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はてなキーワード: 西欧とは

2012-01-30

#クリミア戦争勝敗を分けたもの#

兵站看護学機雷なども重要だが、

それ以上に蒸気船と帆船の戦いにおいて、蒸気船の高い操舵力による

黒海での圧倒的有利が、難攻不落であるはずのセバストポリ要塞孤立させ、

戦略的に圧倒的不利になったロシアはついに敗れる。

→次は蒸気船の中でも外輪船VSスクリュー船、で争う。

 対日本、対中国程度であれば外輪船でもスクリュー船でも大差なく勝つが

 同じ蒸気船同志なら、圧倒的にスクリュー船が勝つ


#ヨーロッパは昨日までの敵と平気で同盟を結ぶ#

からこそ、条約重要になる。

日本だって戦国時代はそうだったのだが、スケール感が違うので少し戸惑うね。



#島津斉彬江戸遠征計画(未遂#

井伊直弼は信念を持って粛清を始めている。本人の胸中に入ってんのやましさもないのだ。それがどれほど恐ろしいことかお前にわかるか?ただの悪意や傲慢なら少し恫喝をかければおとなしくなる。我が身が可愛いだろうからな。覚悟を決めた男にそれはきかない。これからの井伊は果てしなくエスカレートするだろう。権力を持った人間はやりたいことがどこまでもかなってしまうからな。しか権力を掴んだ男は気づかぬうちに権力奴隷に成り果てるのだ。私はな、自分で言うのも何だが権力奴隷にならずにすんだ。正義権力に酔ってお由良派を粛清するために血刀を振るっていたならば、今頃薩摩全土は死屍累々、私自身どこかで非業の死に倒れ、島津は滅亡し今の近代化など微塵もなかったであろう。だからこそわかる井伊家は日本を血で染め、日本そのものを滅ぼしかねん。使いたくもない権力であったが、ひと暴れせざるを得まい」(島津斉彬



戦をせぬ戦というものがある。今回の騒ぎは糸をほぐせば簡単にとけるものだ。京の天子様をあまりにも現実から遠ざけてきたことが間違いなのだ西洋人は禽獣ではないこと、我が国は国際社会と堂々渡り合える力を秘めていること、それを伝えて孝明帝の心が休んじられれば日本平和に開国できるのだ。その自信を持てず西洋に一番怯えておるのが250年惰眠を貪り続けてきた江戸幕府である!どれほど格好をつけ、居丈高に振舞おうとも、いや水戸様のように居丈高になればなるほどその怯えは日本全土、全国民に伝わってしまう。幕府の自信のなさを朝廷は見ぬいておられる。意味不明西欧の脅威とこの国の責任押し付けられる帝は溜まったものではない。砲一つない御所にお住まいの帝が開国不承知を叫ばれるのは当然ではないか。帝に安堵していただければ御所空気は一変する。京の攘夷派も納得し一滴の血も流さず開国への道がひらけるはずだ。(この真意を知るのは西郷橋本左内など側近のみ)




#江戸時代役人2#

「この国の役人不思議ですね

 自分たちの責任自分たちの責任だって連呼してました

 どこの国の役人だって、出歩いたこっちが悪いと言いはるでしょうに

 警護の不手際だと自分から言い出すなんてありえないですよ」




#坂本龍馬#

ようわからんが、ちょっとしたきっかけや自信で

人間は大きく変わるんやないかのう。

特別な人間などだれもおりゃせんが、一人ひとりは自分がかけがえのない人間じゃ

自分を大切にする人間は、他の人間も大切だとわかる。

いつも前へ前へと突き進んでいくものには、

目の前に何が待ち受けていようと恐れることはない。

人生は楽しく生きなきゃ、もったいないわ!

そうやって生きるには、身分制度ちゅうおかしなもんが邪魔じゃあ。

なんで人間をそんなにわけるんじゃ。

わしゃあこの国を全部変えちゃる。謀反人の血を持ってすりゃあできんことはない

2012-01-16

#ロシア人間性#

ロシアは現地人に対しては過酷であったが、はるか立場が弱いはずの日本人とは友人として接した。ロシア人には人種的な差別意識というものはあまりない。あるのは強烈な利害関係意識であるようだ。いったん利害関係が成立した相手に対しては節操がなくなるのだが、利害関係を持たない相手には、損得抜きに友人として人懐っこく心をひらいてくる。西欧人はこうは行かない。利害関係が生じた相手とは表面的にはことさら仲良く見せようとする。そのかわり腹の底の差別意識はもう損得抜きにどうにもならぬほど強烈なものがある。どっちがよいかという事ではないのだろう。明治以降の日本のような付け焼刃のイデオロギーとはわけが違う。もっと根深い人間性の違いであろう。

(風雲児たち 9)

2011-10-25

もし作者のファンじゃない人が「小説の読み方の教科書」を読んだら

http://anond.hatelabo.jp/20111011200303

が興味深かったので、ファンは対象外なのかな、と思いながらあえて読んだ。

上の書評ネタとしては面白いけれど、書評としては不適切なのではないかと思う。



この本はとてもシンプルに「小説ルネサンス」を主張していると思う。カジュアルに言うなら松岡修造の「お米食べろ」と同じノリだ。

14世紀 - 16世紀にイタリアを中心に西欧で興った古典古代文化復興しようとする歴史文化革命あるいは運動を指す。

現在では古典古代復興イタリアルネサンスより以前にも見られる現象であることが明らかにされている

小説の読み方の教科書」では、小説面白さの源流のようなものを求めて古きを探る。

そして、ドン・キホーテハックルベリー冒険という作品にいきあたり、世の中にはこんなに素晴らしい小説があったのだと興奮する。

さらに、現代は大衆がこの素晴らしい小説の持っていた力を失っている。そもそもその存在すら忘れ去れれていると嘆く。

もっとこれらの古き時代に学び、これらの良さを取り戻そうと誓う。(自分でやろう、とするところが個人的には好きだ)

そしてそのためには読者がこれらの小説を楽しむ力を取り戻すことが必要だ、と考える。

そこで、まずこの2つの小説を作者なりに読み解く姿を披露することで、読者と面白さを共有し、読書の楽しみを体験させる。

そして、こういう面白い小説を取り戻そう。「小説を読んで、心のそこから面白いと思う感覺」を養おう、と主張している。

NHKスペシャル歴史ドキュメンタリー松岡修造担当しているような、そんな熱くて小気味良いノリは読んでいて楽しかった。




小説の読み方」についてはおまけ程度の分量しか書かれていないが、ここでも

ストーリーの筋をおいかけるのではなく味わうことを中心に考えよう、と思い切ったことを主張している。

そのためだったら、あらすじは最初から知った上で読んでも構わないだろう、と言い切っている。

ネタバレ」を食らったくらいで楽しめなくなる本を読むことは読書ではない、などと勇ましい限りだ。

実際私も、一度読んだ本でも本当に面白いものは何度読み返しても面白いと感じるし、

他の人の書評などで「別の読み方」を見つけた時などに嬉しく思うことがあるので言わんとすることは何となく分かる。




論理的には粗だらけだが、非常にシンプルかつ力強いメッセージのある本だと思う。

こういう本を書ける作者の小説はさぞ面白いのだろうかな、と期待させられる。

なんとなく「夢をかなえるゾウ」の二番煎じだろう、みたいに思って敬遠している内にタイミングを逸してしまい、

ドラッカーブームも長続きしなかったため、今更読んでもな、とは思っていたが、今からでも読んでみようか。




ただし全面的にほめられるかというとそうでもない。

構成と文章はかなりいただけない。

まず冒頭から特定の人物に向けての非難のようなものが始まり、ソレについての正当化のような文章が続く。

経緯を知らない私には心底どうでもいい話であり、蛇足以外の何者でもない。サービス精神真逆である

始めは作者にネガティブイメージを持ち、立ち読みだったらこの時点で読むのをやめていただろう。

また、この読者批判?のようなものは、その後の文章でもちょくちょく顔を出し、そのたびに嫌な気分にさせられる。

どうしてこんなに前向きな主張をする人が、些細なことでネチネチと文句を言っているのだろうと不思議になった。

作者の主張とテキストの間に一貫性を感じないのは気持ち悪さを感じて非常にマイナスだった。

上の記事が「ファン向け」と言われたのもわかる気がする。上の記事で言うところの

一言でまとめると「読書術の本だと思った?残念、ハックルちゃんでした!」という感じ

は確かにあり、私にはこの部分は非常に読んでいて邪魔臭く感じた。シンプルな話をややこしくして何がしたいんだろう。

小説ではこのようなことがないようにお願いしたい。

2011-09-11

天外魔境ってすごいな

今振り返ってみると天外魔境ってすごいな。「西洋人偏見で満ちた無茶苦茶日本世界冒険するファンタジーRPGを作ろう」ていう発想がもうぶっとんでいる。おまけに当時大スターだった坂本龍一作曲を依頼して、「ニセ日本」的な音楽を作ってもらいましょう、とかやっちゃえるんだぜ。RPGといえば「西欧世界」が支配的だった当時、これがどれほど衝撃的な企画だったのか、想像するだけで震えが来る。しかドラゴンクエスト1発売(1986年)から、たった3年でこの地点までいっちゃった所もすごい。



すごいな黎明期ゲーム産業無茶苦茶面白い馬鹿な企画に、金が付き、優秀なスタッフが集まり、作品に結実する。まるでシリコンバレーみたいだ。こんな日本が昔あったんだな。80年代と言えば、エレクトロニクスなどのメーカーは今よりずっと元気で、人材ニーズも高かったから力のある人間はどんどんそっちに吸い込まれていったと思うのに、いったい日本のどこにそんな新産業へ振り分ける余剰があったのか。

2011-09-06

もはや学位経済的安定を約束してくれない

原文: Schumpeter blog: Angst for the educated(http://www.economist.com/node/21528226)

裕福な国の何百万人もの卒業生が、泣く泣く両親に別れをつげて、大学での新生活を始めようとしている。学生の一部は純粋学問への愛ゆえに大学に向かうのだろう。しかし、ほとんどの学生は、大学で3年か4年過ごせば、そのために多額のローンを組むことになったとしても、実入りのいい安定した職に付ける見込みが強くなるのだと信じて大学に進んでいるのだ。

