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2011-12-17

結婚しないと金が余ってあまってしょうがないな

30歳年収650万。

しか事情があって3年前から実家暮らし

金が余る余る。

貯金が増える増える。

趣味は複数あるけど金が飛んでくようなジャンルではないし。

ジムフルタイム会員になっても月1万ちょいだもんな。




俺たぶん一生結婚しないんだろうし、

死ぬまでにすげー無駄に貯蓄増えてそうだ。

ていうか俺の一族代々そうなんだよな。

結構長生きなんだけどみんな金を余らせて死ぬ。所帯持ちでも。

貯める気はないんだけどなんかそうなる家系

下へ下へ財産持ち越し。かける場所がないバケツリレーみたいに。

これで結婚しないとなるとなんかもう

俺が稼ぐカネってなんかもったいないような気すらしてくる。

実際はキャッシュ余りの世の中だからどうでもいいんだけど。

2011-10-19

米軍基地

テレビニュースでやってた。



あれって誰もが受け入れたくないもんなんでしょ。爆弾リレーAAみたいなさ。しか沖縄基地100とするじゃない、その100を全部別の所に移すみたいな言い方しか見ないような気がする。100のうち10をどこそこが受け持って20を他のとこが受け持ってみたいなリスク分散みたいな発想はないんかしらね



そういや護憲護憲うるさい政党だったか・・・あいうとこはアメリカグアムになすりつけちまえって言ってるけど結局アメリカ側はどういう理由でそれを拒否してるのかがいまいち伝わりにくい。流れてくるのは沖縄県知事愚痴みたいなもんばかり。




そういうことならいっそこのこと周りに有人島がない海のど真ん中に人工島建ててどこの都道府県にも属さない政府管理地みたいなのでも作ればいいんじゃないのとも思えてきた。つまり隔離よ。どこの都道府県もなすりつけられたって言わんだろうし米兵だけしか住まわせなかったら米兵どもが地元民に悪さをしたりもせんだろし。




うーんやっぱめんどいなぁ

2011-09-11

http://anond.hatelabo.jp/20110911231043

あーわかるわかる(棒)

考えるのが面倒になったから、あとは任せた。虚構新聞とかbogusあたりなら、もっといいネタを作ってくれそう。


元増田が消えちゃった。自分が何にレスつけたのかわからなくて悲しいのでサルベージ

=========以下元増田

ミスチルコンサート被災地のためにウェーブ…ウェーブ!?

どうやら、ミスチルか各地のツアー会場でウェーブの映像を撮って

それをビデオレターとして仙台の会場で放送する?らしい…

ミスチルファンサイトの書き込み

http://www.ryozzy.net/mchild/special/events/2011_report/bbs.cgi?num=439

    いわゆる被災地と呼ばれている所から家族で「広島ビックアーチ」に、まさかの当選で参戦できました。けれど、広島から帰ってきて10日近く経つ今でも、戸惑いというか、あれでよかったのか、と思っている事があります。

    それは題名どおり、「ウェーブ」。確かに桜井さんは「ウェーブ」という表現はしていなかったかもしれません。けれど、私には「ウェーブ」=波にしか見えませんでした。そして、津波連想させました。

    コンサート中、企画としてそれをやろう、といわれた瞬間、私たち家族は顔を見合わせ、夫とは「え?ウェーブってこと?どうする?参加する?」。。。くしくもコンサート前日(19日)福島県震度5弱を観測し、津波注意報が出され、多くの人が避難しました(既に広島入りしていた私たちはすぐ実家等に連絡しました)。

    コンサートから帰宅後、数人の友人にこの事についてメールしたところ。。。殆どの返信は「信じられない、余震もまだまだあるのに、結局他人事なんじゃない?」

    総合的に考えれば楽しかった、ミスチルコンサートではありましたが。後悔が残ったコンサートは初めてでした。

    皆さんはどのような気持ちであの企画に参加しまたか

2chミスチルスレ

http://music2ch.doorblog.jp/archives/229850.html

    21 :名無しさんお腹いっぱい。2011/09/04(日) 23:13:21.03 ID:YNGRWYEf0

    アリーナのウェーブを2階スタンドから見てたら名取川津波映像を思いだしてしまった 

    33 :名無しさんお腹いっぱい。2011/09/04(日) 23:18:45.82 ID:vmGbpW/F0

    特にアリーナのは前から後ろにやたら勢いと迫力があって

    もろ津波を思い出させたよな 

    133 :名無しさんお腹いっぱい。2011/09/04(日) 23:58:42.34 ID:rf8qnmzR0

    宮城から遠征した。2階スタンドから見たアリーナのウエーブ、

    名取津波映像と重なって本当に恐怖を感じた。

    どう編集するかはわからんけど、あの光景は見たくなかった。 

    485 :名無しさんお腹いっぱい。2011/09/05(月) 08:49:45.80 ID:joh6veWm0

    今週末横浜公演に参加しました。

    各会場でお願いしてると言うオーディエンスによるウェイブボーカルさん自らが撮影したわけですが

    65000人によるウェイブスタンドからアリーナへと回って行く

    その様はまさに津波を彷彿とさせるド迫力!

    この人間津波映像宮城公演で流すって…無神経すぎる。

    あるいは確信犯なのか!?

バンザイリレー、とかバトン、とか

大地の中の種が芽を出すイメージ、とかいってるらしいけど

ウェーブはウェーブじゃないのかな…。

俺が不謹慎厨なだけ?

2011-08-20

なんで女はメール無視すんの

男の友達とは、馬鹿話でもずっとリレー続くのに

2011-06-02

消費税ほど不公平な税はな

今すぐ消費税の公平性の話をしよう - 赤沢 良太 (アゴラ) - Yahoo!ニュース

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20110602-00000002-agora-soci

この記事を読んで、世間の消費税問題点的外れさが気になったので書く。

世間一般的に消費税のことが語られるとき、次の2点が論点に出ると思う。というかこればっかりだ。

  • 消費税は誰にでも負担させられて公平だ
  • から逆に、所得の低い人には負担が重くなる

かに理論的にはこの通りだ。が、それは机の上でのお話に過ぎない。ここで挙げる問題点に比べたら逆進性なんて小さな問題でしかない。

現実を見たらこんな理想論はどこにもない。消費税なんて無くなってしまえ、と思うに違いない。

消費税の仕組み(理想論

まず最初消費税の仕組みをおさらいしよう。ただし、理想論でのお話だ。

消費税に関しては、消費者は税の負担を追うけれど直接納付するわけではな消費税間接税だ。では誰が納付するか(納税義務を負っているか)というとその消費税を預かった事業者である

事業者は預かった消費税消費者の代わりに国に納付するわけだけれど、事業者自身もモノを購入するような消費者の一面を持っており、消費税を支払っている。

事業者Aが支払った消費税はまた別の事業者Bが納付するわけだから、その分2重に納付されてしまわないように、自分が預かった消費税から自分が支払った消費税をさっ引いて国に納付することになる。

このように事業者間で消費税リレーが行われ、末端の消費者が負担した消費税が国に入金される、というのが消費税の仕組みである

机の上のパズルとしては非常に合理的に見える。

消費税の仕組み(実際の運用

さっ引いちゃいけない消費税もある

このようにして、「消費税ってのはうまくできてるんだよ」という説明で終わってしまっているが、それはある特殊な前提があった上でのお話だ。

その前提は、

というものだ。すべての取引に消費税がかかるのであれば、先ほどの仕組みは簡潔でスムーズにわかりやすい。

「えっ、違うの?」と思う人も居るかもしれない。消費税全然理解されていない、いい証拠だと思う。

しかし、消費という感覚にふさわしくないとか、政策的な目的などから消費税が課せられない取引が存在する

給料の支払いや土地の売買、社会保険診療だったり、住宅家賃だったりが代表的なところだと思う。

これらの取引には消費税が課せられないが、これらを生業とする事業者はそこら中に存在する。

とある大家さんがいて、マンション賃貸消費税ナシ)と事務所の賃貸消費税アリ)をやっている。

先ほどの消費税が国に入金されるまでの流れにこの大家さんを当てはめてみると、大家さんは、事務所家賃で預かった消費税から自分が払った消費税をさっ引いて納付するわけだが、大家さんが支払った消費税マンションの修理代だったり、事務所の修理代だったりするわけだ。

ここで、「アパート修理代の消費税はさっ引いていいのか?」と疑問を持って欲しい

事務所修理代についての消費税はそれに相応な事務所家賃という形で預かることになる。まさしく「預かったんだから納付する前にさっ引くよ」なのだ。

だが、アパート修理代についてはどうだろう。消費税を払うことは払うが、預かる消費税存在しない。まさしく、大家さんが消費税を負担しなければならない状態になるのだ。

これを、アパート修理代の消費税をさっ引いてしまったら「預かってないけどさっ引くよ」という訳のわからないことになってしま

こういった問題があるため、消費税の納付額計算上もさっ引かせないように仕組みを作っているが、取引量を考えるとそんな個別に区分けなんてすることができないので、なぁなぁにされている。

基本的に、真っ黒以外は事業者有利なところでやっているのが現実だ。

現場消費者の公平なんて無かった!

