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はてなキーワード: 違和感とは

2012-02-15

俺の方が間違っているのか

安藤至大という経済学者残業規制を厳しくすべきでないという記事の中で

労働者サービス残業を認めるのは将来的な利益が得られるから今は我慢しているのだみたいなことを言っていた

これを読んでものすごく違和感を感じた

労働者立場は非常に弱い

経営者クラス医者みたいな立場なら話は別だが、ほとんどの労働者は変わりがいる

単純労働者なんてまさにその典型例だ

サービス残業で有名なIT業界プログラマーは吐いて捨てるほどいる

5時になったらタイムカードを押して、そのまま仕事を続けてくださいという経営者側の指令を断ろうものなら、

すぐに退職に追い込まれ、代わりの者をあてがわれてしま

朝日新聞の記事でも経営者の言うことには従わないとという理由でサービス残業をしている人が半数近く上っていると書かれていた

どこからどう見ても安藤至大の言っていることは間違っているように思うんだが、俺の勘違いなんだろうか

子連れ様?

当方30代。10歳と5歳の子餅。

最近感じた同世代の子育てをする人たちへの違和感について。

そもそも、「私達子連れなんだから食べ物屋さんに食べ物以外のサービスまでしてもらって当然よね」みたいな価値観がよーわからん

お金払った分の「静かに美味しく食べられる環境」を平等提供してもらう権利は主張してもいいと思うんだけど、

自分責任で生んだ自分の子の面倒までちょっと負担してくれたっていいじゃんっていうのは違うと思うんだ。

自分の上の子乳幼児の時のおでかけは、必ず「食器+エプロン+折りたたみ子供椅子」3点セット持参してたし、

子供が飽きた時の為にお気に入り絵本や、赤ちゃん煎餅も持ってった。だからすごい大荷物。

服とかも奇麗にとか無理。当然行けるのは普通のファミレスor定食屋or居酒屋だけど、

必ず他のお客さんに迷惑にならないように、行く前に電話して子連れおKか訊いたりしてた。

たまに断られることもあった。まあ仕方ないよな、って感じ。

5年経って、

の子の時は、大抵のお店に上記3点セット以外にも色々用意してあることが多く、

大変身軽になったばかりか、

帰り際の会計時に子供お菓子をくれる店も多くなった。子供の遊び場がある居酒屋さんも増えた。

親にしてみれば本当にありがたい世の中になった。ちょっと恵まれ過ぎててキモイとすら感じる。

ただ

これが誰かのゴネ得の結果じゃないことを祈りたい。

もし自分独身だったなら、深夜に居酒屋さんで飲んでる時に子供がキャッキャする声がするっていうのもなんだかなって思う。

あといまの若いパパママ世代がこれくらい当たり前くらいに思っているのはちょっと違和感がある。

あくまで子供自分責任で育てるもの地域が〜、社会が〜、っていうのは

自分が義務をちゃんと果たして貢献して初めていい得るものだろうと思う。

ちょっと最近の子育て世代は「お子様連れ様」化しているような気がした。

2012-02-14

http://anond.hatelabo.jp/20120214223437

俺の国語感覚では、「彼女」でいいじゃん。と思う。

なぜわざわざさんをつける。

「彼さん」と言うのは完全に誤りだと感じるんだが、「彼氏さん」ならいいとされてるのか?なんか変じゃね?

