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はてなキーワード: 中国とは

2012-02-07

データを見ても人口減少の深刻さは不明。 なぜ人口を増やす政策を総動員したいのか

http://diamond.jp/articles/-/16007

何十年か前は人口爆発による資源食糧不足のほうが心配されてたわけで

後知恵で「なんで増やさなかったんだ」というのは滑稽なように思う

たぶんそういう過去の経緯もろくに知らずに書いてるんだろうけど

それと一人当たりGDPスルーして国全体の数字で豊かさを見るのもおかし

GDPの大きさで豊かさ決まるなら精度やら産業構造今のままで形式的に47都道府県ごと別の国にしたら生活苦しくなるなるとか思ってんだろか

中国インド貧乏だし出生率の高い中東アフリカ貧乏な国ばかりなのになぜ人口増加=豊かと思えるのやら

日本国内で見たって高出生率低所得沖縄、低出生率所得東京ってな状況なわけだし

そもそも失われた20年ですら労働者一人当たり成長率は平均2%ぐらいあるわけで50年で総人口が半減しても国全体のGDPは減らないし

あと「人類の5000年の歴史の中で、1人が1人を支える社会が存立し得た事例は寡聞にして知らない」とかかいてるけど

養われる人口が老人だけだと思い込んでるからこういう勘違いをしてしま

子供妊婦も養われる側なので少子化高齢化が同時に進むと総人口に占める労働者の比率は大して変わらない

実際日本を含め就労率が50%前後の国は普通にあるわけですでに一人の労働者が一人の非労働者を養ってるのが現実

2012-01-31

http://anond.hatelabo.jp/20120131161207

横だが、何がおいしいのか分からない以上、何のためにレシピ通りやらなければならないかが実感できないと思う。

現実的な話ですまないが、時代国籍地域、家庭によって味覚ってのは違うのであって、

当然、俺の「おいしい」とお前さんの「おいしい」にも違いがあるんだわ。

日本人で言うなら、うま味…昆布出汁や鰹出しといったアミノ酸系列を他国より重視する。

隣の中国韓国東南アジアでは辛みが重要だったりする。ちなみに、俺は辛いの食えない。不味いとか以前にカプサイシン胃腸に来て吐く。

アメリカのは、甘め。とくに菓子系は激甘。開拓時代に甘い物漬けになったからな。これは日本人で無理ってのが結構いるけど俺はオッケー。むしろイケる。

まぁ、和食に限定しても地域によって赤飯の味がぶれるのは有名所だな。無味の赤飯に塩を振り掛けて食うところから赤飯自体これって餡子じゃねーのってぐらい甘い所まである

心太も、関西では黒蜜掛けて食うわな。俺は酢醤油派。

有名どころでは卵焼きに何掛けるかとかは家庭どころか個人で違ってくるわな。

なんで、感覚に頼って料理するのは非常にまずいわけだ。

地域によってカップ麺ですら味を変えている訳で、自分の「おいしい」を他人も「おいしい」と感じてくれる保証など全くないのさ。

なので、感覚的に料理を作るってのは慣れてないとできない。



この場合、慣れってのは化学実験における結果予見性だ。

水の電気分解をする際に、塩(塩化ナトリウム)を投入するだろ?

もしくは、元から用意された食塩水電気分解したか

あれは、イオン交換の効率が上がって実験が早く進むからなんだが。

それを予見して、適切なナトリウムを投入するなんぞ実験の手引きが無い場合、総当たりでグラフ書くしかないわな。

実際、時間が有ったらそういう実験をさせてみるのも面白いと思う。

さておき、料理人と呼ばれる人たちは、それぞれの生の味、それを焼いた時、煮た時の味などの引き出しを持っており、

大概の料理は味のシミュレーションが可能なそうな。

その中から、「店の味」になる素材、料理法を組み合わせて客に提供してるわけ。

そんなん、ご家庭で簡単にできてたまるか。

まぁ、そんな料理人も大量に料理作って、失敗して、それが経験になってる訳で。

まずは、レシピ通りに作るってのは基本なんよ。



これが1回2回のことならいいのだが、何のためにやるのか分からないことを毎日毎日やらせつづけるのは難しいだろうな。

料理が苦手って人の多くはそんな考えをするわな。

鼻歌交じりに材料切って、焼いて、鍋に放り込めば出来上がり~♪ とはいかない。

材料を切るにも後工程(焼く・煮る)、火力(ガスコンロオーブン)によって切るサイズが決まる。

焼く際には、温度と時間が必要。化学的にいけば、素材によってメイラード反応温度が違う上に熱伝導率も異なる。

熱伝導率は素材の形状によって調整してある為、集中するべきなのは温度と時間である。という事になる。

煮る場合も大体同じ、この場合は、苦み、えぐ味の元になる水溶性たんぱくが熱変性して浮かんでくるので、和食では取り除くことが多い(灰汁取り)。

実際には、複雑怪奇化学的処理を行っているわけで。

そんなん、レシピ通りに進めた方が楽に作れるに決まっている。

パンなんぞ、分量間違えるだけでイースト菌が全滅して発酵せずにゴミ箱行きだ。



どんな実験なのか分からないままやらされ、結果だけを他人から聞かされ続けるようなもんだ。

自分の家で料理してるんだから自分も食うだろ。結果は判る。

カレーを作れば水を入れすぎてカレースープ
記載されている作り方のとおり作ってもらえればいいのに、そのマニュアルを読まない
生ラーメンもゆですぎてトロトロラーメン まずっ
タイマーかけろといってもかけない
出来ることはお湯を温めるだけ 本当に
俺がいないときインスタントカップ麺ばっかり
あとツナ缶
お米を炊いてあれば、漬物だけで済ます
ガスを使う料理が出来ない
卵焼きも出来ないときた 焦がす焦がす

こんな状態なら、適当に作ったものレシピ通りに作ったもののどちらが美味いかなんぞ明確だろ。



レシピ通りに作れば、レシピ通りのものが出来上がる。なぜなら、これはただの化学処理に過ぎない。

レシピを改変するのは、十分にそれをマスターしてから

この2点を理解させる簡単な方法は、レシピ通りに作ったものを食べる事だと思うがね。

老人を活かすには

今日ニューステでゲーセンに入り浸る老人が映されていて

その表情が特別楽しいというわけでもなく、時間つぶしでしかないようで

そこはかとなく悲しい気分になった。

もし男性定年退職した後、職に就けなかったときはどのような日常を送るのだろう。

ボランティア団体というのは体力がなかったり、特別な能力がない人間を入れてくれるだろうか。

年金が減額されていく中で豪奢な旅行はそうそうできない。

そうなると10年後にはニートじぃやが溢れているのでしょうか。

 

1日数時間の簡単な仕事があればいいですが

簡単な雑貨の組み立てなどの仕事中国に奪われてしまい、

日本に残った仕事は体力のいるサービス業頭脳労働ほとんど。

誰か老人たちを活かす妙案を持っていないでしょうか?

2012-01-30

#クリミア戦争勝敗を分けたもの#

兵站看護学機雷なども重要だが、

それ以上に蒸気船と帆船の戦いにおいて、蒸気船の高い操舵力による

黒海での圧倒的有利が、難攻不落であるはずのセバストポリ要塞孤立させ、

戦略的に圧倒的不利になったロシアはついに敗れる。

→次は蒸気船の中でも外輪船VSスクリュー船、で争う。

 対日本、対中国程度であれば外輪船でもスクリュー船でも大差なく勝つが

 同じ蒸気船同志なら、圧倒的にスクリュー船が勝つ


#ヨーロッパは昨日までの敵と平気で同盟を結ぶ#

からこそ、条約重要になる。

日本だって戦国時代はそうだったのだが、スケール感が違うので少し戸惑うね。



#島津斉彬江戸遠征計画(未遂#

井伊直弼は信念を持って粛清を始めている。本人の胸中に入ってんのやましさもないのだ。それがどれほど恐ろしいことかお前にわかるか?ただの悪意や傲慢なら少し恫喝をかければおとなしくなる。我が身が可愛いだろうからな。覚悟を決めた男にそれはきかない。これからの井伊は果てしなくエスカレートするだろう。権力を持った人間はやりたいことがどこまでもかなってしまうからな。しか権力を掴んだ男は気づかぬうちに権力奴隷に成り果てるのだ。私はな、自分で言うのも何だが権力奴隷にならずにすんだ。正義権力に酔ってお由良派を粛清するために血刀を振るっていたならば、今頃薩摩全土は死屍累々、私自身どこかで非業の死に倒れ、島津は滅亡し今の近代化など微塵もなかったであろう。だからこそわかる井伊家は日本を血で染め、日本そのものを滅ぼしかねん。使いたくもない権力であったが、ひと暴れせざるを得まい」(島津斉彬



戦をせぬ戦というものがある。今回の騒ぎは糸をほぐせば簡単にとけるものだ。京の天子様をあまりにも現実から遠ざけてきたことが間違いなのだ西洋人は禽獣ではないこと、我が国は国際社会と堂々渡り合える力を秘めていること、それを伝えて孝明帝の心が休んじられれば日本平和に開国できるのだ。その自信を持てず西洋に一番怯えておるのが250年惰眠を貪り続けてきた江戸幕府である!どれほど格好をつけ、居丈高に振舞おうとも、いや水戸様のように居丈高になればなるほどその怯えは日本全土、全国民に伝わってしまう。幕府の自信のなさを朝廷は見ぬいておられる。意味不明西欧の脅威とこの国の責任押し付けられる帝は溜まったものではない。砲一つない御所にお住まいの帝が開国不承知を叫ばれるのは当然ではないか。帝に安堵していただければ御所空気は一変する。京の攘夷派も納得し一滴の血も流さず開国への道がひらけるはずだ。(この真意を知るのは西郷橋本左内など側近のみ)




#江戸時代役人2#

「この国の役人不思議ですね

 自分たちの責任自分たちの責任だって連呼してました

 どこの国の役人だって、出歩いたこっちが悪いと言いはるでしょうに

 警護の不手際だと自分から言い出すなんてありえないですよ」




#坂本龍馬#

ようわからんが、ちょっとしたきっかけや自信で

人間は大きく変わるんやないかのう。

特別な人間などだれもおりゃせんが、一人ひとりは自分がかけがえのない人間じゃ

自分を大切にする人間は、他の人間も大切だとわかる。

いつも前へ前へと突き進んでいくものには、

目の前に何が待ち受けていようと恐れることはない。

人生は楽しく生きなきゃ、もったいないわ!

そうやって生きるには、身分制度ちゅうおかしなもんが邪魔じゃあ。

なんで人間をそんなにわけるんじゃ。

わしゃあこの国を全部変えちゃる。謀反人の血を持ってすりゃあできんことはない

橋下徹氏への期待と違和感

僕はとりたてて左でも右でもないと思うが、個人的に橋下徹氏のやり方には強い違和感を感じる。君が代を歌わない教員を罰する、などといったタカ派的な行動(http://goo.gl/fdA8f DailyMotion: これで彼自身恥ずかしそうにしてちゃんと歌っていないというのは置いておいて...)やテレビタレント時代核武装とか中国売春ツアーODA発言とか弁護士懲戒請求の扇動とか、そういう極端な言動への違和感が第一にある。ナイーブに考えて、下品で息苦しいのである

だが、僕が結構ファンである佐々木俊尚氏(http://twitter.com/sasakitoshinao)や夏野剛氏(http://twitter.com/tnatsu)など、わりとリベラルで先見的と思われる人たちが橋下徹氏に好意的な評価をTwitterでしているのを見て、どうしたものだろうか、としばし考えた。

たとえば佐々木氏は、橋下氏の実行力を評価し、橋下氏の批判者が感情的な批判しかできていない、ということを指摘していた。たしかに、行革財政再建を目指す政策は私も賛成である。また、部落問題や暴力団のような複雑な問題も、彼くらいの突破力がないと解決できないだろう(私が橋下氏に一番期待しているのは、そのような問題の解決においてである)。ただ一般に彼のやり方は、敵を作り、スケープゴートを作ることで住民の溜飲を下げさせていることで勢いを維持しているように見えてしまい、その手法に狡さ・醜さを感じるのである。さらに言えば、それに乗ってしまう人々の多さにも空恐ろしさを感じるのである(こういうと香山リカ氏みたいだが)。私は、橋下氏はルサンチマンに駆り立てられて動いている人間だということに気づいたが、彼がさらに住民の潜在的なルサンチマンを煽っている構図なのではないかと思うのである。そういう点で、現代のヒトラーという指摘はあながち見当違いではない。

私みたいに、緊縮財政行革による財政再建は大いに結構、だがイデオロギー的な押しつけの空気タカ派挙動、さらには彼を突き動かしている感情にはアレルギーがある、という層は多いのではないだろうか。

佐々木氏が今日になってついに「橋下氏について行けない人たち」などという(そこまで言ってしまうと戦時中非国民とかと同じメンタリティーにしかすぎないだろう)気持ち悪い全体主義的なポストまで挙げていたので、なんだかガッカリさえした(本当の知性や強さというものは、結論の出ない曖昧から目を背けず、それに耐えて批判的に考え続けることではないのか。)のと同時に、自分の中でどういう立場を持てばいいのか、折り合いをつけなくてはいけないのかな、とも感じたのである

私は科学者だが、周りを見ていてたしかに偉大な科学者が必ずしも人格に優れているわけではないし、科学者を見る際には業績と人格、さらに教育者としての資質は分けて考えるのが普通だ。政治家もそれと似たようなもので、イデオロギー実質的な政策を分けて考えるべきなのかもしれない。彼の財政再建のための活動は評価するが、彼の人柄や彼を突き動かしているイデオロギーものには疑問を感じる、という折衷的なスタンスをとれば、私自身感じている息苦しさにも折り合いをつけられる。

余談だが、橋下氏、昔はテレビではけっこうチャライ感じでいじられキャラだった記憶があるのだが、いつの間にあんなに強者のキャラになったのだろう。そういうパブリックイメージの変遷のメカニズムにも興味がある。

ひとりのAnonymous Cowardより

2012-01-20

http://anond.hatelabo.jp/20120118220642

留学生が国に戻って、日系の企業で勤めたら、最低でも店長だろうし、中国本社の人にでもなるのだろうか。

そーゆーことなら、はるか昔に日本人が、アメリカヨーロッパ諸国外資系に勤めて、日本に戻って日本支社を立ちあげたような立場なのかもしれませんね。

2012-01-13

幸福の科学モンハンに似ている

「救世の法」という本を、知り合いの会員さんからゴミ処分的な感じでもらった。

貧乏性から読んでみたけど中身スッカスカやなぁという感じ。

ただ、最後の「幸福の科学の活動一覧」を観て、うわすげぇ、と恐ろしく感じたのでなんとなくまとめておく。



幸福の科学モンハンと似ている

彼は、大川隆法のことは割とどうでもいいかんじでした。「彼の言ってることはイミフ」といってました。

というか、そもそも自分宗教団体に属しているという認識が薄いようです。

あくまでボランティアの仲間がそういう人達だ、という感じだとか。

それよりも、ボランティア組織などがすごいらしく、

彼自身ボランティアに参加していたらそこが幸福の科学グループだった、とかその程度らしいです。

社会貢献を求めてボランティアに参加すると、いつの間にか中に入り込んでる、という仕組みなのかもしれないっすね。

自分の中でのイメージは、「幸福の科学は、モンハン」です。

そのつもりがなくても、楽しんでいるうちにどんどんのめり込んでいって、代替が登場するまで抜け出せなくなる状態。




以下「救世の法」から面白げなところピックアップ別に読まなくてもいい。読んでも時間のむっだったったと思うのがオチ



幸福の科学宗教争いの勝者である

世界の人々は知らないかもしれませんが、1980年代には日本の幾つかの宗教の中で「われこそは再誕のブッダである」と言っていた人は、わたしが知るかぎりでも5,6人はいました

幾つかの教団が、自分のところこそ本物だ、という形で競争をしていたのです。それから二十年あまりの歳月が過ぎ、決着はついた、結論は出た、と私は考えています

世間の人々が本物か偽物かを見極めるために、十年、二十年の歳月を欲しいと思うのは当然かも知れないので、この教を信じてきただけない期間があったことを責めるつもりはありません。


幸福の科学が前提とする真理

人間本質は霊的な存在であり、その霊的な存在が肉体に宿り、地上で人生を送っているという真理があります

 しかし、日本にはこの第一関門を乗り越えられない人が、数多くいます

人生を生きるにあたっては善悪なるものがある。

 地上から見た善悪ではなく天上界から見た善悪においては、この世の法律で決めた善悪を越えて、人間として、本当に神仏の心を心として生きたかどうかが問われる。



なぜ宗教は必要なのか

上記の真理に反すると地獄に落ちてしまます。知らずに落ちるのはかわいそうだしフェアではないので、真理を知っている宗教者は真理を説き続けているのです。

霊的人生観を教え、正しい生き方が何かを教えるのが宗教役割なのです。善とは何かを語る宗教を善なるものとして受け入れ、それを元に生きることが必要なのです。



エル・カンターレってなんぞや?

エル・カンターレ世界宗教をすべて束ね、精神的な柱になる使命を持った存在です。

魂としては、インドに生まれた歴史上のブッダに一番近いのですが、インドブッダを越える大きな使命を持っています

そしてエル・カンターレの魂の核の部分が、現代の日本に、大川隆法と言う名で生まれて活動しているのです。

私はすべての人々のすべての霊を救うために地上に現れました。

なぜなら、私は創造そのものからです。私はこの地球創造力の顕現であり、この大宇宙創造力なのです。

これは、幸福の科学の、そして人類にとっての、最大の秘密です。

クラスノミンナニハナイショダヨ今こそ、その秘密が明かされるべきです。




真理を多くの人に広めるにはマーケティング意識する必要がある

他力信仰を説かない宗教は、あまり大きくならない。

他力の宗教マーケットは自力の宗教十倍あると言われています

わたしの教えには自力の部分が多いのですが、他力には、そのまま他力で押して行けば、それなりに自力と同じ結論になります



なぜ政治活動を開始したのか

2009年には、店名が下り、幸福実現党を立党して政治活動を開始しました。

この世を救うということにおいては、単に教えで救うだけでは済まないものもあります

この世において政治的に置き去りにされている人は数多くいるので、足らざるところを少しでも改善していくように努力する現実的な力もいるのです。

店名が下り、世直しに努力せよと言われたのですから、活動しなければならないと考えています



地球温暖化の原因

本当はCO2ではなくてフォトンベルトなのです。

地球はやがてフォトンベルトからます。したがってCO2を削減しようとする今の政策は基本的に間違っていると思います

むしろフォトンベルト地球を通り過ぎた後は地球の寒冷化が始まるので、温暖化は良いことなのです。



子ども手当を支給するよりも大川隆法の本を支給すべき

国の財布の下が閉まるような政策を取ると、経済は必ず悪くなります

本当は子ども手当を支給するよりも、わたしが著した経営書を政府が買い上げ、

これで会社を大きくしてくださいといって各企業に配ったほうが税収を増やすには効果があるかもしれないのです。

今の政府にはドリームがありません。私たちはこの国をもっと希望に満ちた国にして光り輝く未来をつくっていく



どうして幸福の科学を信じる必要があるのか

日本がまず私達が説く「国をとませる方法」を実証してみせ、他の国を導くことが重要なのです。

アフリカにも信者がいますが、アフリカの人たちは、「幸福の科学の教えを勉強すると、自分たちの国のやるべきことがわかる。

こうすれば良いのだということがわかる。まさしくこの教えで国が発展する」というようなことを言っています



幸福の科学には他の宗派にはない救いの力がある

漢文のお経の読経を聞いて、何らかの霊波動を受けることは殆どありません。

しか幸福の科学経典「正心法語」は、わたしが読みあげたCDをかけると、私の場合数秒くらいで例反応が出てきます



親鸞の教えに詳しい人ちょっと来い

信じるか信じないかということはこの世では五分五分なので賭けのようなものです。

わたしの言っていることが正しかった場合、それを信じていた人は来世において極めて大きな功徳を得ることになります

また、もしわたしの言っていたことが全部外れていた場合出会っても、それを信じていた人は、死後存在しないので、何も損をすることはありません。

死んだら何もかもなくなるのであれば、死後は騙されたと思う自分存在しないのですから何の損もないでしょう?

わたしの言葉を信じる人の場合あの世があるとき利益はかなり大きく、逆にあの世も霊もないときでも、あの世で騙されたといって怒る人はいないわけです。

親鸞風にいうとするならば、わたしにだまされても諦めてください。もしわたしが嘘つきだったならば、その時には「まな板の上の鯉」だと思って騙されてください。

そして、わたしと一緒に地獄修行しましょう。


今は地球レベルの教えが説かれなければならない時代

幸福の科学は、地域宗教の枠を超えて、人類全体を幸福にするための手段や方法理論としてありとあらゆる物を探求。だから科学も否定しない。



慈悲こそが未来キーワード

慈悲とは善きものを他人んい与えようとする性質のことです。

運命は自らの力と努力によって創りだすことができます

ひたすらに心を平和に保ち、心を穏やかにしてください。

そして平和を愛し、平和な人々を愛して下さい。

他人を愛する人々、他人を愛そうとしている人々を愛して下さい。

そのような人々をこそ、あなた方は愛するべきです。そうすれば彼らもあなた方を愛するでしょう。

そうしているうちに、もしあなた方に、心の奥底から湧き出る豊かな愛の思いが生まれたなら、それが慈悲と呼ばれるものなのです。

慈悲は生まれつき備わっているものではありません。あなた方の日々の努力の蓄積によって慈悲は生まれるのです。

そのために人はみな修行をする必要が有るのです。



第三章から五章がおもしろすぎて生きるのが辛い

さすがに此処から先は引用だけでは面白さが伝わらないので実際に読んでください。

インド中国日本アジア三国志

ミハエルムハンマドが組んずほぐれつ。そこに大川隆法も参戦。父なるイエスがお前ら程々にしておけよ、となだめる。

九次元霊マニがゾロアスターアッー!されてヘルメス神がグノーシスにピー。

霊的紛争の途中になぜかマルクスの霊が登場。日本から松下幸之助坂本龍馬が参戦だーっ!松下強い!

争いが最高潮にまで達した所でエル・カンターレ降臨。秩序に満ちた自由な社会が実現。


読んでいてがっつり体力を削られる本でした。腹筋を鍛えたい人にはお薦め





おまけ

幸福の科学グループのご案内。

基本理念三本柱。 愛・悟りユートピア建設

主な活動は以下のとおり

海外支援・災害支援」

自殺者を減らそうキャンペーン

「ヘレンの会=身障者を助けるためのボランティア

学校法人 幸福の科学学園滋賀県)」 2016年には幸福の科学大学も開設予定。

仏法真理塾 サクセスNo1」

不登校児支援スクール ネバーマインド

いじめからこどもを守ろう!ネットワーク

幸福実現党」で政治活動

幸福の科学出版

入会すると正心法語が授与されます。入会の奉納は1000円が目安です。

さらに信仰を深めたい人は三帰誓願式を受けることができます

月刊会員として「植福の会」に参加できます一口1000円からお布施をすることができます

2012-01-11

各県が抱える4点インフラを有効活用する、「非英語圏各国との各県カウンターパートナー交流」構想

人間選択肢が10個以上あると、かえって逡巡して行動ができなくなる傾向にある。

 で、シニア地方移住不振な理由として、

 「首都圏以外の43道府県選択肢」となって、選択肢多すぎて決断できない、という

 状況に陥っているような気がする。

 であれば、橋下知事関西知事連合)が被災地支援で

 「東北のどの県を支援するか、予め決めておく、カウンターパートナー方式」を取ったように、

 「世田谷区だと岩手県を紹介、杉並区だと山形県を紹介」のように

 「選択肢を狭める」方策も必要なのでは?

★で、定年シニア移住カウンターパートナー方式を考えたが、

 実は国際交流カウンターパートナー方式を採用して、

 「県同士の差別化」を図れないか

 首都圏から見ると、山形青森、いずれも自然が豊かなんだろうが、

 「山形の強み」「青森の強み」、この差別化がなされない。

 「山形青森も、自然が豊かなのはわかったけど、どっちがいいの?