小規模事業者保護という名の公認詐欺

消費税は↑のような面倒な区分集計をしないと納税額が計算できない。ちっちゃな事業者には大変でしょ?ということで「免税事業差」やら「簡易課税制度」やらがあります

消費者の代わりに事業者がまとめて納付するんじゃなかったの?

やっぱり現場消費者の公平なんて無かった!


百歩譲って小規模事業者保護がアリだとして、取引規模で判断する小規模事業者なんて、会社をたくさん作れば一社あたりの取引規模は自由に操作できる。

現実、取引規模を小さくしたペーパーカンパニー人件費を計上して一切納税せず、本体の会社じゃその人件費分を業務委託費だとかいってさっ引く消費税を作って納税抑えるとか。


消費者が負担したと思ってるお金は実は事業者の懐に入ってた、とかどんな詐欺制度だよ。

それに、消費税赤字でも納税が出るから滞納されやすい。滞納されたんじゃ税収増になんてならない。

こんな状態で税率を上げようとか言ってるのはバカかと思う。

国に納付されない税金が増えるだけじゃないか

こういう問題点全然表に出てこない。増税論者も現実を知らずに、理想論だけでお話ししてる。

そして一般国民はそもそも消費税の仕組みさえ理想論以上のことを知らないで賛否を迫られてるとか。


追記

ブクマコメの回答。

なぜ増田で書いたのか。良くある話だけど、身バレしたくないのと、自分ブログでやるよりもみんなに見てもらえるかなぁと思ったから。

多分自分ブログで書くよりは「消費税 公平」でヒットするんじゃないかな。

2011-04-19

http://anond.hatelabo.jp/20110418235004

「他の人はスコップ使えないんじゃないの?」って書いても、あなたは「バケツリレーたいな簡単なもんだ」って返すだけなんでしょ?

あなたが詳細を書かない限り、イタチごっこだし、問題の本質は見えない。

あなたが引っ掻き回した挙句、知人がリーダーに謝罪してるのかもしれんし。

2011-04-18

ボランティアなんぞに顔を出した反省

震災ボランティアに顔を出したが、あまりにも仕事の出来ない人だらけで驚いた。

私はその作業内容のプロで、ボランティアリーダーとの共通の知人の紹介で顔を出しただが、どう考えても異常に効率が悪い。

リーダーに直言するが、まったく話を聞かない。

そして、直言したことが気に入らなかったようで、一人で出来る仕事の方がいいでしょうと、ゴミの整理というありがたい仕事を割り当てられた。(まあ、ゴミの整理も大事な仕事ではありますが)

結果、その団体は我々プロが一時間で出来る作業を一日かけて行い、その成果を大々的にブログに誇っていた。

 

ボランティアほとんどは、普段まともな仕事したことがないだろう、「使えない」人間で占められている。

そこまでは、まあしょうがないだろうと思う。ボランティアの主力は、バイトのない暇な学生や、普段から仕事が与えられないような公務員だ。

挨拶もまともにできる様子もなく、ホウ・レン・ソウとか聞いたこともないだろう。言われたとおり、ゆっくりと手を動かすことしかできない。

しかし、そんな彼らでも、単純作業を適切な教育の上で与えられれば、それなりに機能する。

重要なのはまともに働いたことのある使える人間であり、その人間リーダーになることだが、どうやらそれが不足しているようだ。

 

ボランティア作業の大半は単純作業だと思うが、単純作業ほどノウハウ改善点の共有が必要なのは言うまでもない。

しかし、ノウハウ存在しない。ボランティア同士にコミュニケーションはない。意見を吸い上げるリーダーもいない。

そして非効率な作業が続く。

 

一日ゴミ整理をした上で、共通の知人を交えて、作業内容の改善点、ロジの整理を申し入れたが、やはり話を聞く気はない。

理由は分からないが、人の話を聞き、作業を改善することが、彼の権威を脅かすものになるようだ。そして、大事なのは結果はなく行動なのだと言われると、返す言葉もない。

まあ、こういう輩は会社にも良くいるけど、利益を上げることが出来ず、なかなか上に行くことがない。しかし、ボランティアは別なのだろう。

 

その後、共通の友人には詫び、そのボランティア団体からは離れた。

私はどう行動すべきだったのだろう。

リーダーの面子を潰さないでうまくやれれば良かったんだろうが、その方法は今も思いつかない。

 

 

【追記 4/19 1:44】

作業内容を詳しく書くと特定されるので難しいですが、「効率化」は結構簡単なことです

例えば、水を汲んで運ぶという仕事があるとします。

バケツ一つ運ぶなら作業内容はみんな一緒ですが、たくさん運ぶなら、バケツリレーだったり、ホースを探してくるとか、いろんな方法があります

それを、バケツを用意する手間がかかる(すぐそこの100円ショップで買ってくりゃいい)、一人一人大事に運ぶことに意味がある(どう運ぼうが水は水だと思う)、バケツリレーは訓練が必要(いやいや、すぐ覚えるよ)と反論され、バケツ一つに沢山の人間が張り付いているような状態になっている感じです

私がこの業種のプロであることはリーダーは知ってるはずですが、現場では面子を立てて特に言いませんでしたし、この効率化は特にプロでなくとも、作業を続けていれば気付くレベルのものです。また、リーダーにだけそのやり方を説明したのは、彼がみんなに広めればいいだろうという、それもまた彼の面子を考えてのものでした

 

 

【追記 4/19 16:30】

たくさんブクマもらってて驚いております。どうもすみません

ただ、「効率化」がモチベーションを下げるとはあまり思えないんですよ。

これは私の性分のような気もしますが、たとえば風呂の水を汲むのに、バケツ一個でちまちま水汲むより、パーッと集中してみんなでバケツリレーしたほうが楽しくないですかね。たぶん、バケツリレーのほうが疲れないし

その水が自分のためじゃないことがモチベーションにつながらないのかもしれませんが、誰かがそれで早くお風呂は入れるのならうれしいけどな。

しかしまあ、みんながそうは思わないということはよくわかりました。いやみではなく。

  

また、ボランティア全体が使えないととられたなら、私のいたらないところです。申し訳ない。id:awwwwaさんのように、きっとすばらしいボランティアの方もいらっしゃると思うし、でないといろいろ回ってないと思います。id:awwwwaさん、お疲れ様でした

また、「ボランティアなんぞ」「使えない」という言葉がきつかったですね。反省します。

 

ちなみにリーダーは声もでかかったですが、社会的地位も高かったので、それもあったのかなと思います。なお、その地位はボランティア仕事内容とはまったく無関係です

しかしまあ、どうやって彼に話しをもっていけばよかったのか。そこは本当に反省する限りです

 

 

【追記 4/19 19:10

当たり前のことですが、これは私から見た側面しか書いていません。

リーダーにはリーダーの言い分があるでしょう。

出来る限り客観性は持とうと思いますが、限界は当然ありますので、御理解ください。

2011-03-22

`皿´

(うごメモのことです。)お世辞で私の事「人気作者だよ!!」なんて言う人いるけど、何処がだよ!!!?リレーで☆1000以下しかもらってない人気作者が何処にいるんだ!!!ふざけるな……と言っても匿名なんで意味無いと思いますが。

