそ、「いやお前最初勧誘の時はそんなこと言ってなかったよね?なのに中入ったらなんかもうカネカネばっかじゃん!」みたいなツッコミちゃん機能するかどうかって、割と重要だと思ってて。

出版物とかホームページとか勧誘の時に言ってきた事とか、そういう「外向けの売り文句」といざ入信した時に実際に内側の信者に対して触れ回ってることがまるで違っていた時に、何人かにひとりでもマインドコントロールの効きが弱くて「あれこいつら入口を偽って引き込みやがったな?」って気付けたら、その人がちゃんとそれをタレ込める窓口があって教団にペナルティかけれる体制みたいなのがほしい。「青春を返せ裁判」も最高裁確定までに二転三転したうえに14年かかってるし、現状はそこんとこのハードルが高すぎる。

もちろん教義の真髄みたいな部分を最初から一般人理解できるように説明するのは無理だろうし、あと勧誘時の説明がどこまでだったら「ちゃんとした説明」でどこまでなら「まるで違う」になるかって厳密に定義するのは難しいだろうけど、前者については医者とか銀行とかだって同じことで「厳密にはもっと色々あるんだけど嘘じゃない範囲でおおむね必要な分の概要全体像をきちんと説明する」ってのはやればできる話だし、後者についてはそれこそ裁判判例を積み重ねていくべき話だと思う。

なにより「入り口で言ってる教えと全然違う事を内側で信者だけに言わない」ってルールカルトでない真っ当な宗教にとっては何の足枷にもならないはずで、まあ葬式仏教なんかはこれまでその辺の説明を手ぇ抜いてきたきらいはあるけど、法で「義務として今後はちゃんとそれ言いなさいね」ってされたら普通宗教にとってはむしろプラスですらあると思うんだよね。「実は親鸞聖人は死んだら自分の骨は鴨川にでも捨てろって言ってて四十九日とかもあくま阿弥陀さんの救いに思いを馳せる為の機会って位置付けなんすよ」みたいな話、今だって真面目な坊さんほど法要の時とかにちゃんと言ってくれるし。

カルトは結局「その内側で言ってる指示およびその指示の根拠となる教義」がだいたい一般社会道徳感とは相入れなくて、しかも奴らは相入れないこっち(社会)側が間違ってると本気で思ってるから嘘をつくのもマインドコントロール仕掛けるのもまったく躊躇いがない。で、勢力を広げるには何かにつけて金が要って、だからこそ信者にも無茶な献金をさせようとする。来るもの拒まずで本当にただ粛々と信仰してる分にはそもそも家庭崩壊レベル献金なんて要るわけないし、宗教を信じる自由って本来そういうことなんじゃねえの?って。

マインドコントロールって言葉1990年代に一度脚光を浴びたけど、改めてもっと周知されるべきだしそのヤバさに社会の側もちゃん対策を取るべきだと思う。

追記

実態と違うこと言って」ってのがなんかちょっと紛らわしい言葉だったので、「実際に信者に向けて言ってるのと違うこと言って」に変えました。

2022-03-17

日本人で「こいつ頭いいなあ」って思想家いる?

道元とか親鸞レベル

2022-02-26

anond:20220226034733

さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし 親鸞

2021-09-19

観無量寿経』の「是旃陀羅」について解説

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.kyoto-np.co.jp/articles/-/640716

京都新聞真宗大谷派謝罪話題になっていた。私個人として考えるところがないわけでもないけど、多少この問題に関して知識のある方なので、勝手ではあるが、ブックマークにあがっている疑問に答えたい。

kaos2009さんが「 [旃陀羅は古代インド被差別民を指し、同派では江戸から昭和初めごろまで日本被差別身分に例えて説明されていた」 仏説観無量寿経 - Wikisource https://ja.wikisource.org/wiki/?curid=5204 母殺しは王の所業でなく栴陀羅だと」と説明しているけど、だいたいその通り。

記事にもあるように、これは『観無量寿経』のなかのことばである。そこに、阿闍世王が母韋提希を殺そうとしたときに、大臣月光大臣の耆婆が「それは『旃陀羅』のすることだ、ヴェーダ(毘陀論経)にもそう書いてある」と諫めるシーンがある。旃陀羅はヴァルナカースト)以下の存在とされていて、日本では伝統的に、被差別部落民のことと説明されてきた。

まず、『観無量寿経』は異訳も現存しないし、サンスクリットやパーリもない。だから訳しなおしたりするのはきわめて困難、ほぼ不可能である。今後、原本発見されないかぎり。

また、『観無量寿経』は浄土真宗できわめて高い価値をもっている。法然の定めた浄土三部経であり、親鸞の読んだ『観無量寿経』と、それに対する書き込みが残っている(集註(じっちゅう)という)。そのことばを変えるのはおそれおおいというのが、真宗門徒一般的理解なのだと思われる。

さらに「是旃陀羅」問題をややこしくさせるのは、親鸞のつくった和讃和歌)のなかに、「耆婆月光ねんごろに/是旃陀羅とはじしめて/不宜住此と奏してぞ/闍王の逆臣いさめける」というものがある。親鸞が「是旃陀羅」を無視していれば、真宗門徒もそれができたのだが、親鸞自身文章でもこのことばを肯定的に用いているので、それが問題になる。

  • circledcircled 「経典を書き換えるのがOKなら、それはもう宗教じゃなくて「自己都合に利用出来る便利な政治道具」に成り果てるのよね。例えば殺人NGは受け入れるけど、禁酒は受け入れないみたいな摘み食い宗教堕落との区別が無い。」

言わんとするところはわかるけど、経典は非常に多くあって、しか相互矛盾する記述もあるので、「教相判釈」というのが中国仏教で生まれた。つまり、たくさんある経典の中でどれが一番真実なのか、重要なのかということが論じられる。それで、時には経典以上に祖師重要視されてきて、祖師無視していれば無視できると思われる。

今回は、祖師(この場合親鸞)が無視していないか問題になっているのだろう。

そういうふうにも解釈できるけど、これは耆婆も一緒になって行ったことで、耆婆は仏弟子から仏教差別意識をもっていたということでもある。教えの主体釈尊が中心ではあるが、とき仏弟子がそのようにもなる。

2021-08-22

たぁ〜ての糸はあぁなたぁ〜〜

よぉ〜この糸は?

糸し糸しと言う鳥で親鸞

2021-06-16

anond:20210616114741

新潟県東西に長すぎて印象がバラバラなっちゃうのが不幸

苗場湯沢のあたりは東京植民地だし酒うまい温泉あるし

上越にはガクトさまが降臨する謙信祭りがある

新潟市はなにも思いつかないな

弥彦神社くらいか

親鸞聖人の遺蹟とかめぼしいのないんだっけ?

2021-05-22

anond:20210522101658

差別自覚のないやつは差別主義者より悪いと親鸞も言っている

2021-04-02

anond:20210402175756

少なくとも釈迦にしてみれば「は?誰が言い出したの?親鸞?誰てめえ」って感じだろうな

2021-03-29

トップ世襲浄土真宗

先日、浄土真宗僧侶が「寺族(寺生まれ僧侶になった)と在家出身(寺以外の家庭から僧侶になった)で差別がある。地域の同じ宗派の寺の集まりでも、『あの人は在家出身から』と差別的な言われ方をする」と言っていた

浄土真宗トップ門主門首など呼び方宗派により違う)がどこも大谷家(親鸞の子孫)の世襲なんだから、寺族・在家の差をなくそうとすると究極はトップの選び方を変えなきゃならなくなる

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん