はてなキーワード: 核家族とは
(日本は人件費の高い無資源国家であり、肉体労働・単純労働の需要は今後も減り続けるので、教育レベルの低い子供は要らない)
(気分障害や人格障害を抱えた親は、モラル・ハラスメント等によって子供の人生を長期間にわたって苦しめる可能性が格段に高い)
(保育所等の子育て支援環境が現状整っていない上、孤立した核家族による子育ては育児ノイローゼ・虐待につながる可能性が高いので必要になる)
これは狙い過ぎ
(内縁関係やシングルマザーは家庭が不安定なので子供の精神面の発育に害を及ぼす)
(質の高い教育には非常に金がかかることを考えれば800万円以上が理想だが、最低限としてこの設定にした)
(フリーランス同士の夫婦など、共に不安定な立場だと将来不安が大きすぎる)
(10代の妊娠出産は心身の未発達のため未熟児や死産・虐待例が多く、35歳以上の妊娠出産は不妊や障害が多いことから、最適な年齢は新卒で就職してから約10年間と設定した)
(日本は人件費の高い無資源国家であり、肉体労働・単純労働の需要は今後も減り続けるので、教育レベルの低い子供は要らない)
(気分障害や人格障害を抱えた親は、モラル・ハラスメント等によって子供の人生を長期間にわたって苦しめる可能性が格段に高い)
(保育所等の子育て支援環境が現状整っていない上、孤立した核家族による子育ては育児ノイローゼ・虐待につながる可能性が高いので必要になる)
あのー、旧ソ連の崩壊は、別にフェミニズムがどうこうではなく、単純に計画経済が行き詰っただけでは……
実際、フランスにしろ北欧諸国にしろ、別に女性が社会進出したせいで、社会が崩壊なんかしてませんし。
離婚率は上がりますが、これはむしろ両親が喧嘩し続ける不幸な家庭が減ったとみるべきでしょう。
両親がぎすぎすしているのに、無理やり維持されている家庭で育つのは、あまり子供にとっても幸せではないでしょう。
あと、肌の密着は別に父親がやっても他の他人がやってもできる、それでいて重要で大切なことでしょう。
大事に抱きかかえて、哺乳瓶からお乳を飲ませるのも、赤ちゃんにとって大切なことです。
何も絶対に母でなければならないという理由はありません。
というか、お乳が上手く出ないせいで、哺乳瓶育ちでまともに育った人がごまんといる中で、何が何でも母乳という圧力は、かえって親にも、ひいては子供にも良い影響を与えないでしょう。
また、何度も書きますが、仕事に向いていて育児に向かない人に無理やり育児だけさせるのを問題視しています。
そういう人は職場から受けるストレスより、育児から受けるストレスの方が多いでしょう。
無論父親でも同じですが、それこそ女性でなければならない理由がないからこそ、同じだといえます。
重要なのは、育児に向いた人が、育児を行うという環境でしょう。
保育所育ちで立派に育つ人が多い中、保母さん保父さんの存在を否定するのはどうかと。
乳幼児期だけは、専門的に一対一くらいで見られるよう、お金をかけた育児が必要かもしれませんが、それ以降は現在の保育所のな形式で充分ですし、現実的に可能かと思います。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111119-00000835-yom-bus_all
そもそも「高くても」ったってどれくらい高いかによるよなあ。
アメリカ産の米も美味いやつは日本産と大して値段変わらないよ。輸入するとなれば送料もかかるだろうし。
まずくてもいいからとにかく安いやつ、と言う需要も多少はあるかもしれないけど、
米なんて普通の核家族なら10キロも買えば1ヶ月持つだろうし、
大体日本米が10キロ4000円として、これが2000円になるならまずくても耐える、と言う人はあまり居ないと思う。
物凄い勢いで米を消費している大家族とかだったら差額がシャレにならないから安い方選ぶ人も居るかもしれないけど。
後は業務用か?普通の飲食店ならまずくなったら客減るけど、まずくても文句言われないような場所(病院食とか)に使う用途ならありか?
