はてなキーワード: 利己とは
年間に自殺する人が3万人いて、20代、30代の死因の1位が自殺っていうのを聞いて
由々しきことだなあと思った。
事件でも、戦争でも、病気でも、飢餓でもなく、「自殺が死因の1位」って、かなり恵まれた国なのに。
由々しきこと、と来たもんだ。
保険などの医療制度がきちんとしてるから、若年にも関わらず病死することが少ない。
(国民性もあるが)治安もしっかりしているから、事件で殺されるわけでもない。
これを悲観する人は、どんなパラダイスに住みたいんだ?
ちなみに、他人に迷惑の掛からない死、なんてありえないから、利己的な死は勘弁してくれってのはある。
海か山でヒッソリと死に、死体が自然に帰るまで発見されず、戸籍や保健、賃貸などの社会的な制度上でも顧みられることなく死んだら、迷惑はかからんかもしれんが・・・・
それはもう、生きながら死んでるのと変わらんしな。
・われわれは生存機械--遺伝子という名の利己的な分子を保存するべく盲目的にプログラムされたロボット機械なのだ。この真実に私は今なおただ驚き続けている。私は何年も前からこのことを知っていたが、到底それに完全に慣れてしまえそうにない。私の願いのひとつは、ほかの人たちを何とかして驚かせてみる事である。
・「乗り物」(普通は個体)とのその中にいてそれを運転する「自己複製子」(実際は遺伝子)の間の区別について、わたしが明確な考えを持ち始めたのは、ようやく1978年になってからだという事情がある。
・自然淘汰の単位として競合する遺伝子と個体の間の見かけ上の論争(故エルンスト・マイアを最後まで悩ませた論争)は解消されている。自然淘汰の単位には2種類があり、その二つの間に論争はない。
遺伝子は自己複製子という意味での単位であり、個体はビークルという意味での単位である。両方とも重要なのである。
・「利己的な遺伝子」のもうひとつのいい代案は「協力的な遺伝子」だったかもしれない。それは矛盾してまったく正反対のように聞こえるが、本書の中心的な部分は、利己主義的な遺伝子の間におけるある種の協力を主張しているのである。
このことは遺伝子のあるグループが自分たちの仲間を犠牲にして、あるいはほかのグループ犠牲にして栄えるということを意味するわけでは断じてない。
そうではなく、各遺伝子は、遺伝子プール-ひとつの種内で有性生殖のシャッフルの候補となる遺伝子のセット-に含まれるほかの遺伝子が作る背景のもとで、自己の利益を追求しているとみなされる。こうしたほかの遺伝子は、天候、捕食者や獲物、生命を支える植物や土壌細菌が環境の一部であるのと同じ意味で、それぞれの遺伝子が生き残る環境の一部なのである。
・ローレンツの攻撃、アードリーの社会契約、アイブルアイズフェルトの愛と憎しみ、もこのような問題を論じているといえようが、これらの本の難点は、その著者たちが全面的にかつ完全に間違っていることである。彼らは進化の働き方を誤解したために、間違ってしまったのだ。彼らは進化において重要なのは個体ないし遺伝子の利益ではなくて、種ないし集団の利益だという誤った仮定をおこなっている。
・ダーウィニズム理論の現代的説明の驚くべき結果のひとつは、生存の見込みに対するささいな作用が進化に多大な力を及ぼしうることである。これはこうした作用が影響を及ぼすのに使える時間がたっぷりあるからである。
・おそらく群淘汰説が非常に受けたのは、ひとつにはそれが、われわれの大部分が持ってる倫理的思想や政治的思想と調和しているからであろう。
・進化を眺める最良の方法は最も低いレベルに起こる淘汰の点から見ることだ、というわたしの信念について述べなければならない。
・複数の誤りが進化に必要不可欠だという説と、自然淘汰が忠実な複製に有利に働くという説は果たして両立するものだろうか?われわれは自分が進化の産物であるがために、進化を漠然と「よいもの」であると考えがちだが、実際に進化したいと「望み」ものはないというのが、その答えである。進化とは、自己複製子(そして今日では遺伝子)がその防止にあらゆる努力を傾けているにもかかわらず、いやおうなしに起こってしまう類のものなのである。
・化学的手段を講じるか、あるいは身の回りにたんぱく質の物理的な壁をもうけるかして、身を守る術を編み出した。こうして最初の生きた細胞が出現したのではなかろうか。自己複製子は存在を始めただけでなく、自らの容れ物、つまり存在し続けるための場所をも作り始めたのである。
