はてなキーワード: 踏襲とは
研修を終えて、いまの営業部に配属されて3ヶ月が過ぎた。
営業現場のビジネスモデルは研修現場で学んだものとは全く関係がなく、
営業現場のルールは採用現場が唱えているグローバルとかダイバーシティとかにも全く関係がない。
他の会社にも当てはまると信じているが、修正点があれば指摘して欲しい。
社長:株主に対する責任があり、会社を守るために、数々の「言い訳」を作る。
(それが本当であっても、嘘であってもよい。)
事業部長:社長の方針に近い形で事業部方針を作り、数字目標をたてる。
(たいてい方針も数字も前年を踏まえた形で作られる。社内の部長報告や社外の重役との会食が仕事。)
部長:営業部毎に数字が与えられており、その数字の責任者となる。
(上とは調整、下には強制である。ただし、下のトラブルには部長が対処する。)
課長・係長:上の立てた方針は営業現場に適用できないので、目先の計画をたてる。
(上から「宿題」を与えられたら、それに答える。雑用は末端にどんどんやらせる。)
係長・末端:タスクがどんどん降ってくるので、残業してでも終わらせる。
(課長・係長は指示をするのを嫌がるので、末端は課長・係長の指示を予め予測する。)
つまり、現場は現場で動いており、会社全体と現場は別物、という印象である。
入社前は上述した日本企業的ルールに従う全てを「社畜」と言っていたが、
こうしたルールから逸脱した途端、会社からパージされる。ルールに従わなければ会社にいる意味がない。
知り合いは、「海外に行きたい」と言ってドメスティックな部署に配属されたり、
「上司が無能力」と言って閑散とした新設部署に配属されたりしている。
奴隷になりえない「わがままなやつ」は扱いにくいからパージする。
ただし、こうしたルールのもとで前例踏襲が横行し、社内変化がなく、景気変動に一喜一憂しているように見える。
現場は現場で動いており、会社内が縦割り、サイロ化しているようにも見える。
ここで、クエスチョン。
採用現場でいう「グローバル」や「クリエイティビティ」など含む「異色の人材」はどこで活かされるか。
学歴採用、リクルータ採用や推薦採用では「一色の人材」になってしまうため、オープン採用に変化したはずだ。
ところが、現場では「一色の人材」が求められているような気がする。
異色の人材はどこに消えたのか。あるいは、どこに生きているのか。
THE MANZAI って4時間くらいあったけど漫才部分だけ見たら単純に半分で済む量。とはいえ2時間で無駄なくやったら尺足らずだし、それはまあ説明部分もあるからよしとしよう。でもなげーよ。
他にももう、終わったな、と思わせる演出が多数あったが、とにかくキビキビとやってないんだよ。キビキビと。ダラダラしてる。
→参加意識を煽っているけれど、笑うたびにボタンを押すということは漫才の面白さに集中できない。仕様ミス。先にアプリを落として一斉に送信させるというのも、問題がある印象。フジの企画に問題がある。
ワラテンのグラフと一緒に、同じ番組内で同じ漫才を再鑑賞するのは、前半見ていなかった人向けのサービスのつもりだろうが、間延びしてしまいおかしい。参考にはなるが、「ほお」で終わり。ビデオなら絶対飛ばすところ。
問題2 慢心した優勝特典
フジテレビレギュラー番組、漫才師だが漫才の番組が貰えるわけではない。漫才の番組が貰えるのなら嬉しいだろうが、単なるトークタレントとしての役回りが回ってくるのであれば矛盾しすぎている。副賞の各番組ゲスト、っていうのも結局はトークで呼ばれるのが半分以上だから名前を売る以上の意味が無い。まったく売れなかった若い人ならそれが価値を増すが、パンクブーブーではドラマを作れない。
結局は予算削減策でしかなく、フジも落ちる所まで落ちているとしかいいようがない。またフジは自分の価値を高く見い出しすぎ。
ただ控えめに協賛した、日清のどん兵衛はいいと思う。あんな数(10年分)本人が食べたら確実に身体を壊すけど、楽屋において後輩にあげる分には後輩が何年も食に困らないからね。
問題3 無駄な演出
フジの番組全般に生でやるとダラダラとした無駄な部分+小難しい説明だらけである。進行押しの間の時間調節なら、わかるのだが、入場演出で無駄にリムジンとか入れて、オープニングから30分以上漫才が始まらないってどういうことだよ。ワラテンの説明も長い、フジのサイトにこさせるための小細工とはいえ。投票トラブルを避ける意味では完璧な説明であったが、視聴者にはまったく無駄でチャンネルを変えさせるレベルの話。あんなの事前に別番組で説明して分散ダウンロードさせるとか、Dボタン側に逃がして文字で済ますとかできるだろ! 俺は一斉送信でサーバが落ちないかのほうが気になったよ。
あと、有名人を客席に散らせ「これくらい入れておけば受けるだろう」的な考え。
バブル期に入った人が作ってるんだと思うが、視聴者は漫才が見たいんだよ。モデルの顔が見たいんじゃねえんだよ。制作者側がバカにするのも大概にしろ。有名人を呼ぶならコメントを全員取れよ。メイクまで入れて客席で笑うだけで、ノーコメでギャラ貰って帰る奴を許すほど度量はこっちにはねえよ。