試算としては、「8*4=32」みたいな計算をしてるはずで、負担分は考えてない。
負担する人(労働側)は、「20+8-15」になるはずだけど、「働かないよりはいい暮らしが出来る」とか「労働そのものに意義を感じる」とかそんな設定だったはず。
ただそんなことよりも、もっと深刻なのは、国民健康保険の廃止とかそっちの方なんだけどね。(年金については、もう危ういけれども)
でなければBIなんて実行できない。
んで、これを考えてんのは壮年の男性・女性がほとんどで、年中病院に通わないといけない年齢の自分なんて想像もしてないし、
私の実家は千葉の片田舎にある。もっと言ってしまうと、田舎をイメージしたCMによく出てくる小湊鉄道沿線だ。その沿線(と呼ぶのも躊躇われるような僻地だが)にバブル最末期に出来た新興住宅地に私の実家は建っている。
駅に着きバスを待つこと20分。やっとやって来たバスに乗り込むと、乗客は私を入れて3人。本当に素敵な田舎だ。
実はこれでも便利になった方だ。去年まではバスも通らず、駅から家までは歩くかタクシーぐらいしか交通手段がなかった。歩けば相当速く歩いてやっと家まで一時間、タクシーだと1500円はとられる距離。まあこれがうすのろのろとしたバスに乗って200円になったのだから、桁違いに便利になったと言ってもバチは当たんないと思う。
さて、そんな素敵なバスに乗ってしばらくすると他の二人の乗客は降りてしまって、バスは私の貸し切りになった。この調子だとバスは長続きしないだろうと思っていると、急に10人くらい客が乗ってきた。みんな小柄でランドセルを背負っている。小学生たちだ。そこは、小学校にほど近いバス停だった。
この小学校も私の実家のある新興住宅地から遠かった。距離にして3.5キロ。子供の足で歩いて45分から50分くらいの距離だ。今さっき乗ってきた子供たちも、大方は私の実家のある住宅地の子供たちだろう。あの距離を歩かないですむようになったのだから、この子たちも嬉しがっているだろう。
さて、子供たちとバスに揺られて10分弱。目的地である住宅地が次のバス停になった頃だ。子供たちは誰が降車ボタンを押すか、みんなで相談し始めた。そんな子供たちを後目に、私は降車ボタンを押す。え、今の誰が押したよ?!と子供たちが騒ぎ始めるなか、私は黙って手を挙げた。
最初は私が何故手を挙げているのかわからない様子だった子供たちも、ちょっとするとなぁんだというような顔をした。けれども、あなたが押したのか、という意味合いのことは一言も言わなかった。きっと私のことをオバサンと呼んだらいいのかお姉さんと呼んだらいいのか分からなかったからだろう。賢い子供たちだ。
そしてそれをきっかけに、バス停までの短い間子供たちと話した。バスが出来てから通学が便利になったと子供たちは口を揃えて言っていた。けれども朝はバスの時間が上手く合わなくて、バスに乗っていると遅刻するとも。
一生懸命体全体を使ってコミュニケーションしてくる子供たちと話すことは楽しかった。しかしそろそろバス停に着いてしまう。私は簡単に降りる準備をした。夕日が眩しくて外していた眼鏡をかけ直しただけだが。そうしたら、子供たちは口々にこう言ってくれた。その眼鏡、カッコいい!と。大切な方から贈ってもらった思い入れのある眼鏡だったので、その子供たちの感想が余計に嬉しかった。
そして、田舎道に沿って突如現れる、総計200戸ほどの住宅地の中心にバスは着き、みんなで揃ってバスを降りた。そこからは散り散りで、みんな手を振って別れた。
私は心地よい余韻に浸りながら実家までの短い道のりを歩いた。10人くらいの子供たち。みんな仲良そうにしていた。
私はようやく気づいた。この住宅地にはもう10人ほどしか子供が居ないのかと。