・海中を気ままに漂う彼らを探しても無駄である。彼らは当の昔にあの騎士のような自由を放棄してしまった。今や彼らは、外界から遮断された巨大なぶざまなロボットの中に巨大な集団となって群がり、曲がりくねった間接的な道を通じて外界と連絡を取りリモートコントロールによって外界を操っている。彼らはあなたの中にもわたしの中にもいる。彼らはわれわれを体と心を生み出した。
・遺伝子が決定論として批判されるような強い意味でのその創造論を制御したりしないことは、誰にも理解できることだ。われわれは避妊手段を用いるたびに何の努力もなしに(そう、かなり簡単に)、それらを否認しているのである。
クリエイターが思い上がってるのではないか、という増田の意見には同意。
俺が異業種から出版業界に転職した時に猛烈に感じたのがその種の「思い上がり」。
「俺たちは雑貨を作ってるんじゃないぞ。文化を創造してるんだ。 舐めるなよ」
20代、30代はそこまでバカじゃないけど、やっぱりその手の根拠のないプライドがやたらと高い。
ただ、エントリの後半で、増田が今話題の自炊代行業者への提訴まで、思い上がりのなせる業だと判断したのには同意できない。
昨今の書物の電子化を求めるネット利用者からの声は、確かに大きい。
音楽のダウンロードが安易に出来るようになった結果、人々が音楽にお金を払うことをバカバカしく感じるようになった。
音楽業界にお金が落ちなくなり、業界人が食えなくなり、業界に余裕がなくなり、面白い新人が育たなくなり、大手の寡占化が進み。業界自体が衰退して、愛好家以外が音楽を聞かなくなった。
必ずしも安くて便利にすればいいというものではないのだ。
という理由で電子化が進み、出版業界にお金が回らなくなれば、良質な活字文化は崩壊する。
それは文化の繁栄に、結局は繋がらない。
なくて困る類のものではない。
市場の短期的なスパンと文化育成のために必要なスパンはあまりに周期が異なるからだ。
デ・ビアスという会社が世界のダイヤモンド市場を牛耳り、価格統制を敷いている。
しかしそのために、価格の値崩れが起こらず、業界全体は繁栄を謳歌している。
出版物を電子化から守ろうとするのは、業界にカネを還流させるために必要な行為であって、出版業界関係者の思い上がりとは分けて考える必要がある。
ただ作家達も、書籍の電子化自体に反対すればいいのに、そこに反対すると、頭が古いとか利己的だとか思われるのを嫌ってか、自炊代行行為にのみ反対し、その根拠を「書籍への愛」などという感情論に持っていくから、下心を隠しているようで、人々の支持を得られていない。
残念でならない。
先着10名様だけ50%OFFとか書いてある店があったとして50%OFFで買えないと損だから先着10名になるために並ばずに普通に来店する客はありえないと思う?
うん、これはそうだね。 女性が利便性を求めて共用車両を使うってのは分かるのよ。
全体で考えて、もっと女性専用車両の利用をしてくれれば「女性だけが優遇されてる」なんて話にはならない訳で。
一方でさ、「もう、そんな事を女性に期待するのやめようよ」という考え方もできて、
その場合、男性専用車両がないとフェアではないと思うんだよね。
妻子持ちに口説かれた。
私はブスだし愛嬌もないしそんなことは滅多になかったけど、それでもまあ若いというだけで引っかかる人も稀にはいた程度。
それで三十越えてから言い寄られることもなくなってちょっと安心して、やっと男の人と深い話ができると思ったらこれだ。
どちらも男性で、一人か二人しか話す人がいないテーマというのもあるんだけどなあ。
私も無防備だったけど、年に一人いるかいないかのこういう物好きを警戒するために(しかもこれからどんどん減っていく一方だろうし)
最初から私を口説こうなんて思っていない人と楽しく話すのもやめなければいけないんだろうか。
これがモテる人だったら収支が合うのかもしれないけど、私みたいなのには、得るものに対して失うものが多すぎやしないか。
別に二人で食事に行ったわけでも密室にいたわけでもないし、期待させるようなことを言ったわけでもない。
三十路の女がセーターとジーンズにほぼノーメークで仕事の話をしてるんだぜ。
何か期待するだろうなんて思うのもおこがましい。
男は性欲が、とか言うけど、四十代後半なんだからその位は自分でどうにかならないものなんだろうか。
ああ、ブスの大年増が久しぶりに口説かれて舞い上がってるだけだな、これ。
実際は、他に本命の女の子がいたけどダメだったからこっちに声をかけてみたというのは明らかなんだ。
もしそれを見てなくて、相手が結婚してなかったら、多分断ってない。嫌いな人じゃないから。
だから、わーい女として見られたよとか、でもどうせ二番手なんでしょ馬鹿にするなとか、うわ、こんなコンプレックスまだ引きずってたんだとか、
