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はてなキーワード: 厭世観とは

2023-10-07

もっと人生を楽しんだらいいのに

知人からもっと人生を楽しんだらいいのに」と言われる。

旅行したり、美味しいもの食べたり、世の中面白いこと沢山あるのに勿体無い。君のためを思ってこんなに言ってるのに、言い訳ばっかりして休日も引きこもって本当に勿体無いよ。まだ若いのに人生しまないと。と言ってくるのだけれど、そもそも給料が少なく生活がカツカツなのでそれどころではない。お金がないので恋人を作る気も起きないし、デートするお金洋服買うお金も捻出するのに苦労するのに、とても維持出来る気がしない。そんなんだから結婚なんてとても考えられないし、考えたこともない。それとも自分が知らないだけで、低所得貯金もないのに海外旅行したり、毎週グルメ三昧出来る方法が何かあるのだろうか。自分が無理だと思って情報収集を怠っていたので、低所得者も結婚して子供持って、マイホーム立てれるような制度施行されたのだろうか?厭世観を持って生きているわけではない。普通に人生楽しんでいる人たちが羨ましくてしょうがない。平均所得下の人間でも人生を楽しみ尽くす方法があるのなら教えて欲しい。

2023-08-23

映画バービーは単なる人間賛歌モノなのでは?

この映画についての物議・炎上はいくつかあって個人的にも嫌な印象しかなかったんだけど、どうせ自分一人が見ても見なくても日本での売上は芳しくはないだろうと思って見に行ってきた。

そうしたら頭の片隅でずっと考えつづける映画になったので、思うところを吐き出しとこうと思う。

以下うろ覚えながらネタバレしまくる。

深夜の書きなぐりだから色々お粗末だろうが勘弁してほしい。

長いぞ!あと普段このサイトをそんなに見ないので空気感も分からない。



端的に言えば、自分には普通にコメディとして楽しめた。

一番面白かったのは、ケンバービーをやっと惚れさせることができた!!と確信して2時間か4時間ギター弾き語りしてたあたり。

理由はざっくり後述するけど、男社会化したバービーランドで自信満々に振る舞っていたケンが、歌詞では『こんなダメな僕でも愛してくれるかい』みたいな弱気なことを言っていたのが毒っ気があってよかった。

それで、語るに外せないこの映画社会的な側面についてだけど、当然かなり強いメッセージが感じられる映画ではある。

興味深いのはやっぱり、この映画フェミニズム映画として評価されているのと同時に、アンチフェミニズム映画としても評価されているところだろう。

実際映画を見てみて自分も納得した。監督女性で、女性についての映画を撮ることが多いそうだが、実はアンチフェミニズム厭世観たっぷりなオジサンが撮ってますと言われてもまあ分かるような映画だと思った。

バービーが住んでるバービーランドは、完全な女社会だ。もっと言えば、現実の(従来の、あるいは誇張された形の)男性社会の反転だ。

総理大臣、一番偉い検事ノーベル賞受賞者マスコミ工事現場で働く人、幸せ自由住民。そのすべてが女性、つまりいろんなタイプバービー人形である

バービーランドには男性もいる。いろんなタイプの、と言ってもバリエーションは限られ、全員若い男だけだが、ケン達も住んでいる。

しかし彼らはバービーのおまけだ。バービーににこやかに挨拶して、バービーにかっこいいところを見せて、バービーがいなくては生きていけないと言うためだけに存在している。

夜になって、メインのバービー(以後マーゴット)に、メインのケン(以後ライアン)がキス待ち顔をしてみたり一緒に過ごさないか提案してみるけど、ライアンはマーゴットに気まずそうに追い払われる。ライアンはもちろん深追いしたりせず笑顔で去る。全く彼を顧みず女子会に赴くマーゴットにいい感情は抱いていないのだろうけど、その国ではそうするしかない。