問題4 THE MANZAIの本来的な部分を踏襲していない点
初代のTHE MANZAIは元々洗練されてない舞台漫才をショー化するものであった。横澤さんが死んでいるとはいえ、当時のTHE MANZAIに敬意をはらっているのは西川さん位じゃないか…。2011年版としての進化がアレなのかもしれないし、余計なものを入れずに「4分見せている」ということは評価できるとはいえ、余計なものばかりつっこんでいる部分は「製作者側が漫才の力を信じていない」というようにしか取れないんだよ。
笑えるものを評価しよう、という意味合いでは、この矛盾があるものをあえて入れるという意味で審査は厳正であったのだろうが、全体には今回はコントっぽい物が多かった。コントであろうと面白いものを評価する、というのは正しいが漫才としてちゃんと漫才な作品をもっと増やさないと絶対的にダメだし、これも制作側がコントのほうが面白いと思っている証拠としか思えない。
あとたけしの茶番ダブルブッキング演出は不要。(いい訳としてはわかるが、別に漫才師がつっこみでいった通りOPが長くなければ全部の漫才を見れるわけだし、あとハラハラしないものを入れてどうするのかというか、単にたけしがTBSに入るまで、という尺を稼いだだけでしかない)
生で見なくてよかった。
また、15年くらい不遇な人たちが多かったので、それに光が当たるのはとてもよいことなのだが、雇用されない関係のため数百円のギャラからのスタートでも文句を言わず、売れないまま10年以上のキャリアが必要とされる日本では、漫才師として暮らしていくことが非常に難しいということがよくわかる。
皆主な仕事を漫才にして女の人に扶養してもらったりしているようだが、本来的な収入はある状態で、漫才は副業でやるのが適正だと思った。言ったらハングリーさがないといわれそうだが、べつに先輩たちが作ったストーリーに乗る必要ないだろ。黙ってればいいのだ。
bogus-simotukare
agricora
高い形態模写の技量も観察力も要らないし、知識や文章力も要らない。
誰がやっても「あの人の真似だね」とわかってもらえるおいしいネタ。
こういう教材をきちんと真似し切ることから模写の道は始まる。
y_arim
今は亡きはてなアイドル。
y_arim自身がはてサの真似をしてはてサを演じてただけなので
それを更に真似することで真のシュールを体現できるかもしれない。
激烈な言葉で怒りを表明しながらもよく見ると本気の情動が全然ないあの感じ、
分類1のような薄っぺらくも全身で憎悪している怒りとは似て非なる偽りの怒りを
微妙なニュアンスで演じ分けられるようになったら形態模写者としては目録の腕前。
人の擬態を解剖しつつ更に真似ることは模写道の思索を深める効果も期待できる。
D_Amon
tikani_nemuru_M
まあこの分類はいっぱい居る。
1,2よりちょっと真似が面倒な理由は、ピン物真似で再現しにくい為。
特定の仲間との馴れ合いや追従のシーンに特徴が出てくるタイプなので
一人で真似するのは困難であり上手く出来てもあんまり面白くない。
観察力やセンスよりも根気の勝負になるので、
検交 (けんぎょう)男子の盲人に与えられた最高の官名
鞠躬如 (きっきゅうじょ) 身をかがめて、つつしみかしこまるさま。
扈従 (こしょう)貴人に付き従うこと。また、その人。こじゅう。
生漉き (きずき)《「きすき」とも》コウゾ・ミツマタ・ガンピだけを原料にして紙をすくこと。また、その和紙。
穎悟 (えいご)才知がすぐれ、悟りの早いこと。非常に賢いこと。また、そのさま。
慈眼視衆生(じげんじしゅじょう)慈しみの眼をもって衆生(世の中・人も含めて)を視ること
掌中の珠 (しょうちゅうのたま)最も大切にしているもの。特に、最愛の子。「娘を―といつくしみ育てる」
糸竹の道 (しちくのみち)(いとたけのみち) 音楽の道
喬木は風に妬まれる
風眼 (ふうがん)急性結膜炎
偏頗 (へんぱ)考え方や立場などが一方にかたよっていること。不公平なこと。
勾当て
天稟 (てんぴん)もって生まれた才能
微恙 (びよう)軽い病気
恙無い(つつがない) 病気・災難などがなく日を送る。平穏無事である。
後世畏るべし
方羽 (かたわ)
苦役 (くえき) 1 つらく苦しい労働。「―を課せられる」2 懲役のこと。
九天の高さ
蘊奥 (うんおう)学問・技芸などの奥深いところ。奥義。極意。
中前栽 (なかせんざい)
憫殺 (びんさつ)とるにたりないというあわれみを込めて黙殺すること
蹈襲 (とうしゅう)踏襲
自然の数 ごく当たり前の成り行き
峻拒 (しゅんきょ)きっぱりとこばむこと。
枷にして
悖る
毫釐・毫厘 (ごうり)ほんの少し
上厠 (じょうし)便所にゆくこと
糞を糠に交ぜて いわゆる鶯糠で、昔から肌を白くする美顔料として使用された