そういう関係になっちゃえば仕事も楽なんじゃないかとか、いやいやそんなの後で面倒なだけだよ分かってるでしょとか、
せっかく真面目な話ができる人ができたと思ったのに選りに選ってとか、
こっちは身の程をわきまえてせめていい人でいようと思ってるんだから軽い気持ちでそういうこと言わないでくれとか、
それで、次に会ったときは相手は忘れてるか、忘れたふりをして、私はまた自分の馬鹿さ加減を知るんだろうな。
ああもう面倒くさい。
そんなことどうでもよくなるくらいのことがあったので書く。
完全自己満な、
彼女にフラれた。
彼女は、俺の何も知らなかった。
いきなりメールが来たのだ。
別れようと。
そんなメールでなんて無粋な別れ方するような、
頭の悪いヤツじゃない。
そして俺のことを愛してくれていた。
別れることになるだろうとは、夢にも思わなかった。
予約したディナーはどうする。
そういうことを考えてしまっていた。
今まで、それが悩みだった。
どうやって別れるかが。
意図せず舞い込んできてくれたのだ、チャンスが。
付き合って1年たつが、仕事のことを含め実はあるプランを立てていた。
プライベートの時間を割くということは、そのプランに邪魔だったし、
俺は四股をしていた。
身勝手なことだが正直四人も相手してられなかった。
そして、別れた彼女ではないその中の一人が、俺は本命と考えていたのだ。
他にも色々な事情があり、縁を切りたくなった。
だから悩んでいたのだ。
「本当に愛しているよ」と言った俺の言葉を、
傷つけたくなかった。
フラれたのは
そう思っていた矢先だった。
俺がフラれるということは、
俺にとって最高の構図だった。
殺したいと思った相手へ自分が手を下さずとも、相手が自殺してしまうような。
別れた理由は俺が特段わるいことしたわけでもなく、
心のすれ違いのようなものだ。俺からすれば取るに足らないことだったが。
とにかく、決定的に俺に過失があるわけでなく、
俺は被害者となりえた。
泣いたふりまでした。
俺の性格の悪さを。
俺の本当の考えを。
俺が演じ切っていたことを。
俺がうまく取り繕っていたことを。
俺が本当はそこまで愛してなかったことを。
彼女は俺のことを何もしらなかった。
彼女は本当に頭が良かった。
頭脳明晰だし、様々な方面の知識へも明るく、
それだけじゃない、
ステークホルダーとの付き合い方、やりとり、かわし方。
どれをとっても、同じ年の女性でここまでやりきれる人は見ない。
そこに惚れたんだが。
だから、洞察力も半端ではない。
付き合っていけないと察し、別れるに至ったわけだ。
俺は今までいろんな女性をだましてきただろう。
本当に愛しているわけでもない女性でないのに、虜にしてきた。
でも今回は初めて見破られたのだ
「愛している」というクセに、二人がずっといるための最善の行動をとっていないことを。
正直驚いた。
そこまで気付いてくれたかと。
何の手を下すまでもなかった。
弁解もした、真実味を出すために。
但し、深追いはしなかった。
真実には気付かないでいてくれたのだ。
今、何に興奮しているかって、
ここまでうまく物事が運ぶと思っていなかったからだ。
付き合うとか別れるとか、
今回も思ってもいないことが発端で、俺の理想的状況に達した。
彼女は手玉に取られたことにも、気付いていない。
完璧にこなした。
そして恐らく、彼女が最も傷つくのは
それをうまく隠し通せて、
どうにか、知られずにすんで。
本当に良かったと思っている。
全てがうまくいった。
え、何それ逆切れ?w
だったらキチガイとか言って投げ出さんと最後まで論証の面倒みなよ。一瞬自己紹介かと思ったわw
あとそのネタは知らん。
そういう人も善悪の彼岸まで突き抜けてしまえば(その可能性があるのかないのかわからん)、突き抜けてない限りは正義感の話にとどまれる。突き抜けなければ、突き抜けていない。ほとんど何も言ってないに等しいくらい、当たり前の話だな。
突き抜けてない限り正義感の話にとどまれる、というのがどういう意味かわからん。
釈迦はそもそも正義から出発したのでもなければ正義を目指したわけじゃないし行きついたところも別に正義じゃないのに、それが正義の範疇の話になるのはなぜですか、って聞いてんだよ。
大体彼は確かに良かれと思って説いてただろうけど、同時に「これでは衆生は救えないかもなー、誰にもわかんないかもなー」とも言ってたはずだろ。
勝手にガイキチの話に置き換えて片付けなさんな。
憎悪が「形式を得る」とまずは義憤とかそっちに進化すんじゃないの。
形式と言うのはそれにはめることで無関係の人間とも共有できるようにするフォーマットのことだろう?