大人たちは常に「教育こそがグローバル化した社会成功をつかむための最良の道だ」と子供たちに言い聞かせてきた。そしてこのお馴染みの話は次のように続く。ブルーカラー仕事はやがてオフショアされるか機械化されてしまうし、中退したら金に困る一生を送ることになる、世を勝ち抜くのは学士号を手にしたエリートだ、と。これは証拠によって支持されている見解でもある。ジョージタウン大学教育労働力センター最近発表した研究によれば「中等教育以上の学位を取得すれば、ほぼ必ず十分なリターンが得られる」という。学歴収入には強い相関関係があるのだ。専門学位をもつアメリカ人生涯賃金360ドルだが、高卒場合はせいぜい130万ドルしかない。さらに、学位を持てるものと持たざるものの差はますます広がりつつある。2002年研究では、大卒高卒の1.75倍の生涯賃金を得ているという結果が得られたのだが、今日ではこのプレミアはさらに大きくなっている。

しかし、過去というガイド未来において役に立つだろうか? むしろ、私たちは仕事教育の関係が変化する時代の境目に立っているのではないだろうか? 実際のところ、古いパターンが変わりつつあり、今は不況によって引き起こされている西欧社会大卒需要低迷という事象構造的なものに転化しつつあるのだと考えるべき根拠は十分にある。数十年にわたって多くのブルーカラー労働者を揺さぶり続けた創造破壊強風は、今や教育エリートにも牙を向こうとしているのだ。

大卒者の供給は急速に増大しつつある。高等教育統計によれば、1990年から2007年の間に、大学に進学する学生の数は、北アメリカでは22%、ヨーロッパでは74%、ラテンアメリカでは144%、アジアでは203%に増大したという。2007年には世界中で1億5000万人もの人が大学に通い、そのうち7000万人はアジア大学に在学している。経済新興国、中でもとりわけ中国欧米エリートに対向しうるだけの大学の育成にリソースを注いでいる。この新興国では、タタ・コンサルタンシー・サービスやインフォシスのような専門サービスを業とする会社も生まれつつあり、これらの会社新卒生を世界クラスコンピュータープログラマコンサルに育て上げている。詰まるところ、富かな国の最優秀層は、より少ない賃金で沢山働いてくれる貧しい国の最優秀層と競合しつつあるのだ。

同時に、教育を受けた労働者需要のあり方もテクノロジーによって変わりつつある。この状況は19世紀に農業労働者が直面し、20世紀工場労働者が直面したそれと非常に似ている。コンピューターは反復的な知的作業のみ成し得るというわけではない。コンピューターは、アマチュアプロのごとく仕事をこなせるようにする力を与えるのだ。どうして生身の会計士を雇って納税申告をしてもらう必要があるだろう? そんなものは、Turbotaxを使えばわずかな費用でやれるのだ。今後、論調と言語曖昧さを処理できる機能が備わるようになれば、コンピューターがこなせる仕事の種類は今の何倍にもなるだろう。

Paul Krugmanを含む経済学者の一部は、ポスト工業社会の特徴は絶え間なく続く知的労働者需要の増大ではなく、巨大な「空洞化」にあるのだと論じている。この「空洞化」は、中級職が賢い機械によって取って代わられ、上級職の増加が鈍化することによって起こるのだという。MITのDavid Autorによれば、このコンピューター時代におけるオートメーション化の主たる効果は、ブルーカラー職の消失というより、ルーチン化できるあらゆる職の消滅にあるという。プリンストン大のAlan Blinderは、低賃金仕事よりも、大卒伝統的にこなしてきた仕事の方が比較的「オフショアしやすい」と論じている。配管工やトラック運転手はアウトソースすることができないが、プログラマ仕事ならインドに頼むことができるからだ。

大学教育は、未だに医療・法・学問といった巨大なギルドの入会資格になっていて、このギルドは安定した高賃金な職を生み出している。これらのギルド前世紀において非常に強力な参入障壁として機能してきた。この障壁は時には正当な目的に出たものだったが(誰も床屋に手術されたいとは思わないしね)、他方で自分たちの利益目的としたものでもあった。しかし、ギルドは次第に没落しつつある。新聞ブログとの戦いに負けつつあるし、大学はテニュア付きの教授をテニュアの無い職に置き換えつつある。法律事務所は「discovery」(訴訟に関係のある資料を探し出す仕事)のようなルーチンの仕事を、Blackstone Discoveryに代表される電子検索の専門集団に外注しはじめている。医者ですら安泰ではない。患者たちはオンラインアドバイスを受けた上で、ウョルマートの新しい医薬品センターを利用して治療を求めるようになりつつあるからだ。

オックスフォード、ピン工場出会

MITのThomas Maloneは、このようなオートメーション化・グローバリゼーション・自由化といった流れは、もっと大きな変化 - すなわち「知的労働の分業化」という流れの一局面かもしれないと論じている。アダム・スミス工場マネージャがピンの生産を18の手続きの分割したように、企業ますます知的労働を細切れにしつつあるのだ。例えば、TopCoderITプロジェクトを小さな塊に分けたあと、その細切れをフリーランスコーダーに分配するという方式を採用している。

このような変化は間違いなく知的労働者生産性を高めるだろう。消費者サービスに対して高い対価を要求する専門家ギルドを避けて通れるようになるし、多くの知的労働者は退屈な仕事外注することで自分の最も得意な仕事に集中できるようになるのだ。しかし他方で、この知的労働の再編の流れは、次の世代の大卒者の人生を、はるかに不確定で安住できないものにするのだ。

2011-07-31

日本との付き合い方

アメリカ西欧諸国など:自分たちの利益を第一に考えるが、それを阻害しない範囲で日本にも利益が出るようにする。Win-Winの関係。

中国など:自分たちの利益を第一に考え、日本利益は全く考えない。Win-Loseの関係。

韓国自分たちが損をしてでも、日本が損をすることを第一に考える。Lose-Loseの関係。

2011-06-17

http://anond.hatelabo.jp/20110617001939

単純な疑問なのだが、そのwikipediaのページ、なんで

> 西欧諸国など学校の課程終了が公的試験によって認定される国では、卒業という概念はなく、そのため卒業式存在しない[1]。

の二行下に各国の卒業式写真があるんだぜ?

そもそも卒業式って必要か?

欧米でも大学学位授与の式典はあるが、各学校の修了ごとに祝う式典は日本韓国でのみ見られる習慣である

日本国外でも学位授与のための卒業式存在するが、西欧諸国など学校過程終了が公的試験によって認定される国では、卒業という概念はなく、そのため卒業式存在しない[1]。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%92%E6%A5%AD%E5%BC%8F

2011-06-16

http://anond.hatelabo.jp/20110616162836

まり、他者の貞操を強制的に奪うことに問題意識があったかどうかという話だよね?



たとえばこういう記述がされている。

古代から中世まで、強姦女性に対する貞操観念の結果として犯罪として見られた。その結果、処女強姦は、非処女及び売春婦に対する強姦よりしばしば更に重大な犯罪であった。そのため、純潔が害されないであろうとみなされた女性、身持ちの悪い女性は、いくらかの法において犯罪ではなかった。かつての西欧では強姦近親姦があってもそれは被害者の問題ではなく、その所有者の問題であった。

強姦犯罪として認めるには、強姦という概念確立されている必要があると思うけど。



あるいは件の龍樹の記事を読んでみると、

龍樹は才能豊かな3人の友人を持っていたが、ある日互いに相談学問の誉れは既に得たからこれから快楽に尽くそうと決めた。彼らは術師から隠身の秘術を得、それを用い王宮にしばしば入り込んだ。100日あまりの間に宮廷の美人は全て犯され、妊娠する者さえ出てきた。この事態に驚愕した王臣たちは対策を練り砂を門に撒き、その足跡を頼りに彼らを追った衛士により3人の友人は切り殺されてしまった。

とある

これの出典である龍樹菩薩伝」は西暦400年頃の書物らしいので、

少なくともその当時のインドには「強姦を問題視する」ような風潮があったようだと分かる。

2011-06-09

http://anond.hatelabo.jp/20110606225523

すごくよくわかる、気がする。勘違いかもしれないけど。そして周りの人がこれを理解出来ないこともわかる。

僕ははじめて女の子と付き合うのは遅かったけど、それまで何度か告白されたことはあって、そのどれも振ったけど、「僕とは釣り合わないよね」と言うのが最大の理由だった。釣り合わないってバカにしてるように見えるかもしれないけどそんなかっこいいもんじゃない。その人とお付き合いして二人で歩いてる時に、周りの人から見て釣り合ってるカップルだなあと思われるかどうか、が重要。バカにしてたっていうよりむしろビクビクしてた感じ。ほんとに、好きか嫌いかじゃなく釣り合っているかどうかが第一で絶対重要なことだった。それで、この人の言うことはすごくよくわかる。そしてそのような女の子たちに僕が思った感情は、「ごめんなさい」だった。本当に。嘲笑とかまったくない。バカにしてもいない。キモイとも思わなかったのはこの人とは違うのかもしんない。でも、周りの人はこれを読むと、それは本質的には嘲笑しているんだとか言うんじゃないかと思う。それは理解できる。でも本当にそういう気持ちじゃなかったと言うしかない。

他の人が釣り合わない恋愛をしようというとき、この人はすごい憎しみを感じるのに対して、ぼくはそういうふうに動くことができるのはうらやましいと思うので、そこはちょっと違うけど、本質的な違いじゃないと思う。本質的に違う人は、そもそも釣り合わないとかなに?って人。これが気になる人はみんなそれなりに似たところあるでしょ。

今僕は結果的にすごい美人さん(と我思う)と付き合っているけど、いまだに釣り合いの悪い自分が横にいることが時に耐えられなくなる。多分この人みたいな人は「釣り合わねー」と思うんじゃないかな。・・・というふうに思う。そんなふうにして自分が自信を失っているとき彼女は不機嫌になっていることもわかる。女性はやっぱ自分に自信を持った男性が好きだと思うので。という僕も、彼氏彼女関係ではな仕事をしているときには自信満々であるっぽく、そういうところを好きになってくれたのだろうと理解しようと努力する。そうするともやもやは少し解消する。釣り合いが取れてない?いや、そんなに釣り合いが取れてないと向こうが思ってるなら向こうも付きあおうとしないだろうし。もしかすると僕のことをものすごく勘違いしているのかもしれない。そして、本当に釣り合いが取れてないことが向こうに判明したなら、向こうから別れを切りだしてくるはず。気楽にいこう。というのが今の気持ち。と言ってもこの段の冒頭にいつも逆戻りしてる。そのたびに彼女は不機嫌になる。