たとえるなら、「あなたさん」と言ってるのと似たような違和感かも。

次代が進むにつれて日本語も変化するというが、「彼氏さん」「彼女さん」もその一環なのか。

http://anond.hatelabo.jp/20120214205608

恋人さん」よりナンボかマシでは。



実際呼ぶ場面を考えてみると、そういう関係の代名詞を使う場面が不自然から気持ち悪いような気がする。

「Aさん」「Bさん」と名前とか苗字とかで呼べばいいじゃん、てなる。

せいぜい「Aさんの恋人のBさん(=略してBさん)」であって、「Aさんの恋人さん」は違和感

兄弟とかは「Aさんの弟」だとなんか不躾な気がする、かといって名前で呼ぶほど本人のことも知らないし、というとき「弟さん」となる。

彼女さん」「彼氏さん」という代名詞が気持ち悪い。

取ってつけて媚びたような感じがある。

妹さん弟さんは特に違和感ないのに。どうしてだろう。

http://anond.hatelabo.jp/20120214142621

あんみつスイーツ違和感無いなあ。



甘味は古い言葉で、昭和時代には既にケーキとは区別されていたけど

甘味処ケーキがあると言っている増田がいるけど、あれは回転寿司屋でケーキが回ってるようなもんで

「本来は扱わないものだけどおまけで置いている」状態だと認識していた)

スイーツは新しい言葉から許容範囲が広い。

http://anond.hatelabo.jp/20120214124842

ケーキ甘味と呼ぶのはあんみつスイーツと呼ぶのと同じくらい違和感がある。

どっちの違和感を受け入れるかの話でしかないな。

http://anond.hatelabo.jp/20120214124842

甘味処ケーキプリンは出さないし

甘味というと和風ものしか指さないのだと思ってた

「なにかスイーツ食べない?」って言ってあんみつを食べにいくのは普通だけど

「なにか甘味食べない?」って言ってケーキを食べにいくのは違和感がある

2012-02-13

SNS違和感

定期的に話題になるSNS疲れ。

mixiFacebookTwitterやらいっぱいあって訳わからん、と思いながらも自分も適度にSNSたちに浸かりながら生活している。

そんな中で感じるのは、コミュニケーション過多だなということ。

みんな絡みすぎじゃね?みたいな。

すごく違和感を感じることが多い。ちょっとこわい。

急にこれらのサービスが無くなったらみんなどうなるの?

耐えられる?

意図的にこれらSNSから少し離れているけど、なんか少し不安なっちゃう。

適度に利用しているつもりが、知らないうちに依存しているのかもしれない。

自分自身、昔より精神的に弱くなったなと思う。

すごく便利になってすごく世界が広がったのに、なぜか窮屈になっていく。

SNSとその中にいる人たちとの付き合い方を自分の中でしっかり確立しなきゃいけないな。

多分これから先もこの違和感とずっと付き合っていかなきゃならないんだろうし。

2012-02-12

なにをシェアしてるのか。

シェア」とか「繋がり」とかが、時代トレンドテーマのように考えてたけど、なんか違和感が芽生えてきた。

何をもってシェアや繋がりが大事なのか。今まで、若い世代は近所付き合いなどの繋がりが薄く、それを円滑にするためにシェア大事だ!って言ってると思ってたけど、今の世代はメディアが言うほど繋がりに植えていないし、自己中心的な人や空気を読めない人は排除されるコミュニティに成り立ってて、繋がりに飢えているはずがない。(あるのは、自分が誰かを演じてる違和感の方だ。)



人付き合いが薄くなってるっていうのは、単純にコミュニティの形成、形式が変わってきただけなんじゃないか

その中でも、若い世代はコミュニティをきちんと生きてるように俺には感じる。「人間観察が趣味です。」とか意味不明なこと言いながら、必死空気を読みながら生きているじゃないか