この住宅地はバブルの最末期ほどに売り出されたものだ。その時三十代の戸主を持った核家族が移り住んできて二十年。彼らは五十代になり、その子供たちは二十代で自立のときだ。ここに建っている家々は皆核家族用のもので、複数世代が住めるものじゃない。私だってちょうどその世代だ。私が子供の頃はこの住宅地はもっと賑やかで、小学生だけでも百人近くはいたではないか。それこそ、あんな小さなバスでは乗り切れないくらいに。
この住宅地は、確実に斜陽の中にある。分かっていたはずだ。考えればすぐに分かることだ。そんなことだが、実際に子供たちの姿を見なければ、何も分からなかった。
この住宅地はこれから、ゆっくりと老いてゆくのだ。その事実に愕然としながら、私は実家の扉を開けた。そこには、もう随分と白髪の混じった母が、小学生だった私を迎えてくれるのと同じようにして待っていてくれていた。
<社会の変化に関して>
1 今の日本では安らぎのある家庭など生まれようがない
2 いつの間にか私たちは、「正しい愛情」だけを家庭の拠り所としている
3 現在結婚することは、とくに女性にとってはデメリットばかり
4 日本の妻たちの殆どは「あーあ、結婚しなきゃよかった」とおもっている
5 夫婦がいつまでも連れ添うというスタイルはもう限界まできている
この章についてはもう少し解説がほしい。
<変化についてまず夫婦関係に関する考えを変えましょうと提言>
8 一人の人を変わらず一生好きでいるということはもう誰にもできない
9 一番好きなヒトと結婚したいという考え方が、あなたを不幸にする元凶
<つぎに家庭について考え方を変えてみましょうという提言>
・「なぜ夫や父親が家族の大黒柱になると子供はちゃんと育つのか」について論理的に説明した本は一冊もない
・むしろ現在の日本は「父性という不良債権」が存在して、健全な育児の足を引っ張っている。
日本の社会自体がそのニーズを果たせないにもかからず、権力を保持し続けていることが問題。
結果として善良な男性ほど、能力もないのに責任感だけがまして行く。逆に母親は父の能力が低いのを承知で依存しがち。
父親にいろいろなことで頼り、責任を負わせるという構造はすでに無理がある
12 家庭から夫を出してみる。捨てるのではなく、リストラをする。頼るのではなく必要な時だけ使う
<「妻をリーダーとする新しい秩序」に基づいて考えを進めていく>
13 現在の家庭の問題点は、夫の体面と妻の依存心の結果、リーダーがはっきりしていないこと
・核家族に父権がないのは当たり前。父権が発生するのは、姑がいるような、女が「嫁」として扱われる家庭だけ
両親をリストラして核家族を選んだ時点で、それぞれが相手に昔の夫、昔の妻を要求するのは見当違い。
・子供は、誰が家庭のリーダーか分からないと、ルールが分からなかったり自分がリーダーであると勘違いしてわがままに育つ。
よい躾のためにも、実質に即して家庭のリーダーを確定させることは絶対必要。
14 外助の功こそが、唯一妻も夫も納得できる男としての活躍の場。
15 本来、家族のリーダーは妻なので、「部下」である夫に判断を求めるのは間違い
・男の存在価値は現金収入であると「妻が」割り切る必要がある。
16 ほんとうに欲しいのは安定。ひとたび杰を味わってしまった私たちは後戻りできない
・規制と自由の関係を理解せずに、自分が要求したことに責任をとれないガキみたいな大人にならないように。
・「父親と母親が愛情で結ばれて、こどもの面倒をしっかり見る。母親は常に育児の相談を父親にして、父親は仕事や趣味の時間を犠牲にしても家族サービスに務める」
ほんとにそんな家庭がお望みですか? それで生活安定しなくなってもいいの? その責任をどっちかに押し付けたりしないの?