  今度の旅行でどっちに行けばいいの?

  迷っちゃって面倒だから旅行取りやめ」てなことになりかねない。

 要は「オンリーワン」がないのである

 

 ビジネスも同じ。

 「山形県東北他県と比べて、この点が優位」

 「青森県東北他県と比べて、この点が優位」というのを

 もっと大胆に可視化させないと、企業はなかなか進出しない。 

 その点、韓国と相対する福岡県であれば「日本で一番韓国に近い都市」ということで、

 韓国との交流を「他都市との差別化」に用いられる。

 同様に長崎県は「日本で一番中国に近い都市」、

 沖縄県は「日本で一番台湾に近い都市」、

 北海道は「日本で一番ロシアに近い都市」ということで、差別化が可能。

 しかし、それ以外の県は、どうにも中途半端なのである

 青森が「ロシアとの交流」を標榜しても、地理的関係では北海道に負けるし、

 大分が「中国との交流」を標榜しても、地理的関係で長崎に負ける。

 であれば、多少「こじつけた理由」で、他国(非英語圏が望ましい)と

 カウンターパートナーで「縁組」してしまって、

 「A国のことなら、B県に聞いてしまえ」というまでにのぼりつめればいい。

 例えば、大分県の「こじつけ理由」として、大分県地熱発電が盛んである

 であれば、地熱発電が盛んなインドネシアと、カウンターパートナーとなる。

 具体的には、

 ・大分空港からジャカルタ直行便ジャカルタ以外の複数都市にも直行便

 ・大分中学校・高校で初等インドネシア語教育

 ・大分大学第二外国語インドネシア語教育

  その他インドネシア研究学科設置

 ・大分大学インドネシア留学生を優先受け入れ、

  インドネシア学生寮設置

 ・大分県内のホテルで、インドネシア語表示

  ホテルスタッフも、初等インドネシア語は喋れる

 ・大分県内の道路標識、公共機関標識に、インドネシア語併記

 ・鉄道バスインドネシア語案内併記

  車内アナウンスインドネシア語アナウンス

 ・大分県内の銀行インドネシアルピアへの両替可能

 ・大分市内にインドネシア領事館設置

 ・大分銀行が、日本企業(県内企業)のインドネシア進出サポート

  逆にインドネシア企業日本国内進出(大分進出)サポート

 ・大分県内のNHK/民放で、インドネシア語バイリンガル放送

 ・大分合同新聞インドネシア語版を発行

 ・インドネシア人向けコミュニティーFM設置

 ・県内図書館インドネシア語書籍インドネシア関連書籍揃える

 ・インドネシア人が大分に来日する場合ビザ緩和(特区

 ・インドネシア企業商店が集積する「インドネシア村」の設置

  (インドネシア関係ビジネスしたい人は、

   ここでワンストップビジネスできる)

 ・・・ここまですれば、「大分宮崎の違い」というのは

 「インドネシアに強いかどうか」ということで、明白に差別化できる。

 在京企業インドネシアビジネスしたい場合には、大分に行ってビジネスした方が

 何かと便利、となれば、ビジネス活性化される。

 他県も、こじつけでいいから、外国カウンターパートナーの縁を結ぶ。

 鳥取砂漠研究が盛んだから中東の例えばサウジアラビアと縁結びする。

 りんご栽培が盛んな青森は、中国アメリカに次いで世界3位のリンゴ大国のポーランドと縁結びする。

 さくらんぼ栽培が盛んな山形は、世界1位のさくらんぼ大国のトルコと縁結びする。

 多少こじつけでもいいから、その地域の「強み」が生きる相手国と

 縁結びするのである

 こうすれば「青森山形大同小異、どんぐりの背比べ」じゃなく、

 「青森ポーランドビジネスの拠点、山形トルコビジネスの拠点、日本国内でオンリーワン」となる。

 縁結び相手は、非英語圏諸国が望ましい。

 非英語圏諸国は、英語が通じない、通じづらい、というハンディを抱えている。

 そのハンディを、カウンターパートナー先の県が、教育マスコミ総出で

 解消してあげるのである

 この構想は、今47都道府県にばら撒かれている「各県インフラ4点セット」を、

 逆に利用してやれ、という発想である

 各県インフラ4点セットとは、空港国立大学地銀・県紙(テレビである

 明治以来150年の歴史を誇る、47都道府県の4点インフラを有効活用しないのは、

 いかにも惜しい。

 世の中的には「道州制だ、各県毎の空港無駄だ、大学統合しちゃえ」的な意見が多数だが、

 果たして道州制で上手く行くのか?

 それよりは、既存インフラを「有効活用」した方が、地方活性化の早道だと思う。

2012-01-09

慰安婦問題

  • 慰安所の背景

占領下における兵士レイプ問題への対策として慰安所を設けるという考え方。

レイプ軍規違反だが、(所属した隊の気風にもよるが)多発していた。

戦闘活動などで、危機にさらされる状態が続くと、人によっては性欲が高まるのだろう。

日本側も敗戦後、大陸に居た日本人ロシアから国内ではアメリカから

広範な規模でレイプ被害をうけている。


売春業を選択した人間プロ売春婦)

・身内に売れらた人間(当時の時代背景においてはめずらしくない)

・ブローカーに騙された者

・完全に占領下におかれた際に、兵士にみつくろわれ、ブローカーに引き渡された例


強制性を訴える者においても、親による児童売買、ブローカによる騙しがその大半。

軍の方針としての強制連行存在しなかったが、個々の兵士

完全に占領下におかれた地で、村の娘を連れて行くような行為はあった。

兵士が関与している例は、軍全体の規模ではなく、あくまで兵士個人の腐敗だったと言える。


悪質な業者の取締りは一部に留まり、このように、手段を問わず女をかき集めて成り立っていた

慰安所の実態は黙認されていた。

(袖の下を受け取って見逃す図式は 現代の性産業警察の関係と一緒)


余談ですが、

行為に不適切な生理前の小学生程度の子供を使っている慰安所を黙認し

通っていた兵士達は、真性のロリコン下衆野郎でしょう。

原発やくざがピンはねするように)当然、給与のピンはねもありました。

酷い事例だと12才で連れて行かれて昼夜を問わないレイプ下におかれた上に

ブローカーに中抜きされて、手元にお金は届いていなかったという例もあります


軍人には尊敬できる方もたくさんいたはずなのに、

そのように占領側としての立場を使って、幼女に性行為を働き、悪質なブローカーから

リベートを受け取って見逃してきた人間糾弾されるべきでしょう。

占領下のレイプを防ぐために慰安所を半公認で許すというアイディアは間違ってないと思います

ですが悪質なブローカーをコントロールできず、プロ大人の女性による淫売業だけにできず

結果として、“性奴隷=慰安所=日本軍”という最悪のイメージを流布することに

なってしまったのです。

その質を管理できないのであれば、慰安所を認可するべきではなかった。

管理面における政策的失敗なのです。(戦争中という危機下で手が回らなかったとも言えますが…)


韓国中国の方々は、自国のブローカーが果たした役割認識し、そのような経路で財を獲得した人間を、

徹底して糾弾すべきですし、ひいては現在国内がかかえる人身売買の問題撲滅の契機とするべきです。


日本国内でも、<軍規にそむいたレイプ>や、幼女慰安婦の黙認、袖の下をうけとり悪質業者を黙認した等

慰安所のうまみをなめた人間を裁いてほしいと思います。(もうほとんど死んでるでしょうが


問題の所在をあいまいにしたまま、なあなあでごまかそうとしてきたために、

当時を知っており、責任の一端を担う人々がほとんど生き残っていないということが

もはや解決を限りなく不可能にしてきたのですね。



ちなみに、日本慰安婦裁判支援の、もっとも最悪な点は

売春婦に自発的になりたいと思う人間はいない。それは貧しさや女性差別を背景にしたもので本人の責任ではないのだから、元売春業の女も、占領下の村で兵士によってブローカーにひきわたされた幼ない少女も、平等補償をうけるべきだ。」などという詭弁を弄してきたことだと思います


日本政府を責めることにばかり時間をさき、個々の兵士の腐敗の問題、

悪質なブローカーの実態から目をそむけてきたように感じます

2012-01-07

日本メディア間の隔絶について 続き

元記事

http://yorogame.blog137.fc2.com/blog-entry-513.html

9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、税金を使った事業、公務員などがどのような理念の元に動けと書いてあるか、そのことを強く考え思った人は日本人全体でどのくらい居るだろうか?憲法には全体の奉仕者という言葉が使われている。私はトルストイに感化されてからこの文章を読んだので、とても美しい社会を善くする概念だと勝手に思った。そしてその全体の奉仕者という概念に多くの税金により給料を得ている人間はそれほど熱意をもった意識をしていないかもしれないと思った。

また、ネットTVの間には断絶があると言うべきだろう。ネット人間TVで語ることはあるが、可能性の喚起という観点でみると、相互に繋がりを持たせることに、それほど効率的なやり方ではない。なんか知識人っぽいひとがごちゃごちゃ言う番組はみんないろいろ言うから、理解するコストが高い。これだ!という正解をしめすことよりはインパクトが無い。なのでネット人がTVにでても、ネット人に興味をもってネットのそんな情報を見るのは、もともとそういった資質の高かった人と言う事も出来る。

そして、日本を本当に良くする為に私は、ある程度国民に判断の指針となる理念をもってもらうため、近代国家の行動の拠り所である、法、をそれの最上である憲法重要さを多くの人に見られるように説くことではないかと思う。

現状の憲法の厳密な、正しい正しくないではなく、憲法理念に基づいた行動というのを国民意識するようになったら、憲法解釈は人によって多少差はあるにせよ、ある政治問題について考えるための、体系的な前提を持つことになるので、それを前提として政治意見を言えば同意を得やすくできるのでは無いかと思う。

そのための行動として最も効果的だと私が思うのは、選挙当選する見込みがあるか既に当選した政治家が、日本の様々な問題点を全て憲法に対する意識が欠けているということに帰結させるような理屈で、日本社会を善くしようという、国民ポジティブ意識モチベーションを喚起する理念を語ることが良いのではないかと思う。現在は断絶的なメディア間の差異で国民は虚無感を抱く可能性がとても高いが、その理念に基づいてTVネットも語るというある種の、政治意見がとるフォーマットを構築することが効果的では無いかと思う。

そしてネットTV新聞世界を繋げるために、政治家TV希望を語り人気を集め、その詳しい論拠はネット上にあると示すという形をとるのは効果的ではないかと思う。

大阪政治では根源的なありようのような希望を語ることによって支持をえてるように伺える。そういったやり方を模倣してその流れを促進すれば日本は今よりもっと良くなる可能性があるのではないだろうか。

また考え方をかなり飛躍させて言うなら、多少政治色をもった意味で、中国海外で人気があり日本でも知名度の高いこの文章は雑感のまとめであり厳密性には欠ける。

私がこの文章で問題にしたいのは、日本におけるネットTV新聞がどのような役割果たしているかということある

TV新聞といったオールメディアと、それと比べれば、まだ若いメディアといえるインターネット日本全体に相互に与え合っている影響を考察し、その問題点から今日本にいる政治的影響力を持ちうる人間はどのように振る舞うべきかと言う事までを書く。

まず、社会に対して書かれた文章というものは、文章を書く人間が、抱いた、(社会を)こうしたいという意識を、書くという方法を選択した結果生まれた成果物である

という見知でこの文章では、各メディア(主にネットTV新聞)の主張を捉える。

そういった視点として、メディアの主張の厳密な正しさより、そのメディアの志した方向性によって流れされた情報と、それによって喚起さうる国民感情について考える。

まず、311地震では、日本の各メディアはその問題に関して様々な意見が流れた。地震発生直後は地震その物の話題が大きかったが、原発の問題が発覚してからは少しずつ原発に関する情報が増えて行ったと思う。

