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2011-12-06

新興宗教:性脱却教をつくりたい

目的は「性」への執着に振り回されている状態からの脱却です

好きな女性に便利に使われてしまう。キャバ嬢に入れあげて貢いでしまう。

声優に入れあげてグッズの購入やブログ監視に明け暮れ、時間と金を浪費してしまう。

思うように女性が手に入らないことに苦しみ、憎悪に悶えている。

これらの状態から自分を救うことを目指します。

 

最終目標解脱 ★★★★★

一切の性欲を持たない状態。

性的自己完結状態 ★★★★☆

自己愛」のみで性処理ができる状態。

全女性排除状態 ★★★☆☆

男性作家が生み出した小説漫画イラストのみをオカズにする。

女性作家による作品や、女性声優に声を吹き込まれたキャラなど、

生身の女性が少しでも関わっているもの性的対象としない。

生身要素排除状態 ★★☆☆☆

男性作家女性作家かい小説漫画イラストなどをオカズにする。

「実在女性の声」や「実在女性容姿」など、実在女性のみが生まれ持った魅力は性的対象としない。

肉体排除状態 ★☆☆☆☆

女性声優が声を吹き込んだキャラクターオカズにする。

実在女性の肉体は性的対象としない。

入門生 ☆☆☆☆☆

実在する女性オカズにする。

入門から半年以上この状態から進歩が無かった場合、破門。

性欲の奴隷

風俗利用。即時破門。

 

女性への復讐目的ではないので、「ゲイになる」「男の娘に走る」はズレています

このような道に進んでも、イケメンなり、一番可愛い男の娘なりに振り回されるのは変わりません。

魅力がある者がない者を振り回し、搾取する構造は変わりません。

女性を攻撃する」「女性暴力を振るう」などもズレています

女性に執着しているという点が変わらないかです

復讐や腹いせではなく、土俵を下りて自らを救うことを模索します。

2011-11-28

http://anond.hatelabo.jp/20111128160535

単に対象年齢がティーンだってだけの話で、その時期にはまるのは当たり前だし、

二十歳を超えれば徐々に辛くなるのも当たり前。

三十になっても読んでるのは解脱した人。

辛い時期にやめといた方が幸せだよ。

2011-11-13

http://anond.hatelabo.jp/20111101114354

たいていの場合美人は「美人であること」をアイデンティティにしているので、それ(アイデンティティ)捨てていいなら世の中に「悩み」なんか存在しないよ。我を捨て欲を捨てれば解脱してるね。そのとき、本人の容姿美人であろうが不美人であろうが、そこにはもはや悩みなんて存在しない。残念ながらそういう解決案は画餅だよ。

2011-11-07

http://anond.hatelabo.jp/20111107125954

あの種の人たちのホモソーシャル批判て何故かホモソーシャルピラミッド上位の男には向かわないよね。

向かってるのを見たことが全くない。

で、何故か下位の男を攻撃する。

不思議だったけどあなたの話を読んで割と納得できた。

解脱中途半端だと。

むしろほぼ解脱してないじゃんと。

オスもメスも所詮動物だー

2011-08-31

東大卒でなければ人間ではないという現実は終わらない

凡人にはあらゆる嫉妬から解脱した東大卒の心境など分からない。彼らは本当に明鏡止水の境地で生きているのだから。我々のように嫉妬にまみれて生きてなどいない。一生彼らに追いつけないと思うと悔しい。