・この固定概念の合理性を問い直して、自分たちにとって合理的な家庭のあり方を考えましょうよ
<最後に総論的なまとめとして、考え方の基本を提示>
18 いざとなれば、ひとりでも生きていける。この自信と自負だけが、あなたをほんとうに自由にしてくれる
・これからのネットワーク社会での子育ては「不安定だけど自由」であることを念頭に考える。
子育てに関してはその高まった自由度を有効に活用して「安定性」も確保しに行かなければいけない。
いまの世の中は不安定の上に、昔ながらの「育児の責任は母親のみ」という不自由さが絡まって最悪の状況。
安定性を確保するためにとりうる方法として「責任者は母親、しかし作業は外の人の力も借りる」と柔軟に考える必要がある
19 付き合う相手、子育てする相手は、夫だけとは限らない。その都度選びなおせばいい。
勝手に付け加えてみた
日本は少子化してるよ派 ├― 非婚率の上昇だよ派(副流派) | ├─ 結婚しないほうが楽しいよ派(積極的拒否派) | | ├─ 結婚したら好きなこと出来なくなるよ派(自由人) | | ├─ 結婚したあとの相手の家族まで面倒見れないよ派(核家族派) | | └─ セックス/オナニーできれば満足だよ派(快楽追求派) | ├─ 結婚を強制されればするよ派(消極派) | | ├─ 相手探し行為そのものが恥ずかしいよ派(自尊心重視派) | | ├─ うっかり出来ちゃったら結婚するよ派(避妊重視派) | | └─ いい相手を紹介されたらするよ派(良縁重視派) | └─ 結婚なんてどうでもいいと思ってるよ派(無関心派)
私は単純に消極派が多いってだけな気がする。
違うよ。全然違うよ。
嫁にやたらと苦痛やら疲労やらを感じてしまう人たちは、非常に古い「家」概念の持ち主に苛まれている人だよ。
運悪く嫁がこき使われる大家族に嫁いでしまったとか、時代遅れの「○○家の嫁として」家訓(そんなものがあるような家柄でもないのに)にかぶれた姑が干渉してくるとか、そもそも核家族化が進む前に生まれたお年寄り(大姑)に未だに「嫁」扱いされているとか。
あとはそういう実態に無知無関心で「え、いいじゃん別に嫁で」とか言い出す輩が周囲を取り巻いているとかね。
嫁っていう言葉自体が「ふたりだけのもの」である家に嫁いだ人間を示すのにふさわしくない。語義が微妙にずれてる。
http://d.hatena.ne.jp/islecape/20110801/yome
上の2つのエントリーなどで、有名ブログ「中国嫁日記」が差別的かどうかという話題が妙な盛り上がりを見せているようで。とはいえ、この手の議論の常として、互いに感情論を飛ばしあうだけの、ぐだぐだな結末になっているようですが。
少なくとも今回の議論に限り、ここまでぐだぐだになった原因は問題提起側、すなわち「嫁などという性差別的な言葉を使うとは何事か!」と言い出した側にあります。なにしろ、嫁という言葉を再三再四あげつらっておきながら、なぜ「嫁」という文字の使用に問題があるのか一度も説明していないのですから。
たったこれだけの「自分の感覚」をよりどころに、あれだけの長文を書き上げ挙句社会まで語ってしまうと言うのは、その壮大な構成力に賞賛を贈らせて頂くより他にありません。その果て、このブログ主さんは
しかしそれにしても、前述のTogetterの ものの役に立たなさはどうしたことでしょうか。「これが差別なんて、なにを考えているのか」という自身の感覚の披瀝や、「こういう人は他人を差別するために機先を制して自分が差別と言っているだけ」という主張に熱心な人が多いのですが、 …(途中略)… だいたい未来にむけて記録すべき思考の痕跡とも思えません。「当時」の大衆の程度を知る材料にはなりますかね。
と嘆いておられるのですが、そりゃ「嫁なんて言葉はけしからん!」という「自身の感覚の披瀝」に過ぎないtwitterに対して、客観的かつ論理的な反論を要求するのは無茶というものでしょう。自分が見えていない人間とはよくよく怖いもの無しのようです。
しかし折角なので、ここではその無茶への挑戦をしてみたいと思います。上のエントリーの中国嫁けしからん!嫁は差別!精神が疲れる!という切なる悲鳴に対して、どこまで客観的な「反論」をなし得るのでしょうか。単純化のために、ここでは内容については一切議論せず、「中国嫁日記」というネーミングの是非だけを考えましょう。
さて、客観的と言うからには、ここで「俺は嫁って別に差別的じゃないと思うけど」と張り合ってみても意味がないのは明らかです。ここで必要なのは中立的な第三者の視点であり、そして私の手元にはこれ以上は望み得ないくらいに客観的な視点があります。広辞苑と新漢語林。要するに辞書です。