そう。この映画バービー付属品ケンたるライアンの、口に出せない苦しみからはじまっている。

そしてその直後に描かれるのが、バービーであるマーゴットの、バービー社会での初めての違和感だ。

バービーが『死について考えたことは?』と口にした途端、鳴り響いていたEDMが止まりパーティーが凍りつく。バービーランドでは多分、深く暗く考えることは好かれることではない。ライアンも後々深く考えるマーゴットは好きじゃないなどと言う。

ギャグ文脈でもあるだろうが、ちらほら映っていた重役のバービー達の仕事っぷりもそんなに思慮深そうではなかったし。

そんなマーゴットが抱えた違和感を出発点にして、マーゴットは、勝手についてきたライアンと一緒に、バービーランドを出て現実へ旅立つことになる。現実とはそのまま、人間が暮らす現代社会──もちろんアメリカだ。(この旅の最中も、例えばライアン料理か何かをしている最中にマーゴットはのんびりコーヒーを飲んでいたり、ちょっとした違和感が散りばめられていた。それともこれを違和感と思う自分認識の歪みに気付かされるギミックなのかもしれないが)

そこからはかなり端折って説明する。マーゴットが旅に出たのは自分に起こった変化を治すためだったが、マーゴットは事態解決する人間を見つけてバービーランドへ戻る。ところがそこは、現実の『男が尊敬される』男社会に感銘を受け、一足先に舞い戻っていたライアンによってケンダムケン王国)に作り変えられてしまっていたのだ。

バービーたちは軒並み『洗脳』されており、大統領メイド服ビールを運んだり検事ケンマッサージをしてたりなどなど、変わり果てた有様にマーゴットは絶望するが──『変化』が嫌だと泣きわめいて──しかし、連れ戻った人間バービー達をその洗脳から解き放つのだ。

バービー達はケンたちによる憲法改正を食い止め、バービーランド平和が戻る。

これが大筋だ。

この洗脳下りは紛れもなく『woke』の比喩しかも2重に交錯させた比喩のはず。

wokeとはググっていただきたいが、ざっくり説明すれば、直訳で目覚めた人々を意味し、フェミニズムなどの活動家を指している。侮蔑意味合いで使われることもあるようだ。

表層を見れば、ここで描かれるwokeはバービーたちの方だ。

人間は、ケンダムと化したバービーランドの『おかしさ』をバービーたちにぶちまけて洗脳から解き放つのだが、やってることはひたすら説得である人間はひたすら女性の生きづらさ──家事子育て押し付けられながらも綺麗でいなくてはならないとか、そういう愚痴バービー達に語りかける。それで、バービー達は突然ハッと目を見開く。まるで今ようやく目が覚めたかのように。それで洗脳はとけ、社会を変革しようと活動し始める。

でも、作品の中で一番最初に『目覚めていた』のは、きっとライアンだ。

ライアンは男が立派な仕事をし、女性必死にならず、振り回されず、通行人が丁寧に時間を聞いてくる現代社会に感動して、現代社会を作っていると図書館の本に書いてあったらしい、『男社会』の概念バービーランドに持ち帰った。それは日本で言うところの『海外を見て日本の異常さに気づいた女性フェミニスト』の反転ではないだろうか?

バービーランドで無価値だった自分に気付かされた、ライアンもまたwokeだったのだ。

ライアンが短時間に実際どうやって、ケンたちはともかく、バービーまで男社会に染め上げることができたのか映画の中ではハッキリとは描かれていなかった。(とあるバービーが、バービー達は耐性が無かったのでケン洗脳されたとは言っていたが、曖昧だ)

正直なところ、ここの急展開は若干違和感だった。まるでこの映画を、フェミニズム映画に仕立てるために無理やり男社会と女の生きづらさのエッセンスを詰め込んだシーンのようにも見えて、見ている間はずっと、制作陣はこれを皮肉のつもりで撮っているのだろうか?と勘ぐっていた。