糸瓜の水 (へちまのみず)
華車 (きゃしゃ)
裾綿 (すそわた) 和服の裾の袘(ふき)に綿を入れて仕立てること。また、その綿。
蘡薁/蝦蔓 (えびづる)
琅玕 (ろうかん) 1 暗緑色または青碧(せいへき)色の半透明の硬玉。また、美しいもののたとえ。
迦陵頻伽・迦陵頻迦(かりょうびんが)上半身が人で、下半身が鳥の仏教における想像上の生物。サンスクリットの kalavinka の音訳。
鍾愛 (しょうあい) たいそう好きこのむこと。大切にしてかわいがること。
幽邃(ゆうすい) 景色などが奥深く静かなこと。また、そのさま。
潺湲 (せんかん) さらさらと水の流れるさま。せんえん。2 涙がしきりに流れるさま。せんえん。
靉靆 (あいたい) 1 雲や霞(かすみ)などがたなびいているさま。2 気持ちや表情などの晴れ晴れしないさま。陰気なさま。3眼鏡
おちゃこ
纏頭 (てんとう)1 祝儀。はな。心づけ。
白仙羹
僣上の誹り (せんじょうのそしり)1 身分を越えて出過ぎた行いをすること。また、そのさま。「―な振る舞い」2 分を過ぎたぜいたくをすること。また、そのさま。
太棹 (ふとざお)1 三味線の種類の一。
音締 (ねじめ)
狼連
忽諸 (こっしょ)《たちまちに滅び尽きる意》軽んじること。ないがしろにすること。
疎影横斜
蠱惑(こわく) 人の心を、あやしい魅力でまどわすこと。たぶらかすこと。「男を―するまなざし」
三介
敵本主義
白璧の微瑕 (はくへきのびか) 美しい白色の宝石にわずかな傷があること。ほとんど完全なものに、ほんの少しの欠点があることのたとえ。
有明行灯
蓐中 (じょくちゅう) ねどこ(ふとん)のなか
悪七兵衛景清
実体
被布 (ひふ)
怡々 (いい)喜ばしいさま。喜び楽しむさま
辺幅 (へんぷく)1 布地などのへり。2 まわりから見たようす。外見。うわべ。
辺幅を飾る
蓮の台
目しい
真締
増上慢
無聊 (ぶりょう)退屈なこと。心が楽しまないこと。気が晴れないこと。また、そのさま。むりょう。
怏々 (おうおう)不平不満のあるさま。
緡蛮たる黄鳥
鶯の凍れる涙 「雪の内に春は来にけり 鶯の凍れる涙今やとくらむ」 (古今和歌集 春歌 4)
松籟 (しょうらい)松の梢に吹く風。また、その音。松韻。松濤(しょうとう)。
転瞬 (てんしゅん)またたきすること。また、またたきするほどの短い時間。
http://anond.hatelabo.jp/20110812223148
トピックでは「未成年は訴訟を起こせないから法定代理人にやってもらわないといけない」と書いていましたが、
実は未成年でも法律行為を行うことができる場合が例外的にあるんです。
婚姻、相続、認知など身分行為に関わることは人事訴訟という形で未成年でも単独で調停、訴訟を起こせます。
何であえて未成年では裁判できず母親も代理人としてやってくれないから困っていると書いたかと言うと、
母親が認知と養育費は要らないといっても、子供は要求するということをわかってもらいたかったからです。
本来は「認知と養育費を求める権利」は子供の権利であって、母親がどうこうする権利なんて全くないんです。
民法の家族法にも認知を求めることのできる権利主体は「子供(またはその直系卑属)」と明記されており、「母親」とはどこにも書かれていない。
ただ子供には判断能力がないから母親が代わりにやってるだけです。
日本では昭和40年代に14歳の娘の認知と養育費を母親が要求する裁判を起こして、
「意思能力のある子供の権利を左右する法律行為を法定代理人である母親が行ってよいか」という点が議論になり、
結果、子供の利益を考慮して母親が法定代理人として(子供の同意なしに?)訴えを起こしてもよい、という判決が出ました。
そして以降の裁判でもそれが踏襲されて、いつの間にか認知と養育費については母親が父親と取り決めるものだという認識が広まり、
本来子供の利益を守ることを目的とした(?)判決が、「認知しない」約束であっても子供抜きで両親間で勝手に取り決めていいんだという誤解を生んでしまったのだと思います。
でも本来はそれは間違っている。
本来は母親は子供の同意を得た上で認知と養育費については父親と決めなければいけないが、
胎児や幼児に認知や養育費の意味なんてわかるわけもないはずで、
いくら女に「認知と養育費は払わない」と言って彼女が納得したところで、
成長して物がわかるようになった子供はきっと納得しないだろう、ということです。
あと、認知してもらったら恩恵を被るだけとは限らず、不利益だって背負わせられる。
遺産相続できるが、負の遺産、つまり借金だって相続しなければいけません。
父親が借金を残して死んだら、子供が代わりに返済しないといけません。
また介護の義務も生じる。
父親が借金を肩代わりさせようとか自分の老後の面倒をみさせようとかいう目的で認知をすることもあり得るので、
子供が成人になって以降は、認知する際には子供の同意が必要なんです。
