はてなキーワード: 先祖とは
事実と真実ですれ違っているというが、そもそもの命題の設定の仕方が間違っているとしか思えん。
例題の「ワシントンの斧」に関して言うならば、
命題を「ワシントンの斧という寓話は真実であるか否か」とするなら、
アメリカに桜が上陸したのは1909年12月。ただし、この時は害虫被害が懸念されてすべて焼却されており、現在DCとかニューヨークで見られる桜は1912年3月に運ばれたもの。 ワシントン幼少時(1730~40年代)には桜の木は当然無い。 これを根拠に否定する輩もいるのだが、英文では"English cherry tree"となっている物があるのでおそらく、桜桃だと思われ、これなら17世紀にはイギリスからアメリカに持ち込まれている。 ワシントンの家は黒人奴隷プランテーションを経営していたので、桃桜があっても格段不思議ではない。 また、海外の挿絵等では背景が農場に見えるものも多く日本で翻訳した時点で相当意訳されてしまっており日本語訳を元に審議を見定めるのは難しい
となるわけで、これは事実の積み重ねだから、認識の違いは起こらないと思われる。
また、「これが子供の思想形成にどのように影響していくか?」という命題に関しても、
寓話を読み聞かせるのは容易いが、子供は大人の行動から物を学ぶのであり、実際の大人が寓話に反した行為を行っている場合には悪い影響を与えるだろう。 事実、アメリカにおいても、"George Washington's axe"は、先祖代々伝わる由緒ある斧だが、刃は錆びたので交換し、柄は古くなったので交換した。 というジョークとなり、「あれこれ取り替えて元が残ってない様子」を示す慣用句として使われてしまっている。 また、「正直に物事を話した方が良い」という事を説明するための寓話は他にも多くあり、「ワシントンの斧」は内容の短さ、状況の簡潔さから反論性が高いため、他の寓話を選択した方が効果はあるように思える。
と、相手に状況を確認してもらって進めれば、一方的な擦れ違いは起きないだろう。
わたしは被災者です。よく地震の被災者と言われますが、実際には津波による被害を受けました。周りにいるほとんどの人が津波による被害者です。仮設住宅にいるこの人たちは、自分たちが被害者で、援助を当然のように受け取っていますが、わたしは自分たちは被害を受けたのは自業自得のことなので、援助を受けることは本来あってはないことで、むしろ援助をしてくれている一般国民の皆さんのほうが被害者だと思っています。
津波は昔からあったことで、住んでいるところには昔から、住んではいけないところと言われている場所がありました。道路や斜面に石碑などの目印があって、そこより下には住んではいけないとわかるようになっていました。これは先祖からの警告です。でもそれを無視して、わたしたちはその場所に住むようになってしまいました。
その結果、津波で被害を受けました。そして被災者支援という形で関係のない人たちに大損害をもたらしてしまっています。とても申し訳なく思っています。生活を支援してもらうために増税があり、復興のためにさらなる増税があるでしょう。本当に申し訳ないです。
地震の直接の被害を受けた方々は被災者といえるとおもいます。でも津波は間接被害なので、この被害を受けた人を被災者として扱ってはいけないと思っています。仮設住宅なんて作るべきじゃなかった。このおかげで自称被災者な方々がどんどん図々しくなってきている。それがわたしには耐えきれません。わたしたちは他人に負担の原因を作っている加害者なんです。
住む場所を選ぶ自由はあるのですから、ここが危険だとわかっているのならほかの場所の移り住むことをすべきです。今回のことでそれを自分で考えることが一人でも多く増えることがいることを望みます。
えー自民党の西田昌司でございます。 えー関屋先生どうもありがとうございました。 えーあのー私も意見を申し上げさせていただきますが、 こらまぁ私の個人的意見でございます。 えーあの先生のあの報告の中にもですね憲法制定過程についての瑕疵があるとそのことに ついての問題点についてですねこの中に述べられておられますし今日のですね意見表明を されましたそれぞれの会派の中でもそのことを多くの方が問題視されておられます。 で、ところが、そうは言う物のそれはそれは横に置いておきながらですね、個別の議論が 次々次々生まれてくるんですね。あのたとえば9条の議論もそうでありますし えーこの非 常事態に対する法律(必要性)がないというそう言う問題がくるんですが 私は憲法問題と いうのはどこまでいきましてもその制定過程 そもそものですね その正当性があるのか と言うことの議論をせずにこの個別問題に入ってくるとその議論の闇の中に包まれてしま って本質が見えなくなると思っています。