それに、その違和感は多分全く見当違いなものでもなかったと思う。

結局ケンダムの夢は崩れさったわけだが、マーゴット(それか人間だったかも)は今までのバービーランドに戻るのではいけないと他のバービーたちを諭す。

その中で初めてバービーたちは、ケンたちがどこに住んでいるのか自分たちは知らないという事実に気づく。まあ多分、バービーシリーズ商品展開について詳しくないけど、ケンの家は存在しないんだろう。

その結果、バービーたちはケンたちの人権を認めると言う。ケンたちは大喜びだ。ある一人のケンバービーに言う。『おれも最高検事になってもいい?』バービーは真顔で即答する。『それはだめ。でも下級検事ならいいよ』ケンはそれに喜び、ナレーションが入る。『ケンたちはまだまだこれからのようです…』

かなりの皮肉だよね?

口では権利を認めながら、実際は希望の職につけるかどうかは既得権益者の許可制なわけだ。明示的なwokeとして描かれた、女性象徴であるバービーたちがその矛盾、つまり性差別やらかしてる様をバッチリ描いている。結局変わらない憲法も、制限された自由に気づかず喜ぶ被支配者たちも、いびつだ。

これは、目覚めた過激フェミニストたちがこのまま突き進んだって女尊男卑が訪れるだけですよ、なんてメッセージなのだろうか?

支障がなければいろんな人にこのシーンを見てほしい。これは、おそらく確実に、どちらとも取れるシーンだ。そしてその違いはきっと、その人が、今世間にあるフェミニズムをどう捉えているのかにかかってくる。

少なくとも2つの捉え方が想像できた。

このシーンは現実の『行き過ぎた』フェミニズム本末転倒差を指摘するものであるとするものと、あくま現実女性の苦しみのメタファーであるとするものだ。

前者は先程書いた通り。こういう見方をする人は、きっと『何でもかんでも男女差別だという今のエセフェミニストどもにほとほと嫌気が差している』という昨今なのではないだろうか。正義棒を片手に暴れ回る人々の脅威を感じているので、このメタファーが真に迫って見える。

後者は、きっと現実にはこんな女性優位の場所存在していない(あるいはひょっとして存在し得ない?)と思っている人だろうか。だからこのメタファーフィクションとして見れる。現実女性男性をただ反転させて描いただけだと読み取れる。性別を反転させて世の歪さを描こうとした作品はそう少なくはないだろうし、その系列だとも十分読み取れると考えられる。

結局変わらないルール。相変わらず性別の偏った管理職の面々。覚えのある話だろう。

並べてみたが、正解──制作の真の意図はどちらだろうか?

はっきり言って、まるで分からない。そして(驕りかもしれないが)分からないのはきっと自分だけではないと思った。現に全く真反対の2つの陣営評価されているのだし。

この分かりづらさこそ、自分がこの駄文を書くに至った発端だ。


映画バービー』は絡み合った皮肉だ。ただのフェミニズム、もしくはアンチフェミニズム映画だったとして、ここまで現実比喩とを交錯させる必要はないんじゃないか制作陣が描きたかったのは果たしてそのどちらかの主張なのか?

多分違うんじゃないかというのが、前置きが随分長くなったが、自分の考えだ。

映画バービーの締めくくりは、なんとマーゴットが人間になるというものだった。

変化の兆しを見せつつあるバービーランドに、マーゴットは上の空だった。あれだけ戻りたがっていた、バービーらしい日常に帰れることへの喜びは見えない。そこへ(詳しくはかかないけど色々あって現実出会っていた)バービー人形の生みの親、ルースが現れ、マーゴットに手を差し出すのだ。

変化するのが嫌だ!と泣いて嫌がっていたマーゴットが──今思えばこの変化を拒む仕草既得権益者側の改革を拒む姿勢メタファーかも──考えが刻々と変わり、喜び、悲しみ、老い、変化していく『生き物』である人間になることを考える。

