「日常生活」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 日常生活とは

2012-02-16

http://anond.hatelabo.jp/20120216170202

うん…だよね…

あとさあ、オナニーでもせめて真面目に問題解決とか国家を救うとか目指してやってんならまだいいんだけど

ど~も、それはただの建前で、「女を無学にしろー!」とか「独身税を取れー!」とか

過激な政策()を叫んで興奮するの自体が目的になってる人いるっしょ

日常生活さびしい構ってちゃんの一種みたいなの

2012-02-02

ソーシャルゲームをやめた

2週間ぐらいiPhoneソーシャルゲームをやっていたが、さっきやめた。

理由は簡単で、あまりにも日常生活に支障をきたすから

この2週間、起きてはひたすらゲーム画面をポチポチ限界を迎えて眠たくなると寝る、起きたらまたポチポチ…と、書いてるだけで非生産的な日々だった。

このままゲームを続けてると、更に抜け出せなくなりそうだと思い、思いきってやめた。

このゲームを始めるまで、ソーシャルゲーム面白そうと思ったことは無かった。

怪盗ロワイヤルも試しに入れてみたことはあるが、時間を浪費するだけだし、時間を浪費したくなければお金を浪費するし…ということで、本当に無駄しかないと思っていた。

意外なことに、今振り返ってみるとこのゲームも、そこまで面白いと思った瞬間は無い。

大掛かりなバトルがあるが、そのバトルが少し面白いと思った程度で、家庭用ゲームにあるような爽快感や刺激は皆無だ。

では何故ソーシャルゲームから抜け出せなくなるのか、中毒になってしまうのか。

その答えはソーシャル性にある。

このゲームでは、チームを組んでバトルを行うという仕掛けがあるが、僕はそのチームのリーダーをやっていた。

元々は誰かが作っていたチームに所属していたのだが、他人に時間を左右される(バトルの時間リーダーが決める)ことが嫌だったのと、リリースされて間も無いゲームだったので、自分でチームを立ち上げても、既存のチームとあまり実力に遜色が無いと思ったため、自分でチームを立ち上げたのだ。

このチームを立ち上げて数日で、仲間が続々と集まってきた。

頻繁にバトルを繰り返し、ゲーム内での順位もぐんぐん上昇した。

立ち上げて間も無くはランキング外だったが、1000位、500位、100位、50位…と10日ぐらいで上位50位以内に入るまでになった。

そのチームの仲間の間でも色んな言葉を交わし、チーム内で祭り上げられて行った。

ここまで10日かかってたのもあり、そろそろやめないと…という感情はあった。

元々、ランキング100位以内に入れればやめようと思ってたのと、あまりにも時間無駄にしすぎているということに気付いていたからだ。

ただ、ここまで一緒にやってきた仲間を見捨ててやめても良いのか、50位までくればもっと上を目指せるんじゃないか、という感情が、その思いに歯止めをかけていた。

本当、アホでしょうもなくて安っぽい感情だと思う。

結局最終的にやめることになったのは、ソーシャルゲーム特有の安易な達成感を感じられなくなったからだ。

チームの順位も、50位以内は層が厚くそんなに簡単に上がらないし、開催されているキャンペーンも達成するまでどれだけ時間がかかるかわからない、個人の強さにしても、殆ど敵無しの強さになっていたこと…等々の理由があり、当初あったような、上を目指してどんどん攻略して行く感覚を感じられなくなっていた。