この時とそれ以降に、私が感じた事を書く。

私が一番中もくしたのはツイッター上で様々な見解が流された点だ。私が一番印象的だったのは池田信夫である。彼は原発の取材をした経験があると語り、様々な自説を展開していた。それに対して色々な池田氏に対する意見が流れていた、私には批判的な意見が優勢にみえ、池田氏はあまり信用できないなという意識をもった。しかし、他の発言力の高かった人達の発言を見ても、実際どういうことなのかよくはわからなかった。

当然である原発問題初期は原発について情報が不足していて、推理のような部分が多分にあったからだ。色々な人が原発で何がおこっているかについて色々な意見をいっているように見えた。

そして時間が進むと、放射能の問題がでてきた、それに付いても様々な意見が流れていた。

私は無職なので、一日中でもその情報を追う事もできた。だがそんなことをしたいとは全く思わなかった。色んな意見交錯してかつ、正しい情報すら不確かな要素をもっているこの状況に情報を追うより、ある程度(半年一年くらい)立ってからそういった過程を経て生まれた、纏まった情報、例えば新書などを見たほうが確実に問題が良く分かるだろうと思ったから。それに、私が原発のことを知っても、対して社会意味は生じないという思いが意識の片隅にあった。

その間のTVと、ネットの関係はどうであったかは詳しくはわからないが、様々な原子力に関連のある組織善意ネット上で公開したものにたいして、TV側が紹介をするということはあったとだろうと思う。それによって、日本社会に対する情報の取得源としてTV比重が大きい人間に、ネット情報を参照するための意識を喚起した可能性は高い。

だがこのことによって、日本社会は対して良い影響を受けなかっただろう。何故なら、一般人原発に関して詳しい情報を知ること自体に私はあまり意味が無いと思うからだ。まず理解するのがコストが高い。そこで問題にたいする意識が削がれるだろうと思う。そして一般人政治的影響力があまり無いので、厳密に正しいという情報をもっていても有効活用はあまりできない。そしてそれらの厳密な情報政治的影響力の高い人間にとってこそ有効であることは云うまでも無い。だが日本ネット上では政治的な問題の意識の高い人間の間で、原発科学的に厳密な情報を求める意識が高くなっていたと思う。だが現在から見て見ると、科学的な厳密さを考える事をもっと専門化にアウトソージングして、その原発問題の結果が与える影響とそれにより、日本社会が取り得るべき選択の可能性に、日本国民意識というコストを割くべきだったと私は感じる。これはあくまでネット情報をあまり熱心に追わなかった私の感じたことである。本当にどのメディアも積極的に見ていなかった難しくてめんどくさくてついていけないと思ったから。

原発科学情報を流すという方法とることの理由の根本は、日本社会を善くしようという物であると思う。その方法がもつ目的効果を最大化させるために取り得る方法は何か。

国民に問題が起こっているが、対処にあたっていて良い結果を生むために努力をしているという姿勢を示すことである。それにより国民政治希望と期待などのプラス感情モチベーションが喚起される。よってあの次点で注目を集めるべき情報としては、正しいやり方でやっているという理念を示したものである。それにより希望をもてば人は情報自分から進んで集めるか、焦りのような感情をもって科学的厳密さを追うこともなかっただろう。

当時にこういう指摘をしたひとはいたかもしれないが、正直全然探す努力をしていなかったので全く知らない。何か政治に語りたいなら積極的に情報をあつめるのが筋だろうけど、そういう動機付け全然得られなかったんだ。そういった感情を掘り下げて得た見知で纏めているののがこの文章でもある。

それで原発初期から少しして以降の私の事を書く、私は精神病院入院していた、院内ではTVしか見られなかった。3週間くらいで退院したが、TV軽くみたりネット軽くみても、原発に関しても地震に関しても似たような話というか、個人的に目に付く範囲で見た場合、個別の問題とでもいうべき問題について色々書いた文章ばかりにおもえて、はっきり云ってこういう物を私が読んで何か考える事に何の意味があるのかという思いを持っていた。そういう問題点を指摘したひとはあったかもしれない、だけど目に付かなかったのでどうでもよかった。

病院から退院してからは、大帝国とかランスクエストをやったりしてた、他に適当に本よんだり、読書メーターというのを初めて読書の記録をシステム的につけるようになって中々本を読むのが楽しくなったり、英語勉強したりしていた、政治的なことに関してはそれなりに適当に見てたけどあまりよくわからなかった。だが10月02日にLeague of Legendsというゲームを始めて猿のようにやりまくっていた12月20日までやった。1試合平均35分前後かかる試合を900試合くらいしたと思う。その期間いつもみている政治的な主張の多いblogとか20サイトくらいいれているgoogle リーダー全然アクセスしなかった。

それで、League of Legendsを止めてからまた本読むのが楽しくなってきて、色々と読んでいた。LoLで得られた経験から、本を読んで色々より強い影響を受けて、適当blogにアホなおもいつき書きまくってた。どのような影響を受けたかというと、トルストイを読んで、社会全体の幸福志向する事の美しさみたいなものを学んだ。

話を戻そう、つまり、色んな人が色んな目的でいろんなことを言っていたと思うが、私は2ヶ月もそれを無視してゲームやり続けても何とも思わなかったのだ。それがどういうことかというと、メディアは私の理屈で言えば、私の行動を変えさせる、メディアがしたい問題提起に私のモチベーションを喚起させる行動をとることは不可能ではなかった、何故なら凄い影響力の高い意見なら、私の見ている範囲のネットblogにも情報は届くからだ。

そういう可能性をに影響を与える方法をとるということを考えることが大事であると思う。

その方法論を私なりに書きたい。

まず日本人には、共通のどういう社会を目指すべきかという根本的な理念が欠如しているように思う。たとえば憲法である憲法理論上は国家のありようを書いた文書だ。9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、税金を使った事業、公務員などがどのような理念の元に動けと書いてあるか、そのことを強く考え思った人は日本人全体でどのくらい居るだろうか?憲法には全体の奉仕者という言葉が使われている。私はトルストイに感化されてからこの文章を読んだので、とても美しい社会を善くする概念だと勝手に思った。そしてその全体の奉仕者という概念に多くの税金により給料を得ている人間はそれほど熱意をもった意識をしていないかもしれないと思った。

また、ネットTVの間には断絶があると言うべきだろう。ネット人間TVで語ることはあるが、可能性の喚起という観点でみると、相互に繋がりを持たせることに、それほど効率的なやり方ではない。なんか知識人っぽいひとがごちゃごちゃ言う番組はみんないろいろ言うから、理解するコストが高い。これだ!という正解をしめすことよりはインパクトが無い。なのでネット人がTVにでても、ネット人に興味をもってネットのそんな情報を見るのは、もともとそういった資質の高かった人と言う事も出来る。

そして、日本を本当に良くする為に私は、ある程度国民に判断の指針となる理念をもってもらうため、近代国家の行動の拠り所である、法、をそれの最上である憲法重要さを多くの人に見られるように説くことではないかと思う。

現状の憲法の厳密な、正しい正しくないではなく、憲法理念に基づいた行動というのを国民意識するようになったら、憲法解釈は人によって多少差はあるにせよ、ある政治問題について考えるための、体系的な前提を持つことになるので、それを前提として政治意見を言えば同意を得やすくできるのでは無いかと思う。

そのための行動として最も効果的だと私が思うのは、選挙当選する見込みがあるか既に当選した政治家が、日本の様々な問題点を全て憲法に対する意識が欠けているということに帰結させるような理屈で、日本社会を善くしようという、国民ポジティブ意識モチベーションを喚起する理念を語ることが良いのではないかと思う。現在は断絶的なメディア間の差異で国民は虚無感を抱く可能性がとても高いが、その理念に基づいてTVネットも語るというある種の、政治意見がとるフォーマットを構築することが効果的では無いかと思う。

そしてネットTV新聞世界を繋げるために、政治家TV希望を語り人気を集め、その詳しい論拠はネット上にあると示すという形をとるのは効果的ではないかと思う。

大阪政治では根源的なありようのような希望を語ることによって支持をえてるように伺える。そういったやり方を模倣してその流れを促進すれば日本は今よりもっと良くなる可能性があるのではないだろうか。

またこれらの考え方をかなり飛躍させて言うなら、多少政治色をもった意味で、中国海外で人気があり日本でも知名度の高い蒼井そら社会理想希望について語りながら、性的な事を行う映像を創ることもまた効果であるといえる。

その理屈を使って、ネット上で論じられる著作権問題を憲法が持つ全体の利益という視点を重視して、多少厳密さを欠いたうえで語るなら、インターネット上の無料コピー日本人が一般的に思っているほど、あまり悪いこととも言えないという理屈も導ける。

ネット上の無料コピーによる、著作権侵害違法であるといっても、動画サイトで見るのは良いが、ツールを使って落とすのはよくないとかそういうのは根本的に考えたら些末な問題でやってることは本質的には同じとも云える。それを差異があるように演出しているのはあまり社会を善くするという意味は無いと云う事もできる。なぜなら、どのような方法であれネット上で無料コピーにより著作権侵害するという行為によって逮捕される人は現状、全然居ないに等しいからだ。なのでこのような違法としていて一部はそれを遵守せよ!と感情的になっているがその視点は近視眼的ということもできる。そういったあまり根本的に考えなていない意見によって脅迫をかけるような同調圧力と化していると思う。全体の利益という視点を重視したら、違法としててもろくに取り締まりもおこなっていないやったもん勝ちみたいな、現状の無料コピーに対する意識というのは不自然です。赤信号場合によっては無視してもいいという意識は誰でももっているように、無料コピーにしても、目立つ形でやった人間以外ととても運の悪い人以外には、取り締まりなど無いに等しいから、やるのは個人の判断で赤信号を渡ることと似たようなこと。という意識を多くの国民がもっていたほうが国家としては健全だと私は思う。その国民意識に応じて法を変えれば良い。

そのようなそこの浅いときに、脅迫的ともいえる同調圧力意見というのはネットにはありふれていて、その思考方法を変化させるためにも国家はどうあるべきかという形を分かり易く国民全員に伝えなければいけないと思う。

(終わり)

日本メディア間の隔絶について

日本メディア間の隔絶について 日本のおけるネットオールメディアの最適な関係の構築方法模索

この文章は雑感のまとめであり厳密性には欠ける。

私がこの文章で問題にしたいのは、日本におけるネットTV新聞がどのような役割果たしているかということある

TV新聞といったオールメディアと、それと比べれば、まだ若いメディアといえるインターネット日本全体に相互に与え合っている影響を考察し、その問題点から今日本にいる政治的影響力を持ちうる人間はどのように振る舞うべきかと言う事までを書く。

まず、社会に対して書かれた文章というものは、文章を書く人間が、抱いた、(社会を)こうしたいという意識を、書くという方法を選択した結果生まれた成果物である

という見知でこの文章では、各メディア(主にネットTV新聞)の主張を捉える。

そういった視点として、メディアの主張の厳密な正しさより、そのメディアの志した方向性によって流れされた情報と、それによって喚起さうる国民感情について考える。

まず、311地震では、日本の各メディアはその問題に関して様々な意見が流れた。地震発生直後は地震その物の話題が大きかったが、原発の問題が発覚してからは少しずつ原発に関する情報が増えて行ったと思う。

この時とそれ以降に、私が感じた事を書く。

私が一番中もくしたのはツイッター上で様々な見解が流された点だ。私が一番印象的だったのは池田信夫である。彼は原発の取材をした経験があると語り、様々な自説を展開していた。それに対して色々な池田氏に対する意見が流れていた、私には批判的な意見が優勢にみえ、池田氏はあまり信用できないなという意識をもった。しかし、他の発言力の高かった人達の発言を見ても、実際どういうことなのかよくはわからなかった。

当然である原発問題初期は原発について情報が不足していて、推理のような部分が多分にあったからだ。色々な人が原発で何がおこっているかについて色々な意見をいっているように見えた。

そして時間が進むと、放射能の問題がでてきた、それに付いても様々な意見が流れていた。

私は無職なので、一日中でもその情報を追う事もできた。だがそんなことをしたいとは全く思わなかった。色んな意見交錯してかつ、正しい情報すら不確かな要素をもっているこの状況に情報を追うより、ある程度(半年一年くらい)立ってからそういった過程を経て生まれた、纏まった情報、例えば新書などを見たほうが確実に問題が良く分かるだろうと思ったから。それに、私が原発のことを知っても、対して社会意味は生じないという思いが意識の片隅にあった。