それでもなお、やれ「シェア」やれ「繋がり」などと、背中を押されているように見えてきたのだ。





では、何故シェアや繋がりをテーマにもってきたのか、それは時代や世代がそうさせたんじゃなく、社会企業がそうさせたに過ぎなかったと思ってきた。


仮定する筋書きは以下。

→若い世代の消費行動とか、もう全然わかんない、全然予想できない。困った。てわけで、シェアさせよう。ネットに赤裸裸に書いてもらおう。

メディアでまず、「若い世代は人間付き合いが下手。」「昔みたいな人情も無い。」レッテルをはろう。

レッテルを貼ったら、あとは若い世代向けトレンドケータイなど)からシェアせよ!繋がりが大事!」と号令をかける。

→流れに敏感な若い世代は、自分を”ウィキリーク”させていき、消費行動や世代性を惜しみなく公開。

→ああね、なるほどね。新しい消費行動もだいたいわかったから、もう号令かけなくていいよ。  ←今ココ




話を世代から国家にもっていく。



シェアって、そもそも何を指してたのか。

この隠蔽体質日本で何をシェアしてきたのか。

みんな情報は金になるのを知ってるくせに。海外にどんどん負けながらも、国内での生き残りも大変な企業。畳み掛けるように現れた、「スーパーコンペティション」の現象で、有益な情報もっとシェアされなくなっていく。





政府東電情報を公開しない事を全面的に否定できないのは、自分たちだって重要な事はシェアしないからじゃないのか。

日本国民がもってる問題は、ほんっとうに根が深い気がした。





インターネット上でのシェアなんて、まだ「エンターテインのシェア」と「自分ウィキリーク」どまりなんだと思う。




これからは、有益な情報でも惜しみなくシェアする事が大事なんだと思う。

そんな意識が当たり前の国民性になった時、ようやく政府東電隠蔽する事態を回避、鎮圧できるのではないだろうか。

2012-02-10

http://anond.hatelabo.jp/20120210102413

テストドリブン型」は「JAVA」ほどの違和感なんて無いと思うけど

test-drivenをテストドリブンと言うのは至って普通だし、「型」の有無なんて翻訳の揺れの範疇だろ

http://anond.hatelabo.jp/20120209191403

十分意味通じるし厳密に使わないといけない用語でもない

こういうことを普段やってるとか、是非やりたいとか、情報を十分に収集してれば普通の言い回しができるはず。その普通の言い回しができないということは、普段やってないし、情報も収集してないってこと。だからTDDでー」とか「アジャイルでー」とか言いたいだけの似非エンジニアだと判断。Java精通してると自称してる奴が「JAVAは」とか表記したら強烈な違和感を持つだろ?それと同じ。

こいつはただただ速いPCが欲しいだけの駄目エンジニアで、聞くべき視点無し。

2012-02-09

[]「生活保護は働け~!!  うつは甘えだ~!! というテンプレート阿呆が居た。」を読んでの雑感

http://togetter.com/li/254721を読んで、ブコメにまとめるには量が多いので、こっちにまとめる

生活保護受給者に「社会権」を持たせる必要はない」とか普通に若者が言うしTwitter外でも言う人いますからね。私の周りにも・・・。このような「生活保護バッシング」の今を見てると生活保護を受けてる人の就労は極めて難しいと思うよ。逆にこの状況をみると即時就労する気もうせるのも納得。

そういえば、pukumaだかなんだか忘れたけど、どっかの研究員だかが同じような主張してたなあ

誰かが何かの権利を持っていないことを指して、権利を「与えられていない」と言うか、権利を「奪われている」と言うかでニュアンスがだいぶ違ってきますね。

権利と義務はバーター」っていう言葉、まあ間違ってはいないけど、「社会権生存権は納税、勤労、教育の義務とバーター」っていうと変だよね 

私ね、思うんだけど、生活保護って労働制にしたらイイと思わない? 1日自転車どれだけ片付けたとか、駅などの公衆の掃除とか。 病気で動けない人以外は参加させるって言うのかな。そしたらそこから社会復帰のキッカケになるかも。

これ自体はベーシックインカムあたりの落とし所のひとつにはなりそうだなあと思う。というのも、そういう制度を導入するにあたって、勤労の代わりになるものは何かさせないとたぶん反発する人は絶対に折れないから。

思い方の問題なので、その人間の生い立ちなどにも関係します。 そこから逃げて、痛い現実を受け入れられない甘えが思考にあるのです。

こういう思想って受験とか他のところでも散見されるよね。特にセンター試験を受けずに入ってきた人らに対しての見方は近いんじゃないかな。「俺たちはこんなに睡眠時間削って勉強して試験に臨んでいるのに、なんなんだあいつらは」みたいなね。ちなみに僕は部活して帰ってきてからの一時間ぐらいの勉強時間だけで旧帝入りました。でも今は親のすねかじりだけどね。甘え乙

根性気合精神疾患が治せるって言う人、根性気合で補給なしで作戦強行した旧日本軍と何が違うの? 軍国主義者なの?