2011-06-13

「二代目ロストジェネレーションが失ったもの。望み。そして、僕らは何からはじめるべきか」に対して

どうも。こないだまで就職王って名乗ってましたが、今は無職です

で、前回書いたコレhttp://anond.hatelabo.jp/20110429004257

なんかすごい真面目なトラックバックが来てたので、なんか書かなきゃなーと思いました。

今日結構真面目に書くので文体は素で。ネタ無し。


二代目ロストジェネレーションが失ったもの。望み。そして、僕らは何からはじめるべきか

http://d.hatena.ne.jp/thinking-terra/20110529/1306640590


で、これ読んで思ったんだけれども。

ぼくが思うに、現代日本若者における問題ってのは最早「価値観」の問題ではないと思うのね。

いうなら、それは生存の問題だし、もっと明確に言えばいかにクサレ年寄りから椅子をムシリ獲るかってことなんだと思うんだ。

既存価値観に乗ることは出来ない」とテラケイさんは仰る。でも、ぼくはそれは違うと思う。

むしろ、現時点に於いても生存戦略としては「既存価値観にドップリ漬かる」は限りなくベストに近い。

「世代」のことを考える前に、「自分」のことを考えて、グダグダ言わずに東大を出るべきなんだ。

もちろん、東京大学というのはかなり極端な例だけれども。

ミクロで考えるなら、まだ現代日本は個人の力で「なんとかなる」社会だとぼくは思う。

ぼくの「就職王」コラムは個人化戦略の極地のようなものだけど、実際あの程度でなんとかなってしまう。



でも、もちろんマクロで考えるとこれは明確に間違っている。

だって椅子の数が限られているなら誰かは必ず負けるんだから社会には一定水準の競争が必要である、という

命題を真であるとした上でも、社会を構成する一定層はそれなりの職を得て暮らしていけなきゃまずい。

それに、ぼくのような口先だけで逃げ切るやつが評価される企業の土壌というのも、あんまりよくない気がする。

やっぱり、社会は少しずつでも変えていかなきゃならない。ぼくらの世代が楽しく生きるために。



社会を変える」って言いにくい世代だよね、ぼくらは。上の世代が派手にコケたから。

どうせ社会なんて変わらない、馬鹿どもの轍を踏んでたまるか。そういうところがある。

デモやる?って言われても「それ頭の悪い年寄り大分前に失敗した」としか思えない。

カウンターアクションは必要だけれど、それはやはり時代に即したものでなければいけない、と思う。

少なくとも「就職クソッタレ」って言って変わるものがあるなんて考えられない。そうじゃないか



ウザイ自分語りで申し訳ないけれど。ぼくが就職したのは「箔をつけるため」だった。

今、起業をするために色々じたばたしてるんだけれど、やっぱりカネを出して貰うにはそれなりのものが必要になる。

少なくとも、「真っ当に勤めていれば生涯年収4億近かったですよ」くらいのことは言えないと、

与えられたカネの代わりに差し出すものとしては、とても足りない。実はこれでも全然足りないんだけれど、

それでも何某かのバックボーンにはなる。使えるモノは、使わなきゃ損だ。就職して数年踏ん張るだけで得られる

ステータスって、実は結構お買い得な気がする。ある意味大学名前以上に。

この日本社会は実にクソだと思うけれど、使えるものを使わずに戦うのはいかにも勿体無い。

価値観を変える」なんてのは、ヒッピーになるのと同じだ。ヨガをやってもマリファナやってもロックフェスをやっても、

実はどーにもならない。それは、かつてアホな連中がもうやった。ぼくらがそれをやる必要はない。




ぼくは巷で見る就職活動批判にすごく違和感を感じていて、つまるところそれはどこまで言っても

負け犬の遠吠え」としか認識されないんじゃないか、ってこと。

かつての頭の悪い年寄りには「世界同時革命」みたいな強烈なイデオロギーがあったから、「就活バカヤロー」よりは

スケール感もまとまりもあったけれど、ぼくらの世代にはそれもない。あるべき社会モデルすらない状態で、

価値観を変えろ」って言われても、それは「解脱しろ」とか言われるのと一緒だ。シャクティーパッドとかポアとか

そういう語感にしかならない。そんなことにはほとんど何の意味もない。



まりところ、それがミクロの問題であれマクロの問題であれ、既存社会からの断絶というのは不可能なんじゃないかと思う。

テラケイさんは価値基準を語るときに「外部」と「内部」という言葉を使っているけれど、ぼくには価値観に於いて明確な

「外部」ってのがあるとは思えない。テクストに外部はない、みたいな学問を専攻してたせいもあるんだけど

それを差し引いても、既存価値観を排除して生きていけるなんてとても思えない。そんな強くないからね。

ロストジェネレーション世代にニーチェじみたものを押し付けても、それは「レッツ自殺!」って結果しかもたらなさないのではなかろーか。

我々が目指すべきものは、この社会から乖離したものではなく地続きにものでなければいけない、と思う。



じゃあ、どうすべきかってことなんだけど。

とりあえず、まずは団結すべきだと思うんだ。勝ってる奴も負けてる奴も。

世の中はクソで、なんとかしなきゃ楽しい人生は送れそうもない、って意識を共有することだと思う。

ぼくはかつて、ものすごく貧乏大学の学費にもメシ代にも汲々としてた時期があったんだけど、

その時、やっぱり同じような奴らと相互扶助的に生きていて、それは例えば部屋を分け合ったりとか

僅かなカネを分け合ったりとか、電気釜を共有したりとかそういう話だったんだけど、そういうところからだと思う。

例えば、イタリアの話。イタリアは、失業率がアホほど高いけど、自殺率は低い。これは何故かっていうと、一説には

一族主義が強く根付いているからだ、と言われている。縁のある誰かが食えてなければ、誰かが食わす。そーいうところがあるらしい。

じゃあ、我々悲惨な現状にいる連中も、そーしとけばいいんでないかな、と思ってる。



とりあえず、屋根とトモダチがいれば死ぬことはない。ぼくはそー思う。

こうすることで何が得られるかといえば、リスクを取るのが非常に容易になる。

「1人が1のリスクをとる」ことと「10人がそれぞれ1のリスクを取り、リターンを分配する」ことは大分違う。

もちろん、10人全員が敗れ去るパターンもありえるけれど、かなりのヘッジが出来ることになる。

そして、何よりだけど精神的にとても楽だ。ぼくは「起業」の道を選んだけれど、他にもロースクールに行ったりとか

そういう道を選ぶことにもやはりリスクはつきまとう。金銭的なリスクもそうだけれど、孤独化してしまうことが何よりヤバイ。

官僚から政治家目指すぜ、みたいな道にしてもやはり同じだ。そういうとき価値観を共有出来るつながりがあることは

何より強いとぼくは思う。いや、今んとこカネを得て起業に漕ぎ出したところだから、この先なんかわかんないけどね。

仲間にも全部見捨てられて、一人ひっそり首を括るって可能性も全然あるわけだし。



それで、社会批判の話に戻るんだけれど。ぼくが「就職王」でやりたかったことは

就職活動批判」のちょっとスマートな形を提示するってことなんだ。

確かに、マクロ的に考えると我々は既存価値観に乗っかることは出来ないかもしれない。

しかし新しいマクロ価値観ライフスタイル創造することも、おそらく出来ないだろうってこと。

その行き詰まりの中でクリティカルなクリティークを社会にカマすとしたら、

既存価値観に乗っかって踊り狂いながら、同時にそれ自体を批判として成立させるしかないんじゃないかと思う。。

ダンスパーティー台無しにしたいなら、まず誰より上手く踊らなきゃいけない。そうでなければ、誰も話を聞いてくれない。

やはり、我々はこのクソみたいな社会で戦っていくしかないし、クソみたいな社会を否定したところで

クソじゃない社会青写真を描けるわけじゃない。それは、大分昔に失敗した。

から、このクソだめみたいな社会の集団的蛆虫として既存価値観と地続きの世界をサバイブしていく以外に多分道はない。

そして、九人がダメでも、一人が生き残れればそいつが他を引き上げればいい。もちろん、現実的にこんなことが上手く行くか?