2011-03-03

http://anond.hatelabo.jp/20110301141300

私の場合東京23区→東京多摩地区の公立小学校に転校して色々とカルチャーショックを受けた。

23区内では運動音痴だった自分が転校先の小学校ではリレー選手と並ぶ好タイム

夏休み宿題は前の小学校では当たり前のことがこっちでは神扱い。

前は勉強できる人はできないフリをするのが普通中学受験組は落ちた時まわりから悟られないように塾通いを隠す人もいたのが

こっちでは数少ない中学受験組がまわりより勉強が進んでることや中学受験することを威張って「君たちとは違うんだ」オーラ全開。

まぁそのとき出会った個人の印象が大きいし、転校先が市内でもすごく評判の悪いとこだったっていうのもあるから一概に言えないけどね。

2011-03-01

どさんこが東京で病みやすいのは当然な気がする

千葉県内の、特に教育熱心でも何でもない普通の公立小学校から

北海道の、札幌市内の特に荒れているわけでもない普通の公立小学校に転校した私が思ったこと。

北海道の子たちは、優しくて面白いけど、ものすごく怠惰だった。

千葉小学校で並だった私の成績は、北海道小学校では「すごく頭がいい」扱い。

千葉と比べて授業がかなり遅れているので、二度習うことなんて出来て当たり前だった。

何の努力もしていないのに、頭のいい人というポジションになってしまった。

そして運動。私は千葉小学校では下から数えて何番かってくらい鈍くさい方で、

鉄棒も縄跳びも逆立ちも必死で練習して何とか付いていっている状態、まさに「自他ともに認める運動音痴」って感じだったんだけど、

北海道では「一見のろくさそうに見えて意外とデキる奴」みたいな扱いになってた。

千葉で皆が当たり前に出来ていたはやぶさ(二重あや)が、北海道では「出来たら神」。

生まれて初めて運動で神扱いされて、心底ギョッとした

しかも私ごときリレー選手に選ばれた。調子に乗るなんてことは出来なくて、もはや恐怖だった。

保護者会に参加した母も、他の保護者を見ていて危機感を抱いた。

北海道シングルマザーが多い。母はそれまでシングルマザーを特別視する風潮について嫌悪感を持ち、

偏見や蔑視を無くすべきだと強く思っていたらしいけど、保護者会で話しているうちに、

彼女たちの子供への関心の薄さに愕然となって、見方が変わったらしい

もちろん、全てのシングルマザーがそういう人とは限らないけどね。

母の「なんかここゆるいよね、首都圏に戻った時きついんじゃない?」というような言葉もあって、

そのとき家族ぐるみで仲良くしてた子と一緒に塾に通い始めたんだけど、

その後北海道から都内の小学校に転校したとき、やっぱり成績は下がっていた。

都内の小学校っていうのも、別に普通の公立。

金持ちやら教育ママやらが多いエリアでもない、特徴といったら商店街が活発なくらいの、普通エリア

そして当然ながら、そこで私は運痴ポジションに収まった。

「順当」みたいなことを感じて安心した覚えがある。

 

あと、北海道で仲良くしてた男友達のお兄さんが、名古屋中学校が合わなくて鬱状態になって引きこもってた。

生まれてから中1まで北海道→父の転勤で家族全員名古屋引っ越し小学生低学年だった弟は適応できたが、兄は鬱状態

→父だけ名古屋に残し、母子三人で北海道に帰って来た、っていう家族

小学校より中学校のほうが北海道と他県とのギャップもおおきいだろうし、適応するのが辛くて当然だろうと思った。

 

北海道悪い場所だとは思わない。

嫌な思い出はほとんどなく、楽しい思い出ばかり。

男女関係なくクラスみんなが仲良かったし、いじめとか、競争を煽られて精神的に辛い思いをすることも無かった。

しい場所だった。

ただ私はあの場所子育てをする気になれない。

子供北海道から出られなくなるからだ。

2010-11-19

http://www.yomiuri.co.jp/sports/news/20101118-OYT1T00941.htm

競泳男子400mリレー中国失格で日本

広州アジア大会第7日の18日、競泳男子400メートルメドレーリレーの決勝が行われ、日本入江立石藤井原田)は3分34秒10の2着でゴールしたが、トップでゴールした中国が失格と判定され、繰り上がりで金メダルを獲得した。

審判を守れ

2010-11-16

非常に情けなく、恥ずかしい話。

ネットで、学生時代の友人が結婚していたことを知る。

素直に喜びたいのだが、とってもモヤモヤするのだ。

不幸になれ、とまでは思わないけど、幸せになってほしくない、そんな漠然とした気持ち。

我ながら、人として最低だと思う。が、モヤモヤしてしまっているのは紛れもない事実

いたたまれないので、この場を借りてそっと告白させていただきたい。

 

友人、とするからいけないのかもしれない。

中学時代から大学卒業まで、濃密に付き合っていた相手、というべきか。

同性なのだが、あまりに好きすぎて、多感でデタラメ中学時代などはそれを恋愛感情とまで自分で誤解してしまったくらいだ。

大学卒業間際、あることをきっかけに喧嘩になり、それっきり、会わなくなってしまった。

 

そもそも、友達、だったのかどうか。

ヤツはずっと成績優秀で、オタクで、マイペースで、頑固。

絵がうまい小説うまい、と当時の私は思っていた。事実中学生としては上手だったと思う。

「見せてほしい」とお願いすると、同じものを同じ枚数かいてもってこい、と言う。

だから私は小説なんか書き始めたのだし、当時は下手なイラストも必死で描いた。ほんとうに下手だった。

友人複数と交換でリレー小説をやったりもした。いつも私がキャラを殺すと怒られた。

楽しかったのは間違いない。けれど私は、メンバーの中では、いじられキャラ微妙に超越したいじめられキャラだった。

 

ボケ突っ込み、の体裁をとりながら、私が何か言えばいきなり手が飛んでくる。

はじめのうちはちょっと突く程度だったものがエスカレート

こちらが笑っているうちはいじめにならないから、と、私も痛いのを我慢していたけど、

ついに、脳味噌ずれるのが分かるほどの平手打ちをもらったときは、意志に関係なく涙が出てしまった。

さすがにどうかと、ヤツに手紙を書いて渡した。

なんて返ってきたと思う?

自分には、対等な付き合い方というのが分からない。見下すか、敬うかしかできない」だと。

 

要は、ペルソナが強すぎるのだ。

自分キャラ」みたいなものから一切逸脱できず、ただそれを演じることに徹している。

そこを理解してくれと言うのだ。

事実、二人でいるときは手をあげることはない。

他のメンバーが混ざると、見せしめのように叩くのだ。

 

それでもやっぱり、好きだったのかねぇ。

強くたたきすぎるのはナシ、みたいな密約のもと、謝られるわけでもなく同じ関係は続き。

オタク仲間、というのが少なかったからかもしれない。

別の高校に行っても、長電話したり遊びに行ったり来たり。

でも、この頃になると、学校が違うから明確な学力の差が見えにくくなってくる。

視野も広がるし、友人も増える。

私も小説を書くのが好きになって、素人ながら作品と呼べそうなものも作れるようになってきた。

そうなってくると、力関係は変化し始める。

コテコテのドオタクでいるより、好きなものを適度に取り入れたい私と、

中学生のままの精神状態のヤツ。

なりふり構わぬ服装や態度を、こちらがやんわり諭すような場面も出てきた。

 

そして受験

お互い一浪し、ヤツは有名大学の文学部二部、私は芸術系学部の文章創作コース。

こっちは大学課題小説を課され、プロ小説家添削を受けているんだから上達は早い。

ヤツの書いた、あいかわらず中学クオリティの作品の粗もよく分かるようになった。

でも、こき下ろすようなことはしなかった。

こっちはプロを目指そうとしているのであって、趣味で書き続けている人の楽しみを奪ってはいけない、と。

 

この頃になると、家族に次いで親しい大親友と言っていいくらいには気心を許していたと思う。

・・・少なくとも、こちらからは。

あくまで「自分キャラ」のなかでしか行動しないヤツに、私はだんだんいらだってきていた。

とにかく、成長がない。他者から学ぼうとしない。影響されない。

だから、迫ったのだ。本音で付き合え、と。

 

ヤツのペルソナをすべて論破して、丸裸にしてやった。

そうやって逃げるのは怖いからだろう? ほらまた自己弁護に走った、

それは本心じゃないだろう、なぜそう言いきれる?

などとひとつひとつ、ヤツの言葉意味を暴いてやったのだ。

 

思えば私も若かったし、性急だったと思う。

自分はこんなにお前のことを知っているぞ、とひけらかしたかっただけなのかもしれない。

いわば、言葉ずくでヤツの精神強姦したわけだ。

10年付き合っていてはじめて、ヤツは涙をみせた。

初めて本音に触れた、と思った。漠然と、勝ったと思った。

そんな風に思う時点で、私も薄っぺらだったわけだ。

 

それっきり、会っていない。

ただ、私はそのとき予言した。

「そんな風に自分の殻に閉じこもった付き合い方をしていると、幸せになんかなれないぜ」と。

 

それから、約10年。ヤツをネット上で見つけたのは、ほんの数年前だ。

中学時代から書いている小説の続きをHPにUPしていて、

ブログには、仕事をやめて加療が必要なほど激太りし、

精神安定剤オーバードーズしていることが自慢げに書かれていた。

複雑な気持ちになった。不幸自慢は気持ちのいいものではない。

でもどこかで、ほら言ったとおりだ、という思いもあった。

 

一方私は、小説家とはいかないまでもライターとして仕事で文章を書くようになっていた。

信頼も得ていたし、役職をもらって後輩を育てるまでになっていた。

大した成功ではないが、ヤツと比べてしまえば雲泥の差。

HPに設置された掲示板に声をかけるか迷ったが、やめておくことにした。

何を書いても、自慢になってしまう気がした。

 