というか、根性気合がないと健常者にすらなれないジャパンマジジャップ

苦境に陥ると竹槍に退行するようなことがまともなことだと思える感覚がちっともわからん

真の健常な日本人ならB29見てから竹槍余裕でしたってことっすよ(16連射

精神疾患は甘えって言ってる奴は会社で「なんであい休みなんだよ!何も進められないじゃねーか!」とリスク管理していない確率90%

甘えって言ってなくても今の企業ってそんなもんじゃいかなあ 僕がバイトしてた小売は夕方バイト一人とかザラ。代わりいないよ。インフルエンザでも出勤しよう

差別されるのは「される側が悪い」論ですな。

いじめられるのは理由がある。レイプされるような服装してるからだ。万引きされるようなザルセキュリティなのが悪い(ぷんすか

その人は病院ですよね?

僕はウナギ

セロトニンを増やしましょう!

ってのはあほらしいけど、「日光を浴びてビタミンDを生合成しましょう!」というと違和感がない。違和感はないが、こういう勝手にできるものを「しましょう!」だなんて言われても鼻くそほじりたくしかなりようがない。そういえばこの人福山雅治が「生活保護は甘えじゃない」って言ったら折れるのかなあ。ただイケ壁殴

99.9%除菌できる商品に対して0.1%除菌できてないじゃないかと怒る人はいない。これいい例えじゃ?

いるよ。というか100%除菌できないのになんで売り物にしてるんだ!という意見さえあるよ。小売怖いよ。

その言葉の本来の意味さえ分からずに使ってるところに

正直、この言葉はもう本来の意味なんて失って久しいと思うのですよ、はい

英語上手くない日本人が書いた論文が読み辛すぎる

なんでアメリカの有名大論文書いてるような優秀な日本人英語力がこんなもんなんだ…。

少なくとも俺程度じゃ違和感感じとれないくらいのレベルのはずじゃないのか。

2012-02-05

ワンピースドラゴンボールになれない

ワンピースドラゴンボールを超えた」という人もいるけど、ちゃんちゃらおかしい。

もちろん今のところ、ワンピースの人気は高いけど、それはただ流行っているというだけ。

どうせ連載が終わったら、「ワンピース?ああ、そんな漫画もあったな」という感じになってしまうよ。

連載終了後も根強いファンがいて、ゲームやグッズが発売され続けるドラゴンボールにはぜったいなれないと思う。

そんなことはワンピースの連載が始まった時からわかっていた。

ある漫画ロングセラーになれるかどうか、これを決めるのはみんながその漫画を何度も読み返すかどうかにかかってる。

もし読み返されなかったら、すぐに忘れ去られてしまうだろう。

アニメイカ娘」は2期が製作されたのに、「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」はされてない。