ってところはあるけれど、独力で社会と隔絶された「価値観」を作り出すよりは、十人で価値観を「共有」するほうがまだ成功率は高い。

悟りを得た」人はそんなに多くないけど、「宗教にハマって死んだ」人は腐るほどいる。

その程度の価値観共有なら多分できるんでないか、そういう風にして戦っていくしかないんじゃないか、と思ってる。

人間、上手いこと価値観を刷り込まれれば飛行機ビルに突っ込めるんだから、それくらいできるんじゃね?と。



まー、なんというか。

これはぼくの戦略っぽく見せかけた誇大妄想から、なんのあてにもならないけれど。

とりあえず、若い人間はもーちょい戦略的に生きるべきだと思うし、また同時に団結すべきだと思う。

個人の内面ナイーヴな話に閉じてしまうのは、なんかどーなんだろーな、とぼくは思うんだよね。

これから具体的にどーするか、どのようにして生き残ってリスクを取っていくかを論じるべきじゃないだろうか。

まだまだやれることあると思うんだよね、実際。



ところで、死ぬほどどーでもいいけど、「ロストジェネレーション」って若い頃第一次世界大戦に遭遇して、何か価値観クラッシュしちゃったよーな世代の作家達を指す言葉で、「二代目」っていうとちょっとおかしいことになるよね。ロスジェネの「二代目」世代ったら、ビートの時代でケルアックとかギンズバーグとかを指すと思う。

不況なんかにぶつかった「貧乏くじ世代」を指す意味で「ロストジェネレーション」って語を使うと、今の世代は何代目になるのか、すごくめんどくさい議論が要るね。個人的に、「ロストジェネレーション」を現代の「失われた世代」に当てはめるのは色々ムリがある気が。字面はいいけど、原義から考えるとスゲービミョーな感じ。ロスジェネ論争とか言われると、今更ヘミングウェイとか論じてんの?って思っちゃうのはぼくだけじゃないと思う。

エクストリーム世代」とかなんかそんな感じの新語を誰か考えるべき。

2011-02-28

http://anond.hatelabo.jp/20110228134631

セックスをする人達にとって

理想、崇拝、憧れ、恋慕といった、肉欲以外の部分

セックスと切り離されてなんかいないんだよ。現実に。

童貞オタク勝手解脱?して(したこともない)セックスとそれらを分離するのは勝手だけど

セックスをする人達までそれに合わせる必然性は全く無いし、実際に合わせたいとも思ってないし、合わせてもいないわけ。

からオタク勝手解脱によって「セックスバンバンするように」なんてならないし、「タブーのわずらわしさ」が消えたりもしない。

セックスをする人達価値観や考え方を勝手妄想しない限り、そんな的外れな結論は出てこないんだよ。

http://anond.hatelabo.jp/20110228124534

そういう「真の解脱」って、果たしうるのかなあ?

二次元偶像に走る人も結局は肉体性(エロ自慰)にガッチリ縛られてるのが現状だし、そこから離れる気配も見えないけど

http://anond.hatelabo.jp/20110228123844

それは上の流れで言う「解脱しきってない奴ら」だろう

抱き枕と言う肉体性を求めているわけで中途半端になってる

解脱が進めば枕じゃなくてイラストとか音源とか

形のない物へシフトしていくと思う。

http://anond.hatelabo.jp/20110228100412

完全に解脱してくれればいいんだけど、現実に未練を残してとやかく言う輩が多いのがな。

2011-02-18

世界の次なるステージ

モノを持たない。

必要なだけ働く。

シンプルに生きる。

精神的な充足。




って感じの日記ブクマが付くよな。

反論よりも肯定の意味を込めてのブクマね。

何か「清貧」的なものに共感する文化日本は持ち合わせているのか。

外国はどうなんでしょうか?




次なる経済モデルが見つからず、閉塞感に包まれる先進諸国

先進国の次なるステージモデルとして、

日本の(経済的)貧困層を中心に解脱を始められないかなw



・車いらないママチャリなう

・ボロ屋でOK

・週休4日

パーカージーパン



モノを持たない=Coooool Japan! みたいな。

東山文化(*)への回帰たいなw

で、どんどんいろんなモノを不要とみなしていって公的サービスを削除。

その分を社会の繋がりをUPさせて担保。

理想は「自然の流れに逆らうような長生きはCoolじゃない」ってとこまでくれば

年金医療の問題も解決できるような気がする。





ま、ここまで極端なことは無理かもしれんけど

いろんな社会問題は将来の好景気をアテにして税金で解決しようとしてるよね。

でも、それって現実性がない気がしてしょうがない。

(日本借金世界史上未到レベルしいけど、どーすんのw …ってみんな他人事

こうなると、人々の価値観の変性しか解決策はないんじゃないかな。

つか、放っておいてもそうならざるを得ない雰囲気だけど。




先進国は人々の要求水準の高さから多くの税金を必要とする。

でも、ITや金融崩壊した今、多くの税収は望めませーん。

必要なのは要求水準を下げること。多くを望まないこと。

禅、自然、清貧の文化を実現し世界に示してやろうZE!