広辞苑によると、嫁は
(1) 息子の妻
(3) 結婚の相手としての女。嫁した女。妻。
(4) 「嫁が君」(ネズミ)の略
とあります。二番目の意味から、まず中国嫁日記の嫁の使用法が間違ってはいないことが分かります。まだ新婚さんみたいですから。さらに漢語林を引くと、
とあります。恐らく、嫁という字が一部の人たちから忌み嫌われる理由の一部がここにあります。家の従属物的な意味合いを感じ取って、それが性差別であるという論法のようです。とりあえず事の是非は置いておいて、代替語についても調べておきましょう。
妻: かんざしに手をやり、髪を整え飾る女性のさまから、つまの意味を表す。
奥: 貴人の妻の称。貴人の居室。大切にすること。など多数の意味を持つ。室も同義。
婦: 女+帚。帚はほうきの意味。ほうきを持つ女性、家事に服する人の意味を表す。転じて、一家の主婦。一家の切り盛りをする女性。または子の妻。
細君: 細は小さい、かぼそいことを示す字。愚妻などと同じ謙譲表現。ただし、最近は細にこまやかという意味もあるせいか、他人の妻をいう語に用いられることが多い。
他にも連れ合いとか家内とかありますが、もう十分でしょう。妻というのはなかなかに色っぽい文字で、言葉自体には結婚関係を表す意味合いがないのが嫁との違いです。ちなみに、夫も大人が冠を付けている様をしめすだけの文字なので、夫妻という言葉は男女という言葉と解字上はあまり差がありません。一方で生活感が溢れまくっているのが婦の字で、家政婦や助産婦など、女性が多く働く職業にこの文字が使われるのも、事の是非はさておき自然と言えるでしょう。
奥・室は、元々家の神を祀る場所を意味したこともあって実にエレガントな言葉で、自分の配偶者を「奥さん」と呼称する人もいるようです。しかし、元は貴人の妻を表す表現である以上、日本語表現としては非常に据わりが悪い。そもそも、定義から言えば自分が貴人と言うことになってしまいます。配偶者は実に中立的ですが、3文字を費やした挙句に性別も分からないというのは、法律用語としては便利でも本のタイトルとしては問題外です。
こうしてみると、本のタイトルとして使い物になりそうなのは嫁か妻かの2択と言うことになりそうです。この2つの文字が決定的に違うのは、嫁には「移動する」という概念が強く存在する点です。生家から夫の家へと。だからこそ、嫁に来る、嫁に行く、という表現はあっても、妻に来る、という表現はあり得ません。責任転嫁に嫁の字を当てるのも同じ理由からでしょう。中国嫁日記というのは、中国からやってきた奥さんが異文化の日本で楽しんだり悪戦苦闘したり、旦那さんと新婚生活をエンジョイするのを描く日記です。ならば、単純に中国人の配偶者であることしか意味しない中国妻よりも、「中国から来た嫁の日記」とするほうが遥かに適切でしょう。
もちろん、このように語を連ねずとも、常識的な日本語感覚を持つ人にとっては、中国嫁日記の方が据わりが良いというのは直感的に明らかなのですけれども。
さて、問題の差別性の有無についてですが、今回の騒動でひとつ明らかとなったのは、「嫁という言葉は差別的である」と思う人とそうでない人が両方存在すると言うことです。どちらかといえば、差別的と感じない人の方が多いようにも見えます。ここからは私個人の主観になりますが、嫁が嫁ぐ「家」の概念が過去数十年で大きく変わったためであるように思います。昔は女性の嫁ぐ先は夫の実家であり、夫の親兄弟との同居を意味しました。ここでの家は正に「夫の家」であり、「妻の家」にはなりえません。ついでに、義理の親兄弟の世話まで任されることも多かったわけで、妻にとってはなかなかにストレスのたまる環境であったことでしょう。この状況下で「嫁」という言葉にネガティブな意味合いが生まれるのは無理からぬ事かも知れません。
しかし、核家族化の定着すると、花嫁が嫁ぐ「家」には夫と妻の二人しかいません。この「家」を夫の家、と考えるのには無理があります - この「家」はふたりだけのものなのですから。多くの日本人にとって、この「家」に嫁として嫁ぐこと自体は、特にネガティブな意味を持たなくなって来ているように思います。もちろん、女性であるが故のディスアドバンテージがこれで消えたわけではないでしょう。しかし、それはもはや「嫁」であることのディスアドバンテージではなくなってしまったのです。