これまでの彼女自分的には自分釣り合い取れた彼女で、精神ストレスほとんどなかった。今の彼女釣り合いストレスを感じるけど、同時に、釣り合い思考からだんだん脱して行ってるようにも思う。それをさせたのは努力。それしかないや。

こんなような僕の感情の動きの中に、彼女を愛してるって気持ちはどれだけあるんだろう。自分でもときに自問する。いや愛してると思うんだけど。結局、相変わらず釣り合ってるかどうかが一番優先されているのかも?そうなのかも。みんな簡単にブコメつけてるけどね、釣り合い重視の人が人を愛して周囲を一切気にしないで誰かを愛せるようになるって言うのは、高校時代ひきこもりキモオタ大学デビューして合コン三昧のリア充なっちゃうくらいの確率しかないのじゃないかと思う。適当だけど、つまりすごく難しいってこと。

結局こういう気持ちがどうして起こるかというのは、日本社会同調圧力のもとで、自分自分プレッシャーをかける日本人の体質的なものだろうし、それはいくつかある冷静なブコメが指摘してること。過剰な労働も、自殺も、無能なトップも、みーんなこれが原因だ(そして現代の日本社会を生み出した、世界一優秀な中産階級も)。日本社会同調圧力のもとで、いろんな環境作用して、それぞれの方向に行くんだと思う。それは日本社会根本的な問題なので、それに対する解決策があるんなら苦労しない。日本は今みたいに停滞してないと思う。

それでも彼女は救いを求めてるようなので、自分がもしあなたと似たような人間だとして、経験上いちばん有効なのは海外に行くことだ!マジこれしかない。だって原因は日本社会なんだもん。特に西欧文化圏は本当にオープンで、ていうか、オープンであろうと努力してる人間社会なんだ。だいたい白人アジア人カップルなんて釣り合うと思うかね。誰も思わねーよ。でもね、そもそも、「釣り合い」なんていう概念がない、なくそうとしてる社会だったら・・・もちろんゼロはない。でも超金持ちさんザッカーバーグの彼女中国人だったりとかそういうこともある。語学はまずつけてから行ってね。あと人種差別にはめげないように。しょうがねっす。強く生きてる華僑とか見ると少し勇気づけられる。日本みたいに、そもそも生活レベル欧米より上(これはマジです)っていうことすらないのにね。

そしてまた、海外に行くと、日本社会のそれはそれは素晴らしい特質もすごくよくみえてくると思う。それで、海外釣り合い意識から脱したら日本に帰ってもいいんじゃね。それか、超気に入ったんならそのまま海外に住んでもいいんじゃね。自由に行こうよ。もちろん苦労も多いだろうけど、こんなふうに自由にできる時代なんて、人間の長い歴史の中でそんなにないんだぜ。太平洋戦争前にアメリカに移住してた僕らのご先祖さまは、強制収容所にぶちこまれたんだぜ。それに比べたらどんだけ楽なことか。

あと病院行けって言ってる人はなーんもわかってね。社会人生をあまり知らない人っぽいや。こんな人山ほどいるべよ。統失と躁鬱と小児精神病以外は、精神科なんて本人が行きたきゃ行けばいいし行きたくなきゃ行かなきゃいいさ、病院なんて(ボケはま神経内科行け)。行きたくてたまらない人はもちろん効果ある。でも行きたくてたまらない様になっている時点で精神的にはかなり参ってる。この増田はそんなんじゃないよ、多分。

2011-05-07

ジョエル・モキア 「THE LEVER OF RICHES」 (http://amzn.to/iPSsCV)

・1990年刊。直訳すれば「豊かさのてこ」だが、内容を勘案して邦訳するなら「技術革新文明史」かな。日本にはあまり紹介されていないが、著者は経済史分野では世界的に著名な研究者。「THE LEVER OF RICHES」はその代表作で、世界経済史に対する独自の解釈と、包括的サーベイとしてのまとまりのよさを両立させている名著だ。



・「なぜ近代技術革新西洋(特にイギリス)で起こって、他の国々ではなかったのか」がテーマ。この問題を解明するためにまずは過去2500年分の人類文明史を振り返って検討する。次に、このテーマについて検討する。



西洋世界の勃興に関しては、様々な人が様々な観点から評論しているが、本書では技術革新というファクターを重視する。なぜならば経済学研究がしめすように、技術革新こそが経済成長の主たる要因であったからだ。イノベーションは、労働資本などの具体的な資源制約とは無関係に人々の富を拡大させる「フリーランチ」なのである



古代(B.C.500~A.D.500)。ローマギリシャ、ヘレニズム文化の時には革新的な発明はあった。たとえば紀元前活躍したアレクサンドリアのヘロンは今でいう蒸気機関自動ドア自動販売機に近い装置発明して、オーパーツとすら言われている。しかし、そうした発明の多くは未発達のままにとどまったか破壊されたか、忘れられた。ローマ人は高度な文明をもっていたと言われるが、その技術はかなり未発達で、革新速度も遅かった。



中世(A.D.500~1150)。農業面での革新は、農業効率を向上させる重すきと三圃制。エネルギー利用も多様化し、水車や風車も工具の研磨やビール醸造や皮のなめし用などいろんな分野で使われた。11世紀の南イギリスには、50世帯にだいたい1つは水車があったというから驚きだ。馬や船はそれまで戦争の道具としてつかわれていたが、商業目的にも利用されるようになった。そのため蹄などの馬具の改良や積載能力の向上が図られた。



・紙は西暦100年頃に中国で生み出され、イスラム社会には8世紀頃に到来し、西洋にはそのあとに伝わった。時計や冶金などの金属加工技術も、東洋西洋への技術移転の流れだった。この頃は自らがあみした技術というよりも、ローマ期の技術の遺産か、東洋技術を拝借したもも多かった。ヨーロッパ世界はそうして先進技術を異文明から柔軟に吸収し、それを自己流に応用していた。ヨーロッパ中世は停滞といわれるが、実はその後の技術発展に向けた種まきがされていた時代でもあった。



近世(1500~1750)。ヨーロッパ技術レベルはだいたい1500年頃に中国など東洋文明圏に追いついた。その後、中国などとの差を徐々に広げていった。この時期のヨーロッパは、若干の航海術の発展と、トマトポテトなど新たな作物の導入などぐらいで大きな技術革新はなかったが、人々の間で技術進歩可能性を信じ始めた時代でもあった。(※言っておくとグーテンベルク活版印刷(1450年)なんかは世界史的にみると革新的ではないから。紙への印刷(木版)は7世紀には中国で始まっていた)



近世期は技術ブレークスルーというよりも国民国家の発達が、その後の近代技術革新を準備したことの方が大きかったかもしれない。たとえば今でも有名なリヨンにおけるシルク産業の発展はもともと、ルイ11世がイタリア専門職をそこに住まわせたことに端を発する。このように各国のトップは次々と、産業振興策を打ち出した。他国から有能な専門職人材を呼び寄せるだけでなく、新しい技術奨励するため補助金を与えて開発を促し、寡占を奨励した。また特許権の制定もこのころなされた。たとえばイタリアベニスでは16世紀には特許権がある程度は普及していたと言われる。もちろん、こんな”民間活力”をいかした技術進歩奨励なんかは、イスラム社会中国社会では到底考えられないことだった。



近代(1750~1830)。そんな下敷きをすでにひいていたから、この頃、次々と新たな技術が実用化されたのは自然な流れだった。むしろ、この頃には、まったくのゼロから生まれた技術なんて何一つなかったと言っても言い過ぎではないかもしれない。たとえば、ワットが蒸気機関発明にはたした役割はせいぜいコスト低減や耐久性向上などの実用的な貢献であって、蒸気機関の元アイデア自体は17世紀ヨーロッパにすでに存在していた。ただ、そうした数々の新技術の卵が社会全体に広まったことに大きな違いがあった。繊維産業で言えば、教科書でも取り上げられているような数々の綿加工技術機械化による生産性向上はめざましく、イギリスにおける綿布の値段は1780~1850年の間になんと85%もダウンしたという。



蒸気機関の発展・普及によってその後から熱力学が生まれたようにその頃の技術とは、科学的知見を基礎としたものではなくて、もっぱら経験的にもとづいて進められたものであった。1850年より前は、科学技術は別の存在だったと言ってよい。1850年以降、科学数学物理学技術分野に本格的に応用され始めた。



技術革新自体はランダムとも言える現象で、特定の新技術がなぜ他でもない西欧でおこったかを具体的に説明するのは難しいが、どんな条件が西洋近代の飛躍的革新可能したかを検討するのは意味のあることだろう。もちろん「必要は発明の母」なんて諺を持ち出す気はない。当然、革新技術ニーズはいつでもどこでもあるのであって、要はそのニーズ発明によって掬い上げ、実用技術として広めるのに、何が効いていたのか、である



・「化石燃料資源豊富さや、地理的要因」に西欧世界の勃興を求める「環境決定論」はナンセンスだ。たとえば北ヨーロッパはよく雨がふるから水車の技術が発達したという意見がある。しかし、これではなぜ水車がイギリスでよく普及したのにアイルランドはまったく普及しなかったかを説明することはできない。同じようにイギリス国内にあった豊富石炭資源産業革命可能したという意見がある。しかし、そもそも石炭資源を上手に利用出来るようになったこと自体が技術革新の果実ではなかったか。この説明は物事の原因と結果を取り違えている。木炭資源の枯渇による価格上昇がイギリスでの石炭利用の革新をもたらしたという議論もある。しかし、木炭から石炭への代替自体は16世紀からすでに模索されており、部分的に成功をおさめていた事実を無視している。第一、その頃の中国だって森林資源は枯渇していたのに石炭利用は19世紀になっても進まなかったではないか




・「産業革命前の科学技術の発展」を求める意見もある。しかし、前もいった通り(真理や総合的把握を求める)サイエンスと(実用を求める)技術は1850年以前にはほとんど別々のものだった。たとえば製鉄法や食料保存法などの技術は人々がその仕組みを把握するずっと前から使用されていた。発明家科学の知識はなく、科学者は実用の世界に降りてこなかった。両者の融合が始まったのは1850年ごろからだ。たとえばトマスエジソン科学的知識がなかったため、自己インスピレーションを補強するために数学者を雇った。