このままじゃ、チャイナ勝ち組日本負け組

でも、経済負けても、心は侵略。

ボロは着れども心はNISHIKI

Return to HIGASHIYAMA!




東山文化=質素、禅、自然っていう勝手イメージで言ってます。すいません

2011-01-29

放浪息子を見てホモフォビアがどうとか

1話だけみた。で、マコ君という男の子ゲイと思われてかつキモがられてるのがホモフォビアしい

http://togetter.com/li/92256



ゲイとみなしてよい客観的な基準があるのかどうか知らないが、放浪息子のwikipedeiaを見ると

修一と同じ「女の子になりたい男の子だが、修一とは対照的に「男の人が好きだから女の子になりたい」とはっきり自覚している。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BE%E6%B5%AA%E6%81%AF%E5%AD%90#2.E4.BA.BA.E3.81.AE.E5.8F.8B.E9.81.94

しいので設定としてはゲイなのだろう。



メガネがさりげなくゲイ臭を出してて恐かった。

http://togetter.com/li/92256

この人が何をもってそう判断したのか知らないが設定がそうなのだから具体的なカミングアウトがなくともスタッフが「そうみえるような演出」をしたのかもしれないし、もしかした眉毛のかき方ひとつで伝わったのかもしれない。表現とはそういうことでしょう。だから主観的にゲイ臭が出てるとみなすのは特段おかしいわけじゃない(言い方の問題はあるだろうがw)。



ただ僕の主観としては一話ではマコ君が男に気があるかはよく分からない。むしろインパクトがあるのはマコ君の「女の子っぽさ」である。しゃべり方もさることながら主人公と電話しているときにクマのぬいぐるみを抱いていたりするのは強烈だ。いわゆる「女の子しい」とか「女の子っぽい」である



ただ「女の子っぽさ」と「ゲイ」は別であるしかし無関係か?



ここで、マコ君の設定の「男の人が好きだから女の子になりたい」という箇所がひっかかる。これの隠れた前提は「男を好きになれる。または付き合えるのは女だけ」「男が男と付き合うのは駄目」ではないか。これってセクシャリティとしてのゲイの否定じゃないのか?マコ君もホモフォーブだったのか!いや、まあこれもテーマひとつなのかもしれない。



マコ君は「健全な」社会通念によって「毒」されて、ゲイでなく、「女」になることによって贖罪されようとしているかわいそうな子なのかもしれない。これは被害者によって引き起こされる無意識ホモフォビア?。もしそのような認識トランスジェンダーを引き起こすのであれば、トランスジェンダーセクシャリティが無関係だということはできないだろう。(あとゲイでないが異性装をする主人公にとりんが「自分よしの恋愛感情をわからなくした」と言っているのも興味深い)



そういう「歪んだ」もしくは「遠回り」のゲイゲイとみなすのであれば、「女の子っぽさ」はまさしくゲイ臭となる。今は「ゲイ」と断定できなくとも、話が進むにつれてマコ君のセクシャリティが明らかになれば「ほーら、やっぱりゲイだったじゃないか。俺の嗅覚は間違ってなかった。」となる。



となると真っ直ぐでないゲイは気持ち悪いというのは分からいでもない。もし先程述べた「毒された」というのが真実なら、彼は「ゲイから解脱しようとする犠牲者としてのゲイ」であり、逆に自らの意思でそう思っているのであればまさしく「ホモフォーブとしてのゲイ」ということになる。いずれにせよムズムズする。



からもし、マコ君が自分ジェンダーを一切無視して、男を好きになっているような感じであれば、「キモさ」は払拭されるのかもしれないわけである。(でもそうするように彼を抑圧していいのかどうかは知らんw)



批判するに当たってあげつらうのもいいかもしれないが、ホモフォビア自体の二重構造とかトランスジェンダーとの関わりについて考えてもいいんじゃないかな。「こうこうこうだからキモいと思うんですよね?」と説明し、相手が膝を打った瞬間に問題が共有される。



(あと関係ないが、月の光をBGMとして丸々流すのは陳腐だろう。演出として怠慢じゃないか。)