それからさらに数年。

私は結婚を機に仕事をやめ、家事に専念することにした。

一定の自己実現欲も満たせたし、第二の人生といった感覚の引退。悔いはひとつもない。

ふと、ヤツを思い出した。

正直、自殺しているかも、とさえ思った。なぜか、それだけはやめてほしいと思った。

安否確認のつもりで昔見つけたHPを開くと、ブログが変わっていて、

そこに結婚相手が登場していた。ヤツも主婦になっていたのだ。

 

私が拙い文章力で記事を書き飛ばし、小銭を稼いでいた間に、

ヤツが何を思い、どう変化していったかは知る由もない。

真に心を開ける相手を見つけたのか、

心を開かないことを許してくれる相手を見つけたのか、それすらわからない。

ただ、相変わらず昔の小説の続きを掲載し続けているヤツと、

今の私が社会的に同じところにいるということが、妙にモヤっとするのだ。

 

愛情憎悪も憐憫も、感情という意味では等しいと聞く。

もしかすると、私こそがヤツに対して、一定の強い思いを抱えたままなのかもしれない。

これが片思いなのか両思いなのか、確認する術はないけれど。

2010-09-23

http://anond.hatelabo.jp/20100923151100

磁力スイッチってリレーコンピュータ?それはほとんど役には立たないだろうな。「コンピュータ世界で5台売れたら大成功だろう」と予想された頃の代物だ。

まずトランジスタに到達しないといけない。そのためには純度の高い半導体と微細な加工技術が必要。仮に理屈だけ解っていてもそこまで到達するにはかなり時間がかかる。何でもかんでも自分だけでやるのは無理だし、世間の技術はそこまで到達していないから自分でやらないと材料も何も手に入らない。

2010-09-06

日本人家族観

国柄探訪: 日本人家族観

 先祖から子孫への連綿たる生命リレー

中間走者として自分がいる。

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  • ■1.「親と子の血のつながりに対する運命的一体感」■

 秋葉原での無差別殺傷事件で逮捕された青年の両親が自宅前で報道陣に取り囲まれ、会見をした。父親が「謝っても償いきれない」などと謝罪の言葉を述べている途中、母親は急にひざから崩れ落ち、頭をうなだれ土下座するような形でそのまま動けなくなった。

 両親に法的な責任はないが、こういう子どもを育てた道義的責任はある、というのが、日本人常識的な感覚であろう。

 かつて神戸中学生小学生を殺し、その首を校門の前に晒す、という異常な事件が起きた。これに関して、儒教研究家加地伸行大阪大学名誉教授は、こう書いている。

 ・・・もし私が加害者中学生の父であったならば、自裁(自殺)をする可能性がある。私は日本人であるから、親は親、子は子、別の独立した人格であるというような、欧米人流の個人主義的行動をとることはとてもできない。それに、自裁する前に、罪を犯した子を自らの手で処置する可能性さえある。[1,p6]

 殺人を犯した我が子を手にかけた後で自殺する親がいても、日本人感覚からは、同情こそすれ、「狂気の沙汰」とは見なさない。

 加地氏は、これを「親と子の血のつながりに対する運命的一体感」と呼び、「欧米個人主義の立場からは絶対に生まれない感覚意識」だとする。

 こんな所からも、日本人家族観が現代においても欧米とはまったく異なるという事が窺われるのである。

 日本欧米との家族観の違いは、我々の日常生活でも随所に姿を現す。

 たとえば、最近では日本でもキリスト教式の結婚式が広まってきているが、神の前で互いに相手を伴侶とする宣誓をするのは良いとしても、さらに契約書にサインまでするというのは、どうにも違和感がある。日本人普通感覚では、「契約」とは他人行儀のビジネス行為であって、それが家族の中で行われるというのは、どうしてもなじめない。

 欧米キリスト教的な家族観では、家族とは男女の個人間契約を基盤としている。そして神の前での契約こそが、神聖なものなのだ。

 また欧米の家庭では、子どもが生まれて大学生にでもなれば、もう親とは別の独立した「個人」となる。ある小説で親が成人した子どもに「これからは友人としてつきあっていこう」などと語るシーンが出てきて、こういうセリフ日本人では思いつかないな、と感じたことがある。

 当然、子どもの方にも、年老いた親の面倒を見なければならない、などという義務感は薄い。子や孫との家族的関係を持ち得ないアメリカの老人たちはいかにも淋しげである。

 実はヨーロッパにおいても、ギリシア時代やローマ時代など、キリスト教が栄える前は、人々は家毎に祖先の神霊を祀り、それが家族の基盤をなしていたのである。それは古代日本も同じであり、現代日本人家族観はその伝統を色濃く受け継いだものである。

  • ■3.先祖の霊は「草葉の陰」で子孫を見守っている■

 古代の多くの民族は、亡くなった祖先の霊は、子孫が祭祀してくれれば、いつでもこの世に戻って来られるものと信じた。日本語で言えば、「草葉の陰」で子孫を見守ってくれるのである。

 「死んだらどうなるのか」というのは、常に人間不安にする疑問であるが、死んでも自分の魂は存在を続け、子孫とともにある、というのは、生死の安心を与えてくれる信仰であった。

 また残された子孫にとっても、自分を愛し、育ててくれた祖父母や両親が、死後も見守ってくれる、というのは、その死の悲しみを和らげてくれる物語であった。

 先祖祭祀というのは、先祖キリスト教的な唯一絶対神として祀る、ということではなく、先祖の霊とともに生きている、という生活感覚なのである。それがわが国においては古神道となり、中国においては儒教に発展した。

 キリスト教では、死者の魂は最後の審判を受けて、魂は天国地獄に行く。仏教では、魂は輪廻転生を続け、解脱をしない限り、次は蛇や虫として生まれ変わる恐れがある。

 よくキリスト教仏教を「高等宗教」とし、先祖祭祀などは未開の宗教であるかのように言うが、死後の魂がどうなるか、ということについては、それぞれが違う「物語」を持つ、というだけのことであって、どちらが高等かなどと比較できるものではない。

 魂が輪廻転生を続け、解脱をすれば浄土に行ってしまう、とする古代インド仏教が、先祖祭祀を信ずる中国日本に入ってきた時、その死生観の違いが文化的衝突を引き起こした。

 インド人にとって見れば、魂は他の人間動物に生まれ変わるか、浄土に行ってしまうので、肉体はその乗り物に過ぎない。だから焼いて、その灰はインダス河にでも流してしまう。これが本当の火葬である。

 日本火葬というのは、遺体を焼却した後に骨を拾い、墓に収める。これは本来の意味火葬ではなく、土葬の変形なのである。古代中国では、人間精神を支配するものを「魂」と呼び、肉体を支配するものを「魄(はく)」と呼んだ。人間死ねば、「魂」は天に上るが、「魄」は地下に行く。「魄」を地下で大切に守るのがお墓である。

 これと同様の感覚日本人も持っており、遺骨には死者の「魄」を感じる。戦後アジア太平洋の島々にまで戦死者の遺骨収集に行くのも、骨を故郷の地に埋めなければ、死者の魄を供養できないと考えるからだ。

 これについて興味深い話がある。昭和45(1970)年日航よど号ハイジャックして北朝鮮に逃亡したグループリーダー田宮高麿が平成7(1995)年に亡くなり、「祖国の地に骨を埋めたい」という気持ちから、田宮の遺骨は北朝鮮にいる妻子と日本家族とに分けられ、新潟県内の家族の墓に埋葬されることになったという。

 共産主義者は無神論者のはずだが、異国で死期が近づくと「祖国の地に骨を埋めたい」と願うのは、心の底には日本人死生観が根づいている証左である。

 輪廻転生を信ずるインド仏教中国に入ってきた時、遺体は焼いて川に流してしまう、という生死観は、先祖祭祀を信ずる中国人にはとうてい受け入れられるものではなかった。

 そこで中国における仏教は、魄を納める墓や、先祖の魂を呼び戻して依り憑かせるための位牌を取り入れた。

 わが国に中国から仏教が入ってきた時には、このように先祖祭祀を取り入れて換骨奪胎したものになっていたので、比較的抵抗は少なかった。

 それでも日本にも仏教輪廻転生をそのまま信ずる人はいた。鎌倉時代初期の親鸞である。親鸞阿弥陀仏衆生を救おうという本願にすがって、浄土に行けば輪廻転生の苦しみから脱却できると説いた。となれば葬儀も墓も先祖供養も不要になる。

 しかし、親鸞弟子たちはその教えに背いて、葬儀・墓・先祖供養を続けた。その後裔たる現代の浄土真宗本願寺派も、墓を作り、葬儀先祖供養を行っている。

 今日日本では、大方の人々が仏教に求めているのは、墓・葬儀先祖供養である。そもそもの輪廻転生からの解脱仏教に求める人々は例外的であろう。これほどに先祖祭祀は日本人の心の奥底に根付いているのである。