その間のTVと、ネットの関係はどうであったかは詳しくはわからないが、様々な原子力に関連のある組織善意ネット上で公開したものにたいして、TV側が紹介をするということはあったとだろうと思う。それによって、日本社会に対する情報の取得源としてTV比重が大きい人間に、ネット情報を参照するための意識を喚起した可能性は高い。

だがこのことによって、日本社会は対して良い影響を受けなかっただろう。何故なら、一般人原発に関して詳しい情報を知ること自体に私はあまり意味が無いと思うからだ。まず理解するのがコストが高い。そこで問題にたいする意識が削がれるだろうと思う。そして一般人政治的影響力があまり無いので、厳密に正しいという情報をもっていても有効活用はあまりできない。そしてそれらの厳密な情報政治的影響力の高い人間にとってこそ有効であることは云うまでも無い。だが日本ネット上では政治的な問題の意識の高い人間の間で、原発科学的に厳密な情報を求める意識が高くなっていたと思う。だが現在から見て見ると、科学的な厳密さを考える事をもっと専門化にアウトソージングして、その原発問題の結果が与える影響とそれにより、日本社会が取り得るべき選択の可能性に、日本国民意識というコストを割くべきだったと私は感じる。これはあくまでネット情報をあまり熱心に追わなかった私の感じたことである。本当にどのメディアも積極的に見ていなかった難しくてめんどくさくてついていけないと思ったから。

原発科学情報を流すという方法とることの理由の根本は、日本社会を善くしようという物であると思う。その方法がもつ目的効果を最大化させるために取り得る方法は何か。

国民に問題が起こっているが、対処にあたっていて良い結果を生むために努力をしているという姿勢を示すことである。それにより国民政治希望と期待などのプラス感情モチベーションが喚起される。よってあの次点で注目を集めるべき情報としては、正しいやり方でやっているという理念を示したものである。それにより希望をもてば人は情報自分から進んで集めるか、焦りのような感情をもって科学的厳密さを追うこともなかっただろう。

当時にこういう指摘をしたひとはいたかもしれないが、正直全然探す努力をしていなかったので全く知らない。何か政治に語りたいなら積極的に情報をあつめるのが筋だろうけど、そういう動機付け全然得られなかったんだ。そういった感情を掘り下げて得た見知で纏めているののがこの文章でもある。

それで原発初期から少しして以降の私の事を書く、私は精神病院入院していた、院内ではTVしか見られなかった。3週間くらいで退院したが、TV軽くみたりネット軽くみても、原発に関しても地震に関しても似たような話というか、個人的に目に付く範囲で見た場合、個別の問題とでもいうべき問題について色々書いた文章ばかりにおもえて、はっきり云ってこういう物を私が読んで何か考える事に何の意味があるのかという思いを持っていた。そういう問題点を指摘したひとはあったかもしれない、だけど目に付かなかったのでどうでもよかった。

病院から退院してからは、大帝国とかランスクエストをやったりしてた、他に適当に本よんだり、読書メーターというのを初めて読書の記録をシステム的につけるようになって中々本を読むのが楽しくなったり、英語勉強したりしていた、政治的なことに関してはそれなりに適当に見てたけどあまりよくわからなかった。だが10月02日にLeague of Legendsというゲームを始めて猿のようにやりまくっていた12月20日までやった。1試合平均35分前後かかる試合を900試合くらいしたと思う。その期間いつもみている政治的な主張の多いblogとか20サイトくらいいれているgoogle リーダー全然アクセスしなかった。

それで、League of Legendsを止めてからまた本読むのが楽しくなってきて、色々と読んでいた。LoLで得られた経験から、本を読んで色々より強い影響を受けて、適当blogにアホなおもいつき書きまくってた。どのような影響を受けたかというと、トルストイを読んで、社会全体の幸福志向する事の美しさみたいなものを学んだ。

話を戻そう、つまり、色んな人が色んな目的でいろんなことを言っていたと思うが、私は2ヶ月もそれを無視してゲームやり続けても何とも思わなかったのだ。それがどういうことかというと、メディアは私の理屈で言えば、私の行動を変えさせる、メディアがしたい問題提起に私のモチベーションを喚起させる行動をとることは不可能ではなかった、何故なら凄い影響力の高い意見なら、私の見ている範囲のネットblogにも情報は届くからだ。

そういう可能性をに影響を与える方法をとるということを考えることが大事であると思う。

その方法論を私なりに書きたい。

まず日本人には、共通のどういう社会を目指すべきかという根本的な理念が欠如しているように思う。たとえば憲法である憲法理論上は国家のありようを書いた文書だ。9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、税金を使った事業、公務員などがどのような理念の元に動けと書いてあるか、そのことを強く考え思った人は日本人全体でどのくらい居るだろうか?憲法には全体の奉仕者という言葉が使われている。私はトルストイに感化されてからこの文章を読んだので、とても美しい社会を善くする概念だと勝手に思った。そしてその全体の奉仕者という概念に多くの税金により給料を得ている人間はそれほど熱意をもった意識をしていないかもしれないと思った。

また、ネットTVの間には断絶があると言うべきだろう。ネット人間TVで語ることはあるが、可能性の喚起という観点でみると、相互に繋がりを持たせることに、それほど効率的なやり方ではない。なんか知識人っぽいひとがごちゃごちゃ言う番組はみんないろいろ言うから、理解するコストが高い。これだ!という正解をしめすことよりはインパクトが無い。なのでネット人がTVにでても、ネット人に興味をもってネットのそんな情報を見るのは、もともとそういった資質の高かった人と言う事も出来る。

そして、日本を本当に良くする為に私は、ある程度国民に判断の指針となる理念をもってもらうため、近代国家の行動の拠り所である、法、をそれの最上である憲法重要さを多くの人に見られるように説くことではないかと思う。

現状の憲法の厳密な、正しい正しくないではなく、憲法理念に基づいた行動というのを国民意識するようになったら、憲法解釈は人によって多少差はあるにせよ、ある政治問題について考えるための、体系的な前提を持つことになるので、それを前提として政治意見を言えば同意を得やすくできるのでは無いかと思う。

そのための行動として最も効果的だと私が思うのは、選挙当選する見込みがあるか既に当選した政治家が、日本の様々な問題点を全て憲法に対する意識が欠けているということに帰結させるような理屈で、日本社会を善くしようという、国民ポジティブ意識モチベーションを喚起する理念を語ることが良いのではないかと思う。現在は断絶的なメディア間の差異で国民は虚無感を抱く可能性がとても高いが、その理念に基づいてTVネットも語るというある種の、政治意見がとるフォーマットを構築することが効果的では無いかと思う。

そしてネットTV新聞世界を繋げるために、政治家TV希望を語り人気を集め、その詳しい論拠はネット上にあると示すという形をとるのは効果的ではないかと思う。

大阪政治では根源的なありようのような希望を語ることによって支持をえてるように伺える。そういったやり方を模倣してその流れを促進すれば日本は今よりもっと良くなる可能性があるのではないだろうか。

また考え方をかなり飛躍させて言うなら、多少政治色をもった意味で、中国海外で人気があり日本でも知名度の高い

この文章は雑感のまとめであり厳密性には欠ける。

私がこの文章で問題にしたいのは、日本におけるネットTV新聞がどのような役割果たしているかということある

TV新聞といったオールメディアと、それと比べれば、まだ若いメディアといえるインターネット日本全体に相互に与え合っている影響を考察し、その問題点から今日本にいる政治的影響力を持ちうる人間はどのように振る舞うべきかと言う事までを書く。

まず、社会に対して書かれた文章というものは、文章を書く人間が、抱いた、(社会を)こうしたいという意識を、書くという方法を選択した結果生まれた成果物である

という見知でこの文章では、各メディア(主にネットTV新聞)の主張を捉える。

そういった視点として、メディアの主張の厳密な正しさより、そのメディアの志した方向性によって流れされた情報と、それによって喚起さうる国民感情について考える。

まず、311地震では、日本の各メディアはその問題に関して様々な意見が流れた。地震発生直後は地震その物の話題が大きかったが、原発の問題が発覚してからは少しずつ原発に関する情報が増えて行ったと思う。

この時とそれ以降に、私が感じた事を書く。

私が一番中もくしたのはツイッター上で様々な見解が流された点だ。私が一番印象的だったのは池田信夫である。彼は原発の取材をした経験があると語り、様々な自説を展開していた。それに対して色々な池田氏に対する意見が流れていた、私には批判的な意見が優勢にみえ、池田氏はあまり信用できないなという意識をもった。しかし、他の発言力の高かった人達の発言を見ても、実際どういうことなのかよくはわからなかった。

当然である原発問題初期は原発について情報が不足していて、推理のような部分が多分にあったからだ。色々な人が原発で何がおこっているかについて色々な意見をいっているように見えた。

そして時間が進むと、放射能の問題がでてきた、それに付いても様々な意見が流れていた。

私は無職なので、一日中でもその情報を追う事もできた。だがそんなことをしたいとは全く思わなかった。色んな意見交錯してかつ、正しい情報すら不確かな要素をもっているこの状況に情報を追うより、ある程度(半年一年くらい)立ってからそういった過程を経て生まれた、纏まった情報、例えば新書などを見たほうが確実に問題が良く分かるだろうと思ったから。それに、私が原発のことを知っても、対して社会意味は生じないという思いが意識の片隅にあった。

その間のTVと、ネットの関係はどうであったかは詳しくはわからないが、様々な原子力に関連のある組織善意ネット上で公開したものにたいして、TV側が紹介をするということはあったとだろうと思う。それによって、日本社会に対する情報の取得源としてTV比重が大きい人間に、ネット情報を参照するための意識を喚起した可能性は高い。

だがこのことによって、日本社会は対して良い影響を受けなかっただろう。何故なら、一般人原発に関して詳しい情報を知ること自体に私はあまり意味が無いと思うからだ。まず理解するのがコストが高い。そこで問題にたいする意識が削がれるだろうと思う。そして一般人政治的影響力があまり無いので、厳密に正しいという情報をもっていても有効活用はあまりできない。そしてそれらの厳密な情報政治的影響力の高い人間にとってこそ有効であることは云うまでも無い。だが日本ネット上では政治的な問題の意識の高い人間の間で、原発科学的に厳密な情報を求める意識が高くなっていたと思う。だが現在から見て見ると、科学的な厳密さを考える事をもっと専門化にアウトソージングして、その原発問題の結果が与える影響とそれにより、日本社会が取り得るべき選択の可能性に、日本国民意識というコストを割くべきだったと私は感じる。これはあくまでネット情報をあまり熱心に追わなかった私の感じたことである。本当にどのメディアも積極的に見ていなかった難しくてめんどくさくてついていけないと思ったから。

原発科学情報を流すという方法とることの理由の根本は、日本社会を善くしようという物であると思う。その方法がもつ目的効果を最大化させるために取り得る方法は何か。

国民に問題が起こっているが、対処にあたっていて良い結果を生むために努力をしているという姿勢を示すことである。それにより国民政治希望と期待などのプラス感情モチベーションが喚起される。よってあの次点で注目を集めるべき情報としては、正しいやり方でやっているという理念を示したものである。それにより希望をもてば人は情報自分から進んで集めるか、焦りのような感情をもって科学的厳密さを追うこともなかっただろう。

当時にこういう指摘をしたひとはいたかもしれないが、正直全然探す努力をしていなかったので全く知らない。何か政治に語りたいなら積極的に情報をあつめるのが筋だろうけど、そういう動機付け全然得られなかったんだ。そういった感情を掘り下げて得た見知で纏めているののがこの文章でもある。

それで原発初期から少しして以降の私の事を書く、私は精神病院入院していた、院内ではTVしか見られなかった。3週間くらいで退院したが、TV軽くみたりネット軽くみても、原発に関しても地震に関しても似たような話というか、個人的に目に付く範囲で見た場合、個別の問題とでもいうべき問題について色々書いた文章ばかりにおもえて、はっきり云ってこういう物を私が読んで何か考える事に何の意味があるのかという思いを持っていた。そういう問題点を指摘したひとはあったかもしれない、だけど目に付かなかったのでどうでもよかった。