ですからまずはですね 制定過程がそれぞれの 会派の方々問題視 問題であるということであるならばですね、 そもそもこの憲法自体が 果たして有効性があるのかというところにいくべきなんですね。ところがこれ60年ほど使 ってくると、ま 実際それが有効に使われてきたんじゃないかと言うところで話しがですね 終わってしまうんです。 しかしそうじゃないんですね。 私は、この その問題についてはこの5分間では説明しきれませんので、また別の機会にで すね続けて発言をしたいと思いますがまずはこの正当性の話を議論しなければ、個別問題 に入ってくと本質を見誤ってしまうと 特に、本質問題で言いますと日本の憲法といいま すのはそれぞれの国、憲法がそうですけど国柄を表す物だとで国柄というのはなにかと言 うのを考えますときに、例えばアメリカ合衆国のようにですね ま いわゆるえー人工的に えーこの作られた国とですね、また、えー共産主義諸国のようにですね革命によって作ら れた国とは根本的な成り立ちが違うわけですね。それは よく先生方もよく伝統 ま 文化 そう言う言葉で使われますけれども、そのことをずっとたどって行きますと、まっ一言で 言えば相続と言うことに行き当たってしまうんですね。 つまり我々日本人の主権というのは、なにから来ているかというと、憲法によって保障さ れる、そういう問題ではなくてですね 我々の先祖が、この国をずっと代々、歴代にわた って守りつたっ 守って伝えてきたと、その相続人としての権利なんですよ。ですからそ の相続人としての権利ということを考えましたときには、国柄 国の伝統ということをで すね最大限我々が尊重しなければ 我々の主権自体がですね、実は否定されてしまうと。 そこをですね憲法によってできてるんだという風に考えてしまうとですね、そもそもの日 本の国柄という物が見えてこないんです。 で なにが言いたいかと言いますと、そう言うことを考えていきますときに一番象徴的に 出てくるのがひとつは皇室なんですね。で皇室の存在 存在というのがやはり日本の 日本 の国の形を考える上では一番大きなモンであります。ところが、今、この場で議論するの は、はばかれることかもしれませんけれどもこの皇統がですね、十分にこれから先もです ね 保証できるような状況あるのかというとですね非常にその辺に大きな問題を抱えてい るわけでありまして、そういう事かんがえますと私はまず憲法の議論をするときには本質 論から入らなければならないし 同時にそのことを考えましたときに まずは皇統が絶対に 絶えないと言うことをですね 法律的にやっぱり我々がですね担保する仕組みを作っておか ないとこれはとんでもない話になると思うんですね ですからえー皇室典範の話はですね政府の中からも議論されていたようであります。真偽 のほどはよくわかりませんがそういう事も含めて考えなければならないと思っております。 それからもう一つその皇室に象徴されるのは実は皇室に象徴されるように我々は相続によ ってですねこの国を守ってきてるんだと言うことはもう片っぽで家族という発想なんです ね。日本人が一番大切にする家族という物の価値観をですね実は今の憲法は何一つ、家族 の「か」の字も書いておりません。それぐらいに日本人の価値観とは非常に離れたところ からできている憲法であるとだから二重三重にいろんな意味を含めてですね。今の憲法に は正当性がないしそのことは皆さん方それぞれの会派の多くの方が共有されていること思 いますので是非ですねえー関屋会長の報告の中にも冒頭にありましたようにね制定過程の とこから含めてもう一度根本論をこの審査会ではですねしていただきたいと。そのことを 私の意見とさしていただきたいと思います。
http://anond.hatelabo.jp/20111013161340
江戸時代の私の先祖の居た地域は、その後赤線になったかどうかはわかりませんが、松田優作さんとかW大学の映画か何かの学部の先生で自分でそう書いてる人のとは、時代も環境も客層も全然違うでしょうね。
横須賀の小鼠さんのお家は、その真っ只中にあるらしいですけど・・・
でも、やっぱりそう見ますよね
小房時は単純にそういうイメージにショックを受けました。
小学生の時聞かされた。
変だよね、こんなの。
遊郭としてたと言っても、すぐ前の世代ではなく、その前にやめて地主になって、それをある宗教に寄付して、無一文の状態になって・・・と色々あったらしい
その色々が続いてない事も無いから、こんな事を言ってくるのかもしれないが ( 精神的にいろいろあるからかもしれないが、別に親は生活やお金には困っていない。全然余裕なのに・・・ )
それにしても・・・・
昔から私に関する事だけ、洞察力が欠落したような事を平気で行う人だった
実の母親から、お前の幸せを願ってません と宣言されるようなものだし