その父親がすごい借金持ちで要介護者だったら、子供は「認知しないでくれ」と言うでしょうからね。
父親の認知の要不要は母親の意思とは全く関係ない。子供の意思による。
で、私たちの場合、調停で決着がついたので裁判までは行かずに済みました。
正直「任意認知させてしまった」ことは失策だったとも思います。
「この男は自分の子供を認知せず要求されても逃げて無理やり認知させられた最低の卑怯者です」というメッセージがそこに書かれるわけだから、
本当はそうしたかった。でも現実的に裁判をするエネルギーはもうありませんでしたので諦めました。
でも拒否すると言うことは自分の子供だと認めるという意思表示に他ならないので、そこで強制認知が成立します。
しかし、いつでも成立するとは限りません。
女性が複数の男性とセックスしていた場合、これは男性に鑑定を拒否されたら強制認知は成立しません。
あの客が父親だといっても職業上他の男性とセックスしていることは明らかだから、鑑定で立証できなければ強制認知させることはできません。
ここでおわかりでしょうか、なぜ売春という職業が法外に高給取りなのか、社会的に蔑まれるのか。
「妊娠した時に責任をとらせる強制力を持たないという多大なデメリットに対する補填だから」
「孕んだ子供を高い確率で不幸にするから、不幸から免れさせるためには殺さなければいけない(中絶)から」なのです。
私の場合は最終的にはDNA鑑定で立証できましたが、拒否されていたときは、母が父親以外の男性と関係を持っていないことを証明する証拠を集めるのに苦労していました。
父親と関係を持っていることの証拠よりも「他の男性と関係を持っていないことを示す証拠」が重要なんですね。
ちなみにDNA鑑定の費用は30万円ぐらいかかりますが、敗訴(私は裁判はしていないので正確には申し立てられた方ですけど)した側が全額負担ですよ。
養育費は私は出生時点からさかのぼって払ってもらえると思っていましたが、
遡及できるのは「合意があった時から」で、私が調停を申し立ててから、大学入学以降の費用しか認めてもらえませんでした。
ここに「子供の権利だから子供が要求すれば認められる」理論には限界があって、
私みたいに物がわかって自分で裁判起こして認知と養育費の支払いを求めて認められたところで、
払ってもらえる金額は「自力で裁判を起こせるような大人になって以降」の微々たる金額しかない、
成人になってから裁判を起こしても養育費は払ってもらえない(せいぜい大学の学費ぐらい)わけだから、
将来的に介護負担とかさせられること考えたら、多分認知調停・訴訟を起こすのは割に合わないと考える人が大半でしょう。
結局実務的には母親が認知させないと意味がないという制度になっています。
行動を起こした時期が遅れれば遅れるほど、もらえるものは少なくなります。
続きます。
追記
ブクマコメント:ICレコーダで相手との会話を収録することの違法性について。
収録すること自体は違法でも何でもありません。
実際民事訴訟では証拠として同意なしに録音したテープがよく採用されています。
その前に父親も「調停を起こしたら殺してやる」と私を脅してきましたから、
広島県立高校の教諭らが、卒業式などで「君が代」斉唱時に校長の命令に反して起立せずに戒告処分を受けたことを不服として県教委に処分の取り消しを求めた訴訟で、最高裁第三小法廷(大谷剛彦裁判長)は21日、教諭らの上告を棄却する判決を言い渡した。教諭らの敗訴が確定した。
判決は、起立させる校長の職務命令について「思想・良心の自由」を保障した憲法19条に違反しないと判断した。同種の訴訟で「合憲」と判断した最高裁判決は4例目。
原告の教諭ら42人は、2001~03年度の入学式や卒業式で君が代斉唱時に校長の命令に反して起立しなかったことから、県教委から戒告処分を受けた。
第三小法廷は、先行した3判決の内容を踏襲。職務命令が個人の思想・良心の自由を「間接的に制約する面は否定しがたい」と認めつつ、教育上の行事にふさわしい秩序を確保する目的などを考慮すれば、「制約には必要性・合理性がある」と結論づけた。
裁判官5人のうち、弁護士出身の田原睦夫裁判官は審理を高裁に差し戻すべきだとする反対意見を述べた。「一部の教諭らについては起立だけでなく斉唱まで命令されたと解釈できる」と指摘。「斉唱の命令は、内心の核心的部分を侵害する可能性がある」との考えを示した。(山本亮介)
20ミリシーベルト問題だが、実は放射線医学専門家は引き下げを主張したが、
文部科学省側が20ミリシーベルト維持を押し切った、という未確認情報がある。
真相は未確認だが、私見では「さもありなん」という気がする。
より深刻なんじゃないか、と思う。
「自分たちが気付きあげた教育メソッドこそ最高」と固執して方針転換が遅れたり、
他学会から「教育界の常識を否定」された際にも直視しなかったりする。
例えば「教室の天井高は高ければ高いほうがいい」と教育界では信じられてきて、
文部官僚は地方自治体から申請あった「天井高の規制緩和」をかたくなに拒否してきたが、