マーゴットは人間社会に飛び込んだときトレーラーにあるとおり警察に捕まったり、男にセクハラされたり、バービーランドとはまるで違う現実の荒波に揉まれるわけだが、その後、座ったベンチから人間生活のさまを広く見渡して涙を流すシーンがある。

公園遊具で遊ぶ子供たち。親子。親密そうに語り合う若い男性二人。老人も。

どれもバービーランドにはなかったものだ。

マーゴットはそこで初めて、人間というもの理解第一歩を踏み出したのだ。

そしてふと目を開けて、隣に座っていた老女と見つめ合うと、『あなたはきれいだ』と言って涙ながらに笑ったのだった。

このシーンは人生肯定だ。そう感じた。

流し見たインタビュー記事によれば、ここは監督が決して譲らなかったシーンなのだという。少なくとも監督のコンセプトにおいてかなり重要なウェイトを占める場面のはずで、実際演出も印象的だった。

映画ラスト、マーゴットはルースとの対話の末、人間になることを選ぶわけだが、その決断ときにも、人生というものがとても美しく描かれた。

笑顔の子どもたちが映るホームビデオ風の映像がいっぱい流れたのだが、最近こういうの全般に弱くて泣きかけた。

そこで自分は、これは人間賛歌の映画なのだと考えたのだ。

人生に起こるいろいろな問題に苦悩しながらも、人生の素晴らしさについて描く映画一種ジャンルだろう。この映画はきっとそれに位置する。

男女差別についてかかれていたのは、勿論テーマ自体は主役扱いで、不誠実な描かれ方はされていなかったが、他の映画における、例えば叶わない夢の話や、恋、はたまた自然環境仕事社会問題など、『現代社会に生きる人々において共感を得る悩みごと』としてのテーマでもあったのではないか

だってそうじゃないと、マーゴットは、他のバービーたちに背を向けて、バービーランドを抜け出さない。理想郷永遠に住み続けていればよくて、いずれ死を迎える人間になんてならない。この映画が、女性女性理想郷で生きる権利がある、なんて事だけを説く映画なら、そんなエンディングにはしないはずだ。

いま分断社会に生きる我々は日々大いにストレスに晒されている。その中でも、人生が素晴らしいのだと思えるようであってほしいと伝える映画だというのが自分の所見だ。

少し話は戻るが、最後のマーゴットのルースとの対話の中で、細かい流れはうろ覚えだけど、特に印象に残った言葉があった。

人間になりたい気持ちの間で揺れるマーゴットが、バービーとして生まれ自分人間になっていいのか、と産みの親に訪ねる。それに、答えるルース言葉が、

『なりたい自分になるのに許可なんていらない』というものだ。

きっとこれがこの映画パンチラインだろう。

さっきこれは単なるフェミニズム映画というわけではないとか力説したばっかりだが、テストで作者が考えるフェミニズムとは何ですかなどという設問があったら、自分はこれを抜き出して回答する。

男女差別と、人間賛歌という2つのテーマを包括する答えでもあるだろう。

人間はただなりたい自分になりたいだけだ。


フェミニズム女性のためのものか、男性含む人間のためのものなのか。どちらと答えても炎上する今の世の中で、論争を煙に巻いて、たった一つの単純明快フレーズを残したようなコメディ映画だった。

2023-05-29

anond:20230529171755

割と簡単だよ 論理をすっぽかしたりわざと穴のある論理を入れるだけでOK 被害者意識とどうせわかってもらえない、となんちゃって厭世観も出してみよう

2023-05-17

またまだ何とかなると思っていた当時のわりと楽観的な20代が、時を経て、結局何ともならずいろいろ諦めたアラフィフになり、厭世観漂う臭気を撒き散らしているのがはてブでございます