普通の健全な家庭の特に専業主婦の人が聞いたら嫌がるようなことを好んで言う傾向もあった
(別にエロい事と言う訳じゃないです。エロい人ではないと思います)
言わなくて良い事実とか、厭世的になるような事とか
例えば、森村誠一氏の小説を読んで、なぜそんなものを読むのか聞いたら、「私は本当の事が知りたいもん」と言ったりされたりとか
森村氏は優れた小説家だと思うけど、年若い人が見ると、厭世的になったり人間不信になる可能性もあると思う。私に勧めてきたわけではないけど、こういう事も踏まえた上での答えとしては適当ではないと思う。
本当の事と言っても、小説はフィクションなので、本当の事が知りたいなら、ノンフィクションのドキュメントかルポを読むべきだと思うし。
言うとしたら、氏は、厭世観を持つような事実を扱いながらも、それだけではない深い何かがあるとか、それを超えたものもあるとか、何とか言えないものなのだろうか、と思う。
世の中にあるものを無批判に肯定的に受け止めるのではなく、時には皮肉や風刺も、クリティカルな思考をするために必要なように、社会の暗黒面を描くのもより良い情況を目指すためには、有効だとか、視点としては、そういう目も必要だから、とか何とでも良い言い方は色々できると思う。
しかし、彼女の場合はそんな事をわかって読んでいたのではないような気がする。
これは離れて暮らしている今もそうだが
どういう人間だったかと言うのが、チグハグすぎて思い描けないし、人に説明もできない。
これは父にも言える事だが。
それで、トラバはしてないけど、さっき書いた恋愛に夢が描けない話
これに繋がらない事もないわけだが
人様のお嬢さんを金にものを言わせて攫ってきて、性的搾取をしてきた先祖・・・と考えると、他人にそんな事をした人間の子孫は、恋愛なんてできない、と思いつめてしまった部分は、小学生だったので、少なからずあると思う。
小学生ごころにはきつすぎる。
ある程度、自己防衛的な思考や論理的な判断力が、育った状態でしかも安定した身分の状態の大学生くらいになってから、先祖の歴史として話すのなら、わからないでもないと思うが・・・
遊郭というのは、気になるから、何かの折に目に触れたものを読んだり、本を立ち読みしたりして、調べた範囲でも、摩訶不思議な構造になっている
江戸時代とそれ以降での違いというのもあるし、江戸時代でも、遊郭というのとその他のものでは、だいぶ違ったようだった
病気で亡くなった江戸を描く漫画家の杉浦日向子さんは、このあたりちゃんと書いていた。(ただ地名を正確に書いてたというだけだけど)
明治以降国家神道として神道を流行らせたりする時に、その町のイメージが悪くなってはいけないという配慮からなのか何かはよくわからないけど、映画でも何かの作品でもその町を舞台にしたものは、江戸時代は心中モノが描かれたりしてたけど、今は全然ない。他の町も吉原以外は似たようなもので、特にタブーだかたというわけではなく、吉原が通俗的にそのような場所として有名だからわかりやすいからかもしれないが。( 江戸時代の吉原と今のとではだいぶ趣が違うけど )
有名な江戸時代の人形浄瑠璃や歌舞伎の演目で、伊達の殿様に切り殺されてしまう太夫の話がある。実話かどうかは定かではないらしいが、その太夫の死体が流れ着いた淵や、亡骸が祀られたとされている寺か神社もあるらしい。この話は、武士より武士みたいな形で亡くなってしまった遊女というところが皮肉なのだと思う。 創作だとしたら、こういう人身売買に誑かされて鼻の下を伸ばしている武士に対する皮肉もあったのではないかと思う。
遊女の腹から生まれた大名 で検索すると 23人もいたと記したページも出る
http://kkubota.cool.ne.jp/saihouji.htm
皮肉だ
江戸時代でも人身売買は悪いとわかる倫理観はあったと思う。わからないわけがないと思う。
それなのに、簡単に誑かされてしまう。
http://anond.hatelabo.jp/20111012175922
それに、一番多いのは顔見知りや知り合いによるものですから、異常者の犯罪とは言えないと思う
少年マンガや青年誌で、レイプシーンはちょっと前から条例でどうこう言われてるけど、今までは普通にあった。悪役の場面や悪いシーンとしてだが。一方カニバリズムは、少しでも出したらタブーとして、お詫びコメントが出ていた。http://kirarabunko.cool.ne.jp/www/yomimon/jikenbo.html 沖さやか
これから考えても、レイプは話として受け入れられるが、食人は無理という事で、レイプは普通の人が見ても、それを礼賛するわけじゃないけど、見られないシーンではないという事だと思う。異常者だけがする行為だとしたら、こうも受け入れられないのではなかろうか?