結果、チームのみんなに引退宣言をして、持っていたアイテム友達に撒き散らし、やめたわけである

ソーシャルゲームといえば、どんどん課金するイメージがあるので、今回300円の課金で止まったのは救いだと思う。

最初は本当にこんなつもりじゃなかった、インストールして1回起動して、15分ぐらいでつまらなすぎて飽きるだろう、と思っていた。

結果掛けたのは、実質100時間以上の時間である

それだけの時間があれば何が出来るか、なんていうことはあえて言うことでも無いが、無駄にした時間は非常に大きい。

2012-01-29

今頃鏡音三大悲劇の一『悪ノ』シリーズ

または希望絶望連鎖について書き捨て。




『悪ノ』シリーズって何ですか

音声合成DTM製品VOCALOID2 CVシリーズ」の第二弾である鏡音リン鏡音レン」を用いて作られた一連の楽曲作品。詳しくは検索

小説とか漫画とか劇化もされてるようだけどそっちはノータッチなので除外。なんか詳細設定とか山のようにあるらしいけどあくまで元動画とその歌詞情報源を絞る。

核となっている曲は『悪ノ娘』と『悪ノ召使』の二曲。

前者はある国で暴政を敷いた愛らしい王女革命によって倒されるまでのことを歌った歌、後者はその王女に仕えた召使い視点から同じ一連の出来事を歌ったもの

YouTubeとかに死ぬほど転がっているのでこの文章を読む人にはできれば聞いといてほしい。ネタバレを含むので。『悪ノ娘から先に。

英語版ならEnnという人? が歌ってるやつの歌詞が好きだな。情報量が多くて。



なぜ『悪ノ』シリーズを取り上げるんですか

身も蓋もない言い方だけど「売れてる」から

ニコ文化中高生とかOTAKU中心に大人気とは知ってましたが劇って。コミカライズくらいまではわからんくもないが劇。

ファンとはいえそこまでのめり込むほどか。何がそんなに優れてるっつーかウケてるのだろう、という話です。

「優れてるからウケてるんじゃねーよ」というお話はあるでしょうがまあそこはおく。ぶっちゃけ「優れてない」点はいっぱい挙げられるし。

たとえば物語終盤の交代劇とかバレねーわけねーから常識的に考えて、とか。

・仮にも国のトップなんだから、立てるならもっとマシな影武者を立てるのが普通というもので、脱がした瞬間バレるようなのに気がつかないとか革命が総崩れしかねない。

  いや史上の狂乱というのは往々にしてそういう熱狂が高じてもはや狂気〜みたいな面があんだろうことは否定しないけど、そんなの後世には物好きな歴史家とかにケツの毛までひんむかれるレベルまで分析されるのが当然なんだからさ。恥ずかしい性癖が伝わっちゃってる為政者が今どんだけいると思ってんの。読んでないけど正直小説版にはクビ落としてから替え玉と判った革命軍の偉いさんとか偽史として押し通してきた『召使』側の話を証明しちゃったアマチュア研究家とかが裏で始末されるドロドロとかがきっとあった! と信じている。三次創作

・本物も見物に戻ってくんなよ。そこでバレたらすべてがガチで水の泡よ。危険すぎるだろ。

…とか、突っ込みどころはとってもたくさんあるわけなんですね。文化ルーツしっちゃかめっちゃかだとかそもそも歌詞ちょっと拙いとかね。

にも関わらず、絶賛者とかいっぱいいる作品でもあるわけで。合唱とか英語版とかあって再生数すごいし。

何がそんなに人を酔わせるのかしら。それがロマンスというものなのか。

いやねーだろ。これロマンスじゃないじゃん。中世騎士物語とかほんのちょっぴり読んだことあるけどコレジャナイ感すごいじゃん。

三大悲劇って言われてるけど悲劇ですらねーだろと言いたい。少なくともwikipedia曰くの古典主義的・新古典主義的「悲劇」では絶対ない。

それでは「これ」は何なのか?



ウケた要因の私的解釈

まあアレじゃん。ジェンダー界隈でいう性役割意識がどうこうとかあと男の娘ブームとかなんかそんな。

あとこれ国家の皮をかぶった家庭悲劇なんですよね。一種のセカイ系というか。

このお話は王家に生まれた男女の双子のうち女が王家に残されて(おそらくは凄い抑圧とか受けて)暴君になって、男はどっか養子とか?出されて召使いとして戻ってきたつーことになっていますが、男をイエに残して女はよそに嫁がせるつーのがどっちかというと鉄板ですよねこういうの。

「なんでそんなことになっちゃったの」というのはきっと小説版とかが政治派閥抗争がどうのとかに絡めて辻褄つけてると思うのでおいといて、「よくこれでウケたな」ってーのをですね。

この作品は基本的にすごいストレスを(受けたくないに決まってるけど)受けなくてはならない人間が見るとツボに来るようにできてるんスね。

よく何かこう、最近の若者は〜的な文脈で、男が女っぽくなっただの女が強いだのと言われますよね。いや印象だけど。自分の観測範囲内の話だけど。観測範囲内でもいい加減下火っていうか言い古されて説得力がアレな言説だけど。

少なくともこの作中ではまさに男がやるようなことを女がやっているわけで、そこんとこのギャップがウケてるっていうのはあると思うの。

鏡音リンってキャラクタ的には妹系ってんですか? 笑顔がかわいくてドジで〜みたいな感じだと思うんだけど、それが女故子ども故の残酷さみたいなのを全力発揮してるあたりのギャップもあると思う。

そう、彼女は良い為政者ではない。聖母聖女は齢14で「お金が足りなくなったなら〜、愚民から搾り取れ〜♪」なんて言わない。普通の女でも言わない。

彼女はむしろ聖女みたいな女に恋人取られたら相手の国ごと潰して復讐する程度にはやりたい放題の女のコ☆です。

しかもそのレベル人格破綻者まで「最初は無垢だった、ホント彼女は悪くない」的な補足が入るわけです。これもウケたツボだろう。

イエのあれこれとか人間関係でむっちゃ我慢とか強いられてるけど正直破裂したい、けど破裂したらあとが面倒だけど破裂したいけどあああああとか思ってる人間にはとてもツボ。

破裂したい人間がなぜ破裂しないかって、破裂すると崩壊するナニカがあるわけで、この王女の話は破裂してナニカを崩壊させてしまったってことなので「ああ、あんな風にならないためにも我慢がんばらなきゃなー」とか、「私がしてきた我慢は正しかった!我慢しなきゃああなってた!ざまあwww」とかいろいろと解釈できて美味しい。

それだけなら単なる破滅劇なんだけれども、これを悲劇にするのが王女と対になる召使い存在ですね。『悪ノ召使い』は『娘』よりもあとに発表された作品ですが、何千回単位だった再生回数を100万くらいまで押し上げたらしいっす。

「顔の良く似た」召使いは(内緒になってんのか知らんが)召使いってことになってるが王女双子です。これをまず物凄く突っ込みたい。王家の血縁が人に使われる側に回ることのあり得なさとか。でもまあそれはいい。