・むしろ重要なのは技術にたいする政治社会の寛容さ。人々が技術進歩に向けて継続的に取り組めることを社会が担保できているかどうかにある。この意味において、専政的政治制度よりも多元主義的なものの方が好ましいダグラスノースの言う所有権の制定も、この意味では一面の真理がある。



中国西欧比較した場合、その差は際立つ。それは、中世まで技術リーダーだった中国近世になって急速に停滞した理由を説明する。中国はもともと”one-party state”で、技術進歩は漢の時代からほとんど”お上”主導で行われていた。宗の頃は農民の創意工夫活動を促すための金融インセンティブも行われていた。しかしこうした活動は近世から弱まっていき、清の時代になってから中国政府技術進歩につながるような政策(度量衡の基準化、商業法、警察道路)をとりやめてしまった。一方で社会的にも明(14c~17c)代からとくに中央集権的要素を強めていき、多様な民の活力はまます脇に追いやられた。このために中国の歴史には、新たな技術が十分に伝播しなかった例で溢れている。たとえば複数の車輪を搭載した紡ぎ車はカラムシ繊維産業では見られても、それが綿産業に伝播することはなかった。社会構造の上部に官僚があり続けたこともまずかった。成功して裕福になった実業家はだいたい子供官僚機構に入れたがり、天才エリートが(一般的にコンサバな立場を好む)官僚機構に吸い込まれていった。



・これに対して欧州はちがった。前述のとおりヨーロッパ技術開発は民間が主であって、政府は従であった。第一、(言語宗教、生活様式や歴史などいろんな意味で共通点があるにも関わらず)複数の国家が乱立し中国のような中央集権はなかった。それぞれの国が富を張り合っていたから、結果的に技術世界でも競争が促された。人の移動も頻繁だった。だから技術の才ある人は、彼の国で抑圧的な政策が取られたら、別の国に移るだけでよく、西欧全体で見たら一つの技術は断絶せずに繋がりを維持することができた。こうした好条件にある社会西欧を除いて他はなかった。まさしく、世界技術リーダーになるべくしてなったと言えよう。


http://twitter.com/#!/zaway/status/66580272551968769

2010-11-21

大森荘蔵 「教養について」

大森荘蔵の「教養について」


戦後半世紀、日本社会は「教養」という概念意味創造することができなかった。この文化的空隙に乗じて、教養とは専門のための準備であり、予備であるという間に合わせのその場しのぎの解釈流通して、大学カリキュラム予算の基本となり、時には人事にまで影響を及ぼした。しかし、このいかにも官僚的事務的な解釈はもう廃棄すべきであろう。それに代わって、教養と専門との関係を知識と意見という観点から眺めてみてはどうだろうか。つまり、専門的知識の探究が専門的研究仕事であるのに対して、意見の形成や鍛錬が教養意味だと考えるのである。もちろん、意見の形成や鍛錬にはその主題について十分な知識が必要であり、その知識は専門知識のストックから供給され修得される他はない。・・・そうだとすると専門と教養の関係は従来の解釈場合と逆転する。教養が専門への準備なのではなく、専門知識が教養のための準備なのである。(略)。

 ・・・

 その[教養]の訓練とは第一に、できるだけ多くの意見に接してそれを理解し、批判し、比較する力を養うことであり、第2には、できるだけ多くの主題について自分自身の意見を形成し、それを明確な言葉で述べることである。教養とは物知りになることではなく、優れた意見を持つことなのである。そのような訓練はかつてレトリク(修辞学)と呼ばれて中世西欧学校では全人的教科とされていたと聞いている。実際現代でも、自然について、歴史について、人間について、科学について、宗教について、税法について、脳死についてと人生全般についてバランスのとれた意見を持つことこそ全人的な教養意味ではなかろうか。その意見を単に漠然としたフィーリングであるのではなく、自分の胸の底から言葉で述べることができ、討論することができ、あわよくば説得することができる意見でなければならない。つまり、意見とは実は「思想」であり、言語こそその思想の中核なのである。」

参照Url

http://members3.jcom.home.ne.jp/hist_science/jpnhidden.html

2010-11-15

【日刊 アジアエネルギー最前線トルコ原子力日本狙いか

http://my.reset.jp/adachihayao/index.htm

レアアースとトリュームの関係,先日のNHKの特集まで,よく知らなかった。レアアースの中には相当規模のトリュームが含まれてい

放射能を発し,レアアース生産でこのトリュームを削除する工程が結構面倒くさいという。このために米国などは自国のレアアース

産は行っていないと言う。トリュームというのは,ウランなどの核燃料の代替案として浮かび上がってきており,インドなどはその技術

開発に熱心であることは知っていた。

インドは核燃料で世界の制裁を受けているときに,核燃料不足に悩まされて,国内豊富に埋蔵するトリュームを燃料とする原子力発電

を,大統領自ら喧伝していた。トリュームを燃やしてもプルトニュームが発生しないことから,安全なエネルギーが取り出される,この

面からも真剣にトリューム原子炉世界的に議論されている。インドレアアース東西の沿岸部を中心に包蔵し,当然この中にト

リュームが含まれている。

そこで疑問が浮かぶのは,世界レアアースの95%を生産してきた中国は,この取り除いたトリュームをどう処理しているのだろう

か。ネット上で調べても,中国レアアースとトリュームの関係は,特に述べられていない。しかし,中国レアアースにはトリューム

がない,ということはないでしょう。では中国はそのトリュームを廃棄したのだろうか,はたまた将来の利用価値を知った上で,密かに

備蓄しているのであろうか。

トルコのシノップ原子力開発について,トルコ政府が交渉に失敗し,トルコ日本東芝プラントシステムに,協議に応ずるよう要請

たと報道されている。裏側はよく分からないし,日本企業が長年に亘り根回しをしてきたであろうことは想像できるが,トルコ政府との

合弁方式による開発では,韓国価格が合わなかったとされている。UAEのケースは,原発建設だから,基本的にビジネスが違うこと

になる。

しかし,果たしてトルコは,日本との交渉においてこの価格競争となったときに,日本企業に有利な展開になる,と言う見通しを持って

いるのだろうか,そうとは思えない,韓国が受けられなかった価格日本なら受ける,ということはあり得ないだろう。勝手想像

が,トルコの人は本当に日本人が好きだ,その様なことでビジネスが動くのかどうか,疑問ではあるが,恐らく親日の心がいくらかでも

影響しているなら,東芝に頑張って欲しい。

ミャンマーでスーチーさんが解放されたが,全体的な論調としては,世界で最も著名な政治犯であるにもかかわらず同氏の立場は近年弱

体化した,であり,事実世界彼女が捕らわれているために,どれだけのエネルギーの消費を強いられたであろうか。今度もなお活発

な活動が続くと,再逮捕の可能性は高く,それだけまた世界エネルギー消費を要求することになる。エネルギーだけでなく,時間もど

んどん無駄に使われる。

勿論,自由の価値は命より尊いが,何年間も家に閉じこめられた状態ではどうしようもない,発信もままならず,西欧諸国も単に眺めて

いるだけで,手の打ちようがない。物事も,エネルギー資源も,ミャンマーの人心も,すべて中国に持って行かれるだけだから,この辺

りでけじめを付けて,日本も思い切った開発政策に乗るべきだろう。眞の民主化は4年後でも仕方がない。

日本政府が,横浜ビジョンの成案に一生懸命になっている頃,中国武漢では,中ロ印の3カ国外相が集まって,新興国として共同歩調

を確認しあっている。横浜での駆け引きの間,中国領内でのこのような会話が進んでいるのだ。このニュースを見て,核保有がなけれ

ば,誰も真剣に相手にしてくれない,湖錦濤などは実際に菅さんと会ったことさへもう忘れ去っている。米国核の傘の下,これをこの

まま使い続けるか。

インドネシア原油生産の落ち込みが現実になって,国会は焦っているが,外国企業は別として,プルタミナは原油生産増を真剣

図ってくれるだろう,とプルタミナに発破を掛けている。プルタミナにその国威のすべてを賭けている感じだが,実際にプルタミナの努

力が原油生産増に結びつくのか,今日の記事では,2011年には,2010年の日19万バレルを5.26%上げ,20万バレルとする

目標を発表している。

インドのアルンチャルプラデシュ,北東地域の水力開発の先兵のような存在で,中国チベット開発に対抗して,大規模ダム建設を進

めているが,環境基準の一つである,喪失した森林に相当する植林を行うことを義務づけている。州政府は,81%が森林に覆われてい

るこの州では,]新たな植林というのは不可能だ,と異論を唱えている。この基準のために,環境承認が遅れている。

アルンチャルの水力開発で喪失した森林はアルンチャルで埋めなければならないのか。同じような基準はタイなどにもあるが,元々地球

温暖化意識してないから,新たな植林は,プロジェクト近傍か,少なくとも同じ流域内,という観念がある。でも,森林喪失の影響

は,近年,地球温暖化と共に論じられており,理屈から言えば,代替植林は他の州でも良い,極端なことを言えば,インド森林喪失

を,日本列島植林で代替しても良い。

ベトナム中部は,再三台風に襲われて洪水に見舞われ,多くの犠牲者を出している。近年盛んなダム開発のせいだ,と住民が騒いでい

る。フォーラムが持たれて,洪水被害はダムの影響ではない,その証拠にダムが出来る前も洪水被害が出ているではないか,とダムを操

作している側からの発言が続いている。ダムがその機能を果たしているかどうかもさることながら,少なくとも警報の出し方には問題が

ある,と議論が進む。http://bit.ly/adBJ6K

実際,ベトナム中部日本列島と地形的に似ていて,急流だからダムの容量も大きくとれないし,洪水ダムに押し寄せてくる時間も短

時間で,洪水防御は大変に難しい。ベトナムダム開発は荒っぽいから,放流方法や下流への警報との連携など,もう少しきめ細かく操

作規定を作らなければならないだろう。私も一度,我が家の上流で工事が進んでいる安威川ダムの計画をチェックしておきたいと思って

いる。http://bit.ly/adBJ6K

2010-10-19

http://www.cnn.co.jp/world/30000585.html

「多文化主義は完全に失敗」 メルケル首相が発言

ベルリン(CNN) ドイツの多文化主義は「完全に失敗した」――メルケル首相が16日、自党の青年部会議でこう述べた。

メルケル氏は演説の中で、「『さあ、多文化社会を推進し、共存、共栄しよう』と唱えるやり方は完全に失敗した」と語った。

メルケル氏は先月、CNNのインタビュー番組コネクト・ザ・ワールド」でもこうした考えを示していた。9月27日の同番組ドイツイスラム系住民について質問された同氏は、「今や誰もが、移民は我が国の構成員であると理解している。(しかし)彼らは同じ言語を話し、ドイツ教育を受けるべきだ」と答えていた。