2010-12-31

http://anond.hatelabo.jp/20101231014954

最澄弟子弘法大師弟子も同じことを言ってるよ

煩悩捨てて解脱するのは大変だけど頑張れ

2010-12-13

http://anond.hatelabo.jp/20101213145755

俺はチラッとも充じゃないからかなり列の後ろの方であり解脱してる

2010-10-11

http://anond.hatelabo.jp/20100920232502

キリスト教でも同じこと言ってるね

どこの宗教や思想でもそうなんかね

恐ろしいね、輪廻って言葉

だからこそ解脱を目指したんだろうけどね

けど、どの考えでいくなら、こうして生まれたって事はすでに手遅れなんだろうね

2010-09-21

元増田の「夢を諦めさせる方法」ってのはつまり「リストラ技術が欲しい」って話だったと思うのだが、

夢なんて二股でやりゃいいじゃんっていう的外れ意見もふえてきた

(ある意味ごもっともだし、夢を諦めさせるってのが目障りだから当然なんだけど)。

で、派生して思ったのだが、

夢を二股前提で叶える(喰うために職業をえらび、べつに趣味を持つ)っていう解法はいわば小乗仏教

それはそれで個人の解脱には必要なんだけど、隣の人にもあてはまる解法にはならない。

夢をかなえてプロになるってのは大乗仏教的。

プロになると、まず簡単なところでは、報酬相場を動かす立場になることで、世間を左右していまう。

交渉が苦手だなんていってられない。すぐに折れてダンピングしてしまうことは、他の人の夢を潰したり、といういろんな影響がある。

小乗指向な世の中だよなと思いました。

2010-09-06

日本人家族観

国柄探訪: 日本人家族観

 先祖から子孫への連綿たる生命リレー

中間走者として自分がいる。

転送歓迎■ H20.07.13 ■ 38,373 Copies ■ 2,891,505 Views■

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  • ■1.「親と子の血のつながりに対する運命的一体感」■

 秋葉原での無差別殺傷事件で逮捕された青年の両親が自宅前で報道陣に取り囲まれ、会見をした。父親が「謝っても償いきれない」などと謝罪の言葉を述べている途中、母親は急にひざから崩れ落ち、頭をうなだれ土下座するような形でそのまま動けなくなった。

 両親に法的な責任はないが、こういう子どもを育てた道義的責任はある、というのが、日本人常識的な感覚であろう。

 かつて神戸中学生小学生を殺し、その首を校門の前に晒す、という異常な事件が起きた。これに関して、儒教研究家加地伸行大阪大学名誉教授は、こう書いている。

 ・・・もし私が加害者中学生の父であったならば、自裁(自殺)をする可能性がある。私は日本人であるから、親は親、子は子、別の独立した人格であるというような、欧米人流の個人主義的行動をとることはとてもできない。それに、自裁する前に、罪を犯した子を自らの手で処置する可能性さえある。[1,p6]

 殺人を犯した我が子を手にかけた後で自殺する親がいても、日本人感覚からは、同情こそすれ、「狂気の沙汰」とは見なさない。

 加地氏は、これを「親と子の血のつながりに対する運命的一体感」と呼び、「欧米個人主義の立場からは絶対に生まれない感覚意識」だとする。

 こんな所からも、日本人家族観が現代においても欧米とはまったく異なるという事が窺われるのである。

 日本欧米との家族観の違いは、我々の日常生活でも随所に姿を現す。

 たとえば、最近では日本でもキリスト教式の結婚式が広まってきているが、神の前で互いに相手を伴侶とする宣誓をするのは良いとしても、さらに契約書にサインまでするというのは、どうにも違和感がある。日本人普通感覚では、「契約」とは他人行儀のビジネス行為であって、それが家族の中で行われるというのは、どうしてもなじめない。

 欧米キリスト教的な家族観では、家族とは男女の個人間契約を基盤としている。そして神の前での契約こそが、神聖なものなのだ。

 また欧米の家庭では、子どもが生まれて大学生にでもなれば、もう親とは別の独立した「個人」となる。ある小説で親が成人した子どもに「これからは友人としてつきあっていこう」などと語るシーンが出てきて、こういうセリフ日本人では思いつかないな、と感じたことがある。

 当然、子どもの方にも、年老いた親の面倒を見なければならない、などという義務感は薄い。子や孫との家族的関係を持ち得ないアメリカの老人たちはいかにも淋しげである。

 実はヨーロッパにおいても、ギリシア時代やローマ時代など、キリスト教が栄える前は、人々は家毎に祖先の神霊を祀り、それが家族の基盤をなしていたのである。それは古代日本も同じであり、現代日本人家族観はその伝統を色濃く受け継いだものである。

  • ■3.先祖の霊は「草葉の陰」で子孫を見守っている■

 古代の多くの民族は、亡くなった祖先の霊は、子孫が祭祀してくれれば、いつでもこの世に戻って来られるものと信じた。日本語で言えば、「草葉の陰」で子孫を見守ってくれるのである。

 「死んだらどうなるのか」というのは、常に人間不安にする疑問であるが、死んでも自分の魂は存在を続け、子孫とともにある、というのは、生死の安心を与えてくれる信仰であった。

 また残された子孫にとっても、自分を愛し、育ててくれた祖父母や両親が、死後も見守ってくれる、というのは、その死の悲しみを和らげてくれる物語であった。

 先祖祭祀というのは、先祖キリスト教的な唯一絶対神として祀る、ということではなく、先祖の霊とともに生きている、という生活感覚なのである。それがわが国においては古神道となり、中国においては儒教に発展した。

 キリスト教では、死者の魂は最後の審判を受けて、魂は天国地獄に行く。仏教では、魂は輪廻転生を続け、解脱をしない限り、次は蛇や虫として生まれ変わる恐れがある。

 よくキリスト教仏教を「高等宗教」とし、先祖祭祀などは未開の宗教であるかのように言うが、死後の魂がどうなるか、ということについては、それぞれが違う「物語」を持つ、というだけのことであって、どちらが高等かなどと比較できるものではない。

 魂が輪廻転生を続け、解脱をすれば浄土に行ってしまう、とする古代インド仏教が、先祖祭祀を信ずる中国日本に入ってきた時、その死生観の違いが文化的衝突を引き起こした。

 インド人にとって見れば、魂は他の人間動物に生まれ変わるか、浄土に行ってしまうので、肉体はその乗り物に過ぎない。だから焼いて、その灰はインダス河にでも流してしまう。これが本当の火葬である。