召使いは破裂しそうな王女のそばであれこれ世話を焼くわけです。王女の命令なら惚れた相手も暗殺してくる。それくらい自分を殺している。

ある意味王家という枷つけられてる王女と完全に同類なわけですが、召使いはそれほど人格破綻してないというか暴君的な方向に爆発しそうではない。

彼には「王女のため」という大義があるからです。彼が背負っても良かったモノを彼女に背負わしたら歪んでしまった、王女がこんななってるのは彼にも責任がある。

からその責任を果たすためなら、ほんのちょっぴりの「自分」も捨てられる。盲目的に尽くせる。

完全に「家庭なるもの」の中で板挟みになるガキそのものですね。あとほんのりとした近親愛。これがツボをつく。

オチはもうその最たるものですね。自分を殺して殺して殺して…の召使いは本当に自分を殺してしまう。王女はその代わりに助かる。

要は例えば機能不全気味家庭のお子様らには神話のように美しい物語だということですおわり。



鏡音リン・レンなるソフトは作中やファン間でも双子ってことになってますが公式的には「鏡に映るもうひとりの自分」的な感じではっきり双子ではないらしい。

というのもなんかこう、意味深ですね。

「破裂したい自分」と「尽くしたい自分」の両面のような感じ。



怖ェなーと思うのがこの作品が世界規模ですごい再生回数稼いでるという事実

機能不全家庭の子どもにばかりウケてるわけじゃねーとは思うが、でも例えば上で述べたような「この身代わりはあり得ねーだろ常考」みたいな意見はたぶん野暮としてブーイング浴びるだろうし、きっと小説版あたりで「そうするしかなかったんだよ…」みたいなことが切々と説かれていたりして要するに反論として封殺されることが明らかなわけです。

実際には例えば召使いの行動として「二人で一緒に逃げる、最後まで王女のそばにいて守り通す」みたいなのがあっても良かったはずだし一昔前なんてそれで逃げ切れなくて死んじゃってーみたいなのが悲劇テンプレ化してたような時代があった気がするんですが、そうならない。

何というか、すごい絶望的で、しかもその絶望絶望のまま肯定されて同類間で共有されてる感がする。

そういう方法絶望連鎖して伝播しているような感じがするのです。



何が気に入らないの?

漫画家とり・みき氏の言葉(の引用引用)だけど、こういうのがある。

人が涙を流すのは必ずしも作品の出来とは関係がないのだ、と。

 かつて自分が何かに感動した時にできた涙腺回路のようなものが頭の中にはあって、そこにピタリとはまるような場面だの言葉だのを見聞きしてしまうと、涙というのはどうやら自然に流れる仕組みになっているらしいのである。歳をとると涙もろくなるというのは、つまりそういう回路のパターンが増えているからではないか

個人的にこれは結構ガチだと思っているんだけど、一点だけズレてる部分がある。

ここで書かれてる涙腺回路の起動スイッチである「感動」っていうのが、自分個人に限っていえば何か崇高なものに触れて心を動かされたとかではなくて単純に傷つけられたときのことを指すようになってんのね。

まりこの文章に則って言うと、自分はある一定の場面とか言葉だのを見聞きしてしまうと自動的に繰り返し繰り返し傷つくようになってしまっている。

恐ろしいことなんだけれどこの「回路」が結構強固で、俺はこいつを潰しておかないと日常生活が送れないっていうレベルでいろいろと不便。具体的にいうとAED講習で実際の救命現場の録音(子どもが突然心停止して倒れたそばで手当てする人とか救急車呼ぶ人とかその子名前を狂ったみたいな大声で必死で呼び続ける母親の声)聞いたときとか、アレ本当は命が助かる感動的な場面のはず(「とりあえずはもう大丈夫です」まで録音されてたはず)なんだからすごくイイ話だと理屈では思うしわかってるんだけど生々しいやりとりそのものがあまりにもショッキングでしばらく「親子」みたいなキーワードで突然ぼろぼろ泣くようになって本当に困った。もうすぐ一年になる例の津波関連も未だにいろいろな場面でダメージ。直に被災したわけでもないのに。

閑話休題

から例えば映画とか小説なんかで「泣ける」みたいのを売りにしてるのは基本見ない。

そういう作品は大体が回路起動ツボを外していて(かつ、他の例えば大爆笑回路の起動とかには結びつかないので)白けるが故に、そしてごく少数の作品は客観化が十分でツボ自体から適切に距離を取れるが故に、涙腺回路起動までに結びつくことは滅多にないんだが、それでも見ない。

何が楽しくてそんな自傷行為をせねばならんねん。

でも例えばナイフは指を切るだろうとかわかるけど、この作品で泣くようになるだろうとか普通は読んだり聞いたりするまではわかんないわけじゃん。

で、『悪ノ』シリーズも回路の起動スイッチになってしまったので、困ったなー。と思っている。前述の録音ほどの威力はないしもうだいぶ整理して削いだんだけども未だに人前ではこの曲聞けねえ。

あの召使い台詞で泣かねー奴は人じゃねーみたいなコメント動画についていたりして、それを「気持ちはわかる」と思ってしまう。

気持ちはわかるけど、実際問題召使い馬鹿だし王女馬鹿でみんな馬鹿すぎて救いようがないと思う。「崇高なもの犠牲になる」みたいな楽しみ方は視点が狭すぎて阿呆だと思う。

いろんな人が感動してファンになって翻訳とかされてるのはわかるけど、作品としては全然優れてないと思うのです。

他の作品と比較してどうとかではなく、あの物語自体にもっと洗練の余地があるということ。

そして洗練されるとたぶんあれは悲劇オチ(と取ってつけたようなハッピーエンド後日談)じゃなくてちゃんと喜劇にもなれたはずだなー、悲劇にしてももっとレベルの高い悲劇になれたはずだなーと思うということです。



何を望むの

物語の洗練」を。

機能不全家庭の傷なめ的なものでなくて、もっとちゃんと救いとか絶望とかが欲しい。

あわよくば希望を手に入れて、それを連鎖させて伝播させたい。

具体的にいうとこのネタ小説でも書いてそれで旅行のためのおこずかいとか稼いでみたいんだけども、まあおこずかいにならなくてもいいから二度と回路起動スイッチにこのネタで手を触れられる奴がいなくなるように自分でパテを塗っておきたい、そのために小説を練ってみたい、ということでした。

すでにやってる人いるけどねそれ。舞城とかね。でも最近なんか舞城も振るわないっていうか、「その先が欲しいんだけど!」みたいなあたりで止まっちゃってる感するからね。ジョジョノベライズ期待してます

2012-01-28

http://anond.hatelabo.jp/20120128054047

プログラミング勉強していても日常生活や他の学問に応用できない感じがいやだ。

逆に聞きたいんだけど、元増田の言う「日常生活や他の学問に応用できること」って何?