まあ、作ってもよかったんだろうけど、もし俺妹2期が放送されたとして、イカ娘2期の場合と同じ高さのテンションでそれを迎えられる人って多くないと思う。

「ああ、そういえば俺妹とか、あったなあ」という感じだろう。

俺妹の1期放送中は各話を何度も繰り返し観た人も、いざ最終回を迎えた後では、俺妹に対する興味が失せてしまった、という人は結構多いはず。

たまに観返しても、「あれ?こんなアニメだったっけ?もっと面白かった気がしたが・・・。」といった違和感を覚える。

この原因は、そもそも俺妹というアニメが「最終回が気になる」タイプアニメだったからだ。

視聴者は、「主人公と妹が仲良くなれるか??」という緊張感を最終回までずーっと引きずってきた。

しかしいざ妹が素直になったのを観ると、その緊張感は消えてしまう。

からふたたび観返したとき、物足りなさを感じてしまうんだ。

からといってこのアニメがつまらないというわけではない。

むしろ近年まれに見る傑作だった。

ただこういう種類のアニメは、最終回後に観ると面白さが半減してしまう。

ペリーヌ物語」なんてのも好い例だ。

逆にイカ娘は、緊張感がぜんぜんない。

しかも各話独立のため、1期全体を通した一貫性というのも無い。

からみんな、純粋1話1話面白いという理由だけでイカ娘を観ていたはずだ。

こういうタイプアニメというのは、放送が終わっても何度観ても面白さは変わらない。

基本的に、俺妹のような「最終回が気になる」タイプアニメは、最終回が終わった後は忘れら去られることが多い。

ただし例外的に、最終回視聴者欲求不満を残すような終わり方をするアニメは、何度も観返される。

たとえば「あしたのジョー」。

あるいは「エヴァンゲリオン」。

こういうアニメ最終回を迎えた後も「いつも心のどこかに引っかかっている」ということになる。

からみんなふたたび観る。

2つ目の例外として、「まだ続きがありそうな終わり方」をした漫画は、何度も読み返される。

たとえば「スラムダンク」。

もしこれが「桜木が全国優勝して終わり」とかだったら、読者はみんな心から満足して、その漫画のことをきれいさっぱり忘れたはずだ。

(まあ誰も試合結果を気にしてないテニプリは、また別。)

あるいは「ドラゴンボール」。

悟空より強い敵はまだまだたくさん出てくるんじゃないかと思わせる。

鳥山明さまの終わらせ方は本当に上手いと思う。

さて問題のワンピース

ワンピースほど「目的が多い」漫画はないだろう。

まずルフィの「ワンピースを見つける」という目的

読者は「いったいワンピースとは何だろう?」と気になりながら読んでいる。

そしてシャンクスとの再会も気になるところ。

ゾロサンジにもいろいろな夢がある。

こういうありったけの伏線を張っておいて、いざ最終回を迎えてすべての伏線が回収されるとき、その満足感は計り知れないが、逆にその分だけ、えらく気の抜けたことになってしまう。

からふたたび読み返そうにも、「ああ、ひとつなぎの大秘宝ってのはつまり4つの〇のことなんだよね。」などとわかっていたら、面白さ半減もいいとこだ。

みんなの中にはこういう反論があるかもしれない。

「私はアラバスタ編は何度読んでも泣けるよ」という人が。

しかしそれはワンピースという漫画がまだ「終わっていない」からだ。

しかしいざ終わってしまえば、「過去漫画」になってしまうだろう。

それがワンピース

2012-02-03

http://anond.hatelabo.jp/20120203115803

元増田はこれを「認められない」という言い方でしてるけど

もちろん元増田が何らかの権限や権威をもって認めるとか認めないと言ってる話ではなく

論理的にそれは出来ない」っちゅう話だよね?