しぶしぶ埼玉県で認めたところ、「かえって天井高が低くした方が、児童は心理的に落ち着く」という
あるいは「教育効果を上げるには少人数教室が最善」と教育関係者(文部官僚も日教組も)は主張し続けているが、
経済学者から「少人数教室にすると、トップ層が切磋琢磨しなくなり、かえって全体の平均学力は落ちる」と
今回の件についても、文部官僚は「屋外での体育活動が重要」とか
「子を疎開させて親と別離することは精神的に問題」という「もっともらしい理由」で
「できるのであれば20ミリシーベルトを貫いて、中通りで極力平常どおりの教育をしたい」という思惑を貫こうとしている。
彼らは「体育活動が重要」「親子のコミュニケーションが重要」という「従来からの教育メソッドの固執」という発想しかできない。
緊急時には、それこそ体育授業の1年間停止とか学童疎開という非常手段も求められるのに、
そういう「従来の延長線上からかけ離れた措置」を文部官僚は非常に嫌がる。
前例踏襲主義、という点では、文部科学省、もっと言えば旧文部省こそ、「官僚の中の官僚」である。
福島の児童の不幸は、官僚の中の官僚に学校運営権を牛耳られたことである。
お笑い芸人の水道橋博士が、何かの番組で、「面白いということは、強さなんだ」ということを言っていた。
この強い(強さ)とは何か。
例えば水道橋博士の師匠であるビートたけしの芸には強さがあり、それは内在する純粋な狂気がもたらしている。
そしてその狂気は、タレントとは別の北野武としての映画作品により顕著に露呈している。
一方、最近の新しいお笑い芸人、あるいは創作者一般でもいいが、この強さ=面白さという要素が弱化してきている。
それはなぜか。
新しい世代には、古い世代の持っていた純粋な狂気が不在しているからであり、それにかわってイノセンスが補填的な力として代用されているからではないか。
イノセンスとはピュアさであり、素直さでもあり、また己の弱者性ということでもある。
そのようなイノセンス的な芸というものは、フレームを破壊したり、新しく一から構築するといった力はなく、あくまでも従来のフレームを踏襲したものであるにすぎないことが多い。
けっきょく、イノセンスというのはそれそのものが甘美なものであるから、そこから目新しくて力強い面白さが発揮されることはないといっていい。
かれこれ、初代ポケモングリーンをやったのが最初で最後だったから、今回ポケモンブラックをプレイしたのはもう12年ぶりくらいなんだろうか。
いろいろ感じたことは、ポケモンとは今までのRPGの集大成だということだ。
とりあえずエンディングまでは辿りついた。
まだまだ冒険は終わりではないらしい。。
これからは順不同で自由度の高い旅が用意されているみたい。
出会いを求め、伝承を辿り、新たな発見を求めて冒険がずっと続いていく。
近作のポケモンでコンピュータRPG史上初めて導入された画期的な要素ではないけれど、このエンディング後のパートが大きいのは特徴的だ。
一本道の必須パート+エンディング後(あるいはエンディングの前から)に自由なパート
例をあげれば、クリアした後も、エンディング後にいけるようになる隠しダンジョンや、クエストとよばれる小冒険を続けることでストーリーテリングの楽しさが去った後もゲームの面白さを維持できる。
もともと、自由なパートが置かれる以前でもPG(ここではドラクエに代表されるRPG)の魅力の1つは探索だった。
今回、ポケモンブラックホワイトでエンディングまでに巡ることが出来る町はマップにある町のたった3/4ほどだ。
もちろん、通信機能を使ったクエストも用意されている。
ドラクエでいえば3、FFでいえば5、自由度の高い育成要素を加えたゲームは面白い。
反面、キャラに自由度を持たせることは、人格を定義しにくくなる。
ドラマパートでは勇ましいセリフを言うけれど、戦闘シーンでのジョブは遊び人だとか、移動シーンでは鎧を着てるのに戦闘シーンでは魔法使いのローブを着ているとか。
どんなにポケモンを鍛えようと、どんなポケモンを育てようと、主人公の人格に違和感はない。
パーティメンバーに過去の設定をつけないという意味では、DQ3のルイーダの酒場システム(Wizのが古いしギルガメッシュの酒場というべきか)と同じのはずだが、ポケモンのほうが自然とキャラへ感情移入が出来る。
流石にそこは人間と獣の差、獣はペットを飼う感覚で従えることができるが、共に冒険する仲間にはそれぞれ世界にたった一つの冒険する理由が欲しい。
戦闘員と主人公を全く切り離し、戦闘員を非人間にすることで完璧な解決を図ってる。
(3)狭い世界
RPGにおける世界の広さは、スーパーファミコン時代が一番広かったと思われる。
主人公が住む世界が地球規模(船や空を飛んで一周できる)で、さらにもう1つ、あるいは二つ同じように地球規模の異世界が次元をまたいだり時空をまたいで存在し、同じように人の営みが用意されていた。
ところが、それ以降は世界の広がりはない。