プログラミング勉強している文型30代だが

プログラミング勉強していても日常生活や他の学問に応用できない感じがいやだ。

いろんな関数存在を知ったところで、言語の特性を知ったところで

その言語自体所詮誰かその辺の超巨大ギークプログラマーが考えたことでしょーが。

関数存在言語の特性の各論の前に

設計の思想とか、そういうキモギークプログラマーがどうやって生きて何を考えたのか

知るほうが楽しいよねー。

明日にでも早速その辺がわかる書物さがすにょろん☆

2012-01-21

http://anond.hatelabo.jp/20120121094646

自分じゃバレてないって思ってるかもしれないけど、こういう場で嘘をついてしま人間ってのは、日常生活でも他人からは見透かされているものだよ。

2012-01-12

成人式、本当は行きたくなかった。頑張れなくなってしまった。

本当は、自転車に乗ってみたかった。

けど、それを両親は危険だと言って許してはくれなかった。

中高時代、寄り道がしたかった。カラオケに行きたかった。

県外旅行に、友達と行きたかった。

一人旅がしたかった。

友達に会いに、東京に行きたかった。

バイトがしたかった。

メイクがしたかった。

自分で服を選びたかった。

料理がしたかった。

あの習い事がしたかった。テニスがしたかった。

成人式に、行きたくなかった。

中学は遠い町の私立中学だったので、地元に知り合いはほぼいない。

そんな中での、成人式参加は、辛いことが予想された。行きたくなかった。

しかし、両親は「節目だから振袖を着て欲しいから」

振袖を買って貰えることは、有難いことだと分かってる。

高校の振袖同窓会に行けた。楽しかった。

けど、地元成人式に、着付けメイク代の○万円を払ってまで行くべきか?

1度ならずとも、何度も何度も、写真屋さんで写真撮影しなくてもいいんじゃない

振袖に○○万円も出すなら、本当は、日常生活での服に使いたかった。

普段、いつも同じ服を着て大学に行く私は、惨めな思いをしているけど、

それを両親は知らないのでしょうね。見えないのでしょうね。言って伝えてるのに。

結局、成人式では、誰とも喋らずに終わった。すぐに帰って、振袖を脱いで、メイクを落として、ジャージを着た。

大学の授業が終わってからいの一番帰宅するんじゃなくて、

大学や、専門学校自習室勉強がしたかった。

飲み会に行きたかった。

服を自分で買いたかった。

自分のことを、責任もって、自分で行動したかった。

一人暮らしがしたかった。

県外に就職がしたかった。


でも、意見を通すためには、両親を説得しなければならない。

いくら言っても、両親の考えは変わらない。

頑張れなくなってしまった。「そこまでして、叶えたいことじゃないし」と。

「家の雰囲気を悪くしちゃうから避けなきゃ」と。

諦めてる、そういう家なんだから仕方がない、って。

それでも、出来る範囲で楽しもう、って。

友達なんか一人もいなくて、自分に対して自信がなくて、

結婚したって、幸せになれないし、

私自信、自殺願望小学生時代から持ち合わせていた立場としては、子供なんて生みたくない。

生まれてくる子供が可哀相だ。私は、生まれてきてよかったなんて思ったことは一度もない。

けれど、両親は「結婚しろ」という。

お見合い相手を探してくるから」という。

本当は、結婚なんてしたくないし、子供なんていらない。

早く死にたい事故か何かで。30代で死ねたら、なんて思う。

結局、何をしてても、楽しめない。

何だか、もう、頑張れないなぁ。

「もう仕方ない諦めよう」って思いながら、時々泣けてくるのは、

本当は、頑張りたいからなんだろうな。

2012-01-08

http://anond.hatelabo.jp/20120108194911

多かれ少なかれそういう傾向があるのはあるんだけど、その度合いって人それぞれじゃないか

俺は朝起きても体が動かなくって、仕事休みますって電話を入れると安堵で体が楽になるって状態が続いたことがあってな。

そう、仕事から解放されると楽になるんだよ。

多分這ってでも会社に行こうと思えば行けたんだろうけど、そんな状態で会社に行っても役に立つとは思えないし先輩からただですら罵倒されてるのがきつくなるしで辛いと思ったから、結局休職したんだ。