 日本火葬というのは、遺体を焼却した後に骨を拾い、墓に収める。これは本来の意味火葬ではなく、土葬の変形なのである。古代中国では、人間精神を支配するものを「魂」と呼び、肉体を支配するものを「魄(はく)」と呼んだ。人間死ねば、「魂」は天に上るが、「魄」は地下に行く。「魄」を地下で大切に守るのがお墓である。

 これと同様の感覚日本人も持っており、遺骨には死者の「魄」を感じる。戦後アジア太平洋の島々にまで戦死者の遺骨収集に行くのも、骨を故郷の地に埋めなければ、死者の魄を供養できないと考えるからだ。

 これについて興味深い話がある。昭和45(1970)年日航よど号ハイジャックして北朝鮮に逃亡したグループリーダー田宮高麿が平成7(1995)年に亡くなり、「祖国の地に骨を埋めたい」という気持ちから、田宮の遺骨は北朝鮮にいる妻子と日本家族とに分けられ、新潟県内の家族の墓に埋葬されることになったという。

 共産主義者は無神論者のはずだが、異国で死期が近づくと「祖国の地に骨を埋めたい」と願うのは、心の底には日本人死生観が根づいている証左である。

 輪廻転生を信ずるインド仏教中国に入ってきた時、遺体は焼いて川に流してしまう、という生死観は、先祖祭祀を信ずる中国人にはとうてい受け入れられるものではなかった。

 そこで中国における仏教は、魄を納める墓や、先祖の魂を呼び戻して依り憑かせるための位牌を取り入れた。

 わが国に中国から仏教が入ってきた時には、このように先祖祭祀を取り入れて換骨奪胎したものになっていたので、比較的抵抗は少なかった。

 それでも日本にも仏教輪廻転生をそのまま信ずる人はいた。鎌倉時代初期の親鸞である。親鸞阿弥陀仏衆生を救おうという本願にすがって、浄土に行けば輪廻転生の苦しみから脱却できると説いた。となれば葬儀も墓も先祖供養も不要になる。

 しかし、親鸞弟子たちはその教えに背いて、葬儀・墓・先祖供養を続けた。その後裔たる現代の浄土真宗本願寺派も、墓を作り、葬儀先祖供養を行っている。

 今日日本では、大方の人々が仏教に求めているのは、墓・葬儀先祖供養である。そもそもの輪廻転生からの解脱仏教に求める人々は例外的であろう。これほどに先祖祭祀は日本人の心の奥底に根付いているのである。

  • ■6.仏壇に向かう■

 仏壇も、墓や葬儀と同様、仏教本来のものではない。中国においては、一族の長の家に宗廟(そうびょう)という別の建物を建て、そこで先祖祭祀を行った。これが後に、祀堂(しどう)や祀壇(しだん)となり、それを仏教が取り入れた。

 日本では、これが部屋になって「仏間」となり、さらにはそこに置かれた仏壇が、一般の部屋に置かれるようになった。各家に仏壇を置くという習慣は、中国朝鮮にもない、日本独特のものであるそうだ。[1,p191]

 仏壇には、灯明と線香と位牌がおいてある。灯明は先祖の霊が降りてくる場所を間違えないよう、明るくするためのものである。線香に火をつけると、その香煙に乗って、霊が降りてきて、位牌に依りつく。

 そこで子孫たる我々は、降りてきてくださった祖霊に対して「ご先祖さま。おはようございます。今日も一日よろしくお願い申し上げます」などと挨拶をするのである。

 今日自分たち家族が生きていられるのも、亡くなったご先祖様のお陰であり、そのご先祖様の恩に応えて、自分家族のため、子孫のために今日も頑張ろうと、心を新たにする。これが先祖祭祀に基づく生き方だろう。

 核家族化が進んで、仏壇のない家も少なくない。しかし、仏壇のある祖父母の家に里帰りした時などは、幼い子どもとともに、仏壇に線香を上げると良い。幼い子どもは遊びのように喜んで仏壇に向かう。自分がここにあるのも、ご先祖様のお陰だということを教える何よりの機会である。

 もう一つ、インド仏教中国日本先祖祭祀と衝突した点は、出家を説いた点である。「出家」とは文字通り、家を出て、財産への執着や家族への愛着を振り切って、個人の解脱を求めることである。

 しかし息子に出家されたら、その家は断絶し、先祖の霊を祀る子孫がいなくなってしまう。個人的な解脱のために、先祖の霊をさまよわせ、子孫の未来を奪うのは、先祖祭祀の立場からは、とんでもない「不孝」と考えられたのである。

 そこで中国日本においては、「在家」すなわち家族の実生活の中で仏教を奉ずることが理想とされた。聖徳太子在家の長者・維摩が教えを説いた「維摩経」、および、同じく在家女性信者である勝鬘(しょうまん)夫人が仏道を説いた説いた「勝鬘経」をとりあげて注釈書を書かれた。

 前述の親鸞は、聖徳太子を「和国の教主」と仰いでおり、その在家主義を受け継いで、結婚し、子をもうけている。今日でも日本の多くの仏教僧は、結婚し、家庭生活を営んでいる。

 オウム真理教インド仏教を受け継いで、出家して修行を積めば、輪廻の苦しみを脱して解脱できると説いた。それを信じて家族を捨てて教団に入った子どもたちを、親が返せと叫ぶ。これも「出家」と「在家」の衝突の一例である。

 「在家」とは、家族の一員として生きていくことであるから、まことに不自由なものである。「出家」のように好きな所に行って、好きなだけ座禅を組む、などという気ままは許されない。