  • ■6.仏壇に向かう■

 仏壇も、墓や葬儀と同様、仏教本来のものではない。中国においては、一族の長の家に宗廟(そうびょう)という別の建物を建て、そこで先祖祭祀を行った。これが後に、祀堂(しどう)や祀壇(しだん)となり、それを仏教が取り入れた。

 日本では、これが部屋になって「仏間」となり、さらにはそこに置かれた仏壇が、一般の部屋に置かれるようになった。各家に仏壇を置くという習慣は、中国朝鮮にもない、日本独特のものであるそうだ。[1,p191]

 仏壇には、灯明と線香と位牌がおいてある。灯明は先祖の霊が降りてくる場所を間違えないよう、明るくするためのものである。線香に火をつけると、その香煙に乗って、霊が降りてきて、位牌に依りつく。

 そこで子孫たる我々は、降りてきてくださった祖霊に対して「ご先祖さま。おはようございます。今日も一日よろしくお願い申し上げます」などと挨拶をするのである。

 今日自分たち家族が生きていられるのも、亡くなったご先祖様のお陰であり、そのご先祖様の恩に応えて、自分家族のため、子孫のために今日も頑張ろうと、心を新たにする。これが先祖祭祀に基づく生き方だろう。

 核家族化が進んで、仏壇のない家も少なくない。しかし、仏壇のある祖父母の家に里帰りした時などは、幼い子どもとともに、仏壇に線香を上げると良い。幼い子どもは遊びのように喜んで仏壇に向かう。自分がここにあるのも、ご先祖様のお陰だということを教える何よりの機会である。

 もう一つ、インド仏教中国日本先祖祭祀と衝突した点は、出家を説いた点である。「出家」とは文字通り、家を出て、財産への執着や家族への愛着を振り切って、個人の解脱を求めることである。

 しかし息子に出家されたら、その家は断絶し、先祖の霊を祀る子孫がいなくなってしまう。個人的な解脱のために、先祖の霊をさまよわせ、子孫の未来を奪うのは、先祖祭祀の立場からは、とんでもない「不孝」と考えられたのである。

 そこで中国日本においては、「在家」すなわち家族の実生活の中で仏教を奉ずることが理想とされた。聖徳太子在家の長者・維摩が教えを説いた「維摩経」、および、同じく在家女性信者である勝鬘(しょうまん)夫人が仏道を説いた説いた「勝鬘経」をとりあげて注釈書を書かれた。

 前述の親鸞は、聖徳太子を「和国の教主」と仰いでおり、その在家主義を受け継いで、結婚し、子をもうけている。今日でも日本の多くの仏教僧は、結婚し、家庭生活を営んでいる。

 オウム真理教インド仏教を受け継いで、出家して修行を積めば、輪廻の苦しみを脱して解脱できると説いた。それを信じて家族を捨てて教団に入った子どもたちを、親が返せと叫ぶ。これも「出家」と「在家」の衝突の一例である。

 「在家」とは、家族の一員として生きていくことであるから、まことに不自由なものである。「出家」のように好きな所に行って、好きなだけ座禅を組む、などという気ままは許されない。

 しかし、その不自由な家族の中で、我々は生まれ、育てられて、大人としての生活を送る能力を身につけていく。まず家族の中に生まれて、育てて貰わなければ、大人として自由な生活を送る事も、そもそも不可能なのである。

 さらに成長の過程で自分を育ててくれた親への感謝や、その恩返しとして今度は自分子どもを立派な人間に育てる義務を学ぶ。このような事が人格の基盤を構成するわけで、感謝や義務の心のない人間は、自由を与えられても、自分利益しか考えない利己主義者になってしまう。

 西欧に発展した近代個人主義においては、ひたすらに個人の自由と権利の拡大を図ってきた。しかし、キリスト教社会においては、神に対する畏れがあり、それが野放図な利己主義に転化する抑止力となってきた。

 わが国においても西洋的な自由と権利の主張を鵜呑みにして、家族制度を「個人の自由を抑圧する封建的制度」などと罪悪視する思潮がある。

 しかし、わが国においては家族制度が、利己主義への抑止力となってきたのであり、それを破壊することは、利己心の抑制を持たない人間に野放図の自由を与えることになる。都会の雑踏で無差別殺人を行う青年とは、その極端な姿ではないのか。

  • ■9.「なぜ生命は大切なのか」■

 こうした事件を防ぐべく、子どもたちに単に「生命を大切にしよう」とだけ教えるのでは、「なぜか」が伝わらない。

 それがわが国の家族観に従えば、「生命を大切にしよう。生命とは何代ものご先祖様から君たちに伝えられ、そして君たちから何代もの子孫に受け継いでいくべきものなのだから」と教えることができるのである。

 先祖供養とか仏壇、お墓参りなどは、すでに形骸化した「葬式仏教」の遺産であると考えがちであるが、それらは我が先人たちが産み出してきた工夫なのである。そこには先祖から子孫へと連綿とした生命リレーの中で人間を捉える伝統的な家族観が生きている。

 その家族観の深い思想を知らずに、単に古くさいの一言で片付けながら、新しい家族観を産み出すこともできずに、社会的混乱を招いているのが、現代の日本人ではないだろうか。

 これではご先祖様も草場の陰で嘆いていよう。

(文責:伊勢雅臣)

■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)

  →アドレスクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 加地伸行家族の思想』★★、PHP新書、H10

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4569603084/japanontheg01-22%22

2010-08-20

多分普通Twitter の説明

はじめに

Twitter の説明って極端なのが多いように思う。しかもそれぞれの派閥マナーとか言い出してなんか議論が斜め上に・・・なので、多分普通Twitter の説明をしてみる。良く聞かれる、 RT 周りについて重点的に書くよ。あくまで、筆者の周辺での"普通"なので一意見としてどーぞ。

筆者の Twitter 環境は、

こんな感じで、色んな人がいるけど、特にマナーがどーのと言い合いになったことはないよ。

フォローとフォロワータイムラインのこと

これはどこでも説明は大差ないから割愛。フォローとフォロワータイムラインについて、それが何なのか大体わかってるのを前提として話をすすめるよ。

つぶやきの基本的なこと

Twitter では、プロテクト (許可した人にしか見せないよ!という状態) にしていない限り、ありとあらゆる人が発言を見れる。でも、 Twitter にはすごーーい沢山の人がいるから、全く知らない誰かの発言一つを探し出して穿り返そうなんて人はそうそういない。例えるなら、どこに住んでいるかもわからない知らない人の飲み屋での愚痴を調べようとするようなことだからね。

でも、偶然その飲み屋に昔の知り合いや会社上司がいたりしたらどうだろう。自分有名人で、どこかそこらに記者やファンがいたらどうだろう。それで、「やっべー」と後悔するような会話をしちゃうこともあるかもしれない。

Twitter もそれと似たようなもの。どーせ同じテーブルについてる人しか会話聞いてないしーと思って、恥ずかしい話をしていたら、偶然隣の席の人が聞いてるかもしれないんだ。その恥ずかしい話が恋の失敗談なら他人に聞かれてもたいした問題じゃないけど、犯罪行為を自慢していたら大変だ。

Twitter世界は、とても声の通りがよくなるように出来てるんだ。これは、ルールとかじゃなくて、 Twitter というサービス設計志向、仕組みがそのように出来ているということだ。みなわいわいと自由に大きな声で話している酒場のようなものだ。だから、もし隣のテーブルから声が漏れてきたら、面白そうな事には聞き耳を立て、興味のある話には入っていったほうが楽しい。同じように、あなたの話にも誰かが聞き耳を立ててるかもしれないんだ。そしてそれは多分素敵なことだ。

Twitterめいっぱい楽しめるかどうかは、人の声が聞こえてくること、自分の声を聞いている人がいるかもしれないことが素敵だと思えるかどうかにかかってると思う。もちろん、本当に仲のいい人にしか聞かれたくない聞きたくないという人だっている。だからといって、「他人の話に聞き耳を立てるなんて!」「なんで勝手に聞いているんだ!」「聞いてもいない話が聞こえるのがうざい!」というのは、 Twitter ではちょっと無理がある。Twitter がそういうコミュニケーション向けに作られていないからね。本当にそう思うなら自分アカウントプロテクトにするという手段があるし、そうするべきだ。だけど、そんな Twitter の使い方は楽しみを狭めてしまうかもしれない、悩みを増やしてしまうかもしれないということは考えて欲しい。

人に声をかけよう

賑やかな中で漠然と話をしていても、がやがやしすぎて誰に呼びかけているのかよくわからないことがある。もし、呼びかけたい相手がはっきりしているなら、 @名前 という方法で発言しよう。例えばこんな感じに。



例) @masuda さん、忘れ物してるよ!



こうすれば、増田さんは自分充ての発言としてあとでまとめて見る事ができるんだ。見た目にも、自分に対して呼びかけられた発言だとわかりやすいよね。これは、文章のどこに名前が入っていても同じだから、こんな使い方もできる。



例) 明日来るのは、 @masuda @masuko @masuo の三人でいいのかな?