むしろ、ある外界から隔たった特定地方を舞台にすることが増えてきた。
おそらく、僕らの住む現実世界のようにいろんな人がいて、いろんな思想、派閥が存在する世界の諸問題は、魔王を倒せば解決するような単純なものではないからだ。
狭い、人の繋がりの密な世界の温かさ、かといって冒険が不自由なわけではない。
世界が狭いからといって、すぐに退屈してしまうことはない。
僕が子供の頃に近所の廃屋や林を探索していたときには退屈さを感じなかったように。
(4)古きよきターン制
ポケモン廃人がパラメータからダメージを計算できるように、極めて厳格なルールで動いている。
パラメータと行動の結果がほとんど予想可能なまでにすることで、カードゲームのような戦略性が生まれている。
そこに、僅かに1つ2つ、(僅かであるのがミソだ)乱数で決まる要素を加えることで、興奮が高まる。
テーブルトークRPGから伝統的な古きよきターン制だ。
しばらく気付けなかったが、風来のシレンのようなダンジョンRPGに通じるものがある。
なにを、何回、どういう順番で、行うか、それをプレーヤーに考えさせる。
MP制でなくPP制にしたのもそのせいだと思う。
もちろん、これが対戦という状況においてさらに頭脳戦の楽しさとなるだろうことは想像に難くない、
(5)通信要素
思えば、初代ポケモンのグリーンとレッドの2バージョンを用意することで、通信なくしてコンプリートできない仕様にしたのは画期的だった。
最近だと、インターネットにより携帯機でなくとも通信は可能になったけれど、ネットワーク利用で面白さを倍増させることに関しては、これ以上のゲームはなさそうだ。
面白さを倍増と書いたが、累乗といっていいかもしれない。
ラブプラスがDSの特性を最大限生かしたゲームとか言う意見を聞いたけど、そんなレベルを遥かに上回る。
やりこみ要素が強いのに、廃人も初心者も、小学生も大きなお友達も、みんな楽しめる。
以上、近作のポケモンでゲーム史上画期的というようなシステムはない。
ただ、集大成だ。
そのクォリティが高すぎて、RPGというよりもポケモンという新しいジャンルだと言っていい。
しかし、おそらくこんないろんな要素を絶妙なバランスで詰め込むのは他社には出来ない芸当だったと思う。
どうせ子供向けだろとか、グラフィックのドットが粗いとか、そう思って見向きもしてないだろうけど、みんなポケモンやってみてくれ。
「ある弱小野球部が、甲子園を目指すことになる。上手い選手はピッチャー1人だけ。残りの選手は一見カスだが、ある者は家が金持ちなので、練習場所や特注のバットを提供する。ある者は実はコンピュータの天才で、パソコンで戦術をシミュレーションする。ある者は心理戦に長けていて大人たちを懐柔する。陸上部からの助っ人は、まともに打てないが駆け足だけはべらぼうに早く、非現実的な盗塁をやってのける。そんな感じで全員が協力し、見事県大会で優勝する」
上の話は今適当に考えたものだが、強烈な既視感を覚えないだろうか。恐らくこのような物語は過去、何十作品、何百作品、下手すると何千作品と存在する。「それぞれがそれぞれのポジションで頑張って目標を成し遂げる」話は、超王道なのだ。
サマーウォーズも例に違わず、この王道パターンを踏襲した話である。ある者は数学で、ある者は花札で、ある者は格ゲーの腕で戦って敵を倒す話である。なので、全体の骨格について批判するのは賢いとは言えない。サマーウォーズの骨格を否定するならば、スポーツ漫画、バトル漫画の過半数も否定しなければダメだ。
では次に検討の対象になるのは、肉付けの部分だ。サマーウォーズの肉付けの特徴は、次の2点である。
1は今日既に珍しいものではない。マトリックス以降、サーバーパンクはもはや王道ジャンルの1つである。
2はどうだろう。実はこれ、珍しいんじゃないだろうか。ほとんどの協力バトル物語では、仲間は部活のメンバーだったり、クラスメイトだったり、軍隊や会社の一部門であったりする。「田舎の大家族」設定は、サマーウォーズ独自のものと言って良いだろう。
では、この設定は本作において生かされているだろうか。答えはYESだ。「部活メンバー」や「クラスメイト」設定に比べて、年齢も職業も違う家族のほうが能力のバリエーションがつけやすい。より多角的な戦い方が出来る。その分散漫に鳴りやすいという欠点はあるものの、試みは一応成功している。
というわけで、僕のサマーウォーズの評価は、「協力バトルものという王道の物語を、田舎の大家族という設定で味付けした、無難で普通に面白いアニメ」である。特別斬新な試みがあるわけではないが、disる要素もない。
サマーウォーズを楽しんで観ている層は、情弱でもないしオタクでもない。普通に面白い作品を普通に面白がりたいという、ごく普通の人たちである。叩いている層は、このアニメにエヴァのような何かを求めていたのではないだろうか。それは完全にお門違いである。サマーウォーズはエヴァではなく、むしろドラえもんである。
・どのレベルから専業になるの?