それを「這ってでも会社に行かない奴は甘え」って言うのならそれは死ねと言っているようなものだし、自分死ぬほど会社に行きたくなかったから死ぬって選択をしてたと思う。


それに、海外旅行だっていいじゃないか。英気を養うのと、仕事の事や家庭の事を考えないようにするには日常生活から離れるっていうのが一番いい方法なんだから

ま、それを「楽しんでまーす」って会社に伝える奴はただのバカだと思うが。

2012-01-05

普通の大人になりたくないあなたへ

普通の大人にならなくてすむ方法はそれほど多くあるわけではない。今私の知り合いの女性達は、

大きく二つに分かれているような気がする。とりあえず生活のベースになりうる仕事を持っている人と、

何も持っていなくてそれを探してもいない人のことだ。仕事を探すのは大変だ。比較的頭が良くて向上心がある女達は

パソコンなど新しい技術を覚えようとしている人が多い。

動物達は「棲み分け」と言うもの自然のうちに実行する。 

まり、ある決まった地域、区域に集中していろいろな種類の動物が住むとえさや水が不足し、弱い動物は強い動物

常に攻撃を受けるようになる。それを防ぐ為に動物はさまざまな区域に分かれて住むようになるわけだ。

もちろん「棲み分け」はそれぞれのテリトリー完全に決まっていて、其の場所を確保すれば安全と言うわけではない。

木の上にいる猿は比較安全だが、それでも豹に狙われる。

 この国は人口が、多いから、既にたくさんの成功者がいるような職種にもぐりこんでいくのはかなり難しい。

例えば編集者とかカメラマンなど、もう既に数は足りているどころか、あまっている。先輩達は道を譲ったりなんかしない。

つかんだポストは定年まで決して離そうとしない。そういうところで職を得ようとするのは至難の業だ。

たとえ人気のある出版社に入れても、面白い仕事を先輩達がやすやすと手放すわけがない。

人生に積極的な女達はこの数年、パソコンに進出してきた。パソコンインストラクター

さまざまなソフトを使った事務処理、ゲームプログラム制作、各種インターネットビジネス

そういった女達の進出は目覚しいものがある。女はメカに弱いという常識を逆に利用した「棲み分け」への強い意志だ。

女はメカに弱い、だからパソコンを操りインターネットなどの特性を理解している女はまだ少ない。

それでもパソコンを教えたりプログラムソフトを売り込んだりするときに女のやわらかさは武器になるに決まっている。

有力なコネがない私はそういった分野に進むしかないのではないか

そういうような考えが人間界の「棲み分け」を産むようになる。

そしてそれは大部分が正しい。

この「anan」の特集を読む人たちは、安易な期待をしていないだろうか。

何か、ちょっとした工夫や考え方などで、普通の大人にならずにすむ方法があるのではないかという甘い期待だ。

「毎朝、起きたときに好きな詩集の一節を必ず読み、さわやかなバロックの曲を聴きながら、ナチュラルメイクで、

作りたてのクロワッサンを食べる」みたいなこと、つまり、「日常生活の中でのささやかなおしゃれな工夫」では残念ながら、

人生は何も変わらない。そういう世間的な豊かな生活を楽しんでいるのは、

普通でない」大人たち、つまり具体的に「普通」の人よりも努力した大人達だけだ。普通の大人になりたくない、というのは

まらない人生がいやだと言うことだと思う。日本は変わってしまった。

普通の大人」が「つまらない人生」を意味するようになったわけだが、其の認識はもちろん正しい。

普通の大人」というのは今までの「日本典型的な大人」と言うことだろう。

それなりの会社でそれなりのポジションにいるお父さんを助け立派に家を守り子どもを育てる「おかあさん」というのが

典型的な大人の女の人」だ。それなりの会社でそれなりに働きそれなりの恋人を持つと言うのが「普通の大人の女」だ

其の両方に魅力を感じなくなったというのだと思うのだが、その認識はまったく正しい。

 この2、3年に起こったことだが、この国の「普通」の完全な崩壊証明している。

オウム真理教には「普通」のエリートが多く入信していた。援助交際をする女子高生は「普通」の家庭の娘達で、

神戸の十四歳は「普通」の中流家庭で育っている。テレビメディアはそういったネガティブな人たちを

「特別な環境」に育った「特別な人」だというふうに規定したがっているが、もうごまかすのは無理だ。

もちろん「普通」で幸福に生きている人もきっとまだ大勢いる。特に田舎に多いかもしれない。

だが「普通」が「幸福」だと言う図式はもう存在しない。

普通」はシャープ感覚を持つ若い女の子が忌み嫌うほどに、弱体化してしまった。

それでは普通に成らないためにはどうすれば言いか。コレはもうはっきりしていて訓練しかない。

訓練して特別な技術を身につけないと特別にはなれない。

訓練というと、暗く地味なイメージがある。何か嫌なことに耐えなければならないという先入観があるかもしれない。

それは、なんでも言う事を聞く「普通」の大人を大量に必要とされた貧しい日本の間違ったやり方だ。