学寮の自由作文を頼まれると、自称読書家で元ブロガーは平気で制限を超える。
ものを書いたのは久々だが、気持ちよく書けたので記念に投稿してみる。
自由作文は難しい。大喜利なら書けることとウケること、この2つを考えればいい。しかし自由が与えられると、「自」も出る。自分にしかなしえない体験を、優越感たっぷりに書こうとする。書きたいこと、書けること、ウケること。これらをどう調和させるのか、ジレンマも生まれる。やがて面倒になる。白紙ができる。
自由はもてはやされる。マンガや小説やドラマ、物語は自由を求める。現実も変わらない。12時消灯より無消灯、時間帯の定まった食事より、各々の食事時間。自由最高。と、まあ例を挙げればキリがない。しかしそれは一面に過ぎない。
職業の話をしよう。英語には「職業」を表す"vocation"という単語がある。「これが、あなたが生まれてきて行うべき職業(使命)です」と神が呼びかけたから、との語源だ。なるほど「呼ぶ」のvocareと似るわけだ。だが今の日本に、神は声を残さない。かわりにわたしたちが声を上げる。わたしたちは自らの有用性を社会へ企業へ訴えかける。これが使命と感じた、とうそぶいたりする。社会は企業はそんな中から、選んだり、選ばなかったりする。勤労に義務はあるが、雇用にはそれがない。訴えるのは、全て自由だ。それに生じたもの、全てに責任だ。痛い目を見ても、そう、自分のせいだ。神の職務怠慢は、弱い人を苦しめる。自由は恐ろしい。
それでも全ては戯言だ。環境に適合できない生物は、絶滅する。そうやって今までご先祖様は勝ち抜いてきたのだし、そしてこれからもそうなるのだろう。
と、わたしが強者なら、こう断言しただろう。何が言いたいのかというと、
職が欲しい。
……泣きたい
残念ながら、、俺の親のどっちかは東北人なんでね。
東北(の人、といってもいろんな人居るけど)へは、好きな面も嫌いな面も沢山あるよ。
前のレスでも書いたけど
たとえば「忍耐強さ」と「良くも悪くも抑え込む(それが他人に及ぶことも)」こととは表裏一体なんでね。
主導権奪われて餌食にされずに、無事復興、というか
この際以前よりさらに素晴らしい街(何より本人たちがずっと暮らしやすい街)に作り上げてもらいたい気持ちで一杯。
衣食足りて礼節を知る、じゃないけど
どうせ俺たちイナカモンは...の恨み節は、同情買うか嫌われるかのどっちかだろうからな。
廃村までしないにしても
以前と同じ街を...ってことに固執せず
いくつかの面で思い切ったこと考えなくちゃいけない場所もあるだろうね。
ホント軽々しくは言えないけど。
百歩譲って人が輪廻転生するとしても、お盆の迎え火・送り火なんて全く信じない。
先祖の霊をお迎えするなんて、輪廻転生の発想に沿わないではないか。
生まれ変わったはずの人間の霊が、なぜお盆に我が家に帰ってくるのだ?