人それぞれだと思います。
結局作家さんが「自分は作家一本で喰っていく」と決めれば、その時点で(喰えなくても)専業ですから。
一般的には、
・レアですが、出版社側が人気シリーズ抱えた兼業作家に「先生、執筆に専念してもっと書いてください!」と泣きつく。
これがレアなのは、雑誌は新人等のプッシュというより、むしろ売れてる作家に書かせる場で、「専属契約」のような
漫画界の一部にあるような慣習もなく、結局、出版社側に「作家に収入を保証する手段が少ない」という一種の弱みが
あるからです。
・作家さんが、複数レーベルに渡りがついて、書きさえすれば安定して新刊が出せるようになった時に決断して本業を辞める。
ラノベ業界は「編集部の意向が強い」と言う点では漫画業界的なのですが、「複数レーベルOK」という点ではラノベ業界も
これが通用するのは、出版点数で8割を絞めるレーベルが同じ資本系列で、出版社サイドとしてはグループ会社で書きたい、
という作家にあまり文句が言えない、というラノベ界特有の事情もあります。
・作家さんが、何らかの事情で本業(作家じゃ無い方)で行き詰まった時。
事情は千差万別ですが、かなり多いケースだと思います。
というあたりでしょうか。学生デビューとかだと(食えるかどうかは別にして)最初から専業という方も多いです。
・専業になっちゃって食えない人は何の仕事するの?
・収入は作家活動のみで食えるレベルでは無いが、実家暮らし(あるいは配偶者の収入がある)なので問題無し。
(実家暮らしは特に若手の女性作家に多いです。お嬢だと十数年そのままのスタンスとか・・・)
・作家が本業だが、収入が足りないので、時間の自由が利くバイトで補って生活。
(必ずしも脱落コースではないです。冲方丁氏のようにそこからのし上がる方もいます)
・専業を止めて、作家は副業と割り切って、文筆活動と無関係な業界に就職する。なぜ文筆系じゃないかは、単純にそれが狭き門だからです。
->http://anond.hatelabo.jp/20100722170832
(副業で新作ペースが遅いと編集部も使いにくいので、結局、そのまま作家を辞めるケースが多いかもしれません)
ここのところ、新レーベルラッシュでとりあえず弾を揃えなきゃならない、という立ち上げサイドの事情もあって、
結構専業で食えてた(ぱっとした実績のないベテランでも、新刊を出しやすかった)作家さんが多かったと思いますが、
そろそろ新レーベルでも、自前新人養成と実績での選別をはじめているので、これからは専業は苦しくなってくるのかも
しれません。
えっ、何で?
相殺するとすれば所得税とであって控除とではないと思うけど、どういう意味?
ところで、負の所得税って額面いくらにするつもりなの?税額控除との相関関係は?で、財源は?消費税使っちゃったら意味無いよね?消費税使うなら、それこそ15%ぐらいにしないと。
財源→消費税に決まってるだろ。今まで何の話してたんだ
概算出すのは可能だけど、どのくらいの消費を生活必需品とみなすかとか、短期的に国民がどのくらいの負担増に耐えられるかとか、パラメータによって大きく変わる。それこそ国民的議論を経ないと決めようがないし、だからこそ菅なんかも数字は固定できなかったわけで。
一応ざっと計算出すけどあくまでイメージ例なんで細かい数字にイチャモン付けられても困るよ?