意図は汲めるけど、表現フライング気味だっつー話だよ。

かいことを言うと「論理的にそれは出来ない」かどうかは、前提を共有できているか否かが不明なので、あまり適当ではないと思う。

理屈としてそれは出来ない」くらいの表現のほうがいい。

で、「認めない」という表現をしているから気になっただけで「認められない」という表現なら、認める主体が不特定になるからいいんだよ。

揚げ足取りの粗探しに見えるかもしれないが、俺にとっては意見の内容なんか正直どうでもいいんだ。

誰の、どんな主張であっても、等しく興味が無い。

ただ形式に違和感があるものは許せない。特に理屈をもって他者を批難している言説の中に、こういった違和感があるのは生理的に耐えられないんだ。

2012-02-02

http://anond.hatelabo.jp/20120202000619

橋下がどんな善政を敷こうが絶対に認めたりはしないよ。

そうじゃなくて、

善政になるか悪政になるかですらなくなったってこと。




「なんか怖い」

違和感

というアホ議論を擁護するなら

「なんかやってくれそう」

期待感

ていうアホ議論を指弾する資格も失ったってこと。

議論の行方はあてずっぽう勝負に堕したということ。




そういうレベルの議論に手を染めた人間には以降、

橋下施政が善政になろうが悪政になろうが

「おれっちの勘が当たったぜ!」以上の感想戦は認めない。

そしてこれはもう文明国の政治談義ではない。

2012-02-01

アホの行列

香山リカさんを「無能」と切り捨ててしまうことへの違和感 - 琥珀色の戯言

http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20120201#p1




香山リカが「なんか怖いのー!」などのボンヤリしたことしか言えないアホ丸出しの醜態だったことを認めたうえで

なお香山の肩を持つっていうこれはもう

反知性主義しか言いようがない。

リベラル陣営がこんなことでいいんだろうか。




こいつとこの記事に肯定的なコメント書いた奴等は

「なんとなく橋下さんならやってくれそう」っていうボンヤリ有権者を批判する資格永遠に失ったか

そこんとこはよーく覚えといてね。

http://anond.hatelabo.jp/20120201012749

「私のためを思って叱ってくれるし、卑屈にならず前向きだから好き」ってとこか。

結構ありきたりな理由だったね。

「誠実、一途、私だけを愛してくれそうだから好き」とたいして違いがないように思う。

これまでの人生を一緒に乗り越えてきたから選ばれた、ってのもそれは結果論であって。

「誠実、…」の女と同じ年数過ごせば同じ様に違和感なく結ばれるだろうよ。

多分あなたは「誠実、…」という理由に「お前はチビなんだから浮気なんかできっこねえだろ?」というウラ意味を読んでるから不快に感じるんだろうね

2012-01-30

違和感

今の状態に違和感

気をつかう事と甘やかす事の境目がよくわからない。

今までの自分価値観だけでやってしまうと間違っている事だけは解っている。

なら、今の状態はどうなのか?

短期的な結果と長期的な矛盾する結果をそれぞれ出さないといけないから難しい。

橋下徹氏への期待と違和感

僕はとりたてて左でも右でもないと思うが、個人的に橋下徹氏のやり方には強い違和感を感じる。君が代を歌わない教員を罰する、などといったタカ派的な行動(http://goo.gl/fdA8f DailyMotion: これで彼自身恥ずかしそうにしてちゃんと歌っていないというのは置いておいて...)やテレビタレント時代核武装とか中国売春ツアーODA発言とか弁護士懲戒請求の扇動とか、そういう極端な言動への違和感が第一にある。ナイーブに考えて、下品で息苦しいのである

だが、僕が結構ファンである佐々木俊尚氏(http://twitter.com/sasakitoshinao)や夏野剛氏(http://twitter.com/tnatsu)など、わりとリベラルで先見的と思われる人たちが橋下徹氏に好意的な評価をTwitterでしているのを見て、どうしたものだろうか、としばし考えた。

たとえば佐々木氏は、橋下氏の実行力を評価し、橋下氏の批判者が感情的な批判しかできていない、ということを指摘していた。たしかに、行革財政再建を目指す政策は私も賛成である。また、部落問題や暴力団のような複雑な問題も、彼くらいの突破力がないと解決できないだろう(私が橋下氏に一番期待しているのは、そのような問題の解決においてである)。ただ一般に彼のやり方は、敵を作り、スケープゴートを作ることで住民の溜飲を下げさせていることで勢いを維持しているように見えてしまい、その手法に狡さ・醜さを感じるのである。さらに言えば、それに乗ってしまう人々の多さにも空恐ろしさを感じるのである(こういうと香山リカ氏みたいだが)。私は、橋下氏はルサンチマンに駆り立てられて動いている人間だということに気づいたが、彼がさらに住民の潜在的なルサンチマンを煽っている構図なのではないかと思うのである。そういう点で、現代のヒトラーという指摘はあながち見当違いではない。