 しかし、その不自由な家族の中で、我々は生まれ、育てられて、大人としての生活を送る能力を身につけていく。まず家族の中に生まれて、育てて貰わなければ、大人として自由な生活を送る事も、そもそも不可能なのである。

 さらに成長の過程で自分を育ててくれた親への感謝や、その恩返しとして今度は自分子どもを立派な人間に育てる義務を学ぶ。このような事が人格の基盤を構成するわけで、感謝や義務の心のない人間は、自由を与えられても、自分利益しか考えない利己主義者になってしまう。

 西欧に発展した近代個人主義においては、ひたすらに個人の自由と権利の拡大を図ってきた。しかし、キリスト教社会においては、神に対する畏れがあり、それが野放図な利己主義に転化する抑止力となってきた。

 わが国においても西洋的な自由と権利の主張を鵜呑みにして、家族制度を「個人の自由を抑圧する封建的制度」などと罪悪視する思潮がある。

 しかし、わが国においては家族制度が、利己主義への抑止力となってきたのであり、それを破壊することは、利己心の抑制を持たない人間に野放図の自由を与えることになる。都会の雑踏で無差別殺人を行う青年とは、その極端な姿ではないのか。

  • ■9.「なぜ生命は大切なのか」■

 こうした事件を防ぐべく、子どもたちに単に「生命を大切にしよう」とだけ教えるのでは、「なぜか」が伝わらない。

 それがわが国の家族観に従えば、「生命を大切にしよう。生命とは何代ものご先祖様から君たちに伝えられ、そして君たちから何代もの子孫に受け継いでいくべきものなのだから」と教えることができるのである。

 先祖供養とか仏壇、お墓参りなどは、すでに形骸化した「葬式仏教」の遺産であると考えがちであるが、それらは我が先人たちが産み出してきた工夫なのである。そこには先祖から子孫へと連綿とした生命リレーの中で人間を捉える伝統的な家族観が生きている。

 その家族観の深い思想を知らずに、単に古くさいの一言で片付けながら、新しい家族観を産み出すこともできずに、社会的混乱を招いているのが、現代の日本人ではないだろうか。

 これではご先祖様も草場の陰で嘆いていよう。

(文責:伊勢雅臣)

■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)

  →アドレスクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 加地伸行家族の思想』★★、PHP新書、H10

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4569603084/japanontheg01-22%22

2010-04-02

http://anond.hatelabo.jp/20100402104548

民主党の政策を批判されるたびに火病起こしてた民主支持者も

最近じゃあ解脱してこういう変なうわごとを幸せそうな顔でブツブツ言うようになった



親分の鳩さんもここんとこ精神状態がブレイクアウトしたみたいで

答弁の時に目が泳いだまま口元に意味不明な薄笑い浮かべるようになった



でも誰がドクターストップ出すんだ?これ…

2010-03-30

ttp://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/occult/1268749422/

38 :本当にあった怖い名無し:2010/03/21(日) 16:36:34 ID:khW4IM/zO



オウム事件だと新実智光が一番興味深い。

主要事件全てに関わってるからオウム事件の全貌を掴むのに都合がいいし、

風貌や逮捕された時の笑みと逝った目がとても印象的。



この人の洗脳されぶりは凄まじくて

サリンを撒いたことを善行自分は救済者だと本当に思っている。



他の幹部の多くは罪を逃れるために教祖責任転移をしたのに対し

新実は未だに麻原に帰依を貫いてて、拘置所でもずっと修行してるようだ。



尊師裁判では大人しくてつまらなかったのに対し

こいつの傍聴記はイカれた発言の連発で、読んでると本当に面白いのよ。

芥川龍之介の「杜子春」の解釈を巡って検察官と言い争いしたりなw



最近やっと死刑が確定したのよね。



39 :新実の法廷発言集:2010/03/21(日) 18:23:05 ID:MPsrY25i0



一連の犯罪目的は?――

「最大多数の最大幸福。多くの衆生を救うことです」



法を犯して人を殺していいのか?――

「法を決めたのは国家。死んだのはそれ(法)とは別の因果応報です」



無差別殺人の実行は慈愛の心をかけて?――

「慈愛の心に満ちていたからやった。死刑になり地獄へ堕ちてまでやろうとした」



私が聞きたいのは、罪の無い人がなくなっている。その点ですが――

「すべては因果応報。罪無くして死傷する人はいません。因があって結果がある。これが答えです」



人を殺すという誰がみても悪の行為でも、喜びを感じることが究極の理想になるのか?――

「喜びを感じるのが究極の目的解脱の境地ではないかと思う」



被害者や遺族をどう受け止めているのか?――

犠牲者は転生した。答えるべきではない。被害者に世俗の論理言い訳するものではない」



自分の行為は悪ではあると考えるか?――

「完全なる善ではないでしょうか。」「善悪超えた全き善と思う」



(麻原に)支持されれば喜んで人を殺したい?――

「そのように理解されて結構」



そのような言葉がいかに被害者や遺族を傷つけているか分かるか?――

「傷つくなら傷つかない本当の心を求めて欲しい。

(遺族が)人間の心を持てと言って苦しむのなら(その)心が苦しみの因とわかる」



自分の犯行を直視せず、心の動揺を避けようとしているのではないか?――

「まったく違います。自分の心、やっていることを直視し肯定するのがヴァジラヤーナの本質

直視した上で、全ての衆生を利する最短の道です。私ほど自分の心を直視して真摯に向き合っている人はいない」

2010-01-19

http://anond.hatelabo.jp/20100119005634

結局無い物ねだりだ。愛に飢えてんだろさ。

宗教に入りなさい。それが最善だよ。信じるものは何とやらだよ。イタリアヴァチカンなんかとっても良い。

1)「苦しまず死ぬ方法」は有りません。(「苦しまない方法」と「死ぬ方法」は幾らでも有りますが、矛盾します。「解脱」とでも言いますか、この矛盾を追及、打開するのは正に宗教が成せる技です。)