この国はごまかしに満ちていて、成功した人に、インタビューで「どんな訓練をしまたか。」とはほとんど聞かない。

「どんな苦労をしまたか」と聞く。

成功した人は、「苦労した人」ということにしたいわけだ。わたしは、24歳で作家としてデビューしたが、

まったく苦労はしていない。今でも苦労なんて全然していないし、苦労なんて一度もしていない。

確かに技術を得るための訓練をするのは単純に楽しいものではない。

語学の訓練を考えてみればわかるが、単調で、忍耐力がいる。ただし、そのことが好きだったら、

それがいくら単調でも「苦労」にはならない。

から長い訓練のためには、その訓練の対象を好きになる必要がある。

どんな人間にも、そういう、長い訓練に耐えられる好きなものが一つぐらいあるはずだ。

それを、見つけることができたかあるいはできなかったか人生はそこで二つに、分かれる。

見つけることはできた人間は訓練が苦にならないから特別な技術を身につけて「特別」になれる。

見つけられなかった人は、特別な技術が何もないから「普通」にならざるを得ない。

「わたしはね、才能はあったのでも努力勉強が好きじゃなかったからこうやってつまらない平凡な人生を送るはめになった、

からあなたにはそうなって欲しくないの、だから今はつらいかもしれないけど勉強しなさい。

今、耐えて、しっかり努力しなかったら私やお父さんみたいに平凡に生きるしかないんだから。」

 そういうお母さんは「努力しなかった」のではない。訓練が苦にならないないかを見つけることができなかっただけだ。

努力好きな人はいない。私も大嫌いだ。だが、好きなことだったら、努力は苦にならない。

訓練ということで言うとたとえば20歳という年齢は既にかなりハンディがある。バイオリニストやバレリーナにはもうなれない。

語学学習を始めるのも遅ければ遅いほど苦労するし、働きながら何か訓練するのは大変だから

25歳という年齢はかなり絶望的だ。30歳になると、せいぜいつまらない人生趣味ごまかすぐらいのことしか残されていない。

趣味というのは魔物だ。「そんなに好きなら趣味でやればいいじゃない」と大人たちは言う。

それも嘘だ。素晴らしい趣味を持っている人はたいてい素晴らしい仕事を持っている。

「特別」な人たちは趣味を必要としていない場合も多い。

まらない仕事をしているが素晴らしい趣味を持っているという人に私はまだあったことがない。

 つまらない人生を送っている「普通」の大人たちは実にさまざまなやり方で若い人に嘘をつく。

「苦労」「努力」「勉強」「趣味」その他にも色々な言葉があって、

学校や家庭やメディアやその他いろいろな場所で、その言葉は囁かれる。

 営業のような仕事に女は向いているのか、女には競争心はあるのか、仕事を持つ女は

どこかさびしそうに見えるというのは本当か、女が普通でなくなると色々な問題が起きることは事実だが、

それはまた別の問題である

 「普通」の大人にならないための方法は簡単だ。好きなことを見つけて、それを誰よりも訓練すること。

  簡単で、しかもそれ以外の方法はどこにもない

2011-12-21

http://anond.hatelabo.jp/20111221142606

馬鹿じゃないよ。

そもそも日常生活音楽は必需ではないし、家に帰って、あるいはライブで聞けばいいんだから

そういう以外の目的、たとえば勉強するとき音楽聞くとか、移動するとき音楽聞くとか、全部ジャンキーだよ。

2011-12-19

家の中でガタガタ音をたてる陰険キチガイババアという奇怪な存在

よほどこの「静かな秩序」に腹が立つのか知らないが、それに対抗するようにガタガタと余計な音を立てないと気がすまない陰険キチガイババアのような人間というのは世間の中にどこにでもいる。にもかかわらず、あまり論じられないのが不思議である日常生活普通日本人をいらだたせるのは、警察でもヤクザでもなく、世間の中にことのほか多いこうした鬼畜イカれた迷惑行為であり、それが犯罪に発展することも多いのに、誰も触れないのは日本の七不思議である



たとえば掃除をするのでも、他人に迷惑をかけまいという精神のある者なら、無音でできるようにいくらでも工夫できるし、やむをえず音が出るなんてことも最近掃除機などではありえない。というか、そもそも掃除をしなければ生活が立ち行かないというほど不潔な環境もいまや存在しない。にもかかわらず、しなくてもいい掃除をわざわざやって、そのたびに騒音を立てないと気がすまない恨みがましい鬼畜世間にはことのほか多いのである



この点で東京拘置所の職員などは極めて優秀である。彼らは規則どおりに一切の余計な騒音を立てずに業務を遂行する。なぜ世の中の鬼畜どもは彼らの真似ができないのか。これなら、世間などより、東京拘置所で育てられた方がどれだけかまともな人間に育つか分からない。警察留置場になると、ろくな留置係官がいないから問題なのだが、東京拘置所刑務官は選り抜きの精鋭集団なのか、みんながああなればいいのにと思う。