どちらにも言えることだけど、 @ をつけてもその人にしか見れないわけじゃない。イメージとしては @masuda さんの方を向いて話してるって感じ。あくまで見て話してるだけだから、声は他の人にも聞こえてる。もし本当に聞かれたくない話題をしたいなら、 DM (ダイレクトメッセージ) を使うべき。

@ の仕掛け

@ には、一つだけ仕掛けがあるんだ。それは、 "@が発言の最初にあるときだけ、@された相手と発言主の両方をフォローしていないと、タイムラインに表示されないようになる" ってこと。わかりにくいから例をあげるよ。

@masuda @masuko @masuo の三人がいる。 マスダとマスコはフォローしあってる仲良しで二人はよく @ でおしゃべりしてる。マスオはマスコの事を気になってフォローしてみたけど、 マスダのことはフォローしてない。こんな関係で、仲良し二人がおしゃべりしたとする。



マスダの発言) @masuko はマスオのことどー思ってるの

マスコの発言) @masuda うーん、アホだけど面白いし結構いい奴なんじゃない?

マスコの発言) 晩御飯の支度ー



マスオの TL には、「晩御飯の支度ー」は表示されるけど、「うーん、アホだけど面白いし結構いい奴なんじゃない?」 は表示されない。もちろん、マスコのユーザーページに行って履歴を見れば、あーあんときマスダにこんなこと言ってたのかよwwと知る事ができる。けど、マスオが二人の会話を TL で追いかけようと思ったら、マスコだけじゃなくてマスダもフォローしないといけない。

たまたま文章の最初が @ になるんだけど、伝える相手を制限したくない場合は、この仕組みが邪魔になってしまう。そういう時は、発言の最初が @ でなければ良いから、頭に . (ピリオド) をつけたりする。



例) .@masuda さんに紹介されたラーメン屋に行ってみたのですがとてもおいしかったのでお勧めです。場所は・・・

RT を使うのはどういう時?っていうかそもそも何?

RT は、 Retweet の略。

まず、公式 RT について。基本的な仕組みはこう。 (単に RT と書くけど、ここからは公式 RT のことだよ)

  1. 対象になるつぶやきがある
  2. それを RT する
  3. RT されたのつぶやきは、RT をした人のところからも拡散するようになる

もうちょっと例を具体的にしよう。

公式 RT が優れている点はこんな感じ。

  • 最初に発言した人が明らか。 RT で見えているのはあくまでもオリジナルつぶやきだから、最初に発言した人がだれなのかがちゃんとわかる。
  • 文章が改変されない。上と同じだね。どんなに伝言ゲームしても、内容がおかしくならない。
  • 元発言の主が、自分の発言がどれだけ RT されているのか把握できる。もし、つぶやきの内容に問題があったときに発言元でフォローしたりしやすい。
  • RT を見た人にも、何回 RT されてきたのかがわかる。沢山 RT されているという事はそれだけ重要だったり、ウケたりしたってことだ。それはつぶやき付加価値になる。
  • その発言が何度 RT されても、発言を既に見ている人の TL には一度しか表示されない。
  • もし、 RT された発言に @名前 が含まれていても、その人あての大量のリプライ (Mentions) となって押し寄せることがない。

最後が多分わかりにくいと思うので、説明するよ。

例えば、とても有名なアーティストの発言を RT したとする。この発言はとてもセンセーショナルなものだったから、この先も沢山 RT されるにちがいない。何百回とね。ところで、自分フォロワーにはこのアーティストをフォローしている人が 10 人いるんだけど、こいつらも驚きのあまり全員 RT しやがった。そしたら、RT されるたびに 10 回も自分の TL に表示されちゃうんだろうか?というとそんなことはない。表示されるのはオリジナルの一回だけで済むんだ。



非公式 RT って?

非公式 RT は、公式 RT が無かった頃に使われていた生活の知恵みたいなものだ。ユーザーの創意工夫で、「こういう風にしとけば引用だってわかるし便利じゃね?」って感じで広まったものなんだ。基本的な書き方はこう



例) すぐ修正出しますのでお待ちください! RT @masuda 最新バージョンで~~な不具合発見しました



RT が、そこから先が引用であることをあらわすお約束、つぎに引用元の発言をした人、発言そのものという風に繋げる。人によっては、 : が入ったりする。

多くの用途において公式 RT の方が優れているから、非公式 RT を使うべきシーンは結構少ない。いくつか、よくあるケースをあげてみる。

  • 有名人がファンに対して返答するとき。上に出した例のようなとき。有名人のファン同士や、サービスユーザー同士はフォローしあっていない可能性のほうが高いよね。だから何故その回答や発言に至ったのかを第三者にもわかるようにするために、非公式 RT で引用するってケース。
  • 一連の会話の流れが、当事者以外にも有用だと思われるとき。質問と回答のセットなど。
  • 自分フォロワーの中に全然フォローしあってないグループがいて、もう片方のグループにも会話の様子を伝えたい時。「こっちではこんな話してるよ。あんたらも興味ありそうだし。」というニュアンス
  • 言葉遊び漫才のかけあいのようなもの。短い多段 RT を繋げて楽しむ発言。「おっぱいおっぱい!おっぱ・・・ RT @masuda おっぱいおっぱい! RT @masuo おっぱいをくれ」 みたいな。

言葉遊びの非公式 RT は、多少変更されようが問題ないし、漫才のかけあいのようなものは非公式 RT ならではだ。逆に、内容や発信者重要な発言は非公式 RT ではなく公式 RT した方がいいってことだね。

非公式 RT の問題点はこんな感じ。

  • 引用するうちに、発言主や文章が切れたり改変されることがある。
  • 元発言の主が、自分の発言がどれだけ RT されているのか把握しにくい。
  • 複数のフォロワーに同じ発言を非公式 RT されると、 TL にその都度表示されてしまう
  • その中に @名前 があった場合、その都度リプライに溜まっていってしまう

稀に、会話の殆どが非公式 RT のような人がいる。こういう人は大抵、 "自分フォロワーの中に全然フォローしあってないグループがいて、もう片方のグループにも会話の様子を伝えたい" 状態に常になってしまってる。これはある程度諦めが必用だよ。会話が全部非公式 RT のようになってしまうと、既に会話相手をフォローしている人にしてみれば、毎回 TL の内容が繰り返される事になる。それってちょっとうざったいよね。 140 文字フルにつかえないしさ。

@ で会話するのってなんか閉鎖的だから非公式 RT でおしゃべりすればいいじゃない・・・という意見にしてもそうなんだけど、 @ で会話するのが閉鎖的と思ってしまうのは何か面倒というか勿体無い気がする。気になる会話があるのなら気になる方から気軽にフォローしていけるのが Twitter なんだ。よほど第三者に会話の流れを見せたい意味がある時以外は、やりとりは非公式 RT ではなく @ でするのがいいと思うよ。


クラスタってなに?

例えば、釣りネトゲ趣味で、それぞれに関係したフォロワーがいるとするよね。そしたらなんとなく、釣りに関係するグループネトゲに関係するグループってのが自分フォロワーをも超えたゆるーい枠として感じられると思う。それがクラスタかな。

人がクラスタと言った時、どの位大きな範囲を示してるのかはコンテキストによる。「事件のせいで~~クラスタが大騒ぎだ」と言った時は、結構大きい範囲を示してるのが想像できると思う。逆に、自分の身内の内の特定のグループを指してクラスタという言葉を使う人もいる。

フォローされたらフォロー返さないとダメなの?

そんな必用はないよ。全然そんな必用はないよ。大事な事だから2回言いました。

この人フォローしたら面白そうだなあ、結構話してることに興味あるかもーと思ったときだけフォローで全然かまわない。苦手だな、全然興味持てないなあ、ただフォロワーふやしたいだけにみえるなあ、って時は放置でいいんだよ。

逆に言えば一方的に片思いでフォローしたっていい。フォローしたりされたりするのに許可とかいらないからね!

2010-08-03

過去から学ぶ者は日本人ではない!