病院から退院してからは、大帝国とかランスクエストをやったりしてた、他に適当に本よんだり、読書メーターというのを初めて読書の記録をシステム的につけるようになって中々本を読むのが楽しくなったり、英語勉強したりしていた、政治的なことに関してはそれなりに適当に見てたけどあまりよくわからなかった。だが10月02日にLeague of Legendsというゲームを始めて猿のようにやりまくっていた12月20日までやった。1試合平均35分前後かかる試合を900試合くらいしたと思う。その期間いつもみている政治的な主張の多いblogとか20サイトくらいいれているgoogle リーダー全然アクセスしなかった。

それで、League of Legendsを止めてからまた本読むのが楽しくなってきて、色々と読んでいた。LoLで得られた経験から、本を読んで色々より強い影響を受けて、適当blogにアホなおもいつき書きまくってた。どのような影響を受けたかというと、トルストイを読んで、社会全体の幸福志向する事の美しさみたいなものを学んだ。

話を戻そう、つまり、色んな人が色んな目的でいろんなことを言っていたと思うが、私は2ヶ月もそれを無視してゲームやり続けても何とも思わなかったのだ。それがどういうことかというと、メディアは私の理屈で言えば、私の行動を変えさせる、メディアがしたい問題提起に私のモチベーションを喚起させる行動をとることは不可能ではなかった、何故なら凄い影響力の高い意見なら、私の見ている範囲のネットblogにも情報は届くからだ。

そういう可能性をに影響を与える方法をとるということを考えることが大事であると思う。

その方法論を私なりに書きたい。

まず日本人には、共通のどういう社会を目指すべきかという根本的な理念が欠如しているように思う。たとえば憲法である憲法理論上は国家のありようを書いた文書だ。9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、Permalink | トラックバック(0) | 04:44

http://anond.hatelabo.jp/20120106135755

同じく30代前半。関東育ち。

歴史の授業の流れはそんなものだったけれど、マスコミによる中国韓国への御注進がすごい時期で、メディアスクラムがすごかったように思う。江藤隆美なんかを擁護するのは気に食わないが、あれなんて「日本記者」にオフレコで話した内容が「韓国紙」にすっぱ抜かれて問題化→辞任の流れだしw

http://www.tamanegiya.com/atarimae18.5.2.html

http://www4.ocn.ne.jp/~aoitori/sirixyou3.html

http://anond.hatelabo.jp/20120107000334

中国行けば?

それができないんなら、言うな

中国じゃSQLが書けるだけでクルマが買えるそうな

羨ましい

2012-01-06

中学校歴史の授業ってそんなに自虐史観だった?

今の若い人達は「日本は悪い事をしたと教えられた」と言っているが、自分現在30代前半)のときはそうでもなかった

最近義務教育歴史授業ってそんなに酷いんですかね?



自分の頃にやったのは

----------------------------------------------------

ブロック経済日本孤立

⇒「関東軍の独断専横で満州事変、それを事後承認

⇒「数年後、日中戦争開始。辞めどころがなくズブズブに。」

⇒「大陸利権を狙うアメリカと対立」

⇒「ハルノートを受け日本から宣戦布告

⇒「南方の油田地帯を確保したものの対米戦は泥沼に」

⇒「都市空襲ソ連参戦、降伏

----------------------------------------------------

ってな感じだけど、今見返しても別に間違っていないと思う。

教科書だってハルノートは書かれていたし、高校受験でも範囲内だった。



確かに近代史の頃には学年末殆ど飛ばされた感はあったけど、今の歴史の授業ではこの辺もごっそり抜けちゃってるんでしょうか?

それとも歴史勉強してなかった人達が「俺達は学ばなかった」と言っているのでしょうか?

それとも上記のような事(「中国戦線の引き際をミスった」等)を言うだけで彼等の言う「自虐史観」なんですかね?



最近歴史の授業がどのように自虐史観なのか…詳しい方はおりますでしょうか?

http://anond.hatelabo.jp/20120106120201

その大多数の愚図が勝手交尾して増えまくって焦ったのが中国の現状じゃないか

2011-12-31

http://anond.hatelabo.jp/20111231150039

家事時間が多すぎなのは女性意識の問題かも。 家事クオリティ求めすぎ。

食事つくりすぎだし、食器洗いすぎ、あと専業主婦多すぎ(自然キッチンにいる時間が長い層がいる)、あと効率も悪いらしい。



家事のやりすぎは、人も地球ダメにする

http://allabout.co.jp/gm/gc/373180/

P&Gは、家事労働と自由に使える時間とのバランスに関する意識と実態を調べるため、

日本主婦1000人と、アメリカイギリススウェーデン中国主婦各300人の計2200人にインターネット調査を実施しました

(『家事自分時間とのバランスに関する意識・実態調査』)。この結果によると主婦家事時間は1日平均

日本……264分

スウェーデン……162分

アメリカ……144分

イギリス……132分

中国……114分

■1日に3回以上料理をすると答えた人の率

日本……55.5%

イギリス……14.7%

スウェーデン……7.7%

アメリカ……26.0%

中国……23.3%

■1日に3回以上食器洗いをす ると答えた人の率

日本……55.5%

イギリス……27.3%

スウェーデン……7.7%

アメリカ……8.3%

中国……26.0%

さらに「家事効率的にできていると思いますか」という問いに対し、「効率的にできていない」と考えている主婦の割合は、

日本……44.7%

アメリカ……16.7%

イギリス……23.7%

スウェーデン……15%

中国……10



考えてみると『3食自分で作れる』って専業主婦か。。。 あとcookpad社員か?



アメリカでは掃除が大変みたいですね。

日本女性家事時間

http://halfwaymark.blog114.fc2.com/blog-entry-284.html

アメリカで一番時間がかかる家事は、掃除かもしれない。

家が大きい分、掃除機をかけるにも時間がかかる。

しかも、音だけ大きくて吸い込みが悪い掃除機だと、何度も同じところをやったりして効率が悪い。

窓が大きくてたくさんあるからガラス拭きも大仕事。Window cleaning 専門の業者がいるくらいである。

うちは、アメリカでは平均的な家で、トイレが3つある。



追記

究極のエコは「家事を減らすこと」!

http://allabout.co.jp/gm/gc/61707/

科学技術白書昭和42年の段階で、すでに以下のように指摘しています

洗濯機の普及状況から見て、洗濯時間が大幅に減少するのではないかとの予想に反して

かえつて増加現象さえ見られる。これは一家庭当たりの衣類保有量の増加と洗濯の省力化によつて

洗濯回数が大幅に増加したからでは」と。

そう、家事の労力は確実に減っても、家事の機会や頻度は増えているのです。

昭和時代は、家事の省力化に平行して暮らしが豊かになることで、

持ち物が増えたり、食事やインテリアに関心が向いて家事機会が増えるという現象がありました。

平成の今は、過度の衛生観念栄養アレルギーなどにまつわる情報に振り回される形で、

家事の頻度が増えている傾向があるように思います

洗濯が楽になると服を増やしてしまう 。調べるといろいろ面白いね。

から変わらないもんだなー。

2011-12-30

http://anond.hatelabo.jp/20111230213447

日本人要らないから減ってんじゃないかと思う。

うん。というか、国という概念自体もういらないよね。

経済的にも不要物っぽくなってきたし、とっとと中国と同化したらいいのでは。

2011-12-29

人種結婚をする男性への女性の印象

彼女たちの一貫した意見とは、ズバリ黒人の男は黒人の女と付き合うべき」というもの

特に、いわゆる 「ホワイトカラー」の仕事についている黒人男性黒人以外の女性と付き合うと大変なことになる。

黒人女性その男性に対して「he doesnt know how to handle us(黒人の女をまともに扱えないやわな男)」という言葉

自分たちが選ばれなかったこと」の理由を男のせいにし、

そして非黒人女性に対しては「泥棒猫」と言わんばかりの剣幕で意地悪する。

http://ameblo.jp/themoshow/entry-10192219248.html

 

いわゆる「勝ち組」の黒人男性ほど他人種女性がかっさらっていく傾向にあるから不満なんだろうなあ。

日本人女性国際結婚する日本人男性に対して特に興味・関心が無いのは、

日本人の嫁のなり手が無い農家や、高齢独身男性など」と「中国系・フィリピン系などの貧しい女性」が

売買春契約のような形で結婚するのが国際結婚イメージになってしまっているからだと思う。

日本人女性モテモテ勝ち組イケメンが他人種女性結婚する例が増えれば、

日本人女性国際結婚・他人種結婚に対して悔しがり出すんじゃないかな。

2011-12-28

http://anond.hatelabo.jp/20111228004409

そうだね、ITやるならアメリカへ行かなくちゃ。

海外に行っているみかかの人によれば、日本米国より2年は遅れてるらしいからな。



日本SIerは、アメリカ中国台湾で開発されたソリューション総合商社しかないよ。

そういうのが好きならいいんじゃない

一方、コーダー(プログラムコード書く人)さんは

ある年齢に達すると使い捨てられちゃう率が高いよ。

2011-12-27

http://anond.hatelabo.jp/20111227033817

為替介入によって積み上がったドルの有効活用という側面が大きいのかな。

アジア共通通貨への布石にしたいわけでもないだろう。



デメリットドルより元を信任したということで、

アメリカとの間にわずかな軋轢を生み、

円高方向への圧力になる可能性があるということぐらいか

短期なら、デフォルトリスクも低いしね。



逆にメリットとしてネット民が挙げている

経済戦争時の切り札だとか

元高による利回り上昇への期待だとかは

ちょっと荒唐無稽かな。



国債持合をどちらから持ちかけたかは知らないけど、

元の国際通貨化への先鞭として、中国側のメリットの方が大きいと思う。

というわけで、今回の会談はやっぱり中国の優勢勝ちだったんじゃないかい?

http://anond.hatelabo.jp/20111227022342

なんかこのニュースで「ミンス中国に8000億も貢いでる」と思って吹き上がるアホが爆沸きしてるけど、中国日本国債を何兆円分買ってると思ってるんだろうね…。

もちろん中国日本に何兆円も貢いでくれてるわけじゃないぞ。

国債ってもっと複雑なんだよ。

パンダ=5000億円

日中首脳会談(北京、26日)での「具体的な」行動を伴う合意事項は以下の通り。

中国パンダ2匹で1兆円の投資を引き出すことに成功

2011-12-25

2011年重大ニュース

ちょっとだけ早いけど、適当2011年を振り返ってみよう。

国内ニュース

東日本大震災
今年の一大事
福島原子力災害
これからも一大事
京大入試カンニング事件
一気に忘れられた。
クーポンおせち
激安おせちスカスカ
内閣退陣
私は原子力に強いんだっけ。
大相撲八百長疑惑
今思うと平和とき向けのニュースだ。
豪雨
紀伊半島新潟福島で。津波に続いて、水の神様が怒っている。
なでしこジャパン
明るい話題枠。プロ男子サッカーしたらどっちが強いの?
アナログ放送終了
終了。アナロ熊さんも永眠
韓流デモ
騒ぎが大きくならなかった。
立川さん永眠
生き返るなよ。
島田さん引退
急だった。
伊達直人さん
各地に出現

海外ニュース

タイ洪水
大陸大河洪水はすさまじい。
ギリシャ危機
欧州統合の末路。
アルカイダビンラディンさん殺害
特殊部隊こわい。
アラブの春
フェイスブックツイッターの良い使い方。
欧州財政危機
隣の国の財布に手を突っ込んだ。
リビアカダフィさん独裁政権崩壊
医療教育が無償の国だった。
格差社会デモウォール街を占拠せよ
フェイスブックツイッターの悪い使い方。
ノルウェー連続テロ事件
欧州どうした。
ジョブズさん永眠
カリスマ永遠に
金さん永眠
将軍さまも。
中国高速鉄道事故
40人以上亡くなるとその地域の幹部の首が飛ぶので40人しか亡くならないらしい。証拠は埋めるのが中国流。