話は戻るが、家の中でわざとガタガタ音を出す奴は何なのか。また、それを封じ込められない社会構造おかしいのではないか

2011-12-16

日本人はなぜマスクをするのか

 日本にはマスクを着ける人が多過ぎる。

特に近頃、空気が冷え込んで来てからは、二人に一人くらいはマスクを着けていると言って良いだろう。

「冬だね!マスクしてもいいよね?」

と言わんばかりにだ。



 マスクの一般的な使い方として知られているのは、咳などで風邪を他人に移さないことと、外部からの菌等を防ぐための2つだと思う。

風邪を患うといっても2人に1人という高い割合になることはさすがに無さそうので、予防の為の着用というのが説得力がある方だと私は思うが、

果たしてそれがどれほど効果が期待できるのかは懐疑的である。つまり、予防の為に着けてると言うには着用してる人の数が多過ぎ、又効果の程も怪しいのである

特に電車内でマスクを着ける人は多いと思うが、ではつり革に触ったあとで必ず石鹸で手を洗う人はどれ程いるのだろうか。


 これほどマスクを着ける国は日本だけである



 本題だが、私はマスクには精神的な作用があると思う。

ニコニコ動画youtubeで個人作品を見ている人は分かると思うが、アップしている人達の半数はマスクを着用している。

もちろん、ネットに顔を晒すことと日常生活におけるそれは全く異なることだけれども、動画上でマスクを着けるのも不思議なことに日本人だけなのである

日本人には明らかに、自分の顔をさらけ出すこと対して抵抗を覚えるという、国民的ともいえる性質があると思う。



 例えば今も存在しているのか分からないが、日本ヤンキーの象徴の一つはマスクである

私は、これは彼ら自身を強く見せる為に着けているのではないかと思っている。

表情を読まれることは、自分の弱みを悟られることに等しいからだ。

で、結局のところ一般人マスクを着ける理由もヤンキーのそれと大差無いのではないかと思う。



 日本人感情表現に乏しく自己主張が弱いと外国人揶揄されことがある。

個を前面に出してゆくのは日本人の苦手とするところで、常に周りに同化していたいと感じ没個性を望む。

まさしくこれが日本人らしさで、これを適えるのにうってつけなのがマスクなのである、と私は考える。



 といってもこれらは全部私一人が考えたことなのでこんなふうにネット意見すると色々有意な反論も貰えると思うので、

皆さんの意見をお聞かせ願いたい。

はてなブックマーク

最近、悩みがある。

ブログをやっているとはてブがつくようになる。

それが楽しくて、ほとんど中毒になってしまったんだ。

仕事をしているときも知人と一緒にいるときも、

自分の記事がどれくらいブックマークされたのか知りたくて仕方が無い。

一日に何度も何度もブックマーク数を確認する毎日

夢にまで出てくるし、夜中に目が覚めて確認することも多い。

自分日常生活は完全に破壊されてしまったんだ。

どうやってこの問題を解決すればいいんだろう。

誰か教えてほしい。

2011-12-10

なんでニュートラル立場韓国紹介ブログが無いのか

海外事情を見たい時いろんな方法がある

使う媒体によって見え方も変わる

twitterYoutubeを使う人もいればTimeやクーリエとかの雑誌を使う人もいる。

中国の生活事情ネットでの考えを見たい時、

その時の手段は沢山ある

サーチナ、偏ってると思えば大陸浪人、他諸々

からいろいろ廻ればニュートラル意見が分かってくる。

でも韓国の生活事情ネットでの考えを見たい時、

そこにはいろんなフィルターがあってよく分からない。

この違いは何なのか。

確かに2chで取り上げられる韓国反日事情が100%嘘とは言えないし

ただでさえ韓国歌手ドラマに全く興味無い人にはメディアのおかげで少し嫌になる部分もある。

一方で韓流ブームで韓国語に興味を持ち始める人もいる。

でも、まだ中国事情比較的中立に立って紹介する大陸浪人のようなブログは現れない。

サーチナ韓国ブログ紹介、ニュースパソコン翻訳機能使えば分かる通り故意的な部分が多すぎる。

なんで韓国に対しての中立な立場からネット紹介ブログがないのか。

思いついた理由は以下

中国語に比べ韓国語を学ぶ男性は少ない。海外事情翻訳ブログ男性が作る事が多い。

ビジネスでも在日韓国人の方などが韓国語を話せ、韓国語要員ポジションにいることが多いので新たに学習しようと思わない。

韓国語を学ぶ人は政治ビジネスなどよりエンターテイメント目的であり、

そもそもそういう人は政治的に何か考えている訳ではなく2ch的思考もあまり縁がなく、

韓国に行っても生活を楽しむ。こういう人達自分の周りの日常ブログに書くけど国全体として考える事は少ない。

サーチナなどによく騙されるのは根拠のソースハングルで読めないから。

中国語なら漢字なのでそこそこ意味は取れる。

まりいっき反韓ブログと思いっき自分日常生活in韓国に別れる

在日韓国人の人のブログ事情が特殊

今までニュートラル立場韓国ネット事情ブログを見た事がない。

誰か作って下さい

2011-12-09

http://anond.hatelabo.jp/20111209092433

ありがとう

仕事趣味上の新しい刺激」

日常生活上の彩り」

そうか、そのとおりだよねー。

ちょっとおっくうになっても、出かけることにしてみます

http://anond.hatelabo.jp/20111209003154

仕事集中力や意欲の低下

・全体的に好奇心が低下

面白いと思えることが減ってきて、世の中のくだらない部分ばかりに

目が行くようになっているのも、よくない傾向です

これ、80代後半の俺の祖母(アルツハイマー)と同じ症状だぞ。

祖父をなくしてからそういう感じになっちゃった




あと重度の引きこもりニートも良く同じ症状を訴えてる。




もう自分でわかってるみたいだから念押しになるけど

あなたの症状は「仕事趣味上の新しい刺激」「日常生活上の彩り」が欠けてるせいでそうなってると思うよ。

2011-12-07

「敵」の扱い方

日常生活においては、エライ人には媚び諂い、ご近所様や同僚とはとことんヘラヘラとしながら戦いを避け、

テレビの向こうで差し出された生贄を裁くことで日頃の鬱憤を晴らしているような人たちは、

基本的に自分の目の前に差し出された「敵」というのは、一方的に嬲ってよいサンドバックのようなものだと認識していると思う。