世論調査機関ピューのプロジェクトが昨年行った推計によると、イスラム系住民はドイツ人口の約5%を占める。これは約400万人のイスラム人口に相当し、西欧最多の規模となる。

日本はこれを他山の石と…出来ないんだろうなあ。

2010-10-12

2010年10月12日 ー ネパールの悲しい開発の現実

1960年代ネパール豊富な水資源開発のポテンシャルを持っていることで,その経済開発は早い,とネパール国民は期待していた。ラオスブータンと同じような自然環境にあって,内外からも期待は大きかった。事実,当時はインドとの協力で,コシ川とかガンダキ川で大規模開発が行われる手はずになっていた。ところが,ブータンラオス国民性と違って,ネパール政治家達は,当時王族も含め,疑い深かった。

コシ川やガンダキ川の開発は,便益は殆どインドが持って行くではないか,ネパールには何の便益もない,と言い始めたのである。こうすればネパールにも便益が落ちる,と言う知恵を出すこともなく,ただインド人を疑ってかかったわけである。彼等は正しかった,ということは,例えばラオスなども,外国資金による開発で,ラオスに何が残るのか,と我々がラオス政府に問いかけた疑念と一緒である。

事業による便益は,投資した人だけが得ることが出来る,だから,ネパールラオスは法整備を行って,ロイヤリティ租税で便益を受け取るしか方法はない,とよくラオスで議論した。ネパールの人は,もっと疑い深く,目の前を流れている川の水は我々のもの,インドには渡さない,と大プロジェクトとを前にして,インド提案のプロジェクトを拒否していった。その間,対中問題や王室政治的問題があり,大規模開発は行われなかった。

王制を廃して共和国となり,マオイスト派が政権の中心に座ることになり,ネパールの水力開発は脚光を浴びる。国会の中で資源外国に売る,憲法違反,などの議論もあったが,水から生まれる電気は商品で,インドへの輸出に問題はない,と自問自答した。マオイスト政権から離れ,再び治安悪化で開発は棚上げ,いつまで経っても開発が出来ず,宝の持ち腐れ,停電貧困の中で,ネパール国民は苦しんでいる。

今日の記事http://bit.ly/9d6kL2はこのネパール人の苦しみを訴えたものだが,筆者は重大な提案を最後に行っている。彼の結論は,ネパールは水資源で豊かになるためには,インド資本では駄目だ,ネパール自身が資本の蓄積をする必要がある,と気がついたが,実は鶏が先か卵が先かの問題なのだ。しかし,国際資本の協力があればインドと対等に開発できる,と気がついた。そうなんですよ,結局,資本分散,日本にも果たすべき役割があるはずだ。

メコンの水問題,今年,2010年4月は50年に一度の渇水に見舞われ,メコン総会でタイのアビシット首相が,上流中国ダムに水を溜め込んでいる,と発言し,これを否定した中国は水資料の提供に踏み切った,またメコン委員会中国理屈を認めた。それでも収まらないアビシット首相は,30年後にはメコン河は死んでしまう,と発言を繰り返している。しかしこれはメコンだけの問題ではないことは明白だ。

20世紀は石油の世紀であったが,21世紀は石油に変わる水の世紀になるだろう,と記事http://bit.ly/cdSIXMは繰り返していて,問題はヒマラヤであり,ヒマラヤ氷河の縮小と消滅は,中国インドタイパキスタンベトナムカンボジアミャンマーを巻き込んだ人類の壮絶な戦いの世紀になると言っている。問題は食糧で,中国インドがまず農業崩壊で,国際的な河川の水争いが避けられない,まさに地球の危機,というわけである。

タイのアビシット首相は,昨日,日帰りでミャンマーのネピドウを訪ね,タンシュエ将軍らと会談した。一部の国境閉鎖を解くと共に,カンチャナブリの交易ルートの開発,ミャンマーサルウイーン河口に位置するドウエイ海港の整備を提案,タイが積極的に開発を助けることで同意した。海港については中国が既に南西部の海岸で開発しており,これに対抗的な貿易ルートが,タイにとって重要だ,としている。http://bit.ly/cMYo65

更に重要なことは,アビシット首相タンシュエ将軍に対して,11月7日(11日ではなかった)のミャンマー国政選挙で手伝えることがあったら言ってくれ,と協力を申し出たことだ。スーチーを預かってくれ,と言ったかどうか明かではないが,タイミャンマーの官製選挙を全面的に認める立場ASEAN諸国と同じように,内政干渉せず選挙結果を容認,更に経済協力の幅を広げる,という立場である。

西欧諸国は,スーチーさんを自由にしない限り選挙は認めず,と言う立場である。日本もこの西欧の考え方を追随する限り,ミャンマーとの門戸はお互いに閉じたままとなり,数十年,閉塞状態が続くことになる,実際問題それは,国際的にも日本国益から見ても,ずいぶんなマイナスだ。何か日本独自の動き方がないものか。スーチーさんを日本で受け入れる合理的な方法はないものか。

中国の海洋石油CNOOCが,米国シェールガスの大手企業に10億ドル資本参加を行う方向で交渉に入っている。如何にも米国に対しては挑戦的な動きで,この前,UNOCALの時に米議会が拒否した事実を思い出させる。多くのメディアは,米国債を持ち人民元の見直しを拒否している中国が,どこまでなら米議会は我慢できるのか,という限界を確かめるための,中国の動きと見ている。http://reut.rs/cAhKR5

http://my.reset.jp/adachihayao/index.htm


2010年10月17日 ー 中国炭坑事故で21人犠牲

重要政治イベント共産党第17期中央委員会第5回総会(5中総会)が北京で開幕,この時期,これほど中国国際社会から異様な目で見られていることは,今までなかった。チリ政府が33人の命を救うために全国を挙げて取り組んだ直後に,国では簡単に21人の死者を出し,16人が閉じこめられているが,政権幹部は北京に居座ったまま,チリーの大統領パフォーマンスを非難されているが,中国にとってこれほど皮肉はなかろう。

尖閣諸島東南アジア諸国が中国対応に脅えて,米国の支援を期待,フィリッピンは一度出て行った米軍に帰ってきてもらうと考え,沖縄中国領だといわれた日本は,米軍沖縄基地の増強を求めることになりそうな雰囲気,中国犯罪人にノーベル平和賞が与えられて反発,欧州からも中国対応に非難が集中,更に米国議会人民元の見直しを迫っている。そこに反日デモが持ち上がっている。

日本企業の中にも,中国に集中することのリスクを改めて思い知っている状況だ。パキスタンノーベル賞の問題で中国を支援しているが,一方で強引に入ってきたインダス河のコハラ水力への手続き不全で国内が混乱している。次期主席と目されている習近平氏に対して軍事委員会ポストは与えず,従来の先軍政治を改革するという,軍からの反発が当然考えられるし,少し早いが,政権崩壊の匂いがする。

経済規模で日本を抜いたとされている。これは我々にも予想外で,8%成長で倍になるのは10年かかるはずだったが,あっという間に追いついてしまった。これは多分に人民元の値上がりがあったわけで,これは10年前には計算に入れてなかった。今米国人民元の見直しで40%という数字を出してきているが,人民元を40%上げるとどうなるか,一夜にしてGDPドル表示は1.4倍,6兆ドルになってしまって,米国に並びそうになる。

我々の関心は,余りに堂々と東シナ海南シナ海海軍を進めようとする中国であり,日本も含めたアジア諸国の反発が強まるとしても,中国は無言で軍艦を出してくる,南沙諸島まで中国領だというが,地図を開いて貰えば,中国が殆ど理屈で考えられないところまで領土を主張することが分かるだろう。沖縄中国領というのは,今ではジョークにしか聞こえないが,そのうちに深刻な問題になってきそうな気がする。

メコン河の問題だが,下流域に本流ダムを造る構想が持ち上がって,メコン委員会がこれをどう扱うか,関心を持ってみていた。メコン委員会ラオスなどの委託を受けているから,ルワンプラバン近くにダム建設の構想を持つラオスに対して,真っ向から反対するマンデートはない。10年は棚上げしてくれ,との報告書だが,タイラオスは無視する可能性がある。魚が問題,というメコン委員会は,説得力に欠ける。

フィリッピンマニラは,またもや計画停電の危機にさらされている。スワルとパグビラオの石炭火力が故障という。十分な供給力を持っていると思われるルソン系統だが,系統規模に比べて電源のサイズが大きすぎるから,このようなユニットレベル事故でも,停電になってしまうのだろう。スワルの石炭火力は東京電力が関係している。週末に整備が完了するかどうかが鍵らしい。

2010-10-08

http://anond.hatelabo.jp/20101008230809

是非はさておき、中国民主化すべきではないと思ってる俺がいる。

独裁政権の強権的な支配だからこそ秩序がある程度維持出来てるという面は無視出来ないからね。

一人っ子政策が廃止されたら、あの国の人口は20億30億じゃすまなくなっちゃうんじゃないかな。

軍隊も制御出来なくなって、国内どころか周辺にどんなとばっちりが来るか分かったもんじゃない。保有してる核兵器だって、誰がどこで管理してるかも分からなくなっちゃうんじゃないかな。

そしてあの国は何十年と内戦状態が続くんじゃないかと思う。どさくさに紛れて核が(日本を含む)どこかで暴発するかも知れない。で、今世紀終わり頃に、三つか四つか、あるいはそれ以上の数の国に分裂して、パレスチナみたいな状態が延々と続くんじゃないかな、と。

重要なのはあの国が民主化すべきかどうかじゃなくて、旧時代的な覇権主義と野放図な領土拡張志向をどうやって封じ込められるかだと思う。それさえどうにかなれば、おそらく西欧自由主義陣営はあの国の政体にそんなに関心を持たないはず。黄色い猿が何かやってるな、程度で。