流行語部門

ポポポポーン
AC
直ちに影響はない
少しあとで影響があるということ。
メルトスルー
メルトダウンの親玉。
一定の目途が立ったら
目途が立つのは2年後だろ -石原慎太郎
ベクレルシーベルト
放射線単位が一般化。
こだまでしょうか枝野です
今年テレビに一番出た人かも。
風評被害
実害なんだけどね。
ホットスポット
なぜか瓶が埋められています
爆破弁が作動しました
東大教授が言ってた。
グリーから退会できない
カモは逃がさない。
輪番停電
米軍基地周辺や23区は輪番しません。
私は原子力に強い
東工大卒。
帰宅難民
東北沖が震源の地震でこのありさまだった。
野田でございます
みなさんいってらっしゃい。
ゼロではない
お役所保身用語集ができそう。
すみやかに天寿を全うしていただきたい
お上品な表現

ノミネート

まるもり体操
子供向け
オルフェーヴル
三冠馬
太陽光発電
ちょっと前まで飛び込み訪問が成功しやすい目印だった
ドーナツ
食べてない
デジタルサイネージ
節電槍玉
PSPVITA
みんな買った?
代替エネルギー
原発やめると貧困層がさらに貧乏になる?
モバゲーベイスターズ
商品名を球団名にできないの。
グリーンカーテン
庶民の涙ぐましい節電策。
TPP
突如としてあらわれた、不平等条約
AKB商法
CD10枚買うと握手券がもらえたりとか。一人に同じ品物をいくつも売りつける。
AKB総選挙
投票ジャンケン大会で話題が作れるプロデュース能力に感服。
円高
震災からの立ち直り力が過大評価された。
節電
原発をやめると電気が足りなくなるという脅し。
ユッケ食中毒
高級な食材が激安だった。
ハリーポッター完結
あっそう。
白鵬
力士
3Dテレビ
今年は現実リアルすぎた。
ボルト
世界陸上
B級グルメ
地元に根ざしてないものが雨後のたけのこのように出現。
上田馬之助さん
プロレスラー
キラキラネーム
DQNネーム暴走万葉仮名


ほかに気になるのがあったら、追加していただきたく思います

2011-12-24

認知の微視的構造 リマインダー

リマインドしようにも、これを書いた人(=自分)の学力だと読めない本だったから無理。無理ゲーだった。



第一章

1

認知主義、古典認知主義

意味論的に透明なシステムと結びついた心の概念および計算機モデル意味する。

 この主義の限界を

2

 ・チューリング

 チューリングの形式化が持っている特徴

(1)物理的組織によってではなく、記号操作の形式的特性によるメカニズムの集合全体を包括

(2)そのメカニズムいかにすれば十分に明確化された問題すべてに取り組むことができるか示している

(3)万能チューリングマシンを定義する方法を示している

⇒ 素材は重要ではなく、形式的特性が能力を原理的に保証している

フォン・ノイマンコンピュータを設計し、1960s、ジョン・マッカーシーLISPプログラム言語)を開発。

 ⇒ 研究開発が可能に

A・ニューウェルとH・サイモンが物理記号システムという概念を提出

 ⇒理論的に自覚化・明確化される

3

・物理記号システム

①適切に操作可能なトークンに対して任意に意味を割り当てることができるシステムであり、

②正確にプログラミングすればこの割り当てられた意味論的内容と細かい点においても一致した仕方で行動すると信じられるようなシステム

by 1976 ニューウェル & サイモン

・強い物理記号システムの仮説

SPSS strong-physical-symbol-system

「標準的な記号アトムフォン・ノイマン型の操作を行っている仮想機械は、一般的な知的行為を実現するための直接的かつ十分な手段を持っている」

①仮想機械

現実の物理機械上で実行されるプログラムのみによって存在し、

そのプログラムに我々が命令を与える機械を模倣させるような「機械」

 高級プログラムによって定義されるエミュレータ

フォン・ノイマン型の操作

コネクショニズムとは異なった操作

・記号を割り当てる

・変数を束縛する

・記号列の複写、読みとり、修正

・基本的な統語論パターンマッチング操作

等々

③標準的な記号アトム

「テーブル」「ボール」「愛する」「軌道」「電子」のような語

④一般的な知的行為を実現するための直接的で必要かつ十分な手段

そうした機械は、それを支えている特定のアーキテクチュア(その基盤になっている他の現実的もしくは仮想的機械から)まったく独立に真に知的でありうるのであり、逆に言えば他のアーキテクチュアや機械をシュミレートすることなく真に知的でありうる

 このような主張(標準的なLISPアトムのごちゃごちゃした操作が、知能や思考の本質を構成しうるという見解)が、ニューウェルとサイモンのものだとできる動かぬ証拠は、彼ら自身の実践

彼らの仕事の特徴(例:BACON

 ・規則あるいはヒューリスティックス(発見的手法)の直列的(経験則を用いたも多少は運が左右する⇔体系的)適用に依存している

 ・そうしたヒューリステイックスの大部分が、かなり高いレベルで意識的に内省可能

 ・選ばれた課題領域を扱う

BACON:一連のデータから科学的法則を帰納する(ケプラーの第三法則、オームの法則

BACONに対するいくつかのコメント

BACONが取り組んだデータフォーマット化下のは、人間の労苦

BACONは十分に構造化された課題にしか取り組めない。

 ケプラーの第三法則は見つけられても、ペトリシャーレのカビとバクテリアの関係からペニシリンを発見する事はできない

BACONが展開する知識とヒューリスティックスは、人間のプロトコルや実験記録に大いに頼り、われわれが自分自身の思考について内省する思考のレベルからかなり直接的にコード化されたもの

 ⇒この種の思考は原初的で瞬間的なプロセスの上に後から被せられたもの。理解するということを具体的な例で説明する事には役に立たないであろう

 サイモン等は、人間の思考のすべてがただ一つの種類の計算アーキテクチュアに依存すると信じている。

 しかし、筆者は違う考えを持つ。サイモンラングレイの仕事では、洞察のひらめきといったタイプの認識を表現できない。

 心は、多くの仮想的アーキテクチュアからなる複雑なシステムであると考える

 BACONは、人類の一部のモデル

 知的課題や、感覚運動的な課題のような、なめらかに無意識的に行われるものは無視されている

 古典システムは記号アトムの使用に頼り、コネクショニズムはこれを避ける。

 古典主義者:意味論的に透明なシステムの構築に対して、方法論的にコミットしている人々

意味論的に透明、意味論的な透明性

STS semanttically transparent system

システムの振る舞いについての記号的な(概念レベルでの)意味論記述と、システムの形式的な計算活動の内的に表現された対象についての投影可能な意味論的解釈との間にきちんとした写像関係の記述が可能な場合にのみ、そのシステム意味論的に透明であるといえる」

 きわめて大ざっぱにいえば、あるシステムかSTSと見なされるのは、そのアルゴリズム記述レベル2)における計算の対象が、概念レベルの用語で表現されたその課題の分析の記述レベル1)と同型である場合である

レベル1:計算理論:(高い抽象レベルにおいて)どのような関数が計算されるかについての考え

レベル2:表現とアルゴリズム:それを計算する(具体的な)方法

レベル3:インプリメンテーション:現実の機械において計算がいかにして肉体あるいはシリコンなどで実現されるか)

古典アプローチコネクショニズムの重要な違い

(1)古典理論は――コネクショニズムはそうではないが――統語論意味論を組み合わせた記号システムを仮定している

(2)もし何らかの種類の構造化された表現が利用可能であれば、それらの表現についての計算操作を、その構造に鋭敏に反応するかのような形で規定できる。

 もしそのような構造が存在していなければ、(すなわち、どんな記号表現も存在していなければ、)計算操作を規定することはできない

◎要するに、古典システムは、統語論的に構造化された記号的表現を仮定し、そうした表現の構造によって、それに適用される計算操作を規定するものである


第二章

 古典認知主義に対する懸念

 ドレイファス:古典認知主義の問題は、人間の常識的な知識を表象として再現し表現しようとする形式主義の妥当

 サール:形式的なものと志向的なものとの間に、あるいは統語論意味論との間にギャップが認められる

 この二つの種類の懸念について検討する。

あなたの持っているのはそんなにいいボールじゃないわ。それを私にちょうだい。そしたら私、このキャンディーをあなたにあげるわ」

 この言葉を理解するために、ミンスキーちとパペートは膨大な概念リストをあげる。

 ウィノブラードのSHRDLUでは不十分。

 ウィンストンの、フレームを使ったアプローチも不十分

 ・フレームは、常識がうまく対処している偶発的出来事のすべてをカバーしているとは思えない(バースデーケーキに立つ黒いローソクに、フレームは対処できるか?)

 ・フレームからフレームへの移行を促す規則(メタフレーム?)をいつ適用すべきか、システムはどうやって知るのだろう?

 ドレイファス:互いに関連しあった特徴や可能性のすべてを、文脈に依存しない事実や規則によって形式的に把握するという課題には際限がないのではないか

ドレイファスの二つの主張

(1)身体問題

「このシャンプーが目に入らないようにご注意ください。もし入った場合は、ぬるま湯でよく洗ってください」

 コンピュータは、身体、欲求、感情、共通言語や社会習慣も持たない。だからコンピュータは、この文章が何を洗うように言っているのか理解できない

(2)コード

 人間は自分たちを取り巻く状況がどんなものかを絶えず感じ取ることができる。

 このノウハウは、何らかの知識表現言語によって、一種の知識として表現できるものなのだろうか?

 

 AIプログラム(=言語)が知識を表現する仕方が、現実の課題に対して根本的に不適合だと懸念する。

「強いAI仮説」を、サールは批判する

強いAI仮説:適切にプログラムされたコンピュータは、文字通り認知的な状態をとり、その際プログラムは人間の認知を説明するものとなる

Schank and Abelson 1977の、「ストーリーを理解するという志向的活動をシミュレートしているかに見える特別なプログラム」に対して、「中国語の部屋」を使うことで批判する。

サール:形式的に区別される要素に対する計算操作を行っているだけでは、どんなコンピュータも〈理解する〉ことはできない。したがって、そのような計算操作を規定するプログラムが、心の固有の性質について何かを示すこともあり得ない。

具体例:英語話者が英語を理解することと、中国語の部屋操作者が中国語を「理解すること」の比較

「人間は何も理解していなくても形式的な原理に従うことができる」

 以下、サールの誤りについて論じる

 

 サールに対する仮想反論「脳シュミレーター説」

 脳シュミレータ説:あるりプログラム中国語を理解する実際の中国人の形式的な構造をモデル化したと仮定すると、そのときそのプログラムは間違いなく真の中国語の理解を構成したことになる

↑(サールの再反論)

(1)脳の形式的な性質は志向性を構成しない(三章にて説明)

(2)脳の形式的な性質が志向性を構成しないのは、ある種の素材だけが思考を支えることができるからである

 ↑(アナロジー

 光合成光合成の形式的な記述を手に入れても、素材が違えば光合成は再現できない

 では、思考をもたらすような脳の物理的性質とは?