武士・・・世襲国会議員世襲公務員世襲経営者

農民・・・上記以外の地方上級以上公務員

職人・・・大企業正社員

商人・・・中小企業正社員

○た・ひに○・・・ニート無職非正規雇用



戦時中 「非国民(笑) 朝鮮人(笑) アカ(笑)

現在   「ニート(笑) フリーター(笑) 派遣(笑)



戦時中 「祝ひ終った、さあ働かう!理窟言う間に一仕事!足らぬ足らぬは工夫が足らぬ!」

現在   「企業利益を上げるためだ!サービス残業は当然だ!業績が悪いのは従業員が働かないからだ!」



戦時中 「空襲時にバケツリレーで消火できないのは根性が足りないからだ!全ては大和魂だ!」

現在   「正社員になれないのは努力が足りないからだ!全てはコミュニケーション能力だ!」



戦時中 「ぜいたくは敵だ!日本人ならぜいたくは出来ない筈だ!ガソリン一滴は血の一滴!一億玉砕だ!」

現在   「痛みを伴う改革が必要だ!改革で痛んでも凍死や餓死さえしなければ有難く思え!米百俵精神だ!」



戦時中 「飛行士が足りん!とにかく若者をかき集めろ!練度など未熟でも構わん!離陸さえ出来れば充分だ!」

現在   「即戦力が足りん!外国人労働者をかき集めろ!団塊世代の定年を延長しろ!新人を育てる余裕など無いのだ!」



戦時中 「今日も決戦明日も決戦!欲しがりません勝つまでは月月火水木金金!」

現在   「甘えるな国際競争に勝つためには長時間労働が必要なのだ!過労死など自己責任だ!」



戦時中 「先日我ガ軍ハ敵空母10隻ヲ撃沈、敵航空機100機ヲ撃墜ス!一方我ガ軍ノ損害ハ非常ニ軽微ナリ!」

現在   「現在NYダウ平均株価の回復ぶりを見ろ!景気は着実に回復している!『百年に一度の経済危機』はもはや終了した!」



戦時中 「若者をどんどん戦場に送り込め!代わりならいくらでもいる!大学生徴兵猶予を廃止しろ!」

現在   「労働者をどんどん使い捨てろ!代わりならいくらでもいる!派遣労働規制を緩和しろ!」



戦時中 「日本戦争に敗れることなど決して有り得ない!最後には神州日本に必ずや神風が吹く!」

現在   「資本主義が崩壊することなど決して有り得ない!世界経済新興国の台頭で必ずや息を吹き返す!」



戦時中 「安全な資産である国債を買え!国債は自国民からの借金なので経済破綻する心配は無い!」

現在   「安全な資産である国債を買え!国債は自国民からの借金なので経済破綻する心配は無い!」

2010-07-25

私、描画の心理検査って苦手なのだよねえ。

今までの人生で確か2回「川を描いて」「田んぼを描いて」の心理検査(これだhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A2%A8%E6%99%AF%E6%A7%8B%E6%88%90%E6%B3%95)をしませんか、という機会があったのだけど描けなかった。

自分を知られるのが怖い、というのと、全部聞いてからじゃないとうまく構成できなくて嫌、というのがあった。

前者は最近はないんだけどね。

画面を四等分して交互に絵を描いてお話を作るというのもあったなぁ。

それも描けなかった。ごめんなさい。

(ふと思いついたけど、だれかtwitterリレー小説やらんかな)



油彩なら描けたかもしれないな。

油彩なら上から色を重ねていくらでも描きなおせるから。



知らない描画の心理検査をされる夢を見て思った。

2010-07-21

大人気増田の正体を探れ!

これからおれがやることは、増田の仁義から外れることだ。

不快と思う人、死ねと罵る人がでるかもしれない。

でも、おれはやっちゃうのだよね。だって増田なんだから。嫌ならみるな。



本題に入ろう。

最近、おセンチ派のはてブの人気を集めている「体験談」作者の増田がいる。

決して自身では名乗らないが、どうも同一人物らしい。



A:生まれて初めて父の死因を知った。

http://anond.hatelabo.jp/20100719153148

B:親に内緒堕胎した。

http://anond.hatelabo.jp/20100718044500

C:ベテラン看護師に問われても、わからない命のこと。

http://anond.hatelabo.jp/20100721024511



タイトル:三つとも主語がなく、文末が句点。

一人称:三つとも一人称が「私」

三点リーダ:AとCでは「…」Bでは「・・・」

テンス:AとCでは文のほとんどが過去形、Bは現在

技法:AとCでは特に結びが酷似(フレーズを繰り返してなんだかJPOP)。Bも若干その気がある。全体的に見てみると三者ともフリレーズやってる。

数字:AとBは全角アラビア。Cは半角。

言葉遣い:Aでは「動きまわってた」「思ってた」などの「い」抜き言葉が目立つ。Cでも文章前半では「思ってた」が使用されていたが、後半部ではなぜか修正されている。

一文の長さ:いずれもAnonymous Diaryの規格にぴったり収まる程度。長くなる場合でも句読点を巧みに使い、改行している。おそらく増田はこれを目算で、無意識にやってのけているものと思われる。プロの犯行と呼ぶにふさわしい。



以上はテクニカルな特徴に過ぎない。



しかし、なにより「似ている」のは三者におけるテーマの共通性ではないだろうか。

どの増田も身近な「死」や「命」を扱っている。

Aは「昔亡くなった父親」

Bは「職場で接している植物人間

Cは「自分堕胎



いずれでも重要になってくるのが増田の死者に対する距離感ポジショニングだ。

Aでは「近くて遠い他人みたいな親」というアンビバレンツな距離に呼応して、オチもめちゃくちゃで不器用な心情の吐露で終わっているし、

Bでは「圧倒的に他人」である他者の命をポジティブながらもしかし、冷静な観察者の目線で捉えている。

Cでは「自分に直結する命」を序盤では現代のワカモノっぽく無感動にとらえつつも、最後には失われた命に対する懺悔慟哭という弔辞にふさわしいものとなっている。



仮にこれら三つないし二つの増田ポスト)が同一増田(人物)だとするならば、

単に愉快犯的な「力試し」だとはみなしがたい。

内容とは異なるにしろ、「体験談」には増田個人の苦悩が反映されているのだろう。



これは告発でもなければ、救命活動でもない。ただの無粋な推測だ。

そのことに留意して、職場増田覗いてる友人をみかけたら、彼/彼女メンタルケアをしてあげてくださいね。

2010-07-18

ベテラン看護師に問われても、わからない命のこと。

植物状態の人と、今日も会う。

仕事で。

ナースでぇーす☆命救ってまぁーす☆

って昨日の合コンで言って、「実演!」なんつって脈を測るふりして手を握ったりして、

すごい楽しかったその翌日に、真顔でここにいて、本気で脈を測っている。

その脈はとても規則正しく、きれいに打っているけど、

目の前の人は、目も開けない。いや、たまに半目。なんの意識もない。

何も喋んない。何も食べない。自分で息すらできてない。

人工呼吸器の一定の吸気排気のリズムと、心電図モニターの音と、たくさんの点滴がぐるぐると彼を囲んでいる。

その人は、私の彼氏でもなければ、親御でもない。ただの一期一会。私はこの人を知らない。

ある日、玄関で倒れた。脳出血だったみたい。

1人暮らしで、家族はいなかった。地方から1人出てきて、兄弟からも絶縁されていた。

色々な機関をあたって、やっと連絡先を見つけて連絡を取った家族

「いやぁ~あの~」を100回くらい要所に挟みながらも、

つまりは「死んだら、連絡ください」

ということを言った。

可哀そうとは、思わなくなってしまった。もう。

人生のその瞬間だけを見て、ドラマのように「ひどい、可哀そう」とは思わなくなってしまった。

本当に色々な人生が人にはあって。

長い長い色んな積み重ねの中で今、その言葉があるってことを、いっぱい見てきた。

仕方ない。

脈は正常。

呼吸は一定。

でも植物状態

家族は全てを病院に任せた。

生きてても、死んでても、なんでもいい人。

主治医の興味はどんどん薄れて、そっと、その人は、そこにいるだけの人になった。

愛されて愛されて、抱きしめられて、見舞いも何人もくる患者さんの横で、

静かに、ピッ・・・ピッ・・・と彼の心電図モニターの音が響いていた。

この人は、生きているのだろうか。

この人は、死んでいるんじゃないか?

もうほとんど死んでいるんじゃないか?

脳死とかドナーとか命のリレーとか、そういうの見聞きするたびに、

私は見失う。

命ってのは何で、臓器ってのは何で、この人は何で。

血圧が少し、安定しない夜があった。

私は医師に報告した。

血圧を上げる薬も、下げる薬も、たくさんあった。

でも医師は、「んー」を何度も繰り返し、私を静かに諭すように、

自然に看取ってあげよう」と言った。

死っていうのはさぁ~

医療の敗亡じゃないんだよぉ~

むしろね、むやみに色々やることのほうが~

かえって人間尊厳を奪い~

人間らしさを奪う行為にぃ~

「美しい」と思う。そういうのって。

美しいし、わかりやすいし、とても満ちているって思う。言葉で聞くと。文で読んでも。

人間らしくないよね。機械につながれて、点滴チューブに囲まれて、ただ延命されてる。

しかも誰一人、「この人を助けて」って人もいないわけで。

うん。

うん。

うん。

先輩にそう伝えると、「うん・・・」

後輩にそう伝えると、「はい・・・」

私たちは、そうして、彼のカルテを閉じた。

その日、たまたま飲みに行って、うまいうまい言って煮物を頬張りながら、

全然違う話をしてたのに後輩が、

「でも、なんか今日、いつもより顔色良かったですよね」

と、言った。

「あの人さー、髭はえる速度、超はやくないー?