2)だからちゃんと「払う事」を約束した時点で「保証」されますよ。それが保険です。払わないのに貰う方法は「詐欺」ですよ。

2009-12-01

http://anond.hatelabo.jp/20091201102130

本筋とは離れるが、前に何処ぞで似た話があって、「男は可愛い子を見ると何故勃起するのか」とか言うので、「可愛いと思ったら、意思に関係なくなるもんだ」と答えたら、「制御できるようになってから人間だ」とか言われた。



一部の女性はあれだよね、分類上ケダモノたる人間であることを忘れて仏様に解脱しちゃってるよね。

そしてそんな自分こそ人間で、それ以外はケダモノだとかって話が結構ある。



無差別に襲いかかるアホは罰するというルールを定めている訳だが、それすら生温く、本能を捨て去るべきとか本気で言い始めるあれは一体なんなんだろうか。

最近は30歳童貞魔法使いクラスチェンジするというネタを、女はそれ以上に真面目に実践してる様な気がしてる。



もちろん、襲われることについて女性に非があるとは思わない。

もちろん、自ら誘っておきながら、やった後に襲われたといいはじめる女性が居ることもしっている。

そこに人間やめちゃった人が乱入して、話を混乱させている。

2009-11-17

[]konoike関連

http://anond.hatelabo.jp/20091117080828

埃がつもる

konoike氏などによる定義

埃がつもるほこりがつもる)とは、今の多くの天理教信者天理教組織の状態。

埃がつもる - Yourpedia

http://ja.yourpedia.org/wiki/%E5%9F%83%E3%81%8C%E3%81%A4%E3%82%82%E3%82%8B

今の天理教信者天理教組織の状態。

天理教@ ウィキ - 埃がつもる - @ウィキモバイル

http://www11.atwiki.jp/tenrikyo/m/pages/54.html?guid=on

756 神も仏も名無しさん[sage] 2008/10/23(木) 17:48:33 ID:Y/nDKKn6

天理教よく使われる概念として、「因縁」というものがある。意味言葉どおりである。悪い「因縁」を良い「因縁」に変えることが、信者目標である。

因縁」は生きている間にも増える。これを「埃がつもる」という。

2ch 真如苑63 701-800 - 真如苑 被害状況 まとめページ - livedoor Wikiウィキ

http://wiki.livedoor.jp/semicircle/d/2ch%a1%a1%bf%bf%c7%a1%b1%f163%20701%2d800

因縁」は生きている間にも増える。これを「埃がつもる」という。

おふでさき-液クロサイエンス社員天理教強要

http://yaplog.jp/ekiqlo/archive/65

悪い「いんねん」を良い「いんねん」に変えることが、信者目標である。「いんねん」は生きている間にも増える。これを「埃がつもる」という。

いんねん の まとめ- @PEDIA(アットペディア)

http://atpedia.jp/matome/%E3%81%84%E3%82%93%E3%81%AD%E3%82%93

信者による説明

まず第一点は、人間というものは生きている限り埃と無縁ではありえないということです。「新建ちの家」とはまだ人の住んでいない家で、このような家にも埃がつもるということは、人間が何もせず、じっとしていても心に雑念が去来してくる、人の住んでいる古い家ともなると、つまり人間一日中忙しく行動していると、どれだけ多くの埃をつむかわからないということ、また「新建ちの家」は埃のない家ですから、それを聖人君子悟りを開いた人、解脱した人と考えますと、そういう人でも埃とは無縁ではないことを教えられているように思われます。また「目張り」は外から埃が入らないようにするためのものですから、「目張り」をするということは、人間の心を誘惑する物、財産名誉、地位等から離れること、つまり出家して俗世間との接触を一切たつことが意味されていると考えますと、「目張り」なしで生活をする、社会において人、物にとりかこまれて生活すると、どれほど多くの埃をつむかわからないということを教えられているのではないでしょうか。

天理教,教祖,親,救済,たすけ,つとめ,

http://otasuke-tai.net/tenri_oya9.html

まとめ

因縁」は生きている間にも増える。これを「埃がつもる」という。

これは正しい説明だとして、

今の天理教信者天理教組織の状態。

この説明が誰の発言なのかが不明。

2009-11-12

http://anond.hatelabo.jp/20091112021552

魚屋さんのように自分に自信を持って生きるのがベストなんだろうな。

思い煩うから、頑張るとかあきらめる考えが出てくる。

ただ無心になって物事に取り組む。

そしたら、毎日食べるご飯もおいしく感じられる。それが一番の幸せじゃないだろうか。

仏教解脱に近い感覚だと思う。

2009-11-08

http://anond.hatelabo.jp/20091108101442

そういう話は大抵、意識の持ち様でループから抜け出せるとか、そういう解説がつくもんじゃね。

仏教だと、ホトケさんの教えを勉強して解脱して輪廻を抜け出すだろ。

他の宗教はシラネ。

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