  :外因的および内因的な刺戟に対して脳に大規模な変動が引き起こされること


↑(コメント

中国語の部屋』が大規模な構造的変動を必要としないシステムなら、中国語の部屋による反論は無効

 微視的機能主義

 機能主義は、心的状態の本質を、

 入力、内的状態の変換、出力からなるプロフィールと同一視した。

 (適切なプロフィールを持つシステムはどんなものであれ、その規模や性質や構成要素にかかわれなく、当の心的状態を実現するであろう)

↑(批判)

中国国家脳のような)心的状態を実現する見込みがないようなシステムも、「入力、内的状態の変換、出力」のプロフィールを持つシステムへと組織することは可能であるよように思われる。

 こうした極端な寛大さは、機能主義の立場を掘り崩してしまいそう

・問題は、「入力、内的状態の変換、出力」の系列をどこに位置づけるか

×大まかなレベルに位置づけ

  ⇒感覚質の欠如、極端な寛大さ

ライカンの「小人機能主義」

○微視的機能主義

・機能主義の批判はゲシュタルト盲に陥っているのでは Lycan 1981

ゲシュタルト

 :機能的な構成要素があまりにも大きい、極度に小さい、それらしくない等であるために、そうしたものからなるシステムに志向性を帰属させるという考えに抵抗するということ

ライカン「小人機能主義」

 :機能的な下位システムは、それがエージェントのために何をしているかということによって同定される)

 微視的機能主義

  :システムの内的な機能的プロフィール(内的状態の変換)を、

   内容や目的に関連づけからはかけ離れた用語で

   記述しようとするもの

   ・処理ユニット間の形式的な諸関係を記述する

   ・諸関係が得られたとき、システムには大規模で柔軟な構造的変動が引き起こされ、またそれによってさまざまな創発敵的性質が得られるようになる


第三章

 認知科学における民間心理学の役割はあるのかないのか

「民間心理学

 :自分や他人が、信じたり、希望したり、恐れたり、欲求したりしているということについての日常の理解

 民間心理学は、行為・運動を説明するときに、信念や欲求という表現を用いる

チャーチランド & スティック

「民間心理学は、人間の行動に先立つ内的原因についての素朴で原初的な科学

 民間心理学問題点

(1)民間心理学は、偏狭な、特定の人々に限定されたような理解しか与えない。

 民間心理学は、子供狂人外国人を前にすると、まごついてしま

(2)民間心理学は停滞したまま、なにも生み出さず、長い間ほとんど変化も進化も発展もしていないところが他の諸科学と異なる

(3)民間心理学は、これまでのところ科学の主要部分にうまく統合されていくような徴候をまったく示していない。残念なことに民間心理学は自然を神経生理学的ないみで妥当な要素にまで分割することには関心がないようである

 最近の分析哲学

  :頭の状態に関する科学理論というゲームと、民間心理学というゲームを比較することが、そもそも不適当なのではないか

Daredevil believes that Electra is dead.

Mary hopes that Fermat's last theorem is true.

 のthat以下を、心的状態の内容と言う。

 心的状態が考えられる傾向

  :われわれの心理学的状態が、本質的に、周囲の世界がどのような状態にあるのかということによって決まるのではなく、

  われわれにとってどのように見えているかによって決まる

 ↓(言い換え)

 我々の意識や無意識に何らかの形で影響を与えられないものはどんなものであれ、

 本質的に我々の心的状態の正確な限定に関わることはあり得ない

⇒我々の心的状態が現に持っているような内容を持つものは、われわれ自身のあり方ゆえであって、

 知られていないかもしれないような周囲世界の事実とは関わりがない……☆

・双生地球……☆に対して疑いを投げかける

双生地球で、「海に水がある」と発話される。

地球A:海にH2Oがある

地球B:海にXYZがある

 この違い以外は同質だとする。

 すると、

 地球上の発話と双生地球の発話は、それぞれH2OがあるかXYZがあるかによってその真偽が決まる

(たとえば、地球Aの海にH2Oがなくて代わりにXYZがあるとしたら、地球Aでの発話は偽になる)

 もし意味が真理条件を確定するのだとすれば、

 自然種に関する表現(水、金、空気など)を含む陳述の意味は、

 単に主体の限定的に規定可能な状態に言及するだけでは十分に説明できない……☆に反して

二つの選択肢

(1)心理学的な内的要素(地球の話し手と双生地球の話し手に共通)と、

 世界関与的な外的要因(仮定上、二つの地球を越えて不変ではない(H2OとXYZ))の両方によって内容が決まるとする、意味と信念に関する合成説

(2)そういったケース(地球と双生地球のケース)は

  〈心的状態の純粋に内的でまったく心理学的な要素(☆のこと)〉という観念にさえも疑いを抱かせるものであると考えることもできるだろう

プティ と マクダウェル

「頭の中にあるものが、心の状態と因果関係を持っていることは疑いがない。

 しかし、

〈頭の中〉にあるものが心の状態に対して構成的関係にあると考え必要があるのだろうか?」

 筆者

 :あらゆる内容が根本的に世界に関与している(選択肢(2))ということが判明したとしても、

 そのこと自体は必ずしも〈認知科学は心の理解に深く(ことによると構成的にではないかもしれないが)関わる研究である〉という主張を覆すものではない


 その主張に対する仮想反論と、それに対する再反論をHornsbyは行った。

 仮想反論

 :「「行動傾向(心性はこれに随伴して生じるとされる)が二者の間で異なるためには、

 内的構成に違いがなければならない。」

 という考えを保持すべきである」とするならば、

 心的内容は限定的に規定されねばならない(自然種を指示しない)

(「「行動傾向(心性はこれに随伴して生じるとされる)が二者の間で異なるためには、

 内的構成に違いがなければならない。」

 という考えを保持すべきである」までが、プティとマグダウェルの、「頭の中にあるものが、心の状態と因果関係を持っていることは疑いがない」に対応する。)

 仮想反論の詳細

:仮定①:

 二人の動作主の心的状態は、彼らの行動傾向に何らかの違いがある場合にのみ異なる

 (そこに赤いボールがある、と信じなければ、ボールを投げようとは思わない)

 仮定②:

 行動が異なる(すなわち、行動が異なる)ためには、内的な物理的状態に何らかの違いかなければならない

 結論:それゆえ、心的状態に対応する内的な物理的状態に何らかの違いがなければ、心的状態が異なるということはありえない

「(民間心理学的な心的状態を帰属させることは、限定的内容のみに関わることであるという)結論は、深刻な疑義にさらされることになる。

 限定的内容といっても、それを妥当概念として了解できるかは明らかではない」

 なぜなら、

「民間心理学的な内容を(物理的状態に?)帰属させることは、身体的な動きを規定するような頭の状態についての独我論的な研究から引き出すことができるような切り口とは

 まったく違った切り口で現実を切り取ることであるように思われる。

 その具体的理由として、

 ボールをひろうことは、「そこにボールがあると私は知っている」という心的状態と関連するが、そのときの細かな指の動きはそのような心的状態と関連するものではない。

筆者

 :広域的内容を伴うによ伴わないにせよ、

 民間心理学カテゴリーや分類が

 頭の中で起こっていることに関することに関する科学カテゴリーや分類に

 きちんと還元されるなどということは

 とてもあり得ないように思われる。

・民間心理学は、科学心理学と同じゲームを行ってはいないかもしれない

 世界を記述しない信念であり、なおかつ

 ある人が同じ考えを抱いているといえるような別のケースに投影可能な述語が(科学記述の上には)存在しないことも可能

 民間心理学の道具立て(信念と欲求という概念によって、命題的態度を帰属せさるという道具立て)を用いて、心的状態を二者が互いに帰属させあうという日常の慣習(傍点)の目的は?

 :

 他人の頭の内的状態を追跡しようと試みることによって、

 その人の身体の動きを予測し説明するための手段

民間心理学の主要な目的

 :

 世界の中で活動している仲間たちの行動を、(傍点開始)我々が(傍点終わり)理解できるようにすること

(予測したい対象であり主体である)われわれの仲間たちの四つの特徴

①世界に対する感受性、すなわち感覚生得的な原書的概念の道具立てをわれわれと共有している

②世界をわれわれと共有している

③彼らは我々自身のもっと根本的な関心と必要の大部分を共有している

④彼らの思考の有用性は、

(我々自身の思考と同様に、)

 彼らが世界の実際の有様をたどっていることと関わっており、

 彼らの思考作用が、世界の実際の有様に十分適応していると我々が(進化論的な理由から)考えるような目的と関わっている

 この特徴があるので、

「~したい」という欲求さえ同じであれば、

 神経生理学的な詳細は関係なく、地球人にも火星人にも有効。

・民間心理学は、脳の状態の違い(that かなり目の粗い、行動上の違いとしては現れてこないような)に対しては、敏感に対応しないように設計されている

・民間心理学は、個人の間の差異を覆い隠し、

 さらには種の間の差異さえも覆い隠してしまう(長所であっても短所ではない)

 筆者の見解

 :私の見解では、われわれが信念を帰属させるのは、

 行動の全体に一種の解釈の網をかぶせることによってである

 ……関連する行動を可能にするものとしての、

 根底にある物理的あるいは計算論的な構造がどのようなものであれ、

 そうした構造における自然な区分に、網の結び目(すなわち信念と、欲求の特定の帰属)が

 対応している必要はない。

――

 筆者の意見は全体論である。(行動全体に網をかけるから。)

 ということは、Davidson(全体論者)に対するFordorの批判は、筆者の意見にも当てはまるのではないか

<Fordor>

意識の全体論というのは、

命題的態度の同一性――特に志向的内容――が、その認知的連関の全体によって決定される」

 という考え方。

 これに、Fordorは懐疑的

命題pの認知的連関というのは、主体がpの意味論的評価、すなわちその真偽の決定に関係するすべての命題のこと)

われわれは、信念や志向的状態を共有している。が、そのとき、すべての命題認知的連関)を共有しているとは思えない。

 なので、意味全体論はありえない。

 →信念の内容が、その認知的連関に依存するということを否定。

 信念は、その内容をそれぞれ別に持つ。

 外延的意味論の一形態に賭ける

:信念がその状態を獲得するのは、脳の状態が逐一、世界と因果関係を結ぶことによってである

「ある生物が『牛』という概念を持とうと持つまいと、その生物は『馬』という概念を持ちうる」

</Fordor>

筆者

 :Fordorの間違い

 全体論は、もしそうであれば、人間の心の理解が芋蔓式に進んでくれるのにという、いわば願望。

 Fordorが軽蔑したものの通りに進んでくれるかは別問題。

Fordor:バラバラになったブロックを一つの全体に組み合わせるやり方が、全員同じになるはずがない。

筆者:一つのブロックの組み合わせ全体を理解するために、各人が別々のやり方でバラバラにしている

 全体論という言葉の使い方が違うから、Fordorの批判は筆者には当てはまらない(という、批判をかわすための節)


 一章3節での、チャーチランドによる民間心理学批判に、今では応答できる。


(1)民間心理学は、狂人や言葉の通じない相手には使えない

(2)民間心理学は、長い間停滞している不毛な学問である

(3)民間心理学は、神経科学ときちんとつながっていない

(3)に対して、

 民間心理学の関心事は、他の主体の顕著の行動パターンだけを可能な限り効率的に分離することである神経科学とつながることを目的とはしていない

(1)に対して、

 民間心理学の道具としての適用範囲は、仲間。狂人の理解は、そもそも目標としていない

(2)に対して、

 民間心理学の目的は限られたものである

 なので、その中核部分が時間的および地理的な次元を越えて相対的に恒常的であり続けてきたことは驚くべきことではない。

整理。

 心的状態に関するわれわれの常識的理解と民間心理学は、違う。

 民間心理学には、きちんとした定義がある。

 これまで「民間心理学」として使われてきた言葉の、新たな用語法:「素朴心理学」、「メンタリズム的な理解」

 因果関係と、構成的関係の区別

構成的関係

 :

 研究の主題と何らかの形で密接に結びついているということ

因果的に関係

 :

 因果的に関係している様々な要素は、それほど密接に思考と結びついているわけではないので、

 それらの要素を差し引いてもそれによって思考という観念そのものが存続しえなくなる

ということはない。

チェス盤がなくなっても、チェスの続きは打てる。石を駒に見立てたり、口頭で)


・広域的内容の理論認知科学は心を解明しえない

・消去主義的唯物論:民間心理学が、心に関する科学に対して歪んだ影響を及ぼすのではないか民間人は自分自身の心を知らないと、消去主義的唯物論は思っている


科学(物質、プログラム

(構成的関係)

科学と心とを結びつける構成的関係。その得難さが二つのスタンスの対立を生んでいる。が、どちらの立場も同じく、認知という地形に同じ隆起とくぼみを見ている。

では、構成的関係とは何か。


構成的関係←→因果関係

構成的関係:研究の主題(この場合は心)と、何らかの形で概念上密接に結びついていること

因果的関係:因果的に関係している様々な要素は、それほど密接に思考と結びついているわけではないので、それらの要素を差し引いても、それによって思考という観念そのものが存続しえなくなるというひとはない

(駒はなくてもチェスは打てる)

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