2010-10-05

ベジタリアン

http://anond.hatelabo.jp/20090530044416

菜食主義者に聞きたい7つの質問

(1) :16歳の頃から、かれこれ10年以上ベジタリアンを続けています。


(2) :

もともと体調不良や、強い痒みを伴う発疹、不調時は嘔吐するなど、体質に合いませんでした。(血液検査で食物アレルギーも判明していたが、死に至るような重度ではない。)



その為、「好き嫌いはいけない。何でも食べないと大きくなれない」という学校や家庭の方針から、肉食を強いられてきましたが、高校に入って給食制度から解放され、体も十分に大きくなったため、自分の意志で徐々に一つ一つ除去物を増やしていき菜食へと変えていくことにしました。そしてそれは、<なんでも食べること>を美徳とした日本社会で、時にはわがまま人間として彼氏や友人から理解が得られず…肩身を狭く感じる日々のはじまりでもありました。。



ですが、ネットで菜食レシピを探す過程で目にした『屠殺場の映像』や、大学生物学部の授業で『世界の肉食が減少して、家畜の餌となる穀物が1割程度でも人間用にすることができれば、飢餓の問題は(カロリーベース計算では)解決する』…と学び



『死なないレベルアレルギーで、好き嫌いとして肉食を拒否すること』も1つの選択肢として、肯定されるのではないか…わかってもらえないことがあることは仕方ないけれど、自分自分で続けていこう…と考えて、今も菜食の生活を続けています。



(3) : 敬遠(禁止)している食べ物は何ですか?

肉類、魚類乳製品、卵類 です。 あとはアレルギー上、一部のフルーツもだめでした。



(4) : 菜食主義に対する姿勢を答えてください?


経験上、食事の場に「主義」を持ち込むだけで不愉快な気持ちをされる方もいるように感じました。ですので、初対面や浅い付き合いの相手でしたら、「軽いアレルギーですが体のことを考えて避けています。一緒にお食事を楽しめず申し訳ありません。」…とお断りして、お食事されてる隣で、お茶を飲みながらナッツをつまんだりしています。

よほど親しい方でないと、踏み込んだ話はしないですね。



(5) : 肉を食べることに対する抵抗はありますか?

何年も続けていると、体がうけつけなくなるみたいです。


(6) : 菜食習慣をする前と後とで、周りの人の反応は変わりましたか?


菜食に対しては「なんで?やめなよ!」「付き合いづらい…」「誰か芸能人のマネしてるの?(笑)」など否定的な反応が主でした。

が、アレルギー性皮膚炎はよくなりました。



(7) : 菜食主義者でない人たちのことをどう思っていますか?



それぞれ様々な理由で、(アレルギー、主義・信条文化信仰、好き嫌い"←私はコレ”など)、一定の割合で菜食を必要としている人がいます。ですが日本人ベジタリアンに対する認知度・理解度は、西欧諸国やアジアの他の仏教圏の国に比べて低いと言わざるを得えません。日本は、何でも食べることが美徳とされ、食に対する選択肢の狭められた社会になっています。


様々なニーズがある現実にそくし、それぞれ食事に対し異なる価値観を持つ多様な人々を許容する“懐の深い”社会として、、日本でもベジタリアンが非難されず、選択の1つとして受け入れられてほしい、と思っています。


菜食主義者でない人に、“菜食主義者になれ!”と思ったことは、本当に一度もなくて、“あなたにはあなたの食事への価値観があり、わたしにはわたしの価値観があります。”と、思うのです。。



長々とすみません

ネット上で、ベジタリアン批判を目にする機会が少なくないので、その一人として、書いてみました。

2010-09-27

http://anond.hatelabo.jp/20100927031119

国際裁判で不利な判決が出た場合、あれは、西欧諸国中心であり不当な判決であり従う義務はない。という立場に決まってるし、そらもちろん 従うことに強制力がないんだから。意味無いだろ。

それと尖閣などの領土問題は、土地の問題じゃなくて、領海の問題だし、海底資源の問題だから、そう簡単にくれてやるというわけにはいかない。尖閣場合メタンハイドレートだっけか?

その国が所有するもっとも外側の島で領海が決まり、そこから200海里経済水域だから。漁業権とかにまで影響する。

なんでもいいけど、あんまり自国を叩くなよw。味方を撃つなww

2010-09-26

ゴメンメモ用紙がなかったから一時的にコピペさせてもらう。後で消す。


ttp://bipblog.com/archives/1006525.html

インド映画小説日本の侘び寂びと同じような

「navrasa(9つの情緒)」という文学価値観に基づいてるんだよ。

一言で言えば、喜怒哀楽全部入ってないと芸術価値はない。

しかし映画時間の制約がある。

だから登場人物の生い立ちや、人間関係の細やかな変化とか、

言語化できない部分を歌+映像ではしょって抽象的に表現する

ーーー

カースト制度については

カーストは決して古いものではなく、ヴェーダの時代も、イスラームが侵入してきた時も、

英国統治時代でも、その時代時代で常に変容し新しくなってたし、現在でもなってる。

問題の本質カーストではない。

カースト」が無くなれば、また新しい言葉概念を引っ張り出して新種の差別を生むだけ。

今のインドでは留保制度という被差別層の逆差別問題が事をややこしくしてる。

あと日本世界史の授業での「カースト」の扱い方にはかなり問題がある。

限られた授業時間で扱うには複雑過ぎることは理解できるけど、

そもそも教員自身の理解が浅くて、それがインドに対するステレオタイプを助長させてる。

ーーーーーー

ガンジーさんに関する評価は、日本インドでは正反対と言っていい。

独立後から主流な評価は、

「建国の父という功績は揺ぎ無いが、工業化を阻んだ時代錯誤の石頭で、

パキスタンの分離独立を許し国家安全保障を半世紀以上脅かす契機を作った大馬鹿野郎」

という扱い。

ネルー

五カ年計画の頓挫、農地改革後回し、

ヒンディー語なり英語なり統一共通語ゴリ押ししなかった言語政策での失敗、

結果として失敗に終わったソ連寄りの社会政策

駄目な点は色々あるけど独立インドでは最も評価されてる政治家

個人的に一番の功績はインド文系トップ大学のJNU作ったことだと思う。

獄中で書いた「インド発見」を読んで、ネルーさんの民主主義への情熱がひしひしと伝わってきた。

ーーーーーー

スラムドッグミリオネアについて

世界的に流行ったのは

世界インドに関して無知だからだと思う。

違和感のあるディテールが積み重なって、インド人的にはあまりにも不自然過ぎるし、

「いかにも外国人インドに持ってそうなイメージに合わせました」臭がプンプン。

ーーーーーー

日本の支援で作ったデリー地下鉄エスカレーター

サリー巻き込みガードがついてるのを見たときは感動した。

インド人もみんなあれを褒めてる。

ーーーーーー

八重洲南口にある「ダバ・インディア

日本インド料理屋で本当に美味しいと思ったのはこの一軒だけ。

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遠藤周作 深い河について

インド人として脳味噌空にして読めば「いつものステレオタイプだなー」という感想しか出ないけど、

登場人物の心情を投影するためにたまたま題材として選ばれた一装置と割りって考えると、いい作品

ーーーーーーーーー

先の戦争、というとインド人にとっては

パキスタンからのバングラデシュ独立に絡んだ第三次印パ戦争(1971)になるんだけど、

当然ながら経験した世代がバリバリ現役で記憶も鮮烈。

でも近代史インド人の意識の上で重要体験は、第二次印パ戦争(1965)と独立直後の印パ分離独立

朝鮮半島政治イデオロギー国家が分断されたけど、印パは宗教

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地域階層にもよるけど、未婚男女の性交がバレたら

確率で本人同士もしくは双方の家族の血が流れる。

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インド人に渡すお土産のひとつ柿の種加えてみてください。

その際、魚介類エキスが原材料に入ってる事だけは絶対事前に説明していたけたら

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インド独善かもしれないが、インド人は

「ガタガタ抜かすパキスタンさえいなければ、バングラデシュインドに再編入して

貧困の痛み分けして助けてやれるのに」と考えてる。

ーーーーーーー

基礎研究ボッコボコ

それに対する悲観論と、その裏返しとしてエンジニアリングに対する過剰な地震と両極端。

自分純粋技術的な話題に言及する知識を持ちあわせてないけど、ナノに関しても同じ議論。

「走る棺桶」と声高に罵る人と、枯れた技術を応用し高コストパフォーマンスを生み出す能力

世界随一と賞賛して反論を許さない人たちとの罵り合い。

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一般的に日本人イメージする常時ターバンインド人は、

人口比約3%を占めるスィク教徒の人。

蛇のとぐろっぽい形のターバン巻いてる人は宗教とは無関係で、ラージャスターンの人。

アメリカ在住に多いのはスィク教徒で、パンジャーブ出身の人。

1980年代ハリヤーナー州がパンジャーブ州から独立しようとして、

パンジャーブの治安が著しく悪化した時期に、米国に移住したパンジャービーがすごく多い。

(インディラ・ガンジーはこの独立問題が原因で暗殺された)

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インドではゴロゴロ宝石採れるから、本物の石が日本円で数百円~という信じがたい値段。

で、家族健康とか金運等の目的とその人の星座の位置との兼ね合いで切な石が決まる。

それを指輪ネックレスに加工して男女を問わず身につけてお守りにする。

なので、宝石屋の近所を見渡すと星占い屋がすぐ見つかったり、

宝石屋店内に星占いソフトインスコされたPCが置いてあったりする。

ーーーーーー

インド人からみた日本宗教日本は土着のアニミズム仏教習合

儒教科挙制度が無かったから儒教権力が結びつかずに、知識人一教養の枠を出なかった。

儒教文化の背景として色濃く根付いてるのはむしろ中韓

ーーーーーーーーーーー

家族解体を嘆いてる。

『「欝は誰でもなる」「虐待だめ」「イジメ駄目」そういった標語を

全部「家族仲良くする方法考えよう」に一本化すればウザイぐらいの効果を発揮する。

犯罪虐待、すべてはパパとママが互いを尊敬する気持ちを忘れ、

罵り合ってる姿を見た子供が大人になり引き起こす』

ーーーーーーーーーーーーー

時代の分析で一番重要な前提は、インドにとっての独立パキスタンの分離独立

すなわち国家分断によるパキスタンとの資産の接収権の係争、

それと数千万単位で発生した難民の扱いが最重要課題だったので、英国大戦云々どころでは無かったこと。

日本人韓国ほかアジア各国への賠償問題と印パ英国比較する際に、これを見落としてる人が恐らく相当いるんではないかと。

ーーーーーーーーー

インド独立当初から非同盟主義っていうことで

一貫してオンリーワンさせてもらってます。

日本に対しては、プッっていうか「あ~……」という落胆

インドの望みは当時も今も一貫して、米国西欧の側でもない、共産主義でもない、

民主主義(←これ重要)で非同盟主義の強いリーダー

それに一番近いのが日本だった。

ーーーーーーーーー

日本リーダーを選ぶのが下手だし、選ばれたリーダーシステムを劇的に改革するだけのパワがー無い。

しかし逆説的に言えば、ショボショボなリーダーでも驚くほど安定して機能するシステムの堅牢さは奇跡

トップの采配如きでシステムが劇的に変わってしまうようでは、法治国家としてどうなのか?