正義っていうのは我が身から距離のある物事にマジになるってことで、憎悪は我が身を燃すものだから、
形式だけじゃ利己との距離の取り方が甘いと思うな。
そして正義が美しいのは、「我が身から距離のある物事に」マジになるからだ。
マジになる姿の美しさならある種の憎悪にかなわない。いやこれは個人の好みもあるけど。
「あの時は億万長者は最高に重かった」とか
なんとなく早合点して金銭的価値で測ってるよ。
アルカが願いをかなえるときに見てるのは
実はその願いの利己心や強欲だよ。
「億万長者にしてー」は我欲だったから、対価のおねだりはすごく重くなったよ。
「パソコンちょうだいー」もただの我欲だから、対価のおねだりはすごく重いよ。
願いの動機が愛だったからだよ。
あの願いはひたすら弟を思う兄の愛の塊だったから、
かなえるときに重い対価は発生しなかったよ。
「失敗すると最愛の人がミンチになる」がこの能力の真の特徴へのヒントだよ。
最悪なヒントだよ。
臓器くれレベルのおねだりをされて引き受けるよ。
願いをかなえるモードになったアルカに、
「ゴンを助けてやってくれ!」と頼むよ。
対価ほとんどなしで叶うよ。
更にもう一度おねだりモードになったアルカに
おんぶのような容易なおねだりされて、
思い出などを語りながら3回おんぶを引き受けるよ。
また願いをかなえるモードになったアルカに
「もうこんな能力は消して外で生きてくれ」と願うよ。
カタ〇状態になったキルアは姿を消し、
劇中で数年飛ぶよ。
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20110812/1313128129
「~のため」と利他のふりをした願いを口にしても、それで自分が快を得られるのならば、それは利他ではなく利己です。
その構造については、利他を願っているようでありながら利己的であった「善女のパン」がとても分かりやすいです。
余計な事を願って、無自覚なまま人を不幸に陥れた「善女のパン」
「善女のパン」は、独身で店を切り盛りする中年女性のパン屋に、貧しい身なりの画学生らしい人が黒パンを買いにくるところから物語が始まります。
みすぼらしい身なりのその男が黒パンを買い続ける姿を見て、パン屋の独身女店主はその男が苦しい生活をしのぐために、日々黒パンで糊口をしのいでいると勝手に思いこみました。
そして黒パンを買い続ける彼の為に、女店主はこっそりと黒パンの中にバターを仕込みました。
そのバターを仕込む行為のさなか、女店主はみすぼらしい男が女店主に感謝を示し、男と仲良くなる未来を夢想しました。
その夢想は、そのみすぼらしい男が血相を変えて店に怒鳴り込んでくるまで続きました。
言葉にならない怒りをたたきつけられた女店主は、怒り続ける男に付き添ってきたもう一人の男にやんわりと事情を話されました。
「あの男は同じ製図会社で働く同僚で、彼は今度の製図コンテストに申し込んでいたんだ。その彼が製図の消しゴムに黒パンを使っていたんだ。あとはわかるね?」
その後、女店主は黒パンを買いに来続けた男に向けて行っていた化粧をやめ、もとの生活に戻っていきました。
読んでみると、
それに応じた警官側も臨戦態勢に入って長くなる、
っていうのばっかりだよね。
(で、決まって「こんなに拘束された!」とか言ってるの。)
なんであんな無意味なことして誇らしげなんだろう。
警官は不審者や犯罪者を見つけるために緊張しながら見回る仕事なわけで
むしろそれを見過ごしてたら職務怠慢だからそっちこそ苦情を言いたいし
それを見過ごすような警官が増えたら治安も検挙率も悪化するよ。
悪い警官ていうのは確かにいるみたいだ。
「こっちが協力的なのに無茶なことをしてくる警官」とか
身の危険を感じて被害届けや相談をしにいった人にきちんと対応してくれずに
結果としてその人が殺されてしまった、みたいなひどい事件とかさ。
そういう本当に悪い警官を懲らしめたとか改善させたって言うんじゃなくて
良くも悪くもただ真面目にパトロールしてる警官に自分から当たり屋にいく、
もしくはガンシューティングで故意に紛らわしい飛び出方してくる市民みたいなことをする、
そういうただの妨害行為をしておいて、そこから因縁つけるようなのばっかりじゃん。
あんなの誰の役に立ってるの。
「怪しいけどうるさそうな奴だからきちんと調べずに開放する」なんて警官が増えたら、そっちのほうが利己的で悪質な警官だってわからないのかな。
無意味に警官の妨害をして、警官の士気や効率を下げて、遠くは町の治安や空気を悪くして、みんなに迷惑かけてるだけ。
なのになんか誇らしげに報告してるのが全く理解できない。
警官って言うのは横暴になったり腐敗したりすると本当に恐ろしい組織だというのはわかる。
でもネット武勇伝の人達って、そういう本当に恐ろしい警官に立ち向かったり、その脅威に晒された人を守ったりするんじゃなく、
道でただのおまわりさんに当たり屋してるだけ。
馬鹿じゃないの。