2022-08-26

anond:20220826213215

意識ある子供が生まれてくるのは想定するんだろうけど

まれてきたのが嫌になるほどの厭世観を持った子が生まれてくるのかについては子ガチャだし

二本足で立って歩けるようになったらそれから後の人生責任は親じゃなくて自分自身にあるものから

恨むなら自分を恨むしかないよ

2022-08-15

anond:20220815170518

から仕事の話をしていません。

女性男性と比べて女性であることで得な事が多いから、厭世観もつことを回避する手段として、女性というのを生かしてみたら?ということでしかない。

男性的な世界にいて、そのはじめに書いてある悩みを抱えるのは当たり前、ということから話は始まってる。

anond:20220815161406

それなんだけど、それってやっぱり脳内麻薬っていうかホルモン足りてないだけっていう側面あると思う。本気で食事運動瞑想睡眠(w)に気をつかって脳内麻薬量をきちんと作れれば厭世観は解消できると俺は思う。

anond:20220815160038

厭世観に悩む人は基準自体が厭世側に寄ってる

同じ化学機械でも機械によって幸せの変動値や閾値が違っててそれをなかなか変えられないから悩ましいと言ってるんだよ

ビール飲んだり恋人と手繋いぐ程度の一時的イベントの変動値では基準値を変えられず、どうしても厭世基準物事判断してしまうから辛いんだよ

anond:20220815152815

そういう一時的体験は終わってみたらまた厭世観がぶりかえすだけだからまり意味がなく、よくて短期的な処置解決しかならない

もっとすぐには終わらない根本の部分の見方環境を変える必要がある

その点で浅いところで満足できる田舎ヤンキーとか環境を変えやす本能感情的な部分が強い女は厭世観を感じにくそうで良いな、というのが上の増田達の主張じゃない?

anond:20220815152424

横だけど、厭世観幸せホルモンが足りていないので、サーカディアンリズムの維持、きちんとした食事や、自然とのふれあい、たとえば海辺朝日夕陽を見たり温泉につかったりみたいなことが大事だと思う。