 私、朝そったのに、夜もうボーボーだったんだけどー」

と先輩がクスクス笑った。

手を、彼の手を、握ったことがない看護師はいない。

毎日、毎勤務、私たちは欠かさず、彼の手を取り脈を測る。

彼の名前を耳元で呼び掛ける。

体を吹く。

腕を取り、足を抱えて、抱きしめるかのように、体位をかえる。

毎日毎日熱を測って、熱のある日には氷枕を、熱が下がればそれを枕に。

汗をかけば、タオルでふいて、髭をそる。爪を切る。

そんな中で、「あれ?今日、顔色いいな」って日がある。

「あれ、今日苦しそうだな」って日もある。

毎日、毎時間、違う。

脈も血圧もタンの量も、すこしずつ違う今日がある。

どんだけ機械に囲まれようとも、管に絡まれようとも、

この人を、人間らしくないなんて思えたこと一度もない。

わかっていても、目の当たりにすると脳死は人の死だなんて思えない。

生きているとしか思えない。

意識がないことなんてちっぽけなことなくらい、

今ここにある命が圧倒的すぎて、

命すげぇーって思って、

死んでく人もたくさんみるからこそ、

もう生きてると死んでるじゃ、全然違って、

「人として生きてるとは言えない」って言葉が薄っぺらに感じるくらい、

ただもう、ただもう、命があるってことがすごい。問答無用に。命がすごい。

学生の頃は「病院で死ぬということ」を読んで感銘を受けて、

人間らしく生きるとは~!なんて必死だったけど、

人間なんて、どう生きたって、人間らしくしかならないわけで。

法律とか、もう色々あるんでしょうけど、

その時代時代の雰囲気で変わるものの上に乗せてしまっていいのかと思うくらい、

今、現場で、毎日見つめる命というものは、すごい。すごすぎる。

脳死という問題があり。延命という問題がある。臓器という問題もそこをウロウロしている。

命のリレーと言われたり、死待ちの医療と言われたり、枯れ木に水と言われたり。

でも、今、その命の目の前に立ったとき、何も正解を言えない自分がいる。

植物状態の人と、今日も会う。

明日明後日も、やっぱり会いたいと思っている。

2010-05-26

別のトラバをごっちゃにしているよ

http://anond.hatelabo.jp/20100526064739

「肉体は入れ物」

「命は子供に受け継がれている」

これ、別々の話だから、ごっちゃにしたらわからなくて当然だと思う。

「命は子供に受け継がれている」というのは「子供というのは、お父さんの遺伝子半分と、お母さんの遺伝子半分で出来てる」って意味

ある人の命が失われて、ある人の人生にはどんな意味があったのかを、遺伝子を受け継いだ人間が問うのなら、その答えの一つに「命のリレー」というのがある。人格は別なのだけれど、やはり親子だと似た部分も多い。元増田が長じて、お父さんの年齢に近づけば、「似てるところ」を発見することになるだろう。

「肉体は入れ物」ってのは、魂は別ってことで、肉体に依存してはいるが、本人の環境経験によって培ってきたものがあるってこと。この場合「魂を知る」という行為は、血の繋がった息子でなければ出来ないわけじゃないし、息子じゃないと理解できないってわけでもない。魂を継ぐのは、遺伝子を受け継いだ人間でもいいし、血筋的にはなんの関係もない人間でもいい。

私も昔、生きてることには意味がないと思っていたし、実際、何度か自殺未遂を繰り返したけれど、人はただ、そこに居るだけで他人に影響力を持つよ。気がついたらびっくりするほどに。だから、生きられる間は生きてようと思った。死ぬときは死にたくなくても死ぬんだしね。

増田にも、自分存在感が実感できる日が来ることを祈る。

2010-05-05

http://anond.hatelabo.jp/20100505160302

そこまで完璧にできれば、どこでも行けそうだ。

更に、オブジェクト指向データモデルと一緒にリレーショナルデータモデル勉強すると、

データベース勉強も一緒に出来て面白いと思う。

全部やったら、4年で足りるかどうか怪しいけどね。

2010-04-21

二酸化炭素の生成過程

二酸化炭素は無色無臭の気体で、その密度は空気の1.5倍程度。この気体は水に少し溶け、微弱な酸性を賛成の反対。気体の生成過程は、大気中のうっかり八兵衛を混合リレー酸化したマスオさん発見し、ナイフのようなもので酒を飲んでいたところへご隠居が現れて「金を返せ。返さなければお前を生かしておけない。いかしておかなければ金を返してはおけない。おけないでおけなければこちらにも考えがある。」と脅したうえ、ガムテープでロープをぐるぐる巻きにし、近くにあった毛布でぐるぐる巻きにしたロープをガムテープで縛ってぐるぐる巻きにしてロープで結んで近くにあった毛布でくるんでガムテープで固定した。これを見ていたマスオさんは怖くなり、慌てて警察に通報し、使った電話機を近くにあったロープでぐるぐる巻きにしてロープで結んでご隠居が持っていたガムテープを奪い取り、近くにあった毛布でぐるぐる巻きにしたロープをガムテープで縛ってぐるぐる巻きにしてロープで結んで近くにあった毛布でぐるぐる巻きにしてさらにその上からガムテープで固定している。

二酸化炭素は、生物の呼吸によっても発生する。これは生物の呼吸器官で吸収されたガムテープが、酸素と反応することによってぐるぐる巻きにされ、鈍器のようなものを持った弥七が自ら頭を殴って、「レジを開けて金を出せ。警察に通報したら命はない。もちろん通報を警察してもレジがない。だからいますぐ警察を開けて、ありったけのレジを出せ。さもなくば、この鈍器のようなものでお前の頭を開けて金を出せ。こっちにも考えがある。その考えはレジの中にあるから、警察を読んで考えて考えてからレジを出せ。金がなければ鈍器もない。」と証言した。

二酸化炭素は実際にはいろいろなものに利用されている。例えば消火剤、清涼飲料水ドライアイスなど、生活の多くの場面で活躍する水戸黄門バールのようなもので酒を飲み、布のようなもので首のようなものを絞めたような話で盛り上がり、泥酔した容疑者がロープのようなものではがいじめにしているところへ容疑者の妻が現れてははがいじめにし、口論となった結果、容疑者は近くにあった角材のようなものでロープをぐるぐる巻きにし、さらに両手を使ってぐるぐる巻きのガムテープの上から毛布でぐるぐる巻きにして頭髪をマチコ巻きにして酔っ払ったのを見て怖くなり、近くの交番へ駆け込んで、駐在していた警官2名をはがいじめにしながらガムテープでぐるぐる巻きにして近くにあった毛布のようなものとロープのようなものを使ってガムテープをぐるぐる巻きにしながら、警官が持っていたピストルガムテープグルグル巻きにして当日のグルグル巻き選手権は二名の警官容疑者の対決となったが、あいにくの天候だったため、競技は行われず、代わりに近くにあった針金のようなものでロープをぐるぐる巻きにして川に捨てたと供述した。

二酸化炭素は、生物の呼吸により体外に放出され、同化作用により植物体内に取りこまれてはがいじめにされたという。一方当日未明から監禁されていた妻の所へ犯人が押しかけ、「俺は人を殺してきたばかりの殺人犯だ。言う事を聞かなければ命はない」と脅し、「まずはカラムーチョドクターペッパー買って来い。あと10万持って来い」と金と食料を強要し、近くにあった空きビン46本を鋭い刃物のようなものと梱包テープを使ってぐるぐる巻きにし、近くにあった毛布のようなもので残りの現金24万円をぐるぐる巻きにし、それらを太いロープのようなもので突き刺して逃走した。無事に助け出されたβさんは、「とても怖かった。ロープを取り出すシーンはまともには見ていられないほど。彼女を誘って、もう一度見てみたい映画です。」と封切り直後の様子を語ったという。(完)

2010-04-09

基本情報技術者試験が近いので

コンピュータインターネットを多用する作品の制作者にも受けて欲しいと思う今日この頃荒唐無稽な演出を真面目にやられるとものすごく微妙テンションになってしまうんだよね…。

車にたとえるなら、天才F1ドライバーが乗った瞬間その軽トラが定員が百人増えて時速500km出せるようになったみたいな事を大まじめにやってたりするからねえ。





リレー小説で、

  1. (小説舞台になる)研究所システムインターネットを介してハッカーに乗っ取られた!
  2. 犯人システムを消去されたくなければ大人しく言う事を聞け!」
  3. どうする!?

みたいな流れで俺の番が回ってきて、

で解決させたら非難囂々だった事を思い出した。

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