私みたいに、緊縮財政行革による財政再建は大いに結構、だがイデオロギー的な押しつけの空気タカ派挙動、さらには彼を突き動かしている感情にはアレルギーがある、という層は多いのではないだろうか。

佐々木氏が今日になってついに「橋下氏について行けない人たち」などという(そこまで言ってしまうと戦時中非国民とかと同じメンタリティーにしかすぎないだろう)気持ち悪い全体主義的なポストまで挙げていたので、なんだかガッカリさえした(本当の知性や強さというものは、結論の出ない曖昧から目を背けず、それに耐えて批判的に考え続けることではないのか。)のと同時に、自分の中でどういう立場を持てばいいのか、折り合いをつけなくてはいけないのかな、とも感じたのである

私は科学者だが、周りを見ていてたしかに偉大な科学者が必ずしも人格に優れているわけではないし、科学者を見る際には業績と人格、さらに教育者としての資質は分けて考えるのが普通だ。政治家もそれと似たようなもので、イデオロギー実質的な政策を分けて考えるべきなのかもしれない。彼の財政再建のための活動は評価するが、彼の人柄や彼を突き動かしているイデオロギーものには疑問を感じる、という折衷的なスタンスをとれば、私自身感じている息苦しさにも折り合いをつけられる。

余談だが、橋下氏、昔はテレビではけっこうチャライ感じでいじられキャラだった記憶があるのだが、いつの間にあんなに強者のキャラになったのだろう。そういうパブリックイメージの変遷のメカニズムにも興味がある。

ひとりのAnonymous Cowardより

電車の子

僕は、電車通勤している。

空いていそうな車両を選んでは乗っていたが、ある時、ある事に気づいてから、他の車両に乗れなくなった。

僕の通勤時間は、学生さん達の通学時間とも被るから、僕の座る席の回りも、学生さんでいっぱいになる。

毎日同じ電車なので、名前は知らなくても知った顔が増える。かといって挨拶するわけでもないが。

ある日、途中の駅で乗り込んでくる学生さん達の中にその子はいた。

女の子だ。


なんとはなく、違和感を感じた。その違和感がなにか確認するため、翌日も同じ車両の同じ位置に座る。

果たして、同じ駅、同じドアからの子は乗ってきた。

高校生、いや、それにしては顔つきが幼い、中学生かもしれないな。


違和感の正体は体型だった。

ポニョ歌詞ではないが、まんまるお腹女の子......

はじめは、ダイエットの失敗かとか、なんかの病気かとも考えたが排除した。


ごく自然に考えるのなら、新しい生命が宿っているのだ。


背景に何があったかはともかく、この子はその生命を絶とうとはしなかった。そして制服を着て、電車で通学する。なかなかすごい決意である


ただ、席を譲らせてくれないのだ。

そろそろ、諦めて、座って欲しい。見ていて、いつ転ぶか、正直怖い。


なんとか、席を譲り渡す、よい方法は無いかねぇ。(まわりはわりと無関心モードなので気づいておらず、下手にばらすとその子が針のムシロであることも、なかなか強攻策に出られない理由である)

2012-01-25

男のおしゃれは大変だなぁとかおもった。

個人的にはファッションは否応なしに内面を表すものだと思ってるから

好みに合わない服着てると見た目も内面もむなしくなる。

普段着ない系統の服でも、自分の好みに近いところなら

挑戦できるけど、全く趣味でない系統だと自分のなかで違和感がすごい。

2012-01-23

相手が上から目線に見える回数が多い人はコミュ障か?