と考えた時に、笑うどころか、日本システムからはまだまだ大いに学ぶ所はある。

ーーーーーーーーーー

インド人には「何事も見た目から入る」という国民性があって、

例えばヒンドゥー教徒からキリスト教徒に改修すると

昨日まではシャンカルと名乗ってた人が今日からはトーマスといったように、

名前まで変えてしまうのが普通

[外見]と[中身]を結ぶ思考経路の距離がべらぼうに短いので、

肌色、服装、靴といった外見で人をするのはごく自然な行為であると同時に、

例え身につけた外見が背伸びの結果の付け焼刃であっても、

一度身につけたからにはその外見にふさわしい中身を身につける為に途方も無いエネルギーを費やし、

その為の努力を惜しまない。

つまり、先に高い目標を設定→急ピッチで追いつき、というパターン

ーーーーーーーー

将来、インド人と日本人の心に溝が生まれるとすれば、

宗教と生活の兼ね合い、食事習慣(料理そのものではなくて)、オタ文化への理解

この3つ。

ーーーーーーーーー

イギリスインドに謝罪した事はありません。そして謝罪や賠償を求めるような教育も行ってません。

その理由は、法に照らした結果インド支配のプロセス違法な点は無く、英国支配によってインド資産が失われたことを

立証できず、賠償を請求できないというのがひとつ

同様に、インド帝国として英国戦争に付き合わされインド資産が失われたプロセスにも、何ら違法な点がなく、

これもまた賠償を請求できないというのがひとつ

つまり要求する権利が無いのに賠償よこせ!と促す教育をは、そもそも無意味

理由2つ目。インド英国から独立するために、英国保護が無くても民主主義と法の適正手続を守り抜くと

国際社会約束する必要がありました。すなわち法的根拠をもたない賠償請求を行う=法の適正手続に反することは

悲願であった独立と、インド人の目指す民主主義国家としての理念と矛盾する行為であったのです。

勿論インド道義的責任を追求したり、言いたいことは色々あったでしょうが、法をねじ曲げて頂戴する賠償と、

恥じることのない民主主義国家として、国際社会から敬意をもって受け入れられる事を天秤にかけた結果、

インド国民後者を選びました。

理由3つ目。理由1&2に加え、>>492にも書いた通り分離独立の大混乱で、

英国責任を追求する余裕が無かった

いまインド教育が成すべきことは、賠償要求よりも、その器の涵養だということです。

2010-09-06

日本人家族観

国柄探訪: 日本人家族観

 先祖から子孫への連綿たる生命リレー

中間走者として自分がいる。

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  • ■1.「親と子の血のつながりに対する運命的一体感」■

 秋葉原での無差別殺傷事件で逮捕された青年の両親が自宅前で報道陣に取り囲まれ、会見をした。父親が「謝っても償いきれない」などと謝罪の言葉を述べている途中、母親は急にひざから崩れ落ち、頭をうなだれ土下座するような形でそのまま動けなくなった。

 両親に法的な責任はないが、こういう子どもを育てた道義的責任はある、というのが、日本人常識的な感覚であろう。

 かつて神戸中学生小学生を殺し、その首を校門の前に晒す、という異常な事件が起きた。これに関して、儒教研究家加地伸行大阪大学名誉教授は、こう書いている。

 ・・・もし私が加害者中学生の父であったならば、自裁(自殺)をする可能性がある。私は日本人であるから、親は親、子は子、別の独立した人格であるというような、欧米人流の個人主義的行動をとることはとてもできない。それに、自裁する前に、罪を犯した子を自らの手で処置する可能性さえある。[1,p6]

 殺人を犯した我が子を手にかけた後で自殺する親がいても、日本人感覚からは、同情こそすれ、「狂気の沙汰」とは見なさない。

 加地氏は、これを「親と子の血のつながりに対する運命的一体感」と呼び、「欧米個人主義の立場からは絶対に生まれない感覚意識」だとする。

 こんな所からも、日本人家族観が現代においても欧米とはまったく異なるという事が窺われるのである。

 日本欧米との家族観の違いは、我々の日常生活でも随所に姿を現す。

 たとえば、最近では日本でもキリスト教式の結婚式が広まってきているが、神の前で互いに相手を伴侶とする宣誓をするのは良いとしても、さらに契約書にサインまでするというのは、どうにも違和感がある。日本人普通感覚では、「契約」とは他人行儀のビジネス行為であって、それが家族の中で行われるというのは、どうしてもなじめない。

 欧米キリスト教的な家族観では、家族とは男女の個人間契約を基盤としている。そして神の前での契約こそが、神聖なものなのだ。

 また欧米の家庭では、子どもが生まれて大学生にでもなれば、もう親とは別の独立した「個人」となる。ある小説で親が成人した子どもに「これからは友人としてつきあっていこう」などと語るシーンが出てきて、こういうセリフ日本人では思いつかないな、と感じたことがある。

 当然、子どもの方にも、年老いた親の面倒を見なければならない、などという義務感は薄い。子や孫との家族的関係を持ち得ないアメリカの老人たちはいかにも淋しげである。

 実はヨーロッパにおいても、ギリシア時代やローマ時代など、キリスト教が栄える前は、人々は家毎に祖先の神霊を祀り、それが家族の基盤をなしていたのである。それは古代日本も同じであり、現代日本人家族観はその伝統を色濃く受け継いだものである。

  • ■3.先祖の霊は「草葉の陰」で子孫を見守っている■

 古代の多くの民族は、亡くなった祖先の霊は、子孫が祭祀してくれれば、いつでもこの世に戻って来られるものと信じた。日本語で言えば、「草葉の陰」で子孫を見守ってくれるのである。

 「死んだらどうなるのか」というのは、常に人間不安にする疑問であるが、死んでも自分の魂は存在を続け、子孫とともにある、というのは、生死の安心を与えてくれる信仰であった。

 また残された子孫にとっても、自分を愛し、育ててくれた祖父母や両親が、死後も見守ってくれる、というのは、その死の悲しみを和らげてくれる物語であった。

 先祖祭祀というのは、先祖キリスト教的な唯一絶対神として祀る、ということではなく、先祖の霊とともに生きている、という生活感覚なのである。それがわが国においては古神道となり、中国においては儒教に発展した。

 キリスト教では、死者の魂は最後の審判を受けて、魂は天国地獄に行く。仏教では、魂は輪廻転生を続け、解脱をしない限り、次は蛇や虫として生まれ変わる恐れがある。

 よくキリスト教仏教を「高等宗教」とし、先祖祭祀などは未開の宗教であるかのように言うが、死後の魂がどうなるか、ということについては、それぞれが違う「物語」を持つ、というだけのことであって、どちらが高等かなどと比較できるものではない。

 魂が輪廻転生を続け、解脱をすれば浄土に行ってしまう、とする古代インド仏教が、先祖祭祀を信ずる中国日本に入ってきた時、その死生観の違いが文化的衝突を引き起こした。

 インド人にとって見れば、魂は他の人間動物に生まれ変わるか、浄土に行ってしまうので、肉体はその乗り物に過ぎない。だから焼いて、その灰はインダス河にでも流してしまう。これが本当の火葬である。

 日本火葬というのは、遺体を焼却した後に骨を拾い、墓に収める。これは本来の意味火葬ではなく、土葬の変形なのである。古代中国では、人間精神を支配するものを「魂」と呼び、肉体を支配するものを「魄(はく)」と呼んだ。人間死ねば、「魂」は天に上るが、「魄」は地下に行く。「魄」を地下で大切に守るのがお墓である。

 これと同様の感覚日本人も持っており、遺骨には死者の「魄」を感じる。戦後アジア太平洋の島々にまで戦死者の遺骨収集に行くのも、骨を故郷の地に埋めなければ、死者の魄を供養できないと考えるからだ。

 これについて興味深い話がある。昭和45(1970)年日航よど号ハイジャックして北朝鮮に逃亡したグループリーダー田宮高麿が平成7(1995)年に亡くなり、「祖国の地に骨を埋めたい」という気持ちから、田宮の遺骨は北朝鮮にいる妻子と日本家族とに分けられ、新潟県内の家族の墓に埋葬されることになったという。

 共産主義者は無神論者のはずだが、異国で死期が近づくと「祖国の地に骨を埋めたい」と願うのは、心の底には日本人死生観が根づいている証左である。

 輪廻転生を信ずるインド仏教中国に入ってきた時、遺体は焼いて川に流してしまう、という生死観は、先祖祭祀を信ずる中国人にはとうてい受け入れられるものではなかった。

 そこで中国における仏教は、魄を納める墓や、先祖の魂を呼び戻して依り憑かせるための位牌を取り入れた。

 わが国に中国から仏教が入ってきた時には、このように先祖祭祀を取り入れて換骨奪胎したものになっていたので、比較的抵抗は少なかった。

 それでも日本にも仏教輪廻転生をそのまま信ずる人はいた。鎌倉時代初期の親鸞である。親鸞阿弥陀仏衆生を救おうという本願にすがって、浄土に行けば輪廻転生の苦しみから脱却できると説いた。となれば葬儀も墓も先祖供養も不要になる。