俺的には、消費税を10%(+5%)にした場合、5%のうち2%程度を還元に回すくらいを想定していた。だから実効では差引+3%相当(+6兆円)の増収。還元に回されるのが4兆円で単純に国民1.3億で頭割りすると3万円ちょい。これは約60万円分の消費額の5%増税分に相当する。住宅費を除いた生活必需品の消費が月5万円想定ってのはまぁまぁそんなにおかしい数字ではないと思う。ちょっと多いくらいかも。
長期的には15%~20%程度まで引き上げて、還元量も段階的に増やす感じかな。ざっと60万円分の消費額を生活必需品と見なすというのを踏襲するなら20%時に12万円か。うーん、多く感じるな、まあいいか。税収は単純に増税した時の換算で14%相当くらい。このくらいが目標かな。
もちろん、最低限の生活必需品で月5万想定は高いとか逆に安いとか、国民全員金持ちも貧乏人も子供も老人も一律かよとか、そういうところは一杯議論の余地があると思う。
ところで、税制って毎年のようにコロコロ変わってて役所も民間もコロコロ変更してるけど、実はそういうのってよく知られてなかったりするのかな。審査しなければならないものが増えたり減ったりすると大変だけど、欄が増えたり減ったりなんて日常茶飯事だよ。役所側はともかく民間側は毎年やってるレベルの対応の範囲だと思うが。
俗にいう「ぼくのかんがえたさいきょうのさんぎいん」という奴です。
今日は参議院選挙。参議院不要論もいわれてるけど、折角あるのを使わないのはもったいない。
ただ、衆議院と同じ選挙システム、同じようなメンバーでもうひとつの議院があるのは無意味だよなー。
そもそも諸外国では二院制の際、片方の議院に別の役割を付けていることが多い。
アメリカであれば、上院は州ごとに決まった人数が当選するシステムだし、イギリスなら貴族院みたいなのもある。
じゃ、日本も何か別の役割を与えてやればいい。
日本の問題点は何か。不況もそうだけど、これは政治制度では解消できそうにない。
世代間格差は問題だと思う。将来的に、永きにわたってのしかかる問題だから、解決しなければならない。
で、新しい参議院を考えてみた。
新しい参議院では世代ごとに定員が決まっている。
20代、30代、40代、50代、60代、70代以上で各定数が40人。
例えば20代であれば、立候補者は20代限定。立候補者に投票できるのも20代のみ。
選挙方式としてはネットを駆使する若い世代としては全国区のがわかりやすくていいんだけど、高齢者には厳しい。
全国を8選挙区に分けて戦う。若い候補者はネットを駆使し、高齢の候補者は地道なドブ板選挙戦。
選挙制度は中選挙区制か、非拘束名簿方式の比例代表制(現在の参議院選挙のシステム)。
衆議院に先議権などを与えて、最終的には衆議院の議決が国会の議決になるものの、参議院でも議論を行う。
特徴としては各世代の候補者を国会に投入することで、世代を超えた議論を呼ぶことができる。
その他の世代であっても、世代の問題を国会での議論に反映させやすい。
少なくともまったく議論されない状態が起こることはなくなるはず。
全国民から選ばれたんじゃない議員はどうなの。といわれるかもしれないけれど、
現在でも小選挙区選出の議員さんなんかは全国民に選ばれたわけじゃないよね。
地方の選挙区から選ばれることで、間接的に国民から選ばれた議員ということになる。
別に世代で選んでもいいじゃない。
20代、30代の未熟な議員が増えるのは問題かもしれない。
でも、現在だって、選挙の最中に当選後に勉強しますとかヌケヌケという候補者がいる状態だよ。
若くてもちゃんと勉強をして、やる気のあるやつのがいいじゃない。
全国民の意見を反映して選ぶというところは衆議院で既に達成されているので、参議院は少数意見をどうやって汲み取るかという視点で考える。
そりゃあ、後者の方が遙かに深刻だわな。他の宰相達もさぞかし苦笑した事だろう。「今度の日本の首相はこの程度かよwww」って。
もしこれから、管さんが同じことを何度も何度も間違えたら、そりゃ恐らく問題になるだろう。
野党時代から間違えっぱなしだけどな。
それは菅直人にも言える事だろ。でもって、衆院は任期満了まで続ける(解散はしない)とか平気で言っちゃってたわけだし。
鳩山政権末期は上がってたよ。参院選の投票先も自民が逆転する世論調査結果も結構あった。
俺は麻生さん好きだし、漢字間違いもそんなに気にならなかったけどさ、あんたは冷静になったほうがいいよ。
踏襲を読めないのと、呂律が回らない・G8をG7と間違える、は次元が違いすぎるからね?
もしこれから、管さんが同じことを何度も何度も間違えたら、そりゃ恐らく問題になるだろう。麻生さんがああいった報道に晒されたのはあまりに間違い過ぎたから・一国の首相が簡単な漢字も読めなかったというセンセーショナルな話題だったからだよ。
それに、あの時期は選挙もせずに首相が選ばれて批判が多かった時だし、民主はそういった自民を見限ったという国民の声が反映された結果晴れて与党になったのだと思う向きもあるから、あまり批判的にはならない。民主の支持率が下がっても、自民の支持率はたいして上がらなかった。マスコミとしては国民の代弁者としてその気持ちを追随するような報道をしなければという気持ちが強いから、当然強くは出られない。