こう考えると、嫁にやたらと苦痛やら疲労やらを感じてしまう人たちは、非常に古い「家」の概念の持ち主なのかも知れません。運悪く嫁がこき使われる大家族に生まれてしまったとか、時代遅れのフェミニズムの教科書(そんなものがあるのかは知りませんが)にかぶれてしまったとか、そもそも核家族化が進む前に生まれたお年寄りであるとか。どちらにせよ、嫁の字を見ただけで辛い思いをするというのは、同情に値する境遇であることは間違いありません。嫁でこれなのですから、女に帚の婦を見た日には心臓発作でも起こしかねない。全国津々浦々の結婚式場で「新婦入場です」のアナウンスがかかるたびに、その言葉の差別性をこんこんと説き起こし説伏する。その果てにしか彼らの心の平穏はあり得ないのです。彼らフェミニストの想像を絶する試練の日々を、私は涙と共に見守りたいと思います。
自賠責は、交通事故で発生した被害のうち、死亡や後遺障害に対して保険金を出すという仕組みである。この仕組みは特別会計の一つであり、保険料を取り過ぎていて剰余金として積み上がった約6000億円を、国庫に対して貸与している。
この貸与金は、来年度に全額返済される筈だったのだが、税収の不足を理由に、先送りされた。埋蔵金として使い込まれてしまったと言ってもいいであろう。つまり、自賠責契約をしてきた人々は、6000億円分、何の法的根拠も無く徴税されたという事である。
自賠責の保険金の支払い額が増えているので、保険料を値上げしたいと言う主張も、出てきている。これには二つの理由がある。一つ目は、飲酒運転厳罰化の影響で、轢き逃げによる被害者の重態化や死亡者が増加したという点で、法改正の失敗が原因である。もう一つは、保険会社等の経営上の都合である。保険は、本質的に統計データが直接採算に反映される仕組みであり、平均値が変動すれば、その変動に対して採算も変動する。国民の所得水準が低下しているということは、加入者数が減少していくという事であるのに、保険会社の人件費や営業所維持費といった固定費は変わらない。天下りや監督省庁幹部の縁戚といった縁故採用した人の人件費も下げられないし、リストラも出来ない。さらに、生命保険やガン保険といった非損保分野の売り上げが低迷している分を、所有者が強制加入になる損保分野でまとめて補おうという話になっているのである。非損保分野の余剰人員を損保分野に回すというのは、保険会社の雇用の維持という点では正しいが、部分の最適化が全体の最適化にとっては真逆の効果に繋がるという、典型的な合成の誤謬となっている。
損保分野の採算悪化は、若者の自動車離れが直接の原因であるが、非損保分野を含めた保険というビジネス全体の採算悪化は、若者世代が独立した世帯を持てないような経済環境が根本的な原因である。さらに、税収の悪化と社会保障コストの増大は、家族制度を破壊して核家族化を進め過ぎたという政策の失敗と、既存企業を優遇する余り、新技術や新製品・新サービスの開発・実現が不利な愚行となってしまっている、産業政策の失敗にある。
実行すべき課題は目の前にあるのに、自賠責保険料の値上げや消費税の増税といった財源が問題であると矮小化して時間を浪費するという点では、民主党政権も自民党非改革派政権でも変わらないようである。
子ナシ専業主婦は高い確率で精神が腐るからやめた方がいい。子有り専業主婦だって、子供がある程度育ったら(特に育児サービスの充実している都市圏では)過干渉の害悪の方が多いと個人的には思っている。
男も女も、家に閉じ込もったらロクな精神状態にならない。核家族で母ひとり、子ひとりの逃げ場もなく、おわりも見えない生活なんて恐しくて想像もできない。一見仲良さそうな母娘も共依存の地雷原だったりするし。子育てしかやることない親ってろくなことしないよ。
何であれ、生活にめりはりをつけるために働いたほうが良い、お金云々より、社会のために働いている人の方が魅力的だ、ぐらい言ったほうが良いと思う。
そうやって「国の望むもの」と「俺の望むもの」をごっちゃにしたまま古い制度設計にあぐらをかいてるから少子化が進んでいるのでは?
古典的家族観のまま核家族化を進めてしまった結果、統計的に「跡取り」問題で結婚できないカップルが増えていると考えるのが自然。
そういったカップルも含め、事実婚カップルを法律婚の枠に組み入れて、安心して子供を産み育ててほしいとは思わないのだろうか。その「国家」とやらは。
まぁ、もうほとんど手遅れだけどね。封建的価値観と経済の変化との間に押し潰された「女」の唯一にして最大の反撃手段は「産まないこと」。
女を虐げた国家は滅びるのが定め。君もそれを望んでるんでしょう?