 しかし、親鸞弟子たちはその教えに背いて、葬儀・墓・先祖供養を続けた。その後裔たる現代の浄土真宗本願寺派も、墓を作り、葬儀先祖供養を行っている。

 今日日本では、大方の人々が仏教に求めているのは、墓・葬儀先祖供養である。そもそもの輪廻転生からの解脱仏教に求める人々は例外的であろう。これほどに先祖祭祀は日本人の心の奥底に根付いているのである。

  • ■6.仏壇に向かう■

 仏壇も、墓や葬儀と同様、仏教本来のものではない。中国においては、一族の長の家に宗廟(そうびょう)という別の建物を建て、そこで先祖祭祀を行った。これが後に、祀堂(しどう)や祀壇(しだん)となり、それを仏教が取り入れた。

 日本では、これが部屋になって「仏間」となり、さらにはそこに置かれた仏壇が、一般の部屋に置かれるようになった。各家に仏壇を置くという習慣は、中国朝鮮にもない、日本独特のものであるそうだ。[1,p191]

 仏壇には、灯明と線香と位牌がおいてある。灯明は先祖の霊が降りてくる場所を間違えないよう、明るくするためのものである。線香に火をつけると、その香煙に乗って、霊が降りてきて、位牌に依りつく。

 そこで子孫たる我々は、降りてきてくださった祖霊に対して「ご先祖さま。おはようございます。今日も一日よろしくお願い申し上げます」などと挨拶をするのである。

 今日自分たち家族が生きていられるのも、亡くなったご先祖様のお陰であり、そのご先祖様の恩に応えて、自分家族のため、子孫のために今日も頑張ろうと、心を新たにする。これが先祖祭祀に基づく生き方だろう。

 核家族化が進んで、仏壇のない家も少なくない。しかし、仏壇のある祖父母の家に里帰りした時などは、幼い子どもとともに、仏壇に線香を上げると良い。幼い子どもは遊びのように喜んで仏壇に向かう。自分がここにあるのも、ご先祖様のお陰だということを教える何よりの機会である。

 もう一つ、インド仏教中国日本先祖祭祀と衝突した点は、出家を説いた点である。「出家」とは文字通り、家を出て、財産への執着や家族への愛着を振り切って、個人の解脱を求めることである。

 しかし息子に出家されたら、その家は断絶し、先祖の霊を祀る子孫がいなくなってしまう。個人的な解脱のために、先祖の霊をさまよわせ、子孫の未来を奪うのは、先祖祭祀の立場からは、とんでもない「不孝」と考えられたのである。

 そこで中国日本においては、「在家」すなわち家族の実生活の中で仏教を奉ずることが理想とされた。聖徳太子在家の長者・維摩が教えを説いた「維摩経」、および、同じく在家女性信者である勝鬘(しょうまん)夫人が仏道を説いた説いた「勝鬘経」をとりあげて注釈書を書かれた。

 前述の親鸞は、聖徳太子を「和国の教主」と仰いでおり、その在家主義を受け継いで、結婚し、子をもうけている。今日でも日本の多くの仏教僧は、結婚し、家庭生活を営んでいる。

 オウム真理教インド仏教を受け継いで、出家して修行を積めば、輪廻の苦しみを脱して解脱できると説いた。それを信じて家族を捨てて教団に入った子どもたちを、親が返せと叫ぶ。これも「出家」と「在家」の衝突の一例である。

 「在家」とは、家族の一員として生きていくことであるから、まことに不自由なものである。「出家」のように好きな所に行って、好きなだけ座禅を組む、などという気ままは許されない。

 しかし、その不自由な家族の中で、我々は生まれ、育てられて、大人としての生活を送る能力を身につけていく。まず家族の中に生まれて、育てて貰わなければ、大人として自由な生活を送る事も、そもそも不可能なのである。

 さらに成長の過程で自分を育ててくれた親への感謝や、その恩返しとして今度は自分子どもを立派な人間に育てる義務を学ぶ。このような事が人格の基盤を構成するわけで、感謝や義務の心のない人間は、自由を与えられても、自分利益しか考えない利己主義者になってしまう。

 西欧に発展した近代個人主義においては、ひたすらに個人の自由と権利の拡大を図ってきた。しかし、キリスト教社会においては、神に対する畏れがあり、それが野放図な利己主義に転化する抑止力となってきた。

 わが国においても西洋的な自由と権利の主張を鵜呑みにして、家族制度を「個人の自由を抑圧する封建的制度」などと罪悪視する思潮がある。

 しかし、わが国においては家族制度が、利己主義への抑止力となってきたのであり、それを破壊することは、利己心の抑制を持たない人間に野放図の自由を与えることになる。都会の雑踏で無差別殺人を行う青年とは、その極端な姿ではないのか。

  • ■9.「なぜ生命は大切なのか」■

 こうした事件を防ぐべく、子どもたちに単に「生命を大切にしよう」とだけ教えるのでは、「なぜか」が伝わらない。

 それがわが国の家族観に従えば、「生命を大切にしよう。生命とは何代ものご先祖様から君たちに伝えられ、そして君たちから何代もの子孫に受け継いでいくべきものなのだから」と教えることができるのである。

 先祖供養とか仏壇、お墓参りなどは、すでに形骸化した「葬式仏教」の遺産であると考えがちであるが、それらは我が先人たちが産み出してきた工夫なのである。そこには先祖から子孫へと連綿とした生命リレーの中で人間を捉える伝統的な家族観が生きている。

 その家族観の深い思想を知らずに、単に古くさいの一言で片付けながら、新しい家族観を産み出すこともできずに、社会的混乱を招いているのが、現代の日本人ではないだろうか。

 これではご先祖様も草場の陰で嘆いていよう。

(文責:伊勢雅臣)

■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)

  →アドレスクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 加地伸行家族の思想』★★、PHP新書、H10

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4569603084/japanontheg01-22%22

2010-08-29

http://anond.hatelabo.jp/20100829123447

元増田です。

まあ確かに希望的観測が混じっているのは確かだし、英語マンセー派みたいな奴らはそもそも主張以前に心性が嫌いなのでバイアスがかかっているのは否定しない。あの連中の、何でも「欧米だから正しい、日本だからダメ」という態度は日本で頑張っている人間馬鹿にしているし、何よりも「欧米」の中でも自分たちにとって都合のいい部分だけつまみ食いして「日本から出れば全て解決する」みたいなデマを煽る奴も信じる奴もとことん腐ってると思うからね。そんなにあんた達が言うほどみんな「グローバルエリート」になりたいなんて思ってないし、起業して金持ちになりたいなんて奴は最初から一握りだろうとか(ああいう連中の「起業」には町工場飲食店を開くことは絶対含まれてないよね)。ああいう連中って団塊世代に生まれてたらよど号に乗って北朝鮮亡命したり、そういう連中のシンパになってたりしてたんじゃないかって思うよ。

英語の国際共通語化に伴って、日本はハンデが大きくなっていく一方だけど、それを覆す方法はそもそも無いから、英語マンセーとか夢見ないでちゃんとハンデを織り込んで負け戦の損害を減らす方向で頑張りましょうね、論ですね。

まあ、負け戦を認めるならあなたの言うように撤退戦の戦略を考えることになるだろうね。いずれにしても、あなたの言うとおり「一旦崩壊したはずの大英帝国が再び世界を征服する」ということになるとしたら本当に憂鬱だね。そうなるくらいなら鎖国した方がよっぽどいいと思うしね(最近一般レベルでも知られるようになってきていているけれど、鎖国日本人の「ガラパゴス」性を決定づけた誤りというようなものなく、西欧帝国主義から身を護るためのやむを得ない戦略だったんだよね。実際、日本のみならず中韓なんかも同時期に鎖国しているわけで)。

2010-08-28

http://anond.hatelabo.jp/20100828125629

まことに申しかねますが由井会長の発言は冒頭に「日本で」を足して読むとそれなりに意味が通じるように思います。

西欧ホメオパシーが広がる過程でバッシングを受けた」→「日本ホメオパシーが広がる過程でもバッシングを受けるだろう」という推論ではないかと。

なんでそこを省略するんだよ!と思わないでもないですが、ホメオパシーにはまる人ってのは視野狭窄なわけですし。

2010-08-23

http://anond.hatelabo.jp/20100823021338

逆に、日本の「修正主義者」並の人間なんて旧連合国を探せばいくらでもいるんだよ。原爆投下や東京大空襲の肯定論者とか、西欧植民地体制での搾取否定論者なんてむしろ多数派なんじゃないかって勢いだし。

そういった事象を棚に上げて日本人「だけ」が「謙虚」であり続ける事を強いられる事に対する鬱憤が、いわゆる「若者右傾化」なんだろうね。

「あいつらは自分達の悪事ですら自由気ままに正当化してやりたい放題なのに、どうして俺たちは駄目なんだ?」という。

http://anond.hatelabo.jp/20100823021338

逆に、日本の「修正主義者」並の人間なんて旧連合国を探せばいくらでもいるんだよ。原爆投下や東京大空襲の肯定論者とか、西欧植民地体制での搾取否定論者なんてむしろ多数派なんじゃないかって勢いだし。

SF作家のJGバラード原爆投下肯定者だね。

http://anond.hatelabo.jp/20100823011740

答えは「日本ナチスじゃないから」に尽きるよ。

日本戦争犯罪は無秩序で規律を著しく欠いた軍隊典型的なもので、ソヴィエト赤軍とか中国国民党軍とか同様の例は沢山あるからね。

ナチスのやったことはそれよりもさらに一段階重い罪であり、そしてナチス的なるものはドイツから消え去ったわけではない(実際、ドイツに限らず西欧ではネオナチ極右政党がかなりの力を持ってるしそいつらが在特会並のごろつきであることは有名)というだけでそのことは明らかでしょ。

逆に、日本の「修正主義者」並の人間なんて旧連合国を探せばいくらでもいるんだよ。原爆投下や東京大空襲の肯定論者とか、西欧植民地体制での搾取否定論者なんてむしろ多数派なんじゃないかって勢いだし。ドイツだって国防軍(ナチスSSとは別物)はむしろ民族の誇り扱いされてて、ナチスユダヤ人虐殺に協力していたことはタブーだったわけだしね。

むしろ日本は客観的に見て歴史に対して総じて謙虚だと思うけどね。そう思われてないのは中韓政治的な意図というよりもむしろ欧米オリエンタリズムや、それに迎合する日本サヨクが原因じゃないかと俺は思うよ。

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