2022-06-16

anond:20220616160626

希望はもう戦争とか言ってた奴と、言い方違うにせよ厭世観強すぎ。

2022-03-07

就職氷河期世代だけど、もういっそ核の冬になってガチ氷河期なっちまえと思ったりする

ようやくして管理職になれて、年収世間の平均かそれよりちょっとマシなレベルになり

生活に余裕も出て貯金もできるようになってきたけど、

からプレッシャーがきつくて毎日パワハラ上司に吊るし上げを食らって精神的にきつい思いをしてる。

ついこの間もメンタルが病む寸前までいって、自殺衝動に駆られた。

しんどくて、いのちの電話につながったときは泣きながら辛い思いをただただ聞いてもらってなんとか今も生きてる。

ただ、自殺念慮はしばしばでるのでいまも自分メンタルは危ない状態だなと感じてる。

そんな状況だから厭世観が満ち満ちてくるようになり、核戦争なんてワードニュースで聞くと、

いっそ核戦争突入して核の冬になってガチ氷河期になって人類滅亡してしまえと思うようになってきた。

ロシア大統領やらかしそうな勢いになってきてるのに、終末時計は100秒から全然進まない。

結局、ハッタリじゃねえかよ

2021-10-20

二重思考ジョージ・オーウェルSF発明じゃなくてガッカリした

共産主義者にとっては日常的なことだったんだな。

俺はてっきりジョージ厭世観が0から産み出したものだとばかり。

実際には共産主義に狂っていく集団の中では自然発生的に生じうる現象に対して名前をつけただけだったのか。

まあネーミングセンスはあるんじゃないの流石だよジョージ

まあ俺は翻訳しか読んだこと無いけど英語でなんて描かれてるのかさえ知らないけどん

2021-09-30

ワクチン接種済みの人は未接種の人を恨んでるよね。人を巻き込まないと不安気持ちになるんなら自分最初から摂取するなよ

ワクパスとか強制接種とか言って副作用に道連れしようとしてるね

厭世観強すぎだし、無理心中したいんだよ。

anond:20210930163718

ワクチン接種済みの人は未接種の人を恨んでるよね。厭世観強すぎだし、無理心中したいんだよ。

ワクパスとか強制接種とか言って副作用に巻き込もうとするしてるね

人を巻き込まないと不安気持ちになるんなら自分最初から摂取するなよ

anond:20210930163218

anond:20210930160622

世の中恨んで、日本破滅とか言うのが好きな連中だから無駄

厭世観強すぎだし、無理心中したいんだよ。

2021-08-16

anond:20210816161514

人生潰した、楽しくないと自ら厭世観出すのはよくても他人から低能・出来ない人間と言われる事には腹立ててそう。まだまだだね

2021-07-13

昨日ハロワ行って来たぜ!

ハロワ行って来たぜ!

書類はそこそこ通ってるなら後は面接がんばれって言われたぜ!

30分やそこらであなた人格なんてどうせ分からないんだからどうにかして良い方に装えって言われたぜ!

でもありのまま自分承認して欲しいから嘘をつかないようにしてたわけじゃないんだぜ!辻褄合わせが嫌だっただけなんだぜ!

厭世観とかネガティブ思考は甘えって言われたぜ!

まあその通りだぜ!周囲に迎合する努力を怠った人間クズのものだぜ!


はやくフツーになりたいね

2021-05-31

反出生主義なんて厭世観の極みのような発想が取り沙汰される現代日本

新興宗教流行りそうな予感。

2021-03-14

死ぬのが怖いというより

死ぬことそのものが怖いんじゃなくて、死ぬ時に感じるであろう苦しみや痛みが怖い。だから、今のところ死にたくはない。だけど、将来の事を考えると、この世から消えていなくなりたいとは思う。多分私は割と幸せな方だとは思うけれど、子供の頃からずっと虚無感とか、厭世観みたいなものを引き摺り続けている。

例えば、作動させたら一切の苦痛を感じず一瞬で死ね装置があれば、きっと私は押すと思う。

2021-01-07

anond:20210107112655

増田厭世観持ってる感じが草生える

できるようになるまでやれ。

いまを生きろ。目の前を見据えろ。

人生はそれで充分楽しいのだ。

2020-12-19

anond:20201216163157

富野作品には厭世観人間不信が感じられるので、生殖恋愛への否定を予想して見ることになるのだが、いつの間にか性愛への肯定描写がされていて、そこがうまく繋がらないのだ。

下世話に言えば、アムロカミーユ機能不全家庭育ちで恋愛や家庭への不信をこじらせ幼なじみにも冷たい非モテっぽいのに、ララァやフォウとは出会って即スマートにいい感じになるのはNT共感を踏まえても納得できないってこと。

これは富野自身結婚子供を作っていることへの「こんな作品作ってて家族持ちなの!? だから子孫肯定なのかもしれんけどよく結婚する気になったな!?」という戸惑いとも近い。

ここら辺は小説版ガンダムを読めば分かりやすいかもしれない

アムロカミーユも家庭を省みず仕事にのめり込んだり不倫する両親を軽蔑していたし同時にそんな親に愛されたかったけど叶わなかった

そこで「あの両親を見て恋愛なんかする気が起きる訳ないだろう!」とはならず気になる女を見かけたらすぐに口説いて親密になろうとしてしま

その理由簡単で、単純にあの二人は性欲が強くその上で自分欲望にとても正直なので、両親という最悪のケースを知っていても性愛肯定出来てしま

アニメだと生々しすぎて描かれなかったけど、小説版ではあの二人が戦争に巻き込まれる前頻繁に自慰を行っていた事や女性性的な目で見ていた事が明かされている

アムロセイラさんと寝たり親父のPCエロ画像見ていたり、カミーユはファの体操着写真性的オカズにしていた事が匂わされていた

他人と一緒になっても良い事なんてある訳が無いだろう…って諦観と、それでも異性とやりたくて仕方ない…という本能肯定が同じ作品で描かれるのが富野作品の生々しさなのかもしれない

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