そういう構図ばかり見せられてるから、その馬鹿の子供もいじめするんだろうとかまぁそういう話は置いといて、

とにかく、敵との戦い方を学ぶ機会がなく、それを知らない人というのは多いような気がする。

敵は仕置するものであり、成敗するもの。侮り、油断し、慢心し、相手の人格性を無視し、一方的に蹂躙することが戦いだと思っている。

お前はどこの貴族王様だアチャーだよ、と。 日露戦争直後の日本人なみの浮かれ具合だ。

こういう人たちがtwitter見てたら実例に事欠かないのが、本当に悲しい。


そんなんで、いざ倒せない、実態を持ったライバルとか壁が現れたときに立ち向かえるのだろうか。

最近見た非モテおとこ嫌い女のように、「自分のことを何でも面倒見てくれて、何でも受け入れてくれる都合のいい人」を

ともに成長する相手、とか思ってる奴がネタではなく実在するなら、そいつらはもう人生詰んでると思うんだ。

ジャンプじゃないけれど、やはりある程度は、敵やら障害に対して、こいつらこそが自分を成長させてくれる、と思って敬意を示すべきやと思う。



大阪市選挙に関しては、橋本派、反橋本派を問わず

テレビを見て、自分の宝具(テレビに向かって野次)が通じないからといって

癇癪を起こしている厨二病患者以外の何者にも見えない幼稚な人間が多々見受けられる。 ロジックマスター(笑


http://d.hatena.ne.jp/dongfang99/20111205

2011-12-06

顔の好み

顔の好き嫌いあんまりないと思ってたけどやっぱり自分にもあった。



自分場合その好みが、これまでに出会ってきた異性(友人・知人・彼女など)からの影響が強い。とくに嫌いな人。



1年くらい前に同じ職場にやって来たカワウソ似(年はくってるが美人な方だと思う)の女の人と相性が悪い。

いい大人だから言い合いはしないけど、お互いの言葉にトゲがある。



そうするとTVの中や日常生活で少しでもその人に似てる人がいると、それだけでイライラする。

AV観てても髪型似てたり、カワウソみたいな顔の奴だと萎える。

2011-12-01

http://anond.hatelabo.jp/20111201145030

元増田が好みそうな答えとしては「ぶっこわれてしまった日常であることを再確認するための作品の数々。ということにでもなろうか。

いつも「絶望した!」と叫んでいる「学校先生」とか、立川日常生活を営んでいる「イエス・キリスト」と「シッタルダ」とか、最近の作者が、いったい、自分の「何」を暗喩しているのか、理解に苦しむ設定や展開が多いけれど。

少なくとも表面上は「いつもネガティブなことを言っても、シカトされない世界が欲しい」とか、「偉人をまったくそぐわない環境に置いたら、どんなことが起こるか」といった、実験みたいなもんだ。

日本社会「日常」を欲する。

といった状態になっているんだとすると、ものすごく、やばい気がするっては、元増田同意だが。

http://anond.hatelabo.jp/20111201002911

そんなこといったら、何をすれば十分定義したことになるのかが不明なんだよ。

リア充」は術語ではないので、日常生活の中で臨機応変に定義が変わる

それは「有能」という言葉定義が文脈に応じ変化するのと同様に。

でいいと思う

2011-11-24

http://anond.hatelabo.jp/20111124175828

それって日常生活を安穏と送ってることが「一つの極み」ってことになるよ。

2011-11-16

http://anond.hatelabo.jp/20111116131730

いつも誰かに見つめられている気がする。

外に出れば、こちらを見て噂話をしている人が必ずいるし、アパートに帰れば上の階と下の階の住人が申し合わせて嫌がらせをする。

そんな日常生活

増田ゴロゴロ居る自称美人に聞きたい

日常生活でどれぐらい視線を感じる?

http://anond.hatelabo.jp/20111116074734

そういや天皇が死んだらまた次の年号になるわけで、

只でさえ今でも昭和平成が混じっていて(大正以前は日常生活じゃ使わないので無視)面倒なのに三種類になったら面倒臭過ぎる…

かと言って天皇の歳考えたら昭和日常生活じゃ使わなくなる時代になるまで長生きして貰うのはまず無理だよなあ…

ほんと和暦廃止して欲しいわ。公的書類で使わないようにするだけで大分楽になるのに。

2011-11-14

自分にとっての幸せのモノサシ

私は、私のための幸せ定義を考えておかなきゃならない。

そうしないと、流れ流され、自分でも不本意なところへ漂流してしまうかもしれない。

もう、万人に通用する幸せのモノサシが与えられる時代じゃなくなったんだと思う。

-------

良い高校に入って、良い大学に入って、良い企業就職して・・・

世間一般的な幸せ価値成功を目指してる間は、楽だ。

サークルに入ってる間は、サークルの目指す価値に身を捧げてきた。

でも、これも自分で考えついた目標ではなく、与えられた目標だったように思う。

良い企業就職して、というのには失敗してしまたかもしれない。

思っていた就職活動にはならなかった。人生で初めての挫折。

もちろん、このご時勢に仕事にありつけるだけ、ありがたいことだとは思う。

でも、今すごく危機感を持っている。私は、目指すべき指標を失ってしまった。

来春から仕事は、私の中では「食うための仕事」として納得された。

やってみないと分からないが。でも、今の段階では生きがいとか、幸せ、とは結びつかない。

そもそも、仕事に過剰に「自己実現」だの「自己成長」だの言うのが変なんじゃないか

多くの人にとって、おまんま食うための手段だろうし、それでもいいと思うんだ。

みんながみんな、ジョブズやら、孫正義のように、リーダーになりうるヴィジョンを持ってるわけじゃない。

「お前が消えて喜ぶ者にお前のオールをまかせるな」

誰かのモノサシによっかかって、『自分は不幸せだ』と嘆くよりも、

自分はこういうとき幸せだな~、ってぶれない芯が欲しい。

個人の時代なんだな。辛いけど、強い個人であらねば。

きっと、大層なモノサシでなくて、日常生活の中のちょっとした幸せの積み重ね、とかでもいいと思うんだ。

- 転職ならen
- 派遣ならen
12ページ中1ページ目を表示(合計:283件)