また、同様の理由で、墓参りの習慣も謎だ。
その墓には誰もいやしない。物質としての故人は世界に溶け込んでなくなってしまった。
そこにあるのは火葬されて焼け残ったいくばくかの骨と灰だけだ。
そして、仮に輪廻転生があったとしたら、故人はどこかで別の人生
(ま、人として生まれ変わっている保証はないが…)を歩んでいる。
(自分の場合、墓参りとは、お世話になりましたという意味で故人に祈りを捧げる儀式であり、
それ以上でも以下でもない。)
というわけで、
お盆だのなんだのの日本的仏教行事が無意味に思え、面倒くさくさえ感じるのであります。
現世に生きている他の人間との関係上、一応、お付き合いとして参加するというのが、
前略、ニート。
暇なので散歩した。
ルートは、所沢~小平(西武新宿線沿いをあっち行ったりこっち行ったり)
途中から暑くて汗がすごかった。
水分補給しつつ、散歩。
その途中、久米川駅近くのコンビニでチキン買って食ってたんだけど、
知らん人に「すいません」って話しかけられた。
よく日焼けした身体で、僕よりちょっと背が高い。
交通量も多くあまり聞き取れなかったので、何度か聞き返したりした結果、
ということらしい。
最初スキを見てひったくるつもりなのかな、と警戒してみたものの、チキン食べ終わってないので
「ちょっと食べ終わるまで待っててね」
というと素直に待ったので、その線はないだろうと判断。
事情はあまり聞かずに、あるだけの小銭をあげた。額にして105円。僕もお金がない。というか、おろしてない。
コンビニで買い物しそうだったから「近くのスーパーならおにぎり買ってお釣り来るからそっちにしなさい」
と言うと、彼なりの笑顔で応えてくれた。十分だ。
いつか僕もああなってしまうのか、という思いがあったことは否定しない。
霊園にはバッタが多い。踏まないように進む。
もう何年も手入れされてないだろう墓が多い。
「御名刺受」というのが付いた墓をたくさん見た。宗派の違いだろうか、私の先祖の墓、周辺では見たことがない。
いつもよりたくさん噛んで、舌で、歯で咀嚼して、味わって食べる。
そして電車に乗って家に帰ってきたのが今。3時間半にわたる長い散歩終了。
まとめ。
なぜ彼はたくさんいる人の中から僕を選んだのだろう。わからない。
家庭が貧困の原因という論に賛成。
いまの日本は大抵の子は航行まで進学できるけど
そのわけは、地方での職業には高い学識を必要としない仕事が多いため。
大都会のわけはその逆。
町が都市化するというのは、その分多様な職業が増える、必要とされることだから
その町では従来のやり方が通用しなくなる可能性が高いということ。
高齢者の方々にまでその試練は割り振りされる。
町は今度は痛みを伴う改革の波にさらされるということだ。
その中で、多大な支援金・義捐金を戴いておきながら
そのオカネで従来どおりの生活を再建しようとする者もいる。
当人はそれで満足かもしれないが、その周囲は変化の波にのる。
これを機に一挙に挽回してやる、町の中でのポジションを従来よりも
高いところに押し上げてみせる。そういう気概が震災地であふれている。
そのなかで、従来どおりの生活しかしようとしない者は
打破できるできないの話ではない。やるか否かの話だ。
ここにきて高齢者による保守的な姿勢は、復興のうえに胡坐をかくごとく
これは本気で変化の波に乗ろうとする者の足枷となる。
それは教育にも影響する。
変化を望まない者、危機的現状を打破しようと試みない者
そういう者達を町は望んでいるということになる。
応えられない。自身で創造することができない。
そういう人間を町は量産することになる。
あるいは、自身の育ってきた環境とネットで知った世界の現状とのギャップに困惑し
田舎暮らしをしてみた観想として、田舎ほど人間を育てる環境に適していない。
逆だと思われるかもしれないが、田舎は人間を人間と見ていない節がある。
人間とは、○○のお子さん、○○の親戚、という位置づけがなければ社会的に認められない状態が常態化している。
なぜならすでに大きな家父長制度的なシステムのなかに自身が組み込まれているからだ。
それ以外の思想、日常を排除しようとする。
http://anond.hatelabo.jp/20110808090041
だいたい洋楽とかどうなるんだよ。
「ああ、エスニックな感じがいいよね」というちょっとした箸休めではなく、これこそが本流、これこそがメインストリームというような感じがとても”違和感”がある。
自分より劣っていると思っていた人が凄いなんてのは人の心理として受け入れがたい。
それが国でも同じ。日本より格下の国が凄いなんてのは受け入れがたい。
何を言いたかったのかというと、つーか洋楽とKPOPを同列にあつかうんじゃねーよ。
お酒もね。
それは我々の先祖が絶え間ない工夫で作ってきた歴史なのだから。
マッコリなんて糞まずいもんありがたがってんじゃねーよ。
日本酒最高。
>行動や価値観まで決定するとなると、同じヒトという種の中に多様な社会や文化が存在してることが説明できなくないすか
>あと個人差も
社会や文化自体,種の特性と歴史でだいたい決まっていて,そのなかに個体全部をみたら統計的に分布すると思っている.伝統をまもる,伝統をつくるという素晴らしい二点もまた種の特性と種の作り出した文化の特性なんでないかなと.