同じ刺激を受けても、文脈を推しはかる力がとぼしく、価値観の共有を前提としなければ会話ができない人は

なんらかのコミュニケーション障害であると考えて良いと思う。



http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120118-00000301-newsweek-int

どういう局面では「上から目線」と非難されて、どういう場面では「ドヤ顔」で済むのかというと、そこにはある種の条件がある

価値観が共有されていれば、ユーモアを込めて「ドヤ顔」という言葉でその「得意満面」な態度は承認されるわけです。一方で、意味もなく大きな態度を取っていたり、得意がっている背景にある価値観が到底納得できないものだと、周囲からは「上から目線」だという非難を受ける

例えば、芥川賞に4回候補になりつつも落選を続け、今回5回目で受賞した田中慎弥氏。部分だけ聞けば「新人作家の分際で『上から目線』もいいところだ」という印象になる。「文脈」が加わると話は変わってきます。「当然」というのは不遜でも何でもなく、田中氏なりの創作者としてのプライド表現しただけという理解が可能になる。

アメリカ場合はどうしても平等思想などの「タテマエ」が強いので「上から目線」だという不快感を感じても、ガマンしてしまうことが多いのです。その点で、日本場合言葉そのものに「上下関係の規定性」がありますから上下感覚として一方的な価値観が出てくると相手には顕著な違和感が出てくるし、結果的に「異議申立て」も多くなる

2012-01-21

ゲーセン読めなかった。

ゲーセン出会った不思議女の子

というまとめが話題になっているけど、創作だろ、事実だろと言い合っているのもちらほら見られた。

個人的には、創作だろ、と思って、それゆえに途中からスクロールして結末読んだ。

たぶん、ちゃんと読んだら感動するんだろう。

なので内容については批判はしないけど、創作事実として提示することについて感じたことをメモっておきたい。

もちろん、

創作だと分かっているよ、その可能性はあるだろうよ、でもさ、別にいいじゃん、書いてある事が良ければ

という意見があることも分かる。本当はどちらかというと、そのポジションでありたい。


別にいいじゃん、書いてある事が良ければ」よりの考え方である根拠について。

昔、4日間の奇跡という小説を読んで文章あまり上手くないなあと思った。でも、最後まで読んでちょっと泣いた。

創作でも、文章や構成が甘くても、表現しようとするものが確かであれば評価されるべきだろうと思う。

2chまとめでも、イラスト描くようになって同じ趣味彼女もできたけどイラスト勧めてくれた親友が亡くなった話とか、

風俗嬢を好きになって親友と一緒にAV出演の契約をさせられようとしている窮地を救う話とか、

あいうの読めるし、いい話だなーって思う。でもゲーセンは読めなかった。

たとえば、あの話の導入部分で違和感を感じた箇所が二点あった。ちなみにこの違和感は4日間の奇跡の文章に感じたものに近い。

一つは、少女喫煙所で会話をするシーン。もう一つは、イラストと口にした途端、少女が暗くなるというくだり。

細かくは書かないけど、どっちも不自然だった。(そしてそれ以降スクロールした)

些細かも知れない。でも自分小説書いた事ある人なら分かると思う。

登場人物の立場だったら、どういう振る舞いが自然か、自分の好みやご都合主義が混ざってないか推敲する。

作者の偏好や、その状況の想像不足、物語の展開のため仕方なく不自然になってしまったシーン。

創作ならその不協和音を作者の稚拙さということにして、読み進められる。

ん?ここ作者の個人的な好みで展開しているよねってことも、その作者の傾向として許容できる。

だけど、それが現実にあったこととして語られると、その不協和音はどこで解消すればいい。

事実と言われれば受入れ難い展開も「事実なんだから」と否定できなくなる。「事実」にはその強要がある。

あの話は不協和音の方が強すぎた。その不協和音事実というの名のもとに感性への受け入れを強要し、受入れ難いあまりに拒否感を起こさせる。

創作と知っていれば、作者の個性技量ということにして看過することができたのに。

「そうとは言ってもあれは創作」と鷹揚に構えられないのは神経質なだけと言われればそれまでだが。

まあでも、他のまとめを押しのけてああいうのが盛り上がるのは、ギリギリ有り得ない感だからこそかも知れない。

感動したという意見が多いから本当は丁寧に読みたいんだが、なんで創作と言ってくれなかったのか。

映画ドラマ化でもされればハードル下がって見れるかもなあ。嫌がる人多そうだけど。

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