つくるほうは難しくてよくわかっていないが,進化学的に種分化と同様, A という先祖から a と α 種が分岐したり A という先祖から変異して B という種ができたりと同じ傾向がありそう.
個人の行動規範の多様性については僕もしばしば考えるのだが,性欲・食欲・睡眠欲・衛生欲・知識欲・娯楽欲・金欲・物欲みたいなものはわりと普遍的だね.死・傷病・不潔・疲労・欠乏・危険あたりに対する禁忌も.んで,人間の問題はある時刻にどんな選択肢を思いつくかとそのうちどの選択肢を選ぶかに収斂しそうでどちらかというと前者に興味がある.
わかりやすいところだと,技術革新や職人技,芸術や学問(数学とか物理学とか哲学とか語学とか)といったものの価値があると思う.人間の解放に関係するあたり.まあ人間自体を価値あるものとは思わない.人権思想や法は肯定する.たた仏典的なものがなんとなく素敵.
化粧板某スレより
江原堂
読み方は「コウゲンドウ」なのはわかってるんだけど、どうしても「エハラドウ」と読んでしまう。
そして同時にあのスピリチュアルやら前世やらオーラやらの江原さんが浮かんで
「江原堂のファンデーションを使うと先祖の守護霊が守ってくれます。
と、江原さんがやたらライトに照らされながらどや顔でこういう文句を並べて、信者に買わせる図を想像してしまう。
そのせいでとても胡散臭く感じてしまう。江原堂は悪くないのに。
必死に江原さんを追っ払ったら、今度は芸人のエハラマサヒロが出てきて
「え?wwまだ江原堂使ってないんだwww
ふふっwあぁいやごめんねなんかwww
でも使ったほうがいいよw」
みたいなことを言う図が浮かんで、ちょっとイラっとする。
そして絶対使うもんかと思う。
江原堂のファンの方ごめんなさい。
夜中に爆笑
それ以外に無いことくらいはわかると思う。
疎開すると今まで通りの収入が途絶えるので動けませんとかいう理屈は、
自分の足で立って苦労するつもりはありません、ということの表明に過ぎないわけだが、
泣き言を抜かすなと言いたい。 どこまで精神が転倒しているのだ?
時代に応じて上にあがった人もいるし、地べたを這いずり回った人もいる。
しかし、みなさん総じてコツコツと苦労を積み上げてきたのだよ。
逃げるべき時には逃げなきゃならん。
金がないから子供を学校にやれません・・・とかなら自分の学んだ全てを子供に与えればよかろう。
同じ境遇の人達は掃いて捨てるほどいるはずだから、仲間を募って一緒に疎開するのがいい。
まあ、汚染地域に残っても即座に死ぬようなことはないであろうし、
癌とか内臓疾患とか奇形とかで短命な人生を閉じる前に子孫を残せば種は続いていくだろう。
致命的奇形でなければ人生終了サイクルが極度に短くなるだけで種は残し続けられるからな。
そして、放射能による人体影響データを待ち望んでいる連中に激しく貢献してあげることもできる。
謂わば、実験室のラットと同じだ。 自分で思考する能力のないロボットのような人間。
取り敢えず今が大切とかはネズミと同じだが、本来、人というのはやればできるという凄い能力を持っているのだよ。
やるだけやって人事を尽くして天命を待つようでないと神様も導きようがないわな。
選択肢の第一が金であっては助けようがない。